プリティかつ怠惰に生きる

プリティかつ怠惰に生きる

クリスマスイブの奇跡 前




Prologue

クリスマスは嫌いだ。
雪が降っているとボロをまとっただけのこの格好は寒すぎるし、人が多くなると足を踏まれそうになるし、警察の人も多くなって花を売るのも難しくなるし。
何より、家族に囲まれて幸せそうな人を見るのが、一番嫌いだ。

何で僕だけ。

いつもはそんなこと思わないのに、12月のこの日だけは胸が苦しくなる。
奇跡なんて起こらない。幸せなんて、掴めない人にはただの幻想でしかない。
サンタクロースなんて、幸せな人が作り出したただの夢物語だ。
その年のクリスマスまで、僕はずっとそう思っていた。









クリスマスイブの奇跡









1

 私と、目の前にいる10歳ぐらいの少年の間には、目に見えない重い沈黙が流れていた。少年は身じろぎせず、目を丸くして私を見ている。まあ、それはそうだ。私だって、何も知らないでこんな場面を見たら驚く以外にすることはないだろう。
 なんでこんな時間のこんな場所にこんな小さな子がいるんだよ……。
 今は夜中の11時。深々と降りしきる雪の中、大通りはライトアップされ、昼のように賑わっている。こんな裏路地に人がいるとは思うはずもない。誰もいないことを確認して見つかりにくい裏路地に降りたつもりだったのに、まさか人がいるとは。
 ボロボロのコートとボロボロのズボンを纏った少年は、空とソリを交互に見ていた。古いが色鮮やかな赤いマフラーが、格好に妙な不釣合いさを出している。
 位置関係からして、少年は建物の影に紛れて見えなかったのだろう。初仕事でいきなり見つかることになるとは思わなかった。しっかり周囲を確認しなかった、己の不注意さに泣けてくる。
「え、嘘…。でも、空から…」
 少年が自問するように呟いているが、そんな言葉は反省中の私の耳には届かない。
 真っ白なヒゲを蓄え、頭からすねまで真っ赤な服で包んだ不審者と、ぼろをまとった少年がお互いを眺めながら硬直しているという、端から見れば世にも不思議な光景だっただろう。
 そんな状態が10秒ほど続いただろうか。意を決した少年が、私に話しかけてきた。
「…本物さんですか?」
「ああ、そうだよ…。メリー・クリスマス」
 ソリに座ったままの状態で、少し疲れた声で答えた。

「本当にいたんだ……」
 少年が心の底から驚いている。まあ、まさか誰も本物がいるとは思うまい。私も、1年前までは思っていなかった。
 しかし、この少年はどこの家の子だ。ここ数ヶ月の入念な調査にも引っかからなかったとなると、よっぽど郊外に住んでいるのか、それとも……。
「坊や、お家はどこだい?」
 精一杯愛想良く聞いてみる。しかし、少年は私の笑顔と反比例するように顔を曇らせた。
「ここ……」
 やはり、ストリート・チルドレンか。
 いくら入念な調査したといっても、家を持たず路上に住んでいる人を全て調べるのは無理がある。チームを組んで万引きをする悪ガキ達や、話し上手な爺さんなど、周りの人によく知られている人間ならいくらでも調べようがあるが、地道に空き缶などを拾ったり花を売ったりして生計を立てている人は、あまり人の目に触れないので調査しにくい。彼もそうして、私の調査から外れたのだろう。
 しかし、こんな時のためにプレゼントはしっかり予備を用意してある。大抵のリクエストには答えることが出来るし、もし無ければ買ってくればいい。見られたのは失敗だったが、「サンタを見た」などと言っても、子供の戯言だと一笑にふせられるのがオチだろう。問題はないはずだ。
「それで、サンタさんを見つけたラッキーな少年は、どんなプレゼントが欲しいのかな?」
 前もって用意しておいた言葉を、一言一句違わず紡ぐ。実際には使わないほうが良かったのだが、このような状況になってみると練習して良かったと思える。笑顔も完璧。声も完璧。会心の出来だ。
「幸せ…」
「え?」と聞き返した私の顔は、とても間抜けなものだっただろう。少年はもう一度、今度ははっきりとした声で、
「僕、幸せが欲しい……」


