22話 【君知らず】


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22話 (―) 【君知らず】―キミシラズ―



___千早歴side

早番上がりが重なった柾さんと麻生さんが夕食に誘ってくれた平日午後6時。
場所はユナイソン名古屋店に入っているテナントの1つ、イタリアンのお店。まだ時間が早いこともあって客の入りは少ない。
わずかに落とした照明がくたくたの身体を休ませてくれような気がして、以前からよく好んでこの店を訪れることが多かった。
入り口から遠い席を選び、ウエイターが運んできたレモン水で渇いたのどを潤しながらメニューを決める。
優柔不断な私は、時間短縮のため、上から順番に頼むことにしていた。今日は上から6つ目、ラザニアだ。
2人も早々にドリアとパスタに決め、順調に注文が終わった。私は早速柾さんと麻生さんに切り出した。
「実は、社員寮に引っ越すことにしました」
「ほんとか?」
問い返したのは麻生さん。声こそあがらなかったものの、柾さんも少なからず驚いた顔をしている。
「なんで今更?」
麻生さんの疑問は最もだと思う。
私の実家は名古屋市内にある。縦横無尽に走る優秀な地下鉄もあるのだから、わざわざ移る必要はないのだけど……。
「先週POSオペレータが1人辞めてしまったのはご存知ですか? 当面は私1人で業務を担うことになりました。
店長は人員補充を請け負ってくださったんですけど、本部からは『人員不足により却下』との返事があったそうで。
呼び出しなんて滅多にないと思うんですけど、すぐに対処が出来るように、近くに住んだ方がいいかなと思いまして。
それに、1度ひとり暮らしを経験しておきたかったんです。なので、実は楽しみだったりします」
「ちぃもあのマンションに住むのか?」
「はい。お2人が住んでらっしゃるので心強いです。もう荷造りも済みましたし、今週末に引っ越します」
ユナイソンに勤める独身従業員が1人暮らしを兼ねて店舗に近い社員寮に住んでいるという話は、柾さんから聞いた。
ただし寮とは名ばかりで、実際には立派な賃貸マンション。管理人責任者はいても賄い人は付かないので食堂はない。
言ってしまえば家賃を3割負担で借りることができる、それなりにありがたいシステムなのだそう。
社員同士がルームシェアをすることも可能だそうで、その場合はさらに折半し合えばいいとのことだった。
私の場合は普通に1人住まいとなるので、これからは月々の衣食住のやりくりに四苦八苦する羽目になるだろう。
それもまた、社会勉強だ。
「僕の部屋に住まないか?」
今まで傍観一方だった柾さんが優しげに笑んだ。
「えっ……?」
柾さんからそんな言葉が聞けたのが嬉しくて、火照った顔をこっそり柾さんから背けた。
ちょうどその時、全員分の料理が運ばれてきた。


___麻生環side

「ちぃ、今のは柾の笑えない冗談だから、真に受けない方がいいぞ」
ちぃにはそう言ったものの、恐らく柾は本気だろう。
本能剥き出しの誘いに呆れた俺は、バジルパスタを口に運びながらツッコミを入れておく。
案の定、困り顔のちぃが、俺の言葉にホッとしたのか「で、ですよね」と苦笑いする。
柾の方は、始めから上手くコトが運ぶなどとは思っていなかったようで、袖にされても気にしていなかった。
「それにしても急な話だな」
その証拠に、柾は淡々と話を進めていく。
「そうなんです。辞めると聞いたのが2週間前だったので、ほんと、まさに青天の霹靂」
苦笑しているちぃの元に、ラザニアが置かれた。ものすごい勢いで湯気が立ち上っている。
「それで申し訳ないんですけれど麻生さん。配線について教えて貰えますか? 業者の手配とか、よく分からなくて」
「だったら俺が出張ろうか?」
「え……本当ですか?」
「あぁ。……ってなんだ、柾?」
「いや」
柾の言いたいことは分かっている。大方ちぃの手助けを請け負った俺への無言の非難だが、正直知ったこっちゃない。
大のおとな、しかも『柾直近』なのだ。ここで本音を吐き出しにこない、軟弱者に成り下がったお前が悪いんだ。
「そういうのって、何日程度かかるものです?」
電器系統には強くないであろうちぃが尋ねてきた。
「何日もかからない。でも余裕をもたせておこうか。さしあたっては必要なものから順番に繋げていこう」
「助かります!」
器用にも、音を一切立たせないという小さな柏手(かしわで)を、ちぃは打った。
「あ! じゃあその日の夕食、そのまま食べていかれませんか?」
屈託なく微笑むちぃへの反応が遅れた。それとなく柾の気配を探ってみるが、意外にも無反応だ。
「……ちぃの手作り?」
「はい。でも期待はしないで下さいね。得意ってわけじゃないんです」
そう言って、はにかむ。
俺も男なのであり、女性恐怖症はまだ治らないのだが、慣れ親しんだちぃが相手なら話は違う。
「いや……夕飯の期待ってより……」
(そのさらに後への期待、ってのがあるだろ?)
そんな不埒な考えがよぎった俺自身だったが、ちぃ相手にそんな行動を取る自分の姿がいまいち想像できず。
(ほっとするような、情けないやら……)
「もちろん、柾さんもですよ?」
「……僕?」
(柾もか……。そりゃそうだよな。ちぃの好きな相手は柾なんだし)
再びちらりと柾を見やる。
ポーカーフェイスを取り繕っているものの、内心喜んでるんだろうなと、わずかに意気消沈した俺は思ったのだった。
(……ん? なんで俺、がっかりしてるんだ???)


___柾直近side

急に話を振られたので、咄嗟に何の話だったか反応に遅れた。麻生が配線の手配を手伝うところまでは聞いていたのだが。
さすがに『途中からラザニアを口に運ぶ千早に見惚れていて上の空だった』とは言えない。
熱いラザニアをふうふうと冷ます千早の唇がどれほど魅惑的だったか、麻生は気付いていないに違いない。
麻生にはご愁傷様、千早にはご馳走様、だ。
「えぇ、ご迷惑でなければ。料理を振る舞う機会なんて家族以外になかったので緊張しちゃいますけど……頑張りますので」
千早の言葉の端々を組み立ててみる。麻生の配線の手伝いが終わった後、彼女が手料理を振舞ってくれるという話だろうか。
「光栄だ。喜んで」
「よかった!」
心の底からの安堵が伝わってくる。どうやら推理は当たっていたようで僕も胸を撫で下ろした。
「あのマンションは男女別に分かれてるわけじゃないからな。注意しろよ、ちぃ」
麻生はなぜか僕を見る。
「ちゅう、い?」
まるでその単語には心当たりがありません、という顔をする千早。いや、だからな、と麻生は説明を始める。
「知らない人がチャイムを鳴らしても気安く出るんじゃないぞ。NHKは銀行振り込みにしておくこと。夜中のチャイムは全て無視」
「……麻生、それは過保護過ぎるんじゃないか?」
「本当。麻生さんってば、私のお兄さんみたい」
ころころと笑う千早に、麻生はやれやれと頭を掻き回す。
「あのな、ちぃ。これはお前さんに必要なことだから言ってんだ」
麻生が再度視線を寄越してきた。その目は「大丈夫か、この嬢ちゃん?」と如実に語っている。
「何かあったら、僕か麻生のところに来ればいい」
「ありがとうございます。やっぱり心強いです!」
彼女は手離しで喜んでいるが、果たしてこれは素直に喜ぶべきか否か。
この即答っぷりは、僕と麻生が男として意識されていないとも取れるのだが。
それ以上は何も言えず、僕も麻生も黙ってパスタとドリアを食べ続けた。
近い距離に住んでくれるのは嬉しい。だがこれは正直、蛇の生殺しではないだろうか。
複雑な想いを抱えつつも、千早歴の引っ越し劇は、こうして始まったのだった。


2008.08.06
2020.11.10


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