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昨日の朝、東京から帰ってきました。 かみさんは、来週の月曜日まで出張中なので、静かな夜です。-- 昨日は一旦家に帰った後、娘の作文の表彰式に行ってきました。JA主催の作文コンクールで、応募総数15万本を越える作品の中で、なんと小1の優秀賞になりました。 うちの娘が書いたテーマは、「はいふるい」。お正月前に火鉢の準備を手伝って、その火鉢でお餅を焼いて食べたら美味しかったという内容です。きっと年配の審査員の共感を呼んだに違いない(笑)-- 今日の福岡地方は、時折晴れ間ものぞいたんですが、かなり冷え込んでて、綿を吹き飛ばしたような雪が降ったりやんだりでした。娘の一輪車の練習もかねて、子供たちと公園に行ったんですが、公園はガランガラン・・・子供は風の子って、もう死語なんですかね~。 寒いったってつららや霜柱ができるほどでもないし、昔と違って今はダウンジャケットという寒さを隔絶できる着物もあるし、大したことないなあと僕は思うんですが、皆さんはどうでしょうか? 「今日は寒いから家で遊びなさい」といったセリフをよく耳にしますが、僕はできれば口にしたくないセリフだと思ってます。 寒さを体験するのは悪いことだと思いますか? お役所がやたらインフルエンザの恐怖を煽り立ててるせいもあるのか、寒さを味わう=>風邪を引く=>大変なことになる、という3段論法を多くのお母さん方が、無意識のうちに刷り込まれてる気がします。 寒いのも楽しいんですよ。 この前、吹雪の中を自転車で会社まで10kmの道のりを走りました。着いたときには体の前面が真っ白になってて、特にズボンはビショビショでしたが、なんだかとても爽快でした。ろくに前も見えず、手はかじかみ耳がちぎれそうな思いをしながら、でも胸のうちはワクワクしてたんです。 寒い思いをしたら必ず風邪を引くんですか? もしそうなら、アイヌの人々やエスキモーはいつも風邪を引いてるはずです。 僕は大学時代、冬の間決して5度を超えない下宿でコタツのみの生活を2年間やりましたが、ほとんど風邪を引かなかったし、それも原因はいつも疲労&不摂生(=飲みすぎ)でした。 風邪を引くのは悪いことだと思いますか? 僕は、風邪は体のお掃除だと思ってます。だって風邪の症状って、熱にしろ鼻水にしろ咳にしろ下痢にしろ、全部汚れを外に出すことばかりだからです。免疫がうまく働いた結果として、それらの症状が起こると思ってるし、少なくとも自分の体ではありありと実感してます。 風邪を引いてそれが大病につながる心配をするよりは、風邪引いて2,3日寝込めば済む程度の汚れしか溜め込まないような生活を心がけた方が賢明です。それだけの生活をしていれば、寒さなんか怖くありません。 寒さを体験せずに育った子供は寒さに強くなりますか? 親が先回りして「今日は寒いから」とモコモコに着せてしまえば、子供は寒さを体験できなくなります。寒さを体験できなかった子供は、いつも暖かい環境にいない限り、まともに活動できなくなるでしょう。 それはそれでも結構ですが、勿体無いなあと僕は思います。人間の持つ類まれなる環境適応能力をむざむざと捨ててるようなもんだからです。“それがないと生きられない”という不自由な状態をわざわざ作ってるからです。 だから、この寒空でも「このくらい平気、平気」と鼻水すすりながら(昔の子は袖口が真っ白だったなあ・・笑)外で走り回ってる子供を見ると、嬉しくなります(^^)
February 20, 2005
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久しぶりの日記です。 先々週の出張は東京1泊2日で、その後福岡にはいたんですが、半徹続きでずーっと会社の研修所に閉じ込められてた感じです(^^; 今週末も多分木・金と東京行きですが、前回以上にシビアなスケジュールで、少なくとも3/5まではこんな状態が続きそうです。しかも、かみさんも木曜日から11日間ほど大阪出張なので、我が家は義母が頼りです。まあ、なんとかなるでしょう(笑) そういう訳もあって、日記はせいぜい週1くらいのペースにしようと思ってます。 書きたいネタは10も20も30もあるんですが、どうも言葉の限界というか、思考の限界というものを、この1ヶ月ほどで急速に感じはじめました。 僕がここで文章を書くのは、自分の頭をスッキリと整理するためであり、その過程で何かしら新しい視点を得られないか、というのが目的です。ついでに、どこかの誰かがこれを読んで、ほんのちょっとでも楽になってくれれば嬉しいなとも思ってます。 ただ、文章を読んだり話を聞いたり論理を組み立てたりといった“思考”によって楽になるのは、困ったことに「頭」だけなんですよね~。 確かにそれも大事なのかもしれませんが、僕は今は、思考を超えた部分をスッキリさせたいという思いが極めて強いです。 だから、できるだけ何も考えない時間を持ちたいし、そうしたワークに時間を使いたいと思ってます。 いずれもう少し整理できたらお話しますね(^^) (言葉で伝わるかどうかは別にして・・・笑)
February 13, 2005
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今、大田区のこんなところに泊まってます。http://www.kangetsu.com/部屋は古いですが、街中にあってなかなかの佇まいです。チェックインが夜12時過ぎたのでお風呂はもうダメかと思ったんですが、入れてくれました。ちっぽけながら露天風呂もあって、楽しかった(笑)和室6畳・インターネットつなぎ放題で、一泊5300円は十分許せる!明日も朝からアイデア出しの会議です。100億円の事業規模をにらんだビジネスモデルを作れ!という課題ですが、ビジネスモデルを考えることって、世の中をそして人間を知るってこととイコールだというのがよくわかりました。それにしても、普段使ってない部分の頭を使うのはなかなかくたびれる・・・(^^;今回も使ってますが、アイデア出しのためのこの本、なかなかおすすめです。『考具』http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001542771/
February 3, 2005
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またオフ会でもやりたいなあとは思うんですが、今回はスケジュール的に無理そうです。2/3~2/4の1泊2日ですが、3日の夜は打ち合わせが夜遅くまでかかること必至・・・4日もずーっと会議室に缶詰で最終便で帰るし。また次回のお楽しみですな(^o^)/
February 1, 2005
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昨日の日記に、感情を思い切り表現するのは気持ちいいよ、という話を書きました。自分でその気持ちよさを体感すると、子供のギャースカも微笑をもって受け止められるようになるわけですが、それはあくまでも結果の話で、子供を受け止めることが目的ではありません。 極論すると、子供のことなんか受け止めなくてもいいというか、自分の内側にたまってる感情と同種の感情を(子供に限らず)相手が表現した場合、それを心の底から気持ちよく受け止めることはまず不可能です。自分が空っぽになってないと、同じ感情が共鳴して心がざわめくからです。 だから、自分のたまってる感情を吐き出すのが先決です。そして親がそれをするためのサポートとして、子供はギャースカわめきたてるんだと思います。親が、自分の内側にどんな感情がたまってるのかが、子供の様子を見ている自分の心の動きでわかるんですから、これはありがたいです。 考えてみてください。 子供の様子になにかプチッと切れることは、普通の親ならよくあることだと思いますが(もちろん我が家も例外ではありません!)、そのときに、子供を受け止めなくちゃ!という理屈が先にたってしまうと、そのプチッときた自分はどうなるんでしょう? 地下のくらーい穴倉に閉じ込められて、折に触れては「外に出せ~」と雄たけびを上げる様子が、なんか目に浮かびますよね(^^; そして地上にいる自分は、地下から微かにもれてくる叫び声が気になって、結局イライラして怒鳴ったり、耳をふさぐためになにか刺激を求めたり。 この状況を変える一番の方策は、やはりその穴倉に閉じ込められた自分を、地上のお日様の下に引っ張り出してやることでしょう。お日様の下で解放感に浸りながら「「腹が立ったぞ~」と叫べばそれでスッキリなんです。それを「怒ったり泣いたりするのは悪いことだ」という“理屈鍵”のついた牢屋に閉じ込めておくもんだから、いつまでもうめき声が聞こえるという次第・・・。 子供の頃からずーっと、こんな自分を心の地下牢にたくさん飼ってませんか? そろそろ解放してあげましょうよ。怒っても泣いても叫んでもいいんです。僕が許します(笑) まあ、大人ですから、子供と違ってTPOを考える必要はあるかもしれませんが、自分が思い切り素の自分でいられる場を作って、ぜひトライしてみてください。枕に怒りをぶつけてもいいし、僕みたいに専用のワークを受けてもいいし、誰かに聞き役になってもらってもいいし。 そうやって理屈抜きで自分の感情を味わうようにしてると、気が付いたら、ごく自然に子供を受け止められるようになってると思います(^o^)b
January 24, 2005
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うちの子供たちを見るたびに、ぜいたくなガキどもやのう、と思います。 なにがぜいたくかといって、あやつらは外では極めてまともにしてますが、家では怒りも悲しみもぜーんぶ出したいだけ出していることです(^^; とてもじゃないけど、そんなのは僕が子供の頃には許されなかったな~。こちらが泣いたり喚いたりすると親が不機嫌になるので、これはいけないことなんだとあるとき気づいて、自分の感情にフタをし理屈で自分をなだめすかして、ネガティブな感情に陥らないよう気をつけながら大きくなりました。 だからこそ、自分が親になって子供がかつての自分と同じように、ネガティブな感情を表現しはじめると、なーんかイライラしてそれをやめさせたくなってました。多分、親とおんなじ感情パターンが身に付いてしまってるというのと、子供時代に表現させてもらえなかったつらさがこみあげてきそうでこわいんだと思います(折角フタをして見ないようにしてたのに!)。 これまでいろんなことやって、親との関係がスムーズにいくようになったり、自分が楽になるにつれ、子供の泣いたり喚いたりもだいぶ許せるようになってたんですが、極めつけは11月に広島でやったサムスカラシュッディ。 思いっきり怒ったり泣いたり恐がったりするのがこんなに気持ちいいなんて!というのが、骨身にしみてよくわかったので、目の前で子供がギャースカ言ってもほとんど平気になりました。 ※100%でない部分は、まだ僕の中に出し切れてない何かがあるということです むしろ、子供がそうした感情をどんどん出してくれるのが嬉しくて、気持ちいいだろうなあ~と思いながら、できるだけそれをやめさせないように心を配るようになりました。そうした意味で、子供がギャースカやってる最中に理屈で納得させるのは明らかに逆効果で、そういうのは、子供が落ち着いてて、親と一体感を持って話ができるときにした方が効果的ですね。 少年の凶悪犯罪というのが年々増えてるそうですが、そういう犯罪を犯す少年というのは、いわゆる“いい子”が多いというのはよく聞く話です。親の前ですら感情を上手に表現できないとすれば、他人に心を開くのはなかなか難しいでしょう。逆に、“どんな自分でも親には認めてもらえてる”という感覚を心の深いところで持っていれば、子供はどんどん輝いていくと思ってます。 もし自分の子供や家族、身の回りの人のネガティブな感情が気になって、それをやめさせたいと思う気持ちが出てくるのなら、それは相手の問題ではなくて自分の問題です。まず自分がどこかでそれをやって、例えば怒るってこんなに気持ちいいんだ~っての味わってみることをおすすめします。自分でそれがわかれば、ぜひ相手にも徹底的に怒ってもらって、この気持ちよさを体験させてあげようって思いますって!(笑) それにしてもうちのガキどもは。。。。 息子の方は、小さい頃に親がまだ甚だしく未熟だったせいもあり、つい“いい子”をしてしまって自分の感情を理屈で押さえ込もうとする場合が散見されますが、娘にいたってはもうなんと申しましょうか、親の前では何でもありです(苦笑) イヤなものはイヤ!と言うし、「お父さんもお母さんも嫌い!みんな出てって!」とか、親に取っ組み合いをしかけてくることもしばしばです(^^; それらを、こちらがニコニコしながら見守ってると、子供もやがてスッキリするようで、ぱっとスイッチが切り替わって、いきいきとした表情に変わります。この辺は子育ての醍醐味であるとともに、見守るといういい練習にもなりますね~。また、見守れない自分はどんな自分なのかに気づくチャンスでもあります(^o^)b
January 23, 2005
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[ニュース斜め読み]というカテゴリーを作りました。 最近のニュースについて、気付いたこと・感じたことを書いてみようと思うんですが、どうせ僕のことだからニュースと関係なく脱線していくような気がする、、、(^^; 今日は、サリドマイド薬の復活というニュースについて。 何を隠そう僕も関係者の一人ですが、よくもまあ飽きもせずという気がします。それだけ特殊用途には効能があって、なおかつ副作用の点も解決されてるんでしょう。 このサリドマイドという薬は、日本では僕が生まれてすぐに禁止になったんですが、海外ではもっと前からその危険性が指摘されていた薬です。アメリカでは厳しい審査官がいたおかげで、ついに認可されなかったくらいです(その結果、被害者は0) 日本の場合は、危険だとわかっていながらついついやめられず(金儲けのためばかりではないでしょうが)被害を拡大させてしまったわけで、その点はエイズと同じく薬害に共通のものだと思います。 1986年のチェルノブイリ事故のときも、汚染の可能性のある食物は、各国で輸入禁止措置が取られたわけですが、これだけ食料を輸入している日本の輸入基準は、実に大甘でした。シンガポールなんか100%輸入禁止措置が取られてましたが、日本では当時危ないと言われてたイタリア産デュラム・セモリナ小麦やトルコ産ヘーゼルナッツなどが、平気で店頭にならんでいたのを憶えてます。むしろ引き取り手がなくて国際的に暴落している食べ物を、じゃんじゃん安く輸入してたという話も聞いたことがあります。すごいっすね~。 要は、「これを食べたからガンになった」といった明確な因果関係が証明出来なけりゃこっちのもん♪とばかりに、金儲けのためには些細な危険なんかに構ってられないという社会構造になってるのではないかと思います。 身近なところでは、ちょいと近くのスーパーに行って、安いハムやソーセージやカニかまの裏側を見てみるといいです。発色剤:亜硝酸Na 保存料:ソルビットと書いてあると思います。最近は、どぎつい色の食品は敬遠されるので、発色剤の使用は減ってきましたが、それでも安いものにはよくこの両方入ってます。 これら2つは、単体だと無害なんですが合わさると発ガン性を示すんですね。僕がそういうことに関心を持ち始めて20年以上経ちますが、いまだにやってることに驚きます(^^; たとえこのハムを食べてガンになったとしても、ハムのせいだ!と証明するのは不可能だ、というのおわかりでしょうか。。。 食品添加物なんて、明らかに売る側の都合に過ぎないわけで、買う側としてはそんなもん入ってない方がいいわけです。ちゃんとしたものを作るとどうしても高くなるので、添加物入れて安く作るというのは、メーカーとしては仕方ないことなのかもしれませんが、それで消費者を危険にさらすとすれば本末転倒です。何のための誰のための食品なのか、と思ってしまいます。 ちなみに、日本は世界で最も多くの食品添加物が認可されてる国だそうです・・・・賢くなろう、消費者!(笑) 個人個人に聞けば、100人が100人、全員がお金より命が大事と答えるのに、どうして社会あるいは企業としてみると、命よりお金になってしまうんでしょうね。。。 それはおそらく、一部の企業幹部や政治家のせいにしてしまえば済む問題ではなくて、僕らが何に喜びを見出し、何を求め、どう行動しているかという僕らの価値観やライフスタイル全般を見直す話になると思ってます。 本当に、僕らはお金より命が大事と思ってるんでしょうか? お金については、営利文化と非営利文化と題して考察したことがありますが、またもうちょっと突っ込んで考えてみようかと思いました。なんかまとまったら書きますね。
