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大腿骨骨折で手術し転院してリハビリを続けている母の入院生活も、かれこれ3ヶ月になります。昨日は現在入院し訓練を受けているリハビリ専門病院による“住宅評価”が行われました これは、患者が退院して自宅で生活する際に自宅が適しているか、何処か改造するところがないか前もってチェックし、必要ならば転院前に治すよう指導を受けるモノです。 ということは、まだ未定ですが母の退院のそう遠くないと云うことです 「ふーっ」と思わず溜め息がでます。長かった気がしますね、実際は3ヶ月ですが、何だか一年以上経ったような気がします。 入院中の母を連れて、リハビリ療法士の方が二人、病院の訪問看護の担当者、ケアマネージャーと計4人の専門家が来られて、家中彼方此方写真を撮ったりメージャーで高さを測ったり・・時のは母に実際起居させたりとかれこれ数時間掛けてチェックして行かれました。後日、書面にて指導やアドバイスがくるとのこと・・・。 退院後は、家での自主訓練は勿論週に2~3回のデイケア(リハビリ込み)と通院を続けながら、体力・筋力・精神面のサポートを図るとのこと。 大事なのは退院後で、動かないと直ぐに体力や筋力はダウンしてしまいます。 その辺を十分気をつけ、これからも母には趣味などの好きなことをしながら、イキイキと生きて欲しいと思いました とりあえず笑顔で生きる空の下 マイペース自分の歩幅守る日々
2009.02.27
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まだまだ冷たいがそぼ降る今日、私は歯科医院に行って来ました 何が苦手って、歯医者ほどイヤなところはない私・・・それなのにというかそれだから尚というか、歯が余り丈夫でないのが私の大いなる欠点です もう、笑っちゃいますね 過去に一度治療して被せモノをしていたのが、もう○○年経って外れてしまったのです 凄いショックで、一瞬口も利けませんでした 「どうしよう、また恐怖の歯医者に行かなければならないゾガーン」 被せモノが取れた歯というのは、はっきり言って使い物にならないと痛感しました 恐くて噛めないのです、痛みはないのですが・・・。 何だか一度に40歳くらい更に年を重ねた気分で、落ち込んでしまいました 覚悟を決めて行きつけの歯科に、予約を取りました。 晴れていれば簡単にで5分余りで行く道程ですが、今日は生憎ので、時間も適当なのがない始末・・・「ええい、間々よ」とばかり、気分を落ち着けるためにも傘を差して徒歩で行くことにしました。小糠雨で、歩いている内に気分も落ち着いてきました。何よりもウォーキングは脂肪燃焼に効果大です 歯科医院に着く頃には、体がポカポカになっていました レントゲンで確認し土台の下も異常がないことが確認できたので、外れたモノを再度きちんと被せ治すだけで済み、ホッとしました 「ヤレヤレ」です。 我ながら情けない話しです 帰りは、もう元気いっぱい再度足取りも軽く歩いて帰ってきました きちんと治療が済んだ後のご飯は、安心してとても美味しくいただきました 歯の有り難みを強く強く実感した一日でした 健康の文字に合掌 祈る朝 総てのパーツ手入れ点検感謝の日 see you again
2009.02.25
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降ったり止んだり曇ったり・・・の何とも落ち着かない冬の空デス 何だか今時の日本の心を反映しているような 先程民放テレビをいていたら、携帯ゲームソフトでナンと中川前財務相の失態をゲームにして売り出したそうです 2巻仕立てで、1巻目は泥酔してインタビューに応じ舌が回らずにいる態度をモチーフにしているとのこと。そして2巻目はバチカンの美術館で、立ち入り禁止の場所に勝手に入り触れてはいけない作品に触れた態度をモチーフにしたとのこと 何だかこのニュースを聞いて、唖然とし開いた口がふさがらない気持ちでしたが、哀しい想いが込み上げてきました 確かに、中川氏のやったことは公人としては勿論、社会性のある大人としても情けなく恥ずべき行為です。「日本人の恥」と 罵られても仕方ないカモしれないですが・・・それを笑いのネタにして売り捌くというのは、余りにもお粗末な商売というか浅ましい人間性剥き出しの感がありませんか “人の失敗を笑いものにして稼ぐ”ということを、私は全く理解できません或る意味、失態をさらけ出した中川氏よりも、酷い醜いことだと思います。人として許せない気がします こんなゲーム、買う人がいるのかしら買う人の品性を疑いますね日本人の品格も地に堕ちたと云う思いで、胸が一杯になりました。 ゲームを作った人もそれを買って笑いながらやる人も、哀れな見窄らしい人ですね 空しい気持ちでいっぱいになりました 人のミス肴に過ごす寒い日々 品性も品格もないタダの人 see you again
