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長い間、日記を留守にしていました。もうやめようかと思っていましたが、またちょくちょく書かせてもらいます。コメントは残していただいても時間の都合でお返事ができない場合もあります。お許しください。昨日は書いてみましたが、久しぶりに書いたのでぎこちなくなってしまい削除した次第です。楽天ブログを始めて21年、知らぬ間に年を取ってしまいました。いつまで続けようかと考え中です。文才が無いので考えて、考えて、書き込みしていきます。なので、時間がすぐに過ぎてしまいます。実はページを見ていくと、私にとっては不快なイメージ画像が多く貼り付いた広告がたくさんあって、自分ではどうすることもできず、突然ですがこのまま一時的にブログを休止したいと思います。やはり無料のブログですのでこればっかりはどうすることもできません。またいつか復活するときまで、((´∀`*))ゲンキデネ~~~
2023年11月16日
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二か月以上前の事です一か月は放置していなかったのですが、毎日の犬の散歩でいつも通る歩道のバス停に3週間以上放置されたままの自転車がありました家の窓からも自転車が見えます気になっていましたが私以外にも気になっていた人がいたと思います私は外出する時はいつも携帯電話を持っているので警察に通報することはできますでも何で私が通報しなければいけないのか考えました放置自転車が置いてある場所を過ぎれば私には何の関係もないでももし放置自転車が盗難に遭っていたとしたら自転車の持ち主は困っているだろう幸い自転車が荒らされているような形跡は特に見えない持ち主がバス停に故意に3週間以上放置しているようには見えない盗難に遭っているとしか見えないので意を決して警察に通報した通話量が掛かりますけど仕方がない通話料が掛かるから誰も警察に通報しようとはしないのかもしれない警察という面倒なところに電話をするというのは自分に関わること以外では嫌な人が多いと思いますまず通報者の名前と住所を尋ねられますそれに生年月日も 匿名ではダメなんでしょうね匿名だと信憑性が疑われるので私は匿名では警察に電話しません自転車の盗難番号とか聞かれたけど自転車から過ぎて電話してるということ場所を説明してるので嘘かどうか一度見に来てくださいと言いました警察が私に経過報告したほうがいいですかと聞かれたのでいいえ経過報告は要りませんと言った盗難かどうか判別しない場合は自治体に通報してくださいと言われた自治体が放置ゴミとして処分するのであろうまあいいでしょう はいはいわかりました犬の散歩が終わって家に帰って3時間以上たったころでしょうか家の窓から見ると放置自転車が無くなっていた自治体に電話しなくてよかったきっと持ち主に戻ったのだろう
2021年12月04日
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近所に住む私より年上の女性は人当たりが良く、話好きで私にも気軽に話しかけてくれます。掃除当番の日は朝からゴミ収集車がゴミを収集されるのを待って何回もごみステーションまで見に行って、昼前になってもまだゴミが収集されていないと、律儀な人だから当番が終わるまで気になって仕方が無いようだった。私は「時間が決まっていないからいつでもいいねんで」と言ったのですが、私と違って真面目な人で、人から悪く言われるのが嫌みたいです。自治会にも入っていたのですが体を悪くして役員の番が回ってきてもできないからと抜けられたみたいです。私と同じ非自治会員ということになり、自治会から「清掃管理協力金」を徴収されたそうです。自治会員の時より3分の1の額ですが、「当番をしているのにお金を払わされた」と言っていました。真面目な人だから言われるままに払わされたんだと思います。私は「そんなもん払わんでもええねんで、寄付みたいなもんやから、私は払ってないで」と諭しました。自治会の策略にまんまとひっかっかてしまわれたようです。非自治会員に会計報告する義務は自治会にはありませんから当然何に使おうが自治会の勝手です。自治会にあれこれ言っても非自治会員ですから話を聞いてくれません。お金を払っただけです。詐欺みたいなもんです。お金を徴収する為に自治会が勝手に決めた、取ってつけたような「清掃管理協力金」という名目、自治会行事のクリーン作戦に参加させないようにしておき、参加してないからという理由でお金を取るらしいです。自治会員でも参加してない人もいるのにですよ。私は非自治会員でもクリーン作戦に参加してもいいと思っています。自治会を抜けたとたんに差別化が始まったということです。自治会って何様? 町内が安全で住みやすい所になるようにやってくれているみたいやけど、非自治会員いじめは辞めて欲しいです。誰にも迷惑かけた覚えもないし、ゴミ出しルールもちゃんと守っています。掃除当番もちゃんとやっています。自治会行事に参加できないのは非自治会員だから仕方がない。だから金を出せって、そんな法律が通用できる自治会は一体何様?非自治会員でも自治会が決めたことに従わないとだめなの?以前に違う所に住んでいた時、アパートだったので自治会がどういうものか知らないで自治会に意見したら電話口の向こうから恫喝されたことがあった。自治会が怖いと思った瞬間だった。自治会と〇〇団が紙一重的な存在だと思った。自治会を抜けた理由、もうわかりましたか?自治会がルールを決める、そんな自治会が嫌いになったからです。
2020年07月15日
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過去日記を読み返していました。2006年03月01日 ゴミ当番 嫌な想い出です。ことあるごとに思い出します。13年の前の事だったんだ、年が過ぎるのが早くなったのか当時は まっすぐな気持ちでやっていた自治会活動でしたが人の嫌なところが見えてくると一変で気持ちが変わってきてはらわたが煮えくり返るくらいの気持ちです。非自治会員になってもう何年だろうか最近は、非自治会員に向けた徴収金に関するチラシがポストに入っていた。非自治会員は自治会行事のクリーン作戦に出ていないから年に1200円徴収金をという自治会の一方通達。寝耳に水です。強制はしないと書かれているが、3年以上前から、徴収金の事が役員、班長会で決まったことで最近はまた改正されたと書かれていた。あのね、クリーン作戦なんて聞いてませんよ。回覧も回さずにチラシも入れずに、自治会行事に、どう参加できるんじゃ!!知ってたら参加してますよ。あのね、戸建ての、非自治会員だけですか?アパートは優遇されてるんですか?アパートは徴収するのが面倒だからでしょうね。次の日に自治会長宛に抗議文書いて、持っていき手渡しました。少し話しました、「強制はしませんから」と自治会長が言われた。非自治会員になってまで自治会と争いごとをするとは思っていませんでした。自治会と縁を切りたいから抜けたのに、自治会から不公平で理不尽な扱いを受けていると感じた。クリーン作戦に年に一回も出てない人、回覧が回ってる自治会員の中にもいるでしょ!!回覧も回ってこない非自治会員に徴収金をとるという自治会って何?頭悪いんじゃないの?敵に回してるんじゃないの?同じ町内の人間だから同じように会費じゃないけどお金を出せと言うの?出してもかまへんけど、額を決めるときに蚊帳の外で、そのお金の使い道も知らされない、自治会の言いなりで、有無を言わさないやり方って黙っているわけないでしょ!!
