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彼が大変な状況に置かれることに。一難去りかけてまた一難。調べてみたら、今年は前厄。来年は本厄じゃないか。(私も本厄の年に悲しい出来事があった…)年が明けたら厄払いでもしてあげようかしら。相変わらず、お互い接点の少ない人生を歩み続けているけれど人生には起こるべくして物事が起きているのだと思います。起こった事がどういう意味をもつのかは後になってみないとわからない。目の前に課題があって、それをただただ乗り越えていくその過程においては、起こったことの意味、それに対して自分が行動していることの意味なんてわからないんじゃないか。今は比較的落ち着いている私の境遇だっていつどう変わっていくのかわかりゃしない。不変なもの、普遍なものがあることだけを信じて変わり行く人生と向き合っていくしかない。かな
2005/11/25
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なんかかかないといけないらしい。。。
2005/11/21
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ちょっとだけいいことあったような。。。
2005/11/19
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最後に日記を書いたのはまだ寒かった頃で気がつけばまた寒さが増してきているその間、彼に一度だけ会った美味しいものをつまみながらお酒を飲んで今では話題といえば子供がらみの話がほとんどなので色気も何もあったものではないがお互いに奥まで吸い込まれそうになるほどしっかり目を合わせて話しているのがせめてもの救い続きにもう少し落ち着いて話せる店に移動して間もなく急な事情からその日は解散することになった先日、家族でドライブで昔、彼と二人で出かけた方面に向かったまだ携帯電話のなかった頃、あの日もその日と同じ、いや、もっとひどい上りの渋滞にはまり婚約者との待ち合わせにとても間に合わないと途中のサービスエリアから電話をかけると婚約者は当然、怒りのあまりぶち切れてすぐに高速道路をおりて、どこからでもよいからとにかく電車に乗って待ち合わせの場所まで来るように、と私に命令した(田舎の駅からの移動は結局ものすごく時間がかかったので、あのまま車で送ってもらったほうが早かったのにね、と彼とはあとで笑えたが)当時の婚約者とその道を走りながら、あの時高速をおりたのはどのあたりだったかな、などと私は考えていたが、そのとき、夫はあの件について思い出していただろうか今のように携帯があれば今の夫をあれほど激怒させずに済んだのだろうかいや、時代は違っても、そういう問題じゃないんだろう、やっぱり
2005/11/04
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あなたの手の温もりは私の心を和ませ温め苦悩させるどうして私の頬を手に触れ温かいねって言ったり私の手をとって冷たいねって言ったりするのどうして突然立ち止まって私の顔を覗き込むのあなたがあんまり先に歩くから追うようにして掴んだ腕から滑り落ちた私の手に昔からいつも温かいあなたの手があったどうして私の冷たい指を一本ずつ確かめるかのようにあなたの温もりで私の指を温めるかのように私の手を何度も握り返すの確信犯であるあなたの手の温もりは手袋なんかじゃごまかせない私の冷え切った指を哀しませ温め生き返らせ途方に暮れさせる
2005/03/13
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ギブスはすでに包帯に変わっていた。あまり不自由な感じも見せず、ビールを何杯もついでくれた。利き手でないほうの右手で上手に箸を使っていた。女性に頼らない一人暮らしはかなり快適度が増したようだ。ボタンのつけ方をインターネットで調べて自分でボタンをつけられたときの達成感は大きい、と嬉しそうに話していた。今は、家に帰ると毎日同じ女性がそこで待っているなんていうことは面倒くさくて考えられないと言った。何でも自分でやってしまうことに至上の幸福を見出している。今はこれでよいのだろう、きっと。久しぶりだったのでかなり長時間、正確には6時間一緒にいて延々と会話は続いた。一軒目の店を出た後、路上で軽くキスをした。びっくりした。嬉しかったので繁華街の路上でおねだりしてみたら立ち止まってくれたのでもう一度キスをした。まだまだ話したりないことも山ほどあったが、今回感じたのは、今まで私が魂とか人生の課題みたいな話をすると真っ向から胡散臭いと否定的な反応を示していたのに、最近は反射的に拒絶反応みたいなものを前置きとして見せつつも、別の人からかなり整然とこの手の人生に対する考え方を説明されて一応納得したこともあってか、確かにそうかもしれない、と彼が一応肯定的な反応をするようになったこと。たとえば以前彼は「一つの魂が何度も生を受けてこの世に生まれてきてはそのときそのときの課題を達成するっていったって、じゃあその魂って正確にはいつから始まったわけ」みたいな屁理屈のつっこみを入れてきたので、それに対しては「そんな風に考え出したらきりないよ。じゃあ少子化になって人口が減ったら魂の数があぶれちゃうんだろうとか。そういうところに目を向けるんじゃなくって、今自分の人生に実際に起きている現象に対してどういう捉え方をするかってときに納得のいく考え方として取り入れればそれでいいじゃない」と返しておいた。仕事の話、夫婦の話、他人の夫婦の性生活、食べ物、などなどあれこれについてたわいもない話は途切れることがなかったが、夜もかなり更けていた。最後に路上で、ちょっとだけ長いキスをした。でも、まだまだ敵の歯止めはよく効いている。。。
2005/03/12
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前回日記を更新したのはいつのことだっただろう。最近あることに時間を取られすぎて日記を書けないばかりか知人の日記や興味のある日記を読みに行くこともかなわない。まあ、自分の日記には大して書くことないけど。もう何ヶ月も会っていない彼がちょっとした怪我をした。怪我している間なら間違いもなかろうから飯でも食いに行くか、と言ってくれたけど間違いって... ≧з≦もういいよ。かわいくない。また週末に雪が降るだなんて、気が滅入るなあ。早く春よ来い!
2005/03/02
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最後に日記を更新してからかなりの日数が経ってしまった。特に変わったことはない。今は気持ちの内側のケアよりも外側の生活のことで忙しくしているので自分の精神状態とか感情の動きにあまり注意を払うこともない。彼の方は相変わらず娘となかなか会えない日々を過ごしているようで、やはり週末の気晴らしに打ち込んでバランスをとっているようだ。周囲には忙しくしている間に着実に変化を遂げているものと何も変わらずに放置されている種類のものとがある。そろそろ放置されているものと向き合わなければいけないなとも思うけど、忙しいのと億劫なのとでもうしばらくは動けないのかな。
2005/02/09
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最近の彼はまたさまざまな思いに悩み苦しんでいる様子。深夜にふと目が覚めて眠れなくなることもあるのだとか。ついに、子供が平日お父さんにお迎えに来られることを嫌がっているらしく、元旦以来娘に会っていないらしい。これからも会える回数が減るのだろうなと。娘の年齢を考えても、母親の方がいいと思うのも仕方ないと言う。娘に会えないことがあまりに辛いので、他人が同じような思いをすることにもまた耐えられず、そうなると私が何か彼の力になりたいと望んでも私の助けを借りることはすなわち「他人」を同じような不幸に陥れることに積極的に加担することになるから気が進まない、ということだ。彼は正義感が強く、自分が正しくないと思うことをすると結果的に彼が不幸な思いをするので、つまり、彼が今のように思っている以上、私の出る幕はない。今回の場合には、彼が正しくあろうとする気持ち以上に、彼の他人に対する優しさが余計に彼を孤立させているように思う。あなたがそんな心配をしたところで他人の夫婦関係などなるようにしかならないのだよ、と言いたいところだが、そういう問題でもない。あくまで彼の気持ちの問題だから。
2005/01/12