2009.02.24
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今日は午後から富山で昨年から活動し始めた独立リーグ“サンダーバーズベースボールチーム”の監督・鈴木康友氏の講演会を聞きに行ってきました 現在、富山には三つのスポーツチームがあります。バスケットボールの“富山グラウジーズ”,サッカーの“カターレ富山”、そして野球の“富山サンダーバーズ”デス 正直言って、バスケの方は毎回負けてばかりでボロボロです存続の危機にある感が否めません でも、サッカーと野球は頑張っています サッカーは昨年、念願が叶ってJ2ですが昇格が適いました野球も、プレーオフから始まって前期後期と善戦し、結果的には優勝こそ逃しましたが今後大きく期待できる成績を残してくれました。 そのサンダーバーズを率いる鈴木監督とはどんな人物か私は興味津々でした。選手時代の鈴木監督を私は全く知りません。 満場の中、鈴木監督が出てきて簡単な自己紹介が始まりました。奈良県の天理高校出身で、当時の巨人軍監督・ミスター(長島茂雄)に釣り上げられたこと。本当は早稲田大学に進学し、商社マンか外交官になるはずだったけれどミスターの度重なる説得に負けて入った巨人軍・・・しかし現役選手として過ごした15年間はずっと補欠選手だったこと。その間巨人軍を振り出しに、西武・中日また巨人と転々とし・・・引退後は巨人でコーチ、また“欽ちゃん球団”で監督をしたこと等・・・。 プロの野球選手としては、表舞台に殆ど立つことなくジッと過ごした日々。でもその中から学んだことは多いと云います。監督の言動、選手の反応、人としてあるべき姿・・・決して話し上手ではないけれど、実のある話しに、こちらも学ぶことが少なくありませんでした。 どうなるか全く未知数だった独立リーグの野球チームを、僅か一年で将来性のあるチームに育て上げた監督の手腕は、無視できないモノがあると思います。 サッカーの岡田監督もしかり名選手が必ずしも名監督になれるわけではなく、むしろ選手時代無名だった人が監督になってその手腕を発揮することも間々あります 鈴木監督の話を聞きながら、そんなことを沸々と思っていました。人生、何が縁でどうなるか解りません。異郷の地である富山で、これからも好きな野優にこだわり輝いてその力を存分に発揮されることを富山県民の一人として願って止みません see you again
2009.02.21
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先日吹いた“春一番”は一体何だったのでしょうかあの後直ぐ、真冬に舞い戻った日々・・・我が家の庭には“雪花”が咲いています “雪花”とは文字通り、葉のついていない裸の枝に雪が点々とついてまるで花のようになることです。華道では“餅花”と言って枝に餅を丸めてつけるのがありますが、正にその雪版です。 暦の上ではとっくに立春を過ぎてしまって、もう春なのに・・・全くこれだから○○心と冬の空は解らないと、ぼやいてみたくなる今日この頃です 世相も乱れきって、一寸先は“闇”の感があります。世界中に報道された“中川財務相のていたらく”、あれは一体何だったのでしょうか 単純な私は、初めは本当に風邪薬の飲み過ぎでああなったのかと同情し・・・結局は酒の飲み過ぎで酔っぱらっていたのだと解るや、愕然としました 国民を馬鹿にしていい加減な大臣もあったモノだと怒りを通り越して呆れ返りましたそして、小泉さんはといえば、いくら郵政民営化を今になって非難されたからと言って、唯でさえ支持率の堕ちている麻生総理をメチャクチャに避難しかえすとは全く大人げない人です もう、自民党内部は収拾がつかなくなっているンですねただただ、未来を憂えるばかり・・・この後、日本は何処へ行くのでしょうか 日々、年々年を重ねて老いていく私たちは、先にある未来がとても不安です。