2019年02月16日
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ゴンタは息を引き取りました。空を飛んでいきそうなくらいに、軽くなって、私に黙っていってしまいました。ゴンタが家に来た時のような、ワクワク感はもうありません。寂しくなったと、主人もつぶやいていました。
2014年07月24日
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ゴンタのことがあって、4日目、私は毎日涙を流しています。ゴンタのことを考えてあげられていなかった自分に腹が立って、助けてというゴンタのサインを見逃していた自分に腹が立って、こんな自分が嫌いになった、外で自由に走り回りたかっただろう、それなのに、家に監禁生活をさせていた。外に出すときは、首輪からリードをつけ、5mぐらいの長いひもを延長してつけていた。時々、木や何かにリードがひっかかって動けないときがあると、じっとして私の来るのを待っている、私が来ないと泣いてサインを出す。最近は泣くことすらしなかった、私もゴンタが寝そべっているのを確認するだけだった。病気のせいで痩せていく、餌をやってもあまり食べない、いや、私が食べさせていなかったんだ、食べさせていたらもう少し長生きしたかもしれない、いろんな食べ物を与えたらよかったのに、いつも同じ食べ物で、もう飽きられたとわかっても、どうすればいいかわからない、きっといろんな方法があったに違いない、缶詰をいろいろ変えていったが、食べないものが多かった。最後は2種類しかなかった、交互に食べさせていたが、それも汁だけ食べてあとは残すようになった。苦しそうに肩で息をしていた、後ろ脚の筋肉がごっそり落ちていった。それでも足をもつらせながら、伸びた爪で床を踏みながらカチャカチャとスパイクを履いたみたいに歩いていた。
2014年07月24日
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高血圧の持病を持っていて、今は3か月に1度のペースで病院へ通院しています。今日はその日です。予約を入れているのですが実際には1時間以上遅れて診察室に呼ばれることが多いです。早く帰って家の用事をしないと、、、、では、行ってきます。
2014年07月24日
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ゴンタが最後に寝ていた小屋を撮りました。水と缶詰とレトルトパックを置いています。きっと喉が渇いていたであろう、きっとお腹がすいていたであろう、私の気持ちが収まるところがないので、ゴンタの選んだこの場所を供養したかった。
2014年07月23日
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私の楽天ブログを振り返るとゴンタが5歳の時に楽天ブログを始めました。それからいろんなことを事あるごとに何か書いてきました。年に一回しか投稿しなかったときもあった。それでもこの楽天ブログをやめなかった。また何か書くことができるんじゃないかと温存してきました。それが、ゴンタの事を何かの形で残しておきたいという思いでこのブログのことを思い出して投稿しました。このブログをご覧になられた方はさぞかし不愉快な画像もご覧になられたかもしれませんが、お許しください。
2014年07月23日
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ゴンタにとっても私にとっても長かった。ゴンタが家に来てからという毎日はそれまで以上に充実した毎日だったと思う。いろんなことをゴンタに教えてもらった。最後の最後まであきらめずに力を振り絞って生きる、生きるということの本当の意味を教えてもらった。ありがとうゴンタ本当にありがとうこれからの私はゴンタのような負けない気持ちを今以上に強く持って生きていきます。
2014年07月23日
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でした。1年で20歳として、その後は4歳ずつ歳を取るから16×4=64だから、20+64で84歳です。昨日のブログを訂正すればいいのだけど、今日のブログで訂正します。ゴンタは、とてもきれいな目をした精悍な顔つきをしていました。死んでも気高く崇高な顔つきです。私を癒してくれて、ありがとうゴンタ私も、まだまだ後になるけどゴンタがいる天国にきっと行くからね。それまで、私を天国から見守っていてね。天国って、3年前に亡くなった母も、5年前に死んだメイも、きっといてくれると信じている。
2014年07月22日
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今日の午前10時から11時の間に5年前死んだ犬のメイの小屋の中で息を引き取っていました。17才でした。人間の歳で言うなら88歳です。私の声はもう届かないけど、よく頑張ったと褒めてあげた。甲状腺機能亢進症と戦って手術はしたものの、もう一つ残った甲状腺が悪さして小さな体を苦しめていた。最後の最後まで私の手を煩わさず、ゴンタは自力でおしっこをし、水を飲み、自力で歩いていた。でも、今日の朝、いつもより動きが鈍かった、まさかもう今日で命がなくなるなんて思っていなかった。外に出たがっていたのでいつものようにひもにつないで庭に出していた。涼しいところを探して寝そべってばかりいた、主人も時々見に行ってくれたが、私は見に行かなかった、眠くて寝ていたから、それが悔やまれて仕方がない。体をきれいに拭いて箱に入れる前に抱いて体重を測ると2kgしかなかった。明日はお寺で火葬してもらえるよう予約しておいた。
2014年07月21日
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あれからいろいろあってブログを更新できずにいました。最近は自分の為の充実した日々が過ごせているような気がしています。 今日は旦那様の先祖の墓参りに行く予定です。明日は母の納骨堂に参りに行く予定です。線香と他、忘れ物が無いように用意しとかないといけないので、今日はこれで終わります。
2013年08月13日
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兄が入院した。救急車で運ばれた最初の病院のCT検査で脳出血が見つかり脳外科病院に転院した。そこでは出血の程度は重篤ではなく治りますと診断された。24日間の入院で兄の容態は良くなったと思わなかったが病院から退院してくださいと告げられアパートに帰った。入院した時の惨状を書こうと思ったがあまりにもひどくて書ききれないので省略することにした。兄は一人暮らしで入院前はわがまま放題の暮らしぶりで、入院してからびっくりするようなことがいっぱいでした。私はとにかく兄の生活ぶりをを普通の生活に戻さなければますますひどくなると思って片づけから掃除まで大工のような仕事までやった。もちろん自分の家のこともしながら、仕事もしながら、一時期は疲れが出たのか仕事のミスが目立ってきたので休ませてもらったりした。病院から言われたことが介護が必要と言うので退院後の一か月は仕事を休ませてもらった。退院後は兄のアパートに毎日行った。食べる物を持って行き、洗濯をし、汚物の掃除、大きなたらいを買ってお湯を沸かして家の中で体を洗ったりもした。バリカンで散髪もした。足の爪が伸び放題だったので切った。でももう切りたくない、介護保険が下りるまでは仕方が無いと思っていたからできたが、体を洗ってやることもしたくない。退院して2カ月目でようやく介護保険の契約ができそうになったのでそれを利用するつもりです。介護保険の申請時とは見違えるほど脳梗塞の症状も良くなって普通に歩けるほどになった。要介護1の認定をもらったが脳梗塞のほうは快復してきているので認定が軽い方に変更されるかもしれない。しかし、兄は認知症も患っていたので、鍵を失くすし、お金の使い方も無茶苦茶なので死ぬまで介護が必要です。
2012年09月03日
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2012年06月14日
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母が死んで4か月以上になる。最初に救急車で入院した病院での母のうわごとみたいな言葉が気にかかる。私と兄が母のもとに行くと「もうええやん、もうええやん」と手を横に振る。夢でも見ているのか目はつぶったままだ。何が、もうええやん、や、今になって私が思うのは、もう死んでもええやん、という意味だったのかもしれない。院長の指示でいったん帰宅したが、容態はあまりよくない。翌日、かかりつけ医に訪問していただき尋常ではない容態に救急車を呼んでいただいて、こんどは違う病院に入院した。検査の結果、肺に水がいっぱいたまっていたそうだ。加えて腎臓も悪く、心臓も不整脈でいつ急変するかわからない状態で救急病棟に寝ていた母は酸素マスクをつけていた。最初に入院した病院では、骨のレントゲンを撮っただけで、年齢的なものでボケもはいっていると言われ退院してもいいと言われた。最初に入院する病院を間違うとこうなるということを思い知った。母は翌日一般病棟に移ったが、危険な容態には変わりない。延命処置はしないでくださいと兄が病院側に伝えていたらしい。母は入院から3日目の早朝に息を引き取った。入院中に母の言葉を聞いたのは「ありがとう」だけだった。しっかりした口調で力を振り絞るような言葉だった。最後までボケてはいなかった。わたしのほうこそ「ありがとう」と言いたかった。「ありがとう」を言えなかったのが心残りでならない。
