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義母が97才で天寿を全うしました。 このブログを始めたきっかけは、認知症の義母の介護がとても大変で、辛く逃げ出したい、でも逃げることも、誰かを頼ることもできず自身が背負っていかなくてはと思った時、この大変さ辛さを観察し公開し、逆に励みに変えていこうと思ったことでした。 ブログを書くためには、ネタが必要です。 読んでもらう為には、面白さも必要です。 義母の行動や言動も興味を持って観察しました。 そして、介護や対応も工夫しました。 それをブログにアップすることが、前向きに考える元となりました。 お陰で、ノイローゼになるかと思いきや、介護仲間の皆さんのお話やもっと大変な思いをされてる方の現状も知ることができ、毎日が乗り切れました。 しかし、私も不治の病になり、施設に入ってもらうことになりました。 家にいるよりは、楽しく暮らしてくれたのではないかと思っています。 義母に対しては、愚痴しか出てこなかった生前でしたが、ここ1年は感謝の思いが出てきました。 子供達がすくすく育ったのは、義母のお陰。 共働きできたのも義母お陰。 美味しい野菜がいつでも食べられたのは義母のお陰。 まだまだ沢山あるよ。 ばあちゃんありがとう。 愚痴が感謝に変わったら、ばあちゃんがいなくなっちゃった。 ばあちゃんありがとう、お疲れさまでした。
2014年11月05日
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もう1年が経とうとしています。義母の入所も10月で1年が過ぎましたが、入所当初と比較すると体重も増え、ふっくらとしてとても元気です。季節の変わりが一巡し、入所当初の服を持って訪れ1年間、元気に居られたことに感謝です。しかし、私の面会の回数が、入院の時よりぐっと減ったせいか私の顔や名前をだんだん忘れられているような・・・・他人行儀な挨拶が返って来るのがすこしさみしい。でも、入所先の夏まつりには、息子夫婦と孫と4人で参加し喜んでもらえたし、家族の総会には夫と参加し、義母の食べっぷりも目の当たりにして、安心したし・・・・。こうして元気に1年が送られたことに感謝です。
2012年12月22日
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義母の入所で、週2回の洗濯物交換の通いもしなくてよくなり、私の余裕時間が大幅に出来るかと思いきやそうではありません。時間って、余裕って不思議です。今までと同じではありませんか。気分的に病院に行かなくっちゃって思わなくてよいことは確かですがそれが生活に直接どう影響しているかと言えば、さりとてかわりなし。その後の義母ですが、1週間に1度は面会に行っている程度ですが病院暮らしとは、全然違います。まず着ているものが、つなぎの寝巻から普段着ってこともありますが表情が全く明るくなりました。そして、以前のように冗談が飛び出します。スプンから箸使いに変ったことも大きな変化です。所違えば、違った視点で見てくださるので、高齢とはいえ上向きに変わることがあることに感謝しています。ホームの職員さんも皆やさしく、とっても良い雰囲気です。
2012年01月10日
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パソコン台に潜り込んでお仕事。
2011年10月24日
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病院の大まかな荷物は、前日病院から家に持ち帰った。そして当日、特養からの迎えは11時過ぎ。入所先で必要な着替えを車に積み、10時過ぎに病院に着いた。ツナギから普段着に着替えたら病人らしさは無くなった。荷物をまとめ、挨拶をしたところで、迎えに来られた。看護師さんたちから「さみしくなるね」って言われて退院した。本人は、どこへ行くのかは分かっていないが、いやではなさそうだ。入所先に着くと「病院では、みなさんがさみしくなるねって言われました」と職員さんたちに報告していたのを聞いて病院では冗談を良く話し、看護師さんや介護士さんたちの人気者だったんだなあ入所先に到着すると、食事の用意が出来ていて食堂に通された。話しかけてくれる大勢の人たちに、あいそ良く答えていた。明るい雰囲気で、ホットな方ばかりで安心して帰宅しました。
2011年10月16日
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特養老人ホームから病院へ本人の容態を確認に来られたのは5日2日後の7日に電話があり入所OKですと言われた。そしてなんと連休明け、11日に病院に迎えに行きますとのこと。何と早いこと、早すぎますとも言えない。せっかく、入所できるのに・・・。病院の生活から抜け出すには色々準備が必要だ。●つなぎの寝巻は身体拘束するので、使用しません。●日中は洋服で過ごし、寝る前にパジャマに着替えてもらいます。ということなので・・・・。ここ2年ほどはつなぎの寝巻しか着ることがなかった。もう着ることはないかもしれないと、しまっておいた段ボールから洋服やズボン、靴下を出し、日光にあてた。服は足りるか、ズボンは履けるかと腰のゴムのチェック。枚数は十分ありそうだ、老健に入所の時の物が間に合った。荷物の準備は出来た。つづく・・・