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正月早々こんなことを書くのは本当に気が重いし、幸先感じがしていやだけど、この年末年始を通じて、私は夫に何一つ前向きな反応を示すことができなかった。やることなすこと、見ていてあきれる、ため息が出る。新年早々こんなことで、果たして私たち夫婦の明日に、未来に、希望はあるのだろうか。一応新年なので気持ちも新たに、何か明るい材料はないかと探してみたが、こと夫婦関係については目ぼしいネタがない。子はかすがい、と昔の人はよくぞ言ったものである。いまや私と主人の間に存在する唯一の共通関心事項は、子供、と言っても過言ではないかもしれない。子供に兄弟がいないことは私にとってとても深刻な問題だ。いとこもいないわが子は、年老いた両親や親戚が死に絶えてしまえば天涯孤独だ。もう一人、できればもう一人子供を産みたい。だけど、私一人ではどうすることもできないし、主人と共にもう一度努力する気持ちの準備はいつになってもできない。いつになってもできないと言ってるうちに、私の体は自然界の法則によりその機能を剥奪され、もうどんなに望んでも、どんなに努力しても子供を産むことがかなわなくなってしまうだろう。未婚の若者が増えて少子化問題が深刻化の一途をたどるといった話題を目や耳にするとき、私の心はずきりと傷む。私は適齢期に結婚した。親のいいなりになったわけでもなく、恋愛結婚をした。楽しい時期も長かったと思うので、不満ばかりいえる筋合いではない。なのに、こと子供を作るということに関しては、たった一人で終わってしまう。実はわが子が生まれてからちょうど一年後ぐらいに一度だけ頑張って子供の兄弟の誕生を夢見たことがあったが、思わぬ結果に終わって妊娠はうまくいかなかった。そのことがある種のトラウマになった、という理由も確かにあるが、とにかくそれ以来、主人とは子作りに結びつくような行為を二度としていないように記憶している。男がもっと強ければ ―弱くなった男たち、というのは少子化の原因の一つと考えられているようだが― 夫がもっと強い男ならば、女の自己防衛の壁を突き破ってでも妻を妊娠させてくれるかもしれないのに、その可能性は望むべくもない。中性化してしまった現代の夫婦のひとつである夫と私は、ただそれぞれの義務を果たすべく一つ屋根の下に暮らしている。今年、そんな私たちに転機は訪れるのだろうか。そして、新年早々そんな後ろ向きな思いばかりが頭をよぎる私の人生に何か変化は訪れるのだろうか。一方、未来を共有しないばかりか、今日という現在さえ共有することのない彼という存在について。私と彼が共有するのは過去。過去しかない。私は彼を愛していた。彼は私を愛していた。私は今も彼を愛しているし、これからも愛し続ける。だけど、この愛に決して見返りを期待してはいけないことを私はやっと理解した。彼の無事と幸せを願う私の言葉は、真にその響きの通りを意味し、裏に秘められた願望などはもはや存在しない。あなたがどうぞこの一年、無事に過ごせますように。あなたが願い求める心の平安に少しでも近づくことができますように。つまらない毎日の中にも幸多かれと心より願っています。...
2005/01/02
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...子供を自転車で送迎するためにフラットシューズにコーデュロイのパンツにダウンジャケットを着て仕事に行った私。街でファー付きのロングコートやヒールの高いブーツを身に着けた人、退社早々待ち合わせらしい様子で携帯で話している人などを見ると、ああ、そういえばクリスマスイブって一大イベントだったなあ、なんてもうすっかり過ぎたこととして思い起こしたが、お母さんのクリスマスはディナー作りとプレゼントの準備に追われる。今年の冬はなぜか夫からボーナス手当てもなかったので、1月のバーゲンが始まったら自腹でドカンと買い物でもしようか。今年もあと1週間。思い起こせば長かったけど、日々時間に追われるように過ごしてきたから毎日はあっという間だった。来年はどんな一年になるのやら。いや、しようかな。
2004/12/24
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もう残すところあと3週間。早いものだ。今年は短かったようでいろいろあったなあ。年の初めは彼のことばかり考える毎日、自分のがんじがらめの現状から抜け出せないことに涙する毎日、真剣に夫との関係を見直すことを考える毎日だった。でも、春から仕事をするようになった。子供と離れて自分の時間ができ、わずかながらにも自分の興味を満たしつつ社会の小さな一部に自分の労力を提供し、それで受け取る対価は自分が100%主人に依存せずに生きていられるというささやかな心の支えとなり、職場で新しい人間関係ができ、幸い職場が便利な場所にあることからランチグルメを息抜きに楽しんだりと、忙しい毎日の中で、気持ちが自分の内面を見つめることに集中していた不健全な状態から解放された。こんなわがままな親なので私には子供を通じたママ友達というものがいない分、子供は預けられた場所で昼間の時間を他の子供や先生たちと楽しく過ごしながらものすごく成長した。家で親に叱られて反発して口論して、ということ以外に子供同士の間で思うようにならないことを正しいルールの中で解決していかなければならないことも学んだ。一人っ子にとっては大切な経験だと思っている。彼との関係は、春に彼の別居中の妻が興信所を雇った一件以来冷却状態にある。それぞれに守るべきものがある立場でこれ以上の危険を冒すことはできない、という彼のすばやい判断のおかげで、感情に流されることなく私は時間をかけてその状況を受け入れることができた。彼は12月はまたややこしいシーズンだと言っている。どちらの家でクリスマスをどうするか、プレゼントをどうするか、年賀状をどうするか、など、別居中の家庭の事務連絡は相変わらず戦々恐々としているようだ。私はふと、自分の心の中に乾ききった砂漠生活に慣れてしまい生気を失った感情の源について考えることもある。しかし、今自分が置かれた状況と自分が背負っている責任を考えれば、自分の感情の赴くままに生きていくことなど到底できない。一方で、自分の肉体が少しずつ衰えていくのを感じるとき、自分の野生的ともいえる願望がもう二度とかなえられることなくこの若さにして肉体的にも精神的にも隠居生活に入るのかと思うと哀しい気もする。来年はどんな一年になるのか、まだそんなことを考えるには少々早いが、今日はなんとなくそんなことを思ってみた。終
2004/12/08
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昨夜、とても変な夢を見た。それは、自分の存在の根底となっていた事項が覆る事実に遭遇する、という場面が結末だった。自分の頭で考え付いたとは思えないくらいストーリーが巧妙な展開だったので、私はこのことはよく記憶に残しておこうと眠りながら思い、夢の中でストーリーのおさらいをした。朝になって目が覚めても、これだけしっかり確認しておけばさすがに忘れないだろう、と思った。ところが。朝、目が覚めたら、自分の存在そのもののあり方を脅かすような考え方を示す夢を見た、ということはよく覚えていても、その内容、登場人物についての記憶が全くなかった。やっぱり、夢は自分の体験と同じようには記憶の中にとどめておくことができないようだ。でも、不思議。眠りながらまず何か新しいストーリーを考え出そうと頭をひねって、その後で映画のように出来上がったストーリーを眺めるわけではないのに、あのように巧妙にカギがあらかじめ示されたストーリー展開の後、最後にまるでどんでん返しのように恐ろしい結末が自分の存在を脅かすというシナリオは一体私の頭の中のどこでどうやって出来上がったか、あるいはしまわれていたものなのだそう。同じくストーリーはよく覚えていないが、大昔に見た『エンゼル・ハート』という映画も私が見た夢と同じような結末を示していたように思う。自分が他人のことだと思ってずっと関わってきた謎が、実は自分自身に属するもので、しかもそれが自分自身に対する自分の理解を180度以上覆す、なんて話が実生活の中で起きたらそら恐ろしい。
2004/12/02