January 21, 2005
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かつて僕の少年時代に「巨人の星」「タイガーマスク」「あしたのジョー」などがキラ星のごとく連載されてた少年マガジンという雑誌があります。 コンビニで手にとった少年マガジンの、たまたま見た「クニミツの政(まつり)」という漫画が、大胆にも薬害を取り上げてました。先週号が解熱剤の話で、今週号がそれから発展してインフルエンザの予防接種の話。 我が家はどちらも全く無縁で、予防接種は全く受けさせてないし、子供に解熱剤なんか飲ませたことないので気楽に読めましたが、ごく普通に子育てしてる家庭は、結構ショックかもしれないですね~。 多分、子供が熱を出す-->結構高く上がる-->ヘレン・ケラーという印象を持ってる人が多くって、脳に異常をきたさないようにと、早目に解熱剤を飲ませてる家庭が多いのではないかと思います。 僕も知りませんでしたが、41度以下の熱で脳症を引き起こすことはないそうです。たったこれだけの情報でも、かなり気楽に子育てできると思うんですが、それが一般化してないところを見ると、何かしら隠された意図があるのではと思いたくなりますね。 そもそも熱というのは、ウィルスを殺したり体内にたまった毒素を燃やすために、自然治癒力が働いた結果として起きてる現象ですので、それを抑える行為というのは、病気を長引かせるだけです。 だから、我が家では熱の時は自然治癒力を高めるために体を暖めてやるし、ホメオパシー治療でも熱を出しきるための薬(レメディ)なんかが用意されてます。それが普通のお医者さんに行くと、「暖めると熱があがるので気をつけてください」なんていう人もいるみたいでビックリです(^^; 繰り返しますが、「熱があがること=悪いこと」ではありません。むしろ体のエネルギーが強い人ほど(例えば子供)高い熱が出ます。 その漫画の方では、解熱剤の副作用の問題が大きく取り上げられてました。本当は解熱剤の副作用によるものなのに、「インフルエンザ脳症」という名前をつけることにより、その責任の所在を曖昧にしてるという話です。 こんな名前をつけてるのは日本だけで、しかも解熱剤の副作用として重い脳症になる可能性があることをこっそり書いておきながら、解熱剤とインフルエンザ脳症の因果関係は否定するという、まるで初期の薬害エイズのような状況になってるのがよくわかりました。 しかもこのインフルエンザ脳症というネーミングには、もうひとつ意味があって、このネーミングによりインフルエンザの恐怖を煽り立てるのに大成功したんですね。その結果、予防接種の接種数が飛躍的に伸びてる様子がグラフで示されてました。 このネーミングが登場するまでは、インフルエンザの予防接種には効果がないということが、あちこちの疫学的調査で明らかにされたり、副作用の被害が相次いだりして、1994年には30万人まで落ち込んでいたのに、今や2000万人を目指そうかという勢いなんだそうです(現在750万人)。 最近、研修でビジネスモデルの勉強をしていますが、このビジネスモデルは見事ですね~(^^; 解熱剤の問題を隠蔽できる上に、インフルエンザのワクチンも爆発的に売り出せるわけですから。 結局のところ、医療も産業なんだなあと思いますね。 産業となればお金を儲けないと成り立たないわけで、そうすると必ずどこかで「命とお金どちらを取りますか?」というボーダーラインが出てきます。そして、日本の場合は基本的にエコノミック・アニマルで、残念ながらお金の方を選択している場合が多いと感じてます(エイズを思い出してみましょう)。 ある力のある産業の発展を阻害するような問題は、よほど社会的に大きな問題にならない限り、黙殺されるんですね。それもたいてい官民一体となって、陰湿なまでの隠蔽工作が行われます。この辺は、農業問題でも環境問題でも何でもいいから突っ込んで勉強してみるとすぐにわかります。 この漫画は、ある医師にインタビューした内容を、編集部が大胆にもそのまま載せているわけですが、そんな勇気のある“危ない”医者は誰だろうと思ったら、慶応の近藤誠氏でした。 覚えてますか?『患者よ、ガンと闘うな』の著者です。 あの本も、ガン治療の実態を描いていてなかなか興味深く読みましたが、抗がん剤の認定プロセスって何ていい加減なんだろうと思いました。だって、ちょっとでもガン細胞が小さくなったら、もう効果あり!として認定されるんですよ。それが一時しのぎなのにも関わらず。 それにしてもこの近藤先生、こんなことしゃべって、医局の中で村八分にされるんじゃなかろうかと、他人事ながら心配してしまいました。もう慣れっこなのかもしれませんが(^^; まあ、興味がある人は、話の種に漫画でも読んでもみてくださいな。 別に、解熱剤の副作用に怯えなさいといってるわけではなくて、むしろそんなもんは、まず大丈夫だと思ってて、それよりも、僕らが当たり前と思わされている事柄が、実は誰かの利益のために作られたものだというケースがよくあることを知ることの方が大事だと思ってます。 どこかの新興宗教やカルト教団の話を聞いて、なんでこんな妙な教組の言うことを信じてるんだろう、ばっかじゃないの、と思うことがよくあると思いますが、実は僕らも実態はあまり変わらないという冴えないお話のひとつです(笑) 子供なんて39度の熱があっても、どうかすると真っ赤な顔してはしゃぎまわって遊んでます。自分の感性の声をちゃんと聞いていれば、「おいおい、おとなしゅう寝とかんかい!」と言いながらも、まあこれだけ遊べりゃ大丈夫やろ、と安心して見守れるだろうと思うんですね。解熱剤も抗生剤も必要のないときはいっぱいあります。 試されてるのは、ぼくらの感性であり、直感であり、そして日頃の生活習慣だと思います。
January 20, 2005
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今までさんざん心のゴミ掃除をしてきましたが、そのゴミ掃除をしようと思ってる自分自身がゴミだったとは、、、。ある程度までは自力でもゴミが減らせるんですが、「自分で何とかしよう」「自分でなんとかできる」と思ってる自分がいる限り、永久にゴミは0にはならないことをあらためて思い知りました。それにしても、いい感じ・・・v(^o^)v
January 16, 2005
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この前の『古武術からの発想』(甲野善紀著)にこういうことが書いてありました。少々長いですが引用します。 とにかく子供のときに、「遊びは遊び、勉強は勉強でケジメをつけよう」なんてつまらないことを言うから、勉強が苦役になってしまうのだと思います。 体育をやり音楽をやり、そのなかで生活に密着した算数や社会を教えてゆけば、「僕は算数が苦手だ」という子もずっと減ると思いますし、体育を通して楽しさや苦しさを体感すれば人への思いやりが芽生え、哲学や倫理の基礎となるものの見方、考え方も養われると思います。 子供に苦手意識を植えつけてしまうというのは、早くから専門分化させてしまうからで、全体のなかで他との関連性をもたせ“たとえ”を数多く駆使して教えれば、今よりもずっと子供たちは積極的に喜んで学ぶようになると思います。 シュタイナー教育では、踊りと詩と音楽と算数を混ぜ合わせたようなオイリュトミーという不思議な科目がありますが、↑こういう考えを読むと、なるほどなあと思いますね。 良い・悪いもそうですが、僕らは何かにつけ苦と楽を分けてしまう傾向にあるようです。 家庭生活は楽、会社生活は苦(逆もあり!)、ママさんテニスは楽・家事は苦、DINKSは楽・子育ては苦、フリーターは楽・正社員は苦、○○さんとつのきあうのは楽・××さんとは苦、おもちゃを広げるのは楽・片付けるのは苦、時間とお金がたくさんあるのは楽・少ないのは苦・・・・例を挙げればそれこそ無数にあるでしょう。僕らは特に意識はしなくとも、一瞬一瞬そうやって、苦と楽を判断しながら日々過ごしてると思いませんか? ぜーんぶ楽なことばっかりにならないかなと思いつつも、そうは問屋が卸さないのが人生さ♪などとうそぶいて、苦の多さにグチをこぼしてるのが、我らが庶民の姿です。(それはそれで人間くさくって僕は好きですが、、、笑) では、苦はどこから来るのかと考えたら、苦と楽を分けた時点で苦が発生しているというのがわかりますか? つまり苦と楽を分けているうちは、永久に「楽100%・苦0%」という状態はやってきません。 しかも、楽を味わってるときは、そのうち苦がやってくるんじゃないかと不安におびえてるし、苦を味わってるときは、なんとかそれから逃れようとして、実は苦そのものを味わっていません。これはとても勿体無いことです。 そこで、苦と楽を分けずに目の前の出来事を素直に受け止めてみてはと思うのです。 例えば「手間がかかる」ということと「それは苦である」ということは別の次元の話なんです。事実と評価(印象)といってもいいでしょう。 「手間がかかるなあ」という事実の確認だけでとどめておいて、それが苦か楽かという評価を保留するんです。そうすることで、「○○は苦である」という自分の思い込みやこびりついた印象に支配されるのをある程度防ぐことができます。 そしてその目で、あらためて目の前の現実を見たときに、今までは苦とばかり思ってたのに実はこんな面白さがあったなんて、という発見がひとつでもあればしめたもんです。 持っていてもちっとも楽しくない印象は、なにかにつけさっさと捨てたほうが人生楽しくなります。僕らは、印象の集大成を現実だと思ってるわけですから。
January 11, 2005
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この3連休はいかがお過ごしだったでしょうか? 僕は土曜日が会社の研修&夜はかみさんとデート、昨日が実家、そして今日は家族4人で、寒風吹きすさぶ中を福岡市中心部の大濠公園までサイクリングしました。 大人でも往復1時間かかる道のりを、6歳の娘もたくましく自転車をこいでました。この季節の大濠公園は、ユリカモメ(都鳥)が渡ってきてて、彼らと遊ぶのが我が家の冬の風物詩なんです。 あのユリカモメという鳥は、目と飛行性能が抜群で、えびせんやらポンポン菓子を放り投げてやると、素晴らしいタイミングでキャッチします。急上昇、急降下は元よりホバリングまでやります。その様子が見事で、子供たちも毎年楽しみにしてるんです。 ところが、今年は異変がありました。 これまでは決して人の手の届くところまでは近寄ってこなかったのに、そんなことお構いなしに人に近づいてきて、とにかく先を争ってエサを奪おうとします。僕の手からでも直接食べるし、なんと僕の頭にも止まりました(^^; 単に人に慣れてるとかそんな感じではなくて、ユリカモメ(そしてハトも)が切羽詰って殺気立ってるんです。 昨年はクマもエサがなくて暴れたりしてましたが、ユリカモメのエサも少なくなってるのかなあと思いました。こうした生き物たちが、なんだか人類に警告してくれてるように感じるのは、僕だけでしょうか、、、。
January 10, 2005
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武術とは全く縁のない卓球部出身の僕にしては珍しい本を読みました。 『古武術からの発想』(甲野善紀/PHP文庫) 高校の卓球部の先輩が、OB会の度にこの甲野義紀さんの話をされるので、気になってはいたんですが、先日宴会の時間にまだ間があった時にふと入った小さな本屋さんで、偶然見つけたのがこの本です。こうのよしのり、ってこういう字だったのか、とそのとき初めて知りました。 この高校の先輩は福岡近郊の某市役所に勤めてますが、その同僚の方で、10何代目かの宮本武蔵という方がおられたそうです。もちろん本名は別で、直系の子孫というわけでもありませんが、その剣法の型を継承してた方です。その方があるとき「こんな型だけ習得しても実戦では使い物にならない」と、仕事もやめて飛び込んだのが、この甲野さんの武術稽古研究会。 それ以来、僕の先輩もこの甲野さんのことに関心を持ち、自分の卓球の腕を上げるためにも、また後進の育成のためにも、甲野さんが研究している古武術の動きを取り入れているといった次第です。 実は、巨人の桑田投手が何年か前にもうダメかと言われたときに再起した背景に、この甲野さんのところで学んだ古武術の動きがあったそうです。最近では、アテネオリンピック陸上代表の末続選手なんかも“ナンバ走法”を取り入れてるといって有名になったとか(テレビと縁の薄い僕は知りませんでしたが)。ひょっとしたらスポーツ界では、今やメジャーな人なんじゃないかと思います。 それで、今回はじめて僕はこの本を読んで甲野さんの考え方に触れ、「きたきたーっ」という感じがしております。共感する部分、目からウロコの部分が満載です。 とにもかくにも、現代人と古人とは、体の動きの“質”が違うんだそうです。 どこかを支点にしてワイパーのように動かしたり、体のどこかをひねるというのは、野球でもサッカーでもテニスでも(武道も含めて)現代スポーツ共通のものですが、実はそういう動きは、とても脆くて無駄が多く、しかも体のどこかに負担をかけやすいというのが、甲野さんの大きな発見です。過去の武術の達人というのは、決してそういう体の使い方をしてなくて、体のどこにも支点を作らず、力をいれて踏ん張るというより体を浮かす感じで、静かに優雅に動いてるようで、それでいて速く力強い、どうもそんな感じのようです。 この甲野さんは、当然ながらサッカーもバスケもド素人ですが、この甲野さんがボールを持つと、プロの選手でもやすやすと抜かれるんだそうです。それぐらい常識を超えた動きになるらしいです。かっこいいなあと思いますね(笑) 一番驚いたのは、江戸時代までの日本人は、現代人のように手と足を互い違いに(右手-左足という具合)動かすような歩き方はしていなかったということ。僕は初めて聞いた言葉でしたが、ナンバ歩きといって右手と右足が同時に出る歩き方で、腰をひねらないようにしてたそうです。実はこの方が無駄がなく疲れにくいので、例えば飛脚なんかは、ナンバ走りで1日200kmを走りぬいたらしい。 立つこと、歩くこと・・・僕らが当たり前のようにやってる作業も、実は当たり前ではなくて、見直す余地は十分にあって、それによっていくらでも自分を変えることができるんだというのが、一番の収穫でした。とりあえず昨日から、歩くときに気をつけてナンバ歩きをやってますが、まだ慣れませんね(^^; その他にも、この本からお伝えしたい話はたくさんあるんですが、明日からの会社の研修のために、今日はもう寝ます。また今度書きますね。
January 6, 2005
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さて、朝から飲んだくれていられるのも、いよいよ今日まで。名残惜しいですな~(笑) 昨日は、家族で初詣に出かけました。 うちはいつも、広々としていてハトと遊べる護国神社と、筑前一の宮・住吉神社に行くことにしています。さらに今年は、割と近所の高宮八幡にもお参りしたので、無事に三社参りとなりました。昨日は珍しく住吉さんがいっぱいで、お参りするのに行列ができてましたね~。 神社の参道というのは、実は産道と同じで、お宮さんが子宮で、鳥居は女性器を象徴してるんだそうです。つまり僕らは、神社にお参りするたびに、新たな誕生の瞬間を再体験していることになります。そう考えると、もっと丁寧に心を込めてお参りしようと思いますね。 今年初詣に行かれた方々は、今年はどんな人間に生まれ変わりますか? 古い自分を持ち続けるのも構いませんが、新しい自分にチャレンジするのも一興です。新しく生まれ変わったんですから、どんな自分になるのも全くの自由です(^^)v ※先月行った味噌作りの記事をUPしました。
January 3, 2005