2011年10月15日
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手術をして結石を破砕した義母は、メキメキ元気になりました。まだ入院中ですが熱も出ることはなく、脳や手先のリハビリ、足の運動を続けています。そろそろ退院を考えてくださいと言われていたので3年ほど前に申し込みをしていた、特養老人施設に再度お願いをしておきました。そうしましたら、このほど入所の枠が出来たらしく、本人の状態確認に来られました。入所できるかどうかは、会議に掛け入所ポイントの高い人からになるようです。元気で医療行為がない人を入院させておくわけにはいかないんでしょう。でも手術後、病院のリハビリでずいぶん元気になったことは確かです。家で介護することは無理なので、退院後が施設になることは心が痛いが仕方ないです。見なれない人たちと暮らす羽目になることが心苦しいけど慣れてくれるのを待ちたい。
2011年10月05日
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義母の入院先の病院で、このほど夏祭りが行われました。年2回このような行事があるようですが、この2年、一度も見に行ったことはありません。祭りは夜でしたが、ちょうど都合がついたので、少し遅れましたが行きました。会場は病棟の食堂。寝たきりの人たちも、全員が集まっていました。職員さんの何人かは浴衣を着て、夏色満開でした。すぐに、義母のそばに行くと、水風船のヨーヨーとお菓子を持っていました。次にかき氷を食べながら、中庭でする花火を眺めました。次はカラオケです。皆とても楽しみにしていたのに、機械が故障。アカペラとなったものの、昔懐かしのメロディが皆の合唱となって楽しく幕を閉じました。皆さんとても楽しそうでした。
2011年08月28日
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喜んで見てくれています
2011年08月10日
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昨日は義母の誕生日、息子夫婦と子供と私で病室に行きました。パネルに総勢4人のひ孫の写真を貼り、名前を記名しました。小さな子供の写真を見るのは、和みます。ましてやひ孫なら喜んでもらえるはず。昨年も同様、半年ほどベッドの横に置き見てもらいました。同居しているひ孫とも久しぶりの対面です。「べっぴんさんやなあ」を繰り返しそのたびに「ばあちゃん、この子は男やで」と言って笑いあう。そして、そのひ孫の1歳の誕生日が前日の5日だったのです。病室で一緒に、一杯写真を撮りました。この写真は家でささやかにパーティーをしたときのものです。大人の気持ち子知らずって感じ。
2011年08月07日
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無事手術も終わり、順調な術後でしたので元の病院に移る許可が出ました。地域連携医療室から連絡があり、転院日決定。入院時は息子と一緒に自家用車で行ったのですが、やはり足の効かない義母を車に乗せるのは大変でした。ので、今度は介護タクシーを手配しました。これだったら、私一人で大丈夫。しかし、当日は大雨で道路は寸断され、病院にたどり着くことが出来ずやむなくキャンセル。次の日は、私の外来受診の日でNG。3日後再び迎えにGO。無事もとのさやに戻ったという感じで帰って来れました。しかし、本人はまた違うところへ来たという感覚で不安のようです。見なれた部屋と、聞き覚えのある言葉かけで早く落ち着いてくれることを願っています。
2011年06月04日
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入院するたび、付き添い泊をしていたがここのところ足が効かなくなり、寝たきりになってからは泊まることもなかった。しかし、手術となったらやっぱり・・・・。看護師さんに、泊まりますと言ったら布団と簡易ベッドを用意してくれた。部屋は、他の患者さんに迷惑をかけたらいけないと入院当初からHCU室に入れてもらった。術後も同じ、看護師さん至近距離のHCU室。カーテン1枚の隣のベッドは男性。さてさて、眠れることでしょうか。義母が寝ないことは予想できたので、眠ることが出来れば幸いと簡易ベッドに・・・。義母は左手は点滴、右手指も何やら繋がってる。付き添い泊をしたのは、点滴を外さないか見張り役をかって出たのであるが私の眠気が・・・。何としてでも見張っていなくてはと義母の右手と私の左手をタオルで結び、ベッドの柵に固定した。片手では点滴をいじることはできまい、これで少しは眠れそうだ。数時間はうまくいった。しかし、義母は目はらんらんとして、妄想にふけまったく眠らない。そのうち、手が動かないのに気付き怒り出したのは深夜0時頃。「手に負えません、眠剤とかは出してもらえないでしょうか?」と、呼べば聞こえる範囲にいる看護師さんに訴えた。「いつもなら良いですが、今日は麻酔を打ってますしねえ」とダメみたい。と、そこへ主治医が・・・・。えっ、わざわざ見に?なんと当直の当番のようでした。医者もたいへんだなあ。というわけで、直々主治医に聞くことが出来、眠剤を出してもらうことが出来ました。しかし、飲んだにもかかわらず、いっこうに眠りにつかない。私が困っていると看護師さんが「点滴を外した時は、その時でまた刺し直しますのでゆっくり寝てください」とやさしい言葉を頂きました。しかし、ゆっくり寝ることも出来ず朝になりました。幸い、点滴は朝まで手に収まっていました。朝食後、ゆっくり眠りについたのを見届けて帰宅した次第です。
