Nonsense Story

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きみのこと 5


 フジコちゃんはもう戻ってこないかもしれない。ただの常連客が、バイト店員の為にあそこまで動いてくれる義理はない。彼女は、高町のことでショックを受けた自分の創造した、都合のいい幻だったのかもしれない。
 そんな考えが浮かんでいたが、それでもひょっとしたらと思いながら、智樹は店番を続けた。
 一時間、二時間、一般客も来なかったが、彼女の帰ってくる気配もなかった。
 外の世界は、智樹の心を反映するかのように曇りはじめ、ついには雨が降り出した。クーラーのモーター音に、ザーッという雨音が混じる。
 閉店の約三十分前。どしゃぶりの世界をショーウインドー越しに見ながら、予想が確信に変わりつつある頃、智樹の視界にN高の制服を着た少女が映りこんできた。水色の傘を差しているので顔は見えないが、智樹はフジコちゃんだと思った。
 チリンチリン・・・。
 鈴が鳴って、少女が入ってくる。傘と一緒に長い紙の棒のような物を持って。
 果たして、制服はブレザーではなく、半袖の開襟シャツだった。
「千晶ちゃん・・・・」
 入ってきたのは千晶だった。智樹は少しがっかりしたような顔をしていたらしく、千晶の表情が曇った。
「これ、演奏会のポスター」
 持っていた紙の棒を差し出して、千晶が言った。
「あ、はい」
 智樹は受け取って、丸めたままのポスターをレジの横に置いた。なんとなく気まずい沈黙が降りてくる。
「中見ないんですか?」
「あ、そうだね」
 咄嗟に開こうと手を伸ばすと、千晶が止めた。
「興味ないんでしょう? 無理に見なくていいですよ。偽物持ってきたりはしてないから」
「あ、そう」
 また沈黙。
 千晶は、あれだけ話したのにまだ考え込んでいる様子の智樹に少し苛立っているようだったが、まだ言いたいことがありそうで、帰りたいけれど帰れないというように、出口と足元を交互に見ていた。
「言いたいことがあったら言ったほうがいいよ」
 腹を決めて、智樹が促した。こうなったらどんな罵倒でも聞こう。
「・・・・言っていいのかどうか、実は迷ってて」
「高町にバレたら怒られる?」
「お姉ちゃんのことじゃないんです」
「え」
 智樹は少なからず驚いた。千晶の話はてっきり高町のことだと思っていた。だいたい千晶と自分の間で、他に話すこともない筈だ。
「他に遠慮する相手でもいるの?」
 言い渋る千晶に、智樹が訊いた。
「遠慮っていうか、勝手にあたしが言っちゃっていいのかなって。もういなくなった子のことだから、そんなこと考える必要ないのかもしれないけど」
「いなくなった?」
 千晶は小さく頷くと、思い切ったように言った。
「その子、トラック事故に遭って」
「あぁ、さっき話してた子のこと?」
「はい。ここによく来てたはずの子なんですけど」
「うん。常連さんでね」
 今日も来てくれたんだよと言おうとしたが、やめておいた。
「知ってたんですね」
「知ったのはついさっきだよ」
「その割には、あまりショックを受けてないみたい」
 智樹はわけが分からなくなってきた。
 智樹さんてやっぱり冷たい人なんですね。千晶の顔にはそう書いてある。
 千晶は何が言いたいのだ。常連客が事故に遭ったと聞いた。だが、無事だと分かっている。ただの店員である自分がそんなにショックを受ける必要もないだろう。そりゃあ彼女は楽器を演奏することができなくなったし、この店の客ではなくなるのだろうけど。
「あの子がどうかしたの?」
 智樹から目を逸らしたまま、千晶は唾を飲み込んで言った。
「あの子、智樹さんのこと好きだったんです」
 一瞬、何を言われているのか智樹には理解できなかった。それが顔に出ていたのだろう。千晶が弁解した。
