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第35回「真の神の日」午前零時の御言成約十(二〇〇二)年一月一日、天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 祈祷 愛するお父様。たった今、二〇〇一年の標語である「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語を中心とした三千年紀の出発である最初の年を送り、今、二〇〇二年を迎え、 三千年紀に入って二番目となるこの年において、「天地父母の理想である自由と平和と幸福の『天一国』安着万歳」という題目をもって、神様の所願成就である国の完成のために出発することができる、新しいこの時間となりました。 「天宙平和統一国」である「天一国」の理想は、天地父母をお迎えし、地上世界と天上世界の祝福家庭が一つになって、自由と幸福と平和に満ちあふれた「天一国」が安着することであり、そのための新しい時代であることを宣布いたしました。第35回「真の神の日」 午前零時から祈祷をされる真のご父母様 (成約10〔2002〕年1月1日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿で) この国が、千年、万年、あなたの保護の中で、永遠なあなたの所願成就の完成を成し、億千万世にわたって「萬萬歳」を叫ぶことができる、善なる主権の世界に前進することをお願い申し上げます。 お父様。救援摂理というものを表題として、人類始祖のすべての失敗を清算するために、数多くの蕩減の歴史時代を経てこられた天の父母の前に、子女とならなければならず、真の父母の伝統を受け継がなければならない人類始祖が、そのことに失敗することによっ て、怨恨の歴史を残してきたという、悲しく無念な事実が残されてきました。 それらをすべて清算し、真の父母の地上顕現とともに、サタンと天の境界線に立ち、悪なる世界において、蕩減という法則を通して個人時代を克服し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、八段階の受難の道を、霊界の道に沿って解放の一日を願ってやってきました。 それらすべてのことが、真の父母の蕩減勝利によって、今、この地上に「天宙平和統一国」である「天一国」を成就させ、神様をお迎えして安着することができる時代となりました。そのような時代をもたらしてくださった恩賜を感謝申し上げます。 新しく始まる三千年紀の第二次の年を迎えて、「天一国」を私たちにもたらしてくださり、天を中心として、 地を中心として、この地上に永遠無窮に続くことができる地上、天国理想完結のための「天一国」を成就させてくださった恩賜を感謝申し上げます。 また、この国において、個人安着と家庭安着、国家安着と世界、天宙安着、天地父母をお迎えして、永遠の自由と平和と幸福の天国として継続することができる解放的時代を、私たちのこの時代に迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。今、新千年紀へと越えた二年から、忠孝の道理、家庭においては孝子となり、国においては忠臣となり、 世界においては聖人、天宙においては聖子の道理のために生き、創造理想の理想的標準である家庭定着と国定着と天宙定着を、神様が望まれ、喜ばれる中で完成し、奉献することができる忠臣の道理を果たし、天に侍ることのできる侍義の時代を迎えるようにしてくださ った恩賜を感謝申し上げます。 きょう、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭を連合した子女たちと父母が一心一体となり、天の父母に仕えるための新しい出発が成されるこの日において、私たちに任せてくださった「天一国」の新しい伝統を立てるうえで、私たちのあらゆる精誠と誠心を尽くし、個人的な伝統、家庭的な伝統、国家的な伝統、世界、天宙的な伝統を立て、忠孝の道理をこの地上に広げることができますように。 そのような勝利の天国の世界と自由と平和と幸福の天国に前進することができる新年となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 ここに参席した子女たちを、お父様、喜んで受け入れてくださり、天上の祝福を受けた子女と地上の祝福を受けた子女の子孫たち、万代のあなたの子女たちを、 愛の主人の立場において、また、父母の立場に立って愛し、師の立場で教え、主人の立場で管理してくださいますように。 そうして、善でないものがない自由解放、天国の世界に前進に次ぐ前進を誓う子女たちが、新しい千年のこの年を迎える時間となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 神様が、私たちの生活圏内に入ってこられ、私たちの家庭と氏族と民族と国家と世界を、喜びの中で治めてくださり、自由解放統一の天国である「天一国」の定着と万々世の祝福が、永遠にもたらされますように。 今から、神様が喜ばれる「天一国」解放の世界に、共にいてくださり、同伴してくださり、導いてくださることを、真の父母の名によって懇切に、懇切に申し 上げながら報告いたします。アーメン。アーメン。アーメン。真のお父様が、年頭標語「天地父母の理想である自 由、平和、幸福の天一国安着萬歳」を揮毫される み言 「天」という字は、”二人”を表します。「天」という字が”二人”を表し、その「二人」は、"上の水平” と“下の水平”を表します。「二人」です。「二」という字は、“上の水平”と“下の水平”です。それは、天上世界と地上世界が平和にならなければならない、ということです。 ですから、“天宙平和』という意味が含まれています。 「天一国」です。これ(「天一国」の「一」)は、「統一」 の「一」という字です。”二人が、真の愛を中心として統一されている”ということです。 昨年の標語の中で、「真の愛の主体性である・・・・・・」の次は、何ですか?「絶対、唯一、不変、永遠の・・・・・・」、その次は、何ですか? 「み旨が完成されますように。」です。 それは、「真の愛を中心とした絶対、唯一、不变、永遠のみ旨が完成されますように。」ということです。真の愛でなければ、み旨を完成することはできません。ですから、「真の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのです。それは、絶対、唯一、 不変、永遠です。 「絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのですが、それが何かというと「天一国」です。「二人」 が一つになった国です。 それは、「天宙」という言葉、天宙平和……。これにすべてが入っています。天地の家を表します。天宙平和、この「二人」の中に、すべてが入っています。水平の平和です。 統一というのは、主体性を表します。男性も女性も、二人が一つになって、天をお迎えしなければなりません。 そうして、お迎えしたその中心的な天を中心として、 自分の心と体が一つにならなければならず、皆さんの個体が完成し、その次には夫婦が完成し、その次には 父母と子女が一つになり、夫婦が一つになり、兄弟が 一つになるのです。すべて二人です。 主体、対象圏が、どこにおいても一体を成すためには、真の愛によらなければなりません。真の愛が、中心になるのです。個人的中心、その次に家庭的中心と、 そのようにして、だんだんと大きくなっていくのです。その次に、父母と子女の中心、その次に兄弟の中心、 だんだんと大きくなっていきます。 そのようにして、家庭が定着すれば、家庭を中心として、氏族の二つが一つになり、氏族と一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族を中心として、その次には国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は、神様と一つになることができるのです。それが、統一的国家です。 それは横に行っても、縦に行っても、ぶつかりません。堕落した世界は、心と体が闘うのです。「二人」が闘うのです。すべてのものが、そのよう に相克になっています。二人 が一つになろうとしても、一つになることができず、夫婦 も一つになろうとしても一つ になることができず、父子関係も怨讐関係になっていて、 兄弟関係も怨讐関係になっているのです。 「天地父母」も、お二人で す。「天地父母」です。天と地 が水平となって、これが人によって連結し、そのお二人が、 地上に定着するのです。 それで、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である……」、それから何です か?「自由」です。天地父母の理想は何かというと、 自由の理想です。それから何ですか? (「「平和」です。」) 平和の理想です。 すべてのものが水平になり、水平になったからといって、これは固着しているのではなく、和動することができ、いくらでも横的に運動することができ、いくらでも縦的に運動することができるという、このような 立場になっているのです。 そして、「自由」と、それから何ですか? 「統一と幸福の・・・・・・」、何ですか? 「幸福の「天一国」定着 (安着)」です。「定着」ですが、「『天一国』定着」ではなく、「安着」なのです。「定着」では、違います。 「定着」は訪ねて行き、動いて、目的に向かって行って、留まることをいうのです。それが「定着」です。 「安着」は、定着したので、暮らしが始まるのです。 「そのような暮らしが始まることを、出発することを萬萬歳で願います。」ということが、今年、二〇〇二年の 標語なのです。 ところで、昨年の標語では、「解放された・・・・・・」、何ですか?(「「天地父母と」です。」)「天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯 一、不変、永遠の・・・・・・」、あるいは「・・・・・・永遠なみ旨が 完成されますように。」です。 それが、個人の心と体、この”二人”が一つになり、夫婦が一つになり、父母と子女が一つになり、その次に、兄弟が一つになって、これが定着するのです。どれ一つが欠けてもいけません。お父さんが欠けてもいけませんし、お母さんが欠けてもいけませんし、息子が欠けてもいけませんし、娘が欠けてもいけないのです。父子関係は、そのようになるのです。 その次に、これが成長して夫婦関係になり、その次に、祝福を受けて息子、娘を生んで、定着するのです。 三代を経て、初めて定着するようになるということを知らなければなりません。三代で定着です。 それでは、神様が一代であられ、その次に、二代はだれですか? それは、アダムとエバではありません。 神様の理想的一代圏を中心として、神様が一代であられ、真の父母が二代になるのです。真の父母です。分かりますか?(「はい。」) アダムが失敗したことによって、すべてを失ってし まったので、完成したアダムが現れて、その失敗したことをすべて復帰しなければなりません。神様が一代 圏内にいらっしゃれば、真の父母が二代となるのです。 真の父母を中心として二代となったとすれば、三代であるアダムの息子、娘を、だれが奪っていったのでしょうか? それは、サタンが奪っていったのです。 ですから、真の父母は、神様一代、真の父母二代、サタンに奪われた三代、その三代圏を取り戻すのです。 その三代は、天地父母に侍ることができる孫であり、 神様を中心とした孫であり、アダムを中心とすれば、息子の立場になります。この三代が一つになるには、真の愛と真の生命が必要です。 神様の真の愛を中心として、父母の生命が一体となった中で、これが地上に連結されるのが、息子、娘なのです。この息子、娘は、神様を中心として、孫の立場であり、これが三代圏になるのです。このようにして、失ってしまった三代圏を、神様が救援摂理の完成を通して取り戻されるようになっているのです。 です。 それでは、三代の立場に立った者たちとは、だれなのでしょうか? それが、だれなのかというと、真の父母によって祝福を受けた息子、娘であるというのです。分かりますか?(「はい。」) 「祝福家庭」という家庭は、日本にいても、アメリカにいても、どこにいても、三代を受け継ぐことができるようにするために、真の父母の祝福によって、真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を連結させるのです。そのことによって、失ってしまった三代の家庭として、再び接ぎ木された立場に立っているということを知らなければなりません。分かりますか? それでは、「祝福中心家庭」とは、だれなのかというと、三代を中心として、地上に定着することができる、 このような祝福の代表家庭であるというのです。それゆえに、三代圏内に入った、世界のすべての祝福家庭は、「祝福中心家庭」の三代圏を相続したということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 三代です。言ってみてください。(「三代!」)それでは、一代目は、だれですか? (「神様です!」)二代目は、だれですか?(「真のご父母様です!」)三代目は、 だれですか?(「祝福家庭です。」)祝福家庭です。 神様が完全完成なさったことと同様に、真の父母が完全完成したことと同様に、三代目である皆さん夫婦が愛するということは、神様の創造理想的夫婦として愛するということです。そのようにして、創造理想の父母の生命体を動かして、愛で一体となって、血統を連結させたものが、祝福を受けた皆さんの息子、娘であり、その立場が、四代圏ということなのです。 ですから、自分たちは何であるのかというと、アダム、イエス、再臨主、そして四代目なのであり、そのような第四次アダム圈時代において、中心的家庭が、 祝福家庭である自分である、ということを知らなければなりません。 それでは、"私"は、だれでしょうか? "私"は、だれなのですか? 天地を代身した、二つの相対である 心と体が一つになった私です。心と体が、絶対に一つにならなければなりません。神様の愛を中心とし て、絶対的に心と体が一つにならなければなりません。ですから、「天一国」なのです。 「私」と言えば、心と体が一つになった“私”であり、神様の愛を中心として、主体的な立場に立った“私”です。そして、男性がそうであるならば、女性は、真の愛を中心として、相対的な立場に立った、心と体が一つになった“私”です。その相対と主体が結婚して、夫婦が一つになるのです。それが、二人で す。 その二人を分ければ、四人が一つになることと同じです。分かりますか? 父母が一つになったならば、子女が、一つにならなければなりません。子女が一つになり、このように二人が子女を持って、その兄弟が一つになることによって、家庭というものが形成されるのです。 このようにして、三代圏を中心として、家庭が定着することが、神様の創造理想のモデルです。工場で金型をつくって、大量生産することと同様に、その標準的モデルとして、変化はないのです。 それで、おじいさん一人が欠けてもいけないのです。 分かりますか? おばあさん一人が欠けてもいけないのであり、お父さん、お母さん、どちらか一人が欠けてもいけません。息子、娘のどちらか一人が欠けてもいけないのです。 また、夫婦という二人のうち一人が欠けてもいけないのであり、子女兄弟の中で、一人でも欠けてはならず、すべてが備わったその場において、初めて定着することができるのです。 ですから、神様の万世にわたる、永遠な祝福の万国として、平和の世界に定着しなければならない、という意味があるのです。分かりますか? そして、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である自由」、自由です。その次は、何ですか?(「『平和』 です。」)「平和」です。夫婦同士が、自由です。そこに、ついたては、ありません。ですから、「自由」の次は、 何ですか?(「『平和』です。」)「平和」です。男性と女性が、横的な平和であり、縦的な平和です。そのように、すべて和合するのです。 「平和」の次は、「幸福」です。その「幸福」というの は、だれもが満たされて、喜びがないところがない! という幸福です。そして、「幸福の・・・・・・」、何ですか? 「天一国」です。 この「天一国」は、"理想天国の中心の国”のことをいうのです。そして、「「天一国」の安着」です。本来 は、「安着安息」まで書かなければならないのですが、「安息」は抜きました。それで、「安着萬歳」です。 「萬歳」というのは、"永遠不変に残され、その権威が、神様が願われる所願と、いつでも一致することができる、真なる平和の天国にならなければならない。 ”ということです。アーメン。(「アーメン。」) ですから、この世界の万物を見ても、すべてがカッブルです。昆虫世界もカップルであり、鉱物世界も分子、陽子を中心としてカップルであり、それから動物世界、人間世界もカップル、それから、人間の家庭もカップルです。 そのように、横に見てもカップルであり、上下に見てもカップルであり、前後に見てもカップルなのです。 これらのものすべてが球形をなし、思いどおりに活動するのですが、ぶつかっても壊れず、前後左右、自由で、幸福で、平和な環境の家庭が、"私の家庭であり、 “私”の国であり、“私”の世界であり、“私”の天宙なのです。アーメン。(「アーメン。」)分かりますか?(「はい。」) このように、”二人”です。二人になっています。目も、二つが一つになっており、鼻も一つになっています。分かりますか? 目と鼻と耳と五感が、一つになることができない夫婦が愛するということは、真の愛には合わないのです。「”二人”が、一つになった場においてのみ、いつでも真の愛が訪ねて来て、安着することができる。アーメン。」ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) それで、“私”を中心として、二本ずつ手足がありますが、その二本の手が、一つにならなければなりません。また、二本の足が、一つにならなければなりません。そうして、心と体が、一つにならなければならないのです。 統一教会において、第一の問題は、心と体が一つにならなければ、理想的出発をすることはできない、ということです。縦的な基準にも合わず、横的な基準にも合わず、前後の基準も、すべてずれていくというのです。 ですから、最も重要なことは、心と体が一つになることです。それは、何によってですか? 真の愛と真 の生命の血統を通して、そこで神様とともに・・・・・・。 神様の心と体は、闘いますか? 神様とともに一体 となり、神様と一体となった、その圏内において、上 下関係一体、左右関係一体、前後関係一体となるのです。 これが、一つのモデルとなった“定着家庭”なので すが、このような家庭が連結され、連結されることに よって氏族になり、民族になり、国家になり、世界に なり、天地も、この公式の橋を通して結束し、この公 式を通して、天地の理想的「天一国」も完成するので す。アーメン。(「アーメン。」) それで、皆さんが、朝、起きて顔を洗う、その顔を見るとき、それは、すべて一つになっています。これ (顔)が一つにならなければ、すべてずれてしまいます。 耳が一つにならなくても、問題が生じるのです。鼻が一つ詰まっても・・・・・・。 皆さんが、風邪を引けば、鼻が詰まるでしょう? 鼻詰まりになるのです。口が、二ミリから三ミリずれ ただけでも、うまく言葉を話すことができません。完全に一致しなければならないのです。耳も、そうです。 手足も、二つが一つになったところにおいて、うまく機能するのです。 ですから、愛を中心として、「自由」と、その次は何 ですか?(「『平和』です。」)平和で、幸福になることができる行動になるのです。自由です。これが一つだけでは、自由ではないでしょう? 一つでよいですか? 鼻も一つでは、自由ではありません。自由と平和と……。 「自由」と「平」によって、「和」にならなければなりません。平和と幸福は、周りのすべてが、自分の顔に笑顔が満ちる、幸福な「天一国」を創建し、「天一国」 を“私”が成して、神様の前におささげするのです。 それで「総生畜献納」です。そのような責任が、堕落した世界に生きる皆さんには、あるのです。 ですから、祝福家庭は、「総生畜献納」をしなければなりません。サタンにすべて奪われたので、神様が、 サタン世界から男性を”私”に取り戻してくださり、 女性を取り戻してくださったのです。家庭の夫婦を取り戻してくださり、夫婦によって子女を取り戻してくださり、家庭を取り戻してくださり、その家庭がすべて……。 “所有”というものは、今日の堕落した世界のように、自分によって所有権を持つのではありません。個人完成も神様のものであり、夫婦完成も神様のものであり、すべて相対理想圏、上下、前後、左右全体は、神様の所有権になっています。 それゆえに、そこに属したすべてのものも、神様のものです。昆虫世界も、すべて四位基台で成り立っているのです。水の世界に生きる魚や昆虫、動物も、すべてカップルになっているのは、自分のものではありません。神様によって成されたものなので、すべてが愛を成し、愛の家庭を成して定着することによって、 相続が展開するのです。 その定着の基準は、個人基準ではありません。個人基準を超えて、家庭基準、氏族基準、そのようにして八段階を越えて、神様が、家庭を中心として訪ねる相対圏に行き、そこで相続を受けるようになり、そこでそのような所有権制度にならなければならないのです。 そのようなことを思うとき、皆さんはすべて、国を神様に奉献しなければなりません。「総生畜献納物」をささげて、その下で心と体の統一、夫婦が統一、子女が統一、家庭が統一されて定着することによって、神様から、所有権であるすべての万物を相続するのです。 分かりますか?(「はい。」) 今、皆さんが持っているすべてのものは、偽物です。 神様が一代目であられ、二代、三代圏にいる“私”には、その中間に入り込むことができるものは、何もありません。入り込んでいるのは、堕落によってサタンの所属権のものが、天と“私”の間にふさがっていたのです。 そのように、個人的に垣根ができており、家庭、氏族、民族と、八段階がすべて、ふさがっています。これをすべてたたきつぶしてしまわなければなりません。 完全否定するのです。完全否定して、自分が持っているすべてのものを、真の愛を動機として、一つになっ た“私”の心と体、一つになった夫婦、一つになった家庭理想、一つになった氏族、民族・・・・・。 家庭が、氏族を取り戻そうとすれば、氏族のために投入して、それを忘れてしまわなければなりません。 そのような、神様が天地を創造なさったときの過程を経なければなりません。そうして、民族なら民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまい、民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまってこそ、国家というものが出てくるのです。 それゆえに、堕落によって失ってしまった最高の基準が何かというと、"私”個人と夫と妻、そして神様との父子関係、神様を中心として祝福を受けた夫婦関係、祝福を受けて生んだ神様の息子、娘関係、孫と孫娘の関係です。それらをすべて奪われてしまったのです。 これらを取り戻して、「これは、すべてあなたのものです。」と言うとき、サタンの影が連結されないのです。完全に白玉のような、完全に……。 「正午定着」と言ったでしょう? そのような、太陽の光に照らされても影のない立場に立った自分自身 にならなければならず、自分たち夫婦にならなければならず、自分たちの家庭が、そのようになって定着しなければなりません。 そこには、自分の所有権というものはありません。”所有”というものは、真の愛をもって定着の立場に立ち、主体であられる神様の御前に、「絶対的対象の“私”であり、夫婦であり、家庭である。」と言うことができなければなりません。そこには、サタンの痕跡もないのです。それを越えて、神様の所有権内において、神様が持っておられる被造世界のすべてを・・・・・・。 家庭が完全に定着し、理想的家庭が安着することによって、神様が、このような宇宙的な偉大な存在であられるならば、"私”自身も、その偉大なる主体の御前に対象として、それと同じ偉大な存在であり、神様が願われたものが”私”個人にも充満しており、家庭にも充満しているのです。 そのように、”私”という存在は、国と世界、どこにおいても、主体であられる神様が願われる相対的内容を、すべて備えた出発の実体なのであり、その実体を中心として、収穫して神様におささげし、神様を賛美してさしあげなければならない存在なのです。 ですから、最後には、肯定することができるものは何もない、ということになるのです。分かりますか? (「はい。」)ここに日本人、韓国人、西洋人、いろいろな人たちがいます。例えば、米国人などは、「自分たちが優れている。」と言って騒いでいますが、これは、だれによって生じたのでしょうか? 男性と女性、皆、堕落したアダムとエバによって生じたのです。堕落したアダムとエバは、神様は、目の前にして見たくもないのです。つばを吐いて、地獄にほうり込んでしまわれたいのです。 完全否定の陰の下で出発して息子、娘を生んだので、サタン世界の人々は、怨讐の立場です。そこに所属して、天の所有権のものをどろぼうして、自分のものとして使用しているのですから、すべてのものを否定しなければなりません。肯定するものは一つもありません。そのように、すべて否定しなければなりません。 ですから、神様が一代目、真の父母が二代目、祝福家庭の皆さんは、何代目ですか?(「三代目です。」) 三代圏です。三代圏を完全に満たし、三代圏時代にサタンを引っ繰り返し、サタンのものを受けたので、これをすべて否定して取り戻し、天の前に奉献するようになるときに・・・・・・。 奉献するにおいては、偽りの愛と生命と血統が連結された立場で奉献するのではなく、神様の真の愛と真の生命と真の血統が連結された真の息子、娘の立場で、 祝福を受けた家庭として、これをすべて相続して出発しなければなりません。そうすることによって、初めて所有権が始まるのです。 ところが、これを失ってしまったので、今、神様が一代目、真の父母が二代目、三代圏に、横的にも縦的にも、前後左右に介在するものは、一つも・・・・、ありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありますか、ありませんか?(「ありません。」)絶対にないということです。 ですから、絶対否定しなければなりません。神様の 属性であり、真の愛の属性である絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠の愛の観点からは、“見るのも嫌である”というのです。 それは、怨讐です。完全否定して、火で燃やしてしまわなければなりません。否定しなかったものは、今後、時になれば、すべて燃やしてしまわなければなりません。それを、だれが燃やしてしまわなければならないのかというと、自分が燃やしてしまわなければなりません。それらのものを、すべて火で燃やしてしまわなけわなければならず・・・・・・。 これを総決算しなければ、息子、娘が、そこにくっつき、妻子がくっつき、自分までも侵犯されるのです。 このような、法に違反した第二堕落的なサタン以上の実体として、天の御前から追放される時が来るのです。 分かりますか?(「はい。」)何のことか分かります ね?(「はい。」) その目は、だれのものですか? 自分の目は、だれのものですか? 祝福を受ける前は、だれのものです か? 顔は、だれのものであり、五官は、だれのもの ですか? それらは、神様とは、何の関係もありません。サタンのものです。すべて否定しなければなりません。 ですから、“見たい”と思うものを否定しなければなりません。”食べたい”と思うものを否定しなければなりません。“開きたい”と思うもの、"触りたい”と思うすべてのものを、否定しなければなりません。 ですから、「日本人」という言葉も使ってはいけない、というのです。「日本人」と言う前に、「日本の兄弟姉妹」という言葉になるのです。分かりますか? 神様の真の愛によって、祝福を受けた人たちは、皆、兄弟姉妹なので、日本に暮らしている兄弟姉妹、米国に暮らしている兄弟姉妹、ドイツに暮らしている兄弟姉妹、ロシアに暮らしている兄弟姉妹だけがいるのであって、ロシア人、中国人、米国人というものは、ありえません。 それで、韓国は、中国も「中国のやつ」、ロシアも「ロシアのやつ」、それから米国も「米国のやつ」などと言いますが、自分自身は、何なのですか? 「韓国のやつ」ということになります。(笑い) ですから、自分を中心とした絶対権限を行使したサタンの直系子女として生まれた立場に立っているのが、 “私”であるということです。“私”まで否定しなければなりません。分かりますか? 韓国人まで否定し、 周辺にあるすべての先進国を否定しなければなりません。いずれにせよ整備しなければならないのです。 ですから、わたしは、"そのような国(先進国)に隷属したい。”という思いは、夢にもありません。夢にもありますか、ありませんか?(「ありません。」)「夢にもない。」と言いました。夢にもないというのです。夢にもありますか、ありませんか? さあ、皆さん。「天一国」は、どのような国でしょうか? 自由の国です。「天一国」は、どのような国ですか? 自由の国です。そこには、怨讐がありません。 真の愛を持ったので、自由の国です。 その次は、何ですか? 「平和」です。平和でないものがありません。その次は、何ですか?(「『幸福』です。」) 幸福になれば、口だけが笑うでしょうか、五官と心と体まで笑うでしょうか? 心と体が、すべて「ははは。」と・・・・・・。一度、してみてください。(「ははは・・・・・・。」) 自分が、「ははは。」と笑えば、どうなるでしょう か? 夫が、そのようにすれば妻が、妻が、そのよう にすれば夫が、お父さんとお母さん、その国全体、神様まで「はははは。」と・・・・・・。これが幸福です。 そのようになれば、上を見ても幸福であり、下を見ても幸福であり、右側を見ても幸福であり、左側を見ても幸福であり、右側を見ても自由で、左側を見ても 自由で、右側を見ても左側を見ても平和であり、上を見ても下を見ても平和でないものがなく、自由でない ものがなく、幸福でないものがありません。 ですから、神様が訪ねて来られて、夕食でも一度食べたい。”と思われ、“朝食でも一度食べさせてくれれば、それを食べたい。”と思われ、昼食になれば、訪ねて来られて、「ああ、仕事をして疲れたので、昼食を食べさせてくれ。」とおっしゃることができるのです。 そのような、自由で、平和で、幸福で、神様をお迎えすることができる“私”の家庭になるのですか、なっているのですか? どうですか? そのことを考えれば、問題が大きいというのです。 なぜ、「自由」、その次に「平和」、「幸福」の「天一国」なのですか? なぜ、(年頭標語の「天一国」という言葉の)頭に(「自由」と「平和」と「幸福」という言葉を)つけたのか、ということです。それは、「自由」な「天一国」であり、「平和」な「天一国」であり、「幸福」な「天一国」だからです。そこには、闘いがありません。闘争がありません。 柳鍾泳氏? "国会議員になろう。”という考えがありますか? "闘って勝とう。”と思いましたか、"自動 的に和合して勝とう。”と思いましたか?(「“和合し て勝とう。”と思いました。」)狂った話はやめなさい、というのです。(笑い) きょうから、“今から、闘う世界の中心になろう。” と思う人は、雷に打たれます。柳鍾泳氏でも、だれでも、です。それは、神様の怨讐です。お金をもうけて息子、娘を教育し、“ああ、闘いの国の国会議員になって、家門(の名を)を高めよう。」などという、そのような考えをしますか、しませんか?(「しません。」)この人は! 今まで・・・・・・。(笑い) 今まで考えていながら、なぜ、“考えていない。”というようなことを言うのですか? 柳鍾寛氏! (「は い。」)(笑い)この者め。(「考えていません。」)感謝し ているのですか? 考えていますか、いませんか? どちらですか?(「考えていません。」)何ですか?(笑い) ”国会議員になろう。”と考えていますか? ええ、何ですか?(「闘いはしません。」)何ですか?(「闘わないで、です。」)闘わないで、一つになりますか? 狂ったような話をしています。(笑い) この国は、関係ありません。私たちが、手本を見せるべきものは、ただひとえに闘うことを知らず、自由と、それから平和と幸福が宿った主人となることができる希望の息子、娘であり、希望の家庭なのです。 その希望は、国が願い、世界が願い、天地、神様までも願われる希望の”私たちの家”です。分かります ね?(「はい。」) 「自由」と・・・・・・、言ってみてください。その次は、 何ですか?(「『自由」と。」)「平和」と!(「『平和』と!」)「幸福」が満ちあふれた!(「『幸福』が満ちあふれた!」) 「天一国」の家庭が、神様の安着なさることができる所である。(「『天一国』の家庭が、神様の安着なさることができる所である。」) 個人、家庭も安着があり、二番目の家庭も安着があり、千の家庭に安着することはできないので、これが標準になっています。モデルになっているので、そのモデルに従っていく所には、間違いなく神様が入って来られて、安着されることによって、それ自体が、小さな家庭であったとしても、「万歳!」と言われるのです。 言ってみてください。(「万歳!」)万歳! (「万歳!」) 手足で万歳!(「手足で万歳!」) 万歳が上がっていくので、ぶかぶか上がっていくのです。持ち上がっていくのです。夫と妻が持ち上げられ、家庭が持ち上げられ、天の国の出発、理想天国が安息………………。 定着地、安着地が、地上と天上世界にできるので、神様が行かれて休まれることができる所が、地上世界であるならば、地上に安着し、天上世界に安着するのです。 そうして、東に行って息子に出会えば、息子とともに暮らし、妻、娘とともに暮らし、孫とともに暮らすのです。そのように、どこでも安着理想に立っているので、平和の天国であり、千年、万年、太平聖代(德のある君主が治める太平な世の中の時代)の王国となるので、万世、万々世が継続するのです。それを懇切に願います。アーメン。(「アーメン。」) もし、皆さんが、“うそをつきたい。”と思うときに は、うそをつかなければなりませんか、ついてはいけませんか? うそをつきたければ、ついてみなさいというのです。神様の真の愛を中心としては、左側に行っても真であり、右側に行っても真であり、下に行っても真であり、上に行っても真であり、前に行っても真であり、後ろに行っても真なのです。 子女に対して、「こいつ。」と、悪口を言っても、その悪口は、真の愛を中心として言う悪口なので、そこには、サタンと悪の影が現れずに、"正午定着地”になることができるのです。分かりますか? さあ、このようなことまで教えてあげたので、人間ができていない下品な者たちが、前後をぴたっと合わせていかなければなりません。そうでなければならないはずなのに、振り返って、このようにして、また、 このようになれば(ジェスチャーをされる)、大変なことになるのです。 しかし、真の愛の世界では、どんどん大きくなるようになっています。個人を投入して、それを忘れてしまい、家庭を投入して、それを忘れてしまい、氏族を投入しては、それを忘れてしまわなければならないのです。 民族を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような民族は、国を持つことができません。 国を投入して、それを忘れてしまうことのできない国は、世界を持つことができません。世界を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような世界は、天宙を占有することはできません。天宙を投入して、それを忘れてしまうことのできない者は、神様を「正午定着」の大王陛下として、千年、万年、勝利の覇 権の王として、侍ることはできないのです。(「アーメ ン。」) "そのようになりたい。”と思う人は、両手を挙げて、「アーメン。」と言わなければなりません。(「アーメン!」) 安着です。「『天一国』安着萬歳」という群れなので、 皆さんの家庭には、天地に満ちあふれている神様の所有権でないものがない、というようになります。そのようなすべてのものが、“私”とともに組んで、「おお、 よしよし。私の愛よ。」と言って、踊りを踊って喜ぶことができる時代になるのです。(「アーメン。」) 言ってみてください。アーメン!(「アーメン!」) ”自分は、そのような家庭になる。”と思う人、立ち上がってください。立ち上がって、大きな声で・・・・……。(録音の音声が、しばらく途切れる) いつ、祖国光復をするのですか?(「しています。」)いつ、するのかというのです。それをやって、終えなければならないのではないでしょうか?それは、いつまでですか? 二〇〇四年までです。そして、世界をすべて収拾して、「総生畜献納」です。 この日を中心として世界を収拾し、統一天国をつくって、神様の御前に奉献しなければならない、その期間が、何年までですか?(「二〇一二年までです。」)二〇一〇年、二〇一二年までです。 それゆえに、今から伝道は、人を通じた伝道時代は過ぎていき、言論界を通して伝道する時代が来たのです。それで先生が、「ワシントン・タイムズ」を中心と して、UPI通信を引き継いで・・・・・.. 朱東文氏。(「はい。」)「ワシントン・タイムズ」とUPIが、言論界の最高の王になったということが、今回のロンドン大会において・・・・・・。ロンドン大会には、 一万人ですか?(「はい。」)その一万人の人が、「UPI通信、「ワシントン・タイムズ」万歳。」と、しましたか、しませんでしたか?(「はい。」) したのなら、「した。」と言わなければならないのに、どうして「はい。」と言うのですか? 万歳をしたというのです。それは、驚くべき事実です。一度、引っかけば、国にぽかんと大きな穴が開くのです。 ドイツの者、ロシアの者、米国の者、日本の女性たち、逃げるために大騒ぎする、そのような基盤を築きました。今から、それを正面に立てて、「これを受けなさい。」と言うのです。受けなければ、飛んでいくのです。 ですから、今、国会議員を中心として、平和大使たちは、国会の上のレベルにあります。超宗教圏の上に 立ち、超国家圏、超NGO(非政府組織)、WANGO(世界非政府組織連合)基準で、そのような国と、その ような思想をもって一つにするという主義主張は、あ りません。そのようなことを、今まで、だれも知りま せんでした。それは、私たちだけが持っている特権で あるというのです。 この鍵をもって開ければ、すべての天の国の門が、 音を立てて開き、すべての世界の門が、音を立てて開 くのです。金庫を開ければ、その中に金銀宝石がぎっしり詰まっているのです。 それでは、柳鍾泳氏は、自分で使うのですか、どのようにするのですか?(「すべて、ささげます。」)言 葉は良いですね、この人は。しかし、言葉だけで通じますか? そして、姜禎賛さん(柳鍾泳夫人)に「監督しなさい。」と言ったのですが、これも、自分(柳鍾泳)に似ました。(「違います。」) 昔は、よくブレーキをかけていましたが、最近は、よくついて回っていますね?(「違います。」)何がですか。(柳鍾泳氏が、「副官なので、ついて来なければなりません。」と答える) 夫婦が、「ぷぶー。」とするのが、夫婦です。分かりますね?(「はい。」) 「自由」と「平和」と「幸福」が満ちている「天一国」の主人が、"私”です!(「アーメン。」)そのように言うことができる人、手を挙げて、神様の御前に誓いましょう。(「アーメン!」) (録音の音声が、しばらく途切れる) サタン世界は死にますが、わたしたちは生き残るのです。(録音の音声が、しばらく途切れる) これを録音して記録したものを、苦労して探して、 勉強して知ることも嫌ですか? わいわい騒いで食べて、下痢をし、おなかが裂けることを知らないのですか? 十里の道を行ったのなら、十里の道を行ったその分だけを恵んでもらって食べても、感謝して行かなければならないのに、千里の道、万里の道を・・・・・・そのように行くならば、どうするのですか? (録音の音声 がしばらく途切れる) (「アーメン。」)どこに行くのですか? 急いで行きますか、力強く行きますか? 力強く!(「力強く!」) 前進しなければなりません。さあ、そのような人は、 全員、こぶしを握って、神様の御前に、「私は、誓います!」(「誓います!」) 忘れてはいけない、というのです。 これは、すべて録音されています。「どこどこに行きなさい。」と言えば・・・・・・。今から、人事処置をして、 「この人は、アフリカのどこどこに行き、この人は、アフリカのどこどこの国に行って、責任者になりなさい。」 という、そのような人事処置をしたからといって、不平がありますか、ありませんか?(「ありません。」) 不平がなければ、先生の目を見て、「ありません。」と言わなければならないのではないですか、目を見ないで、口で「ありません。」と言うのですか? もう一 度、言ってください。(「ありません!」)この者たち。 (録音状態不良により、聞き取り不能) 門をすべて開いたので、皆さんが、国と世界を動かすことができるところに向かって走る勇士となることを願いながら、先生の元日、最初の朝のみ言を終えようと思います。(「アーメン!」) (拍手) さあ、気をつけ! 敬礼ですか、敬拝ですか? (「敬拝です。」)(お母様が、「上がってきてください。」 と言われる)降りてきてください。ここから行くのではないですか? 降りてきてください。従順なお母様、万歳。 (郭錠換会長が、「黄善酢会長の先唱で、万歳をいたします。」と言われる) 気をつけをして、敬拝はしないのですか? (「敬拝してから、万歳をいたします。」)(笑い) 敬拝をしてから、万歳をしなければならないでしょう? あまりにも喜んで、忘れてしまったのでしょう。 ( 「立ったままで、敬拝をおささげいたします。天地父母様に敬拝! 直れ。万歳三唱いたします。」) (「待望の二〇〇二年を出発しながら、全天宙が震動するように、「天一国」安着を誓う万歳三唱をいたします。「神様王権樹立勝利万歳」、「勝利された天地父母様万歳」、「第三十五回 〔真の神の日] 万歳」、このようにいたします。」)(万歳三唱) 「天一国」には、主権と国(土)と民が必要なので、昨年に・・・・・・。(録音の音声が、しばらく途切れる) 「神様王権即位式」が、主権復帰であり、その次には、神様の祖国定着が国土復帰であり、その次には、 「天一国」国民が、入籍するのです。分かりますか? 今から、カードを持って民になるのです。 ですから、国が形成されるためには、主権と国土と民が完備された上で、このような「天一国」の万歳定着(安着)を宣布したという事実を信じ、神様のように自信を持ち、文総裁、真の父母のように自信を持って、一気に押し出すところには、押されないものなどないということです。 それでは、大きい者を押しのけますか、小さい者を押しのけますか?(「大きい者です。」)その国に行けば、大統領に会わなければなりません。会わなければ問題になります。わたしは、米国に行って、トップの人に会ったのであって、下にいる人には会いませんでした。 ですから、今では、「訓読会」も、その国の国家首相を中心として、国会で「訓読会」することができる時代に入ってきました。分かりますね?(「はい。」)そのような環境になったので、今、わたしが語った内容、主権と国土と国民のすべてを準備したので、「天一国」宣布とともに、ここに、解放された万歳安着が成されることは間違いないということを知って、その上に立ち……。 恐れるものが、どこにありますか? 分かりますね?(「はい。」)国会に訪ねて行って、国会議員たち、与党と野党の党首に会って、「私の言うことを聞いてください。「天一国」に加入してください。私は、闘いを止めにきたのであり、自由で、平和で、幸福な国を紹介するために来ました。」と言うのです。分かりますか? 「自由」と・・・・・・、(「『平和』と。」)「平和」と・・・・・・、(「『幸福』の。」)「幸福」の息子、娘として、「天一国」の家庭定着万歳を叫ぶことができなければなりません。 そうして、その国の王国創建のために先頭に立つことによって、与党と野党が闘わずに一つになってこそ、 南北をすべて消化することができるということを理解しなければなりません。そのようにして南北が一つに なってこそ、アジアを消化することができるのです。 アジアを消化すれば、この全世界、天地を消化することができるということは、間違いありません。それで今回、イエス様を中心として、キリスト教の有名な人、四大聖人を中心として、その有名な人に、真のご父母様に関して証しさせてあげなければ大騒ぎするので、証ししてもらったものがあります。それが、今から発表されるでしょう。 皆さん。疑ってはいけません。そこに、自分の信念を完全に加えて、「ドイツ人を代表して、このようにしているので、ドイツの者たちは、私に従って来なさい。」 と言うことができる度胸を持って、宣伝しなければなりません。 それを躊躇する人は、足が折れたり、生殖器が曲がったり、故障したりするのです。”勇敢に行く「正道」 には、道を踏み外すことはない。”という、自信満々な 歩みで、出戦し、接戦をし、勝利することができるような自信を持てば、「万事亨通(すべてのことが滞りなくうまくいくこと)」・・・・・・。(録音状態不良により、 聞き取り不能) ・・・・・・信じて共にすることを願いながら、心残りですが・・・・・・。見栄えの良い顔をもっと見ていたら、わたしが、朝食を食べることができないので、出発します。 さあ、それでは、さようなら。(「ありがとうございました。」)<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.11
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第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.4/4)― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その1/4)」「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その2/4) 」「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その3/4)」 (黄善酢韓国会長による「天一国」の「IDカード [会員証]」についての報告) (IDカードの裏面にある四大綱領の四番目の内容について)何ですか?(「はい。「天道に通じる霊的道徳的指導力涵養(カンヨウ)」です。」)それを「統一的涵養」と書いてください。「統一」という言葉を入れなければなりません。(「はい。「統一的涵養」にします。」)そうです。 人間の差別なく、平準化を・・・・・・。「神様王権即位式」のときに話したではないですか? 四大綱領が入らなければなりません。「統一的涵養」です。そうです、それです。 (IDカードの発行母体となる「天宙平和統一家庭堂」について)これは、家です。「二人」であるという のです。夫婦になって、より大きな二人です。そして、 父母の元で三人が一つになって、初めて家庭が完成するのです。 このように、三対象目的になり、第一息子、第二息子、第三創造主の立場が始まることによって、どこに行っても、すべて神様のみ旨の完成に責任を持つことができる子孫たちになるのです。国民全体に、そのような責任があるのです。 (引き続き、黄善祚会長の報告) 真のご父母様の写真をこのようにすれば、三位一体、一つになるので、皆さん全員が、真のご父母様を中心とした尊影を持って歩くということは、天の国の王権自体が、皆さんを保護することができる時代に行くということです。ですから、皆さんの責任、祝福中心家庭の責任が、どれほど貴重であるのかということを知らなければなりません。 ですから、真のご父母様の尊影が写ったそのカードを持った人として、原理原則に違反して行動することはできません。行動すれば、即刻、被害を受けるというのです。今からは、それをそのままほうってはおきません。 (引き続き、黄善酢会長の報告) 韓国で行っているのと同じように、これをモデルとして、各国において教区長を中心に、挙国的な運動を展開し、相対的な基盤を拡大しなければなりません。 (「はい。」) (引き続き、黄善酢会長の報告) (入籍者の資格の段階の中で) 一番目が何かというと、「学習生」です。それから何ですか? (「「教習生」です。」)「教習生」です。それから何ですか?「先習生」です。この三段階を中心として、幼稚園は、だれが指導をするのかというと、すべてアベルとカインが 一つになるので、小学校に通っている人が、それと一つにならなければなりません。そして、小学校は中高等学校、中高等学校は大学、大学は社会と一つにならなければならないのです。 このように、すべて「アベル、カイン」形態で一つになることができるように、系列的になっていなければなりません。そのように、アベルとカインの二つが一つになってこそ、神様が役事なさることができるのです。これは、自分一人ではいけません。 (黄善祚会長の祈祷) (マイクの音声が、しばらく途切れる)何ですか? 天!……。(「天一国。」)「天宙平和統一国」です。それが、神様の創造理想です。分かりますか?今、どこかで「あなたの国は、どこですか?」と言われれば、 それは、米国でもなく、日本でもなく、ドイツでもありません。 今から、見ていてください。どのようになるでしょうか? すべて平準化されるのです。天が、すべてを成されます。米国で事件が起きましたが、韓国でも事件が起きました。与党と野党・・・・・・。(マイクの音声が、 しばらく途切れる) 今、「起立してください。」と言った人は、だれですか? 今、この人たちにすべて解説してあげなければ ならないのに、それもせずにケーキを切って、食べて何をするのですか? ケーキカットは、しなくてもかまわないでしょう?(「全員、その場で起立してくだ さい。」) まだ、そのまま、じっとしていてください。座っていてください。もう少し話をしなければなりません。 (歓声、拍手)見てください。このIDカードは、だれでも、もらえるのではありません。 そして、皆さんが、今後、知らなければならないことは、今から、このみ言を中心として、天の国の法ができるということです。法が、どこにあるのかというと、今まで五十年間、先生が語り、教会に伝えたすべての内容が、天の国の憲法に替わる時が来るのです。 皆さん。「統一教会の教会員たちは、子供を絶対に外部の大学に送らずに、鮮文大学やブリッジポート大学に送るように。」と言ったのですが、そのように言われたにもかかわらず、そのみ言が伝えられた日から、それをしなかった人は、問題になるのです。分かりますか? 分かりますね?(「はい。」) もし、それが問題にならないというときには、今まで先生のしてきたことが、すべて実効がないということになるのです。それは、先生がしてきたことを否定するということなのです。先生がしてきたことは、世の中を救うために・・・・・・。 考えてみてください。(一九)六〇年度から二十年間、してきたことを見てみれば、すべて計画したとおりです。 それは、大ざっぱな計算で成したのではありません。 統計による、秩序整然とした原理原則に従って、解放させてきたのです。 それは、国の完成のために語ってきたものなので、国を完成することができる法なのです。部署の数が、 二十であろうと三十であろうと、憲法を中心として部署の法ができ、会社の法ができるのです。法は、守らなければなりません。分かりますね? これからは、今までの“絶対信仰の時代”ではあり ません。“絶対実践”です。「ヘブル人への手紙」第十 一章を見れば、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、 まだ見ていない事実を確認することである。」となっています。それは、抽象的な表現です。そこには、形態がありません。しかし、これは実体的です。観念ではありません。実際時代に入っていくというのです。 ですから、「アダムとエバは、堕落してはいけない」 ということは、神様のみ言だけではありません。実際に堕落することによって、きっちりと引っかかり、地獄の真ん中に落ちて・・・・・・。 アダムとエバの一度の愛の過ちが、天の恨みとなり、 地の恨みとなったのであり、そのために数多くの宗教が血を流してきたのです。その血の祭壇を連結させ、 統一教会が、それを解怨成就することができるのですが、皆さんが生きた祭物として・・・・・・。 それは、割く祭物ではありません。生きた祭物として、そっくりそのままささげて、自分の一族と一家全体をささげなければ、天国を迎えることができる国民 になることはできないのです。米国でも、どの国においても、それは同じです。大きな国であればあるほど、問題です。大きな国であるほど災いである、というのです。小さなものは、簡単です。何のことか、分かり ますか?(「はい。」) ですから、今後、先生のみ言が、天の国の憲法になるのです。しかし、それは、先生のみ言ではありません。先生が、自分勝手に話したでしょうか? 天の指示に従ったのです。わたし一人でつくったものは、一 つもありません。 神様は、先生に対して無慈悲なかたです。天法を永遠の法として立てるためには、霊界にいる、今まで法に従っていった人たちが注目する中で、先生が代表的な道を行くうえにおいて、一点一画でも許されることができない過程を通過しなければなりません。そうしなければ、支持されないのです。 そうして、先生が十回、実践したとしても、百回、試験してくるのです。先生は、今までそのようにして、 この道を来たという事実を知らなければなりません。 ですから、神様が最も愛する者も、最も恨む立場に、 サタン以上に恨むことができる立場にまで追い込むのです。アダムは、サタンに引っ張られていったのではなかったですか? そのために先生は、サタン以上の立場で冷遇され、そのようにしながら道をつかんできたという事実を知らなければなりません。 ですから、わたしが、神様から訓練されたのと同じように、皆さんも、先生から訓練されなければなりません。それは、家庭が、どれくらい本物なのか、ということです。家庭破綻は、大きな問題です。ですから、 再祝福は、ありえません。今からは、それは夢にも思ってはいけないというのです。 これからは、皆さんの家庭が、祝福してあげるようになっています。それは、どれほど大変でしょうか。 ですから、良い家庭を訪ね回っていけば、すべて引っかかってしまいます。 神様は、先生を祝福してくださって、「あなたは、こ のようになる。」と、(素晴らしいことを)言われたのですが、実際には、それとは反対に、監獄にほうり込まれたのです。それは、どういうことなのかというと、 "怨讐を愛しなさい”ということです。 ”怨讐を愛する”とは、どういうことでしょうか? それは、言葉だけなのではありません。怨讐の息子、 娘を婚や嫁にして、彼らに相続してあげることができるようにしなさい、ということです。交差結婚です。 何のことか、分かりますか?(「はい。」)分かりますね?(「はい。」)分かりますか、分かりませんか?(「分かりました!」) わたしが知っている顔が、どれくらい来ているのか分からないので、一度、見ておかなければなりません 日本人と韓国人の顔は、同じですね。西洋の人は、 少し違いますね。西洋の人とも結婚しなければなりません。 (ある人に)あなたは、以前に先生が言ったことをすべて連絡しましたか? したのですか?(「はい。」) 先生は、性格がせっかちですか、気が短い人ですか、 気の長い人ですか? (「気が短いかたです。」)どれほど気が短いでしょうか? 神様の性格よりも、もっと気が短い人です。 また、神様の性格よりも、もっと我慢強い人です。 先生が歩んできた道は、どれほど耐え難い道でしょうか? 普通の人であれば、逃げていくというのです。 しかし、先生は、霊界を知っているのです。分かりますか? 天の国の構造を、あまりにもよく知ってい るので、死んでも、死んだとしても、それを避けていくことはできません。その道を行かなければならないので、その法に合わせていかなければならないのです。分かりますね?(「はい。」) 今から、子供がいて、良い人と結婚させようとすれば、悪い人になります。自分たちが気に入ったからといって、「ひそひそ話」をして、結婚でもしてみなさいというのです。そのようなことをすれば、天の先祖たちが来て、必ず反対します。 「この息子、この娘! なぜ、自分が”良い”と思う者と結婚をするのか? 天が”良い”と思われる者 としなければならないではないか? この者たち!」と言うのです。 あなたは、日本の女性ですか、韓国の女性ですか? 韓国ならば、もう一回打たなければなりません。この者たち。深刻だというのです。日本が、どれほど失敗しましたか? この者たち。いつも自分のことを考えているのです。それは、日本が島国だからです。それ を“島国根性”というのです。 島国に住む人たちは、"そこを離れれば、死ぬ。”と思っています。大陸は、国境を越えて、いくらでも生きる道があるのです。熱帯地方から温帯地方、北極までありますが、島国は、ただそこ、それ一つしかありません。この日本の島国の人たちは、背反者となって、国から逃げて行った人たちです。 ですから、節操がありません。節操のない民族を、 天の国のエバ国家にするのですか? 天の国のエバ国家にするのですか? わたしは、日本に留学したときに、抗日運動のために地下活動をした人です。み旨を知ってからは、“ああ、これではいけない。”と思ったのです。み旨を知らなければ、日本の国をエバ国に選ぶでしょうか? 母親の使命を果たすことが、簡単なことでしょうか? 日本民族は、いとこ同士でも結婚するではないですか? そうですか、そうではないですか? それは、 血統が蹂躙されることです。一族同士で、めちゃくちゃにすることです。そのような神の伝統は、ないのです。 韓国は、そうではありません。 そのようなことを見れば、韓国には、伝統的な精神があります。ですから、そのような伝統的精神を創造した韓国人であり、その天的な伝統と権限の相続をなしえた先生が、当てもなしに日本の民族をエバ国家として愛するということは、ありえません。 それは、公娼(こうしょう)街の、いちばん汚い女性を、自分の王様のお姉様として迎えることよりも、もっと難しいことなのです。分かりましたか?(「はい。」) しかし、それ以上の心情を注入しないと、サタン世界が降伏しないのです。サタン世界に張った根が、取りきれないというのです。分かりましたか?(「はい。」) ですから、そのようなことが分かった場合には、先生の前で、自分を弁明しながら、天の伝統に反することを正当化することは許されません。自分たちで勝手に弁明したとしても、神様の意向には通じません。分かりましたか?(「はい。」) きょうの、その、IDカードをもらうときには、先生の尊影に対して、それは、ただ一心に侍りながら生 活すべきです。そうして、そのような生活を送る以上は、その基準に徹して、乗り越えることも問題ないような基準を立てなければなりません。 今、目前に解放圏を立たせているのですから、もう“奉献しなければならない”という自覚を確定させな ければいけません。そのことをはっきりと決意すべきです。分かりましたか?(「はい。」) 日本の女性たちは、日本の国だけに閉じこもっていることはできないのです。今から、世界のために散らばって、自分の財産と一家族を全部、率いて、何か国かに行って、伝道師としての使命を果たしうるかどうかです。それが、子供たちを養育して、天につなぐ、その母としての使命を果たす道なのです。それ以外の道はない、ということを知らなければなりません。 そうであるにもかかわらず、自分一身の幸福を一心不乱にむさぼるような、そのような者は、神様の願いとは全く逆の立場に立つようになります。そのことをはっきりと覚えておいてください。分かりますか? 分かりましたか?(「はい。」) 日本からは、何人来ましたか? 何人ですか? 千人以上でしょう?(「はい。」)手を挙げてみてくださ い。日本のメンバーは、気をつけなさい。(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」) アダムは、責任分担をほとんど完成しませんでした。 先生は、そのことに対して責任を持ち、エバに対しても果たすべき使命があるのです。ですから、先生がいなければ、女性の世界は滅亡です。 地獄のどん底から天国をつくるためには、より以上の愛でもって犠牲的な投入をしないと、その愛の出発起点は満たされません。ですから、先生は、みすぼらしい姿、つらい決定を下さなければならないことなど考えもしないで、このようなことをやっているのです。 君たちは幸福を知りませんね。天的幸福が、それはもう、いかに貴重なものであるか。自分の生活、風俗に慣れた、そのような習慣で見て、それを比較対照の基準と考えています。そのようなことでは、天のみ意に通じません。分かりましたか?(「はい。」) そこには、千ドル、何万ドルもの差異があるということを思ったときに、自分の一身に、そのような神様のみ旨が果たされるようになったということは、そのことに対して、いくら感謝の念を表しても足りません。 たとえ日本全国をいっぺんに献納したとしても、その感謝の心を表し尽くすことには、到底、及ばないということです。ですから、そのような決意を固めないといけないということを自覚しなければいけません! 分かりましたか? そこのおばあさん。(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」) ですから、日本が問題です。これを完全に収拾しなければいけません。この前、三億六千万双の祝福を日本がした場合には、どのようになっていたでしょうか? そのとき、日本の指導者が、世界じゅうの国々の首相あてに公文を出して、「日本の地で、世界にまたとない、希望の祝福理想の家庭を築く、このような三億六千万双の祝福をする。」と言って、これを宣布して行ったとしたら、皆、来ることができると思いますか、来ないと思いますか?(「来ると思います。」) 国を挙げて、そのような祝福を執り行う絶好の機会、 祝福の権限を失ったそのものに、再び、何も希望を持ち続けることはできません。 それを韓国に接ぎ木して、先生が責任を持つようにして、今の日本を引っ張っていくようになってきているのです。その代わり、日本の代わりに、台湾であるとかフィリピン、それからカナダをつけています。四人が一つになった立場です。 母の使命は、三人の娘が援助して、四人一体となって、み旨の道を歩み出すことです。そうしなければ、 日本人が出動しないというと、フィリピンと台湾とカ ナダが・・・・・・。フィリピンと台湾は、アジアのエバの国です。 フィリピンは、第一次大戦後に、米国の属国になっているのです。それで、英語が通じるのです。カナダは、英国の妹の立場です。そのように考えると、日本が使命を果たせない場合には、英国が復活してくるのです。フランスも皆、そうです。第二次大戦後に失ったそのものを、日本の代わりに切り返して立たせることは、問題ありません。 今、時がそのようになりました。「天宙平和統一国」を建てようとする前に、これはもう皆、キリスト教を信じる者たちが、先頭に立つのです。日本の国家は、そのままでは、もう一番のびり、びり、びりのびりです。雑教の王国ではないですか? 八百万の神に侍るような国です。そうでしょう?(「はい。」) キリスト教は、絶対唯一神を信奉し、信仰を立ててやります。祝福対象になれるのです。しかし、先生が、 赦してあげたその恩恵によって、それは立ったのであって、母としての権限を唱える何の条件も持っていませ ん。先生の名を仲立ちしないといけません。 日本では、結婚する女性は、旦那(だんな)さんがどのような 姓であるかによって、自分の姓も変わっていくのですね? あなたは、名前は何ですか? お嫁に行くときに、旦那さんの姓に切り替えたでしょう? 女性は、嫁いでも、自分のその実家によって養育されたものを、お嫁に行くときに皆、ふろしきに包んで、 きちんと旦那さんに接ぎ木しなければいけません。そうしなければ、その嫁いだ女性は皆、嫁いだ家を分裂させてしまうことになります。そうして、油断できない者であるとされて、追い出されてしまうのです。分かりましたか?(「はい。」) それで、世界の財宝は皆、女性の所にすべて集まるようになっています。米国もそうです。それは、戦利国家です。Aクラス、代表国家、世界的な金持ち国家であるといっても、そこでは皆、奥さんの権限や娘の権限が大きいのです。 父親と、自分の子供、特に長男というものは、サタン的な第一番の後孫です。ですから、それらの財産を皆、共有して、二世とか、末の子が相続するのです。 それができなかった場合には、女性が相続するのです。 米国もそうでしょう? 親が、行く所がなかった場合には皆、娘の所に行きます。皆、男の所には行かないのです。そのような時代になったら、金銀、宝石、 皆、女性が持っているのです。分かりましたか? (「はい。」)そのようになっているのです。今から、もっとそのようになります。 男たちは、堕落した行動をするので、家庭を持っても皆、不良息子になってしまうのです。それで、女は泣きずりながら暮らすのですが、それは、親から見た場合には、両家の親、男から見ても、自分の本家の夫婦から見ても、かわいそうな立場に見えます。ですから、 財産があった場合には、皆、相続権限を娘に渡し、宝物は皆、娘に譲ってやるということになるのです。今、そのような時代になってきました。 それは、なぜかというと、エバが失ったすべてを復帰するために、国を代表して献納しやすい環境をつくっていかないといけないからです。その環境には、必ず主体と客体があります。 神様による天地創造の方式は、まず環境をつくって、アダム、エバが生きることができるような環境を用意されたのです。ですから、アダム、エバ、完全な実体のためには、天地創造したときと同じような世界が必要なので、環境においては、必ずそこに主体と客体があるのです。 神様が願われる創造理想、男女の理想の家庭を中心として環境を組み、それによって左右される権限を現すことによって、創造理想の区切りがつけられるのです。分かりましたか?(「はい。」) 後ろの方は、聞こえますか?(「はい。」)真昼に眠っているのではないですか?(笑い)分かりましたか?(笑い)(「はい。」) はっきりしなければいけません。女性は、先生を通さなければいけません。そうしなければ、敵になってしまうのです。敵として先生が扱うか、奥さんみたいに扱うか? どちらを願いますか? (「奥さんです。」) 先生は、きつい男です。情的男なのですが、その反面に、無慈悲な男です。そのような訓練を、もう、ほうぼうから準備されているのです。分かりますね? きょうは、貴い日です。皆さんが、このようにして「天宙平和統一国」の国民になるのですか? それは、日本人でいえば、東大で一番有名な工科や、一番良い法科で博士学位を取ることよりも、もっと難しいことです。 それを受け取る資格がありますか? イエス様が、そのようなIDカードをイスラエル民族に与えていた ならば、イエス様は、亡くなられていたでしょうか? イエス様が亡くなられていなければ・・・・・・。 今まで二千年間、キリスト教が、どれほど犠牲になり、血を流しましたか? ローマ帝国における四百年 間の迫害を、皆、知っているでしょう? どこに行っても血を流したのです。日本でも、そのような歴史が あるのではないですか? 日本の長崎。そこは、キリスト教の殉教の精神の残る所です。それは、日本の歴史においても忘れ難い、そのような記録を残しているではないですか? そのような精神的伝統を受け継ぐ、それ以上の心情でもって、このような(入籍の)権限、素晴らしい天的権限を伝授されたという、その価値を、何千倍以上も尊重しなければいけません。そうして、量り知れないほど高貴なものとして、国を挙げてたたえなければいけません。分かりましたか?(「はい。」) さあ、時間がずいぶんたちましたが、ケーキが呼んでいます。(「全員、起立してください。」)人がたくさんいるので、においだけ、かがなければなりませんね。 お母様に「来てください。」と、伝えてください。(「祝賀ケーキをカットする時間にしたいと思います。」) ここに、お母様が出てこられたのですが、お母様は、かわいそうな女性ですか、幸福な女性ですか?(拍手) (ケーキカット。「真の子女の日」祝賀の歌) マーンセ (「それでは、続いて万歳四唱をします。」) (「神様王権樹立勝利万歳!」) (「勝利された天地父母様万歳!」)(「『真の子女の日」万歳!」)(「『天一国」勝利万歳!」)(拍手) 「天一国」、もう一度、万歳! 万歳を、もう一度してください。 (「『天一国』万歳! もう一度、「天一国」万歳!」) <完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.09
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▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.2/4)― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その1/4)」「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その2/4) 」<続き。3/4> 父母とは、何でしょうか? この時代の王です。この時代です。現世において、父母はだれなのかという と、王です。現世です。 わたしたちの家には、二つの世界の王がいらっしゃるのです。祖父母、それから自分の父母、それから自分は三代目に当たります。三代は、天の国を相続するために必要です。おじいさんから愛を受ければ、相続することができ、父母から相続することができるのです。二つの世界の先祖の愛を中心として……。 それが何かというと、霊界と肉界の愛の中心代表者の結実が、アダムとエバの息子、娘の立場であったということです。これを失ってしまったので、天の国は、ぽかんとすっかり空いてしまい、地上もすべて失ってしまったのです。これを再び、埋め合わせていくためのものが、祝福家庭であり、子女の立場であるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、皆さんの時代において・・・・・・。先生は、このすべての世界、サタン世界において蕩減し、すべてのサタンを整理しておきました。個人時代も、家庭時代も、氏族時代も、もう迫害はありません。 先生は、迫害を受けながら、それらをすべて整理したので、皆さんは、今から国家を中心として、イエス様が失敗したこと、アダムが失敗したことを蕩減復帰しなければなりません。 そのようなものを整理するためのものが、イスラエ ル選民圏であったのですが、彼らは、国を失ってしまいました。そうです。皆さんも、国を取り戻すことができませんでした。 先生は、霊肉を中心とした、この先進国家基準において、受けた迫害をすべて除去して、サタンまで屈伏させ、神様との一体圈家庭的基盤を定着させたので、 堕落後のイスラエル民族を代身して蕩減した、イエス時代の国家基準を中心として、そのまま世界に当てはめていけば、すべて終わるのです。 ですから、今から皆さんにとって重要なことは、神様の御前に三代の祝福を受けることであり、その三代の家庭は、神様の子女の立場であるので、その三代の祝福を受けた家庭自体が、第三創造主の責任を果たさなければならないということです。 第一創造は、家庭完成、氏族、民族、国家の完成を願ったのですが、その国家完成ができなかったのです。 それができなかったので、イエス様もできず、再臨主も……。 再臨時代の蕩減は、霊界のサタン世界、霊界の地獄まで追放して、すべて追い出しました。そうして、地上に再臨することができるようにしておいたのです。 ですから、今からは、皆さんを後援してあげることができるイスラエル圏世界化時代が来たということです。イスラエル民族が、ローマを屈伏させる時代に越えていくのではなく、世界万民が、すべて祝福を受けることができる選民圏に入ってきたので、イスラエル圏世界化時代に入ってきたのです。 今、統一教会が、四億双以上の男女、既成家庭、それから青少年家庭を加え、八億双として一人の前に四人ずつとすれば、四掛ける八で三十二、三十二億となっ て、地上の人間の半分以上になります。 そのように、霊肉の世界を中心として、完全に峠を越えたので、その“絶対父母”に従って絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情、一つの心さえ持てば、すべてのことを越えることができるのです。 ですから、「自分は、だれか?」というとき、本然の神様の愛を中心として、本然の神様の性相的人格である男性格、形状的人格である女性格を受け継ぎ、父母の血肉を受け継いで、性相と形状が一つになり、神様がアダムとエバを創造された血統を受け継いで生まれた実体である、ということを考えなければなりません。 自分は、アダムとエバの代身存在である、ということです。自分には、神様の愛があり、神様の生命と神様の血統が直系的に連結され、これまで成し遂げることができなかった三代を今、備えて、そこから三代の 四位基台を中心として、三代圈完成を成すことによっ て、神様に侍るうえにおいて・・・・・・。 「(子女が)サタン世界における親に侍る以上!」それを一度、言ってみてください。「(子女が)サタン世 界の親に侍る以上!」(「〔子女が〕 サタン世界の親に侍る以上!」)「(父母を)愛さなければならない!」(「(父母を)愛さなければならない!」) 「サタン世界の夫婦が愛する以上!」(「サタン世界の夫婦が愛する以上!」) 「愛さなければならない!」(「愛さなければならない!」) また、「サタン世界で子女を愛する以上、兄弟を愛する以上に愛さなければならない!」と、言ってみてく ださい。(「サタン世界で子女を愛する以上、兄弟を愛する以上に愛さなければならない!」) 愛を中心として、歴史的なふたりの闘いを、体との闘いを否定して本然の基準に立たなければなりません。 そうして、神様が求めておられる心と体が一つになった血族の自らであり、息子、娘であることに間違いないと、このようにならなければなりません。 そのような立場で、“有史以来、どのような民主世界にも、共産世界にも、サタン世界にもいなかった孝子になり、忠臣になり、世界のためには聖人になり、聖子になる!”という、そのような心を持たなければなりません。そうして、「孝子というものは自分から、忠臣は自分から、聖人は自分から、聖子は自分から、それ以外にはいない。」と言うことができる資格を持たなければならないのです。 そして、過去の歴史時代において、サタン世界の極悪な法によって、善を侵犯するためにあらゆることをした、そのような極悪な歴史を持った国があれば、その国に行って、何倍もの困難があるとしても、"自分は、 勝利することができる息子、娘である!”と、思わなければなりません。 そうであってこそ、エデンで失ってしまった本然の心情を目の前にして、傷を与えた神様の心を慰労して、 解放することができるのです。そうでなければ、解放されないということを知らなければなりません。 それでは、そのように比較するとき、今までの皆さんは何ですか? うじ虫にも劣るというのです。自分 勝手に生きてきたからです。適当にやって、それで天国に行くのですか? 天法は、そうではありません。 子供が、大学に入試する時期になって、試験を受けるというときに、いくら息子を愛し、娘を愛している からといって、子供に百点を取らせて合格させるために、親が試験場に入っていって、代わりに試験を受けるということができますか? できません。千年、万 年たっても、それは子女の責任です。それと同じことです。 アダムとエバが孝子になることができず、忠臣になることができず、聖人、聖子になることができずに恨の歴史を残したのですが、これを完全に解消、清算して越えることができなければなりません。 神様の心の中で「息子」と言えば、ひとえにだれですか? “私”です。小山田なら小山田です。「娘」と言えば、何ですか? (小山田)儀子です。二人しかいないというのです。そのように言うことができる家庭にならなければなりません。 そして、「ああ、小山田だけでなく、生んでみると、 双子を生んではまた生んで、世界の各国に必要な種をすべて用意した。」という、それが祝福家庭です。 今から、国さえあれば、その種をどこで刈り入れるのかというと、それぞれの自分の国に植えるのではありません。入籍しなければなりません。イエス様が生まれるときにも、ヘロデ王が公文を出して、分封された領主たちが全員、故郷に入籍したように、故郷を離れて・・・・・・。故郷を失ってしまった民族が、再び故郷を訪ねて来て、新たに国を編成するための入籍時代があるのと同じように・・・・・・。 米国の地が、問題ではありません。今から、米国の都市で暮らすことが難しくなる時が来るかもしれません。早く終えなければなりません。早く終えようとす れば、文総裁の後に従っていかなければなりません。 文総裁の教え以外には、平和に向かうことができる道はないのです。 今回、八大都市を中心として、先生の大会をしました。ですから、「天宙平和統一国」以外には、平和に向かう道はない、ということです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) そのようにするためには、皆さんの三代が、三代創造主の権限の位置に突入しなければなりません。突入です。何千年目に突入して、神様の孫と孫娘、四代の ひ孫まで立てることができるその場から、天下の新しい家庭編成を中心として、氏族、民族、世界化時代に 越えていって、「天宙平和統一国」が生じる時が来たのです。今や迫害はありません。 今まで、韓国の八代政権が、文総裁を追い出すため に、あらゆることをして反対してきましたが、今では、 何を言っても、反対する者は、一人もいません。反対 すれば、立たせて、「あなたは、文総裁を知っているの か? どれほど研究したのか?」と言って、激しく攻 撃しようと思っています。 わたしは、大韓民国の大統領でもだれでも、すべて知っています。はっきりと知っているのです。ですから、わたしが三言尋ねる前に、彼らは答えることもできずに、恥ずかしくて座り込むしかありません。そのような度胸を持って、占領してしまおうと思っている のです。 そして、わたしが、「イエス様も、わたしが結婚させてあげた。」と言ったとき、キリスト教が、どれほど驚いたでしょうか? キリスト教だけでなく、仏教の釈迦も、わたしの手によって結婚させ、孔子も結婚させ、マホメットも結婚させ、キリスト教で有名なアウグスティヌスも結婚させ、使徒パウロも、すべて・・・・・・。 今から十二弟子も、根本的に全員、解放してあげなければなりません。そのとおりですか、そのとおりではありませんか?(「そのとおりです。」)何が、「そのとおり」なのですか? (拍手) (歡呼) だれが、それを信じますか? 信じるのは、ここにいるような人たちしかいません。この人たちは、人間 ですか、霊ですか? 人間よりも優秀で、霊よりも優秀である、ということです。なぜなら、霊も、そのこ とを知りませんでした。使徒パウロも、イエス様も、 神様が本当の自分の父であられ、血肉を分けた骨の中の骨、肉の中の肉であられたということを、本当の意味で完全には知らなかったのです。 神様は、“私”の父であられるというのです。父というものは、宿命的です。父を、お金で取り替えることができますか? 取り替えることができるのですか? 兄弟を取り替えることができますか? 夫婦を取り替えることができますか? この西洋の男性と女性たち。 初愛が貴いのです。天地を与えても、取り替えるこ とはできません。結婚とは何かというと、世界の男性と女性の代表者の出会いです。神様を証人として主人として立っていただき、億千万世の聖人烈士たちをすべて証人として立てて、「間違いなく天道に合う夫婦になる。」と誓約するのが、夫婦なのです。そのことをはっきりと知らなければなりません。 それゆえに、すでに祝福を受けた人は、第三創造主にならなければなりません。第一創造主の神様がいらっしゃらなくても、第二創造主のアダムとエバがいなくても、第三創造主は、歴史の結実となることができるのです。正に、歴史の結実と同じです。その結実は、千代たっても同等です。そのようになることのできる家庭にならなければなりません。 ですから、血統と愛と生命が、行き違いになっては いけません。神様の愛から父母の愛が同化されるので あり、血統は垂直です。中心は一つです。理想的中心、愛の主人の血統が、二つになることができるでしょうか? 皆さんの個人的心と体が一つになって、神様を愛すれば、そうして、それが神様の娘として生まれ、息子として生まれて愛したのならば、その愛は本物です。 今まで、心と体が一つになった息子、娘が結婚した家庭がありませんでした。 それを真の父母が代身して成したがゆえに、真の父母の教えを受けて相続して、初めてその立場に行くことができるのです。それで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。そのようにしなければ、その国に行く ことができないので、その原則基準を中心として解決し、そこから・・・・・・ これが逆さまに来ました。反対に回っていったので、 これをすべて成し、ここに来て、切って反対に行かなければなりません。 真の父母から、真の夫婦から、真の子女、真の家庭を中心として、それが横的に世界化され、同じ種をまいておくことによって、世界が一度に・・・・・・。 春になって、これが万国を根として、万国全体が一 つの国の収穫として神様の前に奉献され、それを神様の祝宴の日、天のお父様が祝宴をしてくださる日、あるいは、兄弟たちが祝宴をする日にすれば、「自分の祝宴だ。」と言うことができ、自分の家の祝宴であると言って祝賀することができるのです。そのようにならなければなりません。 そうして、そのようなものが大きくなって、国の祝宴、天宙の祝宴となっていくのです。そうすれば、全部が神様の家族となり、血統を連結させて、一つの血族のようになります。それは、拡大されるだけなのです。 喜びとともに子女が大きくなればなるほど、より大きな喜びがもたらされるようになります。すべての家庭に価値があるので、天の国に近づいていくことによって、大きくなれば大きくなるほど感謝し、大きくなれば大きくなるほど、福が加重されるので、もっと感謝することができるのです。 そのような生活をすることによって、神様の王子、王女として、天地の大主宰であられ、王の中の王であられる、その主人のすべてのものを相続することができるようになります。そうすることによって、天上天下の天国が、"私”のものになるのです。アーメン! (「アーメン。」)(拍手) それゆえに、「真の子女の日」を迎えて記憶すべきことは何かというと、皆、忘れてもよいですが、第三創造主は、神様の代身として、一族、一国、一世界を成すにおいて、神様がいらっしゃらなくても、真の父母がいなくても、自分の家庭を持ってそれを成すことができる、ということです! ですから、真の父母を訪ねて来なくてよい、というのです。 今はもう、霊界の調整をしなければならない時が来ました。地上は、すべて皆さんに任せるのです。わたしが、霊界まですべて道を築いておいたので・・・・・・。霊界も、すべて祝福してあげたでしょう? 地上に再臨することができるようにしました。 ですから、長子権復帰をして、次子が長子になって引っ繰り返ることによって、本然の世界に真なる愛の対象圏を成し、わたしたちの家庭において、神様の愛された家庭を代身することができる息子と、息子の嫁を完成するのです。 そのようにして、夫婦完成とともに家庭完成をし、 それを神様におささげしなければなりません。自分のものではありません。ささげなければなりません。 そのようにしようとすれば、今まで、サタン世界に よって汚されたすべての所有圏を、すべて神様に奉献しなければなりません。そうして、日本の国や、日本の土地や、日本のすべての人、米国なら米国全体を、 一度にすべて奉献してさしあげ、真の父母、天地父母 が、全権時代において、サタンまで一つにして、神様の勝利と栄光を称賛するのです。 そうして、「万世の王の中の王になり、私たちは、その王に侍る王家の立場で、孝子、忠臣、聖人、聖子になるのです。」と言うことができる解放的万歳をしてこ そ、天下に地上、天上天国が君臨完成するのです。「アーメン」です。(「アーメン。」)(拍手) そのようなことを再度、覚醒して・・・・・・。祝福家庭というものは、第一創造主の代身となり、第二創造主の理想を抱いて、神様の孫となる第三創造主の責任を果たさなければなりません。そうして、大きな世界、大きな天宙を管理することができる時代になっているのです。ですから、神様が愛するにふさわしく、アダム とエバが、わたしたちを尊敬するにふさわしい、二つ の世界の王子、王女にならなければなりません。 二つの世界の王となり、王子となり、勝利の覇権をもって、天の前にお返ししてさしあげることによって、 アダムとエバも、その世界の主人になることができ、 神様も、その世界の主人となることができるのです。 そうして、全体が一つの場で、一つの父母のように侍ることができる場が、地上、天上天国なのです。主権は一つです。王も、三つが一つになって、一つの場に立つときに・・・・・ 霊界に行けば、李相軒氏の話が、そうではないですか? 夫婦が一人になり、息子まで一人になるといっていたのではないでしょうか?それは、三人が一つ になるのと同じです。ですから、アダム、それからイ エス様、(再臨主、)再臨時代の自分、四次アダム、四人が一つになった実体圏を中心として、一人のように表示されなければなりません。 このようにすることができる環境的要件と環境の中 で、実体の男性と実体の女性世界が、超国家的な、歴史性を超越した立場に立ち、勝利の覇権を中心として完全に天を解放させ、王権を中心とした勝利の大王として侍ることができなければなりません。そのような 家庭が普遍化された統一世界が、地上、天上天国であっ たのです。アーメン! "そのような息子、娘に、間違いなくなろう。”という人、決心する人は、手を挙げてください。今からは、 皆さんの妻も、自分のものではありません。子供も、 自分のものではありません。自分の先祖も、自分のものではありません。万物も、自分のものではありませ ん。天にお返ししなければなりません。 今から二〇一二年までに、このことをどのようにして世界的に完成するのかという、忙しい、区切られた 計画圏内に入ってきたので、休む間がありません。戦争の中で、これ以上の戦争は、ありません。 ですから、戦場に出て勝利した以上の勝利を挙げ、 忠孝の道理を立てて、間違いない忠臣と、 間違いない聖子の道理を完成しなければなりません。このような天の国の使命を受けた神様の代役者、また、アダムとエバが失敗したことを復帰する代役者として、間違いなく勝利の覇権をお返ししてさしあげるための道を行かなければなりません。分かりますか?(「はい。」) そのようにすることができる人は、両手で誓ってく ださい。誓って、拍手、拍手、拍手!(拍手) 「私たちの家庭は、」と、言ってみてください。(「私たちの家庭は、」)「第三創造主の責任を完成しなければ ならない。」(「第三創造主の責任を完成しなければならない。」) 「三時代を総合した、」(「三時代を総合した、」)「勝利の覇権者として、」(「勝利の覇権者として、」)「天上世界の神様王権樹立と同時に、地上の国の王権樹立を完成する。アーメン。」(「アーメン。」) 「天上世界の完成、地上世界の完成を成す。アーメン。」と言ってみてください。「天上世界の完成」(「天上世界の完成。」)「地上の完成」(「地上の完成。」)「天地父母の覇権を中心とした、勝利の天国を完成しなければならない。アーメン!」(「アーメン!」)分かりま したね?(「はい。」) 祝福家庭は、何ですか? (「第三創造主です!」)第三創造主の責任です。神様がいらっしゃらなくても、 アダムとエバがいなくても、自信を持たなければなり ません。 ですから、今から、帰ってしなければならないことは何かというと、金氏なら金氏を逆さまに引っ繰り返しておかなければなりません。逆さまにです。家庭から、親戚の八等親から自分の一族すべてを、です。日本なら何ですか? 小山田氏なら小山田氏の氏族です。 小山田氏。日本には、氏家は、たくさんあるけれども、何軒ぐらいありますか?(「六十万ほどです。」)六十万? それを全部、早く復帰しなければなりません。自分の氏家を早く復帰して、それを先生の勝利圏 の天宙復帰に向けて、引っかけて、しっかりとかけておくのです。これは、自動的に解放されます。 日本人同士の祝福家庭は、どんな難しい場合でも、 全体献納して、完全一体として、世界までつなぐよう なぐような、真の精誠を尽くして献納することによって、日本国民は、神様の国に帰属することになります。また、 そのようにして寄与することができるのです。分かりましたか?(「はい。」) 特に、エバ国の使命は、教育問題です。教育・養成の問題は、二世に対して責任を持つことです。たとえ日本の国を売ったとしても、日本の全体を犠牲にしたとしても、それを果たさなければなりません。 母の使命は、一身全体を犠牲にして、子供の養育を果たすことです。子供が完成して、神の国に奉献することができるように、精誠を尽くして養育しなければ なりません。ですから、日本の女性は、日本内で死ぬような考えをしてはだめです。分かりましたか?(「はい。」) 世界の国々、世界の土地土地に皆、分散して、そこに住んでいる天国の子女たちを養育して、完成の道、忠孝の道を完成させなければなりません。そのような献納と奉仕をしなければ、エバ国の使命が完成される道はありません。はっきりと分かりましたか?(「はい!」) さあ、そのように理解して、きょう、記憶すべきことは、今から「天宙平和統一国」に入籍することができる時代に入ってきたということです。そのことを知 らなければなりません。 今から祝祷をしなければなりませんが、祝祷が何か、分かりますか? み言の祝祷です。神様の御前に奉献 したので、そのみ言が、すべて祝祷であるというのです。 「天宙平和統一国」というとき、「天宙」の「天」という字の中には、「二人」という字が入っています。「天」という字は、「二」という字が平行線になっています。二人の人が平行になるのです。平行です。分かりますか? また、「平和」の「平」という字の中には、 十字架があります。それは、天と地を完全に連結させるということですが、それは、この二人のことをいうのです。 ですから、「天宙」の「天」という字の中にある「二人」という字の中には、すでに平和の概念が入っているということです。分かりますか? それゆえに、今後、「天宙平和統一国」を何と呼ぶのかというと「天一国」と言うのです。(拍手) それは、神様が最も好まれる、一つの国です。「天が願われる一つの国」という意味になるのです。「天一国」 と言ってみてください。(「天一国。」) 「天宙平和統一国」を、より簡単に言えば、「天一国」 になります。それは、神様が最も好まれる、一つしかない国です。わたしたちの家庭が最も好む、一つしかない国です。わたしたちの一族が最も好む、一つしかない国です。白人、黒人、黄色人種が最も好む、一つしかない国です。そうではないですか? 二人が一つになってこそ、天国ができるのです。そ こには、そのような意味があるのです。さあ、その話をしてあげてください。 <4/4に続く>(黄善酢韓国会長による「天一国」の「IDカード [会員証]」についての報告) (IDカードの裏面にある四大綱領の四番目の内容について)何ですか?(「はい。「天道に通じる霊的道徳的指導力涵養(カンヨウ)」です。」)それを「統一的涵養」と書いてください。「統一」という言葉を入れなければなりません。(「はい。「統一的涵養」にします。」)そうです。 人間の差別なく、平準化を・・・・・・。「神様王権即位式」のときに話したではないですか? 四大綱領が入らなければなりません。「統一的涵養」です。そうです、それです。 (IDカードの発行母体となる「天宙平和統一家庭 Family 2002.10 42一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.07
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▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.2/4)― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その1/4)」の続きです。 今日、この地上に生きている人たちは、良心を否定するでしょう? 体が願うとおりにしているのです。 体は何かというと、「自分が一番優秀である。」と言うのです。父母もなく、神様もなく、夫も女性もなく、すべて否定するのです。 ですから、”個人主義王国時代”が来たので、その立場は、天の国を失ってしまい、神様を失ってしまい、 自分の先祖を失ってしまい、自分の国を失ってしまった立場です。そうして、家庭においては、祖父母を否 定し、父母を否定し、自分たち夫婦も否定し、息子、娘も否定するのです。 その結果、神様も完全に否定し、天の側から見ると神様ご自身が、すべてを否定するという終末現象が起きているのが、現在、わたしたちが暮らしてい る世の中の姿であったというのです。そこには、希望 というものは、一点一画もありません。息子も、娘も、夫も、父母の前に希望がありません。 ですから、自分自身で嘆いて彷徨し、その挙げ句、 解決策がないので薬を飲んで自殺してしまうような、 自らを滅ぼす’わな’に陥らざるをえない状況になっています。そのようなこの終末時代において、その嘆息圈 からどのようにして抜け出し、堕落によって失ったものをどのようにして奪還し、解放の世界に向かうのか、という宿題が残っているのです。 このような宿題を解くことができるものが何かというと、父母には、二つの父母があるということです。 そのことを知らなければなりません。 堕落した父母が偽りの父母であり、心と体が一体となった男性が、神様の本然的愛に連結され、女性も、心と体が神様的な性相的、形状的実体、アダム的な形状的実体、二つが一つになった心と体が・・・・・・。 これは、四人の人と同じです。それが神様の絶対、 唯一、不変、永遠の愛を中心として、わたしも絶対的となり、あなたも絶対的であり、夫も男性も絶対的で あり、妻も女性も絶対的であり、息子も絶対的であり、娘も絶対的であり、夫婦も絶対的な夫婦になるのです。 しかし、そのような位置を失ってしまいました。 それを再び取り戻してこそ、その位置に戻っていくことができるので、それを成就するために、神様は救援摂理や再創造の役事をしてこられたのです。そして 今、その位置に再び戻って、それを清算しなければならない時代が来たのです。 今は、自分を中心として、願いや希望を持つことができない世の中です。今まで、米国の国民は、「自分は、 米国国民である。」と言って誇っていましたが、 引っ繰り返ってしまいました。「先進国」という言葉を言ってはいけない、というのです。どれが本物なのか分かりません。上が下なのか、下が上なのか、上なのか下なのか分からないということです。 善悪ということについてですが、それを「悪善」と言いますか、「善悪」と言いますか?(「善悪です。」)それでは、「地天」と言いますか、「天地」と言います か?また、「父母」と言いますか、「母父」と言いますか?「女子」と言いますか、「子女」と言いますか? 逆さまになっているものがあります。逆さまになっているものは何かというと、「上下」と言うときには、 父母を表し、「左右」は夫婦を表すのですが、「左右」は、本来とは逆さまになっています。「右左」にはなっていません。そのことを知らなければなりません。 それは、なぜでしょうか? 良心は、ありのままを 率直に告げるようになっています。終末になれば、必 ず良心が、"自分宣言”をするようになっています。ですから、「私は罪人である。間違っている。そのことは正しい。」と言わなければなりません。 共産党は、赤です。赤いものは、危険千万であり、 嫌いです。白色は、何ですか? 安全である、という のです。すべて、そのようにありのまま率直に告げるのです。 サンノム サタン世界は、「この野郎 (쌍놈)。」と言って、悪口 を言うでしょう?しかし、悪口は、悪いことばかりではありません。サタンが最も嫌う“双(쌍ーカップ ル)”になるのです。分かりますか? 神様を中心とし た“双(쌍ーカップル)』が最も憎らしく、最も恐ろしいのです。ですから、サタン世界は、そのように悪口を言うのです。(韓国語の「野郎 [쌍놈)」と「双 [쌍]」 の発音の一部が似ていることから) ですから、わたしたちが真と偽りを分別するとき、 自分の心と体の中には、“真”と“偽”が定着している ということを知らなければなりません。何が定着しているのですか? ”真の父母”と“偽りの父母”です。 このようになるのです。“真の父母”と“偽りの父母” が定着しており、”真の夫”と”真の妻”が、逆さまに なっています。ですから、”偽りの父母”です。 “真の子女”とは反対の“悪の子女”、“悪の夫婦”、 "悪の父母”、“悪の愛”と一つになっている世の中で あるということを知るようになるとき、ここで真なる 愛を捜し出すためには、根源からすべて否定しなけれ ばならないのです。 多く宗教は、より深く信仰し、求めていくようになれば、出家を求められることがあります。「家と国を捨てて乞食のような立場になり、地獄の底に降りていきなさい!」と、そのように、「否定しなさい。」と言わ れるのです。そして、「独身生活をしなさい。」と言い ます。 最も憎むべきことは何かというと、神様の御前で、偽りの愛を始めたということです。これで世界を蹂躙し、神様を蹂躙したので、千年、万年たっても、これを見るのは嫌なのです。ですから、否定しなければ、 否定の否定をしなければならないというのです。 それゆえに、今日の統一教会も、先ほど訓読したみ 言(一九六八年十一月二十日、第九回「〔真の〕子女の 日」に語られたみ言「『〔真の〕子女の日』はいかなる日か」)の中でも、詳しく話してあげていますね? 子女から父母を取り戻し、「(真の)父母の日」、「(真の) 子女の日」を中心として、実体から形状実体、心情世界まで完全に否定して、新しい本然の世界に帰らなければなりません。 アダムとエバは、神様を中心として、三代を実現することができませんでした。ですから、三代を成し遂げなければならないのです。 それでは、祝福とは何ですか? 皆さん。祝福とは何かというと、神様は第一創造主であられ・・・・・・。分かりますか? 神様は、何創造主であられるというのですか? (「第一創造主です。」)アダムとエバは、何ですか? (「第二創造主です。」) アダムとエバは、第二創造主なのですが、第一創造主であられる神様は、アダムとエバを生みましたが、 第二創造主であるアダムとエバは、第三創造主を生むことはできませんでした。それは何かというと、神様が三代の孫を持つことができなかったということです。 孫です! 分かりますか? なぜ、孫を持つことができなかったのかというと、 アダムとエバが、神様と同じように息子、娘を生んで第二創造主として完成することができなかったからです。 そしてまた、アダムの息子も、第三創造主の立場に立ちます。それで、第三創造主になろうとすれば、おじいさんの愛とお母さんの愛、二つの愛を受けなければなりません。おじいさんの愛は霊的世界を代表し、 お父さんの愛、父母の愛は、この現実世界の愛です。 天上世界と、現実のサタン世界を代表する二つの愛が、アダムとエバを中心とした息子が受けなければならない愛です。 ”心的”世界の完全相続を成し、”体的”世界の完全相続を成せば、父子関係の二代の因縁をすべて相続したことになるので、天上世界と地上世界、二つの世界を受け継ぐことができるのです。 それは、どういうことであるのかというと、 アダムとエバを中心としたものよりも、第三創造主となるアダムとエバの息子も、息子、娘を生んで、初めてそこから種ができて広がっていく、ということです。神様が、いくら偉大であられるとしても、創造は、アダムとエバしか成すことはできませんでした。分かりますか? アダムとエバは、結婚してから、どうなると思いますか? 子供を何双くらい生むと思いますか? 先生 でも、十三人の息子、娘を生んだので、それは、十三双を生んだことと同じです。アダムとエバが、百歳以 上、何百歳までも生きたならば、息子、娘が、どれほどたくさんいたでしょうか? 三十六双は、問題あり ません。 ですから、アダムとエバの孫は、そして息子は、神様よりもりっぱであり、アダムよりもりっぱであるということです。それゆえに、神様もご自分が愛される 相対は、自分よりもりっぱであることを願われ、アダムも、愛する相対が、自分より以上にりっぱであることを願うのです。 神様も同じです。神様の愛の相対は、アダムとエバです。神様は、そのアダムとエバが、ご自分よりもりっばであることを願われ、アダムとエバも、自分たちの息子が、自分よりもりっぱであることを願うのです。 同じように、やはりアダムも、自分の相対はエバなのですが、エバがアダム自身よりもりっぱであることを願い、アダムとエバのふたりが生んだ息子が、自分たちよりもりっぱであることを願うのです。同じことです。 ですから、神様も、願われた所願が何かというと、 アダムとエバの創造が目的なのではなく、三代目となるアダムとエバの息子、娘、そしてさらに孫が、理想の創造目的であったのです。アーメン! このようにならなければなりません。そこで完成するのです。そこで初めて、種が種として完全になるのです。 そこでは、すべて父母となり・・・・・・。そうではないでしょうか? 霊的父母、肉的父母、縦横の父母がいて、 肉的な夫婦が、未来における霊的な夫婦となり、肉的な新郎新婦時代、肉的な約婚時代、肉的な息子時代、 肉的な子供時代、肉的な赤ん坊時代、すべて連結されるのです。 神様は、八大心情圏の主人になることができませんでしたが、そのようにして本然の血統的関係が完成されるはずであったのです。エバの腹中にいる息子、娘に対して、神様が、喜びながらエバのおなかに耳をあてて赤ん坊が動きまわる音を聞こうとされ・・・・・・。皆さんの夫が、そのようにするでしょう? 最初の子供を宿したときは、特にそうです。 神様は、エバの腹中に宿った赤ん坊に対して、皆さんが祝福を受けて宿した赤ん坊を、皆さんの夫が愛する以上に愛してみることができたでしょうか、できな かったでしょうか? 愛してみましたか、愛してみることができませんでしたか? (「愛してみることができませんでした。」)してみることができなかったので幸福ですか、不幸ですか?(「不幸です。」)不幸なのです。 神様は、すべてを失ってしまわれました。八段階の愛の主人であられる神様が・・・・・・。エバが赤ん坊を生むとき、エバの陣痛のときにも、その主人であられるべき神様が主人ではありませんでした。他の主人が、すべてを持っていきました。 また、エバが赤ん坊を生んでから育てるときにも、そのエバが生んだ赤ん坊をひざの上に乗せて、三年なら三年、赤ん坊が言葉を話すときまで、そのような時期にも、赤ん坊を愛してみることができなかったのす。なぜでしょうか? 血統が違うからです。怨讐になっているのです。 もう明日、あさってには結婚するはずなのに、怨讐が、その妻を奪っていって赤ん坊を宿してしまった、という立場です。そのようなときに、その新郎が妻を訪ねて行った場合、その赤ん坊に関心が行くでしょうか? また、その妻をほうっておくということがあるでしょうか? その子供でも何でも、妻でも何でも、殺したい思いではないでしょうか? 皆さんも、そうでしょう? 夫に対する怨讐がいた場合、会えば殺してやりたい思いになりますか、助けてあげたい思いになりますか? 殺したいような思いでしょう? ですから、神様にとって、堕落した人間世界には、 ご自身の相対としての"エバ”というものは、一人も いません。アダムもいないのです。失ってしまったのです。 それでは、どうすればよいのですか? 再創造しようとすれば、どのようにするのでしょうか? 再創造して、堕落しなかったとき以上に愛するということは、 神様には、死ぬことよりも嫌なことです。死ぬよりも嫌なのです。 それでは、どのようにすれば、これを救援することができるのでしょうか? 神様の戦略戦術は・・・・・・。神様が、人間を滅ぼすなどして、ご自分がしたいとおりにすれば、人類の種がなくなってしまいます。永遠に、この地上では、人間が主人です。ですから、そのようにすれば、創造世界の主人が生まれる道がなくなってしまうのです。 ですから、神様が責任を持たれて、悲しい、悲しい峠を越えるとしても、主人の位置を再びつくって、これを立てようとされたのが、千辛万苦の苦労をして野生のオリーブの木を真のオリーブの木に接ぎ木する道だったのです。 しかし、それは、野生のオリーブの木にもなりません。ボブラや他の木が、野生のオリーブの木になることは、野生のオリーブの木が真のオリーブの木になることよりも、もっと大変なのです。 神様は、そのような苦労をされて、野生のオリーブの木までつくってあげ、世界的な歴史において、宗教を通じて野生のオリーブの木畑を、天の側の野生のオリーブの木畑に変化させてきたのです。そうして、それが人類の半分以上になれば、そこに主人である一つの真のオリーブの木が来られて、野生のオリーブの木を切ってしまって、一度に神様が・・・…。 しかし、神様の所有権だからといって、思いどおりにサタン世界を打って、奪ってくることはできません。 ですから、それは、自然屈伏させて、天の側の野生のオリーブの木となったものを切ってしまい、一つの真のオリーブの木に接ぎ木して、すべて真のオリーブの 木畑にするためなのです。 あぜんとするようなことです。それは、真のオリーブの木を願われる神様が、そのようにする道しか、接ぎ木するしかなかったという事実です。神様は、実体を愛することができなかったのです。 ですから、しかたなく真のオリーブの木をつくり、 神様は、「わたしに似なさい、似なさい。」と言われながら、復帰摂理を進めてこられる過程においても、失ってしまわれたアダムとエバを創造理想として見詰め続けられ、その二つの心を一つにされるのです。 そのようにして、「"絶対愛”を中心として、父母の中の父母であり、王の中の王であり、新郎の中の新郎であり、子女の中の子女になろう。」と言うことのできる家庭をつくらなければなりません。そのような家庭をつくる基盤が、この地上に現れることによって、初めて神様が臨在され、本然の愛を中心として主が来られ、真の父母が来られるのです。 アダムとエバの家庭、一家庭だけではありません。 皆さん。「第四次アダム圈『祝福中心家庭!」それが、 簡単な言葉でしょうか? それが、どれほど大変なことか分かりません。そして、それは、アダム家庭一つではないのです。全世界の峠を越え、数千万、数億の 家庭を代身した勝利の覇権を中心として、皆さんが、すべて平等な価値を備え、「祝福中心家庭」として……。 それは、アダムが、堕落せずに完成して、祝福を受けたものと同じです。そうして、それを中心として、それまで何千万年もの間、空いていた天の国の倉庫が、地上に真の父母が来られることによって、すべてされるのです。すべてを蕩減復帰して、これを接ぎ木し、野生のオリーブの木畑を真のオリーブの木の家庭につくりかえ、それを一度に合わせるのです。 それゆえに、神様ご自身もそうであられるのですが、そのために真の父母は、神様よりも、どれほど途方もない十字架を独りで背負ってきたのかということを皆さんは知らなければなりません。それが、「祝福中家庭」です。分かりますか? 今、「祝福中心家庭」は、一つですか、数億ですか?数億ですが、すべて価値は、平等であるというのです。そこで、これから先祖が、一等、二等、三等、四等と、決定されていくのです。アダムとエバの子供も、今までの千代万代の子供も、その価値はイコールです。 しかし、そのように同じ価値を持っているのですが、 先祖的系列が、すべて異なるのです。国家的系列や民族的系列が、それに従って決定され、先進国家、中進国家、後進国家の形態が展開していきます。このよう な一代圏内の「祝福中心家庭」の中で、それが生じる のです。 ですから、ここで、天の国に行くことができる人、 楽園に行くことができる人、というように決定されるのです。霊界には楽園がありました。その楽園に監獄が生じます。神様の国を中心として、違反したすべての人たち、法を守らない人たちは、永遠の地獄としてなくなることもありうる世界ですが・・・・・・。 しかし、たとえその地獄に入っていくとしても、その刑をすべて蕩減すれば、服役を終えれば、すべて帰ってくることができることと同じです。 それを自分の一族が協助し、自分の先祖も、国まで協助して、解放的後援をすることによって、永遠に地獄には行くことはないというのです。千万の苦労をして、それを克服して越えていかなければならないということです。 ですから、本然の世界に入っていくことが、どれほど大変でしょうか? 皆さん一代で、統一教会を二十 年間信じたということは、問題にならないというのです。分かりますね? それでは、神様が捜し求められるものは何かというと、第三代まで堕落せずに、神様から祝福を受けることによって、神様の家庭が定着することです。そのためには、「神様の国」の王であられる神様の愛をたっぷりと受けることができる、そのような家庭にならなければなりません。 それが、家庭においては、おじいさんが過去の霊界を代表し、父母は現在を代表し、息子、娘は未来を代表するのです。これが三つです。 それでは、家庭を中心として見れば、おじいさんは霊界を代表し、父母は、この時代を代表し、息子、娘は未来を代表するのですが、この息子、娘は、おじいさんにとっての孫に当たるので、おじいさんの愛と父母の愛を受けなければなりません。 わたしも、じっと考えてみると、自分の息子、娘が生まれて育てるときには、あたふたとよく分からなかったのですが、孫が息子、娘よりも、もっとかわいいと感じられるのです。 最近の韓国を見てみれば、おじいさんとおばあさんが、「ああ、早く結婚して、わたしに孫を抱かせておくれ。」と願うでしょう?なぜ、そうなのかというと、 神様は、”おじいさん”に当たるからです。おじいさんであられる神様です。ですから、おじいさんは、神様の立場を代表して、霊界から派遣された全権大使と同じであるというのです。 それは、わたしたちの家に来て、神様の代わりに伝統を正すのです。堕落してはいけないということです。そのような天の国の全権大使です。天の国の実体の王として来ているのが、おじいさんであるというのです。 分かりますか?Family 20021 30 <第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その3/4)に続く> 父母とは、何でしょうか? この時代の王です。この時代です。現世において、父母はだれなのかという と、王です。現世です。 わたしたちの家には、二つの世界の王がいらっしゃるのです。祖父母、それから自分の父母、それから自分は三代目に当たります。三代は、天の国を相続するために必要です。おじいさんから愛を受ければ、相続することができ、父母から相続することができるのです。二つの世界の先祖の愛を中心として……。 それが何かというと、霊界と肉界の愛の中心代表者の結実が、アダムとエバの息子、娘の立場であったということです。これを失ってしまったので、天の国は、ぽかんとすっかり空いてしまい、地上もすべて失ってしまったのです。これを再び、埋め合わせていくためのものが、祝福家庭であり、子女の立場であるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、皆さんの時代において・・・・・・。先生は、このすべての世界、サタン世界において蕩減し、すべてのサタンを整理しておきました。個人時代も、家庭時代も、氏族時代も、もう迫害はありません。 先生は、迫害を受けながら、それらをすべて整理したので、一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.31