2011年05月27日
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転院入院後、5日目に手術。下半身麻酔だが場合によっては全身かもと言われた。当の本人は何をされるのか、どこに行くのかもわからず、にこやかにベッドごと手術室へ。私は一人、家族待合室で待つこと2時間半。終わりましたよと先生が声をかけてくださった。義母はと言えば、手術室へ入った時と変わらず、にこやか。先生はちょっとフーッって感じ。私「足は大丈夫だったですか」って真っ先に聞いてしまいました。手術をする為に足は開いたのか心配だった。先生「なんとか大丈夫でした、大きな石でした」そうか、結石の手術だったんだ。義母はなんのことやらという顔をしている。下半身麻酔と言っても心配なので、その日は病院に付き添い泊まることにした。
2011年05月27日
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ご無沙汰していますが、義母はたいへん元気に入院しております。入院生活も、もう2年5ヶ月ほどになります。入院当初は、ご飯も自分で食べず口数も少なかったのですがここ1年ほどは、3食とも完食し、看護師さんとも冗談をいっています。尿管結石が原因らしく、熱が出たりの繰り返しで根本的には良くならず応急処置で済ませていました。高齢なので手術は無理だということでの処置でした。ところが、担当医が変わり「とてもお元気なので手術をしてはどうか」と言われ、勧めてくださるのなら、そして出来る状態なら・・・とOKしました。それは足のリハビリから始まりましたが、2ヶ月ほどで手術が出来る状態になりました。下半身麻酔で簡単な手術ということですが、なにしろ高齢なのでリスクがないとは限りません。もしものことがあったら・・・と親戚にも一応声をかけました。
2011年05月11日
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桜も散り始めとなりました。我が家の桜は、今年は花の付があまり良くなく、例年になく幹や枝が見えました。 病室から義母にも、花見をしてもらおうと、ベッドを高くし、頭を持ち上げあげると、ちょうど窓から桜が見えました。 ほっとするなあといって眺めていました。
2011年04月18日
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離乳食もはじまり、赤ちゃん服から脱皮しましたよ
2011年02月17日
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ブログ更新をずいぶんサボっています。もう、2月。ご存知のように北陸地方、大変な雪に見舞われ閉口、ぐったりしております。今日は少々太陽の光が見えました。降り続く雪の除雪は大変です。弊社は建設会社、男性陣の未明からの除雪出勤は疲労が限界となっています。私はといえば、午後から出勤しているので、家の最小限の除雪をしてから出勤します。今日は午前中、義母の病院に洗濯ものを取りに行きました。月曜日は入浴日なのに、洗濯物はありませんでした。患者さんが言われるには昨日は大雪のため、出勤できない職員さんがおられ人数不足で入浴介助が出来なかったそうです。そればかりではなく、大雪のため家族も着替えを届けることができず着替えのない方も多くあったとか・・・。我が家から病院までは10分ほどなので助かっていますが遠かったら、通うほどが出来ないほどの大雪です。ちなみに、病院の売店には今日も道路事情が悪く、お弁当類が届いていませんでした。
2011年02月01日
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冬の体がちぢこまった季節は特に運動不足少しでも解消にと、町の運動教室のバランスボールに通うことにしました週1回、開始は10時から1時間その曜日と時間はいつも義母の病院に行っている両方に行くためにはと・・考えた方向は一緒だから、義母の病院の帰りに寄ればいいじゃん病院での洗濯に40分はかかるので、1時間半前には家を出なくっちゃいつものように、呑気にぐうたらしているわけにはいかないこのタイムスケジュールに合わせた生活パターンでより健康的に動かなくっちゃこれから3月まで頑張りま~す
2010年11月30日
