幸せ探し

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2019年05月25日
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カテゴリ: 旅行記

  • 信長の館では、信長の館には1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など絢燗豪華な安土城がここに復元されています。(滋賀県観光情報より)
文献を参考にし釈迦涅槃図や、龍の絵、飛天などがかかれていて、とても立派だった。
また、天子をお迎えするということが言われており、あるいは天皇を擁しての天下統一を信長は考えていたのかもしれない。
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安土城考古博物館の外観
今は特別展が開催されている
織田信長が築いた安土城とその城下町は、築城当時にはその華麗さ豪壮さで人々を驚かせ、歴史の上では、これまでの城や町のあり方を大きく転換させたとして注目を浴びています。しかしながら実際は、当時の記録や絵画資料が少ないため、具体的な姿は充分に明らかになっていません。
この展覧会では、これまでの発掘調査や文献調査で、城と城下町について、いったいどこまでのことが分かっているのか、どのような課題があるのかを紹介します。(HPより)
今までの戦闘のための拠点としての城から、政の中心としての城へと信長は機能を転換させようとしていた。城下町の配置や天主(ここではそうかかれてある)の中身から類推されるということで、それらの文献や、肖像画が展示されていた。
また弥生時代の遺構がでるということで、出土品などが展示されていた。
したは博物館中庭
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その後永源寺へと向かう。
永源寺とは
愛知(えち)川右岸にある臨済宗永源寺派の大本山。南北朝時代、近江の領主であった佐々木氏頼が、寂室元光禅師(じゃくしつげんこうぜんじ)を開山に迎え、伽藍(がらん)を建立したのが始まり。その後も永源寺には高僧が集まり、佐々木氏の庇護のもと盛時には2000人もの修行僧を擁したといいます。戦乱の時代には兵火で衰えましたが、江戸時代に一絲文守禅師(いっしぶんしゅぜんじ)が住山されると、後水尾天皇や東福門院らの帰依を得て、さらに彦根藩井伊氏の庇護によって諸堂が整えられました。
 石段の参道を登ると、右手に愛知川があり、左手の石崖には十六羅漢の石仏などが奉安されています。参道一帯にはモミジ・カエデが多く、秋の紅葉期には多くの観光客で賑わいます。総門の手前少し登った所に井伊家四代目直興公の墓碑があります。山門をくぐると、境内には庫裡(くり)・鐘楼・方丈・法堂・禅堂・開山堂などが建ち並びます。開山堂には、国指定の重要文化財である寂室和尚坐像があります。
 また本尊の聖観音像は秘仏で、「世継ぎ観音」とも呼ばれ、祈願すると子供や跡継ぎに恵まれると伝えられています。(滋賀観光情報HPより)
こちらの案内は観光ボランティアガイドにお願いした

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下は分かりにくいかもしれないが、この位置から見ると排水溝がマーライオンに見える
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こちらで修行していた僧侶がなくなり、供養のために奥さんが参道にお地蔵さんを建立したということで、眼鏡をかけている。
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十六羅漢の石像
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最終更新日  2019年05月25日 09時00分06秒
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