2

「幸せ、か……」
 馬鹿なことを言ったな、とは自分でも思った。突然サンタさん(本物?)が降りてきて、欲しいものはなにかと聞くのだから、混乱していたことは間違いない。
 それにしても、幸せはないだろう。サンタさんは見るからに戸惑っている。無理もない。突然そんなことを言われたら、誰だって困る。
 でも、そうやって納得できることのはずなのに、どこか残念な気持ちが僕の中にはあった。
 サンタさんなら、僕の望みを叶えてくれるかと思ったのに…。ちょっとした失望が、僕の胸をちくりと刺した。
「少年。名前はなんだい?」
 突然、ヒゲの付け根をぽりぽりと掻きながら考え込んでいたサンタさんが、口を開いた。
「アレックス……」
「アレックスか。ここに住み始めたのはいつ頃のことだい?」
「ちょうど4年くらい前だけど……」
「どうしてここに住むことになったんだい?」
「友達が一人で泣いている僕を見つけて……」
 何でこんなことを聞くんだろう。サンタさんはうんうんと頷きながら何か考え込んでいる。何がしたいのかさっぱり分からない。
「よし、分かった。しばらく待っていなさい。君に幸せを届けてあげる」
「え?」と聞き返した僕の声は、とても間抜けなものだっただろう。
「出来るの……?」
 言葉に詰まりながら、目の前のサンタさんを見上げる。サンタさんは優しそうに微笑み、僕の頭を撫でた。
「出来るさ。私は、サンタクロースだからね」
 ウィンクして、サンタさんは表通りへと歩き出した。背中が見えなくなり、僕ははっとして後を追った。
 しかし、サンタさんはいなかった。振り返ると、ソリも消えてなくなっている。まるで最初から誰もいなかったかのように、裏路地は静粛を取り戻した。
 夢でも見ていたのだろうか。妙な現実感のなさが、その思いに拍車をかける。
 けれどその一方で、今の出来事は紛れも無い真実だと確信している自分もいる。何故かは分からないけど、妙な信頼がある。
 期待なんかしちゃいけない。希望なんて持っちゃいけない。それが、この生活で学んだことだ。
 けれど、あのサンタさんは少しだけ信じたくなった。どこか同じ匂いがして、優しさに満ち溢れているあのサンタさんなら。

 もしかしたら、僕に幸せを届けてくれるかもしれない。そう思った。


3

 大通りに出て目をつぶり、意識を集中させる。思い浮かべる時間は、4年前の今日。12月24日午後1時のこの場所。
 世界が歪む感覚が訪れる。立ちくらみに近い感覚が私を襲う。地面が消え、「無」とでも呼べるような空間へと放り出された。どこが上で、どこが下かも分からない。人知を超えた巨大な何かが、うねるように体に纏わりつく。やがて、混沌とした世界をたゆたう私を、眩い光が包み込んだ。

 気がつけば、ビルの壁を背もたれにしてへたり込んでいた。体中が脱力している。商店街はザワザワと騒がしい。今はクリスマスイブの午後1時。ある人は恋人と共に、ある人は子供へのプレゼントを買いに、それぞれの思惑で昼のクリスマスイブを楽しんでいるのだ。
 未だ眩む頭で立ち上がり、看板に派手な装飾をしている雑貨店の中をガラス越しに覗いた。
 -19××年12月24日-
 そこには、年号だけが4年前になっているカレンダーがあった。
 私には生まれつき、時間を移動できる能力が身についている。若干制限はあるが、同じ時間に何人もの私が存在することも出来るのだ。要するに、ちょっとした分身が使えると考えていい。サンタクロースなどという、現実性に乏しい戯言を実際に存在させようと考えたのも、この力を持っているからなのだ。
 この能力のおかげで人に忌み嫌われた私が、この能力で人を幸せにすることになるというのも、なかなかに因果なものである。
 さて、そんなことを考えている場合ではない。さっさと仕事に取り掛かるとするか。私は人々のざわめきで賑わう大通りを後にして、暗く狭い路地裏へと向かった。