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単身赴任中の夫のもとへ行ってきました。5泊というと気を使うのが義母の洗濯もの。今回は、息子に1回を頼んで出かけました。九州旅行は初めての娘夫婦も、東京から一緒に合流し、楽しいひと時を過ごしました。以前から一度見たいと思っていた唐津くんち、宵山から見ることができました。そして、佐世保インターナショナルバルーンフェスタも行っちゃいました。長崎のハウステンボスは初めてでしたが、平日のためか人が少なくちょっとがっかりでした。そういうところって、人が多くてもいやだし少なくても物足りないし、結構自分勝手なもんだなあ。阿蘇の大観峰、九重のつり橋は昨年も行ったけど、紅葉がきれいでした。最終日は熊本の杖立温泉で1泊。ここで、ハプニングがおきまして、現在まで尾を引いているんです。温泉でゆっくりしたまでは良かったのですが、その後足湯に行ったのです。温泉に浸かったのだから足湯なんてすることないんですがほろ酔いで行ってしまったんですね。足湯ならよかったんですがですが、腰湯になったのがハプニングというかアクシデントなんですわ。携帯電話までが温泉に入ってしまったんです。とんだことです。通信不通、データ回復不能・・・・。あ~あこれいかに。
2010年11月14日
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先日、お天気の良い日にお宮参りをしました。四人目の孫ですが、初めてばぁばとして参拝しました。
2010年10月02日
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病院に行き、ご対面を果たしましたが、気持ち良さそうに寝てばかり。
2010年09月26日
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1ヶ月検診も終わりぐんぐん大きくなっています。伸びをしては寝て、飲んでは寝て、また伸びてはその運動量と飲みぷりは大人以上。
2010年09月11日
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例年行われる祭り。他県から嫁いで三十数年になり、子供達が小さい頃はよく連れて行ったものだ。半月もの長い祭りですが、今年も 4日間が盛大に行われます。なかでも山車はメインイベントのひとつ。しかし、この山車巡業は一度もみたことがないんです。今年は天気も抜群だし、ひとめみようと出かけました。 6基の山車が並んだ姿は勇壮でした。
2010年09月04日
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家では迎えられなかった93歳の誕生日。内孫は3人。義母の誕生日にはいつも何かしら、気にかけている3人。3人とも子守をしてもらった、ばあちゃん子たち。3人とも結婚し、子供が出来た。息子が生まれたばかりの子供を見せたい願いから、プレゼントを考えた。3人の孫と、総勢4人のひ孫の写真のパネル。代わる代わる見舞いに来てくれたときの、病院での一緒のひとコマの写真は、ばあちゃんとてもうれしそうに写っている。見やすいように大きくプリントした写真の一枚一枚を「みんな、ええ子ばっかりやなあ」と目を細める。「ばあちゃん、誰かわかる?」ちょっと分からないようです。義母「この白髪の婆さんは年寄りやなあ、93歳かー」私「このお婆さんは、ばあちゃんやでー、これはばあちゃんのひ孫」と一人一人説明する。義母「そうか、みんなええ子ばっかりやなあ」飽きもせず、ず~と見ている。隣のベッドのばあちゃんはいつも知らんふりして寝ているのに、身を乗り出すようにして目を明けた。
2010年09月01日
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8月6日、義母は93歳の誕生日を迎えました。その日の回診時、主治医に「今日は93歳の誕生日なんですよ」と伝えると本人に、「おめでとうございます」と言ってくださいました。でも、93歳という歳にあまり実感はないようでした。そして、連れだっていた看護師長さんに「93年前の今日生まれたんだなあ」ってつぶやかれたそうです。そして、そして8月5日。内孫の子供、つまり内ひ孫が生まれました!。「昨日、○○○の子が生まれたよ、男の子だよ」って言ったのですが自分の最愛の孫の○○○がピンとこない。あれだけ子守をし、一番可愛がっていたのに・・・。それと同時に、お産にも立ち会った私としては、93年前 ばあちゃんも赤ちゃんで生まれたんだなあって思いましたね。
2010年08月07日
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ご心配かけましたが退院いたしました。インスリンポンプの調整も、病院食と家の食事では結構違うので基礎インスリンの部分を調整してもらい、家に帰ってきました。今までとは何ら変わらず、ポンプへのインプット方法が変わっただけでコントロールがずいぶん気になります。義母は少々熱が出たものの、大した変化もなく過ごせたようでした。義母の病院の看護師さんも、いろいろ私に気を使ってくださってた様で退院を喜んでくださいました。
2010年07月17日
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義母の洗濯をシルバーさんにお願いし、二週間分のオムツを買いためて、看護婦さんに事情を説明し入院した私。二週間の予定が三週間目に突入してしまいました。オムツはもうなくなるのではないか、嫁さんの臨月のお腹は大丈夫か、お寺の掃除当番が回ってくるのではないか・・、家にいれば何でもないことでも気になる。写真のような糖尿病食を食べ、日々新しいポンプと血糖値と戦っております