2011年07月12日
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今日は日曜日、兄からまた電話が来た。行くつもりをしているのに、来てくれるかの催促の電話だ。私をなんだと思っているのか、もういいかげん電話に出るのが嫌になる。今日は母の押入れの中にある衣類を整理しようと思っていた。そうじゃないと着替えがどこにあるのかまるっきりわからない。母は眠そうに目をつぶったり、少し目を開けて私がいるのを見て、また安心したのか目をつむって寝ている。母の衣類の中に昔の母が書いた手帳があった。小さい数字がぎっしりと書かれている、きっと家計簿代わりなんだろうなと思ってパラパラとみていると私の娘の名前が書かれていた。「○○ 林間学校」と娘の小学校時代に母とよく話をしたり世話になったことを思い出した。これは日記代わりかもしれないと思った。私は涙が出そうになった。今はこんな姿になってしまったが、母は60の定年まで元気に働いていた。定年後は私の娘の面倒をよく見てくれた。それなのに私は、半分ぼけてしまった母に冷たくあしらった時もあった。同じような服ばっかり安いからと買っては、着ないからと私に持って帰りと与える。私は趣味も合わないし、持って帰っても着ないし、無駄遣いをしている母を嫌った時もあった。買い物をしている母はきっと寂しかったんだろうと思った。私は今、恩返しをしなければいけないと思った。そんな中、突然、訪問者が来た。兄が応対している。電話が通じないとか話をしている。兄は固定電話を料金が払えないからと切ってしまって何年か経つ。母は電話を切られて外部と話すこともできず寂しい思いをしていただろうと思う。二年前に携帯電話を母に与えたが使い方が難しかったのか使いこなせなかった。一度だけかかってきた。「お金貸して」というものだった。母はもう一銭のお金も持っていない。持っていたお金はすべて兄が取り上げてしまい、兄の好きなように使ってしまった。母が持っていたお金は、本当は私のお金だった。アパートの敷金が返ってきたのを私に返さず持っていたものだった。いったん私のもとに返ったが、私はまさか兄に使われるとは思っていなかった、母の老後の足しにと渡したのが浪費家の兄にまきあげられてしまったのだった。母が言うには、兄は「お金が無い」とすぐ母に言うらしい。母に心配ばかりかけている兄が嫌いで仕方が無かった。それから私は兄にはお金は貸さないと決めた。それまでもスーパーで兄と買い物した時「お金貸して」と気軽に言うので、私も快く貸したが、私も返してもらうのを忘れたりしていた。それが何回も続くとアレっと思うようになった。それまで貸してもちゃんと返してくれた時もあったので、兄は、とぼけているのか昔借りたお金を返したことを「返した」と言っている。借用書もないので「貸したものはやったと思わなしゃあない」と、あきらめた。兄の浪費の話はきりがない。またあとで書くことになるかもしれないのでこの辺で終わりにする。訪問者の話だった。福祉関係の方3人が母の様子を見に来てくださった。私は兄に「介護サービス」というものがあるから利用したらと勧めていた。兄は春からと思っていたらしい、そんなのんきなことを言っている場合じゃないと私は再三言っていた。重い腰を上げて、市に相談しに行ってくれたみたいだ。それを受けるにあたっての接見だった。看護師の女性が母の傍に行き聴診器をあてて脈をとり「不整脈」を言い当てた。母は不整脈の持病がある。脈が早いらしい、お医者さんに往診していただくようにしないととも言われた。介護保険の利用についての説明をする女性の人が請求するための用紙を兄に渡し書くようにと、兄が言われるとおりに書いてその人に渡した。もうひとりは民生委員の男性だった。母の状況を見守りながら、私たちの話や説明などにうなずき補足したりアドバイスしたりした。10分ぐらいだったろうか、日曜日なのに来てくれたのは「特別」だったらしい。民生委員の方は母が一人で住んでいると思っていたらしい。電話もつながらないし心配してくださったみたいだ。だから日曜日だと誰かいると思って来てくれたみたいです。実際に兄の携帯電話にかけてもいつも留守電になるのですから、民生委員の方にも心配をかけているようです。明日は私は歯医者に行く予定です。母と兄にそう伝えて帰りました。
2011年02月13日
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昨日作った手作りの洗髪器セットを持って11時過ぎごろ実家に着きました。お昼前だというのに母の部屋はカーテンを閉めて蛍光灯をつけているので私はいつもカーテンを開けて蛍光灯を消します。母は動けないので兄がカーテンを開ければいいのに、兄は蛍光灯をつけっぱなしで、電気代の節約を考えない、言い訳ばかりでいくら言ってもだめです。食べることだけは四六時中食べているみたいで、母は兄が差し出す物を食べています。食べ過ぎて吐くこともあるそうです。胃の安まる時が無いくらいです。今日は何があっても母の洗髪をして帰ると決めている。洗髪道具をセットするにはベッドの周りを片付けないと、いつものように物が置いてある。ほうきとちりとりで掃除してたのではきれいにならないのでAC電源の掃除機も家から持ってきた。どうにか通り道を確保し、まず母の着替え用衣類を用意して着替えをして、床を清潔にして、という作業をする。母はあいかわらず嫌がる、自分が洗濯をするわけじゃないのに大きいのは乾かへんとか言い訳ばかり、母の小言を無視し、どうにか準備ができた。洗髪セットをベッドの頭のほうにセットする。ベッドの布団が濡れないようにシートを敷き、母の頭の位置の調整をするのだが、初めてなのでうまくいかない。用意していた頭置きは低かったのでなんとか代用品で調整した。首から下の体の高さ調整はやわらかい座布団一枚でなんとか調整した。兄にバケツを渡してお湯を用意してもらっていたのがぬるくなっていたのでストーブにかけてあったやかんのお湯を足して少し熱めにして母のベッドの側まで持ってきた。下には濡れないようにシートを敷き、排水用バケツを横に置いて、排水用バスポンプをセットし、シャワーヘッドを取り付けたバスポンプをお湯が入ったバケツにセットし、兄にシャンプーを借りて、いざとりかかる。洗う前に、髪を短く切る。手で髪をつかんで長い部分だけを切っていく。兄に掃除機を用意してもらっていたが手で集めてもいくらもないのでそのままゴミ箱に捨てた。お湯のシャワーを母の頭にかける。シャンプーを手に取り泡だてて頭につけてもんでいく。気持ちいいやろと声をかける。「はい」と素直になった。あれほど洗うのを拒んでいたのに、やっぱり気持ちいいのには負けたみたいだ。「パーマやさんに行ったみたいやろ」と声をかけた。すすぎの時もシャワーでらくらくです。排水もスイッチを入れてらくらくです。終わるとタオルで頭を拭き、洗髪セットをはずし枕を頭の下に敷き、バスタオルを枕カバーの代わりにしておいた。「スッキリしたやろ」と私も兄も母に声をかけた。「はい、はい」と素直になった。しかし洗髪セットを片付けているのを見るとまた小言をいう。「たいそうなことをして」というので、「入院したらもっとたいそうやで、入院するか」というと、「いやや、いやや」という。持ってきたものはすべてまた持って帰る。そうしないと実家には置く場所がない。置いておくと兄がまたどこかに移動してあげくに外にほっぽり出してしまう可能性があるので。母は気持ち良かったのか安らかな顔をして眠ってしまった。しわくちゃな顔で狸寝入りしていた顔ばかり見ていたので、洗髪して良かったと私もほっとした。今日はこれで帰った。
2011年02月11日
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今日は母の介護に行くつもりだ。と思っていると兄から電話、「今日は何時頃来る?」と、お昼頃行くと行った。前から気になっていた、母が頭を洗っていないこと、どうしたらいいかわからなかった。ドライシャンプーというものがあるらしい、でももっといい方法はないかと試行錯誤してみることにした。ネットで「介護 洗髪」で検索するとあった。ユーチューブで見ると、私の理想とする洗髪方法だった。ネットで公開してくださった方には本当に感謝しています。詳しい制作方法も公開してくださっています。早速このことを兄に告げようと実家に向かいました。実家につくと母は枕と背中の間に座布団やらクッションをはさみ上半身を起こし食事をしている最中です。兄に手作りの洗髪セットがインターネットであったことを伝えた。私が作るから待っとって、絶対母に洗髪してやるからと言った。私は、食事中だろうがおかまいなしに、簡易トイレの掃除をして、おむつは?と母に聞くと「換えた」という、着替えよか?と聞くと「いい、いい」という、いいというのは着替えなくてもいいということだ。じゃ、今日はこれで帰るから、洗髪セットの材料を買いに行くからと、早々と帰ることにした。
2011年02月09日
