「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
000000
HOME
|
DIARY
|
PROFILE
【フォローする】
【ログイン】
09話 【大切なら、素直に】
←08話
┃ ● ┃
10話→
09話 (―) 【大切なら、素直に】
___01.青柳幹久side
「青柳チーフ。客注の分が届いてないんですけど、まさか発注のし忘れじゃないですよね?」
どういうわけかいつもより寝付きも寝起きも悪く、頭が重かった。
だが出勤早々、不気味に紡がれた不破の言葉が警告音となり、目覚まし効果を発揮した。
「どの発注だ?」
「明日10時頃引き渡し予定のイタリアン食材セットです。探しましたけど、どこにも見当たりません」
料理教室の講師が風変わりな麺や憶えづらい名前のソースを1ケースずつ注文したのは、つい昨日のことだった。
「あれはお前に頼んだだろう?」
「え……」
と不破は絶句する。自分の失態を認め、謝罪するかと思いきや、不破は意外なことを言ってきた。
「ですがチーフ、その後僕が店長に呼ばれたので、『俺がやっておく』と前言撤回なさったじゃないですか」
それも……そうだ、覚えてる。あの時不破は快く引き受けてくれたのだが、通り掛かった店長に「不破君、ちょっとこっちへ」と声を掛けられた。
どうしましょう? と目で問いかけた不破に対し、俺は「いい、俺が発注しておく」と――。
「……! しまった」
「発注、落としたんですね?」
「すまん。今から俺が手配を……」
「青柳、ちょっといいかしら。困るのよね、バーコードを使用しない時は、前もって教えてくれないと」
腰に手を宛て、柳眉を逆立てているのはPOSオペレーターの八女芙蓉だった。瞬間、芙蓉の苦情内容を把握する。
「それは悪かった。だがお前だって昨日今日入社した素人じゃないんだ。少し考えれば特殊なケースだってことぐらい分かっただろうに」
「一言言えば済むじゃない。バーコードはやめろって。それだけで十分なのよ? その一言を端折ったが為に、こっちは売り場を行ったり来たり。
ドライだけ請け負ってるわけじゃないんだから振り回さないでちょうだい」
「以後気を付ける」
「青柳さん、中部第二物流さんからお電話です」
「すまないが、後で掛け直すと伝えてくれ。あぁ、要件を聞いておいて貰えると助かる」
「青柳チーフ! お客様がみりんの瓶を割ってしまって……」
「破片が散乱しているかもしれないから、直ちに周囲にポールを立てて立入り禁止にするように。掃除の方は内線で掃除担当者を呼んで対処して貰うんだ。
それと、お客様にはくれぐれも弁償代を頂かないように!」
「青柳君、カートの回収をしてくれんかね。ドライだけ参加していないのでは、他の従業員に示しがつかないもんでね」
「分かりました。すぐに志貴を行かせます。俺も後から手伝いますので」
リアルタイムで俺の仕事量が加算される場面を見るや、芙蓉は「次からはよろしくね」と言い、去って行く。
不破はといえば、俺の尻拭いをする為に物流センターへ足を運ぶつもりなのか、スマホで事務所宛てに社用車の手配準備を取っていた。
我ながらつまらないミスを仕出かしたものだ。あり得ないほど単純な失敗で厭になる。だからこそ、精神的にもかなり堪えた。
___02
「駄目です。どうも不調のようです」
俺が言うと、柾さんは目を細めた。面白いものを見た、とでも言うように。
「青柳が弱音を吐くなんて珍しいな」
「どうもイライラして……。何でしょうね? 捌け口がないというか、煮詰まってる気分です」