「ああ、知ってるぜ。アレックスだろ」
 13歳くらいの少年は、威嚇するかのように鋭い目つきを私に向けた。
 赤い帽子を被り、白いTシャツに黒いジャンパーを羽織っている。ズボンは青いジーパンだ。少し汚れてはいるものの、路地裏に住むほかの少年に比べれば、ずいぶんと身なりが良い。恐らく、この辺りのボス的な存在だろう。ならば、裏路地事情の大抵は知っているはずだ。
 目の前にいる少年は、鋭い眼光を崩さず、くちゃくちゃとガムを噛み、私を睨みつけている。
「で、何が聞きたいんだよ。爺さん」
 偉ぶった物言いだ。なめられてはいけないという気持ちがあるのがよく分かる。
「アレックス君がここに来た日時を知りたいんだよ。誰かが見つけて養っているんだろう。その子から詳しい話を聞きたいんだが……」
「俺だよ。アレックスを見つけたのは」
 少年は、ガムを吐き捨てた。警戒心むき出しの眼光は崩さない。
「おや、それは話が早い。詳しい話を聞かせてくれないかね?」
「なんで?あんたに教える必要が俺にあんの?そもそも、あんたの目的も知らずに言えるわけもねえだろ。常識考えろや。常識」
 既に警戒心は敵対心に変わっているようだ。私に向けている視線には、睨みをきかせている。相手になめられないように、しっかり大物の風格を出している所は及第点といえるだろう。
 しかし、相手の“格”を見定められないのは減点だ。
「とりあえず、なんでアレックスのことが知りたいのか、教えろよ」
「ある人との約束でね。アレックス君に渡したいものがあるんだ。それを渡すためには、彼がここに捨てられた日時を知らなくてはいけないんだよ」
「ある人って誰だよ」
「それは言えない」
「なんで、その日を知らなくちゃいけねえんだ」
「それも言えない」
「なにを渡したいんだ」
「…幸せ、かな」
 少年の表情に怒りが満ちていく。無理も無い。無茶を言っていることは重々承知している。しかし、言えないのだから仕方が無い。そもそも、言ったところで信用するわけが無い。
「くそったれが…。教えるとでも思ったか?そんな態度でよぉ」
「まあ、そうだろうねえ」
 あくまでも飄々と答える。主導権を向こうに握らせてはいけない。それが、この手の会話の鉄則だ。少年は舌打ちをして踵を返し、立ち去ろうとした。
「では、これでどうだろう?」
 チャリーン。
 高い金属音。少年の動きが止まり、こちらを振り返る。私が落とした小銭をちらりと見て、再びこちらを睨みつけた。
「いくらだ?」
 無言で10ドル札10枚を見せる。少年は、それを全て掴み取った。ポケットにしまう間も、目線は常に私に向けている。
「アレックス君が捨てられていた場所は?」
 そう尋ねた瞬間、少年はいつの間にか持っていた砂を撒き散らし、後ろを振り向き駆け出した。しかしそれを予想していた私は、目の痛みをこらえて手と体を素早く突き出し、少年の腕を取った。
「離せよ!」
 がむしゃらに動く少年をしっかりと掴み、思い切り引き寄せた。腕を捻りつつ背中に回し、ビルの壁に押し付ける。その衝撃でガハッ、と少し息を吐いた。
「それはいけないよ、少年。これは取引なんだからねえ」
 捻っている腕に力を込める。少年は苦しそうに呻いた。
「手荒な真似はしたくない。教えてくれないかね」
「うるせえよ!金持ちが何考えてるのか知らねえけど、そう簡単に仲間を売ってたまるかよ!」
「折るよ」
 冷徹に言い放ち、腕をさらに捻り上げる。苦悶の表情を浮かべ、脂汗がにじみ出ている。もう少し捻れば、肩骨を砕くことが可能だ。
「大人しく言えば開放するし、そのお金も渡すよ。悪い取引じゃないはずだ」
「…折れよ」
 予想外の答えに、一瞬戸惑った。
「折れよ!その程度じゃ、俺は仲間を裏切らねえぞ!」
 少年が肩越しに睨む。その目には、一片の曇りもない。本気で腕を折らせるつもりなのだろうか。そんなことはありえないとも思うが、目を閉じて歯を食いしばる彼の姿には、嘘やはったりを感じない。一種異様な信憑性がある。
 5秒ほどの沈黙が続いた後、睨みあっていた目線を外し、ゆっくりと少年の腕を解き放った。一瞬ビクリとした後、肩を回して折れていないことを確認し、不思議そうにこちらに向き直った。
「…なんでだ」
「すまないね。君を見くびっていたよ。てっきり、お金欲しさにぐずっているのかと思ってね。だったら、少しお灸を据えたほうがいいと思ったんだが」
 最初から、折る気はまるで無かった。仮にも夢を与える身のサンタが、子供に暴力を振るうわけにはいかない。金に汚いタイプとは、こうしたほうが円滑に事が進むからこの方法を取っただけのことだ。
 クスリと笑い、頭に手を置く。抵抗する気もなくしたのか、拒否はしなかった。
「君がそんなに仲間思いだとは思わなかったんだ。今まで私は、同じような境遇の中で、君の様な子は見たことが無かったのでね」
 頭から手を離し、この場を立ち去るべく少年に背を向ける。
「…どうすんだよ、聞きたいことは」
「違う誰かに聞くさ。君だけが知っているってわけでもないだろ。探すよ」
 彼に「友達を大切にな」とだけ言って、ゆっくりと歩き出す。拾った本人に聞き出せなかったのは少々厳しいものがあるが、この類の調べものはスムーズに進むほうが珍しいのだ。まあ、仕方があるまい。
「ここ…!」
 背後から、少年の叫び声が聞こえた。反射的に立ち止まり、声の主を見る。彼は、私が行こうとした方向とは、正反対の道を指差していた。
「ちょうど1ヶ月前の朝6時に、この道をまっすぐ行った大通りで、一人で泣いているアレックスを見つけたんだ…!」
 意外な言葉に驚き、目を丸くして少年を凝視した。彼は居心地が悪いのか、もじもじしてそっぽを向いてしまった。
「何故教えてくれる気になったんだい」
「な、仲間に酷い事されたら嫌だし…見つけた日時くらいで何かできるとも思えないし…」
「それでも、何かできる可能性を考えて今まで話さなかったんだろう」
「……なんだかあんた、妙に落ち着くし、俺たちと同じ匂いがするから」
 少年は、伏し目がちに私を見た。先ほどまでのギラギラした敵意は既に無い。優しく微笑んで、少年の頭に手を乗せた。
「ありがとう」
 走り出そうとすると、またも少年が叫ぶ。
「幸せを渡すって、本当…だよな」
「ああ。本当だ」
「じゃ、じゃあ…」
 さらに顔を俯かせて、少し悲しそうな声色を出した。
「あいつを、笑わせることができるかな…。アレックスの奴ここに来てから、ま、まだ一回も笑ったこと無くて…。お、俺には無理だけど、あんたは、笑わせられるような気がするんだ…」
 肩を震わし、涙を流しているようにも見える。
「君が笑わせられるさ」
 少年は首を横に振る。
「多分、俺じゃ無理なんだ。俺みたいな馬鹿な奴じゃあ、あいつを笑わせることは出来ないんだ……」
「大丈夫。君は、彼のことをとても良く考えているじゃないか。そういう気持ちは、絶対相手に届くものさ」
 だって、私もそうだったから。
 少年は、俯かせていた顔をゆっくりと上げた。私は微笑み、もう一度力強く言いきる。
「出来るさ。君ならな」
 私は、先程少年が指差した方向へ走り出した。まだ何か話そうとしたようだが、これ以上彼に言う言葉はない。後は、彼が考えて行動することだ。目をつぶり、一ヶ月前へと向かった。