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けんパパ@着物で酔っ払いです。 あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。 今日も雪が降るかと思いきや、なんだか陽がさしてきました。 いや~、のんびりといい正月ですね~。 何の心配も何の不安もなく、ただ喜びの中でお節の味に舌鼓を打ち、きゅーっと飲んだお酒がしみわたる感じに浸っております。ありがたいことです。 毎年正月には、米鶴酒蔵から純米大吟醸を2升取るんですが、今年の酒は絶品でした。毎年微妙に味が違うところがなんかいいですよね。実は大学の卓球部の後輩(♀)の実家で300年続く酒蔵なんですが、米作りからやってるちゃんとした酒蔵で、いい仕事をしてます。皆様ご贔屓の程よろしく(^o^)丿 では今から子供たちと凧揚げに行ってきます。ヒック(*^o^*)
January 1, 2005
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福岡は今日は雪景色の朝でした。 眠ってる娘の耳元で「雪!」とささやくと、いきなり飛び起きて、数秒で中庭まで走っていきました(^^; さて、いよいよ大晦日ですね~。 江戸時代は、大晦日といえば掛取りといって、まあいわばローンの一括支払日が全部この日に集中してたので、庶民には気の重い日だったようです(^^; この掛売りをやめて「現金掛値なし」で商売を大きくしたのが、三井高利という人物で、日本橋の一等地にずらーっと軒を並べて開いた店が、越後屋。越後屋にも色々あるので、ここは三井の越後屋と呼ばれて、略して三越。そう三越百貨店の前身です。 まあ、そんな与太話はいいとして、今年も今日でおしまいです。 思い起こせば、いろんなことがあった年で、自分史を書くとしたら必ず話題に上る年であったことは間違いありません。今年の初めと比べて、確実に自分が進歩している感覚が嬉しいですね~。 自分をここまで成長させてくれた両親や家族をはじめ、これまで出会ったすべての人に感謝したい気持ちです。また、自分がこれまで味わった様々な思いも、同じような気持ちでいとおしく感じます。つらい思いや悲しい思いも、それらがあればこそ、今があるのだとしみじみ思うからです。 では、もうそろそろお風呂が沸くので、ゆっくりと今年の垢を落として、後は家族との時間にしようと思います。明日からは、お節とお酒を堪能しながら、のんびりと自宅で過ごす予定です。 今年一年ありがとうございました。 来年もまたよろしくお願いいたします。 皆様にとって、実り深い一年が終わり、さらに輝ける年がやってきますように、、、。
December 31, 2004
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いよいよ今年もあと二日ですね~。 我が家のお正月準備も明日30日がピークです。 昨日は鏡餅を作りました。これまでは餅屋で買ったり、義母が作ったり、実家の親父が作ったりしてたんですが、今年はついに僕が初挑戦! うちの親父は何をやらせても器用で、しかも完璧主義の人ですので、親父の作った鏡餅は十分売り物にできるくらい見事なものでした。その親父の仕事を子供の頃から何度も見てきたし、しかも半分はその血を引いてるはずなので、まあなんとかできるだろうと軽く考えてたら、これがまあ見るのとやるのとでは大違い。 2個作って、片方は「メロンパン」。 そして、もう片方は「やぶれまんじゅう」になりました。 もう笑うしかないっ! 普通の小餅は、かなりうまく丸められるんですが、鏡餅は全く勝手が違いましたね~。来年のために今回修得したノウハウを書いておきます。 ・鏡餅用の米は、硬めに蒸す(通常の8割くらいの水でよさそう) --柔らかいと餅の高さが出せないので ・上新粉をつけた部分を決して内側に練りこんではいけない ・餅を回転させつつ、皺が寄らないように餅の表面をなでながら、せり上げるようにして 高さを出す(言葉で説明するのはムズカシイ) さて、前回炭の火起こしの話を書きましたが、うちの息子はあれがすっかり気に入って、毎朝日課になってます。家中で一番早起きして火を起こしてます(^^; 思えば、僕も火遊び大好き少年でした(^o^) 七輪も使ってたし、お風呂は小学校入学くらいまでは五右衛門風呂だったので、風呂釜の火を見るのは大好きでした。なんか飽きないんですよね~。 冬のストーブも楽しくて、燃えさしのマッチをドーム状になった網に突きさして燃やしてみたり、こぼれた灯油に火のついたマッチを近づけても燃えないことを発見したり、、。(注:ガソリンでこれをやってはいけません) 火は常に生活の一部だったんですよね。 それが今や、現代人が火に触れる機会は減る一方です。ファンヒーターの中で火が燃えてても、それが火だとは意識しないし、オール電化の家に住む人なら尚更です。 また最近の子供たちは、危険だからという理由でマッチすらなかなか扱わせてもらえないらしいし、火のことをよく知らずに大きくなってる子もたくさんいるんじゃなかろうかと思います。 火だけではなくナイフでも木登りでもそうです。 危険という理由で、遠ざければ遠ざけるほど、その危険は増大すると思います。よく見えなくなるからです。また見えないことからくる恐怖も増大して、より一層遠ざけたくなるという悪循環も生まれます。 それよりも、危険ともっとお近づきになって、よく見える状態にしてたほうが、危険は避けられると思います。経験的に対処法がわかるからです。 だから、ぜひ危険とお友達になりましょう。その付き合い方のある程度のマナーさえわきまえておけば大丈夫さ、という感覚をつかむのが大事なんだと思います。だって、危険を怖がっておびえて生きるより、その方がずっとお気楽な人生でしょ(^o^)b こうした考え方は、危険に限らずなんにでも応用できます。 自分とは違う別世界の存在と感じてるものに対して、自ら胸襟を開くことで、そのものを身近な存在としてとらえなおすんです。 色々思いつくまま書いてみましたので、ご自分のやり方で友達を増やしてみてください。 危険と友達になってみる ケガと友達になってみる 病気と友達になってみる ウィルスと友達になってみる 痛みと友達になってみる 嫌いなものと友達になってみる 嫌いな人と友達になってみる その人を嫌いだという自分の感情と友達になってみる 嫌いな自分と友達になってみる 自分を嫌いだという自分の感情と友達になってみる イライラと友達になってみる 怒りと友達になってみる 寂しさと友達になってみる 恐怖と友達になってみる 絶望と友達になってみる 死と友達になってみる よーし、今日から友達だ!っていう気分でこれらを眺めてみると、きっとまた違う側面が見えてくるはずです。 そして無事に友好関係を結ぶことができれば、きっと相手はあなたに脅威を与えなくなるはずです。なんせ友達なんですから(^o^)b
December 29, 2004
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福岡でも最高気温が10度を切るようになって、いよいよ年末らしくなってきました。 うちの家族は皆お正月が大好きなので、その準備に大忙しです。 今日は、火鉢を出してさっそく鉄瓶でお湯を沸かしました。あのシュンシュンいう音を聞くと、冬だなあとしみじみ思います。 炭を使うのに前々から不満だったのが、火起こし! 火起こし鍋に炭を入れてガスコンロにかけて10分くらいかかります(^^; それで今年は新兵器を導入しました。その名も「火起こし達人」(800円くらい)。金属製の円筒に、焚きつけとして新聞紙2,3枚と割り箸4,5本入れれば、炭に火がつくという代物です。やってみたところ、これは時間も早いし、火もよく起きる! 要はまあ、煙突効果で燃焼効率がいいんですね。ただ毎回割り箸を使うのは勿体無いので、息子の工作の残りの木切れや枯れ枝なんかを鋸で挽いて、小さな薪にしてます(担当=息子)。 考えてみれば、昔はみんな燃えるものはみんな“おくどさん”(=かまど)か風呂の焚きつけにしてたし、それでなくても燃えるゴミは各家庭で燃やしてました。今は、プラスチックなどの“燃やせない燃えるゴミ”が多いとはいえ、全部お役所にゴミ処理を委託して、そのために税金払ってるのはバカバカしいですね。しかもその結果、どこの自治体もゴミ行政は破綻してるというのに、、。 この「火起こし達人」のおかげで、我が家は冬の間は何でも焚きつけにできそうで、なんか楽しみです。 これに難点がひとつあるとすれば、それは煙。炎が出てくるまでの2,3分、かなり煙がでるので、近くに洗濯物を干してる時には要注意です。まさか近所から苦情は来ないとは思うんですけどね、、、。 その昔、仁徳天皇が庶民の家々から煙が出てないのを見て嘆いたという故事も、今は昔ですね(^^; 今日は餅つきもしました。 出来れば臼と杵でつく本格的なやつがやりたいんですが、臼がかなり高価だし、一軒の家だけでやってもすぐに搗き終わって面白くないので、餅つき器でやってます。 今年はヨモギ餅にも初挑戦しましたが、なかなかいい出来です。明後日は鏡餅にも挑戦です。 子供たちも大騒ぎしながら、お餅を丸めてくれました(博多のお餅は丸いんです)。途中、蒸したてのおこわを食べたりあんこをなめたり、失敗作のお餅にかぶりついたりと、手伝ってるのかがっついてるのかわかりませんが、家族みんなで作業するってのがいいなあと思いました。 この前の味噌作りのときにも思いましたが、最近の家庭は、家族そろってのこうした共同作業ってどうなってるんでしょうね? 家族そろって何かやるといえば、外食かレジャーしかないとすると、なんだか寂しいですね(^^; 家族レジャーの楽しみもいいもんですが、ただお金を出して受身でサービスを受ける喜びよりも、自分たちで手間暇かけて何かを作り上げる作業を家族で共有すると、レジャーなんかと比べ物にならない宝物を得るような気がします。 働くことの意味、生活に対する姿勢、家族としての一体感、集団の中で自分の役割を見つける目・・・僕は知らず知らずのうちに、親からそういうものを受け継いできたんだなと、ふと親に感謝したくなりました(^^) それにしても、こうした年中行事の際には、同居の義母の存在がとてもありがたく思えます。かみさんでは、まだまだ到底あの域には達しません(^^; 年寄りがやっかいもの扱いされるのも、こうした行事をないがしろにしてるからだとつくづく思います。p.s余談ですが、今日久し振りに『サザエさん』を見ましたが、磯野家は、臼と杵で餅つきをやってました。ふと見ると、餅をつく波平さんの足が逆!(笑)この原画を描いた人はやったことなんだろうなあ・・・。
December 26, 2004
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こうするしか方法がない・・・これをやらないと大変なことになる・・・もしこれが失敗したらどうしよう・・・本当にそうでしょうか?どんなときにも手はいっぱいあります。いろんな思い込みにより手が見えなくなってるだけです。自分が千手観音であることを思い出してください(^^)
December 22, 2004
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今日は10月から受講している全6回のコーチング講座の最終日でした。 人って、話を聞いてもらうととっても元気になるんだということを実感として味わうと共に、だからこそ人の話は精一杯聞いてみようとつくづく思った講座でした。そして、そのための基本的なスキル(聞く・承認・質問etc.)も、仕事としてやるには程遠くても、やってみることに抵抗がなくなる程度には経験できました。ありがとうございました > musameji先生 講座の後、先生も含めほぼ全員で忘年会をやりました。 そこで初めて、皆さんのプロフィールなりやってることを聞くチャンスに恵まれましたが、いやー聞いてビックリ。わずか10数人の集いなのに、なんてすごいばっかり集まってるんだろう! なんせコーチングを学んだ人ばかりですので、何をどう話しても肯定的に聞いてもらえるという安心感はあるにせよ、皆さんどの人もキラキラ輝いてるんです。職業とか活動内容とか抜きにしても、そのいきいきした表情を見るだけで、もうとっても幸せな気分になりました(^o^) 実はどんな人でも、こうしたリラックスして自分を表現できる環境に置いてあげれば、ひとりでに輝きだすんじゃないかと思います。そしてそれこそが本当の自分なのではないかと。 もし今、「こんな自分はイヤだ~」という思いに苛(さいな)まれてる人がいたら、ちょっと勇気を出して、自分をオープンにできる場を探してみませんか? そこで自信をつけて「あ~、こんな自分でも受け入れてくれる人がいる」「自分はこの世に存在していいんだ」という、あったかーい思いを心の深いところで実感できれば、今つらいと思ってる環境が激変する(して見える)でしょう。 その場合、コーチング講座というのがきわめて優れた場であることを、一言付け加えておきます(笑)
December 20, 2004
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先週の日曜日あたりから、そろそろ年末モードに突入してます。 先週は、冬の風物詩である味噌作り。今年は3.6リットルの常滑焼きの甕を3つ分仕込みました。その製作記事を写真入りで紹介しようと思ったんですが、この1週間は会社の研修で死んでたので叶わず(^^; 正月休みに写真の整理をしながら、のんびりUPします。 今日は、ついに雨水利用システムが完成しました。2階の義母のベランダに蓄えられた200リットルの雨水を、ホースで下まで引っ張って、無事に庭に散水できるようになりました。 勢いよくとまではいきませんが、まあ我慢できる程度に“ちょろちょろと”水がほとばしります(笑) 水道料金を気にしなくていいし、非常用の飲み水にもなるし、なんか嬉しいですね~。最初から最後まで一緒に手伝った息子も、キャーキャーいいながら喜んでました。 昔は、降った雨はそこで地面にしみ込んで、井戸水や地下伏流水となるというサイクルができてたと思いますが、今は、宅地の半分以上を占める建物上に降った雨は、全部下水道に流れていくんですから、もったいない話です。 もともと下水道は、明治になってわが国に初めて敷設された当初は、雨水が川に流入するのをバイパスして洪水を防止するという目的だったそうです。今は、それに汚水も流し込んでまとめて処理してるというわけです。 下水処理施設の処理能力は流量で決まりますから、当然ながら激しい雨のときには、何も処理せずにそのままどんどん放出したりするんだそうです。その場合、見かけ上は薄まった水になってるんですが、汚れ分の総量は変わりません。 また、(広域)下水道の問題としては、重金属汚染だろうが界面活性剤だろうが味噌汁の残りだろうが、ありとあらゆる雑多な汚水をまとめて処理する必要があるので、とてもすべては処理しきれないし、また処理にかかる手間が膨大になります。 どうせ下水道に流すんだからと、どんな汚水を流しても構わないと思いがちですが、実はそうじゃないんですよね~。 これは下水道だけに限りませんが、結局、“後始末”の関することは、最後にまとめてやろうとすると大変!なんだと思いますね~。ゴミの分別収集もそうだし、子供のおもちゃの片付けもそう(^^; まとめてやろうとすると、どうしても“振り分ける”という作業が必要になってきて、その分手間が膨らみます。 そういう意味で、個人個人がちょっとした手間を出しあって社会全体の維持コストを下げていくというのが、人口が激減していくこれからの世の中にあって、生き延びるための方向と思われます。 さて、本日はこの雨水利用システム製作の他に、本付の浄水器のカートリッジ交換やペンキ塗りをやりました。娘が蹴破った障子の張り替えまでは至りませんでしたが、カートリッジを変えたおかげで、お風呂のお湯が一層トロトロで感動ものでした。 我が家はまだまだコタツだけで十分!というぐらい暖かい12月になっている福岡の街ですが、徐々にお正月気分が高まってきました(^o^)v
December 19, 2004