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昨日は介護に行きませんでした。兄が電話で言うには、私がいなくてもよくしてくれているみたいです。9時ごろ電話がかかってきて、今日は来なくてもいいみたいなことを言うので、今日は、昨日ホームセンターに行って洗濯機の給水の蛇口に付ける金具を見てきたので、実家の洗濯機置き場の蛇口は溝が付いていて給水ホースがカチッと付けられる蛇口だったことを伝えたかったのと、兄の衣類の整理のために、衣類を掛けるためのハンガー掛けを持って行きたかったので、お昼頃行くと伝えた。着くと兄はベランダで洗濯物を干していた。忙しそうだったので「てんてこまいやな」とねぎらった。私は家からちりとりを持ってきたので部屋の片隅に置いた。それとハンガー掛けを兄に見せると、それはあるといった。あるならなぜ衣類の整理ができないのか、山のように衣類が積み上げられて、やろうと思っていたと言うが、きっと母の介護でできないのだろうと思った。私が持ってきたハンガー掛けは母の部屋に置いた。洗濯物を室内で干すこともできるのでまあいいかと、部屋を片付ける前に母は洗濯物を室内で干す時のために長い物干し竿を部屋の端から端に紐でくくりつけていた。私は布団を押入れから出す時に竿を取らないと出せなかったので竿を取ってしまった。母にとって部屋の物干し竿は便利な道具だったにちがいない。私から見るとちぐはぐな部屋だった、でも今は家具の配置換えで兄も納得の部屋になった。洗濯機の給水ホースもカチッとおさまり水漏れもなく兄は驚いていた。兄は前の割れた給水ホースを外す時、どんな形で接続されていたのか覚えていなくて、力づくで取り外して捨ててしまったのだった。兄の無頓着さは電化製品の取り扱い説明書をよく読まないところから始まり捨ててしまったのかどこにあるのかわからなくなるのだ。兄はテレビの設定は電気屋さんに頼むのが当たり前と思っている。母の時代はそうでした。でも今は、テレビの設定ぐらいは自分でできる時代、というかテレビが簡単に自分で設定できるように進化しているのです。兄のテレビのアンテナ線がいつも外れているので、おかしいなと前から思っていた。私が見れるようにしたろかといっても、自分でするという。私はネットでテレビを買って設定も自分でしているので出来るで、といい、やっとのことで兄を説得してテレビを触らせてもらうことができた。アンテナ線の短い線をはずして長い線に付け替えるだけの作業だが、目の悪い兄がするには少し難しいかもしれない。ラジオペンチでナットを回してアンテナ線を固定して配線は完了、どうやら兄は有線テレビを前に見ていて、お金が払えなくなって配線をはずしてからそのままにしていたらしい。リモコンもどこかに失くしてしまい、しかたなくテレビ本体から設定することにした。家にあるメーカーと違ったが、設定に成功した。というか、設定はすでにしてあって、入力の切り替えだけの設定をすれば良かったのかもしれない。兄は「電気屋さんに頼もうと思っていた」と、テレビが見れることに喜んでいた。母の介護は兄がやってくれているので今日はこれで帰ることにした。母に菓子パンを渡して帰路に着いた。
2011年02月08日
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きょうは母のもとへいくつもりは無かったが、母が薬を飲んでいないのではないかと心配になって、行くことにした。昼の12時を回っていたが、すぐに帰るつもりで行った。行くと兄が「今帰ってきたばっかりや」といって、買い物してきたのか母のベッドに地蔵盆のように果物やお菓子が置かれていた。衣料品店も行ってきて「安かったんや」といって母のために買ったものを見せた。「安かっても、買わんでも家にあるやん」といったが、とりあわない。母の介護をちゃんとやってるでという主張をしたいのだろう。顔を拭いて、手も拭いたったからなという、おむつはどうかなと見ると母のベッドに敷かれた毛布を見ると母の大便が付着して汚れていた。簡易トイレは大便をした跡があった。おむつはお尻までカバーできずに中途半端で止まっていた。お尻を拭けず、じぶんでおむつを上げられなかったみたいだ。尿パッドをして、毛布を取り換えて、着替えをしてという作業をする。母の体を動かすと痛いというので痛くないようにするには体を引きずりながらしないといけないので結構な力がいる。作業を終わったころ私は汗をかいていた。兄が手伝おうかというが、兄は他にすることがあるので、ひとりでなんとかできると言った。でも今考えると、手伝ってもらって、要領を見てもらって、兄におむつを換えられるようにしてもらったほうがいいかもと思った。私がいなくてもおむつを交換できるようになると母も私も本当に助かるのだが。毛布を交換して着替えを済ませ、薬を飲まそうとしたら、母が自分で飲むと言ったので、吸い口にお湯を入れてもらい、ベッドの上でこぼさないように洗面器の中に吸い口と薬を入れて母の顔の横に置いた。簡易トイレの掃除をして帰ろうとしたら兄が「やっとくで」というので、兄がやってくれるならそうしてもらったほうが助かる。トイレに簡易トイレのフタ付きバケツを置いて、すすぎ用に水の入ったバケツもいっしょにトイレの中に置いて帰ることにした。「来れたらまた来る」と言い残し実家を後にした。
2011年02月04日
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昨日は母のもとへ行くのをお休みさせてもらった。私も寝込んでしまったら母の介護どころではなくなるので、今日は母のもとへ行くつもりをしていた。すると9時ごろ兄から電話がかかってきた、寝ていたところだったので起き上って受話器を取ると切られてしまった。兄は5回ぐらいのコールで出ないと切ってしまうような短気な性格だから、しかたがないのでまた寝た。こちらから電話をするといつも留守電なのにかけてもしかたがない。いっそ兄からの電話は留守電に設定したいぐらいだ。10時過ぎごろまた兄からの電話が鳴った。今度はスッと起き上れたので切られなかった。内容は「タンスを動かしている」という。結局手伝ってほしいらしい、こっちが「手伝おうか」というのを待っている。行くつもりをしていたからいいようなものだが、兄は仕事が無いから家具の配置を毎日変えている。行くたびに家具の配置が変わって休まる時が無く疲れる。母に食べさせたくて朝早く焼いた手作りのお菓子を持って実家に着くと相変わらず足の踏み場が無い。背の高いタンスがドンと置かれ家具と家具で通れなくなっていた。母が寝ているところまで到達できない。押入れの中身を出して小さな家具を押入れに入れようとしている兄がいた。押入れの中身をどうするのかさえ考えずに、物でいっぱいになっていた。その中に母がいた。私は部屋を片づけなければいけないのは分かっていたけど、いっぺんにはできないと思っていた。兄はいっぺんにしてしまおうとしていたらしい。介護は後回しになってしまった。私はとにかく押入れのゴキブリのフンの掃除を先にして、押入れに入れなければならないものを順番に入れていった。母の悪い趣味は、家にあるのに同じようなものをまた買ってしまう、兄もそんなところがある。母はそれが”ふとんと毛布”だったので始末が悪い。出てくる出てくる布団と毛布が、二間の押入れの上段がそれでいっぱいになった。布団と毛布はゴキブリのフンで汚れないようにビニール袋に入れているので押し込んでもすべって落ちてくる。ふすまを閉めると今度開けた時にふとんが引っかかって戸が開かなくなる。下段は母の衣類と雑貨を入れるといっぱいになった。衣類は収納箱に入れているがどこに何が入っているか分からない。母はそんな様子を見て小言を言っているが無視しないと作業ができない。ダンボ-ルの箱をすべて処分すると中身は大したことはない。ごみ袋10枚もあれば充分入る。ごみ袋に衣類をずっと入れておくつもりはないが、とりあえず仕分けしないといけない。何もかもいっしょくたに入っているのでひとつ探すのに苦労する。今までのつけがこうさせているのを母は何もわかっていないだ。一段落して、肝心のタンスがまだドンと置きっぱなしだったので、置くところに置くことにした。兄の部屋のベッドを動かしてやっと置くところに置けた。肝心かなめの介護に移ろう。今日は尿パッドを取り換えるだけでよかった。母の手を拭いてお菓子を与えると、「家で作ったん?」といって「うん」というと口に入れてもぐもぐ食べた。「おいしい」と満足してもらえたようだ。今日はこれで帰ることにした。兄に「薬をちゃんと飲ませてな」といった。でも、飲ませてないみたいだ。「飲まへんのや」といいわけばかり、「飲まへんかっても飲まさなあかんのや」といったが、話が平行線なのでこれ以上何もいうことはない。母は「ありがとう」といって私を見送った。
2011年02月03日