「ガス抜きしないと持たないぞ」
「ストレス解消という意味でしたら、してますよ、ちゃんと」
「してるつもりで、出来ていないんじゃないか?」
躊躇する。もしかしたら、そうじゃないかという燻るような思いはあった。
渋々認め、「では、柾さんならどうしますか? モチベーションを上げたい時はどうします? 仕事の原動力とか」と尋ねた。
「僕か?」
不意を突かれた様子だったが、次の瞬間にはまた例の如く、俺を面白そうに見る目付きになっていた。
「恋愛をする」
「……恋愛ですって?」
「聞かれたから答えたまでだ。他意はない」
そう言って、柾さんは微かに笑う。
___03
俺は柾さんを目標にしている。
その柾さんが『恋愛こそ仕事の原動力』と説いているなら、自分も恋愛してみようかという気になる。
だが彼女を作るにしても、いったいどうすればいいのか。
考えあぐねていると、芙蓉が食堂に入って来た。トレーに茶そばと稲荷ずしを乗せた彼女をすかさず手招きして呼び寄せる。
「青柳1人? 隣り、いい?」
「あぁ。……なぁ、芙蓉。社外の女性を紹介して欲しいんだが」
言った途端、怪訝そうに俺を見る。それも当然かも知れない。今まで彼女に『そういったこと』を頼んだことはなかった。
「貴方に?」
「俺に」
「仕事人間の貴方がどういう風の吹き回し? 急に人恋しくなったわけ?」
「いや、人恋しいわけでは」
ないと思う。
「じゃあどうして? 女の子と知り合ってどうするの?」
「捌け口になればと思ってだな」
「捌け口? 性欲の?」
「え? いや、……え? 違う、そうじゃない。つまり、捌け口がないほど煮詰まってる状態だから、気分転換をしたくてだな」
「その方法がデートってわけ?」
「それも手段のひとつかもしれないと思っただけだ」
「まぁそうかもしれないけど。でも気が進まないわ」
「紹介してくれないのか?」
「だって貴方に恋してる健気な女の子を知ってるもの。私はその子を応援してるから、貴方のお願いとやらは聞けないのよね。ごめんあそばせ」
「……芙蓉。勘弁してくれ」
「どうして社内恋愛禁止なんて縛りを作ったの? 冷やかされた過去があったとか? ギクシャクするのが嫌だとか? 仕事が疎かになった?」
その中に答えが含まれていた。動揺したところを見抜いたのか、芙蓉は嘆息する。
「面白いことを教えてあげる。ネオナゴヤを隈なく見てみなさいよ。社内恋愛の温床じゃないの。平気よ、怖くなんかないわ」
「お前は……強いんだな」
「杣庄が好きなの。それだけよ」
堂々と言ってのける芙蓉は美しくもあり、格好よくもある。
「貴方が尊敬してる柾さんも、社内恋愛してるわよねぇ?」
「だが俺は……」
「好きだから好き、たったそれだけのことなのよ。単純明快でしょう? 勝手に作った壁なんて取っ払っちゃいなさい」
「それは出来ない。最低な振り方をしたんだ。それはもう……こっ酷くて、再起不能になるぐらいの」
「……何を言ったの?」
自嘲気味に全てを話せば、芙蓉は顔色をみるみる土気色に変えたのだった。
「貴方を殴ってやりたい。私が言われてたら、間違いなく殴ったわ」
今や芙蓉は恋する女性代表と書かれた襷を身に付けた人権運動家のようだ。
「信じられない。どうしてそんなことを言うの! もはや人格否定よ!?」
「百も承知だ」
「嘘よ! 分かってたらそんな酷い言葉出ないわよ! わざわざ傷付けて、……。あ……貴方、まさか……」
芙蓉はハッと口を手で押さえた。ひとつの結論に思い至ったのかもしれない。その先を聞く前に、俺は「お先に」と言い残し、退室した。