4

「アレックス。パンでも買いにいかねえか?」
 そう話しかけてきたブレットは、ボロボロの青いジーンズに茶色い上着を羽織っている。昔から大切にしているトレードマークの赤い帽子が、振ってくる雪を受け止めびしょ濡れになっていた。
「いや、いいよ。僕はここにいる」
 サンタさんは、僕にしばらく待っていろと言った。本当に来るか分からないけど、サンタさんを少しでも信じると決めたのだから、僕はサンタさんを待たなくちゃいけない。
「腹減ってないのか?」
「うん。大丈夫」
「そうか…。じゃあ、明日の分も買って来るから、朝に食べな」
「うん。いつもごめんね」
「気にすんな。俺の好きでやってるんだ」
 そう言って、照れくさそうな笑いを見せた。ブレットは、僕の一番の友達だ。昔、この近くの大通りで捨てられて、一人で泣いていた僕を見つけて、生きる術を教えてくれた。それ以来、ずっと一緒にいる。
 僕と違って、力が強くて度胸があって凄く頭が回るし、何より、ぶっきらぼうだけどとても優しい。彼がいなかったら、僕は今頃のたれ死んでいたかもしれない。
「……なんだか悪いよね。昔から一緒にいるけどさ」
「なにがだ?」
 不思議そうに見て来る彼の目から逃げるように、顔を横へ回した。
「僕はいつも君から何かをもらっているけど、僕は君になにもあげられないでしょ。僕といなければ、ブレットはもっと色々なことが出来るんじゃないかなって思うと。なんだか悪い」
 そう言い終わるが早いか、ブレットが肩を掴んできた。ビックリして顔を上げる。
「俺は、お前がいなかったら今頃死んでいたと思う」
 そう言い切る彼の目は、真剣そのものだ。突き刺すような声で、言葉を続ける。
「お前って親友がいたから、なにがあっても生きていこうって思えたんだ。お前って守りたいものがあったから、俺はここまで生きて来れたんだ。だから、自分が何もしていないなんて言うな。俺はお前から色々なものを、貰い過ぎなくらい貰ってるんだぜ」
 肩をバンと叩き、いつもの笑顔に戻った。満足そうな顔をしている彼を見て、僕は堪らなくなって噴出した。
「な、なにがおかしいんだよ」
「だって、女の子を口説いているみたいな台詞だったんだもん……」
 ハッと気づいたかのように、顔を赤くして目を丸くする。照れ屋な所は、昔から変わらないようだ。僕はまた微笑した。
「ほら。パンは? 行かないの?」
「…年上をからかうもんじゃないぞ」
 二人でくすくす笑ってから、ブレットは大通りの方へ足を向けた。
「じゃ、また明日な」
「うん。おやすみ」
 走っていく彼の背中が見えなくなってから、また僕は座り込んだ。
 ……ブレットは良い人過ぎる。彼が僕を気にかけてくれているのは、本当にありがたいと思っている。だけど、彼は太陽のように明るくて、僕にはまっすぐ見ることができない。彼の存在は、僕の暗い部分をより大きくするのだ。心の中に隙間風が吹くように感じる。体を震わせ、より小さく全身を丸めた。
 11時20分。サンタさんは、まだ帰ってこない。


5

 大通りを見渡すことが出来る路地に隠れて、アレックスが捨てられるのを待つ。赤帽子の少年の言うことが正しければ、そろそろ来るはずだ。冬の夜の寒さに耐えつつ、じっと待ち続ける。
 既に待ち始めてから10分ほど立つ。暇で暇でしょうがない。体をさすりながら、ヒゲの付け根をぽりぽりと掻く。
 と、大通りを挟んで向こう側の路地に、見慣れた人間がうろついていた。
 “私”だ。なにやら妙に顔色が悪いが、赤い服を着て黒いブーツを履いている姿は、紛れも無く私の姿だ。向こうもこちらを確認したらしく、手を振ってきた。
