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「 防空ごうの中に おったけど、外の様子が気になって
出てってはイカンと言われたけど ひょこっと見に行ったら
近くに焼夷弾が落ちてきて・・・ 」
今日は旦那さんの実家で、みんなでお経を読み、それから
お父さんの左手の火傷の傷あとの わけを聞いていた。
お父さんは、福島県から富山に移り、駅の裏に住んでいた
時に空襲にあってしまった。。。
顔や首、左手に火傷をしてしまったそうです。
(幸い、顔や首はそんなに あとは残らなかった)
その後、避難所まで歩いて行ったけど、黒こげの死体
がゴロゴロしてる間をぬけ、痛い 助けて と言っている
人々の間をぬけ(みんな自分の事で精一杯)、必死に
歩いていった・・・・。
その時、家は丸焼け。
その後、新潟まで 一週間くらいかけて列車に乗り、
(線路がやられている所がある為、早く進まない)
訳のわからない物まで食べて なんとか たどり着いた。。。
新潟の村上という所です。
そこで 終戦を迎えた、ということです。
終戦直後、小学校にはアメリカ軍がジープに乗って
何十人もやって来ていたので 本当に怖かった、と
教えてくれました。
貴重な事いろいろと 話してくださって
ありがとうございました。
・・・多くの犠牲があり、今がある・・・
本当に忘れてはいけない。
合掌
オリエンタルリリー
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