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▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂 きょうは、何の日ですか?(「『真の子女の日」です。」) 子女とは、どのようなものが子女ですか? 子女というものは、父母を持った息子、娘を「子女」と言うのです。それでは、皆さんは、父母を持っていますか? (「はい。」)父母というものは、世の中で自分を生んでくれた父母がいて・・・・・・。 父母は一組であって、 二組いるのですか? 今日、 統一教会で言う「父母」とは、何ですか?(「真のご 父母様です!」)何ですか? 真の父母ですか?「真の父母」という言葉は、だれがつくったのですか? 皆さんが、つくったのですか、先生が、つくったのですか?(「神様です。」) 神様が、おつくりになったということを知っているのですか? そのようなことを考えれば、なぞの言葉 です。これは、信じられないような言葉ではないでしょうか? しかし、“信じられない言葉を信じる”という事実が、りっぱなのです。 神様を見ましたか? 見たことがないでしょう? 神様が、お父様なのか何なのか、どうして分かるのですか? しかし、それは、理論的に正しいというのです。 現実の自分自身のすべてを見てみるときに、絶対的な真の神様の御前に息子、娘となった、そのような父母の実体を受け継いだ自分自身になっていなければなりません。ところが、それを受け継ぐことができなかったので、自分自身が左右に偏った夫婦になり、父母になり、息子、娘になっているのです。 絶対的な一つの世界の伝統の下にいるのではなく、 二つの世界、主人が二人いる結果的世界にいるということを見るとき、“私”とは、自分だけではないのです。 このことを見るとき、“私”には、”心の私”と”体の 私がいるということを知らなければなりません。 それでは、”心の私”とは何であり、”体の私”とは、何でしょうか? そして、それは、どこに属している のでしょうか? また、日本人は、日本の国に属しているのでしょうか? 日本の国は、過ぎ去っていくの です。 米国人は、「米国が、世界の最強国である。」と言い、「米国は先進国だ。」と言って誇り、「自分たちが一番だ。」と主張するのですが、真なる不変の一つの父母というものは、米国も超えていきます。そのようにして超えては超え、さらに超えていって、第一の人類始祖まで行くのです。 根本までたどってみたとして、アダムとエバは、どうだったでしょうか? アダムとエバも、同じです。 そうして、根本となるアダムとエバの立場も超えていくと、その場においてこそ、必ず絶対的な真なる神様と真なる父母がいたはずです。 しかし、堕落したことによって、そのような立場になることができず、今、わたしたちが、神様も分からず、真なる父母も分からずに暮らしているのを見るとき、父母が本物なのか、偽者なのかも分からない立場にいるというのです。 父母が本物であるならば、その本物の父母を通して生まれれば、本物の息子、娘ということになります。 しかし、本物の息子、娘であるならば、行ったり来たりすることはできないはずなのに、行ったり来たりする立場にいるのです。 子供だけでなく、父母も行ったり来たりし、自分も 行ったり来たりしているので、「絶対」という言葉を立てることができない自分自身である、ということを自覚しなければなりません。 ですから、皆さんが「父母」という言葉を言うとき、 必ずご父母様によって・・・・・・。 「父母」という言葉は何かというと、父がいて、母がいて、彼らが愛というものを中心として因縁を持ち、 関係を結んで夫婦関係となり、子供を生むことができる立場となって、父子関係を持ったということです。 それゆえに、その父母自体が不完全な立場にいれば、 その不完全な父母が、愛を中心として、その生命の実体が一つになって残した血統は、行ったり来たりして絶対的なものではないのです。 ですから、このようにしてつくられた家庭も、国も、このような父子関係をつくったすべての歴史も、神様は喜ばれることはできないし、そこに“真”を立てることはできないという結論が出てくるのです。それゆえに、"父母が二組いなければならない”という事実を立てることによってこそ、善なるものと悪なるものを分けることができるのです。 それで統一教会は、神様を見ることもできず、真のご父母様の内容もよく知ることができないにもかかわらず、「真の父母」という言葉を掲げてきたのであり、「偽りの父母」という言葉も解明しているのです。 それが、ここを見ても、あちらを見ても、過去のすべての歴史時代に行っても、未来に行っても、神様の創造理想世界に行っても、どこに行っても間違いのない内容であるというときには、それを中心として、一 度、さーっと整理してみれば分かります。 神様の属性は、絶対、唯一、 不变、永遠なのですが、 神様から始まる愛と生命と血統も、そうであると考えられます。その神様に連結された二つの性稟(せいひん)が、一つ になって愛の関係を結び、父母となって血統を残すのですが、それも絶対、唯一、不変、永遠の血統になるのです。 ですから、その血統を受け継いで、正しい立場で相続すれば、その息子、娘も、絶対、唯一、不変、永遠となるのです。このように、父母も絶対的であり、子女も絶対的であり、夫婦も絶対的であり、その家庭も絶対的であり、その血統を通じた氏族も絶対的であり、 唯一的であり、不変的であり、永遠的なのです。 そうして、氏族だけではなく、国もそうであり、世界もそうであり、天宙もそうであるというとき、そのような国になり、そのような世界になった、その世界のことを、いわゆる地上天国、天上天国というのです。 アーメン!(「アーメン!」) (拍手) それでは、皆さんの心と体が闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」)その闘いは、だれが始めたのですか? 皆さん自身が始めたのですか、皆さんの親が始めたのですか?(「親です。」) それは、だれが始めたのか分かりませんが、それが生じるようになったすべての根源を捜してみれば、"わたしたちの第一の先祖である人類始祖から始まった”という論理を否定することはできません。 それでは、その原因が人類始祖であるならば、彼らは、神様と直接の関係を持っていたはずですが、神様の元にいる息子、娘が、どうして堕落したのか、ということになります。どうして、そのようになったのでしょうか? それが、なぞです。知られざる事実です。 それは、人間には知ることができません。なぞです。 それを知ることができるかたは、だれでしょうか? アダムとエバが知らなかったので、知ることができるかたがいるとすれば、神様しかいらっしゃらないのです。 神様が最も好まない夫婦となり、夫となり、妻となって愛し合い、男性と女性の生命を通して、神様が最も好まない血統を残したということは、間違いありません。その事故が、どこで起きたのかというと、神様とアダムとエバの関係が乱れたことに由来するのであり、そこから事故が起きたのです。その論理は、絶対的であり、唯一的であり、不変、永遠です。 そして、その事故が、どのような事故であるのかということを、今までだれも知りませんでした。神様だけがご存じだったのです。その事故が、アダムとエバ自体が動機となったのではなく、サタンが動機となって起こったのであるとすれば、サタンと神様以外には分からないのです。 それでは、これを解決するためには、どうしたらよいのでしょうか? そのためには、神様を捕まえて説 得し、その責任を追及しなければならず、また、サタンを捕まえて責任を追及しなければなりません。 そうして、神様のみ旨の前に、サタンとは何であるのかということも究明して、「サタンとは、神様と一つになることができない存在ではないか?」と、このようなことも明らかにしなければ、この問題は解決されないのです。 そのような問題を解決した起源から、「(真の)子女の日」や、「(真の)父母の日」や、「(真の)神の日」が再度、必要になるのであって、それを解決できなければ、また、根源を明らかにしなければ、いくら「(真の)子女の日」と言ったとしても、神様とわたしたち人類始祖の根本を解決することはできません。 また、神様を中心として関係を結ぶことができる家庭や夫婦の関係においても、その本然の絶対、唯一、 不変、永遠な家庭の起源を捜し出すことはできないという論理が成立するのです。 それでは、このすべての動機は、神様と人類始祖の失敗によって・・・・・・。失敗とは、何でしょうか? 最近で言えば、人は、「お金が一番よい。」と言うのですが、人類始祖の堕落とは、お金で闘って失敗したのでしょうか? そうであるとすれば、問題にもなりません。お金というものは、わたしたちの人生生活における付帯条件なのであって、絶対的条件ではないからです。 わたしたち人間の属性は、神様と同じなのですが、 人格神の標準は、絶対、唯一、不変、永遠です。神様の性稟がそうであるので、その神様に似たわたしたちにとって、お金というものは、絶対的なものではありません。お金がなくても生きていけるのです。そうではないでしょうか? また、知識ということについても同様です。知識がなくても生きていけます。昔のアダムとエバの時に、だれか、何かの博士がいましたか? アダムとエバは、小学校に行きましたか? 幼稚園にも行かなかったのです。それでも生きていけるようになっています。 それから何でしょうか? 政治や力です。神様に力がなくて、人間を堕落させてしまったのでしょうか? また、人間も、力がなくて堕落したのでしょうか? そうではありません。力があったにもかかわらず、自 分自体の位置と自己の責任を知らなかったので、堕落したのです。 ですから、第一の問題は、何でしょうか? お金や知識や権力が問題なのではなく、責任というものが間 題になるのです。それで統一教会では、「責任分担」という言葉が、ここから出てくるのです。このような話をしようとすれば、切りがありません。 真の父母は、どこにいなければならなかったのでしょうか? 絶対、唯一、不変、永遠の父母は、どこから生まれなければならないのでしょうか? それは、神様と同じ位置から始まっていなければなりませんでした。そうでなければ、絶対、唯一、不変、永遠であることはできません。それ以下の、心と体が闘う世界において成し遂げられたものは、絶対、唯一、不变、永遠であることはできないのです。 ですから、今日、わたしたちが自分自身を解決するためには、まず根本に入っていって、神様をはっきり と知らなければなりません。そして、神様の創造理想 をはっきりと知らなければなりません。 統一原理で言えば、創造前の理想は、何によって始まったのでしょうか? そのような境地に至ったとき、 創造するときのその根源は、何でしょうか? その根源は、簡単です。神様の二性性相です。二性性相の完成です。 神様のみ旨の完成とは何かというと、二性性相の完成なのです。それでは、二性性相の完成とは何でしょうか? 四位基台の完成です。そして、四位基台の完成とは何かというと、アダム家庭において、三代を中心として三対象目的を成し、四代まで連結させる家庭にならなければならない、ということです。 神様は人格神であられ、人格者である人間の父でいらっしゃるので、神様にも父母が必要であり、夫婦が必要であり、子女も必要であり、家庭も必要なのです。人格神でいらっしゃるからです。 神様と人間が、そのような関係にあるにもかかわらず、人間が堕落したという事実は、人間には、神様との関係を結ぶことができるものは一つもない、ということです。息子の位置でも関係を結ぶことができず、娘の位置でも関係を結ぶことができず、神様の前で約婚もすることができず、神様の前で結婚式もすることができず、神様の前で子供を生むこともできなかったということです。 ですから、このようなすべての人間が、神様が創造理想として願われた所願成就を果たすためには、どうしたらよいのでしょうか? それらの内容を、だれによって成すことができるのでしょうか? 堕落した後に、人類歴史は、間違った先祖を始祖と して始まったので、現在に生きる人類も、この間違っ た先祖の血統的因縁を受け継いで、今日の六十億の人 類になったのです。ですから、これらはすべて、神様 と何の関係もありません。わたしたちの体の中には、 堕落したそのときから、二人の主人が存在するように なったのです。 この二人の主人が、人類歴史の途中で始まったのならば、その前の時代は、すべて天の国につながっているはずですが、人類歴史の根本から始まったので、天の国は空いているのです。このような結論が出てきます。 それでは、「(真の)子女の日」ならば、子女として何をするのですか? また、神様も、何をされるので しょうか?なぜ、神様も、子女が必要なのでしょうか? 何ですか?(「楽しいからです。」)楽しいからですか?話をよく聞いてください。「楽しいから」と 言うのならば、働いても楽しいはずですし、カジノな どのギャンブルの世界は、もっと楽しいのではないですか? 今、統一教会では釣りを盛んに行いますが、巷では、 釣りにのめり込むと、自分の妻まで売って釣り道具を買うという話です。(笑い)しかし、それは、例えの話であって、そのようにしてはいけません。 息子、娘を持って、何をするのですか? 神様の愛を完成し、神様の家庭を築くのです。そのことを知ら なければなりません。神様の愛を完成させて、神様の家庭が出発するのです。 また、家庭で何をするのでしょうか? 家庭で何をするというのですか? アダム一人をつくればよいではないですか? 女性という存在は、何ですか? 男性独りで、愛が成り立ちますか? 女性独りで、愛が成り立ちますか? いくら絶対的な神様でも、神様お独りでは、愛を成すことはできません。相対理想が必要なのです。 愛を成すためには、神様の中にいくら愛があり、生命があり、血統があり、良心があるとしても、その神様の前に相対が現れないときには、すべての愛は、そのまま一代で終わるのです。何のことか、分かりますか? ここには、男性と女性がいますが、女性が愛の主人になるためには、女性が独りで、いくら「愛、愛。」と言っても、それを得ることはできません。愛を得るためには、必ず・・・・・・。女性にも、生命があるでしょう? 愛があるでしょう? ありますか、ありませんか?(「あります。」) 生命がありますか? ありますか、ありませんか? (「あります。」)血統がありますか? きょうは、男性 よりも女性がたくさんいるのですが、なぜ、そのように答えるのですか? きょうは、「真の子女の日」なのですが、三分の二が女性ですね。なぜ、このように女性がたくさん集まったのですか? 女性には、愛もあり、生命もあるでしょう? 血統はどうですか? 血統がありますか、ありませんか? (「あります。」)それもあり、良心はどうですか?(「あります。」)それならば、女性独りでもよいはずな のに、何のために・・・・・・。 愛は、独りで成すことはできないので、女性ばかりがいくら数千万人いたとしても、たった一人の男性がいないというときには、女性が愛の主人になることが できる道は、永遠にありません。このことを知らなければなりません。 女性たち。女性を女性らしく、愛の主人にしてくれるのは男性なのです。たとえ容姿に問題がある男性でも、あるいは、体のあちらこちらに病気を持っている人でも、男性の生殖器一つさえあれば・・・・・・、何でしょうか? 息子、娘を生めるというのです。 なぜ、笑うのですか? それは、男性にどれほど価値があるのか、ということです。女性が千万人いたと しても、それだけではだめです。 足らない男性であっても、愚かな男性であっても、あらゆる病気にかかった病人の中の病人、病人の王であっても、その部分一つが健康であれば、女性に赤ん坊の種を与えてあげることができるのです。それは、 いくら女性がいても、女性独りでは愛を捜し出すことはできないということです。 ですから、女性の器官は、男性とは違うでしょう? 男性を受け入れるようになっていますか、拒絶するようになっていますか? どうですか? 受け入れるようになっていますか?(「はい。」) 男性がいなければ、生殖器のようなものは・・・・・・。こん棒のようなもので、「私が男性だ。私と愛し合えば、 子供を生める。家庭ができる。」と言えば、女性たちがしがみついてきて占領するでしょうか、しないでしょうか? 千万を超える女性たちを、すべて犠牲にしたとして も、一人の女性が、一人しかいない男性にしがみついて、「おお、私の愛よ。」と言えば、そこに父母が生じ、 夫婦が生じ、息子、娘が生じるのです!「アーメン」 ですか、「ノーメン」ですか?(「アーメン。」)知っていることは知っているのですね。 ですから、いくら女性が美人であっても、美人一人では、千年、万年たっても、不幸せになることしかできません。女性たち。女性を愛の主人にしてくれるのは、父母でもなく、兄弟でもありません。ひとえに夫しかいないという事実です。今日、皆、このことを知らずに暮らしています。 また、これは、男性についても同様です。先生も、そうではないですか? 真の母を捜し出すために、生 涯、苦労したでしょう? わたしは、苦労しなくても、すべて知っているのです。だれが合うのかということも知っており、口もうまく、すべての世事をはっきりと知り、自分が苦労しない人間であるということも、はっきりと知っているのです。そのようなことをはっきりと知りながら、なぜ、苦労して、その道を訪ねて行かなければならないのかというのです。 人は、二種類しかいません。二種類ですが、”心に従っていく人”と、“体に従っていく人”の二種類の人がいます。そうして、“心的"な人は神様であり、“体的”な人はサタンであるということを知ったのです。 ですから、“体的”世界、実った世界が否定したとしても、その否定することを蹴飛ばし、”否定する世界!”を逆に否定してしまい、孤独に、孤独に、真なる女性を再創造するために苦労したというのです。 アダムが、エバを主管することができずに主管性を転倒したので、これを再び、すべて育てていかなけれ ばなりません。そのようにして育てて、そうして父母となるのです。 ですから、真なる心と体が一つになり、み旨を中心として神様を愛する心が、体が心を愛することに対して負けてはいけません。同じでなければなりません。 心は男性を代表し、体は女性を代表しています。ですから、男性と女性が完全に一つになる場において、神様をお迎えすることができるということと同様に、 自分の心と体が完全に絶対的であり、唯一、不变、永遠な統一的基盤となれば、神様の息子のような立場に立つ愛の主人にしてあげるというのです。何のことか、 分かりますか? 神様は、男性的、性相的愛の主人になることができませんでした。それが、一人の男性が神様の息子として完成し、神様の相対となって、神様が愛を感じることができ、神様が喜ぶことができ、「おまえは、わたしの息子だ。」とおっしゃることのできるような立場になったならば、その息子こそが、神様の御前において、ついに愛を受けることができる直系の子女になるのです。 そこには、神様の愛が連結され、生命が連結され、 血統が連結されるのであり、それこそが、神様が「わたしの息子だ。」と言うことのできる立場です。分かりますか? 息子、娘だと言ったでしょう? それは、 娘についても同じです。 天地創造以前の神様の性相と形状が、完全に一つに なっていらっしゃったのと同じように、心と体が完全 に一つになり、神様が愛するうえでの男性的・・・・・・。 アダムの心が愛することと、エバの心が愛することが同じでなければならず、また、そのエバの心とエバの体が一致したところに神様をお迎えしなければなりません。そうして、その娘が、アダムと心と体が完全に一つになり、それがアダム的ブラス的性相と、エバのマイナス的形状が、ぴたっと同じ・・・・・・。 そのとき、どのようにならなければなりませんか? 二つにならなければなりませんか、一つにならなければなりませんか? 絶対に一つにならなければなりません。絶対的に一つにならなければ、心と体に闘争の 概念が生じるのです。 エデンの園において堕落することによって、アダムの心と体も二つになり、エバの心と体も二つになりました。そのことにより、愛するのも相克的な愛となってしまったのです。 エバは、天使長と愛し合い、アダムと愛し合ったので、二つに分かれた愛をもって、身もだえするようになってしまいました。そのエバを中心として血統が受け継がれたので、人類は、その先祖に似て生まれるというのです。 そのことによって、不安の心と否定的な環境を被るようになったので、夫を否定し、夫の近くに行こうとすればするほど、良心の呵責を受けるのです。体を中心として生きようとすれば、心が泣くのです。心に呵責を受けて悲しみが生じます。 このように故障するようになった事故が、初代の先祖の女性から始まって男性まで、そして、天使世界まで、すべて連結するようになりました。そうして不安の世界が始まり、結果として否定の世界、嘆息と悲しみの世界が現れたのです。そして、今までそれを革命することができずに継続してきたのが、血統です。 こうして人類は、偽りの愛から偽りの生命、 血統を受け継いできた歴史的な実体となったので、自らも不可避的にアダムとエバの堕落した結実であると言わざるをえません。そうして、アダムとエバが闘っ たその姿そのものに、神様を否定する立場と悪を好む立場になってしまいました。 ですから、終末になれば、体が願う世界一辺倒になるということを、わたしたちは、推論的に結論を下すことができるのです。(19 Family 2002.1まで)<第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その2/4)に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.29
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「真の“私”をさがして」(01.10.21 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」閉幕晩餐会 ヒルトンホテル、ニューヨーク) 尊敬する内外貴賓、そして紳士淑女の皆様。 この意義深い会議が早くも幕を下ろすようになったと思うと、名残惜しい気持ちを禁じ得ません。しかし、今は時間がありません。私たちすべては今こそ、神が私たちに与えた使命を胸中に刻んで、第一線に出なければなりません。私たちが躊躇し、ためらえば、人類はますます抜け出せない苦境に処するようになります。世界を一度、見渡してください。皆様のほかに誰が、本当に、今日の人類が処したこの危機を懸念し、また、解決できると思いますか? もう明日になれば旅立つ皆様に、私は今晩、形式的な別れのあいさつをするよりは、皆様を兄弟のように信じて、深い心情を交わすことができると信じる心から、天がこの時代に私を通して人類に与えようとされる真理の一端を伝えようと思います。 「真の“私”をさがして」という題目のお話になります。 皆様、神様の創造理想を完成するとは、果たして、どういうことだと思いますか? 皆さま個人を中心として、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統の因縁を結んで真の種になり、その種が真の家庭になり、家庭の種は宗族の種になり、宗族の種は民族の種になり、民族の種が国家の種、世界の種になることです。 しかし、人間始祖の堕落によって人類は神様の真の愛、真の生命、真の血統とは何ら関係がない、サタンの偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の子孫となり、偽りの種に転落してしまいました。これが人類の悲劇であり、いまだに私たちが解決すべき最も大きな課題であるのです。 それで神様は救いの摂理を展開しながら、蘇生時代の旧約時代は万物を通して人間を覚醒させ、新約時代には直系の子女を通して、そして成約時代には父母を通して覚醒させてきたのです。 それでは、何を覚醒させてきたのでしょうか? 私たちは果たして、どんな根拠で“私”だと主張し得る資格者となったのでしょうか? 聞きたくない話かもしれませんが、人類は今日まで、堕落した子孫として真の“私”の価値と位置をさがし得ませんでした。神様は人間を創造され、ともに“ウリ(私たち)”という言葉で真の家庭を立てて、その家庭を拡大発展させて、ご自身の創造理想である平和世界をこの地上に実現しようとされたのです。しかし、人間が堕落によって真の“私”の位置をさがし得なかったために、神様も“私たち”という言葉を使ってみることができなかったのです。 そうだとすれば、人間は、“私”という主張をどこから行いましたか? 仕方なく、堕落した世界の、米国ならば米国の国民として教育を受けた自己の歴史的な伝統だとか、国家的な伝統を中心として、“私”という意識を持つようになったのです。創造理想的な意識圏内に立つことができる、神様自身が“私のもの”、“私の子”だと言える、そんな関係を結び得なかったのです。したがって、私たちが持っている“私”という概念は、神様の本来の創造理想とは、何ら関係がないものなので、私たちは自らを完全否定すべきなのです。 私たちはまず、個人として完全な“私”の位置をさがさなければなりません。ところが、それは自分をゼロにして完全否定するしかありません。その位置であってこそ、心と体の完全統一をなし得るためです。考えてみてください。天と地が公認し得る完全な“私”をさがし立てて、完全な家庭をつくり、その上に完全な国家、世界をつくる前に、どうして神様が、不完全な輩である私たちをご自身の真の愛、真の生命、真の血統圏に立てて、“私たち”だと呼ぶことができるでしょうか? 神様はご自身が安心して“私たち”に含めて呼ぶことができる真の男と真の女、すなわち、ご自身の真の息子と娘をさがして、復帰摂理を行ってこられたのです。したがって、私たちすべては、私たちが神様の前で果たして“私”を主張できるかどうかを、反問してみるべきです。いや、それより先に、私立ちの心と体が完全にひとつに統一されていると、自信を持って叫ぶことができるかと自問してみるべきです。そこに対して確実に答えられないとすれば、私たちはいまだに行くべき道が遠いということを自認するほかないのです。 神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体なので、永遠に不可分な一体的基準に立っている、そんな真の息子・娘をさがしてこられたのです。すなわち、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった、神様の生命と血統に連結した絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた、そんな子供たちを待ってこられたのです。なぜなら、真の愛は自己からは探すことができないものだからです。真の愛は必ず相対とともに実現するようになっています。全知全能の神様も、ご自身だけでは真の愛の理想を実現できないのです。これこそ、神様が人間をご自身の子女であり、愛の対象として創造された理由なのです。 私たちはまず、心と体の統一によって個人完成をなしとげ、その土台の上に神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。しかし、縦的な関係だけでは“私たち”という言葉が成立しません。そこには必ず横的な関係がともに調和しなければならないのです。したがって、男と女が真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、子女を生んで真の家庭を立てて、3代を中心として四位基台をなしとげてこそ、初めて天は家庭単位で“私たち”と呼ぶことができるようになるのです。 それでは、私たちはどうすればそんな位置まで進むことができますか? 神様が万物を創造されたその位置をさがしていけばいいのです。神様はどんな状態で創造されたと思いますか? 絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには自身の利益や事情を考える余裕はあり得ませんでした。完全に100パーセント与えても、また与える、為にいきる愛の始原がまさしくここにあったのです。 私たちの家庭でも同じです。神様の立場にいる父母は真の愛を中心として完全投入、絶対投入して、正分合の論理でみれば「正」の立場で子女を生んで養育し、縦的な“私たち”の軸を立てるべきなのです。そして横的には、夫婦が「分」の立場で真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係のもうひとつの軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な“私たち”の概念が実体的に展開されるのです。 これがすなわち家庭圏内での四位基台の完成であり、3対象目的の完成になるのです。このように、家庭圏内での正分合の完全実体展開は、3代を中心として血統が一列に連結されなければ不可能なことです。それで家庭が重要なのです。家庭こそ、天が私たちに与えた最も尊い贈り物に他ならないのです。家庭という環境がなければ、どうして私たちがこのような絶対的基準の“私”をさがし、縦横と前後に完全な“私たち”を敢えて考えてみることができるでしょうか? 家庭こそ愛と平和と幸福の揺籃なのです。 皆様、私たちは世俗的な名誉、知識、権力、財力に恋恋としたり、また、それらに引きずり回される愚を犯してはならないのです。この世にいくら優れて有名な者がいたとしても、彼が、心と体が完全にひとつになった位置で“私”をさがし出せず、天と縦的に連結されていなければ、何の役に立ちますか? 天が彼を胸に抱いて“私たち”だと呼んでくれなければ、神様の創造理想である平和世界の実現と何の関係がありますか? 皆様は真の“私”をどこでさがしますか? 為に生きる真の愛を実践する生活でこそ可能です。自分を完全にゼロにして否定し、家庭のために、国家のために、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の“私”は自動的に捜し出されるのです。これがまさしく復帰摂理、救援摂理の道を歩んでいる人間の避けられない運命の道なのです。 私たちは自分を推し立てて“私”をむやみに語ってはならないのです。長い歴史の裏通りで、真の“私”を語り得る子供を捜して、恨(ハン)にまみれた復帰摂理を行ってこられた神様の心情を少しでも知ったなら、むやみに“私”を主張できないのです。私たちは寝ても覚めても理想家庭完成のために生きるべきなのです。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年、待ってこられた理想家庭だけ立てれば、そこが他ならぬ地上天国の出発地になるのです。そこで、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。 皆様、太陽を見ても恥ずかしくなく、海を見てもやましくなく、万物の前でも一点も隠すことがない真の“私”をさがして、神様が“私たち”と呼んでくれる家庭を立てましょう。 もう一度、今大会のために忙しい日程を後にして、このように最後まで一緒にいてくださった世界の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。お帰りになられたら、皆様は今回、ここで学び悟った真理を広く知らしめてください。天の任命状を受けて、平和世界実現のための平和大使としての自負心をもって、第一線に出てくださるようお願いいたします。 ありがとうございます。さようなら。
2024.05.29
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「神のみ旨から見た平和への道」(01.10.20 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」開会総会 ヒルトンホテル、ニューヨーク) 尊敬する議長、各界を代表する世界指導者、各国の平和大使、超宗教超国家連合指導者とNGO指導者、そして、紳士淑女のみなさん。 歴史的な大転換の時を迎え、地球の危機を解決するために、この真摯な集まりに世界を憂慮する指導者たちが一堂に会しました。 去る9月11日、ニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は全世界に驚きと衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対する深刻で根本的な疑問を再び投げかけたのです。 人類は歴史を通して平和世界を希求してきました。しかし、その夢は一度も実現しませんでした。顧みれば、政治的軍事的対立が熾烈だった冷戦が終息し、多くの人々が高度化した科学文明の基盤の上で、人類が願ってきた平和と安定の新時代が来るものと期待していました。 ところが、葛藤と憎悪、利己的欲望が私たちの中にそっくりそのまま残っており、また、他の形のさらに大きな災禍を生んでいることを実感します。 無辜(こ)の人々に対する暴力が罪悪であることが自明であり、このような行動は必ず終息させねばなりません。ならば、このような葛藤と闘争を根元から除去する解決策は何でありましょうか。憎しみと葛藤と闘争の種はどこに植えられ、根を張っているのでしょうか。 それは人類始祖の最初の家庭の中に植え付けられたものでした。その根から代を重ね、葛藤と闘争が綿々とつながってきているのです。 そうであれば、葛藤を解消し、平和を実現する道はどこに求めねばならないでしょうか。人類はこの間、葛藤を克服し平和を実現する道を、政治的・外交的努力で、あるいは、経済的力や軍事力を通して、得ようと試みてきました。 しかし、このような方法は根本的な解決策にはなりませんでした。根本的で唯一の方法は、失ってしまった人間始祖の最初の家庭、すなわち、神様の理想家庭を復帰することです。神様を中心に戴く家庭、真の愛を縦として完成した家庭だというのであります。 神様は真の愛の本体としておられ、人類には無形の真の親であります。愛は一人で成り立ちません。必ず相手を通して結実します。人間は神様の真の愛の実体対象としてつくられた子女です。 神様の人間に対する「生めよ(熟せよ)」と言われた第一祝福は、人間があなたの真の愛の完全な対象となれとの祝福でした。 神様は、自分の対象に、自分より優れていることを願います。神様は真の愛の対象である人間に対し、投入し忘れ、さらに投入して忘れ、無限に与えたいという真の父であります。愛の出発は無限に、為に生きるところから出てきたからです。 神様は人間に対し「殖えよ」という第二祝福を与えられました。 人間始祖は神様の子女として育ち完成し、神様と一体となった心情圏の下、真の夫婦となります。続いて、彼らは神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統を、彼らの子女に伝授しながら、実体の真の父母となるのでした。 このように神様の創造理想は最初の家庭から、縦的に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対、唯一、普遍、永遠なように、その家庭は真の愛を中心とし、絶対、唯一、普遍、永遠の家庭となります。ここから人間は神様と一心同体となった実体となり、完全な自由と幸福と理想を完成するようになります。 このとき、人間は宇宙万象の歓迎を受ける真の愛の主管主となるのです。これが神様の人間に対する第三祝福です。人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を得る祝福です。これは生態系と自然を真の主人の立場から保存しなければならない管理の責任も含まれるものです。 ところが、人間始祖は神様の祝福の下、真の愛の家庭を実現することはできませんでした。真の愛を中心とした真の愛、真の夫婦、真の父母となれなかったということです。神様の命に逆らい、堕落した人間始祖が楽園から追われた後、神様の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心とした夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界をつくってしまったのです。 有史以来、人類は神様を戴く真の愛の基盤から生まれることができずに、心と体が葛藤する矛盾を身につけ生きてきました。この葛藤は始祖の家庭内で兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れたことで見せてくれます。神様を離れた家庭の悲惨な実像です。 人間だけが中心となる家庭、人間関係だけを基礎とする家庭は本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛に連結された家庭が理想家庭です。真の父母、真の愛の下、縦的軸を共有する兄弟間に初めて完全な和平の関係がなし遂げられます。 真の愛は理想家庭の中で体得され、また結実します。家庭は唯一の愛の学校です。真の愛は権力や知識や力の基盤からは決して創出することができません。 尊敬する世界指導者の皆さん。 皆さんが今日の世相を見渡し、また、若者に対するとき、何を感じますか。希望に満ちた明るい未来だけを感じますか。日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混沌など、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いというのです。 なぜ若者がこのようになったのでしょうか。また、学校教育や制度と環境の改善ももちろん部分的な解決策となりましょう。 しかし、根本の根はそんなところにはありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が歴史の結実期を迎えながら、家庭が安定性を失い、崩壊するには、その原因があります。家庭の崩壊現象は一つだけの愛の学校が破損しているように、その否定的波及効果がとてつもないものなのです。 社会的に様々な不安要因となるのはもちろん、国家的、世界的に多くの問題を併発させます。特に青少年には情緒的不安を与え、生の座標を変え、脱線と放縦な生活の直接的な原因となりもします。 結婚忌避が増えていることや離婚率の増加など、家庭基盤が急速に崩壊している現実はあすを憂慮する指導者が先駆けて必ず解決しなければならない課題だといえるでしょう。 神様の第一祝福と第二祝福を失った人類は、神聖で永遠な夫婦の愛を実現できる真の愛の個体完成の重要性が分からなくなりました。青少年は大部分、婚前純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けられません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を知らないのです。 夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖性が無視される風潮は、人類社会のとてつもない悲劇と災いを内的に表したものです。 男女間の愛が刹那的で、肉欲的で、享楽的なことだけに走り、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場所がなくなってしまいました。急速度で拡大するエイズと性関係伝染疾患(STD)は人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないともいわれています。 世界をいま、震わせているテロリズムよりもさらに恐るべき危険が安全地帯もなく、私たちすべての間近に迫っているというのです。一度、感染すれば、幸福も理想も生命もすべて放棄しなければならないという、このとてつもない地球星の災いを解決できずに、私たちがどうして、この時代の指導者だと言うことができるでしょうか。 また、「万物を主管せよ」といわれた神様の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たせずにいるのです。万一、自然が人間の拡大に対して反抗し、人間を拒否したとすれば、どうなりますか。そのような兆候が既に出ていないでしょうか。生態系と自然環境が無言のうちに、人間の傲慢さに対し懲罰を与える前に、人間は真の愛の人格を回復し、万物の前に立たなければならないのです。 尊敬する世界指導者の皆さん。 人類はいまや独善と無知、そして利己心と憎悪を自ら反省し、神様の前に謙虚に頭を垂れ、天の道に従わなければならないときに至っています。 私はいち早く神様の召命を受け、神様と人類が共に願う平和世界の実現のため、生命を捧げてきました。私は今日、平和に向かうために重要ないくつかの点について語ろうと思います。 第一に、私たちは他のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は他人を不快にすることはもちろん、天の道に逆らうものです。他のために生きるということは、直ちに神様に似る実践です。神様の真の愛を相続し、家庭と社会、国家と世界を愛することは宇宙の基本秩序に順応するものです。真の愛の実践を通してのみ、人格を完成した真の人間、真の夫婦、真の師、真の主人となります。このようにして平和を成し遂げる主体となります。他のために生きることは平和に向かう最初の関門となります。 これに関連して、平和に至る道は神様主義・頭翼思想によらなければならないという結論を述べようと思います。 神様主義・頭翼思想というのは、カイン・アベルの葛藤を始まりとしたこの世の中にあるすべての葛藤要因と思想とその結実を、全部化合し包容できる思想であり主義であります。 葛藤と憎悪は何を以て燃えさかりますか。憎悪に対するもっと大きな憎悪としての反応は、むしろ、さらに恐るべき憎悪と破壊を呼び寄せるだけです。これは平和への道にはなり得ません。対立し仲違いする双方の葛藤要因は、ただ真の愛によってのみ、感化され、教育され包容され得るのです。 神様を中心にした真の愛は国境で塞がれない超国家的なものです。また、真の愛は宗教の高い垣根も乗り越え、人種差別もない超宗教的、超人種的なものです。神様の理想を中心にした相手のための真の愛の化合力、生命力によらなければ、左右、前後、上下、内外の様々な地球星のすべての葛藤対立要因は克服できず、永遠な平和理想世界はなし遂げられません。 第二に、平和な世界と国家を実現する基礎単位は真の家庭であります。既に言及したように、対立葛藤の根が始祖の家庭にあったことによって、理想的な真の夫婦の家庭が生まれない限り、平和世界はその起源がないのであります。 私が世界的に展開している国際祝福結婚は、一教団の結婚式ではありません。神様の愛の伝統をたてる救世救国の運動です。青少年へは婚前純潔運動を実施しています。そして、大人になれば、神様の真の愛の祝福を受け、夫婦間の絶対信義と貞節の誓約の下で結婚する運動です。真の愛を中心とし、真の家庭と真の父母をなし遂げる神聖な運動です。 このような理想の下に、教育を受け、結婚した家庭はエイズを危険に思う理由がありません。彼らにはエイズ予防が風邪の予防よりも簡単なことなのです。世界のすべての若者がこのビジョンで教育を受け、実践すれば、エイズは完璧に予防されます。 真の愛の家庭を通して、家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を置くのです。特に政治的、歴史的に不和であり恩讐関係にあった国家間の人々がその高い垣根を越え、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになれば、和解は国家を超えて、人類を飛び越えるものになるのです。確かな平和へ向かう高次元の公式は不和と恩讐関係にある家の子女たち同士で、交叉結婚祝福をし、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を達成することです。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する始まりとなるのです。 第三に、超宗教的な和解と協力は平和世界へ向かう必須条件です。私はこの五十年間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして、活動してきました。いつも、自身の教団発展よりも、はるかに多くの予算を支援しながら、引き続き、この運動を行って参りました。変わることのない、このような愛の実践が簡単なことでありましょうか。決してたやすいことではありませんでした。 教団間の和解と協力がない限り、世界平和は期待することができません。神様の理想である平和世界への案内者は宗教指導者と信仰者がならなければなりません。宗教が万一、偏狭な教派主義だけを強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由になることはできません。地球星の危機の前に宗教指導者は謙虚に神様のみ旨に従い、超宗教的に手に手を取って、真の愛を実践していかねばなりません。 宗教の感化力により安らかな人格が創出され、自己主管力が養われ、歴史的な憎悪と怒りを消化することで、真実の平和と安定がもたらされるのです。万一、宗教が教理や儀式の差異をこえて、神の高い理想の下に、お互い愛し合い、協力し、奉仕することをこの世の中に見せたならば、世界は劇的に変わることができます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 第四に、平和世界を成し遂げるため、国連の正しい役割をもう一度、強調したいと思います。 国連が代表的な世界平和機構として、これまで多大な貢献をして参りました。しかし、創設時と大きく変わってしまった世界の事情と多元化した地球星の問題解決のために、昨年、私の考えを国連に提案いたしました。 国連内に上院のような特別機構を補強し、宗教的、精神的、道徳的次元から世界問題を審議するようにするのがその一つです。国連が国益に基礎を置く政治や外交の力によって司られる次元を超えて、地球星的な理念と高い神の理想の下で司られる機構となることで、万人の権益を保護し、平和世界を創建していけるものです。国連だけでなく、今後、世界秩序は政治主権が道徳的、精神的価値と別個に作用しては、公益と平和を保障するのは難しいのです。 神の理想に基礎を置き、宇宙公法と通ずる精神的、道徳的高次元の指導力が要請されるのであります。政治力やそのどんな力も神と天理の上に立つことはできないのです。 また、国連は非政府民間団体・NGOの意見を多く取りまとめていかなければなりません。私がWANGOを創設した理由もここにあります。NGOはより一層対話し、協力しつつ、本来の創設精神を失ってはなりません。利己的で偏狭にならないように努力し、世界のために正しい奉仕を続けていくことをお願いするものです。 尊敬する指導者のみなさん。 自ら実践せずに、平和を語ることは正しい指導者の道理ではありません。また、私たちが座して平和を待っているだけの余裕がある世界の状況でもありません。平和大使たちはもちろん、私たちすべてが平和運動の主体となって、きっと平和世界を創建しなければなりません。国連をはじめとする国際機構は平和大使館を中心に、歴史的宿願である世界平和運動に積極的に協力、支援してくださることをお願いします。 私たち国際機構は一心同体となり、共に他のために生きることで、真の愛、家庭理想を創建し、実践することで、天運の協助を受ける平和の先駆者となりましょう。神様の祝福が永遠に共にありますよう願います。 ありがとうございました。
2024.05.29
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天宙平和統一家庭連合、天宙真父母侍衛連合を宣布10月14日興南刑務所解放記念日の御言2001年10月14日 ニューヨーク――お父様は黒板に天宙平和統一家庭連合と書かれる。 今日は何の日ですか。今日は10月14日、第54回興南刑務所解放記念日です。皆さんはその意味をわからないといけません。今やお父様は全てを解放し、皆さんはその伝統を相続するのです。皆さんすべての家庭がアメリカの代表であり、氏族の代表です。皆さんはアメリカの法律と関係するアメリカ市民です。そして、皆さんは真の御父母様と一つになって自信を持たないといけません。しかし、皆さんの家庭は未だに一体化していません―親と子、夫と妻、そして子供同士。 個人主義と自由が発展して、アメリカ社会は天の法律に反しています。子供たちはその親に従いませんが、彼らは親に従わないといけません。なぜなら、親が家庭の中心だからです。もしあなたが従わないなら、家庭を維持することができません。 夫と妻、どちらが主体ですか。夫。どれほどのアメリカ女性がその夫に従っていますか。もし夫が妻に従うなら、それは間違った伝統です。統一教会はどうですか。お父様は、男が女に従うのを否定します。 あなたの目を見なさい。すべてはペア・システムです。もし右の手が何かをするなら、左手は右手を支えないといけません。すべてがペア・システムになっているのです。何を中心として? それが生き残る法です。男と女の関係でも同じです。もし彼らがお互いに好きあうなら、彼らはお互いに触って、抱き合い、一つになります。(心と体が)一つとなった男と、一つとなった女が一体化しなければなりません。なぜ、ペア・システムが発展しましたか? 真の愛によって。もし彼らが「私に従いなさい」と言うなら、一体化するのが難しいのです。男と女が理想に生きないといけません。 アメリカで第1の問題は、家庭です。神はこの国を2000年の歴史をかけて創りましたが、神はこの国を今、コントロールできません。皆、個人主義で自由を謳歌しています。夫は自分の道を行き、妻も自分の道を行きます。何も一つになりませんし、彼らは子供を持たないので消えてしまうでしょう。子供なくして彼らは永遠には生きることができません。お父さんとお母さんの一体化の基台の上に、子供たちは成長することができるのです。お父さんなくして、お母さんだけいても無意味です。彼女は夫から種を受けなければなりません。お父さんとお母さんが一緒に子供をみないといけません。それ故に夫と妻がお互いに出合わないといけないのです。夫と妻は個人ではありません。お互いに協力するのです。そして、彼らは子供たちに犠牲的な道を見せなければいけません。一つにならなければ、未来がありません。 アメリカ社会はすべての社会の縮小体です。アメリカは大きな国ですが、これらの社会を消化できないでいます。だから、多くの社会がアメリカの国を批判するのです。家庭は組織の小さな単位です。アメリカは家庭のような大きな社会です。自由世界は個人主義なので、サタンはこの社会を打つのです。 統一教会は人々を導く最高の教えを持っています。統一教会は中心なのです。アメリカはいろいろな力を持っていますが、心が欠乏しているため教えるものがありません。 心は体の中心です。体はいろいろなものを持っていますが、体は心に従わないといけません。良心を中心として、個人、家庭、社会が存在します。良心を中心として、夫と妻、親と子は家族を表します。 皆にせものです。もし真理と関係がないなら、意味がないのです。神は力の王です。そして天の父は人間が好きです。黒人の人、白人が好きですか? 白人の人、あなたたちが黒人を愛さないといけません。 神はどんな人を好きですか? 人間は男と女でできています。男と女は生殖器以外はほとんど同じです。どちらを神はもっと愛しますか? 両方。神は朝も夕も持っています。男のMは山のようであり、女のWは谷のようです。どちらが上ですか? 男です。男は高く、女は低い。もし、女がハーバード大学を卒業し自分の方が高いと考えるなら、夫と妻の一体化はありません。真の愛によってのみ私たちは一体化できます。男と女が愛し合う時、夫は目を開けていますが、妻は目を閉じて口を開けています。これが調和です。 神は人類を愛しています。どんな理想を神は下さいましたか? 真の愛を中心として、夫と妻が一緒になるのです。統一教会の教えは何ですか? 神は二性性相の主体です。そして、正分合…。そして、このような男と女の関係が子供をもたらすので、貴いのです。子供を見なさい。彼らは両親より立派です。これが統一教会の最高の教えなのです。 真の愛はどうですか? あなたはそれを見られますか? 触れますか? 真の愛は骨髄のようなものであり、体を揺さぶるのです。フリーセックスによってあなたはその感覚を失ってしまいます。多くの若者がこの感覚を持っていません。純潔を保ちなさい。そうするならば、この真の愛を探し出すことができます。ただこの方法によってだけです。アメリカ社会はこれを教えません。 統一教会の中心の教えは何ですか? あなたは家庭の王を探し出さないといけません。24数(註:24金)は完全に純粋なのですが、それが23.9999でもまだ純粋ではないのです。 なぜあなたの心と体は闘っていますか? それは人類歴史の初めからなのです。間違った愛によって血統が変わってしまい、心と体が闘うようになりました。アダムはサタンとつながりました。だから、あなたは神の子の位置に立てないのです。 今まで宗教はお互いに衝突してきました。しかし、今はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教が一つにならないといけない時であり、本然の場に帰らないといけません。そして、すべての民族も一つにならないといけません。 あなたは神の真の愛が欲しいですか? もしあなたが真の愛とつながったなら、あなたは何でも動かして変えることができます。真の愛だけが変えることができるのです。イエス様は血統を変えることができませんでした。イエス様は神の血統を植え付けるべきでしたが、それができませんでした。イエス様は家庭を持つことができませんでした。その上に、真のお父様ムーンが来たのです。あなたはレバレント・ムーンが必要ですか? アメリカ人は30年間、私に反対してきましたが、アメリカはレバレント・ムーンを必要としていることをわからないといけません。神の真の愛が人類を接ぎ木しないといけません。あなたの血統は神の真の愛に連結されていません。だから、あなたは神の血統に接ぎ木されなければなりません。今や人々はレバレント・ムーンに従わなければなりません。これが教えの根本です。 今、統一教会は天宙平和統一家庭連合になりました。漢字の「天」は、「二」と「人」に分けられ、二人がつながっています。そして宙は家、安全な場所です。二人が永遠に平和に暮らすのです。そして、それが神の家なのです。天宙なくして、あなたは平和をもたらすことができません。男と女はプラスとマイナス、主体と対象です。だから東洋の考え方はすばらしいのです。 「平」は二つの違った世界、男と女が、つながることを意味します。そして、彼らは平準化するのです。だから、真の愛、真の生命、真の血統は永遠です。「和」はどうですか? 地上界で私たちが食べる時、私たちは霊界でも食べているのです。横的世界なくして私たちは平和をもたらすことができません。だから、縦的な、そして横的な関係が重要です。統一はプラスとマイナスです。個人から家庭、氏族、民族、国家…8段階において。 神の前では、アメリカ人ではなく、アメリカ食口です。アメリカ人という言葉はサタンとつながっています。今から、あなたはアメリカの力と言うべきではありません。なぜなら、そう言うことによってあなたはアメリカの国を主張しているからです。黒人は夜にあたり、白人は昼にあたります。そして黄色人は中間です。彼らはお互い一つにならないといけません。 誰が統一を成しますか? 統一教会。私たちは敵を兄弟として愛さなければなりません。キリスト教徒はイスラム教徒と交叉結婚し、地上天国をもたらすのです。どのように一体化をもたらすか? 怨讐を愛することと交叉結婚によってです。アメリカの摂理においても彼らは交叉祝福を受けなければなりません。 天宙平和統一家庭連合。今やアメリカは平和大使を任命し始めました。最初は父の党、次に母の党、そして兄弟姉妹の党が必要です。祝福中心家庭の意味は何ですか? 王の位置で、あなたは全氏族を再編成するのです。そうすると、国家が現れます。 神様王権即位式は1月13日でしたが、今日は10月14日です。10月13日の次の日です。神様王権即位式をして、10ヶ月が経ちました。そして今日、私は天宙平和統一家庭連合を宣布しました。その意味は、天宙で真の父母に侍る連合(天宙真父母侍衛連合)です。 今は世界中が変わる時です。180度変わる時です。今から人々は真の父母に反対できません。あなたたちは今までの10倍はできます。多くの命が失われています。だから、今、宗教の統一が大切です。 真の御父母様は韓国に行って、天宙での神様の安着の大会を行います。もはや政治の党は必要ありません。父母の党が必要なのです。 私たちは最高の教えを与えて、神まで含んだ8段階を解放するのです。新しい時、歴史が来ています。教育の内容は何ですか? 平和大使のような教育のグループをつくることです。私たちは平和大使のためのビルを建てないといけません。あなたたち祝福中心家庭は平和大使に任命された特別の家庭です。神の代身として父母の立場で犠牲になり、子供たちを育て、天国をもたらさないといけません。特に女性たち、あなたたちは男を教育することに専念しなければなりません。アメリカの女性はこの使命において1等にならないといけません。私たちはその高速道路をつくらなければならないのです。いまや天宙の解放の時です。時が変わっています。強い自信を持たないといけません。前進!前進!手を挙げて誓いましょう。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.28
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平和経 - 第一篇 真の平和の根本原理 10.神様と人類が求めていく平和の国と世界真の父母様、天宙平和統一国、韓国大会10.29大田・忠南・忠北圏、儒城リベラホテル、1200人余り10.30ソウル圏、新羅ホテル10.31光州・全南北・済州圏、光州、新陽パークホテル11.01釜山・慶南圏、釜山ロッテホテル、1200人余り11.02京畿南部圏、ソウル、ロッテホテル、1200人余り11.04大邱・慶北圏、大邱インターバーゴホテル、1500人余り11.05仁川・京畿圏、ソウル、ロッテホテル、1200人余り11.06京畿北部・江原圏、ソウル、ロッテワールドホテル、1300人余り真のお母様、天宙平和統一国、日本大会11.05福岡、グランド・ハイアットホテル11.06高松、マツノイパレス11.07大阪、三井アーバンホテル11.08神戸、ホテルオークラ11.09名古屋、ヒルトンホテル11.10東日本、東京、京王プラザホテル11.11千葉、東京イン・エアポートホテル11.12東京、ホテルオークラ◆「天一国摂理史--「天宙平和統一国(天一国)」宣言(2001.10.29)」 尊敬する各界指導者の皆様。歴史的な大転換の時を迎え、今日の韓国の統一と世界の平和を憂慮する指導者たちが一堂に会しました。去る九月十一日、アメリカのニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は、全世界に驚くべき衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対し、深刻で根本的な疑問を再び抱かせたのです。 折しも、去る十月十九日から二十二日まで、ニューヨークでは意義深い国際会議が開かれました。私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」と世界NGO(非政府機構)連合である「WANGO」との共同主催により、世界百一カ国から元、現職の国家元首、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教、儒教などの主要教団の最高指導者、学界、そして各国のNGOの代表など、四百人以上が参席し、真摯かつ深刻に、今日の世界が直面している危機と、これを平和的に解決するための方案の模索をめぐって討論しました。 世界で唯一残っている分断国である私たちの祖国、韓半島は、中東地域とともに地球上で最も注目されている紛争地域の一つです。恒久的で根本的な平和世界の実現に対する私の構想を、開会演説において伝達し、きょうこの時間、私の所見の一端を分かち合おうと思います。きょうお話しする題目は「神様と人類が求めていく平和の国と世界」です。 人類は、歴史を通して平和世界を希求してきました。しかし、その夢は、一度も実現したことがありません。振り返ってみれば、政治的、軍事的対立が熾烈だった冷戦が終息すると、多くの人々は、高度化した科学文明の基盤の上で、人類が願ってきた平和と安定の新時代が来るものと期待しました。 ところが、葛藤と憎悪、利己的な欲望が私たちの中にそのまま残っており、またそれが、別の形態のさらに大きな災禍を生んでいることを、今になってようやく実感しているのです。無辜の人々に対する暴力が罪悪であることは自明であり、そのような行動は、必ず終息させなければなりません。 それでは、このような葛藤と闘争を根元から除去する解決策は何でしょうか。憎しみと葛藤と闘争の種は、どこに植えられて根を張っているのでしょうか。それは、人類始祖の最初の家庭の中に植えつけられたものでした。その根から代を重ね、葛藤と闘争が綿々と続いてきているのです。 そうだとすれば、葛藤と紛争を解消し、平和を実現する道はどこに求めなければならないのでしょうか。人類はこれまで、葛藤と紛争を克服し、平和を実現する道を、政治の力や外交的努力により、あるいは経済力や軍事力を通して探し出そうと試みてきました。 しかし、このような方法は、根本的な解決策となることはできませんでした。根本的で唯一の方法は、失ってしまった人間始祖の最初の家庭、すなわち神様の理想家庭を復帰することです。それは、神様を中心とする家庭、真の愛を縦横で完成した家庭のことです。 神様は、真の愛の本体として存在し、人類にとっては無形の真の父母であられます。愛は、独りでは成立しません。必ず相手を通して結実します。人間は、神様の真の愛の実体対象として造られた子女です。 神様は、人間に「生育せよ」という第一祝福を与えられたのですが、その第一祝福とは、人間が神様の真の愛の完全な相対、すなわち真の人間になりなさいという祝福でした。相対は優れていることを願ったというのです。神様は、真の愛の相対である人間に対して、投入しては忘れ、さらに投入しては忘れる、そのように無限に与えたいと思う真の父であられます。愛の出発は、無限にために生きるところから生まれてくるからです。 神様は、人間に対して「殖えよ」という第二祝福を与えられました。人間始祖は、神様の子女として成長して完成し、神様と一体となった心情圏のもとで、真の夫婦となるようになっていました。さらに彼らは、神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統を、自分たちの子女に伝授しながら、実体の真の父母となるのです。このように神様の創造理想は、最初の家庭から縦的に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対、唯一、不変、永遠であるように、その家庭も真の愛を中心として、絶対、唯一、不変、永遠の家庭となります。 ここにおいて人間は、神様と一心一体となった実体となり、完全な自由と幸福と平和の理想を完成するようになります。このとき、人間は、宇宙万象の歓迎を受ける真の愛の主管主となるのです。 これが神様の人間に対する第三祝福です。第三祝福は、人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を得る祝福です。またこれには、生態系と自然を、真の主人の立場で保存しなければならないという管理の責任も含まれています。 ところが、人間始祖は、神様の祝福のもとで真の愛の家庭を実現することができませんでした。真の愛を中心とした真の人、真の夫婦、真の父母になることができなかったのです。神様に背き、堕落した人間始祖が楽園から追われたのち、神様の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心として夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界を築いてしまったのです。 有史以来、人類は、神様に待った真の愛の基盤から生まれることができず、心と体が葛藤する矛盾をもったまま生きてきました。この葛藤は、人間始祖の最初の家庭内において、兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れました。これが神様を離れた家庭の悲惨な実状です。 人間が中心となった家庭、人間関係のみを基礎とした家庭は、本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛の軸で連結された家庭が理想家庭です。真の父母の真の愛のもとで、縦的軸を共有する兄弟間においてこそ、初めて完全な平和の関係が形成されるのです。真の愛は、理想家庭の中で体得され、また結実します。家庭は、唯一の愛の学校です。真の愛は、権力や知識や力の基盤からは決して創出されません。 尊敬する各界の指導者の皆様。皆様は、今日の世相を見渡すとき、また、若者たちに対するとき、何を感じるでしょうか。希望に満ちた明るい未来ばかりを感じますか。日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混乱など、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いはずです。 なぜ若者たちが、このようになったのでしょうか。より優れた学校教育や制度と環境の改善も、部分的な解決策とはなるでしょう。しかし、根本の根はそのようなところにはありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が、歴史の結実期を迎える中で、家庭が安定性を失って崩壊しているところに、その原因があるのです。 家庭の崩壊現象は、一つしかない愛の学校が破損したも同然なので、その否定的波及効果は、途方もなく大きいものです。社会的に様々な不安要因となることはもちろん、国家的、世界的に多くの問題を併発させます。 特に青少年には、情緒的不安を与え、人生の座標を変えさせ、脱線と放縦の生活への直接的な原因にもなります。結婚忌避の風潮や離婚率の増加など、家庭基盤が急速に崩壊していく現実の問題は、あすを憂慮する指導者が先駆けて、必ず解決しなければならない課題であると言えるでしょう。 神様の第一祝福と第二祝福を失った人類は、神聖で永遠な夫婦の愛を完成するという、真の愛の個体完成の重要性を知ることができませんでした。ほとんどの青少年たちは、婚前の純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けることができていません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を知らないのです。夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖さが無視される風潮の中で、人類社会は途方もない悲劇と災いを内的に蓄積してきているのです。 また、男女間の愛が、刹那的で、肉欲的で、享楽的な方向にばかり走る、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場がなくなってしまいました。急速に拡大するエイズと性感染症(STD)は、人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないとも言われています。 今、世界を震撼させているテロリズムよりも恐るべき脅威が、安全地帯もなく、私たち全員の間近に迫っているというのです。一度、感染すれば、幸福も理想も生命もすべて放棄しなければならないという、この途方もない地球星の災いを解決できずに、どうして私たちがこの時代の指導者だと言うことができるでしょうか。 また、「万物を主管せよ」という神様の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たすことができずにいます。もし、自然が人間の虐待に対して反抗し、人間を拒否するとすれば、どのようになるでしょうか。既にそのような兆候が現れているではありませんか。生態系と自然環境が、無言のうちに人間の傲慢さに対して懲罰を与える前に、人間は、真の愛の人格を回復し、万物の前に現れなければなりません。 尊敬する各界の指導者の皆様。今日の問題をもう少し根源的に掘り下げてみるために、神様の創造理想を中心として、真の「私」と「私たち」の関係について考えてみようと思います。 人間は堕落によって、真の「私」の位置を探し出すことができなかったので、神様も「私たち」という言葉を使用してみることができませんでした。創造理想的意識圏内に立つことのできる神様御自身が「私のもの」、「私の子女」と言える関係を結ぶことができなかったのです。したがって、私たちがもっている「私」という概念は、神様の本来の創造理想とは何の関係もないものなので、私たちは自らを完全否定しなければなりません。 神様は、御自身が安心して「私たち」と呼ぶことのできる真の男性と真の女性、すなわち神様の真の息子、娘を探し求めて復帰摂理をしてこられました。言い換えると、神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体であられるので、永遠に一体不可分の基準に立っている真の息子、娘を探し求めてこられたのです。ですから、私たちは、まず心と体の統一によって個人完成し、その基盤の上で神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。 しかし、縦的な関係だけでは「私たち」という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係が共に調和しなければなりません。したがって、男性と女性が、真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、真の子女を生んで真の家庭を立て、三代を中心として四位基台を完成してこそ、天は家庭単位で「私たち」と呼ぶことができるようになるのです。 それでは、私たちは、どのようにすればそのような位置まで進むことができるのでしょうか。神様は、心と体が完全に一つになった立場で万物を創造されました。それは、絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには、御自身の利益や事情を考える余裕などありません。完全に一〇〇パーセント与えては、また与える、ために生きる愛の始原が正にここにあったのです。 私たちの家庭においても同様です。神様の立場にいる父母は、真の愛を中心とする「正分合」の論理から見れば、「正」の立場で完全投入、絶対投入することにより、子女を生み、養育して、縦的な「私たち」の軸を立てなければなりません。 そして、横的には、夫婦が「分」の立場で、真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で、自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係という、また別の軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な「私たち」の概念が実体的に展開するのです。 ですから、家庭が大切なのです。家庭こそ、天が私たちに与えてくださった最も貴い贈り物です。家庭という環境がないとすれば、私たちは、いかにしてこのような絶対的基準の「私」を探し出し、縦横や前後で完全な「私たち」というものを考えてみることができるでしょうか。家庭こそが、愛と平和と幸福の揺籃なのです。 それでは、真の「私」は、どこから探し出すことができるでしょうか。ために生きる真の愛を実践する生活においてこそ、それは可能なのです。自分を完全に否定し、家庭のために生き、国のために生き、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の「私」は自動的に探し出されるのです。 私たちは自らを前面に立て、自分をむやみに主張してはいけません。非常に長い歴史の裏街道で、真の「私」を主張する子女を探し求めて、恨に絡み合った復帰摂理をしてこられた神様の心情を少しでも知るならば、むやみに自分を主張できないはずです。私たちは、寝ても覚めても理想家庭の完成のために生きなければなりません。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年待ち続けてこられた理想家庭さえ立てたとすれば、それが正に地上天国の出発地となるでしょう。そこにおいて、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。 皆様、太陽を見つめても恥ずかしくなく、海の水を見てもやましくなく、万物の前でも一点の隠し事のない真の自分を取り戻し、神様が「私たち」と呼んでくださる家庭を立てましょう。 そのようにして、神様と人間の間に真の父母と子女の関係が成立しなければなりません。そして、人類の真の父母であり、愛と生命と血統の根源であられる神様は、人類の先祖であり、ひいては主管者であり、真の王であられます。 エデンの園における人類始祖の堕落により、神様は、そのすべての位置を失ってしまったのです。復帰摂理の進展に従って、私は海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第四次アダム心情圏の還元を宣布し、その土台の上で、失われた神様の王権を取り戻してさしあげる歴史的な「神様王権即位式」を、去る一月十三日、韓国において挙行しました。 本来、アダムは、人類の始祖であり、家庭の根本です。本来は、家庭の王が、将来、国家の王の位置を受け継がなければならず、さらには天宙の王の位置を受け継がなければなりません。そうしてこそ本然の理想的天国圏が連結されるのです。今や蕩減の時代が終わり、入籍を通して本然の定着時代に入っていくことによって、国の王が連結され、さらには世界の王が連結されるのです。 それで、「世界平和統一家庭連合」では、昨年の「子女の日」に、天地父母が家庭の王として君臨するようになったことを宣布し、入籍された家庭から、初めて天の父母を王として侍っていくことができる時代に入ることを宣布しました。したがって、すべての祝福家庭は、天地の王に侍る標準的な伝統を立てなければならない家庭であることを自認しなければなりません。それで、教会時代は終わり、家庭連合の時代が開かれるのです。 宇宙全体が、一つの核を中心とした連体として連結しているのと同じように、皆様の家庭がそのような核の位置に立って万物を愛し、神様が愛で造られて存在する万物を食べて愛する、そのような主人の位置を備えなければなりません。 それで、自分の家庭が、神様のみ前に愛を中心として一体圏を形成し、天地父母の王に侍る標準的、定着的、礎石のような家庭であることを感じなければなりません。そのようにして、勝利圏を受け継いだ祝福家庭にならなければならないのです。 尊敬する指導者の皆様。人類は今や、独善と無知、そして利己心と憎悪を自ら反省し、神様のみ前に謙虚に頭を垂れ、天道に従わなければならない時に至っています。私は、いち早く神様の召命を受け、神様と人類が共に願う平和世界の実現のために生涯を捧げてきました。きょう、私はこの場において、平和に向かうための重要ないくつかの点についてお話ししようと思います。 第一に、私たちは、他のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は、他人を不快にすることはもちろん、天道に逆らうものです。他のために生きることは、取りも直さず、神様の似姿になる実践なのです。 神様の真の愛を相続し、家庭と社会、国家と世界を愛することは、宇宙の基本秩序に順応することです。真の愛の実践を通してのみ、人格を完成した真の人間、真の父母、真の師、真の主人になります。そのようになってこそ平和を成し遂げる主体となるのです。 他のために生きることは、平和に向かう最初の関門になります。これと関連づけて、平和に至る道は、「神主義」と「頭翼思想」によらなければならないという結論を述べようと思います。「神主義」と「頭翼思想」とは、カインとアベルの葛藤を始原としたこの世の中にあるすべての葛藤の要因と思想とその結実を、すべて和合させ、包容できる思想であり主義です。 葛藤と憎悪の鎖を何によって断ち切るのでしょうか。憎悪に対するより一層大きな憎悪は、かえって恐ろしい憎悪と破壊を呼び起こすだけです。これは、平和に向かう道とはなり得ません。対立し、仲たがいする双方の葛藤要因は、ただ真の愛によってのみ感化され、教育され、包容されるのです。 神様を中心に立てた真の愛は、国境に阻まれることのない超国家的なものです。また、真の愛は、宗教の高い垣根も乗り越え、人種差別もない超宗教的、超人種的なものです。神様の理想を中心とした相対のために生きる真の愛の感化力、生命力によってのみ、地球星の左右、前後、上下、内外の様々な葛藤と対立の要因がすべて克服され、永遠の平和理想世界が成し遂げられるのです。 第二に、平和な世界と国家を形成する基礎単位である真の家庭を完成することです。既に言及したように、対立、葛藤の根は最初の家庭にあったのであり、したがって理想的な真の父母の家庭が生まれない限り、平和世界の起源はあり得ません。 これと連係して、私が世界的に展開している国際祝福結婚は、単純な一宗教団体の結婚儀式ではありません。神様の愛の伝統を立てる救国、救世の運動です。青少年たちに対しては婚前純潔運動を展開しています。 そして、成人すれば、神様の真の愛を中心に夫婦間の絶対信義と貞節の誓約のもとで祝福結婚をする運動です。真の愛を中心として、真の家庭と真の父母を成し遂げる神聖な運動です。このような理想のもとで教育を受け、結婚した家庭は、エイズを脅威に感じる理由がありません。彼らにとって、エイズの予防は風邪の予防よりも簡単なことです。 世界のすべての若者は、このビジョンによって教育を受けて実践すれば、エイズは完璧に予防されるのです。真の愛の家庭は、家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を据えるのです。特に、政治的、歴史的に不和であり怨讐関係にあった国家間の人々が、その高い垣根を越えて、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになれば、和解の幅は国家を超え、人種を跳び越えるものになります。 真の平和へと向かう高次元の公式は、不和と怨讐の関係にある家門、さらには怨讐国家の子女たち同士で交叉祝福結婚をし、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を成就させることです。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する、そのような始原になるのです。 第三に、超宗教的な和解と協力は、平和世界へと向かう必須条件です。私はこの五十数年間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして活動してきました。常に自らの教団の発展よりもはるかに多くの予算を支援しながら、休むことなくこの運動を進めてきました。 変わることのない、このような愛の実践は、たやすいことでしょうか。決してたやすいことではありませんでした。教団間の和解と協力がない限り、世界平和は期待できません。神様の理想である平和世界への案内者には、宗教指導者と信仰者がならなければならないのです。 もし、宗教が偏狭な教派主義ばかりを強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由になることはできません。ですから、地球星の危機の前に、宗教指導者たちは、謙虚に神様のみ旨に従い、超宗教的に手に手を取り合って、真の愛を実践していかなければなりません。 宗教の感化力によって安らかな人格が創出され、自己主管力が養われ、歴史的な憎悪と怒りを消化するところから、真の平和と安定がもたらされます。もし、各宗教が教理や儀式の違いを超えて、神様の高い理想のもとで互いに愛し、協力し、奉仕し合う姿をこの世に見せてあげるならば、世界は劇的に変わるのです。 第四に、平和世界を成し遂げるための国連の正しい役割を再度強調したいと思います。国連は、代表的な世界平和機構として、これまで多大な貢献をしてきましたが、創設時とは大きく変わってしまった世界の事情を考慮し、多元化した地球星の問題解決のために、昨年、私の考えを国連に提案しました。その提案の一つは、国連内に上院のような特別機構を補強し、宗教的、霊的、道徳的、思想的次元から世界の問題を審議させるというものでした。 国連が、国家の利益に基礎を置いた政治や外交の力によって運営される次元を超えて、地球星的な理念と神様の高い理想のもとで運営される機構にならなければなりません。そうしてこそ、万人の権益を保護し、平和世界を創建していくことができるのです。 国連だけでなく、今後の世界秩序は、政治主権が道徳的、霊的価値と別個に作用しては、公益と平和を保障することが困難です。神様の理想に基づき、宇宙の公法と通じる霊的、道徳的高次元の指導力が要請されるのです。政治力やそのいかなる力も、神様と天理の上に立つことはできません。 また、国連は、非政府民間団体であるNGOの意見を多く取りまとめていかなければなりません。私が世界NGO連合である「WANGO」を創設した理由もここにあります。すべてのNGOは、より一層対話し、協力しつつ、本来の創設精神を失わないようにしなければなりません。利己的で偏狭にならないように努力しながら、世界のために正しい奉仕を続けてくださるようお願いする次第です。 尊敬する指導者の皆様。自ら実践することなくして平和を語ることは、真の指導者の道理ではありません。また、何もしないで平和を待っているだけの余裕がある世界の状況でもありません。 平和大使たちはもちろん、私たち全員が平和運動の主体になって、必ずや平和世界を創建しなければなりません。国連をはじめとするすべての国際機構が、平和大使館を中心として、歴史的宿願である世界平和理想国家の建設運動に積極的に協力、支援するようになることを祈ります。 各界各層の指導者である皆様が一心一体となり、共に他のために生きることで、真の愛の家庭理想を実践し、天運の協助を受ける平和の先駆者となりましょう。統一された祖国と平和の理想世界を建設する働き手になりましょう。神様の祝福が皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.26
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第十四回「世界統一国開天日」敬礼式後の御言二〇〇一年十月三日、第十四回「世界統一国開天日」の敬礼式が、真のご父母様を中心として韓国の漢南国際研修院で行われました。敬礼式の後、真のご父母様が御言を語られました。 億千万世の歴史をかき分けて出てきた言葉「祝福の中心家庭」 世の中の歴史を見れば、先祖がこのようになっていますが、私たちは逆になるのです。最後に生まれた人が先祖になるのです。それがだれかというと、真の父母の代身として、すべての天の御旨と摂理の御旨、世上万事を知って、礎石を置くことができる人です。そのような人にならなければならないのです。それがメシヤです。家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤです。分かりますか? 堕落によって(メシヤが必要となり)、そのメシヤとは何かというと、真の父母であり、個人的な真の父母、国家的な真の父母、世界的な真の父母、天宙的な真の父母です。その基盤を通して神様が出てこられるのです。 塔を積み上げれば、その頂上に象徴的な表示としてダイヤモンドなどを置くのですが、そのような位置に神様がいらっしゃらなければならないのに、それがすべて崩れてしまったのです。全体勝利の代表として表象となるべき神様が、めちゃくちゃになってしまいました。地に落ちて、身動きすることができない、このような神様を解放しなければならないのです。だれのゆえにそのようになったのかというと、天使長とエバとアダムがそのようにしたので、天使世界の改編とともにエバ世界を解放し、アダム世界を解放しなければならないのです。それをなすことができる基準は何かというと、結婚です。祝福だというのです。 間違った結婚をすることによってそのようになったので、真の父母が来て、真の愛、真の生命、真の血統を通して、それを引っ繰り返して、打ち込み、勝利圏を立てるのです。祝福というのはそのようなものです。ですから、祝福を自分の思いどおりにすることはできません。祝福には、旧約時代、新約時代、成約時代があります。成約時代は、旧約と新約のすべての所願が安着することができる時代なのです。 成約時代は、祝福を受けて、すべての万物の中心存在として設定されるのです。そして、アダム家庭が祝福を受けた後に愛し合い、彼らの中心に、その愛に、天の血統の種が永遠に植えられるのです。そして、神様の愛の根、生命の根、血統の根が生じ、それが成長して大きな木になるのです。 最近では、細胞の繁殖というものがあるではないですか。葉の中に、そのような木がたくさん入っているのです。そのような生命体と同じように、全人類が一つの木のようにならなければならないのですが、そのようになっていないので、すべて分かれ、すべて落ちていってしまうのです。千万の葉が生い茂っているのですが……。 皆さん、柿の木のようなものは、どれほど青くて鮮やかですか? そこにたくさんの葉がついていたとしても、その葉はすべて個別的で、それぞれ違います。すべて違うのです。先祖が違います。千万の種類が、すべて使い物にならない雑種になっているのです。そのような柿の木になったというのです。偽りの柿の木です。これを蕩減して引き上げるのです。引き上げるのは、創造よりも何千万倍も大変だということを理解しなければなりません。 そのような功労の基台を経て、数多くの宗教圏がつくられてきました。政治圏と宗教、国と宗教が怨讐です。国はいつも迫害をしたのです。 アダム家庭において、カインがアダム家庭を破壊したのと同じように、カイン圏である政治圏が、アベルを犠牲にして、アダム家庭理想を破壊し続けてきた歴史でした。それは破壊の歴史であり、混乱した歴史であり、地獄に行かざるを得ない歴史です。これを分立させる役事をしてきたのです。それは簡単なことではありません。一日や二日で、できることではありません。数千万年を経ながら、なしてきたのです。 そして、旧約時代を経て……。旧約時代はそうではないですか? 祭物歴史です。すべて割いて、サタンを分立させるのです。神様が思いどおりにすることはできないのです。神様は、半分にもならないというのです。十分の一です。九つすべてがサタン圏です。一、二、三、四、五、六、七、八、九数までは、サタン数なのです。九数です。この九数と六数は、逆さまになっているのです。これがいちばんの怨讐です。 六数は何かというと、アダム家庭のおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子女たち夫婦であり、そして、孫までで八数です。段階は四段階で、八数です。八人家庭を中心として八数です。八数になってこそ定着するのです。 ですから、四位基台というものは、六人が一つになり、そこに孫が出てきて、その孫から種が広がってこそ、これが新しい……。これが範疇です。哲学でいう範疇は、全体の模範的な規範のことをいいます。アダムの息子・娘を中心として、そのアダムの息子・娘は十人でも生むことができ、いくらでも生むことができるのです。いくらでも広がっていきます。広がっていくアダムの孫は、おじいさんの愛、お父さんの愛、三大愛を受けて繁殖するのです。そのようになってこそ、天の国の血族になるのです。 皆さんも同じです。霊的に見れば、縦的な神様が一代であり、アダムが二代であり、その息子・娘が三代です。横的に見れば、真の父母も一代、二代、三代で、これがすべて九〇度です。霊界と肉界が九〇度に合わなければなりません。それで、地は四数で、天は三数で、合わせて七数です。それゆえ、三段階というのは四系列になるのです。地上に定着するためには、三段階を越えなければなりません。四系列を行けるようにしなければなりません。これが四つあってこそ、三段階ではないですか。 皆さんすべてが、おじいさんとおばあさんの愛の結実体です。そのことを知らなければなりません。お父さんとお母さんの愛の結実体です。それだけではいけません。二代だけではいけません。そこに、三代、六人の父母の結実体となって、はじめて七数が立つのです。四数と七数。このようにして七数が連結します。七数が完成していたならば、そこに種として植えられたものは、どこに行っても……。 栗は、どこに植えても栗の木が出てくるのであって、松の木が出てくることはありません。種の区別は厳格なのです。そのことを知らずに共産主義は、ただそのまま発展していくと思っているでしょう。必ず愛の門を通らなければ、上がっていくことはできません。種の繁殖というのは、愛の門が異なるのです。それを自分勝手にして、上がっていくことができるのですか? アメーバから、そのまま上がっていくことができますか? 数千段階を、そのまま上がっていくことができますか? 別の愛の門を通って、三世が出てくるのですか? これを否定して、そのまま上がっていくことはできません。種の規範を侵犯することはできないのです。松の木が 榛 の木になることはできません。 それと同じように、神様を中心として、三代の父母の結実として植えられたものが、四代で定着するのです。四数が地に植えられるのです。神様の代身である真の父母においては、三代圏の結実として四代目に、定着することができる種となるのです。そのような種となるために今、皆さんが何をしているのかというと、「祝福の中心家庭」という言葉が出てきたのです。それは、ただそのまま出てくることはできません。億千万世の歴史をかき分けて出てきた、という事実を知らなければなりません。 先生がこれを清めるために、どれほど受難の道を経てきたか 皆さんが霊界に行けば、聖人、賢哲に教えてあげなければなりません。孔子様にも教えてあげなければならず、イエス様にも教えてあげなければなりません。イエス様には家庭がありません。そうすることができる家庭です。 今まで野良犬のように世の中に染まって自分勝手に生きていた、そのような世界とは違います。第四次アダム圏というものは、神様を代身することができる純潔です。絶対純潔です。絶対純潔、唯一純潔、不変純潔、永遠純潔! その基準を立てていかなければならないのです。それをどれほど汚してきましたか? 先生がこれを清めるために、どれほど受難の道を経てきたか分かりません。何のことか分かりますか? 純潔運動本部、どこに行きましたか、金奉泰! (「はい」)。定着したのですか? 強力に推し進めていかなければなりません。(「分かりました」)。薛勇洙! 来ていますか? (「はい」)。純潔運動本部に関するすべてのことを書きなさい。学者や中高等学校の校長、歴史的な看板をつけた人を中心として、純潔に関することをどんどん書きなさい。 純潔本部が手本になれば、日本の人たちも称賛して、「韓国の純潔に従わなければならない」と言うでしょう。アメリカ人も純潔運動本部に従っていかなければなりません。すべての伝統を伝授してあげなければなりません。韓国と日本が別々にするのではありません。韓国と日本とアメリカが一つの国でなければなりません。一致化させなければならないのです。分かりますか? 自分勝手に生きることはできません。 先生は韓国に生まれたのですから、韓国で暮らせばよいのに、どうして世界を歩き回ってこのようなことをするのですか? 南極に、北極に、東西を分かたず歩き回るのは、遊び歩いているのですか? 見物して回っているのですか? そこをふさいでいる壁を崩してしまわなければならないのです。そうして、あなたたちが受難の道を行くことなく……。祝福を受けて一つになれば、どこにでも行くことができるというのです。 先生について来ようとすれば、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代……。このような公式的な集会は苦労が多いのですが、「だれが何回来た」という事実が、すべて霊界に記録されるのです。その「一度来た」ということが、どれほど価値あることなのか知っていますか? 「先生の食卓に参席し、集会の場に参席して御言を聞いた」というすべての事実が、天上世界の歴史の教材になっているのです。(真のご父母様を)生涯全体の標準として訓練されなければなりません。 第一の核が何かというと、「神様が私の父だ」ということです。堕落していなければ、神様はアダムとエバの父です。それを否定することはできません。自然を見ると、すべての環境に現れた万物自体が称賛し、仕える中心核として侍ってくれているのです。全員、そのようになっていないではないですか。言葉だけで言っています。 皆さんが金氏の中でメシヤ、金氏の代表になったならば、一族がそのメシヤに会いたいと、皆さんが先生を慕った以上にならなければならないのです。一つにならなければなりません。一丸とならなければなりません。一丸となったその結実圏内において、それを相続し、国がそのような系統につながれば、その国が天上世界に連結されるのです。 いい加減に暮らすことはできません。今回の開天節は十三周年です。十三数です。神様の王権を樹立したのも、二〇〇一年の一月十三日でしょう。西洋では、十三数は最も悪い数です。春夏秋冬の四季、十二か月を中心として、その中心だというのです。中心数です。それゆえ、オリンピック大会を終えて……。本来は、先生の誕生日までの十二数です。その時から十三年目であり、三〇〇〇年に入る最初の年に王権樹立をしたということは、驚くべき事実です。分かりますか? (「はい」)。 皆さんにとって最も貴いものは何かというと、自分の妻、息子・娘、自分の国ではありません。財産でもありません。王権樹立です。このために、国と人類と宗教圏がどれほど多くの血を流し、どれほど犠牲になったか分かりません。そのふさがれていた所願の御旨が、ついに現れたのです。漠然と願ってきたことが、実体対象圏となったのです。伸びた紐が一か所に集まるのと同じです。相対的立場で即刻、相対基準を結び、天の前に立つことができるのです。 皆さんが、どうして祝福の中心家庭ですか? 何年、生きましたか? 祝福の中心家庭が、何千年、何万年、何千万年を経て……。それほど不可能なことです。天が苦労し、ため息をつき、すべての峠をかき分けて、自分の位置をつかみとってくれたのですから、涙なくしては生きることができないはずなのに、野良犬のように生きているのですか? 何のことか分かりますか? (「はい」)。 一番の頂上にいる者が、一番の底辺に行く 祝福の中心家庭が、どれほど恐ろしいか知っていますか? 今まで神様は、祝福の中心家庭、一つを探し出すことができずに、受難の道を歩んでこられたのです。家庭を祝福してあげることが、どれほど大変だったでしょうか。あらゆる人を祝福してあげたからといって、遊び事だと思っているのですか? 父母が祝福するというので、自分勝手に連れてきて結婚させることができると思っています。推薦されてもしてあげることはできません。父母がいくら願ったとしても通じません。一番の頂上にいる者が、一番の底辺に行くのです。 頂上と底辺は、何かというと怨讐です。怨讐同士では、「自分は頂上で、あいつは底辺だ」と言うではないですか。そのような思想、概念をなくさなければなりません。神様の前にそのような概念があるので、それを埋めるのが神様の苦労です。 十字架で亡くなるイエス様が、槍で心臓を突き刺そうとする怨讐に対して、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と赦しを請い、愛した、ということはどういうことですか? 狂ったとしても、世の中にそのような狂人がどこにいますか? 怨讐を愛したのです。 怨讐であるイスラエルの王宮の王子・王女と、ローマの王子・王女が結婚しなければなりません。世の中でもそうでしょう。強大国があれば、弱小国家は親戚関係を結んで生きようとするのです。同じ極同士は怨讐ではありません。 先生もそうしました。天国の理念がどうなっているかということを知っている先生の家庭と結婚した人たちは、よいものを食べることができず、飢え、苦労した人たちです。先生の名前で、世界のだれとでも結婚することができます。 自分勝手に探し回って、三十六家庭同士、高い家庭同士で結婚することはできません。「自分たちでしよう」という話も、自分たちだけでしたのであって、公式的な場では、そのように言うことはできません。今まで神様がそうでした。サタン世界で最も苦労し、死ぬほど苦労した人を中心として、その血族を通して結婚しようとするでしょう。そうですか、そうではないですか? この者たち! (「そうです」)。 自分の子供をよく育てて大学に送り、博士にして、何をするというのですか? 先生は、苦労すべき先生ですか? 先生の生涯は、骨相学的にも苦労するようにはなっていません。本当に、全く! 国の逆賊が行く道もすべて行き、聖人が行く道もすべて行ったのです。そのようなことを分からずに、自分勝手に何をしようというのですか? 自分勝手にしてうまくいくかどうか、してみなさい! 逆さまに打ち込まれます。 今から、結婚する相対はだれがなるのかというと、自分が高い位置にいれば、低い位置に行くのです。郭錠煥! 分かりますか? (「はい!」)。 私たちの機関で高い位置についたり、位置の高い人と結婚しようとしたり、高い位置を夢見ている、そのような人たちは、みな(御旨に)反対していくようになります。御旨がそうです。聖子と殺人魔、三十三人を祝福してあげたではないですか。世の中のどこに、そのようなことがありますか。 アダム家庭において、カイン・アベルに等差が生じました。引っ繰り返ったのです。カインが上がっていったのです。サタンの血統が、なぜ上がっていったのですか? これは、一番の底辺に下がっていくようになっているのです。そうでなければ、神様の血統が立つことができません。これは理論的です。 分かりましたか? この二世たち! 二世のあなたたちが、裕福に、平安に暮らそうというのならば、全員、問題だというのです。国がこうで、自分の父母が不足で成し遂げることができなかったので、それ以上に苦労しなければなりません! 父母を救ってあげ、国を救ってあげ、「それ以上に行く!」と思わなければならないというのです。「楽にやっていこう」と思っているでしょう。はっきりと知らなければなりません! 最後は、愛の道を中心として立て直すのですが、愛の道においては、真の愛と偽りの愛は反対になるのです。地獄に下りていったのです。今まで天の愛はありませんでした。私が現れるまではなかったのです。真の父母が現れて、初めて、上に上がっていくのです。上に上がっていくのが、第一ではありません。上がっていき、下りていって、地獄を解放するのです。先生が地獄を解放してあげましたか、あげていませんか? (「されました」)。あなたたちも同様です。その一家、一族、韓国民族に地獄があります。フリーセックス、ホモ、レズ、エイズ、これを除去していたならば、今ごろは抜け出ているのです。 愛の哲学が、どこに発生するかというと、怨讐と怨讐が結婚し、その二人の怨讐の父母が、怨讐同士が闘わずに永遠に平和に暮らすことを願い、また、平和を愛する模範となることができるように願い、神様の前に、千年、万年、反対していたサタンが福を祈ってあげることができ、神様の前に、千年、万年、切実に願い、一つになってこそ、帰っていくことができるのです。このとてつもないことをおいて、自分勝手に行動してはいけないというのです。それはいけません。霊界に行ってみなさいというのです。 祝福家庭を安物だと思っています。この者たち! どこかの旅人が来て道端で風呂敷を広げて、それがよいものだからといって、一緒に食べることができるのですか? マッチングは、昔、先生がしたようにするのです。いくら自分たち父母同士で約婚したとしても、それではいけません。それは条件です。条件としてそのようにするのです。必ず国と国が、春夏秋冬に公式的な日を定めて行うのです。人が多くなれば、毎日、午前と午後に時間を決めておいて、その時間に参席し、そこで国の代表が何百名ずつかに分けて行うのです。マッチングはすべて、教会の公認を受けなければなりません。 それなのに、何ですか、自分勝手にやろうというのですか? この狂った者たち! 分かりましたか? (「はい」)。郭錠煥は、はっきりと教えなさい。六大州なら六大州、世界なら世界、何千名、何十万名でもかまいません。国家を混ぜて、一列にサッと並べて番号をつけて行うのです。六大州で結婚することによって、血統が混ざるのです。親戚関係になって混ざれば、争う者たちはすべて解体されてしまうのです。分かりますね? (「はい」)。 韓国人だからといって、「私は日本人とは親戚にならない」と言うことはできないのです。今後は、抽選でするかもしれません。白人は黒人とするのです。それを「嫌だ」と言うことができますか? 兄弟です。アダム家庭の一父母の血族から分かれた兄弟です。それは事実です。そのような意味で(怨讐であっても)自分の側だと考えるのです。そうすれば、中心になります。天の国の歴史的な表象になることができ、伝統になり得る核になることができるのです。そのことを知らなければなりません。 自分勝手にすれば、息子・娘から讒訴されます。頭の大きい人(責任者や長のつく人)たちは、警戒しなければいけません。郭錠煥、分かりますね? (「はい」)。 三十六家庭から、今後、教えてあげた原理の基準を中心として、「家庭形成に違反することが、何々」と、家庭に関することをすべて表示して付録としてつけ、天国に入っていく時に、それに合わせて自叙伝を書かなければなりません。あの国に行ってそれが違っていれば、完全に引っ繰り返されて、追い出されるのです。適当に考えてはいけません! あなたたちが呼吸することまで、すべて見ているのです。この者たち! 先生があなたたちのように暮らしてなせるのならば、どうしてこのような暮らしをしているのですか? 先頭に立って苦労しているのに……。「先生は苦労しているが、私たちは苦労しない」……。この者たち! 蛇が大きくなろうとすれば、十八回以上、脱皮しなければなりません。あなたたちは、何回脱皮しましたか? 百八十回、千八百回、脱皮しなければ、堕落のどん底から抜け出すことはできないという事実を知らなければなりません。 真のご父母様がペイントを塗ってあげたのです。体が真っ黒なので、絹を着せてあげました。そのようなことを知らずにいます。頭の大きい人も、小さい人も、同じだというのです。ペイントを塗ってあげ、祝福を受けたのです。それなのに一番だと思っています。今後、先生のいる部屋に勝手に入ってくることはできません。霊界の天使たちが擁護して直ちに……。 息子・娘の結婚問題を正しく行いなさい すでに全員が祝福の中心家庭になっています。あなたたちが行くべき道と、私が行くべき道は違います。今からあなたたちは出ていって、国を収拾して国家基準に上がってこなければなりません。先生がそれをしてあげることはできないのです。頂上に上がっていくのです。神様の王権まで連結されています。それをそのままで上がっていくことはできません。個人時代において闘い、大蕩減して復帰してこなければならず、家庭時代……。七段階、八段階をすべて経てこなければなりません。闘ってそれを経てくるまでは、闘ってその結果をもってこなければ、接ぎ木する道理がありません。 家庭的メシヤが氏族的メシヤに、そのまま接ぎ木することはできません。闘って勝たなければならないのです。八段階のことを知っているでしょう。出ていって闘わなければなりません。個人時代、家庭時代ならば、出ていって闘い、サタン世界が反対する所で、その家庭全体が自然屈服し、「私たちの町から出ていかないでください」と言う時に、長子権を復帰するのです。そのようにサタン世界を復帰して上がっていくのです。何のことか分かりますか? 家庭から上がっていくのです。 また、氏族時代においても、闘って、上がっていくのです。郡なら郡に行って闘い、反対される所で闘い、そこで「私たちの中心になってください」と言われてこそ、兄になり、兄として弟を連れてきた後、そこから民族時代に上がっていくのです。その原理を講義してあげなかったようですね。明確にしてあげなさい。ただそのままで上がっていくのではありません。出ていって闘わなければなりません。先生はそのようなことをすべてしたのです。それゆえ、その系列をすべて知っています。 ですから、先生を絶対に信じるのです。家庭時代においても絶対に信じるのです。引っかかることがありません。氏族時代においても、絶対に信じれば越えていくのです。どのようなことでもするのです。「できない」という言葉はありません。自分の父母までも、「祭物として捧げなさい」と言えば捧げなければなりません。自分の息子・娘は問題ではありません。自分の妻は問題ではありません。神様の前では、復帰のためならば、どのようなことでもしたのです。先生の前でも、どのようなことでもするのです。 そのようなとてつもない事実を束ね、神様の王権を樹立することが、一生の念願であったのです。永遠、永生路程の念願であったというのです。 神様が「文総裁。何々をしなさい」と、そのように命令することができますか? その問題が生じれば、解決できるまで、神様は離れていなければなりません。文総裁が勝って越えていかなければならないのであって、神様が協助すれば、サタンが黙っていますか? 一人です。一人。あなたたちには、すべて教えてあげました。父母がいるので、すべて教えてあげたのです。それを聞き流して、腐った御言にしてすべて埋めてしまい、四十年間、そこに突っ込んでおいたというのです。訓読会をしていなければ、どうなるところだったのですか? 金鎮文は病気ですか? (「今はもう完治しました」)。つらそうですね。(「もう大丈夫です」)。休みたいと思いませんか? (「今はもう完治したので、そのようには思いません」)。休みたいと思えば病気になるのです。先生もそうです。少しでも休みたいと思えば、五万種類の病気にかかります。足を伸ばして休むことができません。「一度死んで生き返った」と考えるのです。「一度死んで生き返った」と考えれば、死ぬほど疲れても乗り越えることができます。そのように考えるのです。痛ければ、反対にもっと痛むようにするのです。先生が生涯で、八十を越えても病院に行ったことがありますか? 最近、お母様を見ると、先生が八十を越えたので、小さな薬局のように薬たんすを置いて、先生が長生きすることを願っています。それを飲んだからといって、長生きするのではありません。あまりにも精誠を尽くすので、私が飲んであげるのです。お母様に尋ねてみてください。食事の前、食事の後、休む時、トイレに行ってきても、どこに行ってきても、どんどん薬が出てくるのです。なぜ、そのように薬がたくさんあるのか分かりません。(笑)それを飲んだからといって、よくなるのではありません。それを信じて生きていては、長生きできません。 息子・娘の結婚問題を正しく行いなさいというのです! 泥棒になるなというのです! 自分たちの息子・娘を貴く思って、他人の息子・娘よりも優秀にして、「国の大統領にしよう」と思うのもいけません。途中で折れてしまいます。見ていなさい。今私は、そのような家庭がどのようになるかと思い、見ています。私が教えたことが間違っているか、間違っていないかを見てみると、間違いなく当たっているのです。自分勝手にすれば、間違いなくそのようになります。 私は、自分が言ったことは絶対に守ります。自分が言ったことを、自分が一番恐れるのです。永遠に道がふさがります。ですから、訓読会をする時には、助詞が一つ違っていても、すぐに分かります。霊界に行くまでには、それをすべて正してから行かなければならないのです。 そのように理解して、子女たちを正しく育て、天の前に祝福して、立派に捧げることができなければなりません。子女だけでなく、三代です。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、孫、三代が一つになって、真の愛の結実になるのです。霊界に行けば、おじいさん、息子、孫の三人が、一つの家庭として暮らすのです。最小で、三人が一人に見えるのです。 栗の木の種を植えれば栗が実るのですが、その栗のいがの中には、三つ入っているもの、一つ入っているもの、二つ入っているものがありますが、味は同じでしょう。同じことです。三代が一人に見えるのです。それは嘘ではありません。 一生涯、純潔を守って生きたならば、夫の中に妻が入るのです。夫に「妻はどこにいるのですか?」と尋ねる必要もありません。「あなたの妻はどこにいるのですか?」と言えば、見つめているその夫の中から、「私はここにいる」とあいさつするのです。隠すことはできません。そのような世界に行こうという者たちが、がらくたのようになり、地上で暮らしていたその習慣性のままではいけないというのです。分かりましたか? (「はい」)。 警告です! きょうは十四回です。過ちを犯せば、このような式典に思いどおりに参席することはできません。霊界の指令がなければ駄目です。あなたたちは、勝手に漢南洞に来ることはできません。自分勝手に来ることはできないというのです。私が呼ぶ人以外は来ることができません。そのような時が来ました。 嫌いな人同士が親戚関係になっている 自分たちが祝福の中心家庭だと言うならば、息子・娘を分家させなければならないでしょう。そうでしょう。虎も二年たてば、その子供たちを噛んで追い出してしまいます。最も恐ろしいのが母親です。そうであってこそ、自分の行くべき道を行くのです。あなたたちも同じです。サタン世界に行って、そのようにしなければなりません。それを連れたまま暮らさなければなりませんか、追い出してしまわなければなりませんか? (「追い出さなければなりません」)。追い出さなければなりません! 教会に集まってけんかばかりしている者たちを追い出してしまわなければなりません。苦労して開拓しなさいというのです。開拓すれば、国王が理解してくれます。分かりますか? 神様が理解してくれるというのです。真のご父母様は、地上の国ではなく、永遠な霊界に行って責任をもつのです。先生が会ってくれると思って、好きなように訪ねてきたでしょう。今まではそのようにしてきました。 先生がどれほど感覚の鋭敏な人ですか。芸術的な分野や文学的な分野、すべてに素質があります。サッと見れば、すぐに善し悪しが分かります。絵を見ても、すぐに分かるのです。サッと見れば、アンバランスなのが分かります。完全なものは和合することができるのです。それゆえ、原理が偉大だというのです。それを知らなければなりません。原理を知っている人は、何でもできないことがありません。「できない」と言う人は落第生です。 亨進を見れば、運動もすべてするのです。空手でも何でも、最近では中国の拳法までするのです。いつの間に学んできたのか、私のところに来て、「お父様、私はこのようなものを学びました」と言うのです。「それで何をするのか?」と尋ねると、「それで何をするも何も、世の中には、私よりも優れていると思っている人が大勢いますが、私は自分のほうが優れていると思っているのですから、何かが優れていなければならないのではないですか」と言うのです。 また、子供たちが「お父様。あの人は今後、統一教会に反対すると思うので、あの人には接しないでください」と言うのです。「私も知っている」と言うと、「お父様。あの人に近づかないでください」と忠告するのです。サタンがここにいないと思いますか? すべて(神様の)相対だと思いますか? しっかりしなければなりません。分かりますね? (「はい」)。正しく越えていかなければなりません。 先生は、どんな人でも連れて歩くのではありません。今までは乞食を連れて歩き、殺人魔やそれ以上のチャンピオンのような人を連れて歩きましたが、いつまでもそのようにするのではありません。系列があります。黄善祚! (「はい」)。三十六家庭からすべて会議して、記録に残すことができる人が何人いるか、批判して選別しなさい。何のことか分かりますか? (「はい」)。そのような時が来ました。 ですから、私の息子・娘も全員、イーストガーデンから追い出しました。顯進までです。イーストガーデンにはいません。ワシントンにいます。追い出したというのです。 アダムとエバに相続権がありますか? 万物の相続です。この自然です。今回の修練会の総結論は何ですか? 「自然に帰りなさい」と言ったでしょう。そのように言いましたか、言いませんでしたか? (「おっしゃいました」)。自然に帰らなければなりません。きょうも、そのことを強調するのです。自然に帰りなさい。 太陽を見習いなさいというのです。何億年間、一秒も狂っていません。やあ! 朝夕が季節によって違います。何千年間狂うことなく、朝夕、同じ公式で動き、北の世界でも、南の世界でも、同じ公式で動いています。あなたたちはそうですか? 天国に入っていくときに、かかし(=役に立たない人)のようになって、入っていくつもりですか? 中身がなく皮だけだというのです。 息子・娘を結婚させたいと思う人、手を挙げなさい。それでは、息子・娘によい結婚をさせたいと思う人、手を挙げなさい。怨讐とするのです! ピタッと、そのようになっています。今まで祝福した人たちを見れば、嫌いな人同士が親戚関係になっています。訪ねてみなさいというのです。 先生が町内のおじいさんのように喜ぶことだけを言えばいいのに、一番年を取った先生が、なぜそのようにしなさいと言うのでしょうか? そのようにすれば、峠を越えるのです。一番高いエベレストの山頂を、エレベーターに乗って、サッと上がっていくことができるのです。いっぺんに上がっていきます。この谷間からあの谷間に、越えていくのです。分かりますか? 人は、無限に高くなることができるのです。愛する心で尽くすのです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言ったのです。心を尽くす者は、いくらでも越えていくことができるのです。 この博士は、孔子が一番嫌いだったでしょう。孔子は顔立ちが悪いのです。男性として見れば、ハンサムではありません。しかし、霊界に行ってみれば、美男子に見えます。違って見えるというのです。輝いているのです。見たくないと思っていた黒人も、黒くありません。より高いところに行くことができるのです。 行けばあいさつをしなければなりません。御旨を知った人は、知っている顔で現れるのです。自分の好きなように変貌することができます。それゆえ、サタンの代わりに来て、誘惑するのです。ですから、原理を知らなければならないのです。自分の本心、正しい心をもつのです。三代が結ばれれば、三代を引っ張っていくことはできません。八人が一つに結ばれているのに、だれが引っ張っていくのですか? 時代が変わる このような式を私が守らなければなりませんか? 時代が変わるのです。あなたたちでしなければならないのではないですか? 息子・娘をたくさん生んで、その息子・娘が世界に散らばって暮らすようになれば、全員が父母のところに来ますか? 父母の誕生日は、自分たち同士で集まってしなければならないでしょう。そうではないですか? 六大州それぞれに分かれていれば、六大州すべてに私が行くことはできないので、自分たち同士で集まってするのです。また、そのように許諾しなければなりません。 そして、語ってあげた御言を二番煎じにした(=訓読した)としても、その二番煎じの薬を本物だと思って飲めば、本物になるのです。本物よりもよいというのです。あなたたちが精誠を尽くして、徹夜祈祷して語る言葉よりもよいのです。 皆さんは昔、十年、二十年前に文総裁が三時間話したことを、「何のことか一つも分からない」と言ったのです。分からない立場に立っていたので分からなかったかもしれませんが、今、数十年前、五十年前に語った御言を見てみると、その通りになっていますか、なっていませんか? (「なっています」)。 郭錠煥もそうではないですか? (「その通りです」)。先生よりも自分のほうが優れていると思っていたのです。劉孝元もそのように思っていて、私から雷を落とされました。原本の一ページだけでも解釈してみなさいというのです。一ページでも解釈できる何かがありますか? それで、私が十五ページをサッとしてあげると、「ああ、先生のほうが優れています」と言うのです。文章を書くならば自分が書かなければならないと思っていたのです。 では、先生は、御言を正しく語りましたか、語れませんでしたか? (「語られました」)。イエス様が語った言葉を、今になって理解できるのです。それゆえ、五十年前のことを理解できますか、この者たち! 行ったり来たりしましたか、一方通行ですか? それが違います。騙すことはできません。時代が変遷するとおりに従っていくことはできません。それに歩調を合わせることはできません。真理は変わらないのです。私はそのことを知っている人です。 あなたたちは、原理を覚えて講義すると……。この者たち! 自分の言葉や、ありとあらゆるものをつけて、まだらなものにして、白紙にカラスが糞をしたものを「白紙だ」と言っているのです。「それをすべて片づけなさい」と言うと、ここにいる人たちがみな反対しました。講義するという安物たち、全員反対したでしょう。講義は必要ありません。だれでも講義することができます。色分けされたもので、全員が講義することができるのです。「それをつくってはいけない、つくれば大変なことになる」と言ったでしょう。何が大変なことになるのですか? 自分たちがどれほど、泥棒しましたか? あなたたち、そのようにしてみなさい。ついて行きますか、ついて行きませんか? 今回も、アメリカの有名な牧師たちが来たでしょう。その中でも、名のある牧師を十人くらい選んで、チャートで講義すると、「ああ! よい」と拍手して、「今、生き返った」と言ったそうですね。(「理解しやすかったそうです」)あなたも講義をそのようにしてきたようですね。(「はい。私も覚えてやりました」)。それゆえ、良心の呵責を受けて、ぶつぶつ言っていたのでしょう。(笑)良心の呵責を受ければ、そのようになるのです。自信がなくなります。 今回、開天節を中心としたその歴史について、どれほどたくさん話しましたか? すべて話したでしょう。(「はい」)。これを中心として、王権即位式をするために、お母様を先頭に立てたのです。いくら愚か者でも、自分で出世の看板をつけて築いた位置に、自分の妻を立てるような男性が、世の中のどこにいますか? 文総裁だからこそ、そのようなことを知って立てるのではないですか。 母の解放と女性時代というものが、自分たちのためにあると思っているのですか? 天運が唾を吐けば、すべて滅びるのです。過ぎ去ってしまいます。九二年から女性時代を宣布することができる内容、そのバックグラウンドが、どれほど広壮ですか? 神様も否定することができず、それを守ってくださり、「そうだ」と言われるのです。それをそのまま過ぎ去らせることはできないようになっています。それゆえ、たくさんの宣布をしたのです。 あなたたちは、一代でいくつの宣布をしますか? 自分を中心として、天地の前に、天宙の前に、「宣布いたします」と言うことができる日を、何日くらいもつつもりですか? そのような日がありますか、ありませんか? (「ありません」)。 「祝福の中心家庭である私たち」という言葉はあり得ません。祝福の中心家庭の中心は、一つです。二つあるのですか? 中心は二つですか、一つですか? (「一つです」)。すべて一つです。「私の御旨」です。「私たち統一教会の御旨」ではありません。「私の国」です。「私たちの国」ではありません。 男性として完成した人が「私」になり、女性もそのようになってこそ、「私たち」という言葉を言うことができるのです。夫婦を中心として、愛を中心として息子・娘を生んでこそ、「私たち」という言葉が出てくるのです。家庭というものを中心として、神様も「私たち」と言い、息子・娘がいて「私たち」という言葉を使うのです。 あなたたちは天の国に行っても、息子・娘もなく、家庭もない者たちだというのです。それなのに「私たち」という言葉を使うことができるのですか? 深刻な問題です。 皆さん全員、一番になりたいでしょう。中心になりたいでしょう。中心になることを許諾しました。マラソンのチャンピオンたちが競争の場に出ていくときには、「自分が一等になろう」と思って出ていくのであって、「びりになろう」と思って出ていくのですか? 「びりになろう」と思って出ていけば、百回やっても、永遠にびりです。一等という匂いさえも、嗅ぐことはできないでしょう。 そのような特権的な、祝福の中心家庭だれだれの名前。私自身も、祝福の中心家庭文総裁の名前で祈祷を捧げようと思います。中心が、個人的中心、家庭的中心、国家的中心と、すべて変わるのです。私が中心家庭になれば、だれと競争するのですか? 個人的中心家庭、家庭的中心家庭、氏族的中心家庭、民族的中心家庭、国家的中心家庭、天地で神様の代身として愛する息子・娘を、だれが苦しめるというのですか? 李相軒氏が、「王権樹立した後、霊界に大革命が起きた」と言ったでしょう。王権樹立した後、「文総裁が孝子の中の孝子だ」ということを知るようになったのです。私が孝子ですか? (「孝子です」)。何の孝子ですか? 悪口をよく言う人が、どうして孝子なのですか? なぜ、悪口を言うのですか? 「孝子になりなさい」と、悪口を言うのです。孝子でなければ、孝子になろうという人に悪口を言うことはできません。忠臣でなければ、忠臣になろうという人を教育することはできません。そのように考えればよいのです。 聖人になろうという人が聖人になれないので、悪口を言われなければならないのです。気合を入れてもらわなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子が、ここにいます。今、心で「なろう」と思っているので、築き上げなければならないでしょう。悪口を言うことしか、することがありません。悪口を言う先生に、そのような資格があると思いますか、思いませんか? (「あると思います」)。 私が立てた形態には合いません。いくら合わせようとしても、霊界にそのような位置はないのです。先生が入っていく天国には、そのような位置がないので、引き返していかなければなりません。すべて蹴飛ばしてしまいます。ふらふらしている世の中に通じるからといって、統一教会にも通じるのではありません。 今回もリトル・エンジェルスでの講演の時に、私がありとあらゆる人を招待すると、喜んで集まってきましたが、その中には犯罪者もいました。いつもそのようにすると思いますか? いくら厳しい冬だとしても、春が訪ねてくれば、監獄にも春の光が差し込むようになるのです。何のことか分かりますか? 王宮において、王子の位置、王の位置、玉座にも、春の光が差し込むのです。監獄の死刑場にも、春の光が差し込むというのです。私には、春の光をもたらし、それを浴びせてあげ、触れさせてあげる責任があるのです。 きょう私は、この場に来ながら、サッと歴史を一度振り返って考えてみました。先生に対して、「生きる!」とか「死ぬ!」とか言っていた人たちが、過ぎ去っていきました。自分の息子・娘、統一教会の人たちを収拾しようとすれば、この人たちも収拾する責任があるのです。一度捜して調べてみなければならないと考えています。 統一教会の総論は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従 霊界の先祖たちは、生まれた土地、故郷の地に再臨していくのです。万民が再臨するのです。イエス様の能力以上です。祝福の行事をすることによって、楽園以上、天国に行くことができる先祖をつくるのです。それが理論に合う話です。 あなたたちは、自分たちの土地であなたたちよりも苦痛を受け、善に生きて死んでいった人を知っていますか? それ以上にならなければなりません。恨に恨を抱いて死んでいった人が、霊界から地上に再臨するのです。私たちが暮らしている所に来て、協助するのです。その人を兄のように侍り、王のように侍ろうと考えるのです。それを感じなければならないという事実を知らなければなりません。 あなたたちの主人はだれですか? 神様でしょう。国のために、すべてを犠牲の祭物にすることができるのです。そのように考えるのです。あなたたちは、どれほどたちの悪い者たちですか? 草も生命体でしょう。草の中で、虫を捕まえて食べる草を知っていますか? 虫と草は親戚です。 あなたたちはどれほど植物を犠牲にしましたか? 野菜を食べるでしょう。野菜も血を流しますか、流しませんか? 切れば水が出ますか、出ませんか? それは血です。あなたたちの血と違うものではありません。同じです。野菜を好きなように切り、炒めて食べていますが、食べさせるために生まれたと思いますか? 愛を受けるために生まれたというのです。愛ゆえに万物が生まれたのです。 それゆえ、野菜も自分の主体と対象において、愛を訪ね求めていくのです。その二つが一つになり、継続して実を結んでいくのです。それは、主人に吸収されるためです。人の生殖器に入っていって、赤ん坊をつくる器官の細胞になるために生まれたというのです。その実が拡大して、人類が繁殖するのでしょう。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 どれほどたくさん犠牲にしましたか? 草を見ると申し訳なく思うでしょう。木を見ると申し訳なく思うでしょう。土を見ると申し訳なく思うでしょう。砂も、鉱物質として自分が吸収したのです。それに、水を見ると申し訳なく思い、太陽を見ると申し訳なく思うのです。生命の要素です。そして、愛です。すべてのものが愛を訪ね求めていくのです。 私が南米に行ってみると、そこには蚊がどれほど多いか分かりません。蚊が多いことを心配していると、稚魚たちがその蚊を食べて生きていたのです。稚魚です。卵から生まれたたくさんの稚魚に、何を食べさせるのですか? 蚊が昼も夜も、無尽蔵にいて、一日中そこにいるので、それを捕まえて食べるのです。「私は蚊を嫌っていたが、稚魚のえさとして与えられたものを嫌っていたのだなあ」と思ったのです。すべてそのようになっています。すべてために生きているのです。 ワニの子供でも、口の大きな魚にパクッと飲み込まれてしまいます。そのことを知っていますか? サメの子供も、サバでも何でも、パクッと飲み込んでしまうのです。そして、今度は「おまえは私の子供を食べたから、私はおまえを食べる」となるのです。それゆえ、お互いに不平を言うことはできません。口が大きなものは、口の小さなものをすべて飲み込んでしまいます。 魚に歯がありますか、ありませんか? (「ありません」)。(「ないものも、あるものもいます」)。あるものもいるでしょう。あるものは、骨を食べなければなりません。分かりますか? 骨を食べなければ栄養素が不足するのです。骨まで食べる体質になっているものは歯があり、丸ごと飲み込んで消化することができるものは歯がないのです。ストライブド・バスは歯があるでしょう。魚を捕まえて食べやすいように、そのようになっているのです。カモメは歯がありますか、ありませんか? 飲み込んでしまうのです。 あなたたちも、女性は男性に引かれていき、男性は女性に引かれていき、寄り添って暮らしているではないですか。夫が必要ですか? 女性が必要ですか? (「必要です」)。 そのように、ために生きるところにおいてのみ、愛の垣根が大きくなるのであって、「私のために生きなさい」と言うところには、愛はありません。穴しかありません。ですから、私たち統一教会の総論は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。服従とは何ですか? 絶対服従とは、このくらい残しておいて「私は嫌だ」というものですか? 死ぬほどしても、もっとしなさいと言うのです。 一周ぐるっと回って、もっとしようとするので上がっていくのです。一周飛び回ってきたものが、行くところがないので上がっていくのです。葛の蔓のように上がっていって、また大きくなるのです。そして、また上がっていって、また大きくなるのです。もっとために生きようとするので大きくなるのです。一周回って実が実り、必要がないという時には切ってしまい、新しく実を植え、循環していくのです。 あなたたちも息子・娘を生まなければならないでしょう。息子・娘が必要ですか? それはなぜですか? そのようにしなければ人類が滅びます。いなくなるというのです。「息子・娘を生まない」というのは、人類の滅亡を宣言することです。赤ん坊を一人も生むことができなければ、二人とも滅びるでしょう。滅びますか、滅びませんか? 終わりです。終わってしまうというのです。未来がありません。独身生活をしてみなさい。どのようになりますか? 無人の境地です。 高いところにいる人と低いところにいる人、聖人と殺人魔 さあ、結婚問題において、だれと結婚しなければならないと言いましたか? 高いところにいる人は? (「低いところにいる人とです」)。聖人はどうですか? 殺人魔とです。その時は、どのような時かというと、終わりの日です。すべて終わりの日です。すべてが明けてくる時です。その説明は、私がしてあげたでしょう。(「はい」)。 神様も、サタンも、人類も、満水になりました。満水になったのです。すべて満水になりました。このように入ってきた者も、このように入ってきた者も、回っていくのです。このように回ってきた者がいれば、反対から入ってきた者もいるので、満水になった時にはサッと回るのです。このように回る群れがいると同時に、あちら側では、このように回るのです。回り回るのです。回る相対が、「ああ、私が一番の主流で回らなければならない」といって回ることができますか? 傍系で回らなければならないのです。そして、水平になるのです。 水がすべて満ちて、神様もここまで来ました。ここまで来たのです。神様も、水が満ちれば問題になる(=おぼれる)のです。だれが救ってくれるのですか? サタンもその水で死になさいと、ほっておくでしょうか? 行って踏みつけますか、救ってあげなければなりませんか? その中で死ぬ人がいれば、魚たちが飲み込んでしまいます。大きいものも、小さいものも、ありません。平準です。魚が「ああ、これは聖人の肉だ。むしゃむしゃ。これは殺人魔だ。ぺっぺっ」と言うでしょうか? 平等圏です。大きいものも小さいものも、大きなものは飲み込み、小さいものは食べるのです。それが回るのです。それゆえ、そのような時には、だれが神様を救ってあげるのですか? サタンと神様が闘っているのです。 ご自身もそのままいれば、水に入っていっていなくなるのであり、サタンも……。それゆえ、闘いますか、闘いませんか? その闘いをだれが止めるのですか? 神様が止めることができますか? サタンが止めることができますか? これは嘘ではありません。闘いを止めることができるのは、真の父母しかいません。なぜ、闘いが起こったのですか? 偽りの父母ゆえに起きたのです。偽りの父母ゆえに起きたので、それを救ってあげることができる人は真の父母だというのです。 それで、神様に「このような所で暮らしたいのではないですか? そこで暮らすには、水から陸地に上がっていかなければならないのですが、陸地に上がっていこうとすれば、どのようにしなければならないのか知っているのでしょう。自分一人では、上がっていくことができないでしょう」と言うのです。自分一人では天国に行くことはできません。再臨主、真の父母、完成したアダムである再臨主が来て、「このようにしなさい」と言うとおりにしてこそ生きるのであって、そのようにしなければ生きることはできないのです。 「では、神様ご自身も、これこれこのような問題で今、陸地に上がっていきたいと思うのではないですか? だれがそれをすることができますか? ご自分ではできないので、今まで恨をもって嘆息してきたのではないですか。自分を解放するのは、自分ではなく真の父母であることを知っているでしょう」と言えば、「知っているも何も……」と言われるのです。 「私がだれですか?」「真の父母だ」。「私がだれなのか、知っているのではないですか」「知っている」。「だれですか?」「真の父母だ」。「それでは、真の父母の言うことを守って、生きたいですか? それとも死にたいですか?」と言えば、「死にたい」と言うでしょうか? 「生きたい」と言うのです。「それでは、私の言うとおりにしてください」。 怨讐を自分以上に愛するのです。怨讐と親戚関係を結ぶのです。死にそうになった時、「輸血をしなければならない。怨讐の血を輸血すれば生きることができるが、どうしますか? 生きますか、死にますか?」と言われたら、どうしますか? 「生きることができるならば、そのようにする」。 では、輸血したその血が私を生かしてくれたならば、その血を憎まなければなりませんか、愛さなければなりませんか? 何と答えますか? (「愛さなければなりません」)。そのような立場です。 それは、私(真の父母)が責任をもって、そのように輸血するようにしてあげるのです。その輸血をしてあげるサタンに、「神様がおまえの血の恵沢を受けて生きることができた」と言えば、どのように言いますか? 神様がサタンを救ってあげなければなりませんか、救ってあげてはいけませんか? 救ってあげなければ、神様が……。 そのようにすれば二人が陸地に上がって、闘うでしょうか、抱き合って泣くでしょうか? 闘いますか? 怨讐になって、生きるか死ぬかの闘いをするでしょうか? 感謝して抱き合い、お互いに慰労するでしょうか? そこで一つになるのです。 では、あなたたちがサタン世界の息子・娘とこのような立場に立ち、お互いに生かしてあげることができるその王が現れたならば、王の命令どおりに生きればよいというのです。それは真の父母しか、する人がいません。真の父母の特権です。神様にもできません。私がするのです。ですから、王権即位式をしてあげたのです。千年、万年の所願成就をしてあげたのです。 統一教会全体の数億千家庭の前に中心家庭になる それでは、平和はどこから始まるのですか? 平和とは、水平になるのと同じように、平均になることです。怨讐を愛し、怨讐のために生命を捧げることができる立場に立ってこそ、平和になるのです。結婚までも怨讐の息子・娘と結婚し、結婚した翌日、以前のようにいがみ合うのではありません。翌朝から、親戚としてお互いに尊重するのです。その息子・娘は、千年、万年、王子として栄えるというのです! そのようになってこそ、そこから天国が生じ、そこから平和が出発することができるのです。あなたたちがそのような心をもてば、天国に入るのです。そのようにしなければ、天国に入ることはできません。先生が嘘をついているかどうか、行ってみなさいというのです。 それをすべてなして、地獄を撤廃するのです。十二月三日に楽園と地獄を撤廃したのです。それは言葉だけではありません。そのようになるのです。あなたたちがそのように動けば、そのようになります。 今回の使徒パウロのメッセージを聞いたでしょう。(「はい」)。王権樹立をして霊界が変わったというのは事実です。先生が「このようになりなさい」と言えば、そのようになりますか、なりませんか? (「なります」)。「あなたたちがこのようにすれば、地獄に行く」と言えば、地獄に行きますか、行きませんか? (「行きます」)。大統領でも「地獄に行く」と言えば、行くのです。私の息子・娘でも、「出ていきなさい」と言えば、出ていくのです。手本となれるように反省して悔い改めれば、一次、二次、三次まで赦すことができます。旧約時代のイスラエルを赦してあげたでしょう。新約時代も赦してあげたでしょう。成約時代も赦すのです。 入籍祝福とは、どういうことですか? 息子・娘を復活させ、重生式、復活式、祝福式をするのです。そのような何かがあるのです。ただ大ざっぱな計算で、天の国が訪れてくると思いますか? そのようなことはありません。夢のような話でしょう。訓読会で先生がした宣言文を読んでみると、その時は何も分からなかったとしても、すべて過ぎてみると、これは恐ろしいことです。 いつも先生はこのような道を来たのですが、どれほど経費が必要で、どれほど闘いが必要であったか、だれかそのことを考えた人がいますか? 相談できません。一人で……。先生一人でこのようなことをしてきたのです。ですから、大王陛下の神様も感服して、「私に似て、私がしなさいと言うとおりにして、このように越えてきた」と言うのです。あなたたちもそうです。あなたたちも先生を手本として、先生が必要ならば、訪ねていって関係を結ぶのです。同じです。天が命令してくれれば、行くべき道が明らかではないですか。 今日、祝福とは何かというと、霊界をすべて解怨成就したでしょう。三十二代までですか? (「三十五代くらいになります」)。三十六代までですね。すべてしたということです。世の中のだれが、そのようなことを考えるのですか? それはそのようになるのです。祝福をして、「三日行事までしなさい」と言ったのですが、それをしましたか? 郭錠煥! (「はい」)。自分の先祖たちのことです。(「それは解怨式をする時にすべてしました」)。皆さんの死んだ赤ん坊の霊たちを三日行事まで……。 そして、統一教会から出ていって罪を犯して、蕩減して、死んだ男性、女性たちも全員生かしてあげるのです。それは嘘ではありません。三日行事まですべてします。それは霊的にするのです。肉的基準において、自分を中心としてお兄さんたちを祝福してあげなければなりません。「私を中心として天国に入っていきたいのならば、私の言うとおりにしなさい」と言うのです。三年間、一つになって過ごすのです。 あなたたちが夫を生んであげたのでしょう。お母様の代身です。先生から見れば、妾と同じです。それゆえ、先生を思慕するのです。天の血筋を受けた男性は、天上にはいません。これを接ぎ木して、三日行事をするのです。生んであげて植えなければなりません。 そのように三日行事で天地のすべてのものを解くのですが、高速道路を築いておいたので、そのようなことが可能なのです。私には多くの恨があります。この貴い祝福が……。祝福を受けるために先生が、どれほど苦労しましたか? 世の中の、女性の受難の道、男性の受難の道、すべてを被ったのです。国を取り戻すために世界的な聖人たちが努力したすべてのこと、それ以上の立場を経て、すべての秩序を立てたのです。 霊界に行ってみなさいというのです。父母に侍っているのならば、父母の言うとおりにしなければならないでしょう。 皆さんは、皆さんの先祖の霊たちと、地上の一族の国民を連れて歩くのです。雁が飛んでいくとき、千万の雁がいても、一羽の長に従い、広く広がりながら従っていくのです。長は二人ではありません。分かりますか? 金家なら、金家の族長を中心として一つになって、国に接ぎ木し、その国を世界に接ぎ木するのです。大統領が総生畜献納祭を捧げなければなりません。そのようにしてこそ、世界に接ぎ木されるのです。これは、必然的な条件です。 接ぎ木することができる内容は、統一教会の中にすべてあります。分かりますか? 真の父母の前にです。真の父母の言うとおりにすれば、ガチャッ、ガチャッと、一瞬の内に接ぎ木されます。他人が七年かかるものを、七日間で接ぎ木することができるのです。言うとおりにすればできるのです。 一晩で国を復帰することができます。切って、接ぎ木すればよいではないですか。そのようにすれば反対がありません。私は反対されながら、それを消化しながら大きくなりましたが、サタンも大きくなりました。あなたたちは反対のない中で、接ぎ木する木を挿しさえすればよいのです。それが死んだ木では死んでしまいます。火で燃やされるしかありません。分かりますか? (「はい」)。 統一教会全体の数億千家庭の前に、中心家庭になるのです。先生に侍って暮らすのです。先生に侍って暮らした歴史的な事情は、霊界での教材になります。知らないことを教えてあげるのですから、必要なのです。ですから、従ってきて、一つになるのです。 このように話したわけですから、聞くなら聞き、やらないならやらず、みな四方八方に散らばって世界で暮らしなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.25
