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気体 液体 固体へと変化する 水 空や海、水は色んな色に見えます 青、白、ピンク、オレンジ、灰色・・・・ でも実は、無色透明 水は姿を変えます見えたり、見えなくなったりつかめたり、つかめなくなったり・・・ 「水」という一つの言葉の物質の中にも無限の世界があります 私達の現実に起きることも、水の世界たまたま、青く見えたり、ピンクに見えたりしていて、その実体は何もない世界 消えたり 流れたり 固まったり それは魂、胎児、肉体。変化しているようで、実はすべて水の世界の出来事 今、見えていることにこだわることはなく、ただ流れていく 台風の後の越前海岸の波模様とても印象的でした お米もしっかり踏ん張ってくれていました 御心配下さった皆様どうもありがとうございました 明子 (写真提供 T様ありがとうございました)
2013年09月19日
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大阪の片隅に残されている自然の森の裏で元気な先人達が集う場所があります ここは、細かいプログラムがありません それぞれの方のその日の気分や体調に合わせ、一日が創られます 農作業、大工仕事、芸能活動・・・ 利用者の方が夢中になれることをスタッフが最大に補佐させて頂いているシステム。 時間の枠がなく流れていく時 お父さんの大工仕事を手伝ったりお母さんの食事の準備を手伝ったり、また、ずーっと山にいって帰ってこない遊びっぱなしの子供のような方もいたり年齢関係なく、皆兄弟のような、大家族のような気持ちになります ビニール一枚張られた小屋の中が皆の憩いの場 暑さ、寒さ、天気を感じ、四季を感じ合う ある風の強い日バタバタ叩き付けられる音ヒュウヒュウ風が木の間を通り抜ける音その音の激しさに皆、驚き合います 「久しぶりに風の音を聞いた」とおっしゃる利用者の方密封された今の新築の家では、風の音も聞こえないみたいです 時折、ピタリ音が静まる時もありますそして、また始まる風の音楽に耳を傾けながらモロヘイヤの葉っぱをとる その時間が妙に心に残りました日々色んな場面状況が織り交ざる中で記憶として残っていく時間 そういう自然と交流した時間が自分の中の蓄えとなって、自然の少ない状況になって息苦しくなったとき酸素を出す植物のように、私達の中でエネルギーを出してくれているのかもしれないと感じました 「週に一度くるのが本当に楽しみなんだ」と 最長年齢85歳の方 雨の日、風の日、晴れの日 長年通われた利用者の方から 力強さのようなものを感じます 大阪にもまた新しい家族が出来て とても嬉しいです 御興味のある方、老若男女問わず お気軽に御連絡下さいませ 福井農哲学院0776-76-2116 明子
2013年09月07日
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昨年、お借りしていたハウスを返却するためぶどうを北海道の美深農苑に移植しました八割くらい剪定させて頂きました それにも関わらず、今年もしっかり成長して実をつけてくれていました 奪われても奪われても、再び与え続けてくれる命寛大な自然界のシステム 与える歯車と欲しがる歯車 欲しい欲しいと思っているとどれだけ与えられても、満足できずもっと、もっと、もっと、と永遠にその歯車の中でまわるのかもしれません 与える歯車に変わると、欲しがる思いが少し和らいでくる気がします 今、自分がどんな車に乗って回っているか確認していたいです 明子
2013年08月30日
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事務所から40分かけて通った古民家箪瓢草堂 洗濯機、お風呂、ガスも揃い生活させて頂ける 状況になってきました しかし、毎日の往復はガソリン代がかさむから、 時間がないからと損得を計算し事務所で 寝泊りする日もありました 越前海岸を見下ろせるこの場所は最高です 虫の声に包まれ、静かな時を過ごせます 「ここは過去の辛い記憶を忘れさせてくれる」 「ここにいるとありのままの自分でいられる」 そんな御感想も50代男性から頂き、とても 嬉しかったです その方も喜んで、古民家も私も喜んで、三倍の 喜びを感じることができました 現実の忙しさや、状況に追われてくると 自分の本心がどんどん見えなくなります ”やらなくてはならないこと”に 支配され、自分の喜びが何かさえも分からなく なってしまう可能性があります 「もし、今日この世を去ったら・・・」 同じ明日がくる保障はありません 最後自分がどんな状態でいたいかを考えたとき 選択は変わってきました 通ってた場所から住む場所に変わってきました そして今朝、玄関先にかぼちゃが実っていました 誰が植えたわけでもないかぼちゃ この場所で初めての収穫物 種取りして来年植えるのが楽しみです これがまさに自然農かぼちゃ! 明子
2013年08月28日
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一人で活動することが多い中、久しぶりに共にして下さる方がいらっしゃいました 北海道美深農苑で一ヶ月滞在していたフランス人 日本語はほとんど話せない状態私も、英語もフランス語もほとんど話せません すべて自分の思い通りにさせようとすると、言葉が通じないことがストレスに変わります 大抵のことは、感じとってくれます言葉が話せない分、感じる力が大きい気がします 言葉にしなくても、次の仕事の段取りを感じとってしてくれます 使う言葉はひたすらセンキュウ! 外国の方といて楽しくなるのは、言葉でなく心のキャッチボールができるからだなと思いました 訪問者は新しい空気を運んでくれます はるばるどうもありがとうございました! 明子
2013年08月28日
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洗濯機は洗剤を入れ水が回りながら汚れを落とします 水の中につけたままよりも、ザブザブこすったり、水の流れ、動きによって汚れが落ちていきます 山から街、街から海へと、色んな汚れが川から海へ運ばれます 全ての命のエキスが海に集まります止まることのない波の動きは、まさに洗濯機のようです 虫さされの足も、海の中に入るとかゆみが落ち着きます たくさんの微生物たちが洗濯してくれるのでしょうか 60パーセント水分といわれる人間の身体動かない日が続くと、どんどん身体が重く気分も重くなります 身体を動かす 動きが、洗浄の力なのかなと感じました 明子
2013年08月28日
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14歳の少年と一カ月弱の間共に生活させて頂きました 子供といると、言葉が多くなりがちです 相手のあれこれ気になる所を注意したくなります でも、言いたくなる半面、注意し過ぎると 自分で自分がうるさく感じてきます。 例えば、縁側の二つの入り口 一つは、開けにくくて天井を持ち上げないと閉まりません 彼はすぐその開けにくい方の戸から出入りし、開けっ放し にします。 以前、その入り口から猫が侵入したこともあって、私は 開けっ放しにされることに、敏感になっています 毎回、天井を持ち上げて開け閉めするのが面倒なので、彼が その戸を開けると、つい 「なぜ、ここをあけるの!」と怒ってしまいます しかし、その言葉を発した直後、別にどちらでも いいことなのに、妙にこだわる自分に気付きます 私は世間的には、大人の年齢になっていますが、よく 注意されることが多くあります ですので、注意する方もされる方もいい気持ちでは ないこともわかります 少年が言いました 「自分の本当に言いたいことは言葉には出来ない」 言葉が溢れると、溺れて苦しくなります すみません ありがとうの、罪のないような言葉さえも 何度も使うと、うるさく感じることにもなります その気持ちを直接言葉にせず、行動にする 仕事をよく頑張った日、ありがとうの気持ちを ゆたんぽに託し、御布団を温める。 沈黙のありがとうは、何も言わずとも食器を片付けて くれるありがとうに変わる。 簡単に言葉にしないことで、一歩奥の心の世界の交流が 出来る気がします。 蓬餅を作ろうと、彼が朝1時間かけて採取した蓬 すり鉢で力一杯にすります。 鮮やかな緑が光ります 「もういいでしょ、次のことしよう」と 言いたくなるくらい、ひたすらすります。 大人は、何かと自分の都合に子供を合わせ、 引き込みやすいかもしれません。 大人の勝手な尺度に子供達を縛っている気が します。 とことん気のすむまで蓬をすってもらいました 沈黙の時が流れます ゴリゴリすって、ふと顔を上げニヤッとした彼の 満足気な顔を見た時、ぐっと言葉をこらえて良かったと 思いました 彼から無言のキャッチボールの楽しみ方を教わりました 明子
2013年04月25日
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2年前に出店したイベントで御縁が出来た御爺様Nさん。 昨年にガンの手術をされ入退院を繰り返されております。 餅つきをしよう!という企画が持ち上がり Nさんの体調と、皆さんの都合を調整しながらやっと実現しました 餅つきという共同作業を通して、初対面同士でも 急速に関係が深まることが出来ます この餅つきをNさんも私も楽しみにしていました 喜びに向かう人が多いほど、その喜びの渦の輪は 広がります 近所に一人暮らしされているおばあちゃんを 箪瓢草堂(古民家)までドライブにお連れしたとき 途中で、おばあさんが 「そこを曲がったところに同級生が嫁に行ったから その村を見てみたい」と、突然おっしゃいました。 そして、道を曲がったところで廃材を燃やしている 大工さんと出会いました。 餅つきをするときの火を焚くときの薪が欲しいと 思っていましたので、その大工さんにお願いしたところ こちらも処分する手間が省けるからと、家まで運んで 下さることになりました 誰かの喜びを追求していくと、それは自然に自分の 喜びにも繋がるのだなと感じました おばあちゃんは車もなく、普段出歩かないので車での 移動を大変喜ばれました おばあちゃんのお陰で私も薪を頂く御縁を頂き、私も 幸せ、大工さんも手間省けて幸せ、そしてその薪を使って 餅つきが出来る 幸せは幸せを呼ぶということを実感させて頂きました そして当日、元すし職人の方が沢山の海苔巻きを振舞って 下さいました。 ずっと出番を待っていた処分されそうだった大皿にも 光があたります 廃村とされたこの場所にまた人が集う 沢山のイノチの喜びを感じることが出来た貴重な 時間でした はるばるお越し頂いた方、御協力頂いた方、 どうもありがとうございました 明子
