お気楽者でいこう!

お気楽者でいこう!

神と人との関係・その2


 神が現れる方法には、アバター(神の化身)として肉体を持ってこの世に生まれてくる以外に、ハイヤーセルフ(高次元の自分)という方法があります。いわゆる 我が内なる神 です。これはそれぞれの人のハートに住んでいる神で、チャネルの開いた人から徐々にコンタクトが取れるようになっていきます。いつもいつもいつもさりげなく見守ってくれてる存在で、僕らにとってより重要なのはこちらの神様です。

 この内なる神あるいはハイヤーセルフについて、バガヴァンのとても素敵な教えがあります。

「あなたの神をデザインしてください」

 この内なる神は、自分で好きに定義していいんです。
 キリストにしようが観音様にしようがアラーの神にしようが全くの自由です。

 また、その属性も自由に僕らの方で定義可能です(サンスクリット語でパクタパラディーナというんだそうです)
 父のような/母のような存在、親友のように何でも話を聞いてくれる存在、どんな自分でも笑顔で受け止めてくれる存在、こちらの願い事を思っただけですぐにかなえてくれる存在・・・そういう風に定義すれば神はそのように振舞います。
 逆に、悪いことすると天罰を与えお布施といって寄付を強要する支配的な神と定義すれば、そのようになります。

 ぜひぜひ、皆さんの神様をデザインしてください。
 どんな神様がいいですか? 少し考えてみてください。顔は?声は?性格は?
 神様のイメージが固まったら、自分のハートに心地よい場所を設定し、自分好みの神様を招き入れて、たくさんお話してください。できれば上下関係のない神様の方が気楽でいいですが、それもお好みです。

 実は、僕らディクシャ講師が普通の人と違う点があるとすれば、神様とよくお話してるという、この点だけじゃないかとも思います。「ディクシャお願いします」と言ったら、直接だろうが遠隔だろうが、すぐにエネルギーを流してくれるんです。僕らがやってるのは、本当にただお願いしてるだけなんですよ(^^;


 でも、神様とつながってるというこの圧倒的安心感は、ちょっと言葉では表せませんね~。
委ねる という感覚が日に日に強くなってきます。そして、悟りあるいは苦しみからの解放は、この委ねるということと、とても密接な関係にあります。委ねて生きてるからこそ苦しみがないんです。

 インドのように神様や聖者が掃いて捨てるほどいて、しかも生活が極めて厳しい国では「委ねる」というのは、しごく当たり前なんですが、現代日本人はどうもこれが苦手のようです。

委ねてるとどこに連れて行かれるかわからない

 マインドがこんな不安をささやくからです(苦笑) それだけ日本が豊かになって守るものがたくさんありすぎるんでしょうね~。
 ここでまたバガヴァンの素敵な教えがあります。

 「外側は積極的に自由に生きてください。内側は受容的に謙虚に生きてください」
 (インドでの講義メモからの引用なので、言葉は正確ではないかも)

 つまり、自分の外側の世界では好きに生きていいんです。財産を委ねろといってるわけではありません。その代わり、内側ではやってきた体験を謙虚に受け入れなさいということです。

 この内と外を逆にすると、いわゆるカルトになってしまいますね。
 つまり、外側はあくまで受容的に、教祖様の教えには絶対服従です。財産も差し出すしサリンも撒きます。でも内側では、、、、こんなことでいいのかというものすごい葛藤の嵐でしょうね~(^^;


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: