目次
- (# 第 1 章 - あなたに話しておきたい僕の昔の話 )
- (# 第 2 章 - 普通高校生だった頃のどうしようもない日常 )
- (# 第 3 章 - 死んでもいいと思っていた理由 )
- (# 第 4 章 - 事故の日僕は一度死んだ )
- (# 第 5 章 - 奇跡のあとに待っていた現実 )
- (# 第 6 章 - 生き地獄だと思った日々と本音 )
- (# 第 7 章 - 支援学校で出会った人たち )
- (# 第 8 章 - 失ったものよりあとから見えたもの )
- (# 第 9 章 - それでも人生は続いていく )
- (# 第 10 章 - 今生きているあなたへ伝えたいこと )
第 1 章 あなたに話しておきたい、僕の昔の話
少し、あなたに昔話をさせてください。
これは成功談でも、感動を狙った話でもありません。ましてや、人生こう生きろ、なんて説教をするつもりもありません。ただ、僕の人生に起きた出来事を、そのまま順番に話すだけです。
正直に言うと、誇れるような過去ではありません。むしろ、思い出したくないことのほうが多いです。それでも、あえて書こうと思いました。なぜなら、あの頃の自分と、今の自分のあいだには、あまりにも大きな断絶があるからです。
もし今、あなたが何かを投げやりに感じていたり、生きることを軽く扱っていたりするなら、この話は少しだけ引っかかるかもしれません。逆に、何も感じなくてもかまいません。ただ、こんな人生もあったんだな、と聞いてもらえればそれで十分です。
これは、ある一人の人間が転んで、壊れて、それでも生きてしまった、その顛末記です。
第 2 章 普通高校生だった頃の、どうしようもない日常
僕は最初、いわゆる普通高校に通っていました。
今だから言えますが、当時の僕の生活は、決して褒められたものではありません。
髪は金髪、タバコは当たり前、シンナーにも手を出していました。運動会の日には、水筒の中身が酒だったこともあります。生活指導の先生に呼び出されて、帰宅命令を受けることもしょっちゅうでした。
でも、楽しかったかと聞かれると、そうでもありません。
かといって、苦しかったとも言えない。ただ、「人生ってこんなもんだろ」と、どこかで決めつけていました。一日一日がそれなりに過ぎていけば、それでいい。先のことなんて、考える必要はない。そんな刹那的な感覚で生きていました。
親が心配していたことも、頭では分かっていたはずです。けれど、当時の僕には、その気持ちを想像する余裕がありませんでした。バイクを盗んで警察から家に連絡が入ったこともあります。そのとき、母は怒って、スリッパで僕の頬を叩きました。
僕は反抗しませんでした。
怒られて当然だと思っていたからです。それに、殴られるだけで済んでいるなら、まだマシだ、とさえ思っていました。母の悲しみや不安を思いやる気持ちは、その頃の僕にはありませんでした。
今振り返ると、荒れていたというより、空っぽだったのかもしれません。
何かを大切にしていなかったのではなく、「大切にする」という感覚そのものを、知らなかったのだと思います。
第 3 章 「死んでもいい」と思っていた理由
今になって思うと、あの頃の僕は、生きることに期待していませんでした。
かといって、はっきりと「死にたい」と思っていたわけでもありません。ただ、「どうなってもいい」という感覚が、常にどこかにありました。
事故を起こせば死ぬかもしれない。
そんなことは、頭では分かっていました。でも、恐怖はありませんでした。むしろ、もしそうなったとしても、それはそれで仕方がない。そんなふうに思っていたのです。
将来の夢も、なりたい自分もありませんでした。明日のことさえ、真剣に考えていなかったと思います。楽しいかどうかではなく、深く考えないことが、一番楽だったのかもしれません。
生きることを雑に扱っていた、という表現が一番近い気がします。
命が大切だとか、親が悲しむとか、そういう言葉は知っていました。でも、それが自分の中に落ちてくることはありませんでした。
今、こうしてあなたに話している僕から見ると、当時の自分はとても危うい存在です。でも、その危うさに、本人がまったく気づいていなかった。それが一番の問題だったのだと思います。
だから、事故は突然起きた出来事ではありませんでした。
今振り返れば、あの事故は、あの生き方の延長線上に、確かにあった出来事だったのです。
第 4 章 事故の日、僕は一度死んだ
事故は、ある日突然起きました。
特別な出来事があったわけでも、何かの予兆があったわけでもありません。いつもと同じようにバイクに乗り、いつもと同じ感覚で走っていました。
結果だけを言えば、僕は交通事故を起こし、意識不明の重体になりました。
後から聞いた話ですが、医師はこう言ったそうです。「 99.9 %、意識が戻る見込みはありません。ただし、奇跡という可能性がゼロではないだけです」と。
奇跡が起きたとしても、待っているのは残酷な現実だ、とも言われました。
親の顔が分からない。体は動かない。その可能性が高い、と。
その言葉を聞いたとき、僕自身はそこにいませんでした。