2013年03月23日
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近所にお住まいの82歳のおばあちゃま畑が生きがいなのだと、いつも早朝から暗くなるまで働いておられます あるときは竹を台車に載せ上り坂を上がり、あるときは草刈機を振り回しそして耕運機も使っておられ、その元気なお姿にいつも感動させて頂いています おばちゃまの作った野菜をスーパーに並べるためたまに、車の中でお話をする機会があります その会話の中で学ばせて頂いたことはまず、間食しない 体が動き辛くなるからと御飯と野菜中心のお食事でこられたそうです そしておばちゃまは愚痴や悪口より、感謝のお話が多いです ありがたいありがたいと、よくおっしゃるのでこちらも、ありがたい気持ちを頂くことが出来ます そんな方なので娘さんよりお嫁さんとの方が 仲が良いそうで、いつもお嫁さんが優しいんだと お話されてそんなお話を聞いてまた、私も嬉しく なります そして毎晩日記を欠かさず書いていらっしゃる そうです。書かないと眠れないと、事細かく記し ておられます。 その御自分の書く字を見て、乱れを確認されて いるそうです。 字を書くことは集中力が入ります いつも日記を書こうと思い続かずにきました 集中力をつけるためにも、自分を観察するにも 日記をつけることをまた始めようと思いました 82歳のおばちゃま いかに元気に年を重ねるか・・・ 世界中の方々に自慢したい、紹介したいと思える方が すぐ目の前におられることをとても幸運に思います 明子
2013年03月11日
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髪の毛を切るのが苦手でした前髪を切ってはガタガタになり、いつも恥ずかしい想いをしていました しかし、どうしても切りたくなり今回は初めてカッターで挑戦しました 思うままに刃を入れます くせにそって何となく前も後ろもまとめて 掴んで、刃を滑らせます すると、今までで一番気に入った髪型に することができました 美容院に行ってもここまで満足できたことは ありません 自分で出来たことが嬉しく、以前よりは、自分と 協力できるようになれたのかなと感じました 自分を信じることが出来始めたら 自信がつくのでしょうか 明子
2013年03月11日
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年明けから虫歯になり、歯科医院に通っていました 麻酔を何本もして、削って・・・これだけ頻繁に歯科医院にいくと、さすがに嫌になります 「こないだいったばかりなのに・・・」 今まで以上に、歯を削る音に不快感を感じ 歯の治療?に疑問を感じるようになりました こんなにポンポン麻酔してたかな・・・と 麻酔が以前より多くなっている気がしました ある方は歯科治療で麻酔をせずに治療して いるというお話を聞きました はっとしました 今まで麻酔をするのが当たり前で、しないという 選択肢がありませんでした 確かに、麻酔をすれば感覚が無くなるので痛みは ありません。でも、声なき細胞が必死に痛いー辛いー と、訴えている気持ちを無視することになるのかも しれません そして、次の治療の時、麻酔をお断りしました 必死に、今まですみませんでした・・・と歯に謝りま した。すると、予想以上に我慢出来る痛みでした 痛みがひどくなったらと、痛み止めの薬も頂きましたが 飲まなくても問題ありませんでした 麻酔をしなくても、痛み止めを飲まなくても大丈夫 だった、そんな風に変化してくれた今の身体をとても 嬉しく思いました というわけで 治療途中ですが歯科医院に行くのを止めました 根本的原因が解決されないと、そのときだけの治療ではまた再発してしまいます 病は自分を変化させるチャンスと先人は伝えます 歯が痛いので頂く食べ物も限られます 歯が痛むので穀物を柔らかくして離乳食のように 頂いています 甘いものが欲しくなり口に入れると頭、耳 リンパ・・・ものすごく痛く、痛みが続きます 身体は必死に何も入れないでといっています にも関わらず、強引にいれようとする・・・ 不思議です こんなに痛く辛いのに、何故、コントロール出来ないのか・・・・ しかし、食べて激痛、食べて激痛を繰り返すうちに少しづつ落ち着いてきました。 子供の頃から、腹八分目に出来ず常に過食で、ずっとどうすることも出来ずにきました でも今回の、歯の痛みのお陰で、変化が出てきました まず小麦粉が遠ざかりました 穀物は水に溶かしても美味しく頂くことが出来ます しかし、うどんやパンは美味しく頂けません そうして、穀物中心の食事にならざる得なくて、続けて いますと、今までのようにパンを食べたいという強い欲求は なくなりました とにかくお米が甘く美味しいです 今回の虫歯のお陰で穀物のありがたさを実感できました 食べ物は習慣といいます 今回の虫歯をきっかけに新しい習慣が身につくことが楽しみです 身体との会話を極めていきたいです 明子
2013年03月10日
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ここ2、3年半年に一度は歯科医院にお世話になっています 詰め物が取れたり、虫歯になったり・・・ 先人の智慧を見習って自然に近い生活を!と思い、歯磨き粉の代わりに塩で磨いていました 塩がいいから!と磨いてきたのに何故、こんなに歯科医院に行くのか・・・ 結局、自然な食べ物を頂いていたら塩で良かったのです お菓子や、油っこい食べ物を頂いたときは洗剤を使わないと汚れはとれません 仲間に指摘され、はっとしましたまた、今の自分の段階を見ず頭で考えて行動していました いろんな情報が溢れていますそれが今の自分にとって本当に合っていることなのか自分の今の段階を確認していきたいです 明子
2013年03月10日
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今、古民家再生のため外壁工事をしています 皆、雪の中での作業です。 「寒い中大変だ、自分も共に作業を!」 「頼まれている荷物を発送しなくては」 「散らかった部屋を掃除したい・・・」 「年賀状を書きたい・・・」 色んな自分の思いが回り頭が混乱します 何を最優先にすべきかの判断がいつも 見えなくなります 何々しなくては・・・と思って行動した ことは、やはり心が集中出来ず、中途半端 な仕事となって、周りの方にも不快感を 与えてしまいます 自分が本当に望むことをする 本当の自分に素直になることが、結果的には 自分にも周りにとっても良きことのはずなのに 何故、正直になれないのでしょうか 本当に自分が何を望んでいるのかもよく わからない 何故、自分のことなのにわからないのでしょう そもそも自分とはなんでしょうか 私たちは、自分で心臓を動かしているわけでは ありません。 手足を動かすことが出来たとしても、食べた物 を、消化させたり、内臓をコントロールすることは 出来ません。 太陽が昇るように目が覚め、太陽が沈むように 目も閉じる。 すべて自然と同じ。 手足も自分でコントロール出来ていると思って いましたが、霜焼けになった手は、思うように 動きません。 コントロール出来ていないのは体だけでは ありません。 心も、嫌なこと思いたくないのに思ったり、 強くなりたいのに、不安になったり・・・・ 何一つ、コントロールできていないように 思います。 波が高い時に船に乗っていると酔います どこか島を見つけて、波が静かになるまで 船から離れることが必要です 自分が、気分が悪い時は、まず、自分と いう船から降り、離れることが大切なのか もしれません。 自分、と思ってたことが、実は、すべて 自然のもの。 自然と思ってたモノが、実は、すべて 自分 今まで囚われてきたことを一つ一つ 解いていくこと 楽しいです。毎日の中に発見が、隠れています 今日も一つ気付かせて頂きました!どうもありがとうございました 明子
2013年01月06日
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以前より古民家再生で御指導頂いている 宮大工の棟梁。 大工の技術の前に、心の在り方をいつも 教えて頂いております 長い間、家、木、というイノチとお付き合い されてきた方です。 私たちの気付かないところを沢山、教えて 下さいます。 例えば、雨どい 家の近くに生えている大きな木の落ち葉が、 雨どいに詰まり、雨水が雨どいをつたって 流れず、落ち葉にぶつかってあふれ、その 違うところからはみ出た水が、家にあたり、 そこから、腐り始まるそうです そして、道具の付き合い方 目の前の現実に追われ、次に次に進みたく なり、すぐに現場が散らかってしまいます 道具があっての仕事のはずが、道具への 配慮がすぐに薄れてしまって、どんどん 道具も弱っていきます 外壁作りのために、足場を組んで下さって います。 しかし、壁の土で、お借りしている足場が 土で汚れていました。 「汚れているな・・・どうしよう・・」と 気付いて気になりながらも、他に気を奪われ 放置していました。 しかし、その足場がないと壁も塗れないし 私たちのイノチも守ってもらえません 土で汚れたトタンをブラシで磨いておきなさい 傷つけないように!と御指導頂きながらも、 汚れた土をとる、ということに気をとられ、 傷が入ってると思いながらも、強くこすって いた自分がいました 海沿いで潮風が当たるから、錆びにくいトタンを 御用意して頂いたのに、私が傷つけてしまった所か ら、錆びてしまうことになります 先人から受け継がれた大切な古民家を次世代に 渡したいと思って、再生しているはずなのに なぜ、自分は大切に扱うことが出来ないのか。 棟梁は、使う道具、材料、とにかく何でも撫でて 話しかけておられます 確かに直接手で触れて、撫でることによって、見て 気付かなかった部分にも気付くことが出来ます そして、撫でることで愛着も生まれます 自分自身も同じでした 今まで、自分を大切にとよく言われてきました しかし、どうやって自分を大切にするのかを わかりませんでした でも、とにかく全身を撫でる、ということを 始めました そうすると、あちこち痛いところだらけなことに、気付きます。 朝起きて、あれこれ頭を巡っても、まず、自分の 身体を撫でる、挨拶する そうすると、身体にも愛着がわいてきます 自分を傷つけていることに気付かないから、他のイノチが犠牲になって、伝えようとしている トタンの傷は、まさに、今の自分自身につけている傷傷つけてると知りながらも、改善しない強情な自分が存在するということを知りました 身体の中の声は、他を通して届く もっと、もっと、自分を撫でる時間が必要だと感じました。これ以上他のイノチを犠牲にさせないように。 貴重な気付きを頂きましたどうもありがとうございました 明子