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今日は家族で味噌作りをしました。 味噌麹から作るとなれば大変ですが、麹を味噌屋さんから分けてもらえば作業としてはいたって簡単です。 ※その味噌屋さんは、新潟県長岡市の星六味噌さん(TEL:0258-32-6206)ですが、僕が結婚する前からですから、もう15年くらいのおつきあいになります。この星六さんには進藤先生の冷え取り健康法も教えていただき(参考:1,2)絹の5本指ソックスもこちらから購入してます。幸い今回の地震ではさほど大きな被害もなく無事だったそうです。◎材料(3.6リットルの常滑焼きの瓶1個分) ・大豆(もちろん国産のもの!) 750g ・味噌麹 2kg ・塩(ミネラル分の多い良質のもの) 360g◎作り方(1)大豆を前の晩から良質の水につけてもどす(2)味噌麹が固まりになってるので、それをていねいにほぐして、さらに塩とよく混ぜる (3)もどした大豆を蒸す(ゆでるやり方もありますが蒸した方がアクがとれると星六さんに聞きました)。蒸すのに結構時間がかかります。みすず農場の大豆なんですが、子供たちは蒸しただけの大豆を喜んでムシャムシャ食べます(^o^) (4)蒸した大豆をすり鉢ですりつぶす(ミキサーを使う手もありますが、水っぽくなるのでうちはやりません) (5)すりつぶした大豆を、(2)の塩切りした味噌麹とよく混ぜる。冷えると混ぜにくくなるのでお早めに。(6)瓶の底に少々塩をふり、(5)をすきまなく詰めていく。空気を入れないようにするために、とにかくギュッ、ギュッと力を込めて詰めていきます。 (7)全部つめたら、表面にも塩を少々ふります。 (8)3月頃になって暖かくなると、表面に水がしみ出してくるので、その吸い取り用にキッチンペーパーを敷きます。我が家の場合、さらに竹炭も置いてます(笑) (9)これで出来あがり。我が家の場合、味噌に名前をつけてます。 今年は子供たちにつけさせましたが、3瓶作ってそれぞれ、ドラゴン1号、ナイトウポン2号(幼稚園の先生の名前より・・・笑)、エンジェル3号でした(^^; 後は、暖かくなってきたときに、表面の水をこまめに吸い取ってあげることです。これをしないと、白いカビが生えて腐っていきます。その頃に上下をよくかき混ぜた方がいいのかもしれませんが、よくわかってません。タッパーに入れて冷蔵庫に入れてやるのもいいと思います。 ざっとまあ、こんな感じですが、特に難しい技術が必要なわけでもなく、家族で楽しんでできる共同作業だと思います。それに手前味噌の言葉通り、うちの味噌が一番うまいなあと思えて、毎朝の食卓がきわめて満足度の高いものになること請け合いです。ぜひチャレンジしてみてください(^^)b
December 12, 2004
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通勤中に横を通る樋井川に、もうユリカモメたちが渡ってきてます。 ふと「ぴゅるるるるーーー」という声が聞こえたので上を見上げると、鳶(とんび)がクルリと輪をかいてます。なぜだかわかりませんが、福岡ドーム近くにはよくいるんですよ。 日本最初の本格的推理小説(しかも完成度が高い!)『半七捕物帖』の作者である岡本綺堂のエッセイにありましたが、明治の中頃の新聞に「東京市内に鳶が現れて油揚げをさらっていった」という記事があるそうですから、もうその頃には珍しかったんでしょうね。 さて、もう師走ということで、火の始末には気をつけるシーズンになりましたね。 僕が子供の頃には、冬の夜更けに「火のよーじん! マッチ一本火事の元」という呼び声を聞いた記憶がかすかにあるのですが、最近はどうなんでしょうね。落語の方には『二番煎じ』という、人間臭くてあったかい話があって、故古今亭志ん朝師の名演を聞くと、寒い冬の晩もいいなあと思ってしまいます。 江戸時代の火消しといえば、鳶職の仕事です。 大岡越前守(えちぜんのかみ)が、いろは48組の町火消しを組織させたのが始まりです(ちなみに「ら」「ひ」「へ」組はなかった)。 その頃の火消しは、破壊消防といって、今のように水で消し止めるのではなく、家並みをこわして延焼を防ぐのが火消しの仕事です。したがって、効率よく壊すためには、作った人でないとわからないわけで、しかも高いところをひょいひょい動き回れる人ということで、鳶の職人たちが消化活動にあたりました。鳶という名は、彼らが使う鳶口という道具から来ています。 時代劇の火事のシーンでは、纏(まとい)を振ってる姿が出てきますが、あの纏をどんと立てると、「ここまでで絶対消し止めてみせる」という印なので、一旦纏を立てたら、男のメンツにかけておいそれと後退できないんですね、これが(^^; しかも、いくつかの組が共同で消化にあたってるときに、自分の後ろにもう1本纏が立ったら、後ろが引くまでは、前の纏は下がれないというルールもあります。実際、そんなメンツのために焼け死んだ人もいたんだそうです。 そんな危険な仕事なのに、あの纏持ちというのは、実は憧れのポジションで、火消しの中では頭の次のNo.2がやる仕事でした。だからこそ若い連中は、「兄貴を死なすな~」ってんで、しゃかりきになって働いたそうです。 火消しの頭ってのが、これまた人望が要求される立場の人で、火事のときにどの家までを壊すか壊さないか、またへたすりゃ命を落とす危険な場所に誰を配置するかを決めるわけですから、生半可な判断力じゃできません。仮に失敗したとしても、「あの人が判断してこうなったんなら仕方ない」と回りが納得する人物でないとやっていけません。 だからこそ、江戸の三男(さんおとこ)といって、いい男の代表的職業は「与力、相撲に火消しの頭」となってます。ずいぶんモテたろうと思います。 一旦火事があれば命を落とすかもしれない危険な仕事をしているわけですから、当然鳶の連中は荒くれ男が多く、みんな彫り物はしてるし、すぐにケンカ始めるしで、今なら嫌われるタイプの人種なんですね。『火事息子』という落語でも、大店の若旦那が火消しになりたいと言い張って、ついに親から勘当されてしまいます。 面白いことに、江戸の町では鳶の連中を火消しとして町内が雇ってる形になってるんですね。鳶職としての仕事の一日分にも満たない雀の涙程度の手当ですが、それでも町内のみんなが頼ってくれるという精神的満足により、どぶさらいから町の用心棒までやってたそうです。そりゃー、こわもてのおあにいさんが町内に目を光らせてりゃ、変なやつは入ってきにくいでしょうね(^^; また、男の子にとっては、彼らの背中の彫り物や威勢のよさから、憧れの存在だったようです。 現代なら3Kと言われること確実で、しかも嫌われるタイプの人が多い集団を、逆に生かした江戸の人々の知恵は、見事としかいいようがありません。最後にいい話: 現代の消防士さんもそうですが、昔も今も火事のときの現場責任者の最大の仕事は、「救助のために無理やり中に飛び込んでいこうとする隊員を、いかに押しとどめるか」なんだそうです。 人って美しいなあと思います。 ※参考文献『大江戸ボランティア事情』(講談社文庫/石川英輔)
December 10, 2004
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世界的な工業化の進展により、21世紀における水は、石油同様激しい奪い合いになるだろうと予測されてます。実際にどうなるかはわかりませんが、例えば黄河なんて、河口から数百キロも上流で干上がってて(工業化により取水量が増大したため)、すでに川としての体をなしていないのは事実です。 水資源は豊富とされている我が国でも、バーチャル・ウォーターという概念を導入すればさほど豊かというわけではありません。少なくとも、今の日本人のような水の使い方をしていれば、慢性的な水不足は避けられないと思います。 そこで今日は朝から、「脱・ライフライン計画」の一環として、雨水利用システムの製作に没頭しました。非常時は飲み水用に、平常時は庭の散水用に使えるように、雨水を蓄えることにしたんです。助手は、我が息子です(←こいつがまたイキイキと協力してくれました)。 近くのホームセンターに専用の雨水タンクが売ってるんですが、わずか80リットルでしかも1万円近くするので、別の手を考えました。 アウトドア用品等を収納しておく100リットルのレジャーBOXが1500円だったので、これを2つ使って200リットルの雨水タンクにすることにしました。これら2つを連結し、さらに2階のベランダに置くことにより、その高さによる水圧で庭の散水に使う作戦です。雨水は、特殊な継ぎ手を利用して雨樋から取水します。 上下に重ねた2つのタンクの上のタンクに雨樋からの水を注ぎ込み、下のタンクから1階までホースを伸ばして庭に撒けるようにするわけですが、悩んだのは、下のタンクの水が一杯になったら上のタンクからの水の供給を止める仕組み。密閉式のタンクじゃないので、そのままだと下のタンクがあふれてしまうのです。 この問題は、“工夫の鬼”であるうちのオヤジのアイデアにより、トイレタンク内にも使ってあるボールタップを使って、下のタンクが一杯になったら自動的に弁が閉じる仕掛けを利用して、解決しました。 またタンクの中には、なぜか我が家にゴロゴロしている竹炭やらトルマリンやら天降石やらなんとかセラミックやら喜びが増殖する不思議な水やらをぶち込んで、水の浄化をしています。 結局今日は、散水用のホースに接続するところまではできませんでしたが、実験の結果、散水にもなんとか使えるレベルの水圧も出てるようで、後は安いホースを買ってきてつなげばうまくいくと思います。 今日は一日中働きづめで体は少々くたびれましたが、なかなかの出来栄えに満足できた一日でした。僕と一緒に何かを作るのが大好きな息子も大喜びでありました。 今は、早く雨が降らんかな~と息子と二人で楽しみにしとります(^o^) ・・・さてさて、来週末は味噌作りです。
December 5, 2004
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5年ぶりに携帯電話を買い換えました。 今まで使ってたのはiモードにすら対応してない機種で、特に不自由は感じてなかったんですが、仕事で企画っぽい話をするときに、携帯のサービスの現状を全く知らないのはさすがに困るようになって、ついに決心しました。そこで、次も5年は買い換えなくて済むように、最新機種を購入。 だいぶ使い方に慣れてきましたが、カメラやメールはもちろん動画も撮れるし、ボイス録音やらiアプリのゲームやら、いやはやおもちゃですな~(笑) さすがにまだ手は出しませんでしたが、FOMA端末になるとテレビも見られるんですよね~。 携帯の中身は、ますますもってPCに近づきつつあるわけですが、本当にこれ一台あれば、コミュニケーションもビジネスもエンターテインメントも何でもござれって感じですね。いやーすごい! ・・・とは思いますが。 ここからが本題です(笑) こんなに便利なツールなればこそ、今や駅のホームにしろ、道行く人にしろ、暇さえあれば電話してるかメール打ってるかゲームしてるかニュース見てるわけです。 これは携帯電話だけの問題ではなくて、車に乗ればカーナビがついていて、ナビ機能はもちろんのことレストランの案内やらテレビ・DVDの視聴まできるようになってます。 家に帰れば、大画面の液晶かプラズマテレビがあって、ハードディスクレコーダーに録画した高画質の放送をいつでもスムーズに見ることができます。ハードディスクレコーダーも、多分来年には、1TB(テラバイト=1000ギガバイト)というとてつもない容量のものが出てくるでしょうから、そうなると今までのように、見たい番組を録画して後で見るのではなくて、1週間分の放送をとりあえず全部録画しておいて、見るときに好きなものをピックアップしてみるような流れになってくると言われております。ほとんどテレビを見ない我が家としては、どうしてそんなに見たい番組がたくさんあるのか、とても不思議ですが。 はてさて、これからの日本人に、一人でぼーっとする時間って取れるんでしょうか(^^; いつでもどこでも、外から入ってくる刺激に容易にアクセスできる環境(これをユビキタスネットワーク社会という)が、急速に整備されつつありますから、放っておけば人は刺激に流されるでしょう。 今現在でも、僕ら個人の持つ時間やお金といったリソースの何割ぐらいが、こうした外からの刺激を得るために使われているのか考えると、なんだか寒気がしてきますね。 外の刺激に流されて生きるのが楽なのはわかります。 難しいこと考えなくていいし、見たくない自分も見なくていいし、都合の悪いことは周囲のせいにすればいいし、みんなやってることだからという安心感もあるし。でも、そうした刺激が途切れたときにふと虚無感や禁断症状を覚えるのなら、すこーしライフスタイルを見直してはいかがでしょうか? 刺激に溺れてしまってるからです。 頼むから、もっとぼーっとしましょうよ。 広島から戻って以来、ぼーっとするのが気持ちよくてたまらない僕は、しょっちゅう会社でもぼーっとしてます(笑) ぼっーとしてると、いろんな思いが浮かんだり、いろんな感じが湧き起こったり、外の刺激に負けず劣らずダイナミックな世界が堪能できますよ。ちょいとテレビのチャンネルを、“自分チャンネル”に合わせるようなもんです(^o^)b【余談】 戦後GHQは、日本に対して3S政策というのを施したと言われております。 スポーツ・セックス・スクリーンの3つです。これらに溺れさせることで、一般庶民が自分たちが実は支配されてることに気付かせないようにする政策です。 この政策が最も功を奏したのが他ならぬアメリカ自身ですが、戦後50年以上たって、日本でも見事に花開いたなあと思います。「スクリーン」は当時は映画しかありませんでしたが、今ならテレビ、ビデオはもちろんゲーム類もこれに含まれるでしょうね。 これら3つから学ぶところももちろんありますが、問題は溺れてるかどうかだと思います。 昔の知人でチャネリングやってる人がいて、その人に降りてくる意識体が言ってましたが、テレビからは、「眠れ~眠れ~」というメッセージがいつも流れてるんだそうです。もちろん体を眠らせたいのではなく、魂の覚醒を邪魔しようとしてると言ってました。ウソか本当かは知る由もありませんが(笑)
December 3, 2004
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以前の日記に、食事中は正座するぞ~と書きましたが、5ヶ月たってだいぶ定着してきました。 最初は5分もすると足が痛くなってましたが、今は20分ぐらいは平気になりました。こんなのは慣れの問題だなあとつくづく思います。 子供たちはというと、息子の方はもう何も言わなくても食卓に向かう時は正座するようになってます。娘の方はマイペースなやつなので正座したりしなかったりですが、時々「はい、正座」と促す程度で、特にプレッシャーをかけてるわけではありません。親の方もしびれたなあと思ったら親も足を伸ばしてるし(笑) 無理やり強制するのも一つの手ですが、親が気持ちよくやってたら、だんだんやるようになるだろうと思ってます。(それにしても、学校の方はもう少し姿勢教育に力を入れてもいいんではないかと思いますが、、、) 正座して食事をする。 さらに、最近は内なる神のことを何かにつけ意識するようにしてるので、食事を前にして、自分に中の神様に食事を捧げ一緒に食べる気分で、手を合わせて「いただきます」をするようにしています。 こうすると、当たり前のように食べている食事のひとつひとつがとてもありがたく、自然とよく噛むので味わいも深いです。 たったこれだけのことですが、毎日やってると、なんだか自分が澄んでいくような気がします。 ひとつひとつの生活習慣、ひとつひとつの体験、ひとつひとつの思い・・大切にしたいですね。※たまたま読んでた『日月神示』にこんなことが書いてありました。 「食べ物、今の半分で足りると申してあるが、神に捧げたものか、 祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのぞ」 別に外の神様に捧げなくても、大切なのは思いだと思うので、誰の心の底にも 必ずいる内側の神様に捧げると簡単ですね(^^)b こういう気分で食べてると、満ち足りた感じがするので、確かに量は少なくても OKだし、それに多分、ジャンクフードだろうが農薬まみれの野菜だろうが、 その“思い”によって浄化されると思います。
December 1, 2004
