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テーマ: 海外生活(7808)
第29章「自営」


真夏のマレーシアから秋も終わりのオークランドに。
子供達も大分学校になれて、友達が家に遊びに来るようになっていた。
一方ワイフの状態は、私の帰国後から二人で勤めて散歩に出るようにして、体調を元に戻すように努力した。
そのかいあってか、帰国後約三月でほぼ体調も元に戻った。

私の帰国前から子供達は近所のサッカークラブに所属してサッカーを始めていた。
当時住んでいたSt. HeliersにはEastern Suburbsという伝統あるクラブがあって、セニアクラスでは全国優勝を争う常連だという。
私の留守中、子供達が週末に何もする事がないので、なにかスポーツは出来ないかと探していたところ、丁度クラブのミジェット(幼年)クラスの募集が目に付き申し込んだという。

子供達とスポーツについては別の章で触れるとして、話を先に進めよう。

まず何を始めるか?が問題であった。
1) 当時自分に有するコンタクトを書き出してみると、圧倒的にNZ国内の木材関連業者が多い。
2) 一方日本にも商社などコンタクトも多い。
そこで考えたのが木材製品の輸出であった。
幸い先にも書いたがNZ来た当時のコンタクトはまだ有効であり、早速電話して情報を集めてみる。

この時点では日本からのNZへの輸入は除外していた。
NZの市場が非常に小さかったからである。
当時のNZの総人口は300万人といわれていた。


次に日本である。
NZから「何か」を日本に輸出できないか?
何がいいのか? 丸太? 製品?

市場が存在する反面競争も厳しい。
どうするか? ????である

まずは帰国の挨拶も兼ねて、昔NZ国内のコンタクトを尋ね歩いてみる事にする。
とくに、タウランガのMatakana島の製材工場の工場長だったPeterは私のNZの「お父さん」と言っても良い存在で彼にアドバイスを求めてみる。

ある日彼の紹介でマウントにある集成材の工場を訪ねた。

その工場はフィンガージョイント(縦継ぎの集成材)を作っていたが、そこのドッキングラインを見た時に、なんてもったいない材料の使い方をしているのか?と感じた。
それは当然で、節を含んだ製材から節の部分だけをカットし、それをクリアー(節なし)の縦継ぎ集成材としてフィンガー加工してゆくのである。


当時のNZの輸出材の95%はラジアタ松であった。
ラジアタ松はNZが長年掛けて品種改良したNZの気候に適した、そして成長の非常に早い樹種であった。
特にNZ北島タウポ、ロトルア地区は年間降雨量も多くNZ一の木材産地と言ってもよいエリアである。
このラジアタ松は水がないと育たない。 それも大量の水を必要とするいわば水太りの樹種である。
この為日本での市場性は非常に低く、当時は梱包用材として市場しかなかったのである。
これは最初に日本にラジアタ松の持ち込んだ商社の売り方のミスであるが、今となっては覆しようもない事実であった。

そして、このファインがージョイント製品は無節の製品を作るために、節の部分を除きその部分は捨てていたのである。
捨てられた切れ端は近所の養老院でファイーウッド(薪)として暖炉で燃やされ、よく燃える薪として養老院から感謝されているという。

その日はそれが非常に心に引っかかった。
帰りの車の中でもBin(ゴミ箱)に捨てられた製材の切れ端の山がずっと心に浮かんでいた。
もったいない。
何かに使えないだろうか?


オークランドに戻りマレーシアに居た頃仲の良かった木材専門商社の駐在員に電話してみる。
実はこの商社とは実に不思議な縁がある。
大阪の心斎橋に本社を構えるA社であるが、私がまだ日本の船会社で働いていた頃の荷主でもあった。
当時は同じマレーシアでもSabah州からの丸太の輸出が盛んで、A社もサンダカンに駐在員を置き日本向けに丸太を輸出していた。
当時このA社の社長は創業者から数えると3代目に当たったが、家業を継ぐ前に大手総合商社のM社の鉄鋼部門で勉強されてから3代目として家業を継がれた。
ほぼ毎週大阪から東京に出てこられ、丸太の買い手さんを回られて最後に新橋の我々の事務所に立ち寄られ、羽田から帰阪されるのが常であった。

そして1985年の8月22日。
彼は我々の事務所での商談を終え「お邪魔しました。」と元気の良い声で挨拶され、羽田に向い、運命の日航123便に搭乗されたのである。
航空事故史上最大の事故に数えられる 日航御巣鷹山墜落事故である。
体格の良い、カラリとした性格のスポーツマンであられたが、我々が彼の最後の面会者になろうとは、事故を知った後でも信じられなかった。
今でも元気のよい彼の「ありがとうございました。」と言う声が耳に残っている。

そう言った因縁めいた物があるのか、後年このA社とは長年に渡って取り引きが頂き、四代目社長(亡くなられた社長の弟)ともなぜか不思議とウマがあった。


さて話しを元に戻して、近況報告から商売の話に移り日本に向けに何かやってみたいと話してゆくうちに、壁の内側、柱と柱の間に壁を支えるための「間柱」を作れないか?と言う事になった。
既存の間柱はソリッド(むく)で反ったり、曲がったりの不良率の発生が高く結構使えないものも多いという。

そこで思いついたのが集成材工場で捨てられている節の部分を使った「縦継ぎ」のF/J(フィンガージョイント)ボードである。

翌週、貰ったサイズを元に再び工場へ出向き、こちらのアイデアを伝えてサンプル製品の製作を依頼する。
無論サンプルも簡単に作れるわけではない、材料として使用する 捨てていたOff cuts(切れ端)のグレーディングも一応しなければならない。
しかし、工場としてみれば今まで捨てていたものが売れると言う事にかなり驚いたようであった。
こうして何回もの打ち合わせと試作を経て、工場と一緒に手探りで始めたサンプルが20ftコンテナ一本分出来上がったのは2ヶ月近く経ってからである。
ここでも以前に自分がNZでやっていた事が非常に役に立った。
図面だけを渡して製作を依頼するのではなく、自らが工場に入って工員達と働くのである。 やって見せるのである。
最初は半信半疑であった連中もやって見せる事によりついてくる。
グレーディングにも立会い、細かい指示をだしてやる。
大体において西洋社会で工場労働などの単純労働に従事する人間に、ファジーな基準を教えるのは非常に骨がおれる。
なぜなら、彼らは何時も黒か白かの単純な判断で作業をしているからである。
しかし、それも此方が根気良く指導してやる事によって、ある程度は改善される。

早速最初のコンテナを輸出する。
しかし満を持して送ったコンテナも結果的には評価は今ひとつ。
最初はよかったが、時間の経過(乾燥することにより)とともにやはり曲がり、反りが出るのである。
壁の内側に入れるだけに曲がり、反りは禁物である。
それでも当時日本市場にはF/Jの間柱は存在せず、私の作った製品が初見参であった。
値段が安いのとNZからという珍しさで初回は40ftコンテナで4本ほど発注を頂いたと思う。
しかし不良率は一向によくならない。
当時は2箇所の工場に発注していたのだが、工場によって製品の出来に大きな差が出てきていることも判明。
何とかしなければ。


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Last updated  2007.06.04 08:14:47
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