 何故ここに私がいるのか。推察すると、今現在の私に何かアクシデントがあって、目的を達成することが出来なかった、といった所ではないか。今向こう側にいる“私”は、そのアクシデントを解決した後再び目的を達成するために、少し先の未来から戻ってきたのだろう。
 少し気が滅入る。こうやって寒い中待っていても、どうせ今の私の行動は無駄骨なのだ。それは、向こう側にいる“私”が証明してくれる。それなのに、誰がやる気を出せるものか。
 とはいえ、今すぐ時間を戻る気にもなれない。そんなことをしたら、それこそ何もかも無駄な動きのように感じてしまう。“未来の私”が向こう側にいるのは、それ相応の理由があってのことなのだから、それを無闇に変えてしまうのは良くないのではないか。
 それに、そのアクシデントで誰か救われる人もいるのかも知れない。どんなことでも、それはきっと無駄な事ではあるまい。と、強引に自分を納得させる。
 そんなことを考えている内に、向こう側にいた“未来の私”はどこかへ消えていた。結局、何がしたかったのかよく分からない。
 ふと、小さな音が聞こえた。
 どこから聴こえているのか、どんなものかを分析するため、耳を澄ます。大通りの先、どうやら、目に見えない程度に遠いところから泣き声らしき声が聴こえるようだ。慎重に声の方向へ進む。姿を見られてはややこしいことになる。少しずつ少しずつ、ゆっくりと歩みを進めた。
 通りの真ん中で、安っぽいジャンパーを着た5~6歳くらいの男の子が一人で泣いていた。赤いマフラーを巻き、ニット帽を被っているので、ただでさえ小さい身長がより小さく見える。
 また路地に隠れ、顔を確認する。間違いなく、アレックスだ。面影がある。
 もう既に、彼を捨てた人間は何処かへ行ってしまったらしい。なるほど。だから“私”は、少し過去へとタイムスリップしたのか。
 納得し、それに続くために目をつぶり、精神を集中しようとした。
 しかし目の奥に見えるのは、痛々しいほど真っ赤になり、目からこぼれる涙を拭っているアレックスの手。凍えるように寒いだろう、その小さな、か細い体。
 ……まるで集中が出来ない。頭を振り、また目をつぶるが、泣きながら震えるアレックスの姿が振り払われることは無い。
 少し考えてみよう。5歳といえば、まだ物心つくかどうかの瀬戸際の年齢だ。思うに、この場で姿を見せても、サンタ服を着ていればそちらに目が行くのではないだろうか。よしんば顔を見たとしても、目深に被った帽子とふさふさと存在を主張するこのヒゲがあれば、顔を覚えられる心配は無いように思える。
 いやいやいや、顔を見せるのは絶対にまずい。どんな顔であろうとも、覚えられたら困ったことになる。私がとるべき行動は、速やかに過去に戻ることだ。絶対にそうなのだ。
 ……でもきっと、手袋を渡すくらいなら良いだろう。恐る恐る路地から体を出し、アレックスに向かって歩き始めた。
 ドクン! と心臓が大きな音を出し、異常に動悸し始めた。
 胸を掴むが、鼓動の速さは元に戻らない。立っていられなくなり、這い蹲る。見つかったらまずいと思ったが、ちょうど良い具合にアレックスからは死角になっているようだ。
 少しほっとしたのも束の間、今度は吐き気が襲ってきた。たまらず、胃の中のものを胃液ごと吐き出す。
「お前、何してるんだ」
 アレックスのいる方角から、もう一つ子供の声が聞こえた。聞き覚えのある声。先程会った赤帽子の少年の声だ。
「親はどうした?」
「ウッ…ヒック…いっちゃった……。ごめんねって……ウァァ……」
「……そうか。一緒に来い。なんか食わしてやる」
「ウッ……ウッ……」
「……大丈夫だから、な」
 泣き声が遠ざかり、完全に聞こえなくなったとき、体がふっと軽くなった。吐き気はもう無い。心臓の動悸も治まっている。座りながら壁にもたれかかり、一息ついた。

