33話 【Clearly Perceive!】


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33話 (―) 【Clearly Perceive!】


___01.千早歴side

「歴さん」と呼ばれて振り返れば、不破さんが優しい目を私に向けている。本来なら透子さんに向いてるであろう、愛しい者を見守るかのような表情で。
これが演技だと見抜く観客数はいかほど? 不破さんのエスコートは自然で、板に付いている。少なくとも私は――愚かにも錯覚してしまいそうだ。
……そろそろ噂話は透子さんの耳に入った頃だろうか。透子さんだけではなく、麻生さんや柾さんにも。
紳士協定が結成されて間もなく、私は不破さんと付き合うことになった。噂話はどのぐらいの時間を掛け、どこまで広まったのだろう?
仮面が外れるとしたら、私がヘマをした時だろう。不破さんの演技は今のところ完璧なのだから。


___02.潮透子side

伊神さんから、それとなく別れを仄めかす発言を聞いてしまった。
あの優しい伊神さんが、オブラートに包むことなくやんわりと、私との未来のビジョンを描けないでいると。
足を竦ませている原因はそれだけじゃない。私自身の心が揺らいでしまっている。
杣庄と一廼穂チーフは、私が本心から好いている相手が不破犬君だと指摘した。「そんな」と一笑に付すことのできない自分が確かにいる。
その不破犬君とは、2ヶ月前の社内旅行から距離を置きっぱなしだ。彼を怒らせたのは他ならぬ私自身。
なぜ私は、大切にしなければならなかった人たちをことごとく傷付け、遠ざけるような仕打ちばかりしてしまうのだろう。
後悔しても遅い。打ちひしがれても後のまつり。自業自得なのだから落ち込む権利などないのだ。その事実にまた打ちのめされる。
会えない。伊神さんに、会わせる顔がない。不破犬君にも。


___03.八女芙蓉side

2人1組による持ち回りの女子更衣室掃除のさなか、ネオナゴヤ店における女傑四人衆がひとり黛八千代は掃除機の電源をオフにするなり言った。
「ねぇ芙蓉。最近社内のムード暗くない?」
女子更衣室と言えば、噂の温床であり、宝庫でもある。2人きりなので話すには絶好のタイミングだと黛は思ったのだろう。
手にしていた消毒液を元の位置に戻し終えた私は、室内をささっと素早く見回り、誰もいないことを確認した。
「大丈夫よ。この部屋には芙蓉と私だけだから」
その点は、黛も用心していたのだろう。
私たちはドアを注視しながら――もし誰かが入室してきたら速やかに会話をストップする心積もりだ――声を落とし、密談を始めた。
「なぜ社内が暗いかって? あなただって知ってるでしょう? 耳聡いんだから」
「千早さんの孤立化は、見てて寒々しいものを覚えるわ。女の嫉妬って醜いったらない」
「あら。私は千早を孤立させた覚えはないわよ。いつだってあの子の味方だもの」
「まぁそうね。孤立化と言うよりかは、アンチが増え過ぎたと言うべきかしら」
「わんちゃんがあの子と関われば関わるほど、周囲は白けムードになってしまってるのよね」
「先日、柾さんと麻生さんが千早さんに話し掛けてるのを見たの。でも彼女、どことなく2人を避けてるような感じだった。
余所余所しくて、引きつった愛想笑い。まるで他人行儀のようだった。
そういうのって相手に伝わってしまうからね。さすがに落ち込んでたわ、柾さんたち」
「柾さんたちは正式に千早に告白したらしいから、そういう態度で接せられてしまうと、告白の答えはノーだって思っちゃうわよね」
「何言ってるの? そんなの、不破くんと付き合い始めた時点で断わってるに決まってるじゃない」
その言葉に引っ掛かるものを感じた。何だろう、見過ごしてはならない、大事な点だと思う。
会話のキャッチボールをスムーズに続けてきたのに、私が急に黙ってしまったからだろう。黛は「どうしたの」と訊ねてきた。
私は捕らえた違和感がなんなのか、必死に言葉に変換しようとした。上手くまとまらなかったので、漠然とした疑問をぶつけることになってしまったが。
「ねぇ、ちょっと待って。千早って柾チーフたちを振ったの?」
「そりゃそうでしょう」
「いつ?」
「え? 知らないわよ。でも常識的に考えてそうでしょう? もしあなたが千早さんの立場だったら?」
「そりゃあ勿論、相手に申し訳ないから『ごめんなさい』するわよ」
私の答えに、「でしょ?」と黛は器用に眉を上下に動かしてみせた。……そうだ、そこだ。私が引っかかったのは。
「そう言えば……千早が2人を振ったなんて話、私は聞いてないわ」
「奇遇ね。私もそんな話は聞いてない」
「つまり千早は告白の返事を保留にしてる……? 義理堅いあの子がいまだに断っていないということは……」
「『不破くんとの交際はダミー』。あら~、俄然面白くなってきたじゃない。一体裏で何が起きてるのかしらね」
目を細める黛を見て、私は自分の予想が正しいと確信した。そう、この話にはきっと裏があるに違いないのだ。
事情を誰にも語らなかったせいで、千早は自らの首を絞めることになり、柾さんたちすら欺かねばならず、孤立してしまったのだ。
千早の決意は固いと思って間違いないだろう。『あなたの評判スゴいわよ』との指摘に『覚悟の上です』と言い切ってしまうほどには。
わんちゃんと恋がしたくて付き合っているのなら、千早の覚悟とやらを認めてあげる。
でもそうじゃないのなら。愛や本心を捻じ曲げているのなら。
「動きたくて仕方ないって顔をしてるわね、芙蓉」
「当然でしょ。私は恋する女子の味方、千早を幸せにできる女だもの!」


