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2010/06/17
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カテゴリ: はみだし日記
全能なる神よ、今日は二〇一〇年六月十七日でございます。

                                            (by銀河の荒鷲シーフォート)


夕飯に卵焼きが二種類あった。
砂糖が入っているのと、醤油で味付けしてあるのが一つずつ。

実は私、あまり母の卵焼きって好きでない。
お弁当なら仕方ないけど、家で食べる時は結構醤油を付けながら食べてました。
母の作る卵焼きは醤油味で、結構しっかりと焼いているので固めです。

よくよく考えたら、母の卵焼きがあまり美味しくないと思ったのは比べる物があったからですね。




母の卵焼きに慣れていたので、あまり砂糖で味付けした卵焼きって好きではなかったのですが、この祖母のは別。

ものすんごく美味しいんです。
ふんわりとしていて、柔らかくて、甘くて、一個くらいペロッと食べられます。
田舎では昔個米も作ってましたし、和歌山なので梅干しも自家製。
この祖母が作る梅干しも絶品です。
普通に売ってる梅干しなんて目じゃありません。(←プロなんだから当たり前なんですが)

田舎の家って、立て替える前は古~い家で、家の中に更に土足で通る廊下がありました。(土間ではありません)
元々の古い家を改築したからなのですが、主たる部屋からトイレとお風呂、そして祖母の部屋はこのちょっとした廊下を通らないといけないんですが、これが夜物凄く怖い。
んで冬はめちゃ寒い。
だってお風呂のすぐ外が土足の廊下ですよ!
そこからスリッパをはいてメインの部屋まで行って着替えてたんですから。


建て替えてしまって残念です。
道路を広げるためなので仕方ないのですけどね。


そんな家なので、台所も決して綺麗ではありません。
猫に魚を取られてしまうような雑多とした台所の中ですが、この中で食べるご飯が本当においしかったんです。

自家製のお米と梅干し、そして祖母の作る卵焼きがあれば他のおかずなんていらないくらいです。



ちょうど祖父が亡くなって、田舎に法事などでよく帰るようになったのですが、私と妹はやはり洋食派なので十年振りくらいに祖母の卵焼きを食べたんです。

感動しました。
小さい頃はこの美味しさに気付かなかったんですね、もったいない。

あまりに美味しかったので、母に「おばあちゃんに作り方教わって!」とねだりました。(←二十歳すぎてんだから、自分で習えよとは言わないで、笑)

で、あまりに私と妹が熱心に言うので、母もそれ以来滅多に作らなかった砂糖ベースのふんわりした卵焼きに挑戦してくれるようになりました。

成功するのは数回に一回なのですが、今日はその一回が来ました。


もうこれだけでご飯が食べれます。
でも私が全部食べるのはさすがに気が引けるので、母と父用に半分は残しました。


母と卵焼きの話をしていると、母方の祖母の卵焼きも美味しかったそうです。
母方の祖母は醤油ベースだったのですが、残念ながら私は覚えていません。
とにかく料理がおいしかったのは覚えているのですが……
今は好き嫌いの激しい私が、何の好き嫌いもなく祖母の料理は食べていましたし。

家に蒸篭や何やら、道具もいっぱいあった気がします。


それに私が好き嫌いなかったのも、きちんと祖母が食べなさいと言ってくれてたように思います。
3歳くらいだったので記憶は微妙ですが。
そして、お手伝いをしたら必ず褒めてくれて、おだちんをくれました。飴一個でしたけどね。
この飴は毎回決まっていて、今でもこの飴が大好きです。
三角形のいちごの飴です。
これを見ると、いつもにこにこと私に飴をくれた祖母を思い出します。

そして夏は小さな手のひらサイズのソフトクリームを食後にくれました。
今はもう売ってるのを見たことないのですが、どこかで売ってるのでしょうか?
包装してあるのですが、空気がパンパンに入っていて、強く押すとパン!!って音がして口が開きます。
それが怖かったのに、祖父は面白がって毎回そうやって開けてましたね(笑)

今思えば、優しかったけど、しつける所はしつけてくれてたんだな~と思います。
私はおはしの持ち方に苦労した覚えがありません。
物心ついた時にはきちんと持ててました。
どうして私は普通に持てるんだろう?と母に聞いたことがありますが「うちのお母ちゃんちゃうか?お母ちゃんとこにず~っと泊まりに行って帰ってきたら、いつの間にか持ててたし」と言ってました。
あ、うちの母は祖父母の事を「お母ちゃん」「お父ちゃん」と言います。一緒に暮らすようになってからは、祖父は「おじいちゃん」と呼んでましたけどね。

更におむつが取れたのも祖母の所ででした。
おむつをしてたのが、何歳までかは分からないのですが、両親の元へ帰ってきて、夜おむつをされるのが嫌だった記憶があります。
こんなんなくても大丈夫やのに……
と、おむつをまかれながら思った覚えがおぼろげにあります。

母もどうにか祖母の味を再現しようとしているのですが、覚えているのに作れないと言っています。
3~4歳までしか祖母の手料理を食べたことのない私には、そもそも覚えていたら怖いです。
もう少し長生きしてくれたら、私も覚えてられたのかな?
でも妹に至っては祖母の記憶すら不鮮明らしいので、まだ食べた記憶があるだけ私は幸せかもしれませんね。
祖母が亡くなった時、確か妹は2歳でしたし。ちなみに私は5歳でした。
でも私はたくさん覚えています。
祖母といるのが楽しくて楽しくて、子供心にこの時を忘れたくない!!と強く思った事も覚えてます。
ある時、アルバムを整理していると、母と祖母、妹と出かけたピクニックの写真がありました。
妹は母に背負われてるので、私はやっぱり3歳くらいだったでしょうか。
鮮明に覚えています、物凄く楽しかったんです。
本当にこの時が止まればいいのにと思いました。
今でもはっきりと覚えています。


あれ?何だか卵焼きから話がずれて来たな~(笑)

とにかく私は祖父母っ子だったんですよね。
たかが卵焼き、されど卵焼きです。

あのおしい卵焼きを、私は継承することが出来るのでしょうか??(^v^)





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Last updated  2010/06/17 07:54:56 PM
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