2010年07月11日
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シルバー人材センターは快く引き受けてくれました。当の義母は、ますます快調です。入院当初から尿は管をつけたまま採っていましたが、このほどそれが外されました。自分で出すことができる様になったんですね。でも、依然として寝たきりのためオムツ状態です。今までもオムツはしていましたが、管を外したらオムツで採るので、オムツが大量に必要になります。行くたびに、ガバッと減っているのでドッキリです。それで、今日は2週間分のオムツを購入し準備してきました。とろみもおしりふきも・・・。義母はと言えば・・・。「財布を盗られたー、警察呼んでくるー、誰かドロボーがおる」という具合で。「そう?、じゃあ早く警察呼んでー。ばあちゃんほど頻繁に呼んでたら忙しくて来ないんじゃない?」って隣のベッドの人は笑っていました。
2010年06月26日
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近くに入院している義母には、週2回洗濯物を取に行ったとき、面会し話をしてきます。洗濯ものは週2回の入浴日に合わせ行っていますが、これは私の任務になっています。まあよく、外泊で遊びに出かけておりますが、すべてこの任務をこなせるべく日程を立てて出かけているわけです。しかし、今回の外泊は遊びではないんですわ。2週間の入院ですわ。この度、インスリンポンプを新機種に交換するにあたり、検査入院することにしたんです。私の体あっての介護だし、孫が生まれたらまた忙しいし・・。と思い切ってこの時期に入院を決断しました。近くだったら、入院先から外出して、洗濯することもできるでしょうが遠いんですよ。病院に頼めないし・・・。うちの嫁さんは臨月だし・・・・。気軽に頼める人はいない・・・。良い方法があったんです。シルバー人材センターにお願いすることにしたんです。電話をしたら、他にも引き受けているから一緒にしますということでした。先日、担当シルバーさんにお会いしお願いしてきました。これで、心配なく入院できそうです。あとは義母が変わりなく元気に入院してくれたらOKです。そうそう、臨月の嫁さんも予定日ころまで無事なお腹でいてくれたら万事OKです。
2010年06月16日
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携帯から投稿したら、とんでもないことになっていましたのであらためます。連休は、以前から計画していたことが実行できました。鹿児島空港からプロペラ付の飛行機で30分ほど行くと新緑さわやかな屋久島に着きました。途中、空から桜島の火口まで見ることができました。到着時刻は、なんとまだ午前9時。手配してあったレンタカーを借り、まずは観光協会へ・・・ここで、情報とマップやパンフレットを手に入れいざ出発!まずはヤクスギランドへお弁当を買うところも見当たらず、持って行ったお菓子でしのぎながら150分コースを一回り。せっかくだから少し足を延ばして紀元杉のところへも・・お腹すきすき、ふもとで食事をしたのは2時半ころでした。次の日はお弁当を宿にお願いし、弁当を持って出発!島を一周・・・島の滝は素晴らしい次の日は白谷雲水峡へもちろんお弁当を持って挑戦3時間コースを行くつもりが、あまりの素晴らしさに5時間費やし、自然を堪能しました。
2010年05月02日
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全国各地で開催されている「命のメッセージ展」が福井県で初めて開催されました。「命のメッセージ展」というのは犯罪・事故・いじめ・医療過誤などの結果理不尽に生命を亡くされた犠牲者の方が主役のアート展で犠牲者の方の等身大の人型パネルに生きた証の靴と共に遺された方からのメッセージを添え「命の重み」を伝えるものでした。私たちオカリナグループは昨年、別のイベント会場で今回のプログラムの一部にオカリナ演奏を依頼されたのでした。何も分からないまま、すぐに引き受けたのですが、「命のメッセージ展」の開催趣旨を理解するうちオカリナ演奏にとどまることはできませんでした。そこで皆で、犠牲者の方の人型パネル140人の、お一人お一人に連鶴を作り捧げることにしました。千羽鶴も公民館来場者に呼びかけました。千羽鶴は6連が出来上がりました。犠牲者の方、一人ひとりのメッセージはどなたのも涙を誘うものでした。もちろん伝わってきたものはとても大きかったです。
2010年04月06日
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今日はひどい黄砂西のほうが雨でも降っているかのように・・・・、霧のような、煙りのような・・・・。そして周辺は埃っぽい感じとても外に出る気になりませんあれ!窓が汚いだけ?そんなことはありません、こすっても拭いても同じですもうすでに車の屋根は黄砂色洗濯は干せません風も強いですすっ隙間から黄砂侵入?