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昨日ちょっぴり孤独にさいなまれていたら、今日、職場である女性からランチに行きませんか、と誘われた。最近、話すようになった、同じ部の違う課の人だ。前回、初めて一緒にランチを食べたときは別の人も一緒だったので、一般的な話をした。今日は、建物の外に出るなり、「私、今、なんかついてないんですよー」と言う。 好ましくないことが続けて起きたようで、少し落ち込んでいたようだ。私はその中身については聞かずに、私は辛いことやいやなことについて考えるのが好きじゃないので、悪いことが続いてもそれをさらに悪いことの予兆だと捉えたり、バイオリズムの一部だと考えたりしないと答えた。やっぱり○○さんならそう言うと思った、と彼女は言った。多分、悪いことが続いて起きたっていうのもただの偶然じゃない、と彼女に言った。因果関係が明らかで、原因を正せば直るような悪いことだったら直すようにしますけど、考えてもどうにもならないことを考えても仕方ないじゃないですか、と私が言うと、そうですよね、と彼女が言って、悪い話はそこで終わった。レストランでは住処の話に端を発して自分の生まれ育った環境の話になり、両親の話になった。普段一緒にランチを食べている友達にも話したことのないような個人的な経験談をさらりと彼女に話した。私が自分の子供に対する想いを語ると、「涙が出そうな話ですね」と言い、その話を彼女自身の存在に重ね合わせていた。(私が子供を一人っ子のままにしてしまうかもしれない話をしたら、偶然にも彼女は一人っ子だった。)なんだか、普段以上に中身の濃い一時間だった。明日はグループでランチに行く約束をしているが、私はやっぱり他人とは一対一で話す方がずっと好きだと改めて今日思った。
2004/12/01
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もう夜遅いし、寒くて体が震えてきたので今日はあまり書けないが、思ったことが2つある。1)昨年の冬同様、夫に対する嫌悪感が募ってきた2)自分の外見的な社交性とは相反する、自分の閉鎖性が原因の友達の少なさに寂しさを覚える1)は、夏の間はなんとなく気持ちが外に向いていてあまり深く考えずに済んでいるのかもしれないが、この頃夫に対して優しくできない。 何か大きなしこりがある。2)は、私が長い間苦しんできた悩みではあるが、それは突き詰めれば、友達がいない、ということではなく、グループに入ることが苦手、ということなのだ。 別にグループに属さなくても、数少なかろうとすごくいい友達がいればそれでいいはずなのだが、子供のためにはいい親とはいえないだろう。 私には子供を通じてできた友人がいない。 友達と言えるのは、100%、自分の学校や仕事や趣味を通じて知り合った人やフィーリングの合う人たちばかりだ。 お母さんたちのグループやファミリー同士の集いを見ると辛い。 自分はそういうところに属していないし、属せないのだ。(職場でも同じか。 一対一とかならいろんな人とそれなりに話すことがあっても、3人以上のグループになるとうまく入り込めない。)
2004/11/30
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4月以来、彼と夜の時間帯には会ったことがなかった。9月に一度会ったのも、昼食時の一時間のみ。今回は久しぶりにゆっくりと食事をして飲みながら大いに近況を語り合った。以前とは違い、彼は金欠気味なので、とびきり安くて美味しい中華料理店を紹介した。思ったとおりとても気に入ってもらえたようで、今度職場の人たちを連れてもっと大勢で来るといっていた。そう、中華料理は、人数が多いほうがいろいろ食べられてよい。最近は自炊も板についたようで、下手すると主婦の私よりよほど高度な家事をしているみたいだ。あまった食材も工夫して使い切るようにしているあたり、むしろ私の方が見習わなくてはいけない。食事の後は、ホテルのバーに飲みに行った。そこではずいぶん理屈っぽい話になった。なんでそんな話になったのかと言えば、食事中に彼が人間は本質的には他人や皆のために貢献することに最大の幸福を見出すと言ったのが発端だった。私はそれは皆が同じ立場に置かれていれば別だが、そうでなければ個人がある条件を満たした上で始めて他人に対して奉仕する心が生まれるのが今の世の中の現実ではないかと主張したのだった。で、バーに移ってからも、人類は常に進化を遂げ続けることが可能であると主張し、過去の積み重ねは現在の前提であると言い切る彼と、人類の歴史は進化と逆行を繰り返しながら徐々に進化するものであり、新技術の開発とプロセスの再現はいずれも欠くことのできない対極をなす活動であると主張する私はなぜか色気のない議論を戦わせたのだった。そして今回の逢瀬において、ロマンスはなかった。(これは、彼が春に別居中の妻に雇われた興信所につけられたという事実が尾を引いているからであり、彼は今のところ自分の感情行動に他人を巻き添えにする気がしない、という根拠による。)私には期待がなかったといったら嘘になるが、彼とはこうしてへんてこな議論をしているだけでも楽しい。一緒にいることが嬉しい。お互いの存在を意識して生きているというだけで満足だ。(とりあえず…)久しぶりに飲みすぎたのはいいけど、考えたらあまり食事をしっかりとっていなかったので、今朝は空腹とともに目が覚めた。かつてのように、前夜のことをあれこれ思い出しながら過ごしたのと違い、今日はすっきりした頭で家庭の用を足すことができた。私の心も、ひとまず落ち着いたということか。
2004/11/03
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今日、外国にいる友達から小話が送られてきた。この手のメールは笑い話であることが多いが、今日のはシリアスなものだった。話の展開はおいといて、オチの部分のメッセージは次のようなものだった:自分自身に、そして人生に感謝しなさい。夢をかなえるためには頭を使いなさい。心の痛みに執着して感情的になってはいけません。情熱をあなたが本当に望むことを実現するために使うならばもっと幸せになれます。せめて今日だけでも、前向きな思考と感情だけを使うようにしてみてください。違いに気づくはずです。私のなかでもやもやと渦巻いていたものを当て示すかのようなメッセージだった。偶然とは、本当は単なる偶然ではないのかもしれない。
2004/10/30
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なんだかもう身体がぼろぼろ。1日が24時間ではとても足りない。眠い。だるい。やらなきゃいけないことは山積み。でも、やりたいこともあるから、両方をこなすには睡眠を削るしかない。現実から逃避したい気持ちはやまやまだけどどこへ逃げたって、安らぎが永遠のものでない限り生きてるってことはいつも戦いなのかもしれないとさえ思う。せめて… 子供と、この世の中の幾人かの魂の仲間たちのことだけはないがしろにせずに苦しいときにも笑顔で接するようにしよう。
2004/10/27
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すっかり日記を放置。彼の方は一難去ってまた一難じゃないけど、別居中の妻から次から次へと問題を突きつけられてかなり参っているようだ。近いうちに会うことができたら、逐一愚痴を聞いてあげたいと思う。安くてめちゃめちゃ美味しい中華料理店で紹興酒を死ぬほど飲んで食べれば日頃のストレスも少しは緩和されるだろうか。これから結婚しようかという年下の男の子たちにちょっとした私の結婚生活の本音をばらしてしまった。かつて私に恋心を抱いていてくれた男性にとっては衝撃的な内容だったかもしれないが、彼らも大人だからわかってくれただろう。恋愛が私の活力源なんだ、と納得されたときにはちょっと言い過ぎ、とも思ったが(実際には活力源といえるほど恋愛してない...)、かといってそれを否定するほど潔癖でもないのでそのままにしておいた。だから彼らの私に対するイメージは変わったに違いない。もともと清廉潔癖とは決して思われてはいなかったと思うが、結婚生活に関してはごく幸せだと見られていたのだろう。夫との夫婦生活を否定すると、口々に「もったいない...」と言ってもらえたそれだけで少し嬉しかった、ということにしておこう。
2004/10/24
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最近、メールをやり取りしている人がいる。メールのやり取りをする前からかなり興味深い人物ではあったが実際いろんなことについて話をしてみると、うまく言えないが波長の合う部分が多い。不思議な縁の感じられる相手とのたわいもない会話が日常のちょっとした楽しみになるというのはなかなか悪くない。いや、悪くないというか、そういうのって嬉しい。
2004/10/13
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私って人間は、これで満足、っていう到達点みたいなものを持たないのだろうか。あれも欲しい、でもこれも欲しい。小さな子供となんら変わりない、欲しいということへの固執。でもこれって、人生においていかなるときにもこれでいいや、と満足して進歩することをやめないように生まれ備えてきた本能なのかな。
2004/10/09
