「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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11話 【Three People!】
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11話 (杣) 【Three People!】
5月4日 杣庄進
「進! あんた、いつまで寝てるつもり!?」
乱暴に襖を開ける音、無作法な足捌き。
挙句の果てには、うつ伏せに寝ている俺の背中の上に置かれる23.5cmの足。鼻孔をくすぐるのは煙草の煙だった。
「勘弁しろよ……。今何時だと思ってんだよ……」
この暴力女の前では無意味な抵抗と知りつつも、少しでも煩わしい音から解放されたくて、手短に枕を手繰り寄せ頭上を覆う。
「ごら。てめ、早く起きねぇか」
ドスの利いたハスキーな声。これ以上こいつの機嫌を損なわせると、命の危機に直面してしまう。
ご要望通り枕を元の位置に戻し、起きる意思を匂わせると、今度は掛け布団を剥ぎ取られた。まるで追い剥ぎに遭っている気分だ。
「何だ、まだ9時半じゃねぇかよ……」
早朝市場へ出掛ける身としては、休日ぐらい昼近くまでゆっくりしていたいのに。そんな些細な願望を抱くことすら許されないのか?
枕元の携帯電話で時間を確認し、同時に着信・受信の有無もチェック。何もナシ。
「さっさと起きな。あんたに店番頼みたいんだから」
「店番ー? 何で」
「バアさんがぎっくり腰だっつっただろー? 昨日の晩の出来事を忘れたのかよ、このクラゲ脳」
果たしてクラゲに脳など備わっているんだろうか。
いいや、預貯金を全額賭けてもいい。クラゲは脳を持たない。生物学で習ったのを覚えてる。
この女の例えはどこまでも無茶苦茶だ。しかも百も承知で言い放っているはずで、だからこそ始末に負えない。
「あたしは家事、あんたは店番。いいね?」
「店番は唄(ウタ)にやらせろよ……」
「唄に店番なんてやらせてみろ。5分後には客と遊びに行っちまうよ! アイツをアテにすんなっつってんだろ? 勉強しねぇ奴だな、お前も」
爽やかな畳が香る部屋でお構いなしに煙草を燻らすコイツは、生物学上では女のなりをしていながらも、出て来る言葉は実際の男以上に汚い。
案の定、男は近寄らない。その代わりと言ってはなんだが、職場では大いにその性格と口調が役に立っているという。
泣く子も黙る『徒花の茨(アダバナのトゲ)』とは、この女のことだ。
「じゃあ茨(イバラ)がやれば?」
最大の禁句を口にしてしまったらしい。気付いた時には首を締めあげられていた。
「あたしに出来るんなら、とうの昔にやってんだよ。こちとら公務員だからバイトが出来ねーだけだ」
「それは有償奉仕の場合だろ? 無償奉仕なら構わな……」
「はァ? なに? あんた、このあたしにボランティアやれっつってんの? あー、おっかしい!」
「そもそもどうしてボランティアっつー発想になるんだよ。店番も家の手伝いだろ? 家族が困ってんだから」
「家族が困ってる、か。進は面白いことを言う。じゃあ、この場合はどうだ?