2013年01月05日
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花を咲かせて実をつける植物たち 例えばお米 人間が何もしなければ、実った種は その場に落ち、来年再び芽を出し、 育つことが出来る範囲は限られます 出来た種を人間が、一粒づつ分け、 種をまくことでことで、一粒の種は 何万倍にも増え、広がる可能性が 生まれます。 そうすると、出来た作物を共に 分かち合う生き物が増えます 水の中の生き物も、空の生き物も 地上の生き物も、田んぼに皆、集い ます。 他のイノチ達と、喜びを分かち合う そのために、人間は生まれた と、先人は伝えます。 ある店で出会ったyさん 現代社会の中での生き方に、疑問を 感じ何度かお電話を頂きました。 その中で、何よりも大切なのは ー自分を大切にすることー 自分は自然の一部だから、まず、 自分の中の60兆のイノチ達と、 分かち合い、支え合わないと、 本当に、他のイノチと分かち合う ことは難しいのでは。 という、先人の智慧を共に 分かち合いました。 しかし、目の前の現実に追われ、 すぐに自分を粗末にしてしまいます そんな時、彼女から 「今まで、自分をいかに粗末にしてきたか ということに気付きました、ありがとう」 という気付きの喜びの電話を頂きました 思うように実践出来ず、悩んでましたが 彼女からの喜びの報告のお陰で、私も、 共にその喜びを分かち合うことができ、 元気になれました。 分かち合えた時、その力は何万倍にも 膨らむ、広がる、ということを感じました 私は、自分で食べたい分全部、一人で 食べたいと思い、皆で分かち合うということが、 苦手です でも、一人でどれだけ食べてても満足出来ない のは、分かち合っていなかったからなのかも しれません。 誰かから頂いた半分のおまんじゅうだとしても それは、5こ一人で食べたおまんじゅうよりも、 美味しく、満たされることがあります 私たちの毎日の中には、まだまだ、何万倍にも 喜びが、広がる可能性があるのかもしれない と感じました どんな大きさのものでも、細かく分けることが 出来るために、この手が生まれた どんな所にも喜びを届け、分かち合うために この足が生まれた。 自分が何のために生まれたかを少しづつ 確認していきたいです ブログを通して分かち合える機会があることを 嬉しく思います。 どうもありがとうございます 明子
2013年01月05日
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昨年に続き、今年も足踏み脱穀をしたいと御連絡を頂きました。 Fさんは、長年足踏み脱穀をしたいと夢に描かれやっとここを見つけたとのことでした。 本来、脱穀はコンバインでしています 脱穀機はあっても機械があるので使いません しかし、Fさんのような方がいらっしゃるお陰で 脱穀機に光が当たります。 踏み板が破損していたので、近所の御爺さまに 御願いして直して頂きました 車で40分ほどかかる古民家に脱穀機を取りに行きます 御爺さまが近くで竹を拾ってこられました 何にするのかと思えば、なたで竹を裂き、脱穀機でもみが 散らないように、カバーをかけるということでした 裂いた竹を脱穀機に差し込み、網をかけて完成 合間に、銀杏を拾ってこられ、御機嫌な御様子でした 帰り際にお爺様方が「わしらも、こういうところで暮らして、余生を過ごしたいなあ」 まさに、御爺様の思い描くことを私たちが準備している! 何だかとても嬉しく感じました 何か再生させよう、命を最大限に活かそうとする方が、 集ってきます 北海道美深で、古布を集め、再生されている方、 包装紙を貼り集め袋に再生する方 廃材を利用して家を再生する方・・・・ 皆さん表現は様々ですが、それぞれ命を最大限に活かそう! という想いは同じ。 そんな方々と御縁が深まり、家族のような存在になっています 物凄い確率で出会う一つ一つの命との出逢い 人もモノも、食べ物も、景色も、音も・・・・ 全身に刻み込んでいきたいです 沢山の方に支えられております 皆様いつもどうもありがとうございます 脱穀機は11日限定です 御興味ある方はお気軽にakiko39muryoui@docomo.ne.jpまで 明子
2012年11月09日
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今年の稲刈りも、残すところあと僅かになりました 水が引いて固い所、水が残ってグチュグチュな所が、 あります。 初めて、稲刈りをするという女の子が来て下さい ました 市内に暮らされているからか、虫やカエルを見て 喜ぶ子供達。 「刈った稲の中に虫がいたよ」 私が気づかず見過ごしていることを 子供達は教えてくれます 「グチュっグチュっ、ブクブク・・・」 長靴を履いた子供達の足元から田んぼの声が 聞こえてきます 一歩一歩、歩くごとに鳴る田んぼの音が 珍しかったのか、何度も何度もぐっちゅ ぐちっちゅ、グッチュグっチュ♫ 段々それが、ボイスパーカッションの様に 聞こえて、お母さんと私も、田んぼアカペラ セッション!? 大人にとって何でもないようなことでも 子供は、楽しんだり、悲しんでたりします 猪くんに踏まれてしまった稲。 泥の中に埋まっている稲を起こして 刈るべきか、そのままにしておくべきか そのままにしておくのにも、もったいない 気もするし、しかし、芽が出てきているのも あり、どうしたらいいのか分からず考えます。 「どうしよう・・・」 一旦、頭で考え出すと動きが止まります。 一人で作業しているときは、とりあえず放置 することしかできませんでした しかし、子供達といたら、気持ちに余裕が 出てきたのか 「洗ってみよう!」 という気持ちになりました 芽が出たお米がどうなるのかわかりません もちろん全部の倒れたお米を起こして洗う訳 でもありません ただ、倒れたグチュグチュの稲を見ないふりを してたことが心苦しく感じていたので、少量でも 洗うということで、何か心が軽くなりました ドロドロになっているもの、本来の姿をしてない 状態であるとき、何となく避けたい気持ちになり ます。 しかし、ちゃんと洗えば美しい姿に戻ります 一見、醜く見えるものに対しても怯えず、冷静に 向きあえるようになりたいです 子供達は、大人に学びを届ける大切な存在だと また再確認しました 今年も沢山の方に御協力頂いた稲刈りでした どうもありがとうございました 明子
2012年11月07日
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福井の田んぼの稲刈りをさせて頂いています ザクザクっと、手で刈って束ねていきます 大ベテランの先人の方々は、それはそれは見事な手さばきで、華麗いに束ねていかれます 猪、雀、カラス・・・次々に皆、集います 晴れているうちに!と、目の前に広がる稲に焦りの気持ちが出てきます 次へ次へと行きたがる心があります 物事の見える結果にこだわって生きてきましたので成果を感じたいし、達成感、満足感を求めます 北海道から稲刈りをするために、福井へ戻り、頭を垂らした稲の姿を見て、「早く刈らなくては!」と思い、どんどん刈っていました あるとき、「まだ早いのでは」「お米見たかい?食べてみたかい?」と御指摘を頂きました。 がっくりきました何を今までここで学んできたのか・・・ お米の粒一つ一つを確認することなく全体が黄色から、とそれだけで勝手に判断していました 何も見ず、感じず、ただ目の前の現実に流され、刈りとっていた自分が、どうしようもなく恥ずかしくなりました。命に対する姿勢が、全く身についていませんでした。 福井の田んぼは、ヒエなどの雑草と共にお米は育っています 一株、一株稲と、草を分けながらいかなければいけません次へ次へと進みたくなる、落ち着きのない私には本当に貴重なありがたい草の存在です より早く、より大きく、より多くと暴走してきた時代に草たちは、ゆっくりでいいよ、と私にブレーキをかけてくれる気がします 自分のペースで農と向き合える時間を贅沢に感じることができました 草をありがたく思えた今日の稲刈りでした どうもありがとうございました 明子
2012年10月17日
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3年程前から目覚まし時計で起きる、ということを止めました。 ふっと、自然に目が開く感じが気持ち良く感じたからです。 イベント前や、旅行前、何か決まった時間に起きなくては、いけないときは緊張します 「起きることが出来なかったらどうしよう・・・」 今までは、その不安から目覚まし時計を使っていました しかし、目覚ましを使っても、止めて二度寝してしまうこともあります ー すべては必要なこと -ということが確信出来ると、少し力も抜けます 自分の起きたい時間に目覚めることが出来ると、とても嬉しいです。 自分の感覚を感じるからでしょうか今は、便利な世の中で自分の感覚を知らず、使わず過ごしていると感じます 人間にはあらゆる能力があると先人は伝えます 例えば、自分が手品を出来る特技があっても、それを披露する場がなければ何も生まれません 披露する場があると、それを見た他の命も喜びその姿を見て自分も嬉しくなり、喜びが生まれます 目覚まし時計を使わなくなったことで、私の中の時計係に場が与えられ、活躍する姿を確認することが出来ました 感情は一つの力だけでは生まれません何かが必ずどこかで反射していると思います ステージを与えられた時計係りの喜びが,私の喜びに繋がっているのだと思います 自分自身とのつながり・・・・ まだまだ未知なる自分自身とのお付き合いを深めることが出来る今の暮らしを幸運に思いますありがとうございます 明子
2012年07月21日