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すっかり日記をサボっているし、知人の日記も全然読みに行かれない。ちょっと忙しくて身体にも、精神的にも相当疲れがたまってきているので、ネット時間はぐっと減った今日この頃。友人たちとも疎遠になってしまっている。まずい、この状況を脱しなければ。彼の方は、相変わらず奥さんからの執拗なメール攻撃でノイローゼになりそうだと言っている。別居、離婚に至る過程では、お金にまつわる交渉も半端じゃない様子。享楽的な生き方をしていたはずの私たちだが、それぞれ違った状況で、彼は人生の修羅場を、私は忍耐力を試される時間を通っている気がする。
2004/10/04
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昨日、久しぶりに彼に会った。私の職場のそばまで来てくれたので、昼ご飯を一緒に食べただけだったが、なんとか元気にやっているようで安心した。やっぱり生活は楽ではないみたいだ。お給料も下がったって言ってた。(毎月の手当を下げる分、業績に応じたボーナスポーションを増やすとの会社の説明だそうだが、誰もそんなこと信じないだろう。)心なしか緊張感がなくなっていた気がする。(うるさい奥さんがいなくなってせいせいしたことへの反動だろうか。共通の友人がよく冗談で、やつは独身時代にはパンツは洗濯前に裏表で2度はいていた、と言っていたぐらいだから、1日に最低1度は必ず洗濯機を回す奥さんとの共同生活は窮屈だったに違いない。)そして、喫煙を再開していた。(子供が生まれてからずっと禁煙していて、最初にそれを破ったのは私とお酒を飲んだ時だった。その後だんだん夜だけ吸うようになったのは知っていたが、奥さんと子供が出て行ってからは昔に逆戻りしたらしい。)ところで昨日の約束を先週会社のメールで取り交わして以来、最終的な連絡がなかったので、私は忙しいか何かでドタキャンになったものとあきらめていた。それが、午前11時半過ぎにいきなり電話がかかってきて、今から会社を出るから、と言われた。携帯メールから私の携帯に詳細を午前中に送ったのに、また届かなかったらしい。ちゃんと、送ったはずのメールを見せてくれたが、アドレスは正しかった。私の携帯の着信拒否リストにも彼のアドレスは登録なし。一体、送られたメールはどこに行ってしまっているのだろう。不気味。
2004/09/22
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この頃計らずとも偏った内容の本ばかりを読んでいる気がする。その多くは小説なのに、必ず魂がらみの話になる。錬金術も結構登場する。設定が未来だったり過去だったりあいまいだったりというのはあるが、これらの本には表現が違っても共通するメッセージのようなものが存在する。それは、多分、この世に生きる者の使命に関係がある。が、その使命を何とするかは著作によって異なる。自分を律し、高めることによって望むものに近づくものなのか、強く望むことによって偉大なる力の助けを引き出せるのか。運命は変えられないのか、運命に逆らうことで新しい世界観が生まれるのか。それとも、自己を放棄して、総体の向上に努めるべきなのか。そして、いつも堂々巡りに思う。自分が越えるべき壁とは一体なんだろう。望みを放棄して耐えることによって自分の魂は成長するのだろうか。それとも、望みのままに進んで、そこに現れるあらゆる試練と戦うことが自分の使命なんだろうか。?????????
2004/09/13
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昨日、彼が奥さんからのメールの一部を送ってきた。そこには、育児と仕事で精一杯の多くの女性にとって、精神的・物理的に助けにならない夫はストレスの原因でしかない、と書かれていた。夫に対してストレスを感じながら生活しているのは君だけじゃないよ、と私に知らしめるために見せてくれたメールだった。私は夫と対等な立場で対等な給料を得るために同じ位の勤務時間で働いたことがないので、そこまでの気持ちは理解できない。彼に、送られてきた抜粋部分に対する驚きを示したら、「そんなことぐらいで驚くのか」と、やり取りの全文を見せてくれた。そこには冷徹な口調での子供のお迎え、引き取りの日程と経費支払いのやり取りがあった。そして、読み進めるにつれ、奥さんの彼に対する怒りは増し、最後の部分ではもう決心がついた、今まで忙しさにまかせて放置してきたことだけど、もうはっきりさせましょう、と言い、彼に離婚清算費用を用意するように申し付けてきた。子供にとって今離婚するのがよいことなのかどうか、という点については2人の見解は分かれており、彼は今はそのときではない、と言い、奥さんは早ければ早いほどいい、と言っていた。早ければ早いほどいい、とはどういう判断だろうか。離婚を機に子供を父親から引き離す、と言うならば話はわかる。でも、これからも育児は(奥さんいわく)9対1の割合で分担し、子供は週に1度は父親の元で過ごす生活が続くのだろう。そんな中、両親が離婚し、子供が母親の姓を名乗るようになるということには、別居中の両親がとりあえず同性を名乗っていること以上のメリットがあるのだろうか。自分がほぼ全面的に育児をしているという意識の母親からすれば、当てにならない父親の姓を名乗り続けるよりも、「あなたは私の子供だから私が必ず守り育てるわよ」という保障の証に自分の姓を名乗ったほうが子供にとっての安心感という意味からもメリットがあると思うのだろう。この夫婦、離婚せずにとりあえず別居、となった段階で奥さんが家を出、マンションを購入してしまったので、奥さんにはそもそも家に戻る意志はまったくなかったと思われる。少しでも戻るつもりがあれば、いきなりマンションなど買わずに、借家住まいをするのが普通ではないか。夫婦それぞれがローンを抱え、子供を預けるための経費がかかり、別々の光熱費やら税金やらの固定費がかかるため、2人の経済状況はかつての潤いを失い、それが心のゆとりをなくして2人の関係を悪化させていることも間違いない。私は夫に対して人間的魅力を感じていないが、少なくとも比較的成功している社会人として、尊敬はしている。だから、夫との結婚生活は自分という人間の本質的な部分での欲求を満たしてくれることはなく、本当の意味で共鳴・共感しあうことがないので、それは無味乾燥で便宜的な結婚といえる。だとしても、夫は結婚の解消をこれっぽっちも望んでいないし、子供にとっては両親がそろっている家庭という場所は理想的な環境だし、なにより私は離婚寸前の彼の夫婦の間にあるような憎悪の感情を夫に対して抱いてはいない。離婚が夫婦2人のみならず子供や周囲のさまざま人に影響を及ぼすとしたら、それは余程の決意と覚悟がなければできないことで、相手の存在を相当疎ましく思わない限りそう簡単にできることではないのだなあ、と今更にして思う。離婚という道を選ばずに自分らしい生き方をしていくことが私の使命かな、と他人の状況を見て考えた。
2004/09/10
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が出てきたり、性の生命力みたいなものが力強く描写されている本を読んでいたら、急に自分の中でなおざりにされている欲求の部分が哀れに思えてきた。電車の中で、呆然と、好きな人に抱かれたときの、肉体的な快楽とかいうことじゃない、生の充足感、女として生きていてよかったと思える感傷的な悦びの感じを記憶の中から呼び覚ましてしまった。もう一度、ああいう感覚を味わいたいなあ、と思った。
2004/09/06
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私の大切な彼が、子供のキャンプに行ってきて、夜の大人の飲み会のときに誰かが持ってきていた占いの本が話題になり、そこに書いてあった自分の分析というものを教えてくれた。ふふふ、当たってる。彼は、子供を通じて知り合った大人たちから「当たってる~」と言われたそのことに複雑な心境であったようだ。返事として、私が以前購入して、彼にも紹介すると言ったきり放置したあった本に書かれている彼の分析と、私と彼の関係についての記述を送った。彼の分析をタイプしていた気がついたのだが、占い本に書かれていたことと表現は違っても、同じような彼の本質を突いている。ちなみにこの本の分析は、私に関しても痛いところを突いている。そしてさらには、私と彼の関係についても面白いことが書かれている。ちなみに、私が持っている本は占い本ではなくて、人生の目的について教えてくれるもので、それぞれの人が克服すべき人生の課題を解説してくれている。さあて、これを読んだ彼は、どんな反応を示すのだろうか。
2004/09/05