「ちょうど1ヶ月前の朝6時に、この道をまっすぐ行った大通りで、一人で泣いているアレックスを見つけたんだ…!」

“一人で泣いている”か……。だから、その状況に矛盾する私が“時間の防衛本能”に止められたわけだ。
 タイムスリップ物の小説などを読むと、大抵過去は変えられないとか、変えた場合存在が消えるとか、パラレルワールドが出来るなどと書いてある。しかし、私の能力は少し違う。“私が知識として知ってしまった過去”を変えることが許されないだけで、過去を変える事自体はいくらでも可能なのだ。
 そもそも、私が過去にいること自体が過去との食い違いとなるので、過去に戻った時点で“全体としての過去”は変わってしまう。それが許されないのならタイムスリップを使用することは出来ないし、消える場合でも同様だ。パラレルワールドは良い線だが、それならば未来へと戻ることが出来なくなる。過去に戻って歩くだけでも、常に未来は変動すると考えられるからだ。
 しかし、私の持つ能力は“私の知識としての過去”。つまり、世界的事件や身近に起こったこと以外など、“私が知っていること以外”ならいくらでも変更が効く。そしてそれは、私のいた未来が変わることにはならない。
 例えば、“己の腕一本で会社を築き上げた社長がいる”という知識があるとする。この場合、社長の名前を知らなければ誰にでも社長の椅子に座らせることが出来るが、“己の腕一本で”の部分は事実にしなければならなくなる、といった具合だ。
 そして、その“知識”を揺るがすような行動をとろうとすれば、言い知れない恐怖に襲われるか、さっきのように身動きが取れなくなってしまう。それが、私の能力における“ルール”なのだ。
さっき会った“未来の私”の姿を思い出す。この禁忌を犯してしまったから、顔色が悪かったのだな。全てに納得がいき、疲れがどっと押し寄せてくる。
 しかし、ここでのんびり休んでいる暇は無い。目をつぶり、今度こそ意識を集中させ、過去に戻る。特に意味も無く “過去の私”に姿を見せなくてはいけないのかと思うと、また一つため息が出た。









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