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第十四回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言成約九(二〇〇一)年十月三日、韓国・中央修練院 大講堂 ここにいる人は、どこの人ですか? どこから来た人ですか? 「『日本人』という言葉は、使ってはいけません。」と言いました。それは、「日本の祝福家庭」、「日本の兄弟」です。「日本人」というものは、摂理史にはありません。「米国人」というものも、ありえません。 きょう、先生に初めて会う人は、手を挙げてください。何人かは、来ているはずではないですか? 全員、先生に会ったことがあるのですか? (「はい。」)それでは、あの後ろまで行かなくてもよいですね。全員、見たことがあるのに、また、何を見るのですか? (拍手) 人は、会えば会うほど情がいって親しくなるので、会ってはまた会い、会ってはまた会いたくなるのです。 それでは、一番、慕わしくて会いたい人は、だれですか? お父様です。それは、何のお父様ですか? (「天のお父様です。」)天地を創造された主人であられるお父様です。 そのお父様が、だれのお父様であられるのかというと、日本のお父様でもなく、韓国のお父様でもなく、“私”のお父様です。一度、言ってみてください。(「私のお父様。」)「“私”のお父様」なのです。 皆さん。先生の顔を見てください。きょうもまた、み言を語ろうとすれば、四時間ではなく四十時間でも語ることができるのですが、そのような時間もないので、一度顔を見て……。 わたしは年を取っていて、皆さんは若いので、わたしは皆さんにとって、おじいさんになることもでき、お父さんになることもでき、お兄さんになることもでき、おじさんになることもでき、……。 ですから、わたしは皆さんよりも年を取っているので、皆さんが尊敬すべき先輩や目上の人であるということは間違いありません。分かりますか? 皆さんが貴く思って、忘れることのない話を、一言話しましょう。今まで、神様が「わたしのものだ。」と言われることができるようなものが、ありましたか、ありませんでしたか? 堕落する前にはあったかもしれませんが、今まで神様が、「わたしのものだ。」とおっしゃることのできるものがありましたか? 人間始祖が堕落することによって、すべてを失ってしまいました。万物を失ってしまい、息子、娘を失ってしまいました。神様が一代目であられるのならば、アダムとエバは二代目です。そのアダムとエバの堕落によって、三代を持つことができない神様になってしまわれたのです。 神様は、アダムとエバまで失ってしまわれたのですから、神様が「わたしたち」という言葉を言ってみたことがあるでしょうか、ないでしょうか? (「ありません。」) 皆さんは、自分を中心として誇りたいでしょう? そうですか、そうではないですか? “誇りたい”と思うことは、この地上に生きている人であるならば、だれでも同じですが、神様が、ご自身を中心として誇ることができるものがあるでしょうか? ありません。 神様は、ご自身を中心として誇るということもできないのですが、「わたし」という意識を持つこともできず、そのような立場に立つこともできなかったのです。すべてを失ってしまわれたからです。 このように、神様は、ご自身の理想のためにすべてを失ってしまわれたので、「わたし」ということ自体も主張することができない、かわいそうな神様でいらっしゃるのです。分かりますか? (「はい。」) 今まで、「わたしのもの」、「わたしと関係しているもの」ということを語ることのできない立場で生きてこられた神様がいらっしゃるということを知れば、地上に生きている皆さんは、どのような立場になりますか? 不敬なことこの上ない立場、ということになります。 「私のもの」、「私の父母」、「私の夫婦」、「私の子供」、「私の家」、「私の国」……、そのように語り、主張してきたことが、どれほどとてつもない罪を犯して生きていることになるのか、そのような事実を知っている人は、いません。単刀直入に言って、この話は正しい話なのです。 この太陽系だけでも、どれほど大きいでしょうか? しかし、太陽のような恒星は、銀河系の中には約二千億個もあり、さらに、そのような銀河が、約一千億個も存在するといわれるのが、この大宇宙です。 考えてみてください。光は、真空中で一秒間に約三億メートルの距離を進み、地球を七回り半も回ることができます。その速度は、どれほど速いでしょうか? 神様は、その光でも、二百十億年かけても果てまでたどり着くことができないほどに広大な宇宙を創造されました。 この宇宙を創造された神様は、何のためにこのように膨大な世界をつくられたのでしょうか? それは、大宇宙を抱いても余りある愛のためにつくられたのです。そうして、神様は、愛の相対であったアダムとエバによって、その因縁を結実させようとされました。 しかし、アダムとエバがいなくなることによって、創られたこの被造世界は、神様の内的心情を打撃する悲しみの象徴物となってしまったのです。ですから、神様が、どれほど悲しまれているかということを考えてみてください。このような話は、図書館の本の中にはありません。文総裁が現れて、初めて語る話なのです。 皆さんの顔を見れば、それは、だれの顔ですか? 「私の額だ。」と言うでしょう? その目は「私の目」。鼻はどうですか? (「私の鼻です。」)口はどうですか? (「私の口です。」)耳はどうですか? (「私の耳です。」)手はどうですか? (「私の手です。」)その体はどうですか? (「私の体です。」) 女性のものは、どうですか? 女性のものは女性のものです。男性のものは、どうですか? 男性のものです。そのように、すべて自分が所有の主人になっているという事実です。神様の立場を考えてみた場合、それは、どれほど不敬な罪でしょうか? どうして宗教が必要であり、どうして国が必要なのかというのです。すべて粉々にして掃き捨てても、神様のものとして残してさしあげることができるものは、一つもありません。それで、どうして“偉い”と誇ることができるのでしょうか? なぜ、「私たちの教会を中心として、私たちの神様が神様であり、あなたの神様は違う。」と言って闘うのですか? それは、狂った者たちです。そのような者たちが、「幸せに暮らそう。」と言って結婚するというのですか? 彼らを神様が結婚させてくれましたか、くれませんでしたか? また、神様の息子、娘を教育しましたか、できませんでしたか? (「できませんでした。」) 皆さんは、何なのですか? 何ですか、日本の国、アメリカの国、韓国の国、統一教会の文先生などと……。文先生は、このようなことを知っているので、神様の友となるために、“私のものはない”と、否定をしました。絶対否定をしました。父と母から否定したのです。 そこで神様をよみがえらせてくることによって、神様が私に対して、ご自分を中心として「わたしのものだ。」と言うことができる、そのような“私”をどのようにして取り戻すのか、ということが蕩減復帰の世界であり、恨の道なのです。それは、“私”を取り戻し、相対を取り戻し、“私の息子”を取り戻すことができる道を、どのようにして再編成し、再創造するのかということです。 神様は、ご自身が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従され、無限に投入されてはそのことを忘れ、さらに完全投入されて、この宇宙を創造されました。しかし、神様は、そのようにして創造された大宇宙よりも、さらに大きな世界を今でも創造なさることのできる余力を持っておられるのです。 皆さんは、そのような“投入しては忘れ、さらに投入することができる余力を持っておられる神様に似よう”という心を持つことを、夢にでも考えてみましたか? 統一教会の教会員たちは、神様に「福を下さい。」と言うことはできません。私は、「福を下さい。」という祈祷はできません。お金がなく、何かがなくても、「お金を下さい。」という祈祷は、一度もしたことがありません。国も持っていない人が、どうして世界のために「お金を下さい。」と言うのですか? たとえ死の道でも、自分が努力して血と汗を流して行くならば、自分の体がお金の壁とぶつかったとしても、お金の壁のほうが崩れていき、また国が崩れていくのです。今、アメリカが崩れていきつつあるでしょう? 三十年間、統一教会の文総裁を握りつぶそうとしたのが、ワシントンとニューヨークと……。 しかし、これらを生かしてあげるために、今回、わたしが祭祀をするのですが、それは、世界の教団の長たちを集め、世界的に超民族的に行うものです。 アメリカがいくら偉いといっても、文総裁を認めなくては生きる道がありません。従ってこなくては、天国に行く道がありません。それは、日本の者であろうと、韓国の者であろうと、ロシアの者であろうと同じです。 また、地獄に落ちたままでいる、いかなる男女であっても、文総裁の旗の下に従っていこうとしなければなりません。その旗の下にでも隠れて暮らそうとしてこそ生きる道があるのであって、“自分を中心として生きよう”と、自分勝手に考える男性や女性たちは、生きる道がありません。 それは、なぜでしょうか? そのままでは、神様の御前にあって、自分の立つ場がありません。神様さえ信じればよいのではありません。神様は、今、この世の中が滅びようとしているのに、手を下すことのできない神様になってしまわれているのではないですか? このようなことをすべて知らなければなりません。そのようなことをすべて知って、きょうという日を考えてみなければなりません。 きょうは何ですか? 「世界統一国……」何ですか? 「世界……」何なのですか? (「『統一国開天日』です。」)「世界統一国開天日」です。今日、皆さんは、国を持っているでしょう? しかし、その今の国は、サタンの国です。そこには、世界を連結することができる道がありません。 国はもちろん所有しなければならず、世界も所有しなければなりません。天上と地上にあるすべてのものについて「神様のものである。」と言うことができ、「神様が愛することができる息子、娘」、「神様が愛することができる家庭」、「神様が愛することができる国」、「神様が愛することができる世界」と言うことができる世界が、地上天国であったのです。 そのようなことが創造理想の完成完結であるので、「アー……」何ですか? (「『アーメン』です。」)願われ、感服する内容が、千年、万年、永遠に継承されるのです。「アーメン」です。「アーメン」とは何でしょうか? これは、「エイメン」です。「エイメン」とは、“ナンバーワン”ということです。それは、“ナンバーワン・メン”のことをいうのです。 先生の顔をよく見ましたか? (「はい。」)悪口をよく言うような顔つきをしているでしょう? (笑い) あえて悪口を言わなければなりません。悪口を言うことによって……。(録音が一部途切れる)神様に対して、もう分かりましたか? 神様は、そのように孤独単身で、すべてを失った悲惨な立場になっていらっしゃるというのです。寄るべなき囹圄(囚われの身)の立場に身を置いていらっしゃる、そのような神様を「お父様」と呼ぶのですか? 「お父様」と呼ぼうとすれば、お父様以上の立場に立っていただいて、初めて「お父様」と呼ぶことができるのではないですか? それ以上の立場で呼ばなければなりません。 「死なんとする者は……」何ですか? (「『生きる』です。」)「生きんとする者は……」何ですか? (「『死ぬ』です。」)死ぬのです。死なんとしてこそ、生きるのです。このようなことは、間違いなく理論的であるというのです。 死なんとするとき、億千万年の間、解放されなかった神様が解放されるのです。そのような解放の日を迎えなければ、“私”が生きることができないという、かわいそうな罪人……。(録音が一部途切れる) ところが、皆さんは、偉そうにしっぽを振り上げ、肩をいからせて「えへん。」と言っていましたが、それは汚れた者たちです。そのような者は、すべて流れていってしまいます。皆さんは、“私たち”という範疇とは関係がありません。“私”とは関係がないという事実を知らなければなりません。 それは、なぜでしょうか? この宇宙は、神様の主管下になければなりません。ところが、神様が主管することができる“主人”の立場に立つ人間が滅べば、すべて“亡国の種”になってしまうのです。 “亡国の種”から再び接ぎ木して、神様を解放するところから“興国の種”が……。興国の種です。分かりますか? “亡国の種”、“興国の種”というのです。 ここは、皆、日本の食口ではないですか? それでは、日本語でなければ分からないではないですか? その耳に着けているものは何ですか? (通訳を聞くための)イヤホンが何ですか、イヤホンが? それは、堕落の贈り物です。堕落がもたらした状況です。言うに及ばない恥ずかしいことです。 神様を中心として一体圏にならない以上は、日本に生まれたことは、恥ずかしいことです。その恥ずかしさをとめる何ものもありません。それを、そういう立場で、日本が世界の基準となることはできません。だんだん、だんだん、そこが崩れてなくなってきます。何のことか分かりますね? 「私のもの」と、言ってみてください。(「私のもの。」)そのように「私のもの」と言っている者たちは、強盗団よりも、宇宙を破壊した元凶よりも、もっと極悪な悪党の群れです。それが、「私のもの」と言っている群れです。神様を中心として見れば、そのとおりです。 それは、いくら女性としてりっぱでも、いくら男性としてりっぱでも、そうです。受け入れますか、受け入れませんか? “受け入れない”という人は、手を挙げてください。“受け入れる”という人は、手を挙げてください。知っていることは知っているのですね。 ヨーロッパの人たちも、全員イヤホンで聞いているのですか? このように複雑です。だれが、このようにしたのですか? 神様は、このようにはされていません。だれですか? サタンと、“私”の父と母が、このようにし、“私”の先祖が、このようにしたのです。先祖たちです。 いかなる者であろうと、自らが堕落の子孫であることを否定することはできません。それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です。」)深刻な話ですか、深刻でない話ですか? (「深刻な話です。」) わたしが一つ尋ねてみるので、“正しくない”と思う人は、手を挙げてください。一方通行で、すべて終わるのです。悔い改めなければなりません。きょうは何の日ですか? 開天節です。開天節と皆さんと、何の関係がありますか? 神様の所有圏がありません。日本が、神様の国ですか? 日本の文化が、神様の文化ですか? (「違います。」)米国が神様の国ですか? (「違います。」)韓国は、神様の国になっていません。それらをすべて引っ繰り返して、直さなければなりません。今、希望がありません。 文先生が、うそをついているかもしれませんが、文先生以外には、本当に希望がありません。一切の希望がないということを知らなければなりません。すべて放棄してしまいました。皆さんも、わたしがサインするまでは、そのままで天国に行くことはできません。事実かどうか、霊界に行ってみてください。 もうすでに、神様王権樹立を成就させたでしょう? (「はい。」)神様王権樹立を知っていますか、知りませんか? (「知っています。」)どれくらい知っていますか? 神様くらい知っていますか、先生くらい知っていますか? それとも、何も分からずに地獄に行ってしまう人くらいしか知りませんか? そのような人が、王権と何の関係がありますか? それは、うそのようですが、事実です。うそだと思うならば、先生の言うことがうそかどうか、死んでみてください。事実です。百発百中、すべて当たるのです。ですから、避ける所がありません。すべて引っかかるようになっています。 先生は、それを解放してあげようと、千辛万苦の苦労をして、ありとあらゆる精誠をすべて尽くしました。それを、“自分たちを滅ぼすためだ”と思うのですか? 先生は、この“亡国の種”の日本を、エバの国、母の国として選びました。 母となることができる基台とは、何ですか? すべてを失ってしまった世界において、息子として“私”を主張することができ、娘として“私”を主張することができ、父母として“私”を主張することができる権限をつくってあげるのが、エバ国の使命です。ただ隠しておいて、エバ国になれますか? 女性は、嫁いでいって息子、娘を生み、義理の父母の世話をきちんとして、嫁と 姑 間の不和な環境を自然に天国にすることができてこそ、嫁いだ嫁としての責任を果たし、ひいては母の役割を果たしているかどうかということにもなるのです。それなのに、天の国の母の役割が簡単でありえるでしょうか? しっかりしなければなりません。 “わたし”を主張することができない、かわいそうな神様です。それなのに、皆さんは、「私のもの」、「私たちのもの」、「私たちの国」と言っています。そのようなものは、火をつけて爆破して全滅させても、神様の恨は解けません。 それを文総裁が抱えて身もだえしているので、わたしゆえに滅ぼすことができないのです。それは、わたしが神様のことを、あまりにもよく知っているからです。神様の心情をあまりにもよく知っているからです。 そのような息子が、このようになってしまった世界をつかんで「解放してみせる。」と言うので、神様は涙を流されながら、その後をついて来られ、涙をふいて「さあ、また行こう、また行こう。」と言われるのです。そのようにして、今まで来たのが復帰の道です。しかし、神様が「また行こう。」と言われるのは、神様が喜んで言われる言葉ではありません。 そのようにしてでも二重の恨、千年、万年、継続した恨の峠を断ち切ろうとして、そのようにしてこられたという事実を知らなければなりません。かわいそうな神様、かわいそうな真の父母であるということを知らなければなりません。それは、夢のような話でしょう? 皆さんには分かりません。 それで、皆さんが祈祷するときに、どのように祈祷しますか? 日本のメンバー? 何を中心として祈りますか? 「祝福の中心家庭、◯◯の名前で……。」と祈る、その祈りは、お祈りではありません。祈りというのは、堕落圏に必要なものです。ですから、それは、「懇切に報告申し上げます。」と言うのです。それは、報告です。 昨日よりきょう、いいことがなければ、報告することはできません。昨日みたいな状況では、永遠に埋めることはできません。前進の発展を目指さない以上は、そうして神の理想郷に発展して、これをだんだん、だんだん接ぎ木して発展していかない以上は、祈ることはできません。そのような立場が、祝福の中心家庭の立場であり、「祝福の中心家庭だれそれの名前で祈る」ことなのです。 十年前といかに違ったか? 昨年と今年、いかに違ったか? そのままの状態で、そういう祈り、報告をするのは、無礼です。それは、無礼の言葉の上塗りになってしまい、重荷の罪を背負う以外にないという悲惨な状態で終わることになるのです。そのようなことを考える者は、日本にはいないでしょう? 話している内容はいいのだけれど、その内容の根底においては、鉛のような重りが引っ掛かってしまうことになるのです。分かりますね。(「はい。」) ですから、神様に対して“私”を主張することができるような状態にしてください、というのです。 ところで、そのようにすることができる相対は、違います。息子に対して、「おい、息子よ。」と言い、神様と息子二人であっても「私たち」という言葉は出てきます。 しかし、その二人がいても、そこに国があるわけでもなく、家庭もありません。ですから、息子と娘がお互いに「私たち」と言うことができる、そのような完成したアダムとエバがいなければなりません。 その二人を中心として愛で一つになるとき、初めて神様の愛を中心として、その中心で神様と二性性相が平面的基準において一つになります。軸が左側に行っても、女性を通して男性が、ぴたっと真ん中に立って、アダムとエバが左右を成すのです。 それが、神様が「わたしたち」とおっしゃることができる“私”なのであり、そのとき、その“私”も、神様の御前で「私たち」と言うことができ、「私たち夫婦だ。」と言うことができるようになります。そのようなところにおいて“私たち”が生じるのです。 本来、“私たち”とは、家庭基盤以上で成立します。男性でも女性でも、おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分たち夫婦の三代の四位基台を経て、四代目に息子、娘を中心として初めて種ができ、それを植えることができるのです。 家庭を中心として、“私たちの家庭”と言うことができる、そのようなところから“私たちの国”と“私たちの世界”ができるのですが、今まで、その“私たちの家庭”を捜し出すことができませんでした。 キリスト教の歴史は、“新婦”の歴史でしょう? 再臨する新郎と結婚する日のために、今まで準備してきたのです。それは、カイン、アベルです。そのようになってしまったものは、しかたがありません。しかたがないのです。 皆さんは、“私たちの家庭”を持っていますか? それは、サタン側ですか、神側ですか? (「神側です。」)何ですか? 今、話をしたのに神側ですか? 神様が「わたしの息子よ。」とおっしゃることができるようになっていますか? 十六歳で、アダムとエバが堕落してしまいました。いなくなったというのです。自分を見てみて、アダムとエバ以上の息子、娘になりましたか? なりましたか、なっていませんか? なれなかったので、神様の御前に「息子である。」と言うことができる立場まで行くことができていません。 ですから、真の父母を中心として、真の父と真の母を息子、娘として、初めて神様が「わたしたち」と言われる言葉が始まるということを知らなければなりません。そして、真の父母の家庭を中心として、「私の家庭」、「私たちの家庭」という言葉が始まるのです。つまり、真の父母と真の父母の息子、娘を中心として、初めて神様は、「わたしたちの家庭」とおっしゃることができるのです。 しかし、「わたしたちの国」は、ありません! 「私たちの氏族」もありません。先生は、これを編成するために世界に拡張して祝福してあげたのですが、この祝福がでたらめになっているでしょう? 皆、野良犬のようになってしまっています。まるで無人の境地です。 先生が祝福を受けるまでに六千年かかりました。しかし、それは聖書の主張であって、実際の創世からは、何千万年もかかっているのです。 今まで歴史は、“カイン、アベル”を解決するための闘争歴史を経てきました。それで、民主世界と共産世界、左翼と右翼に分かれたのです。 アダム家庭において堕落するときに、アダムとエバを中心として、右翼が何かというとアベルであり、左翼が何かというとカインです。弟が兄になり、兄が弟になってしまいました。これが引っ繰り返ったということです。それを元に戻すのは、どれほど大変でしょうか? 蕩減復帰であるとか、復帰摂理的な歴史観を中心として見るとき、歴史がそのように流れていき、世界がそのように流れていったということが分かるのですが、そのことをだれも知りません。統一原理を知ることによって、地上世界も天上世界もすべて、きれいに分かるのです。 このように恵みのあるものを教えてあげ、さらに歴史も、自分と世界を取り戻して主人の役割をすべき時代に入ってきたのに、自分自体を喪失し、自分の家庭を適当でない方向に引きずり回しています。そうしておきながら、それですべて成されたと思って、「真の父母が行く所に行こう。」と言うのですが、そのようにしては、行くことはできません。 今までは、楽園と地獄がありましたが、家庭的楽園と地獄が生じます。自分が成したとおりの所に行くようになっているのです。統一教会に来た人は、先生を通して上がっていきます。 李相軒氏の霊界からの報告で、霊界の実相を見れば、統一教会を信じて亡くなっていった、すべての統一教会の食口たちは、そこでの待遇が違うというでしょう? そのように上がっていくのです。 神様、そして先祖や霊界のすべての天使たちが協助して、皆さんが上がっていくことができるように、どんどん道を開いてくれるのです。分かりますか? (「はい。」)分かりますね? (「はい。」) 「私の夫。」と言ってみてください。(「私の夫。」)日本の女性がたくさん来たので、尋ねているではないですか? 「私の夫。」と言ってみてください。「私のだんな様。」と言ってみてください。言ってみてください。(「私のだんな様。」)言いましたか? そのだんな様は、本当に“私の夫”ですか? 本当に自分のだんなさんですか? サタン世界、堕落世界と何の関係もないですか? たった一つ、神様以外に関係がないという立場に立っただんな様になってこそ、そのときのエバにおいて「私のだんな様」と言うことができるのです。そのような立場ですか? だんな様たる者は、実際には悲惨な立場です。それを「私のだんな様」と信じる悲惨さを自覚することのできる日本のエバ国の家庭、女性というのは、一人もいません。 このように先生の言うことは、うそですか、本当ですか? (「本当です。」)本当ですか、うそですか? (「本当です。」)うそです!(「本当です!」)この者たち、先生の言うことは、うそです!(「本当です!」)本当です。それならば、本当にやってみてください。これから帰ったら、“本当のこと”をしてください。 心身一体圏を成し、神様の香りのする女性となって夫を感服させ、強くなって、自分のだんなさんがついて行かざるをえないようにしなければなりません。 そうして、神様がごらんになったときに、神様が法廷での弁護士のような立場で、その夫のために弁明し、保護してくださるようにならなければ、「私のだんなさん」と言うことはできません。それが、いかに、真剣なことでしょうか? 祝福を受けて生まれた子供は、“私の子供たち”です。そして、夫婦とともに育っています。しかし、それは、本当に神様の子供、“私の子供”と言えるような子供ですか? 日本の歴史や伝統を否定することのできない立場の日本人の夫婦や、米国の普通の暮らしをしている夫婦などは、天国の家庭でも、天国人の夫婦でもないではないですか? それが、神様が認めてくださるような父子関係を築き、神様の子供になることができるのか、ということです。そのような、とてつもないことを考えてみてください。 そのようなことを分かって批判してみるとき、ただ座ってご飯を食べて寝るということは、恥ずかしいことです。避けることはできません。そのような立場にある現在の自分という存在について、はっきりとした自覚を持たなければなりません。逆の方向に回って行く以外に、生きる道はありません。それは、理論的です。分かりましたか? (「はい。」) 先生が日本語で話をするので、韓国の人たちは、何の話か理解できません。だれが、このように面倒な状態にしたのですか? 今後は、韓国語が分からなければなりません。(「はい。」)韓国語が分からなければ、来ることもできないようにして、入ってくることができないようにします。 これからは、先生がサインをして、カードを作ってあげます。先生が作ってあげたカードがなければ、韓国の地に来ることはできません。自分の財産を売ってでも、間違いなく言葉を学ぼうと努力し、ご飯を食べずに断食してでも、一瞬のうちに……。子供たちは、六か月ですべて学んでしまうのに、今のようにしていては、六十年たっても学ぶことができません。 先生は、本当のことを言っています。本当のことを言っているのです。うそではありません。寝ぼけた、そのような話ではないのです。分かりましたか? (「はい。」)はっきり、はっきりと分かりましたか、分かりませんでしたか? (「分かりました。」) 明日になって、もう終了してみたら、今、はっきりと語ったことも、うそになってしまうかもしれません。もう大分、八〇パーセント以上は、うそになってしまうことでしょう。 皆さんは、その後も、習慣づいた日本的な環境の生活をそのまま続けるでしょう。玄界灘を越えてしまえば、“韓国で、先生の前に誓ってきたのだけれど、日本においては、いろいろな事情があって、しかたがない”と。そのように“しかたがない”と考えて、それはもう、地獄の奥地まで落ちてしまうのです。 ですから、新しく覚醒しないといけません。分かりましたか? (「はい。」)日本のことをよく知っており、日本の女をよく知っている先生は、日本語で警告します! (「はい。」)警告です。そのことを記憶してください。 ここにいる人たちは、韓国の人ですか? (「はい。」)韓国の人でも日本の人でも、何が異なるのでしょうか? 目を見ても同じで、鼻を見ても同じで、顔もすべて同じで、体もすべて同じで、男性も女性も、顔を見れば、皆、親戚のようなのに、何が異なるのでしょうか? ですから、言葉が異なるのが問題です。文化が異なるのが怨讐ではないでしょうか? 日本人と韓国人は、同じではないでしょう? 何が異なるのですか? 顔は、すべて似ているではないですか? 男性も女性も、同じものはすべて同じなのであって、何が異なるのですか? 文化が異なり、マール(言葉)が異なるのです。と言っても、それは乗り回すマル(馬)ではありません(韓国語では、「言葉」と「馬」は、同じ「」と書くことから)。(笑い)あなたは、なぜ笑うのですか? あなたは、韓国語が分かっているようですね? 言葉が異なるのに、言葉によって、言葉を通して知ろうとすれば、大変です。本一冊で済むことが、翻訳し、通訳することで何百、何千冊、何万冊になってしまうのです。 さあ、「私を取り戻そう。」と、言ってみてください。(「私を取り戻そう!」)“私”を取り戻して、何をするのですか? “私”を取り戻してこそ、神様が“私”に対して「わたし」とおっしゃることができるのです。“私”を取り戻してあげてこそ、神様が“私”に対して、「おい! わたしの息子よ。」とおっしゃるのです。 女性においても、そうです。“私”を取り戻してこそ、神様が“私”に対して、「おい! わたしの娘よ。」とおっしゃることができるのです。そうして、「わたしよりもりっぱだ。」と言われるのです。それは、神様よりもりっぱだということです。 そのとき、神様を“お父様”と思うのです。神様をだれだと思うと言いましたか? だれだと思うというのですか? (「お父様です。」)お父様とは、何ですか? 父母の愛と引き離そうにも引き離すことができない関係を持ち、生命と根源関係、血統と根源関係を結んでいます。その三つのうちの一つだけをもって生まれた存在はありません。その三つが一つになって、生まれるようになっているのです。 そのような“私”なのです。その次は、何ですか? 男性ならば、そのような女性をつくらなければならず、女性ならば、男性をつくらなければなりません。 ここの人たちも、イヤホンを持っていますか? (「英語は、だめだそうです。」)英語では聞けないのですか? (「……。」)このような集会には準備しなさいと言ったではないですか? あなたは、きちんと聞き取れるので問題ありませんが、千里万里の遠い道のりを訪ねて来て、言葉も理解できなくて、どうするのですか? 英語が分からないのですか? 韓国語を学びますか、英語を学びますか、日本語を学びますか? (「韓国語です。」)なぜですか? (「学びやすいからです。」)なぜですか? なぜ、学ばなければなりませんか? 真の父母に従っていこうとするので、真の父母のようになろうとするので、真の父母が願う人になろうとするので、そのようにするのです。通訳では、七〇パーセントにしかなりません。学問の世界でも、すべて原本を読み、一つの単語でも原本を読んで理解している人が、通訳を通して理解している人を凌駕するのです。 さあ、「きょうを期して、私は間違いなく、三年以内に韓国語を完成する。」、それとも「できない。」、この二つのうち、どちらですか? “できない”という人は、手を挙げてみてください。それでは、“する”という人、手を挙げてみてください。三年以内です。ここは、いないのですか? (笑い) 韓国の食口は、英語と日本語を学ぶのです。(「はい。」)それとも、苦労しないでさぼろうというのですか? 学びなさい、というのです。しなければなりません。原本を読まなければなりません。翻訳したものでは分かりません。 わたしは、日本語が上手で、英語も分かる人ですが、それらの言語は、韓国語には及びません。神様が、かわいそうな韓民族に偉大な言語を与えてくださったのです。韓国語では、四十九億とおりの発音ができます。ですから、どの国の言葉でも発音できないものがありません。宇宙にある音声を、すべて発音できるのです。これから、韓国語さえ勉強すれば、……。 もう先生は、八十三歳のおじいさんですが、五、六十年前に学んだ日本語を話しても、聞き取れるでしょう? (「はい。」)発音が良いのです。(「良いです。」)それでも、あるときは、「おかあさん」の「か」を忘れて「お~! さん」と言うときもあります。 ぼけたおじいさんは、「お母さん」であるか何であるかを忘れて、「おおおお、(笑)かあああ。」と、捜して回るのです。そのような年齢の先生であるにもかかわらず、六十年前に使った日本語を堂々と語って、皆さんの耳に逆らわず、聞き取ることができるような話をし、発音するということは、偉大なことです。(「はい。」)ですから、この韓国語を完全に勉強して、流暢に話せるようにすれば、世界の言語を語ることは問題ありません。 日本の宣教師と比べると、韓国の宣教師は、その国の言葉を習得するスピードが、三倍以上早いのです。ですから、外出して、一日の間、新しく覚えた言葉をハングルで書き取ってきて、夕方、家に帰ってから写し、それを朝になってそのとおり読めば、その国の人も皆、その言葉を聞き取ることができます。 けれども、日本の宣教師が、その国の言葉の発音をカタカナやひらがなで書き留めた場合、それを何回発音しても、「何? 何?」と聞き返されてしまうのです。その音は、聞き取ることができません。 ですから、日本の宣教師が海外に一度行って、そのような環境に追い詰められ、それが三回以上重なった場合には、もう、口は永遠に閉じてしまうのです。そうして、語ることができなくなってしまうのです。韓国の宣教師は、もういくら長いのを書いても、みんな聞き取ることができます。 そのようなりっぱな世界一の言葉が、隣国の地にあるということを無視した場合、そのような日本人は、将来は、世界の外交圏において、皆、ぺちゃんこになるのです。 韓国人と日本人とでは、外交の世界においては、日本人は韓国人に負けます。まず、腹において負け、言葉において負け、そして外交において負けてしまいます。 日本人は、小さいのです。お土産を上げるとき、韓国人ならば、いっぺんにたくさんのお土産を上げようとします。日本人は不思議です。(笑い)十ドルの出費ができないのです。そうして五ドルか三ドルか。韓国人であった場合、そのような土産は、持っていくことはできないのです。 韓国では、お父さん、お母さん、あるいはおじいさんの所を訪ねるような場合には、一年のうちで最高のもの、一年の中で使った最高基準を標準として土産を贈るような姿勢を持つように、伝統的に修行してきているのです。ですから、日本は外交世界において韓国にかないません。日本は、将来、困ることでしょう。そのようにして、韓国人に外交で負けてしまうのです。 ちゃんと「島国根性」という話があるではないですか? (笑い)それに比べ、“大陸根性”とでもいうべきものは、特別です。そのような立場が違うのです。 ですから、日本の女性たちは、日本人と結婚したらだめです。(「はい。」)最近の研究報告では、男性の精子の数が、通常は、三億を超えないといけないそうですが、もう、ずっと一億五千万から七千万くらいまで落ちているということです。 それは、韓国人蔘を食べないと、補充ができないといううわさです。(笑い)本当です。専門家が言っているのです。(「はい。」)それで、もう高麗人蔘はそんなにたくさんないので、一生涯食べる分、トラック一台分買っておかなければ、それは、後孫が、もうずっと生まれてこないかもしれません。 ですから、日本の女性は、韓国の男性と結婚するのが、神様から贈られた、それはもう最高のお土産であるということになります。(「はい。」)(笑い)けれども、それは、いくらお嫁に行ったといっても、そこで子供を生めば、それは日本の子供を生んだことになるのです。韓国人であれば、韓国人を生むのです。 韓国人は、国境を超越することなどは、問題ありません。国境を越えて、一日に三つの国を行ったり来たりします。それは、訓練されているのです。日本も自由に行くことができます。 先生も、統一教会の教主であるので、今、日本や中国、ロシアを行ったり来たりすることは、問題ありません。国境圏内に包囲されているものを、解放圏の旗を揚げて、どこへ行っても、万歳の歓声を上げて、国境を堂々と越えるのです。そのようにして、一回、二回行った場合には、皆、友達です。分かりましたか? (「はい。」) 先生は、不思議な内容のことをたくさん知っているのですが、その内容をすべて知ったら、“韓国人は恐ろしい”と思うかもしれません。先生が、そのような腹と恐ろしいほどの能力を持たなければ、これはもう、どこでも勝つことはできないのです。 分かりましたか? (「はい。」)日本の女性たち。どうですか? 「日本の女さん」、「日本の女様」、どちらがいいですか? (笑い)「様」、「さん」、どちらがいいかと聞いているではないですか? (笑い)「どちらでもいい。」と、そのようなことでは困るのです。 「様」と言えば、神様です。それで「女様」とは、神様の妹になるようにつけられたあだ名、ということになります。ですから、「女様」と言われれば、“いやあ、神様の妹の名で呼んでくれるなあ。ありがとうございます。”と、悔い改めなければならないのです。それも皆、分別しないで、「◯◯さん」とか、「◯◯様」などと使っているのでしょう? きょうの説教の内容は何だと思いますか? 先生は、きょう、重要な話をしました。それは、神様を中心とした“私”というものについてです。“我”という環境を持たれない神様の御前に、自分自身が、“自分”と“自分の家庭”と“自分の国”を持ったということになれば、それは無礼千万ということになります。分かりましたか? (「はい。」) それでは、日本が持っている万物は、日本人の万物ですか、神様の万物ですか? (「神様の万物です!」)“神様の万物である。”と考える者が、日本人の中で何人ぐらいいるでしょうか? 皆さんの中で何人ぐらいいるでしょうか? 率直に比較対照してみた場合、何人ぐらいいますか? 自分のものと思いますか、神様のものと思いますか? (「神様のものです。」) “神様のものである。”と思ったら、自分の体まで神様のものです。これはもう、男の体も、女の体も、神様のものです。自分のものではないのです。神様の国のために奉献すべき、貴い宝であり、道具なのです。 それを、自分のものを勝手に使うことによって、フリーセックスができるのですか? 定まる所のないホームレスペアを作ることができるのですか? 絶対できる、できない? (「できません。」)で、き、る。 (「できません。」)で、き、る。(「できません。」)で、き、る! (「できません!」)で・き・る! (「できません!」)で、き、る! (「できません!」)永遠にやっても、先生が負けます。(笑い)いくらデモをやったとしても、共産党が何百人のデモをやったとしても、真理には負けるのです。 共産党は、デモをやって、統一教会は大会を行うのです。この大会は世界的です。お母様も日本で東京をはじめとして大会を行い、講演をします。 ですから、今度帰れば、自分の一族の大会を行うのです。その数多くの氏族、一族を合わせて、民族大会を行い、市の大会、県の大会、国の大会と行って、全国で一族を皆、動員せざるをえないようになったら、その国は、神様の方に献納することが可能になります。そのような便利な時代になってきました。 それは、反対しうる立場にあるサタンでもできません。先生は、具体的、理論的に教えます。サタン側は理論的ではありません。頭と後ろが合わないのです。頭と中間と後ろというように三等分すると、皆、別々になるのですが、先生の教えは、一つになるのです。それは、一方通行です。言ってみてください。(「一方通行。」)本当ですか? (「はい。」) 先生が、今から五十年前に、秘密に内緒で話した内容を、今、世界的に話しています。それを今、みんな公開しても一方通行で通じます。真理というものは、変わらないのです。しかし、世界は、そしてサタンは、皆、変わっていきます。根と枝も幹も変わってしまいます。 そこで、枝を切ってしまい、幹も切ってしまい、根、中心の根まで切ってしまい、否定してしまうのです。そのような滅亡の世界を前にした、この限界をいかに消化していくか、いかに自分自身、覚悟をし、自分の家庭を覚悟するか? そのように、簡単な問題ではないのです。分かりましたか? (「はい。」) さあ、きょうは、何の話をすればいいですか? (「真の愛!」)(笑い)何ですか? (「『真の愛』です。」)どのようにして真の愛を訪ねていくのですか? 真の愛を訪ねていくためには、真の愛が目に見えなければならないでしょう? しかし、真の愛は、目に見えないのです。見えないところを、どのようにして訪ねていくのですか? それは、自分を中心としては、永遠に訪ねていくことはできません。自分を犠牲にし、自分を否定し、相対のために生きるところにおいてのみ、真の愛の芽が出始めるのです。 なぜ、そうなのかというと、真の愛の前には、相対のうち一人だけでは、芽を出すことはできないのですが、神様の代身の立場に立ち、ために生きてあげる主体の立場に立っていれば、そこには芽が出てくるものなのです。分かりますか? (「はい。」) 主体がいて、相対の立場で、ために生きてあげれば、その主体に芽が出てくるのです。簡単です。ですから、「死なんとする者は……」何ですか? (「『生きる』です。」)「生きる」です。死なんとすれば、地獄までも撤廃することができるのです。それでは、「生きんとする者は……」何ですか? (「『死ぬ』です。」) 生きんとすれば、だんだんと地獄に加担していくのです。それは、百八十度反対です。善悪は、行く道が百八十度反対の方向であり、出発地と行く目的とが異なるのです。 それで、真の愛の定義をすべて下しました。見てください。目は、鼻が必要ですか、口が必要ですか? 尋ねているではないですか? 目は、鼻が必要で、口が必要で、耳が必要で、手が必要ですか? 尋ねているではないですか? (「必要です。」)どうして必要なのですか? 男性には四肢五体があり、女性にも四肢五体があるのですが、その四肢五体の焦点を合わせるものが愛です。ですから、目の焦点、耳の焦点、口の焦点、それから手の焦点、男性の焦点、女性の焦点を合わせることができるものが、愛なのです。 目自体が焦点を合わせれば、今度は、その周辺のにおいをかぐ焦点を合わせたくなります。愛する人が目の前にいるのに、ただ見ているだけですか? それとも、くんくんとにおいをかぎますか、かぎませんか? (「かぎます。」) それから、今度は話をしたくなりますが、そのとき、相手の話も聞かずに、ひそひそと面白い話を夜通し一方的にしたいですか? 聞きたいし、話したいでしょう? (「はい。」) ですから、目が必要であり、鼻が必要であり、口が必要であり、耳が必要なのです。そして、いくら目や鼻や口が必要であり、耳が必要であっても、手がなければ、どれほど悲しいでしょうか? 愛する人が目の前にいるのに、見ているだけですか? 愛する人に触れるとき、顔でこするのですか? 手があって、「ああ、この耳は美しいなあ。ああ、この鼻はきれいだなあ。ああ、この唇は、鳩のくちばしよりももっと美しいなあ。ああ、この頭が良く、この体が良いなあ。」と言って、なでてあげるのは、だれがしてくれるのですか? (「手がしてくれます。」)手がしてくれるのです。 そして、男性のものと女性のもので、何をするのですか? 焦点を合わせますか、合わせませんか? (「合わせます。」)焦点を合わせるためには、全体のために生きて、全体が必要とする最高の焦点基準に立ち、その場において全体が一つになるのです。 そのようになってこそ、私の体自体が、数限りない無数の細胞が喜び、四肢五体が、「ああ、良い」と言って喜ぶのです。顔も喜び、目、鼻、耳、喜ばないものがありますか? このようになるとき、目だけが笑いますか、鼻だけが笑いますか、口だけが笑いますか、耳だけが笑いますか? 体が笑って、「はははは。」と言うとき、鼻もぴくぴくするでしょう? (「はい。」)目も開いたり閉じたりし、耳もぴくぴくし、手もじっとしていないで、このようにするのが真の愛です。 そして、永遠に、永遠に、永遠に終わることなく、その刺激がどんどん、どんどん、行けば行くほど強い刺激を加えてくれ、宇宙的な愛までも接ぎ木することができるものが真の愛なので、真に愛して、それを感じれば、死んでも止めることはできません。アーメン。(「アーメン。」) そのようになれば、監獄に入っていっても、幸福な人になり、どこに行っても、死の境地に行っても死にません。そうして、解放的神様の特権的基準において、神様が願われる以上の位置までも、“私”が復活圏を持っていってさしあげることができ、それをもたらすことができる人になるのです。それ以上幸福な人が、どこにいるのでしょうか? 分かりますか? (「はい。」) さあ、きょう、この十三周年の「世界統一国開天日」ですが、十三数は……。今年の一月十三日は、何の日でしたか? (「『神様王権即位式』です。」)「神様王権樹立」です。十三数は、春夏秋冬、四季の十二か月を中心として見た場合、中心数です。 そして、きょうの「世界統一国開天日」も、制定後、満十三周年であり、十四回目になりました。このように、すべて合っているというのです。そして、神様王権樹立をしたときから、今年一月から九月を経て、十月の開門をする三数、それがきょうです。いつでも三数を区別し、新天地に大きく区別をするのです。このように、いつも三日であるとか、三年であるとか、三十年が問題になるのです。 きょうが、何日ですか? 十月何日ですか? (「三日です。」)明日は、何日ですか? (「四日です。」)四日は、何の日ですか? (「……。」)明日も、開天節ですか? 何の開天節ですか? 天の門が開いて、先生が西大門刑務所から出てきた開天節の日です。そのようになるのです。 それでは、十四日は何の日ですか? (「以北出監日です。」)興南監獄において、天地の門が開いて、そこから出てきたのも開天節です。皆さんが死んで、昇華式をするのも、自分の開天節です。天上天下に行くことができない所がなく、すべてが“私”の所有に転換され、それを“私”の懐に抱いて遊び回るのです。言葉だけ聞いても、気分が良いでしょう? (「はい。」) さあ、「ために生きる人は滅ぶ」のであり、「自分のために生きる人は発展」します。(「違います。」)違いますか? (「はい。」)では、文総裁が、「皆さんは、永遠に先生のために生きて死になさい。」と言えば、どうですか? (「……。」)何ですか? (「死にます。」)先生は、どうですか? 皆さんが、「死になさい。」と言って、わたしが「死なない。」と言えば、それは、一つになっているのですか? 何が、熱意をもって一つにさせるのですか? 真の愛です。真の愛があるところは、永遠と瞬間を分けることはできず、瞬間と永遠とが、いつでも同参することができ、一緒に同居生活することができ、相続が可能なのです。それが貴いのです。何が貴いのですか? 真の愛です。 さあ、今、時が来ました。皆さん。今、統一教会は統一教会ですか、統一国ですか? (「統一国です。」)何ですか? 統一家庭ですか、統一教会ですか、統一国ですか? (「統一国です。」)統一家庭にもなるのです。統一教会にもなるのです。統一国にもなります。 それは、なぜでしょうか? 教会というものは、氏族を中心としての代表です。ですから、超宗教というときには、そこには民族がありません。一つしかありません。そのことを知らなければなりません。 それゆえに、宗教の根は一つです。神様の真の愛です。数多くの宗教も、このことを知りません。ですから、霊界についても、真のご父母様が教えてあげたすべてのことは、結局、“神様は、どのようなかたであられるのか?”という根につながっているのです。そして、それは「“私”のお父様だ」ということです。 神様が、どのようなおかたなのですか? (「“私”のお父様です。」)“私”のお父様なのですが、だれが、そのお父様に似たというのですか? だれがですか? もう、祝福を受けて、すべて知っているので、はっきりと教えてあげます。“私”の家庭が、神様の祝福家庭であり、その中心家庭であるので、神様を先生よりももっとよく知っているのが、夫ということになるのです。そういうことではないですか? 先生と一緒に走れば、負けますか、勝ちますか? オリンピックのチャンピオンが、万年チャンピオンになろうというのは、どろぼうでしょう? 記録を破らなければなりません。そうではないですか? 記録を破らなければならないでしょう? (「はい。」)破る自信がありますか? 分かりますね。(「はい。」) 先生が、すべて個人から家庭、氏族、民族、世界、神様まで往来することができる道をつくったとすれば、そのような世界の国、天の国、統一の国は、まだ成し遂げられていません。 皆さんの国、百二十か国、百八十か国以上を連合して、一つにするようにしてこそ、世界の国家は、自動的に形成され、自動的に完成され、また、天地も、自動的に統一されるのです。問題は国家です。分かりますね? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」) 先生が、神様の王権を樹立して神様を解放してさしあげ、蕩減条件的基盤の上において、歴史上の各時代で失敗したすべてのことを再び勝利した条件の上に立てておくことによって、どのようなことが起きるのでしょうか? 神様が勝利された条件基盤に従って、その橋に従って個人から天上世界まで、思いどおりに上がって行ったり下がって行ったりすることができるようになるのです。しかし、それは、自動車に乗ったり、飛行機に乗ったりして、行ったり来たりすることはできません。分かりますか? (「はい。」) それでは、皆さんが、飛行機に乗って行ったり来たりしようとすれば、どのようにしたらよいのでしょうか? そのためには、数多くの国が合わさって、一つの国にならなければなりません。空中には、どこにでも道があるでしょう? それと同じことです。天地には、どこにでも道があるのです。同じことです。 皆さんの国々が合わさって、世界ができます。そのように世界が合わさって天地ができるのですが、国まで満たせば、すでに国と世界に行く道が築かれているのです。それゆえに、国の完成者は、世界に接ぎ木すれば自動的に存在し続け、一瞬のうちに天上世界まで連結することができるのです。分かりますね? (「はい。」) それで、今回、アラスカのコディアクで修練会をしようとしたのですが、それを済州島に連れてきて、十四日間、修練をしました。そのとき、先生は「決断する」と……。最後に、わたしたちは、どのように生きなければならないのでしょうか? そのとき、先生は、「自然に帰ろう」という、このような話をしました。分かりますか? (「はい。」) 今から皆さんは、自然と一つにならなければなりません。自然とです。分かりますか? (「はい。」)自然と一つになるためには、水の魚と一つにならなければなりません。 神様は、天地を創造されるときに、水の魚を先に創られたでしょうか、陸地の動物を先に創られたでしょうか? 何ですか? (「魚です。」)魚なのか動物なのか、わたしも分かりません。「水があり、土がある所には、必ず動物が生まれる。」と言うのですが、水には魚がすみ、陸地には動物がすむようになっています。 動物は、何種類いますか? 昆虫がいて、そして鳥類がいて、動物がいるのです。昆虫は、足が何本ですか? (「六本です。」)六本です。それから、鳥類は、脚が何本ですか? (「二本です。」)二本です。それから、動物は、脚が何本ですか? (「四本です。」)人は何本ですか? (「二本です。」)二本です。 鳥と動物と人では、どれが主人ですか? (「人です。」)人も、「四肢」と言うように、手足が四本あるでしょう? (「はい。」)四本あるのですが、鳥も、よく見れば六本あるのです。捜してみてください。すべて同じなのに、人だけがまっすぐに立つのです。 それは、なぜでしょうか? 陸地世界においても、深い所に入っていって、そこに立ち、最後に見渡して合図を送ることができるのは、鳥でもなく、動物でもありません。分かりますか? じっと見てみれば、動物も、水で泳げば、すぐに泳ぎます。人はどうですか? 人が入っていけば、立って遠くを眺めるのです。人が立つということは、知っているでしょう? 立って泳ぐということも知っているでしょう? そのように、人間は、すべての面で異なるのです。ですから、人が中心なのです。 ですから、堕落とは何かというと、人間が自然の主人になることができなかったということです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)朝、魚たちが、「ああ、ご主人様。グッドモーニング。お早うございます。」と言うのです。 「お早う。」は、「早く仕事をします。」ということです。「早く仕事をして、休んでください。」と言うのです。ですから、「お早うございます。」の「ござい」というのは、「御座居」と書いて、“座って休みなさい”ということではないですか? そうではないですか? それゆえに、最も重要なことは、だれが自然と密接に暮らしているのか、ということであり、それが、宗教世界において必要な生活なのです。ですから、魚を愛し、昆虫を愛し、鳥を愛し、動物を愛し、それから、そこで愛の訓練を受けることによって、人間を愛するのです。 人を愛することは、動物よりも、昆虫よりも、植物よりも、自然界全体を愛することよりも、もっと愛さなければなりません。 ですから、男性は、自分の妻を自然を愛する以上に愛さなければならず、父母は、自分の子供を自然を愛する以上に愛さなければならず、また、子女たちも、父母を自然を愛する以上に愛さなければなりません。そのようにすることができれば、神様の理想的な主人として、その資格が完結するのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、そのような世界の主人となって暮らしたいですか? それとも、そのような世界の主人になろうと、それを見習って努力しながら暮らしたいですか? 皆さんは、主人になって暮らしたいのですか、主人になろうとして暮らしたいのですか、どちらですか? (「主人です。」)主人になろうとすれば、神様と同じ立場に立たなければなりません。すべてのものは、神様を主人にしようとするのです。 ですから、自然に帰りましょう。それでは、帰って、何をしようというのでしょうか? 水に住む魚も、また、水自体も、そして土地自体も、木や植物、動物も、いかなる存在であろうと、モデル的な主人の資格を持った主人にならなければなりません。そのように生きなければなりません。 そして、皆さんは、そのような自然の前に、植物を見ても恥ずかしくなく、動物を見ても恥ずかしくなく、魚を見ても恥ずかしくなく、すべての自然の前に恥ずかしくない主人とならなければなりません。 植物、動物、魚の世界では、どのように暮らしているのですか? そこにも雄と雌がいます。知っているでしょう? (「はい。」)雄と雌がいるのです。昆虫にも、雄と雌がいるでしょう? (「はい。」) 最近では、病原菌までも雄と雌がいて、子どもを産むということが分かったということですが、顕微鏡で拡大しなければ見ることができないそのような世界でも、お互いに愛し合って子どもを産んで暮らしているというのですから、驚きです。 顕微鏡で拡大すれば、細菌を見ることができるというのですが、その細菌のすむ世界は、どれほどの大きさでしょうか? それは、すべて見えるでしょうか、見ることができないでしょうか? (「見ることができません。」)そのような微細な世界でも、雄と雌が愛することができますか、できませんか? (「できます。」) それでは、昆虫は、キスするでしょうか、しないでしょうか? (「します。」)見たのですか? 見ても見なくても、すべて分かるようになっています。キスだけするのでしょうか? ちゅっちゅっと吸ったりもします。一度言ってみてください。「ちゅっちゅっと吸ったりもする。」ということです。(笑い) それでは、皆さんは、愛する人の十本の指を、二十四時間ずつ、例えば小指をちゅっちゅっと吸いながら、「ああ、本当に砂糖よりも蜜よりも、もっとおいしい。」と言って、ちゅっちゅっと吸ってみましたか? そのようにして、夫が喜んで吸ってくれるのを妻が見るとき、気分が悪いでしょうか、気分が良いでしょうか? 気分が良くて、見開いていた目が、だんだん、だんだん小さくなって細い目になり、「ああ、天下のすべてが思いのままだ。私は、居ても居なくても無事通過だ。」と言って愛し合い、あまりにも気分が良くて、眠りながら忘れてしまうのです。 新郎の夫たちは、妻をそのように幸福にしてあげたことがありますか? (「はい。」)(笑い)なぜ一人だけでおかしな答え方をするのですか? 「今まで、そのようなところに欠点が多かったので、先生が、そのように言えば、自分が最初に答えようと思って『はい。』と答えた。」と言うのですか? (「はい。」) それでは、妻のどこが一番きれいですか? おしりが一番きれいですか、ほおが一番きれいですか? (「すべて良いです。」)どこが一番きれいかと尋ねているのに、「すべて良い」では零点でしょう? 皆さん。朝、空腹になって食事をするときに、トイレに行ってきて、そのまま妻の胸やおしりを触ったり、愛し合ったりしましたか? それをしてみましたか? そのようなとき、ほおよりも、おしりを触るというのです。 先生が、東京にいた時、都内を循環する省線(「鉄道省の路線」の略。「JR」の前身である「国鉄」が発足する前の旧称)がありました。そこは、朝になれば、若い男女や学生、老人、あらゆる人が集まるのですが、じっと見ていると、若者たちの群れができるのです。それで、腹黒い男性たちは、いつの間にか女性に近づいていって、その女性のおしりを触るので、女性たちが逃げていくのです。 ですから、「どうして触るのか?」と言って、けんかも始まり、ありとあらゆることが起きます。男性が、そのようにして女性のおしりを触るのを体験したでしょう? 日本の女性たち、どうですか? (「はい。」)体験していないのですか? 体験していなければ、大きいおしりを持っていても意味がないですね。 なぜ、女性のおしりは大きいと思いますか? 両手で触っても狭くないように、そのために大きくなっているということを知らなければなりません。そのようになっていてこそ、赤ん坊を楽に生むことができるのです。 赤ん坊ができない女性たち。夫が妻をうつぶせに寝かせておいて、腰をこすってあげるのです。あざができたときに、卵でこすってそれを消すような要領で、両手で熱が出るほど、触ってあげてみなさいというのです。そうすれば、冷えた子宮が温かくなって、すぐに赤ん坊を妊娠することができるというのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 天の秘密を知っている先生が、そのようなことを知らないでしょうか? そのことを知って話をしているので、一度、してみなさいというのです。そのようにすれば、奇跡が起きて、女性が子供を生むことができるのです。問題ありません。 “今から、自然に帰って、自然の主人になってみよう”という人は、手を挙げてください。“自然に帰って、主人になってみなければならない”と思う人、手を挙げてください。後ろの方は、手を挙げられないのですか? 今、挙げましたか? 主人になりますか、僕になりますか? (「主人になります。」)欲が深いですね。 さあ、それで、主人になることができる人は、今からどのようにすれば、主人になることができるのかといえば、“神様が創造された本然の世界に、「私」が帰ってきた”と、このように考えるのです。自然の中のパンタナールとは、どのような所でしょうか? そこは、神様が創られた天地創造のすべての“源焦的”な万物がそのまま存在し、“根源的”な万物がすべて存在し、「勝利を賛美することができる所は、ここしかない。」と言うことができ、愛することができる立て札を立てておいた所です。 パンタナールとは、そのような所なので、そこには“源焦聖地”があり、それから何ですか? (「“根源聖地”です。」)“根源聖地”があり、それから何ですか? (「“勝利聖地”です。」)“勝利聖地”があります。一度、行ってみますか、行ってみませんか? そこが、どれほど良い土地であるので、先生が“源焦聖地”や、“根源聖地”や、“勝利聖地”をつくったのでしょうか。そこには、ないものがありません。ないものがないのです。 先生は、五十代に、東西南北の名のある所には、すべて行ってみましたが、どこに行っても、そこにあるのは、すべて制限された動物や植物であり、環境も制限された所でした。ところが、パンタナールには、無制限な環境が展開しているのです。そこにある自然は、すべてペア・システムになっています。 「ペア・システム」という言葉も、統一教会から始まったでしょう? 知らずに使っていますね? 目もペアですか、シングルですか? (「ペアです。」)そのようにペアになっているものが一つになってこそ、機能するのです。 鼻も、一つだけ穴が開いていたら、どのようになるでしょうか? 鼻が詰まるでしょう? 唇が一ミリ、二ミリでもずれれば、話しづらくなってしまいます。耳も、内と外が共鳴して、お互いに授け受けするようになっているのです。 文総裁を見てみれば、顔も大きく、鼻も鼻筋が長めで、それに比べて目は、大きい鼻と合いません。目まで大きければ、どうなるでしょう? 支障が多いでしょう? 口は、どうですか? 先生の唇は、薄いのです。ここを見れば、唇がないようにみえるので、言葉が、玉のようにころころと転がり出てきます。ですから、話がうまいというのです。唇が厚くては、話を上手にすることはできません。 話の上手な息子、娘を生もうとすれば、胎教時代に唇を中心として、専門的に研究しなさいというのです。“上唇と下唇が細ければよい”と思って、そのような写真を見てキスをすれば、そのようになるのです。 先生の唇を見れば、話がうまいということが分かるのです。頭も、後頭部が、このようになっています。ですから、西洋人は、頭をこのように押さえて、丸くしなければなりません。 さあ、自然に帰るのですが、どこに行っても、ぴたっと合わせることができる生活をする人は、天国に行っても、その活動舞台の自然環境が、広くて大きいものになるのです。分かりますか? (「はい。」) ですから、「私は、本然の太陽に仕えてみよう。太陽は、堕落した世の中の見るに堪えないものを、どれほどたくさん見て生きてきただろうか? 地上の醜悪な人たちを照らすために、どれほど苦痛を受けただろうか? きょうは、私が解放的な太陽の光を見詰める主人の王である。だから、きょうは、いつもよりも先に太陽の光に接するために、明け方に一緒に起きて、最初に昇ってくる太陽の光に、私があいさつしなければならない。『グッドモーニング。』」と言ってみましょう。分かりますか? (「はい。」) それで皆さんは、詩のようなもので、朝に昼に夕に自然を賛美するのです。朝に対して賛辞したり、昼の十二時に賛辞したり、夕方の夕焼けを中心として賛辞するのです。それはなぜでしょうか? 自然界のすべての獣たちも、そのように暮らしています。獣たちは、夜になれば、休んで眠りに入るので、そのようにして賛辞をします。 ですから、朝は、今から生きるために出発しなければならないので、あいさつをしなければなりません。出動のあいさつ、休むときのあいさつ、それをして暮らさなければなりません。動物たちもそのようにするのです。 動物たちを見れば、鳥でも、どのような獣でも、太陽の光が昇ってくれば、歓喜の姿勢で羽をはためかせながら歓迎しようとし、夜になれば、すべて自分の家に帰ってきて、ばらばらにいた雄も雌も子どもも、夕焼けになれば、一つの巣に集まってくるようになるのです。分かりますか? 朝にあいさつをし、そして、昼になれば、皆、食べる物を探し回り、山、川、東西南北のどこでも活動し、食べる物を探して子どもを育て、自分たちも食べて生きていくのです。同じです。子どもが暑い所ばかりにいては、体が膨らんでしまって、収縮できません。ですから、強くないのです。 それで、つばめが、なぜ南方に行ってきて、春になって北方に訪ねて来るのかというのです。冬の季節に萎縮して、縮小しながら生命を残すために努力して、そこで子どもを産むことによって、強弱を兼ね備えることができるのです。そして南方にいた鳥類たちは、北方に向かって大洋を越え、山を越えて訪ねて来るのです。 魚たちも、そうではないでしょうか? サーモン(鮭)のような魚も……。「さけ」と言っても、それは、飲む酒ではありません。海に住んでいる鮭も、自分が父母から生まれた故郷を訪ねていって、そこで子ども(卵)を産み、冬で寒いのに……。 今の時期は、アラスカの鮭たちが、子どもを産むころです。鮭が卵を産んで、子どもが生まれる季節です。それは、十一月ころまでですが、一月まで延長されます。そのころは、一番寒い時なので、虫のようなものたちは、気温が合わないので、すべて暖かい海に流れ出ていき、寒い所には虫もいないし、何もないのです。 ですから、産まれてくる稚魚のために、親鮭が死んで、その体を餌にして育てるのです。やあ! これは、本当に驚くべき事実です。自然から学ぶべき事実が、どれほど多いか分かりません。 この机の脚のようなものも、曲がった木の枝が模様をつくります。自然の中から学ぶことがたくさんあります。家庭の家具を見れば、いすを見ても何を見ても、それらは、すべて自然の中から学んだものです。 ですから、自然と和合して、自然とともに生活環境を築いて暮らしていかなければならないのが、人間です。自然を無視する人は、信仰の道、修養の道、良心世界の道を行くことはできません。 さあ、それでは、“私”は、太陽を“源焦的”に愛することができる主人になりましょう。分かりますか? (「はい。」)遠い熱帯地方に行って、朝から昼、夜まで、暑い所で汗を流しながらいろいろなことを経験し、“私たちの先祖や兄弟は、このようなことを感じながら暮らしたのだなあ。これを、私が補強しなければならない。”と思って、それを補強することができなければなりません。 そうすることができてこそ、東西南北の四方を往来して休養所を持ち、趣味を補強しながら谷間を水平にすることができるのです。自然の環境に一致することができる訓練をしなくては、円満な人になることはできません。先生は、そのように思うのです。分かりますか? (「はい。」) そして、皆さんは、“私は、空気のような人になろう”と考えてみましたか? 空気は、生命の要素です。この空気は、すべて高気圧と低気圧になっており、一瞬のうちに訪ねて行くのです。訪ねて行きますか、訪ねて行きませんか? (「訪ねて行きます。」)気圧の差が大きくなるときには、北極でも南極でも、いかなる環境でも貫いて直行します。くねくねとは行きません。さっと、直線で走っていくのです。 自然は、低気圧と高気圧が、お互いに授け受けしています。空気は、お互いにバランスを取っているのです。ですから、風が吹いていない静かな水面、静かな貯水池の水と静かな木々と葉も、涼しい風が欲しい高温地帯になれば、風が吹いてきて、揺れなければならなくなるのです。そのように、すべて水平、平面基準を意図して運動するのが、空気です。 水も同様です。高い所にあるものは低い所に行き、大洋に出ていって水平を成すようになります。そうして、水平になった所で、冷暖の空気の温度の差によって、それは水蒸気となり……。そのようにして、空気は海を渉猟するのです。そして、陸地では、南方から吹いてきた風が大陸を訪ねて来るのです。これも、やはりバランスを取って動きます。分かりますか? 太陽の光も同様です。太陽の光を見てみれば、すき間があれば、入っていかない所がありません。壁に少しのすき間でもあれば、さーっと照らし込んでいくのです。 このように、浸透力が強く、どこにでも機能を発揮する性質を持つものは、生命の要素になっているのですが、太陽の光も同様です。太陽を見てみれば、東側も西側も、すべてバランスよく明るく照らしているでしょう? そうではないですか? 平面で明るい所は、その明るさは同じです。また、水も同様です。水も、高低差があれば、必ず水平に補強し、空気も平準になるように補強するのです。 その中で、一番の生命要素が何かというと、それは、愛です。ですから、愛は、空気よりも、水よりも、もっと密接で、太陽の光よりも、より狭いすき間にでも、どこにでも入っていくのです。 水には、付着力や表面張力というものがありますが、皆さんにも同じような力があるのです。毛細管作用のことを知っているでしょう? 木や植物の中でも同じ力が働いていて、すき間があれば、導管や篩管を通って、水分や養分が、あの高い所にある芽まで上がっていったり、下がっていったりします。それは、循環運動であるということができます。 一つの生命体を保存するためには、天の国の太陽がそのようにして世界を包括し、空気もそのようになり、そして、生命の動機を生じさせる水が、そのようにならなければなりません。東西南北どこにおいても、そのような平衡作用をすることができる基準は愛なのです。 ですから、水を愛し、空気を愛し、太陽を愛し、地を愛し、草を愛し、木を愛するところでは、いつでも、昼でも夜でも、その環境条件で区域化されたその自然環境によって、千態万象の平面基準、立体基準を合わせることができます。そのような調和への因縁が、自然の中にはあるのです。 それゆえに、今日の統一教会は、六十三歳になれば自然に帰ることを提唱するのです。分かりますか? なぜ「六十三」なのでしょうか? 六十歳が還暦だというでしょう? 「六」数は、平面的に六度、帰っていかなければならない、ということです。 それでは、「三」数とは何かというと、垂直になることです。家庭の垂直、国の垂直、世界の垂直が、天地の垂直を中心として立ってこそ、自分の一族が天上世界に行って、神様の玉座の前で功をおささげすることができる基台ができるのです。 すべての存在は、お互いが、そのように関連した関係を中心として、水平と垂直の因縁を中心として、調和して発展、存続することができます。ですから、わたしたちも、何種類にも区別された複雑多様な自然環境の世界に入っていって、縦横の度数を合わせなければなりません。 それは、神様の創造本性の世界に心が一致することができるようにすることです。自然に帰っていくことによって、自然とともに生きることによって、神様の代身として、主人の立場の近くに立つことができるので、“自然に帰ろう”と、このようになるのです。 それでは、きょうの開天節という日は、どのような日なのでしょうか? 天に通じることができる門を開くのです。それは、人に限ったことではありません。堕落によって、植物世界もふさがれています。本来は、愛を通して呼吸することができる環境なのですが、堕落することによって、逆さまになっています。上に上がっていかなければならないのですが、だんだんと地獄に落ちていくのです。 これが本然の過程に戻って、自然と呼吸することができる本性の神様の創造性を取り戻すようにならなければなりません。そうして、無限な愛のために、お互いがために生きてあげ、主人の立場でお互いが同情してあげるようになれば、我知らず、神様の人格に近づいていくのです。 そのようになることができるものは、自然しかありません。それで、“統一教会の教会員たちは、自然に帰ろう”というのです。分かりますか? 自然に帰るためには、宗教世界の最高の立場を超え、哲学世界の最高の立場を超え、超宗教の立場、超思想の立場をさらに超えて……。そのためには、統一思想を知らなければなりません。それから、左翼、右翼の世界において、神様を否定する無神論の世界を乗り越えて……。 自然界に無神論がありますか? ありませんか? 超宗教がありますか? そして、超思想がありますか? ただひたすら、真の愛一つで結ばれ、水と空気と太陽の光が協力して相和しながら、人間の生命体を構成し、その一生の路程を天国と連結することができるようにと働いているのです。 そのような理念が形作られているということが事実であるのにもかかわらず、わたしたちは、自由に従って、勝手に生きることができますか、できませんか? (「できません。」) 毎日のように飲むものは、何ですか? (「水です。」)水です。それから何ですか? (「空気です。」)空気です。それから何ですか? (「太陽の光です。」)太陽の光です。それから何ですか? 土です。植物です。植物の中に草も入り、木も入りますか? 木だけが植物ですか、木と草を合わせて植物ですか? (「合わせてです。」)合わせて言うのです。 それでは、皆さんが食べる朝食と夕食をじっと見詰めてみると、野菜の入っていない、植物のないおかずがありますか? (「ありません。」)また、肉が入っていなければ、「おいしくない。」と言うでしょう? 牛肉、豚肉、青魚、何々と……。 それは、だれのものですか? “私”のものですか、自然のものですか? (「自然のものです。」)自然のものですが、その主人は、だれですか? (「神様です。」)ですから、神様の息子になって神様を愛してこそ、神様が愛することができる万物を食べて生きるようになっているのです。 どろぼうの子女になり、サタンの血を受け継いだ怨讐となって食べれば、すべての万物が嘆息圏に入ることになります。万物嘆息、動物嘆息、人間嘆息、天上世界の永遠な嘆息圏を解放するためには、自然に帰って、神様の創造の本性的愛の心を持たなければなりません。 皆さん。芝生に行ってみてください。探してみると、ありとあらゆる虫がたくさんいます。それらの小さな虫が、皆、独りで生きていると思って見てみると、すべてペアになって、子どもを産んで生きているのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 皆さんも、子供を生みますか、生みませんか? (「生みます。」)ですから、子供を教育するためには、ああだ、こうだと言う必要はありません。「自然を見習いなさい」と言えば、よいのです。 自然界を見れば、雄が成長して雌を訪ねていき、雌が成長して雄を訪ねていき、ペアになって子どもを産みますか、産みませんか? (「産みます。」)春夏秋冬の季節に従えば、季節に合うように環境に従っていき、自然の環境レベルや地域を分別していきながら、そこに合わせて適応することができる自分の子孫を立てて、力のある子孫を残そうとするのです。 動物同士で二匹いれば、お互いに競争するでしょう? 雄同士で闘うでしょう? 決闘するでしょう? 北米には、エルクという大きな鹿がいますが、そのエルクは、二つの山に別れていた雄が出会うと闘って、勝ったほうに雌の鹿がついて行くのです。 春になって春風が吹けば、あちらの園の花びらが、こちらの園に来るようになり、こちらの園の花びらも、あちらの園に行き、そのように花粉が行き来して交流しながら、生命を繁殖させるのです。そのように、こちらの園とあちらの園の境界線によって分かれていたものが、春になれば、出会うようになります。 最近、皆さんがコディアクに行けば、山中でタク、タクと……。何と言うのでしょうか? 板をたたくような、タク、タクという音を聞くことができます。それが何の音かというと、雄の鹿同士が角をぶつけ合ってけんかしている音なのです。 そこには、わたしたちの鹿農場があって、わたしは、よく知っているのですが、その鹿はハーレムを形成して、雄一頭で雌を五十二頭もつれて暮らしているのです。やあ! 何頭ですか? (「五十二頭です。」) 二頭の雄鹿がけんかをすれば、いくら体格が大きくても、年老いたほうが、若鹿に負けるでしょう? そのように、いつも若鹿が大声で鳴きながら、「あなたは、先祖になることはできない。私に勝たなければならない。」と言って、年長の鹿に対して挑戦するのです。挑戦するでしょう? しかし、そうやってレスリングやボクシングのように挑戦して、負ければ、チャンピオンベルトはもらえません。そして、勝てば、自分を基準として、すべての基準が決まるのです。 このようになれば、負けた鹿は悲惨です。従っていた数十頭の雌が、あいさつもせずに、さっと行ってしまうのです。それは、わたしたち人間世界よりも徹しています。さっと向きを変えるのです。そして、春になって子どもを産み、優秀な種を残すのです。すべての動物が、そのようになっています。 人間の場合は、どうですか? 人が、そのようにしたら大変でしょう? けんかの強い人ばかりが残ってしまいます。そのような人が、何の役に立つのでしょうか? 人は、万物の霊長なので、すべての園で、どこに行っても、優れている人も愚かな人も、すべて万物の霊長としてふさわしい、生活の手本とならなければなりません。 人間の場合、真の愛においては、高い位置にいる者も強い者も、同じ愛の感情を持っています。ですから、同化した平均的基準において、愛を中心として楽しく暮らし、万物と和動することによって、万物の主人であられる神様が和動して、永遠に存続することができるのです。分かりますか? (「はい。」) 農村に入っていって、歴史上の最高の農夫より以上の農夫となりましょう。そうして、満ち足りて、少しも他人をうらやむことがないような暮らしができるように、農作業を一度してみましょう。 ほうれんそうを育てるうえでも、今までの歴史上の人たちは、自分の生活や自分の父母、息子、娘のために働いて育てたのだとすれば、自分は、天下の人類を食べさせて生かすためにほうれんそう畑をつくるのです。そうして、そのような目的で作ったので、“全体の三分の一は、分けてあげよう。”と思って、育ててみてください。そうすれば、良い穀物ができるのです。分かりますか? (「はい。」) そのような農作業を、わたしはしようと思うのです。わたしにできない農作業は、ありません。豆畑も上手に実らせることができます。一番大変な農作業は、綿畑を実らせることです。それから、粟畑です。 粟の種をまとめてまいてから雨が降ると、畝の溝が崩れてしまうのです。それをすべて見ていきながら、どれを残して、どれを捨てるのかを考えます。すべて間引くには、しばらくの間、ずっと間引いてあげなければなりません。粟畑は、そのようにしなければなりません。 そのようにして、汗を流しながら、こうして……。自分の血と汗を流して精誠を尽くし、もちを作って祝宴する日には、それを創造された神様が、どれほど喜ばれるでしょうか? 神様も、「やあ! この供え物は、どこから来たのか?」と言われて……。そのようになれば、供えた万物で、世界じゅうから来ていないものがない、というようになることでしょう。そうではないですか? 魚を見てみても、東の海の魚もいて、西の海の魚もいて、南極、北極の魚がいるのです。それを漁夫たちは、歴史を通して愛してきたので、わたしは、それ以上、歴史上の漁夫が釣ったそれ以上の立場で、神様を代身して食べてあげ、愛してあげれば、体も健康になるのです。病気にかかる心配は要りません。 わたしは、今、何歳ですか? 私は八歳の時に、一度、病気になって寝込んだことがありますが、それから今の八十歳まで、これほど疲れる生活を継続しながらも、病気で寝込んだことがありません。それは、だれが保護してくださったのですか? (「神様です。」)神様の代わりに、自然が保護してくれたのです。自然の中で神様の愛を味わってみると、神様の愛は、死亡圏内で消化されることはありません。 さあ、それゆえに、一生を生きていくうえで、神様が愛される万物を、その代身として愛することができる主人の立場で生きてみましょう。自然が喜ぶでしょうか、怒るでしょうか? (「喜びます。」)喜ぶのです。 ですから、“源焦聖地”、“根源聖地”、“勝利聖地”に行ってみなければならないでしょうか、行ってみてはならないでしょうか? (「行ってみなければなりません。」)その記念日に、そこで祝宴をするとき、“世界じゅうのたくさんの人類の中でも、自分の一族は、毎回一人残らず、そこに参席する。”と決心する人は、手を挙げてください。 尹晶老氏? (「はい。」)全員、決心したそうです。(笑い)(「ありがとうございます。」)公文を送るのです。(「はい。」)開天節の日に、先生が約束したのですから、だれでも、親子で、四位基台を作って、四年に一度ずつ行かなければならないようになっています。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) そこには、“根源的”で“源焦的”な動物が、何でもいるというのです。それは、本当に驚きです。そこに生息している魚の種類が、どれほど多いことでしょうか? わたしが、最初にそこを訪れたとき、オクチャメ(南米の沼地帯に生息する水草)という水草があるのですが、その下が暗く影になっていて、いつわにが出てくるか、いつスクリューヘビが出てくるか分かりません。その真っ暗な所に、手をさっと入れてみると、稚魚が三匹は捕まります。あの小さな魚です。 それをやってみましたか、やってみませんでしたか? (「やってみました。」)やってみたのですか? (「はい。」)捕まりましたか、捕まりませんでしたか? (「……。」)分からないのですから、やってみなかったということではないですか? 千万種類の姿をした、ありとあらゆる魚が、すべています。それは、どれほど面白いか分かりません。その魚をすべて捕まえて、家の中に水族館のようなものをつくって育てれば、どれほどよいでしょうか? すべての種類をそのようにして飼育し、わたしが統一教会の人たちに、十種類、百種類分けてあげれば、一年以上食べさせてあげることができます。そうして、十年以上食べさせてあげることができる代価をもらって、すべて分けてあげようと思うのです。 そのようにしてこそ、貧しく暮らしているすべての人たちに分けてあげられるでしょう? それを育てることが、子供を育てることよりも、もっと面白いのです。どれほど面白いか分かりません。そのような趣味を持ちますか、持ちませんか? (「持ちます。」)“持たない”という人は、手を挙げてください。 そのような趣味が満ちあふれて、一〇〇パーセントを超えれば、神様が、その家に作っておいた魚の博物館をごらんになりたくて、訪ねて来られるというのです。そのように育てておけば、神様が、その家に福を下さるでしょうか、下さらないでしょうか? 神様は、「わたしの代わりに、このように愛しているのだなあ。」とおっしゃって、福を下さるようになっています。 そのようにして動物を育てれば、動物も死ぬことはなく、子どもを産めないということもありません。昔、ヤコブがそうだったでしょう? それ以上、自分の環境が……。 今の世の中では、就職して、月給をもらって生活していき、定年退職すれば、自分の死後、墓守をしてくれる子孫もなくて、共同墓地に行くのが当たり前です。しかし、このようにして、六十三歳を超えて農場に入っていけば、八十歳まで生きるのは普通で、百歳まで生きる人が、どんどん増えるだろうというのです。 昔は、六十歳で老人扱いしたのですが、最近では、八十歳でも、昔の六十歳よりも若いというでしょう? (「はい。」)それは、なぜですか? 統一教会が天から祝福を受けて、神様の運勢を地上に連結させたので、人類の年齢が延長し、寿命が延長したというのです。 それは、だれかが政治を上手に行ったからでも、他の善なる宗教の恵沢によってそのようになったのでもありません。文総裁の恵沢によるのであり、昔は、八十歳の人が珍しかったのに、今では、百歳の人も珍しくありません。 そのようになったことも、文総裁の生き方に人類全体を近づけるために、神様が公平にされたことによるのであり、それが現象として現れたことなのです。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) わたしが、あと何年、何歳まで生きると思いますか? (「百二十歳以上です。」)百二十歳ですか? 二百歳以上ではなくてですか? (笑い)それは、“せいぜいこれくらいだろう。”と思って、「百二十歳以上です。」と言っているのです。逆さまにして「二百一歳です。」と言えば、分かりませんが。(笑い) わたしが、“そのように生きたい。”と思えば、生きるのです。(拍手)見ていてください。世界に、真の父母として生まれた息子は一人しかいないのに、その一人しかいない息子を早く霊界に連れて行って、何を誇ることができるでしょうか? そうではないですか? たとえ病気がわたしを訪ねてきても、“一週間くらい、わたしが冷遇すれば、逃げていくだろう。”と思ったら、本当にそのようになったというのです。分かりますか? わたしは、風邪などは、隣の町内からはえが飛んできて、額に一度止まって、また飛んでいったくらいにしか思いません。それなのに、何ですか? 風邪を引いたからといって、布団を敷いて、タオルを額の上に載せて横になるのですか? それは、死のうとする準備です。先生のように生きれば、病気が来ても、一週間……。 「病は気から」です。そのように思うのです。信じて生きるのです。絶対信仰は、すべてのことを克服し、再創造し、主体の前に対象存在として、永遠に存続させることができると、神様は仰せられるのです。アーメン。(「アーメン。」) 病気になれば、薬を飲むことの反対に、おいしく食べれば、病気が治ります。そのような話を、初めて聞いたでしょう? それを説明しようとすれば、切りがありません。 自然に帰って、自然から学ぶことが本当に多いということを知ってください。分かりますか? (「はい。」)自生するいばらのようなものを切ってすりつぶし、それをできものに塗れば、すぐに治ります。そのようなことを知っていますか? 漢方薬は、そのように発展したのです。自然の葉があれば、どのような葉なのか調べて、それを薬剤として使います。すべて自然から採取して、薬剤にするのです。人がつくったものは、すべて副作用が多いのです。自然の中で、動物たちが……。 きじを捕まえるときに、きじの足が折れたとします。何年もたつと、折れて治った箇所は、木の年輪のようになりながらくっついているのですが、それを開いて見てみると、折れた箇所に針金を巻き、絹糸を巻いたようになっているのです。 医術は、人間のほうが学んだのであって、動物世界が学んだのではありません。自然の中には、何でもあります。ですから、自然を愛さなければならないというのです。 そして、食べ物をおいしく食べなければなりません。昔、先生はうなぎを、あまりにもたくさん捕まえて食べたので、今でも、うなぎを見るだけでも嫌です。(笑い) 日本人は、うなぎでも何でも食べるのですが、皮をはいで、脂身の多い中の肉だけを食べて、残りは食べません。今回、アラスカに行って、キングサーモンを刺身にしたのですが、それがどれほどおいしいことでしょうか? 一つ一つ食べるには、あまりにも時間がかかります。一度にさささっと、一週間以上、十日近くかけて食べたのですが、それも嫌になるのです。 貧しい人たちをアラスカに連れて行き、キングサーモンをそのように食べさせれば、皆、飽きて嫌になるので、「二度とアラスカの魚を食べなくても生きていける。」と言うようになっているのです。どれほど野菜が慕わしいか分かりません。 そのようなときは、体自体が、自然に自分が存続することができるように、内的栄養と外的栄養が合うように調整します。人間の体には、そのようにすることができる補完装置ができているのです。それゆえに、おいしいものを求めて食べ、よく消化するようにすれば、よいのです。そのようにすれば、健康になります。分かりますか? ですから、そのようにすることができる修練方法は、自然に帰って愛し、一緒に和動して暮らす道しかありません。太陽も“私”が主人、空気も“私”が主人、山川の草木も“私”が主人です。そうして、“神様の代身として「私」が最初に食べる。”と思うのです。 今まで、神様が共にいらっしゃるものがなかったではないですか? ですから、主人の立場に立って、神様に同伴して接待しながら、“このように開拓する先鋒者の生涯を生きてみよう。”と思うことによって、天上世界の門、地上世界の門、東西南北の十二真珠大門までが、さっと開くのです。そうして、自らの行く道にいかなる支障もないという解放者になるのです。アーメン。(「アーメン。」) そして、きょうは開天節であり、これからは国境を超越する時が来ます。もう平和大使は任命しましたか? その人たちが、国境なく行き来することができるようにするのです。 米国の大統領も、国連の事務総長も、皆、公認をして、ばんばんと判を押し、文総裁の写真があれば、どこでもビザなく通過することができるような世界をつくるのです。つくるかつくらないか、見ていてください。そのようなことに関心がありますか、ありませんか? (「あります。」) そのような人たちが集まって、自然とともに……。朴久培氏? (「はい。」)その農場の名前は、何ですか? (「ビクトリアです。」)「ビクトリア」ですか、「ビクトリー」ですか、「ビクター」ですか? (「『ビクトリア』です。」)それは、形容詞ではないですか? 名詞は「ビクター」です。ですから、「ビクター農場」です。 そこに行って、全員、訓練を受けさせるのです。今後、夏季のバケーションシーズンに入れば、三年間、四年間、ここに来て訓練を受けなければなりません。そのようにしなければ、他の所では、バケーションシーズンを過ごすことができないようにします。 尹博士、来ましたか? (「はい。」)どこにいますか? 来ているのですか、尹博士。(「ここにいます。」)今年は、どこでバケーションですか? これからは、それを防止するのです。 そこは、一番の自然があり、木も良く、気温も良いのです。いない獣がいません。虎がいないでしょうか? すべています。マウンテン・ライオンがいないでしょうか? 豚がいないでしょうか? すべているでしょう? (「はい。」) 朴久培氏? (「はい。」)すべていますか、すべていませんか? (「すべています。」)それらを均等に捕まえてみなさい、というのです。捕まえて、そこに動物園をつくるのです。そこで子どもを産ませなければなりません。 食べるものは、わたしたちが、えびのトロール船を造って、南極からいくらでも持ってくれば、飼料は問題ありません。そのようにすることができるように、環境条件に合わせて、自然とともに歌を歌い、たくさんの詩的文学と芸術が芽を出すことができる園、エデンの園以上の地域をつくるのです。 そうして、国連がそこを管理し、すべて米国の保護圏内で世界を援助することができる資源農場……。資源です。資源農作業をし、資源農場をつくるのです。 ですから、そのように関心を持ち、今後、そこに行って四十日修練を受けていない人がいれば、早く受けるようにしなければなりません。(「はい。」) それで、船に乗らなければなりません。先生は、ハリケーンが吹き荒れているのに、米国のグロースターに行きました。そこは、ボストンのエリアです。そこには、数千、数万の船があるのですが、すべての船が、ハリケーンのために出て行くことができない状況でした。 しかし、先生は、「どうして出て行くことができないのか?」と言いました。夜中の一時半になっていたので、警察まですべて寝静まっていて、雨が滝のように降っているのですが、それでも行くのです。漁場まで行くためには、二時間以上かけなければなりません。 ところが、船を運転する人が、うとうとしているのです。そこで先生は、“寝るなら寝なさい。海のどこに暗礁があるものか。”と思って、「大丈夫だから寝なさい。」と言ったのですが、「寝なさい。」と言ったので、かえって寝ないのです。 激しく降る雨が、このように当たり……。その雨が、鼻の頭から、耳たぶから、このように流れて、首からへそを通り、三角地帯を通って流れ、ひんやりとしたことが、今も印象に残っています。 そのとき、娘の仁進を連れて行きました。仁進は、そのときはまだ、はいはいをしている赤ん坊です。はいはいをするので、恐ろしいのです。船の上に置かれた物が、すべて動き回り、転がってしまうからです。それが分かりますか? (「はい。」) いろいろな物が転がっていくのですが、船が、こちらに傾けば、こちらにごろごろと転がり、船がまた、あちらに傾けば、あちらにごろごろと転がるのです。そこに波が飛び込んできます。そのようなことを見て、「ああ、お父さん、怖い。」と言うのです。皆さんであったなら、半分は死んでいたでしょう。しかし、それを見て、楽しく思わなければなりません。 なぜ、それを見て、楽しく思わなければならないのかというと、わたしたちの船は沈まないので、楽しく感じなければならないというのです。ハリケーンの中で、感傷的な詩を詠み、芸術的な絵画を描くことができる、このような趣味が潜在している船なので、楽しく過ごすのです。分かりますか? (「はい。」) それでは、沈まない船を、だれが開発したのですか? わたしが開発したのですが、世界の造船業界は、「自分たちが開発した。」と言って、売っているのです。そのような者たちは、早くもうけて、退いたらいいのです。彼らは、今後、造船会社をわたしに譲って、自分たちは出て行かなければなりません。わたしには勝てません。分かりますか? (「はい。」) そして、皆さんの中で、船に乗れない人たちは、これからは、人間扱いしてあげないかもしれません。また、釣りができない人も、狩りができない人も、また、絵を描いたり、芸術的な素質のない人も、しかるべき扱いをされないかもしれません。 わたしも、幼いころ学院に入り、そこで初めて絵を描きました。そこは、クルバン(漢文を教える私塾)だったのですが、そこで初めて絵を描いたのです。なぜならば、画用紙や色鉛筆を、そのとき初めて見たのでした。それなのに、わたしがそこに行って初めて描いた絵が、そこに飾られたのです。それは、絵の素質があるということでしょう? (「はい。」) 他の人たちは、ただ絵を描いているのです。ところが、わたしは、四方を中心として、目印となる点をさっさっさっと描いて、そこに大きさを合わせて、色も合わせるので、りっぱな絵が描けるのです。そのように、前もって構想が必要なのです。線を引いて、そっと描いていくのです。 釜山の凡一ミル洞でも、金元弼氏が肖像画を描くのを、わたしがコーチしてあげました。写真を、B4サイズの紙にさっさっさっと、拡大して描けば、よいのです。肖像画の大きさが写真の大きさの十倍ならば、十倍の距離を測って、そのまま当てはめて描けば、間違いなく、そのごとくの絵ができるのです。 肖像画は、目と鼻を描くことが問題なのであって、口と耳は、どう描いてもよいのです。頭も、どう描いてもかまいません。目を描くことが、一番苦労します。 そのようにして、すべて描いた後に、頭の色などは、わたしがすべて色の調整をしてあげるのです。そのように、絵の素質があるのです。 また、「建築現場に行って、家を建てなさい。」と言われれば、上手に建てるのです。のこぎりが挽けないでしょうか? 鉋がけができないでしょうか? 手斧が使えないということがあるでしょうか? ですから、どこに行っても、わたしは便利です。頭が良いのかどうか分かりませんが、構想力があり、一日中遊んでいても、新しいことを創案して遊ぶので、楽しいのです。 皆さんも、先生が好きですか、好きではないですか? (「好きです。」)「好きではない」と言うのは、本性的に堕落した、地獄に行く者たちです。本性が正しい人は、先生を好まざるをえないというのです。なぜでしょうか? 先生には、そのような何かがあって、光線が出ているのです。それゆえに、相対的立場に立てば、先生を自動的に好んで、引かれてくるのです。 それで、統一教会の文総裁との間には、そのような引力関係があるので、“男性も女性も、文総裁にほれ込んで、好きでたまらない”というブームが起きた一時期がありました。今、そのようなブームが起きたら困るでしょう? そうではないですか? さあ、自然の中からすべて学ぶのです。先生も、原理の八〇パーセント以上を、自然の中から見つけ出しました。分かりますか? 自然の中で、夜通し楽しみながら、甘栗と松の木畑に行くと、枝が絡み合っているのですが、そこに満月、秋夕の月の光が照らされるその神秘さは、言葉では語ることができません。 松の木畑で祈祷して瞑想するときに、さーっと吹き込んでくる風の音が、神秘的なのです。そのような神秘的な所で、月の光で明るくなった所で瞑想したことが忘れられません。そのように面白さを感じなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「はい。」) 農作業するのも、楽しいことです。土地を掘るのも楽しいことです。一生の間、汗を流していくことができます。家を建てるのも楽しいことです。 わたしが、してみなかった労働はありません。けれども、そのような話をする時間がありません。ですから、自然と和合して、環境条件において自分と関係を結び、そのようにして事に着手すれば、成功しないことがありません。アーメン。(「アーメン。」) そのような人を、神様は好まれるのです。分かりますか? ですから、皆さんも、先生にそのような素質があるので、先生を好むのです。“先生の行く道について行きたい。”と思うでしょう? (「はい。」) “先生の乗る専用機に、一度、乗ってみたい。”と思う人は、手を挙げてください。その飛行機一台の価格は、とても高いのです。だれでも乗れる飛行機ではありません。しかし、先生は、それに乗りながら、誇らしくは思いません。かえって恥ずかしく思うのです。 行くべき道が忙しく、すべきことが多く、時間が必要なので、しかたなくそのようにしているのです。車に乗っていけば、どれほど時間がかかるか分かりません。 自然を愛することにおいて、一度、王になってみようということです。海を愛さなければなりません。アラスカのような高い山には雪があり、中間には草木があって、そこには花が咲き、その下では、船遊びや釣りをします。そこが、どれほどの別天地でしょうか? そこで、「おお。よしよし、わたしの愛よ。」と歌えば、そこに似つかわしくない歌はありません。流行歌を歌っても合い、歌曲を歌っても合い、西洋音楽を歌っても合い、どのような歌を歌っても、すべて合うのです。気分も爽快で、どれほど良いでしょうか? 朝、起きれば、すがすがしい気分ではないですか? 今、アラスカに行けば、ちょうど良い時です。 さあ、ですから、これからは、自然とともに楽しく、深くつきあって、神様の友人となり、神様の同役者となって、主人たる代身者となるのです。 そうして、神様が創られたすべての被造世界の王の立場で、相続を受ける皆さんになることを願いながら、それが開天節の忘れることのできない一つのテーマとなることを願います。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) 神様を愛し、天地開門の開天節を完成しなければなりません。アーメン。すべて終わりました。(「アーメン。」)(拍手) ケーキカット、万歳三唱一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.24