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今日、友人と食事をした。私が好きな彼の親友で、かつては私のことを好きだった男性。私は彼とは友人として親しいし、彼は私の好きな友人とよく飲んだり話したりしているが、私と私の好きな彼とが特別な関係にあることは一切知らない。今日、彼が、私の好きな彼の簡単な近況を話してくれた。本当は、私自身も本人からいろいろ聞いてはいるが、ほとんど知らないそぶりで聞いていた。最近は、金欠に悩んでいるらしい。高収入の妻と、高出費体質の生活を築いてしまった後、夫婦は完全に別の暮らしを始めたとしても、子供の生活や教育のレベルを落とすわけにはいかないので、収入が半分になった今、かつての生活の残骸を維持していくのは楽ではないそうだ。それから、友人は、この間彼に女の子を紹介してやったんだけどうまくいかなかった、といった話をしていた。まだ若いし、これから先の人生長いわけだから、彼には幸せになって欲しい。やっぱり、一生一人でいるよりも、もう一度奥さんでももらったほうがいいと思う。だけど、今日の話を聞いて、内心嬉しかったちょっとわがままな私でした。
2004/08/27
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堅いタイトルにしてしまったが、要するに、自分が漠然なりとも思い描いている人生の図というものは、実ははかないほどに薄い紙の上に描かれている。その薄い紙は、「健康」という概念でできている。そう、健康な人間が立てる人生設計とは、すべて自分が、そして自分の身の回りの人間が「健康」であることが「前提」となっている。前提が崩れてしまうと、思い描いていた多くのことは実現不可能となってしまい、変更・修正を余儀なくされる。その変更・修正とは多くの場合、不本意なもの。もちろん、「健康」を失ったことによって初めて知る喜びとか、初めて理解する物事の真理だとか、世界は決して悪い方ばかりに変わるのではないと思う。「健康」を失うと、今まで見えなかった世界が見えてきて、その世界の中で自分なりの選択をしていくのだと思う。だとしても、自分が今思い描いていることが、どんなに努力しても、努力する以前に実現不可能となってしまう状況を想像すると、苦しい。普段、「健康」を失うことについてあまり深く考えたことがなかったが、「健康」を失うことはすなわち現在の自分が計画していることの前提が崩れ、すべての選択は見直しを余儀なくされるということなのだと、ふと考えたら恐ろしくなった。「健康」を粗末にすることは、現在の夢を放棄することに等しい。 自分の体だけじゃなく、自分とかかわる人すべての心身を気遣い、一人でも多くの人が心と体の「健康」を維持できるよう、できる範囲のことをしていきたい。
2004/08/16
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久々に彼からのメールの着信音を職場で聞いた。すかさずチェックしてみたら、ずっと前に私が送ったメールに返事したのに、また届いてなかったみたいだね、とのこと。以前にも、彼が2度も返事出したのに、と言っていたのに、私としては連絡が途切れたと思って心配したことがあった。今回も、彼の携帯からのメールが届いていなかったらしい。着信拒否、っていうのはわかるが、特定の相手に送信できなくする機能ってあるのだろうか?そんな機能があるのなら、彼の別居中のパートナーがかつて彼の携帯を盗み見したときになんらかの設定をしたのではないかと疑いたくなる。今後は職場にメールしてくれ、と言うのだけれど、私としてはできれば個人のアドレスにメッセージを送る方が好ましかった。まあ、役に立たない手段に頼り、結果的に無用な心配をするぐらいなら、相手がそう言うんだから会社の連絡先を使わせてもらうしかないか。今、知人から借りた面白い本を読んでいる。簡単に言うと、三角関係の男女の話。小説の語り手は、かつての三角関係のことをいろいろ回想している。三角関係の相手は、語り手(男)の親友と、その彼女。その彼女と彼氏は、肉体的なつながりが強い以外の絆は弱く、彼氏はいざというときの彼女への対応をみな友人である語り手に押し付けるし、彼女は彼女で、語り手のことを心から信頼して気を許して何でも話す(が、体を許したのは一度きり)。そして語り手は、ずっとそんな彼女のことを愛していたのだが、自分の気持ちは決して告白できなかったのである。彼女は問題の多いとんでもない素性の女で、2人の男性も彼女の身辺に起こるトラブルに巻き込まれていった。語り手は、彼女が死に直面している最期の時間に、そんな過去のさまざまなエピソードを思い起こし、たった一度だけ報われた彼女への想いに幕を閉じる、のだと思う。うぬぼれかもしれないが、かつて、私とある男性を中心に仲良しグループが形成されていた頃、その中にいた私の愛する友人は、ある意味この小説の語り手に似た気持ちを味わったことがあるのではないかと思う。 そして、さらには、この小説の主人公の女性の語り手に対する気持ちが、私が彼に抱いていたそれに似ていることである。小説との違いは、私は私のことを好きだった男性とは一度たりとも男女の関係にならなかった。彼氏彼女ではなかった。向こうはそうなりたかっただろうし、私のことを好きだと公言していたが、私はその人のことを友人としては大切にしていたけれど、男として意識できなかった。その点では、友人の彼は救われていただろう。友人の彼は、彼自身の親友である男性からも、私からも、それぞれの気持ちや本音を聞かされる役回りであった。本当なら、彼自身が私に対する気持ちを表してくれていれば、その後の展開は違っていたであろうに、彼は親友を失いたくないあまりに自分の気持ちを表に出したことはなかった。私にとって彼は、安全に信頼できて、心地よい相手だった。私と彼が始めて二人きりで出かけたのは知り合ってからかなりの時間が経ってからだった。それでもとくに怪しい関係にはならなかった。怪しくなったのは、前出の男性と彼と、3人で過ごした夜の出来事だった(この話は、別欄のページに書いてあります)。一度そうしてはっきりと自分の気持ちを認めてしまって以来、私の気持ちは二度と元にはもどれなくなった。小説の彼女は、語り手について本当はどう思っていたのだろう?
2004/08/13
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ずいぶん長い間この日記に書くことがなかったし今も書くことが思いつかない最近の私は、自分の内側のことを考えている余裕がまったくない外側のいろいろな仕事や作業、ときには楽しい出来事に完全に追われていて自分が何をどう感じているのかとか自分が何を求めているのかとか自分が何をすべきなのかとか自分に関すること、ちっとも考えていない。少しだけ時間のあるときは、本を読む。こんな切羽詰った日常においてたった一人、いつでも私のそばにいる夫。自分がかつて選んだパートナーである夫を改めて見つめ直してみる。何度見つめてみても、他に選択肢が全くない状況であっても、なお夫に魅力を感じることはない。単なる同居人、子供の父親、それだけ。空虚な私の心は今でも、毎日ふと彼のことを想う。もうかなり長い間会っていない。最近はあまり連絡もないなあ。なのに、なぜ私は、毎日彼の無事と幸せを願わずにはいられないのだろう。とにかく、少なくとも今年一杯は、自分の内側のことをかまってやれそうにない。せめて、自分で選んだ本を次々と読んで、頭にいろんな刺激を与えておこう。
2004/08/09
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最近全然更新もできていないので、もう不要かな、やめようかな、と思うのですが、ページを開いた目的はあくまで自分の気持ちを書きとめる場所が欲しかったからであってあまりの更新の少なさとここで知り合った人たちとのやりとりの少なさに読者が減ったことを意識してやめる必要もないか、と考え直し、とりあえず気が向いたときだけ更新するベースで残しておこうと思います。この頃は特に、日記に何か書こうかな、と思ってログインしても、人のページを読んでわずかに書き込みしているだけで時間がたってしまいます。ま、いっか。
2004/07/25
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暑すぎて体調を崩し、夜もぐっすり眠れない。辛い…最近は料理に時間をかけてみたり、本を熱中して読んだりしています。彼のほうも何とか元気にやっているみたい。海を眺めていたら、昔の無邪気に楽しかった頃の記憶がよみがえってきた。昔、仲間と通った道を走ったら、いい仲間に恵まれて幸せだった頃のことをいろいろ思い出した。時を経て年をとり、みんなずいぶんと違う道に別れてしまった。人生においてそんなことは特別なことでもなんでもなく、むしろそれが当然なんだろうけど。昔に引き返すことができないのなら、あの頃のような喜びを、もう一度この人生で味わいたいものであります。
2004/07/21