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毎月第一日曜日は富山市の護国神社で出店させて頂いています。 2、3年継続させて頂いている内に、少しづつ御縁も深まっています。 人の出会いは不思議です。その日初めて会ったのに、昔からの友人のような感覚になったりする方もいます。 そんな護国市でお会いした同世代のEさん。何となくどうされているかと心に浮かんでいました。 今月は、貊蓬塩と貊穀を皆さんに紹介したいと思い、久しぶりに護国市に用意させて頂きました 私たちはテントがないので、雨が降ったら撤収です 10時前くらいに、雨が本降りになってきたので、撤収の準備を始めました。 車を移動して、荷物を運びます。 沢山の人とすれ違う中、ふと目が合いました「ああ、Eさん!!」 久しぶりの再会でした。 Eさんは、2か月前から、貊蓬塩が切れ、欲しいと思って下さっていたようです しかし、毎月護国市の日に都合が合わず、今月はどうしても!と思い、雨がぱらつく中でも来て下さいました。Eさんは「今、丁度来たところ!」と。そして、私は、「今、丁度帰るところ!」そして「貊蓬塩と、貊穀ありますか?」とEさん。興奮しました。Eさんに届けるために今回、用意したくなったのだ!と 思いました。 お互い、通じ合えたことが、嬉しくて抱き合ってしまいました ”つながり”を確認出来てとても嬉しかったです 何気なく選択している歩く道、考えること、話す言葉・・・すべてが、次の”繋がり”を感じ、感動し、喜び合うために準備されている一粒の滴 私たちの暮らしも、雨になったり、水たまりになったり洪水になったり、海になったり、雲へと浮かんだり・・・・ 自然の半分が自分、自らは水から・・・ 今の自分は海へ向かう川の流れの中かなと感じています 明子
2012年07月10日
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朝4時「いってきます」と田んぼに出かけるmさん雨の日も、暑い日も、淡々とひたすら田んぼに、向かいます。 夜、暗くなるまで田んぼにいるmさん。 他と比較しやすい私は、そんなmさんの姿を尊敬すると共に、何故、自分は同じようにできないのか・・・ 体力、気力が持たず、一人家に帰り、休んでいることが何とも言えない気持ちになり、過食になったりもしました。 何故、人と同じ様にしようするのでしょう 何故、他が気になるのでしょう ふと、 すごく欲張りな自分を感じました。 ここで、私を責める人は誰もいません。勝手に自分が、今の自分を認めてあげず、もっともっとと、理想高くしています。 どんな自分であったとしても、それがいいか悪いかなんて判断できるはずがありませんでした。高慢なことでした。 自分で心臓を操作することはできません 自然が私を動かしてくださっています 朝、目覚めることが出来る それだけで、許された存在なんだと思えるようになってきました。 この身体と心を借りて、また一日、色んな体験をさせて頂き、学ぶことができる。 責めることは一つもない。朝、目が覚める限り、この世界で学ぶことがある学ばせてもらうチャンスを頂いている。 自分と他、昨日と今日、善と悪・・・色んな境を越えて一つになりたいです。今年も無事、稲が巣立ちました御協力、応援して頂いた皆様 どうもありがとうございました! 明子 今年も無事に田植え出来ました。御協力頂いた皆様どうもありがとうございました
2012年07月09日
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種もみを蒔くときに、ちゃんと押さえなかったから、芽が出た時、土が凸凹に、なってしまいました。 どこかで、苗は鍛えるために、押さえてあげた方がいいと聞いたことがあったので、出てきたばかりの苗をトントンと軽く押さえました。 翌日、苗が一気に白く弱っていました。よく考えれば、押さえるのはもう少し大きくなったときだったかもしれない・・・ また勘違いして、勝手なことをしてしまった・・・・と、がっかりしていました。 しかし、いのちの世界は、本当に感動を与えてくれます。白かった苗が、日に日に青さを取り戻してくれました! だめだ・・・と思っていたことが、自分勝手な判断だということ。 目の前の現実に対して、何の根拠もなく判断し勝手に落ち込んだり、喜んだり・・・・。 感情は一体どこからくるのでしょうか 農哲学院と出会って4年、農を中心とした生活の中で様々ないのちの姿と出会い、驚き、感動させて頂いています 実は、日々の中にたっくさんの感動が隠れていることただ、気づかずに過ごしているということを学ばせて頂いています 明子
2012年07月09日
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2012年07月09日
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2012年07月09日
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山に雨が降る すると、山の生き物、食べ物 色んな命が川へと流れます そして、川に住む命と共に 海に流れてゆきます 海は、すべての命の出発点でもあり 終着点でもあります 私たちが紹介させて頂いている 天日塩「貊塩」は、その海水を結晶化 させ、集めたそのままの塩 沢山のいのちが、ギュッと隠れて います。 だから、お塩と友達になったら、 他の沢山の命とも友達になれるかも しれません。 こういう命の流れをゲームを通して 子供達に伝えられたらなあと、今、 共に暮らす13歳のY君に話しました 丁度、金沢でフリーマーケットが あるので、何かY君にゲームを作って 頂くことにしました。 ネットで調べながら、ゴム鉄砲を作 ってくれたので、射的ゲームに決定。 的を何にするかあれこれ考えた結果 ペットボトルの蓋を積み上げて、ゴム 鉄砲で崩すというゲームになりました 崩れ落ちる箱は海で、蓋は山や川の 色んな命にしようか!と、私が、言うと 「じゃあ、ゴムが一滴の雨だ」とY君 感動しました。 子どもが、放つふとした言葉に、驚き 感動します。 だから、ゴムの先は水色の紙を丸めた水滴玉 彼と作るイノチゲーム 彼との出会いのお蔭でずっと思い描いていた ことが、次々に形になる嬉しい日々です。 明日から、いよいよ田植えスタートです! 明子
2012年06月11日
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東京に住む13歳の少年が「田んぼに入りたい。」ということで昨日より、共同生活が始まりました。 小さい頃に入った田んぼの記憶を頼りに、この福井まで一人バスに揺られて来てくれた彼の想いをとても愛しく感じました 彼とは初対面ですが、田んぼで共に草をとり、転び、泥にまみれて疲れて横で並んで寝る それだけで、すぐに溶けあえた気がします。 田んぼに入って草をとる初めは夢中になってとっていますがしばらくすると、飽きて疲れてきます。 そうしたら、以前とって乾かして置いた草を土手まで運ぶ作業 田んぼを歩くのは大変です。両手で草を抱え、一歩一歩、足を踏みしめ歩きます。 私たちの田んぼはデコボコです浅いところ、深いところ、突然、足がグッとはまり、動けなくなり、バランスが崩れ、転びそうになります。 水分が抜け、パリパリに乾いた草はフリスビー?にも変身します 背の高さまで伸びた、大きな草を的に雑草フリスビーで倒したほうが勝ち! 手で運ぶのは大変だから肥料袋に入れて運ぶ じゃあ、ジャンケンで負けた方が袋を持つゴール係 外れると、泥草が顔、服に当たりますでも5回入れないと交代出来ないから、袋を広げて、キャッチ出来るようにしなくてはいけません。 いつも母に連れられ、田んぼに来ても嫌がって入らず、車で待っていた小3の男の子 東京少年と私が、楽しくしていると彼も徐々に近づいてきます 私と、東京少年は裸足で、すでに全身泥んこ。 しかし、小3の彼は長靴履いて土手から動きません でも、だんだん泥が跳ね、服が汚れていきます。 田んぼはゲーム王国、次々にゲームが浮かび始まります。 中々、田んぼに入らずすかしている彼に向かって泥んこ合戦スタート! 泥が服に着くと茶色く変わり、洗濯してもとれません。だから、汚れとされています でも、一握りの泥の中には無数の生き物がいます。 見えないその小さな生き物の働きによって、空気中、水中の毒素が変化し浄化され、多くの生き物が共存できるようになるのだから、泥は汚れではなく、反対に私たちを清めてくれる存在なのかもしれません 最後は、皆で泥んこサッカー大会!もはや、皆全身泥んこまみれ。 土手には脱ぎ捨てられた長靴 本当に楽しくて幸せな時間でした 今年、二度とも芽が出なかった赤米 いつも赤米を植えていた田んぼが空くので、今年は、年中子供が泥んこで遊べる「どんどろっ子公園」として活用させて頂き、たくさんの子供たちと泥まみれになりたいと思いました。 東京から来た彼のお陰で、学びがより深まる日々を頂いています どうもありがとうございます 明子
2012年06月06日
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田植えの前に、草を刈ります手で刈った後、水を抜いてレイキをかけ、水が均等にいき渡るように平らにします 刈り残した草がレイキに、引っかかります。 固い部分は、また鎌で刈り直します。 田んぼの中でレイキをかける作業はとても体力を消耗し、どっと疲れます。 いつも、田んぼに行く前は身体が重く大丈夫かな・・・と、思いますが、一旦、入ると不思議と身体が動き、毎回、田んぼに入る前と入った後の自分の変化に驚きます。 一回目のレイキがけは、重く大変でしたが二回目は、だんだんスムーズになってきます やっている内に、田んぼの髪の毛をとかしている気持ちになりました。 髪の毛も、引っかかりがなくなってスムーズにとけると気持ちいいです 髪をとかすという字は、梳かすと書きます木が流れる、気が流れるのでしょうか やればやるほど、草の塊がほぐれ、田んぼの美しさが増します。 根が張って固かったところも、柔らかくなってフカフカしてきます。 レイキで草を梳かして、土をもみほぐしていく。何だかとても気持ち良い気分で、顔がにやけます 去年は「とにかくどんどん刈らなくては!」というあせりがあり、上辺の草を刈っていました しかし、上辺だけだとすぐにまた次の草が出てきます。 今年は、例え他の田んぼの草取りが間にあわなかったとしても、とにかくとことん一枚の田んぼに精を尽くしてみようと思いました。 目に見える周りの現象に惑わされず、今に集中するということを、先人から学ばせて頂きました。 田んぼが綺麗に変化していくことが嬉しく、暗くなっても止まりませんでした。 夜になると、カエルが鳴きます 今年は土を起こさなかったせいかたくさんカエルがいる気がします。 今まで一番沢山の種類のカエルの合唱。 田んぼから出たとたん、どっと力が抜けます。 暗い田んぼの水面に映る月明り。 田植え前だけの、宇宙を映す田んぼの鏡次は星が映る田んぼを見たいです。 明子