___04
「柾さん。俺には無理みたいです。恋愛する気になれないんです」
情けなくも白状すると、柾さんは一笑に付すどころか、何も言わずすぐ近くの自動販売機でコーヒーを買い求め、俺に手渡してくれた。
「奢りだ」と添えてくれた優しさの中に、俺に対しての励ましの意も込められているのだろう。本当にいい人だなと思う。
「僕は僕であり、お前はお前なんだから、それでいいと思う。現に麻生だって気分転換を恋愛で図ろうなんて考えは1%も持ちあわせていないしな。
所で青柳、志貴をどう思ってる?」
「彼女は俺の部下です」
「この間彼女が窮地に立った時、きみはどうした?」
「叱りました。ミスを犯せば目前に召喚します。柾さんもご覧になったでしょう? 内容次第では庇いもしますが、それでも限度はある」
「では問うが、きみ自身はミスを犯していないと? 僕が言いたいのは志貴さんの件だ。
昨日こっそり泣いてるのを見掛けた。僕を見るなり逃げようとしたから、反射的に捕まえてしまった。こういうのは得意でね……特技かな。
始めは無言を貫いていたんだが、埒が明かなかったから、『言わないとキスする』と脅したら素直に教えてくれた」
柾さんにしては笑えない冗談だ。何故か不愉快な気持ちになりながらも、俺は問い返す。
「俺が犯したミス、ですか?」
「僕が言ったことを覚えてるか? 自分の気持ちを偽るな。過去の恐怖に囚われるな。志貴さんを傷付けるな」
「えぇ、覚えてます」
「その割には青柳、君は自分の気持ちを……」
柾さんの言わんとしていることが分かり、先回りで否定する。
「違います!」
鋭く吐き出したつもりだった。牽制するかのように。けれど、柾さんは懲りずに言葉を重ねてきた。
「彼女と同じ気持ちなんだろう?」
ぐわん、と。まるで大きな耳鳴りがしたような気がした。
___05
どうも俺には熱があったようで、赤ら顔を見るなりネオナゴヤ店内の薬局で働く薬剤師の由利からお小言を食らった。
「病院行きなよ。休息が必要なんだって」
「思い返せば数日前から頭が重かった気もするが、仕事があるんだ。休めない」
「中途半端に動くのは、ときに足手纏いになるって知ってる? 現に迷惑掛けたよね、キミ。発注ミスだっけ?」
「仕事があると……」
「上司1人居なくなったところで、何も変わんないよ~。かえって不破と平塚と志貴は気楽に励めるんじゃないのー?」
そうかもな、と思う。
志貴は俺がいると身体が強張るようだ。緊張感を抱くのかもしれない。
今はギクシャクしているし(俺自身のせいだという自覚はある)、由利の言う通り、休むべきかもしれない。
「……分かった。指示を出し終えたら店長に報告する」
そして熱が下がったら……。
芙蓉と柾さんに指摘された件について、冷えた頭でゆっくり考えるべきなのかもしれないと思った。
___06.志貴迦琳side
チーフがイライラしているのは私が原因に違いない。
発注ミスだとか、POSオペレーターへの連絡ミスだとか、耳に挟むのは青柳チーフらしくない失態の数々。
助けに入りたかったけれど、事情を知ったのは翌日だったものだから、結果的に力になれず、無力さを痛感した。
かと思えば「青柳が社外に彼女を」という意味深な話題も耳に入り、噂話ではあるもののショックだった。
何がどうなっているんだろう。チーフに彼女がいたのか、それとも出来たのか。正直そんな話は面白くない。
そして今日。青柳チーフが体調を崩したと連絡が入った。
実は数日前の段階で、青柳チーフの鞄から市販薬が覗いていたことは知っていた。