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おととい久しぶりに彼にメールを送ったのに返事がなかった。だから、気になって今日、仕事のアドレスに大丈夫か、って聞いてみた。そしたら、あれ、返事したはずなのに、と言っていた。大丈夫だけど、忙しいからまたゆっくり連絡するって。とりあえず、元気でやってるんだって、それがわかっただけでよかった。私はねー、ついついあなたのことばかり気になるんだ。今は、会いたいという感情もうまく抑えているから、すごく冷静にあなたのことを考える。あなたが、心身ともに健康で、子供とできるだけ一緒に過ごせて、仕事に打ち込んで仕事がうまくいって、家に帰っても寂しさを感じず、おいしいご飯を食べておいしいお酒を飲んでゆっくり眠れて、無心になって走れて、毎日を無事に過ごしていているかどうか、そういうことだけを考える。あなたの生活と私の生活がどこでどれだけ交わっても、すれ違っても、それはそれで構わない。私は、あなたの存在と切り離して、自分自身の精神的な自立を志すことにした。そうすることでしか、あなたという人間と交わることができないと悟ったから。会いたいと思わない、といったら嘘になるかもしれない。本当は会いたくない訳はない。 だけど、この春にあなたの身に起こった苦難のことを思うと、これ以上あなたを苦しめるようなことはしたくない。 だって、私、あなたに会ったら、やっぱり抱きしめたいと思っちゃうもん。 そんなことされたら、困っちゃうでしょ。 せっかく取り押さえている感情を噴出させるとあとが辛い、って経験は、これまでに何度もあったしね。私は、都会に出てしまった息子を思う田舎の母親のような気持ちで、あなたの無事と、幸せを、心穏やかに願っているからね。 いつか、あなたがまた帰ってきてくれる日まで。
2004/07/09
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そういう気分だったでも、日本語だといつものように理屈っぽくなってしまうので思いつくままに外国語で書いてみたちょっとだけ、心がすっきりしたみたい
2004/07/02
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私はこれまで自分は結構これでいて恵まれた存在なのだと思っていた。もちろん、思い通りにならないことも多々経験し、親の強い影響力に圧されて若すぎるうちに結婚してしまったことなど人生の後悔もいろいろあるけれどこと与えられた才能、という意味では少なくとも恵まれている方だと思っていた。(但し、芸術、スポーツを除く)ところが、以前から思い始めていたことだが特にこの頃、自分は与えられた適度な才能と生活環境に甘んじ努力を最小限に抑え、常に余力と逃げ道を残しながら楽をして生きてきた結果、出足はゆっくりだったけれどこつこつと努力を積み上げてきた人たちにとっくの昔に追い抜かれ、ずっと後ろに残されていたという事実に驚愕させられる。もともと才能があってさらに努力を怠らなかった人ははるか彼方に、スタート地点では私より後ろにいたはずなのに歩みをやめなかった人も皆わたしより前に行ってしまった。私はウサギとカメのウサギ。親に着せてもらっていたきれいなお洋服を一枚一枚はがされてしまい自分で着るものが用意できていなかったことに今更ながらに気づきうろたえる。年をとっていくにつれ、どういう家に生まれてどういう教育を受けたかということの影響が減っていき、その人が何を求めて何をどのように生きてきたのか、その人が家族や友人や他人や社会のために何をできるのか、というようなことが人間の一人ひとりの価値になっていく。私はどんどん無価値な人間になっていくのがわかる。それに気づき、あせっている。でも、人生折り返し地点までさえももうちょっとだけ間がありそうだ。今からでも遅くないだろう。人間は裸で生まれてきて最初は親が服を着せてくれるけれどあるときからは自分で服を手に入れて身に着けていないと与えられた服が合わなくなったときに着るものがなくなってしまう。自分でどんな服が着たいのか、選ばないといけない。完全に裸になってしまう前に、自分の着たい服を見つけ、それを手に入れに行こう!!
2004/07/01
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彼は奥さんと一緒に暮らしているそのこと自体が生きていることの苦しみの大部分になってしまった。だから、別居したことで、別の苦しみを味わいながらも今の苦しみのほうがまだましだ、という状態。一方、私は...私は夫といる自分というものが苦しいけれど夫が私を直接苦しめるということはあまりない。そう考えると、私は、自分の苦しみを、人のせいにしてきただけなんじゃないか、と思えたりする。誰と一緒に暮らしていても、あるいは独りきりになったとしても、まずは自分自身がどうしたいか、どうするのか、ということが一番重要な問題なんだった。これまで、自分自身に欠けているものが手に入らないことを夫とうまくいっていないことのせいにしてきたように思う。どんな状況におかれていても自分の思ったことをまずは精一杯やり通してみることこそ今の私に必要なのではないかと思えてきた。人のせいにしないこと。人に甘えないこと。人を当てにしないこと。自分がどのように生きたいのか、自分自身の問題としてのみ考えてみること。子供のために自分が我慢することと、夫のために我慢すべきことと、自分自身の生き方のうえでどうしても妥協できない部分とを、きちんと分けてみること。その上で、まずは今、自分が置かれた状況で自分ができることを、精一杯やってみること。そんなことが必要なのではないかと思っている。自分が精一杯努力してみた上でそれでも手に入らないものが出てきたときにはそのときに次のことを考えるべきかと。...なーんて、言うは易し、行うは難し。有言実行、しないとね。
2004/06/29
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彼のことを深く考えずに過ごす日々にも慣れてきた。メールも、最近は週に1回ぐらい。今日、10日ぶりぐらいにメールしてみた。子供が怪我をしていたようなので、その様子も聞きがてら。子供と離れての生活が相当堪えているらしい。久しぶりに会うと最初はぎこちなく別れるときには身をちぎられる思いだと。子供がいないことに勝る寂しさはなく子供以上に会いたいと思う人もいないと。鬱を克服するには無理やり運動するしかないと。仕事と家事に没頭するだけの生活を送っていると。それでも、奥さんと暮らしているよりはましだと。どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろう。彼の口から「鬱」などという言葉が出てくるなんて以前では想像もつかなかった。人に対しては口数少なく自分の感情を内に込めてしまう人なのはわかっていたが今までそれで自分の首をこんなにも絞めていたことはなかったはずだ。それなのに、今度ばかりは、とても切羽詰った口調だった。少ない言葉の中から、心の痛みがあふれ出ていた。なのに、私は何もしてあげられない。私では助けにならないばかりか私が下手なことをすれば彼の首は絞まる一方だ。今、私にできること。念じる。彼の張り詰め傷んだ心が私の愛のテレパシーによって癒されますように。祈る。神様、仏様、どうか彼が、孤独の苦しみから解放されますように。
2004/06/28
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最近読んだ本の中でとても心に残った本。ブラジルのパウロ・コエーリョという作家の作品。この作家の作品でもっとも有名なのは世界的ベストセラー、『アルケミスト』。他の作品で興味深いものがあるものの、まだ読んでいないのでなんともいえないが、『ベロニカ…』は『アルケミスト』と違って人間の内側のネガティブな要素に視点をおいている。主人公の若い女性ベロニカは、自殺未遂を犯し、精神病院に送られる。ここで、医師に宣告されたわずかに残された人生の時間を過ごすのだが、彼女自身のみならず、精神病院で出会うさまざまな人々の生き様にも話が及ぶ。精神病院での話、というと頭ごなしに敬遠する人も多そうだが、この本は、狂気と普通であるということは紙一重であることを訴え、自分らしく生きるとはどういことなのかを読む人に考えさせ、また憂鬱の原因がどこにあるのかを検証しており、この世界に生きる意味やそこにおける自分の居場所を模索し、悩む人や、単に精神世界に少しでも興味のある人にはお勧め。
2004/06/24