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この1週間は、久々に本業が忙しくて午前様が続いておりました。そういえば、僕はエンジニアだったんですね(笑) 設計開発の仕事をしていると、技術的な理論や理屈を利用する側面と、アイデアとか発想ということを求められる側面とがあるわけですが、今日はこの辺について考えてみましょう 新しいものを生み出したり、何かしらの問題点を解決する過程というのは、僕のこれまでの経験では、大きく3段階に分けられます。Step1:枠組み作り・条件出し・問題点の絞込み Step2の発想が出てくる範囲を限定するための枠組み作りです。ただ漠然と「アイデアを出せ!」と言われても出てくるものではないので、大よその技術的要件を洗い出したり、問題点を絞り込んで、ここさえ解決できれば、というレベルまで論理的に追い込んでいきます。 要は、「この範囲のアイデアが欲しい!」ということを、はっきりさせるためのステップです。Step2:発想・ブレークスルー Step1で限定された範囲のアイデアが出てくる過程です。 えてして、「あ~そうか!」「こうすればいいんだ!」という気付きの表現を伴うことが多く、最もエキサイティングで最もワクワクする過程です。ただし、いつどのような形でそのアイデアが出てくるか、全く読めません(^^; 一番謎の多いところですね。Step3:アイデアの具現化 Step2で出てきたアイデアを具現化する過程です。 この過程は、これまで積み上げてきた理論や理屈・経験を総動員します。ここでまた何か問題点にぶつかったときは、その問題点について、このStep1~Step3のサイクルを回すことになります。 このうち、Step1とStep3は、あくまで頭を使って「考える」ステップです。 問題はStep2ですが、これはどんなに頭をひねって思考をめぐらしてもうまくいきません。どちらかというと、ぼーっとしてるときの方がいいアイデアが出てきます。 そう、アイデアは出てくるものであって、自分で出すものではないんです。 例えば、「携帯にカメラ機能を持たせる」というのは携帯メーカーの誰かの発想で、発想した本人(Aさんとしましょう)は、自分のアイデアだと思ってるはずですが、実はAさんの作ったアイデアではありません。 Aさん自身は、「携帯に入れられるくらいのもので、何か面白い機能はないかな・・」と、発想の出てくる範囲を限定したに過ぎないのです。そうしたら、「カメラ機能はどうだろうか・・・」というアイデアが、どこからともなくポン!と頭に浮かんだだけの話です。 思い付くという言葉は、この辺を実にうまく表現してると思います。どこからか思いが飛んできて、ペトッとくっつくんです。自分で作ったわけではありません。 これは別に僕のような設計開発業務をやってる人間だけの話ではなくて、日常生活のちょっとした工夫や、些細なトラブルを解決するのに「こうしたらいいや!」とか、「久し振りに○○さんに電話してみよう」といった他愛もない発想も含めて、自分の発想と言えるものは、実は何一つないんじゃないかと僕は思ってます。思いはどこからかやってくるからです。 では、この大元の思いを生み出した主体は何なんでしょう? あなたが今とらわれてるその思いが自分のものでないとしたら、自分って一体何なんでしょうか? こんなこと考えてると、色んな思いの集合体+肉体=自分と思ってきた人にとっては、自分というアイデンティティが揺らぎ始めるかもしれません。 そして、それこそが真の自由への第一歩だと思います。自分の思ってる自分という枠に自分を限定する必要はないんです。
November 22, 2004
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広島から帰ってきて以来、“満ち足りた感じ”が続いてます。 日常生活で特に何か素敵な出来事があって、というわけではなくて、何もなくても湧き上がってくる喜びというのが確かにあるのです。 もちろん、イライラしたり心配事が皆無というわけではありませんが、それらもふーっと流れていく感じです。「タバコをくゆらす」という表現がありますが、丁度あんな感じで、いろんな思いが煙のように漂って静かに消えていきます。 今なにか「頭にこびりついて離れない思い」に悩まされてる方も、たくさんいらっしゃると思いますが、その正体はタバコの煙のようなもんです。肺の奥までしっかり吸い込んで、その苦いタバコの味を心ゆくまで味わってから、ふーっと吐き出してしまいましょう(^^)b(前回の日記の補足)> 怒りたいときには怒っていいんです。> 泣きたいときには泣いてもいいんです。> 怖いときには怖がればいいんです。 この前こう書きましたが、日常生活でTPOを考えずにこれをやれると最高なんですが、なかなかそうもいきませんね。その場合、後で感情が吐き出せるシチュエーションを作ってからやりましょう。 コツは、その処理したい感情が出てきたときの自分の感じを思い出すことです。 そして、例えば恐怖なら恐怖の感じをどんどん膨らまして、その恐怖に自分が飲み込まれるようなイメージするといいようです(この前のサムスカラシュッティではそうやりました)。 無理に、全部を処理してしまわなくても構いません。いつか必ず出てきますから。 こういった自分が避けてきた感情をとことん味わってみると、実にスッキリして解放感と満足感が湧いてきます。 すると、ここで面白いことに気付きます。 怒りについていえば、僕らは普段、自分の怒りを相手にぶつけて相手の行動を変えることでしか、怒りは解消されないと無意識のうちに思ってます。 ところが、その怒りと向き合ってそれをとことん味わい尽くしてみると、相手の行動は全く変わらないのに、そのことがちっとも気にならなくなってる自分を発見するわけです。 他の感情でも同様です。自分の置かれてる状況は変わらなくても、そのことが気にならなくなるんです。 面白いですよね~。 僕らは、いろんな思いを味わうために生まれてきたと思う所以です。目の前の現実は、そのための手段にしか過ぎません。したがって、ひとつの思いを味わい尽くせば、結果として現実が変わっていきます。逆に、逃げつづける限り、何らかの形で同じ現実がどこまでもどこまでも追いかけてきます。
November 14, 2004
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昨日、無事に広島から帰ってきました。 無事にというより、生まれ変わってと言った方がいいかもしれません。とにかく、この10年間に山ほど体験した様々なワークショップの中で、もっとも満足度が高く、もっとも変化の大きかったワークでした。 昨日の段階ではまだ、ディクシャの影響で頭が痛かったんですが、今朝起きてみるとそれも消えてました。 なんと申しましょうか、日だまりの中で春風に優しく包まれてるような感覚がずっと続いてます。しかもハートのチャクラがあったかくて、そこから甘い蜜が湧いてくるような感じです。スキップしたくなるような喜びというよりは、静かに微笑みたくなる喜びですね。今日は会社で仕事してて、わけもなく嬉しくて涙が出そうになりました。 今まで、なんて肩に力の入った生き方をしてきたんだろうと、しみじみとそして懐かしく思います。今は肩に力を入れようと思っても、なんだかフニャフニャしてて入らない感じです。端から見れば腑抜けに見えるかもしれません(笑) さて、ディクシャって何ですか?という質問が来てましたが、それをちゃんと説明しようとすると、クンダリーニの上昇がどうのこうのとか、悟りとは?とか、宇宙意識があーだこーだとか、かなり長ーい話になりそうなので、いずれまた機会があれば、ということにさせてください。そもそも言葉で説明するのは限界があるし、、。まあ、目に見える作業としては、頭に数秒間軽く手を置いてもらうだけなんですけどね。 どうしても詳しく話が聞きたい人は、個別にメールか電話してください。そのときは僕の浅薄な知識と体験を総動員してご説明させていただきます(^^)v ディクシャの前処理としてサムスカラシュッティ(質のクリーニングという意味だそうです)というワークがありましたが、これもなかなか素晴らしいワークで、こちらの方がわかりやすいので、簡単にご説明しましょう。 一言でいうと、「ためこんだ感情を吐き出すために、その感情に身をまかす」です。 つまり、怒り、憎しみ、悲しみ、恐怖、不安、心配・・・普段は無理に押さえ込んでるそういった感情を、思いっきり味わうんです。 これは、たまった感情を消滅させる最も効果的な方法は、その感情を味わい尽くすことという原理に基づいてます。 実は、僕らは子供の頃から、感情に良い悪いの判断を持ち込んで、悪い感情は表現せずに心の底に押し込める癖がついてしまってます。 「○○がしたい!」というと親から「わがまま」と言われるので我慢したり、「つらい!」といって泣きたいのに、泣くと親の機嫌が悪くなるので、胸のうちにしまいこんだり。 最近では、プラス思考ってやつがくせ者で、たとえば、ある人からなにかイヤーなこと言われても「これもきっと何かしら自分にとって意味のあることに違いない」などと考えてしまって、その人に対する怒りの感情を、無理やりなだめすかしてるわけです。 でも、こうした感情は確実にたまっていき、自分の無意識下の行動(それはたいてい不調和な結果を生む)に影響を及ぼしたり、また病気の元になったりします。「ミューカス」といって、特に下半身の関節にたまりやすいそうです。 サムスカラシュッティでは、そうした感情を浮かんでくるままに、思いっきり表現し発散させることで、その感情を味わいつくし、処理していきます。 僕は普段は温厚な人間ですが、いや~出るわ出るわ・・・特に子供の頃に感じた両親に対する怒りはいっぱい出てきました。「大丈夫やけん、信用してよ!」とか「したいようにさせてよ!」「間違えてもいいやんか!」などと、号泣しながら叫びまくってました。 恐怖については、「子供の死」「失敗の恐怖」「怒ってる人の目」というのが、僕の3大恐怖として出てきましたが、これらもほぼ処理できたと思います。「お金を失う恐怖」というのもトライしてみましたが、これは全然大したことないことがわかりました。 当然ながら、このワークの最中の会場は阿鼻叫喚が飛び交うすさまじい空間と化しますが、自分が吐き出した分だけ確実に軽くなって、自分が空っぽになった感じがします。 終わった後、みんなで思い思いにハグするんですが、そのときの一体感がいいし、コップ一杯の水でさえも、なんだかとてもいとおしく感じて、思わず両手で大切に持って飲みました。 重たーいものを抱えてる人には、うってつけのワークだと思います(^^)b 怒りたいときには怒っていいんです。 泣きたいときには泣いてもいいんです。 怖いときには怖がればいいんです。 感情に良い悪いはありません。 僕らはあらゆる感情を楽しむために、この肉体を持って生まれてきてるんですから。 #この広島で行われたのと同じ2泊3日のコースが、今度の週末(金~日)に阿蘇の方で行われます。もし興味のある方がいらっしゃいましたら、メールしてください。僕が主催してるわけではありませんが、案内状を持ってますので。ちなみに、うちのかみさんも参加します(かみさんがどうなって帰ってくるか、楽しみ~)
November 8, 2004
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現代でも田舎の方に行ったらまだ残ってると思いますが、結(ゆい)あるいは結っこ、もやいと呼ばれるシステムがあります。 江戸の昔には、どこの村にもあったシステムです。 一言で言うと、金銭を媒介としない労働力の貸し借りです。 例えば、「この前田植えを手伝ってもらったから、今度はお宅の屋根の葺きかえを手伝いましょう」という感じです。 このシステムのなにが素晴らしいかというと、何よりネーミングがいい(笑) 手を貸し合って共同作業することは、人と人を結び付ける大事な要素なんだと、この結の存在を知ってあらためて思いました。 近年は、お隣さんが何やってる人かもよく知らなかったり、知り合いに何かお願いしようかと思っても、すぐに「迷惑かけるから」と自粛してしまいますが、無理のない範囲でなら迷惑かけた方がいいんじゃないのかなと思うんです。 僕が子供の頃は、それこそ味噌や醤油の貸し借りは、当たり前の話でした。 よく義母が言いますが、うちのかみさんが赤ちゃんの頃は「今寝てるから泣いたらよろしくね!」と隣にお願いして買い物に出かけてたそうです。家はもちろん開けっ放しです。 みんなお互い様だったんですよね。 イメージしてください・・・気軽に「○○お願いね」と言い合える関係が回りにあったとしたら、どんな感じですか? たとえ少々煩わしいと感じることがあったとしても、少なくとも誰も育児ノイローゼなんかならないし、最近急激に増えているうつ病も激減するだろうと思います。つながってる、という安心感も生まれるでしょう。 誰にも迷惑をかけずに生きてる人なんて一人もいないんだし、まずは程度の軽いものから、迷惑をかける練習!(笑)をしてみたらどうでしょう。こちらが先に何かをお願いすることによって、相手もこちらを頼りやすくなるわけですから。 人はそうやって結びついていくからこそ、「結」なんだと思います。
October 26, 2004
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前回の台風と今回の地震で大きな被害が出て、被災者、関係者の方々はさぞかし大変な思いをされてることと思います。そして、いまだに混乱状況にある地域が、一刻も早く落ち着いて生活できる状態になることを祈ります。 また亡くなった方のご遺族の方は、泣きたいだけ泣いて早く悲しみから立ち直っていただきたいと思います。そして亡くなった方の魂が未練なくスッキリと光の世界に帰っていけるよう後押ししていただければと思います。 今年の度重なる自然災害は、なんだか“予行演習”のような気がしてなりません。 前にもちらと書きましたが、お金さえ出せばいくらでも食べ物が手に入る、お金さえ出せば水も電気もガスも使い放題という現在の日本の状況がそう長く続くとは思えないからです。 むしろ続かない方がいいだろうとも思ってます・・・地球の存続のために。モノとお金に縛られた自分を解放するために。 そのために、ライフラインが断たれても大丈夫な自分でいたいと思ってます。そういう社会であってほしいと思ってます。 問題は、いかに軟着陸するかですね。。。。
October 25, 2004
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昨日は、1年生の娘が逆上がりの練習をするからついて来て、というので一緒に小学校に行きました。うちの娘は、やると決めたらガンガンやるやつなので、昨日も1時間ほどの間に、飽きもせずに練習してました。 逆上がりは、2週間ほど前になんとかできたんですが、偶然うまくいったというレベルなので、もっとうまくなりたいようです。昨日は結局、練習の甲斐あって「13回もできた~!」と喜んでました。 今朝もまた学校に行って練習しましたが、わずか一日で、もう4回中3回は成功するようになりました。ついでに、娘に懸垂をさせてみたところ、なんと2回もできて親はビックリ! さすが、一番好きな教科は?と聞かれて「体育!」と答えるだけはある(笑) 娘が逆上がりを一所懸命やり始めたきっかけは、幼稚園の頃から知ってる同じ学年の友達が、目の前であっさり逆上がりをやってみせたからです。親がやらせてもなかなか積極的にやろうとしなかったのが、他の子がやってるのを見ると、「自分もできる」という気持ちになってくるんでしょうね~。 だからこそ、子供は子供の世界で育てたいもんだと思います。 実は僕は小3の頃、鉄棒にはまって、仲間内で色んな技を工夫しあってました。主に足を使った回転技ですが、手のひらがマメだらけになるほど練習してました。 だんご回り、コウモリ回転、東アルプス、南アルプス、ニンジン、花山大噴火・・・いつ誰がどうやってこんな名前をつけたのかわかりませんが、最近の小学生でこんなことやってる子を見たことがありません。 たいていの技は今でもやれるので、時々子供の前でやってみせますが、↑で書いたように、大人がやってみせてもなかなか子供はやろうとしないんですよね~。特に、勇気と度胸が必要なやつは、子供でもやれることを見せてくれないと、やってみようとすら思わないみたいです(^^; ああいった鉄棒技は、一部の体操選手を除いて、もう2度と一般の子供たちの間に普及することはないんでしょうね。うーむ、なんだか寂しいぞ・・・・ 子供の世界が、子供同士の接触によって広がる部分が大きいとすると、それは広がり始めると爆発的に広がるし、一旦縮小し始めるとあっという間にしぼんでしまいます。 現代はどうみても縮小期ですね~。 うちの息子は今4年生ですが、夕方公園に出ても、もはや同学年以上の友達を探すのがかなり難しくなってます。もっと子供同士の接触を増やしてやりたいところですが、みんな習い事で忙しくって、、、(^^;
October 24, 2004