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今日で連続6日、母の介護に行った。結婚してからこんなに母のもとに連続で通ったことはない。今日の母は昨日より良くなっていた。体は横になっているが意識は目覚めてしっかり目があいている。私と兄がやりとりしているのを目で追いながら気になるのか、声を掛けてくる。どうやら母は山を越えたみたいだ。尿パッドも自分で取り換えられるようになった。おむつはまだ換えられないし、簡易トイレの掃除もできないので私はもう少し続けて通うことにした。同居している兄は、簡易トイレの掃除はできないという。おむつも換えられないという。以前、兄は就職口を探す時、すすめても「できないものはできない」と最初からあきらめていた。強くすすめても逆に大きな声で怒鳴る始末、できなくても努力してやろうという姿勢がまったくない。仕事を転々としてきたのは「できないものはできない」を当然のことのように甘えて生きてきたからだ。努力するということがどんなものか分からないで生きてきた。まるで子供のように。そんな兄に無理強いしてもまた怒鳴られるだけだった。不思議なことに、怒鳴った後はスッキリしたのかまたいつもの調子で声を掛けてくる。私は怒鳴られている時、死んだ父を思い出す。兄は父の悪いところが生き写しだった。兄が怒鳴っている時、トラウマで私は逃げ出したくなる。子供の時、父に激しく叱られたときがあった。暴力で叱ってくる、戦争に行った父の教育方針なのかどうか、私は恐怖心で泣きっぱなしだった。その時の思いは大人になってもトラウマで一生消えることはない。父がアル中で肝硬変で死んだ時、悲しいと思わなかった。自業自得だと思った。神様の罰が当たったとおもった。しかし、時がたつにつれて不思議と涙が出てくるときがある。やさしいときもあったなと、いつもいつもやさしいときなんて、絶対無理、母は今は弱っているが、怖い時もあった。私は母の子供なんだから、と肝に銘じて介護を続けようと思っている。
2011年02月01日
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今日も母の介護に行きました。着替えを私のお古でとバッグに詰め、衣料雑貨店で母の着替え用のフリースのズボンとおねしょマット他を買って行きました。今日は兄が母の食事の介護をしてくれていました。私が母の介護を始めてから母が起きているのを見たのは2回目です。介護初日の起きているときに比べると表情が明るくなっていました。私が毎日来てくれるというのがうれしいらしく、明るく笑っている母がいました。兄も毎日どこかに出歩いて外出がちだったのが、私が毎日来ると家に居るようになったので二重の喜びでもあったようです。今日は昨日より調子がいいみたいです。私も母がちゃんと食べているのを見て安心しました。兄との確執は母の介護を通して兄とも意思の疎通をしなければならない時期なので、過去の兄との嫌なやりとりはもう終わったこととして譲らないと母の介護をのりきれないと思いました。今日は母が初めて大きなほうの便を簡易トイレでしました。その間に私はおねしょマットを布団と敷毛布の間にはさみました。それまで代用していた古い布団圧縮袋もそのままにして、今日は敷毛布が尿で濡れていませんでした。昨日の交換時にパッドを二重にしたからかな、でも母は一枚のほうがいいみたいなので今日は紙おむつをするときに一枚だけ尿パッドをつけました。服も下着も濡れていなくて、今日は上半身の着替えをしなくて良かったので母もつらくなかったようです。でも明日はどうかわからない、介護は毎日が変化するので気は抜けない。母の髪をとかしてネットをかぶせ、フリースのマフラーを首に巻き、肩を冷やさないように就寝用肩パッドを巻いていると暖かくなったのか母は眠くなって横になり寝てしまいました。さあそれから片づけをしないと時間もあまりない、兄に手伝ってもらい一部の家具の配置換えをしました。まだまだやらなければならないことがいっぱいあります。とにかく言っては悪いがゴミ屋敷みたいな家を片づけるのですから、ひとすじなわではいきません。家に帰って猫に餌をやり、洗濯をして、仕事から帰るとお風呂を洗い、犬の散歩をして、夕飯を作り、食後にテレビを見ながらうとうとと寝てしまっていました。疲れているのは私だけではないはず、日記を書きながらそう思いました。
2011年01月31日
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昨日頼まれた紙おむつを買うためにドラッグストアに寄った。男女兼用Sサイズと尿パッド、お徳用でも結構な値段だ、私のおこずかいで賄っていくしかないので、これからは何かを節約していかないと、今の新聞配達の仕事はもちろん辞められない。母の好きな菓子パンとロールケーキと牛乳も買って行った。実家に着くと兄はあいかわらず外出していた。冷え冷えしていた家の中はゴミ屋敷状態だった。母は寝ていたので、起こすよりも先に台所の流しの前を片付けないと足の踏むところが無い。どこから手をつけたらいいか分からずただ茫然としていたが、手当たり次第に物を動かそうと思った。片づけられない部屋、どうしてこんな状態なのか、いらいらしてくる。母の部屋からは尿の匂いが充満している、その中に母が寝ている。ちゃっちゃっと片づけて、洗い物を済ませ、母のもとへ、想像以上に尿漏れはひどかった、敷き毛布とその下の布団とその下のベッドまで浸み付いていた。紙おむつを買ってきたから、着替えよな、と言って横になったままの母を動かそうとすると痛い痛いという。腰が痛いらしいのだが、左足からぼとぼとに濡れたズボンと下着を脱がして、紙おむつを片足ずつ通してはかせた。寒いからフリースのズボンも片足ずつはかせようとするが腰を浮かすのが痛いらしく、浮かせないでズボンを母の腰と毛布の間をすべらしながらひっぱりながら何とかはかせた。でも毛布が濡れているのでまた浸みてくると思い、毛布と布団を換えようかと言うと、”いやもうええ、もうええ”という。”もうええ”というのが母の口癖だった。いつしか私も兄も ”もうええ”というのが口癖になっていた。母の体は、拒食症のような体になっていた。骨と縮んでだ垂れ下がった皮膚、曲がってしまった背骨、エビのように体を曲げて寝ている。おなかが空いているだろうと母に買ってきた菓子パンを与えた。喜んで食べた。ロールケーキも母に渡したが、それは兄に食べられてしまうことになるのだった。今度買うときは母の食べられる分だけにする。私が兄を嫌う理由は、兄は自分勝手だから、気に入らないと大きな声で怒鳴る、昔からだった。頭が変じゃないかと思うときがある、自分の思った通りにやりたい、やさしさなんかこれっぽっちもない。あるのは物欲と食欲。母がかわいそうで、私のところに来るかというと、嫌や嫌やと泣きながら拒む。私の夫に悪いから、こんな格好で行かれへんと、入院も嫌やと言う。それなら無理にとは言わない。母の好きなようにさせてやろうと決めた。もう帰ろうとしたら兄が帰ってきた。洗い物をしてきれいにしたでというと、”あホンマや”といった。後日、それがまた元の状態に、ごちゃごちゃになるのだった。兄はごちゃごちゃにしているほうがいいみたいだ。もう洗い物はしないと決めた。
2011年01月28日
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昨日の午後1時過ぎ、母と二人暮らしの兄から電話がかかってきた。「おばあちゃん風邪ひいたみたいで寝とる」と、こんな時間にかけてきてもどうすることもできないので、とりあえず容態を聞くだけにした。緊急性があれば救急車を呼ぶか?母は86歳、骨粗鬆症で10年以上患っている。発症時期は接骨院で治療してもらっていたが、よくなったり悪くなったりで全体的に良くなりそうもなかった、投薬治療に変えたほうがいいかもと整形外科に通うようになった。私はタクシーがわりに送り迎えをしていたが3年前から薬だけ兄が貰いに行くようになった。私の負担も軽くなって助かったと思っていたが、母も本当は病院通いがつらかったのかも、私に遠慮して電話もかけなくなっていた。兄が固定電話を解除してしまって、母が電話で話すこともなくなってしまった。兄の携帯電話だけが連絡手段だが、こちらからかけるといつも留守電で、もういいやとメールを書いて送信することにしている。兄については腹立たしいことがあったので母には可哀想だが実家には前みたいに寄りつかなくなっていた。母に会いたくて寄ると兄とうまくいっていないのが悲しくて泣いていたが、本当は私が寄りつかなくて寂しくて泣いていたんだと今思い出して後悔している。元気な時にもっと帰っていたら良かったと今は後悔している。お昼過ぎごろ母にお土産を買って実家に着いた、母は風邪なんかで寝ているんじゃなくて腰が痛くて動けなくて寝ているんだと分かった。母のためならと買ってあげた簡易トイレがベッドのそばに置いてある。いつから寝ていたのか母は簡易トイレさえいけなくなって、布団もベッドも尿漏れで臭いがしていた。無理して起きた母は、寝起きの顔をしていた。お土産を見せてネーブルを食べさせると朝から何も食べていないといい、「おいし~~」とものすごく感動してくれた。まるで絶食がとかれた囚人のようだったのか、声も弱かった。なぜこんなになるまで、、、、兄は母の体のことを暖かくなったら治るだろうと思っていたらしい、母はいつも我慢強い人で自分が辛抱してさえいればいいと、人のためだけに生きてきたような人だった。兄のことを思い、私のことを思い、黙って耐えていたのかと思うと、日記を書きながら涙があふれてきた。私は夕刊配達があるのでもう帰ろうとしたら兄が帰ってきた。兄は働き口を探してハローワークに行っていたというが真相は分からない。家の中がゴミ屋敷みたいになっているのに、母の介護もせずに毎日どこをうろうろしているのか、腹立たしいことばかり、家の中はいらんものばっかりごちゃごちゃ、リサイクルショップで安かったとすぐ買ってくる。家にあるのにまた同じようなものを買ってくる。椅子なんか今まで私がじゃまになるからと5脚ほど持って帰ってもしばらくするとまた違った椅子が置いてある。6畳二間と4.5畳ダイニングキッチンのアパートという限られたスペースでどれだけ物を置けば気が済むのか、、衝動買いの安物買いの銭失いとは兄そのもの、今まで使ったお金を無駄遣いせずに母のように節約しながら使ったらどれだけ貯金できたか分からない。それが貯金ゼロ、借金は無いだろうと思うけど、今後もしお金が必要になった時どうするんだろうか、私に飛び火してくるのが目に見えている。現にアパートの保証人が私になっている。私が今まで兄にとあげものは皆捨てられてしまったのか誰かにやったのか家の中には無い。そんな兄の性格は昔からだった。ここに書けばどんどん出てくるのできりがない。捨てるならあげなかったという思いがこみあげてくる。あげたものは壊そうが捨てようが貰ったものの勝手かもしれないが、次から次とあたらしいものを買う行為はもはや病気だ。母に戻そう、母は私に紙おむつを買ってきてと頼んだ。私は時間が無いので兄に頼もうかというと、私に買ってきてとしきりに言うので、じゃ明日また来るねと、後ろ髪をひかれる思いで実家を後にした。