___04

「他人の恋愛には首を突っ込まないスタンスじゃなかったっけ」
ソマは釘をさしてきた。余計なお節介はするなとばかりに。
「それは潮の時だけよ」
「……どういう意味だ?」
社宅マンション、私の一室。テーブルの上に広げられた書類から顔をあげたソマは、理解しかねるといった風情だった。
私はソマが取り掛かっていた書類に目を落とす。鮮魚売り場に属する社員やパート、アルバイトが提出した、来月の勤務計画予定表だ。
この日は休みが欲しい、この日は遅番にして欲しい。この日は働ける。
ソマは、そんな個々の我儘が詰まった20枚にものぼる用紙を1枚にまとめ、勤務計画を組み上げている最中だった。
「ソマ、この週、パートの遠藤さんの休みが1日しかないわよ。代わりに那智さんが3日になってる。本当に3日なら年休にしてあげないと」
私の指摘に、ソマは消しゴムで問題の箇所を訂正した。「また組み直しかよ……」とボヤきながら。
「さっきの続きだけど、透子だけってどういう意味なんだ?」
聞き捨てならないとばかりに尋ねてくるけれど、それはこちらのセリフでもある。
いまさらだし、もう何十回と繰り返してきたけれど、ソマは潮を可愛がりすぎる節がある。今がまさにそう。
私は潮への嫉妬が混ざらないよう、配慮しながら発言した。
「私は単に、納まるべきところに納まればいい、そう思ってるだけ」
「八女サンはずっと、透子の相手は伊神さんじゃないって思ってたのか?」
「……」
いつからそう感じていただろう?
都築が問題を起こすまでは、潮と伊神の恋が成就すればいいと思っていた。ソマが潮のナイト役を買って出たときも、まだ。
不破犬君。……そう。彼が一途に潮を想い続ける姿を見ているうちに、私は自らの考えを改めていったのだと思う。
潮はまんざらでもない様子だった。邪魔だの鬱陶しい存在だの言いながらも、素の自分を曝け出していたのはわんちゃんに対してだけだったから。
どんな弱音も吐き、邪険にして、たくさん傷付けた相手。心の黒い部分を見せ続けた相手。
潮は気付いているのだろうか。伊神不在時に、不破犬君という男を、知らず知らずのうちに、どれだけ頼りにしてきたか。
「私の予想ではね、潮はわんちゃんに惹かれてるんだと思うわ」
最近伊神に覇気がない。十中八九、伊神は潮の本心に気付いてる。
「潮から何か聞いてるでしょう、ソマ。話して」
溜息を吐き出すと、テーブルの上にペンを置いた。
静かな動作だったけれど怒りを含んでいたことに私は気付いていたし、その態度が如実にイエスと語っていた。ソマは潮から本心を聞いている。
「八女サンが言うなら間違いないんだろうな。何でだろうな。俺はこの期に及んでもまだ、透子は伊神さんと好き合っていて欲しいって思うんだ」
「伊神から託された言葉を、あなたは律儀に守っているのよ」
「例の『香港にいる間』ってヤツか? そんなのはとっくの昔に消化しきったと思ってるよ」
「わんちゃんを認めたくないのね」
ふいを突かれたのか、はたまた予想外の言葉を浴びせられたからなのか。彼の目が点になる。
「俺はそんな度量の狭い人間じゃないつもりだ」
「じゃあ何が不満なの? どうして伊神はよくて、わんちゃんは駄目なの?」
「それは……」
「あなただって潮がわんちゃんに惹かれていたことを肌で感じ取ってたでしょう?」
「……認めるよ。確かに透子は不破に傾いてるようだった。やめさせたかったけど、そんなの烏滸がましい話だってことぐらい俺にも分かる。
関係が破綻しかけてるのに、俺の一存で繋ぎ止めても無駄だろうしな。だから透子を促したんだ。素直になれって。
そうしたら白状したよ。でも……最終的には俺が誘導したようなもんだ。俺が透子に言わせたんだよ」
「ソマ……」
「俺がずっと不破に当たってたのは、別にあいつが憎かったからじゃない。あいつが無害でいいやつだってことは入社当時から分かってんだよ。
でもそれ以上に俺は……俺は、伊神さんに幸せになって欲しかった」
ぽとりと落ちた雫はソマの涙だった。
くそ、と小さな声で呟いたソマが誰に対して罵っているのか、私には何となく分かる気がした。ままならない運命への反発なのだろう。
「そうね。ソマ……そうね」
ソマの頭を手繰り寄せ、両手で包み込むことしかできない私である。
私は恋する女子の味方。だから潮を幸せにする手伝いはしてあげられる。そうなると、結果的に伊神は……。
でも、伊神はきっとこう言う。
「オレのことは気にしないで」、って。


2014.06.20
2025.10.20


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