2012年05月27日
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芽を出せなかったお米の苗床再度、準備したお米を蒔くために 積み上げていた苗床を広げると5センチくらいに伸びた苗がいました 十段くらいの重みの下でも、生きようとする姿に驚きました 生きているのか 死んでいるのか 命を判断することは出来ません 農の世界と出会って、いろんな 発見があります それは自分の不完全さ いかに自分が勝手な考え、固定観念を他の命に押し付けているのかを気付かされます。 田んぼは不思議です。 朝起きて全身筋肉痛で、身体が重く感じていても、田んぼに入ってしまうと痛みも感じず身体は動きます 田んぼはどんどん変化します 草がなくなると、田んぼに空が映る白かった芽が、一晩で緑色の苗に変わる 30分でも1時間でも草を取った分、美しく映し出される世界が広がるので、とにかくどんどん進みたくなります チャプチャプ水の音の中で、よつんばになるいつか自分が水の中にいたときいつか自分が土の中の生き物だったとき・・・きっとそういう記憶がつながるから、田んぼに惹かれるのでしょうか 田んぼはいのちの秘密がいっぱいつまっている気がします 今年も無事に田んぼ作業できることを嬉しく思います ありがとうございました! 明子
2012年05月26日
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お米が芽を出すためには積算温度が100度になることが条件だそうです 10度の水だと10日、20度だと5日間くらいみたいです 3月22日に浸水始めました 今年は、自然にゆっくり芽を待とうと温度は自然の流水に任せていました。 しかし、5月になっても芽が出ませんでした・・・・ 原因は、流水のホースを下までしっかり入れていなかった から、水が循環せず、酸素も出来なかったから・・・? 水に浸けておけば簡単に芽が出るものだと、勘違いしていました。そもそも自然界で当たり前のことなどないはずなのに・・・・ 水の中で無理でも、土の中なら!と5月10日に苗ケースに土を準備し、まいてみましたが、結局出ませんでした。 いえ、それでも数本5センチくらい芽を伸ばしていてくれた子もいました。 土に蒔いたときもしっかりビニールで覆って湿気を逃がさないように、と注意を頂いていましたが、ブルーシートをかぶせていただけだったので湿度が足りなかったのかもしれません 原因は色々考えられますが、とにかく自分の心構が足りなかった、これが一番の原因かもしれません。 周りの方が、私に指摘して下さることがよくありますしかし、耳で聞こえているはずなのに、違う行動をする・・・ 日々の暮らしの中で、どうしてこうなってしまうのか・・ということがよくあります。 頭で考えること、心で感じること、身体が動くことがバラバラで何故、一致しないのかずっと疑問でした。 しかし、農哲学院でいただき繕という世界と出会い、食べ物と自分自身の行動、感情、言葉、すべてがつながっているということを体知する暮らしのお陰で、自分のちぐはぐな部分を受け入れてみようと思えるようになりました。 今までは、何故か非常識といわれるようなことばかりしてしまい、その度に「どうして自分はこうなんだろう・・・・」と、自分を責めてきました。 でも、自分とは何か。50兆以上の細胞が集まって存在している私たち。私が寝ている時も、黙々と働き続けてくれている細胞達 外に存在していたイノチが、食べることで私という乗り物の お客様になる。 自分を責めたり、怒るのは、今まで招待してきた食べ物のイノチのお客様を責め、怒ること 沢山の貴重なお米を無駄にしてしまった・・・と、嘆き、悲観的になってしまいそうでしたが貴重な学びを頂くための機会として、とらえ誰も責めることなく次につなげていきたいです というわけで、再度芽出しさせて頂いています。どうか宜しく御願い致します。謙虚な自分を育てていきたいです 明子
2012年05月15日
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燃えるゴミ、燃えないゴミ 紙ごみ、プラスチックゴミ・・・・ゴミの分別が厳しい時代です。 古民家での再生作業の時も、いろんな種類のゴミが出ます 木くず、鉄くず、石膏ボード、コンクリート・・・・ 次から次へとゴミは溢れます。 色んな種類のゴミがあると、どれをどう分別したら良いのか判断出来なくなり、とりあえず、まとめて袋に入れて隅に置きます。 建築現場は、次々にゴミが出てくるので、と、り、あ、え、ずの ゴミがどんどん隅に溜まります 私は、整理整頓が苦手です。すぐに面倒になります。 しかし、何かと日常の中で分別する機会とめぐりあいます そしていつも「分別は大変だな、もっとシンプルにならないかな」と思います。 身体の中と外に起きる現象は同じ、ということを聞いたことが あります。 私の中の胃袋さんは、声を出すことが出来ません だから、他のイノチを伝って私に想いを届けているのだと感じました。 私は、あれもこれも一度に食べたくなります そうすると、きっと小さな胃袋の中は、私と同じくパニック状態でしょう。 すぐに消化するシンプルな食べ物ならスムーズだろうけど、いろんな種類のものが混ざっている食べ物の分別は胃袋さんも困ることでしょう。 きっと簡単なものから消化して、分別の難しいお菓子や脂っこいものは、「とりあえず」のゴミのようにまとめて隅に置かれているのでしょう だから、太っていくのかもしれません 自分が今、現実で体験していることは 一番身近な身体の細胞が伝えたいメッセージ 整理整頓、胃袋さんと共に克服していきたいと思います 明子
2012年04月28日
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先日、初めて頂いたロンドンいただき繕レストランの メニューが、とても印象的で、メンバーが日本にいる間に 何とか他の方にも、紹介したい!と思い急遽、お食事会と して企画しました。 お膳で頂くということが、何故こんなに嬉しくて、楽しく なるのか。 お膳はステージです 長い変化の旅を続け、やっと人間と一体になれる瞬間 食べ物に花嫁衣裳を用意することが料理をするということ この日のメニューは、スコットランドの海藻佃煮、お芋 人参 青菜の蒸し野菜・・・ 「この人参も、何か特別なの?」 「このお芋は、どこのお芋なの?」 参加者の方が驚かれます 「蒸しただけ?」 料理する側の心次第で、普通のものも特別に 特別なものも普通に変化します いえ、元々沢山の命の中から選び抜かれた命 なのだから、皆特別な存在です 人間によって、より美しく光る存在に変化します 今まで気づかなかった、廊下にある造花のホコリ ふと、気になり雑巾で拭きとりました 自分が手を加えたことで、今まで素通りしてた造花に 意識がいくようになります 人間が誠心で触れるとき モノがイノチに変わる 日々、すべてのものは汚れ、そして浄化する繰り返し 必要以上にモノがあるとお掃除が追いつきません イノチがイノチであるのも、モノになるのも人間次第 次に出会う命のステージ作りが楽しみです 突然の企画にも関わらずお越し頂きどうもありがとう ございました 明子
2012年04月04日
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ロンドン、スコッランドで活躍するメンバーが 久しぶりに日本に一時帰国するということで、まだ 改装途中ですが、福井の農哲学院 「箪瓢草堂」に 集うことになりました。 へこみの強い床を調整してから、畳を敷きます お披露目会前日、最後の追い込み 現場にいつも以上の緊張感が広がります あちこちから集めてきた建具を入れていきます 傷んだところ、弱っているところ、不足している 部分を繕っていく、いただき繕建築 不要とされた命が、再生されたときの輝きは 特別に眩しく感じます。 工事現場が、家に変わっていきます レストランの調理スタッフも帰国されたので、 レストランのいただき繕料理も披露されました! 憧れのレストランメニューの品々 今回、初めて頂き、改めて今、自分がこの場に 居られることに感動しました スコットランドで海藻を採取する仲間 建物を繕い、再生させる仲間 食材を調理し、提供する仲間 並んだ料理を眺め、沢山の仲間が 思い浮かんできます たくさんの命のメッセージが届く いただき繕レストラン 翌日、また工事現場に戻していきます 限られた時間の中でどこまで片付け、どこまで 残しておくか・・・・ 段々、疲労が重なり、時間も迫ってくると 「もう、いいか、どうせまた元に戻すのだから・・・」 と、損得で考える想いが出てきます 一体、何のための今か? ということが、すぐ見失いがちになります 工事中なのだからブルーシートのままで いいのでは・・・、一日のために、取り外して また、養生し直すということが無駄では・・・と 思う自分がいました。 しかし、せっかく皆さん来られるから全部撤去して 掃除しよう!というメンバーのお陰で、家としての 箪瓢草堂を感じることが出来、皆さんの喜ぶ姿も感じられ 自分の至らなさも確認できました 何のための今か・・・ 無意味なことはしたくない、面倒くさいことは避けたいと 思います。 これは、本当に必要なのか、どうなのか・・・ 考え出すと、頭が一杯になって悶々します でも、それは勝手に自分が明日、明後日のことを想像して 計算していること。 先があると思うから損得を計算してしまう。 五分先のことも分からないはずなのに、何故か 当たり前のように未来がくるように感じてしまいます 今日が最期の日、今が最期の瞬間だったら・・・・ 何かに迷ったり、悩んだりしたらそのことを思い出す 今を生きるとはどういうことかを、追求していきたいです 日本でのいただき繕レストランが、楽しみです 皆様、遠路はるばるどうもありがとうございました! 大工さんも御協力頂き、ありがとうございました 明子
2012年03月13日