2011年01月27日
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我が家のリビングのアナログテレビももう少しで地デジに変わります。ランボーの居眠り場所がひとつ無くなります。薄型になっても飛び移ろうとしたら大変なことになるかもしれないので、テレビの上に棚を作ろうかと考えています。
2010年11月15日
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久しぶりにアップします。みんな元気です。まずはランボーモモゴンタカール(私的には、ハチと呼ぶ時もあります。ハチの映画を見てからカールがハチに見えてきて)ゴンタは目の手術(まぶたをふさいで角膜を再生する手術)を二回、モモは前足の爪を抜く手術をしました。ゴンタの目はモモの前足の爪のひっかき傷で失明寸前でした。ゴンタが一回目の手術を完治したにもかかわらず3カ月もしないうちにまた傷ついて、眼薬で完治したのもつかのま、また傷ついて二回目の手術をするときに原因は猫どうしのけんからしいと獣医さんから告げられ、思い当たる節があったので、モモの抜爪の手術を後日していただき、今はどちらも元気にしています。今のところ目の異常はないのでやっぱりモモの爪が原因だったのかなと、手術して正解だったと思いたいです。モモは爪とぎもしますし高いところも登れるようになって順応してきたようです。爪が無いってかわいそうと思ったけど、団体生活するうえではそれも仕方がない、大事なことを優先しないといけないので、費用もかかったけどまた働いて返します。そのためにも健康第一です。ではまた♪
2010年09月19日
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ひさびさのアップです。朝晩が寒くなりました。 モモ 4才。 目線は家の窓に向いています。外で遊びたいけど、窓を閉められるのが嫌な性格です。外に出たがるので、リードをつけて窓から出して、窓を閉めると、なんで閉めるのという顔をして引き返してくるので、もう帰るの?と窓を開けて入れてやろうとしたら、窓が開いて安心したのか、まだ家に帰りたくないのか、入ろうとしない。窓を開けたり閉めたりの繰り返しで、私は、いったい何をやってるんでしょう。ちゃんちゃん♪
2009年10月24日
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メイがいなくなって4カ月をすぎました。心の傷は少し癒えました。メイの代わりなんていないんだけど、犬をまた飼う決心をしました。メイと同じ犬なんていないと思うけど、似た犬はいるかもしれない。来週、動物管理センターに行こうと思っています。初めて行くので緊張していますが、飼い主を待っている犬達を見てきます。メイの写真を貼ろうと探していたらまた泣いてしまいました。在りし日のメイの後ろ姿と、部屋の中からメイを見るモモの後ろ姿です。
2009年07月15日
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メイちゃん、おはよう!昨日は一日中小雨模様でなんだかすっきりしなかったけれど、今日は気持ちのいいお天気だよ。メイちゃんが天国に行って、もうすぐ3カ月になるね。この家でメイちゃんが過ごした歳月と同じぐらいの歳月が経っても、メイちゃんのことを忘れることができないよ。メイの写真がプリントされている診察券が財布に入ったままになっていて、どうしても捨てることができないよ。メイの首輪もリードも捨てることができないよ。きっとまた、メイが元気に走って帰ってくるような気がして、そのときのためにと、置いてあるんだよ。きっとまた、帰ってくるような気がする。その日まで、ずっと待ってるよ。帰ってきたら、散歩に行こうね。メイが疲れるまで、行こうね。
2009年05月18日
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メイが死んでから一か月が経ったね。あれからいろんなことがあったよ。わたしの仕事がいそがしくて、メイにかまってやれなかったことを後悔しても遅いんだけど、仕事を減らしてもらったよ。でも、メイは、いないんだよね。メイと歩いた道を見るたびに涙が出てくるんだよ。大好きな散歩に連れて行くと、よろこんで、しっぽをちぎれんばかりに振って、わたしが引っ張られてこけてしまったこともあったね。そんなできごとを思い出すのは、春になって、花が咲いて、道は何も変わっていないから、メイもいつものように走って、歩いているような気がして、たまらなく涙があふれてくるんだよ。庭の梅は満開になって、もう散り始めているよ。自転車置き場に屋根を作ったよ。メイの小屋はまだそのままにしてあるよ。いつでも帰ってきてもいいんだよ。走るのに疲れたら、帰ってきて休むといいよ。でも姿が見えないから、いつ帰ってきたかわからないね。パソコンをいじっていたら壊れてしまったよ。リカバリできず立ち上がらなくなってしまった。リカバリCDもないし、でも6年以上使ったからそろそろ買い換えようと思っていたから、新しいのを買ったよ。ハードディスクを取り出して、USBにつなぐ外付けハードディスクにして、音楽と写真のファイルは残すことができたよ。外付けハードディスクはお店の人に教えてもらったんだよ。ハードディスクが壊れていなければデータを取り込めることができるって。徹夜でパソコンを分解したよ。やる気があればわたしでもできるって、なんだかうれしくなってね。メイの写真が残っているのが、唯一ほっとしたよ。失くしたデータはあきらめるしかないけどね。こんどはもうあんまりいじらないことにしたよ。新しいパソコンは賢いパソコンだから、あんまりいじらなくてもよくなったんだよ。賢いけど、なんだか前のがなつかしい気がして、サブのパソコンを中古で買おうと思っているんだ。今度は失敗しないように、大事に使うからね。それじゃ、今日はここまでね。また、時々こんな風に、天国のメイに手紙を書くからね。
2009年03月25日
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昨日の夕方、散歩中にリードが外れて、メイが道路に駆け出して、私は後を追いかけた、前にもこんなことがあったがなんとか事なきを得た、危ないから早く捕まえないと、歩道から車道に飛び出したとき、間に合わず、車に轢かれて、・・・・・死んだあっという間の出来事に、・・・・うそやろ・・・・これは現実ではない、夢を見ているのや・・・・でも・・・確かにこれは現実だった車道のまんなかにいたメイを端に持ってきた時はまだ動いていた、私は外れたリードを首輪につけようとメイの首輪をもって、薄暗い外灯で、リードをつける個所をさがしていたその間メイはいやがり、私の手を噛みついてくるもう走ることができないメイにリードをつけようとしている私はいったい何を考えていたんだろうその間にメイは大きな声でたてつづけに8回以上吠えつづけ、止んだ時にぐたっと首を垂れた轢いた車の運転手は女性で車を止めて様子を見に来てくれたメイは脚をぴくっとけいれんさせていた、それから動かなくなった「動物病院につれていきましょうか」という言葉に促されて、とりあえず家にいる主人に電話をしてこっちにきてもらったいつも行く動物病院に電話をして、主人はメイを抱いて私の車に乗せ、一縷の望みをかけて動物病院へ、スタッフの方々の懸命の処置もむなしく、メイは内臓破裂で呼吸が停止していた口から呼吸器の管を抜いた時、肺からの出血を思わせる血が管に溜まっていた獣医さんは助けられなくて謝っておられたが、瀕死の状態で運び込まれてもまず助からないのに、私は何を期待してつれてきたんだろうと考えた獣医さんはメイの体をきれいに拭いてくれていた、家でメイの体を拭いているときにタオルに汚れがついていなかった院長先生のやさしい言葉をきいて、それまでこらえていたものがあふれてきたメイが元気だった頃、診察室で注射する時も尻尾を振って愛想をふりまき「賢い子」「良い子」「やりやすい子」と誉めてもらっていたことを想い出したそれからの私は一人になると泣きつづけたなんてばかなんだろう、みんな私が悪かった、メイに、ごめんねと謝っても謝っても届かない主人は思いっきり自由に走って死んだから自業自得と思い込もうとしているでもいくら言ってもメイはもういない 9歳と11ヶ月だった主のいない犬小屋がむなしい どこまでも続く草原で思いっきり走ってるんやろな