老後も見えないし、保証するモノもはっきりしていない、“派遣切り”が横行している現代を象徴して、最近爆発的に売れているのが小林多喜二の“蟹工船”です。暗い世相と貧困に喘いで必死に生きようとしていた労働者を描いたプロレタリア文学の代表と言われています。 小林多喜二自身、特高警察に捕まり酷い拷問の末虐殺されました。その生き様に私は当時の時代の厳しさを感じ震え上がりながらも同情しましたが、反面重く暗い影が恐くて“蟹工船”は読んでいませんが、余りにも有名な作品ですから大体のあらすじは知っています。 この作品が、時代や世代を超えて爆発的に売れていると云うこと自体に、現代の孕んでいる重く暗い影と荒廃した日本経済の姿が見えてくると思います。 暗闇の向こうを透かし見る恐怖 人が人の自覚失い野に返る この重い雲を払拭してくれるのは、一体誰なのか見えませんね see you again
2009.02.20
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朝あんなに積もって雪もちらつき冷え切っていたのに・・・午後になるに従って晴れ上がってきた空を、川柳句会に向かうの中から私は恨めしく見つめていました 「ああ、に乗って来れたんじゃあないかしら」ナーンテね で、川柳句会の行われた部屋ではガンガンに暖房が効き・・・何だかサウナにいるみたい 中川財務大臣じゃあないけれど、頭がボーッとしてしまいました でも今日投句した私の句は、何れもまあまあのイイ出来で結構ポイントを稼ぐことができ、ちょっとハッピーな一時でした 川柳というのは一回一回が勝負です お題から如何に程良い距離を保って人生や人を詠むか 私の修行はまだまだこれからです 因みに今日投句した私の川柳は 直球の甘さ補う変化球 いつの世も変わることない母の愛 母の眼に浮かぶ涙に涙呑む 乗り越えた山の数だけある自信 see you agein
2009.02.17
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朝起きての北陸地方 先日春一番が吹いたばかりなのに、一転して“真冬”に逆戻りです 今朝起きて見たサンルームの室温は、何と1℃でした外はもっと寒くて、-3℃を記録したみたいです 辺り一面真っ白の、文字通り銀世界が広がる中、今日私は川柳の定例句会に行って来ます おそらくは遅れるでしょうが、こんな天気ではでは行けません 仕方ないですね。 毎月の川柳句会は、私の大きな楽しみの一つです。これがあるから日々の生活にメリハリがつきイキイキと生きていられるような気がします。富山弁で言うと、まさに“キトキト”ってところでしょうか 辛いときも哀しいときも嬉しいときも楽しいときも・・・いつも川柳は私と共に有った気がします 今日も張り切って行って来まーす 白無垢の雪原に詠む愛の詩 君想い貫き通す夫婦道 see you again
2009.02.17
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先日、知人のお見舞いにへ行って来ました。元々はとっても元気な方で、いつもウォーキングやスポーツを欠かさない方でしたが・・・行ってみると点滴姿でした。それでもいつもと変わらぬ温もりのある笑顔を見て、こっちがホッとしました 胃の半分と腸の一部を切除する約5時間の大手術をしたとのこと・・・もうしました。手術から約一週間は何本もの管で繋がれて、食事は勿論動くこともできずだったと聞いてまたまたでした。最近やっと点滴だけになり、少し動けるようにもなり“重湯”から“お粥”も食べれるようにあったとのことでした。術後初めて“お茶”を口にしたときには、余りの美味しさに感動しとの言葉に、こちらもました 「ああ、健康って本当に大事なんだ」って深く深く身に染みました。 私も大したことではないけれど“持病”があります。昔から“一病息災”という言葉があります。 持病を自分自身への教訓にして、気をつけて日々過ごしたいと痛感しました。 その知人が、早く元気を回復してまた動き回られるように祈りたいと思います 病んでみて空の青さが目に染みる 平凡な友の幸せ祈る日々 see you again