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「日本食口特別集会」での御言成約九(二〇〇一)年九月二日、韓国・済州国際研修院この日の朝、み言に先立って、昨年十一月十一日にハワイのカウアイ島で語られた「父子協助時代宣言」のみ言が訓読され、その後、約二時間弱、真のお父様がみ言を語られました。 いよいよ皆と別れる日が来ましたね。ハワイのカウアイという島で、日本語では「かわいい」と聞こえるその島で、かわいい言葉を語ったのです。 かわいいエバ、かわいいお母さん、かわいい奥さん、かわいい娘。それが問題です。神様の前に、人類のお母さんという立場を失ってしまいました。それから、どうしましたか? (「……。」)奥さんを失ってしまいました。それから、娘を失ってしまいました。そのようなことをしたのです。 それを捜して元返すのです。捜して元返し、捜して復帰するのが、神様の再創造の摂理であり、復帰摂理、すなわち救援摂理です。その救援摂理の主流として求めたのが、イスラエル民族でした。 旧約時代、それから新約時代、それから何ですか? (「『成約時代』です。」)成約時代。そうして奥さんを訓練し、お母さんを訓練してきたのが、堕落の世界の女たちの苦労の道でした。分かりましたか? (「はい。」) エデンの園において、サタンによって、愛を中心として、お母さんたちまで反対に引っ繰り返ってしまいました。その娘の立場が、エバです。エバが、そのようなことをしたことによって、娘もいなくなり、妻もいなくなり、お母さんもいなくなってしまいました。 それを蕩減してくるための道が、旧約時代でした。それは、神様の娘を再創造して、養育してきた歴史なのです。 新約時代は、妻を求めてきました。ですから、キリスト教は、新婦宗教なのです。新婦宗教なのですが、妻を育ててから、どうしますか? 結婚することによって、母を復帰することになるのです。それが、完成圏の成約時代です。分かりましたか? (「はい。」) ですから、女たるものは、神様の御前に娘となるためには、歴史を超え、堕落世界を超えなければいけないのです。 そうして、娘として超えるとともに、妻としても、天使長世界であるサタン世界を自由自在に主管することができなければなりません。堕落世界は、再び主管しなければなりません。主管するとともに、それを注意してあげて、それを神様の息子、娘につくり変えていかなければならないのです。それは大変なことです。 それを、イエス様を中心として実体的に成そうとしたのにもかかわらず、実体的に成されずに、家庭を持つこともなく、独りぼっちで十字架につけられていったのです。“家庭内独りぼっち”では、神様の願われる娘も、願われる妻も、願われる母も立たせることができません。 神様を中心として家庭を成立させ、その成立させたものを完全圏と完成圏に立たせることによって、娘として完成、妻として完成、母として完成するようになっているのですが、いくら神様が、絶対なる神様であられるとしても、その母の基準を安着させなければ、地上の世界は、サタン権限の主管圏内において統率されるようになっているのです。分かりましたか?(「はい。」) それを、神様の御前に平定させなければなりません。神様の御前に、個人から天宙まで、歴史の初めから歴史の末まで平定するのです。 母の行く道は、愛を中心として、個人的に、家庭的に、世界的に、天宙的に平面になっていかなければなりません。創造理想の神様の愛を中心として、歴史過程を含めて考えて、それは一本きりの世界平面圏です。このように続かなければなりません。 しかし、女の世界は、そうではありません。結婚したという者は、皆、ばらばらです。そのように、家庭というものが皆、崩れてしまうので、もう神様の理想圏のようなものが、完全に崩壊させられた立場から、それを収拾しなければならないのです。 収拾するには、収拾するその原則を分からなければなりませんが、それが分かりません。“神様の娘は、こうでなくてはならない”、“神様の妻は、こうでなければならない”、“神様の家庭と、その家庭における母は、こうでなければならない”という、そのような原理原則を知らないのです。分かりましたか? (「はい。」)知りませんし、また、それを教える者もいないのです。 それは、なぜかというと、堕落というのは、自分で堕落したからであり、それも親の知らない所で堕落したからです。 アダムとエバが堕落したとき、神様とサタンは、それを知っていながらも、それをどうするかというと、サタンは、アダムとエバが自分のほうに転がってくることを願うし、神様は、自分のほうに立ってくれることを願われるのです。 しかし、アダムとエバは、神様が、そのように願っても願われなくても、原理原則を知り、自分が犯した罪なのですから、自分が蕩減復帰しないといけません。分かりましたか? 天使長であるサタンというものは、エバが先に責任分担を完成した後に、エバに絶対服従すればいいのです。娘と奥さんとお母さんが完成すると、そのような天使長が生まれてきた場合は、それを絶対的僕として立てて、それが、絶対的な基準において奉仕するようになれば、それは完成するようになる、というのが、天国に属すべき原則なのです。 ですから、どんなに難しいことがあろうとも、女性は、神様の願う娘として、妻として、母として完成し、母の完成、妻の完成、娘の完璧な完成基準を絶対的に確立しなければなりません。それが、堕落以後、女として生まれてきた者の使命なのです。はっきりしますか? はっきりしましたか? (「はい。」) しかし、女性は、“娘になろう”、“妻になろう”、“母になろう”という思いをたとえ持ったとしても、それを独りで成すことはできません。なぜならば、それは、天使長である怨讐の男によって、神様の娘の立場を破壊し、妻の立場、奥さんの立場を放棄してしまって、皆、なくなってしまったからです。 ですから、女性は、どんなことがあっても、いかなることがあろうとも、それを果たさなければなりません。それが、女性の使命なのです。分かりましたか? (「はい。」) そうして女性たちは、歴史を通して、子供の時代圏、妻の時代圏、母の時代圏を蕩減してきました。ですから、女性の歩む歴史というものは、苦労の道を歩む悲惨な立場を予定された歴史であったのです。はっきりしましたか? (「はい。」) 旧約時代は娘を求め、新約時代は、神様が新郎として妻を求め、成約時代は、母子の確立を成すためにあるのですが、そのように、神様の摂理は内的に苦労してきた歴史であるということを否定することはできません。このように、理論的にはっきり分かるようになります。分かりましたか? (「はい。」)それは本当のことです。 なぜ女性が、悲惨な歴史をずっとつくってきたのでしょうか? そのような悲惨な歴史を逃れようとし、逃げようとしても、逃げる道がないのです。だれか指導してくれる者もありません。そこには、男の立場から援助し、兄さんの立場、あるいは夫の立場、父の立場に立つべき者がいないのです。夫たる者がいなく、神様がいないのです。 それ(堕落世界の男)は、神様の怨讐の立場に立つ姦夫です。「女」という字を三つ書く「姦夫」。知っているでしょう? 愛の怨讐になっているのです。それが天使長です。皆、女性を砕いてしまいました。それを、だれが復帰してあげるのでしょうか? それなのに、兄さんも、堕落させられてしまったのですから、亡くなっているのです。そのように、女が神様の子供を殺してしまいました。神様の息子を殺し、旦那さんを殺し、お父さんも殺してしまったのです。それは本当か、本当でないか? 本当! 言ってみてください。(「本当。」)大きく。(「本当!」) それが本当であるということが分かったのならば、“すべてを超えて、わしはする。自分は、中心者として、神様の正しい女であり、妻であり、母なのだ。”という自覚を持った立場で、「本当。」という答えを、もう一回、言ってみてください。(「本当。」)(笑い) かわいそうな女。先生は、そのようなことを知っているのです。ですから、“女を利用する”などと思ってはいけません。そのようなことを思うと、根本的に大変です。引っ繰り返ってしまいます。 それは、自分の妹の立場です。それを将来、神様の娘として、神様の相対者として、神様とともに母の立場にいかに取り次いであげるかというのが、母子復帰です。それを成しているのです。 先生も、女性によって生まれましたね? そうでしょう? しかし、生まれた、その目的の方向が違います。左から右に、完全に準備して、母をその女として生まれたのです。分かりましたか? (「はい。」) そうして生まれた再臨の主、真のお父さんには、妻を女として、娘を兄妹として、再び生み変えなければならない使命があります。それが、再臨の主、真のお父さんの使命です。大変です。分かりましたか? 女性の皆様。(「はい。」) 今回、はっきりと知って帰らないといけません。分かりましたか? (「はい。」)先生の妹の立場に立つのです。そうして、大きくなって、妹の心情、妻の心情を復帰し、母の心情を復帰し、三心情圏を体恤しなければなりません。 そのようにして、本当の兄さん、旦那さん、お父さんに侍ることのできる、女たるものを満たさなければ、神の国に入る道がないというのが、堕落した者に対する原則になっているのです。先生の言うことが間違っていますか、合っていますか? (「合っています。」)女というのは、名ばかりの存在です。日本が、そうです。 ですから、世界を救う者は、女であって、男ではありません。堕落した世界を蕩減復帰させる責任は、神様がいらっしゃったとしても、神様は教えてくださるだけであって、その先頭に立って、代わりになしてあげるという道は、永遠にないのです。分かりましたか? ですから、そのかわいそうな立場に行って、急変の道を逆さまにたどっていこうというのが、今までの歴史における女性たちの使命でした。 それでは、そのような中で女性は、何を願ってきたのでしょうか? 真の愛です。いつも、真の愛を持つ、親孝行する子供を願ってきたのです。その立場は、ただの女でもなく、ただの娘でもありません。“子供を持つ親”の立場です。神様が愛される、そのような子供がいなければ、女性には、神様の娘に立ち返る道は、永遠にないのです。分かりましたか? 娘の立場に立ったとするならば、次は、自分を奥さんのように愛してくれる男性がいなければなりません。そうして、その男性を絶対的に愛し、子供を大きく育てて、その子供が、蕩減復帰を完成させたお母さんと一つになるようにしなければなりません。そのような時代が、母子協助時代です。分かりましたか? これを、はっきりしないといけません。 つまり、自分の生んだ真の男性を、真の旦那さんとして神につなげてあげるような道を得るために、母子協助というものがあったのです。はっきりしましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) しかし、そのために、女性が歩むべき道、自分が母として歩むべき苦労の道を見た場合には、独りぼっちです。女やもめと同じです。その母は、子供とお父さんの心情を抱え、お父さん以上の立場で、子供に対して、すべてを防備して守っているのです。 神様は、今まで、そのような環境をつくってこられました。そうして神様が、世界的な旦那さんとしての立場であるメシヤを送られたのが、イスラエル民族だったのです。神様から見た場合に、そのイスラエル民族の子供は、ずっと、女たちによって、最も愛国者になるように育てられました。 家庭において孝子になり、国において忠臣になり、世界において聖人になり、天宙において聖子になるような子供を育てて拡大しようとするのが、イスラエル民族でした。そこにおける問題は、何だったのでしょうか? だれが問題なのかというと、男が問題ではありませんでした。問題は女でした。 ですから、女にとっては、生んだ子供は子供なのですが、それは、自分の兄弟なのです。神様の元に帰る子供がいません。そうでしょう? 信仰生活をするような神様の子供、神様の愛を受けることのできる子供がいなかったのです。 そこで、長子である子供を自分が生むのですが、神様が永遠に愛さざるをえないような子供、長子を生むことによって、自らの娘の立場、母の立場が逆になるのです。つまり、自分の子供に対して、自分の兄さんのように対するのです。 女性は、頼るところのない、たった独りぼっちの立場です。頼るところは、自分の子供以外に頼るところはありません。ですから、それを自分の兄さんの代わりとし、夫がないので、夫の代わりとして対するのです。そうして、神様の愛するその息子が大きくなって、“ああいうような、神様から愛を受けられるその息子が、旦那さんになってくれればいいなあ。”というように願うのです。分かりましたか? 母子一体になって、そのようにして地上にメシヤが来られた場合には、すぐに母を擁護し、女性を擁護するような団体が生まれてくるのですが、それが正に宗教圏なのです。それは、イスラエルのユダヤ教です。分かりましたか? 分かりましたか? (「はい。」) ですから、女性が、“もう兄さんを迎えることができました。”と思っても、そればかりではありません。旦那さんを迎えたことになるのです。旦那さんを迎えたというのですが、それは大変です。子供と結婚することはできないからです。 エデンの園で、アダムとエバは、堕落によって追い出されてしまいましたが、さらに、エバとカイン、つまり長男と母親が、アダムを追い出してしまったのです。その追い出してしまった旦那さんを、歴史を通して初めて、再臨という、メシヤという思想とともに、迎えるようになったのです。 ですから、そのときに追い出されたアダムの再臨として来られるメシヤが、ずっと母と子を、兄さん、夫の代わりに守ってくれるようになるのです。そのような立場において、メシヤを父として迎えたとすれば、お母さんは子供に対して、直ちに、「新しく迎えたこのおかたは、もともとあなたのお父さんだったのです。」と、紹介してあげなければいけません。 そのようにして、母と長男が一つになって、生死を超えて奉仕することによって、サタンにはもう、立つ所がなくなるのです。分かりましたか? 母と長男が、完全に一つになってお父さんに侍るという家庭基準が立ったのですから、サタン圏は必要なくなるのです。 そのようになれば、母として願う何ものもないのです。そうでしょう? そうではないですか? (「はい。」)歴史をきれいに清算して、神様の御前に失った娘の資格、妻の資格、母の資格を、子供を通して再創造されたというような自分の立場にあって、母と長男と次男が一体になっているからです。 しかし、そのように一つになったということで、サタン圏から蹂躙されるようになります。サタンは、長男の立場です。ですから、サタンは、そのような母子に対して反対してくるのです。それはもう、母も妻も娘も、サタンの主管圏内において、奴隷のように扱っていくのです。 それは、サタンの世界にとっての敵国の王様の妃と母と娘を皆、蹂躙して、一所にまとめて、どんなことでもやるという話です。その場合、貞操であるとか、愛の秩序などは皆、無視してしまいます。サタンは、そのようなことをやってきたというのです。 それは、おじいさんの代から親の代、それから自分の家族と、女性を三代にわたって蹂躙してきたのであり、そのように三段階を見れば、七人の娘、七人の女を、見境もなく、逆にしたり、自由自在に手玉に取り、そのような愛の行動をやってきたのです。 その挙げ句に、世界は、愛の秩序を完全に放棄して、親族相姦関係など、フリーセックスどころではない状況にあるのです。分かりましたか? (「はい。」)これは、考えれば恐ろしいことです。そのような鳥肌が立つような恐ろしいことを、サタンは歴史的になしてきたのです。 ですから、女たる者は、「サタン」ということを思った場合には、それを七人の怨讐の固まりとして憎まなければなりません。今まで、サタンとは、そのようなものであったということを知らなかったのです。今は、先生によって、女性たちが、そのことをはっきりと分かるようになりました。それなのに、再び堕落しますか? (「しません。」)しますか? (「しません。」) ですから、皆さんは、三大心情圏をどんなことがあっても復帰しなければなりません。そのような大王を捜さなければなりません。それは、再臨のメシヤです。再臨の主は、神の息子として来られるのです。分かりましたか? (「はい。」) 再臨主は、神様の娘にとっては、兄さんの立場です。それは、双子の関係と同じです。それを分けることはできません。多くの男性と女性にとって異性は、自動的に、絶対的に必要とするのです。それは、自然界を見た場合には、雄と雌があり、両性が抱き合って、子供を増やして繁殖するのを見れば、歴然としたことです。 自然界には春があり、夏があり、秋があり、それから冬があります。その中で種をまく時期があり、収穫時期があります。人間においても、青春期、思春期を中心として、男性は女性を求めて、女性は男性を求めるのです。それは本当ですか? 皆、皆、そうです。 堕落した者においてもそうであるのに、堕落しなかったならば、それはもう、神様の愛の光が届かないうちに、プラスとマイナスが激しくショートして、雷を超え、音を出して大変な様相になるでしょう。 堕落の原因たる女は、悲惨な女です。それは、「女様」ではなく、「女の輩」です。そのことを思うと、苦痛です、苦痛。 ですから、女というものは、もう名目がありません。もう、首を切ってしまっても、何も讒訴することができません。告訴することもできません。ですから、女とは、名ばかりの者であるというのです。“かわいそうな女”ですか、“かわいらしい女”ですか? (「“かわいそうな女”です。」) “かわいそうな女”が、“かわいらしい女”になることは、大変です。頭から胴体まではかわいいのだけれど、その部分が、大変です。そのことを考えておいてください。 この下にある、女のそのものが、大変なのです。女のそのものが、今までの歴史を通して、一番、憎むべきものです。それは、罪を象徴するものとして唱えられてきました。それを好む者は、この社会において、サタン世界においても、人とは認められません。平均以下の者として取り扱われるというのは、事実です。 そのような女が“女様”になるのですが、だれによってですか? だれによって? (「お父様です。」)自分によって? 女は、自分ではできないのです。子供を絶対的に神様のように抱えて泣きずりながら、その子によって成すのです。 しかし、その子は、ただの子供ではありません。それは、旦那さんの代わりです。ですから、その子に対して、“こういうようにきれいに成長して、旦那さんになってくれればいいなあ。”というように思い、子供を、三時代の希望の的と考えて抱き抱えて、涙を流してきたのが、女性の立場なのです。それは、そうだと思いますか、そうではないと思いますか? エバ国家の女性が相手ですから、ここで先生が、はっきりと教えてあげます。エバの国の女性。それは、「母の国の女」と言うようになりましたね? あなたもですか? (「はい。」)本当ですか? (笑い) そのような並々ならぬ道を、絶対、唯一、永遠なる神様の立場に立って、「間違いなく、まさしくそうである。」というように答えることのできる日本の女性がいますか? 日本の女性の中で、先生に向かって、「そうです。」と言うことのできる女性が、一人でもいると思いますか? そうでなければ、そのように言えなかったとしても、そのような女性になるための途上に立っていると思いますか、完成した終着点に立って、完全に完成した女性となったと思いますか? (「途中です。」)いつ、その“途中”が終わるのですか? (笑い) 先生が死んでしまったら、どうするのですか? (「お父様が生きている間に成します。」)先生が死んでしまったら、どうするのですか? 「神様よ。再び、再臨の主を送ってください。兄さん、旦那様、お父様になることのできるかたを送ってください。」と言うのですか? そんなばかげたことができますか? ですから、いかに恐ろしい時代でしょうか? 母の国の使命を持った者たちは、深刻に記憶しなければなりません。天の願いに対して、「もう、すでに分かっています。」と、自動的に答えることができるような、神様も否定することができないような立場に立った、完全に復帰完成されて生まれ変わった者であったならば、自動的に返答します。 それは例えば、母親が、自分の子供の名前が太郎であったならば、「太郎さーん。」と子供を呼んで、その子供が、声が聞こえる所にいたとすれば、即座に「はーい。」と答えることと同じです。それを、自分の名前を呼ばれて、「何で、太郎と言うんだ?」と言うような者は、いません。 子供たる者は、「はーい、ここでーす。」と、すぐに答えるようになっています。皆さんは、そのようになっていないではないですか? 先生の前に、先生の娘の資格を持っていますか? 奥さんに代わることのできる資格を持っていますか? 祝福を受けた女性たちは、昔、約婚した立場の者たちです。それは、奥さんに代わることのできる約婚した立場、約婚の女です。そうでしょう? ですから、その旦那さんの心情を知らなければなりません。そのかたを、自分の旦那さんに代わるごとくに考え、世界の、何をやっても代えられない自らの夫であると思う、そのように考えたことがあるのですか? 皆さんは、母を売ること、お父さんを売ることができますか? 例えば、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇陛下のためであれば、そのために自分のお父さんを取られるような立場になったら、日本列島、日本国民全体をやってでも、それは代えなければならないのです。それが本当の、筋の通った、真理なる結論であるのです。 ですから、「神様の娘」と言った場合、それは、神様の奥さんになることのできる約婚者であり、未来において、神様とともにあって、宇宙の母になることのできる資格者、ということになります。それは、大変です。 そのように考えると、永遠に侍ろうと思って、永遠に努力しても、それは、不可能なことです。ですから、結論は簡単です。絶対信仰。それは、ありがたいものです。 それは、白くペイントをすることと同じです。色を塗るのですが、白で分かるのでしょうか? それは、神様しか分かりません。そのようにペイントをして、先生が、娘のように、妻のように、母のように扱うべきなのが、日本の母の国です。 その母は、長男を養わなければなりません。世界の万民を、カイン、アベルを養わなければならないのです。闘いの怨讐世界、これを一つにさせる使命が、母の国の使命であるということを分からなければなりません。(「分かりました。」)(「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) そのことをなしうるような道があったとすれば、何が惜しいでしょうか? 手が惜しい? それならば、手を切ってしまいなさい。それくらいの気持ちが必要です。五官の器官が惜しいのであるならば、それを皆、失ってしまって、めちゃくちゃになったとしても、それは、問題ではありません。 たとえ命だけ残るような立場に立ったとしても、そうしてでも成し遂げるのです。子供を得るための生殖器だけ故障せずに残って、夫婦関係を結べば、それで子供を生むことができるのであれば、それ以上の宝物がない、というような決意に立たなければなりません。そのような女性、そのような子供が、日本に何人ぐらいいるでしょうか? そのように見れば、先生が、日本を母の国として設定しておいて、そのような基準を望んでいる、そのときの神様と先生の姿は、りっぱな姿でしょうか、かわいそうな姿でしょうか、それとも悲惨な姿でしょうか? このような女性を得ることができない悲惨な立場に立って、それでも未来を思いつつ、いつか娘を超えて、いつかは奥さんの使命を超えて、お母さんの使命を果たしてくれると信じている先生の立場です。その先生が苦労しないように、先生を解放圏に立たせることによって、神様のほうに展示しなければならない、というのが、エバの立場なのです。 それが、堕落した女たちの使命であるのにもかかわらず、いつ、そのようなことをやるのですか? 何も知らないのです。ただ“奥さんになろう”という思いで、本当に奥さんになることはできません。分かりましたか? なぜならば、それは第二陣です。二番目に立つべき、天使長の妻であり、天使長の娘の立場だからです。 ですから、堕落していないアダムが生まれなくては、神様の娘と、神様の妻と、神様の母の道は、永遠にありません。それを、お母さん、娘によって、再び接ぎ木をしてもらわなければならないのです。分かりましたか? 接ぎ木を行うためには、再臨の主、お父さんが来て歓迎される、その基準になったときに、そのような接ぎ木、祝福が成されて、自分の子供にするのです。 それは、子供から孫の家庭を中心として切って、孫から接ぎ木してもらわなければ、神様の母、神様の妻、神様の娘、大本の基準に返っていく道は、永遠にありません! そのような意味で、この女性たちを四十年間、抱えてきたのです。それを考えてみれば、恐ろしいことです。 ですから、身を火あぶりされて、万歳を叫び、最後に刺されても、何も惜しいことはありません。みんな焼かせてしまって、姿は影も形もなくしてしまい、“娘として、妻として、母としての名を消してしまいたい、そのような名が、自分の上に残るのが恥ずかしい”と思うべきです。 そうして、そのようにして焼かせて、残った灰から、二つに、神の愛によって、つくり返してもらうようなことが、接ぎ木です。それを孫を通して成すのです。分かりましたか? (「そうだと思います。」) 先生が、うそを言っていると思いますか、そうだと思いますか? (「はい。」)間違いないことです。これをはっきり分からなければなりません。そうすれば、霊界の聖人たちが、後孫と一体圏になって、そのメッセージを地上に喧伝するのです。それは、先生が聞くように、と言って送るものではありません。母の国に送るものです。分かりましたか? (「はい。」) 聖人たちのメッセージは、母の国によって復帰が成され、母の国が、本当に娘になり、奥さんになり、お母さんになるために送るものなのです。 彼らのように、霊界の堕落、堕落の苦労を共に経験した体は、その解放圏の自分を求めているのです。それで、地上のエバの国、母の国に、そのようなメッセージを送ったということを思わなければなりません。皆さんは、そのように考えたときがありますか? ありますか、ないですか? (「今、分かるようになりました。」)「今、分かるようになった。」のですか? 「いやあ、そのようになっているのか?」と。 そのような自分の姿を神様の御前にさらし、正面に立つことが恥ずかしいと思わなければなりません。体は真正面を向いていても、顔はこのように背けて、百八十度、ほかの所に向けなければ、恥ずかしさを隠すところはありません。 自分が、そのような者であったということを自覚もせずして、神様の祝福全体を、独り占めにしてしまおうという欲望を持つ者が、天国に入ることはありません。そのような者は、ぺっちゃんこです! 先生は、皆さんたち女性にとって、母の国にとってのだれですか? 兄さんの立場です。過去に約婚しながらも追い出した男性が再び帰ってきた、そのような“昔の約婚の男”だったのです。堕落前の母に、母とお父さんになるべき者が、こんな悲惨な立場に立っており、そのような立場につかせたのは自分であるという自覚を持たなければなりません。 その手、その身、細胞一つだに、神様に対して、それを明らかにして献納し、おささげすることができない立場です。それは、恥ずかしい。皆、隠さなければなりません。このような深刻なことを言ってすみません。分かりましたか? (「はい。」)たくさんのことを聞いても、皆、流してしまうのですが、今度、帰るときはそうではないでしょう? 娘になりたいですか? (「はい。」) 神様の御前に娘になることができなくて堕落した者が、神様の御前における約婚式を行い、妻として、母として立って、そのような蹂躙されたその女性自体が、先生の前に、苦労に次ぐ苦労をして、先生を生み変え、また生み変え、育て、また育てて、そうして、神様に世界的な親孝行をし、忠臣になり、聖人、聖子になることを願ってきたのです。 そのような女性を生みたい、生みたい、生みたいと願い、そうして生んで、立てたのは、真の父母です。そのような背後には、(マイク不良につき音声が途切れる)……血と犠牲を払い、生命が、恨みの声を地上に残してやっていったということを、母の国の女としては、一人も忘れることができない内容です。それは、たとえ一人でも、そのようなことを感じ、感じられないといけないというのです。 男として、自分にとって一番貴い生命は、何ですか? それは、母です。その母の国を神様の娘としてつくりあげなければならないのが、日本の男たちの使命です。天使長の立場であるならば、神様の元に帰って、本然のままの者になりたいというのが、願いです。そうして母を守り、国を守り、兄弟同士でも紛争するような堕落世界の在り方を蹴飛ばしてしまって、絶対的に一つになるような親子を起こさなければなりません。 そうして、自分の家庭には、争いやけんかをするようなことが影も形もない、というような理想的状態にしなければなりません。そうしなければ、神様の長男と神様の娘を、母の国である日本国内で育てることはできないようなことになる、ということは理論的です。分かりましたか? (「はい。」) 先生は、そのような心情で、霊界を見た場合には、何も言わないで、そのような者を求めてきました。そうでしょう? 神様が、エデンの園で、文先生みたいに、このようにはっきりと教えたらよかったのに、教えることのできなかった神様のつらさ。ですから、先生は、教えたらいけないことを教えてあげるのです。分かりましたか? (「はい。」) もう、今は分かるでしょう。(マイク不良につき音声が途切れる)……長子は、母子協助圏は、天使長であり、天使長世界です。霊界も地界も、解放圏の地上天国、天上天国が果たされない圏までは、天使長の血統が残っています。その時代は、母子協助です。 子供を天使長より以上に、未来の旦那さんを天使長より以上に、未来のお父さんを天使長より以上にするのです。ですから、母子協助です。分かりましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) お父様が来られた場合には、「お母さんは、苦労したのですから、お母さんは家にとどまって、もう休んでもよろしい、よろしい。」と言って、お父さんも、そのようなことを願うのです。母の苦労を皆、知った場合には、それは、かわいそうでしょう? 女性たちが、いかに人知れず苦労をしたか? 東西南北、三百六十度、何回もこのように回り、このように回って、立体的に回り、回りながら、さまよった女の道を知る旦那さんとしては、過去の苦労の道を、もっと貴く思って、「休みなさい。」と言うのです。 「休め。」と言っているのですが、子供にまで「休め。」と言ったら大変です。お母さんは休むのだけれど、子供に対しては、お母さんより以上の立場になることを願ってきた、お母さんの立場があるのです。 その子供は、自分を神様の息子として立たせようとしてきたことも、旦那さんとして立てようとしたことも、それから母親自身も、お母様として立つべく、そのような基準を願ってきたということも知っているのです。 ですから、母親が、そのようなことをなそうとしなくても、すでにお父さんがいるので、子供は、世界全体を主管しえて余りあるような立場に立つのです。それで、“母は休めばいい”という、そのような時代圏に超えていくのです。それが、父子……何ですか? (「協助です。」)はっきりします。(「はい。」) 母子協助時代と父子協助時代。どちらを願いますか? 父子協助を願う皆さんは、神様の堕落しなかった本当の娘になり、約婚の娘の立場で結婚の予約をして結婚し、そうして、妻と、母の立場の基準を完成した立場ということになります。 女性の欲望は、神様の妹になり、神様の相対者になり、神様とともに子供を生むというのが、女性の最高の理想です。男も、同様です。神様の主管される、その国の王子、王様となることが、男性の最高の理想です。そのような実体圏に含まれたいというのが、人間の最高の欲望になっているのです。 なぜ、このような内容になっているのでしょうか? 本心は、そのようなことを願うようになっているのです。方位磁針は、そうでしょう? それは、南北を中心として方向を指し示すものですが、いくら東西の方向に寒暖があったとしても、それは、いつも間違いなく南北を指すのです。 人間の良心(本心)は、それと同じようなものですが、欲望の良心として、自分を引きずっていって苦労させるような、そのような欲望は、よく苦労をさせる欲望です。(マイク不良につき音声が途切れる)……人類の希望の的になっておるんですよ。分かりましたか? (「はい。」) 女性に、「あなたの胸を、子供のようにそれを切ってしまいなさい。」と言ったら、切ってしまうでしょうか? 女性のそれは、どうですか? なぜ、そのようなことを聞くのでしょうか? これでもって堕落したというのです。ですから、女性の、その女性たる器官をセメント、コンクリートによって、みんな使えなくしてしまえるのかどうか、というのです。それによって、天宙を破壊してしまっているのです。 ですから、どんなことがあっても、成されないことがないような決意に燃えて、自分も知らないで、何度も死ぬ境地を超えていくような神様の娘でなければ、神様に迎えられることはできません。そのように迎えられる女性になることのできる者は、一人もいません。 文先生は、そのような内容を知ったのですから、再臨の主たる者は、どういうことに……。女より以上の道を行こうとして、獄中を願いながら、ただぐるぐると回ってきた者です。 それは、なぜでしょうか? 母を救うためです。妻を求め、娘を求めて、苦労、苦労の獄中生活をやってきたのです。そのようなことを母の国のためにやったということを真に知る女性は、一人もいないでしょう。分かりましたか? (「はい。」) 先生の苦労、苦労、苦労は、だれのためにやったのでしょうか? みんなのため、わしのため。“我々”ではありません。“私たち”ではありません。“わし”のため。この御旨の道は、“我々”という観念がないのです。わし! 私! 神様は、“私”という観念も、今まで持っていらっしゃいませんでした。神様は、「我」という言葉をお使いになったことがないのです。神様ご自身が完成したら、神様ご自身、個人で“私”という立場に立たれることになります。 ですから、そのような立場に立って、神様の長子圏の代表として、神様の御前に、“天宙復帰は、わしがやる。”と。「我」という者には、「我々の教会」という言葉はないのです。分かりましたか? (「はい。」) 蕩減復帰は、だれがしますか? (「私たちです。」)娘がするのではありません。お母さんがするのではありません。“わし”。各自、各自が成すのです。先生に苦労をさせてきた場合には、君たちは痛哭し、憤死しながら痛哭しても、それは迎えることはできません。そのような恥ずかしい立場であるということを、ずーっと分かっている女性は、日本で何人いますか? 分かりましたか? (「はい。」) なぜ、済州島に来ましたか? このようなとき、このような話を聞かなかったらよかったのに。そのようなことを思っていてはいけません。くるくる回って、方向転換をして、このようにして、ずーっと反対に回れば、また会いました。(笑い)自分の自由ではないですか? このように回って、三百六十度回れば、また会えるのです。 しかし、「文先生に会ってくる。」と言って会える、そんなばかげたことはありません。会うことはできません。日本の国は、(マイク不良につき音声が途切れる)……女が吹っ飛んでしまうと。 先生には、子供がたくさんいます。要するに、霊界が直接、日本の国を吹っ飛ばして、吹っ飛んでしまったとしても、時代が違うのです。母子協助時代が、父子協助時代になるのですから。「お母さん、お父さーん、お母さんがなくてもいいですよ。わしがいくらでも、エバ国は島国、どこへ行っても、女王様でも買ってきますから。」と言うのです。それが嫌であるとしても、お父さんの前に、母を再び迎えられる時代に入ったという、そのような話です。分かりましたか? (「はい。」) 父子協助時代は、お母さんがいなくてもよいのです。お母さん、女は、東西南北、三百六十度、このように回っていなかったのです。このように回ったら、皆、あるのです。文先生のことは、だれでも願うのです。分かりましたか? (「はい。」)文先生のことを願うのは、日本人ばかりではありません。韓国においても、そうです。 ですから、それから今度は、日本においても、三億六千万双の祝福式を日本の国において行うと言って、トップの人たちがこぞって、世界に向けて公文を出して、「日本においては、世界にまたとない、天下を代表した祝福式を行います。」と通知を出していたのならば、もう世界で国を持ったすべての頭たちは、「◯月◯日で三億六千万双の祝福式に参加することができます。」と返事を出していたことでしょう。 もし、そのような公文を出していたとすれば、日本は、どのようになっていたでしょうか? どうなったでしょう? それができないので、日本のために、さらに四十日までも待ちました。しかし、しかたがない。それで、四十日後、その開催地を韓国に切り返して、三億六千万双の祝福を、先生は成しえているのです。日本の国は、そのようなことを夢にも思いません。それでおしまいです、おしまい。 そのような父子協助時代を宣布したのです。分かりましたか? (「はい。」)日本の国は、行ったり、来たり、どこでも行ってしまうのです。そのような起源があるから、日本を放棄することができないのです。 それで、三人の娘の立場として三か国を立たせて、神様のほうに、仮契約をしているのです。日本が失敗した場合には、三つの島国が、その代わりを成します。その一つが何かというと、台湾です。台湾を中心として、フィリピンとカナダです。 台湾は、中国のエバ国家。中国の領土。そうでしょう? フィリピン、それはアメリカの領土。分かりましたか? (「はい。」)それから、カナダはイギリスの領土。それら三人の“女”を立たせてやるのです。お母さんが果たせなかった場合には、三人を制定して、代わりにさせる時代に、もう入っているのです。 ですから、皆さんが献金した、そのような献金。そのようなものは、本当は必要ではないのです。自分の気ままに使った、その使い残り、使い残りの物を神様にささげるというような、そのような悪辣なものは、天下にはありません。先生の世界にはありません。 日本の国とともに、アジアを加えて、神様に献納すべき、そのような日本の国であるにもかかわらず、そのようなことを思いも想像もしないその国が、エバの国になることができるような伝統的精神を持っているのですか? 歴史を通じて飾ることができるような伝統精神が、日本の国にあると思いますか、ないと思いますか? ない? ある? もう、このように、最後にはっきりと教えてあげたのです。切って、太平洋に蹴飛ばしてしまいますか? サッカー、フットボールみたいに、こうやって蹴飛ばして投げてしまいますか? それは、大変です。どう思いますか、皆さんたち? 名門の家の娘として、または奥さんとしての立場がある場合には、無謀な行動をしたなら、どうしますか? 家も顧みない、国も顧みない、そのようなことを教える所であると言って、文先生は、もう世界的な悪魔の王者としてうわさされています。日本から来るいろいろなうわさを聞いているのです。うわさをね。 そのようなことは、もう揮発油をつけて、バーン! と、マッチ一本で消してしまえることなのです。先生が投入した心情というものは、先生は自分で知っているのです。ですから、その種を、どこかでまとめなければならないので、娘の立場に立つ三か国の“島国”を結束させて、日本の代わりに埋めていこうとしているのです。 その三か国が皆、問題です。ハワイだに、使命を果たすことができなかった場合には、世界の統一教会の女性たちを一体化させて、すぐ切り返しをします。先生は、きっぱりした男です。分かりましたか? (「はい。」)真剣になって帰ってください。(「はい。」) 今、世界的な重要な位置は皆、日本人が立っています。韓国の女性ではなく、日本の女性たちが世界に出ているのです。それは、大変です。皆、ありとあらゆることを言うのです。「韓国の先生は、やはり韓国人だ。」と言っているのです。「日本人は、四十年の間ずーっと、帝政時代に韓国に圧力を加えたので、それを蕩減復帰しようとする姿を、堂々と持ち帰っている文先生だ。」と、いろいろなことを言っています。 夢にも思わないことを言っているのです。そのようなことであるとか、このような天下の秘密のことを詳細に語ってあげるのは、初めてです。分かりましたか? (「はい。」) 母子協助、分かりましたか? (「はい。」)父子協助、分かりましたか? (「はい。」)父子協助というのは、お母さんは、いくらでも埋め合わせることができます。先生の話を聞いてみると、みんな落第生ですか、及第生ですか? 君たちの舌で、口で答えてください。落第生? 及第生? (「落第生です。」) 目も落第、鼻も落第、口も落第、骨も落第、すべての細胞も皆、落第です。それを選りだして使う道はありません。種として、植えるような見込みはありません。皆、腐っているのです。しかたなく、先生は、再び次へと抱えて、妻を、お母さんを育ててくるための、この四十年間の苦労の道を歩んできたのです。 これは、四百年間でも、四千年間の苦労をしてでも、そのホームベースとなることもできない難しい国です。日本は、韓国と怨讐国家でしょう? 怨讐でも、怨讐の中の怨讐です。 日本の男性たちも、交差結婚なので、韓国で韓国人と結婚しなければなりません。怨讐みたいなその交差結婚は、妻につばをかける者もありません。神様の本音、本当の願いの、苦労の本音に報いてさしあげる、そのような基準に立って、そのことを成したのです。 文先生は、そのようなことをしなくても、日本人より以上の者を、どこでも集めて使う道は、いくらでもあります。分かりましたか? (「はい。」)女性たち。先生は、思ったとおり、希望を持って、四十年以上、蕩減の道を歩んできました。そのようにして試練を超えてきた先生が口を開けた場合、その先生の口から呪いの言葉が出た場合は、大変です。 先生は、自分をどんどん蹴飛ばすようなことをしても、何の未練もない男です。恐ろしい先生です。きっぱりしています。約束した場合、そのとおりになしていくのです。分かりましたか?(「はい。」) これは、三段階の、これは済州島の地帰島の、もう入り口に立っているのです。地帰島。母子協助! それは必要ですか、必要ではないですか? 苦労したいですか? 女性よ、目覚めよ。先生の妹になりなさい。なるか、ならないか? (「なります。」) ここの奥さんも、妹になりなさい。(マイク不良につき音声が途切れる)……大変です。約婚の娘の立場に立ったということを、忘れてはいけません。それをなげうって、神様にとっての姦夫と一体となってしまったのです。その者を再び求めて、会ったということは、恥ずかしいどころのことではないのです。何とも言いようがありません。 その立場において、威張った姿で堂々と歩くという場合、そのような姿を天がごらんになったときに、どのように思われるかと、そのことを考えないといけません。そのようなことを、先生は皆、知っているのです。お金が問題ではありません。一人が問題、一家族が問題、一族、国家が問題ではありません。 国を目標として立ててこられた神様の、悲惨なその内容を知ったら、国をいっぺんにエバから弁済しなければなりません。しかし、弁済しようとしている女性は、一人もいないではないですか? 皆さんは、教主の何ですか? 妹ですか? (「はい。」)皆さんは、未来の約婚者です。 先生の妹ですか? (「はい。」)前に約婚して、それを皆、放棄した反逆者ですか? それを、昔のように、「うわーっ、会ってくれない。」と言う、そのような不平を言うような女性ですか? それは、女でも何でもありません。サタンでも、「前の、約婚娘であった。」と言う、そのようなことはできないのです。 ですから、女たる者は、先生を慕わざるをえないのです。なぜ、皆、そうなのでしょうか? ここにいるたくさんの女性を見てみてください。皆、八〇パーセントは女性ではないでしょうか? 宗教圏では、七〇パーセント以上は、女性です。ですから、女性の訓練所です。 きょう、最後に、先生の教えるその内容に合格する者は、何人ですか? 三人ぐらい残ったとしても、それでいいのです。皆、消えてしまっても、その三人は、エデンの園、天国に入れるのですが、楽園と地獄とは別の世界で、反対の声も、その怨声も、叫ぶ悲惨な声も聞かれない。そういう悲しい声を聞かないで済む、そのような所をつくるのです。 厄介な昔、因縁があったのです。それを引きずりながら、引っ張っていくのです。それをさっさと切ってしまいなさい、というのです、今。分かりましたか? (「はい。」)なぜならば、神様が、先生に対して、“すまない、すまない”と思われるからです。 “わしが後ろを向いて、待ちに待っていた、それを文先生はやっと捜し出し、それをみんな解除して、解放圏を立てた。わしの権限では、皆さんの中から今になって、先生の前に負債を負うような者を一人も作りたくない。”というのが、神様の考えなのです。分かりましたか? (「はい。」) 神様の願うとおりにやりなさい! (「はい!」)祈ったら、そうなるのです。先生には、生涯をかけて、清々溌剌の青春期を失って、老人になって、墓場を前にして、解放と地上、天上天国解放圏を思いつつやってきた、その歴史があるのです。ですから、神様は大変です。それは、文先生を慰める道がないというのです。分かりましたか? (「はい。」) それは、ずーっと削られて、ちり箱に入れられるのですが、待っておったら、サタンも皆、ちり箱から、捨てたちりを再び溶鉱炉に入れて、それを再創造してあげるのです。そういうことがらを待つのです。待つ、待つ。分かりましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) 男性たちは、母の長男、次男にならなければいけません。分かりましたか? (「はい。」)日本の国において、孝子、忠臣、さらに親孝行どころではない聖人、そして聖子より以上の立場になるので、それは母子協助ではなく、父子協助です。そして、長男と次男が一つになり、争いがないという模範と伝統を母の国から示さなければなりません。それを母の代わりになして、それは伝統を植え込まなければなりません。 ですから、使命は長男にあります。そうでしょう? (「はい。」)今、日本では、二世、若者たちが大変です。それは、米国よりもっと大変なことになるのです。国家の中で、皆、共に殺し合うようなことが、もう始まってくるでしょう。韓国もそうです。米国は、もう遠ざかって、過ぎ去っていったのです。今から、それは後について行きます。 次男が、もっと悪い。三男は、希望がない。サタン世界では、希望はないのです。それは、滅亡です。原理は、そのようになっています。神様の主管圏の世界は、そうならざるをえません。いくらもみ合って、反対に抜けようとしても、もう抜けられる道はありません。抜けられる道があれば、先生は、このような苦労をしません。 日本は怨讐国家でも、その日本人から誘惑されるようなことは、絶対されません。しかし、しかたないからといって、しかたない態度でやったらだめなのです。先生は、それはもう二重三重の精誠を尽くして、日本を立たせていく決意をして、今まで一心不乱にやってきたのです。 先生が、日本人に対してなした待遇は、これ以上ない、言葉で表すことはできないほどのものです。しかし、それに対して、先生に勝る歴史を残し、先生に勝る精誠を尽くして、日本人として先生を迎えることのできた者たちは、一人もいないのです。分かりましたか? (「はい。」)分かりました、分かりませんでした? (「分かりました。」)分からなかったら、分かってしまいなさい。(「分かりました。」) 金をもって、何をするのですか? 子供をよみがえらせることができますか? 娘をよみがえらせることができますか? 奥さん、母を復活させることができますか? 世界を生むためには、母の血と汗と骨髄までを溶かして子供に投入する、そのような母でなければ、親孝行の娘を育てる資格はありません。国に対する忠臣者を育てる資格はありません。 聖人、聖子たちを育てることのできる、母としての使命がないはずなのに、それ以上の祝福権限に立って、思いもよらない、姿も形も取らないようなその者は、愚か者の中でも、さらに愚か者です。ばかは……? (「死ななきゃ治らない。」)死んだら、どうしますか? (「地獄に行きます。」)地獄も行かれません。無抵抗。そのような時代になります。 神様は、再びもう、地獄で嘆くその怨声、そのような声を「再び聞きたくない。」と言われるのです。先生を解放、すぐ処置するのです。(マイク不良につき音声が途切れる)……それを見ながら、退治をする手を、こういうことができなかったのだから。先生は、霊界は、すぐ切り替えする。そのような先生は、恐ろしい男です。分かりましたか? (「はい。」) このようなことも、皆さんが帰る間際にも話をするのです。先生も、七時から七時半になったら帰らないといけません。ですから、何を珍しがって、このようにぐだぐだと語ってあげる必要もありません。夏ですから、指導して、それはもう、皆さんが帰っていくならば、コカコーラ一杯ずつ飲ませて「帰りなさい。」と言えばいいのです。(笑い) 先生が、呼んだのではありません。君たちが、(マイク不良につき音声が途切れる)……もう分からないように、それはもう、来たかったら、来てみてください。先生は、いるかいないか、分からないと思うのです。(笑い)来てみてください。“来るだろうな。”と思っていても、こんなにたくさんの者が来るとは思いませんでした。皆さんの出身の県で、抜けている県がないでしょうね。 さあ、お別れしましょう。別れても、先生は、はっきりと教えました。分かりましたか? (「はい。」)そのまま行きますか、「回れ右」をして、その場に立って、回りますか、回る途端に走って、先生の行く道の前に立ちますか? 道は、それ一本しかないのです。 恐れてはいけません。(笑い)このような内容なので、食口ではないですか? ですから、しかたがある、しかたがない? しかたがないではないですか? (「しかたないことです。」)しかたないことではないですか? ですから、しかたない立場です。また帰って、そのまま、先生は回れ右をしました。百八十度変わってしまいました。先生の前に、先生を蹴飛ばしていかなければいけないのです。指導されないようにするのです。先生の苦難の道を、自分たちが先頭を切って、それは、もう“責任を持つ”という立場で行かなければなりません。先生の前に、先生のいる前に行って立って、「すみません。今からもう一回、赦してください。」と言えるはずがありません。(マイク不良につき音声が途切れる) ……先生は、そのような準備をさっぱりと満たしています。先生がこのように発表した、そのような内容は、もう永遠に歴史に残るのです。ですから、先祖である皆さんたちが、そのとおりにしなかった場合には、その者は、後孫において、皆、引っ掛かってしまうのです。恐ろしいことです。 もし、信じなかったら、やってみてください。霊界に行ってみてください。皆さんが、日本全体が皆、引っ掛かってしまうのです。例えば、母が誤った場合、一家を滅亡させるのです。そうでしょう? 旦那さん(マイク不良につき音声が途切れる)……子供があったら、 舅 家全体、部落全体が……(マイク不良につき音声が途切れる) 母の罪、奥さんの罪、娘の罪、三人のうちのだれか一人がやっても、一家族の恥となり、それはもう、即座につながってしまう。そのような伝統的な歴史を持っています。サタン世界も、そうではないですか? 先生の話は合っていますか? (「合っています。」) ですから、二世として入った男の子たちは、「お父さん、お母さん。何をやっているのですか? 先生は、まさしく真理、蕩減復帰原則を言ったのに、なぜ今、泣いて、そのような態度をもって、今まで先生から聞いたこと、語られたすべてのことを完成せずに、そのような不完成の末端圏に立って、悲惨な姿をなしているのですか? 母ちゃん!」と、攻撃してくるようになるのです。分かりましたか? (「はい。」) 二世を覚醒させなさい。母より以上に。皆さんの娘のほうが、何十倍の十字架の道でも、垂直に行くことができます。そのような決意を固めて、一家で、会議でもって決定しなければなりません。そのような運命、宿命的な日が来ました。分かりましたか? それで、先生は詳細に教えるのです。過去は、母子協助時代でした。今は? (「父子協助時代です。」)間違いないのです。母がいなくても、休めます。ですから、お母様は、今まで、先生を休ませるのです。もう、五年前から、そのようなことをやっています。そうして、「願うことがあったら、やりなさい。」と。 お母様は、どこかの食口たちが、お金がないというので、それでいろいろな物を買ってあげたということが、たくさんあったのです。そのようにして、皆、買ってあげました。それで、買ってあげるお金がないから、自分の着物まで、それも肌着まで皆、脱いであげるのです。かわいそうなお母様。 ですから、母の国の日本が肌着を脱いで、世界のために、もっとそのようにして愛する伝統を持つべきなのです。それは、日本、世界のこともそうであるし、カイン、アベル紛争圏についてもそうです。 国が協助したならば、それは外務省が責任を持って、いかなる宣教師でも、国を挙げて奉仕することができるようにしなければなりません。そういうことを教育すべきなのが、日本政府の使命であるのに、反対の使命をしています。 逆に、混乱する、そのような日が遠くないのです。めちゃくちゃになることでしょう。先生が打ちかけた場合、大変ですよ。そのような場合、日本政府はぺっちゃんこになります。何をやっても詳細に分かるのです。そのような保護を、先生が責任を持って、皆、解除してあげているのです。 そのようなことを先生自身の重荷として背負ってきたのが、文先生の四十年間の歩みです。敗北し、草までも皆、焼かれてしまった日本が、四十年の間に、天下の、それはもう世界の金持ちの国になったということは、その背後にそのような歴史があったということを知らなければなりません。 文先生が母の国と任命したのですから、英国を通して西洋文明圏を伝え、アングロサクソンである英国と米国を中心として、それらを皆、日本に連結したのです。 ですから、今、日本は米国以上でしょう? しかし、今からそれは、米国の資金が皆、いっぺんに取られたときには、日本の国のお金持ちは、空っぽになるのです。それを知っていますか? 知っている? (「はい。」) 先生は、米国で政府を動かすような力があるのです。中共でもロシアでも。恐ろしい男です。いつ、それを使いましたか? 先生の思想は、恐ろしいのです。(マイク不良につき音声が途切れる) 共産主義を壊滅させた場合には、それ以降に復活させる道に責任を持たなければ、それは悪辣の王子、指導者ということになります。聖人の中の聖人は、死んだ後においても責任を執らなければなりません。 歴史は、もう明らかであり、そのようなことも啓蒙してきたのにもかかわらず、文先生が歴史に責任を持って、人類皆に対して責任を果たすべき公的な立場を持っているとすれば、それは、滅亡した後のロシアをどのように処理するかについて、責任を執らなければならないのです。 それについては、ずーっと、最高の……。ロシアの文部長官が、先生がロシアを離れる十五分前に訪問してきました。そして、「大変なことがあったのですから、文先生、会ってください。」と言って、大変でした。ですから、「君、何だ? 文部長官が、なぜ来たのですか?」と聞きました。その人は、最高レベルの責任者なのです。 こちらから「何ですか?」と聞くと、「あなたは、共産主義打倒の一番の魁首であり、そのような運動の世界的先頭としてやってきた人物です。ですから、その思想は、もうKGB(旧ソ連の国家保安委員会)で、私たちが出会ったときよりも昔から、八年前から勉強、研究していたのです。」と言うのです。分かりましたか? どうせ共産主義は、文先生の理論に負けるようになっているのです。どんな主義でも、そうです。それは分かります。しかし、それらが負けた後に、いかに収拾するかが重要です。それは簡単です。「ために生きなさい。」これが答えです。 神様の理想の愛と、その愛の世界。愛をもって奉仕していくのです。愛は、独りでは、自分独自では、愛の世界を得ることはできません。そうでしょう? 神様ご自身においても、そうです。理論的にこうなのです。(マイク不良につき、しばらく音声が途切れる) 文先生は、並々ならぬ男です。日本の歴史において、いくらそれはもう、風に語って、高めて、高く上げていますけれども、日本の女性には、文先生みたいな男は、もう、思い出すことができないのです。分かりましたか? (「はい。」)正しい内容をはっきりと教えてあげたのですから、はっきりした娘と、はっきりした約婚者、はっきりしたお母さんになってもらいたい、というのが、そのような内容を提示した先生が、そのようにして並んで帰って行く皆さんに対して願う気持ちです。 ですから、そのようにして結果を立たせて、再び帰ってくるのですから、もう一回、この済州島で、また新しい希望の言葉を伝えることがあるかもしれません。(拍手)お、お、お、お。拍手は後です。(笑い)見事、なして帰ってきて、拍手で迎える日を願うのであったら、もう一回、会って……。 そのような日本人には、会わなくてもいいのです。米国でも、「文先生。うわー、もう、韓国とかアジアへ行かなくてもいいです。」と言うし、英国でも言うのです。皆、自分たちで手配を済ませて、「何でも、よろしゅうござんす。」と言って、世界どこでも、「別荘を用意いたします。別荘は、国が保護してあげますから。」と言うのです。 北韓でも、そのように文先生と緊密です。北韓では、りっぱな別館を先生にくれると約束しているのです。今、そこに行ってもね、金正日総書記は、言わば、先生の甥の立場になります。ですから、先生が行けば、「おーい、金正日君。じいさんが帰ってきた。じいさんが帰ってきた。」と言って、「あなたのお父さんの言ったとおりに、それを成せばいいではないの。」と言うのです。分かりましたか? (「はい。」) このように話を聞いている間は、気持ちが悪かったのだけれど、「もう一回、会うことができるかもしれない。」ということを言ったのですから、希望の朝になりますね。(拍手)はい。 歴史が、もしも血を見るようなことになった場合には、大変なことになるのです。ですから、歯を食いしばって、先生の前に、生涯、“血を流されるのは見たくない”と思って、頑張らなければなりません。今でも悪辣な怨讐が、たくさん前に並んで反対したとしても、“知らない”といって、聞かなければよいのです。分かりましたか? (「はい。」) “先生が不必要だ”という者、手を挙げてください。“先生が絶対に必要だ”と思えば、座っていないで、うわーっと、いっぺんで立ってください。手を出してください。(「はい。」) (マイク不良につき音声が途切れる)分かりましたか? (「はい。」)日本を抱えて、先生の所ではありません。日本人を覚醒させてください。(マイク不良につき、しばらく音声が途切れているため一部省略) 先生の気持ちは皆、そうです。このような歴史にまたとない秘密の内容を詳細に教えてあげました。それは、天国に行って、先祖たちとともに、聖人たちとともに、その前で教えるべき内容です。 これを、日本の信じられない者たちを前にして、詳細に教えたのです。父子協助と母子協助が何であるかということを、はっきり分かりましたか? 「分かります」、「分かりません」、どっちですか? 「す」、「せん」、どっちですか? (「『す』です。」)もう簡単にします。「すー。」(笑い) それでは、先生の願ったとおりに願うということになりますが、皆さんが、「ここにおいて願ったとおりになしえたのか?」と言われたときに、自分の実績、行動いかんによって、それは左右されることになるので、この場で先生は、命令のように言いたくないのです。 今、伝統と国を授けてあげる時代が来ました。日本のメンバー。りっぱな子供、りっぱな奥さんたち。今朝、はっきり分かりましたね? 済州島という地名は、州はどこでも島でも国になり、島といっても、それは島国ではありません。これは、未知の言葉です。「サイシュウ」ではなくて、「サイシ」ならば、「祭司」になります。それが済州島です。それは、祭司長になるための島。そのように、ぴたっと考えれば、もう何人もの人が、大使をするでしょう。分かりましたか? (「はい。」) 分からなかった者は、手を挙げてください。もう、いないではないですか? 全部分かりましたか? (「はい。」)先生は、もう、頭がぼやーっとして、分からないのに。(笑い)それではもう、生気溌剌として、うわー、一、二、一、二、三、四と、そのようにしてみてください。(笑い)両手と両足、四肢を上げて、万歳をして。一、二、三、四、それでは、一、二、三、四、ばんざーい。(「ばんざーい。」)(拍手)(真のご父母様に敬礼)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.21
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第五回「七・八節」敬礼式後の御言成約九(二〇〇一)年八月二十五日(陰暦七月七日)、韓国・済州国際研修院 真のご父母様は、第五回「七・八節」を韓国の済州島で迎えられました。この日、午前七時からは敬礼式が行われ、真のご父母様の敬礼、真のご子女様の敬礼、各基台ごとの敬礼、「家庭盟誓」の唱和の後、真のご父母様が祝祷をささげられました。その後、引き続き「訓読会」が行われ、「訓読会」の後、真のお父様が登壇されて、集まった教会員たちにみ言を語られました。 祈祷 愛するお父様。きょうは、二〇〇一年八月二十五日です。この日は、「七・八節」を設定してから五回目を迎える記念行事の日です。 七数完成を願う創造理想がふさがれたので、この日を立てるために、真のご父母様を中心として、七十七歳の一九九七年七月七日(陰暦)、七時、七分、七秒を中心とする「七・八節」を終えました。 六数の堕落によって、七数の安息圏に越えることができませんでしたが、真のご父母様の生涯を通して、そのすべての境界線を乗り越えて蕩減復帰し、天とともに七数完成の理念を中心とした、「七・八節」という「天地父母天宙安息圏」定着を宣言することができました。このような時代を迎えるようにしてくださったお父様のご苦労に感謝申し上げます。 歴史時代を経ながら、蕩減の“道なき道”を歩み、幾重にも連なる峠を越えるための受難の歴史を経てまいりました。その中で、数多くの宗教と、数多くの善なる人々の血の痕を連結させた祭壇を集めて、個人を超え、家庭、氏族、民族、国家、世界まで超え、旧約時代は万物が祭物となり、新約時代は子女が祭物となり、成約時代は父母が祭物となる時代となりました。 その過程を経て、サタンの恨みに満ちた怨恨の峠によって包囲された包囲網を貫き、それを乗り越えることができる新しい「七・八節」という七数完成と八数を立てる名節によって、一つの境界線を設定いたしました。 そのことによって、新しい世界と新しい摂理の完成世界に向かって越えていくことができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を、お父様の前に感謝申し上げます。 歴史時代の数多くの宗教や教主たちを通して、善なる良心的な人士たち、自らの国に忠孝の道理を立てるために犠牲になったすべての者たち、また、聖人、聖賢たちの労苦と犠牲の代価を清算し、新しい解放の祝福を中心とする「七・八節」を迎えました。 そうすることによって、天上世界の家庭的王圏、民族、国家的王圏、世界的王圏、三百六十万双を超えて、三千六百万双、三億六千万双まで成し、全人類をあなたの愛の懐に抱くことができる解放的権限として集結させてくださった恩賜を感謝申し上げます。 祝福を受けた群れを中心として、天上世界の解放を中心として、聖人たちの糾合と、霊界の新しい神様の愛の主権を中心とした主流の行路を開拓することができるようにしてくださった、お父様の恩賜の前に感謝申し上げます。 それと同伴し、地上のアダム家庭を中心として失ってしまった祝福の恩賜を、地上において取り戻すために、天上世界のカイン的なすべての先祖の祝福圏を糾合し、天上の主流的な一つの方向を設定いたしました。 それと同時に、地上に一つの主流的な方向が定まり、一体圏として個人から天宙史まで、平面的途上において、このことを完結することができるようになりました。そのような時代的恵沢を受けることができ、全天宙的恩賜の時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 今、神様の王権樹立を中心として、準備された一切のものが実を結び、今年の一月十三日を中心として、神様の王権即位式を中心として、天地統一解放の宣布をすることができる時代を迎えるようにしてくださったことを感謝いたします。 今から神様の生命的愛を中心として、全体、全般、全権、全能の行使として、悪なる世界のすべての障害物を越えてはまた越えて、自由的な自己主張の立場で天下を治めることができる主人として、信奉することができる家庭的王として、国家的王として、世界の王として、天地父母に侍ることができるようにならなければなりません。 そのような“侍奉”の環境的条件を整備することができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を心から感謝いたします。 今回、この済州島において、統一家のすべての若者が受ける十四日修練の期間に、共に、この日を迎えたことをより一層感謝するとともに、すべてのみ旨の中で疑わしく思ったことをすべて越えて、人間が解決できなかった困難なことをすべて解決し、勝利の覇権を相続することができる解放的本然の息子、娘の権限を持った家庭的中心を、この地上に立ててくださったことを感謝申し上げます。 この家庭によって、中心氏族、中心民族、中心国家、中心天宙として、神様の心情的直系の系統を備え、神様の天民であると同時に、天の王権を相続することができますように。 そのような血統を受け継ぐことができる祝福を受けた天地の家庭となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 今回の期間を通して、新しく転換される時代を迎え、解放された主人の立場においてのみ、あなたの愛によってつくられ、所有された宇宙、すべての万物を再び相続して、愛の主人となることができ、自然世界の全宇宙の前に不足ない主人となることができ、中心存在として恥ずかしくない行路を備えることができますので、そのような個人と家庭と氏族、民族、国家を、超民族的に形成することができますよう、そして、天の祝福が、全地球星に臨むように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 きょうのこの記念日を、より一層感謝しながら、この日以降に成されるすべてのことを、毎日、毎日、喜んで歓迎しながら、前進的勝利の結果を、お父様のみ前に奉献してさしあげることができますように。そのような“侍義世界”に転換することができるように許諾してくださいますことを懇切にお願いしつつ、きょうの慶祝の日を祝賀する意味で注がれる天の大きな祝福が、万民の前に、天宙の前に滞りなく臨むよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 そして、愛を中心として、絶対個人、絶対家庭、絶対国家、絶対天宙に前進、前進、前進、勝利、勝利、勝利、覇権的世界に前進しなければなりません。真の父母の名によって祝願いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 み 言 救援摂理とは、創造理想を完結させるものです。神様が創造理想を完成されるということは、どういうことなのかといえば、皆さん個人を中心として、神様の真の愛と真の生命と真の血統の因縁を決着させることであり、そこで種となり、その種が家庭になり、家庭の種が氏族の種になり、氏族の種が民族の種になり、民族の種が国家の種になればよいのです。それが結論です。 ですから、神様の創造理想の実現というもの、また、今まで、この地上で救援摂理を通して取り戻すことを願ってきたものは、すでに創造前から神様の計画の中にあったものであるということを、皆さんは知らなければなりません。 それでは、神様ご自身の立場に立ってみるとき、神様ご自身を中心として、神様は、「わたしである。わたしの物である。」と言われるような、このような論理が始まらなければなりません。 神様を中心として見れば、神様は、「わたしたちである。わたしとあなたである。」と言われることのできる三対象圏を必要とされるのです。このような問題を中心として見るとき、それは、何を中心として始まったのかといえば、神様の愛を根拠とし、神様の生命と神様の血統を根拠としているという事実を知らなければなりません。 ところが、堕落とは何でしょうか? このような理想とは、全く関係がありません。神様の愛と神様の生命と神様の血統と関係がないので、そこには、“神様”という観念的意識が定着することのできる何ものもありません。これが問題です。 ですから、救援摂理を通して、蘇生時代である旧約時代には、万物を通して覚醒させ、新約時代は、自分の直系の子女を通して覚醒させ、そして、成約時代は、父母を通して覚醒させるのです。 それでは、その内容とは何でしょうか? 神様が本来、「わたしである。」とおっしゃることができ、「わたしの物である。」とおっしゃることができる状態が、本来の創造理想です。それから、神様だけではありません。神様が、「わたしたちである。わたしたちの物である。」とおっしゃることができる状態でもなければなりません。それは何かというと、創造理想……。 “私”というものは、男性と女性を中心として違いがあります。“私”は、個別的な価値が異なるのです。 例えば、女性として「私」と言うとき、神様が、その“私”を“私”として認定することができる内容を、自分が受け継いだのかどうか、ということです。その“私である”という主張を、どこからしたのでしょうか? それは、簡単なことです。今までは、堕落した世界の韓国国民であり、今まで、その教育を受けた歴史的な伝統や、家庭や、国家的伝統を通して“私”という意識を持ったのです。ですから、創造理想的意識圏に立つことができ、神様ご自身が、「わたしのものである。」とおっしゃることができるものとは、関係がないのです。いつも、そのことを考えなければなりません。 ですから、今、持っている“私”という概念は、本来の創造理想にはないものなので、完全に否定されなければなりません。神様が、「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様の愛と生命と血統を中心として、個人完成圏を中心とした男性と女性が、一つになって家庭完成圏を中心とするようになるとき、その家庭を中心として、神様は、「わたしたち」とおっしゃることができるのです。 それゆえに、神様を中心として見るとき、神様が「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様が父であられ、人間が、その子女であるという父子関係、夫と妻という関係、兄弟という関係から「わたしたち」という関係が成立するのです。 上下関係、左右関係、前後関係、これがすべて東西南北の球形を形成し、その全体を代身する私たちの代表的存在が、“私たち”なのです。それは、個人でも同様です。 それで、皆さん自身が“私”、完全な“私”になっているのかということが問題になるのです。それは、神様が公認されることができる“私”ということなのです。そのようになろうとすれば、神様の愛と神様の生命と神様の血統と、絶対的な関係ができていなければなりません。それが主流でなければなりません。 “私”とは、神様の愛を受けることができる息子であり、神様の生命と結託した息子であり、神様の愛と生命を通して、永遠に神様の所有圏となる家庭になり、そこから神様の国、神様の世界まで連結させることができる因縁を結んだ“私”なのです。“私”という概念は、そのようになっていなければなりません。 今日の堕落した皆さんが、「私である。私の物である。」と言うのは、すべて偽りです。それは、すべて虚言です。通じません。 ですから、皆さんがいつも備えなければならないことは、“私”であり、神様が求める“私”というものは、神様の愛の中で結実した“私”であり、神様の生命の中で結実した“私”であり、神様の愛と生命が結託して、血筋によって結託した“私”なのです。 そのようになろうとすれば、“私自身”は、どのようにしなければならないのでしょうか? 神様がごらんになるときに、心と体が絶対的に一つになった“私”でなければなりません。「神様が“動機”であられるならば、自分は、過程を経た“結果的存在”であり、それは間違いない。」と言うことができる“私”です。そのような“私”という意識を持つことができなかったのです。 それゆえに、この革命的過程を経ていくうえでは、堕落によって因縁を結んだ天地のすべてのものを完全に否定しなければ、本然の立場に戻っていくことはできないという事実を知らなければなりません。分かりますか? 蕩減復帰です。戻っていこうとすれば、蕩減復帰です。神様が構想された内容を中心として、神様が「わたしである。」と……。神様ご自身の立場から見れば、神様が「わたしである。」と言われるとき、心と体が一つになった立場で、“私”を立てようとされたのです。分かりますか? それでは、今、皆さんが、「私の物である。私である。」と言うとき、皆さんの心と体は、一つになっているのですか? これが問題です。これが大きな問題なのです。哲学的な観点や、あるいは思想的な観点や、現実的状況や、歴史的な伝統から見れば、これは、大きな問題なのです。 “私”の主体性を、どこで立てるのかというとき、“私”は、神様の愛と生命と血統が一つになった“第二の神様”の立場に立つ、そのような立場であり、神様が「わたしたち」とおっしゃることができ、いつでも心と体が一つになった立場に立った息子の立場、娘の立場にいなければなりません。 その息子、娘が、堕落せずに完成して、神様の代を受け継ぎ、「私たち」と言うことができる家庭的基台を中心として、それを越えて孫を愛することができる立場にまで行って、初めて神様の家庭が成立するのです。神様が、その立場に出ていかれることができず、孫をお持ちになることができなかったので、神様の家庭が成立しなかったということを知らなければなりません。分かりますか? ですから、「私」という言葉は、「神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった愛と生命と血統が連結された絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた“私”である」という、このような意識になっているのかということが問題です。 最も重要なことは何かといえば、蕩減復帰でも何でも、すべて成し遂げて、すべてのものを完成させたというとき、皆さんがこれを完全に相続するためには、神様の位置に立ち戻らなければならない、ということです。 神様が「わたし」とおっしゃるとき、神様の心と体は、分裂していません。永遠の神様は、愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体であられるので、神様も、“永遠に不可分の一体的基準に立っている”というコンセプト(概念)を中心として、“私”ということを主張されたということを忘れてはいけません。 それは、いくら難しく、いくら苦痛の立場にいたとしても、否定することはできません。その立場に立って、消化しなければならないのです。それが、神様の立場であられるということです。 神様が、「わたし」とおっしゃるとき、神様は、お父様の立場に立たれた“私”であられるのです。ですから、そのお父様のみ前に、本当の息子、娘の立場に立って、神様が、その者をごらんになったときに、「わたしたち」とおっしゃることができる、そのような息子、娘はだれなのか、ということが問題です。 本来の神様の創造理想の愛と生命と血統の種であり、完全に心と体が一つになった家庭を持つ前に、神様のような“私自身”にならなければなりません。しかし、自分自身を見れば、その今現在の姿が問題です。二つになっています。心と体が闘っているのです。 蕩減復帰の完成と、天国に行って完成すべきこと、そして整備すべき問題すべてが、このことに懸かっているのです。それが何のことか、分かりますか? “私”が、どこにいるのですか? 神様の真の愛を否定し、真の生命と真の血統を否定した、堕落の後裔としての自分自身を主張する“私”は、間違いなく、神側の愛と生命と血統の因縁とは関係がないのです。それ自体が、否定に否定を受けなければならない悲しい自らである、ということを知らなければなりません。 いくら幸福で、“自分は幸せに暮らしている。”と思っていたとしても、その立場は、希望の根本、希望の気運を忘却した立場であるということを、はっきりと知らなければなりません。“私”はどこにいるのか、“私”をどこで捜し出すのか、というのです。 ですから、(今まで)“私”を守ってくれた歴史的な蕩減の峠を越えていかなければなりません。越えていかなければならないのです。その世界に、個人も到達しておらず、家庭も、氏族も、国家も、世界も、どのような主義、思想も越えることができなかったので、“私”とは、何の関係もありません。 そうであるにもかかわらず、そのようなことを中心として“私”を主張するという事実は、自体が矛盾しているという事実を、さらに重ねて否定することになります。それでは、永遠に希望がないということを知らなければなりません。それが問題です。 本然の世界に戻っていって、どうするのですか? 神様が、「わたしである。」とおっしゃることができる、その主体の前に、愛は変わることはできず、生命も変わることができず、血統も変わることができない、そのような一体圏から抜け出すことができないのが、“私”という立場なのです。それは、結実と同じ立場に立った“私”なのです。 ですから、「私である。」と言うときには、心と体が、完全に統一されていなければなりません。それでは、“自分は、そのようになっている”という人は、手を挙げてみてください。最後の、この終わりの日になって、先生がはっきりと教えてあげるのです。先生は、このような問題で、だれよりも苦心した人です。 体はこちらに行こうとするのに、心は、それとは反対の方向に行くのです。心と体が闘う最後の境界線は、どこですか? これは、個人から地獄世界まで連結されているのです。 永遠の恨を抱かれた神様を、囹圄(囚われの身)の立場に立たざるをえないような悲惨な姿にしてしまったのですが、その環境的条件が、“私自身”を中心として結実しているという事実です。それにもかかわらず、神様に対して「お父様」と呼び、その神様から福を受けようとするのですから、これほど矛盾した事実はありません。そのような宗教は、撤廃されます。すべてなくなるのです。 “私”が、どこにいますか? “私”を捜し出しましたか? 神様のみ前に、神様が「わたしである。」とおっしゃることができるようにしようとすれば……。神様の心と体が闘いますか? 闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」)それに反して、皆さんは、このままでは、まるで悪党の息子、娘です。 それは、二つの世界を持っているという事実です。先のとがった両刃の刃物があれば、刃は両面についていますが、それは刃先に行くに従って、一つになっています。そのように、最初の出発は、一つです。そして、一方の刃が、こちら側の面を代表し、もう一方の刃が、また一方の面を代表しているのです。 ですから、刃が両面にあっても、それが一つになっている、その両刃の刃物のように、心と体が一つになれば、二つの世界が願う一つの“私”となることができるのです。 その概念というものは、絶対愛の因縁と絶対生命、絶対血統を受け継いだ、不可分の一体圏に立った“私”なのです。そのような“私”を、どのように形成するのでしょうか? これが問題なのです。 蕩減路程……。蕩減路程は、だれでも最後まで行くことができますが、問題は、最後の自己整備をどのようにするのか、ということです。 このような問題について考えてみるとき、最近の“総生畜献納”についても何についても、これを中心として、ぼろきれのふろしきに入っていって、ごそごそかき回すような者たちは、天国でもどこでも、行くことはできません。 先生は、この復帰路程を蕩減復帰するために、このような思考、このような思想、このような哲学的思想の根拠を中心として、神様が公認なさることができる出発の起源を築いたのです。それでは、その道を行く途上において、本当に先生の味方になることができる人は、だれですか? 母もいなく、父もいなく、だれもいません。何のことか分かりますか? 「私」という言葉を主張することのできる根拠は、どこにあるのですか? 神様が万物を創造された、その場です。そこでは、心と体が一つになって創造されたでしょう? 絶対愛であり、絶対信仰であり、絶対服従であり、そこでは、“自分が利益を得よう”、“自分の利益を得よう”という考えはありません。 真の愛というものは、自分から捜し出すことはできません。真の愛は、必ず相対を得て成立するようになっているのであって、自分ひとりで得られるのではありません。いくら神様であっても、自分一人で真の愛の理想を成し遂げることはできないのです。それは、相対を得ずして“私たち”になることはできない、ということです。分かりますか? ですから、神様には、“私たち”が必要です。目に見えない神様ご自身におかれては、心と体が一つになっておられ、“私”ということを主張することができる立場にあられるのですが、それだけではだめです。心と体が一つになった神様ご自身は、認めることができますが、“私”一人では……。 今、皆さんの心と体は、堕落したために一つになっていませんが、堕落していなければ、本然の“私”になっていたのではないですか? “私”になっていたのです。それは、“私たち”ではありません。男性なら個別的な男性であり、女性なら個別的な女性です。二人が一つにならなければ、「私たち」という言葉は成立しません。 まず、縦的な面に立った“私たち”というものが成立しなければなりません。父母というもの、父子関係、夫婦関係です。父子の関係が成されなければ、“私たち”になりません。 それでは、その男性と女性を、どのように処理するのでしょうか? 神様は、縦的関係において、愛、生命、血統を中心として、“私たち”という概念の関係を結ぶことができますが、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を立てるのでしょうか? 神様を中心として縦的基準は成立するとしても、「私たち」と言うことができるようになるためには、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を持てばよいのか、ということです。縦的基準は、縦的関係において「私たち」と言うことができるのですが、男性と女性の一体圏を、どのように主張するのかということが問題なのです。 それゆえに、男性と女性の個別層を中心として、完全に一つになった“私”を立てて、その“私”が、神様が「わたしたち」とおっしゃることができる位置まで訪ねていくのです。 しかし、垂直的な“私たち”だけでは、家庭はできません。左右関係の“私たち”、さらに、前後関係の息子、娘まで、三代を連結させなければ、“私たち”の家庭は成立しません。家庭が成立しなければ、すべてなくなるのです。そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 家庭がなければ、すべてなくなるのです。ですから、上下関係の父子関係、左右関係の夫婦関係、前後関係の兄弟関係がなければなりません。これが三代です。三対象目的がなくなるときには、すべてなくなってしまうのです。“私”も“私たち”も、何もありません。 そのような家庭を中心として連結された多くの家庭が氏族となるのであり、そのように家庭が氏族として連結され、数多くの家庭が結合したその氏族を中心として民族となるのであり、民族も、数多くの家庭を包んで連結した民族を中心として、国家形態ができるのです。 ですから、“私”、“私たち”……。この“私たち”の中には、全体が包括されるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)子女と父母を否定することはできません。否定すれば、何になるのですか? 真なる父母の愛と生命と血統が、連結されていなければなりません。すべて、そうでしょう? どの息子、娘でも、全員そうなっているでしょう? そうなっていますか、なっていませんか? その父母の愛と父母の生命と父母の血筋が連結されています。自分一人ではありません。 “私”がどこにいますか? 父母が、自分の愛と生命と血統を訪ねていっても、それは、ありません。“私”を育てて、“私たち”を根づかせなければなりません。それは何ですか? 家庭です。“私たち”の家庭です。「私たち」という言葉は、家庭基盤の上に形成されるのだということを知らなければなりません。分かりますか? そのようにしようとすれば、どうすればよいのでしょうか? 父子の関係、孝子、忠臣、聖人の父子の関係、それから、夫と妻においても、その関係は、宿命的関係である父子関係と同じように、男性と女性は、永遠に変わらない宿命的関係です。愛の秩序と生命の因縁と血統の因縁を自由自在に引っ繰り返すということは、永遠にできません。 今日の堕落した世界は、“亡国の種”です。この世の中で、ちやほやされている女性たちは、全員、浮気者たちです。そこのどこに、“私たち”がありますか? 今、文総裁が言う「私たち」という言葉が分かるでしょう? 彼女たちに“私たち”がありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありません! そのような者は、神様が捜し求められた“私たち”とは、一切、関係がないということを知らなければなりません。自分のことを鼻にかけている人たちが、自分の概念や自分の考え方、あるいは環境的要素を中心として、いくら環境的に家庭的垣根を中心とした部落を築いてみたとしても、それは、神側から見た“私たち”とは、何の関係もないのです。“私”とは、何の関係もないということを知らなければなりません。 それゆえに、根本的な清算問題を解決していないので、神様の愛との関係、生命との関係、血統的関係を再検討して、再整備することができる“私”を捜し出すことが、何よりも急務であるというのです。 このように話していては、切りがありません。“私”という概念、それは、主張できません。ここにも、「だれだれは、りっぱだ。」と言われるような人はいますが、そのような人でも、“私”を主張することはできません。「私」と言うときは、まず、父母の前に恥ずかしくないように、心と体が一つになっていなければなりません。 父母が愛するとき、その愛によって、父母の生命と血統が連結されるときには、“私たち”になることができる家庭のために連結されるのであって、“私個人”のために連結されるのではありません。そうですか、そうではないですか? ですから、“私”ということも、“私たち”を立てた立場において、“私”を主張することができるのです。そこで、“私”が必要なのです。それは、なぜでしょうか? “私”は家庭を形成することのできる要素となっており、家庭が“私”の母体になっているので、“私”には、家庭が必要なのです。それが男性であり、それが……、何ですか? (「女性です。」) それが男性という存在であり、女性という存在なのです。それらの存在は、何をするのですか? 神様は、縦的関係であり、男女は二次的です。その横的関係において、愛の関係、神様の代身の愛と代身の生命……。男性と女性は、神様の代身生命体なので、この新しい血統を中心として、第三代を産出するのです。 それは、神様がアダムとエバを創造されたことと同様です。そのように、第三の“私”をつくるための中枢的機関が結婚なのです。結婚が、どれほど恐ろしく、どれほど怖いことでしょうか? そこで天下が蘇生し、天下が滅びるのです。そのように、すべての興亡の基礎になっているのが、家庭です。 ですから、連れ添っている男性と女性に、「あなたの夫が、世界や神様よりもりっぱなことを願うでしょう?」と言えば、「そうです。」と言います。願う基準は、神様よりもりっぱなのです。 神様は、縦的関係によってのみ存在しておられるので、男性と女性のような横的関係は、結ばれていません。男性と女性が成長して、成人になった後に横的関係まで結び、息子、娘、生命と愛と血統が一か所に結ばれるのが結婚するということです。それが、結婚して関係を持つ初愛です。 初愛をすることによって、男性という骨董品と女性という骨董品に、“私たち”の基台が生じ始めるのです。しかし、そのままでは、できません。息子、娘がいなければ、なくなるのです。なくなりますか、なくなりませんか? なくなるのです。 ですから、絶対に必要なのが息子、娘です。そして、男性に絶対必要なのが女性であり、女性に絶対必要なのが男性です。なぜでしょうか? これが、“私たち”の家庭を成立させる絶対的な要因なので、男性の前には女性が絶対に必要であり、女性の前には男性が絶対に必要なのです。 そこで、絶対に必要なものが何ですか? それが何ですか? 女性のそれ、男性のそれが何ですか? (「生殖器です。」)生殖器です。結婚とは何ですか? その主人を訪ねていこうとするものではないですか? そうでしょう? 男性のものは、女性が主人です。男性の生殖器は、女性が主人であり、女性の生殖器は、男性が主人です。入れ替わっているのです。これは、驚くべきことです。この法に背く人はいません。そこに、○×を適用することはできません。○なら○であり、×なら×です。自分たちでどうすることもできません。 これは、公式です。それが嫌だという人は、一代で“私”という価値や、“私たち”という概念、国家概念を持ったとしても、それは、すべて無駄なことです。真夜中のような地獄の暗闇に入っていって、苦しむ群れになるのです。そうかそうでないか、行ってみてください。分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」) この手というものは、一つにならなければならないのではないですか? 手は、片方だけで働くことができますか? 右利きの人は、右手に力があって、それで何でもすることができますが、それでも、やはり左手が必要です。ですから、神様がいくら絶対であられても何であられても、それと同じことです。二つが助け合って、初めて音が鳴るのです。(手の平をたたき合わせられる)いくら一人で、このようにしても、音が鳴りますか? このようにしてこそ、音が鳴るのです。 ですから、神様による創造も、愛の相対のためにつくられたということです。この論理的事実を否定することはできません。分かりますね? “私”に対する自覚を、どのようにして発見し、どのようにして回復するのですか? これが、人生問題の根本です。哲学が問題ではありません。修養が問題ではありません。 そのようなことについて振り返ってみるとき、自分の心と体が闘っているのです。数千万年の歴史を経てきながら、かつて、この問題に関して革命を起こして、統一することを主張した人は、だれもいませんでした。それは、統一教会の文総裁しかいません。 根本が、どのようになっているのでしょうか? それを知るためには、神様を知らなければなりません。そうして、神様の愛を知らなければなりません。神様の血統を支柱として立っていらっしゃる、主体的なそのおかたは、心と体が統一されており、その男性を中心として、正から分となり、その二つに分かれたものが、再び一つになって結託するのです。それは、種を求めるためです。それが家庭です。家庭がなくなれば、“私”という概念はありえません。分かりますか? (「はい。」) ですから、“私”なのです。統一教会で、「私たちの教会」という言葉を使うのは、やめなさい、というのです。教会が捜し求めていくのは、家庭です。それが、神様のみ旨です。そうでしょう? イエス様が、キリスト教を立てられ、小羊の婚宴をされるというのは、どういうことでしょうか? 新郎として、新婦世界に訪ねて来られるのです。小羊の婚宴、結婚式をするために来られるのです。それが、アダム家庭における“私”なのです。 わたしたちの先祖は、“私”となった自分を捜し出すことができませんでした。“私”となることができる自分を、神様の代身として立てることができなかったのです。女性も同様です。これは、結婚を通して……。 結婚は、不可分なことです。絶対、唯一です。これを否定する男性や女性は、罰が当たります。どこの大学を出たとか、何だかんだと言っている浮気者たちは、全員、ひどい報いを受けるのです。“自分”というものがあってはいけません。自分たちが、そのように主張することは、すべて虚言です。 それゆえに、蕩減復帰……。最後には何かというと、“私”を訪ねていくのです。“私”を完成するのです。自分を完成することができずに、家庭完成しようというのは、夢のような話であり、どろぼうと同じです。自信がありますか? あなたは、模範的な家庭でしょう? 自信がありますか? 先生が言う「私」、つまり、神様が創造のときに理想とされた、心と体を中心として、神様の愛と生命と血統に決着された“私”です。そのような息子、娘に対して、神様が「息子、娘である。」と言われて、永遠に抱かれ、永遠に否定することができないような立場になっているのでしょうか? そのような“私”を設定することができる立場に、自分が立っているのかということが、問題なのです。それは、夢のような話です。 そのことを知れば、ひざがこすれて、骨が見えるほどに伏して祈祷しても足りません。しかし、それほどまでに祈祷したとしても、それを捜し出すことは難しいのです。“私”を捜し出すことは、簡単なことではありません。 これを捜し出そうとすれば、「“私”に勝て。」と言って、サタン世界のサタンというサタンが、総出動するのです。“私”を捜し出そうとすれば、神様を中心として、自分を否定していかなければなりません。サタン世界を否定することができなければ、“私”を捜し出すことはできません。 今、皆さんは、「ここで修練を受けている。」と思っているかもしれませんが、自分がどうであり、こうであるということを主張する“私”、その“私”は、どのような“私”ですか? それは、ありとあらゆる物が、ごちゃごちゃに混ざったような悪臭がして、汚物にも劣る“私”である、ということを知らなければなりません。深刻でしょう? 全員、深刻です。 皆さんを見てみると、「自分は責任者だから。」と言って、先生の考えよりも自分の概念を、どれほど優先させているか分かりません。本然の“私”に返らなければなりません。 自分のための世界ではありません。それは、自分のためのものではありません。本来の神様のものでなければなりません。それを、すべてお返ししてさしあげなければ、“私”を捜し出す道は、ありません。 また、“生畜献納”というのですが、そのとき、国が問題でしょうか? この国。わたしは、これまで得たものがあっても、自分には一銭もありません。世界のために、すべて施しました。 しかし、だれも、それを盗んでいくことはできません。そこには、生命の種が植え込まれているのです。その世界で、必ず芽が出てくるのです。それは、神様が保護されます。神様が、保護されるのです。そのように考えています。 監獄に入っていこうと、どこに行こうと、“自分は滅んだとしても、その場に、自分が願う理想の場を残そう。”と考えれば、神様は、それをすべて成し遂げられてから、初めてほかのことをされるようになっているのです。そのような信念を持っていますか、持っていませんか? いますか、いませんか? (「持っています。」)“持っている”という人は、手を挙げてください。わたしよりも優秀ですね。 小さな日本の国ならば、皆さんは、その日本の国の家庭を代表することができ、世界の国、天の国の王子の家庭を代表することができる“私”ですか? 人をペテンにかけるのは、やめなければいけません。 日本人をアメリカに連れて行けば、アメリカでも問題になり、他の国に行っても、そこから故郷に逃げてくる群れです。そのような群れが、「“私”である。」と言って、手を挙げる自信がありますか? 自信がありますか、ありませんか? (「あります。」)何ですか? (「……。」) それでは、心と体が一つになりましたか? 一つになりましたか? 一つになりましたか? 手を挙げた人、一つになりましたか? (「一つになっていません。」)それなのに、なぜ手を挙げるのですか? ぼろきれの切れ端のように、取るに足らない自分である、ということを知らなければなりません。そのような“自分”が崩れなければならず、溶け出してしまわなければなりません。溶鉱炉に入れて、水のように溶かし、何らかの形態の型を作って、鋳造し直さなければなりません。そのようにして、何百回も鋳造し直さなければなりません。 そのような今までの仮面を、そのままかぶったままで、「ああ、先生。日本から◯◯に行きました。そして、◯◯をしました。」と言っても、そのようなことは、“私”とは関係ありません。そのようなことは、“私”を回復し、“私”を成し遂げるうえでは、何の関係もありません。 関係があるのは、神様の真の愛、真の生命、真の血統であり、どのようにして生死の境を越えて、それと関係を結ぶのかということが、第一原因なのです。分かりますか? (「はい。」) “私”を捜し求めよう。言ってみてください。(「“私”を捜し求めよう。」)心と体が一つになりましたか? 心と体を中心として、世の中の貴いものを中心として、それを神様の前で一瞬のうちに否定することができる、そのような“自分”を取り戻さなければなりません。 お金が貴いですか? この体が貴いですか? だれですか? 訓母様は、体が貴いですか? それは、否定したのです。二つの心があるということを、自分が知っています。 “これは、私の物で、これは、だれだれの物で……。”と、神様が、そのような考えをされましたか? 神様ご自身が……。神様は、“わたしの物であり、息子、娘の物である”という考えは、されなかったのです。“息子、娘の物である。”と考えられたのです。 皆さんは、そのような立場に行っていないではないですか。自分が持っている物は、お父様の物であり、愛を中心として、生命と血統はお父様のものであり、自分の息子、娘のものなのです。どこに合わせてみても、疑うことはできません。 お父様のポケットに入れても、自分のポケットに入れても、息子、娘のポケットに入れても、それが“私のもの”にならなければなりません。皆さんは、そのようになっていないではないですか? 最近の知恵の回る女性たちは、結婚すれば、貯金通帳も別々に作るではないですか? それは、できた女性ですか、だめな女性ですか? できる女性ですか、できない女性ですか? それは、今でもだめですが、もっとだめになる女性です。 今、統一教会は、その立場を基準として訓練しているのです。それで、今回、わたしが何と言いましたか? 「『日本人』という言葉を使うのは、やめなさい」ということです。「アメリカ人」や「ドイツ人」という言葉を使ってはいけません。 それでは、何と言うのですか? (「『日本の食口』です。」)「日本の食口」です。それから何ですか? 「日本の兄弟」です。「米国の食口」であり、「米国の兄弟」です。それは、天の国に行っても同じです。天の国に行って、天の国にいる人たちも、「天の国の食口」です。神様の息子、娘です。神様を中心として、「食口(家族)」です。神様を中心として、兄弟なのです。 それが一元化されなくては、霊界と一元化されなくては、天国の人になることはできません。それは、確かですか、不確かですか? (「確かです。」)“確かである”という人は、両手を挙げて……。見てください。“分かった”という人は、手を下ろしてください。 “私”というコンセプト(概念)を、どこで見いだすのですか? 国のために、世界のために、神様のために生きてこそ、“私”を取り戻すことができる、というのが、堕落した人間の歩む復帰摂理、救援摂理の道です。それは、やむをえない運命の道になっています。ところが、運命の道は、変えることができます。それは、宿命の道ではありません。 今まで、先生は、“自分”ということを主張したことはありません。先生は、自分は国家メシヤであるとか、再臨主であるとか、真の父母であると、言うことを好みません。それが、どれほど恐ろしいことでしょうか? 自分の家庭も、そうではないですか? “私たちの家庭”がなければ、国はありえず、世界はありえません。“私”という基台の上には、「私たち」という言葉は……。 自分が、神様と対等な立場に立って、自分たちの相対的基準を中心として、“私たちの妻”、“私たちの息子、娘”、“私たちの夫”、“私たちの子女”が生じるのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) そのような意味で、自分自身で自覚して、帰らなければなりませんが、先生の言うことは、蕩減でも何でも、もう学ぶことはありません。皆さんは、知るべきことは、すべて知りました。 皆さんは、神様のみ旨を、すべて知っているでしょう? 個人完成がどのようになり、家庭完成がどのようになり、氏族、民族、国家、世界、天の国に、どのように直行するのですか? ハイウエーを通じて、すぐに入っていくことができる方法を、皆さんは、すべて知っているというのです。すべて教えてあげました。 また、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しながら、先生が築いてあげたハイウエーを行くとき、「あなたは、どのようにして来たのか?」と聞かれれば、「先生が教えてくださったことが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従ではないですか? 私は、“百回死に、千回死ぬ。”と思って来ました。まだ千回死んでいないので、今から万回死んだとしても、それでも行きます。」と、そのように言わなければなりません。 そのようにすれば、無事、通過です。自分の概念があってはなりません。自分の概念があれば、峠を一周回ってきて、天国まで消化し、神様の公認を受けてきてから帰らなければなりません。 ですから、“否定の否定”を通して克服するうえでは、村を克服しなければならず、国を克服しなければならず、世界を克服しなければならず、天国を克服しなければなりません。そのようにしなければ、自分を取り戻すことができる道はありません。分かりますか、李(京諠)総長? (「はい。」) 孔子は、“ああ、文総裁が、天下の美人、李総長と祝福してくれて、ありがたい。”と思っているでしょう? (「はい。」)わたしが、「ふたりをもう一度引き離して、ほかの人と結婚させてあげる。」と言えば、どうするのですか? それでは“私たち”になることができません。自分が自分を主張することができる立場に立つことができず、自分が「私たち」と言うことができる足場……。それが皆さんの家庭です。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、その家庭に十人の食口がいれば、十人の食口が一つになり、男性と女性が神様の心情的圏内で、どのように神様の愛と、神様の生命と、神様の血統に同化することができる核、エッセンス(本質)になるのですか? ですから、十人の食口全員、尊重せざるをえないということです。お互いが、ために生きて尊重し、互いに「あなたたちを完成させることができ、私たちの家庭を完成させることができる」という共同責任を負っているのです。わたしたちの家庭で、幸福を成すために援助することができる立場は、父子の関係、兄弟の関係しかない、という事実を知らなければなりません。分かりますか? このようなことが、非常に堅固でなければなりません。分かりますか? それが、一つのモデルです。モデルとなって、それを公式化し、それが四方に連結されるので、家庭には、おじいさんがいて、父母、若い夫婦、息子、娘がいて、四系列があるのです。四段階があります。 世界を見ても、少年がいて、青年がいて、壮年がいて、老年がいるでしょう? 家庭におじいさんがいて、父母がいるように、世界にも、それと同じ年齢の人たちがいるのです。 ですから、自分の家庭を中心として愛したことを、同じように世界化させることによって、永遠の世界で、“私たち”の国、“私たち”の世界の主人になることができるのです。それは、確かなことですか? (「はい。」) そうすれば、神様まで、間違いなく、「おい、おい。わたしを連れて行きなさい。」とおっしゃるのです。そうして、「わたしは、あなたの家庭に行く。」とおっしゃるというのです。 文総裁は、どのように神様を解放したのですか? そうではないですか? いくら「解放した。」と言っても、それで解放されますか? ここで、一度、祈祷すれば、祈祷した内容が、霊界で、しっかりと成し遂げられて、霊界まで、すべて転がっていくのではないですか? それを信じますか、信じませんか? 「神様王権即位式」をしてさしあげたのですが、以前に、李相軒氏の報告があったではないですか? 王権即位式をしてから、どれほど様相が変わったのか、ということです。分かりますね? (「はい。」)「私」という言葉を、いいかげんに使ってはいけません。何を偉そうにして、「私」と言うのですか? どこに行っても、教授をしている人たちは、一つでも知識を多く知っていれば、そのことによって、のし上がっていこうとします。そのような者たちは、地獄の底に行くのです。天上世界では、それ以上に恥ずかしいことはありません。“私”の起源とは何であるのかということを知らずに、天下がその自分なりのやり方に乗せられるとでも思っているのでしょう? 神様と地上天上天国の理念は、そのような構想圏内や想像圏内の結実と、関係を結ぶことができるものではありません。分かりますね? (「はい。」)ヨーロッパのメンバー、お父様の語る内容が分かりますか? (「はい。」)それならよいです。それを知らなければなりません。それ以上、話すこともありません。 わたしたちの家庭、わたしたちの一族、どれほど多くの人たちが、血を流さなければならないのか、ということです。どれほど多くの統一教会の人たちが血を流し、わたしたちの教会が世界を代表し、わたしたちの家庭を代表しているという意識を持って、意識的な次元を、どれほど累積しなければならないのか、ということです。 それなのに、“利用しよう”という考えを持つことができますか? 利用されるにしても、潔く“利用されよう”と思う人が、忠孝の道理を行き、愛国者の道理、聖人の道理、聖子の道理を行く人です。はっきりと分かりましたか? (「はい。」)分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 今回、この修練をするのも、「統一教会が一番だ。」と言っているのですが、それを本当に一番になることができるようにするためです。どこに行っても、学者世界に行っても、弁論して、押しつぶしてしまわなければなりません。それは、言葉だけではいけません。 わたしは、そのような試験をたくさん受けました。「文総裁が、アメリカで一番だ。」と言われているので、そのことによって、大勢、文総裁をたたきつぶそうとしてやってきました。そして、反対に、先生にさんざんに恥をかかされて、逃げていったのです。 ですから、彼らは、「来なさい。」と言われても、二度と来ることはできないでしょう。そのような者たちは、自分自身が僕になるということは間違いないのです。 ですから、そのような学者の世界にも行かなければなりません。今ではもう、“私”の自覚とは何か、分かりました。“私たち”という覚醒が、どのようなことなのか、分かりました。分かりますね? (「はい。」) そのような主人となる男性と女性が、浮気をすることができますか? 服を着たまま、そのようなことをしたとすれば、その人の服を燃やしてしまわなければなりません。汚れたものを燃やすのです。何かの貴金属や装飾品を持っていれば、それを粉々にしてしまわなければなりません。 自分が“私”を確定して、その確定された“私”が“私たち”の家をつくらなければなりません。分かりますか? そのようにすれば、すべて成すことができます。 そのためには、神様を知らなければならず、神様の愛を知らなければならず、神様の血統が、どれほど貴いのかということを知らなければなりません。それは、天下を与えたとしても、買うことはできません。分かりますね? (「はい。」) きょう、「七・八節」を中心として、先生が今まで……。今まで苦心した問題です。根源的な解決を中心として、苦心した問題です。人生の根本問題が、そこに懸かっているということを知らなければなりません。それは、家庭にあるのです。分かりますね? 理解できますか? (「はい。」) 理想的な家庭というものが、どれほど偉大で、どれほどりっぱでしょうか? 神様は、そのような家があれば訪問しようとされて、千年、万年、どれほど待ち望んでこられたことでしょうか? そのような家が現れなかったために、訪問することができなかった神様は、どれほどかわいそうでしょうか? わたしは、そのような道を行ったのですが、妻や息子、娘が、まだそのような立場になることができていないので、問題が大きいのです。 しかし、今は、先生が手を出す時が来ました。教会と世界を蕩減したので、今からは、家庭を整理して、一族を整理しなければなりません。天の国の定着宣言と……。故郷の地と祖国の光復をしなければならないということを知らなければなりません。 そのためには、何の上に立つのですか? “私”を確定した基盤と、その“私”が明確に知った“私たち”の家庭を拡大させ、連帯的価値を拡大させたその上に氏族を立て、その氏族を拡大し、価値を拡大した上に民族を立て、民族を拡大した、その価値の上に国家を立てなければなりません。 それを成すために、千辛万苦の苦労をして、精誠を尽くしても不足であるという事実を知らなければなりません。太陽を見るにも恥ずかしく、海を見るにも恥ずかしく、万物を見るにも恥ずかしいのです。 それらを教材として、教育を受けて暮らし、悔い改めることができる生活を、急いでしていかなければなりません。“それが、自分に残された余生である。”と思って生きていこうという人たちは、天の国の皇族圏内に入っていくことができる、その見込みだけはある、というのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かったという人は、目を閉じて、両手を挙げてみてください。 きょう、「七・八節」の記念日に……。もう、帰らなければなりません。真のご父母様も必要なく、救世主も必要なく、神様も必要ありません。すべてを知ったので、自ら自覚して、自分の家庭を確定させた基盤を中心として、国を建てるのです。 そうして、その上に世界を載せたとしても崩れず、神様が保護してくださって耐えて残ることができる、そのような“私たち”の家庭が始まらなければなりません。 そのようなところから国が復帰される、ということが分かったのです。分かったでしょう? (「はい。」)さあ、間違いなくそのように生きると決心しますか、しませんか? (「します!」)しますか? (「はい。」)先生一人の声よりも小さいですね。しますか? (「はい!」) それは、宿命的課題です。最も貴い宿題です。今までは、そのような話を皆さんにすれば、皆、逃げていかざるをえませんでした。しかし、今からは、逃げていこうにも逃げていくことができません。 霊界では、聖人たちが、その道理を訪ね求めていくために、一心一念を中心として、その目標に向かい、主流世界に向かって全力で走っているのです。そのことを知れば、愚かな人でもなければ、この道を行かざるをえません。 それでは、先生が行く天国に、間違いなく全員ついて行きますか、ついて行きませんか? (「ついて行きます。」)それならば、そのような自覚からしなさいというのです。 エデンの園では、裸で暮らしていましたか? それとも、時計をして、服を着て、化粧をして暮らしていましたか? (「裸で暮らしていました。」)女性でいえば、ブラジャーをして暮らしていましたか? 服を着て暮らしていましたか? 服を脱いで暮らすとするならば、間違いなく、すべてを脱ぐのです。先生は、決めたのならば、そのように徹する人です。み旨の前にできないことが、どこにありますか? 自分が、解放することができる自分を取り戻すのに、できないことが、どこにあるのでしょうか? ですから、世の中の天地が終わりの日を迎えているので、千辛万苦の苦労をして、霊界まですべて引っ繰り返して体制を整え、このようにすることができる公式路程は間違いないと教えてあげたのに、それから脱線していく者たちは、悲惨です。 さあ、それでは、手を下ろしてください。きょうのこのような「七・八節」に、もう一度、そのような決意を深くして、頭のてっぺんからつま先まで、東西南北四方、終わりのない世界まで連結させることができ、“自我定着”することができる基準と、家庭定着することができる基準を立てなければなりません。それを成すことのできる所は、世界の祖国になる所であり、そのようにして、先祖になることができるのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、それでは、これで、きょうのこの「七・八節」の記念も、すべて終わったものと思わなければなりません。分かりますね? (「はい。」)何時ですか? (「十時十五分です。」)それでも、食事をして、ほかの何かをして過ごすよりも早く終わったということですか、どのように終わったということですか? (「早く終わりました。」) 今からは、勉強する時間が残っています。(笑い)そのことに不平を言う者は、話ができないように口を裂いて、舌を半分に切ってしまいなさい。 さあ、そのように理解して、わたしは、もう、皆さんのことを信じざるをえないので、そのように信じてみてあげるのです。自分の家庭を率いて“私”を訪ね、神様のみ前に堂々と出ていって、「私は、先生のみ言どおりになりました。」と言えば、わたしが間違いなく紹介してあげます。分かりますね? (「はい。」)約束します。 あの世においても、孔子、イエス様、聖人たちが、だれかれなく、先生が来ることを願って、首を長くして待っているではないですか? ですから、わたしの紹介を受けようとして、あなたの夫もそうであり、全員が、そうです。ここでも全員が、そうです。 何千年前の人も、そうです。孔子は、二千五百年くらい前の人ですか? 二千五百年以上前の孔子と結婚し、この人はマホメットと……。マホメットは、六世紀後半の人ですね? わたしたちは、そのように暮らすのです。千年前の人も、自分の兄であり、弟であると思うことができるのです。 ですから、どれほど素晴らしいですか? 素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです。」)この者たち。素晴らしい看板、素晴らしい名前を中心としながらも、それらをすべて、まがい物と一緒に道端で売り飛ばそうとでもいうのですか? 露店でたたき売りをされるような愛を尋ね求めていく人は、天の国に入ることはできません。先生は、そのようにいいかげんに生きる人ではありません。 天の命令があれば、責任を果たすときまで、間違いなく保護してあげます。終わった後は、見向きもしません。そして、もう終わったのです。分かりますか? (「はい。」) 皆さんは、金氏なら金氏で、統一教会の祝福をたくさん受けたので、一つになって国を復帰するのです。世界共同目標の課題を付与するというのです。分かるでしょう? (「はい。」) 韓国が負けますか、負けませんか? (「負けません。」)“負けない”という人、手を挙げてみてください。全員、手を挙げるでしょう? “負ける”という人は、一人もいませんね。それで、よいのです。(「全体起立。」)なぜ、起立するのですか? (「万歳三唱いたします。」) 万歳をして、この祭壇の供え物も、神様の代わりに、だれかで分けて食べなければならないでしょう? (「第五回「七・八節」を期して、お父様が下さったみ言を、もう一度決意して、私たちは、この時代の灯台となることを再度、誓って……。」) 灯台になることを誓いましょう! よくぞ、それを言いました。 (「灯台は、いつも波風のあるときにこそ、光り輝きます。混乱の中の灯台となることを決意して、『神様王権即位勝利』の万歳をすべきです。『神様王権樹立勝利』万歳! 勝利された真のご父母様、万歳! 第五回『七・八節』万歳!」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.19
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「神様の祖国光復」(01.07.13 文鮮明総裁招請講演会 韓国・国会議員会館大会議室) 尊敬する内外貴賓の皆様! 公私多忙にもかかわらず、この意味深い集いに参席してくださった国会議員と著名人の皆様方に深く感謝を申し上げます。 特に国民を代表する民意の殿堂である国会において、神様の摂理的な観点で、貴いみ言葉の時間を持てたことを嬉しく思います。 私は新千年が始まる最初の年である今年1/13、「神様王権即位式」を終えた基台の上に、2/25~4/17の52日間、全米50州、52の都市と米国国会、そして、国連において講演を盛況裏に終えました。その間、主にキリスト教をはじめとする10万を越える宗教指導者たちを対象に、神様のみ旨を中心とした米国と人類、さらに、天上世界と地上世界の行くべき道を提示してきました。 それだけでなく、ウルグアイを訪問して、南米33ヵ国前現職政府首相、及び、指導者たちが集まる中、天宙平和統一連合南米本部を開院し、再教育と組織編成をし、平和世界実現のために、全世界191ヵ国の各界指導者7万余名を教育した後に、平和大使を6大州へ派遣、祖国の南北統一のための国際的基盤を準備して、今回、帰国しました。 最も貴いのは永遠に続く血統 私は16歳の時、復活節の夜明け、イエス様と出会い、神様のみ旨を成すため、神様解放のための天意の道を出発しました。過去の80余生涯をあらゆる誤解と迫害を受けながらも屈せず、真の理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。 特に神様の命に従い、1971年米国に渡った私は、過去30年間、全身全霊を尽くして、米国が神様から選ばれた世界的第2イスラエル圏の使命を果たすように悟らせてきました。 私は過去数年間、数百余回の米国指導者会議(ALC)を通して、政治家や宗教家たちが政党や宗派を越えて、各地域社会と米国、そして、世界のために心を一つにして協力するように、促してきました。 あわせて、今回、米国50州巡回講演を通しては、すべての聖職者たちに教派を越えて、一致団結することを強く諭してきました。実際、米国聖職指導者連合(ACLC)を中心に、連合教会(UFC)運動を通して、14万4千の教会が救世の目的のため、この運動の先頭に立っています。 一方、私が国連ですでに闡明した世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が活発に展開されています。この運動は世界平和超宗教超国家連合が先頭に立ち、NGO(非政府機構)総連合団体であるWANGO(世界NGO連合)を中心に、国連本部から急激に五大洋六大州に拡散されていっています。 皆さん、今や私たちは、聖書歴史では7千年、イエス様以後3千年を開いていく新千年時代を迎えています。この時代は人類歴史を通して、神様が願われ、すべての宗教を通して、人類が念願した平和の時代がこの地に定着する時です。 神様を中心として、心と体が一つになった、完全な個人、そして、真の愛で一つになった、完成した家庭、社会、国家、世界、天宙までを成し遂げ、神様の創造理想が実現される時を期待してきたのです。 それゆえに、この時代は聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することにより、天上と地上に天国が成されねばならない成約時代の完成を意味するのです。 成約というのは本性的次元で、すべてのものが祝福結婚を受ける時代という意味です。神様がつくられたすべての被造万物は人類始祖の堕落により祝福圏に立てませんでした。 しかし、神様は救援摂理の道を通して、キリスト教をはじめとした数多くの宗教を立て、万民を教育することにより、心霊水準を段階的に引き上げ、成約時代を迎えるようにされました。 それから、私たちは皆、神様の救援摂理を完成した信仰の結実体として、真の個人王から始まり、真の家庭王、氏族王、民族王、国家王、世界王、そして、天宙的王権の基盤を再び探し出し、ついに本然の「神様王権即位式」を挙行した位置まで来たのです。 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人たちが真の家庭と国を持ち、祝福を受けて、一つの血族、血統が一つになった単一民族を成した基台の上に初めてその式を行えるのです。 皆さん、人間に最も大切な愛、生命、血統の中で、何が一番貴いですか? 多くの人たちは愛が最も貴いといいます。しかし、愛や生命はどんなに貴いといっても、横的で、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を続けて、永遠に相続されるのです。それで血統が最も貴いのです。 堕落しなかった本然の世界では神様を中心として、真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母の血統が連結されなければなりません。父母、子女という言葉は血統が連結されなくては絶対に不可能です。それは神様も分けられません。堕落したサタンも分けることはできません。 そのため、成約時代の真のご父母様の祝福を通した真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰できるようにするのです。真なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木して、偽りのオリーブの木の畑でも、真のオリーブの木の血統に、真の愛を中心として、一体、一心、一念となり、生死圏を出入りしなければなりません。 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界生死圏、どのような犠牲があっても、越えていくという、そのような心情を持った人はサタンが関与できません。国家基準以上を越えるようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るために、サタンとは関係を結ぶことはできません。イエス様ももし結婚をしたならば、十字架の道を行かなかったでしょう。殺せません。これは相対理想の直接主管圏に連結され得るからです。 祝福結婚は真の父母だけがなし得る 原理でいえば、責任分担を完成した基準となっているために、直接主管圏内に入っていきます。直接主管圏は神様の血統が連結されていて、サタンが切る道理がありません。この過程で心情一致がなし得る、その位置に行けなかったため、また、そこで堕落したので問題だったのであり、アダム、エバが夫婦となり、真の愛だけをなしたならば、永遠に堕落し得ないのです。サタンが引き裂けません。 しかし、この過程で、実が熟しませんでした。実が熟さなければ、どんなに実を地に植えるといっても、種が生じません。それで、永遠なる生命がないために、死んだ生命のようなものを始末する所が地獄です。神様と関係がないというのです。 父子関係というのは父母の血統が連結されなければなりません。その血統はただで連結できません。一人では血統が連結できません。男と女の血統が合わなければなりません。宇宙の根本理致が、性相と形状の血統が一つとなった、その位置で、それでお互いに好む立場で性相となる心が喜べば、形状となる体も一緒に喜べる位置で、完成するように人間を創造したというのです。 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダム、エバを創造した、その実体的対象家庭を繁殖して、東西四方、世界にぎっしり満たして、天国の民を繁殖できる、数多くの分生産工場を拡張するのです。 それによって、天の民を立てて、霊界にいる神様と地上の実体の父母が地上で暮らしながら、共にそれを生産するのに協力して、霊界で永遠に生きることができる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、一つとなり、地上、天上、理想世界を完成するというのです。 神様の王権即位式を誰がしてくれますか? 最初に誰が即位式を台なしにしましたか。サタンとアダム、エバが台なしにしました。アダム、エバが真の父母となれなかったことにより、サタンが入り、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。堕落により、サタンの血統を残したために、それを全部否定してひっくり返すことは神様もできずに、サタンもできません。サタンが今までつくっておいた、自分の国を自分が壊してしまうことは難しいのです。どこの誰でも、自分が精誠を込めてつくったものを改造するのは嫌がります。サタンも同様です。それを神様がひっくり返すことができません。神様がひっくり返すことができれば、エデンの園でアダム家庭を失わなかったでしょう。 とにかく、理論的にも神様が手出しできないということは間違いないのですから、神様が手出しできないことを手出しできる人物が誰かといえば、堕落前、本性の完成したアダムです。本然の真の愛の家庭を持つことができる、そのような家庭は真のアダムの家庭以外にはありません。 中心が問題です、中心! 復帰も中心がなくては完結され得ますか? 祝福家庭の中心が何ですか? 祝福を誰がしてくれますか? 真の父母がしてくれるのです。結婚式を誰がしてくれますか? 自分の息子、娘に血統を合わせて、お父さん、お母さんに似るようにする、その結婚式を誰がしてくれますか? 堕落しなかったならば、誰がしてくれるでしょうか? 子供を生んでくれた真の父母がしてくれるのです。 今日、結婚式は天使長に引っ張られたために、社会の有名な人、名前のある人が主礼をします。寝かせて梯子を置いておいて、上に上がっていこうと考えるのです。 「死なんとする者は生きん」の真の意味 最近は結婚の秩序がめちゃくちゃになりました。結婚は順序を変えてすることはできません。順次的にしなければなりません。ところが、最近は逆にもして、大騒ぎです。また、復帰という内容と、それが呼吸が合うために、このようにも合わせて、あのようにも合わせて、逆にも通じるというのです。元来は長子、次子、このように生んだ順序通り結婚しなければいけません。 さらに、性的退廃は深刻な水準に至っています。親族相姦関係が現れています。姦淫するというのです。ある国では、お祖父さんが孫娘と暮らし、義祖父が嫁と暮らしています。親族相姦関係が起こったのです。帰るべき人たちが中心を知らないので、お互いに好き勝手にに生きてみるのです。これが地獄化していく世界ではなくて何でしょうか? このようなことを誰が収拾しますか? 神様もエデンの園でアダム、エバが堕落するのを干渉できなかっただけでなく、サタンと結婚することにも干渉できなかったのに、終末に干渉する道理があるでしょうか? 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって、偽りの血統へと結ばれているので、真の父母が来て、これをもう一度、蕩減復帰、すなわちこれを完全に否定して、ひっくり返し、神様のみ旨を成し遂げなければならないのです。したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は蕩減する時まで、死亡世界に生きている者が、死ぬ立場まで行っても死んでから生き得る余力があってこそ、生き返るのです。 死ぬことを悲しみ、逃げたいという人は永遠に復活圏がありません。そのために、聖書には「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とあります。ですから、神様も同様で、真の父母も同じなのですが、天国に行くという人はどうですか? 神様も、生きようという人間、一つひとつの生命を生かしてあげるためには、その反対に、死ぬような立場に行く前には生かしてあげるように助けることはできません。 綱を掛けて崖に落ちた人を助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げ、その基準以上になってこそ、人も生き、神様も生き返るのです。 現代人たちは「自由、自由、自由!」というでしょう? どんなに現代の教育制度がいいといっても、皆さんには堕落圏内の自由の観念しかありません。個人主義の観点としては、そのようなことは知ることができません。氏族、民族、国家、世界、天宙の観念がないではないですか? どのようにして、そのようなことを悟らせますか? 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成して、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階まで上がってきました。どのようにして、それを成し遂げますか? 心と体を統一することから始めるのです。 絶対的に心と体が一つとなった立場から家庭、国家、世界、神様まで進んでいくのです。どんなに人々がその位置まで行きたくても、個人主義の観念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置へと連結されるのです。 フリーセックス、ホモ、レズビアン、このようなものは麻薬中毒とエイズ感染の近道になります。麻薬とエイズは人類を全滅させる脅威となっています。アフリカではエイズが深刻な境地に至ったと報告されています。エイズ細菌の潜在期間が8年から12年であるとみる時、ある地域は2代ですべて滅びるとみているのです。国連を中心としてみる時、NGO(非政府機構)も多くの問題点を抱えています。この人々に一番難しいことをしろといえば、それをなす人がいますか? NGO責任者たちは現在の政権や社会悪を中心としてああだこうだ指摘しますが、私のように国連の役割、共産主義と人本主義を消化する問題など、そのようなことを指摘しますか? あまりにも次元が高くて、聞いてからは呆然としています。そのような高い次元の内容を知ってこそ、反対することができるのであって、反対することができません。彼らは「正しいには正しいです」というのです。 青少年の淪落と家庭破綻、麻薬問題、エイズ問題、特に純潔な血統をどのように残すのかという問題を彼らは知りません。それに対する解決方法は国家はもちろん、国連のような世界機構の指導者たちも知りません。彼らは「これは嘘か、本当か」と言います。 神様王権即位式以後の生活規範 これからは神様王権即位式以後にできる条件をはっきりと教えてあげるつもりです。 今まで問題が何かといえば血統が問題です。血統! それが最も重要です。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。今この世の中に数多くの国がありますが、神様の血統と関係あるものは一つもありません。サタンに属しているのです。これからは他に法がありません。神様に従っていき、真のご父母様に従っていくこと以外には中心位置がありません。 今日、この新千年時代にすることが何かといえば、これまで神様も解放されず、真のご父母様も解放されなかったのですが、これからは神様の王権定着のもと、解放された天地父母と子女になったので(死を)恐れるな、というのです。むしろ、天国に早く行きたがる人が若くて行けばどれほどいいですか? 損ですか? 天上天下すべての宇宙が私の手の中に入ってきて主人になるのに、どうして否定しますか? 死んでも生きても心配することがありません。そのようになっていなければなりません。 皆さんは個人完成をどのようにするのか知っていますか? 個人の心と体が一つとなるのを知っているでしょう。堕落する時にサタンの血統を受け継いで、愛の力が良心の力よりもっと強かったのです。これが問題です。どんなことがあっても体がしようとする通りにしてはいけません。 これから守らなければならない本性の鉄則が何かといえば、一つ目に、死んでも天から伝授された純潔な血統を汚してはならないということです。 二つ目に、人事措置を誤って人権を蹂躙してはならないということです。男でも女でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり蹂躙してはならないのです。責任者たちは自分の心に合わないといって、むやみに人事措置をしてはいけません。 人権を正常に指導するには真の愛、すなわち、ために生きる愛をもって生きる人が主流です。天地創造がそこから始まりました。その主流思想を乱すことは赦すことができません。罪の中の2番目の罪です。 3番目に公金を盗んではいけません。公金を勝手に使ってはならないのです。以上の三つです。このすべてが堕落したサタンを中心としたアダム個人と家庭から由来したのです。このために監獄に行く人が70%以上になります。監獄に入ってみるとそうです。人権を蹂躙して、血統を汚して、男女問題にかかっています。その次にはお金の問題、権力の問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。 これから、祝福を受けた血統は神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだ者であるからには、今まで堕落世界に染まった習慣的行動によって汚してはなりません。それを守ることができますか? 夫婦であっても、配偶者がいなくても一人でもいいから、完全な血統を汚さないと決心して盟誓する今日とならなければなりません。 天国の憲法1条が何かといえば、血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさいというのです。2番目は人権を蹂躙してはならない。3番目は公金を略取するな!これです。皆さんが天国の王権を維持して王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためにはこれが絶対必要です。 そのため、お兄さんを無視できません。弟が愚かだといって無視できません。この世はすべて無視していますが、親族を無視することはできません。知識があるといって、大学を出た人が、高校だけ出ても無視してしまいます。そうしたら人権蹂躙となります。 公的な環境を破壊させることも、国家財産略取と同様に恐ろしいことです。そのように暮らす人は天運が共にないため、いくらよくなろうとしても駄目です。負債を負う人は天下が皆、嫌います。一門の中で代表的に問題を起こせば、一門から即座に追い出してしまうのです。 それでは、神様の公式、法度に従って生きるには、どのような環境、どのような人たちと共に生きてこそよく暮らすのですか? 簡単です。それも三つです。親子の関係、夫婦の関係、兄弟関係です。兄弟関係は両親の前には子女となります。子女関係は兄弟関係ということです。自分の家庭を中心として、お父さんお母さんがいて、その次に夫婦がいれば息子娘がいます。 したがって、両親の前で、私には兄弟関係と同様に姻戚の八等親、四等親以上が全部連結されて入ります。それで父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば兄弟は自動的に生じるのです。 手本になれなければ間違った暮らしなのです。しかし、お父さん、お母さんの前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば正しく暮らすのです。 そのように善く暮らせばどのようになりますか? 家庭のモデルは国と天国のモデルと通じるのです。そのように生きたおじいさんから、お父さん、お母さん、子女3代が四位基台理想を備えることができる、そのような家庭に賞をあげるのです。 それゆえ、兄弟関係でも子女関係でも、共同の責任下で和解して、影響を与えながら主体的な位置に立つために生きる人になれば、天の国の誰もその人を抜かしていくことができません。 それから、この法を守って暮らせば、間違いなく天国の皇族圏になり、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。 それで、これを今日、3000年を始める標語として定めるのです。一方で純潔血統、人権平準化、そして、国家公的財産保護に先頭に立って、その次に親子間に、夫婦間に、子女間に手本になろうというのです。 村中が全部、「あの人に従っていかなければならない」と言い、「あの人に似たくて、一緒に暮らしたい」と言えば、その人は間違いなく天国の民になり、天国に記憶される人になります。文総裁自身もそのように生きています。 ために生きる生活で永生を準備すべき 今日、神様の王権即位式で宣布した、最も重要な3大鉄則を語りました。それは私たち人間が公人として必ず守らなければならない、家庭に入っても、国に入っても絶対引っ掛からない指針です。 神様の全智全能な権能と真の愛がこの地に直接的に現れる成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。どうか霊界を熱心に研究して、神様を中心とした祝福を受け、真の血統の家庭を成し、ために生きる生活を通じて永生を準備することを願います。 今や人々は神様が願われた理想の地上天上天国が到来する時であることを知って、限りある人間の能力とは比較にもならない天運の御手を感知しようと努力しなければなりません。 生きておられる神様の前で、真に温柔謙遜な姿勢で最も貴い天の真の血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が幸せな天国人です。 内外貴賓の皆様! 新千年が始まる21世紀は、分裂と葛藤の過ぎた世紀の遺物が清算されて、和解と統一の地球村大家族の理想が実現する時です。 私は韓民族を選んで平和文化世界を成そうとする神様のみ旨を早くから知ったために、50余年の間、全心全力をかけて、国内外に頭翼思想と神主義を中心とした理念運動を土台として統一の基盤を造成してきました。その間、私が主張してきた神主義は有神論と無神論の相反した価値観の統一はもちろん、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。 韓民族を導いて世界に跳躍して雄飛させる使命を持った国会議員及び内外貴賓の皆様! 私たちは皆共に真の愛の神主義で私たちの価値観を定立して、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族と世界平和のために、南北統一運動を信仰化しましょう。 そして、真心から共に暮らそうとする真の愛、怨讐までも愛する心で、統一運動の先頭に立つ義人と指導者になりましょう。 神様の王権時代を迎えて、私たちすべてが神様を中心として南北統一を成し遂げ、超国家的に神様の心情文化世界を創建するのに、共に監督者となり、神様の故郷と神様の祖国光復を成就しましょう。 神様の祝福が国と皆さんの家庭にいつも共にあられることを願います。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.15