2010年03月21日
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長女夫婦の転勤の引越は思ったよりも早かった転勤で関西の自宅から関東へ引っ越したのは一昨年の夏2年足らずで元の自宅への引越その間、長女夫婦には家族が一人増えたそんなわけで、引越の手伝いというか、2人の孫の守にかりだされたかりださなければ、なかなか行くことができない私義母のお風呂の日程を考え、月曜日の入浴後の洗濯物の洗濯を済ませ出発したこの2年ほどで、すっかり行き慣れた行程は夕方であろうが平気到着は午後9時ころとなった関東の長女家での最後の1泊を終え、次の日は1時間程離れた次女家へ向かった次女家で長女と子供2人と私とで1泊した折しもちょうど、次女の長男の1歳の誕生日でもあり誕生日パーティーも盛大?にした次の日は、いよいよ荷物の出発と共に関西に移動しかし、荷物が着くのは次の日新幹線で関西に移動したものの、荷物が到着しないことには布団もない当然ホテル泊となった娘の自宅の近くのホテルに泊まった、楽しかった娘と孫2人とのホテル泊は初めてで最後かも知れないチェックアウト時間ギリギリまで滞在し荷物が入荷されたころ自宅に向かった娘婿が一足早く自宅に泊まりこみ、きちんと受け取り 万事OK荷ほどきも引越屋さんにお願いしたさすが引越屋さん、自分が詰めた荷物でもないのにさっさと片付けるたくさんの段ボールは、あっという間に整理された何もしなくても疲れるのが引越夕食は外食をし、布団に入りゆっくり寝た長女の引越で関東住まいは次女家族だけとなってしまった
2010年02月06日
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孫誕生から2週間、娘宅で子守をしながら過ごしました。と、突然親戚に不幸があり家に帰るべく選択をしました。娘宅には、合計3週間の滞在でした。その間の義母の世話は息子夫婦が(たぶん嫁さん主体)代わってしてくれました。感謝!感謝!です。義母は入院患者さんの中では、とても元気なほうで目を掛ける必要が少ないのか、スタッフルームから遠い部屋に移動していました。3週間ぶりに見せる顔ですが「財布がない、誰かに盗られた」と相変わらずの挨拶でした。それから2週間が過ぎ娘が子供2人を連れこちらに来るというのだ。えー、まだ1ヶ月の赤ちゃんと新幹線で~?家の中ばかりの子供と2人の子供の世話の親親も子もストレス満載生活がパワーを生んだのでしょう親子4人で新幹線で3時間の大移動は大変だったようです。広い家の中と広い庭で思う存分発散できたかな。
2009年12月23日
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長女の2番目の赤ちゃんが生まれました10月27日元気な女の子が無事誕生しました。もうそろそろかもといわれ、お世話のため上京して待機しておりましたまずは産院の場所を確かめ上の子の守をしたり、キッチンの使い方、お風呂の沸かし方近くのお店のありか、生活のリズムを教わりながら待つこと1週間 どうやら来たようです陣痛のお腹を抱え一人で荷物を持ちタクシーに乗り込んで産院に向かう姿は頼もしいものでした数時間して様子を見に行くと、ずいぶん痛そうだが子連れではどうしょうもない子守に徹することにし、孫と一緒に家に帰りましたしばらくするとお父さんが会社から帰宅し産院へこちらも家に居ても落ち着かないのでまた産院へ孫と一緒に向かう産院に着くや否や 「生まれた!」と電話あり急いで分娩室へ二人の元気そうな顔をみてホットしました
2009年11月01日
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同居から半年あまり、やっとこさ息子夫婦の結婚式を無事終えました。昔ながらの神前結婚。昔ながらの披露宴。皆さん、田舎までどうもありがとうございました
2009年09月27日
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9月で還暦を迎えた夫にサプライズ息子の嫁さんが作ってくれました。本人より男前?
2009年09月27日
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初めての北海道息子夫婦にくっついてお邪魔虫となって一緒にいってきました。旭山動物園は雨が降ったり止んだりで動物もうんざり状態でパフォーマンスなしちょっと前評判とは違いがっかりしろくまさん、お客を選んでいるのか。。。。これは雨が降っているので皆雨宿り中、傘持参者だけが列・・・。ファーム富田では雨も晴れ、ランベンダーソフトもおいしかった次の日の札幌、小樽は快晴小樽運河のこの光景ちょっといいじゃないですかーなんじゃこれ!「お父さん預かります」?「7日食べたらどうなるの」どうなるの?