2009.02.14
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今日は“建国記念の日”デス それはつまり、建国をしのび、国を愛する心を養うことを趣旨として制定された、国民の祝日でもあります。1874年から1948年までは「紀元節」として奉祝されてきました。 そして私の誕生日でもあります。学生時代、友人たちからよく「凄い日に生まれたね」と言われましたが、本人はその自覚はあまりなく「が偶々私の誕生日と重なる日に飾られるなんて、気恥ずかしい」と思っていました。でも、年々年を重ねてくるに連れ、たぶん人生の折り返し地点を過ぎたであろう年齢になり、日本と同じ誕生日の意味についてあれやこれやと、思うことが出てきました。そんなに取り立てて愛国心が強いわけでは決してないけれど・・・私は母国と同じ日に生まれたのだと思うたびに、双肩に掛かるプレッシャーを感じるようになったのです。「日本人としての私の意味は何だろう」と思うときがあります。 これだけ不況で荒れた世の中で波に揉まれている日本、この後どうやって生きていくべきか 麻生さんではとってもじゃあないけれど乗り切れそうにありません。もっと国民一人一人が真剣に行動を起こさなくてはとヒシヒシ痛感しますね 自分の生き方も含めて、熟考する日にしたいと思います
2009.02.11
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最近店頭を飾り始めた“雛人形” そうです“雛祭り”こと“桃の節句”まで余すところ一ヶ月を切りました 幼い頃は、この時期になると我が家でも母と一緒に雛人形の飾り付けをしたのを思い出します。 私の雛人形は、私が生まれたときに今は亡き母方の祖母が買ってくれた七段飾りのセットです。段を組み立てて毛氈を敷き上から順番に男雛と女雛、三人官女、五人囃子、右大臣左大臣、三人の若衆を出してそれぞれの持ち物や小道具をセットして、その後大道具(雪洞、花木、嫁入り道具セット、牛車、駕篭・・・)とみんな飾り付けるのに小一時間は掛かってしまいます。そして3月3日が終わると今度はまた一体一体柔らかい紙で包んで防虫剤を入れて仕舞います。 毎年毎年飽きもせずよくやったと、今更ながら思います。嫁ぐときに、一緒に持ってきました。娘ができたら、今度は私が娘と一緒にあれこれ思い出話をしながら出し入れをしようと思っていたのですが・・・生まれたのは息子たちばかりでした。仕方ありません暫し我が家の雛人形はご無沙汰しています 将来、もし孫娘ができたら「お婆ちゃんが生まれたときに、私のお婆ちゃんから買って貰ったお雛様だよ」とでも言って話しながら飾れるかなと、気の早いことを思っています。 街中に雛人形が出回りだすと「ああ、もうすぐ春だな」って春の気配を感じます あと二ヶ月もしないうちに私の大好きなの季節です 待ち遠しいデスね 店先に春の香満ちるお雛様 see you again
2009.02.09
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2月といえば“バレンタイン”がパッと頭に浮かびます 幾つになっても(もうすぐ私の誕生日で、またまた年を重ねてしまうのですが・・・)“バレンタイン・デー”はイイですね 何だか胸がドキドキしてきます といっても、私はもっぱら贈る方で貰うわけではありません。でも贈れる人がいるというのは、何だか嬉しい気分です。街中のデパートやお菓子屋さん、ケーキ屋さんには、今が稼ぎ時とばかりに多種多様のチョコレート菓子やそのセットが「これでもかこれでもか」と陳列されています。店内や専門コーナーの飾り付けも見事で、皆さん力が入っていますね メルヘンチックだったりロマンチックだったり・・・まあ見ていても楽しくてイイですね 此処しばらくずっと不景気で、リストラや解雇が後を絶たず・・・暗雲に覆われた感のある日本社会ですから。偶にはフッと息を抜いて甘いチョコでも食べて一休みするのもイイかもネ 余り思い詰めるばかりでは、何も良いアイデアは浮かんでこないでしょう 贈り物をするときに、一番楽しいのは「贈る相手の顔を思い浮かべて、あれこれ悩んでいる時」かもしれませんね そしてその次は、貰った相手が包みを開けて中味を見た時の反応を確かめるとき・・・かな で、私もいろいろ楽しく悩んだ挙げ句、幾つかのチョコを(家族も含めて)買い求めました この贈り物が、貰った相手にささやかな幸せも運んでくれることを願いながらネ・・・ see you again