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まずは作業記録。大工さんは、キッチンと廊下を終え、トイレと、その奥、加工所となる母屋からつながる蔵の作業をしてくださっています。毎日、みるみる姿を変えていく箪瓢草堂です。そして私たち。ここ連日の作業のひとつ。土壁を塗る壁の下地材を張っています。材料はすべてリユース。解体作業の際、ひとつひとつ釘を抜いて保管していた材木が再生しています。その作業を一手に引き受け、ハンマーや機械を使う腕も上達し、そしてなによりも、ここに掛ける思いが膨らんでいる実和ちゃんです。::::::そして、快晴のこの日。院生のまあちゃんが、自家用で使用中の『もみがら釜戸』を持参。みんなで美味しい釜戸ご飯を味見しました。『もみがら釜戸』は、文字通り、もみ殻でご飯が炊けるもの。薪の釜戸のように難しい火の調整も無く、火をつけて燃え尽きたら炊きあがり。と、いった具合で簡単に美味しいご飯が炊きあがります。大量に出るもみ殻の利用法としての農家さんの智慧。新しいものではなく、昔から使われているもののようです。当然、燃えカスは燻炭になります。田んぼからでる、わら、もみ殻(燻炭)、土。どれも、私たちの家創りには欠かせない、重要な建材となります。炭と同様な調剤としても燻炭をたくさん利用します。こんな一石二鳥で、一度に大量に燻炭が作れるシステム。釜戸、暖炉、オンドル、、、そんなものを作りたいと思っています。情報だけではなく、こうして実際に触れてみることで身近になり、思いが具体化し、現実に近づくような気がします。実践は、そこに生きる“いのち”と仲良くなること。完成形までジャンプしようと頭を悩ませるよりも、目の前の出来ることから実践していたら、いつの間にか完成してしまうのかもしれません。こうした縁に応じて、流れがふっとやって来ます。ひとりひとりの経験が響き合い、より大きな実践に繋がっていくようです。志を共にする仲間がいること。有り難い限りです。 昭和の炊き出し風景。(大工さん談)ロンドンに行っているさっちゃんが一年半ぶりに一時帰国し、新しい仲間も加わり、黒一点の体験者さんもいらっしゃり、賑やかな小春日和となりました。ありがとうございます。ゆう
2012年02月29日
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古民家作業の日々です 箪瓢草堂を支えてくれている大きな木と出会うことが出来ました 長い年月の間に積もった埃屋根に近い高さにある大木 どうしたらきれいに磨くことができるか? 今ある脚立では届かないから、大工さんに頼んで足場を作ってもらおうか・・・ 長いはしごを借りてきたほうがいいか・・・昔の方は、どうやって掃除したんだろう・・・ 大木を見上げながら、あれこれ頭の中が膨らみます。 何か物事をしようとするとき、自然に体が動く時と、方法を考え、用意してから動こうとするときとあります 頭で考えて何かしようとするときは、中々行動できず、悶々して、こうしたい!掃除したい、という気持ちと、どうしたらいいのか?という想いがぶつかって、ただただ時が過ぎます 方法がわからなくても、とりあえず自分の想いを先頭にし、行動に移す 机の上に脚立を置き、大木に近づく「拭いてあげたい!」という想いが強ければ、自然に智慧を授かります 板にタオルを結んで背中を洗うようにゴシゴシゴシゴシ 誰に頼まなくても出来たという喜び埃が落とされ、大木がきれいになってく喜び何とも楽しい時間を頂くことが出来ました何かと大げさに考えて、頭でっかちになりやすい自分を再確認しました すべては揃っているということを忘れず、身の回りの存在を確認していきたいです 明子
2012年02月24日
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改装中の草堂には、2010年の9月にやってきた階段箪笥がある。これは、院生さっちゃんのおじいちゃんのコレクションのひとつ。一周忌を終え、おじいちゃんの蔵を整理する事となり、使い道のない大きな階段箪笥が捨てられそうだということで、福井から片道二時間の近県まで、2t車をレンタルして引き取って来た子。どんなものなのか。どこに使うか・・・の前に、ただただ、さっちゃんの思いにみんなが動いた。そして、いざやって来てみたら、、、簡易なベニヤ仕上げだし。二階に行くには高さが足りないし。しかも、この場合は向きが逆だし(^^)。っと、現実的には『今』ではなかったのだけど、だからと言っても憎めないこの可愛らしい温かさは、さっちゃんとおじいちゃんの誠心なのかなと。いつかその時がやって来るだろうと、ここで時を待って頂いた。それから1年半、その『いつか』がやって来た。大まかな計画はあるけれど、雰囲気に流れ流れて行き当たりばったりで進行している箪瓢草堂の改装工事。予測不能な進行に、大工さんには迷惑を掛けてばかりだけど・・・このちっぽけな頭で計らっても、いざその場を感じてみると『違う』のだから仕方が無い。(スミマセン)二階の小屋梁の美しい姿が現れ、二階の改装の計画が変わり、個室を止めてオープンスペースが生まれたことで・・・屋根裏への階段!『ココにはあの子しかない!』ってくらいぴったりな居場所を感じた。まずは、棟梁の指導のもと、二階に移動。こんな大きなものをどうやって持ち上げるのか?吹き抜け予定の囲炉裏の間の天井を外し、梁にチェーン滑車を掛け、慣れない作業に苦戦しながらも・・・スルスル(ガチャガチャ)と簡単に上がった。その場に置いてみた。ほらね。その色や質感と云い、高さも大きさも。ココに来るべくして導かれたとしか思えないくらいぴったりな居場所。お互いが喜んで嬉しさが拡がる。おじいちゃんの階段箪笥。ここで多くの人を迎え、触れあい、楽しませてくれるのだろう。箪瓢草堂の歴史のはじまり。末永くよろしくお願いします。かけがえの無い“いのち”との縁、出逢い。受け継ぎ育まれ、より深く豊かに拡がって行く誠心。農哲学院の家創りは“いのち”を体知する実践活動のひとつ。『道具をまたぐな』『扱いは丁寧に』基本の基本から・・・棟梁にやさしくご指導いただいております◎ありがとうございます。ゆう
2012年02月06日
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愛知県長久手市のゴジカラ村古民家をお借りしてのお話会。<詳細は、1月25日の告知ブログへ>豊かなご縁を頂いて、素敵な時間となりました。ご参加頂いたみなさま、ありがとうございました。会場となった古民家には昔ながらの釜戸があります。釜戸ご飯は、きらきらと美しく、一粒一粒が生命力に溢れています。薪と、炎と、煙と対話し、美味しくなれよ。と、心を掛け続けてこそ喜ぶ命を感じました。釜戸番さま、美味しいご飯をありがとうございました◎ いただき繕のお話会は、命の勉強会。農哲学院が実践している“いのち”の世界。知識ではなく、院生ひとりひとりが体知したことをお話させていただきました。いただき繕をきっかけに、立ち位置を変え、新しい自分に出会って頂けたらと思います。そして、頭で理解するだけでなく、共に実践していけたら嬉しいです。農哲学院&いただき繕に興味のある方。環境や、子供の教育に不安を抱えている方。(よくわからないけど・・・なんとなく気になる方!)すべてすべて通じる同じ命の世界。農哲学院の引き出しは盛りだくさんです。安心な食、善童塾、古民家再生、海外移住。。。お会いする方に応じてのお話しになるかと思います。私たちと出逢ってみませんか?日本全国どこへでも参ります。お話会を希望される方は、お気軽にお問合わせください。ご縁がありますように。担当:ゆうmyaku_u@yahoo.co.jp追記:すきま風の古民家。みんなできゅきゅっと心温かい一日でした。ありがとうございます。
2012年02月04日
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作業記録として。棟梁と大工さん二名が作業に関わってくださいます。解体時に一本一本釘を抜いて保管した各部材。使える木材は最大に再利用していきます。基本的な造作を行ってくださる大工さんにとっては、手間のかかる作業となります。私たちは、大工さんの邪魔にならないように・・・作業が進めやすいように・・・次の段取りを頼まれたり、再利用の材料を整えたり、出来ることを行っています。 この日は、床下に炭をまきました。すごい勢いで作業が進められていきます。壁の無い古民家。寒い日が続いています。美しい越前海岸は、毎日違う姿を見せてくれます。今日もありがとうございます。ゆう
2012年02月03日
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農哲学院の実践活動【いただき繕】からのお知らせです。様々な地で活動する仲間が、この時期日本に帰国しております。9名ほど集う院生同士も久しぶりの再会に、報告会として泊まり込みで集いを開くことになりました。必然的に・・・宿泊もできる、昼夜二部構成です◎いただき繕のこと。子供の為の農哲学院・善童塾のこと。古民家再生のこと。院生それぞれが実践からの学びを、その場に応じてお話しさせていただきます。ゴジカラ村でのゆったりした一日を共に過ごしませんか?それぞれの今。ご縁をお待ちしております。↑画像クリックすると、詳細記載のマンナネHPにジャンプします。≪ご予約・お問合わせ≫ info@agro-philosophy.comお名前、参加プログラム、ご連絡先、どちらでお知りに成ったかを書き添えてメール又はお電話でお申込みください。TEL/FAX 0776-83-0240 担当:村松ゆう・無量井明子
2012年01月26日