「あたしがこんなこと言うのはおかしいって分かってます。お姉ちゃんと仲直りして欲しいなんて言いながら、他の子の気持ちを伝えたりして。でもあたし、あの子に申し訳なくて、どう償えばいいのか分からなくて、せめてあの子の気持ちをあの子の好きだった人に伝えようと思って」
 大きな塊を絞り出すように、千晶は言った。
「あたしとあの子は中学からの友達で、高校に入ったら同じクラブに入ろうねって、二人で吹奏楽部に入ったんです。でも、そこであの子はのけ者にされちゃって・・・・。本当はあたしだけでもずっと仲良くするべきだって分かってたんです。あたしはあの子を嫌ってるわけじゃない。むしろ嫌いなのはいじめてるチヅコや自分自身。あの子のことは今でも大事な友達だって思ってる。だけど、いじめの矛先が自分に向けられるのが怖くて」
「うん、分かるよ」
 あの子もきっと分かってるんじゃないかな、という言葉の代わりに、こんな発言になった。千晶のそんな気持ちが分かるから、彼女がいるから、フジコちゃんは明るくいられるんじゃないかと智樹は思った。
 実際、フジコちゃんは千晶とは特別に話をしていたようだ。千晶の話によると、彼女達は学校では他人のふりをきめこんでいたが、携帯電話のメールでずっと意志の疎通を続けていたらしい。
 そのメールで、千晶はフジコちゃんに謝った。チヅコ達がリードを割っているのを止められなくてごめんね。
 しかし、フジコちゃんからは意外な返事が返ってきた。
 気にしないで。そのお蔭でいいこともあったんだ。
 『いいこと』というのはほかでもない。智樹に会えたことだった。
 フジコちゃんはメールを通じて、千晶に自分の小さな恋を打ち明けた。
 私ね、今まで千晶ちゃんのメールだけが楽しみだったけど、今はリードを買いに行くっていう楽しみも増えたんだ。代金は痛いけどね。
 普通、彼女達の使うリードは学校でまとめ買いをしているという。だからチヅコ達によってリードを割られ、大量消費することがなければ、フジコちゃんはこの店を訪れることはなかったのだ。
「あの子、この楽器店の店員さんに会えるから、いじめられても大丈夫って言ってた。この店に来ると元気になれるって。あの子だけの聖域みたいな場所だったんだと思う。だから今日、チヅコ達がここに入ろうとした時、反対しようとしたんだけど、うまくいかなくて」
 だからこの店でチヅコ達がフジコちゃんの悪口を言うのに耐え切れなくなって、千晶は非難めいたことを言ったのだろう。いじめの果ての自殺ではなかったのか、と。
「でも、正直びっくりした。いつか一人でこの店に来て、あの子の想いを伝えようって決心してたけど、まさかその相手が智樹さんだったなんて・・・・。あの子の気持ちよりもお姉ちゃんのこと先に言っちゃったし、あたしはこんな立場だから、あの子のことは言おうか言うまいか迷ったんだけど、どうしても言わなくちゃいけないような気がして。でないと、あたしは一生許されない気がしたの」
「彼女は千晶ちゃんのこと怒ったりしてないんじゃないかな」
「そうかもしれない。でも、あたしが自分を許せないの!」
 強い口調でそう言うと、千晶は少しうなだれた。
「でもごめんなさい。智樹さんには関係ないことだもんね。混乱させちゃっただけかもしれない。だけど、そういう女の子が居たってことだけでも、心の片隅にでいいから覚えておいてあげてほしいの。しばらくの間だけでいいから。でないとあの子、浮かばれないよ」
 千晶はとうとう泣き出してしまった。智樹はおろおろと慰めるための言葉を探した。
「あの子もきっと千晶ちゃんの気持ち分かってるよ。それに、彼女に謝るチャンスはいくらでもあるんだから、泣かなくても大丈夫だよ」
 千晶はまだ泣きじゃくっていたが、赤い目をあげて言った。
「智樹さん、知らないんですか?」


-つづく-



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