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今日は、コーチング講座・第2回にかみさんと行ってきました。 なんせコミュニケーションのスキルを身に付ける場ですから、ロールプレイ等でお互い話し合う場面も多く、楽しいですね~。musameji先生はもちろん、受講生の方もだいぶ打ち解けてきていい感じです。この集まりで忘年会でもできたらいいなと勝手に思ってます(笑) 今日驚いたのは、受講生仲間のOさんから「実は、、、」と告白されたこと。 僕はまったく知らなかったんですが、彼女はかみさんも含めて2重、3重に我が家とご縁のある方で、何よりもこの日記をいつも読んでいただいてるというのが嬉しかったです(*^o^*) ぜひS・Yさんと一緒に、我が家に遊びにきてくださいませ > Oさん もうひとつの告白。 今日の話の中で、日本のコーチングの草分けである伊藤守氏の「コミュニケーションはキャッチボールのようなもの」という言葉が引用されてました。 僕は伊藤守氏がコーチングの世界でそんなに有名な方だとは知りませんでしたが、氏の本はたくさん持ってます。 あるとき、本屋さんで見つけたCDサイズのこんな本・・・ 『今日もいい感じ』 『いまのあなたを楽しみなさい』 『ご機嫌の法則』 『Happyの法則』 ※伊藤氏のページの著作欄にリンクあり この人は相当深いところまでわかってる人だなあというのが、こっちにもありありとわかるんですが、それをこんなにも平易に、こんなにも気持ちよく書けるなんて、と感動したのです。 実は、僕のこの日記の文章スタイルは、未だ到底及ばないものの伊藤氏の影響が大であることをここに告白します(笑) 伊藤氏の本を出している出版社が、ディスカバー21という聞きなれぬ会社。これは伊藤氏自身が代表です。 調べてみると、この会社は日本の出版業の異端児で、東販・日版という2大取次店が幅を利かす歪んだ業界にあって、取次ぎを通さず書店に直販するという大胆なことをやってる会社です。今でこそネット通販で本を買うのは当たり前になってますのでそうでもありませんが、僕がこの会社のことを知った数年前は、かなり衝撃的なことでした。 こりゃー面白いやってんで、4年ほど前に東京に出張した際に、福岡空港から編集部に「今日そちらに遊びに行っていいですか」と電話をかけて、その日の夕方にズケズケとお邪魔しました。こっちが好意をもってることを伝えると、たいていどこでも歓迎してくれるもんですね(^^)b 残念ながら、伊藤氏は接客中でお会いできませんでしたが、干場社長(まだ小さい子を持つお母さんでした)をはじめ、編集部の方々とお話させていただくことができました。皆さん若くって、バイトの子も楽しそうに仕事してたのが印象的でしたね~。おみやげに、伊藤氏のサイン入りの本をいただいたのを覚えてます。 何をかくそう、ここで出してる本で読者からの投稿を集めたやつがあって、僕の一言も載ってるんですよ~(^.^)v 最近は、この出版社の本もあちこちの本屋さんで見かけるようになりましたので、皆さんぜひどうぞ♪
October 18, 2004
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水曜日に、久しぶりに会社の同期の友人2人と飲みに行きました。大笑いの4時間で、今度久しぶりに同期会をやろうということになりました。僕が幹事のようです。同期140人の行方や如何に。 で、その日お酒が少々(かなり?)過ぎまして、現在風邪気味です(^^; おまけにメインPCがようやく復旧したかなと思ったらまた死んで、結局ハードディスクのフォーマットから全部のソフトのフルインストールやってます。ようやく5合目という感じ。この際ついでに、各種周辺機器の置き場等も整理しようと思ってるので、現在わが書斎は足の踏み場もない状態。このまんまにしときたくないけど、眠たいよう~~(寝るぞ~)。 最近街を行くと、欅(ケヤキ)がよく目に付きます。 なんかいいですよね~、欅。楠のどっしりとした感じもいいんですが、欅のうわーっと扇状に広がっていく感じがとても好きです。宇宙、あるいは自分の世界の発展の様を見せられてるようで、、、。 さて、明日は地域の運動会。 小学校の運動会よりも運動会らしいし、親も参加できるし、体は少々へばってますが楽しみです。 きっと明日も日本晴れ。
October 16, 2004
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先週の木~土の研修は、なかなか有意義な研修でとてもためになりました。全国から集まってきた優秀な連中と交流を深めたのも大きな収穫でした。 途中、企画研修ということでビジネスモデルの分析トレーニングをしたんですが、その題材が楽天。楽天も今や売上180億円を越え、もはやベンチャー企業とは呼べない一流企業ですが、ビジネスモデルとして眺めるとなかなか興味深かったです。 確かに、このネットショッピングの分野では、圧倒的なトップブランドを確立して、そういう意味では負けはないんですが、今はちょうど企業として踊り場で、次のビジネスモデルが見えてないということが課題として挙げられてました。あまりに規模が大きくなりすぎたので、楽天に出店したはいいものの、ヒット率が低くて一年持たずにやめていく人が跡を絶たないんだそうです。 一方では、田舎のおばあちゃんが手染めの風呂敷を出品したら、莫大な注文が舞い込んだというサクセスストーリーもあるんですけどね、、、。 社長の三木谷さんという人は元興銀で、ソフトバンクの孫正義の担当者だったそうで、孫氏が行くところにはどこにでもくっついていって、名刺を配りまくっていたとか。 昨日、一昨日は、かみさんが仕事だったので実家に子連れで行ってきました。途中、子供の絵画教室やってる先輩の絵画展や、木製家具作りをやってる昔の友人の作品展を見て、旧交を温めてきました。 そして昨夜は、家族みんなで義母の部屋に集まってダイエーの応援♪ 久々にあんなに長くテレビを見ましたが、やはりテレビは大勢で見るのがいいですね。各部屋にテレビなんて、家族崩壊の元だと思います。 ダイエーは惜しくも敗れましたが、今日会社に行ってみると、怨嗟の声が渦巻いておりました(^^; だいたい、130試合以上試合をして4ゲーム以上差がついてるのに、そこでいきなりゲーム差をちゃらにして、「はい、あと5試合ね」なんて、どう考えてもおかしい。 そもそも今回のプレーオフ自体、パリーグの人気も実力もない弱小球団を救うべく考え出されたものだと思いますが、人気も実力もあるチームにとっては、失うものはあっても得るものが全くないシステムですね。なんて空しい戦い・・・。 こんな不公平なシステムを考案する暇があったら、もっと人気と実力を高める工夫をしてほしい。 同僚たち曰く 「これはカツアゲと同じですね・・・あと5回勝負して勝ったら(リーグ優勝を)返してやるよ~」 「西武の連中はよく胴上げできるなあ。恥ずかしくないのかあ」 「僕はこんなシステム許せないので、全く見てません!」(爆) それにしても、このシリーズで全く活躍できなかった松中・・・昨夜は眠れなかったろうなあ、、、。 周囲の期待に添えなくて不甲斐ない結果しか出せなかった時、皆さんはどうやってその落ち込みから脱出してますか?#自宅のメインPCがのハードディスクが損傷して、OSからフルインストール中・・・Windows環境もLinux環境も両方共・・・ふ~
October 12, 2004
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この前のコーチング講座でmusamejiさんがおっしゃってました。優勝した中日の落合監督は、いわば「コーチング監督」ではないかと。ひょっとしたら、コーチング協会が落合に講演を依頼することになるかもしれないらしい・・・。 僕は、落合のような変わり者と呼ばれる人種は大好きで、昨年監督に就任した頃から何かと気にはなってましたが、まさか本当に優勝すると思いませんでした。 監督に就任してすぐに落合が言ったのが、「特に補強はしない。現有戦力で十分優勝を狙える」。この辺の、選手をやる気にさせる発言がとてもコーチングと通じるものがあるとmusameji先生もおっしゃってました。山ほどお金をかけて大型補強をしたのにも関わらず優勝できなかった巨人とは対照的ですよね~。 この落合という人は、野村監督みたいに「あいつがアホやから」と選手を攻撃するようなことは一切口にしないし、こいつは今調子がいいと見れば二軍選手にでもどんどんチャンスを与えて、結局中日は今期支配下選手70人のうち57人が一軍でプレーしたそうです。シーズン前のキャンプも一軍、二軍ごちゃまぜという前例のないことやってたし。 その他逸話は色々あると思いますが、こういうことをやっていれば選手はやる気が出ますよね~。 そしてやる気が出てくれば、後は選手たち自身が「どうすれば勝てるか」を自分たちで考え行動し始めるのは自明の理でしょう。昨年巨人から中日に移籍した川合の談話にそういうことが書いてありました。そして今が一番野球をやっていて楽しいと。 その結果、チーム打率やチーム得点は低くても、得点圏打率や代打ホームランの数はトップという、まさに個人の能力を上回る、“やる気”とチームの結束力の勝利だと思います。 たまたま見つけたこういう記事を読むと、落合は選手としても半端じゃなかったんだなと改めて思いました。男やなあ~っていう感じ。 http://www.webmie.or.jp/~m-yama/player/sportsochiai.htm この記事に、野球部の上下関係がイヤで退部を繰り返したとありますが、この人はおそらく「権威」が嫌いな人なのではないかと思います(“常識”も権威の一種です)。 よく不遜だとか傲慢そうだと言われるのも、それは権威のある側からの見方で、周囲の人の談話を読む限りでは、極めて面倒見のいいあったかい親分肌の人のようです。 日本シリーズでダイエーに勝ってもらうと困りますが(プレーオフにはダイエーが勝つと決めている!)、今後も活躍してほしい人物ですね。 僕が、落合のような変わり者あるいは常識はずれの人種が好きなのは、そういう人たちの持つ一種独特のエネルギーが好きだからです。 そうすれば周囲から叩かれるとわかっていながら、それをやるわけですから、そりゃあ並大抵のことではありません。そうまでして自分のやり方を貫こうとする、その“熱意の元”にとても興味があるんです。どんな魅力的なことがそこにあるんだろう・・・ あえて常識はずれの行動をとっている人に常識を説こうとする人が時々いますが、あれほど滑稽なことはありません。常識はなんといっても常識なので、常識はずれの人も十分それをわかっていて、その上で「でもこっちのほうがいい」と自分で選択してやってるわけですから。 我が家もライフスタイルが世間様とずれてるところが多々あるので、特に子供が生まれてからはいろんなことを言われました。たとえば、、、○免許がない(学生時代にあえて取らなかった) --- 車がないとデートのとき困るよ・・・(^^;○車がない(※義母と同居したので今は義母の車あり) --- 車がなくて子育てなんかできるの?○エアコンがない(※義母と同居したので今はあり) --- 子供たちにあせもができて可哀想○紙オムツを使わない --- 便利なのに。。。○子供のおやつはおにぎりかイモばっかり --- 可哀想に。。。○電子レンジがない ---(沈黙)○五本指ソックス --- 水虫か?(爆)○助産院で出産 --- そんなことして大丈夫?危ないんじゃないの?○予防接種を受けさせない 熱が39度を超えても病院に連れていかない --- (これはもうほとんど犯罪者扱いでしたね~ 笑) 面白いことに、「どうしてそんなことしてるの?」と素朴に聞いてくる人は、ほとんどいませんでしたね~。 もちろんその頃の自分たちの持ってたエネルギーが、多分に“対立のエネルギー”を含んでいたせいもありますが、自分の信じてるのと違う価値観の存在を認めるのは、怖いもんなんだなあとあらためて思います。 本当は、それこそが自分を広げるチャンスなんですけどね(^^)b さて、明日から3日間は、副社長を座長とするヘビーな研修に参加です。 今まで経験のない、企画がらみの内容なので、ちゃんと勉強しておかないと“借りてきた猫”になりそう・・・・
October 6, 2004
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昨日は、musamejiさんのコーチング講座・第一回でした。本当はかみさんも一緒に受ける予定でしたが、都合により間に合わず次回からのお楽しみになりました。 講座の方は、講師のお人柄で、誠実さと一生懸命さが伝わってくるなごやかなものでした(^^)○今日の収穫 ・コーチングはダベリングではなくって「目標のある会話」 ・コーチングは行動を重視する。「動いてナンボ」「やってナンボ」 ・コーチングは、クライアントに行動の変容をもたらし、ゴールに到達するまで “継続的に”行うもの ・人は質問されると答えたくなる ・自分で口にした言葉は実行しようという気持ちが強くなる(だから話すことが大事) ・質問は相手に気づきをもたらす場合もあるが、相手を追い詰める武器にもなる。 ・相手の長所・強みを意識しながら話す ・リフレーム:否定的表現を肯定的表現に置き換えて話す ・夫婦間でのコーチングはなかなかうまくいかないらしい(^^; 今回は、基礎知識編という位置付けでしたが、今度からはもっとロールプレイングが増えていって、受講者間の横のつながりも深まっていきそうで楽しみです。 なんといっても、コーチング講座を受けようって言う人々の集まりですから、「人の話をさえぎらない、否定しない」というコーチングの基本スキルはみな一応意識しているので、自分が話すときに気持ちよく聞いてもらえるのが嬉しい(笑) そして自分が嬉しくなれば、人の話もゆっくり聞いてあげようっていう気になります。面白いもんですね~。 さて、また台風が近づいてきてるみたいですが、今度はどの辺に行くんでしょうかね~。もう稲刈りはどこも終わってると思いますが、災害の起こらないことを祈ります。
October 5, 2004
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今日は小学校の授業参観で、午後からはバザーでした。 かみさんはバザーの仕事をしてたので、子供たちと行って来ましたが、いや~、次から次へと食うは食うは(^^; おにぎり、カレー、コロッケバーガー、アメリカンドッグ、白玉団子、ラムネ・・・家で何も食わせとらんのかい、っていうぐらい食いました(特に娘!) たいして美味しいもんじゃないってことは、子供たちもわかってきてはいるようですが、やっぱりああいいお祭り気分になる場所で、普段あまり食べないものが目の前にあると、つい手が出てしまいますね。 以前、ほぼ完璧といいっていい自然食やってた頃ならとても正視に耐えない状況ですが、今は笑って見ていられるようになりました。「そのくらい大したことない」って思えるようになったんですね。 昔なら、せっかく普段食べ物に気をつけてるのに、そういうジャンクフードや甘い物、素性のわからない物を食べると子供の体が汚(けが)れるような感じがして嫌でした。それで一所懸命その悪影響の結果を探そうともしてました。「ほら、あんなもの食べるからブツブツができた」(笑)。 今は逆に、普段ちゃんとしてるからこそ、このくらいは別にいいじゃんと思えるようになりました。 ポイントは、自分にとって好ましくない状況に出っくわしたときにその悪影響をどう見るかだな、とある時気づきました。特に子育てをしてると、好ましくない状況が波状攻撃でやってくるので、否が応にも考えさせられたと言ってもいいかもしれません(^^; これをするとどういう影響があるのかを全く考えずに行動するのも考えものですが(こういう人が多いのも事実です・・・)、悪影響ばかり気にするのも疲れてしまいます。自分も周囲も。 その悪影響を気にして疲れるようなら、見方を変えた方がいいと思います。そういう見方だと、見れば見るほど悪影響が拡大するからです。さっきも言ったように、悪影響の結果を探して(=求めて)しまうんですね。 真っ白い紙についた1点の黒いシミ・・・これをじーっと見つめていると、どんどん黒い点が大きく感じられるようになります。見つめれば見つめるほど大きくなって、一方、見ている自分は目にも肩にも力が入って、そして疲れていきます。 あーくたびれた、と思ったら、ポン!と見方を変えて、広く全体を見ることです。そして「リラックス」という状態を味わってから影響云々を考えると、きっとまた違う自分に出会えると思います(^^) 最後に、僕が昔とてもお世話になったヒーラーがよく言ってた言葉を紹介します。 認めたものが現れて 見つめたものが拡大する あなたは、何を見つめたいですか?