あんたが店番をしてくれないからあたしが困ってる。さぁ、あたしを助けてごらんよ。血の繋がった姉弟じゃないさ」
埒があかない。全面降伏の白旗をあげるなら、もっと早い段階でしておけばよかった。
天上天下唯我独尊を地で行く刑事、杣庄茨(31歳)を姉に持ち、「趣味は恋です!」が信条の杣庄唄(24歳)を妹に持つ俺、杣庄進。
貴重な休日は、こうして理不尽に潰されていくのだった。
大須という土地に相応しく、祖母が営んでいるのは古着屋だ。店と家が一緒になっている造り。
昔は婦人物を扱っていたのだが、俺や茨、唄が高校~大学生の時分にバイトを兼ねた店番をしている内に、各々の得意分野ゾーンを作ってしまった。
俺の場合はジーンズ。茨はカジュアル物、唄はブランド物……という具合に。
冷やかしついでに遊びに来てくれた友人は多い。類は友を呼ぶかのように客層、客数が増え、同時に売り上げも増加していった。ありがたいことだ。
今もこうして、茨は非番の時、俺は休日の時に店番に立つことも、ままある。
「この店、次は唄ちゃんが継ぐの?」
「ウタがこの店を継ぐ時は、素敵な旦那さまと結婚する時かなー」
店に出れば、案の定こんな調子で、妹の唄が来客の男性と世間話がてらの恋愛駆け引きを繰り広げていた。誰に似たのかどこまでも器用なヤツだ。
「おーい、唄。お前、あがっていいぞー」
「あ、お兄ちゃん」
俺との関係を誤解されたくないのか、唄は敢えて客の前で俺との関係をさりげなく――しかし速攻で――暴露した。
そんな小さな努力が必要になってくるとは、恋愛も大変だ。
「唄ちゃん、あがるの? じゃあ今から一緒に出掛けない?」
なるほど、そう来たか。
これを止めるのもどうかと思い、結局は唄の好きなようにさせてやった。
唄もいい大人なんだから、身を守る術は知っているだろう。それに、いざという時は茨がいる。
チンピラ・ごろつきどもがその姿を見れば、鬱陶しげに唾棄しつつ方向転換する……そんな嘘のような本当の話を持つトゲの塊が。
唄はマキシ丈のスカートを翻すと鞄を取りに行き、出逢ったばかりの客と出掛けて行った。行ってらっしゃい。
祖母の友人が、お喋り目的で来店した。そういう人には家の方に回って貰う。一丁あがり。
唄目的で来店した客には、外出している旨を告げておいた。が、一緒に出掛けた相手の性別については伏せておく。
いつ起こり得るか分からない泥沼劇を、未然に防いでおく必要があるからな。それも、兄である俺の勤めだろう。偉いなー俺。
茨目当ての客? そんなものはいないので、とにかく楽である。
生粋の客がぱらぱらと足を運んできてくれる。それでも暇なことに変わりはなく、睡魔と闘っている内に閉店時間を迎えた。
「お疲れさん」
茨が缶コーヒー片手に姿を現した。俺に向かって放る。まるで張り込み時間の交代場面のような錯覚を覚えた。やめろ、その世界に俺を巻き込まないでくれ。
「サンキュ」
「さっき唄が帰ってきた。あいつにしては早い御帰宅だ」
「だな。まだ6時半だ」
「唄には夕飯を作らせてる。……何にしろ、今日は助かった。あたしも進も、休みでよかったよ」
「チームワークは不可欠だよな。何たってほら、俺らアレだろ?」
俺がニッと笑うと、茨も口角を上げ、不敵に笑った。
「『茨の道を進む。……唄いながら』」
「そういうこと」
両親はいない。理由はどうあれ、この杣庄の家には祖母と茨、俺と唄の4人が住んでいる。
だから4人で力を合わせればいいだけの話だし、俺は今の生活に満足している。
「明日は俺も茨も仕事だよな」
「仕事だ。ひょっとしたら明日は帰れないかもしれない。進、大丈夫か?」
「大丈夫に決まってる」
俺は缶コーヒーを飲み干すと言い切った。
「今まで大丈夫だったんだ。だから平気だ」
本当はそんな保証なんてどこにもない。だが、まずは自分たちにそう言い聞かせておかないと、心が折れてしまいかねなかった。
茨もそれを承知している。だからこそ、平然を装って是と頷くのだ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ご飯できたよー」
唄がひょっこり顔を出す。上手に作れたとき、唄は機嫌よくこうして呼びに来る。早く褒めて欲しくて堪らないとばかりに。
「おー、すぐ行く!」
「あたしゃ腹ぺこだよ」
今は腹を満たそう。それが終わったら、4人で和気藹々と団欒しよう。
風呂に入って1日の疲れと汗を落とし、雑学が学べるテレビを観て頭がよくなった気分に浸りながら、今日は眠りにつこう。
そして朝を迎える。いつものように。
2010.05.03
2019.12.11 改稿
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