「あれは数日前から無理してたんじゃない?」とは薬剤師である由利さんの弁だ。チーフの体調は「結構酷いかも」とのことだった。
体調如何によっては明日以降も休まざるを得ないらしい。不破君は不破君で、私より多くの情報を掴んでいた。
「陰で『馬鹿め、由利。この俺が風邪ごときで休むと思ったら大間違いだ』なんて言ってましたよ。
そのことを柾さんにチクったら、「寝てろ、青柳!」って珍しく怒ってたみたいです」
「あーあ。完全にマイコを馬鹿にしてるよね、アイツ。あれほどすぐ行けって言ったのに、頑なに拒否してさ」
「マイコ? 誰ですか? いま噂されている、青柳チーフの彼女さん?」
「はぁ? 何言ってんのさ。何の冗談?」
「ゆ、由利さんがたったいま、ご自分で仰ったんですよ? マイコって……」
半べそをかくと、由利さんは不破君と顔を見合わせ、盛大に溜息をついた。
パソコンの画面を切り替え操作する。由利さんの人差し指が1枚のレントゲン画像を示した。
「初めましてー。私が青柳の身体に巣食っているマイコでーす」
「マイコプラズマ肺炎? あ……っ、流行してるってニュースで観ました」
「今年は4年に一度の流行期で、患者数がえぐいほど増えてるって話ですよね。これではしばらく来られませんね」
色んなページを繰って症状を調べている不破君が言った。由利さんは言い返す。
「何言ってんのさ、柾.Jr。青柳がいなくても平気だってこと、見せ付けてやりなよー」
由利さんに発破をかけられた不破君は、「そうですね」と頷き、早速その気になっている。
「志貴嬢。おたくは『青柳がいないから寂しい』なんて馬鹿なこと言ってないで、不破と一緒に仕事頑張ってアイツを見返してやんなよ。
アイツに振られたから辞表提出するってのも、馬鹿馬鹿しい話でしょ?」
「痛いところを思いっきりえぐるんですね、由利さん……。普通、本人を前にそこまで言いませんよ」
「ごめんねー。僕の毒舌は潮透子嬢にも負けてないって自負してるんだー。毒舌ついでに言っちゃおうかな。
徹底的に否定されたんだっけ? そこまで言われたら諦めた方が楽になるよ。ここが踏ん張りどころさ」
___07
「いいえ、諦めるべきではないわ!」
八女さんは見目麗しい顔から一転、般若の形相でくわっと噛み付いてきた。思わず身を引く私である。
「いい、志貴!? 諦めては駄目よ、絶対!」
「で、でも、全否定ですよ? すごく嫌われたんです。つらくて悲しくて、これ以上は食らいつけません」
頭の中でリプレイされる、あの日のやり取り。ここまで嫌われていたのかと、全身が震えてしまうほどで、心臓も痛かったのだ。
「もしかしたら青柳はそれほど嫌っていないのかもしれないわよ? ううん、それどころか一縷の望みがあるかも……」
「八女さんは青柳チーフから好かれてるじゃないですか。私は違うんです。上司と部下という関係でしかなくて、本気で嫌われてる。
根拠のない仮定話は聞きたくないです。糠喜びになるから」
「青柳は『嫌いにはならない』って言ったんでしょう? 絶対ならないと思うわよ」
「その場合、『好きにもならない』という言葉もそうなるんじゃないですか?」
私の反論に八女さんは怯んだ。やっぱり見込みなんてないんだ。そう思うとまた涙が零れ落ちてきそうだった。
「……。あ、青柳からだわ」
スマホから光を発する青色イルミネーション。
青柳チーフ、八女さんにはメールを送るのに私には送らないってどういうことなの? 普通は部下に送らない?
またしてももやもやとした負の感情が浮かび上がる。そんな私の顔を、八女さんはまじまじと見つめるのだった。何だろう?
