31話 【Execute command!】


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31話 (―) 【Execute command!】



【歴side】

衝撃の事実を聞かされ、その場で兄に問い質しに行きそうになった。それほど私は怒っていた。それを押し留めたのは不破さんだ。
「歴さんには、このまま僕の彼女の振りをして欲しいんです。ほとぼりがさめた頃、婚約を破談させたい」
展開は、兄が喜ぶものになりつつある。兄によって敷かれていたレールの上を、どうやら走らねばならなさそうだ。
「社員旅行のとき、私に『頼みがある』と仰ってましたよね。不破さんが言い掛けていたのは、今回のことだったんですか?」
不破さんが煮え切らない発言をしたことを覚えている。はたしてその件と内容は一致しているのだろうか。やっと話は繋がるのだろうか。
「よく覚えてましたね……。そうです。あの時既に、事態は動いてました。でも、まだ凪さんは祖母の存在すら知らなかったはずですよ」
「あの時私に何を依頼しようとしていたんですか? 今回のように、疑似彼女の役を私に演じて欲しいと……?」
「そうです。今回頼もうとしていた内容を、そっくりそのままお願いしようと思ってました。
前回と違うのは、凪さんの策略によって、後に引けなくなってしまった状況に置かれている、という点ですけどね」
もしあの時点で『恋人役をお願いしたい』と頼まれていたら、私はどうしただろう? 断っただろうか。それとも承諾しただろうか。
多分――分かりましたと頷いていたと思う。
縁談を断る体裁のひとつに、『彼女がいるからムリです』という嘘がまかり通るケースだってあるだろう。この断り方ならば誰も傷付かないから。
所謂、嘘も方便というやつだ。
不破さんは、交際の浅い『彼女』の存在を匂わせ、刀自に見合い話そのものを諦めさせようとしたに違いない。
『恋人』だと結婚の二文字がチラつくけれども、『彼女』というステータスならまだ猶予が貰えると踏んで。
だから不破さんは私に彼女になって貰いたかったのだ。彼女なら『別れた』という展開になっても、それじゃあ仕方ないねで済む確率が高いから。
他に縁談を断る方法はなかったのだろうか。仕事を理由に? 確かに不破さんの年齢ならば、平均年齢と比較すれば早いだろう。
でも刀自には余命が限られてしまっている。曾孫の顔が一刻も早く見たいのだ。『仕事と並行して頑張れ』と叱られるのがオチかもしれない。
透子先輩には伊神さんという恋人がいるから、恋人の振りをして貰うことができない。だから私に声を掛けるしか道が残されていなかったのだ。
恐らく透子先輩を巻き込みたくなかっただろうし、伊神さんとの時間を邪魔したくない気持ちもあったはず。
それに、弟さんや刀自には透子先輩の存在すら伏せておいた方が賢明かもしれない。知れば、接触を計ろうと動きかねない。
実際にユナイソンまで私を視察しに来たように。そこを攻められ、ボロが出ようものなら、この『偽彼女計画』は頓挫してしまう。
「弟は、刀自の命令ならば素直に従います。僕は渋々ですが、あいつはいつだって進んで……喜んで。
今回の縁談にしてもです。相手がどんな女性であろうと、祖母の命令だから結婚する。
弟のそんな姿勢が、僕には許せない。愛のない弟に腹が立つんです。相手に好意を持って欲しい。せめて興味だけでも」
一途な不破さんが言うと説得力が増した。話を聞くに、弟さんは自身の想いよりも『どれだけ刀自の期待に応えることができるか』に重きを置いているのだろう。
「歴さんを巻き込むのは本当に申し訳ないと思ってます。歴さんには、柾さんと麻生さんがいますから。
こうして歴さんを利用しようとしている僕ですが、これでも狭間に揺れて、葛藤しているんですよ」
それは知っている。一度は『やっぱりいいや、自分で解決してみせるから』と言葉を濁し、撤回した不破さんだから。
きっと今日私に告げるまで、ずっとずっとひとりきりで考え抜き、相当悩んだに違いないのだ。
「分かります。だって……、不破さんに味方がいるようには思えないですもの……」
私の言葉に、不破さんは寂しそうに笑う。
不破さんのプランは本格的なようだ。肝が据わっていると同時に、妥協しない潔さも見受けられる。恐らく、そこまで徹底しなければ乗り切れないのだろう。
「表向きは刀自の希望通り、『為葉さんの身内』である歴さんと付き合います。
