Nonsense Story

Nonsense Story

10





ポケットの秘密 10




「最近、なんだか元気ないね」
 幼馴染が心配そうな表情を浮かべて、私の顔を覗き込んでいる。
「そんなことないよ」
 私は笑ってみせたけれど、ふいに不安になって彼女に訊いた。
「私、最近、そんなに元気なさそう?」
「パッと見はいつもどおりだけど、なんとなく心許ない感じがする。どこかに行ってしまいそうな感じって言えばいいのかな」
「最近、宇宙と交信してたら、こっちにこないかってしつこく誘われるからかも」
「もう、やめてよ。そんな遠い所に行くの」
 私がおどけて言うと、彼女も笑ってのってきた。
 久しぶりに幼馴染と二人で過ごす昼休みだった。私と彼女は出席番号の関係で席が前後しているので、お互いの机をくっつけ、向き合って座っている。お弁当を食べている時はあと数人一緒なのだけど、彼女達は食べ終えるとどこかへ行ってしまう。私達はなんとなく、いつも教室に残って二人で話している。でも、最近はそれに赤松さんが加わっていた。
 今日は昼休憩に入るチャイムが鳴ると同時に、赤松さんは教室から姿を消した。
 朝、自分が靴を盗んで切り裂いたと宣言し、クラス中がそれを信じたのだから、この教室にいられないのは当然だろう。お弁当を食べている間も、教室はその話で持ちきりだった。授業に出ていただけでも、かなりの根性だといえる。
 今、教室に残っている生徒達の会話の端々にも、彼女への非難が滲んでいた。
「どうして赤松さんは自分がやったって言ったんだろうね」
 私の口からポツリと漏れた言葉に、幼馴染が驚きの反応を示した。
「あそこまで証拠が揃ってたら、誤魔化しようがないでしょ」
「あの紙は誰が書いたんだろうね。その人は赤松さんがやってることを知ってたってことよね。どうして本人に言って止めさせなかったのかしら」
「それは、怖いからじゃない? だって、あの靴、刃物でメッタ斬りだったのよ?」
 メッタ斬りというほどではなかったはず。メッシュの部分は刃を内部まで差し込めたけれど、しっかりした靴だったので、ほとんど表面に傷が付いた程度だったと思う。
「怖い、か。あんなにおとなしそうなのにね」
「おとなしそうだから余計に怖いんじゃない」
 まだ彼女を庇うの? とでも問いたげな幼馴染の視線から、私は顔を逸らした。窓ガラスに斜めの線を描いて、雨粒が流れていく。
 元気がないね、と案じてくれる幼馴染。遠くへ行かないで、と言ってくれる幼馴染。彼女は、私に対してはいつも優しい。でも、私が中学からやっていることを知ったら、この親しみの表情は軽蔑のそれへと変わるだろう。そして私への評価は「怖い人」になる。
「私ね、宇宙までは行かないけど、九州に行くことになったの」
 彼女の顔を見ずに、私は言った。




 思い出すだけでも腹が立つ。
 トイレの衝立の上から昇降口を睨みつけながら、ぼくは唇を噛んだ。こんなにムカつくのは久しぶりのような気がする。お気に入りのシール付きカッターを失くした時以来かもしれない。
 終業のチャイムが鳴ってしばらくした後の昇降口は閑散としており、雨が地面を叩く音が響き渡っていた。タカヨシが雨宿りをしている他は、全く生き物の気配はない。
 赤松が靴泥棒の犯人だと名乗り出た今、真犯人が次の盗みをするとは考えにくかったが、ぼくは諦めきれずに衝立にかじりついていた。
「もう諦めろよ。俺、もう部活行くぞ」
 藤田が下から声をかけてくる。
「勝手に行け」
 一瞬足元から殺気を感じたが、ぼくは無視した。すると藤田は、今度は溜息を吐いて、ぼくを見上げた。
「嘘だよ。雨が降ってるから今日は休みだ。どうしてそんなにこだわるんだよ? 犯人が赤松さんじゃないと思う理由は?」
「手に傷がなかった」
「は?」
「あの靴は刃物で切られてただろう? てことは、犯人は刃物を使ったはずなんだ。なのに、赤松の手には全く切り傷がなかった」
「そりゃ、普通は自分の手を切ったりしないだろ」
「あいつは普通じゃないの。3Dなんだよ」
「なんだそりゃ。立体ナントカってやつ?」
 藤田がおかしなものでも見るような目を向けてくる。
「ドジ、鈍感、鈍くさい」
「・・・・・・なんか、おまえらが付き合ってないっての、今やっと信じる気になった」
 彼は何故か、今全く関係ないことを納得したようだった。ぼくはかまわず続けた。
「いいか? あいつに刃物を持たせて流血しなかったら奇跡だぞ。それに、あの抜け作が一ヶ月もの間、誰にも見付からずに靴を盗み続けられたはずがない!」
「それ、庇ってんのかけなしてんのか分からんぞ。それに、今朝おまえだって見ただろ? 彼女の鞄の中身を」
 そうだけど、と呟くぼくの脳裏に、今朝の赤松の言葉が蘇る。
 ごめんなさい。

 朝、自分がやったと言い張る赤松にぼくは言った。
「何言ってんだよ? 冗談だろ?」
 赤松の顔を覗き込むと、彼女はぼくの手から自分の鞄を取り、その口を開いた。中からは、薄汚れてボロボロになった靴達が、悪臭とともに現れたのだった。
 ぼくは鼻をつまむのも忘れて息を飲んだ。
「ごめんなさい」
 その後の赤松は、機械のようにその単語を繰り返すばかりだった。