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また夫とやり合ってしまった。夫が、洗濯機の使い方ひとつ知らないことが頭にきた。自分はそんなこと知らなくてもいいと思っているそのことがむかついた。夫は私のことを決して家政婦だとは思っていない。役割の分担だ、と言い、役割を分担してこそ結婚して共同生活をしている意味がある、と言う。どうやら、どんどん変わっていくのは私ばかりで夫の考えは結婚当時からなんら変わっていない。確かに、私は結婚当初からしばらくの間夫にできないことを私がやり、私にできないことを夫がしてくれればそれでよいと思っていた。それが、今ではそう思えない。日常の忙しさのバランスから私が基本的に家事を引き受けることに全く異議はないが、そもそも家事を全くやる気がなく私が文句を言うとなんで文句を言われなければならないのかわからないとまで反論されると思わずしばらく姿を消して困らせてみたい気にすらなる。食事を用意し、片付け、掃除をし、洗濯をするなど人間の生活のごくごく基本的な作業ではないか。私に夫のように金を稼ぐ能力はない。私の家事能力は人並みか、あるいは人並み以下かもしれない。だからといって______私はこのまま一生、「実質的な」家政婦でい続けなければならないのだろうか。それともそもそも自分を家政婦のようだと考える自分に夫が言うように問題があるのだろうか。他の多くの女性が当たり前のようにやっていることにぶつぶつ文句を言う私が悪いだけなのだろうか。自分が正常なのか狂いつつあるのかわからなくなってきた。
2004/06/20
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ボーとしていた今日心ここにあらず、という状態で考え事をしながら電車に乗っていたら人波に流されて間違った駅で下車してしまった子供に先に夕食を食べさせ自分は夫と食事合間に片付け調理洗濯なんで私が夫のために家のことをすべてやらなきゃいけないの理不尽私の人生って何?夫が外で立派に仕事できるように影武者でいろってこと?夫は仕事で疲れている私だって疲れているでも、家事をやるのは私子供の前ではこんな表情は見せないだからこそ、子供が寝た後、夫にはこれ見よがしに不満の表情を見せつける悪循環洗い物をしているとすべてを壊したくなるどこかに走り去りたくなるでもそんなことをしたらわずかに作りかけている自分の居場所すらなくなってしまうわかってるんだ苦しいのは私だけじゃないってこと。。。。。。。。
2004/06/15
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愛する人と引き裂かれてしまいましたそれでも私はいつもあの人のことを想っていますもう10年以上も私にとって特別なあの人が私の中からそう簡単に取り払えるわけがありません誰が何と言おうとも私があの人を想うことそれ自体、罪であるはずがありませんそれではあの人に逢いたいと思う気持ちはやはり罪なのでしょうかあの人に幸福のエネルギーを与えたいと思う気持ちは偽善なのでしょうかあの人と生の喜びを分かち合いたいと思う気持ちはただの我侭なのでしょうかあの人の温もりをもう一度感じたいと思う気持ちは不純なのでしょうか私には前が見えなくなりました仕方がないので後ろを振り返ってみては微笑みと涙を同時に浮かべもう一度前を向くのですが目の前に広がる景色はあまりに荒涼としていてただただ途方にくれるばかりです私がそこに立ちすくんでいたら子犬がこちらを見ていました
2004/06/13
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彼は毅然としている「君が責任を感じるのはナンセンスだし私の本意ではありません。そこはよろしく。」ときた。私は彼や神様に一時逃れのつもりでゴメンナサイと謝ったわけではない。私は、本心に蓋をするように心を偽って、自分にとって都合のいい選択をした結果、今さら本心に沿おうとすることが社会的には曲がったことになってしまった、そのことを謝りたかった。自分の愛する人を、捻じ曲がった形でしか愛せないという状況を、自分の選択によって作り上げてしまった、そのことをすまないと思っている。そして、知らせから一日たった今、私の中には行き場のない怒りがふたたびこみ上げて来た。私がもし別居寸前の妻だったら好きでもない夫の携帯をチェックするだろうか仮に何か怪しいメールを見てしまったとするそこに芽生える感情は嫉妬なのだろうか好きでもない夫に関わる女性に嫉妬するだろうか嫉妬でも何でもいい、不愉快な感情を抱いたとするそこで興信所を雇おうとするのはなぜだろうかもし何か浮気の証拠でも出てきたとする私はその証拠を元に何を得るだろうか慰謝料?自分は正しく、夫が間違っていた、という自己満足の根拠?夫が追い込まれあたふたする姿を見ることで得られるひねくれた爽快感?理解できない。いつからいつまで興信所が彼をつけたのかは知らないが調査中の彼の生活は潔癖そのものだったという。そのことで、彼の妻はかえって逆切れしたらしい。彼は、調査費用を負担した。クサいことを言うようだけれど愛に試練が付き物ならばどんな試練でも受けて立ちたい。同じ人生で二度と同じ後悔を繰り返したくない。自分の心の真実から目を逸らし逃げるのではなく迫害され続ける愛の真実を守り抜きたい。
2004/06/10
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思っていた以上に事態は深刻だった興信所が雇われていたあることないこと噂がばら撒かれていたそれが親のところまでも届いてしまったらしいそれでも私を守ってくれる私には想像のつかない悪意を持った人証拠は何もないのだから、もう嫌がらせはやめて欲しい神様、彼をこれ以上苦しめないでください神様、私から謝りますごめんなさいでも、真実の愛は、障害が増えれば増えるほどそれが本物かどうか試されるように思う
2004/06/09
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ずっと気になっていた本をついに入手して1週間。いまだに熟読する機会に恵まれていないが、とりあえず必要と思われるページだけをさらりと読んで私は興奮。私に関する項目、主人に関する項目、そして彼に関する項目、恐ろしいほどに的を得ている。それぞれの人物がいまだこの世に生まれてきた目的に近づくために切磋琢磨している過程だとして、それぞれが自分の克服すべきポイントをクリアして行ったとき、いったいそこにはどういう人間関係が存在するのだろうか。先日霊感的手相占い、というものの前を通ったときかなり後ろ髪を引かれたが、誕生日に基づく運命数を使ったこの分析、かなり鋭い。もう少し詳細にわたり読み次第、追記の予定。
2004/06/07
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我が家はエレベーターが何基もある団地のような大型マンションに暮らしている。我が家と同じエレベーターを使う家庭は全部で28件。いや、1階の人は乗らないので、26件。我が家は高層階なので、朝のお出かけラッシュの時には各駅停車状態で何度も他の階に停止しながら下に下りる。我が家が出かける時間はちょうど地元の小学校の集団登校の時刻に当たるため、小学生がたくさんエレベーターに乗ってくる。きちんと礼儀正しくご挨拶のできる子供もいれば、毎朝のように会うのに一向に挨拶もしない子が結構いる。そんな中で、わたしがかわいいな、と思っている男の子が一人いる。会えばちゃんとご挨拶をする。夕方私が保育園の迎えを終えて帰宅するとき、ちょうど塾から出てきたところでばったり会ったことが何度かある。そんなときはなんとなく一緒に歩いて帰ってくる。私と息子からちょっと離れて先を歩きながらも、息子のことをよく見ていて、息子が道草をして取り残されそうになると「しょうがないなあ」とか言いながら抱っこして連れてきてくれる。息子が一度転んでしまったときにはあわてて起こしてくれた。私が息子に「ちちんぷいぷい」を唱えてやっていると、彼はそのおまじないをきちんと聞いたことがなかったみたいで、「それなに? ちXちんぽりぽり?」とわけのわからないことを私に聞いた。 それからそのフレーズが可笑しかったみたいで、間違ったほうのを何度も繰り返し口にしていた。最近気づいたのだが、この小学校中学年ぐらいの男の子のお母さんはおなかが大きい。そっか、年の離れた弟だか妹だかがもうすぐできるんだ。こんなやさしいお兄ちゃんがいたら、生まれてきた赤ちゃんは幸せだろうな。もしかして、この男の子がうちの子にやさしいのは、もうすぐ自分がお兄ちゃんになるという自覚がめばえてきているからなのだろうか。できることならこの男の子に長年一人っ子でいたときと、兄弟ができたときの心境の変化をそのうち聞いてみたいものだ。(そんなこと実際にはしないけれど)絶対嬉しいに決まっている。今のままの状態だと、絶対に下の兄弟ができることのありえないうちの息子がちょっとだけ気の毒に思える。ごめんね、「ママの子供」。