社員たちは当然疑問に思うでしょうね。何せ、今まで散々透子さんにアタックしてきた僕だし、柾さんや麻生さんと仲のよかった歴さんですから。
僕たちが付き合うなんて、誰も信じないはず。だからこそ、キスの真似ごとをして本気だと触れ回ることも辞さない」
物騒なことを言い出したものだ。私は慌てて問い返す。
「えっ? 職場でそこまでする必要がありますか!?」
「刀自が来店するようになってしまいましたからね。従業員を掴まえて、本当かどうか聞き回るぐらいは平気でするでしょう」
不破さんの説明に穴はないだろうかと探しかけたけれど、今の段階では「ない」と判断せざるを得ない。
確かに、敵を欺くにはまず味方からという慣用句もあるけれど――。
「破談にしたければ、方法は1つだけ。このように、歴さんが人身御供となることです」
「このように……って……」
人身御供とは大袈裟な表現だ。けれど、それしかないとも思う。私は刀自本人と接触してしまった。時間はもう巻き戻せない。
兄が吹聴した所為で、私と不破さんが付き合っていると、刀自と祖父もすっかり信じ込んでしまっているのだから。
「偽彼女になって貰うことは、歴さんにとって何のメリットもない。さっき言ったように、仲睦まじいお芝居が必要なシーンも出てくる可能性だってある。
それでもやってくれますか?」
最終確認だった。ここで私の進退は決まる。
拒むことも出来ただろう。でも、不破さんの力になりたいと言ったことは事実だ。勇気を振り絞って、私は言った。
「勿論お手伝いします。あの時不破さんに、『困っていたら助けになる』と申し出たのは本心です。無下には出来ません」
「あれからそんなに真剣に考えててくれたんですか? 申し訳ない……」
「力になります。考える猶予はないんですね? 目安を設けて遂行しましょう」
「……なんて頼もしい言葉だろう。歴さんの底力は相当なものですね。僕なんかより、よっぽど肝が据わってるや」
慣れない賛辞に照れてしまう。
「……聞かせて下さい。不破さんは透子先輩を諦めたんですか?」
私の質問に、「あー……」と顔を背けた。
「これを言うと未練たらしいと思われるかな……。透子さんのこと、諦めようにも諦められないんだ」
思わぬ本音に私まで赤面してしまう。ここまで熱烈に愛されてるなんて、透子先輩は罪なひとだ。
「僕の本命は、何があっても透子さんです。押しても駄目なら引いてみよう作戦で、透子さんと真逆のシフトに変更しようと思います。
透子さんなんて、『あの馬鹿犬、急に大人しくなってどうしたのかしら。いなきゃいないで調子狂うじゃない』ってソワソワすればいいんだ」
「ふ、不破さん……」
「冗談はともかく、僕は透子さんと距離を置き、歴さんと親密になります。柾さんと麻生さんの前で、意味深な態度を取ります」
「は、はい……!」
「そんな不誠実な僕ですから、勿論歴さんは歴さんで、柾さんたちを横目に見てても構いませんからね」
なるべく気楽にいきましょう、と不破さんは笑む。
「何でしたら、僕から柾さんたちに事情を説明しますよ? その方が、歴さんも安心では?
さっきは『誰にも言わない』と言いましたが、柾さんと麻生さんなら信用がおけます。誰にもバラしたりなさらないでしょう。
それに、2人が知ってくれていたら心強いかもしれないですし」
あぁ……、逃げ道を用意してくれてるんだな、と、不破さんの譲歩が嬉しかった。
でも、そこまで柾さんたちに甘えてしまってもいいものだろうか。――よくないに決まってる。私はふるふると首を横に振った。
「退路を断ちます。私の問題は、後回しで結構です。まずは不破さんの問題を解決しましょう」
「歴さん……」
不破さんは、本当にそれでいいんですか? と、心配そうな目を私に向けていた。
「大丈夫です。必ず乗り切ってみせましょうね、不破さん」
不破さんにエールを送ると共に、自らを鼓舞させる。兄の姦計は、私にとって決して無関係ではないのだ。
柾さんと麻生さんから逃げたいがため、猶予が欲しいのは紛れもない事実。
この期に及んで柾さんたちとの間で揺れていたし、いま不破さんを選べば、しばらくは2人を選ばなくても済む『理由』ができる。
けれども今回引き受けたのは、それとは全く別の理由だ。
不器用な私は、ひとつずつ問題を解決していかなければ、気もそぞろで柾さんたちに向き合えないと思ったのだ。
だから今は、不破さんの問題をクリアするために全力を尽くそうと思う。その任務が完了次第、『紳士協定』について頭を悩ませることにする。