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春の箪瓢草堂の完成に向け、古民家作業が本格化しています。これまで、地道に新材を解体し、露わになった古民家の再生です。今週から大工さんに木工基礎工事をお願いしています。まずは家のゆがみ調整から・・・プロのスピードで作業が進んでいます。そして、私たちはというと。一階はお任せし、ひたすら二階の解体作業に向かいます。昨年の夏から解体を始めた二階の屋根裏部屋。大工さんの勢いに乗り、私たちの作業も軽快に進みます。間仕切り・天井、そしてなぜかビニールシート・・・すべて取り除いてみたら、立派な小屋梁が現れました。 100余年、家族を守ってきた古民家。触れ、見つめ、語らい・・・この家のすべての命たちといつも近くに感じ合える空間になると良いなと思います。雲のように水のように流れながら・・・今、ここ福井に集い、作業に向かう院生は女性ばかり5名!女性5人の解体作業は、破壊ではなく・・・まさに解体。壁を取り払う時、天井板を落とす時、男性ならば力でバリバリっと難なく壊れて行くものも、同じことをしても力が足りず、何倍もの時間が掛かります。だから。だからこそ。そのものたちと向かい合い、どうして欲しいのか耳を傾けられる。どうなっているのか相手を知ることで、どうしたら良いのか見えてくる。一つずつ、一本ずつ。難なく解かれて行く糸のように・・・とても柔らかい現場です。女性だからこそ出来る、家創りの可能性を感じています。寒波に覆われた北陸。二階からの景色がみるみる雪に覆われてしまいました。春には、この箪瓢草堂での生活がはじまります。どんなご縁の景色が拡がって行くのでしょうか。仲間と共に、無限の可能性に心躍る日々を過ごしています。古民家作業記録、またご報告いたします。ありがとうございます。ゆう::::::::::::::::::::::これまでの古民家作業は、カテゴリ【古民家再生】をご覧ください。
2012年01月24日
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湿度の多い北陸の気候 以前、しょうがを収穫したとき、その保存方法に苦戦しました。 もみがらの中、発砲シチロールの中色々試しながらも、いつもカビさせてしまっていました。 それは、湿度の多い福井県だから仕方ないこと、と思っていました。 しかし ある日足の霜焼けに悩んでいたら 「出来るだけ、靴下を履き替える」ということを聞きました。 弱っている部分を気に掛けるそれだけで、変わってくる世界があるのかもしれません 子供が風邪をひいたりする時は、母に気にかけてもらいたいとき、ということを聞いたことがあります。 確かに、今まで、放置していた時間が長かったのかもしれません 今年は、新聞にくるんで、タオルでまいて、ビニールに入れて発砲シチロールに入れて置きました ふとしたときに、開くと、新聞が湿っていました 気づきました。 今までは、もみがらの中に入れたり、新聞にくるんだ時点で愛をかけたつもりになっていたのかもしれません。 生姜を生きている存在と感じれば、変化続けているということに気がつきます。 気づいたときに新聞を取り換えてあげることで、何とか元気に出番を待ってくれています。 沢山のものがありすぎると、一つ一つの声を聞き取れず粗末な扱いになってしまいます。 そうすると、管理しきれず、放置されている存在たちから「私どうなるの、苦しいよ 淋しいよ・・・」という気が広まり、それが自分の中での、想いとなっているようです 掃除すると、気持がよくなるのは、自分ではなく、磨かれた存在達の喜び。 今は、いろんなものがあふれ、どの子からのメッセージなのかわかりにくくなっています。 今、ある自分の感情はどこから反射してきているものなのか耳をすましていたいです 明子
2012年01月12日
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私は、今年の夏から参加させて頂いている古民家再生作業。時は流れ、雪景色となりました。 農哲学院福井キャンパスとなる箪瓢草堂(たんぴょうそうどう) 先日、畳を敷き、初めて泊まりました。 畳を敷く前に、床を水ぶきしました。何とも、つるつる、ピカピカで、本当に美しい床です。何故、こんなに愛しくなるのかと思えば、昔の方は、畳が傷まないように、夏場は、畳を上げて、床板で暮らしていたそうです。冬場や、来客のときには、また畳を敷くという特別な物だったようです。 この今の輝く床板は、当時住んでた方が、大事に磨き込まれた結晶だと思うと、納得出来ます。 二階の、解体作業もいろんな方の協力の下、いよいよ天井の解体に入りました。 長年の埃が上から直接落ちてくる天井の解体は、一番大変な箇所となるかもしれません。 でも、何故か、一番楽しみな所でもあります見えなかった、大木との御対面。 見上げれば、大きな木が自分を包んでくれている昔の家は、森の中の様な気持ちになれます。 40分かけて通っていた場所、泊って、共にする時間が増えるほど、嬉しい気持ちも増えます。 何故、自分の感情が生まれるのか それは、他の命が反響しているからかもしれません。 人間は他のイノチの感情を共に受け止め、感じあえる 喜びも、苦しみも、何倍にでもなる・・・・ 朝、目が覚めた時にあの木が見えるそんな暮らしが、近づいてきています。 明子
2012年01月03日
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先日福井市内の大きなイベントに、出店させて 頂きました。1万人位の来場者の方々。 沢山の方々が、私の前を通り過ぎていきます その中で、試食してくれる方、話を聞いてくれる方, 皆様々で縁の不思議さを感じます。 どこからともなく、二人の御爺様が、私の前に現れました。 塩というより、私達に興味をもって頂いたようです。 そして、お話していくうちに、お互い、 古き良きものを守っていきたいという点で 意気投合しました。聞けば、シルバー人材 派遣センターの方でした。 「何かあったら、連絡を」と名刺を頂きました 稲刈りを終え、脱穀作業が滞っていたのでこれも何かの御縁と思い、一度だけお願いすることにしました。 30分以上前から、現地入りされていたシルバー人材派遣の方。段取り下手な私を、見事にフォローして下さりました。 わらを運ぶ人、脱穀する人、補佐する人、三人の流れ作業。 見ず知らずの御爺さんとの共同作業。 このまま一気に終わるかも!と、思ったら「ブーっ」と機械が止まってしまいました。 原因がわからず、仕事にならず、どうしようと、なったときに思い出しました 以前から、足踏み脱穀を体験したいという問い合わせがあり、丁度、翌日関西から3名の農体験の方がいらっしゃる予定でした。そのことを御爺さんにお伝えしたら、「では、わしらも足踏み脱穀でやろう!」と。 早速、奥にしまってあった脱穀機をテキパキと取り出し、運んで設置して下さいました。 しかし、いざ使おうとしたときに「バキっ」老朽化で、踏み板が割れてしまいました。 「ちょっとまってなさい」と御爺さん、車からあれこれ道具を取り出し、直して下さいました。「ギーギー」と足踏み脱穀機の音が響きます 足の力が弱いと、逆回転してしまいます。そうとう踏ん張らないと、中々上手く脱穀出来ません。 「ギーコギーコ」全身汗びしょになりながら、お爺さんが脱穀して下さいました途中、機械の故障などで、ちゃんと仕事できてないからと懸命に働いて下さいました。 確かに、予定の半分以下の脱穀量で、支払金額とはつり合わないともいえますが、こちらとしては、翌日に来られる方達の準備をして頂けたことが、嬉しく、むしろそれで充分。 農体験の方と一緒に取り出して準備しようと思っていたので前もって、御爺さんが用意してくれたことで、修繕も出来、準備が出来たのです。 その不思議なつながりが、何故生まれたのか・・・ この足踏み脱穀をしたい、という関西の方は2年前にテレビで見たのがきっかけで、体験出来る所をずっと探していたとのこと。 2年間探し続けやっと、私達のHPを発見されたとのことこの方の強い想いが、イベントで私と御爺さんを引き合わせ、そして、機械にアクシデントを起こし、足踏み脱穀機を蘇らせたように思いました。 今回の、この一連の流れの中で、私達の行動、言動はいろんな 影響を受けながら、動かされていることを感じました。 誰かの強い想いは、いろんなイノチを動かす。 日々起こるすべてが、次の何かにつながっている大切な一部分。 その一瞬一瞬では気づかない、わからなくても 確実につながっている すべてのタイミングの重なりの中で生きているそういうことに気づくと、失敗も心配もないなあと思いました。 2年越しの思いを実らせた夢追い人の方 皆さん無事に脱穀体験出来ました!どうもありがとうございました むりょうい あきこ
2011年11月05日
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皆様の御協力のお陰で稲刈りも残り僅かと なりました。 今年は、近所の81歳のおばあ様との出会いが 大きかったです。 おばあ様は畑仕事が生きがい!と朝から晩まで 働きます。遅いときは、夜12時近くまで起きて、野菜の 袋詰めをしています。 その灯りを見て、私も活力を頂いています。 おばあ様の野菜を、スーパーまで運ぶという お手伝いを頼まれました。 初めは、私も仕事が山積みで、そんな時間はない!と 思って、困っていましたが、お願いされるとお断りも出来ず お手伝いさせてもらい始めました。 おばあ様と過ごす2時間 人の悪いことは言わない、歯ごたえのあるものを食べる 感謝する心、毎日日記を書く、・・・・ 81年の生きた智慧を頂く貴重な時間となっています。 ある日、おばあ様の田んぼの藁が、隣の田んぼに 流されたから、戻すのを手伝って欲しいと頼まれました 人に頼まれごとをされると一瞬、どうしようか・・・と迷います。 目先の自分の都合を考えると、無理です。と、断りたくなる ときもあります。 仕事が増えてくると、だんだん頭が一杯になり余裕がなくなり 視野が狭まり、自分のことだけ考えがちになります。 誰かに必要とされるということ それは、とてもありがたいことです、おばあ様は 本当に嬉しそうに、喜んでくださるので、私も元気 を頂き、自分の仕事も元気に出来ることが出来ます。 そして、おばあ様が 「姉ちゃん、稲刈り手伝ってあげるよ」と声をかけて 下さいました。 おばあ様のやることも山積みなのを知っています。 それでも、晴れているうちに、とお手伝いして頂くことに なりました。 おばあ様が 「お互い様やでのう」とおっしゃいました 胸が熱くなりました 文明の発達で、何でも自動で便利になった 反面、誰かと一緒に協力し合うという機会が 減ってしまった気がします。 他の誰かのためにできること、されることが こんなに心を暖かく、強くしてくれるのだと感じました。 目先のことだけにとらわれず、周りを見渡すことを 忘れずにいたいです。 先人は宝です 皆様ありがとうございました! むりょうい あきこ
2011年10月20日