2009年08月29日
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毎年、実家では叔父を筆頭に「お盆だよ 全員集合!」があるのですが、お盆は忙しく、実家に行くことはありません。今年は子供たちも里帰りしなかったので、私たち夫婦と息子夫婦4人で行くことにしました。途中、立ち寄るのが好きな私たちは、養老にある「養老天命反転地」に寄りました。息子の嫁さんは初めての来訪。主に私の兄弟の家族が集合し、実家の家族も含め20人ほどの大バーベキュー大会となりました。
2009年08月29日
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病院の看護師さんやヘルパーさんのお陰で元気をとり戻してきた義母。元気だと気になるのが「財布」「通帳」仕方が無いのでお預けしていた「通帳」を作りました。もちろんダミーです。通帳2冊、手帳1冊、財布1個を連凧のようにヒモで繋げ、バッグに入れました。もちろんバッグにもくくりつけてあります。それを病院に持ち込みそのバッグをベッドの手すりに縛りつけました。ヘルパーさんに見せたら大笑いでした。それで数時間は遊べるようです。以前持っていったクレヨンしんちゃんの縫いぐるみでは物足りず時間をもてあましていたので、コレならバッチリでしょう。
2009年08月04日
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孫が二人とも大きくなりました。
2009年07月05日
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義母の面会に最近は食事時にいくのはやめました。暑くなってきたので、食間に行くときは冷たいジュースを持っていきます。お茶や食事はとろみをつけて食べていますがジュースはそのままストローでグイグイ飲んじゃいます。「うめー(美味い)」といわれるのが嬉しくてついつい買っていってしまします。ベッドの周りにくっつけてある、縫いぐるみのクレヨンしんちゃんのパンツがいつも脱がされているので、とうとう糸で縫いつけてしまいましたよ。今日見に行きましたら、パンツも服もきちんと着ていました。が、ベッドの横に置いてあるロッカーがかなり動いていました。そして、その間に枕が落ちていたり・・・とかなり激しく身をのりだして動いたようです。寝てばかりはヒマだし、足は動かないし、テレビもわからないし・・・。本なら少しは時間潰しになろうかと、絵本を持っていきました。子供が保育所に通っていたころの本です。なかなか良いようで、繰り返し開いて見ています。毎回もっとドキドキして遊んだり、見たりできるものはないか模索中です。
2009年06月28日
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つなぎの寝巻が4着になった。もちろん買い揃えたのだが・・・。3着では足りない時は、少しの間の着替えくらい今まで着ていたパジャマでいいわと思いロッカーにストックしておいたが使用してもらえなかった。たび重なる着替えに病院のつなぎ寝巻きを着せられていた。やっぱり、つなぎの威力はあるのか。4着ともメーカーが違う。何が良いかは、私にはわからないがポイントとしては、着ていて心地よいものが良いかなと思う。介護してくださる人にはどんな点がポイントとなるかはちょっとわからないけど。
2009年06月01日
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寝たきりは退屈だ。足は動かなくても、手は器用だし力も強い。つなぎの寝巻のため、腰には手は入らない。その手はどこかで仕事をするのだ。足のズボンの裾から出ている、カテーテルをいじったり枕カバーをはがしたり、ベッドの手すりをゆすったり掛け布団をベッドから落としたり・・・そうだ、何かオモチャがあればいいかも。危険でなく、飽きることなく、そして和むものを考えた。結果、縫いぐるみであった。かわいらしい乳牛と、クレヨンしんちゃんが犬を背負っているもの。両方のベッドの端に適当な紐をつけ、それぞれくくりつけた。遊んでいるところは見たこと無いが行く度にしんちゃんのパンツが脱がされている。紐も何度か切れていた。ということはバッチリ手仕事の場所があったのだ。なのにどうしてスプーンは持てないの?