【凪side】

不破くんとどこか落ち合えないかと思っていた矢先、タイミングを見計らったかのように向こうから連絡が入った。
時刻は20時を回った頃だった。大方俺の帰宅を待って電話してくれたのだろう。
内容的に、人に聞かれるのは本意ではない。機密に適した自分のマンションで話せるのは有難かった。
開口一番、不破くんは「やってくれましたね」と疲労混じりの嘆息をつく。
何のことだい? としらばっくれても無駄だろう。代わりに「ごめんね」と謝罪すると、
「ごめんで済まそうとしてます? 僕、初めて凪さんを殴りたくなりました」
「電話のお陰で助かったよ」
「全くもう……。凪さんのことです、僕がこうして電話をしてきたということがどういう意味を持つのか、既に予測済みなのでは?」
「歴に言ったんだね? 何て言ってた?」
「『最ッッ低』から始まり、『しばらく顔も見たくありません。職場が同じなので仕方ないですけど。……ほんともう無理』だそうですよ」
「……いや、聞きたかったのは俺への反応じゃなくて、これからどうするのかってことなんだが……」
思わぬダメージを食らい、服の上から胃の辺りをさすっていると、「あぁ、そっちですか」と不破くんは言う。くそ、さてはわざとだな。
「歴さんが僕の彼女役を務めてくれることになりました。1年以内に別れる方向へ持っていき、破談させる手でいこうと思います」
「――つまり……恋人のふりをするってことか」
「恋人ではありません。彼氏彼女の付き合い程度です。恋人だと『重く』なってしまうでしょう? 色々と」
「まぁ、別れにくいか。それに、きみと歴が付き合うなんて誰も思ってもみないことだろうから、恋人だと言われて信じられないだろうし。
確かに交際が始まったばかりの彼氏彼女という設定の方が、しっくりきそうだ」
「でしょう? ですので凪さんにお願いがあります。……勿論聞いて貰えますよね?」
会話の端々から不破くんが怒っていることが伝わってくる。だが、不破くんにとっては縁談を白紙に戻せるチャンスでもあるのだ。
大方、こうなったら暴れロデオを乗りこなしてみせようじゃないかと腹を括ったに違いない。
「お願いとは?」
「僕と歴さんのシフトを全く同じものにしてください。加えて、僕と透子さんのシフトを可能な限り重ならないようにしていただきたい」
「お安い御用だ。表向きの理由は……そうだな、カイゼンとでも言っておこうか。いいよ、今日の内に組み直す。明日提示しよう」
本来シフトは各部署ごとに決めるものであり、業務課はノータッチなのがセオリーだ。
そんな現状でシフトを大きく替えることは異例中の異例であり、何かしらの建前が必要になってくる。
幸い、ユナイソン本部直々の通達であるカイゼンを行うこと――内容はなんでもいい――が適用できるのは僥倖だった。
「だがそんなことをして何になるんだ?」
素朴な疑問を問い掛けると、不破くんは電話越しに笑った。
「その方が意味深じゃないですか。信憑性が増しません?」
「確かにそうだが、……まぁいい。こうなったらユナイソンにとって、プラスに働きかけるようなシフト作りにしようか」
「え、普通に凄くないですか、それ? さっすが元・人事部ですね。え、実は凪さんって凄い人?」
「きみね……」
「でも今日は徹夜でしょう? 精々頑張って下さいねー」
「根に持ってるなぁ。期待を裏切って申し訳ないけど、多分小半時で終わるよ……」
「……何でたったの30分で可能なんですか?」
「それは企業秘密だ。それじゃ、お休み」
「ちょっと待って下さい! 教えて下さいよ凪さん! 凪さ――」
やれやれ、一体どこに興味を持っているんだか。シフトの組み直しより、よほど偽交際の方が難しいだろうに。
通話を切断したスマホをデスクに置くと、PCを起動させる。立ち上がるまでに夕飯の準備に取り掛かる。
作るのが面倒だったので、仕事帰りにユナイソンの食品売り場に立ち寄り、総菜を買っておいたのだ。
炊飯器から必要な分だけの炊き立て米をフライパンに移す。多少骨を折って、炒飯ぐらいはお手製にしなければ。
電子レンジで総菜を温め、即席炒飯を作って完成だ。空腹が限界まで来ていたので、貪るように頬張る。
あっという間に完食し、調理器具を洗って夕飯終了。珈琲を淹れてからPCに向かった。
最近は使っていなかったアイコンをクリックする。かつて人事部にいた頃、必要に迫られて組んだ自作ソフトである。
プログラミングの勉強と同時進行で作ったものだから『素人が作りました候』で、それはそれは酷いプログラミング言語の羅列だった。
見かねた情報処理系大学出身の同僚が直してくれたお陰で何とか様になったこのソフト、実は共同名義で販売中だったりもする。
個人で買ってくれる物好きもいるようで、忘れた頃に記帳すると、たまに口座に代金が振り込まれていることもある。
そんな曰くつきのソフトを起動させると千早歴・不破犬君・潮透子の名前を入れ、不破くんの『お願い』通りの条件を入力した。
あとはクリックを押すだけでソフトが勝手にシフトを組んでくれるというカラクリだ。それが企業秘密の正体。
「……早」
小半時も掛からなかった。ものの30秒で正を弾き出す。
「こっちで食っていった方がよくないか? 俺」
残りの29分は、このソフトの売り込み方と販売価格を見直すことにしよう。