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何だかんだしながら、あっという間に収穫の時がきました 第一回の稲刈り会に、皆さん集まって下さいました 下は4歳から上は81歳までの人の力なぜか、この上ない幸せな気持ちになれる稲刈り 子供達の楽しそうに稲を運ぶ姿がとても心に残りました血のつながりを超えて、共に協力しあう時間はとても、あたたかい、幸せな時間でしたどうもありがとうございました 稲刈りは、あと少し続きます 皆様 後悔のありませぬように・・・・福井の偉人 81歳のキラキラおばあちゃんが頼もしく稲刈りのエスコートをして下さいます おむすびは、お米の形がそのままの状態で集まって離れません。 麦や豆を握ろうとしても、バラバラになりやすいですお米は本当に不思議な力があります この日、集ったみんなの心の中に一つのお結びが出来た気がしますお米一粒が、一人一人の出会いくっついて、離れることなくこの日の思い出が、それぞれの中に残っていく そんな気がしました皆様、どうもありがとうございました むりょうい あきこ
2011年10月12日
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与えられた環境を受け入れながら 少食断食を三回 スコットランドへ三回行き 女神山へ三回行き 釈窮の時間を最優先し 無我夢中で来ました。 お陰さまで感謝の念が自然に湧いて来るようなり、心身共軽くなりどんな出来事も動揺しないで受け入れれるようになりました。 佳子
2011年10月12日
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最近、地域のお母さんがたとお話しする機会が多くなりました。その中で思ったこと・・・3月11日以来いろんな問題にぶつかっています。何を信じたらよいかわからない、家族の中で考え方が合わない、今まで友達だった人が離れていった、何を食べたらよいか悩む、このまま日本はどうなるのか不安、学校に不満、このごろ体調がすぐれない・・・。よく考えてみると、今まで見えなかったコトが現れてきただけ、という方が多い気がします。今は自分の、自分たちの生き方を問うときです。また、心痛むのは、ほとんどこの問題から目を背けようとしている方に接するとき。しょうがないよね、平気だよ、みんな大丈夫っていってる・・・また、子どもたちを見るにつけ、何の責任もない彼らが、いつか、放射線というイノチによって苦しむかもしれないと思うとつらいです。大人としてできることを最大限にしていきたい思い・・・一方、農哲学院の話、イノチの話をきいてくださったお母さんの中で、‘希望がもてました’‘心が穏やかになりました’‘この事故がなかったらこのようなイノチの世界を知らずにいたと思うと、ありがたい’‘こどもの調子が良くなりました’など、イノチとイノチの触れ合いが生まれていることには本当に感謝です。いろいろな感情が入り混じって日々過ぎていきます。本当の問題・・・それぞれの方が人間としての生き方に気づくきっかけになればと思います。晶子
2011年10月11日
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農哲学院にきて料理は手術ということを学びましたイノチとイノチを結ぶ尊い時間 和同塩に入れる蓬を刻んでいました。一枚の蓬というイノチを切り刻む 他の材料と混ぜ合わせて出来た和同塩は、 あちこちに旅立ちます。 ロンドン、東京、北海道、宮崎・・・・ もともと一つの存在だったものが、料理されることでバラバラになり、別のイノチとなる 生きているといろんな偶然、不思議な出会いがあります 60憶の人間の中で、出会って言葉を交わす、目を交わす・・・なぜ、その人と出会ったかとすれば何か以前に、同じイノチを食べてた・・・ 身体の中で、食べられたイノチたちが、元の姿に戻ろうとする、その力が出会いとなっている 今、私が刻んだ、蓬、えごま、にんにく、しょうが・・・・このイノチ達が、いろんなお客さん、スタッフ、家族の身体の中に宿り、私達の商品を食べた方達が、どこかで、縁を結ぶ 今日、刻んだイノチ達がどんな出会いを運んできてくれるのか楽しみです。 いつもありがとうございます むりょうい あきこ
2011年10月11日
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縁あって岐阜県の「今、子供達に何を食べさせたらよいか」というお話し会に参加させて頂きました。 小さな子供を連れたお母さん方が60名程集っていました。今、自分達に出来ることは何か、子供達にすべきことは・・・ そんな思いを持たれている方を目の当たりにして、無邪気に遊ぶ子供達をみて、とても胸が熱くなりました。会場の隅々に主催された方の誠心が詰まっていて、会の締めの御挨拶でも言葉にならない想いが伝わりました。 この方達にどう、自分達が学んでいる先人の智慧を伝えたらいいか・・・試食のお塩や味噌をどう味見してもらったらいいか・・・ とりあえず、横になった方や主催の方に紹介させてもらって次の機会に繋げられたら・・・と思い、休憩のときに主催の方の所に挨拶にいったら「よかったら、マイクで皆さんに伝えて下さい!」と突然皆さんの前で話すことになりました。 予想外の展開で、動揺し、緊張し、混乱してしまいました。でも、最高のチャンスだと思いマイクを頂きました。放射能のこと、農哲学院のこと、自分のこと・・・・ 何から話せばよいか、話せば話すほど混乱・・・・ただ、イノチが循環する、今まで見過ごされてきた小さなイノチが尊重されるような仕組みにしたい 今思えば、この2行のことだけで良かったな、と思いますチャンスは突然きます。常に整理整頓しておかないと、自分が後悔します。 何をいったかわけわからなかったなと、どっと気が抜け、自分の席に戻って脱力していました。 すると、なぜか2、3歳の子供さんが私に一枚のクッキーをくれました。 母親でも始めは、自分の子が何を言っているのかわかりません、眠いのか、おっぱいか、うんちか・・・と声をかけていく中で感じとっていきます。 犬や猫も言葉を話すわけではないけど、人間がしつけをして、ここがトイレ、ここが家と声をかけていく中で覚えます 八百万の神とされてきた日本の文化 皆、私達のことを見ているし、聞いています 何故、私に突然くっきーをくれたか不思議ですが、とりあえず、心が伝わったのかなと思いました ことばは 刃となって刺すことにもなる 葉となって相手の中に残り 花を咲かせることにもなる 言葉にも命が宿る見えないものにこそ、無限な世界が隠れているのかもしれません。 今まで脇役とされてきたものたちが光を浴び、主役となっていく そこにはずーっと待ちわびてきた命達の喜びが待っている気がします 他の方のお話を聞くことでたくさんの気づきがありました岐阜県の皆様どうもありがとうございました 明子
2011年09月26日
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プーン、ブーンたった一匹の小さな虫その小さな存在に、イライラしてしまいます。 ここ最近、同じ蚊なのかわかりませんがいつも私に近づいてくる一匹の蚊がいました。 その音、かゆみを避けたくて、いつも追い払っていました。 しかし、追い払ってもまた、同じ左手を狙ってきます イライラして怒る自分も嫌になり、向き合ってみることにしました。 左手首の血管に止まった蚊2cmはありそうな大きな蚊 今回は自分を捧げてみることにしました初めは、刺すというより撫でているようにみえました。少しづつ、皮膚が膨らんできます2分、3分・・・どこまで吸われるのか不安になりつつ死ぬことはない、献血だと思いひたすら見守りました だんだん膨れ上がったところで、本針のようなもので吸っているようでした。 4分は共にいた気がします。最後は、またプーンと去っていきました。すぐに塩を舐め、その唾液を塗りました。 他の刺されたところは痕もあり、かゆみもありますが今日、刺されたところはあとも消え、かゆみもありません。 人間の血を吸う生き物・・・・そんなに多くはありません自分の血を共にした蚊は、まさに兄弟? つい、拒否してしまうもの、嫌悪感を感じるものがあります しかし、自分の前に現れるということは、何か意味やメッセージ学びを運んでくれている存在。 自分がキャッチするまで学びのボールが投げられ続けるのかもしれないなと感じました。 また次に会う蚊も、受け入れてあげれるような状態の自分でいたいです 蚊 虫に文で、かと読む。やっぱりメッセージを運ぶ存在なのでしょうか・・・?! 明子
2011年09月23日
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ポツン、ポツンと水が一滴落ちるだけでも静かなところでは、その音が響きます 高いところから落ちれば、その分波紋も広がります。 他に、ブクブク動きがあると、水面に広がる一滴の広がりを知ることはできません 夏に、田んぼに小さく細かい草が浮いてましたふたを開け、排水するとその浮いていた小さな草(カイワレ大根の葉っぱのようなもの)が流れ始めます 出口に近い所にいながらも、たくさん集まっているからなかなかながれずにいるもの。 出口から遠い所に浮いていたのに、すーっと吸い寄せられるように流れ出てくるもの・・・ 他の、存在に押されて流れ出るもの・・・いろいろで、その流れ方が面白くて、しばらく見ていたことがあります 今年の夏からスコットランドで始まった善導塾人間として生きる智慧、いのちの存在を体知出来る教育の場が出来たということを伝えたくて、今まで御縁があった方々に連絡をしています この人に伝えたい!と思い何度連絡しても連絡のつかない方、 会っても、話が埋もれてしまう方・・・相手の状況、その場の状況を見ず、自分の想いだけを一方的に伝えようとすると、川の中の大きな石のように、水が跳ね返って反れて流れていきます。 自分の中に、大きな石があるとせっかく出会ってもどんどん自分を除けて流れていってしまいます 空間があると、自然に水は流れ込んできます水、話、お金、音、時・・・いろんなイノチの流れの中にいる私達。 自分の自は、自ら・・みずから 自分とは 水から分かれた存在、 自然の分身 自分であれこれ考えていない時に、すっと流れ込んでくる情報 自分で流れを作ろうとしていました。しかし、すでに流れは出来ていてそれに気づくかどうかということ。 自分が空っぽになればなるほど、偶然が重なり、不思議な御縁につながっていきます 思いがけない出会い予想外のことが次々と起きてきます次にどんな方と御縁が出来るのか・・・ 今日の流れが楽しみです 明子
2011年09月21日
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