「ねぇ、あなたは大丈夫なの? 体調」
「え?」
「由利の見立て通りマイコプラズマ肺炎ですって。あれは飛沫感染するんでしょう? あなたと青柳、ここ数日至近距離にいたわよね?」
無理矢理引っ張られて連れて行かれた夜景、今思い出しても悪夢でしかない着ぐるみ、そして形振り構わず必死に訴えた陳情――。
確かに必要以上に接近してはいたけれど。
「私は別に、熱なんて」
「潜伏期間中かもね」
「脅かさないでくださいよ。そういうのって暗示みたいですよ? 私は大丈夫です。そんなにチーフに近付いたりしてませんから」
プラシーボ効果しかり、ノセボ効果しかり。人間は意外と暗示にかかり易く、刷り込まれ易くもある生き物だ。
ともかくこれでチーフには1週間から2週間ほど、つまり完治するまで会えないことになる。
会いづらい面もあったし、安堵感もある一方で、姿が見れない事実は本音を言えば寂しい。
この期に及んで、会えなくて寂しいなどという乙女な気持ちを持ち合わせている自分に驚いた。
あんな仕打ちを受けてもまだ惚れ続けているなんて。好き過ぎてつらいなんてずるい。現状は最悪だ。
あぁ、もう駄目。心が悲鳴をあげている。ごめんね、私にはどうしようもないんだ。
青柳チーフを諦めることも出来ないし、彼を嫌いになることも、決してできないんだろうと思う。
ごめんね、私。痛みを手放せなくてごめん。困った人を好きになってしまったね。
せめてもの救いは、「しばらく休むから宜しく頼む」という連絡を受け取ったことくらいだろうか。
業務連絡すら嬉しくて、とことん難儀な恋をしているなと思った。
___08
失恋休暇が許されるほど社会も世間も甘くない。
恋愛って、モチベーションの浮き沈みに大きく関係するのに。
恋する女性に冷たい世間。
そして、私に冷たい特定の男性。
ネガティブキャンペーンが勝ってしまうたびに漏れる溜息。
軽いはずのハイヒールが、ぬかるみの上を渡り歩く長靴のように重い。
そんな私が向かっているのは柾チーフと落ち合う約束を交わした専門店のカフェだった。
『言わないとキスする』と半ば脅される形で白状させられたあの日。
込み入った話になると察したのだろう。柾チーフは「次の早番はいつ?」と尋ねられたので、「今週の金曜日です」と答えた。
「3日後か。よし、打ち合わせをしよう」
「……はっ?」
そこまで大事になるとは思わず、一瞬怯んだ私を見て、「お互い早番ならカフェで軽食を取ながら少し話したい」と具体的な説明を付け加えた。
早番、カフェ、軽食、少し。絶妙なワードチョイスだった。
「デートとは言わないんですね」
冗談めかして言うと、柾チーフは苦笑した。
「そういうのはやめたんだ。言うにしても、千早さんにだけと誓った」
思わず「いいなぁ」と口走ってしまった。なんて誠実なんだろう。こんなハンサムな男性にまっすぐ愛されている千早さんが心底羨ましい。
だからこそ、かえって柾さんと二人きりで会っても大丈夫と思えた。
私は二つ返事で承諾し、今日という日を迎えた。
カフェの前には既に柾チーフが居た。遅れてすみませんと謝る私に「謝る必要はない」とこれまた苦笑してみせたので、気が楽になる。
個室めいた内装になっているので混んでいるかと思いきや、平日だからなのかすぐに座れたし、他の客とも距離が取れていたので安心した。
軽食を、と言う話だったけれど、柾チーフは存外空腹だと言ってハンバーグセットを頼んだ。
それにつられ、私もサンドウィッチから鉄板ナポリタンへと鞍替えし、美味しく頬張る。
食事も終盤に差し掛かり、食後のデザートセットを待つ間、柾さんは件の事情を聞かせてくれと促した。私は全て白状した。
話し終えるとタルトと飲み物が運ばれてきた。コーヒーを一口飲んだ柾チーフは口に合ったのか「うん、美味しい」と機嫌がいい。
「……青柳にそこまで吐露するなんて、よほどきみは切羽詰まっていたんだろうと思う」
柾チーフは言葉選びが巧みで、私を傷付けまいという優しさが端々から伝わってきた。
「だがきみが青柳に伝えた言葉は、嘆願書のようなものだ」
嘆願書……。確かにあの縋りようは嘆願そのものだった。青柳チーフには女々しい行為と思われただろうか。きっと幻滅させたに違いない。