2009年05月22日
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熱も上がらず、食もすすむので、療養とリハビリ型病棟に5月より移動した。お風呂も、週に2回特浴に入れてもらえる。2病棟に移動したら、なんだか私の気が楽になり老健と同じ気分になった。しかし、2回のお風呂の準備は結構たいへんだ。でも、そのおかげで2回以上病院に行くことができる。1病棟の時と同じように、食事時を目指していくことにしている。最近は、さっぱり自分で食べなくなった。何とかスプーンを持ってもらおうとするが食べたくないの一点張り。じゃあ、といってスプーンにお粥をのせ口に持っていくと大口をあけて食べる。よし!今度こそはと「お茶碗を持っててあげるから食べて」というがいやいやと首をふる。そんなことを繰り返しながら、結局は全部食べた。食べたくないのではなく面倒なのか甘えたいのか。「腹いっぱいで、いらんわ、おめえ(私のこと)食べてくれ」と言われたので「ばあちゃん、私も食べさせて」と言ったら「あはは、赤ちゃんみたいやな」って「何言ってるの、ばあちゃんは食べさせてもらっているんやで」といったが効き目なし。
2009年05月22日
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義母の容態が安定しているため、ゴールデンウィークを利用し夫の転勤先のマンション探しに九州にいきました。 新婚旅行以来の二人の長旅です。 行きは山陽道帰りは中国道を走っています。 高速料金も安く、天気も晴ればかりで快調です。
2009年05月09日
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食堂に集まっている昼食時に行くとこのばあさんは「あんたが来ると、笑顔が違う」「あんたが来ると、食べっぷりがちがう」「お昼になると、入口の方を見てあんたを待っとる」と同部屋のおばあさんが言う。介助のおねえさんや看護師さんも言う。今日のことです、私が行くと介助のおねえさんが「このひと誰?」と義母に問いかけた。「私の連れや、こんな人が嫁にきてくれるといいなあ」私が行く前に皆で嫁の話をしていたらしい。顔は馴染だけど、とうとう何処の誰だか分らなくなってしまっただろうか?ず~と、そばでご飯を食べさせてあげていてもふっと私に気づくと、ニコッとして「おったんか」という顔をする。「さっきからおるよ」と言うが1時間の中で、そう言って数回喜んでくれる。帰りがけに同部屋の人がまた「あんた、無理したらあかん、あんたが倒れたらあかん、きゃしゃな体で・・・」「このひとは手が強い、蒲団を落とすし、カーテンを引っ張るし、これを触るし」といってぶら下がっている、尿のカテーテルを指す。勇気づけられたり、ふんずけられたリの回りの言葉ですが私の心で看ようと思います。
2009年04月24日
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いつも義母の介護ばかりではありません。先日は東京にいってきました。関東には娘2人と夫が生活しています。義母は病院で、まあまあ元気なのでお任せして1月に生まれた孫の顔を見る事と、娘二人が夫の還暦祝いをしてくれるというので、出掛けてきました。拠点は夫の単身マンション。介護も忘れ2人の孫にご対面。4泊のうち1泊は次女と孫、1泊は長女と孫、1泊は長女の孫のみ、1拍が夫と2人という賑やかな毎日でした。孫だけ預かり初めてのお泊まりは少し不安がありましたが予想したよりすんなり寝てくれました。大きな成長を実感しました。いつの日か、一人で田舎のじいさん、ばあさんの家に泊まりに来ることを夢みていました。還暦の祝いは東京湾ディナークルーズ、とてもリッチな気分で堪能できました。別の日の、次女のディナーサービスも、長女一家も集合し幸せなひと時をすごせることができました。義母を息子夫婦にお願いし、安心して行ってくることができたのも最高でした。
2009年04月18日
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最近は、1週間に5日ほど、食事時を狙って病院を訪れ食事の介助をしています。昼食時であったり、夕食時であったり・・・ですが。平日の昼食時は、出られる人は、車椅子で食堂に集まり、テーブルを囲んで皆で食事をします。12時前に私が行くと、義母の部屋のメンバーは一番乗りで食堂に来ています。「あんたが来ると、この婆さんの笑顔が違う」と同じテーブル(同部屋)の方が言われます。確かに、ニコっと笑って迎えてくれます。前掛けをし、お茶にとろみをつけて準備をしていると、お盆に載せた食事を、それぞれ目の前に運んでくださいます。「ばあちゃん、ご飯食べようか」とお手拭きを差し出します。手は前掛けの下の膝の上に行儀よくのっています。待てないので手を出して拭いてあげます。今度は、お粥のお茶碗にスプーンを入れ「どうぞ、お粥食べて」と胸の前まで持っていきます。ニコーと笑って「おおきに」でも、手は一向にお茶碗を持ちません。隣で食べている同部屋の人が「いくらでも食べさせてあげれるが、自分で食べなあかん。お婆ん、はよ食べよ」私も気長に手が伸びるまで待っていると「このねいやんは、辛抱いいのお、そうでないといかん」患者さんに褒められ、待ってはいたものの持とうとはしない手にしびれを切らし食べさせてあげる事に・・・・。食べる気はなさそうでも、毎食完食します。こんな調子で食事の手はあまり動かないのにベッド上でカーテンを引っ張ったり、カテーテルを触ったりと活発らしく夜うるさくて寝られないとか、触って困るとか言われだしました。どうか夜の呼び出しだけは勘弁してください。
2009年04月17日
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つなぎねまきがやっと揃いました。 近くの介護ショップにでかけ、生地を確認した甲斐があり、とても着心地は良さそうです。 病院で借りていたものは、万人向きだからあまりフィットしていませんでした。
2009年04月12日
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