*

「……お前なら分かってくれると思っていたよ、歴」
俺にとっては好都合な展開だ。結婚相手が不破家ならば何の支障もない。
歴の伴侶に柾や麻生などはもっての外だ。ヒメからは正式に断わられてしまっているし。
柾や麻生といった魔の手から歴を救うことも出来るし、ことは一石二鳥だった。
まさかここまで運が味方してくれるとは。
2人の交際は『フリ』とは言え、そこから恋に発展する可能性だって十分ある。
そのためにも、それとなく2人が恋仲に発展したことを広めなければ。
歴は、1つだけミスを犯した。
1年という期間を設けたのは大きな間違いだった。柾や麻生が、この先1年も待つと思うか? 
ただでさえ、奴らは1年という縛りが存在していることなど知らないというのに。
たった1人の女のために――しかも偽とは言え彼氏ができた女のために――柾や麻生が待ってくれるわけがないだろう。
歴のことだ、大方どちらを選ぶかでまだ悩んでいて、猶予が延びたと胸を撫で下ろしているに違いない。
どちらかを選ぶまで、『好いてくれている』と思っているのなら大間違いだ。そんな虫のいい話、あるはずがない。
柾も麻生も、お前から遠ざかって行くよ。ものの1ヶ月……いや、たった数週間で。
だから歴、お前はそのまま不破くんとくっ付いてしまえばいいんだ。



2014.05.09
2020.01.27 改稿


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