「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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13話 【Secret Mission!】
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13話 (潮) 【Secret Mission!】
5月6日 潮透子
仕事机の引き出しの中に、携帯電話を置いて来てしまったらしい。その失態に気付いたのは前日の帰宅直後だった。
遅番で閉館時刻までいたため、従業員出入り口が閉鎖されてしまっていることは私自身よく知っていた。仕方がない、明日の朝取りに行こう。
――今にして思えば、今日の想定外の出来事は、昨日の時点でこうなる運命だったのだ。
私、潮透子の朝はエンジンがかかるのに多少の時間を要する。
休日の場合だと起床時間は8時くらい。特に用がなければゆっくりと時間をかけて身形を整える。
今日も今日とて、身体が『起きたい』と思った時間に眼が開き、ひとつずつゆっくり身支度を済ませていく。
外はカラッとした心地いい天気だが、予報では30度近くまで気温が上昇すると言っていた。
その点を考慮して、ラベンダーカラーの7分袖カーディガンの下にキャミソールを着た。カーゴパンツはブラックとカーキで悩んだ末、前者を選ぶ。
徒歩5分の道程を、街並み散策するかのごとくゆっくり歩く。眺めるほどいい景色があるわけでもないので、あくまでも自分のペースに合わせて。
8分かけてユナイソンネオナゴヤに到着すると、入り口で社員証を呈示し、POSルームへと向かった。
POSルームには、後輩の千早さんと、ドライ売場の不破犬君がいた。私が入室すると2人の会話がピタリとやみ、視線が注がれる。
休日のはずの私が現れたのが不思議だったのだろう。千早さんは首を傾げた。
「携帯電話を忘れたから、取りに来た」
彼女は心得たとばかりに頷いた。心なしか顔が赤らんでいる。
「私も先日、同じミスをしちゃいました」
「へぇ、千早さんでもそんなヘマするのね」
意外な一面に虚を突かれていると、「そうだわ!」と千早さんは手を合わせた。
「不破さん! そのミッション、透子先輩にお願いしてみてはいかがでしょう?」
嫌な予感がした。不破犬君が何かを言いかける前に辞退した方がいいに決まってる。
「何を企んでいるのかしらないけどお断りよ。私がオフってこと知ってるわよね?」
今まで黙っていた不破犬君が――そう言えばやけに大人しい気がする――私のカーゴパンツから視線を外すと、千早さんを見やった。
「つくづく僕の女神的存在ですね、歴さんは。そうします。じゃあ行きましょうか、透子さん」
「いや! 行かない! 帰る! 帰るったら帰るんだからね! 引き留めないで!」
「でも透子先輩じゃないと、少し困ってしまうことがあって……」
「あのね、千早さん。私は今日休みなの。ただでさえ職場なんかに来たくなかったのよ? それなのに何を言い出すつもり?」
言ってしまってから気付く。事情説明を促してしまった。「待った、今のなし!」と言う前に、不破犬君が説明を始めてしまった。あ~~!
「今から、ライバル店のhorison名古屋店まで偵察しに行くんです」
「言わなくていいってば!」
私の反論を丸ごと無視して、ヤツは先を続けた。……しまった~~!
「GW中と、GW明けの客足を比較するためです。あと、売価を調べて本部に報告する……まぁスパイ活動ですね。
昨日は青柳チーフが偵察に行って下さったんですけど、2日続けて同じ人物が売り場を隈なく歩き回ると怪しまれる可能性大でしょう?
だから今日は僕が引き受けました。歴さんが同行してくれればカップルのふりが出来るし効率もいいから、お願いしていたところで」
「でも今日は芙蓉先輩が公外でおりませんし、私が抜けてしまうとここが空になってしまうので、本部命令に従うべきかどうか話し合っていたんです」
「言い分は分かったわ。でもやっぱりイヤ」
キッパリと言い切ったものの、捨てられた犬猫のような目で視線を交わされればたじろいでしまう。
「……もう……分かったわよぅ……」
拗ねながら、しぶしぶ了承した。
千早さんは深々と「ありがとうございます、よろしくお願いします!」とお辞儀。
一方の不破犬君は、ぬけぬけと「プリクラ以来のデートですね」と言い放つ。全く、無礼にもほどがある。
1時間で済ませますからと言う不破犬君の言葉を信じ、地下鉄経由でhorison名古屋店へ入店する。
店の規模こそネオナゴヤ店には劣るが、それでもユナイソンと熾烈な上位争いを繰り広げているだけあって、思わず怯んでしまうような仕掛け……
――イベントやら価格設定、テナント選び――が、そこかしこで展開されていた。
不破犬君は直営のドライ売り場へ直行すると、醤油や油、みりんといった、料理に欠かせない調味料の値段を調べて行く。
棚の上段から下段にかけて視線を這わせる仕事熱心なスパイに尋ねてみる。
「メモは取らないの?」
「そんなことしてたら気付かれてしまいますよ」