「僕は何も、追い縋る姿勢がみっともないと言ってるわけじゃない。きみの想いが特別重過ぎるとも思わない。
求愛行動はひとによって違うし、受け取る側の解釈もまた然り、だ」
柾さんは真正面から私を見た。真剣な眼差しを見るにつけ、ふと疑問に思った。この人はどうして私にまでこんなに真摯に応じてくれるのだろうと。
話した回数は少ないはずで、お互い連絡先すら知らない。お節介焼きとはまた違う感じだ。なんだろう、世話焼き? それも違うような。
「青柳に拒絶され、そのことで己の価値を見失い、『そんな自分が情けない』と、きみは自分を責めているんじゃないか?」
「あ……それは思ってました。ストライキの件も堪えてしまって……不破君に『針の筵に座ってるみたいで居た堪れない』って零してしまいましたし」
心に巣食っていた『もやもや』を言語化したら、確かに柾チーフのような表現になるのだろう。すとんと腑に落ちる。柾チーフは軽く頷いた。
「きみの心はまだ麻痺した状態だ。何を考えても堂々巡りになるのはその所為だろう」
言いながら柾チーフは右手で空中に∞のマークを描く。その線を目で追いながら、私は無限……と呟く。
「そう、無限。キリがない。無理に元気を出せとは言わない。だが、泥濘に沈んだままではループから脱することも出来ず、いつまでもその状態だ。
せめてその場から抜け出さないと。もっと地に足を着けた場所まで上がって来ないと。視野が『自分が、自分の所為で』から離れないままだぞ」
「柾チーフの言葉……とても……分かりやすいです」
「それならいいが。だが無理は禁物だ。『よし、テンションを上げよう』なんて無茶はくれぐれもしないように」
「じゃあどうすればいいんですか? 抜け出せるものなら、一刻も早く抜け出したいです」
柾チーフはじっと私を見る。瞬間、私はパッと目を逸らした。
「す、すみません! 自分で考えるべきでした。既に十分過ぎるほどのアドバイスを頂いたのに、これ以上求めるのは間違ってますよね」
「いや、いいんだ。だが月並みな提案しか出来ない。特効薬なんて無いから」
「そう……ですよね。……はい、そうでした。何も恋愛に悩んでいるのは私だけじゃないですもんね。私、めちゃくちゃ視野が狭くなっちゃってる」
自分でも笑ってしまうぐらいに。
「思うに、思い詰め過ぎだ」
自分の頭の中が青柳チーフありきの恋愛脳だったと気付き、どうしてそこまで余裕が無かったんだろうかと考える。
でもそれは今じゃなくていい。問題に向き合うのは帰宅してからだ。
「柾チーフの心遣いが嬉しくて救われました。本当にありがとうございます。でも、どうしてここまで親身になってくださるんですか?」
柾チーフには何のメリットもないはずだ。それでもこうして貴重な時間を割いて、懇々と説いてくれる。こんなに有難いことはない。
数十秒ほど考えあぐねた彼は「さぁ?」と言った。「特に理由なんてないな。……単に性分なんだろう」そう言って、にっこり笑う。
かつて柾チーフは数多もの女性と浮名を流した色男だったと聞いている。さぞかし艶やかでセクシーな笑みを浮かべてきたに違いない。
でもいまのは随分と人間らしい笑い方だった。魅惑的な柾チーフの姿を見ることが出来るのは、もはや千早さんだけの特権となってしまったのだろう。
「もっと肩の力を抜いていい。青柳のことを考えてもいいが、割合には気を付けるように。最近趣味が疎かになっていたんじゃないか?」
私の趣味は料理、お菓子作り、裁縫だ。そう言えば、いつしか出来合いを買って食す機会が多くなっていた気がする。
「心当たりがあります……」
「丁度いい機会じゃないか。息抜きも兼ねて試してみるといい。気分転換になってくれるだろう」
この後本屋に寄って、新しいレシピ本を買いに行くのはどうだろう? 次の休みには図書館へ赴き、数冊見繕うのもいいかもしれない。
せっかくマンモス店にいるのだから、多種多様な専門店を利用して材料を集めるのも一興だ。考え出したら何だか無性に楽しくなってきた。
「柾チーフって本当に凄いですね。わくわくどきどきしてきました……」
