ヒロガルセカイ。

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柊リンゴ

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2008/11/15
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「もう雨が降り出すから、早くお家に帰ったほうが良いよ」

 今にも身を投げようと切迫した人に言う台詞だろうか。
タイミングを逃し手摺から手を離すと「帰りたくないのです」と呟いた。
 こんな事を言っても聞いてくれないだろうし、相手にされないとわかっている。
でも、行き場の無い憤りとこみ上げてくる悲しみはとめられなかった。

「そう。んー。傘を持っていないみたいだし。ここにいたら濡れるだけだから、おいで」
「……え」

「俺の家がすぐそこだから。雨が止むまでいたらいいよ」


「夕立を舐めるなよー?」
 ふふっと微笑んで、顔を覗き込んだ。


「おいで」

 白い小菊を抱えたお兄さんは瞳が赤かった。
初対面だけど、このお兄さんに悲しい事があったのだろうかと心配になり、先を歩く背中を追った。
 しかしどう話しかけて良いものかわからない。
陸橋を渡り路地裏へ入ると狭い道になった。両堀の上に痩せた猫が居座っており、お兄さんにはミャアと甘い声で挨拶したくせに僕を見て耳を立てた。

「あの」

 猫に怯えながらお兄さんの背中に呼びかけると「なあに?」と返事をする。
でも僕を見返ったのは小菊だけだ。


「きみは優しい子だね。泥の中に飛び込もうとしながらも、俺を気にかけてくれるの」
「それは……」

 僕は自分の悩みや憤りを棚に上げて、お兄さんの赤い瞳が気になっていた。

「ああ、急がないと。降ってきたね」


 痩せた猫が堀から飛び降りて駆けていく。金木犀の葉を揺らす大粒の雨が降り出した。

「ついておいでよ」
走る背中を追いかけて飛び込んだのは花屋の店先だった。
「早く入って」


 僕を出迎えてくれたのはバケツに入った沢山の花だ。
白や黄色の小菊にココア色の大輪菊。夕焼けを思わせる茜色のダリアにアプリコット色のストック。
控えめに咲くピンクの藤袴の隣には、花弁を幾重にもまとった真紅の薔薇と共に優雅さを競う透明感のある白いカラー……。

 どの花も花弁が瑞々しくて葉も青く、生命力に溢れている。
華やかな存在と清らかな香りは僕の気持を浄化していく。
歩く度に軽い音を鳴らす御影石の床も僕を和ませ、思考を落ち着かせてくれた。

「親父にまた拾ってきたなと怒られるかな」
「は? 拾った?」

「うん。俺はよく猫や犬を拾うので、親父に怒られてばかりさ。こんな時期によろよろ歩く野良は死が近いって。俺もわかってはいるのだけど捨て置けなくて……今日も見送りをしてきたのだよ。ああ、なんだかまた悲しくなってきた」
 レジ台に頬杖をついて物思いに耽りそうな雰囲気を醸し出したので、僕は慌てた。

「あ、あのう。帰ります……」
「どうして。雨が降っているのに」
 頬杖をついた先の指が唇に触れている。寂しさを隠す事無くその仕草に表している。

「僕は……野良ではありませんし」
「親に承諾がいる年では無いでしょう。良ければ泊まっていって。俺のために」


 大粒の雨が舗装された道を激しく打っていた。
その跳ね返りの音もすさまじくてお兄さんの声を弱々しく感じさせた。


(お兄さんのために?)


 聞かれないから自分の事を話さない、そんな素性の知れない僕を部屋に入れて、その上自分のベッドを使わせてくれた。

 先輩に襲われた直後で警戒したが杞憂だった。
お兄さんは床に転がり、寂しそうに天井をただ見上げていた。
『見送りをしてきた』とは拾った猫か犬が他界したのだろう。
どう慰めたら良いのか、言葉が見つからない。


「そういえば名前を聞いていなかったね」
 お兄さんの声はかすれていた。

「珠洲矢夏蓮(すずや かれん)です。夏の蓮と書きます」
「そう。綺麗な名前だね」
 お兄さんの穏やかな言い方に心がすっと癒されていくのを感じた。何故だろう、名前を誉められただけなのに。

「可愛い顔をしているなと思ったけど、名前も良いね。泥の中から身を起こして見事な華を咲かせる睡蓮か……」


4話に続く
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Last updated  2008/11/15 04:41:44 PM
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