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「本殿聖地超宗教神学大学院大学校建立起工式」の御言成約九(二〇〇一)年七月八日、韓国・天宙清平修錬苑、天聖山中腹 きょうは何の日ですか? 何ですか? 「本聖殿 超宗教神学大学院」 清心学園の起工式です。 きょうは何の日かというと、二〇〇一年七月八日です。このことを考えなければなりません。七月八日です。七数と八数は、摂理路程において最も貴い数です。 神様が創造されるときに、六日目に人間をつくられましたが、七日目の安息圏を超えることができませんでした。安息圏を超えて、八日目に完成した地上と天上の理論が出発できたはずですが、堕落によって七数と八数を失ってしまいました。失ってしまった一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一数まで……。この天地に春夏秋冬の四季と十二か月があるのと同じように、その中心の位置は十三数です。分かりますか? イエス様を中心として十二弟子、モーセを中心として十二長老であり、成約時代においても同様です。エデンにおいても、モーセ時代においても、イエス時代においても、十二数を中心とした中央数である家庭完成の土台を復帰することができませんでした。 今日の統一教会においても、十二支派を中心とした新しい十二数を中心として、過去の旧約時代に成就することができず、新約時代に成就することができなかったすべてのことを総括的に合わせて、全世界の東西南北を中心に、それぞれを三か月として、三×四で十二となります。このように考えるのです。 天宙の運行法度は、すべて十三数を中心として天地が回っているのです。その軸が下りていくときには、個人完成はもちろんであり、家庭完成はもちろんであり、国家完成、世界完成、天宙完成が成され、神様が生活される舞台においても、生涯の路程や永遠な路程においても、支障なく自由で自活的な主人として立つことができるのです。 ですから、すべての宇宙の中心的立場で管理、主管し、自由解放的世界を備えることができなかったので、人類が願う目的、救援摂理が願う目的完成、すべての文化国家の伝統を誇ることができるさまざまな事物の目的を、総体的に完結させなければならない数とは何かというと、十三数なのです。 その十三数を中心として、天理の中心である天の父母に侍ることができ、天の国に侍ることができ、天の地として、神様だけが絶対主人であり、永遠不変であられなければなりません。その基準を失ってしまったのです。どのようにして堕落した人間が、再び神様と関係を結んでこれを完結するのかというのです。 今日の堕落した世界の中でも、国があるときには、その国に家庭があるのです。家庭があれば、氏族、民族、国家、世界、天宙まで連結することができる地が成し遂げられるのですが、神様を中心とする家庭において孝子を育てることができませんでした。 ですから、神様の家庭においては、孝子の候補者を養育しなければならず、神様の国における忠臣をこの地上に育てなければならず、そして、聖人を育て、聖子を育てる歴史的な訓練をしなければなりません。 その訓練場が、今までの救援摂理です。堕落した世界ではありません。神様の救援摂理を通して宗教圏を立て、そのようなことを教育してきたということを、この時間に知らなければなりません。 神様の国を失ってしまい、神様の家庭を失ってしまい、神様が愛することができる基台を失ってしまったということが、すべての宗教は、分からずにいます。 統一教会が現れることによって、初めて真の父母が現れたということは、どういうことでしょうか? エデンの園において、神様の所有圏となって理想的なすべての内容を備えた定着の代表的家庭が立てられたということです。 それは、創造された人類先祖のアダムとエバが堕落せずに成し遂げなければならなかった位置であるということを、皆さんは知らなければなりません。 人類の中で、堕落した世界圏を越えた人は一人もいません。知らないからです。無知と混沌の中でわたしたちの先祖と父母が生まれました。 ですから、神様を完全に知ることができる位置まで、サタン世界との関係を永遠に結ぶことができない位置に至るその中間過程で、混沌過程で結ばれたので、神様の位置にまで至っていない立場から上がっていかなければならないのが、天の家庭の孝子です。分かりますか? 神様を中心とした孝子、神様の家庭の孝子、氏族の孝子、民族の孝子、国家の孝子、世界の孝子、天地の孝子となることができませんでした。 これをすべて、宗教圏において代わりに蕩減して戻っていくのです。その準備のための訓練場が、数多くの道義的分野の教育機関であり、それを代表したのが宗教であったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) それでは、神様が願われた神様の家庭を中心とした本然の孝子は、どこに行ったのですか? 神様の国を成し遂げて孝子が生まれ、氏族、民族、国家にまで至るとき、その国を中心としてその孝子の伝統が完全に骨となり、それに連結された多くの孝子がいるのが、神様を中心とした国家です。 そして、全体国家の前で神様に侍り、孝子の代身として国家の前に立ったのが、神様の国の忠臣であるということを知らなければなりません。 それは、堕落していなければ、国で終わるのです。その国は、永遠の世界的な中心である孝子の世界になるのです。そして、その天の国の民を中心とすると同時に、天の国の王宮法を中心とした聖子の立場であり、天地の統一された神様の主管圏内の孝子の位置を代身することができるのが、イエス様であったということを知らなければなりません。 そして、それをすべて成し遂げるために再臨して来られたかたがだれかというと、真の父母です。真の父母は、永遠に二組ではありません。絶対に一組です。分かりますか? (「はい。」)変わらないでしょう? 神様と心身一体となっていて、そこから神様の愛と神様の生命が出発するのです。 神様の愛と神様の生命とアダム、エバが心身一体となり、神様の代身の愛、神様の代身の生命、神様の代身の血統を持つ心身一体となったアダムが主体となって、その相対であるエバと心身一体となるのです。闘うことはありません。一体となった神様の愛と神様の血統が、分割されています。 堕落がなかったら、神様と直結した、腹中で育った男性と女性は、個人として分立して成長し、子女時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王の時代までの八段階の心情的因縁を、アダムを中心とした孝子の家庭に一度に連結していくことができるよう、そのまま成長するのです。 木で言えば、このように大きくなるのに支障がないのと同じように、アダム完成の孝子を願わなくても、自動的に孝子として育ち、それが繁殖して大きくなることによって、氏族、民族を超え、国家形態を中心として、国の父母を中心として、家庭の道理を受け継いでいかなければならないのです。 その伝統的家庭が細胞のようになり、一つの家庭的骨を中心として肉が大きくなったものが、国というものです。その国が世界に拡大して大きくなったものが世界の立場であり、霊界と肉界を代表した、世界の統一的基盤として立つのです。それが孝子となることができる家庭を代表した結実です。 その結実の価値を地上のあらゆるところに拡張することによって、だれであっても、地上と天上が分かれていない地上世界と天上世界での生活を、共にこの地上で享受することができるのです。そして、地上天国の拡大完結とともに天上天国の出発をするのです。しかし、そのすべてを失ってしまいました。 それでは、メシヤや救世主という人々は、何でしょうか? 彼らは何かというと、ある時代においての数多くの宗教、個人時代、家庭時代、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、その八段階の時代別に現れる宗教を通して、教えてくれるのです。中央を中心として東側、南側、北側、西側、このような方向性を一致化させ、最後には再臨の役事を中心として真の父母が、すべてを接ぎ木するのです。 そのことによって、故障していない、堕落していない本然の神様の、本性の心を代表することができる完成した孝子の家庭、完成した国の家庭、完成した世界の家庭、完成した天地の家庭となるのです。 その家庭の父として、父母として、王として提示されるかたはだれかというと、神様であられます。そのおひとかたしかいらっしゃらない、王であられるかたが、わたしたちのお父様であられたということを知らなかったのです。 このような総括的な結論を下し、それが戒律的に分断されているのではなく、個人は家庭と連結し、家庭は氏族、民族、国家に連結され、国家は世界、世界は天と地に連結され、天と地は神様と連結することができる主流的な思想を中心としたその内容を、今まで知らなかったのです。分かりますか? その失ってしまった動機とは何ですか? サタンと闘って失ってしまったのではありません。分かりますか? 知識を評価し、知識で討論をして負けたのではありません。今日のように、知識をもって闘う時代、主権をもって闘う時代、それから、所有権をもって闘う時代ではありません。 そのようなものは、国と世界を支配することができる内容にはならないというのです。神様の真の愛を中心として、生命の種に結託し、生命の種に結託した個人であるアダムとエバが一つになって血統に連結された…。一度言ってみてください。血統で連結された! (「血統で連結された!」) 皆さん、神様の愛、生命、血統と連結されていますか? これが問題です。神様の血統とは何か知っているのかというのです。 「歴史がこれこれこうなので、神様の血統はこうでなければならず、そのことを自分が知っており、自分が持っているものは間違いなく、神様の愛と生命と一体となった永遠不変の血統である。」ということを知っている立場に立っている人が、何人いるのかというのです。大きな問題でしょう? 分かりますか? 血統についてみれば、全員、個人完成において落第です。混乱が起きています。どのように個人完成するのか分からずにいるのです。神様の真の愛を中心として、真の生命を中心として、血統を中心として、混乱した今日、狂人と同じなのが“わたし”なのです。なぜですか? こっちに行くか、あっちに行くか(分からずにいるのです)。 皆さん、結婚する日を一か月後に控えていれば、待ち遠しいですか、待ち遠しくないですか? 何ですか? 待ち遠しいですか、待ち遠しくないですか? 世の中の結婚でも、どうですか? (「待ち遠しいです。」) 神様を中心として、永遠不変の地上、天上天国の権限を相続することができる結婚式の日が、どれほど……。この宇宙を上げても、神様まで上げても取り替えることができない結婚式の日なのです。ですから、どれほど慕い、どれほど思慕し、どれほど狂ったようになったことでしょうか? 皆さん、堕落した世の中でも、愛のために狂った人を何と言うのですか? 郭錠煥氏。(「『恋煩い』と言います。」)恋煩いです! 分かりますか? 恋煩いは、愛するという言葉にもなりますが、天を愛するという言葉にもなるのです。(韓国語で「恋煩い」は「相思病といい、「相」と「上」は発音が同じ) 天を思う愛の心は、恋煩いよりも弱いですか、強いですか? 黄善祚氏? 尋ねているではないですか? (「強いです。」)ですから、その愛の道に、すべての細胞が集まるのです。 このような話は、初めて聞くでしょう? 恋煩いした心は、どこに行くのですか? どこに行くのですか! 男性は男性に行くのですか? おじいさんを訪ねていくのですか? 町内の王を訪ねていくのですか、知事を訪ねていくと思いますか? どこに訪ねていくのですか? わたしも分かりません。ですから、どこに訪ねていくのですか? 関門がどこにあり、定着地はどこですか? 男性という愚か者も、恋煩いにかかった愚か者も皆、真の愛の道を訪ねていくのです。どこに訪ねていくのですか? 男性にとって、最も貴いのはどこですか? (「生殖器です。」)何ですか? (「生殖器です。」)生殖器という言葉は、その名のごとくです。生命を包んでおく食器なので生殖(食)器です。分かりますか? (録音状態不良) 直通することができる門は、どこにあるのですか? 息子、娘の母となり、国を創造することができるのが夫人の生殖器なので、それが正門です。アーメンと言わなければならないでしょう、女性たち。(「アーメン。」)男性は、やめて……。(笑い)これほど貴いと思っていましたか? それでは、一度、女性を分析してみましょう。女性には自分のものがありますか? 女性の胸は膨らんでいます。最初は、はえが一匹くっついていたものが、十歳になるとせみのように大きくなり、かえるのように大きくなり、雌牛のように膨らむのです。見下ろせば、下半身も見え、貴重な所も見えます。それは、何をするためのものですか? そして、おしりが大きくて大変です。歩くときも、このように歩きますか? さっさっと、このように歩くのではなく、こうしてこのように歩くのです。(笑い) おしりが大きい理由は何ですか? 胸が大きい理由は何ですか? 女性のためにそれがあると言うのは、狂った女性たちです。それを売り飛ばし、自分勝手に使う女性は、狂った女性です。 そのような女性たちは、家にいないで皆、逃げていくのです。“まあ、まあ。文総裁は牧師なのに、公式的な記念日に生殖器の話をするとはどういうことか。だから「統一教会は裸で踊る」という話は正しい。”と思うかもしれません。何でもかまいません。 男やもめや寡婦になることを願う人が、どこにいますか? (録音状態不良) きょう、ここに来た女性たちは、先生がどのような話をしても、逃げていきますか? 先生に従いますか? (「従います。」)(録音状態不良) 従うことができる女性たちにして、祝福をしてあげましたか? 私が一緒に暮らすというのではありません。それは、正しいことですか、間違ったことですか? (「正しいことです。」)(録音状態不良) “どのような代価を支払うとしても、やらない”という女性は、手を挙げてみてください。“どのようなことでもする”という女性は、手を挙げてください。それでは、夫を愛する王になりなさい、というのです。分かりますか? そのような女性は、天の国の宮殿において、間違いなく十本指の中に数えられる女性に、なるまいとしてもならざるをえません。ノーメンではありません。アーメン! 「アーメン」です。「ノーメン」は、すべて否定するということです。そのような自信はないでしょう? それでは、ここにいる女性たちで、“そのようになりたい”と思う人は、手を挙げてください。では、文総裁の言うことを聞かなければなりません。道が分からないのですから。 ジグザグで曲がりくねっているので、どれほど危険でしょうか。一人で山中に入っていけば、道を探すのも大変です。天の国に行く道を、サタンがどれほど曲がりくねらせてしまったでしょうか? それは、文総裁でなければ、捜しだすことはできません。文総裁はどうですか? ナイロンのひもを通しておいて、これにつかまっていけば、全員、行くことができるのです。いくら曲がりくねった道であっても、このナイロンのひもを一本だけつかんだ女性ならば、間違いなく神様の王宮の位置まで上がっていくことができますか、できませんか? 分かりません。(「できます。」)あ! “できない”ではないのですか? 暑さで気持ちが乱れていると思ったのですが、聞いていることは、きちんと聞いていますね。分かりますか? ここもオーケーですか? そうでしょう? (「はい。」)私がここ(天聖山の中腹)まで登ってくるときに、皆が汗を流して登っていくのを見て、車で登っていくのを申し訳なく思ったのです。(笑い) 車の席がたくさんあれば、全員乗せてあげればよいのですが……。私は、車で先に行くことを申し訳なく思う人です。車に乗っていくからといって、自慢する人ではありません。 父母は、子女を生んだその日から僕になり、与えて忘れて、与えてまた忘れ、千年、万年愛して、息子を愛するにおいて、恋煩いにかかる以上に、与えて、与えて、すべてなくなるまで与えたいと思うのが、父母の心であるというのです。 神様がそのような心を持っておられるとすれば、わたしたちが恋煩いの息子の立場に立ち、混沌とせずに、王家の正門を通って自分の部屋に訪ねていくことができるはずでした。 しかし、天が喜んでその部屋に入ってくる、神様の保護の下で愛し合う夫婦がいなかったというのです。分かりますか? いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いなかったのです。 声の大きさが、一人で叫んでいる文総裁にも及ばないこの聴衆は、サタンが来て、太鼓をたたきながらここに立って、「文総裁を見てはならない。わたしのものである。」と言うことができるのです。ですから、いたのか、いなかったのか、もう一度言ってみましょう。大きく!(「いませんでした!」) 死んでも生きても、千年万年待っても、億万年待っても、「それしかない。」と言うことができるものが、恋煩いの王の立場に……。わたしたち人間の一夫婦に、神様が宝物の中の宝物として贈ってあげることを許可しようというものであり、人間にとって最高に貴いものが愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮だったのです。分かるでしょう? (「はい。」) それがどこですか? 夫にとって妻の愛、妻の生命、妻の血統は、生殖器しかありません。妻にとって定着することができる理想境は何かといえば、夫のそれしかないのです。 では、理想家庭のおじいさんとおばあさん、息子と娘、理想家庭の孫嫁と孫婿とは、どのような人でしょうか? この器官を千年万年、握っていても、幸福の歌を歌うことができ、神様の前に永遠に感謝することができる、そのような人たちが、神様の家庭において相続を受けることができる家庭となるのです。 その国の忠臣の立場を相続し、その世界の聖人の立場、その天地の聖子の立場の価値を決定し、そして、神様と父子の因縁で一つになるのです。 そのように一つになったものは、永遠にそれを分ける者がいないので、神様の生命は“わたしの生命”であり、神様の愛は“わたしの愛”であり、神様の血統は“わたしのもの”です。神様の愛は、一体的な所有権を決定するのです。 ですから、神様のものが、すべてわたしのものであり、わたしのものは、すべて神様のものであり、神様の愛であり、わたしの愛となるのです。わたしの愛であり、何ですか? (「神様の愛です。」)分かりますか? そして、世界の歴史にない、最高の幸福の基地を中心として点綴するために準備していくと、定着したわたしたちの家庭の上にだれが動機となっているのかというと、神様なのです。 創造主であられる神様がわたしたちの家庭を創造されたのと同じように、さらに祝福して神様と一体理想を中心として、全宇宙をかけて、「おお、よしよし、わたしの愛。」、その次は何ですか? 「おお、よしよし、わたしの愛。」、その次は何ですか。 皆さん。母親と同じように、夫と同じように、おばあさんと同じように、わたしの代わりとしてキスしてくれない人がいないというのです。神様がそこで踊りを踊られ、生活的基準において一体となるためには、キスをしなければならず、愛さなければならず、血統を連結させて代を引き継いでいくための家庭が必要だという事実です。 それを失ってしまったので、はんだ付けして、再びそのような位置を見いだすようにしたのが、統一教会の何家庭ですか? (「祝福家庭です。」)「祝福家庭!」と言ってみてください。(「祝福家庭!」) “祝福家庭はわたしの家庭である”というとき、そこに神様が入っていかれますか、入っていかれませんか? (「入っていかれます。」)このすべての天地を失ってしまい、恨み嘆いておられた神様であられます。 そして、解放的勝利の覇権を持って天地を闊歩され、どこに行っても父母として侍ることができる主人の息子と娘の立場を失ってしまったということを、わたしたちは知らなければなりません。 それを、再び回生させて、神様を中心とした自由天地、自由解放、自由統一世界の神様の国と一致することができる立場で、愛を受けて初めて……。 人間の欲望とは、何でしょうか? おじいさんも王になり、お父さんも王になり、わたしも王になることができるのです。家庭にいるおじいさんは、天の国を代表した過去の王です。現在のわたしたちの父母は、全世界の家庭の王です。 将来、わたしたちは、天の国の王であられるおじいさんの愛を受け、世界の王であられる父母の愛を受けるのです。この二つの世界の二代を経て、孫の代に愛を授けることができ、キスもして、踊りも踊り、同じ祝福の立場に立ててくれるのも、おじいさんとお父さんです。 そこに伝授されるのは、天の国と地上、二つの世界の内容を持つのです。天の国を良心の代表的なエミーレの鐘の最頂上に立てることによって、天の国の父は縦的に無限な力を持った父であり、堕落していない本然の横的な無限の欲望を中心として縦と一つになることによって、空の器に水をいっぱいに満たし、神様の愛のコップと生命のコップで、生命の血統を家庭に分けて飲ませるためのものが祝福であり、結婚生活であったのです。アーメン。 そのようなことを願いますか、願いませんか? (「願います。」)それでは、それを所有することができる根拠地が、どこにあるのですか? 男性の宝の城のようなところです。 最近は、「宝島を訪ねていく。」という言葉があるでしょう? 黄金が問題ではなく、ダイヤモンドの山が問題でもありません。天下を渡しても取り替えることができない、神様の愛の本宮を占領することができる立場が、祝福を受け、妻と息子、娘を愛する立場です。それは、神様とともに愛を分かち合う立場なので、神様の愛と真の父母の愛と、神様の生命と真の父母の生命と、神様の血統と真の父母の血統が、縦的な心の王のお父様、横的な体のお父様……。 堕落することによって、人間の欲心は、この体を中心とするようになりました。そして、だれが世界を占領するのか、ということになるのです。それで、さまざまな独裁者が現れ、あらゆる怪物が現れました。今でもそうです。 神様を縦として九十度の角度に四方を合わせ、三百六十度、家庭から天宙まで、永遠に回ることができる一つの核の基準を中心として、その骨のようなものが、わたしの家庭です。それは孝子から聖子まで、すべて同じです。 神様の愛の骨のようになります。この世の中のすべてのものが一体となって、所有物として決定され、わたしの家庭の基台となり、世界の基台となり、天地、天上天国、地上天上天国の基台となることができる基本的な福を受け、それを成すための出発が、祝福家庭なのです。 その祝福家庭が、千家庭、万家庭になれば、氏族となり、何百万家庭になれば国となり、何千万家庭になれば世界となり、何億万家庭になれば、天の国となるのです。ですから、地上から完成して行かなければなりません。 それゆえに、家庭の公式に一致した、離そうにも離すことができない形であり、世界も同様であり、天地も同様です。それは、おじいさんとおばあさんの年齢の人、お父さんとお母さんの年齢の人がいて、そして兄と弟が一つになった兄弟、そして、夫婦のように、息子、娘を中心として、それらを拡大させたのが、世界です。分かりますか? そこに行こうとすれば、神様を中心として、天の国の家庭において孝子になり、忠臣になり、聖人、聖子の完成体となり、神様がついに、「わたしの息子であると同時に、すべてのことを成し遂げた。」と言われ、「おまえに、わたしの愛する国と家庭とすべてのものを相続させてあげよう。」と言われるとき、天の国の王子、王女として、この地上に王圏を中心として、千年万年、永遠なる地上天上の解放された人として、サタンがいない主権をこの地に迎えて、平和が定着することができる世界になるのです。アーメン。 さあ、それでは、皆さんの体を中心とした夫婦は、何を生んで、きちんと育てなければならないのですか? また、皆さんの体が何を正しくして成功させていくのですか? 答えは簡単です。孝子、忠臣、聖人、聖子を生んで、正しく育てれば、人間のすべての欲望を成就するのです。 それでは、体を中心として、サタンが占領した世界を訪ねていき、心の世界と体の世界が闘う……。皆さんの心と体が闘うでしょう? 闘わない統一的基準を中心として、神様のものとして所有を決定し、真の愛の家庭的中心基台の下で、国家と世界と天宙をすべて相続することができる動機の内容を完成させたという条件を備えれば、天の国の皇族圏の相続を受けるのは、必然的なことなのです。「アーメン。」と言ってください。(「アーメン。」) そして、皆さんの愛する生殖器は、孝子の家庭を生んで育てなければなりません。それが、人間の最高の欲望です。そして、国の忠臣の家庭を生んで、国にささげなければなりません。分かりますか? 神様にささげた愛は、そのように行くことができる目的過程にあるのですが、その過程が二つになってはいけません。 家庭をすべて築いたら、聖人を生んで育てなければならないのが、生殖器です。夫婦の、家庭の愛です。分かりますか? 家庭で生まれるのでしょう? 聖人も、愛国者も、孝子も、聖子も、すべて家庭で生まれるのです。 そして、皆さんの家庭においては孝子、国において忠臣、世界において聖人、天地において聖子の道理を完成した……。イエス様は、結婚できませんでした。イエス様が結婚しましたか、できませんでしたか? (「できませんでした。」) 結婚できなかったという二千年間の恨を抱いてきて、小羊の婚宴で結婚するのです。人類の先祖として根となることができ、すべて生命の根源となることができる家庭のモデルを持つことができなかったのです。 そのモデルを中心として拡張することによって、全世界が同じ物を持つようになり、台風が吹けば、太平洋の水もそれ以外の水も、同じ相対的基準になるのと同じです。 ですから、イエス様がもし結婚していたなら、今日のローマ教皇庁は必要でしょうか? 長老派、メソジスト、この者たち……。統一教会が必要でしょうか、必要ないでしょうか? (「必要ありません。」) 宗教も、堕落の副産物です。これは、すべて必要ありません。本然の創造理想である理想的家庭の定着、神様の絶対愛を相続した地上の愛の幹を取り戻さなければなりません。 山の渓谷に流れる滴が、間違いなく太平洋まで流れていくことができるというのです。それは、曲がりくねっているでしょう? ここから落ちた滴は、大海に流れていく途中で、すべて濁ってしまい、すべて中間で飛んでいってしまうのです。しかし、それではいけません。 出発したものが大海に着き、軽々とした本然の滴となって、再び帰ってくるのです。水蒸気になって、千年万年、この軌道を守っていくことができ、変わらない愛で授受をする循環法度を通して、統一があり、解放があるのです。平和があり、統一があり、解放があるのです。 今、南北が願うことは何ですか? 平和統一です。統一して何をするのですか? 解放です。解放して何をするのですか? 自由になり、家庭もわたしのものであり、国家もわたしのものであり、世界も、天地も、神様もわたしのものであるという自由奔放な解放圏を取り戻し、人間の良心、心の欲望、体の欲望、それ以上のものまでも完成することができる、定着起点を相続するのです。 これは、自分によって成されるのではなく、神様から、真のご父母様から生じたのです。それゆえに、その民と国を神様が愛し、真のご父母様が永遠に愛するのです。 自分の家庭を犠牲にしたとしても国を助け、国を犠牲にしたとしても世界のために生き、世界を犠牲にしたとしても天地を助け、天地を犠牲にしたとしても神様の自由解放を成し遂げなければならないのが、本然的創造理想の天理が願う伝統的路程であったのです。 この道は、政治の力で、お金の力で、知識の力で成そうとしても、不可能なことです。真の愛です。投入して忘れ、また投入して忘れ、永遠にそれを継続する心です。 ために生きる愛の伝統から、ために生きるわたしの心身統一、家庭統一、氏族、民族、国家、世界統一、神様まで解放するのです。これは、正道であり、天道として相続させて、神様の愛を定着させるためのものです。 これは何ですか? きょうは何ですか? (「本聖殿です。」)本殿聖地です。本殿とは何ですか? 神様が願われ、神様が住まわれる皇宮の家であり、本然の家です。それが聖地です。 すべてのものに打ち勝つのです。「聖」という字は、耳偏に口です。耳と口が王のような人が、「聖」です。よく聞かなければならず、正しく話さなければなりません。そのような人は、神様しか知りません。真の父母、メシヤしか知りません。 それでは、王孫の圏内に入っていきたいですか、入っていきたくないですか? (「入っていきたいです。」)今までのように、自分の目で見て、自分の耳で聞いていたのでは、王になることはできません。王というものは、三段階です。 おじいさんとお父さんと孫を、同じ愛の道として一つ……。おじいさんが頭上に来て、お父さんが腹の上に来て、孫が自分の足にしがみついたとしても、「良い。良い。」と言うことができるのが、王であるというのです。 そのように定着することができる家庭の王子、王女を生んで育てた父母というものは、その王子、王女が間違いなく天の国に入って行って余りあり、その父母も、間違いなく天の国に入って行かざるをえないことは、ないことはありません。何ですか? 二回は反対であり、三回は天国に入って行くというのです。分かりますか? (「はい。」) それを願う人は、立ち上がって両手を挙げてください。(「アーメン。」)居眠りしている人は、落第です。 ですから、神様万歳! 真の父母万歳! 天の王宮と天下の民が尊敬することができる本郷の地ができ、祖国光復の基台ができる、この神聖な起工式に参席した栄光を、神様の前に勝利として表示しなければならないので、万歳三唱が必要なのです。アーメン。(「アーメン!」)(万歳三唱)
2024.05.15
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神は私たちの真なる王であり、真の父母2001年7月3日から12日まで、全国12か都市で開催された神様祖国定着大会で講演されたみ言である。この大会で、世界平和超宗散超国家連合と世界非政府機構連合(WANGO)が共同で家庭、地域社会、国家のために貢献してきた各界の指導者たちを平和大使として委嘱、任命した。 尊敬する内外の貴賓の皆様、公私共に多忙な中にあっても本大会に参加されるために訪ねてこられた皆様に深く感謝申し上げます。 私は、新千年が始まる今年2月25日から4月17日まで、全米の50州巡回講演を成功裏に終えました。きょうはニューヨーク地域の聖職者たちの招きを受けて再び皆様と会うことになりました。これまで主にキリスト教の指導者たちを中心として超宗教指導者たちに、神のみ旨をはじめとして人類とアメリカ、さらには天の国と地上の国が進むべき道を提示してきました。 私は16歳の時、イースターの早朝、イエス様に出会ってから神のみ旨を成就するための天意の道を出発しました。ですから、あらゆる無理解と迫害に遭いながらも、それに屈することなく、この80年余りの生涯にわたって、真なる理想家庭を基盤とする平和世界を具現するために全力を尽くしました。 特別に、神の命令に従って1971年にアメリカに渡ってきた私は、この30年間、全心全力を尽くしてアメリカが神に選ばれた第二イスラエルとしての使命を果たすように覚醒させてきました。きょうは先日の巡回講演でお話しした内容と、去る1月13日に奉献した神様王権即位式で発表された内容を振り返ってみる時間をもちたいと思います。 内外の貴賓の皆様、この世の中には60億の人類が住んでいます。しかし、大きく分けると男性と女性という二種類の人間が住んでいるのです。そのように神は、鉱物界から植物世界と動物世界にいたるまで、すべての存在を陽性と陰性のペアシステム(pair system)でつくられました。 それならば神は、私たちにとってどのようなおかたであり、私たち人間といかなる関係をもっておられるおかたでしょうか。創造主である神は、人間の真の愛と真の生命、そして真の血統の根源であられるので、私たちはそのおかたを父と呼びます。すなわち神と人の本然の関係は、親と子の関係なのです。 皆様、人間にとって愛と生命、そして血統のうち、何が最も貴いでしょうか。大部分の人々は、愛が最も貴いといいます。しかし、愛や生命は、いくら貴いといっても、横的であり、一代で終わってしまいます。 しかし、血統は縦的であり、代を継いで永遠に相続されるものです。したがって、現代人はアダムから始まるすべての先祖たちの細胞が集まっている集合体と同じです。 ですから、私たちはどのように生きていますか?いつも心と体が戦いながら生きています。国家間の戦いには休戦もあり、終戦もありうるでしょうが、人間の内部で葛藤している心と体の戦いには、休戦も終戦もありません。 人間が神に似ることができず、そのような葛藤状態に陥ったのは、人間始祖が堕落したからです。それゆえに、信仰生活をしない人であっても、人間が堕落した人間始祖の後裔であることを認めざるをえないのです。 ところで、アダムとエバは、堕落した後にエデンの園から追放されましたか、それとも堕落する前に追放されましたか?アダムとエバは、堕落することによって神との間に愛、生命、そして血統の関係を結ぶことができず、エデンの園から追放されたのです。 ですから、アダムとエバは神に祝福された結婚式を挙げることができず、サタンの主管のもとで結婚したのです。すなわち、サタンから血統を受け継いで子孫を繁殖したというのです。それゆえ、イエス様が「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきたものであって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」(ヨハネ福音書8:44)と言って、人間の父がサタン悪魔であることを指摘して、戒められたのです。 堕落によって神とアダムとエバの間の父子の因縁が断たれて、アダムとエバが神を中心とした真の父母、真の夫婦、真の子女の愛を完成することができなかったことにより、神は直系の孫と孫娘を見ることができなくなってしまいました。 アダムとエバは堕落しないで完成し、縦的な真の父母であられる神を中心に横的な真の父母として一心一体となり、心と体が戦うことがあってはなりませんでしたが、サタンと関係を結ぶことによって体が心を引き回す立場になりました。 それでは、堕落というのは、どういう内容だったのでしょうか。聖書ではエデンの園で人間始祖が善悪の果を取って食べたのが堕落の起源であるといいます。しかし、それは聖書の重要な部分がそうであるように、文字どおりの果実ではなく、比喩と象徴で表現したものです。マタイによる福音書15章11節に「□にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」とあります。 人間は本能的に自分の欠点を隠そうとします。子どもたちもクッキーをこっそりと食べてお母さんに見つかれば、手を覆い、□を覆います。それと同じように、アダムとエバが善悪の果を手で取って口で食べたならば、彼らの目が開けたとき、手と□を覆うべきでした。ところが、彼らが下部を覆ったというのは、下部で罪を犯したことを意味しています。 エデンの園に5人の男性たちがいました。全被造世界の男性格主体であられる神をはじめとして、アダムとルーシェル、ガブリエル、ミカエルの3天使長がいたのです。ところが、女性はエバだけでした。そこでアダムとエバが裸で暮らしながら、ペアで仲良くしていた昆虫や動物たちの生態系を見ながら何を感じたでしょうか。 ですから、創世記2章17節で「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われた戒めは、エバの愛の問題について強力に警告されたものです。エバは、神を中心として個性を完成して神が許される祝福結婚を挙げるまでは純潔を守り、神の愛と生命、そして血統を繁殖させなければなりませんでした。 しかし、天使長ルーシェルが僕としての身分を忘れ、過分な欲望により、エバと不倫なる関係を結んで堕落させてしまいました。ですから、ペテロの第二の手紙2章4節には、「神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、暗やみの穴に閉じ込めておかれた」とあり、ユダの手紙1章7節には、「同じように淫行にふけり…」と記されています。そのように天使の犯した罪が、姦淫の罪であると指摘したのです。言い換えれば、善悪の果は、未完成だったエバの貞操、さらには、エバの生殖器を指していたのです。 人間の生殖器は、神が心血を注いで、真の愛の王宮、真の生命の王宮、そして真の血統の王宮として創造されたものです。ところで、善悪の果という言葉はどういう意昧でしょうか。女性が王と関係を結べば王子を生むのであり、マフィアと関係を結べばマフィアの子どもを生みます。まいたとおりに刈り取るのです。ですから、善と悪を分かつ善悪の果だというのです。 そして聖書ではエバを堕落させた天使長を蛇に喩えました。なぜでしょうか。蛇は、舌先が分かれており、一つの口で二つのことを話す二重人格者を象徴するのであり、自分の目的のためには、手段と方法を選ばない存在です。一方、男性の生殖器は、毒蛇の頭と似ており、常に穴を求めて回ります。女性の生殖器は、凹形になっており、あたかも洞穴のようです。 淫乱は、個人はもちろんのこと、家庭、氏族、国家を破綻させます。今日のような長い歴史の終末期である末世に、世界的に起こっている青少年たちの淪落やフリーセックスの波は、エデンの園においてアダムとエバが堕落した結実なのです。 男性と女性がもっている生殖器の本当の主人はだれですか?夫の生殖器は妻のものであり、妻の生殖器は夫のものです。したがって、それを開け閉めする鍵は一つだけです。どのような理由であれ、スペアキー(spare key)があってはなりません。そのキーを過って使用すれば、家庭が滅び、国が滅びるようになります。 人間始祖の堕落によりサタンは孫をもちましたが、神は直系の孫を見ることができませんでした。ですから、メシヤが必要ですが、そのメシヤはアダムとエバが結婚を誤って偽りの父母になったのを復帰するために真の父母として来なければなりません。 野生のオリーブの木は、枝を切って真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。ですから、イエス様はニコデモが訪ねてきたとき、「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ福音書3章3節)と言われたのです。だれであれ偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を断って、真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木されて天の国の民にならなければなりません。ですから、世界平和統一家庭連合が私の教えを中心として国際合同祝福結婚式を通じて真なる家庭理想の実現のために努力してきました。 私は命懸けで祈祷して真理を探求しました。レバレンド・ムーン以上に霊界と神をよく知る人はいないでしょう。天の戦法は打たれて奪ってくることです。サタンは、先に打って損害賠償まで支払うようになっています。また、怨讐までも愛さなければなりません。サタンまでも愛さなければならないのです。私がゴルバチョフや金日成を訪ねていって会ったのも、怨讐までも愛さなけれぱならないという神の真の愛を実践したものです。すべての迫害は、サタンの所有権を相続させてくださる神の戦略です。ですから、個人から天宙まで文総裁に反対しましたが、かえって文総裁は発展しました。 神をはっきりと知らなければなりません。人間始祖の堕落によって悲嘆と嘆息の中におられる神を解放してさしあげるために、あらゆる反対を顧みず、人種と国境を超越して真の父母の名によって「国際合同祝福結婚式」を主導してきました。婚前には絶対純潔、祝福結婚後には絶対貞節を守り、絶対、唯一、不変、永遠の真の家庭の理想を実現するよう私は教育してきたのです。 男性は天に代わり、女性は地に代わります。したがって一度、祝福結婚をすれば、離婚は不可能です。今日50パーセントを超える離婚率によって、天倫と人倫の基本秩序が破壊されつつあります。 内外の貴賓の皆様、神は男性と女性のどちらを好まれるでしょうか。何であれ、後につくられるものであるほど、多くの精誠を尽くすのでより貴いのです。女性は神が心血を注いでつくられたいちぱん最後の作品です。さらに女性は男性よりも尽くしながら生きるので、神は女性のほうに関心があるのです。 神は、どこにとどまりたいと思われるでしょうか。神は、男性と女性が完成して真の愛を中心として一つになるとき、彼らの中に臨まれるのです。ですから、縦的な愛の主人は神ですが、横的な愛の主人はだれでしょうか。夫に対しては妻であり、妻に対しては央であるのです。 ところで、生命の種は夫にあります。女性は、その生命の種を受けて自分の体を犠牲にしながら、栄養素を供給し、愛により育てて子どもを出産するのです。子どもは骨と肉の99パーセントを母親からもらいます。 女性の体の構造を見ると、女性自身のためにできているものは一つもありません。女性の胸とヒップは、女性のものですか?赤ん坊のためのものです。男性にはない子宮も、毎月の生理現象も、すべて赤ん坊のためのものです。そして結婚した女性の生殖器もだれのものですか?夫のものですか、自分のものですか?夫のものです。 ですから、女性は夫のために生き、子どものために生きるようになっています。そのような妻に対して、男性たちは家庭で女王の中の女王のように侍らなければなりません。息子、娘を教育して家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、そして天宙では聖子として育てる責任も夫にあります。 そのように夫と妻は、主体と対象の関係です。愛の関係では男女は平等ですが、秩序と位置付けでは生命の種をもっている男性が主体です。それゆえ、夫を主体として妻と息子、娘が一心一体となって真の家庭を築いて神に奉献しなければなりません。 内外の貴賓の皆様、新千年の幕開けとともに世界は一つの世界を指向しています。ワン・ネイション・アンダー・ゴッド(One Nation under God)を超え、ワン・ユニバース・アンダー・ゴッド(One Universe under God)すなわち、「神のもとの一つの宇宙」になりつつあるのです。私がいち早く説いてきた「地球村大家族」の世界が実現しつつあります。しかし、ここに深刻な障害物があります。それは、人種間の差別と宗派間の対立です。これは、神のみ意ではありません。 例えて言うなら、白人は「北極ぐま人種」(polar bear race)のようです。北極からスカンジナビア半島を経て、イギリスを通って世界へ広がったのです。黄色人種は、アジアで農業に従事して地を愛してみたところ、「ひぐま人種」(brown bear race)のようになりました。黒人は、熱帯地方の「つきのわぐま人種」(black bear race)と同じです。彼らの皮膚の色が黒くなったのは、太陽の光が強い赤道の付近で暮らしているからです。各人種間のカラーには、優劣はありません。ただ環境の影響を受けて、保護色を異にしているだけです。 実際に人種の間には99.96パーセントの同質性があるという事実が知られています。神の観点から見ると、皮膚の色には何ら質的な差異がありません。そして愛の神は、人種の皮膚の色については色盲です。神は、皮膚の色が異なる人種を創造されませんでした。したがって、霊界に白人とか黒人とかいうのはありません。ただ真の愛のカラーのみが存在します。 そして人類が平和世界を指向していくにおいて、宗教間の葛藤が深刻です。神は、教派や宗派をつくられませんでした。宗教自体が堕落の副産物です。すべての教派や宗派の分裂は、サタンが助長したものです。霊界には国家間の垣根、教派間の垣根、そして宗派間の垣根がありません。 ヨハネによる福音書3章16節の「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」というイエス様のみ言は、キリスト教の境界線を飛び越えて救いの世界性、普遍性、そして宇宙性を説いたものです。 今までサタンは、様々な境界線をこしらえ、神は壁を壊してこられました。すでに霊界では、四大聖人たちを中心とした宗派間の垣根も取り壊されました。ですから、イエス様、釈迦牟尼、マホメットと孔子が互いに往来しながら交流しています。 それをよく知っている私は、今回アメリカ50州の巡回講演を通じてすべての聖職者に、教派を超えて一致団結することを強く勧めました。実際にアメリカの聖職者指導者連合(ACLC)を中心とした連合教会(UFC)運動を通じて14万4千の教会がこの運動の先頭に立っています。今後、家庭を中心としたホームチャーチ(home-church;家庭教会)が定着するでしょう。究極的には制度的な教会やお寺、モスクなどはなくなるでしょう。 そして、私が国連で明らかにしたことがあるように、世界平和のために各種の国境線の撤廃運動が活発に展開されています。世界平和超宗教超国家連合が先頭に立って、世界NGOの連合であるWANGO(World Association of Non-Governmental Organizations)を中心として、国連本部から五大洋六大州にその運動を急激に拡散させているのです。 内外の貴賓の皆様!新千年は聖書の歴史で7千年に当たるのであり、イエス様以降の3千年を開いていく時代です。この時代は、旧約と新約の約束が成就し、霊界が完成することで、天上と地上に天国が築かれる成約の時代です。 私は、摂理歴史の蕩減復帰を完結し、今年1月13日に神様王権即位式を挙行しました。その日は、人間始祖の堕落によって囚われの立場にあられた天のご父母様を解放してさしあげた日として、全摂理歴史の中で最高の祝いの日でした。それでは、今からその王権即位式を中心としてお話ししたいと思います。 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人々が、国をもって祝福を受け、一つの血族となり、血統が一つとなった単一民族を成した基台の上で、初めてこのような式を行うことができるのです。「神様王権即位式」のために、今まで数多くの宗教圈の中で、ユダヤ教の第一イスラエルからキリスト教の第二イスラエルを経て、第三イスラエル圈である韓国に至るまで、旧約時代、新約時代、成約時代と越えてきました。 「成約」とは、「すべてが祝福を受ける時代」という意味です。神がつくられたすべての被造万物は、人類始祖の堕落により、祝福圏に立つことができませんでした。しかし、神は、救いの摂理の道を通じて、キリスト教を中心とした数多くの宗教を立て、万民を教育することによって段階的に引き上げ、成約時代を迎えるようにされました。しかし、主流思想でない系列の宗教は、その全貌を知ることができません。ですから、ユダヤ教とキリスト教を中心として、神を人類の父として侍りうる道を築いてきたのです。そうして、イエス様が地上に来られることで、初めて「ひとり子」という名前をもつようになりました。 神が失ってしまわれたこの歴史時代に、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神に愛されることのできる血統的内容を中心として、地球星にひとり子が生まれました。神の長男が生まれたのです。しかし、ひとり子は生まれましたが、ひとり娘(独生女)はいなかったのです。神は、4000年間の救いの歴史を通じて、完成したアダムを再び創造なさったのと同じです。神は、アダムに似せてエバをつくられました。アダムの相対になることができるように、アダムをつくられた原則、その青写真を土台としてアダムに似せてエバをつくられたのです。 聖書を見ると、男性のあぱら骨を取って女性をつくったと記されています。それは、どういうことかというと、骨子を取ってつくったということです。ですから、完成したアダムは、この地上で失ってしまったものを取り戻しうるひとり子です。神は、直系の真の愛の血統を通して、アダムは取り戻しましたが、エバは取り戻せなかったのです。エバを取り戻すには、今までの堕落以後の歴史性を、再び家庭から復活させて接ぎ木し、国をつくらなけれぱなりません。それを準備しておいたものが、ヤコブからのイスラエル民族であり、12支派です。 選民思想を中心として、ヤコブの12人の子女が着地して、世の中に勝利の版図を拡大させたのが、イエス様が来られるまでの2000年間のイスラエルの国とユダヤ教です。イスラエルは、外的なカイン型であり、ユダヤ教は内的なアベル型です。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的、肉的父母の責任を全うすることにより、カイン、アベルを収拾することのできる母を選択して待たなければなりません。母を選択した基台の上でイエス様を迎えていれば、真なる霊肉を合わせた父母を迎えるようになり、霊肉が合わさったイスラエル国とユダヤ教が、カイン、アベルの立場で真の神の血統と一つになっていたはずです。 ですから、その一つになった祝福家庭を中心として氏族を編成し、民族、国家まで編成したものに対しては、だれも否定することはできません。ローマがいくら世界を支配するとしても、かなわないのです。外的なものは肉と同じで、内的なものは骨と同じであって、肉というのは骨を超えることはできないものです。もし、そのような立場に立つようになっていたら、イスラエルの国を中心として万国統一、神の解放と神の即位式は2000年前にすべて成し遂げることができたはずです。しかし、イエス様が、エバを復帰して家庭を築くことができなかったことにより、イスラエル民族、選民圏国家の基準まで成し遂げることができるように準備したものが、すべて壊れてしまいました。すべて壊れていったのです。 イスラエルが準備した、その基盤がすべて死んだも同然となったので、イスラエルの国はなくなり、7世紀になって中東からイスラム教が出てきました。イスラエル民族は、エジプトから帰ってきて祝福を受けた民族になったにもかかわらず、その中心民族の中からイスラム教が出てきたのです。ムスリムが反対する立場で現れ、怨讐になりました。アプラハムの息子であるイシマエルとイサクは兄弟ですが、お互いに怨讐となって戦う歴史が展開しました。そうして、エルサレムを中心として、十字軍とムスリムが戦いましたが、イスラエルを奪われてしまったのです。 それで、奪われたそのイスラエルを再び取り戻してこなければなりません。しかし、戦いによって奪ってはいけません。イエス様の時代に国家的基準のカインとアベル、右翼と左翼の立場で平和の基準をつくっていたら、カインとアベルの闘争歴史は、霊界でも地上でもすべて解決したはずです。しかし、国家形態の基準を準備したイスラエルが亡国の種となることで、「再臨」という名詞が登場するようになりました。 第二イスラエル圏を中心として、ローマ圏を支配することができ、超えることができる世界版図圏がキリスト教です。イエス様の体を失ってしまったので、第二次世界大戦を通して連合国と枢軸国が戦い、連合軍が勝つことによって、霊界を代表する基準においてキリスト教文化圏が世界を統一するようになりました。そうして、キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代を迎えて、怨讐世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が、天の側の世界に帰属することができました。 この基盤を中心として、カトリックとプロテスタントが、聖霊である真の母を中心として一つになった立場に立ってキリスト教文化圏を代表し、来られる真の父である再臨主を迎えていたならば、そのときから統一天下の運勢を受けて、1945年以降3年半ないし7年後である1952年までに統一天下を築き、そのときに神の「王権即位式」が終わっているべきでした。しかし、キリスト教は、統一教会を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、梶棒をもって追い出そうとしています。 なぜそうするのでしょうか。ユダヤ教がキリスト教に対して梶棒をもって、最後まで反対しながら滅びるしかない立場に向かったのと同じです。今、キリスト教が統一教会に反対しながら、全く同じ道を進んでいます。宗教圏はすべて同じです。キリスト教が、神のみ旨をすべて成し遂げてさしあげられず、仏教と儒教、イスラム教なども同様に困難な道を歩んでいます。その結果、家庭から社会、国家、世界など、どこもすべて地獄のようになってしまいました。神の願われた真の愛の理想圏は、地球星では見いだすことができない結果となりました。 アメリカのような大きい国にも、神が訪ねることのできる心と体が一つになった真の息子と娘はありません。神が願われる堕落していない本然の基準において、夫婦の心と体が一つになった真の家庭はないのです。父母と息子、娘が争わない家庭はないのです。個人主義化してしまったこの世は、すべてが分かれるのです。そのような転換の時期に、東洋と西洋で文化背景が異なるので、メシヤの代理的責任をもって、世界人類を東西、四方でそれぞれ収拾してきた宗教形態が、正に仏教や儒教、イスラム教、キリスト教なのです。 では、再臨主はだれかというと、真の父母です。真の父母は、何をもってくるのでしょうか。真の愛と真の血統をもってくるのです。偽りの父母は何かというと、偽りの愛と偽りの血統をつくりあげた存在です。堕落していない本然の世界では、神を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築くには、真の血統がつながらなければなりません。真の父母の子女になるには、真の父母と血統がつながらなければなりません。「父母」と「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統がつながらなくては絶対に成立が不可能です。それは、神も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。そのために、成約時代の真のご父母様を通した祝福による真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗の蕩減復帰を可能にしうるのです。 真正なる神の血統、本然の基準に接ぎ木してそれが野生のオリーブの木の畑であっても、真のオリーブの木の血統において、真の愛を中心として一心、一体、一念となって、生死圏を行き来しなければなりません。個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界の生死圏、いかなる犠牲があっても越えていくというような心情をもった人は、サタンが関与することはできません。国家基準以上越えるようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことができません。イエス様も、もし結婚していたのならば、亡くなられることはありませんでした。殺すことはできません。これは、相対理想の直接主管圏に連結することができるからです。 原理でいえば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入るのです。直接主管圏は、神の血統が連結されているので、サタンが断ち切る道理はありません。その過程において、心情一致しうる、その立場になることができずに、堕落したために問題になったのであって、アダムとエバが夫婦になって、真の愛で愛し合ってさえいたならば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが奪っていくことはできません。しかし、この過程で実が熟しませんでした。実が熟さなければ、いくら実を地に植えようとしても、種は生じません。それで、永遠の生命が存在しないので、死んだ生命のようなものを処置する所が地獄です。それは、神とは関係がないのです。 親子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、ただそのままでは連結されません。独りでは、血統は連結されえません。男性独りの血が連結されただけではだめなのです。男性と女性の血統が一つにならなければなりません。宇宙の根本の道理は、性相と形状の血統が一つになったその場で、つまりお互いにとって好ましい立場で、性相となる心が喜べば、形状である体も共に喜ぶことができる立場で、人間を創造したというのです。アダムの家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダムとエバを創造した、その実体的対象を繁殖して東西、四方、世界いっぱいに満たして、天の国の民を繁殖することのできる数多くの分工場を拡張するのです。 そのようにすることによって、天の民を満たして、霊界にいる神と地上の実体の父母が、地上で暮らしながら、共にそれを生産するにあたり協力するのです。そして、霊界において永遠に暮らすことのできる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、地上、天上理想天国を完成するのです。それゆえ、神とサタンまでも和解して、ユダヤ教と来られる主、それから周囲にある宗教と和解させるのです。イエス様が来られて、家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえ備われば、そのときにすべて終わります。 しかし、それが終わらなかったので、世界の途上で、第二次大戦以後に世界国家であるアメリカ(アメリカは世界の第二次的なイスラエル圈)が、第三次地上、天上の主権、覇権の主人として来られた真のご父母様に出会い、地上統一、天上統一の基盤を造成したならば、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圈、地上、天上天国の解放に連結されたはずです。それが40年間かけて巡り、今日まで56年の歳月が過ぎました。そして、この時代に「神様王権即位式」を行うことができたというのは、夢のような話です。 だれが、神の「王権即位式」をしてくれるでしょうか。最初に、だれが神の「王権即位式」を台なしにしたのですか?サタンとアダムが台なしにしたのです。アダムとエバが真の父母になることができなかったためにサタンが入ってきて、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができなかったのです。堕落によってサタンの血統が残ることになったので、これをすべて否定して、引っ繰り返さなけれぱなりません。それは神もできず、サタンもできません。 サタンが今までつくっておいた自分の国を、自らが壊してしまうのは難しいのです。だれでも、自分がつくったものを改造することを嫌います。サタンも同じです。それを神が引っ繰り返すこともできません。神が引っ繰り返すことができるならば、エデンの園で、アダムの家庭を失ってしまわなかったはずです。いずれにせよ、理論的にも神が手をつけられないのは間違いないので、神が手をつけられないことに手をつけうる人物がだれかというと、完成したアダムです。本然の愛の家庭をもつことができるそのような家庭は、アダムの家庭以外にはありません。 中心が問題です、中心!復帰も中心がなくて完結することができるでしょうか。それでは、祝福家庭の中心とは何でしょうか。だれが祝福してあげるのでしょうか。真の父母が祝福してあげるのです。だれが結婚式をさせてあげるのでしょうか。自分の息子、娘に対して、血統を合わせて父母に似るようにしてあげる、その結婚式をだれがしてあげるのでしょうか。堕落しなかったならば、だれがしてあげたでしょうか。真の父母がしてあげるのです。堕落は、天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。それは、横にはしごを架けて、上がっていこうと考えるようなものです。 昨年の10月14日、聖人と先生の息子、娘、祝福を受けた家庭が一つになり、霊・肉界の宗教圈統一式をしてあげました。そこで何を語ったかというと、「真のご父母様は家庭の王である」ということです。今まで、家庭の王、天地を代表した中心位置に立った家庭の王がいましたか?家庭の王になるには、すべてのものの中心にならなければなりません。「父母の中の父母」にならなければなりません。それから「長子の中の長子」にならなければなりません。長子の王が、まず家庭をもつのです。 「逆婚」という言葉があるでしょう?結婚は、引っ繰り返してすることはできません。順番にしなければなりません。最近では、逆さまにも行って騒いでいます。また、それは復帰という内容と呼吸が合うので、こちらにも合わせ、あちらにも合わせて、逆にしても通じるというのです。しかし、本来は、長子、次子、生まれた順番に結婚しなければいけません。しかし、そのように混沌となっているので、最近では親族相姦関係が現れています。姦淫するというのです。おじいさんが孫娘と連れ添い、おじいさんが嫁と連れ添っています。親族相姦関係が生じたのです。人々は、中心が分からずに回っているので、お互いにー緒に連れ添ってみるのです。 今は、そのようなことをする大混乱の時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、自分の系列を把握することができないほどであり、1度なのか、0度なのか、360度なのか、180度なのかも分からないほどなので、0度でも360度でも180度でも、お互いに回りながら合わせてみるのです。それゆえに、民族を移動して世界が乱交する事件まで展開するのです。最近では、外交官というような人々が外国に行けば、その国にどれほど旗を差して帰ってくるか、どれほど女性と相姦関係を結んでくるかというような乱交時代となりました。 このようなことを、だれが収拾するのでしょうか。神も、エデンの園でアダムとエバが堕落することに干渉することができず、サタンが結婚することも干渉することができなかったのですから、「終りの日」に干渉する道理があるでしょうか。結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生じたので、真の父母が来て、これをもう一度蕩減復帰、つまりこれを否定して引っ繰り返さなければなりません。したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている者が、死ぬような境地に立ったとしても、蕩減を果たすまで生き続けることのできる余力があってこそ、初めて生きるということなのです。死ぬことを悲しみ、逃げたいと思う人には、永遠に復活圏がありません。それゆえに聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」と記されているのです。 ですから、神も同じであり、真の父母も同じですが、天の国に行こうとする者は、どうでしょうか。気が狂うほどでしょう。神も、生きんとする人間の一つ一つの生命を生かそうとするためには、その反対に、死ぬ境地に行かない限り、生かしてあげることができるように支えることはできません。断崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げなければなりません。そのような生死の基準を超えてこそ、人も生き、神も生きるのです。メシヤ、あるいは救世主という人は、神よりも、もっと苦労しなければなりません。神は楽にしてさしあげ、食べさせてさしあげたとしても、自分は、死ぬほどの苦労をしようとしなければなりません。 西洋人は、「自由、自由、自由!」と叫んでいるでしょう。いくら西洋の教育制度が整っているとしても、西洋人には堕落圏内の自由の概念しかありません。家庭観、社会観、国家観、世界観、宗教観、神の摂理観のようなものがありますか?アジアの教育と西洋の教育は、180度違います。家庭観も違います。ですから、西洋の制度は、「終りの日」に混乱するようになるのです。個人主義の観点では、そのようなことが分かりません。氏族、民族、国家、世界、天宙の概念がないではないですか。どのようにして、それを悟らせるのでしょうか。 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成し、神を解放しなけれぱならないことを教えてあげました。小さなことから始めて、神を解放する最高の段階にまで上がってきました。それでは、どのようにして、それを成すのでしょうか。心と体を統一することから始めるのです。絶対的に心と体が一つとなった位置から家庭、国家、世界、神まで進んでいくのです。西洋人たちは、どんなにその位置まで進みたくても進んでいくことはできません。なぜでしょうか。個人主義の概念をもっているからです。個人主義の概念が怨讐です。それが神の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の立場につながるのです。 皆様は、ここに見物に来たのですか、それとも文総裁の話を聞いて、困難な峠を踏み越えていくために来たのですか?それが問題です。そこには、個人主義的概念はありえません。ハーバード大学を出た、エール大学やオックスフォード大学を出たといっても問題は同じです。むしろ労働者や無学な人たちのほうがましです。フリーセックスを好む人たちは、だれですか?白人ですか、だれですか?黒人がそれを好むとすれば、それは白人から学んだのでしょう。 このように考えなければならないのです。フリーセックス、ホモ、レズビアン、このようなものは、間違いなく麻薬中毒とエイズにかかるようになります。麻薬とエイズのために(人類が)全滅するようになっています。アフリカでは、60パーセントがエイズにかかっています。 15年、20年以内に滅びると見るのです。エイズの潜伏期間は、8年から12年です。ですから、2代ですべて滅びます。 国連を中心として見るとき、非政府機構(NGO)も多くの問題点を抱えています。その人たちに、「最も難しいことをしなさい」と言えば、それをする人がいるでしょうか。 NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、あれこれと指摘しますが、私のように、国連の役割や共産主義と人本主義を料理する問題などを指摘するでしょうか。あまりにも次元が高く、聞いてもぼう然とするだけです。そのような高い次元の内容を知ってこそ、初めて反対することもできるのであって、反対することはできません。彼らは、「正しいことは正しい」と言うのです。 青少年の淪落と家庭の破綻、エイズ問題、特に純潔な血をどのように残すのかという問題を、彼らは知りません。それに対する解決方法は、大統領や国連事務総長など、だれも分からずにいます。彼らは「これは、うそか本当か?」と言うのです。 今から「神様王権即位式」以降の条件についてはっきりと教えようと思います。今までの問題は何かといえば、血統が問題です。「血統」は、英語で何と言いますか?プラッド・リネージ(blood lineage)です!これが最も重要です。自分の国の王が重要なのではありません。父母も必要ありません。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。今、この世界には数多くの国がありますが、神に属するものは一つもありません。サタンに属しているのです。今からは、ほかに方法はありません。神に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。 そして、アメリカのような自由世界、民主世界は、ユニオン(union労働組合)ゆえに多くの問題を抱えています。しかし、ユニオンは問題がないというのです。労働者、農民のユニオンがあるのと同じように、ストック・オーナ~- (stock-owner)、株主のユニオンをつくれというのです。 「労働者ユニオンと株主ユニオンの二つが一つになって、私たちの家族をきちんと食べさせて養わなければならないので、今年は、昨年の生産量を超えなければならない。だから、労働者ユニオンと株主ユニオンが一つになって競争しよう。そうして、利益が出れば、三年間ほどは主人に渡さずに、自分たちで分けるのだが、労働者ユニオンが一生懸命に働けば、その分の何パーセントをより多く与え、株主ユニオンが一生懸命にすれば、その分を多くもらおう」と、このようにします。こうすれば、闘争が生じるでしょうか。西洋社会で、このように考える人はいないのです。 それができないときには、「宗教連合の世界組織よ、集まりなさい。全世界の祝福家庭は、集まりなさい。今から宗教ユニオンをつくろう」と呼びかけるのです。 そのように、宗教ユニオンをつくれと言えば、つくりますか、つくりませんか?ですから、ユニオンに対しても「退け」と言えば、共産党は退くのです。ロシアにユニオンがありますか?ありません。中国にユニオンがありますか?ありません。北朝鮮にユニオンがありますか?ありません。それでは、なぜ先進国にユニオンができたのか、その動機は何でしょうか。ロシアが外交政策で、その国々を滅ぼすために、「仕事をせずに、血を吸い取りなさい」というのです。ですから、文総裁の言うとおりにすれば、ユニオンの抱える問題点は解決することができます。 今からは、どのように思おうと、好きでも嫌いでも、東洋人でも西洋人でも黒人でも、人として生まれた者は、神のみ旨と文総裁の教えを聞かなければ、困るようになるのです。ですから、初めから困難な立場に立つのではなく、きょうから新しく決心しなさい、というのです。一度決心したら、いくら難しい迫害があっても変わってはなりません。今からは、確信を抱かなければなりません。 今日、この新千年時代に何をすべきかというと、今まで神も解放されず、真の父母も解放されませんでしたが、今や解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけません。監獄に入ったとしても恐れてはいけません。自分が、天国に早く行きたいのに、若くして行くならば、どれほど良いでしょうか。それが損することですか?天上天下、全宇宙が、自分の手の中に入って、主人になるのに、どうして否定するのですか?死のうが生きようが、心配することはありません。そのようになっていなけれぱなりません。 今日、「神様王権即位式」を行うことによって、国が変わりました。今や、み旨の道のために心配しなければなりません。神は、み旨の先頭に立つことができず、今まで恨を抱いておられます。ご自身の願いどおりになさることができずに恨に満ちています。神がなさりたいとおりにできるよう、後援部隊になりなさいというのです。 「神様、なぜこのようになさるのですか。きょう、早朝に忙しいことがあって、私より早く降りていかれるなら、私を起こして連れて行くべきでしょう。今までは、目覚めさせるために神様が働かれましたが、今からは変わる時ではないですか。お父様は、息子よりも立派なのに、息子、娘よりもっと苦労し、何とかここまでたどりついて、即位式までなさったのに、その即位式の権限を中心として、一声の号令で、天下がするするっと巻き込まれて落ちていくはずなのに、なぜ、お出ましにならないのですか。私がご案内します」と言うのです。お出ましになられなくても、案内ならできるでしょう。今からは、時が変わったのです。 皆様は、どのように個人完成をするのか分かるでしょう。個人の心と体が、一つになることが分かるでしょう。堕落するときに、サタンの血統を受け継いだ体が、堕落するときの愛が、堕落していないときの、愛を知らない良心の力よりも強かったのです。これが問題です。どんなことがあっても、体が願うとおりにしてはいけません。これから守るべき鉄則は何かというと、第一に、死んでも血統を汚してはならないということです。第二に、人事処置を誤って、人権を蹂躙してはいけないということです。男性でも女性でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり、蹂躙してはいけないのです。責任者たちは、自分の心にそぐわないからといって、むやみに人事処置をしてはいけません。心にそぐわないからといって、むやみにすることはできません。 人権を正しく指導することにおいては、真の愛、為に生きる愛をもって暮らす人が主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想をばらばらにしてしまうのは許すことができません。罪の中で二番目の罪です。第三に、公金を盗んではならない、公金を自分勝手に使ってはならないということです。以上の三つです。監獄に入る人の70パーセント以上が、この問題で、そこにいるのです。監獄に入っていってみれば、そのようなことが分かります。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っかかっています。それから金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。 これから祝福を受けた血統は、神の血代であり、神の真の愛と真の生命を受け継いだわけですから、堕落世界に染まった、今までの習慣的な行動によって汚してはいけません。 その血統を守ることができますか?夫婦になっている人も、配偶者がいない人も、独りでもよいので、「完全な血統を汚さない」と決心し、そのように誓う、きょう、この日にならなければなりません。きょうの記念の日を忘れてはいけません。夫婦げんかをしても、「正月13日、13数!」と言えば、おさめなければなりません。西洋では、「13」というと、最も悪い数です。それは12か月の真ん中にある「中央数」です。中央に12か月が入って、天地の道理が循環しなければならないのに、これがないので、すべてが混乱して道理的な混乱世界になっています。これを正そうというのが、天の願いなのです。このことを知ってからは、「たとえ千回、死ぬようなことがあっても守らなければならない」と、鉄石のような決意をする、この時間としなければなりません。 天の国の憲法第一条が何かというと、「血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさい」ということです。第二は、「人権を蹂躙してはならない」。第三条は、「公金を略取してはならない」。きょう、この記念日に天の国の王権を維持して、皆様が王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、これが絶対に必要です。ですから、お兄さんを無視することはできません。また、弟が体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。この世の中では、すべて無視するでしょう。 大学を出た人は、知識があるからといって、高等学校だけ出た人も無視します。そのようにすれば、人権蹂躙になります。公的な環境を破壊させることは、国家財産の略取と同じように恐ろしいことです。そのように暮らす人は、いくらうまくやろうとしても、できません。そのように暮らしてみてください。いくら神に祈祷しても、うまく伝道することができません。門の前に人が来ても、背を向けて帰ってしまいます。 負債を負う人は、天下がすべて嫌います。金氏一族ならば金氏一族の中で、一族を代表して問題を起こし、負債を負うことを喜ぶ人が、どこにいるでしようか。後には、道を行く人まで捕まえて、逆さに水たまりに投げ込んでしまうのです。そのような時が来ます。この三つについて分かりましたね。この三つを一度指を祈って数えてみなさい。独り、内心で決心したことを、一つ、二つ、三つ、一つ、二つ、三つと、何度も繰り返してみなさい。純潔、人権、国家財産の略取禁止の問題について、はっきりと理解して習慣化しなければなりません。口さえ開けば、目覚めさえすれば、そのような言葉が出てくるようでなければ行動できないのです。 そこに付け加えるならば、一生の間、愚かな人やあらゆる人をすべて連れて生きてきたので、何らかの事情がないでしょうか。皆様が生きていくのに何か事情はないでしょうか。そのとき、そのような事情がたくさんあるはずですが、そのような法に引っかかるまいと努力すれば、それらの事情にすべて打ち勝った人になるはずですから、文総裁が言うまでもなく、天国に入るようになるでしょう。では、どのようにすべきでしょうか。どのように暮らしますか?幸福に暮らすべきでしょう。独りで暮らすことが幸福といいますか?共に暮らすのに、幸福に暮らす中に、何が含まれるでしょうか。 神の公式、法度によって立てられた中で、どのような環境で、どのような人たちとともに暮らせば、幸福に暮らしているといえるのか、ということです。簡単です。それも三つです。父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は、夫婦の前では子女になります。子女関係、兄弟関係だというのです。自分の家庭を中心として、父母がいて、それから夫婦がいれば、息子、娘がいます。したがって、父母の前で、自分にとっては兄弟関係と同様に親戚の8親等、4親等以上が、すべて連結されて入るのです。それで、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自ずと生じるのです。子女関係を兄弟関係といってもかまいません。彼らと一つになって、幸福に暮らさなければなりません。幸福に暮らすことができるよう指導しなければなりません。お互いが手本になってこそ、幸福に暮らしているといえるのです。 手本になっていなければ、間違って暮らしているということです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば、幸福に暮らせるようになるのです。そのように幸福に暮らせば、どうなるのでしょうか。家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じるのです。天の国の王がいて、地上の王がいるならば、その王たちが幸福に暮らしている家庭を訪問する日が来ます。毎年、年初めに、その国で最も幸福に暮らしている家庭を訪問し、表彰する時が来るのです。そのように暮らす、祖父から始まって父母、夫婦の3代が四位基台理想を備えることができた、そのような家庭に賞を与えるのです。 そのような家庭が、その国にあれば、先に賞をもらった家庭が、後代に賞を与えることができる責任者となり、国王に代わった国の中心、大統領の家庭に代わって賞を与える時が来ます。これも三つです。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば、兄弟関係、と言ってもよいのです。兄弟関係というのは、兄弟が一つになることによって、それを子女たちが見て、似るようになるのです。それゆえに、兄弟関係も子女関係も、共同責任の下で和解して影響を及ぼしながら、主体的な位置に立つために生きた人になれば、天の国のだれであろうとも自分を締め出すことはできません。 今から、逆賊として追われて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天の国の皇族圈になって、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。きょう、このことを肝に銘じてくださるよう願います。これを標語として定めるのです。 3000年(に向けて)の標語の中で、純潔血統、人権平準化、そして国家公的財産の略取禁止。それから父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうということです。町内がすべて、「あの人について行くべきだ」と言い、「あの人のようになりたい、共に暮らしたい」と言えば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶されうる人になります。文総裁自身も、そのように生きています。 きょう、「神様王権即位式」で宣布した最も重要な三大鉄則についてお話ししました。それは、私たち人間が、公人として必ず守るべきものであり、家庭に入っても、国に入っても絶対に引っかからないようにするための指針です。きょうこの日に、正に記憶するに値する内容であるということを肝に銘じ、生涯の標的としてくださることを願います。成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。 どうか、霊界を一生懸命に研究して、神を中心とした祝福を受け、真の血統の家庭を築き、為に生きる生活を通して永生の準備をするように願います。今、人々は、有限な人間の能力とは比べものにならない天運のみ手を感知しようと努力しなければなりません。生きておられる神のみ前にあって、真に柔和謙遜な姿勢で、天の真なる血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が、幸福な天国人なのです。100神の王権時代を迎えて、神の主権を輝かせ、超国家的に心情文化世界を創建するにおいて、共に同役者となられることを願います。神の祝福が、いつも共にありますようにお祈りいたします。どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.11
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第十一回「七・一節」記念礼拝の御言成約九(二〇〇一)年七月一日、韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 大講堂 真のご父母様は、第十一回「七・一節」を韓国の地で祝われました。 このみ言は、制定から満十周年を迎えた「七・一節」の記念礼拝で、真のお父様が、その意義について触れられながら語られたものを翻訳し、整理したものです。(文責・編集部) 米国のキリスト教が、レバレンド・ムーンと一つになって、選民圏に祝福世界化運動が連結されたので、しばらくの間、その報告を聞いてから式を進行するのが良いのです。分かりますか? 梁昌植氏! (「はい。」)簡単に十五分で話してください。 ここには、一般の人も来ているので、話してあげるのが良いのです。韓国、日本、米国の連合大会であるということを知っているので、そのような面から米国の代表的な話が必要であるということを知らなければなりません。 (梁昌植北米大陸会長の報告) 今の時に関して、少し話をしましょう。今、摂理歴史は、“母子協助時代”を経て“父子協助時代”になったので、米国と韓国が一つになれば、全世界が、その方向に従っていくことができる時代が来たのです。母が必要ならば、父が母を立てることができ、息子を立てることができる時なので、内外共に解放される立場です。 ですから、母の復帰時代は過ぎていったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)それで、今回、祝福をしてあげた六十人の代表たちが来て、真の父母の講演の席上で、摂理的な路程において自分たちが経てきた実体的な内容を紹介してくれるのです。 また、韓国と米国との間で、国家間の関係が結ばれれば、世界化することができます。このような時点に至ったのです。 今日、このような最高の頂上、分水嶺を越える時点になったので、霊界と地上の統一圏を築きました。真のご父母様が、祝福家庭による天の血統基盤の上に、個人から家庭を超え、氏族、民族、国家、世界化時代を超えて、天上まで統一した環境を築き、そのうえで「(神様)王権即位式」を挙行したのです。 ですから、天上にとどまられて、恨めしく過ごしてこられた神様も、霊界にいる祝福を受けたすべての霊人たちを率い、聖人、聖子たちを率いて、地上の祝福を受けた家庭と一つになられるのです。 地上がアダムの立場であり、天上世界は天使長世界の立場です。自分の先祖たちは、霊界で祝福を受けたので、地上で祝福を受けた地上の後孫の家庭と比較すれば、先祖の家庭は、天使長の家庭であり、地上の家庭は、アダム型の家庭なのです。 それゆえに、兄の立場にいる霊界の家庭が地上に来て、弟が兄の立場に上がっていって、入れ替わるのです。長子権復帰です。 そうして、入れ替わることによって、弟が兄になり、父が息子になり、孫がおじいさんになるような“天地開闢時代”になるということを知らなければなりません。前に進んでいって“回れ右”をすれば、最後尾が先頭になるという、そのような時代になったのです。 それゆえに、今まで地上で先頭に立って宗教圏を虐殺し、迫害していたすべての存在は、弟の立場に行くのです。迫害を受けていた人たちを兄として、弟の立場で従っていかなければなりません。 もし、従っていかなければ、真のご父母様を中心として長子の立場に立った、その長子が天地を中心とした天宙父母の権限を受け継ぐことによって、次子に対して真のご父母様の権限を代身、代行することができます。どのようなことでもできるのです。 真のご父母様が願われれば、どのようなことでもすることができる時代に入ってくることによって、霊界が地上に来て、地上にいる実体、肉体を持った祝福家庭を兄として侍り、一体化することができる環境になります。そして、すべての一族を中心として、一国を協助することができるのです。 そのような時代が来るので、もし、協助するとするならば、その日には、病を与え、薬を与える時代が来るのです。すでに王権樹立が成されたので、憲法の基準を中心として、天の願いどおりに行動しなければ、霊界全体から行く道を否定される時代が来たということを知らなければなりません。 皆さんは、“祝福の中心家庭”なので、今からは神様も必要ありません。神様は、すべての権限を下さいました。宗教圏を代表したメシヤ権も……。 今までのユダヤ教や、キリスト教や、その他の宗教圏の孔子や釈迦、そのような聖人たちを信じなくても、あるいは彼らに頼らなくても、そして真のご父母様と関係を結ばなくても、皆さんが、全体を代表して「祝福の中心家庭○○の名によって祈祷します。」と言う時が来ました。それは、どういうことでしょうか? 堕落していなければ、宗教は必要なく、氏族、民族、宗教の分派や紛争はありませんでした。神様の愛を中心として、統一された祝福圏内で育ったアダムとエバが、祝福を受け、神様を直接にお迎えして出発していたならば、この地上と天上が一つの国となって、地上天国になっていたはずです。ところが、堕落して、それを失ってしまいました。 ですから、一人ではなく、霊界に行ったすべての霊人たちと、地上にいるすべての人類が総合して、一つに統一された完成的世界版図のアダム家庭を取り戻したということです。分かりますか? それで、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することができる、そのような関係を結ぶようになるときには、どのようなことが起きるのでしょうか? そのとき、神様の全体、全般、全権、全能の役事として、違反するものは、法を中心として、どのようになるのですか? 秋になれば、木の葉が黄色くなって、自動的に落ちますが、それは、肥料として使われるだけです。実を結ぶことはできません。実を結ぶことができずに落ちたものは、肥料となるだけです。 “祝福の中心家庭”とは、み旨を中心として精誠を尽くし、堕落していない、復帰完成した世界史的中心家庭です。アダムは、個人的中心であり、一族の中心ですが、“祝福の中心家庭”は、世界史的中心家庭として、世界でも、霊界でも、地上でも、堂々と解放的自由天地を所有することができる神様の息子、娘の皇族的家庭になるのです! アーメン! (「アーメン。」) そのことが、きょう、今から先生が祈祷することによって、終結されるのです。 それゆえに、皆さんが旧約時代、新約時代、成約時代に万物を二つに割いて分けた、そのような時代は過ぎていきます。ありったけのものを“総生畜献納”する時代に入っていくことによって、皆さんにおいては、一切の自己主張があってはならないのです。 再創造の役事は、自分を完全に否定しなければなりません。個人を完全否定し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、天と地にあるすべての存在を完全否定してこそ、再創造することができるのです。そこには、コンセプト(概念)も実体もありません。 そのような立場に帰り、主体者である神様が動かされる力の前に、何のコンセプトもなく、こねられるとおりに、混ぜられるとおりに、つくられるとおりに形づくられていくことができる、そのような相対的存在になってこそ、神様の再創造の理想を代表することができる祝福家庭となり、世界、国家を自由に往来することができる“中心祝福家庭”になるということを、はっきりと知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) ですから、転換時代なので、今からは自分勝手にすることはできません。自分の息子、娘を結婚させるにしても、自分勝手にはできません。自分が売って得た物でも、自分勝手にはできないということです。それは、すべて天の国に帰属しているのです。 堕落する前は、すべての物を所有する主人は、神様でした。アダムとエバが、愛の家庭を築いて、神様のみ旨の相対になっていたならば、神様のすべての所有権、天地の万物全体、霊界と地上世界のすべてのものを相続していたことでしょう。 ところが、堕落することによって、サタンの元に行ってしまったので、真の父母が、これを蕩減復帰して、神様の前にすべてお返ししなければなりません。真の父母が、アダム家庭を完成させた“世界の中心家庭”として、これをすべて収拾して、神様の所有としておささげしなければならないのです。 そして、本来は、神様の所有をアダムとエバが相続し、その所有権を中心として、後孫たちが分配を受けて生きていくべきであるというのが、本然の堕落していないエデンにおける理想的家庭の所有権であったということを、はっきりと知らなければなりません。 米国や英国、フランス、第二次大戦で勝利した国々は、何ですか? 英国はエバ国家であり、英国が生んだ米国はアベル国家であり、フランスは米国とも戦い、英国とも戦った怨讐です。この怨讐が一つになり、カインとアベルの兄弟が一つになった基盤の上で、母とイエス様が一つになり……。 枢軸国も同様です。日本は、サタン側の母国家です。ドイツは極悪です。キリスト教とユダヤ教を虐殺した、サタン側の息子の国家です。イタリアは行ったり来たりします。それは、サタン側の天使長国家です。 この三か国は、第二次大戦を中心として、奪い取るための戦いをしましたが、天の文化圏であるキリスト教文化圏が、すべて占領したのです。キリスト教文化圏の英・米・仏は、世界版図圏を中心とする“善と悪の闘い”において、アダム家庭が失ってしまったものを世界的に勝ち取ったのです。 それが何かというと、英・米・仏を中心としたキリスト教文化圏が、第二次大戦後に築いた“世界統一型”なのです。分かりますか? そのことによって、枢軸国のサタン世界も、連合国の天の世界も一つになったのですが、その一つになったものは何かというと、家庭的メシヤであり、家庭的アダムエバの立場です。 それでは、英・米・仏を中心とした世界キリスト教文化圏を築いたのですが……。キリスト教は、どのような文化なのかというと、“母文化”です。それは、“新婦文化”です。主が来られるのを願うのです。 主が再び来られる前に、キリスト教が、母としてなさなければならないことは……。築かれた世界版図を、聖霊が霊的な母の立場で、キリスト教文化圏の連合国と枢軸国を一つにして抱き……。 (マイク状態不良のため、しばらく聞き取り不能) 聖霊は“母神”です。霊界で、統一的な役事をすべて準備してから、イエス様は再び来られるのです。それは、地上においても、母を中心とした、聖霊が生んだキリスト教と、“体”であるサタン世界のカインを消化することによって、勝利した霊的な母の家庭型を拡大した世界になったということです。分かりますか? (「はい。」) イエス様が亡くなられたので、“体”はありません。ですから、来られる主が、雲に乗って霊的に来られたならば、大変なことになります。霊肉の完成を中心として、その母と一つになることができる道を訪ねてくるのです。 そのかたは、霊界の事実をすべて知っています。霊界の事実をすべて知り、地上の事実をすべて知り、だれに対しても教えてあげることができる男性的代表、天上的代表、神様の長子として来られるのです。 そして、“新婦の宗教圏”が勝ち取った世界統一圏を中心として、英・米・仏が、先生を受け入れてさえいれば、その時に“王権樹立”をしていたのです。 その時、一九四五年から七年以内、三年半あれば、すべて終わるのです。七年間ならば、一九五二年までです。一九五二年、その時に「神様王権即位式」をして、先生の年齢が四十歳で天下統一をし、天の国と地上を導いていかなければならない責任があったのです。 ところが、それができませんでした。キリスト教が反対することによって、着地することができなかったのです。 そのとき、“新婦”となることができる息子、娘を霊的に復帰して、肉的に一つになっていたならば、“統一天下”となっていたはずですが、キリスト教が、先生を追い出してしまいました。ユダヤ教がイエス様を追い出したのと同じように、先生を追い出してしまったのです。 蕩減の原則によって、先生は、二千年前のそれと同じように、荒野に追い出されてしまったのですが、すべての天地の統一圏を否定する立場で、アダムが責任を果たすことができずにエバ圏で失敗したものを引っ繰り返して、取り戻しておかなければなりません。 再臨主は、そのようにいくら反対されたとしても、それを取り戻しておくことができる権限を持ってこそ、サタンが行う一切のものをすべて整備することができるのです。 ですから、先生は四十年間、荒野に追い出されたのです。すべて奪われてしまいました。そのときの神様の悲しみといえば、アダムとエバの家庭での失敗が問題ではありません。イエス様が亡くなられたときの悲しみが問題ではありませんでした。 第三次として来られる真の父母を中心として、七年以内に天下統一することができるすべてのものが、水泡に帰してしまったのです。荒野に追い出され、その道を行く真の父母に、神様も従っていかなければなりません。神様は、悪なる世界にいることはできないのです。 そして、再び真の父母が、死んだイエス様の体を実体的基準で取り戻し、その実体的基準に、再び霊的基準を連結させたものが、今回の三〇〇〇年に向けての出発と、聖書歴史七千年が出発する一月十三日の「神様王権即位式」なのです。一月十三日、十三数です。 十二数は、天地の度数である四つの季節を中心として、三数を掛けたものであり(四×三=十二)、そして、十三数は中央数です。ですから、十二弟子と、その中心であるイエス様が一つになって十三数の家庭さえできていれば、イエス様は死にませんでした。 このようなことを全く知らない無知な者たちが新婦になり、無知な者たちが息子、娘になろうとしたので、終末になっても無知であり、完成した天理の大祝福の内容を持ってきた父に反対するのです。そのようにして、イエス様の時にも、父であっても何であっても、すべてが反対しました。そうして、イエス様を殺したのです。 ところが、イエス様を殺したユダヤ人たちは、どのようになったと思いますか? 肉的世界をすべて失ってしまったので、イスラム教が現れて、キリスト教の聖地であるエルサレムを奪ってしまったではないですか? イスラムがキリスト教の中心であるエルサレムを奪ってしまったのです。 ですから、そのようなキリスト教は、霊的基準のキリスト教であって、肉的な“体”はありません。 そして、再臨時代になり、霊肉の勝利を備えて、霊肉の闘いを収拾して、“統一天下”を成すのです。それは、新婦を中心としたキリスト教ではありません。父を中心としたキリスト教として終結させ、天下統一を成すのです。 それゆえに、救援摂理は、“母子協助時代”を経て“父子協助時代”に越えていくのです。“母子”が失敗したのです。そうして父と出会って、新しく息子、娘が現れたのですが、それが統一教会です。分かりますか? (「はい。」)(※救援摂理は、復帰された”母子”があって父と出会って、新しい息子、娘が現れたのですが、それが統一教会です。) 統一教会とは、何なのでしょうか? キリスト教が追い出して、崩してしまったすべてのものを、父が再び、息子を捜しだし、果たすことができなかった母としての責任を、再び成し遂げなければなりません。 そこで、新しい母を立てて、堕落した条件を清算するための訓練を行い、新しい地上、天上天国を中心として、霊肉を一つにした「神様王権即位式」を完了したのです。「アーメン」です。(拍手)それは、いいかげんなことではありません。公式的です。数千年歴史が公式的に巡りに巡って……。 雪の塊が一つ落ちて、ごろごろと転がって大きな雪の塊になるように、だれもできないほど完全に丸いものにすることによって、神様が、「わたしの物だ!」と言われることができるようになったので、「(神様)王権即位式」をしたのです。 そのことによって、「個人王権式」オーバー(over:終了)、家庭オーバー、氏族、民族、国家、世界オーバー、天地オーバーとなったので、地上と天上、すべてが地上に来て、神様が、「真のご父母様の物は、わたしの物である!」と、ガン、ガンと印を押さなければならないのです。 皆さんたち祝福を受けた家庭は、その道を行かなければならないのですが、今から金氏なら金氏を連合して、金氏が暮らしている国、大韓民国なら大韓民国を復帰しなければならない責任があるのです。全世界が、そのようにしなければなりません。 その門を開けて、特権を許諾するための先生の祈祷が、「七・一節」の行事のときにあったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 摂理史を明確、かつ理論的に知らなければなりません。そうでなければ、行くべき道の方向を見失ってしまいます。この日本の者たち、韓国の者たち、米国の者たち! 自分たちが自分勝手に生きていたことを、そのままふろしきに包んで持っていては、追放されるのです。 大移動が起きます。統一教会の祝福を受けた家庭は、すべて大移動しなければなりません。日本の人と入れ替わるのです。自分たちも知らずに入れ替わり、後から、国連の決定と天の国の決定によって、「決定に従っていきなさい!」と言われれば、世界に出ていかなければなりません。 天国と同じように、地上にいる先生を中心とした中心国家から、アフリカの末端の奥地まで、霊界の組織編成を代身することができる地上世界になるのです。 ですから、同じように信じていた数千、数万の人がいたとしても、そこに数千代の差が生じるのです。そうして、み旨どおりにすることができなかった人は、遠くに流されるのと同じようなことが起きる時が来ます。 今から、そのような役事が起きる“新しい地上天国と天上天国の着地時代”に向かって越えていきます! そこの法に一致することができない者は、脱落して、自分が現在いる立場にふさわしい所に行って、そこにとどまるようになります。 そのようになれば、昔、先生が「しなさい。」と言ったことをしなかったことに対して、嘆息をし、怨恨を持つようになるのです。 そうして、「お父さんとお母さんは、真のご父母様を知っていながら、なぜ、み言のとおりにしなかったのですか?」と子供に言われながら、離れていくのです。離れてしまってから糾合運動をしようとしても、することはできません。霊界では、糾合運動のようなものはありません。 このようなことまでも、先生が解いてあげなければなりません。そうしなければ、解くことができません。そのような恨の歴史が訪れてくるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい!」) 今から、皆さんとわたしは離れます。離れていくのです。皆さんは、もうすっかり成長しました。分家したのです。分かりますか? 分家したので、皆さんが行く国を早く探して、サタン世界との関係を断ち切って、天の国に接ぎ木し、どんどん巻き込んでいかなければなりません。 縄をなうときには、小さくて細い材料をどんどん巻き込みながら、それをなって、縄をつくっていくのですが、それと同じことです。皆さんは、あらんかぎりの精誠を尽くして、一族をどんどん巻き込み、国まで巻き込んで世界につないで、天の国に帰っていかなければならない立場にいるのです。 その巻き込む時間が、ここに五千人の人々が一緒に座っているとすれば、五千代の差が生じるのです。そのようなことが起きます。 父母が、はっきりと教えてくれたとおりに、自分で行い、また、父母が「このようにしなさい。」と言って見せてくれたことを、自分でよく理解して、その行いを見たとするならば、真のご父母様が行った道ならば、息子、娘も、その道を行かなければなりません。 その道を行かない人は、真のご父母様から離れていかなければなりません。真のご父母様は天国に行くのですが、皆さんは、天国に行くことができますか? その道を行かなければ、その離れた距離だけ、遠い所に行くのです。今後、皆さんが、あの世に行って家庭的糾合をしてみても、一緒に暮らすことはできません。 このような、途方もない神様の恨の歴史と、自分たちの未完成な部分に該当する受難の道が、皆さんの家庭の前に首を長くして待っているということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) ですから、今や王権を樹立した以降は、一つの国です。一つの家庭です。一つの家庭は、一つの文化世界、一つの国家を成さなければなりません。 今からは、日本人もなく、米国人もなく、すべて解体されます。すべて滅びるのです。フリーセックスで、すべて滅びます。国をすべて失ってしまうのです。 家庭が、すっかり腐ってしまいました。家庭に手を出すことができません。日本もそうであり、米国もそうであり、韓国もそうであり、世界が、すべてそうであるというのです。これを収拾することができる主人が、真の父母なのです。分かりますか? (「はい。」) これは、真の父母の特権です。真の父母だけが、それを是正することができる公式を持っており、モデルを持っています。他のサタン世界には、ありません。 無知の世界に落ちたのが堕落であり、国家基準も、無知から始まった“堕落の国家”なので、この地上の有名な人、有名な家庭、有名な国であっても、そのことを知りません。 ですから、嫌であっても、文総裁の前にひざまずいて千年の恨を解き、「救ってください。救ってください!」と言わなければなりません。 しかし、今から、反対した人たちが現れて、「救ってください。」と言っても、できません。今までの自分が反対したことがなくなりはしないというのです。 ですから、自分が何かに反対したとするならば、その罪の量が何年、何十年分に該当するとしても、それをすっかり蕩減するときまで待ってから越えていかなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 蘇生、長成、完成ですが、天は蘇生、長成までサタンに奪われてしまいました。ですから、神様は十分の一献金を受けられたのです。なんということでしょうか! 神様は十分の一のみを自らの物とされ、それも細々と、それを続けてこられたというのです。 しかし、今ではもう、王権樹立をしたので、反対になります。皆さんが所有した、国のすべての権限が天の側に返ってきたので、サタン世界と反対に、三分の二が天の側に返らなければなりません。 そこで暮らしている皆さんは、今まで十分の一をささげてきたのですが、それは、蘇生にしかなりません。今からは、長成、完成を加えて、十分の三をささげなければなりません。 そうして、サタン世界のどのような国よりも、文化人として暮らすことができる環境的条件をつくらなければならないのです。公共機関をつくらなければならず、教育機関をつくらなければならず、理想的な道路や流通構造をつくらなければなりません。そのためには、三〇パーセントが問題ではありません。 真のご父母様と神様は、全体を投入して犠牲にしたということを思うとき、いち早く、そのことに貢献することができなければなりません。そして、投入することができる量が多ければ多いほど、そのような民族は、天の前にあって、中心民族に近い所にとどまるのです。それは、理論的です。分かりますか、分かりませんか? (「分かります!」) きょう以降、皆さんは、全員十分の一ではなく、十分の三を献金するようにするのです。十分の一は、その国を生かすために使い、十分の一は、その国の教会、十分の一は、世界のために使うのです。そのようにして、世界のカイン兄弟を生かさなければなりません。 自分の家庭が問題ではありません。三〇パーセントではなく、七〇パーセントです。志のある人は、三〇パーセントで暮らし、七〇パーセントまでささげようとする運動が、この“地球星”に展開することによって、この運動は、ついに世界統一の運勢として台風のように発展していくのです! アーメン! (「アーメン!」) ここに参席した人たちの中で、“私は、間違いなく三〇パーセントを献金する。”と決心した人は、立ち上がってください。月給の三〇パーセントです。分かりますか? (「はい。」)立ち上がったことを忘れてはいけません。(「アーメン!」) 先生は、それでも信じられません。皆さんを信じられないので、手を挙げて誓ってください。間違いなく実行! 手を挙げて誓ってください。さあ、神様の前に、神様に対して誓ってください。自分たちが、しなければならないでしょう? わたしが、するのですか? (「誓います。」) そして、自分の父母に対して「誓います!」と言い、自分の息子、娘に対して「誓います!」と言うのです。国に対しては必要ありません。サタン世界には、神様の国がありません。“間違いなく実行する。”という自信を持った人は、座ってください。その自信も持っていなければ、立っていてください。立つ人がいるでしょう? この者たち! 自分たちの都合の良いように考えて、息子、娘の学資金や、食べて生きていくことを考えるような者たちには、見向きもしません。ここに姿も見せてはいけないというのです。 それゆえに、自動的に天下が統一されるのです。天下統一の道を妨げる敗北者、“亡国の種”とはならずに、天下統一の伝統的な道を広く、広く、深く、深く、高く、高く拡張しなければなりません! アーメン! (「アーメン!」)「アーメン。」と言った人たちは、拍手をしてください。(拍手) 今は、忙しい時代ですが、十年間でも、三十年間でもよいので、一生を中心として、間違いなく三〇パーセントをささげていけば、よいのです。分かりますか? (「はい。」) しかし、それを売り飛ばして、自分たちで使うというのではありません。就職して、お金を稼いで、子供を養って生きていくのですが、その収入の三〇パーセント、三六パーセントまでをささげるということです。 このようにすることによって、今後、世界を再建設するうえで、理想的な王宮、学校、公共機関をつくるのです。そうして、サタン世界のいかなる国のいかなるものよりも優れたものをつくらなければ、豪華絢爛なあの世にいる主人の息子、娘の権威を、地上で代身することはできません! そのことを知らなければなりません。分かりますか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) “分かった”という人は、もう一度、両手を挙げて立ってください! 着席! (笑い)着席! 座らなければならないでしょう? 月給をもらっている人たちは、帰って、きょうから三〇パーセントをささげるのです。今までは十分の一献金ですから、これからは十分の三献金です。それは、三〇パーセントでしょう? 分かりますか? そのようにするという人は、「ありがとうございます。」とあいさつして、座ってください。 それは、ささげながら“ありがたい”と思わなければならないのであって、“もったいない”と思えば、罰が当たります。自分の未来の後孫たちが行く“福地”建設に傷をつけてしまう怨讐になるのです。 わたしは、皆さんからもらったものは、たとえ一銭でも自分勝手には使いません。今からは、財産処理が難しいのです。自分たちが積み上げたものを解いて……。全員、あいさつして座りましたか? しましたか? (「はい!」)実践するでしょう? (「はい!」)先生は、信じられません。信じられないので、もう一度、大きく拍手してみてください! (拍手) きょうの訓読会は、郭錠煥氏が出てきて行うのですが、ちょうど十年前の「七・一節」、回数では十一回前の一九九一年のこの日に、「七・一節」を設定したのが、蘇生です。 そして十年目の「七・一節」の年に「(神様)王権即位式」を行ったので、この十年後には、「王権全世界解放式」を行わなければなりません。 ですから、皆さんが王族として、その国が求める歴史的な孝子、忠臣、烈女の立場に立ち、天の国を相続しなければならない責任があるということを知らなければなりません。分かりますか? わたしは、天地をすべて神様の前に帰属させたので、皆さんには、国を中心として、それを復帰してささげなければならない責任があるのではないでしょうか? 金氏なら金氏で、すべてを教えてあげた、その内容を中心として、自分の国を天の前に早く復帰し、いかなる国にも負けないようにしなければなりません。 そうして、一日でも早く、国王と上下院議員全員が決意して、「文総裁が教えた祝福は、天理を通して現れた事実なので、自分の国も大統領以下、すべての上下院議員が一体となり、挙国的に祝福を受けることを願わなければならない。」と言うようにならなければなりません。 祝福を受けることを願わない人は、わたしたちの国が三等になったなら、三等の国家圏に加担することはできません。加担しなければ、十年後、数十年後に、アフリカの奥地に行って暮らすような立場に追いやられます。そのようになっているのです。分かりますか? そのようになるかならないか、見ていてください。そのようにならなければ、皆さんが霊界で、そのままそのようになるのです。地上でしたとおりに、地上で植えて結ばれた実のとおりに、あの世に行って、自分の実の姿どおりにとどまるのです。 ですから、神様の前に王子、王女の立場、最高の神様に侍ることができる孝子、忠臣、聖人、聖子と同じ位置に行こうとすれば、地上で、そのようなことをしなければなりません。 そのようにしなければ、あの世に行ってから、その位置に接する道理はありません。天理原則が許諾しないのです。分かりますか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)大きな声で! 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) どのような人であろうと、大学の総長であろうと、教授であろうと、わたしは知りません。わたしの言うことを“聞かない”といって首を振った人が、どのようになるか、見ていてください。 文総裁は、恐ろしい人です。恐ろしい人ですが、赦してあげるために、恐ろしい迫害を受けました。分かりますか? (「はい。」)恐ろしい人ですが、恐ろしい迫害をしてくる怨讐を、“恐ろしい(ほどの)愛”で包括していくのです。 日本は、わたしにとって怨讐ではないでしょうか? 怨讐です。アメリカは、わたしにとって怨讐です。すべて怨讐です。レバレンド・ムーンに反対していない国が、どこにありますか? しかし、怨讐を愛して、「解放式」をしたのです。それは、神様が怨讐を救ってあげるために苦労されたということを知っているからです。 「元亨利貞は天道の常」です。父母がそうであり、歴史的伝統がそうなので、それに従う人は、そこに、その形態を備えることができるように従っていくというのが、原則です。分かりますか? (「はい!」) 郭錠煥氏! (「はい!」)きょうは、何の日ですか? 「七・一節」の行事を本格的に始めなければなりません。この花束をくれるのですか? (笑いと拍手)関心がないので、花束が枯れます。(「勝利された天地父母様に、私たちの忠孝を誓いながら、花束を奉呈いたします。勝利された真のご父母様に、もう一度、大きな拍手で感謝を表します。」) (花束奉呈)(拍手) 劉大行氏! そして梁昌植氏! 来てください。アダム国家は、先生がアダム国家の立場です。ここは、母国家です。今まで、韓国の(立場の)先生が、エバ国家を助けてきました。これは、母の立場です。(真のご父母様が、受け取られた花束を劉大行会長と梁昌植会長に渡される)(拍手) (郭錠煥会長による、訓読のみ言〔一九九一年七月一日「神様祝福永遠(勝利)宣布式」の祈祷文とみ言〕についての説明) 宣布することによって、杭が打ち込まれ、主人がだれなのかということが、決定されるのです。それを抜く人は、いません。そこに、すべてとどまるのです。 それで今回、十年が過ぎて宣布したので、今から十一年後の二〇一二年までに、世界の宗教圏に属したすべての国々は、その国を“生畜献納”して解放し、天の国に入籍させなければならないということを知らなければなりません。それが一つの国になるのです。さあ、続けてください。 (引き続き、郭錠煥会長によるみ言についての説明) 今回も、アラスカから帰って、北米から南米を収拾して、そのすべてを韓国に植えるために、アラスカを通って……。今から祈祷文を読みます。「祈祷文」と言ってみてください。(「祈祷文。」)祈祷は、今や、皆さんが祈祷をするものであると理解しなければなりません。自分で祈祷をするのです。 お父様は、もう、皆さんにすべて任せるつもりです。分かりますか? このみ言も、自分が語るみ言であると、このように考えなければなりません。 皆さんは今、ご父母様が王権樹立をしたので、各国を解放して、天の前にささげるべき責任があるのです。 ですから、その王権樹立を自分たちが引き継いで、それを皆さんの祈祷と皆さんのみ言のようにとらえて、それらを実践して、不十分なものがないように、きれいに結論づけなければなりません。 そうして、天を理解し、皆さんの国を取り戻そうとして、皆さんの国を天の前にささげることのできる準備をしなければなりません。分かりますか? (「はい。」)だれの祈祷ですか? (「“私”の祈祷です。」) 先生のこの祈祷も、天が願われる祈祷です。人間に対して、必須的に願われたみ言も、天が願われるみ言です。そのみ言も、ご父母様が天から伝授されて、その内容を、間違いなく皆さんに伝授します。 ですから、皆さんも、その内容を伝授されて、今や、国々を動員して、皆さんの子供たちが、このみ言の解放を継承しなければなりません。 そうして、数千万代の感謝の祈祷の代わりに“感謝の歌”とならなければならず、説教の代わりに、“感謝の地上天国生活”が展開されなければならないのです。「アーメン」です。分かりますか? 神様のみ言、ご父母様のみ言、皆さんのみ言、皆さんの子女のみ言まで超えていってこそ、解放のみ言となるのです。そのみ言は、全世界の地で、すでにすべて伝統として残っています。 ですから、このみ言を守れば、その環境の与件では、全部皆、解放されうる時代となるのです。それが、地上で暮らすことのできる地上天国であり、永遠なる祖国光復の天上天国なのです。 今、そのような“わたしたちの本郷”の地に入っていって暮らすことができるのであり、それが正に、天国であるというのです。さあ、祈祷文とみ言を訓読してください。 (郭錠煥会長による祈祷文とみ言の訓読) 皆さん。ノアの時代の洪水審判の後、着地した日は、六月一日です。しかし、今日の摂理史において、真の父母が、この地上に来て着地することができる日は、六月一日ではありません。七数の峠を越えることができなかったので、七月一日から峠を越えるのです。 ですから、今から八月、九月、十月まで、七、八、九、十、この四か月間でしなければならないことが、たくさんあるのです。先生が、世界を巡回しなければならないということも残っており、その前に、米国を中心として、しなければならないことも残っているのです。 それらのことを、どのようにしてうまく行うのかということは、全世界の統一教会の教会員たちが、先生と同じ心を持っているかどうかということにかかっており、そのような同じ心、同じ立場で、同じ目的を撃破するための精誠の祈祷をささげなければならないということを知らなければなりません。 そのようにしてこそ、皆さんが精誠を尽くしたその場に、神様の運勢が流れていくのです。 山から流れ出た水が、平地まで行って、そこで水平になっていたとしても、谷となった所、深い所で祈祷すれば、この水は、そこに向かって流れていきます。 ところで、その水は、たとえ遠くまで流れていったとしても、その水が少なくなるのではありません。遠ければ遠いほど、水は流れていくうちに広い範囲に広がっていきます。しかし、精誠を尽くしたならば、水は、その精誠を尽くした深い谷に向かって流れていくのです。精誠を尽くしたものが、いくら遠い所にあったとしても、そこに向かって波が訪ねていくのです。 ですから、その波が、皆さん自体を包んでいくときには、それが大きければ大きいほど、周辺の世界全体の水流を代表して立つことができるのです。 このような基準を中心として、精誠を尽くして活動し、精誠を尽くしたその基準が、天の標準になる日には、皆さんの国と皆さんの家庭が、祝福を受けることができる圏内に自動的に立つということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい!」) それで、きょう、しなければならないことは何ですか? 「(神様)王権即位式」をしたということは、宗教世界において願っていた希望が、すべて終わったということです。また、神様の救援摂理のすべての目的が終わった、ということになるのです。 そして、創造理想を立てて万物をつくり、人をつくり、神様が祝福した愛の家庭を築き、堕落がなかった地上、天上天国の理念が、そこで初めて実現されるのです。 それは、個人の家庭ではありません。六十億になる数多くの人類が、同じ解放的“祝福の中心家庭”の立場に立つことによって、今まで空いていた天国を、一度に埋め合わせることができるのです。 そうして、失敗した歴史のすべてを、神様が理想とされた基準を繕おうが継ぎ当てをしようが、どのようにしてでも、その空いた所を水平基準で埋め合わせることができるのです。 それゆえに、今から地上と天上には、理想天国が実現されます。神様が、思いのままに闊歩されることができるようになるのです。制限された囚れの身でいらっしゃった神様が、今、霊界全体を闊歩することができ、地上も思いのままに闊歩されることができるのです。 それは、どのようになるのでしょうか? 天使世界と、霊界に行った先祖たちが、この地に降りてきて、アダム圏、第二世、アベルの立場を中心として、協助することができる基準ができているのです。 ですから、アベル基準の家庭が、完全に世界解放圏に立てば、神様ご自身は、皆さんの家庭はもちろんのこと、家庭を通して解放された氏族、氏族を通して解放された民族、民族を通して解放された国家、国家を通して解放された世界、世界を超えて解放された地上、天上天国の天宙的圏内に入っていかれるようになります。 そのようになることによって、全世界が、自分の家庭形態のように、神様に侍ることができるようになります。その場において初めて、新しい天国、新しい神様の安息所が始まるのです。 その時までは、神様も、希望を持って、地上と往来されながら協助なさらなければなりません。また、真の父母は、皆さんが国を取り戻すうえでの方向を提示し、教えたすべての問題が成されたのか成されていないのかを監督します。 「訓読会」を通して、祝福を受けた長子圏にいる皆さんを監督し、保護し、国家圏まで解放すれば、神様は、霊界のどこであっても安息なさることができます。また、皆さんが国家を奉献してささげれば、地上においても、どこででも安息なさることができるのです。 そのような時になってこそ、摂理のすべてのことが完結し、天上、地上天国生活が永遠に継続し始めるようになるのです。そのことによって、すべての人類にとって、この“地球星”が故郷の地となり、また、この宇宙がわたしたちの祖国になるということを知らなければなりません。 “地球星”が、わたしたちの故郷となり、この無限なすべての創造世界が、わたしたちの祖国の地となるのです。地球が皆さんの活動舞台であり、それが、神様のように、皆さんの所有圏の中に入るようになります。その立場に立てば、すべてのことを願うとおりにすることができるのです。 皆さん。