2009.02.05
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昨日とはガラッと変わって、今日はまた寒い日ですね何だか此処数年思うのは、変わりやすいのは“秋の空”よりも“冬の空”・・で“女心”より“男心”ではないかという気がしますね 特に麻生総理を見ていて感じます コロコロと想い転げる 胸の内 ナーンテ一句献上してみたいデスね さて 今日は“節分”です。幼いお子さんがおられる家庭では、「鬼は外~福は内~」とか叫びながら豆を蒔かれるんでしょうか 私も幼い頃は、両親と夕飯の後“豆撒き”をするのが恒例でした。そのころは、今みたいに温暖化ではありませんでしたから・・・もうしっかりが積もっていて銀世界 それなのに、家中の窓を開け放ってガンガン冷気が入り込む中で、母が炒った大豆を升に入れて彼方此方の部屋を回りました。 大きな声で平生のストレスを解消すべく叫びながら雪の中に豆を蒔き、家の畳の上にも豆を蒔いて回ったのが懐かしい思い出です。 撒いた後は、升に残った中から自分の年の数だけ豆を食べて「今年も健康で幸せに送れるように・・・」と祈ったのです 最近は、そんなことをする家庭は殆どなくなりましたね。寂しい限りです 住宅街で家と家が密着しているせいもあるのでしょうか。大声で叫ぶのが恥ずかしいと云うのもあるのかもしれませんね。 代わりに、出てきたのが“恵方巻き”ですか 今日は、“のりまきの日”でもあるようです節分の夜、恵方(歳徳神のいる方)に向かい、太巻き寿司を1人1本、誰とも話さず食べきると幸福になれるという言い伝えから1987年より全国海苔組合が制定したそうですね。 コンビニやスーパーでは、大小様々・具材も好みに合わせて多種多様な“恵方巻き”が出回っています。食している間は無言でというのが、何ともお呪いめいていてミステリアスというかロマンチックですね まあ如何にも“日本人好み”の記念日ですが・・・こんな感じで穏やかな気持ちで今年も送れるとイイですね 邪気払い幸せ祈る春近し 鬼は棲む自身の胸の内祓う see you again
2009.02.03
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今日からいよいよ2月です2月にしては雪のない穏やかなと云いたいところですが・・・今朝は冷えましたスッゴク寒くて、布団の中でも何だか肌寒さを感じて布団から出れませんでした 見上げればどんよりと重い雲が広がり、まあ2月だからと変に納得してしまう天気です。そんな2月の最初に日は“テレビ放送記念日”デス 1953年2月1日、千代田区内幸町のNHK放送センターで午後2時より、古垣放送局長の第一声でTV放送がスタートしました。これを記念してこの日が「テレビ放送記念日」と命名されたようです。ちなみに、初放送当日の受信契約数は868、受信料は月額200円だったそうです。大学卒の初任給が8000円くらいの時代に国産の14インチTVは17万円もしたようで、しますね。 テレビというと纏わる思い出は多々あります。バラしてしまうと年代もバレますが、幼い頃我が家にあったは白黒でした。今からすると考えられない色彩ですが、それが当たり前の時代でした。そして、我が家に初めて入ってきたカラーを見て、私は本当にしましたこんな奇麗な色も出るのかと・・・。 慣れというのは怖いモノで、それ以来白黒テレビにはお目に掛かっていないので過去の時代が信じられないくらいになっています。そして、自体、日常生活にドッシリと腰を下ろしてしまった昨今もう無しの生活が考えられない現代になっていますねチャンネル一つで、極端なことを云うと世界中の情報が眼にできる時代になっています。昔から云うと、まさに“魔法の箱”なんですがその有り難みを解っていない人(自分も含めて)の何と多いことか これを機に、テレビの存在感の大きさをかみ締めて感謝して見るのもイイかもしれませんね
2009.02.01
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