意識はなく、何も感じていなかったからです。でも、はっきり言えることがあります。あの日を境に、普通高校生だった僕の人生は、確実に終わりました。
「事故で人生が変わった」という言い方がありますが、僕の場合は少し違います。
事故の日、僕は一度、死んだのだと思っています。そして、別の人生が、そこから始まってしまったのです。
それが良かったのか、悪かったのか。
その答えを出すには、この先、まだ時間が必要でした。
第 5 章 奇跡のあとに待っていた現実
二ヵ月半の昏睡状態のあと、僕は目を覚ましました。
それは、周囲の人たちが言うところの「奇跡」でした。
でも、当の本人である僕にとって、その瞬間は希望でも感動でもありませんでした。
感覚として近いのは、「生まれたて」だったと思います。過去の記憶が、ほとんどなかったのです。自分がどんな人生を送ってきたのかも、なぜここにいるのかも、分かりませんでした。
親が話しかけてくれて、少しずつ、少しずつ、記憶の糸がつながっていきました。
けれど、思い出すほどに、現実は重くなっていきました。
僕は気管切開をされていて、声が出ませんでした。
体も自由に動かず、会話は「文字板」に頼るしかありません。その文字板を使って、僕が最初に伝えた言葉は、今でもはっきり覚えています。
「生き地獄や。
なんで意識を戻したんや。
なんで死なせてくれへんかったんや」
きれいごとではなく、本心でした。
生き返らせてくれたことに感謝なんて、できませんでした。むしろ、殺してくれたほうがよかった、と本気で思っていました。
親がどんな顔をしていたのかは、覚えていません。
そのときの僕は、自分のことで精一杯で、誰かの気持ちを想像する余裕なんて、まったくなかったのです。
奇跡のあとに待っていたのは、祝福ではありませんでした。
それは、逃げ場のない現実との、長い対面の始まりでした。
第 6 章 生き地獄だと思った日々と、本音
意識が戻ってからしばらくの間、僕の頭の中は、同じ言葉でいっぱいでした。
「なんで助かったんや」
「なんで死なせてくれへんかったんや」
生きていることが、ありがたいなんて思えませんでした。
目が覚めるたびに、動かない体と向き合わされる。その現実が、ただただ重かったのです。
朝、目が覚める前に、ふと考えることがありました。
もしかしたら、事故に遭ったのは夢なんじゃないか。目を開けたら、「なーんだ、夢か」と笑えるんじゃないか。そんな淡い期待を抱いて、恐る恐る目を開ける。
でも、そこには必ず、左半身が動かない自分がいました。
そのたびに、がくっと気持ちが落ちる。その繰り返しでした。
周りの人は「頑張れ」と言ってくれました。
でも、正直に言えば、その言葉がしんどいときもありました。頑張る理由が、まだ自分の中に見つかっていなかったからです。
この頃の僕は、前向きになることを放棄していました。
リハビリも、将来の話も、どこか他人事のように感じていました。ただ、生きているだけ。それが精一杯でした。
今振り返ると、あの時間は確かに「生き地獄」だったと思います。
でも同時に、あそこで本音を全部吐き出したからこそ、次の一歩に進む余地が、かろうじて残っていたのかもしれません。
第 7 章 支援学校で出会った人たち
心と体が少しずつ落ち着いてきた頃、支援学校への編入の話が出ました。
正直に言うと、僕は不安でいっぱいでした。
支援学校について、ほとんど何も知らなかったからです。
中学校に支援学級があったことは覚えています。でも、それは知的障害のある人たちが通う場所、という程度の認識でした。そこに自分が行くことになるなんて、想像もしていませんでした。
「自分は、ああいうところでやっていけるんだろうか」
そんな頼りない気持ちのまま、病院からスクールバスに乗って、支援学校へ通い始めました。一年遅れの編入でした。
実際に通ってみて、すぐに気づいたことがあります。
支援学校の友人たちは、僕が想像していたより、ずっとしっかりしていました。
学力や体力だけを比べれば、普通高校の生徒より劣って見える部分もあるかもしれません。でも、意識というか、精神的な強さは、むしろ逆でした。特に、みんなの団結力には驚かされました。
普通高校にいた頃は、リーダー格が何人もいて、少しのことでグループが分裂していました。
でも、支援学校では、みんなが自然と一つになります。誰かが困っていれば、当たり前のように助ける。出来ないことは、補い合う。それが特別なことではなく、日常でした。
重い障害を持ち、歩くことも話すことも出来ない友人を見て、最初は「かわいそうだな」と思っていた僕でした。でも、一緒に過ごすうちに、言葉がなくても気持ちが通じる瞬間があることを知りました。
みんな、一生懸命生きていました。
その姿は、何も言わない分、まっすぐに胸に刺さってきました。
第 8 章 失ったものより、あとから見えたもの
支援学校に通い始めてからも、すべてを受け入れられたわけではありません。
心のどこかでは、まだ現実から逃げたい気持ちがありました。
朝、目が覚める前に思うのです。
もしかしたら今日は、事故の前の体に戻っているんじゃないか。そんな淡い期待を抱いて、目を開ける。でも、現実は変わりません。何度も同じ失望を味わいました。
学習内容にも、不安や不満がありました。
中学一年生レベルの内容だったり、進み方がとてもゆっくりだったりする。正直、「自分はここにいていいのか」と思うこともありました。
それでも、周りの空気は不思議と穏やかでした。
誰かと比べられることもなく、急かされることもない。その中で過ごすうちに、僕の心は少しずつ、少しずつ、ほどけていきました。
出来ないことは、確かにたくさんあります。
でも、その足りない部分を、誰かが自然に補ってくれる。そして、今度は自分が、別の誰かを支える側になる。そんな循環の中で、現実から目をそらさず、今の自分と向き合う勇気が生まれてきました。
失ったものばかり数えていた僕が、
「今、ここにあるもの」に、ようやく目を向け始めた瞬間だったのだと思います。
第 9 章 それでも人生は続いていく
高校三年生になった頃、僕は一つの目標を持ちました。
それは、運転免許を取ることでした。
移動するためには、今の僕には車が必要だ。そう思ったのです。
でも、免許を取るまでの道のりは、簡単ではありませんでした。健常者の倍の時間がかかる、と言われましたし、実際その通りでした。
それでも、「絶対に取ってやる」と決めていました。
七月の終わりから教習所に通い始め、九月の終わりには、なんとか免許を手にすることができました。あのときの達成感は、今でもはっきり覚えています。
教習所では、車椅子に乗った僕に、みんながとても親切に接してくれました。
そのたびに、自然と口から出てきた言葉があります。「ありがとう」です。
健常者だった頃の僕は、その言葉を、素直に言えませんでした。
でもこの頃には、誰かに助けてもらうことも、感謝することも、恥ずかしいことではないと思えるようになっていました。
障害を持つ身になって、初めて見えてきたものが、たくさんあります。
社会のつくり、人の優しさ、そして、自分自身の弱さ。
人生は、事故の日で終わらなかった。
形は大きく変わったけれど、それでも、確かに続いていくのだと、少しずつ実感し始めていました。
第 10 章 今、生きているあなたへ伝えたいこと
障害を持つようになってから、時間が経ちました。
今の僕は、杖を使ったり使わなかったりしながら歩いています。パソコンのスキルを身につけ、資格も取りました。結婚もしました。結果的には離婚しましたが、それも含めて、人生です。
正直に言えば、順風満帆とはほど遠いです。
波乱万丈という言葉が、これほどしっくりくる人生も、なかなかないかもしれません。
それでも、今の僕はこう思っています。
どんな身体であっても、「生きていてよかった」と。
事故に遭う前の僕は、命の重さなんて考えていませんでした。
でも今は、命の大切さや尊さを、実感として知っています。それは、きれいな言葉ではなく、痛みや後悔を通して、体に染み込んできた感覚です。
もし今、この文を読んでいるあなたが、投げやりな気持ちを抱えていたり、「どうなってもいい」と思っていたりするなら、これだけは伝えさせてください。
人生は、思い通りにはなりません。
でも、終わってしまうより、続いていくほうが、きっといい。
これは立派な結論ではありません。
ただ、転んで、壊れて、それでも生きてきた、一人の人間の実感です。
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
あなたが今日を生きていること自体が、もう十分、価値のあることだと、僕は思っています。
あとがき
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この顛末記を書き終えて、正直、ほっとしています。
過去を振り返る作業は、楽しいものではありませんでした。思い出したくないことも、何度も手が止まる場面もありました。
それでも書こうと思ったのは、
あの頃の自分のように、「どうなってもいい」と思いながら生きている誰かに、ほんの少しでも届けばいいと思ったからです。
立派な生き方はしていません。
今も迷いながら、転びながら、生きています。
それでも、事故の日に終わらなかった人生を、今もこうして続けています。
それが事実です。
この文章が、あなたの人生を変えることはないかもしれません。
でも、今日をやり過ごすための、ほんの小さな引っかかりになれたなら、それで十分です。
あなたが、今日も生きていることを、
どこかで応援しています。
謝辞
この人生を、ここまで導いてくれたすべての人に、心から感謝します。
事故のあと、何も言えない僕のそばにいてくれた両親。
怒りや悲しみを抱えながら、それでも見捨てずに支えてくれました。
医師、看護師、リハビリの先生方。
あのときの一つひとつの関わりが、今の僕につながっています。
支援学校で出会った仲間たち。
言葉がなくても通じ合えること、生きる姿勢そのものを、あなたたちから学びました。
そして、この文章を見てくれたあなたへ。
見ず知らずの一人の顛末に、時間を使ってくれて、本当にありがとうございます。
この人生は、一人では続きませんでした。
その事実を、最後にここへ記しておきます。
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