2004/06/03
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最近すっかり筆不精(キーボード不精?)になっていた。お友達の日記は読みに行ったりしてたけど、自分のを書くのが億劫で。。。実は健康上気になる部分が一箇所あり、というのもそこが結構痛むことがあるので、それが四六時中気になって、結構なストレスになっている。最悪の事態になったときの自分を想像するなど自虐的な行為を楽しんでみたり。今日は、小学校6年生の女児が同級生にカッターナイフで切りつけられて死亡したニュースを見て、自分の子供の将来が心配になった。真心込めて育てた子供が、ある日突然、見知らぬ人の衝動的な行動によって命を落とすという計り知れない恐怖。夜のニュースで亡くなった子供のお父さんの記者会見を見たが、さすが報道関係の要職者、取り乱さないようにしながら心境を語るその姿を見て苦しくなった。彼がスキーのビデオ映像を送ってきた。運動神経のいい人はこんな悪雪のなかでも、しかもシーズンに数日しか滑っていなくてもこんなに気持ちよく滑れるんだ、とちょっとうらやましくなった。いつかまた一緒に滑れる日が来たときに、待ちぼうけを食わせないように私も来シーズンはスキー復活しよう。休日の多かった5月に比べ、6月は出勤日数も多く、カレンダーを眺めるだけでも気が重い。入梅はいつだろう。家の中がじめじめして、いやだなあ。なにか、気分を明るくしてくれるような材料はどこかに落ちていないだろうか。
2004/06/01
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ヘビースモーカーだったあなたは自分が父親になると知った頃きっぱりと禁煙をした年に一度ぐらい会っていたとき私が自分の煙草を取り出すとあなたはテーブルの上のボックスに手を伸ばしそして言った私と会うときにだけ、吸おうかな次の年に会ったときあなたは私のボックスに手を伸ばした前の年の言葉は本当だったようで一本吸っただけでくらくらするとあなたは言ったやっとお互いが近くにいるようになったあるときあなたは自分のボックスを取り出したあなたがどれだけ辛い日々を過ごしているのかと気に懸かった私は基本的に一人のときかあなたといるときしか煙草を吸わないだからあなたに会えない近頃は一本吸うたびにあなたのことを考える一緒に煙草を吸いながらいろいろな場所で過ごした楽しい出来事に思いを馳せながら私は大きくため息をつく
2004/05/24
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昨夜はテレビの前で一度転寝してしまい、気がついたら12時を回っていた。朝鮮関連のニュース以来ずっとつけっぱなしになっていたチャンネルではつるべとアルフィーの坂崎とすっごく私好みの男性がトーク番組のようなものをやっていて、昔懐かしい曲ばかりを即興でギターで弾きながら歌っていた。懐かしい曲がうれしいのもさておきこの男性はだれ??としばらく見ていると、男性の名前が画面に映ったので早速インターネットで調べてみた。DonDokoDonの山口智充という人だった。ネットで過去のトーク番組のプロットを読んでいたら彼は吉本に入って一年目で結婚して、子供もちゃんといるとのこと。なんだ、残念。(って、何が…)笑っていいともにも出てるんだ、この人。知らなかったのは私だけかな。とにかく、想い出に浸るには十分すぎるなつかしの曲を次から次へと弾いて歌っていたのでテレビのそばをなかなか離れられなかった。そして、「あーあ、彼は今頃スキーしてお酒飲んだ後がーがー寝てるんだろうな。 いいな、そうやって発散できること。」としばらく考え事をしてから4時ごろ寝た。おかげで今朝はとても眠かった…
2004/05/23
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先ほど、携帯のメールが入ったのでチェックすると、海を越えた遠い場所にいる友達からだった。彼女と知り合ったのは1992年のこと。たった2週間を一緒に過ごした。その後、彼女の妹と3人で旅行した。たった3日間の旅だったけれど、今でも克明に覚えているシーンがあるほど楽しかった。そのシーンとは、私が乗らなければいけない夜行列車が彼女たちの電車より先に出発だったので、駅まで一緒にタクシーで向かってくれたときのこと。その国の首都のメインストリートは大渋滞だった。私の電車の出発時刻は刻々と迫っており、もはやだめかと思った。彼女たちもその晩発つことになっていたので、もし私が乗り遅れたら一人で見知らぬ土地で、ガイドブックも持たずに過ごさねばならないところだった。(私は彼女たちの旅行計画に突如ジョインしたので、最小限の荷物とお金以外何も持っていなかった…)駅のロータリーにかなり近いところまで来たときには、すでに列車の出発時刻だった。私はあきらめの境地に入っていたが、友達は楽観的。よし、ここから走ろう、と言う。妹はタクシー代を払ったりするため、車に残ったので、彼女とは挨拶もろくにできずにお別れ。姉と私は駅のホームへと走った。私の乗る列車は、ホームをわずかに去りだしたところだった。さいわい、この国の当時の電車はドアを開けたまま運行していた(少なくとも、発車時は)ので、私はすでに動き出していた電車に文字通り飛び乗った。ドア付近に立っていた男の子がびっくりしつつも手を取って私を引き上げてくれた。それが、彼女との最初の別れだった。その後、一度は主人と一緒に彼女の国を訪れた。建築家である彼女は、歴史的建造物から建築様式から美術作品にいたるまで、そんじょそこらのガイドよりはるかに詳しく説明してくれ、彼女の美しい町をいやというほど一緒に歩かせてくれた。彼女がバーで食後のエスプレッソを頼んでくれて、それを飲むスタイルがとてもかっこよかった。何しろ、カウンターでコーヒーを注文し、出されたらカウンターに置いてある壺(ビン)にはいった砂糖を入れてかき混ぜ、一息にそれを喉の置くまで流し込んだらお金をはらってすぐに店を出る。日本の喫茶店でコーヒー一杯で何時間も粘る私たちとは対照的な習慣だと思った。次に会ったのは妹のほうで、彼女が一人で留学していたときのことだった。このときは、カフェで何時間も話しこんだ。姉には会えなかった。その次に会ったのは、姉が我が家に泊まりに来たときだった。2日間しかいない予定だったのを、それでは足りないからと5日ぐらいに延ばしてもらった。とにかく歩くことが好きな彼女と、町中を歩き回った。週末は私の友人グループと一緒に郊外で合流した。最後に会ったのは、彼女の留学先に私が遊びに行ったときだった。ハイキングをしたり、ドライブしたり、遊園地に行ったり、プールに浮かんだりした。ハイキングの途中では、二人で洋服のまま滝のある池に飛び込んだ。全身びしょびしょになったけれど、すぐに乾いた。彼女は、私が最初の旅行のバスの中で教えてあげた「ちょうちょ」の歌をまだうろ覚えに歌うことができた。私だって、そのとき習った彼女の国の言葉のABCの歌をなんとなく覚えている。このとき、最後の日に私が実は妊娠していたことを告げると、彼女は何かあるなとずっと思っていたと言った。私は夜はちょっとお酒を飲んだりもしていたし、まさか気づかれるとは思っていなかったのに、やはり彼女は鋭かった。あれから3年ぐらい経ってしまった。次に会えるのはいつだろう。今、彼女は再度留学をして博士課程にチャレンジしている。忙しいみたいだから、しばらく旅行はできないのかな。彼女からのメールは、昨日私が携帯から手短に送ったメールへの返信のようなものだった。彼女はこの世で一番大切なものは愛と友情だという。ちょっとご無沙汰している間に彼女のお父さんにガンが見つかったが、手術で一応無事だったとのことだ。その間、彼女は友人たちの励ましに支えられたという。彼女は毎年、私の誕生日には必ず電話をくれる。時差があるのに、絶対に忘れない。私は彼女に会いに行くことができる日をずっと楽しみに待っている。彼女のボーイフレンドにも会ってみたいし。彼女はいまだにいつでも私のことを彼や友達に話しているみたいなので、私は彼に会ったこともないのに彼は私のことをもう結構知っているらしい。私、友達はそんなに多いほうじゃないけど、彼女みたいな友達がいるっていうだけで、十分幸せ。実は、今朝、もう一人別の友達からも便りがあった。この友達とも、姉妹セットで大の親友なのだ。今気がついたけど、朝メールをくれた友達と、さっきメールをくれた友達は、偶然にも同じ国籍の人と付き合っている。なんか不思議。最近ちょっと孤独を感じることがあった私だけど、これらの友達との思い出を振り返っているだけで元気が沸いてくる。だって、思い出はto be continuedだから…
2004/05/21
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