2009年02月25日
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4ヶ月ぶりの更新です。といっても特に変った事は無いのですが、らんぼうが去勢手術を済ませて一週間、小さい時に手術したほうが大きな変化が無くて良いそうです。ちょっとはおとなしくなったかなと期待していたのですが、らんぼうな性格や癖は変らず、すこしほっとしたようなこの頃です。我が家にて、めずらしくスリーショットでおさまってくれました。
2008年04月14日
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らんぼうが家に来て2ヶ月になりました。先住猫とはすっかり仲良しになって・・というか小さい猫だから大目に見ているところもあるのか、やんちゃぶりに手をやいているしまつです。さて、動物病院に行かなければならないことが起きました。水のような物を続けて吐くので処理している時に吐いた物を見て愕然としました。まさか回虫がお腹の中にいたとは・・、獣医さんに便の検査をしてもらうと卵がみつかりました。獣医さんの説明では感染源は母親の母乳かららしく、駆除するには1年間は薬を投与しなければならないそうです。薬は少量の液状を頭の後ろの毛をかきわけて皮膚に付着させるもので、私でも簡単にできるというものです。それと獣医さんに見てもらいたいことがもうひとつあったので、この機会に聞いておこうと、「男の子か女の子か、どっちでしょうか?」と、獣医さんは見ながら「女の子です」といったけど、触っているうちに「あ、ごめんなさい男の子です」と言われた。わたしは、あ、やっぱり・・そうだったんだと思った。なんとなく男の子っぽい感じがしたから、ひょっとしたらと思っていた。子猫の時は獣医さんでも見ただけでは性別が分かりにくいものなんです。我が家初の男の子だからでしょうか、一人で暴れまわるらんぼうを先住猫たちは珍しいものでも見るように眺めています。時折近づいては鼻を突き合わせて臭いを確認しています。悪さをしても怒る気になれないくらい屈託の無い無邪気な顔をしている。らんぼうは我が家の太陽です。
2007年12月12日
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お久しぶりです。なんとか生きておりました。日記をサボっていたのにはいろいろありまして、時間が無いのはもちろんですが、少々疲れて休んでおりました。さて突然ですが、家族が増えました。「らんぼう」と命名しました。最初は「ラム」だったのですが言いにくくて、そのうち大きくなるにつれて噛んだり乱暴になってきたので「ランボー」という映画のタイトルをもらって「らんぼう」になりました。拾った所が土手のススキの間に隠れていたので、まさに子猫にとってはジャングルの中にいるようなものです。10月12日。犬の散歩で、ウンチの処理をしている時に猫の鳴き声がして、必死に鳴いているので、腰の長けほどある草を掻き分けると、まだ歩く事も出来ない小さな子猫が体を震わせてじっとしていました。栄養失調で死んでしまうかもしれない、カラスかキツネに食われてしまうかもしれない、もう放って置くことが出来ずにほかほかのウンチを入れたカバンに入れて走って持ち帰りました。家人はあきれておりました。「二匹も三匹も一緒や」という理由をこじつけて飼う事になりました。「ごんた」と「もも」は何やら迷惑そう。心配しないで、愛情が薄れる事は無いからね。みんな仲良くしてね。猫三匹犬一頭、もうこれ以上は飼わない、飼えない。ということで、可愛い盛りの「らんぼう」は走ることを覚えて、起きている時は走ったり噛んだりと常に動いています。らんぼうが来たおかげで笑う事が多くなりました。
2007年11月25日
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サイズが合わなくなったりしたGパンのポケット部分を利用して収納ポケットを作りました。収納棚の扉の裏に掛けてこまごました雑貨を入れています。 製作時間は思い立ってからゆうに3ヶ月ぐらいかかったかな。できるときに少しずつやっていくという作業をくりかえしやっとできました。古布ですが裏に綿の接着芯を貼ったので見栄えがよくなりました。綿接着芯は手芸ナカムラで5色セット税込み609円で購入、不織布じゃない接着芯が欲しかったので、ちょっと薄い生地ですが仕上がりはとても満足です。 平ひも7色セット税込み525円も購入、30m巻き75円なんて驚きの安さです。紫のひもを使用しました。
2007年06月30日
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裁縫箱の整理をしようと、プラケースをコーナンで買ってきて自分流の裁縫箱ができました。手芸の店ラヴリーで買った、糸切カッターと糸通しが入っています。糸切カッターのプラケースは子供のゲームのなんかが入っていたもので丁度いいサイズでした。キルト綿をいれて安定させました。使うときはミシン糸の糸たての穴に入れておくと便利です。小さいものなのでいちいち探さないですみます。糸通しは、びっくりするぐらいよく通ります。1回で簡単に通ります。私の宝物にしたいです。
2007年06月20日
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布の但馬屋さんで買ったかわいい布でアイロン入れを作りました。箱はアイロンが入っていたダンボール箱を芯材にしてキルト綿を全体にまいています。底はキルト綿を二重にしてアイロンのテフロン加工をやさしく保護しています。
2007年06月19日
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メイドインチャイナが危ない健康被害を及ぼし外国では死者まで出ているというではないか口に入れるものは、どこまで信用できるか不安だとくに加工品が原材料の表示がされていないのもあり日本で加工しても産地が中国という可能性もある日本のメーカーとよく似た表示で売り出している製品もある前の日記で「香醋」を紹介して、販売者が「再春館薬品」ということも書いたが「再春館製薬所」と勘違いしそうな名前だなんだか・・・・くさくなってきた「香醋」じたいは悪くはなさそうなのだが、しばらく買うのを辞退して様子を見たほうがよさそうだ黒酢はいままでどおり続けて飲んでいきたいけど何を信用したらいいかわからなくなってきた
2007年06月19日
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久々の日記です。私が最近はまってる飲み物は、黒酢と牛乳に香醋を入れたヨーグルトもどきの飲み物です。黒酢と香醋は楽天市場でも売っていますが送料込みだと高くなるので私は薬局で買いました。きっかけは、黒酢を飲みやすくするために水の代わりに牛乳を入れてみたことから、香り付けに香醋を入れて飲んでみたところ、まろやかな味に目からウロコ、新しい味にはまってしまいました。好き嫌いがあると思うけど、香醋と牛乳は合います。コップに黒酢10ml+ジュース10ml(赤葡萄がおすすめ、無ければ、りんご酢でもいい)+牛乳150ml+香醋10mlの順番に入れます。分量は適当です。好みで牛乳の量を調節します。混ぜると泡が出てきますので私は混ぜないでそのまま飲みます。香醋の香りが残るヨーグルトのようなとろみのある飲み物になります。牛乳にジュースを入れると牛乳が分離する性質があるのでジュースは少しが無難です。ジュースは飲みやすくするために入れるだけなので、はちみつでもいいし、就寝前なら梅酒でもおもしろいでしょう。いままで、黒酢を原液で飲んだり水で薄めて飲むのは、すっぱくて、飲む前には心構えが必要でした。無理して飲んでいると胃を荒らしてしまって、唇に湿疹ができる症状が出て体調を崩してしまいます。健康の為に黒酢を飲んでいて、体調を崩してしまったら元も子もなくなりますよね。牛乳の乳脂肪分が胃の粘膜を守ってくれるので胃を荒らすこともなくなるでしょう。黒酢がダイエットに効くかどうかは、相乗効果で効いていると思いますが、牛乳を入れることでカロリーが高くなるので、これもほどほどにしたほうが良さそうです。私が飲んでいる黒酢【オリヒロ 純玄米黒酢720ml】 398円
2007年03月24日
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タバコを吸う人の気持ちはわからないけど吸わない人の気持ちを知ってほしい。すれ違いざまにタバコ臭いのは、息が詰まるほど苦痛というほかない。一旦体に入った煙を吸わされるのですから、体に入る前の煙とは違う独特の臭さがあって、ニコチンが極度に凝縮されたような、言い表せない臭さですね。早朝バイクに乗って走っていたとき、対向車の軽トラックの運転手が吐き出したタバコの煙を吸ってしまった事があった。早朝の空気のきれいなときだったから、まさかタバコの煙が鼻と喉にもろに入ってくるとは、咳が出てしばらく喉が痛かった。煙が出るとわかっていたら避けることもできるが、避けられない事態に遭遇するとどうすることもできないときもある。 好きなタバコを吸って体を害するのは吸った本人だから。でも、近くに吸わない人がいると吸わない人も煙を吸っていることになるから、吸わない人にとっては迷惑ですよね。吸った人と同じ病にかかる場合もあるそうです。健康管理がちゃんとできる人なら禁煙しなくても、社会のルールに従って誰にも迷惑かけないでタバコを吸えばいいんじゃないですかね。私が一番言いたいこと、吸いがらのポイ捨は、やめてほしい。公共の場はゴミ捨て場じゃない。ポイ捨てがかっこいい?それはおおまちがいです。