にやけそうになる両頬を手のひらで包みながら報告する。
「そうそう、その調子。いい兆しじゃないか」
柾チーフは柔らかく笑むとコーヒーを啜った。つられて私も笑みを零した。
___09.青柳幹久side
「ご快気おめでとうございます。青柳チーフ!」
不敵な笑みを浮かべながら俺を労う部下1人。
8日振りに出勤したらば、そいつは下剋上さながらに好調な売り上げ実績を引っ提げて俺を出迎えた。
「仰々しい。お前から手放しで祝われると、かえって呪われそうだ。
いつもの減らず口はどうした? 『もう帰ってきやがったんですか、まだ寝てればいいのに』とは言わないのか」
「まさか。口が裂けても言いません。
何せ青柳チーフには、チーフ不在にも関わらず叩き出してみせた黄金の売り上げ実績について誉めて頂かなくてはならないので。
早く来ないかな、今日来ないかな、来ないなら・押し掛けようか・不如帰、の心境でした」
「お前……」
復帰早々、疲弊でベッドへ逆戻りだけは勘弁願いたい。
「不在中に変事は?」
「特には。あぁ、チーフが志貴さんをこっ酷く振った件が店中に伝播しました」
「言いたいやつには言わせておけ。下らん」
不破からここ2週間分の部門別売り上げデータを受け取り、目を走らせる。くそ、不在4日目からじわじわと上がり始めてる。
今日以降の俺の采配次第で、不破と志貴の実力が白日の下に曝されるわけだ。
「志貴はどこだ?」
書類を不破へ返し、短く尋ねる。それまで澄まし顔だった不破の表情が瞬時に曇った。
「志貴はどうした」
再度尋ねると、不破はそっぽを向いてしまう。
「不破」
「ですから――チーフが志貴さんをこっ酷く振った件が店中に広まったと言ったじゃないですか」
「なんだそれは。答えになっていない」
「休んでます。かれこれ3日ほど。電話を取った千早事務長曰く、『体調を崩してしまった』との事らしいです。
でも少し前に『針の筵に座ってるみたいで居た堪れない』と漏らしてるのを聞いてしまったんですよね。落ち込んでたから、本当に病気なのか……」
「……なんだと?」
「悲しいことに、いるんですよ。人の不幸を面白おかしく論(あげつら)って野次を飛ばす、低能な人間が。
それですっかり参ってしまって。志貴さん、少し前にパートやアルバイト達とトラブったでしょう? 敵がいないわけじゃないので」
「何故それを早く言わない」
そこで不破は押し黙る。なるほど、不破には複数の言い分があるようだ。その中の幾つかが俺に非があることを、暗に指摘していた。
「その無言の反論を真摯に受け止めるとするか」
「いえ――僕ごときが偉そうにすみませんでした。あの、チーフ……」
「何だ」
問い返さなくても大体分かっていた。こいつが何を言いたいのか。何を勧めたがっているのか。それでも気付いていないフリをした。
「自宅訪問は」
「しない」
きっぱりと断言したことで臆したのか、それとも何を言っても無駄だと悟ったのか、不破は決して質問を繰り返したりはしなかった。
___10
自宅訪問をしないと言う言葉は本気だった。
「そうよねぇ。仕事一辺倒の青柳幹久が社内恋愛? ないない!」
左右に手を振り否定のポーズを取るのは女傑四人衆が一人、黛八千代。小さく笑うのは香椎寧。
女傑3人目、馬渕名子は猫のように目を細め、俺の手の甲に中指と人差し指を置き、つぅと滑らせる。
「恋愛してる青柳クンなんてらしくないわ。なんといっても青柳クンは私たち4人を振った過去があるんだし?」
「……過去を蒸し返すな」
耳の痛い思い出を聞かされたのでは、たまったものではない。すわ思い出話に花が咲くその前に話題を打ち切った。
「だったらどうして私たちにそんな話をしたの? 何か用事でも?」
八女芙蓉は、カクテルグラスの縁に砂糖をまぶし付けたマルガリータで唇を湿らせてから、不思議そうに尋ねてくる。
ここは寧の弟、香椎新(かしいにい)が経営している≪キアロ≫というカフェ店内。
目立たない席を用意して貰い、カクテルを煽る我ら5人という構図だ。店の自慢であるキッシュを頬張り、その味に酔い痴れる小集団でもある。
「依頼をしたい」
個性豊かという表現より、癖のある、と説明した方がしっくりくる4人の女性に向かって短く告げた。