言われてみれば尤もだ。彼は棚ラベルに記載された値段を頭の中に叩き込んでいく。
私は値段の入力をしているけど、安いとか高いとかが分かるだけで、正確な値段までは覚えていない。それを労せず一瞬で記憶してしまうのだから恐れ入る。
スパイ活動は不破犬君に任せるとして、私は私で何が陳列してあるのかを眺めることにした。こうして他店と比較してみるのも存外面白いことに気付く。
「ねぇ、うちの店に置いていない商品も調べるの?」
「いいえ。単に値段の比較をしたいだけですから。見るのはPB商品と、定番商品だけですね。参考程度にフェア物は押さえておこうかなと思ってます」
「このお店ではカレーフェアを開催しているみたいね」
「母の日が近いからでしょうね」
なるほど、確かに某食品会社も『母の日にカレーを作って喜んでもらおう!』というCMをこの時期に流していたっけ……。
不破犬君の視線は、相変わらず値段に釘付けだ。
その後も麺類、穀物類、缶詰類、飲料など必須項目のポイントをすべて押さえた不破犬君は、きっかり1時間で視察を終えた。
「お待たせしました、透子さん」
1時間ぶりに私の方を見た不破犬君は、私の手に買い物かごが握られていることに気付き、「何ですかそれ?」と尋ねる。
「個人的な買い物」
「ここ、ライバル店ですよ? 売り上げに貢献してどうするんですか」
「だって、『うちより50円安いな』とか『今度入荷してみるか』なんて呟いてるから、買っておいて損はないかな~って……」
「僕、そんなこと呟いてました?」
苦々しく舌打ちすると、「まぁいいや」と流し、私から買い物かごを取り上げる。
「付き合って下さったお礼に奢ります」
「いいって。自分で払うわよ」
「それぐらいはさせて下さい」
折れておくのが賢明のような気がした。ありがたく1,500円ほどの出費をお願いする。
レジを通った品物は、不破犬君がエコバッグに詰め、そのまま手にぶら下げている。
「ありがとう。私が持つわ」
「透子さん、小麦粉買ったでしょう。帰宅するまでずっと持ち歩くつもりですか? いいから僕に任せて下さい。重いんだから持っちゃ駄目ですって」
「女扱いしなくて結構よ」
「無茶言わないでくださいよ。透子さん女じゃないですか。女として扱いますよそりゃ」
「また例のポイント稼ぎとやら?」
せせら笑ってやると、不破犬君は視線を宙に漂わせ、「ポイント稼ぎねぇ……」と呟く。
「ポイント稼ぐのも面倒になってきたな。いっそのこと、感情の赴くまま行動に出たい気分です」
「……本人の前で言うかな、それ……」
「手始めに、映画観ませんか? こってこてのラブストーリー」
「今から? 仕事さぼってどうするのよ」
「何のために1時間で終わらせたと思ってるんですか? 透子さんとデートしたいから、さっさと終わらせたまでです」
「堂々とおさぼり宣言するような男は最低だと思う」
ぴしゃりと言ってやると、彼は口をへの字に曲げ、顔を赤らめた。痛いところを突かれたからか、はたまたムッとしたからか……理由までは量りかねた。
「あーあ、せっかく集中してた時の不破犬君、頼りになりそうかも……って、ほんの少し思ったのになー」
すると、今度は顔中に満面の笑みを浮かべた。それはまるで犬が嬉しさのあまり尻尾を振り回しているさまに似ていた。
「本当ですか?」
「す、少しよ!? 限りなく少し! ほんの、1ミクロンほどね」
「ミクロン単位ですか……。でも……ははっ、嬉しいな」
無邪気な笑い方というのは、不破犬君にしては珍しい。
不覚にもズキン、と胸が痛む。……私ったら、馬鹿じゃないの? 相手は不破犬君よ?
「透子さんに認めて貰うためにも、このまま職場に戻ってバリバリ働こうかな」
「何よ、まだまだ健在じゃない。ポイント稼ぎ」
「本当だ。どうも、透子さんにはいいところを見せたいみたいです、僕」
一切の遠慮なく、自分の想いを曝け出す不破犬君。
そんな彼を見ていると、嫌が応にも『私の本心はどこにあるのだろう?』と考えてしまうし、自分の臆病さを再認識させられてしまう。
何も考えず発した言葉を、本心と判断してしまっていいものだろうか。それとも、定まらないぐらいなら、まだ動かない方が賢明だろうか。
不破犬君から学ぶべきかもしれない。私も素直にならなければ。
「お茶ぐらいなら……付き合ってあげてもいいわ」
不破犬君は、上から目線の発言に不快を示すどころか、空いている方の手で私の手を即座に握った。
「な、なに!? 離して……!」
「決めたんです。感情の赴くまま行動するって」
「勝手に決めないで! その強引さが嫌い! 不破犬君の馬鹿」
「僕は大好きですよ。透子さん」
「そんなこと誰も訊いてないわよっ」
「さ、戻りましょう」
「離しなさいよ、こら!」
少しでも『誠実であろう』としたのが間違いだった。
都合のいいように解釈してしまう不破犬君に食材を人質にされたうえ、片方の手を握られたまま、私は駅構内に着くまで自分の選択を後悔し続けるのだった。
2010.05.06
2019.12.14 改稿
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