2007年02月26日
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すがすがしく、生きるって、楽しいね犬を散歩していて、いつも気になっていた道に落ちたゴミを横目で見ていやな気分で散歩していたけど、今日はそんな気分は飛んでいった気になるゴミを拾うことにした誰かが拾わないといつまでもゴミがそこにあるから自分の家の前なら、他人が捨てたゴミかもしれないけどきれいにしようと思わないのだろうかそれならもう自分で拾ってやる小さな袋を持っていたので、入るだけで終わるつもりだった途中で大きな袋が落ちていた平気でゴミを道に捨てるやからが捨てていった袋でもこうしてゴミ袋として役に立つ近頃、スーパーの袋でも5円の出費のところもあるぐらいでそれを考えるとこうして落ちている袋は5円捨てているってことになるもったいないことです30分ほどで、いつもの散歩道が見違えるほどきれいになったすがすがしい気持ちで散歩できるって楽しいね 道は誰のものでもない、汚さないでほしい汚れても、きれいにしようとする人がいないきれいにしても、また汚す人がいるからだからきれいにしないのか、汚れっぱなしでいいのか市の職員がきれいにしてくれると思ってるのか税金はらってるから、汚していいと思ってるのかタバコのすいがら、ちりがみ、お菓子の袋、空き缶飼い犬の糞、迷惑きわまりないたん、ツバはちりがみで取って、鼻をかんだちりがみと同じナイロン袋に入れて持って帰るべし花粉症の人は、小さなゴミ袋を持ち歩くべしタバコを吸う人は吸殻入れを持ち歩くべしお菓子の袋、飴玉の袋は持って帰るべし空き缶、弁当殼は持って帰るべしそれが良識ある人間らしい生きかたすがすがしく生きる、生きかた
2007年02月26日
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女性を【子供を生む機械】という、問題発言をした柳沢厚生労働大臣は、仕事をしっかりやって結果を出したいと言い、問題発言の責任を謝る事でうやむやにしようとしているように思いますが、柳沢大臣は細やかな気配りが欠如しているのです。もう少し細やかな人間の心を持って欲しいですね。少子化問題をどう考えているのか、そしてどんな仕事をしようとしているのかよくわからないところもありますが。ひょっとしたら本当に子供を産む機械を作るつもりかもしれない。ロボットか、たしかに、ロボットなら文句も言わないし、政治だって牛耳ることができる。いじめもない、通り一辺倒の教育が可能だ。SF映画に人造人間の映画を見たことがあったが、将来そうなるかもしれない。機械も人間が作るものだから、ロボットにも人の心のように感情を自由に操作できることもできるかもしれない。そうなれば、機械でも子供を作りたくないというアクシデントも出てくるだろう。ロボット同士で戦争が起きるかもしれないし。もう人間の出る幕はないかもしれないし。人間は極少数民族になってるかもしれない。地球温暖化がこのままどんどん進んで、世界中の希少動物がどんどん絶滅していくなかで、人間だけがかろうじて生き残る可能性があっても、絶滅しないという保障はどこにもない。何百年後という段階にきているんじゃないか、今さえ良ければいいという考えでは、少子化の波は止められないだろう。子供の未来を希望あるものにするために、今、何をするべきかよく考えよう。日本に生まれて良かった、という政治を、社会を作らなければいけないんじゃないでしょうかね。それが、どうでしょう、今の日本は、悪いことを悪いと言えないようにする人間がいる。事なかれ主義を通す人間がいる。犬の迷惑ウンチを見なかったことにする。たばこのポイ捨て、ゴミのポイ捨てをしても平気な人間がいる。市民の血税を湯水のごとく使う人間がいる。自然を破壊する人間がいる。見ざる言わざる聞かざるがもっともらしいという人間がいる。本当にそうなんでしょうか、人は大事な時こそ、目を見開いて、外の声を聞いて、声を発していくことが望ましいのではないでしょうか。 人間はロボットじゃないから、子供を生もうが生もまいが個人の自由だ。希少動物に子供を生め生めと言っても生めないように、 人も生め生めと言われて子供を生めるものでもない。生みたいと思うようにさせることが大事です。将来を見据えた環境を作ること、それは教育改革だったり、福祉改革だったり、法の改革をやらなければならないんじゃないでしょうかね。 いい国 日本をつくる !って総理大臣がおっしゃってましたね。気持ちはわかりますが、のんびりすぎます。身内に甘い! もう少し厳しく行って欲しいですね。
2007年02月12日
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変な夢を見た次の日、結果、仕事をドジッてしまった。やっぱり、でも、起こることが夢で暗示していたというのは薄々感じていたけど、それだけで済んでよかった、でも、気をつけないといけない、まだ終わっていないかもしれない。時間差でやってくるかもしれない。いつもと同じようにしないと、変わったことをすればまたドジッてしまいそうだからどんまいどんまい・・・・
2007年02月12日
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今から24時間前に見た夢の話目覚まし時計を設定していたが、設定時間よりも早く起きてしまった。もう起きなきゃと、寝ていても、ゆっくり寝ていられなくて、ウトウトしながら寝ていた時に、見た夢は、夢が時間を先行していて、起きる時間が来てあわてて起きた。仕事に行かなければいけない、しかし、目の前に起きていた事態は散々たるものだった。時間が無いのに、なんだこの事態は、およそパニック状態に近かった。冷蔵庫の扉が開いていて、中のものが出て溶けていた。氷の袋が水の袋になっていた。出ているものを冷蔵庫に詰め込もうとしても詰め込めない。水の袋を凍らせても使える状態にはならないだろうと思いながら、ぶにょぶにょになった袋を一生懸命詰め込もうとしている。でもなんだかおかしい、なんでこんなに氷の袋がしかも大きい、冷凍庫に入りきれない。冷蔵庫に氷はおかしい。しかもメリケン粉が白くこぼれている。誰の仕業か考えていた、猫にしてはひどい、誰が、誰が・・・。混沌としている時に目が覚めた、時間が逆戻りした。夢だったのか、安心したけど、氷が溶けたあの袋がいつまでも脳裏に浮かんで消えない。まるで実際に起きているかのようなリアルな感触さえあった。 その日は、何か起きなければいいと思っていた。結局何事も起きなかった。では時間が来ました、仕事に行ってきます。
2007年02月11日
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いつもお忙しい方という一般的なイメージから考えると早いご帰宅は意外という感じがしますが、しいて遅くまで残ってする仕事が無ければ早く帰宅するのは普通じゃないですかね。わたしの学生時代は放課後に学校であまり遊ぶという事も無くまっすぐ家に帰る帰宅部でした。社会人になってもそれは変わらず、よりみちもせずに帰宅するというのは普通の事です。家に帰ってさほど楽しいことも無かったのですが、学校や職場で神経をすり減らすよりは家にいる方がはるかに精神的に楽でしたから、心を癒しに帰るというのが正解かもしれませんね。たまには買い物をして帰宅することもあります。主人はいつも早いご帰宅です。出勤が早いので帰宅も早くなければ残業時間になってしまうから専務?から「はよ帰れ」といわれるそうです。
2007年02月01日
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『柳沢厚生労働相は29日午前、安倍首相に電話し、自らの「(女性は子供を)産む機械」との発言について、「例え話を使ったが、適切でなく訂正した」などと報告した。首相は「不適切な発言のないようにしてほしい」と厚労相に厳しく注意した。 柳沢厚労相は同日昼、厚労省内で記者会見し、「発言は全く不適切で、女性の気持ちを傷つけたことは申し訳なく、心からおわびする」と陳謝した。その上で、「仕事を通じて、(女性を差別するような)そんなことを考えている政治家ではない、ということを示したい」と述べ、辞任する考えがないことを強調した。』 軽はずみにものをいう大臣というのはそこで大臣失格ですね。しかし、まだこんな考えをもってる人が日本にいることが悲しいです。女性の総理大臣なら絶対辞めさせているところでしょう。安部総理はなまぬるいといわざるをえないでしょう。
2007年01月29日
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2006年12月31日
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2006年12月26日
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