李相軒氏の『霊界の実相』を見れば、神様に最も近い所に行った人たちは、すべてのことが考えたとおりに、さっさっさっと、成し遂げられるといっています。ですから、何であっても願うことは、不可能なことはなく、可能なのです。 神様の全体実権を、わたしたち自身も、代身して行使することができる、そのような世界にとどまることが、わたしたち人間の最高完成目的であったのです! (「アーメン!」)そこまで行きますか、行くことができませんか? (「行きます!」) 皆さんの国を、早く天の前に奉献しなければなりません。今ではもう、そのことしか残っていません。そのようにしてこそ、皆さんの国の王宮からどこにでも、真のご父母様が思いのままにお出ましになることができるのです。分かりますか? (「はい。」) 韓国と日本は、怨讐です。両国間には、国境があります。この国境をなくして一つにするためには、怨讐同士で結婚しなければなりません。分かりますか? (「はい。」) カインとアベルが怨讐です。先生が、聖人と殺人鬼を一緒に、第二次大戦を引き起こした悪党の親分、共産党の頭を聖人と一緒に祝福してあげました。分かりますか? 国境を撤廃しようとすれば、どうすればいいのでしょうか? “甲”という国と“乙”という国が怨讐関係であるとして、この怨讐の血筋が、交差しているのです。これが問題です。天と地が、すべて引っ繰り返ったので、この交差したものを元に戻すためには、下のものが上に行き、上のものが降りていかなければなりません。 交差しているので、これは、いつでも解くことができる、というのではありません。ですから、交差しているものを元に戻して、個人的な水平線にならなければなりません。心と体が、水平にならなければなりません。ここに闘いがあってはいけません。絶対に相克があってはいけないというのです。 夫婦を中心として、男性と女性が闘えば、相克が生じるので、どこに行っても、行き詰まります。主流の愛の道が、すべてふさがります。それから、自分の家庭を中心として、これが上下にならなければならず、主体と対象を中心として上下にならなければならないのですが、これが引っ繰り返ったので、闘えば、ふさがってしまいます。 国と国が、国境を中心として怨讐になっています。このようにふさがったものを開くためには、皆さん自身が、怨讐の中の怨讐と結婚しなければなりません。日本と韓国の怨讐の中の怨讐は、最高の頂上である王です。 上下院が交差結婚しなければなりません。日本で言えば、首相と大臣たちが、怨讐である韓国の人たちと完全に交差結婚しなければならないのです。 そのように、交差結婚することを、これ以上ない最高の結婚であると思う人は、間違いなく天の国の近い所に行くことができるのです。そうして国境線がなくなるのです。 宗教圏を中心として見るとき、神様は、「怨讐を愛しなさい。」とおっしゃいました。それでは、怨讐を愛する最後の終着点は、どこでしょうか? 怨讐を愛して、何をするのですか? おなかがすいたときに、ご飯を上げることが、怨讐を愛することではありません。実際に、無限に愛する兄弟愛や友愛以上、父子関係以上、夫婦関係以上の位置に行き、血統の出発が一つにならなければなりません。 堕落して、血統が分かれました。夫婦が一つにならなければならないのですが、これが分かれてしまいました。ですから、兄弟、家庭が一つにならなければなりません。 自分の一族の最も近い家庭が一つになることよりも、世界に行って、兄弟や、父母や、一つの血族の因縁が絡まってきたものを、真の父母の愛と真の兄弟の愛で抱き、だれよりも愛することができなければなりません。 貧しく暮らしている人がいれば、自分の財産を三分の二までも分けてあげられるような雅量がなければなりません。そうでなければ、天の国、全権世界の解放者になることはできないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 統一教会の霊通人たち。霊的に見通して暮らしている者たちは、そのように暮らさなければならないのですが、そのような考えを持って暮らしている人は、どれくらいいますか? 考えは、したかもしれませんが……。 考えは、実在とは違います。考えだけではいけません。実在、実体にならなければなりません。行わなければなりません。 怨讐を愛する最終的な峠とは、何でしょうか? オリンピックのときのように、陸上のトラック競技であるならば、トラックのコースの基準(ライン)に沿って走って回っていくと考えてください。回っていくときに、“その基準(ライン)に抵触したら敗北者になる”と決めたら、ラインを越えないで回っていけばよいのです。 ですから、皆さんは、これに触れてはいけません。それゆえに、愛するにおいて、ここでも自由で、あっちでも自由になってこそ、正常な選手の資格を持ってゴール地点に入っていくことができるのです。 天国に入っていくのか入っていけないのか、または、賞を取れるのか取れないのかということが、そこで決定されます。それが正常な道なので、神様は、こちら側だけでなく、あちら側の道にも回っていこうとされるので、どのようにしなければならないでしょうか? 血統を分けてあげることができなければなりません。 ですから、兄弟のためには、死ぬことができなければなりません。では、死なんとする者は、何ですか? (「“生きる”です。」)生き、生きんとする者は、何ですか? (「“死ぬ”です。」)死ぬのです! 生命は、どこから始まるのでしょうか? 生命は愛から、そして血筋から始まりました。誤った結婚をして血筋が変わってしまったので、愛で消化して秩序を正さなければなりません。 それゆえに、国境撤廃した後に、怨讐同士で、国家と国家が結婚することができる天地にならなければ、その国は、天の国に属する国になることはできず、その国の民が、天の国の民となる道はないのです! それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しいです。」) 日本人が、ここに来ていますが、わたしは、本当に日本人を愛しました。わたしは、日本のことをよく知っている人です。貧民窟から“高位層”の秘書室まで、あらゆる所で働いた人です。そして字を上手に書くのです。 恨みを晴らそうとして打てば、天の国に行くことはできません。わたしは、神様を知っていたので、日本にいながら体を汚しませんでした。“時ではない時”に、結婚してはいけません。体を汚してはいけないのです。 ありとあらゆる誘惑が、たくさんありました。日本の女性たちの誘惑が、たくさんありました。若い娘、四十代、六十代、八十歳の老人まで、十二歳以上の女性は、全員、プロポーズします。不思議です。サタン世界の女性たちは、そのことを知っているのです。天の国の王子のような人物だというのです。劇場に行けば、我知らず……。 先生の学生時代には、頭の髪の毛をこのように伸ばし、質屋に行って、卒業生たちが脱いでいった服を安く買い、それを着て歩きました。汗のにおいがして、一メートル以内には近寄ることもできないようになっていました。 劇場のような所に行けば……。本当におかしいのです。若い女性たちが、わたしの横に来て座るのです。それは役事です。そのような人が来て、横に座っているとは、わたしは夢にも思いません。 しばらくすると、我知らず、わたしの手をこのように握るのです。そのような何かがあるというのです。引力があるのです。分かりますか? 文総裁を思慕しても、自分の思いがかなわないので、離れていった人が、本当にたくさんいます。この韓国にも多く、日本にもおり、米国にも多いのです。人の世に生きる人間として、初めて春を迎えることができる春風が吹くのです。分かりますか? (「はい。」) 春風が吹くのですが、男性の前に春風とは、どういうことですか? 女性たちが皆、くっついてくるのです。しかし、思いのままにすることはできません。彼女たちは、どのような立場なのかというと、妹です。妹なのです。エデンの園で失ってしまった妹です。 彼女たちは、兄に出会って、妹として本然の春を迎えたので、世の中の実の兄よりも、もっと愛するのです。そのように愛さない人は、先生と関係を結ぶことができません。兄だけではありません。 その次は、婚約者です。エバがそうでしょう? エバは妹ですが、婚約者でしょう? 十六歳以上になれば、その兄が未来の愛の対象になります。愛の対象は、一人しかいません。これが動かなければ……。 女性たちは早いのです。男性よりも先に目が開いて、思慕するのです。女性だけではなく、男性までも、そのようになる時まで、神様は待たれるのです。 そして、祝福してみてください。本当の愛に火をつけることができ、最高の火を爆発させることができ、電線がスパークを起こすような境地に至るまで、待たれるのです。それが十七歳、十八歳を超えて二十歳、二十一歳までの四年間です。十八、十九、二十、二十一歳までの四年間なのです。この四年間に、電気のプラスとマイナスが出会えば、爆発するようになっています。神様は、そのときまで待たれるのです。 それゆえに、妹として兄を愛し、婚約することができる人になって、“あの男性は、私が婚約して結婚する人だ。”と、このように思うようになるときまで待つのです。 どちらか一方が愛する“片思い”というのがあるでしょう? 片思いは、だれが最初にするのかというと、エバが最初にするのです。そして、アダムも、ぼーっとしていて、後から“いやあ、愛とは何だろう? あのように慕ってくるのだなあ。私は嫌いだったが、今では、私も好きになった。”と、このようにして、夜も昼も平準化されれば、スパークが起きるのです。 そのときになれば、神様が臨んで結婚式をしてあげるのです。その結婚式は、だれの結婚式なのかといえば、ただの人間の結婚式ではありません。横的な夫婦の結婚式において、ふたりが一つになり、その中間に、縦的な神様の二性性相が来て、初夜の愛によって爆発するのです。分かりますか? 電線がスパークすれば、鉄線がくっついてしまうでしょう? 男性と女性が、平面的にスパークするとき、音が出てくっついてしまい、その中に神様の性相と形状の愛が挟まるので、完全にくっついて骨になるのです。“愛の骨”です。中心の愛の骨となり、外的な男性は、“愛の肉”になるのです。くっついてしまったので、離すことができません。分かりますか? それゆえに、人類歴史路程において、女性たちが初めて春を迎えることができる時が来たのです。先生は、そのことをすべて知らなければなりません。未完成の時に、アダムとエバが知らずに堕落したということ、神様の創造目的がこうである、ということを、すべて知って教えてあげなければならないというのです。 しかし、自分の欲望で女性と関係することはできません。蕩減復帰の道が、どれほど難しいでしょうか? その立場に行くことが、どれほど難しいでしょうか? そのような主体になっているので、鉄分でできているものは、鉄くずであっても、すべて引き込まれていくのです。 女性がそうであるからといって、男性が愛の関係を結んではいけません。そして、婚約段階に入っていけば、霊的に……。 エデンの園では、すべて脱いで暮らしていたでしょう? そのまま寝たでしょう? ですから、霊的にふたりで裸で抱き合って、一つの布団で寝ることもあるのです。婚約者の指に花の指輪をはめてあげ、首にかけてあげるということも起きるのです。 そのようなことを経て、結婚段階に越えていくときには、サタン世界の男性という男性が何と言っても、戻っていくことはできません。王が来ても、おじいさんが来ても、お父さんが来ても、自分の夫が来ても、自分の婚約した男性が来ても、お兄さんが来ても、自動的に蹴飛ばしてしまうのです。 天の側はプラスであり、サタン世界もプラスなので、反発が起きるのです。それゆえに、統一教会に入ってくれば、女性たちは、息子、弟、兄、あらゆる男性から反対されます。反対を受けるというのです。 ですから、わたしは、迫害を受けた女性たちのありとあらゆる姿を、すべて見ました。夫から、惨めにも下着一枚の姿で追い出された女性が、明け方に先生の所に訪ねてくるのです。行く所がないからです。そのように、見てみなかった姿がありません。 先生の知らない人たちが、そのようにして来るのですが、彼女たちは妹であり、婚約者の立場なので、育ててあげなければならない責任があるのです。そのようにして出会ってから、正常な立場に引き上げ、男性を愛することができる完全な女性にして、祝福してあげるのです。 そのように、結婚した女性たちも、統一教会に入ってくれば、その男性を見るのが嫌で、皆、別れるのです。 しかし、先生が皆さんを案内するのは、皆さんを天国に連れて行くことができるようにするためです。そうして、女性たちが王女となり、女王となり、女性の中でおばあさんにもなり、お母さんにもなり、そして自分の妻にもなることができ、婚約者にもなることができ、妹にもなることができるように、女性たちを、このような立場に立たせるのです。 天理は一つです。愛の道は、一本道です。一つです。分かりますか? (「はい。」)愛の道は、一つなのです。ですから、ここから出発すれば、さーっと神様の心中に入り込み、さーっと戻ってきて、自分のことを押してくれなければなりません。押してあげることができてこそ、解放される道になるということを知らなければなりません。 皆さんが、どれほど足らないか、自分がどのような位置にいるのか、統一教会員ならば、すべて分かります。 わたしが、分かるように教えてあげたのに、知っていながら“分からない”というのは、どろぼうであり、詐欺性があり、自分の利益を得るために、ここに座っている群れであることは間違いない、ということになります。天の願いが伝えられ、どのようなことでも絶対信仰すれば……。 皆さんと先生の差が、どれほどあるでしょうか? 八段階があります。数千年の歴史が展開しているのです。そこから、どのようにして復帰して、上がっていくのですか? いくら「愛が良い。」と言ったとしても、どのように上がっていくのですか? ですから、絶対愛、絶対信仰が必要です。分かりますか? (「はい。」) 例えば、「この指先に上がっていきなさい。」と言えば、言われたとおりに上がっていくのです。“上がっていくことはできない。”と思っても、上がっていくのです。 そうして、指先まで上がっていけば、その重さで指が曲がるでしょう? 指が曲がるのですが、それは、どういうことかというと、従順に上がっていけば、指の主体が屈伏するということです。 そのように、絶対信仰には、神様まで屈伏させることができる道があるのです。何が何だか分からず、危険極まりなく、首が折れるか、自分が死ぬかもしれずに上がっていくので、神様がつかんであげなければならないでしょう? それゆえに、絶対信仰の中から絶対愛が始まるのです。 このように、命を懸けて千回、万回、絶対信仰すれば、そこに神様の愛が訪ねてくるのです。そして、訪ねてくれば、男性でも女性でも、愛を受けることができる立場に立ちます。 しかし、そのとき、自分を中心として「私が愛を受ける!」と言えば、自分の家庭を築くことはできません。ですから、男性でも女性でも、絶対服従しなさいということです。自分を否定しなければなりません。 神様の絶対信仰と絶対愛と絶対服従を成し、妻は、夫のために投入し、夫は、妻のためにすべて投入することによって、高い次元の家庭の位置に上がっていきます。自分という存在を絶対否定して一つになるときには、一人ではなく、家庭的基準で愛の世界に上がっていくのです。 ですから、家庭的基準にすべて投入し、“自分”というものがない立場で投入すれば、氏族、民族、国家レベルに上がっていくのです。そのような公式を通さなければ、天国に上がっていく道がありません。いくら探してもないので、先生も、そのように生きるのです。 世の中の世界舞台に向かって、そのようなことをして、その結果がすべて良いので、天上世界も歓迎し、地上世界も歓迎します。それゆえに、やっかいな障害物がないので、解放的主人の立場に訪ねていくことができるのです! アーメン! (「アーメン!」)分かりますか? (「はい!」) そして、このように訓練された人たち、つまり、先生が最も愛する妹、最も愛する婚約者、最も愛する妻、最も愛する母、最も愛するおばあさん、最も愛する女王という、相対の位置にいる人たちを、何も知らないどろぼうたちに、一度に渡してあげるというのです。 男性が女性をもらいに行けば、「どろぼうしに来た。」と言われるでしょう? このような者たちに渡してあげるのです。そして、「皆さんも一緒に合同して、先生が持っている愛の倉庫からどろぼうしてみなさい。」と言うのです。何のことか分かりますか? (「はい。」) どろぼうして、そのままなくしてしまうのではなく、先生が築こうとした家庭を繁殖していけば、どろぼうしていったとしても、それを認めてあげるということです。分かりますか? (「はい。」) 愛の倉庫です! 女性が先頭に立つのです。そして、先生が女性たちに相対を結んであげることによって、接ぎ木してあげるのです。 第二完成したアダムとして、弟の立場に立て、今まで育てた女性たちを祝福してあげることによって、わたしが兄の立場で、皆さんは弟の立場で、天国に行くことができるのです! 「アーメン」です。それは理論的です。この原理が偉大なのは、どこに合わせても合うのです。分かりますか? (「はい。」) 自由奔放な天の道理を知らなければなりません。どこかに拘束されて暮らすのではありません。日本は、土地を一エーカーだけでも持っていれば、それで生きていけるといって、自慢する国ではないですか? そのような国で暮らしますか? 皆さんが、すべてをささげたとして、そのことによって、もし飢えて死にそうであるというならば、南米に来なさいというのです。数百万の家庭を食べさせてあげることができる地を、わたしがすべて準備しました。 日本で暮らすことができる地は……。百二十万ヘクタール、二百四十万ヘクタールならば、どれくらいの広さになりますか? 三千坪あれば、食べていくことができます。二百四十万ヘクタールあるのですから、それだけで、何百万の人を食べさせてあげることができる基盤があるということです。 それでは、先生は、お金持ちですか、貧乏人ですか? この者たち。千里離れていても、隣にいるかのように考えて、夜も昼も、先生について行って、そこで暮らそうとする人は、先生が行って暮らす天国と同じ環境圏内に入っていって暮らすのです! そのような解放者になるのです。アー、アー、アー、アーメンです。(「アーメン。」)蘇生、長成、完成で、アー、アー、アーメンです。一度、言ってみてください。(「アー、アー、アーメン!」) ですから、解放者になるのです。分かりますか? (「はい。」)先生のみ言は、素晴らしいでしょう? 素晴らしいので、素晴らしい世界がついて来るのです。そして、素晴らしい人たちが、ついて来ます。 このようなみ言を語るのですから、世界じゅうの王だけではなく、ブッシュ行政府、国連でも何でも、すべてわたしから学ばなければなりません。日本の者たち。学ばなければなりません。この怨讐たち! わたしにとっては、怨讐ではないですか? そうでしょう? (録音状態不良により、一部収録できず) けれども、日本が、いくら先生に対して悪いことをやっても、先生は、知らないふりをしているのです。 今、新郎が訪ねてくる夜になったのに、新婦が居眠りをしています。本来は、目を開けて、「どこに行ったのですか?」と、このようにしなければならないのですが……。分かりますね? (「はい!」) 日本の者たち! 嫁いで来た者たちですか、嫁いで行く者たちですか? (「嫁いで行く者たちです。」)ここに嫁いで来なければなりません。行ってはいけません。交差結婚しなければなりません。 それは、なぜですか? 日本民族は、韓国民族の三倍です。韓国が四千万であり、日本が一億二千万でしょう? いくら結婚しても、日本の人口の三分の一しかできません。その三分の一の日本人が、韓国人と結婚すれば、その人たちは選民になるのです。天の国の王権即位式に同参した選民圏になるというのです。分かりますか? 「自分が日本人だと思う者たちは、手を挙げてはいけない。」あるいは、「手を挙げなさい。」と言った場合、手を挙げるのが良いですか、挙げないのが良いですか? 交差結婚することに手を挙げるのが良いですか、手を挙げないのが良いですか? (「手を挙げるのが良いです。」)何のことか分かったでしょう? それでは、“手を挙げない”という人は、手を挙げてみてください。(笑い)二つのうちで、どちらかにしなければならないのではないですか? “手を挙げない”という人、ここに座って、手を挙げてみてください。この女性たち! 同じではないですか? (笑い) わたしの言うことを聞かなければなりません。妹として育て、婚約者として育て、妻として育て、母として育て、おばあさんとして育て、女王として育てました。それなのに言うことを聞かなければ、それは、りっぱな女性とは言えないでしょう。 言うことは聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか? では、先生の言うことを聞いて、昔と変わりましたか、変わりませんか? 日本の女性たち! 日本の女性たちは、統一教会の女性になり、世界に出ていって初めて生きるのです。分かりますか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) イヤホーンを持っているでしょう? 先生が韓国語で話しても理解できるでしょう? 良い時代が来ました。世界が、すべて理解できます。そのような時が来たのです。 さあ、二つのうち、一つは何ですか? 怨讐国家の最悪の怨讐と結婚すればするほど、最善の息子、娘が出てくるのです。見ていてください。自分で“良い”と思って、選んで暮らした人たちの子女たちを見てください。見栄えが悪いのです。ぺちゃんこです。 しかし、嫌でも先生の言うとおりにした人は、「やあ、不思議だ! 父親と母親(の顔)は、しわくちゃのひさごのようなのに、どうして、あのような子女が出てくるのか?」と、そのように言われるのです。 それは、先生の運勢と天の国の運勢に乗ったので、そのようになるのです。なぜ、笑うのですか? あなたは、そのような結婚をしましたか? (笑い)日本人で言えば、“日韓家庭”ですか? 考えてみてください。渡り鳥も、大洋を越えて、大陸を越えて、どこに行くのか知っていますか? 寒帯圏内や北極から近い所で暮らしていた鳥たちは、どうですか? 冬に食べていくのが、どれほど大変でしょうか? 渡り鳥は、数が減ったり増えたりしながら、季節に従って変化する環境においても死にません。熱帯地方では、少しでも変化すれば、死んでしまいます。元気がなくて、飛ぶ力もありません。 ですから、鳥たちは、この天理を知っているのです。それで、遠い所に行ってつがいになり、良い後孫を残すのです。これは、動物世界も鳥の世界もすべて知っていることです。 皆さん。日本人が好むのは、鮭でしょう? この鮭は、五千万里を回遊して、自分の故郷に訪ねて来るのです。文総裁も、故郷を訪ねていって、神様を知るために、生涯の間、苦労したのです。ありとあらゆること、死ぬか生きるかということをしてきました。 鮭は、生まれて二か月で、産まれた場所で暮らすこともできずに海に出ていき、四年か六年後に、自分の故郷に訪ねて来るのです。そうして、自分の親が愛し合った元の産地に訪ねてきて、自分も卵を産むのです。 その鮭が繁殖するのは、十一月、十二月です。一月に産まれるのです。そして産まれて、海に出ていくのです。 十二月といえば、アラスカは、寒くて雪も積もっています。ですから、そこに、えさとなる昆虫が残っていますか? 虫も何もいません。食べるものがないので、どのようにするのですか? それを見ても、「神様はいない。」と言うことはできません。 親鮭は、雄も雌も、その場で一緒に死ぬのです。卵を産んで、その子供に父母の肉をえさとして与えて、生かしていくようにするのです。動物までも、このようにしているのを見るとき、愛する神様の息子、娘を自分が育てるというときには、どうあるべきでしょうか? それは、百回、千回、死んだとしても、感謝して、そのような生涯を行こうとするものでなければなりません。 そういう人であってこそ、この宇宙が保護するのであって、百回、千回、どろぼうするとすれば、保護するでしょうか? どこかに行く途中で、事故に遭って横死を遂げるというのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります!」) 今からでも、「日本の祝福家庭は、離婚しなさい!」と言えば、どうしますか? 自分たちで決めたら、種が良くありません。 夫婦が一度、愛し合えば、三億五千万の精子が注入されます。少なくとも一億五千万匹の精子が注入されて、初めて妊娠するのですが、最近では、これが七千万まで減っているそうです。 ですから、韓国の(高麗)人蔘を食べれば、それが育つのです。それなのに、そのようなことをすべて知っていながら、女性たちが日本の男性と結婚すれば、半分死んだような息子、娘を生むのです。 神様が、それをごらんになって、婿や嫁を探すときに、日本の女性や日本の男性が見えるでしょうか? 蹴飛ばされるでしょうか、選ばれるでしょうか? 怨讐同士で結婚してみなさいというのです。日本人は、韓国人と違うでしょう? どれほど違いますか? 小さい国なのに、不快なほど違うのです。 韓国人をどこかに放しておけば、どこに行くにしても、男性も女性も、一人で歩いて開拓しようとするのであって、二人は一緒にいません。 けれども、日本人は、どこに行っても、自分たち同士で集まり、日本語でこそこそと話しをします。ですから、日本の大使館は困るのです。 日本人が来れば、大使館を訪ねてきて、「よろしくお願いします。」と言うのです。能力のある人もない人も、全員、首相をした者も、大臣をしていた人も大使館に来て、「助けてください。」と言うのです。 ところが、韓国人は、そうではありません。大使館を助けてあげなければならないでしょう? 助けてあげられるものを助けてあげなければ、先に行くことができません。 韓国人は、自分よりも大きいものを贈り物にします。日本人は、使って残ったごみのようなものを贈り物として持っていくというのです。(笑い)そうではないですか? このくらいのものです。 日本人は、贈り物が十二個あれば、十二個を一度に上げずに、十二回に分けて上げなさい、というのです。(笑い)韓国人は、ありったけです。それが違います。 ですから、韓国人は、自分が必要であれば、すっかりきれいに清算します。それゆえに、「蕩減復帰時代なので、捨てなさい!」と言えば、きれいに捨てます。日本の女性たちは、そうではありません。 わたしは、皆さんを売って、それで商売をしようと思うような人ではありません。皆さんの息子、娘を世界の王の母にしてあげようというのです。嫌ですか、良いですか? 大きな声で答えてください。お父様が一人で言う声よりも、大きいか大きくないか聞いてみてください。嫌ですか、良いですか? (「良いです!」) そのように自信がなくて、おしりをもじもじさせていて、何ができるのですか? 先生が詐欺師であったならば、身ぐるみはいでいたことでしょう。 ですから、のうのうとあぐらをかいて、ご飯を食べていてはいけません。今後、自分のものをそのまま持っていたら、それをすべて燃やします。すべて火で燃やしてしまうというのです。 先生は、火で燃やす前に売って、それで皆さんに家を買ってあげ、国を準備してあげているのに、それが嫌ですか? 嫌ですか、良いですか? わたしは知りません、この者たち! (笑い)嫌ですか、良いですか? (「良いです。」)火で燃やさなければなりません。 日本の地が、いつ太平洋に潜り込んでいくか分かりません。地震が、このように縦揺れで起きているので沈みませんが、このように横揺れで起きる日には、太平洋の六千メーターの深さまで沈んでいくというのです。そうではないですか? そのようなことを知っていますか? 火山が活動する太平洋圏において、最も危険な焦点地域になっているというのです。 先生が憎いでしょう? “先生は、どうして女性と敵同士のようにするのか?”と思うかもしれませんが、女性が主管性を転倒したので、絶対服従することができる女性にしなければならないのです。分かりますか? (「はい。」) わたしは、日本の女性を四万人から五万人、教育したのですが、そのときに、ありとあらゆる女性たちが来ました。わたしを誘惑するために来た女性も、たくさんいたのです。自分が、お金のふろしきを車に載せて、「先生に上げる。」という女性がいたり、ありとあらゆる女性がいました。 先生は、そのように偉大なかたです。そのかたを思慕することができ、愛することができ、東西南北の門を開けて、ために生きようという女性の価値が、どれほど高いか分かりますか? あなたも娘を育てていますか? (「はい。」)あなたもですか? (「はい。」)何人ですか? (「二人です。」)なぜですか? 娘をたくさん生まなければならないでしょう? では、嫁に送り出すときに、日本人の所に送りますか、中国人の所に送りますか、ロシア人の所に送りますか、韓国人の所に送りますか? 怨讐の所です。(「怨讐の所に送ります。」) 日本人は、韓国人が嫌いです。中国人は好むかもしれません。それから、ロシア人はどうですか? ロシアも侵略国家でしょう? そして、米国人の所に送るのです。 日本人が、日本人と結婚しようというのは、“国を滅ぼす者”になろうとすることである、ということを知らなければなりません。女性たち、分かりますか? しっかりしなければいけません。 わたしは、商売人ではありません。皆さんの後孫が福を受けることができる橋を架け、“太平盛大”を成し、地の果てから天の果てまで、皇族をつくってあげようとしているのですが、それが嫌ですか? 先生は、最も愛する妹、最も愛する婚約者、愛する結婚候補者、母の代身者、おばあさんの代身者、女王の代身者に育ててあげようと思うのです。 天使世界は、息子がいません。男性がいません。この六十億の人類の中で、半分の三十億は、来られる再臨主の新婦になり、母になり、おばあさんになることができる候補者です。分かりますか? 今までは、“痛みの愛”でしたが、すべてなくなります。怨讐です。それゆえに、息子、娘、男性が統一教会に反対したとしても、死の境地に行ったとしても、心が「そこに行きなさい。」と言うのです。「最後まで先生に従いなさい。」と言うのです。(マイク状態不良) 何人かが聞けば、それでよいでしょう? どうして全員が聞くのですか? 何人かがよく聞いて、あとで教えてあげれば、それでよいのではないですか? 皆さんが独身であれば、独身の先生と出会ったときに結婚したいと思うでしょうか、思わないでしょうか? 結婚できる立場なのに、先生のような男性と結婚できなかったとすれば、年を取っていたとしても、それが恨になるでしょうか、ならないでしょうか? (「恨になります。」)“恨にならない”という人は、手を挙げてみてください。一人もいません。 ですから、世界を統一することができるのです。女性さえ、さっと引っ繰り返しておけば、男性は……。 男性が反対するのであって、女性で反対する人はいません。男性が反対するのは、女性があまりにも一所懸命に活動するからです。ご飯を食べることを忘れ、寝ることも忘れ、昔は、息子、娘が学校から帰ってくれば、宿題も一所懸命に手伝ってあげたのに、それもすっかり忘れてしまうのです。それで、後ろを向いて先生にただ……。 ですから、自分の夫や兄や父親が、それを見るとき、どれほど気分が悪いでしょうか? 「文総裁はどろぼうだ! 私たちの妹、私たちの母、おばさん、皆、どろぼうしていった。おばあさんまでどろぼうしていった。」と言うのです。 一家からおばあさん、お母さん、自分の妻、娘まで、四人が出てくれば、一つの群れになります。一つの群れになって、“お父さんも嫌だ。自分の夫も嫌だ。息子も嫌だ。おじいさんまで嫌だ。”と思うのです。 エデンの園で、拉致されて、強制的に関係を結んで、地獄をつくったのではなかったですか? そんなことをすれば、この世の中であれば、“殺したい”と思うところです。刃傷ざたです。それでも、統一教会では、「怨讐を愛しなさい。」と言っているので、塀の向こうでくっついて暮らしているのでしょう? しかし、すべて嫌だというのです。 ところが、男性たちも、統一教会で同じみ言を聞けば、「先生を絶対信仰、絶対愛、絶対服従する。」と言うようになります。そうして、わたしに似るように接ぎ木してあげ、男性たちを第二アダム、後のアダムのように育てて、相対を結んであげるのです。 そのように、昔は、先生のことを嫌いでも、じっと見てみると、“あのような男性は、世の中のどこに行っても捜し出すことはできない。”と思うのですが、先生の姿を見ているだけでは、千年待っても、得るものはないのです。 ですから、しかたなく、世界の半分の女性たちを教育して、この偽物、天使長、どろぼうを接ぎ木して、わたしの弟にするのです。そうして、「わたしのような、わたしに似た男性が必要だろう?」と言えば、「うん、うん!」と言うのです。それで、この人も似て、この人も似てと、皆、似るようにして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していくようにするのです。 男性の皆さんは、女性よりも優れています。男性が信じれば、女性は、かないません。愛しても、女性はかないません。火がつけば、です。服従もそうです。 皆、祝福を受けたでしょう? 夫のことが好きですか? そのときは、先生のことを忘れてもよいというのです。先生を愛した以上に愛してこそ、良い息子、娘が生まれます。 皆さんの先祖から堕落した血統に漬かり、そのにおいがし、味がする、それ以上に蕩減し、先生を愛した以上に愛して、初めて堕落圏を超えて、理想的血筋が連結されるということを知らなければなりません。 祝福を受けてから離婚した者は、今後、大変です。先生が黙っていると思いますか? 蕩減復帰が、どれほど恐ろしいでしょうか? 国を取り戻すまでは、赦してあげるのです。今から宣布式をして、その後からは、先生は関与しません。皆さんの生活です。自由です。個人完成することは、皆、知っているでしょう? 個人が、どのように完成するのか、知っているでしょう? 家庭完成、氏族完成、民族完成は、投入して忘れ……。 個人、家庭には、時間の長短の差があるだけであって、問題はありません。国と世界は、その時間が長いだけです。最も短いのが、四十年です。世界完成は四十年です。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) さあ、国際結婚を奨励することによって、日本民族を改革することができるのです! (「アーメン。」)この男性たち。なぜ、黙っているのですか? 今、男性の“種”が足りないと言われているのです。医師たちの統計に出ています。わたしは、何も分からずに“あきめくら”になって、話をしているのではありません。調べてみてください。夫婦が、一度関係を持てば、三億五千万匹の精子が出てこなければなりません。それが正常です。分かりますか? 大陸の人たちは、雑草を食べても、何を食べても正常です。土やすべてのものが、正常です。島国は、大陸から離れているので、岩の間のわずかなすき間にくっついている土の中で暮らしているようなものです。そうではないですか? そうでなければ、崩れて太平洋の中に潜り込んでいくというのです。そうですか、そうではないですか? ですから、島国の人は弱いのです。 それでは、“私と、私たち一族のすべての独身男性と独身女性は、国際結婚することを願う。”という人は、手を挙げてください。あそこにいる人たちは、聞こえなかったのですか? 国境撤廃した後、自分の民族の美男美女よりも、もっと希望を持って怨讐同士で結婚する人は、新しい全天上天国、一国世界の王族になることができ、種を受けることができる主流民族と国族になることができるのです! (「アーメン。」) 間違いなく「アーメン」ですか? 「アーメン。」と言ってください。(「アーメン!」)後ろの方は、聞こえますか、聞こえませんか? (「聞こえます。」)全員、聞いたでしょう? “間違いない。”という人は、手を挙げてみてください。 黄善祚氏! (「はい!」)こちらに来てください! 日本女性の親戚の中から、娘であろうと息子であろうと、韓国人と結んであげ、「嫌だ。」と言えば、中国人、あるいはロシア人、米国人と結ぶのです。(笑い) なぜ、笑うのですか? これは、遊び事ではありません。そのようにするのです。そのようにしてこそ、日本民族が生きるのです。島国の民族では、世界を治めることはできません。分かりますか? (「はい。」) 今、先生の民族は、世界の六大州のすべてに広がっています。わたしが寂しく思うことは、何でしょうか? 韓国の女性を後にして、日本の女性たちをたくさん配置しました。 韓国の女性と日本の女性のうちで、どちらがカインですか? 二人が姉妹ならば、どちらが姉ですか? 韓国の女性と日本の女性のうちで、年齢を中心として姉と妹とすれば、だれが姉ですか? (「韓国です。」)韓国が姉です。 ところが、まだカイン、アベルを解決できていないので、先生は、韓国女性よりも妹の立場にいる日本の人を立てるのです。すべて、そうです。 今、統一教会の主流の役割は、日本の女性たちを連れて行うのです。米国に行ってみても、韓国の女性は、何人にもならないのですが、日本人は、全員が動くのです。 ところで、不思議なことは、言葉を学ぶにしても、韓国人は一年半で、どこに行っても通じます。六か月で「ご飯を下さい。」とか、生きることに関することは、すべて話せるようになります。 ところが、日本人は、言葉ができません。韓国人は、三年過ぎれば、原理のみ言を語っても、すべて聞き取れるのですが、日本人の発音は、聞き取ることができません。 ですから、一度話して聞き取ることができず、二度話して聞き取ることができず、三度話して聞き取ることができないので、話す前に“ああ、聞き取れなかったらどうしようか?”と思って、どんどん委縮して、つぶれていくのです。 韓国人の場合は、外国語をハングルで書いて、それを読めば、百発百中、その国の人も聞き取ることができます。ですから、どれほど“やる気”が出るでしょうか? 韓国人は、本を見て、「わわわ。」と言えば、「うん、それはそうだなあ!」と言います。(笑い)日本人は、すべて覚えてから、百回、千回、話しても、聞き取ることができません。ですから、韓国の女性にはかなわないのです。 ですから、“姉は姉だった。”ということです。分かりますか? だからといって、日本の女性は、寂しく思ってはいけません。そうであるからといって、わたしが、韓国の女性ばかりを愛するのではありません。わたしは、平準です。分かりますか? (「はい!」) ここに参席した人の中で、妹や弟がいる人は、もう一度、手を挙げてみてください。 なぜ、そのようにしばらくしてから「はい。」と言うのですか? (笑い)ですから、言葉が通じないということは、どれほど不便でしょうか? 親の言葉を通訳して聞いて、何ができるのですか? 一番のびりのびりのびりです。ご飯も得ることができません。他の人が、すべて食べて片付けてしまいます。 ですから、“言葉を学びなさい。”というのです。今後は、言葉が分からない人は、この韓国に来ることもできません。五年もたてば、夜も昼も、外国語の本をするするするっと覚えて……。 小山田氏。(「はい!」)小山田氏も、昔は発音が悪かったのですが、最近は、ずいぶん良くなりました。(笑い)その年齢でも、そのように発音を正すことができるのです。本当です。 ですから、韓国語が分からなければいけません。あの世に行っても、そうです。あの世に行けば、一週間以内にすべて通じます。心で話すのです。心の世界が、すべて分かるというのです。それは、どれほど便利でしょうか? しかし、あいさつをするときに、日本語で何かの言葉を考えてはいけません。あの世でも、それが分かるのです。良い所に来ても、“血族が違う人が来たなあ。先生の功績でここに来たのだなあ。”と、このように思われるのです。分かりますか? 過去の功績の恵沢を受けようとすれば、ふろしきをすべて解いてから、その恵沢を包むのです。分かりますか? (「はい。」)隠さずに、すべて引っ繰り返してあからさまにし、「好きなようにしてください。」と言わなければなりません。 そのようにして、食べるものもなくて、“三日も食べていない。”という連絡が来れば、先生が食べさせてあげなければならない責任があるのです。分かりますか? 全員に食べさせてあげようとすれば、大変なことになるので、持っている土地に来て、暮らしなさいというのです。 そこには、水もあり、土地もあり、魚もいて、獣もいて、ありとあらゆるものが、すべてあります。一キロメーター以内で、三十分圏内で獣も捕まえることができ、魚も捕まえることができます。また、とうもろこしのようなものは、農場のどこででも育てることができるので、食べることは問題ではありません。 飢え死にしそうになれば、「先生!」と、大きな声で叫んでみてください。「この女性は、なぜ、そのように慌てて大騒ぎしているのか?」と言えば、「私には住む所がないので、先生が連れて行ってください。」と言うのです。そうすれば、連れて行ってあげます。分かりますか? 先生の言うことを、よく聞かなければなりません。 ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して、それで滅びそうになり、食べるものもなく、立つこともできず、逃げていかなければならない立場になれば、訪ねてきなさい、というのです。その自信がありますか? 自信があるのか、というのです。 「自信がありますか?」と聞かれて、「はい!」と答え、さらに「何をしたのですか?」と聞かれたならば、何と答えるのですか? 最後まで行う者は、滅びるのですか、滅びないのですか? (「滅びません!」)知っていることは知っているのですね。(笑い) わたしは、最後まで行ってみたのですが、そのように生きてみると、今では、滅びずに神様を解放し、天下がすべてわたしの手の中に入ってくるようになりました。わたしが「嫌だ。」と言っても、「会わない。」と言っても、「会おう。」と言い、お金が必要ならば、お金も持ってきてくれ、何でも……。 そのような時が来たのです。分かりますか? はっきりと知らなければなりません、この女性たち! そのように実践するのです。“今年から、そのように支援する。”という人は、拍手で歓迎してみてください。(拍手) 黄善祚氏! (「はい。」)あなたは、この日本の家庭を訪問して、そこのおじさんやおばさんたちよりも年が上で、結婚していない人がいれば、無条件に記録してわたしに報告してください。(笑い)(「分かりました。」) 行列です。一列! どこに連れて行くか分かりません。米国に連れて行くかもしれません。「米国(韓国語では『美国』)」は、ワカメスープのことをいうのです。(韓国語で「美国〔米国〕」と「ワカメスープ」は発音が似ていることから) ワカメスープとは、何のことだと思いますか? 落第のことです(ワカメは、ぬるぬるして滑ることから)。学校で「ワカメスープを食べた」と言えば、落第したことをいうのです。 ロシア人の所に行きますか、中国人の所に行きますか、韓国人の所に行きますか? 中国人ですか? 日本人はいけません。(笑い) なぜ、いけないのでしょうか? 今後、日本は、このままでは滅びます。 このままでは、日本は骨が溶けてなくなり、肉ばかりが大きくなっていくというのです。お金ばかりあって、伝統もなく、何もないではないですか? 骨がありません。骨を持とうとすれば、韓国人と……。 韓国民族は、優秀です。数多くの国に行ってみると、日本の女性たちではかないません。 日本の女性たちは、一所懸命には、やります。ぐるぐる回ります。しかし、塀を乗り越えて、お金持ちの家に訪ねていって、「この家の主人は出てきなさい! 世界的な美人が来たので、一度対面してみなさい。」とまで言う度胸はありません。 ところが、韓国の女性たちは、それをさせれば、間違いなくします。皆さんも、そのようにすることができますか? 日本の女性たちが、できますか? 日本の女性は、島国の日本で、町内を一軒一軒、訪ねていくときも、用心していくのです。大きな度胸を持って、世界を闊歩することができる息子、娘を生みたければ、今、神様の恨を解きなさいということです。分かりますか? 国境線を撤廃した後に、怨讐同士で結婚することが、平和の絶対解決方法なのです! 「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「アーメン!」)知っていることは知っているのですね。 韓国と日本が、世界にまたとない平和の境地に行くためには、世界にまたとない交差結婚をしなければなりません。 ですから、日本の東大を出た男性と、韓国の女性とが結婚するのです。日本の東大を出た男性に、「韓国の最も貧しく、凡庸な女性と暮らしなさい。あなたの国のりっぱな女性と暮らすよりも良いだろう。」と言うのです。 そうして、その男性が、東大を卒業して、田舎の最も貧しい人と結婚して、幸せに暮らしてみるのです。そのように暮らしながら感謝してみなさい、ということです。そうすれば、天の祝福のパイプが引かれます。水源地と連結されたパイプです。分かりますか? それで、“都市を食べさせ、世界を食べさせることができる血筋が連結される。”と考えるのです。 わたしが、皆さんに何かを願って、生きているでしょうか? ありとあらゆることを教えてあげて、それで月給をもらいましたか? 皆さんが、わたしに月給をくれましたか? ただで教えてあげたのに、そのことによってりっぱになれば、わたしは、そのことを、お金をもらって教えてあげることよりも、もっと貴く思うのです。 そうして、さらに“世界的な美男子、世界的な男性を中心として、後孫を、それ以上にりっぱにしてあげよう。”と思うのが、先生の思想です。それが間違っていますか、悪いことですか? (「正しいです。」)正しいのです! 正しいというのです! 韓国語で「正しいです。」とは、何のことですか? 「罠にかけます。」ということです。罠があるではないですか? 「罠を使います。」と言えば、「罠にかけます。」ということであり、それが「正しいです。」ということです。(笑い)(韓国語で「罠を使います」と「正しいです」は、発音が似ていることから) それは、“どのようなことをしても、ありがとうございます。”という意味です。「死んでもよい! 生きてもよい!」と言うので、サタンもかないません。“死んでもよい! 生きてもよい! あなたの思いのままです。”と思う、このような人は、「サタン世界の地獄の門をすべて開けて、出ていきなさい。」と言われるのです。分かりますか? 原理さえ知れば、天国に訪ねていくことができるので、サタン世界から出てくれば、どれほど良いでしょうか? 今ではもう、全員を追い出してしまわなければならない時です。わたしの息子、娘も全員、分家させました。追い出して、分家させたのです。皆さんも、真のご父母様が、どれほど貴いのかということを知りなさい、ということです。“だれそれはして、だれそれはしない。”と、そのようにはできません。 さあ、お母様! 皆、トイレに行かないというので、そこの後ろの扉を閉めてください。出ていくことができないように扉を閉めて、入ってくることができないように扉を閉めるのです。妨げになります。 きょう、訓読したみ言の内容を中心として、決定的な着地の杭を打ち込み、文総裁が「真の父母の名」と「神様の名」によって宣言した場なので、今後、サタン世界のいかなる国の大統領でも、法によって、この場を片付けてしまうことはできません。片付けようとすれば、天が蹴飛ばしてしまうというのです。 文総裁のバック(背景)が良いですか、皆さんのバックが良いですか? (「お父様のバックが良いです。」)日本人のバックが良いでしょう? しかし、日本人が、死んでいく人、地獄に行く人を、一人でも天国に送ることができますか? 文総裁は、悪口を言われながらも、多くの人たちを天国に行くことができる車に乗せておいたというのです。 それでは、統一教会を信じて損害を被りましたか、利益を得ましたか? (「利益を得ました。」)苦労しましたか、苦労しませんでしたか? (「苦労しませんでした。」)(「幸福です。」)ええ、何ですか? (「幸福です。」)(笑いと拍手) なぜ、この中央の真のご父母様が行く道を埋めておいたのですか? さあ、祈祷を長くはしないつもりですが……。 王権即位式をしたので、神様がこの場をごらんになり、霊界の聖人賢哲が見詰め、そして霊界の祝福を受けたすべての人たちが、地上再臨を懇切に願っています。 ですから、神様はもちろんのこと、聖人賢哲や、あの世にいる祝福を受けたすべての霊人たちが、地上の兄の家庭に来て協助し、自分たちも、弟の立場で天国に入っていくことができるのです。 しかし、彼らは、地上で真の父母に侍ることができなかったので、地上で侍ったという条件を立て、解放されていない霊界と肉界の自由解放を成し、一つの国と一つの血筋を通した一族を成すというみ旨を成就しなければなりません。 そのために、門を開いて自由に顕現することができる内容を祝福しようと思うのです。分かりますか? (「はい!」) きょうのみ言の内容に、全般的な内容が、すべて入っています。そのように理解して、そのごとくに祈祷しようとすれば、一時間以上かかるので、できるかぎり簡単に祈祷しようと思います。さあ、祈祷いたします。 祈祷 この地上において、幼い少年少女時代から青年時代、壮年時代を経ながら、天の怨恨の根拠地である歴史的な罪悪の根を解決するために、天が心配される心に従って、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代を超え、世界時代、「神様王権即位式」まで施され、奉献することができる時を迎えるようにしてくださった恩賜の前に感謝申し上げます。 霊界は、すでに真の父母の命令と宣言によって、聖賢、賢哲たちが、宗教圏に属しているすべての人々、そして良心的な息子、娘として生まれ、地上で成長することができずに恨を抱いてきた幼い赤ん坊まで、十六歳以上のすべての存在を祝福することができるようにしてくださいました。 そうして、万国の先祖たちが、霊界に染み込んだ境界線を越えることができるように、先祖解怨を三十五代まで終えたという報告を聞きました。 それだけでなく、解怨成就を経て、その人たちを祝福の位置までとどまることができるように門を開いてくださった清平の興進君と訓母様を中心とした、大母様と大兄様、統一家の一族が、統一国家のすべての善霊たちと一つになって、このことを協助し、地上世界、実体圏世界に、真の父母とともに、高い基準で相対基準を連結させることができるようになりました。 その協助の基準が、真のご父母様と切り離すことができない因縁として結ばれ、個人を超え、家庭を超え、氏族を超え、民族を超え、国家を超えて、天上世界にまで至り、天の国の王権即位式を終えました。 その基盤を地上に連結させることができる個人から家庭、氏族、民族、国家、世界が、地上にはなく、宗教圏にもないので、第二イスラエル圏である米国を中心とした三十年、イエス様の年齢と同じ時代を迎えて、四年圏内に解放的因縁を備え、キリスト教を中心としたユダヤ教と、ユダヤ教を中心としたイスラエル圏を先頭として、すべての宗教を一致化させることができる基盤を築くようになりました。 今、その基盤の上で、米国のイスラエル圏、勝利の覇権を宗教と政治、宗教と国家が相克していたことを和合一体化させることができる基盤を築き、国が個人の峠に沿って越えていき、氏族、民族、国家基準が、すでに頂上で分水嶺を乗り越えることができる境界線で待っているという実情にまで至りました。そうして、国連まで連結させ、万国解放の実権を広げることができる境界線にまで至ったのでございます。 それゆえに、このすべての勝利的条件を北米と南米に連結させ、続いて北側のコディアクを通して、再び全世界の蕩減的内容を、この大韓民国の国家基準の前に連結し、民族を超えて、世界に行くことができる道を開放し、宣言、発表することによって、南北と世界のすべてのついたてを越えて、神様が、自由奔放な解放的世界にお出ましになる時を迎えました。 そうして、真の父母が顕現し、神様が顕現されることによって、天の国の祝福を受けた家庭たちが、地上に往来することによって、地上の祝福を受けたアダム圏、長子圏にいる家庭が、天上世界の解放的恩賜を受けることができるようになったのです。 さらに、そのことによって先祖たちと通じることができる、正に超神秘的世界の開門時代を迎えることができる時になりました。 そして、今から真の父母は、間違ってできた塀を完全に崩し、天の真の父母と地上の真の父母が、霊界、肉界を完全にふさいでしまっているものを開き、東西南北四方に、兄弟の因縁、家庭の因縁を通して、万国が大家庭形態となり、平面基準や垂直基準において、天地父母が中心的に活動する、すべての圏を自由に、共に往来、接触することができる時代圏を広げようと願いますので、許諾してください。 そして、そのために、天地父母の赦しを受けて、地上の真の父母と一つになり、真の父母は、霊界にいる興進君と聖人、聖賢たち、祝福を受けたすべての者たちを糾合して地上に降臨させ、協助することができる時代の要件を、真の父母の名によって要求いたしますので、このみ旨を受けて、地上から王権即位の立場にいらっしゃる神様が命令され、地上を自由に往来することができる特権的要因を許諾してくださることを、この時間にお願い申し上げます。 そして、天使長圏、地上にいるアダム圏の堕落していない“祝福の中心家庭圏”に立っている、この一族と一族を中心として、国と国を分別して、全世界が、一つに糾合される時まで、残された真の父母の解放圏を中心として「即位式」を終える時まで、あらゆる精誠を尽くして協助することができるようにするうえにおいて、アダム家庭だけでなく、弟の立場である天使長、霊界まで協助させ、全体解放圏を備えて、地上地獄と天上地獄、地上の楽園圏と天上の楽園圏、地上の天国圏と天上の天国圏を一元化させるという目的を持って、きょう、七月一日、「七・一節」を中心として、十年前に発表したすべての内容が、神様の全権を中心としてすべて連結することができるようにしてください。 そして、東西南北四方に解放することができる内容を宣布したことを、今から真の父母の王権を、私たちが心にお迎えし、家庭にお迎えし、国にお迎えし、世界にお迎えすることができる“祝福の中心家庭”として連合し、地上解放圏と天上解放圏を、共に長子圏と次子圏として立て、父母圏と王圏まで開門しようと願う一切を、お父様が知ってくださり、これを真の父母が可能な世界の限界で要求しましたので、お父様が顕現なさって、実践躬行することができるよう、真の父母が先頭で開拓し、すべての者を案内いたしますので、そのように実践することができるよう、天上世界、地上世界に命令、訓示してくださることを、懇切に、懇切にお願い申し上げます。 ここに参席した人として、家庭的中心家庭は、今から真の父母を王として侍ると同時に、天上世界の縦的な神様を王として侍り、父母として侍り、孝子、忠臣の道、聖人の道、聖子の道、未来の希望的な歴史的収穫期を展望するうえで、神様をお迎えすることができる世界の数多くの国家、数多くの国の家庭を代表した主体の国の立場で、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理の責任を完遂することを決意して宣言いたしますので、天上世界と地上世界、全体被造世界に解放政府を備えて、神様の愛を十分に受け入れることができる前後、左右、上下関係の門を開いてくださり、神様とともに特権的特使の許諾をしてくださり、万国解放、地上、天上天国が成し遂げられることをお願いいたしますので、実践してくださいますように。 真の父母の名によって、懇切に、懇切に報告いたします! アーメン。アーメン。アーメン! (拍手) み言 郭錠煥氏夫婦、前に出てきてください。今からは、萬歳をするときには、家庭がしなければなりません。分かりますか? 萬歳をして、ケーキを食べてください。来ましたか、来ていませんか? (「来ました。」)その前に行って、先生の方を見て、立ってください。(「はい。」)このように立つのです。 それから、だれですか? 小山田氏夫婦は来ていますか? (「私だけ来ました。」)独りですか? (「はい。」)だれか代わりに出てきてください。(「劉会長がいます。」)前に出てきてください。それから、梁昌植氏、この後ろに立ってください。 三か国が、一つにならなければなりません。家庭が、一つにならなければなりません。この後ろに立つのです。梁昌植氏は、その後ろに立つのです。劉大行氏の後ろです。三人全員、来ましたか? (「はい。」) では、一つになって、統一的な萬歳を叫ぶのです。さあ! (「萬歳を先唱〔音頭を取ること〕いたします。」) (萬歳三唱)(拍手) (勝利祝賀のケーキカット)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.04
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文鮮明先生御言選集 20010701 - 第十一回「七・一節」敬礼式後の御言 二〇〇一年七月一日、第十一回「七・一節(神様祝福永遠勝利宣布)」の敬礼式が、真のご父母様を中心として漢南国際研修院において行われました。敬礼式の後、真のご父母様が御言を語られました。 大転換時代 今回の「七・一節」は、十年前の一九九一年から数えて、満十年目です。その時に宣布した内容を見れば、今、祈祷した内容がすべて出ています。公式になっています。 これが蘇生時代、長成時代、完成時代で、二〇一二年までに、世界のすべての国家圏において、私たちの思想圏が主体的な方向を決定しなければなりません。そして、国家的に総生畜献納をしなければならない時代へと移行するのです。そこから脱落すれば、自分の国が、いつそのような時を迎えて加担できるか分かりません。一度しかない時が来るのです。 そのように理解して、今、皆さんが式を終えれば、大転換時代が来ます。霊界と肉界に、大転換時代が来るのです。入れ替わるというのです。 長子圏と次子圏が交代し、サタンの勢力圏が霊界に行って地上を蹂躙してきましたが、真の父母が来て、正しい本然の基準に戻ったので、今からは、地上の祝福家庭が兄の家庭となり、天上世界の祝福を受けた先祖たちが弟の立場となって、この地上に再臨し、行ったり来たりすることができる時代になるというのです。 ですから、時代が変わり、すべての聖賢、賢哲が一つになり、宗教圏全体が一つの同じ部屋に統一されたので、これが地上にも降りてくることによって、各宗教、超民族、超国家的、超国連、王宮までも超え、霊界の管理圏内の一方通行時代に前進するというのです。そのことを知り、それに対して準備することができる祝福家庭になるのです。今まで生きてきた時代とは、根本的に変わるというのです。一八〇度転換しなければ、脱落するということを知らなければなりません。 また、すべてのもののために、今まで家庭的に欠如していたすべての事実を、原理が指し示すとおりに再整備します。整備するのは、他の人がするのではありません。神様とアダムが完成した位置で神様の命令を尊び、自分の家庭でそれを処理していかなければ、自分たち夫婦から、一族全体の行く道がふさがってしまうのです。何のことか分かりますね? 今、先生が語ったことは、過ぎ去っていく話ではありません。一点において、すべてのものを清算しなければならない大転換時代が来たので、それに対して準備し、心身一体となって、このことをしなければなりません。 今の時に最も重要なことは、八節にわたる「家庭盟誓」です。次には、新千年を中心とした年頭標語です。「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」。すべて成し遂げなければなりません。 家を完成させようとすれば、門も、家具も、すべて完成した物を中心として、それを一つにしてこそ完成するのです。完全な物を一つにして完成させてこそ、すべてがなされるというのです。そのようにして、御旨の完成を成し遂げなさいという内容です。 これは、過ぎ去っていく言葉ではありません。皆さんの生活舞台においてこれを完成し、その基台を踏み越えて、上がっていかなければならないということを知らなければなりません。何のことか分かりますか? それゆえ、今からは皆さんが自分勝手に動いたら、霊界がほっておきません。自分のすべての万物を愛すれば、それは完全に吹き飛ばされてしまいます。火で燃やされてしまいます。子女までもです。自分たち夫婦もです。 旧約時代は、サタン分立のために万物を犠牲にして、子女の立場に行くのです。ところが、旧約時代に責任を果たすことができなかったので、子女が祭物となり、成約時代に真のご父母様が来る時まで連結されてきたのですが、真のご父母様が来て、このすべての万物、子女、そして自分自身である父母までも犠牲にしてきた過去を考えるとき、自分の家庭において自分中心の所有権という概念をもつことはできません。 真のご父母様を中心として完全に一つにならなければ、越えていく道がないということを知らなければなりません。大転換時期です。原理の御言を自分勝手にとらえて、こうしてもよく、ああしてもよいと、そのようにするのではありません。 先生にもどうすることもできない時代が来るので、今からは先生と離別しなければなりません。自分の故郷に帰るのです。分かりますか? 統班撃破であり、故郷の地を中心として、祝福を受けた家庭は家庭的メシヤです。その家庭自体がメシヤとなり、金氏なら金氏一族のメシヤとなり、家庭的メシヤから氏族的メシヤとなり、一族を生かすのです。 イエス様の前にヨセフ家庭とマリア家庭、この二つの家庭が一つになり、国家を取り戻し、越えていくことができなかったので、氏族的メシヤは、夫と妻の二つの氏族が一つになって、国家を救うべき時代圏に移行していかなければならないのです。それができなければ、そこに永遠に停止するのです。 そして、国家を取り戻し、越え、国家全体を総生畜献納するのです。国家全体を献納して、その国家はどこに行かなければならないのでしょうか? 世界を救うために行かなければなりません。世界のために投入し、世界が築かれれば、これを霊肉を中心とした天上世界と地上世界に投入するのです。 次には、それを結束させ、真のご父母様のもとに統合し、アダム家庭が堕落することによってサタン圏内に打ち込まれた所有圏をすべて収拾して、神様に奉献するのです。そして、天の国に、地上・天上天国が宣布された後には、今までこの圏内にいたすべての祝福家庭が解放時代を迎えるのです。分かりますね? (「はい」)。 このように大転換して出発した家庭というものは、イエス様の理想が世界的に成し遂げられる立場を失ってしまったので、それを代身するのであり、イスラエルの選民圏を中心として、王権をもった国家的王の立場、それも失ってしまったので、それを代表した家庭でもあり、さらに、民族的基準において、中心のイエス様が家庭をもつことができなかったことを代身した立場でもあり、氏族的基準においてももつことができなかったので、それを代身した立場でもあり、家庭的基準においてももつことができなかったので、それを代身した全体の祝福中心家庭だというのです。 真のご父母様が闘って、すべての勝利圏を備え、その勝利圏を伝授し得る基準に立ったので、本然の基準に一致することができる内容、その基準に合うように自分の家庭を整理しなければなりません。 今からは天法を中心として 私は出発しましたが、この狭い個人ではありません。上がっていきながら、世界全体を代表するのです。ここから個人を中心として家庭を収拾し、次に氏族を収拾し、民族を収拾し、国家を収拾し、国家基準から世界を収拾することができる基準を、すべて収拾してこそ、平行線になるのです。分かりますか? 平行線になるのです。 天が夫であり、地が妻です。男性が上で、女性が下です。それを個人から広げて、これがいくら難しい道であっても、蕩減し、解き、そして家庭で解き、氏族で解き、民族で解き、国家で解き、世界で解いて、交差したこの内容が平行線になるのです。堕落していない創造本然のアダムの血統を中心として連結された、真の愛の主権世界と連結することができる平行線にならなければならないのです。分かりますか? (「はい」)。 皆さん、男性と女性がけんかをすれば、必ずぶつかり合うようになります。一つになることができなければ、必ずぶつかります。ぶつかる未来性をもった妻は、前進することができず、十年、百年、待たなければならないというのが、今までの霊界の実情です。そのことを知らなければなりません。けんかはあり得ません。たたくことはあり得ません。殴ることはあり得ません。何のことか分かりますね? (「はい」)。 これが転換です。上にいたサタン世界が下になり、これを取り戻して、創造(本然の基準)に上がっていくのです。その国を中心として、この法が拡大して、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代……。このように、復帰していくのです。 真の父母を中心として祝福を受けた家庭が、真なる家庭の相対、真なる父母の家庭の相対的立場に立って、障害なく、天宙の勝利の覇権に行くのです。このように皆さんも清算しなければなりません。 こうして、共に天宙の基準まで合わせて、平行線で「家庭の解放圏を成し遂げた! アーメン!」と言うとき、初めてそこに相続が展開するのです。分かりますか? (「はい」)。相続は、家庭ですることはできません。氏族、民族ですることはできません。天宙でするようになっているのです。そのような大転換……。それゆえ、今まで霊界の底なし地獄にいた者をすべて引き出して、解放し、地上に降りてきても相克のないように、先生がすべて祝福しました。 地上で残っていることは、天使圏家庭が出てきて、一対一で責任をもって、地上の家庭を収拾することであり、今ではもう、それは問題ではありません。言うことを聞かなければ、連れていくのです。連れていくことができるように、先生が祈祷します。特権を許諾します。分かりますか? そのような大変革時代が来るのです。 今までは皆さんを保護しましたが、今からは保護しません。天法が成立しているので、その憲法と法によって、地獄にも、天国にも、行くようになっているのです。蕩減法を適用するようにはなっていません。新しい法治の国家形態を備えなければならない時になるのです。今まで、語った御言の内容によって……。 王権時代が来たので、今からは天の国を編成しなければなりません。世界超国家、超民族、超宇宙的な一つの国を、皆さんの家庭から成し遂げていかなければならないのです。それゆえ、今からは天の国の民として、税金を払わなければなりません。分かりますね? (「はい」)。十分の一献金ではありません。十分の三献金です。サタン世界には、今でも救うべきカイン世界が残っています。その主権が残っています。そのような教会が残っているのです。 そのような面を世界的に収拾するために、投入することができる責任者にならなければなりません。真のご父母様の代わりにしなければならないのです。真のご父母様は、すべての財産と生命を懸けてそのことをしたので、皆さんの家庭を中心として十分の三献金を捧げて、民族解放、国家解放、世界解放、家庭解放、一族解放、氏族圏解放、天上圏解放を果たしていくことは、支障がないということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)。 亡国の種となってはいけません! 先生の財布には一銭もありません。すべて世界のために、世界のものとして、公のものとして登録したのです。自分名義のものはありません。それゆえ、このような準備をしなければなりません。そのようにしなければ、その家に行って聖別式をすることができません。その一族全体が(天に)侍ることができません。ですから、帰ってそうするのです。 昔、皆さんが氏族的メシヤになる時に指示した内容を忘れているかもしれません。それは、ちょうど十年前に指示した内容です。指示した内容は何かというと、祝福家庭はたくさんいますが、先に一族を登録申請した者が国家的メシヤになるということです。そのことを知っていますか? 覚えていますか、いませんか? (「覚えています」)。 きょう、その御言まですべて出てきます。十年前です。先生が悲壮な決意をしていた時です。千辛万苦の果てに、ついに陸地に立ち、線を引いて、自分の所有権を確定することができた時代だったということを知らなければなりません。 このようにして九〇年を越えて、九二年から七年間、女性解放を宣布してきたでしょう。その前に、このことを乗り越えるために、どれほど深刻だったでしょうか。その内容は、きょう今から祈祷して転換させようとしている内容と一致するのです。合うのです。 それゆえ、祈祷した内容や訓読大会の内容をもう一度聞いて、きょうのこの転換の責任が、どれほど重要なのかということを再覚醒することを願います。分かりますか? (「はい」)。録音機を持ってきていれば、それで自分の教会や、地方の自分の責任部署に早く連結させて、宣布式とともに、このことを推進していかなければなりません。 氏族的メシヤ、国家的メシヤは、宣伝して、他のところを伝道する必要はありません。自分の一族です。十二支派を結ばなければならず、十二民族を結ばなければならず、十二氏族を結ばなければならず、十二息子・娘を結ばなければなりません。分かりますか? 十二弟子です。家庭においても、十二弟子、七十門徒です。今までしたすべてのことを中心として、国家においては反対がありません。 サタンは地獄に連れていくために、首を切り、ありとあらゆることをしました。天の勝利的父母が権限をもち長子の権限をもったので、どのようなことをしてもよいのです。引っ張ってきて修練を受けさせることができます。そして、天国に行くようになるので、修練を受けた後は、千年、万年、「感謝です」と言わなければならないというのです。自分が讒訴することは何もありません。 真のご父母様が迫害するサタン世界を愛したと同じように、自分たちを救うために、そこから抜け出すために、そのようにするのですから、言うことを聞かなければ聞くようにさせるのです。 だからといって、すぐにそのようなことをするのではありません。先生がそのようなことをできないようにしています。しかし、言うことを聞かなければ、すべての世の中が火で燃えてしまうかもしれません。そのような恐ろしい時が来たというのです。分かりますか? (「はい」)。そうか、そうでないか、死んでみれば分かります。 早く行くか行かないかは、各自にかかっている 今からはここに訪ねてきて、先生に「来ました」と言うことはできません。私が呼ぶまでは、来てはいけません。自分に国家と民族に対する重大な責任があるならば、それは、世界的責任と関係がある内容であり、だれよりも先頭に立っているのです。報告する者がいません。国家的メシヤの基準、それ以上の立場である時には分かりませんが……。それゆえ、先生を訪ねてきてはいけないというのです。神様も必要なく、真の父母も必要ありません。自分たちが代身家庭でしょう。そうでしょう。(「はい」)。 教会に対しても、自分がすべて稼いで払わなければなりません。そのようになれば、一族、息子・娘を動員し、血筋(血族)を動員し、三代を動員して、教会を支えていくことができるように競争するのです。そして、優秀な人が先祖になるのです。それがそのまま、一国家基準においての系列になり、全世界の七十門徒、百二十門徒の支派編成に入っていくので、そのようにせざるを得ません。しなければ、その国が脱落してしまいます。分かりますか? (「はい」)。 深刻で重大な時代が来ました。ですから、私がここに手を出す必要はありません。すべて築いてあげたからです。早く行くか行かないかは、各自にかかっています。オリンピック大会のように、スタート地点からのすべてのコースを知っています。それゆえ、どのような困難があるとしても、正式なコースを経て、戻ってこなければなりません。助けてください、なんだかんだと、言うことはできません。 この祝福家庭たち! 本当です。頭でっかちの者たちが、父母たちが祝福するというので、自分の家庭の息子・娘を、教会の中でいちばん立派な家庭と結婚させるために、訪ね歩いているというのです。そのような人は、足で腹を蹴飛ばしなさいというのです、この者たち! 分かりましたか? 歓迎する立場では、二人とも法に引っかかります。怨讐の家庭と結婚するのです。先生の家庭は、全員そうです。激しく苦労して従ってきた者たちと祝福しました。そのようにしましたか、していませんか? 怨讐の殺人魔と聖賢が一緒に……。息子・娘が最も悪なる人と結婚し、その国のだれよりも愛して、世界のだれよりも愛すれば、神様に最も近い位置に立つことができるのです。それが天理です。 すべて記録されています。先生が教えてあげたことを讒訴する、何の内容もありません。私が一生懸命に訓読したその内容が残ることを願っています。自覚です。自覚! 自活! 自治! 孔子のような人は、「修身斎家治国平天下」と言ったでしょう。「『元亨利貞』は天道の常であり、『仁義礼智』は人性の綱である」、「子曰く、善に従う者は、天が保護して福を与え、善に従わない者は、天が災いを与える」。(このように)天地のすべてのことを話しました。「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」、五倫です。三綱というものは、(君臣の道、父子の道、夫婦の道の三大)綱領です。家庭綱領、国家綱領、すべて天に侍る天道法です。個性完成、家庭完成、国家完成のことを言っているのです。 これで、孔子が有名なのです。孔子が天地父母をお迎えすることができる準備さえしていたなら、この東洋の天地はすべて天国に入っていました。しかし、メシヤを迎える準備ができませんでした。 先生が開拓し、霊界の聖人たちを糾合して、地上に再臨することができる橋を架けて、これを今公開するのです。聖人だけではありません。祝福家庭はすべて兄弟です。この地球星が神様の故郷であり、神様の国です。私たちはその息子・娘になるので、私の故郷であり、私の国であるというのです。そのために生きなければなりません。それができていないので……。 各自が原理を通し、そのようなことをすべて知っています。「知らない」とは言うことができないので、知った後には、実践しなければなりません。祈祷もする必要はありません。祈祷よりも実践です。何のことか、分かりますね? (「はい」)。皆さんは、そのことを知らなければなりません。 王権は、絶対血統、純潔血統 真の愛を中心として見てみれば、男女の生殖器は、愛の王宮であり、それから何ですか? 生命の王宮であり、血統の王宮です。こう語ってきました。 それは、母親一人のことを言います。父親から見てみれば、初めて王宮に生命の種を植えるのです。愛の種を植えるのです。血筋を植えるのです。そのように植える子宮は、「宮」であるというのです。息子・娘を宿して育て、その赤ん坊が出てくるのですが、父親の、父母の実りとして出てくるというのです。それゆえ、父母の生殖器は、神様が愛することができる生殖器であるというのです。分かりますか? それを受け継いだ結果的存在が、アダム・エバの息子・娘であり、神様にとっては孫です。その孫を、アダム・エバが愛したと同じように神様が愛するのです。それゆえ、その父母の生殖器は、自分(孫)を植えてくれた生殖器であり、自分が成長してもつ生殖器は、刈り入れる生殖器だというのです。 これを逆さまに見れば、その生殖器は、永遠の愛、永遠の生命、永遠の血統をもった永遠の生殖器として、父親のものですが、私にとってもそれは、永遠の愛、生命、血統の生殖器だというのです。一つは蒔くものであり、一つは刈り入れるものです。その二つは分けることができません。父母と息子・娘は、分けることができないということを知らなければなりません。それがどういうことか分かりますか? それが絶対的に一つになった位置から、横的に広がっていくのです。はっきりと知らなければなりません。言い訳を言う道理がありません。 なぜ、父母を愛さなければならないのかというのです。神様の王権を即位させることができる宝だというのです。その器官を通して生んだので、それは神様の愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮なのです。 そして、自分の父親は肉的に、神様と同じ立場にいるのです。肉を中心として、愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮なのです。私はそのように植えられて、十か月目に生まれた結果であり、刈り入れられた実りなので、逆さまに見れば、父母の愛の家は、私が永遠に暮らすことができる愛の家であり、生命の家であり、血統の家なのです。家だというのです。分かりますか? その関係が結ばれたので、息子・娘を生んで、生きても、死んでも、これを分けることはできないのです。父母がいなくてはいけないので、「孤児」という言葉が出てくるのです。 この天下に連結することができる完成した生殖器は、神様が愛を蒔こうとした出発基地であったのですが、神様はその結果を刈り取ることができませんでした。三代を愛することができなかったのが神様です。 これを中心として見るとき、神様がアダムを愛したのではなく、アダムが神様を愛したのです。神様が愛する生殖器、父親が愛する生殖器、その上に種が蒔かれ、その実として刈り取られたのが私なので、蒔かれたものよりも貴いというのです。神様はご自身を中心として、愛することができる道理を開拓してアダムを愛されましたが、孫は、アダムと神様が愛さなければならないのです。その二つの家が歓迎することができる実りだということを知らなければなりません。 上下の反対的な立場で天を中心として永遠に決着した、生命の種と生命の根、愛の種と愛の根、血統の種と血統の根が連結すれば、これを断ち切る者はいません。ここを蹂躙する者は、赦しがないというのです。分かりますね? (「はい」)。 ですから、王権は、絶対血統、純潔血統です。まだそのような問題に対して「赦す」という宣布をしていません。それを保留にしています。いつかそれを宣布する時まで、自分たちがその期間にいれば、すべての面において注意しなければなりません。公式的な集会に出るときには、息子・娘を連れてこなければならないようになっています。息子・娘が過ちを犯した責任は、母親にあるのであり、父親にあるのです。天の前に反逆罪を犯したという事実を知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。 家庭表彰時代が来る そのような意味から、きょうは大転換式です。皆さんの四肢五体に三六〇度、からまっているナイロンの紐を完全に断ち切って、一つも引っかかるものがない、解放され、整備された位置に立つのです。この式典に参席して、それを越えて転換しなければならない瞬間だということを知らなければなりません。 ですから、そこに、警告の内容、天が宣布した内容と、すべて一致することができる自我を発見するために、特別に訓読会をするのです。それゆえ、二重です。家庭でしなければならず、世界でしなければなりません。天の国においても、訓読会をするのです。分かりますね? (「はい」)。遊びごとではありません。よく聞きなさい。 祈祷文から読みなさい。未来の今日を見つめながら祈祷した内容です。一致しているかいないか、判断してみなさい。王権を樹立し、母子圏を奪還しました。乗り越えました。父子圏を発表したので、日本が責任を果たそうと果たすまいと、関係ありません。韓国が責任を果たそうと果たすまいと、関係ありません。アメリカが責任を果たそうと果たすまいと、関係ありません。すべて乗り越えたというのです。 父子のたった二人で逃げ回っても、母親がいなくて、息子が「お父さん、お母さんが必要です」と言えば、迎えるのです。「おお、そうか、おまえはそのことを知っているのか? では、そうしよう」と言って、息子も喜び、父親も喜べば、同じ生命に生殖器を合わせることができるのです。庶子や後妻というものがあっては、問題が起きるのです。 長子圏、父子一体圏、このようになっているのです。愛を中心として堕落した、この生殖器の故障によって、そのようになっているのです。それを保管することができる権能をもった真のご父母様の倉庫には、道具を備えるように、何であっても実体を備えることができる準備ができているので、エバ圏がなくても……。母親が問題ではありません。エバ圏がなくても、家庭を編成することができるのです。アーメン! (「アーメン!」)。 今、環太平洋圏を樹立しながら、そのことを発表しました。先生はこれを発表して、子女の群れが引っかからないように、千年万年、引っかからないようにするために、整備して、また整備して、昼夜、苦労したということを、だれが知っていますか? 三十六家庭、七十二家庭、その言葉自体を聞くのも嫌です。 先生が町内に来ても、あいさつすることもできない者たちです。そのようなことが、すべて問題になるのです。良心の呵責を受けていなければ、先生の家門を出入りしなさい。呵責を受けていれば、来なくてもかまいません。このような式に出なくてもかまいません。 あなたたちがしなければならないでしょう。私がすべきことではありません。そうではないですか? あなたたちが守るべきであって、私が守ることではありません。きょうは、何々の日、何々の日、三十六家庭の祝福の日、これらはあなたたちが守るべきでしょう。その日に私が飛行機に乗って遊びに行っても、讒訴する道理はありません。統一教会の式を一つも守らなくても、皆さんが先生に不平を言う道理はありません。あなたたちがなすべきことです。分かりましたか? (「はい」)。先生は成し遂げて、すべて捧げました。 今ではもう神様まで解放しました。「問題ない」という通告を受けたので、神様の即位式を完了したのです。 ノアは、審判後、六月一日に上陸しました。七月一日、完成時代は、七数の解放を成し遂げなければなりません。七千年です。そうでしょう。それがすべて合わなければなりません。はっきりと知らなければなりません。 あなたたちが慕わしくて、私が「来なさい、来なさい」と言い、私が仕事に責任をもって、このように「来なさい、来なさい」と言うのではありません。 神様を解放することに対する功労があれば、その功臣が神様から賞をもらわなければなりません。家庭祝福、家庭表彰時代が来ます。 (御言の後、十年前の「七・一節」制定時の御言を訓読)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.02
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Family 2001.8 月号に掲載されていたものです。文鮮明先生御言選集 20010621 - 第三十九回「真の万物の日」敬礼式後の御言(No.1/4)文鮮明先生御言選集 20010621 - 第三十九回「真の万物の日」敬礼式後の御言(No.2/4)文鮮明先生御言選集 20010621 - 第三十九回「真の万物の日」敬礼式後の御言(No.3/4)文鮮明先生御言選集 20010621 - 第三十九回「真の万物の日」(4/4) わたしは、すべきことは、すべてしました。きょう も、国連ビルの前で、大きなストライプト・バスが釣れたそうですが、そこで四日間も釣っていたので、最後の時間に、神様がかわいそうに思われたようですね。それは、"あなたたちを信じていてはできない”ということです。天が空中から網をほうり込んだのと同じです。 また、UTS(統一神学大学院)の屋根の上の十字架が、落雷によって壊れて落ちてしまったという事件は、"キリスト教を信じてはいけない。片付けてしまいなさい”ということです。片付けてしまうのに、未練はありません。 国連に未練はありません。米国という国に、キリスト教文化圏に未練はありません。それ以上の一つの結実として、神様の前にささげるのに十分な「祝福の中心家庭だれそれ」なのです。(「アーメン!」) 一度、言ってみてください。各自の名前で、「祝福の中心家庭○○、神様、決意します。」と、言ってみてください。(「祝福の中心家庭○○です。アーメン。」) わたしは、皆さんに「王権樹立しなさい。」ということは言いません。すでに樹立されて、ここに道が築かれているので、その枝に接ぎ木しなさいというのです。個人的枝、家庭的枝、氏族、民族、世界、天宙まで、すべて道を築いておきました。骨はできています。ですから、肉になりなさいというのです。 皆さんが、個人完成の肉となり、国家完成の肉になるか、世界において聖人の道理の主体となるか、"聖子”、イエス様が神様にささげることができ、奉献することができる家庭にならなければなりません。そして、そ のような家庭を持つことができなかったことに対して、 無念で恨めしいので、行かなければならない残りの・・・・・・。 天上世界に行くと、統一教会の天国があると同時に、 楽園があり、地獄が生じるということを知らなければなりません。サタン世界は整理し、支配しましたが、 天の国には、そのような形態が残るかもしれないということが、恨です。分かりますね?(「はい。」) きょうは、二十一日です。一番下に行って、二十一数で先生が戻ってくるのです。南米を出発するときに、 別れを告げてきました。皆さんが願うことに対して、 わたしがすべて借金をして、払う覚悟で支払いました。 米国に来て、わたしがすべきこと・・・・・・。 大学校問題など、重要なことです。教会問題など、ワシントンを中心として考えていた条件を、すべて整理して超えていくのです。いつ出発したとしても、南北米を振り返らずに、あらゆる精誠を尽くして、アジアとアフリカを統一して、主体的環境をつくることによって、西洋を復帰するのです。 カイン世界を復帰したので、アジアのアベル世界を中心として、復帰された天国が定着するために行うのが、太平洋を中心とした摂理です。両大陸を一つに結ぶための環太平洋時代において、その結実を太平洋圏内から出発させなければなりません。世界に、わたしたちの国を出発させなければなりません。分かりますね?(「はい。」) このようなことを聞いて、先生のみ言は、摂理の主流と連結することができるということを認めなければなりません。自分勝手に否定できるものは、一つもないということです。 それは、今から本当の神様の息子、娘として生きていきなさいということです。先生が慕い求めた息子となり、娘となり、慕い求めた家庭の夫婦、慕い求めた 父母となって子女を愛し、子女が父母を慕った・・・・・・。 歴史の中で、来られる主を慕い、待ち望んだ以上の 慕わしさを持ち、一つの家庭が愛の塊であり、それ自 体が核であり、神様と対等な相対的価値を備えた家庭 であると自負して・・・・・・。 それも、自分が自負するのではなく、神様が自負され、「あなたにすべてを与えたい。」と言われれば、「いいえ。万国に分け与えてあげて、残ったものがあれば、 すべてもらうことにします。」と言わなければなりません。 「自分のものにして・・・・・・。」と、このようにするのではありません。「自分のものを万国に分け与えてあげ、残ったものがあれば、それを種にしてもっと大きくし、それ以上に分け与えてあげる結実をいくらでも結ぶことができるので、残ったものを種として、全体に補給して余りあります。」と、このようにしてこそ解放されるのです。 そのように生きてきた先生に対して、どのように侍ってきましたか? このように対してきましたか? 最近、金重壽氏にわたしが一言言うと、「何がどうだこうだ・・・・・・。」と、弁明していましたね。朴重眩氏に一言言うと、「私が、何を間違ったのか?」と抗議しましたね? 皆、引っかかっています。 統一教会の責任者をすべて、わたしが足で蹴飛ばして、「こいつ、何をしたのか?」と言って、全員、試験しました。そのようにして残ったのが、郭錠煥氏です。 郭錠煥氏を見習いなさいというのです。 この人は、自分の利益を考えません。祝福してあげても、どうにかして、できるかぎり後ろに行こうと努力する人です。そのような人が、必要なのです。 そのようになれば、どうなるでしょうか? 先生から、枝がそちらに伸びていきます。分かりますか? 枝がそちらに向かって伸びていくのです。その枝が大きければ、すべてを相続してあげなければなりません。 韓国では、今回のIMF(国際通貨基金)事態を中心として、すべてを郭錠煥氏に覆いかぶせたのです。 政府が滅んで落ちていきます。どうなるか見ていなさ いというのです。 今の韓国は、すべて滅んで、落ちた状態でしょう? 国民がどこにいて、自分たちが考える共産主義が、どこにありますか? 財閥を糾弾して問題になり、労働組合が問題になっているでしょう? また、キリスト教が問題になっているのです。宗教と人民が問題になれば、越えていくことができません。 それらを皆、わたしが手を着けて、これを解決してあげなければなりません。これを解決するために、世界的な平和メシヤを立てておいたのです。国家的平和メシヤを、国会議員の三倍以上、三掛ける四は十二なので、四数になるその人たちを中心として、一つの国家を生かすための・・・・・・。 野党と与党の半々に分かれている国会議員たちに、 三人ずつつけて活動させるのです。最後まで、選挙の三日前までようすを見て、わたしたちと一体となると いう決意をすれば協助しますが、そうでなければ協助しないのです。 そうして、選挙の前日に、統一的基準で「だれそれにしなさい。」と告げて一気に追い込めば、国会の半数以上は、わたしたちの願う人になるのです。統班撃破の三次、四次目に、このようなことをしていることを知らなければなりません。 今から、すべて掃き捨てて、どのようにして天の国の国家体制を理想的なものにするのかという課題があるのです。統一産業は、そのために準備してきたのです。機械工業から産業復興まで、すべて準備しておきました。わたしが、すべてしておいたのです。 朴正華。この人は、避難民生活をしながら、統一教会を復興させることができる基盤を中心として・・・・・・。 わたしがしていたら、すべてやっていました。この人を中心として、「やりなさい。」と言ったのですが、昔の習慣的な風習を中心として、自分の考えで行動して、 すべて売り飛ばしてしまいました。 また、教会をいくつか建てましたが、統一教会を皆さんに任せたら、すべて売り飛ばしてしまいました。 神様のみ旨の観念から見るとき、七〇パーセントを超えることができません。 三〇パーセントにも到達できていません。今まで、わたしがその中間で、このことをしているという事実を知らなければなりません。 先生に“解放の一日”があったと思いますか? 天を見渡せば、黒い雲に覆い囲まれていて、日の光がなくなりました。先生は、そのような中で開拓してきた人であるということを、皆さんは知らなければなりま せん。分かりますね?(「はい。」)皆さんの五官のすべてを抜いて祭物にしたとしても・・・・・・。 自分一人では、だめです。四位基台が怨讐になったので、自分の一族以上のものをささげて余りある、心情的豊饒感、余裕感を持たなければ、天の国を、全体天宙復帰の主体となる神様の王権を維持することはできない、ということを知らなければなりません。 ですから、皆さんがすることは、天国のほんの片隅だけを支えることができる土台になるだけであって、 天国完成全体の土台ではありません。それも、八段階を超える過程が残っているので、皆さんの土台があってもなくても、砂利で埋めても、セメントで埋めても、 何で埋めてもかまわないのです。 統一天下を中心として、教育していくのです。皆さんを、そこに投入しようと考えているのではありません。世界に平面的に立てて、万国のどこでも、三百六十度、三千六百度方向において責任を果たす、主体的な存在になって余りあるようにならなければなりません。 そのようになってこそ、神様がそれを抱かれて"王権樹立”を誇ることができ、「わたしの国が、わたしの世界が、わたしの目の前にあるなあ。」と言われることができるのです。しかし、そのようなことができていません。分かりますね? それが、どれほど深刻であるかということを知らなければなりません。 先生がいなくても、国を収拾することにおいて、先生以上に深刻でなければならず、国を超えて、世界に行くことのできる要素を残してこそ、接ぎ木しても消化することができるのです。分かりますね? 完全否定が問題ではありません。完全否定の千倍、万倍でも問題ではありません。わたしは、借金をしながら、このことをしているのです。わたしの財布に一 銭でもあれば、貧しく暮らしている食口に、数えもせずに財布をはたいて渡してあげます。 あらんかぎりのものを投入するので、あらんかぎりの愛の対象を求めるのです。あらんかぎりです。数えたりはしません。そのような先生の生活をよく知っているはずです。 ですから、お母様も問題です。「自費で払いなさい。」 と言って、蓄えておいたお金を出してあげると、一日もたたずに、すべてまいてしまいます。どうして、そのようにするのでしょうか? 今、わたしは、自分のために使うことができるお金を恐ろしく思っているのです。あらかじめ公的なところに使えば、そこに残るので、わたしは消耗した人にはなりません。残していくという天理に従ってきてみると、神様が祝福してくださり、万国が、わたしのおしりにぶら下がる時代が来たということを知らなければなりません。 ですから、神様までも文総裁にぶら下がっているので、万国が、「私もあなたにぶら下がります。」という基準に立ったとしても、「いいえ。私が持っている物は、すべて神様の物です。未練はありません。」と言って、 お返ししてくるのが、王権樹立を中心として、訓読会の五十二日間……………. 今まで、そのようなことをしてきているのです。霊界を、はっきりと教えてあげなければならないということです。分かりますね?(「はい。」) この鉄則は、皆さんの家庭が、永遠に守っていかなければならず、峠として踏み越えていかなければならない宿命的な課題です。ですから、きょう、記念する 「天宙平和統一連合」を結成する家庭として、このことに対してだけは恥ずかしくないように・・・・・・。 外的世界と内的世界、天上世界に行く道が四方にありますが、それを連結させて、ためらうことなく自分の家庭的基台として付与することを願っているにもかかわらず、それを後回しにしてはいけません。 また、神様の愛を中心として、希望のみ旨と天の主権的み旨と、天の国の伝統的み旨が、すべて連結され ているにもかかわらず、それを知っていながら、これを後回しにしていこうとするならば、そのような人は、 雷に打たれるべきです。 今まで、国連の事務局が、統一教会を否定してきたのですが、ストライプト・バス・・・・・・。ストライプト・ バスは、米国を象徴するのです。それは、米国の国旗 ある星条旗(「スターズ・アンド・ストライプス」とも「ジ・アメリカン・フラッグ」ともいう)を象徴しています。それに白身の魚で、おいしい魚です。有名な魚なのです。 ですから、これを「ストライプト・フィッシュ」と 言うのです。分かりますか? 「ストライプト・バス」ではなく、「ストライプト・フィッシュ」、「ストライプ ト・フラッグ・フィッシュ」と言うのです。 そのようになってこそ、米国が解放されます。先生は白であり、ストライプト・バスの体にある黒いライン、ストライプは米国を表します。これを完全に解放して・・・・・・。そのラインは、いくつありますか? 数え てみましたか?(「星条旗のストライブは十三です。」) 違います。ストライプト・バスの体側のラインです。 数えてみてください。七つ、八つになっています。(若干、聞き取り不能) それを捕まえるために・・・・・・。三十インチにもなると、 不可能です。二十八インチ、”二八青春(十六歳ぐらいの若者。青年男女の意)”で二十八インチを捕まえて 「萬歳」を叫ぼうと…。昼も夜も、それを捕まえるために苦しんだ四年間を忘れて、初めて、ここのハー フ・ムーン・ベイ(湾)を訪ねて、そこで魚が卵を産む場所、生息している場所を尋ね求めてハドソン川を……。 ニューヨークは、ストライプト・バスが暮らしている家です。その家の中に入っていって、一番良い所に行ってみると、国連の基地だったのです。 ですから、国連がいくら願っても、わたしたちが行く道は、天が願われるとおりにすべて成し遂げられ、 キリスト教がいくら反対しても、わたしたちのみ旨は、 国を救って余りあり、第二イスラエル圏の責任を果たし、解放的世界を抱いて余りあるという結論が出ているのです。そのことを今、成しているという事実を話しているのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) み旨から見た立場で、主流思想がどのようなものであるのかということを知り、自分を何千回も否定して、それで神様が祝福されれば、その祝福は、世界に分け与えられ、一族である家庭に分け与えられ、そして氏族に分け与えられ、民族、国家、八段階すべてに分け与えられるようになります。 そうして、残ったものがあって、自分の種にしようと思うならば、それこそ神様から相続を受けることができる後継者であるのです。アーメン。(「アーメン。」) これらのことをすべて記録して、教育の材料として使うのです。先生は、そのように生きてきました。間違いなく、そのように生きたのです。み旨の前に、わたしは負債を負っていません。尋ねてみなさいという のです。 ですから、いくら聖人が優れていても、先生の前には、ひざまずかなければなりません。今から、先生が霊界に行って、聖人たちを教育するときに、皆さんが四十年間かかったとすれば、四年間、四日間で同じ位置に行くことができるようにしなければなりません。 その材料を集めているのです。 その材料の最初の出発が、”完全否定”ということです。「あなたは、霊界にいないで地上に降りていき、地獄の底から開拓してきなさい。」と言えば、「イエス。」 と言うようになっているのであって、「ノー。」と言う ようにはなっていません。「ノー。」と言うようになっていますか、「イエス。」と言うようになっていますか?(「「イエス」です。」)「ノー」ですか、「イエス」 ですか?(「「イエス」です。」) 皆さんは、霊界の聖人たちに負けますか、勝ちます か? (「勝ちます。」)勝たなければ、先生の体面が立ちません。先生の伝統が地獄に落ち込んでいくのです。 地獄の底に引き込まれていく逆賊の先祖にならずに、忠臣となり、不孝者の放浪児にならずに、孝子をも超えていかなければなりません。何があっても、天の国の孝子と忠臣の位置を超えなければ、聖人の系列に同参することはできません。 それゆえに、国を取り戻して奉献するまでは、聖人の系列に入っていくことができないので、「統一教会の祝福家庭たちは、国を建てて、天の前に全体。総生畜献納をしなさい。」ということが、先生の訓示なのです。 ですから、先生が亡くなったとしても、皆さんは、国を取り戻すために、命を懸けて行かなければならない宿命的な路程に立っているということを知らなければなりません。分かりますね?(「はい。」) きょう、それを宣言するので、「天宙平和統一連合」を宣言するのです。 そうして、米国において、必要なすべての内容を持っている三家庭を設定して、先生の親戚たちが、彼らと結婚しなければならないのですが、結婚した家庭は、今、どうなのですか? 祝福家庭が、手本にならなければなりません。自分たちが責任を果たすことができなければ、先生が恥ずかしい思いをすることになると思って、自分の謹慎を考えるというよりも、行動をきちんとしなければなりません。謹慎は離れてするものですが、行動は、暮らしながらするのです。行動をきちんとしなければなり ません。分かりますか?(「はい。」) 第二イスラエル圏は、王の中の王であり、選択された最高の群れと、祝福することができる家庭が基盤となっていなければならず、野良犬のような者たちではできません。ですから、先生の家庭が被害を受けているのです。世界が責任を果たすことができなかったので、このようになったのです。 先生は、世界の血族や代表的な王族を通して、「その王権を尊重して、それ以上の生活的な基盤を連結させなさい。」という訓示をすることができずにいました。 祝福家庭に対して、国のことではなく、「恥ずかしくない立場に立ちなさい。」という教育から始めなければならないという悲惨な事実を知らなければなりません。 間違いなく、先生は、そのことをするのです。その過程において、皆さんが責任を果たすことができずに、 先生の家庭に被害を与えたすべての事実が、国家を捜し立てることによって、蕩減的な要件として残されるのです。分かりますか?(「はい。」) 統一教会は、一か国ではなく、三か国を統一しなければなりません。ですから、六大州のうち四つの州を一つにして、世界統一を宣布しなければなりません。 それが国連です。国連を中心として、そのような整地作業をすべて成しておいたのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」) 自分たちの行くべき目的地の方向が、どこであるのかということ、環境条件を、どのように消化しなければならないのかということを知らなければなりません。 しかし、ビショップ(司教)たちの群れを見れば、 わたしが何かをしてあげれば喜び、献金の話をすれば、 逃げようとするのです。それほど難しい環境です。 主流思想を、個人から、家庭、氏族、民族、八段階の分野において、歴史的な先覚者、旗手が出てこなければならないということを皆さんが理解して、あらゆる忠誠を尽くして・・・・・・。家庭で孝子になるのか、国の忠臣になるのか、世界の聖人以上の基準になるのか・・・・・・。そのようになろうとすれば、数千、数万の家庭を・・・・・・。 聖人たちが生まれた国に、聖人たちが願った国を成し遂げることができる基準まで超えていかなければなりません。イエス様を中心として、イスラエルの宗教圏を超え、統一天下を成して、解怨成就しなければならないのです。それゆえに、先生が、そこに引っかかっているので、今、このことをしているのです。分かりますね???(「はい。」) それは、先生が生きてきた、“生きた伝統”です。妄言ではなく、うそでもありません。事実だと知っているのですから、皆さんは、その分野で、どこまでの枝になるのですか? 幹にはなれなくても、東側の枝になってもかまいません。東西南北の枝にいくつかの段階があってもかまいません。一つの木になるので、中心の根が育つことができ、中心の芽が大きくなることができる忠誠のエキスが残るのです。 そのように、自分の枝を超えて、中心の根の前に、中心の幹の前に、芽の前に残すことができる自らにならなければ、その木自体の生命体と”同苦同楽”することのできる立場に立つことはできません。それは、 理論的であり、原理的な観点です。確かなことですか?(「はい。」) 口のために生きたり、鼻のために生きたりするようにはなっていません。天のために生きるようになっているのです。鼻のために生きると思っているでしょう? おなかがすけば、口と鼻が一つになって動きます。それは、カイン、アベルです。そこに目が合わさって、三つが一つになります。天を主体として、二つがプラスとマイナスで統一されるのです。 ですから、アベルは、カインを消化しなければ、大きくなることができる道がありません。彼のために生き、祝福して、施してあげなければなりません。それが嫌だという人は、すべて”背道者”であり、”背信者”で あり、”背役者”です。そのようになるということを、 はっきりと知らなければなりません。分かりますね?(「はい。」) これからは、いつもわたしが教えてあげるのではありません。すべて話しました。さあ、そのように決心したのならば、立ち上がってください。 そうして、"私は、間違いなく、きょうのみ言とともに、神様が成し遂げようとされるすべてのことを収拾し、中心的立場において、自らを天の御前に花のような祭物として奉献いたします。” と決心する人は、両手を挙げて、「先生のみ言どおり、その花になります。アー メン。」と言ってください。(「アーメン!」) (拍手) (敬礼) 皆さんは、だれであっても、イーストガーデンに来たならば、自分勝手にしてはいけません。そのことを守ることができなければ、追放してしまうかもしれません。 自分が、天の国に立つことができる家庭を持ったのですか? 孝子の家庭になったのですか? 国の忠臣 の家庭になったのですか? 世界に対して、聖人の家庭を代身することができる立場にいるのですか? 天 の国の王子、王孫として相続を受けることができる家庭になったのですか? 直ちに尋ねてみたいことです。 今からは、自分が行くべき道を行かなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 今からは、皆さんに会うような時間があれば、その時間を世界の・・・・・・。 青春時代をすべて失い、今、老いて死ぬ時を迎えて、青春時代に行くことができなかった所に杖をついて巡回し、その国で訓示をしてあげなければならない責任があるのです。分かるでしょう?(「はい。」) もう、先生を必要としません。すべてのみ言を与えました。先生は、調示のみ言をすべて与えたのです。 それを千回読み、百回読み、自分の一族を通して少しでも充当させて、国に植えようと努力すれば、国は復帰されるようになっているのです。分かりますか? (「はい。」) そのようにして、百八十家庭をすべて植えて、それを十家庭が行うならば、何家庭ですか? 千八百家庭 です。千家庭がすれば、何家庭ですか? 万を超えます。一族の先祖が増えれば、その二代は、千にもなり ます。万になれば、十倍して十万になり、十万になれば、国をカバーすることは問題ありません。 そのような統一家に、祝福の恵沢圏が共有されているというのです。間違いなく、その道を勝利的に走り、 王権を代身した、称賛を受ける孝子、忠臣、聖人、“聖子”のチャンピオンになることを願っています。分かりますね?(「はい。」) 季節が変わる時に、そのような課題を全うした食口たちが、核心的な内容の価値を集めて、贈り物として持ってきて、「献金するために来ました。」と言えば、 そのときは、会うかもしれません。間違いなく歓迎します。 先生が必要なのは、何でしょうか? 国の権威を立てなければならず、庁舎を建て、王宮を建てなければ ならず、学校を建てなければならず、平準化のための教育をしなければなりません。 ところが、一銭もありません。皆さんの公的な実績で、それを、どのように果たしてきたのかということが……。 そのような教育を、皆さんがしなければなりません。 そのようにしなければ、国を維持していくことができないという事実をはっきりと知らなければなりません。分かりますね?(「はい。」) 先生が好きですか? (「はい。」) それでは、先生が好きならば、先生に従っていくことができる“踏み台" にならなければならないでしょう? 全員が先生になれば、だれが踏み台になるのですか? 先生の立場に立てば、だれが踏み台になるのですか? 孝子の踏み台が先生には必要であり、忠臣の踏み台、聖人の踏み台、聖子の踏み台、真の父母の踏み台が必要なのです。 先生は、祝福することができる道をすべて開いてあげたのです。ですから、言い訳をせずに、「原理」の原本を訓読しながら、自分の生活と環境を批判し、自分がどのような基準にいるのかを鑑定しながら、明日の前進目的、一生の前進目的を生涯、自分一代で完結しなければなりません。一代です。 アダム家庭が一代で滅んだので、今まで先生は、それを一代で埋めるようにしてきたのです。天の王権樹立まで成したので、千辛万苦の苦労をして、一代で埋め合わせたというのです。それは事実ですか、偽りですか? (「事実です。」) そのとおりになるかならないか、そのまま信じてやってみてください。 今ではもう、先祖たちが、ほうっておかないというのです。そのことを理解して、先祖たちの保護を受け、天使長たちの保護を受け、そして、神様の絶対愛を中心として、絶対服従、絶対愛をすることができる絶対信仰の基盤の上に立ってこそ、サタンや先祖、この国のすべての民までが頭を下げて、「福を受けてください。」と言うのです。「私たちは苦労したとしても、あなたは福を受けてください。」と言うのです。 皆さんは、"私たちは苦労したとしても、先生は解放されて福に満たされた生活をしてください。” と思って、 それを願っているでしょう? (「はい。」) 同じことです。万物がそうです。所有した万物をもっと愛すれば、 もっと多くのものを持ってきて、愛してくれることを願うのです。 ですから、万物は、個人を超え、家庭を超え、八段階過程の塀があるので、それを越えていくことを願うのです。歴史的な所願をかけて祈祷し、その所願のために自分たちが犠牲になろうとして、千辛万苦の苦労をする万物の前に、恥ずかしくない皆さん自身にならなければなりません。そのような“王”にならなければならないという事実を忘れてはいけません。分かりますね?(「はい。」) ですから、先生の所には、訪ねても来てはいけません。わたしは、いくらお金がたくさんあったとしても、自分のためには使いません。皆さんの後孫のために、千代未来の理想の国のために投資しようとしているのに、皆さんが、目の前にいる自分の後孫の基盤も築いてあげることができなければ、滅びたほうがましなのではないでしょうか? それは、天が保障してあげることができません。 しかし、それでも先生の考えと同じ考えを持って、十分の一、百分の一、小さな砂粒でも東西南北、四方に条件を立てて、それを"全宇宙と取り替えることができる実体祭物になれ。”と祈祷する心を持って、ために生きる生活をすれば、脱落することはありません。 それは、あの世に行って、間違いなく国家圏内で統治を受けることができる群れになるであろう、ということです。先生のみ言は、間違いありません。そのようになるかならないか、あの世に行ってみてください。 分かりますね?(「はい。」) 深刻な環境を収拾して、自主的な再創造、民族的版図、国家的版図、世界的版図を拡大させるうえで、主流的な責任を果たしてくれることを願います。分かり ますか、分かりませんか? (「分かります。」)(拍手)Family 2001.8 64 <完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.04.29