October 2, 2004
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またしても台風が来ました。 今年はすでに2回台風で会社が休みになりましたが、今回は昨日のうちから早々と通常勤務に決定。過去2回が休んだ割には大したことなかったなという印象だったし、今回のは直撃はないし、そんなに強い台風でもないし、という判断でしょう。 で、今日になりました。 朝8時過ぎに家を出るときは、ほんのちょっと雨がちらついてる程度で風もなし。これなら楽勝やなと、いつものように傘をさして自転車で会社へ。 ちょど半分程度来たところで、だんだん雨が強くなり、傘を握る手にも力を入れる必要が出てきました。うちのオフィスは海に面してるので、会社に近づけば近づくほど、雨風が強烈になっていくのがわかります。 そして、とうとうあと1kmぐらいの地点で傘をさせなくなりました。そこからは、屋根のあるところで呼吸を整えながら、心持ち風が弱まったタイミングで、会社まで飛ばしました。 会社の前の交差点にはバス停があるんですが、バスから降りる人々も誰も傘をさせず、よろよろしながら歩いてます。 僕はびしょぬれになりながらもなんとか無事に会社にたどりついて、いざ自転車を地下駐輪場へと、坂道を降りようとして驚いた。前から吹き付ける風で、下り坂をこがないと前に進まない(^^; 結局午前中いっぱいは吹き荒れてましたが、暇さえあれば外を見てあーだこーだみんなで話してました。 まっすぐ歩けなくて、あ、あ、あ、うわ~っていう感じで、植栽の茂みにつっこんだ人。横断歩道を渡ったのに、そのまま押し戻された人。同僚の目撃談によれば、あまりの風に這って歩いてる女性もいたとか。 いや~、台風を実感した日でありました。今日こそは休みにしてほしかったぞ > 人事。 家に帰ってかみさんに聞くと、「そんなに大したことなかったよ」という返事。うーむ、苦労がわかってもらいにくい(^^; とりあえず皆無事で何よりですが、この台風は列島縦断中のようですので、進路方向にお住まいのみなさまお気をつけください。 今年は台風の上陸が新記録だそうですが、それだけ今の日本は大掃除する必要があるのかもしれませんね~、、、。
September 29, 2004
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都市設計の専門家のジェイコブズという人が、安全な都市作りのための条件として、こんなことを言ってるそうです。 (1)人口密度が高いこと (2)ゾーンニングがされてないこと (3)道が細く曲がりくねっていること (4)古い建物が多く残っていること (1)については、どこかの国のきったないスラム街なんかをイメージして意外に思われる方も多いと思いますが、実は人口密度が高いということは悪いことばかりでもなくって、たとえば都市犯罪の多くが閑静な住宅地で起ってることを考えると、人が多いということは犯罪が起りにくい要素でもあるんです。 (2)については、つまりこの町は住宅地、この町は商業地、この町は工場、という具合いに、町が機能ごとに区分されていない方がいいということです。 (3)(4)はよくわかりませんが、なんか人の心がほっと落ち着くんじゃないでしょうかね~。 (1)にも(2)にも共通して言えることは、いろんな種類の人間と多く触れ合う環境の方が安全ということだと思います。多分その方が、どうやったら人とうまく調和できるか、ということをひとりでに学んでいけるんだと思います。イヤなことや困ったことがあっても、犯罪に走る前にうまく自分をコントロールする術を身につけるんでしょうね。 一例をあげると、、、僕が大学時代に東京に行ってビックリしたのが、電車のホームでみんな整然と列をなして並んでいること。福岡なんて今でもどうかするとすぐに列が崩れますが、それは福岡は人の数が少ないからだとあるとき気づきました。東京ぐらいに人が多いと、ちゃんとマナーを守ってないと成り立たないんですね。そうやって、人の多さでもまれて、自然発生的にマナーが生まれ調和にいたるというパターンがここにあると思います。 江戸の町はまぎれもなく当時世界一の人口密度で、しかも種々雑多な人々がごちゃまぜになって細い路地をはさんでオンボロ長屋に住んでるわけです。上の定義に従えば、まさしくこれは安全な都市でしょう(笑) ・・・ まだまだつづく(と思う)
September 27, 2004
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ここんとこ休日はずーっとハウスメンテモードで、ひたすら家の補修をやってます。 先週は、床の補修&ワックスがけのために、ずいぶん久しぶりにたっぷりと雑巾掛けをしました。最近は、化学雑巾と掃除機の発達で、雑巾掛けしない家も多いと聞きますが、やってみるとあれはいいですよね。 まず、普段目の届きにくい下の方の汚れがよくわかること。そして足腰の鍛錬にもいい。ヘタにスポーツジムなんぞに金を払って行くぐらいなら、家で雑巾掛けをした方がいい(笑) ある産院では、妊婦さんに雑巾掛けをノルマとして課してるところもありますから、これから妊娠・出産を考えてる方は、安産のために雑巾掛けをおすすめします。 そしてなにより、自分の手を使って家をきれいにしているという感覚がいいじゃありませんか。家でも車でも自転車でも、大事にして可愛がってあげると、イザというときにきっと守ってくれると僕は信じてるし、子供たちにもそう話してます。 常々思ってることですが、現代生活では、雑巾掛けに限らず親が労働してる姿を子供に見せることが、昔に比べてずいぶん減ってるように感じます。特に、(夫がするにしろ妻がするにしろ)家事労働ってやつを子供に見せる機会がどんどん減ってるのが、これでいいんやろか?といつも思います。 掃除は掃除機なので箒は使えない、洗濯は洗濯機あるいはクリーニングなので自分で糊付けもできない、料理はお弁当か冷凍食品かデパートの地下のお総菜だったり。最近は食器洗い機を持ってない家庭の方が少数派のようですが、いずれ自分では食器も洗えない若者たちが町にあふれることでしょう。 前にも書いたように、不便で手間のかかる非営利文化を捨てて、お金を使って解決しようというのが現代の趨勢ですので、これはしょうがないことなのかもしれません。 かつて電気もガスもなかった頃、おかあさんというのは、朝の水くみ&火おこしに始まって夜中の繕い物にいたるまで一日中ずーっと働きっぱなしで、しかも食事はいつも残り物という大変な重労働だったそうです。子供はそういう姿を間近に見て育ってるから、父親に反発する子は大勢いても、母親にたてつく子はまずいなかった、という一文を読んだことがあります。 そうした時代に戻った方がいいとは決して思いませんが、では今の方向でこのままいくでしょうか? 蛇口をひねれば水が出る、コンセントにはいつも100V、暑くなったらエアコン入れて、食事作るのが面倒くさければ外食で、近所のコンビニに行くのに車に乗って、服もちょっとくたびれたらゴミにして・・・・こんな途方もない、人類がこれまで全く経験したこともないような“異常事態”が、この先もずーっと続くと思いますか? これがずーっと続いてそれで何も問題ないのなら、それに越したことはないと思いますが、はたして、、、。 ちなみに、僕の“先読みレーダー”は、ぜいぜいあと10年くらいかな~と感じてます。 ここんとこ頭の中で響いてるコトバ・・・「脱・ライフライン」。今の僕らの生活が、食料、水、石油、電気、ガスなどがすべて滞りなく未来永劫安定供給されるという前提の上に、かろうじて成り立っている砂上の楼閣だと思うからです。 もっと生活の足腰を鍛えたい。
September 25, 2004
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お彼岸ですね~。 そこかしこに彼岸花が咲いてます。よく見ると、あの花は中心から放射状に複数の花が配置されて構成されてるのがわかります。その配置が、上から見て5角形だったり6角形だったり7角形だったりしますが、ああいった造形は一体どうやってできたんでしょうね。 物作りをなりわいとする人間として、「創造」という作業はなんらかの「意思」なくしてはありえないことを日々実感してますが、自然の事物の造形の美しさに気付くたびに、誰が、何のためにということを考えさせられます。少なくとも偶然ではありません。 今日の我が家は、お墓参りに行って、その後ホテルのレストランで義母にお昼をご馳走になりました。松茸を含むキノコづくしのコースでいやはやなんともうまかった。特に、天然物の舞茸が絶品でした。 僕が子供の頃には、ここに書いたように、外食なんざ滅多にできなかったことを考えると、うちの子供たちは贅沢ですね~(^^; それにしても、こうして年に何回かご馳走になったり、子供服を買ってもらったりすることはもちろん、親と同居というのはやってよかったなあと最近つくづく思います。 何と言っても人の成長に欠かせない価値観の衝突を味わうのなら、幅広い世代が一緒に住むのが最も手っ取り早く、「調和」に向けてどう自分を磨いていくかを、日々の生活の中で学べます。 また経済的にも環境的にも労働力の面でも親と同居するメリットは計り知れないものがありますね。 もし親と住もうかどうしようか迷ってる人がいたら、「それはぜひそうなさい」とアドバイスしたいです。 とはいえ、やはり一緒に住む以上できるだけ気持ちよく過ごしたいですから、2世帯住宅を建てることを検討中の方のために、我が家でやってよかったなあということを2点ほどご紹介します。■台所を2つ作る ご飯の固さひとつとっても老人と子供は全然違うし、また生活の時間帯も全く違うので、食事は基本的には別で何かあれば一緒にするぐらいの方がいいと思います。 うちはこれから家を建てようという人がよく家を見にくるんですが、そういう人ほぼ全てに義母が話してることです(^^;■老人の部屋はできれば2階に よく階段の上り下りが楽なように、老人世帯を1階に持ってくるケースが多いと思いますが、うちは義母の部屋はあえて2階に作りました。1階に作ると、若者は1階に用事がなくなるとさっさと上に上がってしまったりして、そうなると親の方は取り残されたような、寂しい気分になるんではないかと考えたのです。2階にすれば、親は自分のタイミングで上にあがればいいわけですから寂しさはありません。 また、2階に作ったことにより、階段の上り下りを1日10回はするので足腰が衰えません。義母は75歳ですが、引っ越してきた当初より今の方が強いです。今では、歯医者を除けば病院も薬も一切縁のない状態で、子供としては安心でありがたいです。多分、うちで一番病気しない人ですね(^^;
September 23, 2004
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断食は昨日無事に終了し、軽くなった体で今日も植木の選定など肉体労働の一日でした。 普段の会社生活ではほとんど体を動かさないので、肉体労働はくたびれますけど一種爽快感がありますね。徹底的にやると、やるだけやった~という思いが、自分を強くしてくれるような気がします。 夜は、岩○屋コミュニティカレッジという地元の百貨店がやってるカルチャーセンターの「コーチング講座」の説明会に行ってきました。この前会社でちょっと受けさせられたコーチング講座が面白かったので、自分でも勉強してみようと思ったのです。 講師は、鮫島宗哉さんという元アナウンサーの57歳には見えない生き生きとした方で、コーチング歴としては今年3月に資格を取得したばかりという話でした。 面白いことに、この鮫島先生がコーチングをやってみようと思ったきっかけはこの楽天だったそうです。日記を通じて知り合った人がコーチだったとか。鮫島先生のページはココ。 「楽天で自分のページを持ってる人いますか?」と言われて、一番前に座っていた僕は思わず手を挙げてしまいました(^^; これも何かのご縁だとピーンときたので、受講することに決めました。10月からの3ヶ月、第1・3月曜日の19:00~21:00(全6回)です。福岡近郊にお住まいで興味のある方は、多分まだ大丈夫と思いますので、申し込んでみてはいかがでしょうか? 一緒にお勉強しましょう(^^) うちのかみさんもおそらく一緒に受講することになりそうです。 今日聞いた話で、ほぅーと思ったのが、Kid's Coachingの話。 福岡で子供たちを集めてそういうことをやってるコーチがいるんだそうです。 小学生に将来の夢について絵を描かせて、それを一人づつ前に出て発表させようとすると、これがなかなかできない。ところが、ペアを組ませてお互いに話をさせて、そのペアを3回くらい変えて話をさせるころになると、子供たちの目がキラキラと輝いてくるんだそうです。話すことで自分の夢のビジョンが明確になるとともに、聞いてもらえることで自信がついてくるらしく、その後でみんなの前で発表させるとバッチリだとか。 人は、聞いてもらえる環境で話をすると、自信がついたり、元気になったり、夢に向かっていく力が湧いてくるというのがコーチングの基本みたいです。 この楽天広場も、読んでくれる人がいるからこそ、書き手が元気をもらえると思います。ありがたいことです(^^) ところで今日の講義の最中、隣の教室から聞いたことある声が聞こえるなあと思ってたら、途中の「笑顔」という言葉ではっと気づきました。笑顔共和国大統領・福田純子さんでした。10年ほど前、夫婦でお世話になったんです。ここで紹介した旗は笑顔共和国の旗です。久しぶりにごあいさつしたかったんですが、隣はすぐには講義が終わらないみたいだったので、次の機会を楽しみにしましょう。
September 20, 2004
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昨日からずーーーっと床の補修とワックスがけやってます。 隠れたヒット商品「かくれん棒」を使ってフローリングの床のキズの穴埋めをするわけですが、これが賽の河原の石積み状態・・・やればやるほど小さなキズが目に付いてキリがありませーーん。丸二日かけてもまだ終わらない・・・。 それと、もののはずみで現在24時間断食を決行中です。 断食は、昔はよくやってましたが結婚以来始めてですね。 それで昨日の昼飯を食べてから、何も食べてません(今日の晩飯は食う予定です)。ビタミンCは一応取った方がいいらしいので、水を飲むときに「沖縄産シークワーサージュース」を水に少し混ぜて飲んでます。 食事を取らないとどうなるか、自分の体の変化を観察すると面白いんです。以下、僕の体験を書いていきましょう。○空腹感 これは最初の1、2時間で感じなくなります。体のモードが切り替わるんです。人類といわずあらゆる動物が何度も経験してきたことなので、特に異常事態ではありません。歴史的に見れば規則正しい食事の方が異常です。 よくお腹がすくとイライラするという人がいますが、あれはひょっとするとお腹がすいてもおっぱいをくれなかった母親への怒りみたいな幼児体験でもあるのかなと思ったり、、。少なくとも、僕にとっては、お腹がすくことはお腹がすいなたあという以上の意味はありません。 ○メンテナンスモード 日頃次から次へと注ぎ込まれる食べ物、特に最近は毒物満載の食べ物の処理で汲々としている内臓たちが、待ってましたとばかりに、メンテナンスモードに移行します。肝臓やら胃袋やらがよく動くし、脈動も活発です。リフレッシュしてるなあ、というしみじみとした実感があります。○感覚 さえざえとした感じがでてきます。僕の場合は特に聴覚が研ぎ澄まされる気がします。いつも耳が「空間の音」を拾ってる感じ。○力 腹が減ると力が出ない、というのも思い込みだというのがよくわかります。実際僕は昨日から働きっぱなしです。腹が減ってる時に力が出ないということは、生物界では死を意味すると思います。○体重 体重は今回は3Kgほど減りました。まあ、すぐに戻りますけど。 面白いのは、1日3食から2食に減らすと、しばらくはぐーんと下がるんですが、そのうちまた元の体重に戻るということ。これはつまり、消化吸収効率が向上するということ。より少ない食料で今の体を維持できるとしたら、その方がいいと思いませんか? 特に、これからの時代は。 人間の体はまだまだ秘めた能力を持っていると、いつも僕は思います。 ものの本によると、わずか24時間の断食でも、全部で5日かけて 1日目:2食 2日目:1食 3日目:0食 4日目:1食 5日目:2食とやって、体を慣らしながらやるのがいいそうですが、僕の場合、今やウィークデイがずーっと2食の生活なので、今回はいきなりやりました。 普段から3食腹いっぱい食べてる人が、いきなり断食やるとどうなるか・・・・これはきついです。メンテナンスモードになったときに、各臓器が内部にたまった毒素を一気に血中に放出するので、全身がものすごくだるくなったり、眠たくなったりします。僕も学生時代に最初にやった時はしんどかったです。 でも、こうやって半年に1回でもいいから臓器をリフレッシュすることで、おそらく生活習慣病などの慢性病とは一生無縁でいられると、僕は経験的に思います。実際に僕は無縁です。 お腹がすくということは、僕らに生命力を思い出させるためのありがたーいプレゼントではないでしょうか。 さて、今から植木の手入れです。 へたばってなければ夜にまた来ます。
