キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

★箱と棒



 今のパレスチナの暫定自治区の中にあるベツレヘムという小さな町で、イエス・キリスト様はお生まれになりました。

 ご両親のヨセフとマリヤは、ナザレという町に住んでいたのですが、国勢調査の登録のため、生まれ故郷のベツレヘムに帰りました。
 実家はもうなかったのでしょう。
 それで宿屋に泊まろうとしたのですが、どこも満員で家畜小屋を借りました。
 そこから赤ちゃんの産声が聞こえてきました。
 イエス様はこんなふうにお生まれになったのです。

 イエス様が寝かされた飼葉おけって、牛や馬が餌を食べる箱です。
 牛などは「反芻(はんすう)」といって、いったん食べたものを口から出す性質があります。
 私も犬を飼っていたのですが、餌を食べている様子を見ていたら、食いしん坊は、あまり急いで食べ過ぎて喉につかえたのか、食べたものを出してしまい、それをまた食べていました。(犬も反芻するのかしらん) 
 家畜の餌箱というものは、何であってもあまりきれいなものではないだろうと、言いたいのです。
 イエス様は、そんなところに寝かされたんだ、とそのことをじっと考えていた時に、一つのことに気がつきました。そうだこの「飼葉おけ」というのは、ボクの心の中なんだ。

 たくさんの人がボクをやさしく育てて下ったのに、「当たり前だ!」考えてしまっていたこともありました。
 ボクのような心の清くない人間をお嫌いにならないで、愛してくださるんだ!

 馬小屋でお生まれになり、飼葉桶にお休みになったイエス様は、最後に十字架(棒)にかかってくださいました。
 ボクは十字架のことをじっと考えていた時に、「ああ飼い葉桶と同じだ」と思いました。
 人を死刑にする道具である十字架(棒)も、きれいなものではありません。
 その十字架には、ボクの罪や汚れがついていると思いました。
 けがれが全然ないイエス様が、ボクの罪のけがれにそまったって書いてある。
 そんなことまでなさらなくったって、いいですよぅ。
 でもイエス様どうもありがとう!
 そのおかげで、ボクは今日もゆるされて生きていける。


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