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このタイトルとよく似たモノをすでに更新しておりますが。。
もう一回です。
頭で考える事には限度があります。物事の順序とか、こうあるべきだ、ああでもない、それは道から外れる、とかとかです。しかしながら、この作業をしないとその上の段階へ行けないのです。
つまり、「求めるモノがすぐ足元にあったのに何年もかけて無駄に人生を過ごしてしまった。」と言うのがありますね。最初から足元を見ていたのに見つからなかっただけなのです。これを見るには、探し続けないとならないのです。求めて求めて求めて、探して探して探して、いつか疲れ果てふとした時に見えてくるのです。手品のようです。疲れ果てて力が抜けた、完全にリラックスした時です。探すのを放棄した時です。
実際簡単に求めているモノは手には入りません。そのために修業が必要になって来るのです。なぜ簡単ではないか少し考えてみればわかることですが、容易に手に入ったものは「アリガタ味」が薄いのです。傲慢にもあたり前だと思ってしまうのです。
そこで、苦労して手に入れたのだから有り難く感じるだろうということです。
でも最初から頭の良い人もおりますわなぁ。。生まれながらに光り輝く人もいますねぇ。。
そういう人たちは横へおいといて、一生懸命勉学に励んで知識を得てみると、それはその人にとって素晴らしい宝となるのです。誰からも奪われることない宝です。分け与えることが可能な宝です。
体育の時間、逆上がりが出来ないでいつも辛い思いをしている子供があったとします。その子は、とにかく毎夜公園でお腹に血豆が出来るまで稽古しました。そして一回だけ成功したのです。でも学校の運動場でうまくいくとは限りません。だからもう一回だけおそるおそるやってみました。カツカツでうまく出来ました。それ以上やる力はもう残っていませんでした。学校で皆の前で出来なくても、もう嫌な思いはしないとその子は思いました。
その翌朝体育の試験というか、鉄棒のテストでした。順番に逆上がりと他の種目がクリアーされていきます。彼女の心臓はパクパクしていましたが、バーを握る両手はしっかりしていました。「もうどうにでもなれぇ~」と地面を蹴ったあと、次の瞬間に体が浮いているのでした。信じられないくらい爽快でした。実は軽く教師が手を貸してくれたような気がしました。でもとにかく成功したのです。どんなオリンピックの選手よりも誇らしげでした。誰の為にでもなく、自分の為にやったからです。教師も喜んでくれました。血豆が出来るまで練習したと言ってそれを見せようとしましたが、笑っていました。他の生徒たちがどう思っていようと、どう感じ様と、全く関係ありませんでした。その時輝く自分があったのでした。
今ここを生きるとは、過去にこだわったり否定するのでなく、また未来を頼るのでなく、現在の自分を軸にするということです。照準を自分に合わせるだけです。それには、まず自分をクリアーにします。バランスをとるのです。他人に左右されている間は「今ここ」を生きてはいません
そりゃ楽だろう。。 2026年05月23日
すぐ変えられる。。 2026年04月03日
おつむがズッキンこ。。 2026年03月28日