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Family 2001.8 月号に掲載されていたものです。文鮮明先生御言選集 20010621 - 第三十九回「真の万物の日」敬礼式後の御言(No.1/4)文鮮明先生御言選集 20010621 - 第三十九回「真の万物の日」敬礼式後の御言(No.2/4)文鮮明先生御言選集 20010621 - 第三十九回「真の万物の日」(3/4) イエス様が、イスラエル民族を全国巡回したことと同じです。五旬節の聖霊降臨が、実体国家を迎えて始まらなければならなかったのが、霊的国家の出発で終 わってしまったのです。それを蕩減復帰しなければなりません。 第二イスラエル圏が滅んだことにより、第二イスラ エル圏の勝利は、だれが打ち立てるようになるのでしょうか? それは、イエス様の代身として来られる真の父母によって、初めてその勝利圏が打ち立てられるのである、ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) それで、教会の最高の指導者と国家の最高の指導者を、内を中心にアベル、カインとして一つに結び、第四地上、天上天国解放圈時代に超えていくことを宣布しなければならないのです。それを宣布するための復帰は、外的なものからします。分かりますか? それで、きょうは何かというと、その日においての 二十一日になるのです。二十一日です。今年の六月は、蕩減しなければならないすべての内容を中心として整備する時代として一線を引くのです。 アダムが成し遂げることができなかった二十一日数を超えることができ、万物的基準から心情世界復帰に超えていくので、これを昨年、発表しなければなりませんでした。それで、先生は、昨年の二月二日に、米国の国会で、賞を受けたのです。朱東文氏? (「はい。 」) 信仰の何ですか? 自由と何ですか?(「はい。『自 由と信仰と家庭」です。」)そこに、「解放」という言葉が抜けています。「自由と解放と信仰と家庭」です。そこで、代表的な賞を受けたでしょう?(「はい。」その日が何かというと、「天宙平和統一」の出発の日です。 ところが、わたしが「そのことを言いなさい。」と言うと、朱東文氏が気分を悪くして、“なぜ、またこのようなことをするのか?” と思ったでしょう? ”すべて 終わったのに、国会が知れば問題になる・・・・・・”と思ったというのです。 そのときの主催者は、だれですか? 黒人の代表ですが、その人に「何があっても発表しなさい。」と言いました。発表しましたか、しませんでしたか?(「しました。」) それがあったので、今年、米国の国会で先生が発表したのです。今から三年目には、その人たちを動員して、“天宙平和大使」として任命しなければなりません。 国家が支援する立場になれば、米国の国会議員,上院議員が、国連に行くことができる上院構造が形成され るのです。何のことか、分かりますね? ですから、ここで先生を中心として、米国の三つの伝統的な家庭を結ぶのです。レーガン元大統領、マッカーサー、ブッシュ元大統領(ジョージ・H・W・ブッ シュ)、この三人の家庭が標本です。伝統的な家庭です。 それを先生の家庭と結んで、新しい王権出発時代を宣言しなければならない時が残っているということを知らなければなりません。 朱東文氏、わたしの言うことが分かりますか? (「はい。」)あなたがしなければ、わたしがします。そ のようにすれば、あなたは ”影” になってしまいます。 わたしは、そのような人です。郭錠換氏と二人で一つになるのです。二人は、アベルとカインの立場にいま す。 郭錠換氏? (「はい。」) 韓国に行くことが問題ではありません。急がなければならないのです。三年以内にしなければなりません。自分が次期大統領になろうとすれば、わたしの手を借りなければならないというのです。そのときは、「何とぞ、どうか。」と言いながら、屈伏するようになっています。 アベルができなければ、カインに移されるのです。そうして、民主党と共和党を包括することができる組織をつくります。世界的な平和大使は立てましたが、 国家的平和大使は、国会議員の三倍以上を立てるのです。三倍以上です。国会議員まで入れれば、四倍になります。四数になるのです。 それをすべて合わせた数から、与党と野党となるか どうかは分かりませんが、二つの群れに分けます。そして、与党の国会議員であろうと野党の国会議員であろうと、平均的に三人ずつ分割して配置し、協助するのです。 協助した後で、最後には、だれが、よりアベル的なのかということを中心として、切り替えをします。そのような戦略を行うのです。 先生が言った”統班撃破”や百八十五家庭から三百 六十家庭以上を成していれば、どのような世界でも、 当選して余りある基盤を築いているはずです。 四十年たっていれば、 とうの昔に、それを築いて余りあるというのです。できていないというのは、自分たちが、それをしなかったから、基盤を築くことができていないのです。わたしは知りません。そのような時が来ました。分かりますか? 今は、国家にも要員を派遣しなければなりません。 行って、指導しなければなりません。言うことを聞かなければ、引っ張っていって、天の国に入籍させることができるのです。 国家の入籍をさせようとするので、不可避的に出ていかなければなりません。そのことをするのが、万国の国家を超えた、世界平和のための上院大使です。平和大使を任命するのです。分かりますか? その大使が、今、千人を超えるのですか? (「はい。」) 千二百人を超えなければなりません。ですから、補充しなさいというのです。それを、わたしたちの群れですれば、千二百人を超えることでしょう。 それを中心として、今後、上院と下院・・・・・・。これが天の側に引っ繰り返るのです。サタン世界が、蘇生、 長成で二倍だったのですが、今では、下院が二倍以上 になったではないですか? 今からは、逆さまになるのです。 上院が、二倍以上にならなければなりません。分かりますか? 四倍の中から二倍以上を選び出すのは、問題ありません。ですから、教育しなさいというのです。 昼も夜も、食事をするのを忘れてまでも、その国会議員を思想武装させてから、原稿を書いてあげて、「これからは、自分がすべての責任を持ちなさい。」と言う のです。 それから経済問題、外交問題、教育問題です。この三大問題は、すべて統一教会の教会員たちに訓練しました。「経済的自立ができなければ、責任者になることはできません。外交能力がなければ、責任者になることはできません。」と言い、それから何ですか?「教育できない者は、責任者になることはできません。」と 言ったのです。 そのように、今まで国会や国の指導者を教育するための基準を立ててきたということを知らなければなりません。分かりますか? それは、地獄に行く群れをつくるためではありません。 国家最高の管理者たちを教育することができる三分野の勝敗を決定しなければ、国を治めることができません。それで、先生は、統一教会の人たちに対して 「経済的自立」と言ったのです。 それから、外交能力です。何が恥ずかしいのですか? 自分の家が滅び、国が滅び、天地と神様が滅び ようとしているのに、何が恥ずかしいのですか? 自分のような群れは、千人、万人死んでも安い」と思っ て、外交問題を恐れてはいけません。 それから何ですか? 教育しなければならないでしょう?「原理」のみ言は、自分の目からうみが噴き出す ほど、昼も夜も明かりをともして徹夜しながら、”先生が、この道を復帰するために苦労した、その十倍以上の苦労をしたとしても不足だ” という思いで、「原理」 を学んで、学んで、また学び、子孫までも学び、三代までが学ぶようにしなければなりません。 そうして、感謝の心情が爆発したとしても及ばないものである、という事実を知らなければなりません。 また、恥ずかしく、取るに足らない自らであることを知らずに、それまでいいかげんに接してきた不敬と、 いいかげんに接した不孝と、逆賊の道を行って聖人に 反対し、”聖子” を死の道に追い込んだということと、 そのような悪党の頭になったという事実を知らなければなりません。 それ自体を、どのようにして、すべて処理してしまうのかというのです。そのような心情でなければ、「 原理」の道を開拓することもできず、従っていくこともできません。分かりますか。分かりませんか?(「分かりました。」 ここに(マイクを通して)すべて記録されるのです。 きょう、先生がどのような話をしたのかという問題です。それでは、統一神学大学院 (UTS)の十字架の話 をしてください。(「はい。」)鮮(梁昌植会長の報告)埈(引き続き、李京埈鮮文大学校長の報告)劉大行氏、あなたが出発した後で、事故が起きた現場に行って見たことを話してください。車はめちゃく ちゃになったのですが、人には一つの傷もなかったというのです。 また、鮮文大学を建築するときにも、長期間、一人も傷つかないように、天がすべて保護しているという 事実を知らなければなりません。この者たち。そうでなければ、たくさんの人が死ぬこともありうるのです。 その話をしてください。簡単に話してください。見たことだけを話してください。(劉大行総会長の報告) 北米の「天宙平和統一連合」は、どこですか? 米国の国会です。そこから出発したのです。何のことか 分かりますか? 朱東文氏(「はい。」)そうですか、そうではないですか。今年、また表彰したではないで すか?(「はい。」)何の賞ですか?(「「生涯奉仕賞」です。」)「生涯奉仕賞」です。 「天宙平和統一連合」創設の二年目の記念日に、国会で数多くの人々を表彰しながら、代表して、わたしが賞を受けました。今から三年目は、問題が大きいのです。 ですから、神様が絶対保護することができる時代へ 超えてきたということを知らせるために、このような話をしてあげるのです。分かりますか?(劉大行総会長の報告) きょうは、どのような宣布をすると言いましたか? 「天宙平和統一連合」を公式的に発表するのです。これが三年目です。第一次イスラエル選民は滅びましたが、 キリスト教を中心として第二次選民圏が出発し、第二次大戦以降に再臨主を迎えて、家庭出発とともに世界的祝福を成就していたならば、これがすべて終わっていたのです。 その時は、全世界に覇権的な国家形態を備え、米国 一色の方向に、すべての国が従っていくようになっていました。ところが、すべてを失ってしまい、四十年間、どれほどの被害を受けただろうかというのです。 第二次大戦以降に、六か国がすべて統一されるべき環境が、この四十年間、すべて怨讐になっていたのです。 今、米国を追放しようとしているではないですか? NATO(北大西洋条約機構)やあらゆる経済分野で も、国連からも追い出されたではないですか? 人権委員会から排除されるような立場にいます。そのように、地に落ちたのです。完全に失ってしまいました。 それでは、今後の伝統的歴史を、だれが調整することができるのですか? 統一教会という教会は、今まで反対されてきましたが、今では好きでも嫌いでも、 与党と野党が、統一教会の文総裁にしがみつかなければならないようになっています。しがみつくことができない政党は、墜落するというのです。 韓国も、そのようになっていて、日本もそうです。 米国が、そのような選挙圏で勝利すれば、日本自体も、その影の下に包括されて生き残らざるをえないのです。 与党と野党の世界的結実体が、共産主義と民主主義なのです。 皆さんが ”原理観” で知っているように唯物論と唯心論、天を否定するサタンと神様の戦争がすべて終わり、今まで、その余力を中心として、残党たちが日本を中心に活動しているのです。それもエバ国家です。 日本を中心として、失ってしまった世界のリベラルな主権と、ソ連(当時)と中共を含めて、世界に三十 数か国あった共産圏を、今、再び編成しようとしているのです。その影響が、再びロシアと中共、フランス、 ドイツまで及んで包囲してきています。 ですから、今後、米国がどのようにしなければならないのかということは、非常に重大な問題なのです。 民主世界を立てて、共産世界を消化することができるでしょうか? 宗教と政府が、怨讐の立場に立って、統一することができないので、超宗教権限、超宗派権限をどのように連結して、世界の中心国家の命脈を維持していくのでしょうか? 人間同士で結成した世界のトップは、永遠ではありません。最後には、転がり落ちていくか、そうでなければ、なくならなければなりません。 しかし、それが天を中心として連結されるときには、 ここから新しい世界に帰っていく出発をすることができるのです。それを基準として先生は、米国で三十年間、勝利の基盤を築いてきたのです。 イエス様が、三十四歳でローマに対抗できる勝利の 基盤を築くことができなかったことを蕩減復帰できる年限を中心として、今まで三十年間、迫害を受けてきました。 三十年を中心として成すべきことは何かというと、 宗教圏を動かして、政府圏まで連合運動をしなければ ならないということです。そのような準備をしなければなりません。その準備をして、今年に入って・・・・・・。 先生の八十代の限界を中心として、霊界と肉界の全般的な環境的条件をすべて準備したのです。その準備された国と、天の国と地上のサタンの国、百九十三か国に分立した国連加盟国を、どのようにして一つの国にするのかということが問題になります。 そこで、国連を中心として最高の祝福基盤を築いておかなければならず、米国において国家と宗教を連合しなければならず、国連と宗教を連合した、そのような基盤が霊界まで門を開かなければなりません。 それで、霊界の聖人たちを糾合し、先生の家庭の祝福を受けた興進君を中心として、四人の息子、娘を中心として全員を祝福してあげ、四大聖人を中心として 連合的基盤を築いたのです。エデンの園で一人の女性を中心として、三人の天使長が分かれたように、先生の家庭から霊界に行った人たち・・・・・・。 彼らは、全員、非業の死を遂げたのです。恵進などは、生まれてから八日目に亡くなったので、母親のお乳を飲むこともできずに死んだのです。そして、三人の息子たち。喜進から興進、榮進です。 それは、一番良い名前です。そのように、統一教会の栄光と栄華の脈を受け継いでいくことができる者たちを、サタンがすべて連れて行ったのです。 そして、霊界を動員して、先生の道を妨害したので、霊界におけるサタンの活動を、どのように防ぐのかということが、今まで問題でした。それをするためには、 宗教圏の四大聖人が結束しなければなりません。 四大聖人の目的は、宗教圏が、サタン世界の国家圏 を超えた立場に立って連合することによって、神様の新しい国を出発することです。サタン世界と分立した立場です。 ですから、サタンと分立された世界とは何かといえば、それは楽園なのですが、楽園は、宗教圏を中心として、同等な国家を超えて、世界のために犠牲になった人たちが行く所なのです。それゆえに、そこにおいては等差があり、末端に属するような宗教圏もあるのです。 ですから、宗教圏を中心として、国境を超えたすべての世界人たちが集まっているのです。これを一つにしなければなりません。一つにしなければ、サタンが主管する一つの体制から世界を防備することのできる体制をつくることができません。 そこで、それをするためには、サタン世界で一番の殺人鬼を祝福してあげるのです。殺人鬼を祝福するということは、どういうことであるのかというと、満の干満によって戻ってきた海水が、沖に出ていって、再び戻ってくることを考えてみれば、分かります。 潮が神に向かって出ていくときは、頂上にいる聖人 たちが、先に出ていかなければなりません。戻ってくるときには、一番悪い水が、先に戻ってきます。先に出ていったのは聖人ですが、水が戻ってくるときは、 殺人鬼たちが先に戻ってくるのです。 しかし、それが闘ってはいけません。闘うところからは、一筋の新しい出発はできません。ここで、ぐるぐる回りながら、お互いが交流するのです。混ざるのです。そのような時が来ました。 人類歴史の終末を潮の満ち引きで言い表せば、今までは、サタンの水が出入りしていた世界を、天の側とサタンの側に分けるのです。出ていくときは、先に天の側が出ていきます。世界のために犠牲にならなければならず、蕩減して犠牲になってきたのです。 そして、それが復帰されて戻ってくるときには、サ タン世界の王圏を超えて、恩讐までも抱いてこなければなりますん。それが ”原理観” です。それで、出ていって戻ってくるときには、サタン世界の殺人鬼たちが先に戻ってくるというのです。先に殺人鬼たちを押して戻ってくるのです。 ですから、この戻ってきた基準から見れば、完全な水平にするのは、聖人たちではありません。分かりますか? 聖人たちの功によって、聖人たちが先に戻っ てくるのではなく、逆さまに悪人たちが先頭に立って 戻ってきたので、これを一つにしなければならないのです。分かりますか? 水平にしなければなりません。 そのようにしなければ、東西南北、四方にバランスを取っている世界や、例えば、授け受けしている地球と月のような関係の間に相克が生じてしまいます。それを一つにすることができる道をつくるためのものが、 殺人鬼と聖人たちの同時祝福なのです。その時しかないのです。分かりますね? そして、それを中心に万端の準備をして、それを祝福すれば、その道から怨讐世界の結合が展開するのです。そして、サタン世界の解放を条件として立て、霊界を逆さまにすべて収拾して戻ってきたので、その祝福を中心として……。 世界の家庭が、すべてサタン側にあるのであって、 天の側にあるでしょうか? 分かりますか? マフィアまで、テロ集団まで、すべて加担するのです。一緒に祝福することができるのです。 それゆえに、“祝福万国化運動”です。そのように、 万世、歴史にない平準化運動をしたのが、三億六千万双の祝福なのです。分かりますか? その峠を、すべて越えました。ですから、そのような基準ができたので、サタン世界のルーシェルを中心とした悪なる者たちが、神様の前に、真の父母の前に、人類の前に降伏するのです。それから、宗教圏降伏です。宗教圏は、お互いに怨讐視していたでしょう? それを、聖人たちを中心として結ぶのです。 また、系列的な分野の東西南北を中心とした四大聖人の影響圏にいる者は、仏教圏であれ、イスラム圏であれ、中間にいる群れは、行ったり来たりしている群れもいます。 それは、自分たちの系列に近い霊界の宗教圏が糾合できるので、霊界を完全に一つの体制として、主流である真の父母を中心とした創造理想目的完成の王権解放時代に向かって、すべて収拾されているのです。 それで、昨年の六月十三日までに宗教圏の三分の一、 蘇生、長成、完成で言えば、完成圏は天の側ですが、 これを先に祝福し、それから、その祝福した人たちを動員して、その中にいる人をすべて祝福してあげるのです。 最後には、サタンまですべて祝福してあげたので、 霊界の最上の位置から地獄の底まで、同等な立場で祝福することができる解放的時代になるのです。分かり ますか? (「はい。」) それは、言葉だけではありません。そのことをすべて成し遂げなければなりません。神様が、それを開拓しなければならず、真の父母は、その条件だけでも立てていかなければなりません。 それで、多くの宣言をして、今日まで来たのは、ただ何となく飛び越えてきたのではありません。橋を架けてきたということを知らなければなりません。 個人的な橋、家庭的な橋,氏族、民族、国家的な橋を中心として…………。四十年という長い期間をかけてつくっておいたものを、皆さんは、四年間もかかりません。み旨を知り、宗教圏を中心として、四日間で終わります。分かりますか? ですから、一週間以内に、すべてのものを生み出すことができる存在になるのです。それで、最後にだれもが、そのような価値的存在になるためには、ここでどのようなことが起きるのかといえば、アダムとエバを復帰し、万物を神様にささげることによって、引っ繰り返るのです。 引っ繰り返って、怨響世界に抱かれていたすべてのものは、痕跡も残してはいけません。そのように、すべてを否定して、創造の七日間の六日目に、アダムとエバをつくることができた本性的材料になるのです。分かりますか? 今までの自分の人格や、何かの名前で自分に看板をつけていますが、そのような看板は、必要ありません。すべてをはがして、完全に壊してしまわなければなり ません。 世界も天地を失ってしまい、それから国を失ってしまい、社会を失ってしまい、家庭を失ってしまい、家庭においては、祖父母、父母、自分、妻、息子、娘と、すべてを失ってしまったではないですか? 分かりますね? ですから、このように完全に否定することができる外的世界となったので、内的な天に帰っていくためには、本然の、創造前の本性的原資材にならなければなりません。分かりますか? 人は、地球という星のすべての要素を吸収して構成されています。草木を食べて消化するのですが、地球という星のすべての構成要素、核の要素を抜き、それを吸収して育ったのが、“私”という存在なのです。 ですから、生命のない、死んだ物買的「地球星」で、 生命のある“地球星”の代表者として生まれたのが、 男性と女性なのです。 地球にも磁力線があり、ブラスとマイナスの電気作用をしていることは、皆さんも知っていることです。 分かりますか? それが一つにならなければなりません。完全に一つになってこそ、そこにおいて、すべての万物の生命を植えつけることができ、生命は、その根を中心として、十分に要素を吸収して育つことができるのです。 そこに、男性的要素と女性的要素をすべて持っているのです。分かりますか? ですから、この地球とい う星がそのようになっていなければ、その要素を吸収した人間たちも、そのようにはなりません。男性、女性として完成しなければならないのです。 もし、人間が堕落して恨の基準にいれば、地球という星も、その恨の基準の影響を受けるのです。そし て、それを食べて吸収したのですから、生命要素の根源が、すべて恨の要素になっているという事実を知ら なければなりません。分かりますか? いつかは、これをすべて清算しなければならないのです。 それを清算するのは、国家以下の基準ではありません。神様の王権とともに清算するのです。そうでしょう? 神様の王権とともに、神様の王権に従っていくことができ、王権を収拾できる基台となる家庭基盤をすべ て失ってしまったので、王権樹立とともに、これを再び立てなければなりません。そのような家庭を編成するための準備が、祝福中心家庭なのです。 それは何かというと、モーセを代身した立場以上であり、イエス様を代身した立場以上であり、真の父母が立つことができなかった立場以上です。全員が、その立場に立ったのです。 もちろん、皆さんは、真の父母によって開拓されて、その立場に立ったのですが、真の父母が勝利した覇権をすべて種として植え、それが真の種となって、第二、 第三代を経て実を結ぶのです。 そうして、偽りのオリーブの木ではなく、真のオリー ブの木の種となり、どこであっても天に直行することができる真のオリーブの木の実となって、だれもが天国に入っていくことができるのです。分かりますか? (「はい。」) 皆さんが、千代、万代の本格的な種となり、アダム を中心とした祝福家庭と同じ勝利的実権を持てば、サタンは、自然屈伏して仕えなければなりません。分かりますね? そうすれば、神様も、真の愛を中心として、創造理想を中心として、永遠に愛することができる伝統を中心として、万物も愛し、万物の要素を吸収して成長した人間も、その幼い時から永遠に愛することができるのです。 また、そのようにして天上世界に行った人間は、愛の要素までも吸収して、解放的王子、王女、天上の王子、王女となり、そうして地上天国を治めることができる皇族圏ができるのです。 伝統を通して、神様の覇権を代身した「血代(ケツダイ)」という言葉が出てきます。血代なのです。血代とは何かというと、神様を代身した時代のことを言い、アダム完成時代のことを言うのです。その血代にならなければなりません。 血代を代表した中心的家庭というものは、天下をもらっても取り替えることはできず、国をもらっても取り替えることができません。いかなる民族とも、いかなる名誉のある人とも、どこかの大学総長や何かの長官(大臣)や、どこかの社長とも取り替えることはできません。 そのように、何よりも貴く、かけがえのない中心的立場に代表として立てたのが、祝福中心家庭なのです。 分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」) 分かったのならば、それでよいのです。 それで、ここからその立場まで超えていくためには、完全否定をしなければなりません。神様の王権を立てるまでは、神様ご自身が、完全否定された立場に立ってこられ、真の父母も、完全否定された立場で、サタンの肯定圏内を超えるための道、サタンを自然屈伏させる道を倒れずに開拓してきたという事実を知らなければなりません。皆さんのように、ただでそれをするのではありません。 三代の先祖を中心として、横的に見れば、先生が一 代であり、皆さんが二代です。そして、三代が天上世界と地上世界、二つの国を相続することができる王権の代表者にならなければならないのですが、そのよう な概念が・・・・・・。 そして、二番目の家庭は、イエス様のように、家庭的十字架を世界的に背負うことができる立場に立たなければならないのですが、この二世という存在は、そのようなことは考えてもいません。 一世は、蘇生、長成、完成的神様を代身することができ、最近の言葉で言えば、「勝利的中心アダム家庭」 を代身し、真の父母を代身して、自分たちで成した立場に立ち、それを後孫に教えてあげなければなりませ ん 。しかし、そのような内容がないのです。 「訓読会」が、どれほどありがたいものであるか、 分かりますか? 「訓読会」をして教えてあげることによって、自分たちが広い荒野世界の砂原に立っていたとしても、自分の立つ位置がどのようなものかということが分かるのです。 前後左右、四方が砂原であっても、高い丘陵があっても、高い丘陵も代表することができ、低い穴も代表することができる中央の位置に立たなければなりませ ん。 四方にあるすべての存在の前に、中央の位置に立って高いものは低くしなければならず、低いものは高くしてあげることができる、そのように平地化することができなければなりません。そのような環境的条件が選民圏なのです。 イエス様の時代のキリスト教文化圏にならなければならず、新しいイスラエルの世界地上天国の環境的文化圏にならなければなりません。しかし、その平準化できる基準ができていないのです。 このように見るとき、平準化することができる国家形態、超国家的基準を、どのようにして立てるのかと いうことが、問題になるのです。 それゆえに、天の国のすべての主体的、对象的……。 主体があれば、対象があります。地上が主体になっているので、今まで霊界は、地上を指導することができませんでした。門が閉まっているので、来ようとしても来ることができないのです。 本来、堕落していなかったならば、真の愛を中心として、主体と対象は、どこにでも通じるようになり、 地上で完成してから天国に入っていくようになってい たのですが、天国は完成していないのです。 ですから、地上に来られるメシヤを中心として、氏族、民族、国家まで超える訓練をするのです。その勝利の覇権を、メシヤたちが立てたのであり、数多くの宗教指導者たちが立てたのです。そして、自分たちなりに立てた立場に、後で再臨主を中心として、真なる父母が来なければなりません。 すべての宗教圏に"メシヤ思想”というものがあるということは、今後、訪れるところの四大心情園の中 心となることができる真の父母・・・・・・。しかし、”父母” を知りません。儒教も父母を知らず、イスラム教も父母を知りません。儒教も知らないのです。 儒教を見てください。「「元亨利貞」は天道の常であり、「仁義礼智」は人性の綱である。」と言っています。 これが、儒教の伝統的主流思想です。そこに「三綱五倫」という、三つの道理と五倫があるのです。 「五倫」は、君臣有義(忠誠)”、“父子有親(孝行)”、“夫婦有別(男女の役割)”、“長幼有序(上下の秩序)」、 朋友有信(信義)」と、このようになっているのですが、「五倫」の中には、愛の概念を見いだすことができません。 また、「三綱」は、”君臣一体”、“親子一体”、”夫婦一体” を中心とした自分の生活的な心身一体圏のこ とです。「三綱」の本筋は、そのようになっているのです。しかし、そこには、神様がいません。神様を見いだす道理がありません。そうではないですか? さらに、そこに”治国平天下”しようとすれば、どのようにならなければならないのですか? (”修身斉家”です。」) ”修身齐家”です。そして"治国”となり、 "平天下"となるのです。 ですから、「五倫」の中には、愛という理念がありませんし、"人格神”を見いだすことのできる道理がありません。 儒教は、そうですが、仏教は“法”です。しかし、 相対的なものは、落ちていくのです。法の中に愛があ りますか?「法の完成とは、自分自体が解脱して、天地の主人になることである。」と主張したのですが、そこには神様がいらっしゃいません。"骨”がありません。骨がないのです。 イスラム教は何かというと、キリスト教を中心とし て仏教と二またをかけて、共産主義と通じる・・・・・。世の中の理念と連結させる宗教です。 一番の問題が何かというと、サタン世界において、サタンが最後にとどまることができるのが、 宗教圏であるということです。それを先生が、父母の立場で、どのようにキリスト教と連結させるのかということが、問題なのです。 それゆえに、今回の「ミリオン・ファミリー・マー チ」は、ファラカン師独りでは、できません。わたしが協助したから可能だったのです。ですから、だれよりも冒険を顧みず、危険を顧みず、善と悪を、頭としっぼを結びつけることをしたのです。 ゆえに、今回の全国巡回講演を行ううえで、だれが協助して行ったのかというと、イスラム教が協助したのです。これは、天と天下を中心として、天の国の一番の怨讐です。それを連結させたので、そのことを中心として、内的、外的世界を完全に連結させて、王権宣布まですることができたという事実を、皆さんは知らなければなりません。 それが、今まで宗教を立てて成してきた救援摂理歴史です。数多くの犠牲の祭物と犠牲の血を流す祭壇を個人で築き、氏族で築き、民族で築き、国家で築き、 世界で築き、世界で高減してきたのです。 そうして、最後に第二次大戦を中心として、霊界と肉界の血を流す祭壇の上で成し遂げられたのが、第二次大戦以降の枢軸国と連合国の統一なのです。分かりますか? 血の祭壇の勝利の……。 この血を流させた張本人がアダムなので、”アダム完成者”は、これを収拾して刈り入れなければなりません。そして、そのように血を流しながら精誠を尽くした人々を中心として、勝利の覇権を握った国が、米国なのです。 米国は、キリスト教文化圏の総合的な文化として定着した国です。ですから、第二イスラエルです。第二イスラエルであるということを知っている限り、今後、 先生がこれを・・・・・。 イエス様が、イスラエルに来られて三十年間、イスラエル民族の歴史とともに、平準化できる主体の位置を取り戻すために努力したことと同様に、先生は、キリスト教を中心として、反対する第二イスラエル圏国家である米国に来て、三十年間、あらゆることを消化 しなければなりませんでした。 そうして、どん底で、ありとあらゆる世界的な苦難を受けたのです。個人的な世界迫害、家庭的な世界迫害、八段階の迫害を受けて、最後には、神様までも文総裁を蹴飛ばしてしまわなければなりませんでした。それが、先生の荒野四十年路程です。分かりますか? 四方のどこにも、上陸する所がありません。自分で橋を架けなければなりません。城を築かなければならず、穴を掘ってでも上陸して、その世界に浸透しなければならなかったのです。そうして、その世界の同役者であり、アベルとして教育して育ててきたのが、統 一教会であるということを知らなければなりません。分かりますね? 数多くの城壁と数多くの穴を掘りながら、三十年間、 独り千辛万苦の苦労をして、越えては、また越えてきながら、強盗でも何でもすべて、トイレにまで行って祝福してあげました。それは、まったく驚くべきことです。 神様は、そのような所でまで、祝福の公証書をつけて祝福されたのです。本来、王宮で始めて、最高の位置でしなければならないのに、悲惨なこの事実を知っている先生は、その悲惨な位置を克服して、その悲惨な位置において彼らまで……。 それ以下に下りていった者たちに罰を与えて、下りていくことはできません。彼らまで祝福してあげ、自分の息子、娘よりも、もっと愛したという条件を立てなければ、帰る道がありません。分かりますね? 帰る道がないのです。 そのような道を経て、お互いを中心として一峠、一峠というように越えていき、四次の解怨式、「四・四節」、 還元式までも行いました。海洋、陸地還元、それから天地(天宙)還元、それからアダム家庭還元式まで、すべてしたのです。心情還元式をし、天の国の覇権的な王権樹立を経てきました。 その位置まで越えてくるためには、昨年の十二月三日を中心として、ウルグアイに行って、楽園と地獄を解放しなければなりませんでした。そして、一月十三日、四十日を超えて『王権樹立」をしたという事実は、 有史以来、これ以上誇るべき日はありません。 その日の喜びというものは、国を統一し、アジア、世界、サタン世界を統一して祝賀したとしても、そのような日が問題ではないほどです。 それは、歴史始まって以来、初めての祝賀の日であり、人類として願ってきた願いであり、神様が摂理として願ってこられたことであり、歴史が願ってきた願いであり、あらゆる宗教の理想の終着であり、万国国家の理想の祖国を望むことができる定着基地なのです。 それが、まさしく“神様王権樹立”であったのです。 分かりますね? (「はい。」) その峠を越えるためには、"自分”という存在はありません。万国を犠牲にして、これを立てたその下において、個人は家庭のために犠牲にならなければならず、 家庭は氏族のために投入しなければなりません。 “投入して発展する”という原則を知っている統一家において、このような“王権樹立”の前に立ち、自分 を中心とした主体的立場で”所有觀念”というものを許容してはならないというのが、天の道理です。「原理」の道理よりも天の道理です。分かりますね? ですから、完全否定をしなければなりません。今まで、目で自分勝手に見ていました。そして鼻で……。五官全体が、サタンの根を中心として公認されたというこの事実を、どのように否定するのですか? 自分の五官の感情を収拾するのが愛の問題なのですが、愛の問題までも、すべて否定しなければなりません。 本来は、今回、天が許諾されれば、どのようなことでもできるのです。家庭を再編成しなければなりません。今、使い物になる家庭がありません。凝り固まっ た位置に立っています。 皆さんが愛した息子、娘、皆さんが愛した妻は、天の王権を完全に樹立し、堕落していない本然の血統と 因縁を中心とした基準で見た場合には、めちゃくちゃです。 どれほど、まだら模様になっているか分かりません。 ここから抜け出すためには、口があっても話すことができず、鼻があっても息をすることができず、目があっても見ることができず、耳があっても聞くことができず、手があっても触れることができない、それほど悲惨であるということを知らなければなりません。それを自分の一身から完全に否定しなければなりません。 Family 2001.8 48 自分が見ることができる相対は、妻だけです。自分が、そのような自らの五官を否定するので、妻を否定しなければならず、息子、娘を否定しなければならず、 一族を否定し、国と世界を否定しなければならなくなるという事実を知らなければなりません。 否定した自分の五官が、相対的に現れたのがこの世界なので、そのような世界全体を否定しなければならないという事実は、“原理観” 的結論であるということを知らなければなりません。それは、正しいですか、 正しくないですか?(「正しいです。」) 何を否定したのですか? 三分の二までがサタン世界なので、自分の目を一つ抜いて目を閉じ、目や鼻、 五官で必要なものだけを残して、すべて切ってしまったとしても、感謝できる自らを発見することができなければなりません。それができない人は、天国に入っていくことはできません。 神様が否定し、宗教指導者たちが否定した、その歴史を引き継いで、世界のキリスト教文化圏を統一した勝利的覇権を立ててあげたのです。それを思うとき、その覇権を取り換えることが出来るものが、あるでしょうか? ありません。 自分のすべてを犠牲にしたとしても、このためにすべてのものを否定したとしても及ばない、そのような価値を持ったものであるということを今、知ったというのです。そうですか、そうではないですか?「(そうです。」) 皆さんは、どれほど王権時代のことを考えましたか? この君たち。先生が考え、神様が考えた王様は、 簡単なものではありません。天地の塔がそびえ立ち、 すべての人が花火を打ち上げるように、一斉に拍手せざるをえない時代が来たのに、その姿は何ですか? 誇るものがありますか? 話もしてはいけないというのです。 先生は、統一教会の教主であり、世界の覇権的な基準を立ててきながらも、自分を誇ってみることができ ませんでした。 「残された十字架があれば、私に背負わせてください、まだ、最後まで来ていないことを、私は知っているので……。」と祈ってきました。それゆえにに、時が来て「休め。」と言われても、休まずにこのことをしているのです。 ですから、この死すべき群れが死ななかったので、 峠を越えていくことができる案内の道を……。”最初の峠は、わたしが開拓してあげなければならない。” という思いで、そのことをしてきたのです。 最初の峠を行けば、次は水平です。だれでも行くこ とができます。そのようなことをしているのです。どうしてわたしが、そのようなことを……。 王権樹立をすれば、すべてが終わったことになるのに、何をするというのですか? わたしがいなくても、全員、「原理」を知っているのですから、それぞれ知っている基準で、あらゆる努力をしなければならないのに、先生がいれば、先生を見詰めて、東西南北、東西四方に定着することができる環境をすべて否定して、先生について行こうと思っているのです。 ですから、先生自身が否定しなければなりませんか、してはなりませんか? わたしが否定すれば、王権を相続させてあげることができません。先生は、このようなすべてのものを否定してきました。誇ってはいけないということです。息子、娘を中心とした国がありません。国がないのです。ありますか、ありませんか?(「ありません。」) 先生がいなくても、”会いたい” と思えば……。会いたければ、先生以上に捨てることができ、先生以上の苦痛の立場で解放された心情を持ち、”神様は、先生を忘れて、私を記憶してくれる。” と思うような自らを発見するまでは、先生に従って行くことはできないという事実を知らなければなりません。<4/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.04.04
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Family 2001.8 月号に掲載されていたものです。第三十九回「真の万物の日」敬礼式後の御言(No.2/4)〈御言〉 (「真の万物の日」が) 三十九回を迎えたということ は、四十年に入っていくのです。また、統一神学大学 院(UTS)の(創立記念日が) 二十五回というのは、 三掛ける八は二十四で、二十四数を超えていくのです。 それは、新しい時代に入っていくということです。そ して、“王権樹立”ということも新しい時代ということです。 それゆえに、今回の「真の万物の日」で、一つの段 階が終わると考えればよいのです。それで、このすべ てを連合して・・・・・・。きょう、わたしがどのようなこと を宣布したのかというと、「天宙平和統一連合」を宣布しました。 それは、いつから始まったのかというと、昨年の三 月二日に、米国で「米国世紀賞」を表彰したときから 始まりました。今年、二回目を終えて、今から三年を 迎えるまでに、世界的な条件を払って越えていくことができる大きなことをしなければならない責任が、わ たしたちにはあります。 中心を中心として、この「二」が問題です。これを 中心として、今からブッシュ家庭とレーガン家庭とマッ カーサー家庭を中心として、三代の家庭が、どのよう に家庭教育をし、どのように家庭訓読会をするのかと いう課題が残っているのです。 それをしておけば、旧約時代、新約時代、成約時代 を代表することができる内容を、その中に連結させて、 そのうえで、先生が宣布さえすれば、世界は解放圏へ 超えていくのです。そのような準備をしているという ことを知らなければなりません。分かりますか? 今回、国家メシヤが来ることのできなかった国は、 どこですか? すべて来たでしょう? 六大州から呼んだので、すべて来ているだろうと思います。また、 見てみれば、六大州の代表と韓国と日本の代表的要員、 米国は、もちろん最高の幹部たちが集まっているので、 このような宣布をするということを知らなければなり ません。 国家を代表した国家メシヤや、その国を代表した教職者たちが、ここに参席できなかったとすれば、それは国の恥です。ここから脱落するということも起きるかもしれません。分かりますか? 何のことか分かり ますね?(「はい、分かりました。」) それゆえに、今からは、家庭を第一として尊重視する時代が来ます。今までは、「だれそれが有名である。」 とか、「どこのだれが優秀である。」などと言われてき ましたが、これからは、そのようなことよりも、家庭が全体に影響を及ぼして、その成果を収めることができたのか、収めることができなかったのかということが、わたしたちが扱うべき重要な課題となるのです。 父親が優れていて、母親が愚かであるということが、 あってはいけません。父と母が一つになって、成さな ければなりません。子女たちがいくら優秀だとしても、父母が引っかかってはいけないのです。 今から、四位基台を平準化し、最高の頂上に立つこ とができる家庭を中心として、そのすべての教育と結実に対して表彰する制度ができるということを知らなければなりません。分かりますか? そして、皆さんが教育するうえでは、み旨を中心とした教育をしなければならないにもかかわらず、心と 体が一つになっていないのです。“心”的要求のためにあるのが、教会のみ旨であり、"体”的要求のためにあるのが、会社のみ旨です。 ですから、教会と会社の立場は、教会が主体であり、 会社が対象の立場であって、今までの皆さんの考えとは、その主体と対象の立場が完全に変わるということを知らなければなりません。 ですから、いくら有名な人であっても、いくら大学の総長であっても、教会の責任者の前には、従順になることができなければなりません。絶対信仰、絶対爱、 絶対服従することができなければならないというのです。 国家基準の同レベルにおいては、カイン、アベルの伝統を立てて、越えていかなければならない時が来るのです。分かりますか? 大学の総長の前に幼い息子、 娘が一つになるのではありません。同レベルになれば、必ずアベル、カインを中心として一つにならなければなりません。 そのようにしなければ、父母が定着することのできる同レベルの世界における統一的中心がなくなるので、 真のご父母様、そして天地が、そこに臨むことができないという事実を知らなければなりません。この伝統をそっくりそのまま生かすことができる時に入っていくということを知らなければなりません。 この二つの目は、眠るとき、どのようになりますか? 片方の目が、このようにバチバチしますか? 好むと好まざるとにかかわらず、一生涯、歩調を合わせることを見せてくれています。 二つの目は、いくら難しくても一緒に見て、まばたきをしても一緒に見て、見下ろしても、見渡しても、 すべて一体となった基準において見ることが許されているのであって、それぞれ別々に見ることは許されていません。 それゆえに、創造理想世界においては、主体と対象、 性相と形状が一体となった基準に、疑的な愛を連結できるということが創造原則なのであり、皆さんの肉身の構造もそのようになっています。 主体と対象になっているのです。鼻もそうです。呼吸するときに、右側の鼻の穴から息を吸い込んで、左側の穴から息を吐き出しますか? 話をするときも、 上の唇と下の唇が、それぞれ別々に動いて話すでしょうか? 聞くこともそうです。両耳が、それぞれ自由に聞くのですか? 手足も、「おまえはおまえ、私は私。」と言うことができますか? そのような個人的な概念や個体的な概念はない、ということを知らなければなりません。 全体を連合した、統一圏を中心とする愛の中心園を迎えることができるところにおいて、初めて平面的な存在権と、歴史的な存続権が継承されるという事実を知らなければなりません。また、そのような原理観に立脚した実体が要求される時代になる、ということを知らなければなりません。 言葉においても、そうです。心と体が一つになっていない者は、話をすれば、即刻処分されます。何のことか分かりますか?(「はい。」) これから、統一教会に反対し、み旨に反対する人を見ていてください。すべて蕩減復帰の原則になってい るので・・・・・・。物質の蕩減と、子女の蕩減と、夫婦の蕩減を清算しなければなりません。 物質において損害を受ければ、そのことを考えなければなりません。悔い改めて、何十倍も大きな条件で蕩減しなければならない時代に入っていくのです。 そのようにしなければ、子女たちが引っかかって倒れていきます。子女たちが引っかかって倒れれば、自分の父母や一家まで引っかかって倒れていくのです。 旧約時代、新約時代、成約時代と、定着すべきあらゆるみ旨の前に違反すれば、その家庭を中心として、 歴史的な蕩減条件を立てて清算しなければなりません。 そうしなければ、越えていくこともできず、前進することもできません。それは原理観です。 それゆえに、地上で越えるべき峠を越えることができなかったので、神様も峠を越えることができずに受難の道を歩まれたのです。先生も同様です。「原理」を 知っていたので、即刻、すべてのことを実践できる基盤ができていなければならなかったのですが、それができなかったのです。 そうして、外的世界の宗教圏が反対することによって、先生自身が外的な基盤を築いて、心と体の実体圏において、天をお迎えすることができる基台を出発させるための成果を立てたのです。それが“王権樹立” であるということを、皆さんは知らなければなりません。 これは、千辛万苦の苦労をされた神様と真の父母、 そして悪なる人に蹂開された歴史的な宗教圏と、数多くの善なる人々のすべての怨恨を解怨させ、勝利の覇権的主権を立てたことです。それが、神様の王権即位なのです。 そのために、今日の統一教会においては、「家庭盟誓」 がありました。個人的な盟誓、家庭的な盟誓を経て、そして、新千年を迎えた今年からは、四大心情圏を中心として一体とならなければならないというのです。 個人のために生きるのではありません。家庭を収拾 して、個人は家庭に投入し、家庭は氏族に投入し、氏族は民族に投入し、民族は国家に投入すべきです。このように、行くべき道が、理論体系として明確になっているのです。 これが、どこまで行かなければならないのかというと、神様解放、王権樹立まで行くことができなければなりません。そこまで行くことができる心を持つべき です。 そうして、そのような基盤を中心として、孝子になったとしても、それは王権樹立と解放のための家庭的出発であり、愛国者になったとしても、神様の国を解放するための愛国者であるというのです。 聖人も、神様の国を世界的に糾合して奉献するというのが、聖人の道理であり、”聖子”の道理も、アダムとエバの家庭において失ってしまったすべてのものを、 聖子の家庭とイスラエル民族が一体となった統一的な基盤において復帰するというものでなければなりません。 そのようにして復帰されれば、そこに主権を立てるのです。そして、それが主体となって、カイン的国家形態であるローマを消化して超えていくことができる基盤ができるのです。 しかし、その基盤がすべて失われたので、再び蕩減路程を経てきたのです。その受難の道は、イスラエル の民族的十字架ではありません。そこに世界的な十字架が加重され、国家を超えた世界的国家の反対を顧みずに歩んでくることによって、神様が先生の前に立って苦労されるようになったのです。 神様が苦労された、それらのすべてのことは、力をもってすれば、一日以内に、すべて解決することができる問題でしたが、耐えに耐えてこられたのです。 その問題の最高の解決策は何かというと、創造理想 と”恩讐を愛する”という基準を中心として、怨讐同 士で交差結婚することです。自分たち怨讐同士で、「相対を今までのだれよりも愛する。」と言うことができる、そのようなところから平和が成されるのです。 平和の世界というものは、ただそのまま訪れるのではありません。二つに分かれてしまったこの世界を、 真の家庭を中心として消化することができ、怨讐圏を乗り越えて愛することができ、血筋を一つに連結させなければ、天の国の眷属(一族)になることはできません。「民族」ではありません。「眷属」です。分かりますか? それは、勝利した王権覇権主義的な立場において、 その権勢を備えた眷属のことをいうのです。この世界には、あらゆる民族がいますが、真の愛を中心とした 天の国の眷属はいません。その眷属の相続を受けて、 初めて神様の前に、同等な位置で共に暮らすことができるのです。 ”共に暮らすことができる”という王子権を、解放さ れた天地父母をお迎えした王権時代において継承できるのです。その王子権が、超世界的サタン園を超えてこそ、天国が始まるということをはっきりと知らなけ ればなりません。分かりますか?(「はい。」) それゆえに、今からは、家庭において問題が生じてはならないのです。ですから、これは、四年以内にきれいに整理されます。韓国が四年以内に言うことを聞かなければ、放棄です。 それで、今回、先生が行って大会をするのは何かと いうと、王権樹立とともに、真の家庭を中心とした祝福の一元化、一体化です。国家全体の前で祝福をする ことができるように、一気に押し出さなければなりません。そのようにしなければ、どうなるか知りません。 しなければ脱落するというのです。 脱落するということは、どういうことでしょうか? 国連での共同宣言にあるように、そのような民族は、 貧しい地域のアフリカに善なる人がいれば、その人と交代するのです。善なる功績があって、アフリカから 大陸に移ることができる人と、先進国家にいる脱落した人とが入れ替わるのです。 そのように、上を行っていた人が下に行かなければならず、下を行っていた人が上に行かなければなりません。統一教会は、上にいますが、一番下に行ったのです。分かりますか? 分かりますね?(「はい。」) 統一教会は、下から上がってきて先進国家を踏み越え、国連まで踏み越えていったのです。国家基準が、 サタン圏内の最大の覇権的基盤だったのですが、国家基準から国連に超えていきました。 それゆえに、WANGO(世界非政府組織協会)を教育してからは、国連が反対したり、米国が反対すれ ば、蹴飛ばしてしまってもかまいません。分かりますね?(「はい。」) アベルとして、兄弟統一的な国家形態の国連を堂々とつくることができるので、アベル国連、長子権国連を形成することができる時代に超えていくのです。わ たしたちがすることに反対する人は、だれもいません。 そのような時が来たので、平和大使を任命するのです。世界を指導し、国家を代表することができる平和大使、そして天と地を代身する平和大使です。天と地 を代身する平和大使、そして世界を代身する平和大使、国家を代身する平和大使、そして氏族を代身する平和大使…………。 イエス様を中心として、氏族的メシヤになることができなかったのです。氏族を代身して、国家を救うことができる勇士たちが結合しなければなりません。そのような大使たちが一つになったものが、統一圏内の 統一的勝利であり、地上、天上天国に入籍することが できる主流民族国家形態であり、その国民が、天上世界の天の国の民となるのです。アーメン。(「アーメン。」)何のことか分かりますか?(「はい。」) その道のために前進し、先生も、その道を前進しているのです。今もなお、先生が行くべき道は残ってい ます。国連を収拾し、今から教育しなければなりませ 郭錠機氏、分かりますか?(「はい。」) 今からは、天地の平和大使、そして世界の平和大使 です。天地の平和大使は、国家メシヤのことですが、 責任を果たすことができない人々は、脱落するのです。 引き抜いてしまうというのです。 そして、外的であっても、国家的な面において国家メシヤがした以上に教育をし、影響を及ぼした人々は、 内外の統一的な主体として立つのです。 カイン、アベルにおいて、主体と対象が入れ替わることができることと同じように、カインが責任を果たすことができなければ、アベルがしなければならず、 アベルが責任を果たすことができなければ、カインがしなければなりません。 この原理において、国家とメシヤが責任を果たすことができなくても、その国家の代表者が、天の国の 圏族を代身して国家メシヤの使命を果たせば、本来の国家メシヤと入れ替わるのです。 真のご父母様は、そのようなみ旨を、家庭を中心と して成し遂げました。今回も、韓国に行って、「全国祝福完了。」と言いながら、王権樹立ができることを宣言する大会を行うのです。それは、先生が四か所で行い、 お母様が四か所で行い、そして息子の代表が四か所で 行うのです。 それでも、息子の代表は、永遠の代表になることはできません。その家庭の標本になることができなければならないのです。何のことか分かりますか?(「はい。」) それは、先生の家庭であっても、例外はありえません。今、先生が息子、娘に対して収拾することができる時です。すべての精誠を尽くして定着することができる時が来たので、息子たちを全員、送り出しました。 しかし、食口たちに協助を受けて、家庭を出発できるようにして出ていったので、出ていった家庭が、その家庭の代表となることができる立場にならなければ、 真のご父母様の息子ではありません。離れて問題を起こせば・・・・・・。分かりますね?(「はい。」) 家庭定着時代です。そのことを知らなければなりません。二世たちの家庭定着時代が来るのです。二世とは何かというと、一次の父母たちが果たすことができなかった責任を果たすのです。そうして、二世たちが 家庭を犠牲にしてでも果たし、旧約時代を埋め合わせなければなりません。そのような概念が二世たちにはあるのです。 ですから、一世を収拾して、第一アダム、第二アダム圏を完成し、それをすべて後孫に伝授してあげてこそ、その家庭が解放的家庭になるということを知らな ければなりません。分かりますね?(「はい。」) 二世とは、何の二世ですか? 三代が一つにならなければなりません。祖父母、そして父親と母親、息子、 娘、三代圏までが、すべて完成しなければなりません。 真のご父母様を中心として、一代、二代、三代です。 今までの神様の恨とは、何でしょうか? それは、孫と孫娘の祝福家庭を持つことができなかったことです。 ですから、その代身となって、天上世界に行ったすべての先祖と、地上世界の後孫たちが一つになり、そこで代表的存在が二番目となり、三番目の家庭までも導いていくことができる道を、しっかりとつくり上げなければなりません。そうしておいてこそ、三代が完 成するのです。 アダム家庭とは何ですか? 四位基台とは何ですか? おじいさんの家庭、お父さんの家庭、自分の家庭です。そうではないですか?それは、孫圏”の家庭を失ってしまったのですが、 その家庭的基盤を、自分の一家において、どのように して立てるのかという問題です。そして、皆さんが二世の立場で、息子、娘たちが、どこに行かなければならないのかというと……。 先生の大きな恨は何かというと、教育機関がなかったことです。政府が、すべて追い出しました。先生は、 四十年前から教育しようとしてきたのです。それが成されていれば、天下を料理して余りあったのです。 ところが、大韓民国は、そのようにはなっていません。キリスト教が反対することによって、すべてのものが崩れてしまい、それから何年が過ぎましたか? 七年、八年になりますか? もう九年になりますか? 鮮文大学校は、何年になりましたか? 今年で十年 になったでしょう? そうでしょう?(「はい。」)何年目ですか?(「始まってから十年です。」)十年目でしょ う? 十二年までには、恐らく国家の代表になるはずです。何のことか分かりますね? 米国の統一神学大学院(UTS)と鮮文大学校の神学部と、これからもう一か所建てて、三か所にするかもしれません。日本にです。そのようになれば、その神学大学は、兄弟と同一です。どこを卒業したとしても同じだというのです。 そのようにすれば、三つの国に通じることができる卒業です。父母の韓国語を学び、英語もすべて学ぶのです。日本語まで学ばなければなりません。日本語を学ばなければ、日本をけ飛ばしてしまわなければなら なくなるのです。 それゆえに、母子協助時代を宣布して、父子協助時代まで宣布しておきました。ですから、日本が離れていったとしても、神様のみ旨は成し遂げられるのです。 それゆえに、日本が国家基準を超えて支援することができずに、摂理を遅延させるようになるときには、 米国の富豪たちが、「文総裁を支援する。」と言いなが ら、「日本は退きなさい。」と言うようになるのです。 そのようになる時が来ます。見ていてください。分かりますか? わたしの話が分かりますか?(「はい。」) 今は、母子協助時代から父子協助時代になったので、 (「母の国」)日本を抜いてしまってもかまいません。陸地(大陸) に王宮があれば、どうして島国が必要でしょうか? 動物を育てる場所にしかならないというのです。分かりますか? 島国があれば、そこで動物たちを育てて、魚もいるので魚を釣って食べ、島の陸地のほうでは、狩りで動物を捕まえて食べることができる養殖場にすれば、島国でも使い物になるのです。そのようにしなければ、 陸地(大陸)だけでもよいのです。島国だけではできないので、長子権の世界である陸地に向かうのです。 アベルが、長子権の位置に入っていこうとすれば、 島国で基盤を築いて跳躍しなければなりません。それを成して、還元時代が来たので、陸地に来たのです。 陸地に移された人は、海を愛し、万物を愛して、移されていくのです。そのような還元式を、すべてしてあげるのです。分かりますか? ですから、原理観的な理論に引っかからず、解放的な勝利の覇権を立てたので、サタンも退いていくのです。分かりますね? 家庭第一主義です。 その主義は、天の国の代表として立つことができるのか、そして世界の国の代表として立つことができるのか、自分の国の代表として立つことができるのか、 自分の家庭の代表として立つことができるのかということであり、そのようなことを教育できる責任者が、どこに行っても存在するのです。 いかなる国に行ったとしても、統一教会は、すべて国家基準を超えました。聖賢たちを追い越して、先頭に立ったので、聖賢たちが祝福を受けたのです。分かり ますか? 聖人たちは、宗教圏なので、サタンの国家圏を超えています。ですから、霊界においても、国家圏を超えた統一的な集合体が、楽園です。分かりますか? サタン世界で犠牲になった国の忠臣は、楽園に行くのです。楽園に行けば、少なくとも四大聖賢の治下に入っていくので、いかなる方向を取っても、すべて統一方向であり、精誠を尽くすにおいても、真のご父母 様が現れるまで、四大聖賢とともに精誠を尽くすこと ができる兄弟圏に入っていくのです。 そうして、父母が来ることによって、初めて血統が連結され、一つの血族の編成とともに、一つの伝統文化、一つの天国の基盤が拡大されていくということを知らなければなりません。 個人的天国、家庭的天国、氏族的天国、民族的天国、国家的天国、少なくとも世界的天国、地上、天上天国、 神様の国を設定してあげなければなりません。 そして、メシヤは、その道をすべて築くことはできませんでしたが、高速道路は築いておきました。天の国に出発する個人の高速道路、家庭の高速道路、氏族、 民族、国家、八段階の高速道路をすべて築いておいたのです。 ですから、このことを知りながらも行くことができなければ、真のご父母様は、責任を持ちません。そうして、自分が行った道の形態と同じ立場の霊界に行くのです。 今、聖人たちも神様のことを知らないではないですか? そうでしょう? この地上で知っていたこと以上の基準に上がっていく道理は、ありません。神様は、 真の愛の内容を中心としなければ、摂理を展開することはできないのです。 それは、真の父母が新たな勝利圏を開門することによって、初めて天下に統一的な因縁を結成したのです。 ですから、主体と対象関係において、妻は夫と絶対的に一つにならなければなりません。 米国では、妻は、夫の言うことに首を振ってはいけません。分かりますか? いけないのです。国を取り 戻すまでは、あくまでも夫を第一として侍っていかな ければなりません。分かりますか? ある一時において、サタン世界の国家に入っていって、これを引っ繰り返すために、少しの間、女性を先頭に立てました。それは、七年期間です。この七年期間、二〇一二年までに、すべてが入っていくのです。 分かりますか? 何のことか分かりますね?(「はい。」) それを超えていくときには、原理原則を中心として、 主体の前に。絶対順応しなければ、一つになる道が ありません。女性たち、分かりますか? 先進国家で暮らしている愚かな女性たちは、浮わつ いて遊び回っている者たちです。汚れたものが、一番多くくっついているような者たちを祝福して、その位置に立ててあげたのに、汚れたものにまみれた昔の覇権的心情で世界に影響を及ぼして、「私は先進国の人間だ。」と言っています。そのようなことは、口にも出してはいけません。 恥ずかしくて目も聞けられず、息もできず、口をふさぎ、五官をふさいで、言葉も話せずに倒れるべき者たちが、祝福の恩賜を受けながら、そのようなサタン世界の伝統をそのまま復活させて、天の国の伝統にしてはいけません。はっきりと知らなければなりません。 分かりますね?(「はい。」) 今から、先進国家の女性たちは、一番の僕として連れて行かれ、天国の権勢の僕の立場で蕩減復帰しなければなりません。”僕の僕”の立場からです。統一教会も、そのような過程を経ていくかもしれません。 主権樹立の時に同伴者になることができず、統一教会の「原理」を知りながら落ちた人は、再び”僕の僕” の立場に行かなければなりません。そうして、彼らが手本となり、悔い改めて再起する姿を通して、サタン世界を教育しなければならないというのです。行くべき道が分かりますね? 分かりますか?(「はい。」) ですから、自分たちが先生の祝福を受けたからといって、祝福を受けた中で、全員が王になるのではありません。王になることができる人は、天の伝統を通して血族になることができ、内的な先祖から今まで連結された伝統に一致することのできる人です。 そうして、その伝統に一致しているパーセントが、 だれが高いのかという問題について考えてみるとき。 皆さんの中で高い位置にいる人よりも、今、新しく入ってきた人のほうが、もっと高いということもありえる のです。 宗教を中心として、キリスト教のために三時代を経ながら、国粋主義時代から国家主義時代を経て、民族的国家主義を超え、世界的国家主義、世界主義時代、天宙主義に超えていくのです。 その伝統に功を立てて、端から始めて端まで、先祖から連結された後孫たちが、自分たちも分からないまま、天に近い所に行くことができるようになったのです。行かなければ、自分の身の上に事故が起きます。 ですから、ここに残ったということは、そのようなみ旨があって残ったのだ、ということです。そのことを思うとき、今までは同じ扱いをしてきましたが、今からは、標準的基準を中心として評価して、系列が生じるようになるのです。分かりますか? この統一教会には、上下関係がありません! 家庭も上下関係がありません。 今から、体制を備えて、上下関係を持った組織編成をし、自分たちが行くことのできる橋をすべて連結させます。国家的橋と世界的橋と、天地に行くことができる橋が、別々に離れていてはいけません。すべて一つに連結したのです。 個人的な橋を完成し、それを越えていけばよいのであり、家庭的橋、氏族的橋、民族的橋、国家的橋、世界的橋、天宙的橋をすべて連結させました。個人的橋 よりも家庭的橋が長く、家庭よりも氏族が長く、氏族よりも民族が長く、民族よりも国家が長く、国家より も世界が長く、世界的橋よりも天宙の橋が長く、先生が千辛万苦の苦労をして、それらをすべて架けておいたのです。 一番下の地獄から出発し、天上の天国の玉座にいらっ しゃる神様の所にまで行き、人類が犯した罪の赦しを受け、そして、すべてのものを奉献しようとするのですが、 どのようにしなければならないのでしょうか? 数千万年の間、苦労された神様の前に一大清算をし、"もっ と成そう”と思うことができる人にならなければならないということを知らなければなりません。 そうであってこそ、王圏世界に同参することのできる家庭となることができるのだ、ということを知らなければなりません。先生は、今まで、そのようなことを標準としてきた、ということを知らなければなりま せん。お母様は、知りませんでした。 わたしが備えたすべてのものを、世界舞台においてお母様に渡してあげるのです。「嫌だ。」と言っても、 強制的にしました。「小言を言わずに、言うことを聞きなさい。」と言ったのです。 また、夜中の二時でも、一度読むのに四時間も五時間もかかる原橋を、「三十分以内に読みなさい。」と言って、足で蹴飛ばすようにして、不平を言わざるをえないようなこともしたのです。 それをほうっておいてはいけません。しなければなりません。嫌でもしなければなりません。日本語もそうであり、英語もそうであり・・・・・・。 ですから、真のご父母様が話す言葉を、すべて学ばなければなりません。分かりますか? 日本語もそう であり、韓国語もそうです。世界的な三か国を収拾して超えていき、四か国として着陸するのです。第四次アダム圏祝福家庭です。分かりますか? 旧約時代、新約時代、成約時代を超えなければなりません。超えようとすれば、モーセの背中に乗ってジャンプしなければならず、ジャンプして、イエス様の背中に乗り、神様の代身として、イエス様を経ていかなければなりません。 そしてさらに、イエス様の背中を踏んでジャンプし、真のご父母様の背中に乗らなければなりません。家庭的背中に乗らなければならないのです。 今まで、そのようにして背中に乗ってきたのです。それは、先生が犠牲になってきたということです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) そのように、今からは”家庭第一”です。自分の一族を収拾できない人は、脱落します。家庭時代を超えて、氏族時代、民族時代、国家時代、すべて編成することができるようにしてあげ、三か国以上の宣教をした人たちは、祝福を受けるのです。それは、すべて先生が語りました。 また、郡でも、三つの郡を経て、帰ってくるのです。東西南北。それは、四位基台です。そうではないですか? 国も、韓国を中心として四位基台です。日本、米国、ドイツではないですか? 韓国まで入れて四位基台です。四数を連結させて、初めて戻ってくるのです。分かりますね?(「はい。」) それゆえに、宣教師が活動をするにおいても、三か国以上を経て、超えていかなければなりません。それができていなければ、今からでも、三か国以上に早く 輩出しなさいというのです。輩出しようとすれば、神学大学を出ていなければならないでしょう? 先生は、間違いなく勧告しました。「外的に有名な国立大学などに行ってはならない。」と言ったのです。それは、すべてなくなるのです。ですから、「先生が立てた学校に、全員転校しなさい。」と言ったのですが、そのように言ったにもかかわらず、もしソウル大学を出たとすれば、今後は、卒業証書を火で燃やしてしまうかもしれません。 この者たち。自分の欲心の圏内で天を受け継ぐとは、口にも出してはいけません。今からは、教育機関でも、 鮮文大学校やUTS(統一神学大学院)を出ていなければ、使うことができる道がありません。それに反する慣習を否定しなければなりません。分かりますか? 否定するということは、否定されるということです。 あなたたちが否定しなかったので、先生が否定しなけ ればならないので、そのような人は追い込むのです。 それで、わたしは、鮮文大学に告げました。子供が、その親の願いとは一致せずに、もし「鮮文大学の教授をする。」と言えば、一時の間はしますが、彼らは、時が来れば、すべて解体してしまわなければなりません。 そのように、最も恐ろしいのが、家庭です。分かりますね? そこで、先生が教えた内容を中心として、すべて照らし合わせてみて、引っかかる人は、いくら優秀であっても、その五官にすべて墨を塗ってしまわなければなりません。 先生の息子、娘もそうです。異論はありません。三年間、先生の言うことを聞けば、許してあげるといって、 すべて許してあげたのです。それで、すべて整備する段階になったのですが、二〇〇四年を超えれば……。 四年を超えれば、何年ですか? 七年なら何年です か? それが二〇一二年までいくのです。二〇一二年 の四月まで行くのです。分かりますか? その時に世界を整備するのです。整備すれば、先生は地上に対して……。 皆さんが、国家など、収拾すべき道理を果たさなくても、行くべき道は、すべて築いたのです。一つの国を中心として、島国を中心として、どのような半島国家であったとしても、国は、たくさんあるのです。 大統領になって、「国をささげます。」と言う人が、 あまりにもたくさんいて、心配になります。それをささげれば、大きな国が離れるので、問題が起きるのです。 それゆえに、小さい国であったとしても、三か国、 四か国が一つになり、六大州にまたがる三か国以上が、そのようになれば、世界の先進国家は従ってこなければなりません。それが原理原則なので、その基準を中心として、解決方法を考えるのです。分かりますね?(「はい。」) 日本の者たち、手を挙げてください。日本のメンバー は、手を挙げてください。”日本人である”という感覚 は、一切、持っていてはいけません。否定しなければ なりません。三度、否定です。 口は旧約時代を表します。それは、“物”の犠牲です。 祭物だというのです。鼻は、空気を吸うので、地上世界のことです。目は光を見ることができます。光は、天の世界を表すのです。天国は、愛の光で満ちています。そして、光以外のもの、その光を通して感動しないものは、一切拒否するのです。分かりますか? 三代圏を拒否して、新しい自分を中心として、天国の朝日を迎えたという記録を持たなければ、天国の国民になることはできません。分かりますか? 三時代を否定して、四時代を再創造しようとすれば、自分に は純粋な土だけがあって、一粒の砂や石があってもいけないというのです。完全否定しなければ、再創造の本性物として使用することはできません。分かりますか?(「はい。」) 今まで、統一教会のメンバーとして、自分の子女に対して、あるいは自分の環境に対して、自分なりに考えて先生の勧告に従わなかった場合、先生が宣布して発表した日が問題となり、その日を中心として比較してみたときに、引っかかってしまうのです。 二〇〇四年の四月までです。それまで延長されるということを宣言します。それがあるので、天地統一が成されざるをえません。自分を主体とした場合、天地統一世界に逆らうことになるのです。分かりますか?(「はい。」) 完全否定をしなければなりません。それは、この時間が終わった後で話そうと思います。 (梁昌植会長に対して)さあ、話してください。その写真を持ってきましたか?(「はい、持ってきまし た。」)本当に、カトリックやキリスト教の十字架をたたき壊してしまわなければならない」といって、霊界がすでに始めたのです。そのことを、既成教会ですべて教えてあげなければなりません。 そして、魚を釣っているときに、ストライプト・バ スが、自分からたも網に飛び込んできたそうですね? (「はい。」)まず、その話をしてください。 (梁昌植会長の報告)<No.3/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ イエス様が、イスラエル民族を全国巡回したことと 同じです。五旬節の聖霊降臨が、実体国家を迎えて始 まらなければならなかったのが、霊的国家の出発で終 わってしまったのです。それを蕩減復帰しなければな りません。第二イスラエル圏が滅んだことにより、第二イスラ エル圏の勝利は、だれが打ち立てるようになるのでしょ 父母によって、初めてその勝利圏が打ち立てられるの うか? それは、イエス様の代身として来られる真の りますか?(「はい。」) である、ということを知らなければなりません。分かそれで、教会の最高の指導者と国家の最高の指導者29Fm 20018
2024.03.28
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Family 2001.8 月号に掲載されていたものです。 第39回 「真の万物の日」の敬礼式における真のご父母様御言 成約9年(2001)年6月21日(陰暦5月1日)米国・ニューヨーク州イーストガーデン 真のご父母様は、第三十九回「真の万物の日」を米国のイーストガーデンで迎えられました。 この日、午前七時からは敬礼式が行われ、敬礼式の後、真のお父様は、約二時間にわたってみ言を語られました。そのみ言を、敬礼式の最後に祈られた祝祷とともに翻訳し、掲載いたします。 なお、この日、午後二時からは、同じニューヨーク州のべリータウンにある統一神学大学院(U丁S)で、同校の第二十五回卒業式が行われ、真のご父母様も参席されて、同校から名誉神学博士号を授与されました。 (文責・編集部)(祝祷) 愛するお父様。きょうは、二〇〇一年六月二十一日です。 本郷と天国の建設をすることができる転換時期において、六月を迎えて三Xセの二十一数を越える日となり、この日は、万物の日であると同時に、教会と学校を中心とした代表的教育機関としてのUTS (統一神学大学院)における記念日と連結することができる日です。またこのような万物の世界に対して、サタンの権限である国連と連結させることができる非常に重大な記念式の日であります。 教育と万物が一つになり、主権と外的基準を結束させることができる一つの記念日として連合し、天地人の統一的な一つの内的な因縁を中心として、神様の王権樹立と同時に絶対権限、絶対、唯一、不変、永遠の主権を中心とした絶対家庭と絶対民族と絶対人類と絶対天地、天の国の民を中心とした四大聖人の心情を通して、お父様、今まで創造理想の基準とエデンの園で失ってしまった理想、このすべての一致圏を成し、万物を中心として顕現したこの日を中心としてここに添付し、すべてのものをささげて統一的な起源の出発をすることを願うこの日となりました。 この日のために、すでに一年前の二月二日を中心として、アメリカ政府が信仰と自由と解放を中心とするコミュニティーの表彰をした記念日を中心として、天宙平和統一の記念の出発をなしました。今年、その二次を経て、三年に向かうこの時において、これを統合し、アメリカ政府とアメリカの人々と因縁を結び、真の父母を中心として、長子権世界とすべての民族結合とともに、国家結合とともに国連を結舎することができる、一つの表象を望む課題を残しています。 この日を祝賀できることによって、きょう、この時間を中心として、本格的な天国平和統一連合を宣布し、統一家のだれもが民族にしみわたる心情を持ち、家庭においての孝子となり、天宙を代表した孝子、天宙を代表した忠臣、天宙を代表した聖人、聖子の道理を受け継ぐことによって、天と地を含んだ統括、統一的な立場で、神様の全権、全能のすべてを相続できる権限を伝授されるための新千年出発を期する新しい起源の日を策定いたしますので、お父様、すべてをみこころのままに受け入れてくださることをお願い申し上げます。 霊界でも、統一圏を備えて真の父母を中心とした教育理念が出発したのと同じように、地上でも、真の父母を中心とした祝福家庭が一つの方向を持ち、超伝統、超民族、超思想的基準で、一つの主流的思想を中心として、超民族的な思想と超民族的な精神、超民族的な実体世界まで連合し、あなたのみ前に奉献することができる記念の日を新しく策定いたしますので、喜びの心で受け入れてくださることをお願い申し上げます。 霊界にいる興進君を中心とした四大聖人を中心として、数多くの宗教圏の長たちが連合して、新たに真の父母を中心とした主流思想の教育を受けるのと同じように、地上でも、アベル的な主権を中心として、兄の立場を対処したこの時代を立てることによって、地上がすべての天上世界の前に立つことができるようになり、地上からこの峠を越えさせることによって、神様の全権、王権時代の復帰を中心として、本然の王権の前に本然の故郷と本然の国の出発を宣言することができるのです。 そのようにすることによって、天の前に恥ずかしくない堂々とした姿勢を持つことができ、天地の解放的な自らの家庭がアダム家庭の完成を代表し、天の国で個人から家庭、氏族、民族、いかなる過程を経ても、自分を中心とした家庭的メシヤ、民族的メシヤ、民族的メシヤ、国家的メシヤを連結させ、世界的なメシヤの家庭と天宙的な神様の理想の家庭まで連結されるのに不足ない孝子の道理、忠臣の道理、聖人、聖子の道理を完成させてください。 そして、恨(ハン)多き神様を解放し、恨多きすべての堕落人間を解放し、恨を越えて、サタン世界の基盤を越えて、希望と創造理想の喜びの世界として地上、天上天国の統一王権大宇宙時代を迎え、愛の主権の王として千年万年、永遠に侍(はべ)ることができる伝統的家庭の出発を新しく決心し、自分たちの家庭から始めて、新しくアダムが堕落せずに神様の創造理想である新しい種を真のご父母様によって結実させ、世界的にまかれた解放された家庭たちによって、天国と故郷の地を取り戻すべき義務と責任があるのでございます。 そして、形成された基盤の上に自動的に立ち、てのことを自己主張する立場において、孝子の道理として家庭を収拾し、忠臣の道理として国を収拾し、聖人の道理として世界の宗教圏を越えて世界を収拾し、そして天宙解放圏を称賛することができる時代、神様を中心として天宙を解放し、一つの国、一つ故郷の地が一列となり、一つの血筋を中心とした一族理想、一族文化圏、全体の解放を中心とした栄光の聖賢となることができ、万物万象、天地の人間となるようにしてください。 祝福された天地父母の前に永遠に感謝、感謝、感謝の心情で、地に対しても、万物に対しても、天のことを考えるたびにその心が表出し、すべての被造世界が頭を下げて尊敬することができる神聖な家庭となることを決心する新しい契機としてくださるこの日となるよう、許諾してくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 そして、各国を代表した国家メシヤ、代表してここに参席したすべての者たち、また神学大学を卒業したすべての人たち、また教会のためにこの国で忠誠を尽くしたすべての人たちが集まり、この日を記念するすべてのことは、この狭い蔀屋でなされるのではなく、天宙を縮小し、勝利的覇権を称賛することができる天の国の愛の主管を永遠に受けることができる出発の日として設定しようと思いますので、お父様、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 万々事に協助されることによって、統一天下天国が成し遂げられ、解放的天の国の三権と解放的地上の万民の国家が形成され、統一的勝利の版図の上に愛の天上天下の天国的王国が設定されることによって、万代の主人として万民万象を主導し、主管してくださることを懇切にお願い申し上げます。 きょう、記念するすべてのみ言の内容を代表して、真の父母の宣言とともに真の父母の懇切な心の決心をお父様のみ前に伝達いたしますので、この心をお受け入れください。 このような基準において、世界に表出することができる勝利の覇権継承者たちが、解放の天下として、天地として活動することができ、天の生命の上で解放の名を持つことができる天の国の皇族圏が、新しい歴史の出発とともに始まるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 地上のすべてのものは、わたくしたちが行うことによって決定されるということを知っていますので、各自が立っている祝福の中心家庭がとてつもない使命を背負ったという事実を……。 真の父母がこの地上で、八段階の峠を越えるたびに、生命を懸け、厳粛な孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を継承し、勝利の地上の覇権を立てるために歩んできたすべてのことの相対的基準が、家庭に、万国に広がっていくことができるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 そして、還故郷とともに、統一家において、家庭盟誓とともに、今年の新千年標語とともに、新千年を出発した一月十三日に王権樹立を宣布した、その伝統的精神を自分の一族と一国に、一世界、天にまで連結することができ、忠孝の道理を果たし、すべてにおいて勝利者になるという決心とともに、この日を迎えて歓迎することができるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、真の父母の名によって報告、宣言いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.20
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『神様王権即位式』は天と地の勝利を完成する(01.05.15 国家功労賞バンケットにおいて 米国ワシントンDC、米国議会 レイバーン下院議員会館) 五月十五日、ワシントンDCにある米国議会のレイバーン下院議員会館において、家庭、地域社会の回復などに功労のあった人物を表彰する「『ナショナル・サービス・アウォード(国家功労賞)』バンケット」(主催、ワシントン・タイムズ財団)が行われました。 この日、真のお父様は連邦議会議員など三百人を前に三十分間演説され、歴史的な「神様王権即位式」の意義と価値を説かれました。 演説後、真のご父母様に対して、三十年間にわたる献身的活動を通じ、米国の精神復興、家庭回復などに貢献したとして、同財団から「ライフタイム・アチーブメント・アウォード(生涯功労賞)」が贈られました。-------------------------------------------------------------------------------- 尊敬する内外の貴賓の皆様! 公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、この意義深い集いに参加してくださった上下両院議員と著名人士の皆様に、深甚ある感謝を申し上げる次第です。 自由世界を代表する民意の殿堂である米国国会において、貴重なみ言の時間を特別に得ることができましたことをうれしく思います。 併せて、今まで全国各地において、信仰を基盤とした地域社会での奉仕活動のチャンピオンとして献身してこられた、国家を代表した受賞者の皆さんに心からお祝い申し上げます。 私は、新千年が始まる、正に最初の年である今年、去る二月二十五日から四月十七日までの五十二日間、全米五十州五十三か都市の巡回講演を盛況のうちに終えました。この期間、主にキリスト教をはじめとする十万を超える宗教指導者たちを対象として、神様のみ旨を中心とした人類と米国、さらに天の国と地上の国が行くべき道を提示してきました。 私は、十六歳のとき、「復活節」の明け方に、イエス様と出会い、神様のみ旨を成就するための、そして神様解放のための天意の道を歩み始めました。過去八十余年の生涯を、あらゆる無理解と迫害を受けながらも、それに屈することなく、真なる理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。 特に神様の命令に従って、一九七一年に米国に渡ってきた私は、それ以来三十年間、全心全力を尽くして、米国が神様によって世界的な第二イスラエル圏として選ばれた、その使命を果たすように覚醒させてきました。 私は、過去数年間、数百余回の米国指導者会議(ALC)を通じて、政治家や宗教家たちが、政党や宗派を超越して、各地域社会とこの国、そして世界のために心を合わせて協力するように促し、また求めてきました。 併せて、今回の米国五十州巡回講演を通じて、すべての聖職者に教派を超えて一致団結することを強く勧めてきました。 実際に米国聖職者指導者連合(ACLC)を中心として、連合教会(UFC)運動を通じて十四万四千の教会が、救世の目的のために、この運動の先頭に立っています。 これからは、家庭を中心としたホームチャーチ形態の教会が、徐々に定着していくことでしょう。究極的には、制度的な教会や寺院、モスクはなくなっていくのです。 今、私たちは皆、聖書歴史では七千年、イエス以後では三千年(となる最後の千年紀)を開いていく新千年時代を迎えています。この時代は、人類歴史を通じて神様が望んでこられた、すべての宗教の目的が完全に果たされるべきものとして待望されてきた時です。 神様を中心として、心と体が一つになった完全な個人、そして真の愛で一つになった家庭、社会、国家、世界、天宙が成され、神様の創造理想が実現される時として期待されてきたのです。 したがって、この時代は、聖書に預言されている旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することによって、天上と地上に天国が成されるべき成約時代の完成を意味します。 「成約」とは、「すべてのものが祝福を受ける時代」という意味です。神様が創られたすべての被造万物は、人類始祖の堕落によって祝福圏に立つことができませんでした。 しかし、神様は、救援摂理の道を通じて、キリスト教をはじめとする数多くの宗教を立てて万民を教育することによって、段階的に引き上げて成約時代を迎えるようにされました。 そのようにして、私たちは皆、神様の救援摂理を完成した信仰の結実体として、真なる個人の王から始まり、真なる家庭の王、氏族の王、民族の王、国家の王、世界の王、そして天宙的王権の基盤を取り戻し、ついに本然の「神様王権即位式」が挙行される位置までやってきたのです。 このような勝利的基盤の上に、昨年の二月二日、この国会で「天宙平和統一連合」の創設に際し、第一回として「アメリカン・センチュリー・アウォード(米国世紀賞)」の行事を通じ、過去一世紀の間、信仰と家庭の自由のために寄与した功労者たちを表彰したことがあります。きょうは、その二回目として祝賀行事を兼ねる日となったのです。 特に、この場は、信仰を基盤として個人的にりっぱな人格を備えただけでなく、国と地域社会への奉仕に大きく貢献なさった受賞者たちが集まった場であるので、このような歴史的な神様の本然の「王権即位式」を歓迎し、宣布し、祝賀する場として迎えたのです。 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人たちが真なる家庭と国を備え、祝福を受けて一つの血族、血統が一つとなった単一民族を成した土台の上で、初めてその式を執り行うことができるのです。 皆様! 人間にとって最も大切な愛、生命、血統の中で、何が最も貴いのでしょうか? 多くの人たちは、愛が最も貴いと言います。 しかし、愛や生命は、どんなに貴いといっても横的であり、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を継いで永遠に相続されるのです。 堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。 「父母」や「子」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結されることなくしては、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。 そのために、成約時代の真のご父母様の祝福を通じた真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰できるようにするものです。真正なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木されて、それがたとえ偽りのオリーブの木の畑であっても真のオリーブの木の血統と真の愛を中心として一体、一念になって、生死圏を越えて入らなければなりません。 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界の生死圏、いかなる犠牲があったとしても越えていくという、そのような心情を持った人は、サタンが関与することはできません。国家基準を超えて、それ以上に立つようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことができません。 イエス様も、もし結婚をしていたならば、亡くなられることはありませんでした。殺すことはできません。これは、相対理想の直接主管圏に連結されうるからです。 原理で言えば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入るのです。直接主管圏は、神様の血統が連結されているので、サタンが断ち切るすぺ術はありません。 その過程において、心情一致することのできる立場になることができなかったために、また、そこで堕落したので問題が生じたのであって、アダムとエバが夫婦になって、真の愛で愛し合ってさえいたならば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが離すことはできません。 しかし、その過程で実が熟しませんでした。実が熟さなければ、いくら実を地に植えるのだといっても、種は生じません。 それで、永遠な生命が存在しないので、“死んだ生命”のようなものを処置する所が地獄です。それは、神様と関係ないのです。 父子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、ただそのままでは連結されません。独りでは、血統は連結されることができません。男性と女性の血統が合わさらなければなりません。 宇宙の根本のしくみは、性相と形状の血統が一つとなったその立場で、つまりお互いにとって好ましい立場で、性相となる心が喜べば、形状である体も一緒に喜ぶことができる立場で完成されるように人間を創造したのです。 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダムとエバを創造した、その実体的対象を繁殖して東西、四方、世界いっぱいに満たして、天国の民を繁殖することのできる数多くの分工場を拡張するのです。 そのようにすることによって、天の民を満たして、霊界にいる神様と地上にいる実体の父母が、地上で暮らしながら、共にそれを生産するうえで協力するのです。そして、霊界において永遠に生きることのできる一体として復帰され、天上世界の国、そして地上世界の民と地を中心として、地上、天上理想天国を完成するというのです。 神様の「王権即位式」をだれがしてあげるのでしょうか? 最初に、だれが即位式を台なしにしてしまいましたか? サタンとアダムが、台なしにしてしまいました。 アダムとエバが真の父母になることができなかったために、サタンが入ってきたのであり、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。 堕落によってサタンの血統を残してきたので、これをすべて否定して引っ繰り返さなければなりませんが、それは神様もできず、サタンもできません。 サタンが今までつくっておいた自分の国を、サタン自らが壊してしまうことは難しいのです。だれであっても、自分がつくったものを改造するようになれば、嫌がります。サタンも同じです。 また、それを神様が引っ繰り返すこともできません。神様が引っ繰り返すことができるのならば、エデンの園でアダム家庭を失うこともなかったことでしょう。 いずれにせよ、理論的にも神様が手を着けることができなかったことは間違いないので、神様が手を着けられないことに手を着ける人物とはだれかというと、完成したアダムです。本然の真の愛の家庭を持つことができるそのような家庭は、アダム家庭以外にはありません。 中心が問題です。中心! 復帰も、中心がなくて完結されるでしょうか? それでは、祝福家庭の中心とは、何でしょうか? 祝福を、だれがしてあげるのですか? 真の父母がしてあげるのです。結婚式を、だれがしてあげるのですか? 自分の子供に対して、血統を合わせて父母に似るようにしてあげる、その結婚式をだれがしてあげるのでしょうか? 堕落しなかったならば、だれが、してあげたでしょうか? 真の父母がしてあげたのです。 堕落は、天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会的に有名な人、名声のある人が主礼をします。それは、横向きにはしごを架けて、上がっていこうと考えるようなものです。 結婚するのに“逆婚”というものがあるではないですか? 結婚は、引っ繰り返してすることはできません。順次的にしなければなりません。最近は、逆さまにも行って大騒ぎです。また、それは復帰という内容と呼吸が合うので、このようにも合わせ、あのようにも合わせて、逆さまでも通じるというのです。 しかし、本来は、長男、次男と、生まれた順序どおりに結婚しなければなりません。 しかし、そのように混沌となっているので、最近は親族相姦関係が現れています。姦淫するということですす。おじいさんが孫娘と暮らし、舅と嫁とが暮らしています。親族相姦関係が起こるのです。くるくると回っている人たちは中心が分からないので、互いに暮らしてみるというのです。 そのようなことをする大混乱の時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、系列をつかむことができないほどになっており、一度なのか、ゼロ度なのか、三百六十度なのか、百八十度なのかも分からないほどになっているので、ゼロ度でも三百六十度や百八十度でも、お互いに回りながら合わせてみるのです。 このようなことをだれが収拾するのでしょうか? 神様も、エデンの園でアダムとエバが堕落することに干渉できなかっただけではなく、サタンと結婚することにも干渉できなかったのですから、終わりの日に干渉できる道理があるでしょうか? 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生まれたので、真の父母が来て、これを再び蕩減復帰し、すなわち、これを否定して引っ繰り返さなければならないのです。 したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている者が、死ぬような境地にまで至って死ぬとしても、蕩減されるときまで生きることのできる余力があってこそ、生きるというのです。 死ぬことを悲しみ“死から逃げたい”と思う人には、永遠に復活権がありません。それゆえに聖書は、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」ということを教えているのです。 ですから、神様も同じであり、真の父母も同じですが、天国に行こうとする者は、どうでしょうか? 神様も、生きようとする人間の一つの生命、一つの生命を生かそうとするためには、その反対に、死ぬ境地に至るまでは、生かすことができるように支えることはできません。 断崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げなければなりません。そのような基準以上になってこそ、人も生き、神様も生きるのです。 現代人は「自由、自由、自由!」と言っていますね? どんなに現代の教育制度が良くなっているとしても、皆さんには堕落圏内の自由の概念しかありません。 個人主義の観点では、そのようなことを知ることはできません。氏族、民族、国家、世界、天宙の概念がないではないですか? どのようにしてそれを悟らせるのでしょうか? 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成し、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階にまで上がってきました。 それでは、どのようにして、それを成すのでしょうか? 心と体を統一することから始めるのです。 絶対的に心と体が一つとなった位置から家庭、国家、世界、神様まで出ていくのです。人々が、どんなにその位置まで出ていきたくとも、個人主義の概念を持っている限り出ていくことはできません。 個人主義の概念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置に連結されるのです。 フリーセックス、ホモ、レズビアン、そのようなものは、麻薬中毒とエイズ感染への近道になります。麻薬とエイズは、人類を全滅させる脅威になっています。 アフリカでは、エイズが深刻な事態になったと報告されています。エイズウイルスの潜伏期間が八年から十二年であるとすれば、ある地域では、二代ですべて滅ぶと考えられるのです。 国連を中心として見るとき、NGO(非政府組織)も多くの問題点を抱えています。その人たちに「最も難しいことをしなさい。」と言えば、それをする人がいるでしょうか? NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、あれこれと指摘しますが、私のように、国連の役割や共産主義と人本主義を料理する問題など、そのようなことを指摘するでしょうか? 彼らにとっては、あまりにも次元が高く、聞いてもぼう然とするだけです。 そのような高い次元の内容を知っていてこそ、反対することもできるのであって、知らないので反対することはできません。彼らは、「正しいことは正しい。」と言うのです。 青少年の淪落と家庭破綻、麻薬問題、エイズ問題、特に純潔な“血”をどのように残すのかという問題を、彼らは知りません。それに対する解決方法は、国家はもちろん、国連のような世界機構の指導者たちも知らずにいます。彼らは、「これは、うそなのか、本当なのか?」と言います。 今から「神様王権即位式」以後に、私たちが守るべき条件をはっきりと教えてあげます。今までの問題が何かといえば、血統が問題です。「血統」は、英語で何と言いますか?「ブラッド・リネージ」(‘blood lineage’)です! これが最も重要です。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。 今、この世に数多くの国がありますが、神様に属するものは一つもありません。サタンに属しているのです。今からは、ほかに術はありません。神様に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。 今日、この新千年時代にすべきことは何かと言えば、今まで神様も解放されず、真の父母も解放されなかったのですが、今や解放された天地父母と子女になったので、恐れてはならないというのです。監獄に人っても、恐れてはいけないというのです。 自分が天国に早く行きたいのですから、若くして行くことができるのならば、どれほど良いでしょうか? それが損になるでしょうか? 天上天下、全宇宙が、自分の手の中に入って、自らが主人となれるというのに、どうして否定するのでしょうか? 死のうが生きようが、心配することはありません。そのようになっていなければなりません。 皆さんは、どのように個人完成をするのか知っていますか? 個人の心と体が一つになることを知っているでしよう? 堕落するときにサタンの血統を受け継いだ体が、つまり堕落するときの愛が、堕落していないときの、愛を知らない良心の力よりも強かったのです。それが問題です。どのようなことがあっても、体が“しよう”というとおりにしてはいけません。 今から守らなければならない鉄則が何かと言えば、第一に、死ぬようなことがあっても血統を汚してはいけないということです。 第二に、人事処置を誤って、人権を蹂躙してはいけないということです。男性であろうと女性であろうと、黒人であろうと白人であろうと平等です。人権を差別したり、蹂躙してはいけないということです。 責任者たちは、自分の心にそぐわないからといって、むやみに人事処置をしてはいけません。 人権を正しく指導するうえにおいては、真の愛、ために生きる愛を持っている者が主流です。天地創造が、そこから始まったのです。その主流思想を乱してしまうことは赦すことができません。罪の中の二番目の罪です。 第三に、公金を盗んではいけない、公金を勝手に使ってはいけないということです。以上の三つです。 監獄に入る人の七〇パーセント以上が、この問題でそこにいるのです。監獄に入ってみれば、そうです。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っかかっています。 その次は金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。 今から祝福を受けた血統は、神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだものなのですから、今までの堕落世界に染まった習慣的な行動で汚してはいけません。それを守ることができますか? 夫婦になったとしても、配偶者がいなければ、独りでもよいので、“完全な血統を汚さない”という決心をして、それを誓うこの日とならなければなりません。 天国の憲法第一条が何であるかと言えば、「血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさい」ということです。 二番目は、「人権を蹂躙してはならない!」 三番目は、「公金を略取してはならない!」ということです。 皆さんが、天国の王権を維持し、王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、このことが絶対に必要です。 ですから、お兄さんを無視することはできません。また、例えば弟が体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。この世の中では、すべて無視するでしょう? 大学を出た人は、知識があるからといって、高等学校を出た人も無視してしまいます。そのようにすれば、人権蹂躙になります。 公的な環境を破壊させることは、国家財産の略取と同じように恐ろしいことです。そのように生きる人は、どんなにうまくやろうとしても、うまくいきません。負債を負う人は、天下がすべて嫌うのです。一族の中で代表的に問題を起こして、一族から即刻、追い出されるのです。 それでは、神様の公式、法度に従って暮らすのには、どのような環境、どのような人とともに暮らせば、幸せに暮らしていると言えるのかというのです。簡単です。それも三つです。 父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は、父母の前では子女になります。子女関係は兄弟関係であるというのです。自分の家庭を中心として、父親と母親がいて、その次に夫婦がいれば、子供がいます。 したがって、父親と母親の前において、自分にとっては兄弟関係と同じように、親戚がすべて連結されて入ってきます。それで父子関係、夫婦関係、子女関係です。それが連結されれば、兄弟は自動的に生じるのです。 手本になっていなければ、不幸せに暮らしているということです。しかし、父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本になるように暮らしているとすれば、それは幸せに暮らしているということです。 そのように幸せに暮らせば、どのようになるでしょうか? 家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じるのです。 そのように生きた祖父から始まって父母、子女の三代が四位基合理想を備えることができる、そのような家庭に賞を与えるのです。 それゆえに、兄弟関係も、子女関係も、共同の責任の下で和解して影響を与えながら、主体的な立場に立つために生きた者となれば、天国のだれであろうと、自分を締め出すことはできません。 今から、この法を守って生きれば、間違いなく天国の皇族圏になって、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。 ですから、これを来るべき三〇〇〇年(に向けて)の標語として定めるのです。一方では純潔血統、人権平準化、そして国家公的財産保護の先頭に立ち、そして父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうというのです。 町内がすべて、「あの人について行かなければならない。」と言い、「あの人のようになりたいし、一緒に暮らしてみたい。」と言えば、その人は間違いなく天国の民になり、天国に記憶されうる人になります。文総裁自身も、そのように暮らしています。 きょう、神様の「王権即位式」において宣布した、最も重要な三大鉄則をお話し申し上げました。それは、私たち人間が、公人として必ず守るべき、家庭に入っても、国に入っても絶対に引っかからないようにするための指針です。 成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。どうか霊界を熱心に研究し、神様を中心とした祝福を受けて真なる血統の家庭を成し、ために生きる生活を通して永生の準備をしてくださるように願います。 今から人々は、有限な人間の能力とは比較にならない天運のみ手を感知すべく努力しなければなりません。 生きておられる神様の御前に、本当に温柔謙遜な姿勢で、天の真なる血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が、幸福な天国人です。 神様の王権時代を迎え、超国家的に心情文化世界を創建することにおいて、共に“同役者”となられることを願います。神様の祝福が、いつも共にありますように。どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.11
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神様は私たちの王であり、真の父母であられる(01.05.08 ニューヨーク・ハーレム訓読大会 ニューヨーク市ハーレムのカナン・バプテスト教会) 「米国五十州巡回講演」を終えられた真のご父母様は、その後も休まれることなく、米国で、ニューヨーク・ハーレム大会(五月八日)、米国議会議員会館での講演(同十五日)、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)による国際シンポジウム(同二十五日から二十七日)などの重要な大会を行われ、二十七日には聖職者をはじめとする六十組のカップルが参加した祝福結婚式を挙行されました。 このみ言は、五月八日にニューヨーク市ハーレムのカナン・バプテスト教会で、地元の黒人牧師ら約二千五百人が参加して行われた訓読大会の際に、真のお父様がスピーチされたものです。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、本大会に訪ねてこられた皆様に、深甚なる感謝を申し上げる次第です。 特に、本日、私を本教会に招請してくださったドクター・ワイアット・T・ウォーカー牧師をはじめとして、ニューヨーク地域の著名な聖職者の皆さんに感謝を申し上げます。 ここハーレムは、ニューヨークの心臓部であり、ニューヨークは、米国の中でも文化と経済、国連活動などの外交の中心地域です。さらには、全世界から集まった移民たちが共に暮らしている国際都市です。 私は、新しい千年が始まる、正に最初の年である今年、去る二月二十五日から四月十七日まで、米国全域をカバーする五十州巡回講演を盛況のうちに終えました。きょうは、ニューヨーク地域の聖職者のかたがたの招請によって、再び皆様に会うことになりました。 これまで、主にキリスト教を中心とした超宗教指導者たちを対象として、神様のみ旨を中心として、人類と米国、ひいては天の国と地上の国が進むべき道を提示してきました。 私は、十六歳(数え年)のとき、「復活節」の明け方にイエス様と出会い、神様のみ旨を成就するための天意の道を歩み始めました。あらゆる無理解と迫害を受けながらも、屈することなく、過去八十余年の生涯を真なる理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。 特に、神様の命令に従って、一九七一年にアメリカに渡ってきた私は、過去三十年間、全心全力を尽くして、米国が神様によって第二イスラエルとして選ばれた、その使命を果たすように覚醒させてきました。 きょうは、今回の巡回講演で語った内容と、去る一月十三日の「神様王権即位式」で発表した内容を歓迎し、祝賀し、宣布する時間を持とうと思います。 内外の貴賓の皆様! この世界には、六十億の人類が生きています。しかし、大きく区分すれば、男性と女性の二種類の人間が生きています。このように神様は、鉱物界から植物界、動物世界に至るまで、すべての存在を陽性と陰性、すなわちペアシステムによって創られました。それは、創造主の神様に似せて創られたからです。それでは、神様は、私たちにとって、いかなるおかたであり私たち人間とは、どのような関係を持っておられるかたなのでしょうか? 私たちは、創造主であられる神様が、人間の真の愛、真の生命、真の血統の根源であられるので、そのおかたを「お父様」と呼びます。すなわち、本然の“神人の関係”とは、父母と子女の因縁によって結ばれているのです。 皆様! 人間にとって最も大切な愛と生命と血統の中で、何が最も貴いのでしょうか? 多くの人々は、愛が最も貴いと言います。 しかし、愛や生命は、いくら貴いといっても横的であり、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を継いで永遠に相続されるのです。したがって、先祖から継続される血統を相続した現代人は、事実上、アダム以後のすべての先祖が共にいる細胞の株式会社と同じです。 ところで、私たち人間が生きている環境は、どうでしょうか? 太初(創造の初め)から心と体が闘っています。世界大戦は、休戦も終戦もありますが、私たち人間の内部で葛藤している心と体の闘いは、止めることもできず、終えることもできずに継続されてきました。 心と体が、九十度の角度を成して、心が完全に体を主管しておられる神様に似ることができずに、このような葛藤状態に陥ったのは、人間始祖が堕落したからです。 これは、信仰生活をしていない人でも、人間が堕落した人類始祖の後裔であることを認めざるをえないはずです。 そうであるならば、アダムとエバは、堕落した後にエデンの園から追放されましたか、それとも堕落前に追放されたのですか? アダムとエバは、堕落することによって、神様と愛と生命と血統の関係を結ぶことができずに、エデンの園から追放されたのです。 したがって、アダムとエバは、神様から祝福を受ける結婚式をすることができずに、サタンの主管下で結婚したのです。すなわち、サタンから血統を受け継いで子孫を繁殖したのです。 それゆえにイエス様は、「ヨハネによる福音書」の八章44節で「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。」(新共同訳聖書、以下同じ)と言われながら、堕落人間の父が、悪魔サタンであることを指摘されて、戒められたのです。 堕落によって、神様とアダムとエバとの間に結ばれた永遠の父子の因縁が断たれ、アダムとエバが神様を中心とした真の父母、真の夫婦、真の子女の愛を築くことができませんでした。そのことによって、神様は、直系の孫と孫娘を得ることができなくなってしまわれたのです。 アダムとエバが堕落せずに完成して、縦的真の父母である神様を中心として、横的真の父母として一心一体となり、心と体が闘ってはいけなかったのですが、怨讐と関係を結んだあげく、体が心を引きずり回す立場になったのです。 それならば、堕落の内容とは何でしょうか? 聖書では、エデンの園で人類始祖が善悪の果を取って食べたことが、堕落の起源になったとしています。しかし、これは、聖書の重要な部分がそうであるように、文字どおりの果物ではなく、比喩と象徴で説明したものです。 「マタイによる福音書」の十五章11節で語られているように、「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」とあります。 人間の本能は、自らの欠点を覆い隠そうとします。子供が、クッキーをこっそり食べていて、お母さんに見つかれば、手を覆い、口を覆い隠すのです。 同じように、もし、アダムとエバが善悪の果を手で取って口で食べたのならば、手と口を覆い隠さなければいけないはずですが、下部を覆い隠したということを見れば、これは下部で罪を犯したということを証ししているのです。 エデンの園には、五人の男性がいました。それは、すべての被造世界の男性格主体であられる神様をはじめとして、アダム、そしてルーシェル、ガブリエル、ミカエルの三人の天使長でした。女性は、エバ一人だけだったのです。 エデンの園で彼らは、恥ずかしがることなく裸で過ごしながら、つがいになっている昆虫や動物などの生態系を見ながら、何を感じたでしょうか? それで、「創世記」二章17節の「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」と言われた戒めは、エバの愛の問題を強く警告したものでした。 エバは、神様を中心として個性完成して、神様が許諾なさる祝福結婚をするときまでは、絶対に純潔を守って、神様の永遠の愛と生命と血統を繁殖すべきだったのです。 しかし、エバは、僕としての自分の立場を忘れて過分な欲望を持った天使長ルーシェルと不倫な関係を結んで、堕落してしまったのです。 それで、聖書(新共同訳聖書)の「ペトロの手紙二」の二章4節には、「神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。」とあり、「ユダの手紙」一章7節では、「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので」といって、天使の犯した罪が、姦淫の罪であると指摘しているのです。 重ねて申し上げるならば、善悪の果とは、未完成なエバの貞操のことであり、さらには、エバの生殖器を指し示しているのです。 人間にとって生殖器は、神様が最も心血を注いで創造なさったもので、真の愛の王宮であり、真の生命の王宮であり、さらには真の血統の王宮として創造されたのです。 善悪の果とは、文字どおり王と関係を持てば王子を生み、マフィアと関係を持てばマフィアの子女を生みます。種をまいたとおりに刈り取るようになるのです。それで、善と悪を分ける“善悪の果”というのです。 それで、罪の中の根本的な罪である“原罪”が生じ、“重生”が必要になったのです。これは、血統問題が関係したためです。 さらに聖書は、エバを堕落させた天使長を蛇に例えました。なぜでしょうか? 蛇は、舌の先が二つに分かれており、これは、一つの口で二つのことを話す二重人格者を象徴するのです。自分の目的のためには、手段と方法を選ばない存在です。 一方、男性の生殖器は、毒蛇の頭と似ており、これは、常に穴を訪ね歩きます。女性の生殖器は、凹形になっており、ちょうど口を開けた毒蛇の洞穴のようです。一度かんだり、かまれたりすれば、その毒が、全身の血管に回って、永遠の死をもたらすのです。淫乱は、個人はもちろん、家庭、氏族、国家が破綻する道なのです。 いにしえからの歴史の終末期を迎えた今日、世界的に起きている青少年の倫落現象やフリーセックスの波は、今の時代が、エデンの園においてまかれたこと、つまりアダムとエバが未成年の時期にサタンと堕落することによって貞操を蹂躙したことを、そのまま刈り入れる時期であることを自ら証しするものです。 それでは、これほど重要な生殖器の真の主人とは、だれなのでしょうか? 夫の生殖器は妻のものであり、妻の生殖器の主人は夫なのです。したがって、これを開け閉めするかぎは、絶対に一つでなければなりません。いかなる理由があっても、スペアキーがあってはならず、これを容認してもいけません。このキーを間違って使用すれば、家庭が滅び、国が滅んでしまいます。 人間始祖の堕落によって、サタンは孫を持ったのですが、神様は、直系の孫を持つこともできませんでした。それで、救世主メシヤが必要であり、偽りの父母ゆえに逆さまに打ち込まれたので、真の父母が来なければならず、間違った結婚をしたので、正しい結婚をして復帰するために、メシヤは人類の真の父母として来られなければならないのです。 偽りのオリーブの木は、その幹を切って、真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。 それで、ニコデモがイエス様を訪ねてきたとき、イエス様は、「生まれ変わらなければ、天国に入っていくことはできない。」と言われたのです。 偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を断ち切ってしまい、真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、天国の民にならなけれはなりません。接ぎ木する方法は、家庭、国家も一時に行うことができるのです。 それゆえに、世界平和統一家庭連合は、私の教えを中心として、「国際合同祝福結婚式」を通して、真なる家庭理想を通じた地上、天上天国の実現に努力してきたのです。 疑いの心が生じるならば、祈祷してみてください。私は、命を懸けて祈祷して、この真理を探し出したのです。レバレンド・ムーン以上に霊界と神様のことを知っている人は、いないでしょう。 天の戦法は、打たれて奪ってくるのです。サタンは、先に打って、その後、損害賠償まで差し出すようになっています。 さらには、怨讐までも愛しなさいというのです。そのうえ最後には、サタンまでも愛さなければならないというのです。これは、生きた証しです。ゴルバチョフ大統領(当時)や金日成主席(当時)を訪ねていって会ったことも、このように“怨讐まで愛さなければならない”という神様の真の愛の実践の場だったのです。 迫害は、サタンの所有権をすべて相続させてくれる神様の戦略、方法です。したがって、個人から天宙のレベルまで文総裁に反対しましたが、かえって文総裁は発展してきました。神様をはっきりと知らなければなりません。 人間始祖の堕落によって、悲嘆と嘆息の中にいらっしゃる神様を解放してさしあげるために、あらゆる反対を顧みず、人種と国境を超越して、怨讐間の垣根を崩す「国際合同祝福結婚式」を真の父母の名によって主導してきたのです。 したがって、私は、婚前には絶対純潔、祝福結婚後には絶対貞節を守り、神様の四大属性である絶対、唯一、不変、永遠の性稟に似た真の家庭の理想を成就することを教育してきたのです。 このように、真の愛の相対者としてつくられた男性は、宇宙の半分である天を代身し、女性は地に似ました。したがって、ひとたび祝福結婚をすれば、離婚はできません。今日、五〇パーセントを超える離婚率は、父母と子女の間を裂き、天倫と人倫の基本秩序をことごとく破壊しています。 内外の貴賓の皆様! 男性と女性のうち、神様はどちらをより好まれるでしょうか? 後からつくられた存在であるほど精誠を投入したものなので、より貴いのです。 女性は、神様が心血を注いでつくられた最後の作品です。よく見てみれば、男性と女性では、女性のほうが、よりために生きるように生まれついていますし、ために生きているので、神様の愛の関心は、女性の方により多く向かうのです。 神様は、どこにとどまりたいと思われたでしょうか? アダムとエバが堕落せずに完成して、真の愛を中心として一つになるとき、神様は、そこに臨まれるのです。それで、縦的な永遠の愛の主人が神様であり、横的な愛の主人が夫なのです。 そうして、生命の種は、神様から来て、夫が持っているのです。畑のような立場である女性は、生命の種をもらい、自分の体を犠牲にして栄養素を供給し、愛によって育てて赤ん坊を出産するのです。赤ん坊は、骨と肉など、その九九パーセントは母親から受け継ぎます。 女性の体の構造を見ても、女性自身のためのものは、一つもありません。よく発達した女性の胸とヒップは、女性自身のものですか? 赤ん坊のためのものです。男性にはない子宮も、毎月の生理現象も、すべて赤ん坊のためのものです。 それでは、妻の生殖器は、だれのものでしょうか? 夫のものですか? 自分のものですか? 夫に属しているのです。結局、女性は、夫のために生き、子女のために生きるようになっています。 夫は、このような夫人に対して、家庭で女王の中の女王のようにして侍らなければなりません。妻が乳を飲ませ、赤ん坊を育てるとき、夫は、いつも夫人と赤ん坊のために生きなければなりません。 夫と妻の間に生まれた子女を教育して、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子として育て上げる責任が、夫にはあります。このように夫と妻は、主体と対象の関係です。質的な面では男女は平等ですが、秩序と序列では、生命の種を所有している夫が、主体なのです。夫を絶対主体として、夫人と子女が一心一体となって、真なる家庭を神様に奉献しなければなりません。 内外の貴賓の皆様! 「新千年」の開幕とともに、世界は急速に一つの世界を指向しています。‘One Nation Under God'を超えて、‘One Universe Under God’すなわち、「唯一の神様の下の一つの宇宙」が成されつつあるのです。早くから私が説き明かしてきた“地球村大家族”の世界が、現実となるのです。 しかし、ここに深刻な障害物があるのですが、それは、人種間の差別と宗派間の葛藤、対立です。これは、神様のみ意ではありません。創造主であられる神様は、私たち人間の第一の先祖であられます。 ですから、例えるならば、白人は“北極ぐま人種”のようなものです。北極からスカンディナビアを経て、英国を通って世界へ広がったのです。黄色人種は、アジアで主に農業に従事して地を愛しているので、“ひぐま人種”のようなものです。また、黒人は、熱帯地方の“つきのわぐま人種”のようなものです。 黒人の皮膚の色が黒くなったのは、太陽の光が強い赤道付近で暮らしているからです。各人種のカラーには、優劣は全くありません。ただ環境の影響を受けて、保護色を異にしているだけです。 実際に、人種間の遺伝的差異はほとんどなく、ほぼ同質であるということが知られています。換言すれば、神様の観点から見れば、皮膚の色には何の質的な差異もないのです。 さらに、愛の神様は、“色盲”でいらっしゃいます。神様は、それぞれの人種を皮膚の色が異なるように創造されませんでした。したがって、霊界では白人も黒人もありません。ただ、真の愛のカラーだけが存在するのです。 人類が平和世界を指向していくことにおいて、特に宗教間の葛藤は、より一層深刻な現実です。神様は、教派や宗派をつくられませんでした。宗教自体が、堕落の副産物なのです。教派や宗派の分裂は、サタンが助長するのです。 したがって、霊界には国境間の垣根も、教派間の垣根も、宗派間の垣根もありません。一つの大家族の世界があるだけです。 「ヨハネによる福音書」三章16節の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」というイエス様のみ言は、キリスト教だけでなく、その境界線を飛び越えて、救援の世界性、普遍性、宇宙性を語っているのです。 伝統的にサタンは、いつもさまざまな国境線をっくってきたのであり、神様は、いつも壁を崩してこられました。 摂理の進展にしたがって、すでに天上の霊界では、四大聖賢を中心として、宗派間の垣根が取り払われました。イエス様と釈迦牟尼、マホメットと孔子が、お互いに自由往来して交流しているのです。 このことをよく知っている私は、今回の米国五十州巡回講演を通して、すべての聖職者たちに、教派を超えて一致団結することを強く勧めてきました。 実際に、「米国聖職者指導者連合(ACLC)」を中心として、「連合教会(UFC)」運動を通して、十四万四千教会が、この運動の先頭に立っています。 今後は、家庭を中心としたホームチャーチ(Home Church)形態の教会が、順次、定着していくことでしょう。窮極的には、制度的な教会や寺、モスクはなくなるのです。 一方、私が国連ですでに明らかにしたところである世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が、それぞれ活発に展開しています。「世界平和超宗教超国家連合」が先頭に立って、NGO連合団体であるWANGOを中心として、国連本部から始まって、急激に五大洋六大州に拡散されていきつつあるのです。 内外の貴賓の皆様! 「新千年」の意味は、聖書歴史では七千年、イエス様以後では三千年(となる最後の千年紀)を開く時代です。これは、聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することによって、天上と地上に天国が築かれる成約時代の完成を意味します。 私は、蕩減復帰摂理歴史のすべての条件を勝利的に立て、去る一月十三日「神様王権即位式」を挙行いたしました。これは、人間始祖の堕落によって、“囚れの道”にいらっしゃった天のご父母様を解放してさしあげるという、全摂理歴史の中で最も大きな慶事の日でした。 それでは、今から、この「神様王権即位式」を中心としてお話ししようと思います。 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人々が、国を備えて祝福を受け、一つの血族となり、血統が一つとなった単一民族を成した基台の上で、初めてこのような式を執り行うことができるのです。 「神様王権即位式」のために、今までの数多くの宗教圏の中でキリスト教を中心として、ユダヤ教の第一イスラエルからキリスト教の第二イスラエルを経て、第三イスラエル圏である韓国に至るまで、旧約時代、新約時代、成約時代と越えてきました。 「成約」とは、「すべてのものが祝福を受ける時代」という意味です。神様が創られたすべての被造万物は、人類始祖の堕落によって、祝福圏に立つことができませんでした。 しかし、神様は、救援摂理の道を通じて、キリスト教をはじめとする数多くの宗教を立てられ、それを通して万民を教育することによって段階的に引き上げて、成約時代を迎えるようにされました。 しかし、主流思想ではない系列的な宗教は、その全貌を知ることができません。ですから、ユダヤ教とキリスト教を中心として、神様を人類の父として侍ることのできる道を築いてきたのです。そうして、イエス様が地上へいらっしゃることによって、初めて「独り子」という名前を持つようになりました。 神様が失ってしまわれたこの歴史時代に、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神様の愛を受けることができる血統的内容を中心として、地球星に“独り子”が生まれました。神様の長男が生まれたのです。 しかし、“独り子”は生まれましたが、“独り娘”はいなかったのです。神様は、四千年間の救援歴史を通じて、完成したアダムを再び創造なさったということと同様です。 神様は、アダムに似せてエバを創られました。アダムの相対になることができるように、アダムをつくられた原則、その青写真を土台としてアダムに似せてエバを創られたのです。 聖書を見れば、男性のあばら骨を抜いて女性をつくったと記録されています。それは、どういうことであるかといえば、“骨子を取ってつくった”ということです。それで、完成したアダムは、この地上で失ってしまったものを取り戻すことができる“独り子”なのです。 神様は、直系の真の愛の血統を通して、アダムは取り戻しましたが、エバは取り戻せなかったのです。エバを取り戻そうとすれば、今までの堕落以後の歴史性を、再び家庭から復活させて接ぎ木をして、国をつくらなければなりません。それを準備しておいたものが、ヤコブからのイスラエル民族であり、十二支派です。 選民思想を中心として、ヤコブの十二人の子供が着地して、世界に勝利の版図を拡大させたのが、イエス様が来られる時までの二千年間のイスラエルの国とユダヤ教です。 イスラエルは、外的なカイン型であり、ユダヤ教は内的なアベル型です。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的、肉的父母の責任を全うすることによって、カイン、アベルを収拾することのできる母を選択して待たなければなりません。 母を選択した基台の上でイエス様を迎えていれば、真なる霊肉を合わせた父母を迎えるようになり、霊肉が合わさったイスラエル国とユダヤ教が、カイン、アベルの立場で真の神様の血統と一つになっていたことでしよう。 それで、その一つになった祝福家庭を中心として、氏族を編成し、民族、国家まで編成したものに対しては、だれも否定することはできません。ローマがいくら世界を支配しているといっても、それを凌駕することはできません。外的なものは肉と同じであり、内的なものは骨と同じなので、肉が骨を超えることはできないということです。 もし、そのような立場に立つようになっていたならば、イスラエルの国を中心として万国統一、「神様解放」と「神様即位式」は、二千年前にすべて成し遂げることができたことでしょう。 しかし、イエス様が、エバを復帰して家庭を築くことができなかったことによって、イスラエル民族、選民圏国家の基準まで成し遂げることができるように準備したものが、すべて壊れました。すべて壊れていったのです。 イスラエルが準備した、その基盤がすべて死んだも同然となったので、イスラエルの国はなくなり、七世紀になって、中東からイスラム教が出てきました。 イスラエル民族は、エジプトから帰ってきて、祝福を受けた民族になったにもかかわらず、その中心民族の中からイスラム教が起こってきたのです。モスレムが反対する立場で現れ、怨讐になりました。 アブラハムの息子であるイシマエルとイサクは兄弟ですが、お互いに怨讐となって闘う歴史が展開しました。そうして、エルサレムを中心として、十字軍とモスレムが闘って、イスラエルを奪われてしまったのです。 それで、奪われたイスラエルを再び取り戻してこなければなりません。しかし、闘いによって奪って取り戻してはいけません。 イエス様の時代に国家的基準のカインとアベル、右翼と左翼の立場で平和の基準をつくったとすれば、カイン、アベルの闘争歴史は、霊界でも地上でもすべて解決したのです。 しかし、国家形態の基準を準備したイスラエルが“亡国の種”となることによって、「再臨」という名詞が登場するようになったのです。 第二イスラエル圏を中心として、ローマ圏を支配することができ、超えることができる世界版図圏が、キリスト教です。イエス様の体を失ってしまったがゆえに、第二次大戦を通して連合国と枢軸国が闘い、連合軍が勝つことによって、霊界を代表する基準においてキリスト教文化圏が世界を統一するようになりました。 そうして、キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代を迎えて、怨讐世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が、天の側の世界に帰属するようになりました。 この基盤を中心として、カトリックとプロテスタントが、聖霊である真のお母様を中心として一つになった位置に立って、キリスト教文化圏を代表した立場で来られる、真のお父様である再臨主を迎えていたならば、どうなっていたでしょうか? そうすれば、そのときから統一天下の運勢を受けて、一九四五年以後、三年半ないし七年間、一九五二年までに統一天下を成し遂げて、そのときに神様の「王権即位式」が終わっていなければなりませんでした。 しかし、キリスト教は、統一教会(再臨主)を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、棍棒を持って追い出そうとしています。 なぜでしょうか? ユダヤ教がキリスト教に対して棍棒を持って、最後まで反対しながら滅びるしかない立場に向かったことと同じです。今、キリスト教が統一教会に反対しながら、全く同じ道を進んでいます。宗教圏は、すべて同じです。キリスト教が、神様のみ旨をすべて成し遂げてさしあげることができないまま、仏教と儒教、イスラム教なども同様に困難な道を行っているのです。 その結果、家庭から社会、国家、世界等、どこもすべて地獄のようになってしまいました。神様の願われた真の愛の理想圏は、地球星では捜し出すことができない結果になりました。 米国のような大きい国にも、神様が訪ねていくことのできる心と体が一つになった真の息子と娘、神様が願われる堕落していない本然の基準において、夫婦が、そして心と体が一つになった真の家庭はありません。父母と息子、娘が闘わない家庭はないのです。個人主義化してしまったこの世は、すべてばらばらになるのです。 そのような転換の時期に、東洋と西洋で文化背景が異なるわけですから、メシヤの代理的責任を持って、世界人類を東西、四方でそれぞれ収拾してきた宗教形態が、正に仏教や儒教、イスラム教、キリスト教なのです。 それでは、再臨主はだれなのかといえは、真の父母です。真の父母は、何を持ってくるのでしょうか? 真の愛と真の血統を持ってくるのです。偽りの父母は何かといえば、偽りの愛と偽りの血統を連結してきたのです。 堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとするならば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。 「父母」や「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結することなくしては、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。 そのために、成約時代の真のご父母様を通した祝福による真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗の蕩減復帰を可能にするものです。 