September 19, 2004
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今日は、たまたまダイエーー西武戦のチケットをもらったので、ちょうど今日で10歳になる息子と二人で見てきました。 試合の方は、城島がいい場面で全く打てず2-6で負けました。松坂は安定してましたね。 3冠王を狙う松中はきっちり2安打して打率をキープ。隣の席に座ってたおばさんが親切にも教えてくれたところによれば、なんと僕の席の真ん前に座っていた母子連れは、松中の奥さんと子供だったらしい・・・なかなかの美人でありました。 今日は、一塁側ダッグアウトのほぼ真上の席だったので、ピッチャーの球といい打撃音といい、かなりの迫力で楽しめました。特に最初のカブレラの特大ホームランなんて、バチーン!という感じでした。 「やっぱり生で見るといいなあ~」と僕が言うと、息子がボソッと曰く 「球場全体が見えるもんね」 それを聞いてなるほどと思いました。 テレビやビデオなどの画面で見る"間接体験"との違いは、ここにあるんですね。 どこを見るかを自分で選択できる この選択の自由があるからこそ、こうした直接体験の方が、より能動的な人生を作り出していくんだろうなあと思いました。自分の意志でそれを見ている(=体験している)という感覚が得やすいからです。 そういう意味で、間接体験というのはあくまで直接体験を補う程度にとどめておきたいもんですね。 ところで、我が楽天も球団を持つことを検討しているという話がありました。 もしそれが実現したら、球団名はぜひこうしてほしい。 「楽天ダイアリーズ」もしくは「楽天ブロッグズ」 選手は、毎日日記を書くことを義務づけられたりして(爆) さてさて、明日の試合はとうとうストで中止になりましたね、、、、。
September 17, 2004
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昨日の続きです。 町奉行というと、普段は遊び人の格好で事件を探索して、いざとなるともろ肌脱いで一件落着させる妙なオヤジと思ってる人もいるでしょう。少なくとも裁判官だと思ってる人は多いんじゃないでしょうか? ところが実際は、消防署長、警察庁長官、東京高裁判事に東京都知事を兼ねた激務で、とても遊び人のマネなんかやってる暇はありません(^^; しかも奉行所に持ち込まれた案件は、浴衣一枚盗んだコソ泥でも、ぜーんぶお奉行様が裁きをつけないと先の処理が進まないので、冬の夜中でもお奉行様はたたき起こされて、白州を開いて審議を行ったそうです。 一人で裁ける案件の数なんてたかがしれてますから、要はその程度の案件しか奉行所には持ち込まれなかったということです。 それじゃあいくらなんでも犯罪が少なすぎるので、奉行所に持ち込まれなかった案件はどうなったかというと、これは江戸の住民たちが、自分たちで解決したんです。 江戸という町は、町人が動かしているといっても過言ではない町で、幕府の行政組織である町奉行所には、なんと246人しか人がいないんです(今の東京都職員は軽く10万人を越えますね、、、)。昨日書いた24人のおまわりさんもこの中に含まれます。 驚くべきことに、今話題の郵政の民営化なんて当たり前だし、教育も昌平坂学問所を除けばすべて民間、時の鐘をつくのも民間人、金座・銀座の貨幣の鋳造まで民間まかせです。今の時代は昔に比べて自由だと誤解してる人がほとんどですが、どっこい江戸幕府には庶民を管理しようとする実力もその気もなかったようです。 話がそれましたが、奉行所までいかないもめ事や事件は、実は長屋の大家さんたちが処理するんです。その頃の大家さんというのは、区役所の出張所ともいうべき存在で、戸籍(人別帳といいます)作りから、長屋のもめ事の解決まで、大家さんの仕事です。 大家さん一人で解決できなければ、いくつかの町内で共同管理している自身番に行って、何人かの大家さんたちが集まって解決します。それででもダメなら、その上にいる町名主の玄関先で白州が開かれて、そこで裁きがつけられるという仕組みになってたそうです。 これぜーんぶ一切の税金を使わずに、すべてボランティアで事が進めらところが、現代では考えられないところ。 どうも僕らのご先祖様は、現代のようにお上に頼るという発想はあんまりなくって、自分たちのことなんだから自分たちでやるのは当たり前じゃん、という感覚だったようです。 問題が発生してもそれを解決するのは自分たちだ、となれば、必然的に問題が起きないように工夫していくのは当然でしょう。 今は事件が起きても、それを解決するのは自分たちではなく警察や裁判所や小泉首相であって、「そのために高い税金を払ってるんだから!」と思ってますから、自分たちでそういうことが起きない仕組みを考えていこうというところまでは、なかなか踏み込めませんね。 次回は、江戸の庶民が意図してそうやったかどうかわかりませんが、結果的に極めて犯罪のおきにくい洗練された都市になっていたという話を書こうかと思います。
September 15, 2004
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「最近、殺人事件が多いんですよ」 僕がほとんどテレビを見ないことを知ってる同僚が教えてくれました。なんでも、立て続けに3,4件起こってるとか。ひたひたひたと、犯罪大国への道のりを着実に歩んでる感じがして悲しくなりますね~。 それでもまだアメリカなんぞに比べれば、けた違いに治安はいい方ですが、その元はといえば、やはり江戸時代の治安の良さの“貯金”ではないかと思います。 江戸という町は、当時世界最大の100万都市ですが、犯罪は少なかったんです。 時代劇では毎週誰かが死んでますけど、殺人なんて年に数件あるかないかだったそうです。 さすが封建時代、お上の圧力で犯罪を押さえ込んだんだろうと思いきや、さにあらず。町の平和を守るおまわりさんである“定廻り同心”の数は、江戸市中全部合わせてなんと24人! とてものことに、厳重な取り締まりなんか望むべくもありません。 #ちなみに、岡っ引きというのは同心が雇ってるアルバイトに過ぎず、銭形平次にしろ人形佐七にしろ別の本業があって、むしろ町内の情報屋という方が近いそうです。どうかすると、何か問題を起こした店に乗り込んで、うまく話をつけてやるからといって金品をせびったりするゴロツキ同然のやつもいて、岡っ引き禁止令というのが何度も出されています どうしてそれだけの少人数で町の治安が維持できたのか、、、to be continued.
September 14, 2004
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いつもながら週末はあっと間に過ぎていきますね~。 ずーっと週末ならいいのに、、、。 福岡在住のマイナーなギャグ漫画家・安永航一郎の名作『県立地球防衛軍』に、“お正月仮面”という、一年中をお正月にしてしまう怪人が出てきますが、週末仮面はおらんかな~(笑) 昨夜、たけしの番組で9・11テロを扱った番組をやってて、ビデオに取ってたのを今日見ました。以前もこんなこと書いたし7割くらいは知ってる話でしたが、問題はこうした情報がどうして表に出てきたのかということです。こうした情報が漏れても構わない、あるいは漏れた方が好ましいという情勢になってきたのでは、という気がします。 大統領選も近づいたことだし、ひょっとするとブッシュ氏が余りにも戦争屋のイメージが定着したので、一気に全面的に悪役にしたててケリー氏を大統領にする腹積もりなのかな、とか。 でもケリー氏もブッシュ氏も、実はSkull & bones(ドクロと骨:つまり海賊船のマークです) というエール大学のエリートで構成される、極めて秘教的要素の強い集団の同じ仲間なんです。たとえケリー氏が当選したとしても、所詮は首のすげかえなんですよね~。 興味がある人は調べると結構出てきます。たとえばここ---- 今日は、子供たちと上靴を買いに行った帰りに、近所のバッティングセンターに行きました。前回息子と来たときは、息子は8割方空振りで、前に飛んだのは数本という状態でしたが、今日は少なくともよく当たる!わずか数ヶ月でも成長するもんだなあと思いました。 息子が打つのを見ながら、つらつら考えました。 「もしちゃんとヒットなりホームランを打ちたいのなら、 来る玉に合わせてスイングを変える必要がある!」 いつも自分の打ちやすいところに来ると信じて、同じスイングを繰り返していたんでは、空振りか凡打にしかなりません。 自分は凡打でも構わないし、三振してもいいやと思えば、好き勝手振り回していればいいんですが、きっちりミートして自分の望む結果を安定して得ようと思えば、ボールに合わせて自分の出すバットをコントロールしてやる必要があります。 言ってる意味わかりますよね? 世の中には、変な人がいっぱいいます。特に最近は増えてきました。いつもど真ん中の打ちやすいボールを投げてくれるわけではありません。どちらかといえばノーコンピッチャーも多く、時には自分の胸元をえぐるようなボールも飛んでくるでしょう。 そんなピッチャーと対峙したときどうするか? ここで大切なのは野球と同じですね。自分のストライクゾーンを意識することと、その状況に合わせた最適なスイングをすること。大きくはずれたボールは見逃した方がいいし、場合によっては振り回すよりもバントの方が効果的かもしれません。 もし近々誰かと口論するとか、上司から妙な仕事(=変化球)を押し付けらそうになったり、というような場面があったら、自分で実況中継しながらやると面白いと思います。 「1球目大きく外れてボール」 「2球目ためらいがちにバットを出してファウル」 「3級目思い切って踏み込んで打ってクリーンヒット!」(笑) 世の中のあらゆる側面に神が宿っているといいますが、それに気づくも気づかないも自分次第っと♪---- さて、先日ここの掲示板に書き込みしてくれたナチュラーママさんという方がいて、そちらの日記にごあいさつにうかがったところ、「ライア」だの「シュタイナー」だの「自然育児友の会」といった見慣れた単語が散りばめてあって、家族構成やプロフィールからみて、もしやと思い聞いてみました。そしたらなんのことはない、やはりうちのかみさんのお友達でした(笑) もちろん我が家にも何度も来られたことがあって、僕もよく知ってる人でした。 3人の子持ちでありながら、それを言い訳にすることなく、むしろ糧として何事にも前向きに取り組む歩くバイタリティともいうべき人です。うちのかみさんは昨日丁度、最近会ってないわね~と考えていたそうです。そうしたらこういう場所で再開するとは、、、これもご縁ですね~。 特に小さなお子さんをお持ちの方、またはこれから妊娠・出産を考えておられる方は、非常に参考になりますので、ぜひのぞいてみてください。(^^)
September 12, 2004
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時間がないので15分で書けること・・・うーーん !! あるサイトをみてたら「野道」という文字があったんですが、一瞬なんと読むのかわからなくて「のみち」と出てくるまでに数秒を要しました。 考えてみれば、「♪おーてーて、つーないで」の歌以外では、ほとんど口に出すことのない言葉ですね。 それでも僕らの世代はまだ、「のみち」と聞くといろんな情景を思い浮かべられるのは、野道がたくさんあったからです。子供の頃にたくさん野道を歩いたからです。 当時は、舗装道路なんてバス通りだけだったし(しかも滅多に車は通らない)、田んぼや畑もたくさんあったので、いたるところ野道だらけでした。 いいですよね~、野道。 交通事故の心配なんか一切なくって、ころんでもせいぜいスリ傷で済むし、道端の名もない草花が風に揺れ、蛙やバッタやコオロギたちもいっぱいいたし、夏の照り返しも大したことないし、、、、。 現代の道にはない、圧倒的な安心感がそこにあったように思います。 ひるがえって、たとえばうちの子供たちは、野道という言葉から連想する道は、ほとんど皆無だろうと思います。野道なんて田舎の行楽地に行かないと味わえないんですから。 戦後の日本は、コンクリートとアスファルトで国土を埋め尽くすことが進歩だと信じて、がむしゃらに邁進してきましたが、そうして得た便利さの代償として失ったものの大きさに、今多くの人が気づき始めてると思います。 これからは、「野道や広っぱ(公園ではない!)を売りにした町づくり」なんてのが流行るといいなあ・・・
September 9, 2004
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※最近の楽天は、夜になると「アクセスが集中してます」が頻発してなかなかつながりませんね(^^; 頼むから、もっとサーバーを増強して欲しい・・・ 今日の福岡は、台風一過でいい天気でした。 子供の頃、「たいふういっか」と聞くと、どんな一家なんだろうといつも不思議でした(笑) 僕は、福岡市を流れる樋井川という川沿いの道を、自転車に乗ってのんびり四方の景色を眺めながら会社に向かうんですが、数日前、その川にもう鴨たちが渡ってきてるのを発見しました。 こちらはつい最近までプールに行ってたし、ようやく暑い季節が終わったなあという感じなので、少々ビックリしました。鴨がどこから飛んできてるのかは知りませんが、彼らのふるさとである北の大地はもう冬が近づいてエサがなくなりつつあるのかなと遠い異国の空に思いを馳せました。 鴨でも人でも、夫婦でも同僚でも、そこにいるのは、そこにいるだけの何らかの事情があってそうしてるわけで、その事情は他人には容易にうかがい知れないものです。少なくとも、相手の事情を100%理解することは不可能です。 だからせめて、まずは同じ場を共有しているんだということを深く意識したいと思うんです。この広い世界の無限の時間の中で、それがどれほど奇跡的なことかということを。 この前の週末、「教育を考える会」というのが、小学校の有志の先生たちの主催で行われて、うちのかみさんが行って来ました。 先生たちにとっては、教育にかける自分たちの思いや、日頃なかなか口に出せない苦悩などを話す場であり、お母さん方もまあそれなりに話ができたようです。もちろん、教育なんてたかが一回の会合で結論や方向性が見えてくるわけではないので、こうした話し合いの場を続けていくことが大事かなと思いました。 もっといえば、そうした場を共有したいという先生や父兄の思い、これを高めていきたいですね。
September 8, 2004
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悲しいことに、「のわけ」と打ち込んで変換しても「野分」が出てこなかった・・・この日本語IMEの作者は、枕草子を読んでないのか? 清少納言は、台風の翌日の荒れた様子にも「もののあはれ」を感じたわけですが、現代はビニール袋やら空き缶やらがゴロゴロころがってたりして、あはれというより哀れですな(笑) こちらの台風は、予想通りほぼ直撃だったと思いますが、被害らしい被害もなく、無事に通り過ぎてくれました。南九州や四国の方では、よく浸水だの崖崩れだのとニュースが流れますが、福岡は地震も滅多にないし、天災が少なくて住みやすい町だなあといつも思います。 ただ今回は、中庭のハナミズキが強風でかなり揺れていたので、慌ててパンツ一丁で飛び出して突っかい棒をしてやりました。わずか数分の作業でも、雨風にあおられて寒いのなんの! サバイバル用品として、毛布とカロリーの高い食物は必須だなと思った次第です。 今年はまだまだ台風が来るかもしれませんので、皆さんお気をつけて。 まあそれだけ、日本中のよどんだ空気を吹き飛ばしてくれてるのかもしれません(^^)
September 7, 2004
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