反応はどれも同じ。全員が全員興味をそそられ、好奇心をくすぐられた蠱惑的な目へと変貌する。俺は成功を確信した。
「青柳クンが依頼!? 私たちに!?」
特に名子は露骨に面白がった。わざわざ言葉を区切りながら念を押すぐらいなのだから、相当だろう。
「噂を流して欲しい」
「なぁんだ、それだけなのぉ~」
気紛れ猫は、落胆する勢いも激しいときた。
それでも流布して欲しい内容を聞くなり、4人はにんまりと口角を上げて微笑むのだった。
乗り気になるのに時間が掛かる八千代ですら「それ、ちょっと面白いことになりそう」と言い出した。続けざま、
「相馬ちゃん……じゃなかった。結婚したから香椎姓よね。これからは灯ちゃんって呼ばなくちゃね。
灯ちゃん、ベリーニとピニャ・コラーダ、モーツァルトミルク。あとミモザとミスティアロワイヤルをお願い」
きびきびと働く若きベテラン女性店員――先月、店長である香椎新と籍を入れた従業員だ――に声を掛け、出来上がった順に持って来て貰う。
「青柳クンの未来に乾杯」
鮮度抜群のカクテルグラスを各々掲げ、乾杯の音頭を取った。5種類のグラスが軽くぶつかり、甲高い音を奏でる。
___11
惚れた腫れたは甘い蜜。
外部は、より詳しい情報を我先に得んとばかりに伝え、囁き合う。根掘り葉掘り聞き出したネタには尾ひれが付き、原形を留めない。
俺が非社内恋愛主義を貫いているのは、過去に散々な目に遭い、そんな煩わしさを二度と味わわないためだった。
それなのに、あのお騒がせ娘ときたら、正面から俺をしっかり見据えての体当たり告白。
俺に好意を持っている素振りなど微塵も見せなかったくせに、突然訴えたりするから言わんこっちゃない、今では社内を光速で駆け巡るスキャンダル。
お陰で俺も志貴もいい鴨だ。
正直、志貴の出社拒否を想定していないわけではなかった。
俺だって経験がある。冷やかされている内に、何度か仕事を休みたいとも思った。志貴にその重責が耐えられるだろうか。
社員の中には「よっ、色男。志貴を振ったんだって?」と囃し立てる脳無しもいたが、一睨みもすれば、すごすごと去って行く。
だがこんな茶番ももう終わる。1時間と経たない内に、新たな噂が社内を席巻するだろう。人間拡声器がその役目を担ってくれる。
――誰よ、志貴が振られただなんてウソを言い触らした人。ちゃんと2人付き合ってるんじゃない。
――なんでも青柳クンが彼女にベタ惚れで、拝み倒して交際を申し込んだって話よ?
――志貴さんが休んでるのって、青柳を甲斐甲斐しく介抱してマイコプラズマが感染しちゃったからだそうよ。
噂は広がる一方。真実を知る唯一の人物でもある不破の耳にもその噂は届いたようで、聞きつけるなり苦笑い。
「なにを企んでいるのかと思えば。自宅訪問しないと言った矢先にこれですか。それにしてもやり過ぎじゃないですか、女傑四人衆」
「いや、これぐらい暴走して貰わないと困る。この噂は俺と身近なあの4人が異口同音に仄めかすことで真実味を帯びてくるんだからな」
目には目を。歯には歯を。噂には噂を。
これで俺が振った真実を、塗り固められた嘘によって相殺することが出来る。あとは志貴との交際報道を、俺が認め続けさえすればいい。
だが……別の意味で志貴を苦しめることになることは、重々承知の上だ。
2012.06.20
2025.12.23
←08話
┃ ● ┃
10話→
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
楽天市場
「ダイヤ Tシャツ」 ♦︎♦︎♦︎のグラフ…
(2026-08-07 00:43:15)
懸賞フリーク♪
セブンイレブン限定 ザ・プレミアム…
(2026-08-07 00:01:47)
まち楽ブログ
‘水まん氷’美味しくなってます。
(2026-08-06 20:00:04)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Design
a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: