『悲しい色やね』を書いてるんですよ。
ところが林さん、『悲しい色やね』は嫌いだったの、
詞を関西弁で書いたもんだから。
"こんな詞つけられて、曲が台無しだ"って
思ったってあとから聞いたんで(笑)」
康
「作詞の仕事でいちばん難しいのは
いい曲に出会うことなの(笑)。
だから林さんの曲に詞を書かせてもらえたのは、
ラッキーだったと思う」
―――― きっと相性も良かったですよね?
康
「僕はそう思ってます。林さんはわかんないけど(笑)。
当時『悲しい色やね』『悲しみがとまらない』、
そして彼のソロに『悲しみがいっぱい』と、
3作"悲しい"とタイトルに付く曲を作ったのね。
普通嫌がるよね。でも林さん、
『悲しみ三部作』と命名して受け入れてくれた。
ソロアルバムに『愁いを含んでほのかに甘く』
という詞も書いたけど、
林さんのメロには、"愁い"とか"悲しみ"とか、
そんな何かが隠れているのね。
ある有名な作詞家が、
これも有名な作曲家の作品を評して、
メロの中にすでに詞が全部書かれていて
自分はそれを削り出すだけっていうようなことを
言ってたけど、僕にとっての林メロも同じ。(後略)」
(『杉山清貴&オメガトライブ 35年目の真実』
康珍化インタビューより)
――林さんが関西弁の詞を嫌っていたという説がありますが…
林氏:
そこはちゃんと説明します。
曲を書いた時、僕の想定の中には、
英語か普通の日本語詞しかなかったんですね。
関西弁という独特な言葉を使うなんて全く頭になかった。
それがハマっていたことに驚いて、抵抗感があったんです。
関西弁が嫌なのではなく、
予想もしないボールが飛んできたことに困惑したんですよ。
――その曲がシングルカットされ、大ヒットしました
林氏:
最初はかすりもしなかったのが、
半年ほどして関西で火がつき、
やがて東京でもかかるようになりました。
大ヒットまでかなり時間がかかりましたね。
ある日、渋谷を歩いていた時、
パチンコ屋から流れてきたこの曲に、
思わず立ち止まって聴き入りました。
初めてこの歌が体に入ってきました。
歌の力を知った瞬間でした。
――関西弁の歌詞に対する思いが変わったんですね
林氏:
それまでの自分は美しいメロディーを
書くことばかり考えてました。
しかし「歌」というのは、
詞とメロディーが一体となったものに、
歌い手が息吹を与えてくれて生まれるもの。
メロディーだけの話じゃないんです。
――康さんは当時を振り返ったインタビューで
「林さん、『悲しい色やね』は嫌いだったの。
詞を関西弁で書いたものだから。
“こんな詞つけられて、曲が台なしだ”って思ったって」
と発言されています。
誤解されているということですね
林氏:
あの歌詞は、自分の「歌」に対する認識が
甘かったことを教えてくれました。
今では自分を戒める教材のようになっています。
だから康さんには感謝してるんですよ。(続く)
記事全文
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