「ま、正直言って、俺も犯人は赤松さんじゃないような気がするんだけどな」  藤田の呟きに、ぼくは洗面台の上から彼を見下ろした。
「朝は頭に血が昇ってて、犯人はコイツだー!って思ったけど、弁償するって言って来た時、なんか違う気がしたんだ。誰かを庇ってんのかなって。よく考えてみれば、朝の反応もちょっとおかしかったし。先生も形だけ呼び出しとかしてたけど、本当は違うと思ってるみたいだった。だけど、彼女の鞄からは実際に靴が出てきちゃったんだから、どうしようもないだろ」
 分かっている。真犯人が捕まらないことには、赤松への容疑は晴れないだろう。いくらやっていなくても、担任教師が味方してくれていても、だ。
 ぼくは、藤田が自分と同じことを考えていたことに少なからず驚いた。彼は思い込みの激しい奴だが、意外に冷静に物事を見ることができる側面があるのかもしれない。ぼくも赤松は誰かを庇っているのではないかと思っていたのだ。
 自分を卑下している彼女は、自分と仲の良い人間まで周りから白い目で見られることを危惧しているので、他人から非難を浴びると分かりきっているような行動を起こすはずがない。仮にそういった容疑をかけられても、友人に迷惑をかけないため、おどおどしながらも否定するはずだった。今は、杉本と田口という彼女にとって大事な存在があるから尚更だ。
 しかし、その赤松が肯定した。
 ぼくは最初その理由を、あの二人が赤松が犯人であると信じたせいで、彼女が絶望してしまったからかと思った。だが、もう一つ考えられるのだ。
 それは、彼女が誰かを庇っているために他ならない。

 昼休みには既に、ぼくのクラスにまで赤松が靴泥棒の犯人だという噂が広まっていた。前の席の男子生徒が、言いにくそうに教えてくれやがったのだ。
「盗まれた靴がロッカーや鞄から出てきたって話だし、うちのクラスの女子の靴が失くなった時にも彼女教室にいなかったらしいから、やっぱり・・・・・・・」
 彼はぼくの剣幕に口ごもった。ぼくは、ちょっとヤボ用に行ってくる、とだけ言って教室を出た。
 うちのクラスの女子の靴が消えた時、赤松はぼくに電話をするために本館に居たはずだ。そのことを言おうかとも思ったが、うちの教室よりも昇降口に近い本館に居たということで、更に彼女への疑惑を深めそうだったのでやめた。
 だから変な気を回さずに、堂々と教室に来れば良かったんだ、あの馬鹿は。
 多目的教室へ行くと、予想通り赤松が居た。今の教室に、彼女が昼飯を食べる場所はないはずだった。
「誰を庇ってんだよ!?」
 雨音だけがこだましていた空間をぶち破って、ぼくは怒鳴った。彼女はキョトンとしていたが、ぼくの問いには答えず反対に質問を返してきた。
「どうしてここに?」
 いつもの、彼女独特の間の抜けたような物言いだった。
「いつもここで食べてたんだから、来て当たり前」
「うそ。最近は自分の教室で食べてたでしょう?」
「そうだけど。って、なんで知ってんの?」
「杉本さん達が言ってた」
 女子の情報ネットワークはどうなってるんだ。ぼくは気味が悪くなった。
「そんなことより、誰を庇ってるのか白状しろって。藤田に金払うって言ったんだって? このままだと藤田の分だけじゃなく、靴を盗まれた人間の分全部を弁償することになるぞ」
「微々たるものでも儲けてるから大丈夫」
「何人盗まれた人間がいるか知ってんの? 三十人は下らないんだぞ」
「去年書いた短編が映画化されて夏に公開されるから、臨時収入でなんとかなると思う」
「あのなぁ」
 ぼくは頭を抱えた。そういう問題と違うだろう。
「もうわたしにかまわない方がいいよ」
 淡々とした様子で、赤松が言った。
「またそれを言うわけ?」
 赤松は以前にも同じセリフを吐いたことがある。ぼくはデコピンしようとする手を、必死で押さえた。
「だって、今度は泥棒の仲間だと思われるんだよ? そんなの良くないよ」
「泥棒だと思われてる自分はどうなの?」
「わたしはいいんだよ。慣れてるから。でも、きみは違う。わたしなんかとかかわるのはやめて、陸上部に入った方がいいよ。一番とか最速って言葉に憧れてたんでしょう? きみの足なら全国一とはいかないまでも、県大会で一番くらいにはなれるかもしれない」
 校舎の屋上から地面に突き落とされたような気がした。彼女はずっと、ぼくのあの言葉を気にかけていたのか。
「それは昔のことで、今は・・・・・・」
「あの話をしてた時、すごく楽しそうだったよ。それに走るのだって嫌いじゃないんでしょう? 勿体ないよ」
 ぼくの言葉を遮るように、彼女が声を荒げた。先ほどまでの間延びしたような独特の口調ではなく、きっぱりと言い放つ。
「わたしなんかより、きみは藤田君達と仲良くすべき人なんだよ」
 ぼくは体中の血液が沸騰して、頭に昇ってくるのを感じた。
「悪いけど俺は俺のやりたいようにするから。誰の指図も受ける気ない」
 それだけ言って、ぼくは昼飯も食べずに多目的教室を出た。
 激しい雨音にやっと頭が冷えてきて、赤松が誰を庇ったのか聞き出せなかったことに気付いたのは、午後の授業が始まる直前だった。

「あー! ムカつく!」
 昼間のことを思い出し、ぼくは吼えた。
 下駄箱に体をくっつけるようにして寝ていたタカヨシが、びっくりして棚の中段くらいまである巨体を起こした。
「いい加減諦めろよ・・・・・・」
 なんだかんだ言いながら、藤田はぼくが洗面台から降りるまでそこにいた。


つづく



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