真正なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木して、それがたとえ偽りのオリーブの木の畑であっても、真のオリーブの木の血統において、真の愛を中心として一心、一体、一念となって、偽りのオリーブの畑の生死圏を超えていかなければなりません。 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界の生死圏、どのような犠牲があっても越えていくという、そのような心情を持った人は、サタンが関与することはできません。国家基準を超えて、それ以上の基準に立つようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことができないのです。 イエス様も、もし結婚していたのならば、亡くなられることはありませんでした。殺すことはできません。これは、相対理想の直接主管圏に連結されうるからです。 原理でいえば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入るのです。直接主管圏は、神様の血統が連結されているので、サタンが断ち切る術はありません。 その過程において、心情一致することができる、その立場になることができなかったために、また、そこで堕落したので問題が生じたのであって、アダムとエバが夫婦になって、真の愛で愛し合ってさえいたならば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが奪っていくことはできません。 しかし、この過程で実が熟しませんでした。実が熟さなければ、いくら実を地に植えようとしても、種は生じません。 それで、永遠の生命が存在しないので、“死んだ生命”のようなものを処置する所が地獄です。それは、神様とは関係ないのです。 父子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、ただそのままでは連結されません。独りでは、血統は連結されることができません。男性独りの血が連結されただけでは成されないのです。男性と女性の血統が一つにならなければなりません。 宇宙の根本のしくみは、性相と形状の血統が一つになったその立場で、つまりお互いにとって好ましい立場で、性相となる心が喜べば、形状である体も共に喜ぶことができる立場で、人間を創造したというのです。 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダムとエバを創造した、その実体的対象を繁殖して東西、四方、世界いっぱいに満たして、天国の民を繁殖することのできる数多くの分工場を拡張するのです。 そのようにすることによって、天の民を満たして、霊界にいる神様と地上の実体の父母が、地上で暮らしながら、共にそれを生産するうえで協力するのです。そして、霊界において永遠に暮らすことのできる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、地上、天上理想天国を完成するというのです。 それゆえに、神様とサタンまでも和解して、ユダヤ教と来られる主、それから周囲にある宗教と和解させるのです。イエス様が来られて、家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえ備えられれば、そのときにすべて終わるのです。 しかし、それが終わらなかったために、世界の頂上で、第二次大戦以後に世界国家である米国(米国は世界の第二次的なイスラエル国)が、第三次地上、天上の主権と覇権の主人として来られた真のご父母様に出会い、地上統一、天上統一の基盤を造成したとするならば、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圏、地上、天上天国の解放に連結されたのです。 それが四十年間巡り、今日まで五十六年の歳月が過ぎました。そして、この時代に「神様王権即位式」をすることができたということは、夢のような話です。 だれが、神様の「王権即位式」をしてさしあげるのでしょうか? 最初に、だれが神様の「王権即位式」を台なしにしたのですか? サタンとアダムが台なしにしたのです。 アダムとエバが真の父母になることができなかったためにサタンが入ってきたのであり、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができなかったのです。 堕落によってサタンの血統を残してきたので、これをすべて否定して、引っ繰り返さなければならないのですが、それは神様もできず、サタンもできません。 サタンが今までつくっておいた自分の国を、サタン自らが壊してしまうことは難しいのです。だれであっても、自分がつくったものを改造することは嫌います。サタンも同じです。 また、それを神様が引っ繰り返すこともできません。神様が引っ繰り返すことができるのならば、エデンの園で、アダム家庭を失ってしまうこともなかったことでしょう。 いずれにせよ、理論的にも神様が手を着けることができないということは間違いないので、神様が手を着けることができないことに手を着けることができる人物とはだれかといえば、それは、完成したアダムです。本然の愛の家庭を持つことができる家庭は、アダム家庭以外にはありません。 中心が問題です、中心! 復帰も、中心がなくて完結できるでしょうか? それでは、祝福家庭の中心とは、何ですか? 祝福を、だれがしてあげるのでしょうか? 真の父母がしてあげるのです。結婚式を、だれがしてあげるのですか? 自分の子供に対して、血統を合わせて父母に似るようにしてあげる、その結婚式をだれがしてあげるのでしょうか? 堕落しなかったならば、だれが、してあげたのでしょうか? 真の父母がしてあげるのです。 堕落は、天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。それは、横向きにはしごを架けて、上がっていこうと考えるようなものです。 昨年の十月十四日、聖人と先生の息子、娘、祝福を受けた家庭が一つになり、霊肉界の宗教圏統一式をしてあげました。そこで語ったことは何かというと、「真のご父母様は家庭の王である」ということです。 今まで、家庭の王、天地を代表した中心位置に立った家庭の王がいましたか? 家庭の王になろうとするならば、すべてのものの中心にならなければなりません。“父母の中の父母”にならなければなりません。その次に“長子の中の長子”にならなければなりません。長子の王が、先に家庭を持つのです。 結婚するのに、“逆婚”というものがあるではないですか? 結婚は、引っ繰り返してすることはできません。順次的にしなければなりません。最近では、逆さまにも行って大騒ぎです。また、それは復帰という内容と呼吸が合うので、こちらにも合わせ、あちらにも合わせて、逆にしても通じるというのです。 しかし、本来は、長子、次子と、生まれた順番どおりに結婚しなければいけません。 しかし、そのように渾沌となっているので、最近では親族相〇関係が現れています。姦淫するということです。おじいさんが孫娘と暮らし、おじいさんが嫁と暮らしています。親族相〇関係が生じたのです。人々は、中心が分からずに回っているので、お互いに一緒に暮らしてみるのです。 このようなことをする大混乱の時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、自分の系列を把握することができないほどになっており、一度なのか、ゼロ度なのか、三百六十度なのか、百八十度なのかも分からないほどになっているので、ゼロ度でも三百六十度でも百八十度でも、お互いに回りながら合わせてみるのです。 それゆえに、民族を移動して世界が混淫する事件まで展開するのです。最近では、外交官というような人々が外国に行けば、その国にどれほど旗ざおを差して帰ってくるのかという、どれほど女性と相〇関係を結んでくるのかという混淫時代の局面になりました。 このようになったものを、だれが収拾するのでしょうか? 神様も、エデンの園でアダムとエバが堕落することに干渉することができず、サタンが結婚することも干渉することができなかったのですから、終わりの日に干渉する道理があるでしょうか? 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生じたので、真の父母が来て、これをもう一度蕩減復帰して、これを否定して引っ繰り返さなければなりません。 したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている者が、死ぬような境地に立ったとしても、蕩減されるときまで生き続けることのできる余力があってこそ、初めて生きるというのです。 死ぬことを悲しみ、“死から逃げたい”と思う人には、永遠に復活権がありません。それゆえに聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ。」というようなことが書かれているのです。 ですから、神様も同じであり、真の父母も同じなのですが、天国に行こうとする者は、どうでしょうか? 気が狂うほどでしょう。神様も、生きんとする人間の一つの生命、一つの生命を生かそうとするためには、その反対に、死ぬ境地に行くまでは、生かしてあげることができるように支えることはできません。 断崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げなければなりません。そのような生死の基準を超えてこそ、人も生き、神様も生きるのです。 メシヤ、あるいは救世主という人は、神様よりも、もっと苦労しなければなりません。神様は楽にしてさしあげ、食べさせてさしあげたとしても、自分は、死ぬほどの苦労をしようとしなければなりません。 西洋人は、「自由、自由、自由!」と言っているでしょう? どんなに西洋の教育制度が良くなったとしても、皆さんには堕落圏内の自由の概念しかありません。 家庭観、社会観、国家観、世界観、宗教観、神様の摂理観のようなものがありますか? アジアの教育と西洋の教育は、百八十度違います。家庭観も違います。 ですから、西洋の制度は、終わりの日に混乱するようになるのです。個人主義の観点では、そのようなことを知ることはできません。氏族、民族、国家、世界、天宙の概念がないではないですか? どのようにして、それを悟らせるのでしょうか? 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成し、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階にまで上がってきました。 それでは、どのようにして、それを成すのでしょうか? 心と体を統一することから始めるのです。 絶対的に心と体が一つとなった位置から家庭、国家、世界、神様まで出ていくのです。西洋の人たちは、どんなにその位置まで出ていきたくても出ていくことはできません。なぜでしょうか? それは、個人主義の概念を持っているからです。 個人主義の概念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置に連結されるのです。 皆さんは、ここに見物に来たのですか、文総裁のみ言を聞いて、困難な峠を踏み越えていくために来たのですか? それが問題です。そこには、個人主義的概念はありえません。 ハーバード大学を出た、エール大学やオックスフォード大学を出たといっても問題は同じです。むしろ労働者や無学な人たちのほうが、ましです。フリーセックスを好む群れは、だれですか? 白人ですか、だれですか? 黒人がこれを好むとすれば、それは白人から学んだのでしょう? このように考えなければなりません。フリーセックス、ホモ、レズビアン、そのようなものは、間違いなく麻薬中毒とエイズにかかるようになります。 麻薬とエイズのために(人類が)全滅するようになっています。アフリカでは、非常に多くの人々がエイズにかかっています。十五年から二十年以内に滅びると思うのです。エイズウイルスの潜伏期間は、八年から十二年です。ですから、二代ですべて滅びかねません。 国連を中心として見るとき、NGO(非政府組織)も多くの問題点を抱えています。その人たちに、「最も難しいことをしなさい。」と言えば、それをする人がいるでしょうか? NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、あれこれと指摘しますが、私のように、国連の役割や共産主義と人本主義を料理する問題など、そのようなことを指摘するでしょうか? 彼らにとっては、あまりにも次元が高く、聞いてもぼう然とするだけです。 そのような高い次元の内容を知っていてこそ、初めて反対することもできるのであって、知らないのですから反対することはできません。彼らは、「正しいことは正しい。」と言うのです。 青少年の淪落と家庭破綻、エイズ問題、特に純潔な“血”をどのように残すのかという問題を、彼らは知りません。それに対する解決方法は、大統領や国連事務総長など、だれにも分かりません。彼らは「これは、うそなのか、本当なのか?」と言うのです。 今から「神様王権即位式」以後に、することのできる条件をはっきりと教えてあげます。今までの問題は何かといえば、血統が問題です。「血統」は、英語で何と言いますか? ブラッドリネージ(‘Blood Lineage’)です! これが最も重要です。自分の国の王が重要なのではありません。父母も必要ありません。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。 今、この世界には数多くの国がありますが、神様に属するものは一つもありません。サタンに属しているのです。今からは、ほかに術はありません。神様に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。 そして、アメリカのような自由世界、民主世界は、ユニオン(‘Union'労働組合)ゆえに多くの問題を抱えています。しかし、ユニオンは問題がないというのです。労働者、農民のユニオンがあるのと同じように、株主のユニオンをつくるのです。 「労働者ユニオンと株主ユニオンの二つが一つになって、私たちの家族をきちんと食べさせて養わなければならないので、今年は、昨年の生産量を超えなければならない。だから、労働者ユニオンと株主ユニオンが一つになって競争しよう。そうして、利益が出れば、約三年聞は主人に渡さずに、自分たちで分けるようにしよう。そして、労働者ユニオンが一所懸命にすれば、その分の何パーセントをより多く与えて、株主ユニオンが一所懸命にすれば、その分多く与えよう。」と、このようにします。このようにすれば、闘争が生じるでしょうか? 西洋社会で、このような考えをする人がいないのです。 それができないときには、「宗教連合の世界組織よ、集まりなさい。全世界の祝福家庭は、集まりなさい。今から宗教ユニオンをつくろう。」というのです。 そのように、「宗教ユニオンをつくりなさい。」と言えば、つくりますか、つくりませんか? それで、ユニオンについても「退け。」と言えば、共産党は退くのです。 ロシアにユニオンがありますか? ありません。中国にユニオンがありますか? ありません。北朝鮮にユニオンがありますか? ありません。 それでは、先進国になぜユニオンができたのか、その動機はどこにあるのでしょうか? それらの国々を滅ぼすために、ロシアが外交政策でそのようにしたのです。それは、「仕事をせずに、血を吸い取りなさい。」ということです。 ですから、文総裁の言うとおりにすれば、ユニオンが持っている問題点を解決することができます。 今からは、どのように思おうと、好きでも嫌いでも、東洋人でも西洋人でも黒人でも、人として生まれた人は、神様のみ旨と文総裁の教えを聞かなければ、困るようになるのです。 ですから、初めから困難な立場に立つのではなく、きょうから新しく決心しなさい、というのです。一度決心すれば、いくら難しい迫害があっても変わってはなりません。今からは、確信を持たなければなりません。 今日、この新千年時代にすべきことが何であるのかというと、今まで神様も解放されず、真の父母も解放されなかったのですが、今や解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけないというのです。監獄に入ったとしても、恐れてはいけません。 自分が、天国に早く行ってみたいと思っているのですから、若くして行くことができるのならば、どれほど良いでしょうか? それが、損になるでしょうか? 天上天下、全宇宙が、自分の手の中に入って、自らが主人になれるというのに、どうして否定するのですか? 死のうが生きようが、心配することはありません。そのようになっていなければなりません。 今日、「神様王権即位式」をすることによって、国が変わりました。今や、み旨の道のために心配しなければなりません。神様は、み旨の先頭にお立ちになることができず、今まで恨を抱いておられます。ご自分が“したい”と思うとおりにできない怨恨が染みついています。 ですから、神様がなさりたいと思われるとおりにできるように、後援部隊になりなさいというのです。 「神様。なぜ、このようになさるのですか? きょう、夜明けに忙しいことがあって、私よりも早く降りていかれるのならば、私を起こして連れて行ってくださらなければならないではないですか? 今までは、目覚めさせるために神様が働かれましたが、今からは、変わる時ではないでしょうか? お父様は、息子よりもりっぱでいらっしゃるのに、息子、娘よりもっと苦労なさって、何とかここまでたどりついて、『神様王権即位式』までされたのですが、その『神様王権即位式』の権限を中心として、一声の号令で、天下がするするっと巻き込まれて落ちていくはずなのに、なぜ、お出ましになられないのですか? 私がご案内します。」と、このように言うのです。お出ましになられなくても、案内くらいならできるでしょう? 今からは、時が変わったのです。 皆さんは、どのように個人完成をするのか知っていますね? 個人の心と体が、一つになるということを知っているでしょう? 堕落するときに、サタンの血統を受け継いだ体が、つまり堕落するときの愛が、堕落していないときの、愛を知らない良心の力よりも強かったというのです。これが問題です。どのようなことがあっても、体が願うとおりにしてはいけません。 これから守らなければならない鉄則は何かというと、第一に、死んでも血統を汚してはいけないということです。 第二に、人事処置を誤って、人権を蹂躙してはいけないということです。男性でも女性でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり、蹂躙してはいけないということです。 責任者たちは、自分の心にそぐわないからといって、むやみに人事処置をしてはいけません。心にそぐわないからといって、いいかげんにすることはできません。 人権を正しく指導することにおいては、真の愛、ために生きる愛を持って暮らす人が主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想をばらばらにしてしまうことは、赦すことができません。罪の中で二番目の罪です。 第三に、公金を盗んではならない、公金を自分勝手に使ってはならないということです。以上の三つです。 監獄に入る人の七〇パーセント以上が、この問題で、そこにいるのです。監獄に入っていってみれば、そうです。人権を蹂躙して、血統を汚して、男女問題に引っかかっています。 それから金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐であったのです。 これから祝福を受けた血統は、神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだものなのですから、堕落世界に染まった、今までの習慣的な行動によって汚してはいけません。それを守ることができますか? 夫婦になったとしても、配偶者がいなければ、独りでもよいので、“完全な血統を汚さない”と決心し、そのように誓う、この日にならなければなりません。 きょうの記念の日を忘れてはいけません。夫婦げんかをしても、「正月十三日、十三数!」と言えば、収まらなければなりません。 西洋では、「十三」といえば、最も悪い数です。しかし、それは、十二か月の中での“中央数”なのです。中央に十二か月が入って、天地の道理が循環しなければならないのに、これがないので、すべてが混乱して逆理的混乱世界になっています。これを正そうというのが、天の願われるところなのです。 ですから、これを知ったあとは、“たとえ千回、死ぬようなことがあっても守らなければならない。”と、鉄石のような決意をする、この時間にしなければなりません。 天国の憲法第一条とは何かといえば、「血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさい」ということです。 第二条は、「人権を蹂躙してはならない!」 第三条は、「公金を略取してはならない!」 きょう、この記念日に天国の王権を維持して、皆さんが王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、これが絶対に必要です。 ですから、お兄さんを無視することはできません。また、例えば弟が体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。この世の中では、すべて無視するでしょう? 大学を出た人は、知識があるからといって、高等学校を出た人も無視してしまいます。そのようにすれば、人権蹂躙になります。 公的な環境を破壊させることは、国家財産の略取と同じように恐ろしいことです。そのように暮らす人は、いくらうまくやろうとしても、できません。そのように暮らしてみてください。いくら神様に祈祷しても、うまく伝道することができないのです。門の前に人が来ても、背を向けて帰ってしまいます。 負債を負う人は、天下がすべて嫌います。金氏一族ならば金氏一族の中で、一族を代表して問題を起こし、負債を負うことを喜ぶ人が、どこにいるでしょうか? 後には、行く道まで行き詰まり、逆にくぎで刺されてしまうというのです。そのような時が来ます。 この三つのことに対して分かりましたね? この三つを一度指を折って数えてみてください。一人ひとり、内心で決心したことを、一つ、二つ、三つ、一つ、二つ、三つと、何度も繰り返してみてください。 純潔、人権、国家財産の略取禁止。このような問題に対して、はっきりと理解して習慣化しなければなりません。口さえ開けば、目覚めさえすれば、そのような言葉が出てくるようでなければ行動できないのです。 そこに付け加えるとすれば、私は、一生の間、つまらない人や、ありとあらゆる人をすべて連れて生きてきたのですから、そこに何らかのいろいろな事情がありえないでしょうか? 皆さんが生きていくにおいても、何らかの事情がありませんか? そのとき、そのような多くの事情があるはずですが、それでも、そのような法に引っかからないようにと努力すれば、そのもろもろの事情にすべて打ち勝った人になるはずです。ですから、文総裁が言うまでもなく、天国に入るようになることでしょう。 それでは、どのようにしなければなりませんか? どのように暮らしますか? 幸せに暮らさなければならないでしょう? 独りで暮らしていることを“幸せに暮らす”と言いますか? 共に暮らす、幸せに暮らすということには、どのようなことが含まれているのでしょうか? 神様の公式、法度によって立てられた中で、どのような環境で、どのような人たちとともに暮らせば、“幸せに暮らしている”と言えるのか、ということです。簡単です。それも三つです。 父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は、夫婦の前では子女になります。子女関係は、兄弟関係であるのです。自分の家庭を中心として、父母がいて、それから夫婦がいれば、息子、娘がいます。 したがって、父母の前で、自分にとっては兄弟関係と同じ親戚の八親等、四親等以上が、すべて連結されて入ってくるのです。それで、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自動的に生じるのです。 子女関係を兄弟関係と言っても、かまいません。彼らと一つになって、幸せに暮らさなければなりません。そのためには、幸せに暮らすことができるように指導しなければなりません。お互いが手本になってこそ、それが幸せに暮らしているということなのです。 手本になっていなければ、間違って暮らしているということです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば、幸せに暮らせるようになるのです。 そのように幸せに暮らせば、どうなるでしょうか? 家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じるのです。天国の王がいて、地上の王がいるならば、その王たちが幸せに暮らしている家庭を訪問する日が来ます。毎年、年初めに、その国で最も幸せに暮らしている家庭を訪問し、表彰する時が来るというのです。 そのように生きた祖父から始まって父母、夫婦の三代が四位基合理想を備えることができた、そのような家庭に賞を与えるのです。 そのような家庭が、その国にあれば、先に賞をもらった家庭が、後代に賞を与えることができる責任者となり、国王を代身した国の中心となり、大統領に代わって賞を与える時が来ます。 これも三つです。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば、兄弟関係と言ってもよいのです。兄弟関係というのは、兄弟が一つになることによって、それを子女たちが見て、まねていくのです。 それゆえに、兄弟関係も子女関係も、共同責任の下で和解して影響を及ぼしながら、主体的な位置に立つために生きた人になれば、天国のだれであろうとも自分を締め出すことはできません。 今から、逆賊に追い込まれて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天国の皇族圏になって、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。きょう、このことを肝に銘じてくださることを願います。 これを標語として定めるのです。三〇〇〇年(に向けて)の標語の中で、純潔血統、人権平準化、そして国家公的財産の略取禁止。それから父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうということです。 町内がすべて、「あの人について行くべきだ。」と言い「あの人のようになりたい、共に暮らしたい。」と言えば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶されうる人になります。文総裁自身も、そのように生きています。 きょう、神様の「王権即位式」で宣布した最も重要な三大鉄則をお話ししました。それは、私たち人間が、公人として必ず守るべき、家庭に入っても、国に人っても絶対に引っかからないようにするための指針です。きょうこの日に、正に記憶するに値する内容であるということを肝に銘じてくださって、生涯の標的にしてくださることを願います。 成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。ぜひ霊界を一所懸命に研究して、神様を中心とした祝福を受けて真の血統の家庭を成し、ために生きる生活を通して永生の準備をするように願います。 今、人々は、有限な人間の能力とは比較にもならない天運のみ手を感知しようと努力しなければなりません。 生きておられる神様の御前にあって、真に柔和謙遜な姿勢で、天の真なる血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が、幸福な天国人なのです。 神様の王権時代を迎えて、神様の主権を輝かせ、超国家的に心情文化世界を創建するうえで、共に同役者となられることを願います。神様の祝福が、いつも共にありますように。どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.10
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「米国五十州巡回講演」祝勝会における御言2001年4月18日 ニューヨーク州 イーストガーデン 真のご父母様による「米国五十州巡回講演」(二月二十五日~四月十七日)の祝勝会で語られたもの。 この場は、何をする場ですか? (「勝利の祝賀です。」)だれが勝利したのですか? (「お父様がされました。」)勝利したというよりも、もっと大きな責任を負っているということを知らなければなりません。祝賀していくと、どんどん上がっていくので、自分が立っていた位置を忘れやすいのです。そのことを警告します。 人が失敗するとき、その動機は、いつもどこにあるのでしょうか? 迫害を受けているときには、失敗の道はありません。下がっていくからです。失敗の動機は、上がっていったときに、下がっていく立場を忘れることによって生じ、そのようなときに失敗するのです。分かりますか? 自らの立場を守らなければならないということが、この全体会議の結論にならなければなりません。祝福してもよく、興奮してもよいのですが、その興奮の程度が、自分が立っている位置を……。 上がっていって、その立場に下りてくることができなくなれば、飛んでいってしまうのです。分かりますか? 今ではもう、先生が、アメリカに対して越えるべき峠は、すべて越えたと思います。わたしが果たすべき責任は、すべて果たしたと思うのです。 なぜ、そのように思うのかというと、神様の「(王権)即位式」を終え、今までにアメリカの指導者層、さらには宗教界の指導者層と国家の指導者層に対する教育を、すべて終えたからです。今回の大会だけでなく、すでに、その前にすべてを終えました。 それで、これをすべて刈り取らなければならないという意味で、五十州の巡回大行進を始めたのです。背後で、天がどれほど苦労されたのかということを……。 統一教会の教会員も苦労したと思いますが、それは、制限された環境内での働きでした。しかし、霊界のそれは、限界線を超えた働きだったのです。そこでは、国境を超越して働いたということを知らなければなりません。 ここでは、アメリカを中心として、制限された何か国かが協力して行いましたが、霊界では、数百、数千の民族、あるいは国境が異なる人々が集まって、統一教会を協助したということを忘れてはなりません。分かりますか? それゆえに、わたしたちは、霊界に行った世界のすべての国と民の前に、いまだに責任を果たすことができていないのです。彼らに負債を負ったということを思うとき、その負債を返済しなければならない責任があるということを知って、新たに覚醒しなければなりません。分かりますか? (「はい。」) さらには、国家メシヤや、統一教会のすべての宣教師、あるいは外国から来た宣教師たちが、大きなみ旨を抱いて開拓の先頭に立って動きましたが、それらのことは、すべてある一時に起きたことではありません。数千年の歴史を通して、この一時において、どのようにして限界線を引くのかという歴史的期待が、どれほど長く、遠く、どれほどうんざりするような時日を経てきたのかという事実を……。 それを解決できる焦点に立って、完全に解決したのかといえば、それは、今から始まるのです。分かりますか? 今からが始まりなのです。 今まで、統一教会は、国家的限界線を超えることができず、世界的限界線を超えることができなかったという事実を、先生はよく知っています。分かりますか? 人間が堕落してから今に至るまでの救援摂理歴史というものは、六千年ではありません。何千万年です。そのことを知らなければなりません。その期間、失ってしまったアダム家庭一つを取り戻すために、神様はお独りで……。そのことを、だれも知りませんでした。 サタンは、反対一色でこれを破壊するのです。全面的に破壊し、足を折り、精神を麻痺させ、体までも麻痺させました。それを、何人間というのですか? (「『植物人間』です。」)植物人間のような立場にしてしまったのです。 今の時代は、“このままほうっておけば、神様でも是正することはできない”というほど、放棄せざるをえない状態に差しかかっています。それでは、そのような時代において、今日、統一教会は、これをどのようにすべきでしょうか? “真の父母”として来たのであれば、偽りの父母から血肉を受け継ぐことによって、亡国の環境となってしまったサタン世界の霊界と肉界を、どのように修理するのかということです。 それは、修理すべき責任を持った“真の父母”という人が来て、神様のように数千年間かけて役事するのではありません。アダムが一代で完成することができなかったので、一代で解決しなければなりません。 ですから、それは、どれほど途方もないことでしょか? それは、皆さんには分かりません。摂理をよく知り、み旨に対する代表として立った先生は、そのことをよく知っているのです。それは、話したくありません。話したくないのです。それは、わたしよりもかわいそうなかたが神様であられる、ということを知っているからです。 不孝息子が、自らの立つ場を見いだせないほどに恥ずかしい歴史である、ということをよく知っているので、話すことができないのです。分かりますか? そして、このすべてのことを、宗教圏を中心として、ユダヤ教を中心として、キリスト教を通して、一時にこれが……。第二次大戦直後、そうではなかったでしょうか? イエス様は、地上で体を失ってしまったのです。体は死にました。キリスト教の重要な責任者たちは、すべてこの地上で犠牲になりました。体の立つ場がない、そのような道を経ながら、霊界に行って霊的世界を収拾し、キリスト教文化圏が勝利することができる日を地上に準備するために、歴史路程において、どれほど苦労してきたのかというのです。 アメリカならアメリカとしての権威を立てたということも、当然、アメリカ国民よりも天が、そのような基盤を築いてくださったのであり、そしてついに、第二次大戦以後、分かれていたものを合わせるための摂理的み旨が訪れてきたのです。 しかし、そうであるにもかかわらず、それが分からなかったのです。旧教と新教の原理を知らなければ、それは分かりません。カインとアベルが一つにならなければ、母親が立つ場がありません。聖霊が活動することができないのです。 このようなことを考えるとき、旧教と新教が、来られる再臨主を、どのように来るものと……。「再臨主は、肉身を持って来られる」という一言だけでもあれば、このようにはなりませんでした。 ですから、過去の摂理時代において、地上に生を受けては死んでいった、天の代表である責任者たちが、どれほど慎重な立場にいたのかというのです。そのことを知らなかったので、それを提示し、発表することができなかったという事実が、悲痛なことなのです。 それを先生の時代において、霊的基準の一方通行路において下したすべての結論を、肉的基準の一方通行路に打ち込まなければなりません。しかし、それをだれも歓迎することはできません。 過去においては、キリスト教自体も知らなかったので、当然、歓迎することができないのです。旧教と新教が一つにならなければならないということを、夢にでも考えたでしょうか? しかし、旧教と新教が分かれて闘いが展開し、数多くの宗教が闘い、数多くの教派が闘いを展開する、このような局面において、これを収拾しなければなりません。 ですから、キリスト教を代表するカインとアベルが反対して、このことを逆さまに打ち込んだので、それを正すためには、キリスト教圏を放棄することはできません。いくら他の宗教が歓迎したとしても、キリスト教圏を放棄することはできません。 それゆえに、わたしたちが原理のみ言を中心として見てみるとき、本来は、キリスト教の名前を使う必要はありません。事実、世界基督教統一神霊協会は必要ないのです。 わたしたちがロシアに入っていき、中国に入っていくとき、神様を抜きにして運動することもできるのです。世界基督教統一神霊協会をなくしてしまって、「家庭連合」という言葉を使うこともできるのです。 しかし、第一次、第二次イスラエルが失敗した基盤の上には、旧約、新約が失敗した上には、成約を成立させることができません。それは、必然的な運命です。今もそうです。 わたしは、「イスラエル民族が無慈悲にイエス様を十字架で殺したので、滅んだ。」と言いました。滅んだので、今から生き返らなければならず、生き返るようになっているのです。 そして、ユダヤ教がイエス様を殺したので、ユダヤ教が、キリスト教以上にイエス様に侍ることができる環境をつくってあげなければなりません。イエス様が堕落していない基準を、だれがつくってあげるのでしょうか? イエス様自身では、できないのです。 イエス様は、家庭を持つことができず、国を持つことができませんでした。イエス様を殺すことによって、四千年間の国の基盤を、すべて失ってしまったのではないでしょうか? 国においても殺され、ローマに行っても犠牲になりました。そうではないですか? そのように、完全に国の基盤を失ってしまったイエス様でした。 そのみ旨を完成するために、再臨時代においては、第一次アダム時代、第二次アダム時代に失敗したことを、すべて乗り越えなければなりません。家庭的基準で失敗したことを国家的基準で勝利することによって、家庭を乗り越えることができ、吸収することができるようになるのです。 それで、再臨時代を中心として見れば、第二イスラエル圏と第一イスラエル圏が失敗したことを、来られた再臨主が第二イスラエル圏において復帰しなければ、本然の道を訪ねていくことはできません。 土砂崩れによって崩れた山が、高速道路をふさいでいれば、それを片付けてしまわなければなりません。元の姿に返っていくということは、簡単なことではないのです。そのことが、どれほど大変でしょうか? 神様は、帰ることができる道よりも、帰ることができる中心を取り戻すために苦労されましたが、今日の再臨時代においては、帰ることができる道を収拾しなければなりません。 そして、今まで“来られる主”として、果たすべき責任遂行を完結すると同時に、曲がった道を整備して、帰ることができる道までも取り戻さなければならないのです。その使命を成したのが、先生の立場でした。 しかし、キリスト教が先生と一つになることができませんでした。アメリカ自体が、反対したのです。英・米・仏、エバ国家、長子国家、天使長国家が一体となった勝利基盤を中心として、霊界と肉界を統一することができる地上基盤が完全に訪れたにもかかわらず、彼らが反対するとき、ぼう然としてしまうというのです。 そのときは、独立運動のために四か国に出ていった韓国の愛国者たちが集まり、自分たちを中心とした国権を立てようとしたのですが、キリスト教は、“キリスト教を中心として、連合した国権を立てよう”とは考えなかったのです。完全放棄です。 大韓民国が重要なのではありません。大韓民国を中心として、天の国を立てようという関心はなく、自分たちがいた所で、ロシアならロシアを担ぎ出し、中共なら中共を担ぎ出し、アメリカならアメリカを担ぎ出し、日本なら日本を担ぎ出して、神様のみ旨とは関係のない外的問題を中心として、キリスト教が踊り始めたのです。このように、いつも外的なことが問題なのです。 内的問題に定着して収拾していかなければならない先生の立場では、全世界的に旧教と新教が反対し、キリスト教全体が四分五裂したので、バランスを取ることができずに、立つことができませんでした。そして、み旨の基盤を築こうとしたすべてのものが破壊されたのです。 一番の問題が何かというと、梨花女子大学事件です。これは、六大宗団を総合した所です。延世大学と梨花女子大学は、若い二世です。国が倒れたとしても、二世を中心として、大学基盤を連結して基盤を築いていたならば、キリスト教文化圏にいる人を先生が収拾することは、問題ありませんでした。 ところが、政府と朴パクマリアが一つになり、さらに三大女性が一つになったのです。フランチェスカ(当時、李承晩大統領夫人)、朴マリア、金キム活フアル蘭、この三人が一つになったのは、歴史的です。そして、築いておいた基盤がすべて崩れて、追い出される立場に立つようになったのです。 このような歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません。 アダム家庭が、一代で勝利できなかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのですから、それが、どれほど途方もないことであるかということを考えてみてください。だからといって、(助けを求めて)手を出す所は、四方を見回してみても、どこにもありません。神様しかいらっしゃいません。 その神様も、わたしが神様のことを同情したのであって、神様がわたしを協助してくださるようにはなっていません。協助できないようになっているのです。協助すれば、サタンが黙っているでしょうか? キリスト教の基盤を中心として、イスラエルのユダヤ教とキリスト教が責任を果たすことができずに、基盤を失ってしまったので、神様がお独りで、レバレンド・ムーンが独りで立たなければなりません。その立場で四十年間です。お母様を中心として四十年です。 アダム家庭の一代において、理想的夫婦として立つことができずに堕落した夫婦となって世界を滅ぼし、それ以降、四千年の歴史を経て、また再臨の時まで引き続いてきたものを、その四十年間で先生夫婦が……。 お母様が、原理を知っているでしょうか? 原理を知らないのです。何も知らないのです。それを教育しながら引っ張ってきて、先生は、夫の役割も果たさなければならず、家長の役割も果たさなければならず、氏族長の役割も果たし、宗教圏の代表、天の全権を中心とした代表責任者の役割も果たさなければなりませんでした。そのような立場として立っているというとき、どれほど深刻か分かりません。 荷物があるとすれば、宇宙のすべての存在世界が肩にのしかかり、自分が水の中に落ちたような気分です。そのような立場を経てきたということを、皆さんは知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) アダム家庭からノア時代、アブラハム時代、モーセ時代、イエス時代、そしてキリスト教の二千年歴史を経て、流れていたすべての主流思想を、銃弾が撃ち込まれるように自らの一身で受け止めなければなりません。 そのように、レバレンド・ムーンに対して世界的に反対するのです。サタン側で攻撃しなかったという歴史時代があってはならないので、すべての民族、国家が動員されて、レバレンド・ムーンに石を投げなければならないのです。サタン世界が、そうではないでしょうか? キリスト教自体がそのようになり、サタンが入り込んできたので、そこには“赦し”というものがありません。越えていくべき道があり、川があり、大海があり、五大洋があれば五大洋を越えなければならず、山脈があれば山脈を越えていかなければなりません。それを越えていくときには、だれの助けもありません。自ら自身で解決しなければならないのです。 それゆえに、蕩減条件というものが絶対に必要なのです。広がったすべての世界的版図を代表して、すべてを引き寄せて、一つの祭壇のような立場に立って闘うのですが、祭物をささげるとき、サタンは承諾しません。神様も思いどおりになさることはできません。 そのように、人間が勝利的基盤を立ててこそ、神様が降臨なさって、占有することができる所有権が決定されるのです。そのことを、統一教会の教会員たちは、よく知らなければなりません。 “生畜”の祭壇において、歴史時代を分別したという事実を知らずにいるのが、統一教会の指導者たちです。今回、“総生畜献納”について言いましたが、それを皆さんは、どのように考えているのでしょうか? 今まで日常、先生が話してきた、統一教会の一つの記念日のようなものとして残すためのものだと思っているのですか? 運命を懸けて、歴史を引っ繰り返さなければならないのです。しかし、それを願う人は、だれ一人としていません。そのような条件で、どのようにして神様の解放式をするのですか? 神様が、そのような条件の上に立たれるようになっているのですか? その条件的基盤は、韓国だけではできません。 第一イスラエルを代身して蕩減することができる第三イスラエルというものは、アメリカまで消化したうえで、このことをしなければならないのです。それゆえに、先生はアメリカに来て三十年間……。 イエス様は、三十四年を中心として、ローマを超えることができませんでした。そして三十三歳で亡くなられたのです。三十四歳までに、これを超えなければなりません。アメリカの教会を超えて、国連まで上って定着し、そのような蕩減条件を立てて超えていかなければならない立場です。それを超えていかなければなりません。 それは、地上だけではありません。霊界まで整備しなければならないのです。皆さんは、霊界が分からないから、そのことが理解できないのであって、すべてそうなのです。知らなければ、千年たってもそのままですが、知っていれば、じっとしていることはできません。 そうして、蕩減過程の条件を超えて、地上と一つにならなければ、統一圏が生じません。何のことか分かりますか? (「はい。」) ですから、李相軒氏のような人が霊界に行くようになったのも、そのような、急がれるすべての事実を正しく判別するための資料を内的、外的に編成して、教育の資料として明らかにさせるために送ったのです。 しかし、皆さんは、それも信じません。ミスター黄も信じていなかったでしょう? 信じましたか、信じませんでしたか? 自分たちが、何を知っているというのですか? 先生が、皆さんのような中途半端な心を持っていたならば、今ごろ、どのようになっていたでしょうか? すべて、めちゃくちゃにしてしまっていたことでしょう。 しかし、わたしが責任者なので、死ぬまで、倒れるまでは責任を持つのです。「やめなさい。」という言葉は、わたしは言えません。そのようにしながら引っ張っていくのです。 それでも、先生がひとりで機関車に乗って出発して、簡単に行けば、どれほどよいでしょうか? しかし、世の中の重荷をすべて載せたのです。四千年、六千年歴史の重荷をすべて背負って引いていかなければなりません。何のことか、分かりますか? そうして、それを一代で終えなければなりません。数千年の歴史、数千万年の歴史を、一代で整備しなければならないのです。 ですから、神様はそれをご存じなので、第二次大戦以降に、英・米・仏がキリスト教を認め、統一教会を歓迎することができる立場に立てば、七年間ですべて終わるようにされたのです。しかし、それに反対したので、行くべき道が、すべて引っ繰り返ってしまいました。それを正さなければなりません。 それを、だれが知っているのでしょうか? 数千万年の間、どん底に落ち、出てくることができない落とし穴で、永遠に埋葬されかねません。しかし、神様は、そのことをご存じなので、出てくることができる道をすべて連結してこられたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 今回も、そうです。「神様王権即位式」を行いましたが、だれが、その「神様王権即位式」を行うことを信じたでしょうか? 郭クアク錠煥氏が信じましたか? 即位式をしても、“今まで、統一教会で先生がしてきた宣布式の日と同じ記念日だろう。”と思っていたのであって、このように重要だとは思わなかったのです。 ここ米国の五十州でも、お母様が一緒に回りながら、「なぜ、時間をそのように長くするのですか? なぜ、簡単にしないのですか?」と言うのですが、責任者が、そのようにすべきでしょうか? 別れれば、もう出会うことはできないのです。ですから、答弁できることをすべて話し、“それ以上質問することができない、というところまで責任を持って話した”という条件を立ててから離れてこそ、そこに集まった人たちが、讒訴できなくなるのです。ですから深刻です。 先ほども、「朝食を食べられなかった。」という話をしていましたね? ここにも、「朝食を食べられなかった。」と言って、先生を恨む人がたくさんいますね? (笑い)朝食を食べるために歩んでいるのではありません。 トンネルを掘るときは、最後に残った一つの壁が問題です。設計した人が、その前に死んだら、どうするのですか? それを繰り返さなければなりません。整備しなければならないのです。ですから、深刻です。最後になるかもしれないのです。深刻なのです。分かりますか? すべて終わったのですか? もう、皆さんは責任を持ったのですか? (「責任を持ちます。」)責任を持ったのです。今は、もう責任を持っているというのです。統一家の祝福家庭が、ただ遊んで、信じるだけで世話になってばかりいて、先生だけが、このようにするようにはなっていません。自立しなければなりません。 今は、世界時代において、すべての限界(線)を整備したので、塀がありません。迫害がないのです。今から、皆さん自身を中心として迫害を受けることができるようにすれば、それは、皆さんの所有権を所有することができ、主人となることができる資格を認定できる迫害となるのです。そこには、蕩減がありません。分かりますか? (「はい。」) 今から、どれほど汗を流し、どれほど血を流し、家庭の父母となって、どれほど子女を苦労させ、その環境や一族、一国を救おうとする立場で、どれほど早く走るのか、ということが問題です。 車も準備しておき、道もすべて準備しておき、運転の方法もすべて教えてあげました。今ではもう、ガソリンを入れて、アクセルを踏みさえすれば、走りだすようになっています。それもできないというのであれば、死んだほうが、ましでしょう。車もつくっておき、道路もすべてつくっておき、人を教育までしたのに、それでもできないというのであれば、すべて飛ばしてしまったほうがましです。そのように思うのです。 もう、これ以上の投資は必要ありません。投資したものを刈り取らなければなりません。そうではないでしょうか? 秋が来れば、苦労して一所懸命に農作業をした主人は、“早く収穫の日が来ればよい。”と思うのですが、飲み食いしながら遊び回っているうちに収穫の日を迎えれば、地をたたくときが来るのです。顔を上げることができません。 自然は、貢献することができる実りを、苦労した主人に奉献するにもかかわらず、自分は、自分が食べる分も準備することができずに、どのようにして九月を迎えて父母や先祖にささげる儀式をするのですか? そうではないですか? 負債を負えば、それは恥ずかしいことです。恥ずかしいというのです。分かりますか? (「はい。」) ですから、今までは、先生が一代を中心として、生涯をかけて全体蕩減し、「神様王権即位式」に至るまで千辛万苦を経て、峠を越えてきたのです。その式を終えて、そのことを考えてみれば、皆さんが千年間祈祷したとしても分かりません。深刻です。分かりますか? そのようにして成し遂げた神様の「王権即位式」であるということを、だれが知っているでしょうか? 「神様王権即位式」を中心として血統問題が重要になるのです。一番目は血統です。純潔問題です。それから、差別問題です。男性として女性を差別し、女性として男性を差別し、「自分は学があるのに、夫は学がない。」などと言って差別し……。それは、いけません。アダムとエバが勉強したでしょうか? アダムとエバは、大学を卒業してから相続を受けるようになっているのでしょうか? それとも、大学も行かずに、ただそのまま子供として相続を受けるのでしょうか? (「子供として相続を受けます。」)血統が連結されてこそ、相続を受けるということを知らなければなりません。そのような原則を、今回の五十州で話しました。 五十州では、それぞれ別の話をしました。毎回、できる限り、その前日に話したことを繰り返さないようにしました。対する角度が東西南北、三百六十度の方向から中心に向かってくるので、中心となっているわたしは、一つの話だけをすることはできません。 先生は、そのような位置に立って、道を築いてあげなければならないので、行く道において、それぞれ語る内容が異なるのです。内容は一つでも、異なるというのです。調べてみてください。重複してはいません。 お母様は、「ああ、アトランタのときの話は簡単だったのに。」と言うのです。それは、十八分で終わりました。お母様は、「そのようにすべて三十分以内で話せば、いくら遅れても一時間二十分、一時間半あれば、すべて終わるのに、なぜ二時間半、三時間半もかけるのですか?」と言うのです。 それは、方向が違うのです。そこには山もあり、川もあるのです。そして、高い山を越えようとすれば、ひもを縛りつけてよじ登るか、そうでなければ穴を開けなければなりません。そのようなことを知らないのです。不平を言うなら言い……。 そのように、いつでも先生に忠告するのです。そのようなお母様を連れて行きたいでしょうか、連れて行きたくないでしょうか? どちらだと思いますか? それは、自分の十字架です。 不平を言いながらも、ついて行くようになっているのです。赤ん坊は、泣きながらでもついて行けば、息子になるのです。たたかれたとしてもです。母親のスカートのすそをつかんで、えんえん泣きながらついて行けば息子になりますが、スカートのすそをつかまずに、つばを吐いて背を向ければ、離れていくのです。そのようなことを、皆さんは知りません。 聞いてみてください。すべて違うでしょう? ある所では、原稿を中心としなければなりませんが、そのような時間がありませんでした。原稿の五〇パーセントは、初めての人には分かりません。原理を知って、初めて理解できるようになっています。 摂理史を知らなければなりません。それは、必要とする人、牧師たちが読んでみれば、分かるのです。小学校、中・高等学校を出た人が、それをいくら覚えたとしても、何の役に立つでしょうか? 理解できる人が、知らなければならないでしょう? ですから、一代でこれを合わせなければなりません。皆さん。今から十二年残っています。皆さんの国を復帰しなければなりません。深刻に考えてみてください。神様を王権即位させなければならない歴史時代を、先生独りですべて踏み越えていくということは、夢のような話です。死んだとしてもできません。 “生きん”とする心を持っては、行くことができませんでした。忠臣になるとしても、それは一生涯、忠臣でなければなりません。そうすれば、神様も同情なさるというのです。 ですから、先生は八十歳になるときまで、どれほど忙しかったでしょうか? 統一教会は、九七、八年から上がり始めたのです。三年以内にすべての峠を越えなければなりません。どれほど忙しかったでしょうか? 皆さんは、知らなかったでしょう? 皆さんは、自分の生涯路程において、毎日、訪れる日々が、そのまま継続すると思っていたかもしれませんが、そうではありません。何のことか分かりますか? 一代で終えなければなりません。皆さんも、そうです。今から一代で終えなければなりません。九十二歳までです。そのようにしてこそ、先生がその上で……。 九十二歳とは何かというと、八十歳から十二年です。二〇一二年までです。そのときは、先生が生きているか、霊界に行っているか分かりませんが、希望を持っているのです。先生がいる間に、このことをしなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 今、私が何と言いましたか? (「先生がいらっしゃる間に、このことをしなければならない、とおっしゃいました。」)先生が行くときに、不孝な息子、娘になって、地獄に追い出される人がいてはいけません。少なくとも、その国を代身して、「天の国の孝子」という名でも残すか、「忠臣」の名を残さなければなりません。“聖人”までは行かずとも、死んでも「忠臣」の名を残さなければなりません。 “聖人”たちは、宗教圏を超えることができるので、国家を超えて、糾合して暮らしているのです。分かりますか? ですから、少なくとも天の国の孝子となり、孝子家庭とならなければならず、天の国の忠臣家庭にならなければならない、というのが、統一教会の皆さんが立っている現在の立場です。そして、神様の即位式をしたうえで、国家を即位させなければならないというのが、祝福を受けた家庭の立場なのです。 祝福家庭は、今、そこに首を懸けている時であるということを知らなければなりません。それをしますか、できませんか? (「やります。」)執着するものが、どこにありますか? 執着するものが、どこにあるというのですか? 家が何であり、土地が何であり、自分の妻が何であり、子供が何ですか? 自分の国が、失われていくのです。先生は、そのように考えました。 先生の家庭の子供をすべてほうり出して、振り返ったことがありますか? ですから、國進は、わたしたち父母を座らせて、このように詰め寄ったのです。 「あなたがたおふたりは、わたしたちの父母ですか? それとも、見たくもない三十六家庭や、わたしたちににらまれた、あの人たちの父母なのですか?」 それで、何と言ったのでしょうか? 先生は、「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、言いませんでした。そのように言えば、終わってしまうのではないでしょうか? わたしは、すでに皆さんに対しては、役目を終えたのです。それでもだめならば、身ぐるみはがして、皮をもう一度つくりなおしてでも、改造しようと思っているのです。皆さんの世話にはなりません。わたしは、そのように考えています。 そして、時が満ちたので、皆、悔い改めるようになり、外的なサタン世界が、自然屈伏するのです。九十度を超えれば、すべて元に戻って終点に着きます。分かりますか? アルパとオメガです。 ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。 父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね? (「はい。」) わたしが今、話しているのは、摂理を一代で終結することができるように、神様は完成したアダムを捜し求めてこられたということです。そのことを思うとき、神様は、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代を、一代で終結しなければならないということをご存じなので、どれほど急がれたか分かりません。 しかし、それでも歴史は六千年間かかったのです。それを四十年間で蕩減しなければなりません。一代でするのです。四十年間以上、時間をかけてはいけません。このようにして、千辛万苦してそれを蕩減し……。 今まで、たくさんの宣布式をしたでしょう? そして、海に対する問題、陸地に対する問題、それから第四次アダム圏、心情圏帰一点まで宣布したのです。それをするためには、祝福を受けていない人を祝福してあげ、聖人も祝福してあげ、先生の子供と祝福を受けた息子、娘を兄弟愛で結んであげるのです。そのようにすることによって、霊界の国境が撤廃されます。 それをするためには、聖人と殺人鬼を一緒に祝福してあげるのですが、それは簡単です。 それは何かというと、水が水平になるのです。潮の干満によって、一日に二度ずつ水が入ってきます。十二時間入ってきて、十二時間出ていくのです。これは公式的です。一つは夜を象徴し、一つは昼を象徴するとして、神様が昼にいらっしゃるとすれば、わたしが夜を処理しなければなりません。 蕩減条件さえ立てれば、よいのです。神様が降りてきて、してくださるのならば、心配することがあるでしょうか? 代表的なことをしてこそ、すべて解決することができるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、夜の世界に聖人がいて……。そうではないですか? 堕落した世界に聖人がいて、”聖子”がいます。そして、潮の干満によって、夜の間に水が出ていくのです。真っ暗ですが、だれにも分からないように出ていくのです。 それでは、だれが出ていくのでしょうか? そのとき、先に、聖人たちが出ていかなければなりません。そうではないですか? 入ってきて、大海の近くにいるので、この水が流れていくときには、中心から流れていかなければならないのではないでしょうか? そうして、すべて出ていくので、最後は、この殺人鬼たちが流れて出ていくのです。濁り水や、糞尿が混ざり、あらゆるものが混ざったものが、そうして出ていくのです。 それでは、そのように水が出ていくときには、聖人が先に出ていくのですが、入ってくるときには、だれが先に入ってくるのでしょうか? 殺人鬼たちが、先に入ってくるのです。夜の暗い所に入ってきて、そこに落ち着くのですが、満水になると、入ってきた水が回るのです。回って、先に出ていった水が、上を覆います。 それは、なぜでしょうか? それは、澄んだ水だからです。澄んだ水は、軽いと思わなければなりません。汚い水は、下に行かなければならず、澄んだ水は上に行くので、すべてを覆ってしまうのです。そのようにして回るのです。 そのとき、神様も嘆息され、息が詰まるようになっています。サタンも、水の中に倒れるようになっています。聖人たちもそうであり、サタンもそうであり、すべてが死ぬようになっているのです。 そのようになれば、神様も自分の思いどおりになさることはできません。「退きなさい。」と言うことはできません。分かりますか? サタンもそうであり、聖人も分からないので、どうすることもできず、サタン世界も、どうすればよいのか分かりません。 それでは、主人はだれでしょうか? 神様も、真の父母を捜し求めるのです。真の父母が、これを解決しなければなりません。解放してあげる者は、真の父母しかいません。サタンもできず、神様もできません。神様ができるのならば、すでに、すべてなさっていたことでしょう。絶対権限を持つことができるかたは、だれかというと、真の父母なのです。 それで先生は、“原理を通して、天地のすべてのものを統治することができる絶対権を中心として、このような最後の障壁をけ散らしていくことができる決意をしているのか?”と、自問自答したのです。何のことか分かりますか? (「はい。」)死ぬか生きるかの境地が問題ではありません。深刻なことです。ですから、この闘いを……。 闘いというよりも、救ってあげることのできる、この環境を開拓したのが真のご父母様である、ということを、皆さんは知っていると思います。 先生が、神様に「神様。今まであなたは、このために失わないようにと……。」と申し上げれば、神様は、「ああ、そうだ。」と答えられるのです。そしてサタンに対して、「今までおまえは、サタンとして、神様にお返しすることもせずに、このようにしただろう?」と言って、「宗教圏は、中間で行ったり来たりして、橋を架けて水平を成すことができずに、谷間になっているので、山になっている所を崩して、水平になるようにしただろう?」と言うのです。 ところが、この水平が、まだ成されていません。ですから、その水平をつくらなければならないのです。 それでは、その水平をつくって、何をしようというのでしょうか? 神側もサタン側も、だれが、その水平をつくるのか、自分たちでは知りません。サタンは、サタン側だけを知っているのであって、天のことを知っているでしょうか? また、天の側を知っている者が、サタン側のことを知っているでしょうか? 知らないのではないですか? それでは、だれが、これを埋めてくれるのでしょうか? 先生が、埋めてあげるのです。高い位置にいる者は引き降ろし、低い位置にいる者は引き上げるのです。 それは、堕落した人類の先祖が、偽りの父母になり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統に汚してしまったので、真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を中心として調整しているのです。 それは、神様も願われることです。神様をも助けてあげるのです。そして、神様に尋ねるのです。「あの死にそうなサタンは、どのようにしなければならないでしょうか? 戻ってくるようにしなければなりませんか、助けてあげなければなりませんか?」とお尋ねすれば、神様は、わたしに対して何と言われるでしょうか? 神様ご自身には、権限がありません。「わたしの思いどおりにするのだ。サタンを助けてはいけない。」とおっしゃることはできません。ご自分が同情されたのならば、神様も、今度は同情してあげなければならないでしょう? ですから、神様は、「それは、自分が助けてあげることはできないが、助けてあげなければならないだろう。」と、それくらいの言葉は言わなければなりません。そうではないでしょうか? そのようにしてこそ、霊界と肉界が和合するのです。 このようにして、神様とサタン双方を助けてあげて、その次に何をしようというのでしょうか? サタンを解放したなら、その次には宗教圏を一つにしなければなりません。宗教圏は、すべて死に瀕するようになり、「助けてください。」と言っているのです。 そうして宗教圏を一つにすれば、今度はサタンに聞くのです。「さあ、今までおまえに反対してきた宗教圏を助けてあげなければならないか、それとも殺してしまわなければならないか?」と。するとサタンは、自分は神様から同情された立場であるので、「助けてあげなければなりません。」と言うのです。そうして、「そうか?」と言って、助けてあげるのです。 その次に、世の中の悪なる人、地獄に落ちていった人は、どのようにしなければならないでしょうか? サタンに、「あの者たちは、水の中で腐って死ぬようにほうっておくのか? 神様もごらんになっており、サタンも見ていて、聖人たちも見ていて、地獄に行った霊も、すべて見ているが、あれをどのようにすればよいだろうか?」と言えば、「ああ、助けてあげればよいです。」と言うのです。こうして、すべてが「オーケー。」と言うようになります。このようにして抜け出さなければならないのです。分かりますか? そのように、全員、先生の世話を受けました。ですから、わたしが思いどおりにしても、サタン世界も不平がなく、神様の世界も不平がありません。そのような基盤の下で、霊界の楽園と地獄を撤廃するのです。 そうして、「異議がないだろう? この者たち。サタンよ、おまえも異議がないだろう? 屈伏したのだから反対できないだろう? 神様も異議がありませんね?」と言うのです。それがアダムの全権というものであり、アダムがすべきことです。原理が、そのようになっているのではないでしょうか? そうでないとすれば、エデンの園において、神様が自分の思いどおりにされたとするならば、なぜ、今まで苦労をなさったのかというのです。ですから、このようなことをすべて終えて、整備しておいたので、「神様王権即位式」をしたのです。 個人で行くとしても、狭い道であったとしても、中央に通じる直線の道が生じなければなりません。分かりますか? 車が行くことができる高速道路を……。それは、行って、また戻ってくる道ではありません。 そうしてこの道路を家庭から氏族、民族を経て世界、地獄にまでつなげ、何千年の解放圏を中心として、地上と一つにしておきました。ですから、今ではもう、天国に行くか行かないかは、自分たち次第なのです。 それで国民になれば、小学校、中・高等学校、大学に行き、一所懸命に勉強して、やがては自国の国家権力にかかわる省庁に進むようになることもあるでしょう。 しかし、そのような上下関係の区別があるような国家の省庁において、その省庁の責任者になるかどうかということは、自分たちが一所懸命に勉強したうえで、さらに、それが国法にのっとって選抜されるかどうかということに懸かっているのです。 そのように、あくまでも自分で選んでそうなる、という解放的基準を行くようになっているのであって、そこまですべて同じ位置に立ててあげるということはできません。何の話か分かりますか? (「はい。」)分かったでしょう? (「はい。」) そのようにして、神様の即位式をしたのです。ですから、先生が引っ掛かってはいけないのです。一番の問題は、「血統」です。それから何ですか? 「人権問題」です。それから何ですか? 「公金を略取してはいけない」ということです。 先生は、統一教会の女性たちの兄の中の兄であり、婚約者であると同時に将来の夫であり、将来の父であり、将来の祖父であり、将来の王です。女性たちは、皆、そのように願うのです。 先生は、兄であると同時に婚約した人であり、結婚することができる夫であり、父になることができる人であり、祖父になることができる人です。全員が、そのように信じるのです。 しかし、み旨は、そのようになっていません。女性たちを妹として育てなければならず、未来の母として育てなければならず、未来の国の王妃として育てなければならず、天下の、宇宙の母として育てていかなければなりません。それを自分勝手にすることはできません。何のことか分かりますか? 家庭に困難なことがあって、橋を架けることができる女性の基準が折れてしまったとしても、神様の国を建てるためには、折れた柱を使って、再び建てなければなりません。代わりを立てることはできません。何のことか分かりますね? いくら女性たちが過ちを犯したとしても、修理して使わなければならないのであって、代わりを使うことはできないのです。何のことか分かりますか? 先生に侍る女性たちは、そのことをよく知っていることでしょう。 「(真の)神の日」を設定した後からは、さらに厳格です。傍らに来て道をふさぎ、「自分を愛してください。」と言う女性たちもいましたが、「このようにしてはいけない。」と言って……。いいかげんにはできません。いくら女性たちが誘惑しても、だめです。 ですから、父母が血統を尊重したのか、というのです。何のことか分かりますか? (「はい。」)お母様に聞いてみてください。いいかげんに生きることができないのが、天のみ旨に従っていく人です。分かりますか? たとえ何があったとしても、自分の威信と体面を立てなければなりません。サタンの恨みが吹き荒れる中で、うめき苦しまれた神様を傷つけるようなことは、死んでもできません。 わたしは、どれほど差別を受けたことでしょうか? そうでしょう? 白人から差別を受け、黄色人から差別を受け、黒人まで、監獄にいる人にまで……。 わたしが監獄に入っていったとき、「おまえはレバレンド・ムーンではないか? こいつ! よく来たな。」と。よくもまあそんな恥を……。しかし、そのような話はしません。その男の一族を訪ねていって、腹を引き裂き、骨を粉々にして吹き飛ばしてしまうに値する者たちです。 しかし、神様はそれ以上の侮辱を受けられたので、いまだに「逆賊」の名に値するサタン世界に辱められ……。 サタンは、このように考えるのです。わたしたちは、そのような神様の直系の子女になったので、それ以上の境地を通過させようと……。 ですから、槍で心臓を突き刺されても、それでも血を流していないことがありがたい、と考えることができるような道を行かなければなりません。イエス様が問題ではありません。 イエス様は、よく知りませんでした。何のことか分かりますか? 解放がどのように成されるのか、よく知らなかったのです。わたしならば、必ずそれを成し遂げて、そのみ言を必ず、聖書のどこかの一節に残したことでしょう。 皆さん。聖書の中に、「原理」でも分かっていない箇所が三か所あるのです。それを尋ねてくる人を、一人も見たことがありません。それは、わたしが霊界に行っても蕩減しなければならない責任を持っているのです。何のことか分かりますか? (「はい。」) 郭錠煥氏? (「はい。」)今回の霊的体験で、“赦しがない”と感じたそうですね? (「はい。」)今は、先生が赦してあげるので、自分勝手に暮らしていますが、赦しはありません。この基準に合わせるのです。完全に合わなければ、十回離して、また合わせてもかまいません。砥石で研ぎ、やすりで磨き……。 ですから、先生が一代において歴史全般を収拾して、いくら繕ったとしても、それが一つの水平になり、でこぼこになったりせずにきれいに埋めることができる版図をつくらなかったとしたならば、神様を、その恥辱の立場に……。 “獄中生活”をされる神様に、たとえ貧しい家の一部屋でも整えてさしあげれば、神様が感謝されるということを知っているので、そのようにしたのです。 しかし、それは条件的な基準であるということを知らなければなりません。王宮を造ることからしなければならないのではないでしょうか? 今でも、そのことが残っているのです。 ですから、数多くの国々を、早く息子、娘の立場にしなければなりません。自分の国を復帰しなければならないのではないでしょうか? イエス様の責任を果たさなければならないでしょう? 再臨主が来れば、その父の前に息子、娘として、長子としての責任を果たさなければならないのが、イエス様の責任ではないでしょうか? 百二十か国をすべて奉献して、“総生畜献納”しなければなりません。どのようなことがあろうと……。 今からは、宣教師も辞めて、自分の故郷に帰り、金氏なら金氏、一人残らず……。天国大移動のための準備をしなければなりません。カナン復帰路程においてイスラエル民族は、自分の一族が残っていれば、一家族でも残した人がいれば、残した人は引っ掛かります。同じことです。 ですから、訪ねて行って、祝福してあげなければなりません。千里、万里の道を夜を徹して行きながら、神様が失ってから捜し求めてこられた、その悲壮な復帰の道を繰り返していく、そのような追憶を残すことができる歩みを、皆さんは、国家復帰基準において再び蕩減しなければならないのです。そのことを知らなければなりません。 今や迫害はありません。楽に暮らすために自分一身の幸福や安楽を願う立場にいたならば、そのような道を行ったりはしないでしょう! 何のことか分かりますか? (「はい。」)はっきりと知らなければなりません。 皆さん一代で終えなければなりません。先生が四十年を中心として成したのですから、これから二〇一二年までです。 その時までに国家を、何があっても、これを奉献してさしあげなければなりません。どのようにするのでしょうか? 言論機関を通してすることは、問題ではありません。それで先生は、ワシントン・タイムズとUPIを中心として……。郭錠煥氏は、きちんと知らなければなりません。 これから、上院下院制度を中心として、その国が王制を敷いていれば、その国の利益のためにある国会が下院となり、世界の利益を追求するのが上院となります。上院は、王がいなければなりません。 それで、その国のカインの王、アベルの王を国家メシヤが責任を持たなければなりません。そのようにしようとすれば、自分の国を復帰した実力がなければ、教えてあげることはできません。分かりますね? それをできない人が、国家メシヤになることができますか? そうすることができてこそ可能でしょう? そして、十二歳を過ぎた者たちを、すべて参加するようにしなければなりません。それに十二年を足して二十四歳ならば、三十六年を中心とした先生の路程の三分の二の二十四年の中で……。 ですから、最近、参加するのは二十四歳までではないですか? そのように話しているでしょう? 本来は四十八、四十九歳ですが、それをすべて動員したならば、統一教会の責任者が全員、飛んでいってしまいます。それで、二十四歳までの人を措置しようと思います。教育しなさいということです。 今回、修練生を十九日まで……。公文を送ったでしょう? (「はい。」)そこに動員されない人がいては、いけません。国家試験をするときも、試験をしたからといって、全員が合格するでしょうか? 合格するラインというものがあります。それを超えることができなければ、何度でも繰り返さなければなりません。 そして今後、霊界直属の人たちと競争しなければなりません。聖人たちと競争しなければならないのです。彼らは、数千年間、どれほど待ったことでしょうか? どれほど退屈だったことでしょうか? ですから、それが解放の日を迎えて、一瞬のうちに、すべての天下を思いどおりに平準化させたいという心があるのです。 しかし、自分勝手にはできません。まず、自分の先祖から解放しなければなりません。そうではないでしょうか? 自分の先祖を先に伝道しなければいけないということです。それで、国家メシヤたちを全員、自分の国に……。 すでに、その準備をすべてしていなければなりません。国家メシヤが、「ああ、私の家に何々があるので、できませんでした。」と言えますか? 「パンタナールで魚を百六十匹釣りなさい。」と言ったのですが、それは何ですか? 修練です。今回は、重要な期間でしょう? 今回、修練会に参加した人は、四日間でしょう? 四日間、来なければ、事故が起きるのです。事故が起きる期間です。それが皆さんには分からないのです。深刻なことです。 既成教会の牧師にも事故が起きたり、この責任者たちにも事故が起きるかもしれないので、精誠を尽くさなければなりません。精誠を尽くせば、深刻さが分かったことでしょう。 それで、先生が行く道の前に橋となり、犠牲の祭壇を連結させなければなりません。世界的です。国家が集まってすべて……。ですから、修練会に参加しなかったという事実は、問題になるというのです。分かりますね? 総結論は、そうです。数千万年の歴史を一代で蕩減して、片付けてしまわなければなりません。ですから、お釈迦様のような人は、知っています。統一教会を見てみると、水辺で戯れる小さな魚の世界のようであり、まるでめだかのようになって、先生に侍っているというのです。 エベレスト山の高さ以上に深い、一万メートル以上の深い大海で暮らしている魚もいるのに、皆、批判しているではないですか? そのことを知らなければなりません。何のことか分かりますか? 自分で仕事をしてみれば、分かるのです。 国のために山を越え、野を越え、自分が計画したとおりに行くためには、夜の十二時を過ぎても続け、計画したことを明け方までに終えてから、帰って昼寝をし、そのように時間を短縮させてでも埋めていかなければなりません。 自分の計画があれば、計画したとおりにしなければならないのではないでしょうか? 八十歳を中心として、先生が計画もなく、ただやみくもにしてきたでしょうか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」) 皆さん一代で、孝子になるか忠臣にならなければなりません。一代でしなければなりません。そのようにしなければなりませんか、してはなりませんか? (「そのようにしなければなりません。」)さあ、“自分は間違いなく、そのようにします。”という人は、手を挙げてください。 “やるならやり、やらないならやらない”という人は、先生と関係ありません。真のご父母様は、国を建てるために責任を持っているのです。 ですから、皆さんは、そのための闘いにおいては、“生きるか死ぬか”ということよりも、勝利を持ってこなければなりません。死んだとしても、“勝利の功臣”にならなければなりません。分かりますか? (「はい。」)分かりますね? はっきりと分かったでしょう? (「はい。」) 一代だけではありません。一代で、そのことだけをするのですか? 死ぬ前に、その国の歓迎を受けなければならないでしょう? そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)“そのようにする”という人は、手を下ろしてください。 一代で終えなければなりません。それが、先生の宿命的な課題なのですから、どこに休む暇があるでしょうか? 山を越えても、足が痛ければ、転がって雪の塊のようになってでも、降りていかなければなりません。考えてみてください。そのような責任を持っているということを考えてみなさい、というのです。 一年ではありません。全歴史的事実です。ですから、明白でしょう? 今回の「神様王権即位式」のみ言をすべて聞いてみてください。どこかに抜けた所がありますか? 「日久月深(月日がたてばたつほど深まり、強まること)」、ただひたすらの願いが、それです。寝ても覚めてもです。その条件が成し遂げられる環境を創造するまでは、主体と対象をつくることはできないでしょう? それが原理でしょう? ですから環境をつくらなければなりません。 今回も、牧師たちが皆……。それは、“どれ、見てみよう。牧師たちが動くか動かないか見てみよう”というのです。動かなければ、この国は滅びます。そうなれば、荷物をまとめて中共に行き、ロシアに行くのです。そうすれば、かえってもっと早くなるのです。アメリカの人たち、全員、聞いていますか? ですから、「訓読会」を一所懸命にしなさい、というのです。霊界を知りなさいということです。霊界を知らなければ、越えることができません。 ですから、神様の前に“孝”の道を行き、神様の前に“忠臣”となり、サタンの前においても家庭の“孝子”となり、国の“忠臣”とならなければならないということが、統一信徒が行くべき鉄則です。分かりますね? (「はい。」)サタン世界の“孝子”、サタン世界の“忠臣”が問題ではありません。さあ、そのようなことをはっきりと知って……。 そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい。」)先生が、一代でこれを終結するために、どのようにするかを考えたとき、どれほどぼう然としたことでしょうか? 何を食べて、何を着て、何をどうしようということは、考えません。 (以下、日本語で語られる)日本のメンバー、分かりますか? 何の話か聞いていますか? (「はい。」)先生が、今、話した内容をはっきりと分かっていますか? 日本は、「総生畜献納」を模範的にするのです。まだ限界を超えていません。エバが堕落したのです。エバによって、世界を失ってしまいました。 国境を超えるには、死を覚悟しなければなりません。敵地を平定するためには、闘わなければならず、そのために“総生畜献納”をするのです。分かりましたか? (「はい。」) エバ国家の女性たち、覚悟をしなければいけません。国を超えて、世界に対する母の使命は、まだまだ果たされていません。そのような教育をすべきです。 三代を続けないといけません。三代を続ければ、日本に女性が残るでしょう。二十代から六十代まで祝福して残って、三代の孫まで祝福していくような女性にならなければ、日本の国は、母の使命を完成した日本とはなりません。皆さんには、そのような考えがないのではないですか? 血統を作るには、三代が必要です。神様とアダムの二代では、血統が続きません。アダムの子供まで、三代をつなぐことによって、初めて血統が定着するのです。あなたたちも、そうです。 あなたたちの子供を結婚させて、その子供がなかった場合には、ご父母様の希望は切れてしまいます。三代を超えて、孫を愛することができなければ、血統がつながりません。 子供を生めない女性になってしまった場合は、一代で終わります。いくら愛し、いくら生命が一体になって死んだとしても、未来の神様を招来する民族や家庭の出発はなされません。三代をつなぐところに家庭ができるのです。 神様は、三代を抱擁して、愛したいのです。しかし、三代をつなぐことができなければ、孫を迎えてキスすることができない神様になってしまいます。あなたたちは、どうですか? 先生から三代つないでいるのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従。そのようにして三代つながるので、そのように血統がつながるのです。 “日本の国”や“民族”という観念が、先に立ってはいけません。“神の国”と“神の家庭”と“神の国土”という観点を定着させなければいけません。今、神様の祖国がありません。それを設定しないと、キリスト教、宗教は犠牲となるのです。 それを先生は、第二イスラエルであるキリスト教を立てるために、アメリカで三十数年の間、投入してきました。第二イスラエルの基盤は、日本にはありません。クリスチャンの対人口比率は、日本は一パーセントほどですが、アメリカは九〇パーセント近いのです。 先生は、そのアメリカで三十数年の間、生涯を懸けて犠牲の道を歩み、投入し、投入しては忘れる道を来ましたが、日本のメンバーは、“先生だから、それくらいはしてもよいのではないか?”などと考えたりしているのではありませんか? 日本では、先生のことを「日本の者たちを犠牲の道、悲惨な道に送る独裁者である。」などと悪宣伝する者が、たくさんいるのでしょう? そうやって、親兄弟や親戚たちから反対されるのです。ここにいる日本のメンバーの中で、父母や親戚から反対されなかったという人は、手を挙げてみてください。 しかし、そのような反対は、悪くはないのです。それは、サタン圏の所有権をあなたたち神の側に転換させる神の作戦、戦法、戦略なのです。分かりましたか? (「はい。」) そして、それでもずーっと、怨讐を愛していけば、最後には皆、手を着けずとも、相手は自動的に屈伏するのです。それは、神様の戦略です。そうして三百六十度回って、勝利するのです。 先生は、普通の人ではありません。恐ろしい人です。先生が願っているのは、一国ではありません。千国、万国、万年の歴史の祖国建国を目標としているのです。日本の歴史に、それに比肩する何ものもありません。 皆さんは、明治天皇を慕い、追って自決した乃木大将の歴史を知っていますか? 日本の統一教会の母として、それ以上の聖人を養育する、そのような資格のある女性がいますか、いませんか? 今、皆さんの隣人の中に、そのような徹底的な教育をする母親たちがいると思いますか、思いませんか? 統一の女性たちは、そのような聖人の総司令官の子供を生むような母親にならなければ、神の国の母の使命を果たす道は、永遠にありません。 一生涯、一生をかけて全歴史を蕩減する責任を持った人は、真のお父様以外にはいません。それを成しえましたか、成しえませんでしたか? (「成しえました。」)死なないで、よくも生き残って、よくも闘い切って……。 (ここまで、しばらくの間、日本語で語られたため、韓国人の責任者たちに向かわれて)何の話か、分かりますか? (笑い)ああ、日本の人たちは分かるのに、なぜ、分からないのですか? 兄が弟を指導しようとすれば、弟の言うことが分からなければならないでしょう? ですから、わたしもアメリカに来て、英語を一所懸命に勉強しています。今も、しています。ところが、頭が、昔と同じではないのです。 昔は、十ページでも、辞書のどこにどのような印をつけたのか、はっきりと分かっていたのですが、今は、二十回繰り返しても、頭に残りません。勉強しやすい時ですか? 本当に易しい時ですか、本当に難しい時ですか? (「本当に難しい時です。」)本当に難しくても、しなければなりません。 今、横で通訳する人の通訳の量が、年ごとに何パーセントずつ少なくなるか、ということです。それを鑑定しながら聞いているのです。わたしが話しをしていて間違ったところを、金キム孝律ユル氏が忠告してくれるのです。 ところが、お母様は、「毎回、忠告されることを、なぜするのですか? やめてください。」と言うのです。それは、分からないから、そのように言うのです。 赤ん坊は、おなかがすいて「ご飯。」と言えば、何度忠告されても、その忠告を忘れてしまうのです。そうして、「ご飯、ご飯、ご飯。」と言うのです。そのようにして学ばなければなりません。 息子が反対し、妻が反対し、先生が反対し、自分自身が反対したとしても、続けて繰り返しなさい、というのです。そのようにすれば、越えていくのです。分かりますか? 十年間、勉強したという人がいれば、“今から十年間、一所懸命に勉強して、死ぬまでにその人を追い抜こう。”と考えているのです。分かりますか? ですから、わたしに向かって自慢してはいけません。孝律氏。忠告したら、そのことをわたしが問答します。分かりますね? (「はい。」) 英語も勉強しなければならず……。英語というものは、中身のない“輪”のような言葉です。内容のない言葉です。ですから、“何でもない”と考えれば、千年たっても、問題なく英語ができるのです。分かりますか? 何年でするのですか? なぜ、できないのですか? ご飯は、しっかりと食べて……。 赤ん坊は、六か月もすれば、話すのです。うちの一歳の赤ん坊が、遊びながらでも話しているのを見ると、“やあ、おじいさんが孫になり、孫がおじいさんになる……。入れ替わればよいのに。”ということも考えます。(笑い)分かりますか? そのような気持ちで勉強するのです。分かりますか? (「はい。」) さあ、一代ですべてのことを終えましょう。さあ、一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」) 清算できなければ、休んではいけません。ご飯を食べることに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。眠るのに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。そのようなことを優先させていては、すべて失敗します。 先生は、朝なのか夜なのか分からず、昼夜が入れ替わってしまうときが、何度もあります。夕方に座りながら寝てしまい、ふと目が覚めると、まだ夜なのに、“朝だ。”と思って、“ああ、太陽が昇ってくるなあ。”と思うのです。 そして、夕食を食べる時間なのに、先生が「朝食を食べる。」と言うので、「先生が狂った。」という話をたくさん聞きました。「なぜ先生は、あのように言うのか?」と言うのです。 先生は、そのように生きてきました。背後がどのようになっているのか、蕩減復帰というものに、どれほど厳しい曲折の道が絡まっているのかということを知って、その道をすべて整理しておいたのです。 ですから、今からは、皆さんには迫害がありません。死んで、地獄に引かれていくということはありません。これからは、“どのくらい、より高く行くのか”ということが、皆さんの課題として残っています。 それは、国を復帰する“忠臣”になるのかという問題です。分かりますか? 家庭において“孝子”になる問題、世界に貢献することができる“聖子”になるという問題が残っているのであって、道をふさいで反対する人はいません。歓迎するようになっているのです。 朴パク久培氏。活動していると、周囲は、朴久培氏を協助しようとしますか、反対しようとしますか? (「今は、協助しようとします。」)「今は、協助しようとしている」のですか? (「最初は、よく分からなかったようです。」)分からないのですから、教えてあげなければいけません。(「はい。」) 今は、教えてあげれば、協助するようになっているのです。分かりますね? 昼夜なく、教えてあげなければなりません。 さあ、一代清算。(「一代清算。」)それを覚えておくのです。今から、もう一度、行かなければなりません。皆さんは、国を復帰していかなければなりません。先生は、必要ありません。祝福の中心家庭が、どれほど恐ろしい家庭なのか知っていますか? 神様が千年、万年の間、待ち焦がれ、数多くの……。 イエス様も、祖国光復をどれほど待ち焦がれたでしょうか? ローマの四百年間、霧のように消えていった哀れな魂たちは、どれほどかわいそうな者たちでしょうか? 彼らは、自分の国ができることを、どれほど待ったでしょうか? それ以上に深刻でなければ、国を持つことができなかった歴史時代を超えていくことができる道はありません。分かりましたね? (「はい。」) さあ、そのように理解して、夕食を食べたあと、今からプログラムが違います。ハドソン川に行って、だれが、いちばん(たくさん)ストライプトバスを釣るのか、という競争をします。これを何日間か行ってから故郷に帰り、「自分の国は、自分の手で取り戻す。」と言うことができる“忠臣”の道を開拓する革新者となることを願います。 そうして、先生の大会を勝利して終えたことを記憶する、その一場面として残されることを願います。分かりますね? (「はい。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.08
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新千年においてアメリカと人類が進むべき道2001年2月25日から4月17日まで、アメリカ50か州巡回訓読講演で訓読なさった真のご父母様のみ言である。02.25ニューヨーク、ガーデン・オブ・プレイヤー・カセドラル大聖堂02.26ニュージャージー、ニューアーク・ロバート・トリート・ホテル02.27コネチカット、ブリッジポート大学02.28シカゴ、ライフセンター教会03.01ボストン、パークプラザホテル03.02フィラデルフィア、クリスチャン・タベナクル教会03.03フロリダ、マイアミ・アンテオケ・バプテスト教会03.04ジョージア州、アトランタ・ルネッサンス・コンコースホテル03.05オハイオ州、コロンバス・ヒルトンホテル03.06テキサス、ヒューストン・バプテスト教会03.07ニューメキシコ、アルバカーキ・マリオットホテル03.08ミネソタ、ミニアポリス・バプテスト教会03.09シアトル、ヒルトンホテル03.10ユタ州、ソルトレイクシティ・ヒルトンホテル03.11オレゴン州、ポートランド・ダブルツリーホテル03.12カリフォルニア州、オークランド・コンベンション・センター03.13アリゾナ州、フェニックス、フェニックス空港マリオットホテル03.14コロラド、デンバー・ダブルツリーホテル03.15カリフォルニア州、ロサンゼルス・ウェスティン・ボナベンチャー・ホテル03.16アーカンソー州、リトルロック・ロビンソンセンター03.17ミシシッピ州ジャクソン・ヒルトンホテル03.18ロードアイランド、プロビデンス・マリオットホテル03.19バージニア州、ノーフォーク・シェラトンウォーターサイドホテル03.20デラウェア州ウィルミントン、ウィンダム・ウィルミントンホテル03.21ミシガン州デトロイト、リトルロック・バプテスト教会488真の父母様実録03.22アイオワ州デモイン、マリオットホテル03.23カンザス州、カンザスシティ・キリスト教会03.24アラバマ州モービル、アーサー・R・アウトロー・コンベンション・センター03.26ルイジアナ、ニューオリンズ、インターコンチネンタル・ホテル03.27ワイオミング州シャイアン、リトルアメリカホテル03.28セントルイス、リーガル・リバーフロントホテル03.29ボルチモア、バプテスト教会03.30メイン州ポートランド、ホリデイ・イン バイ ザ ベイ03.31ビリングス、ホリデイ・イン・グランドモンタナ04.01メンフィス、バプテスト教会04.02ノースカロライナ、ウィンストン・セーラム・アダムズマークホテル04.03ルイビル、バプテスト教会04.04インディアナ、ミルウォーキー・ヒルトンホテル04.05オクラホマ州、オクラホマシティ・ミリアド・コンベンション・センター04.06ネブラスカ州、オマハ・マリオットホテル04.07ニューハンプシャー州、ナシュア・マリオットホテル04.08サウスカロライナ州、コロンビア・アダムズマークホテル04.09インディアナ州、インディアナポリス、バプテスト教会04.10ノースダコタ州、ファーゴ・ラマダプラザホテル04.11ネバダ州、ラスベガス、メソジスト教会04.12アラスカ州、アンカレジ、キャプテンクックホテル04.14ハワイ州、ホノルル、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジホテル04.15ボイシ・グローブホテル、スーフォールズ・コンベンション・センター04.16ワシントンD.C.、オムニ・ショアハムホテル、3000人余りの聖職者「We will stand決意文」署名を真の父母様に奉呈04.17ウェスト・バージニア州、シェパーズタウン・クラリオンホテル、バーリントン・ラディソン・ホテル 神が求めておられる本然の世界 尊敬する内外貴賓の皆様!本日、私の講演のために、お忙しい中にあって参加してくださった、聖職者を中心とする各界各層の指導者の皆様に心より感謝申し上げます。何より、きょうまで常に私を守ってくださった神にすべての栄光をお返し申し上げ、深い感謝を捧げます。 私は生涯を通じて神の創造理想を実現するために苦心してきました。知ってみると、神は栄光と尊貴の宝座におられるおかたではなく、堕落によって地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた悲しみと嘆き、そして苦痛の神でした。 そのような神のみ旨と心情を知るようになった私の生涯は、ひたすらみ旨を成就するために全心全力を尽くしてきた日々でした。過ぎ去った80年の歳月を振り返ってみるとき、私はあらゆる迫害に遭ったにもかかわらず、今日この場に皆様と席を共にすることができるようになったのは、神が守ってくださったからです。 この意義深い日に、皆様とともに神の摂理的な歴史と世界を理解するために「新千年において人類とアメリカが進むべき道」という題名でお話しいたします。 神の救いの摂理の歴史観から見るとき、歴史の終末はサタンが主管してきた悪なる歴史の終末であり、同時に神が主管なさる善なる歴史の出発となります。したがって、末世は神の摂理を完成させなければならない時です。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、さらには天宙を完成させなければならない「終りの日」だというのです。 神は、摂理路程で終末が訪れるたびに、神を中心とした理念圏に人類を率いてこられましたが、人類は責任分担を果たすことができず、善なる立場に立つことができませんでした。しかし、神は絶対、唯一、不変、永遠なるおかたであるため、神のみ旨もまた絶対、唯一、不変、永遠です。 それゆえに、神は人間始祖の堕落により失った真なる個人、家庭、社会、国家と世界の主権を復帰なさり、直接に運行することのできる世界を建設なさるはずです。 神が探しておられる本然の世界は、どのような世界でしょうか。その世界は、真なる父母を中心とした世界です。しかし、人類は堕落によって、歴史の始まりに真なる父母と世界を失ってしまいました。 その結果、私たちが所有するすべてのものの中で真の父母と連結させうるものが何もありません。 だれが世界に責任をもつのか それゆえに、人類は何よりもまず真を探さなければなりません。ですから、真なる父母、夫婦、子女、民、万物と宇宙が神の心情を通じて動じ静ずることができなければなりません。そのようになりうる時が、人間世界において悪なる世界の「終りの日」となるのです。そのような理想が実現する時が「終りの日」であり、再臨の時です。 ですから、再臨の時に火の審判があったり、地が割れたり、あるいは(主を)信じていた者たちが空中に引き上げられるといった天変地異が起こるわけではありません。 その時は、悲運の歴史が蕩減されて、個人、家庭、社会、国家と世界が正しく立てられる時です。そのようになるのが人類の希望であり、人類歴史が追求すべき目標です。 ところが、個人も、家庭も、国家も行く道を失ってしまいました。世界には公害問題、食糧問題、宗教間の葛藤、人種間の対立など数多くの問題が発生しています。だれがこのような世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。 過去に共産主義国家も民族主義を克服することができませんでした。今日のアメリカも汎米主義を克服することができずにいます。いかなる国家であれ、自国の利益だけを掲げるときは、世界を指導することができません。自らが供え物となって人類を抱き、理想的な世界に前進することができなければなりません。今はそのような理念を中心とした民族や宗教が必要な時です。 ですから、私は神の命を受けてアメリカの青年たちを教育しながら、没落していく道徳的な危機について警告し、キリスト教の復興のために全力を尽くしてきました。 真の父母の教えの核心 皆様はレバレンド・ムーンの教えの核心が何か知りたいことでしょう。それは簡単です。 第一は、より大きなもののために犠牲になりながら生きよということです。個人は家庭、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は神のために生きよというのです。そのようにすれば神も私たちのために生きたいと思われるのです。 家庭でも父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。どこであれ、より為に生きる人が中心になります。 第二は、怨讐を愛せよということです。神は、堕落によってサタン悪魔の子どもとなってしまった人類を救うために、ひとり子のイエス様を送って犠牲の道を歩ませました。そのように、だれであれ怨讐の子どもたちを実の子よりも愛すれば、サタンも自然屈服するのです。 いつもサタンの戦略は、打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式となっています。 私も生涯を通じて数多くの迫害に遭ったにもかかわらず、今日、全世界ヽ185か国に宣教の基盤を築きうるようになったのは、そのような天理に従って生きたからです。 キリスト教の宣教の歴史を見ても、イエス様を信じたキリスト教の信者たちの歩んだ道は、追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。 そのように2千年の歴史を経ながら流された殉教の血の跡が基盤となって、民主世界という巨大な体制が発展してきましたが、今日にはそのような基盤となったキリスト教が危機に瀕しています。 キリスト教の理念を中心とした国家が神を否定し、イエス様を否定し、そして神の摂理を否定しています。結局は「神はいない。神は死んだ」という神学まで出てくるようになったのですから、今まで真なる子女を探し求めてあらゆる犠牲の道を歩んでこられた神の心情はいかばかりでしょう。 摂理の終末時代 内外の貴賓の皆様、今まで神が犠牲となったものはすべて、だれのためのものでしたか?それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った自分一人を救うためだったという事実を知らなければなりません。堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければなりません。 ですから、一人の人が出てきて「この時代のための責任を果たします。今まで神に人類が負わせたすべての負債を清算する私自身となります」と言うことができなければ、復帰の道はありません。絶対に、漠然とした位置では蕩減復帰は不可能です。 だれであれ、神の悲惨さを神に代わって体験してみなければ、神の心情を知ることができません。 皆様は自分の子どもが死んでいくような深刻な心情で世界の人類のために祈祷してみたことがありますか?自分自身を犠牲にして家庭、氏族、民族、国家と世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか?だれも自信をもって答えることができないでしょう。そのような絶対的な基準の代表者として来られたおかたが再臨主です。 人間始祖が堕落した後に救いの摂理を展開なさった神は、2千年ぶりにアプラハムを立てられて、その子孫たちを選民として、新しい民族を編成されましたが、それがイスラエル民族でした。その民族は、メシヤを迎えるための選民となりました。 人間始祖だったアダムとエバが立てることができなかった基準を再び立てるためのものがメシヤ思想でしたが、それはユダヤ人たちの立場から見ると、新婦の思想でした。すなわち、主を新郎として迎えるために、新婦として準備しなければならなかったのが、ユダヤ教の使命だったのです。 そのような重大な使命があったにもかかわらず、イエス様を十字架にかけることで、ユダヤ民族は流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教がユダヤ民族の使命を継承してきました。神は、その目的を中心として6千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。 メシヤ思想の核心 それではメシヤ思想の核心は、何だったのでしょうか。それは世界を救い、統一させるためのものであり、本然の理想家庭を建設することのできる教え、人間始祖が堕落によって失ってしまった父母の位置を取り戻すものでした。新・旧約聖書の教えを見ても、メシヤとは父の権勢をもってきて聖霊の実体である女性神に出会い、真の父母の位置を回復する存在でした。ヨハネの黙示録に預言されている小羊の婚宴も、新郎と新婦が真なる夫婦の過程を経て真の父母となることです。 サタンを中心とした偽りの父母によって理想的なアダムの家庭が失われました。神が望まれた真の家庭、真の氏族、そして真の国家を失ってしまわれたのです。ですから、地上にメシヤを送って失われたものを取り戻すために摂理なさいました。そのような使命を抱いて来られたかたがイエス様でした。 イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難は、神と共に歩んだ道でした。イエス様は茨の道にあっても、「父よ、彼らをおゆるしください!」(ルカによる福音書23 : 34)と言いながら切に求めました。そのように死んでいく場でも、未来の勝利を約束してローマと、反対していた群れを祝福したのです。 ですから、イエス様の生涯は33歳で終わったのではなく、歴史とともに続いてきたのであり、神が保護なさったので、その精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるをえないのです。 内外の貴賓の皆様、今は世界でアメリカが最も強大な国といいますが、神の摂理に従って正しく立たなければ、いつまでも強大であることはできないでしょう。 神の摂理的な帰結 人類の文化史を見ると、古代文明は熱帯圏で始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。 人間始祖が堕落しなかったならば、春の季節にあたる温帯文明から文明が始まるべきでしたが、熱帯文明から始まって秋の季節にあたる涼帯文明圏が築かれました。それが自由世界を中心とした文明圏であって、西洋文明が中心です。おおむね、その文明圏は北緯23度まで連結していますが、アメリカとイギリス、そしてドイツなど西方の先進国が含まれています。 秋の季節にあたる涼帯文明が終わりながら、冬の季節にあたる寒帯文明が出てくるようになりました。それが共産主義の出現でした。知性人たちは、ソ連が解体して冷戦体制が終わったと考えましたが、いまだに唯物論と無神論は世界の随所に蔓延しています。 神の創造理想が春の季節の温帯文明から始まるべきだったのに、人間始祖の堕落によって熱帯文明の原始的な立場から始まりました。しかし、今からは涼帯文明と寒帯文明は終わり、人類が追求してきた温帯文明が始まるでしょう。 ところで、何によって寒帯文明を解かすことができるでしょうか。権力、経済、科学や知識ではそれを解かすことはできません。 世界の文明は循環します。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明がギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海に移り、その地中海文明がイギリスとアメリカを中心とする大西洋を経て、最後は韓国と日本を中心とする太平洋で結実するでしょう。 そのような文化史的な観点から見るとき、朝鮮半島の位置はきわめて重要です。韓国は北方にロシアと中国の寒帯文明圏と接し、南方にはアメリカと日本を連結する涼帯文明圏と接しています。ですから、ここに雨天文明を消化することのできる春の季節の温帯文明が発生するというのが摂理観です。 それゆえに、その両大文明の結実地である韓国から、南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド・ムーンが出てきたというのは、神の摂理的な帰結と言わざるをえないのです。 実際に、私が生涯を通して人種と理念、そして国境を越えて「神の下の一つの世界」を建設するための運動を展開してきたのは、そのような神の摂理に沿った道だったということを申し上げます。これは摂理史的な原則であって、私がつくりだした特別な理論ではありません。 今日の宗教 そのような摂理史を悟った私は、神のみ旨を成就するために、五大洋六大州で私の手が及ばない所はありません。今までアラスカ、南極、南米の33か国、旧ソ連の各国家、アジアやアフリカ大陸のすべての国家で、新千年に人類が当面する公害や食糧の問題などを解決することのできる準備をしました。近年にはブラジルのパンタナールとアマゾン川を中心として環境保存のための基盤を整えました。 一方、内的には「国際合同結婚式」と「真の家庭の価値誓約運動」に約4億3千万組が参加することで、神が長い間、待望されてきた理想家庭を土台とした地上天国の建設に拍車がかかっています。 内外の貴賓の皆様、これまで世界は政治と経済、そして軍事的な分野で優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神の摂理に歩調を合わせることができなくなるとき、永遠なる国はありません。ギリシャとローマがそのよい例です。今日のアメリカも過去のローマと同じです。ローマが滅亡した理由は、外からの侵犯というよりは、内部における道徳的な堕落によって崩壊し始め、天の運勢が離れたためでした。 一時は労働者と農民たちを中心として唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心として世界の人口の3分の1、地球面積の3分の2を占めたごともありました。しかし、それも永遠には続きませんでした。 今後は、神のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来るでしょう。ですから、全人類が希望をもつことができなければなりません。宗教指導者たちは、神のみ旨を地上に宣布し、人類が進むべき方向を提示すべき預言者たちです。しかし、今日のようにばらばらになって教派と宗派閥で争っている宗教は、神の摂理に対して障害となるばかりです。 「終りの日」は真の父母が現れる時 ですから、私はかなり前から統一教会の予算の90パーセント以上を超教派運動と超宗派運動に投入して宗教間の葛藤を解決するために努力してきただけでなく、世界平和宗教連合を創設して宗教団体間の和解と一致によって人類平和を増進する運動の先頭に立ってきました。最近では世界平和超宗教超国家連合を創設し、ワシントンで7回にわたって国際訓読セミナーを開きました。 全人類は、人種と宗派を超越して創造理想世界の実現に向けた神の摂理を理解し、究極的には神の心情に一致しなければなりません。人間始祖の堕落によって失ってしまった神との心情的な関係を回復して、本然的な父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。 神が約束なさった「終りの日」は、真の父母が現れる時です。言い換えると、「終りの日」は人間始祖の堕落によって父母を失った人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時だというのです。ですから、真の父母は人類歴史の希望の結実体であり、望みの結実体であり、勝利の結実体です。 統一教会は、国際合同結婚式を通じてそのようなみ旨を世界化してきました。民族と人種、そして皮膚の色を飛び越えて黒人と白人、そして黄色人種たちが兄弟姉妹として一つになり、夫婦となることは、地球村を一つにしようとする神のみ旨の成就において、最も重要なことの一つです。 そのように人類は、失った本然の兄弟姉妹、夫婦、父子の因縁を回復して、究極的に子どもを失って嘆いてこちれた神を解放してさしあげなければ、真なる幸福の道を見いだすことができません。 今まで民主主義世界で人間の自由と解放を主張してきましたが、私たちは神の自由と解放を主張しなければなりません。神が自由と解放を享受することができるようになれば、人間の自由と解放はおのずと実現するのです。 アメリカは準備された国 内外の貴賓の皆様、本日、アメリカの主要都市のうちの一都市で神の摂理を語っているのは、大変深い意味があります。アメリカは様々な面において、神の祝福によって準備された国です。 アメリカを建国した先祖たちは、命を懸けて信仰の自由を求めて渡ってきたピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)でした.彼らは信仰の自由を求め、愛する親兄弟と故郷に別れを告げ、国まで捨てる覚悟で命懸けで大西洋を渡ってきました。メイフラワー号がニューイングランドに到着したのは1620年11月の晩秋のことでした。そのように到着した102人のうち、その年の冬を越えられずに寒さと飢えにより半分以上の人々が死にました。彼らが立派だったのは、子孫たちのために翌年にまく種を残して飢え死にしていったという事実です。 清教徒たちは、何をするにも神のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは一年目の収穫を手に神に感謝を捧げ、教会と学校を建ててから彼らが住む家を建てました。清教徒たちが開拓していく路程で農業を営むときも、戦争するときも、いつも先立たせたのが祈祷でした。 独立戦争当時に有名だった最後の激戦地であるフォージ渓谷(Vally Forge)でジョージ・ワシントン将軍が戦闘に臨んだときも、命を懸けた祈祷を捧げたはずです。そのように神のみ旨を先立たせた戦闘で、神はアメリカの手を挙げてくださいました。 その当時に世界的な強大国だったイギリスは、国王と国民が合わさって戦いましたが、アメリカは神と神の愛する息子、娘が共に戦ったのです。ですから、アメリカという自由信仰のプロテスタント国家が成立したのではないですか。 今もアメリカの国会は、開院するときに祈祷で始めます。大統領が就任の宣誓をするときも聖書に手を置いて宣誓する国がアメリカです。さらには貨幣にも「我々は神を信じる(In God We Trust)」という言葉が刻まれています。ですから、アメリカが世界的な中心国家になりえたのです。 ところが、他方では今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論ではなく進化論を教育しています。さらには50パーセントに達する離婚率は、家庭の神聖さを余すところなく破壊しています。 そのような現実を心配された神の声を聞いた私は、いち早く1971年に祖国と家族を後にしたままアメリカに渡ってきました。そして私は、数度にわたって全国を巡回しながら「火事の家に消防士として来た、病気にかかったアメリカを治療する医師として来た」と叫びました。 すでにそのとき、私は神がアメリカから離れておられるのを発見しました。アメリカのあらゆる所に神がおられなければならないのに、反対に随所から神が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から、はなはだしきは教会からも神が離れておられたのです。 振り返ってみると、私がニューヨークのマンハッタン5番街を歩きながら、アメリカを離れられた神にすがってとめどなく涙を流したのが昨日のことのようです。不幸にも、私が予言したとおりに、アメリカは道徳的に衰亡の道を歩んでいます。 皆様、どうしてレバレンド・ムーンがアメリカで反対され苦労し、このように叫んでいるのでしょうか。私は神がアメリカを尋ねてこられるまで流された血と汗と涙のご苦労をだれよりもよく知っているので、この30年間、ただの一日さえ気楽に過ごしたことがありません。 アメリカの主人 アメリカの主人はだれでしょうか。ホワイトアメリカンやプラックアメリカンではありません。神がアメリカを愛されるようにアメリカを愛する人が本当のアメリカの主人です。 アメリカは地上に神の国を立てることができるよう選ぱれた長子圏の代表国家であるため、今もイエス様が霊的にアメリカの地におられながら、神のみ旨を成就してくれることを切実に願っています。 一方、私は神のみ旨に従って1982年にワシントンタイムズ社を設立し、アメリカの進むべき正しい方向を提示する保守正論紙としてアメリカの世論をリードしてきました。そして真の家庭の価値の実践運動と青少年たちのための純潔運動を通じて救世運動を展開してきました。それらすべてはアメリカが神の摂理に従って真っ直ぐ立つことができるようにと願う心から始めた仕事です。 私が1965年にワシントンD.C.を訪問して指定してあげたホワイトハウス近くの聖地には、今も夜を徹してアメリカのために祈祷する群れがたくさんいます。皆様がたすべては、心の扉を開いて、清教徒をはじめとした歴代の愛国烈士が今も切に願っている声を聞くことができなければなりません。 旧約と新約の約束が成就する成約時代 内外の貴賓の皆様、今始まったばかりの新千年は、6千年間追求してこられた神の救いの摂理の歴史が終わり、エデンの園で失った創造理想が天宙的に実現する時です。また、人間始祖の堕落によって主人を失ってしまった万物の嘆きも解放される時であり、長い間分かれていた父母と子どもが再会する時であり、これ以上涙のない新しい天と新しい地が築かれる時であり、地上と霊界に神の国が建設され通じるようになる時です。そして神の全般・全能の権限が行使される時です。 ひいては、東洋と西洋の全体が天地父母を中心として一つになって、地球星大家族の世界が実現する時です。それは旧約と新約の約束が成就する成約時代の完成を意味します。 今や時が来ました。アメリカがもう一度、覚醒すべき時が来たのです。第二の建国運動を挙国的に展開し、神を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家と真の世界を探さなければらない時なのです。ですから、離れようとなさる神にすがらなければなりません。 6千年間準備して尋ねてこられた神が、アメリカを離れられたら、どこに行かれるでしょうか。神に正しく侍りさえすれば、家庭の問題、倫理の問題、青少年の問題、そして人種の問題は自ずと解決します。五色人種が一つになって生きていくアメリカは、地上天国のモデルです。 私たちは皆、一致団結して人類が進むべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが、神に侍り、世界を神の前に導く先導者的な使命を完遂しなければならない時です。その歴史的な課業を完遂することに、みな共に参加してくださるようお願いします。 今一度、この場に来てくださった皆様に深く感謝し、天と地に平和と自由、そして正義があふれる新しい千年王国が実現するよう願いながら、私のお話を終えようと思います。皆様の家庭と国に神の祝福が共にあらんことを願います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.07
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純潔血統と生殖器2001年2月18日 ベルベディア 聖日礼拝 血統を引っ繰り返したこと、生殖器を滅ぼしたことを悔い改める 血統が変わってしまいました。血統が問題です。血統は、どこで間違ったのですか? 生殖器によってです。これが重要なのです。堕落とは何でしょうか? 血統が変わってしまったのです。生殖器を間違って使ったのです。この二つです。 本来、堕落がなかったならば、神様の血統であり、神様を中心とした生殖器でした。神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。それゆえ、絶対、唯一、不変の血統です。それから、生殖器も、絶対、唯一、不変、永遠な生殖器です。神様が喜ぶ器官であり、神様と連結された血統だというのです。サタンや第三者が入ってきて、滅ぼすことができるような生殖器ではありません。 堕落とは何でしょうか? 血統が変わってしまったということです。ですから、一八〇度、変わらなければなりません! これができていません。これが、すべて反対にならなければならないのです。 今、アメリカはどうですか? 現在、義父や義母など、さまざまな血統が混ざっています。そこには、糞尿のような汚いものが入っていないでしょうか? 殺人を犯した人の血が入っていないでしょうか? すべてが混ざっているのです。 あなたたちの先祖の血統はどうですか? 海の水のように腐らずに、澄んだ水のようだと思いますか? 堕落して、あらゆる血統が混ざっているのです。本来の、澄んだ水のような根源的な血統になっているのですか? なっていません! 考えてみなさい。現在のアメリカを見れば……。フリーセックスとは何ですか? それは、伝統的血統を否定するのです。伝統的生殖器もありません。そのような国は、地上地獄ですか、神様が共に暮らすことができる天国ですか? そして、生命と血統を連結させることのできるパイプ装置が何かというと、生殖器です。それが生殖器なのです。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」)。数千代の先祖たちが汚した血統が、今この時代において、皆さんの生殖器を中心として合流しているという事実。それをフリーセックスによって乱用しているのです。 男性と女性の凸凹を見れば、凹は受けるものですが、その受ける皿は、汚れた水でいっぱいになっている皿ですか、澄んだ水でいっぱいになっている皿ですか? どちらだと思いますか? 顕微鏡でそれを見れば、驚いて倒れてしまいます。わっ! そのようなものをもって、どこに行って受けようというのですか? 良心があれば……。凹がそうならば、男性のそれもそうです。そのパイプに、数千代の先祖が連結されているのです。死んでいません。すべて生きているのです。 そして、その二つが一つになるのです。それで、血統が結ばれ、赤ん坊を宿すのです。本来の原則から見るとき、そのような父母の血統に入っていきたいと思うでしょうか? ペッと唾を吐くでしょうか? 「万歳!」と言うでしょうか? 「ああ!」と言うでしょうか? いっそ、生まれてこないほうが、どれほどよいかというのです。血統を一度残せば、捨てることができません。血統が一度連結されれば、これは永遠のものです。 人間の細胞が六十兆個と言われていますが、無数の細胞の中に、アダムの細胞から、すべての先祖の細胞が入っているのです。アダムから数千代の先祖の細胞が、すべて入っているというのです。男性と女性を中心として、どれほど複雑ですか? 一つの系統だけ見てもものすごいのに、それがすべて混ざっているのです。 そのような凸凹をもった男性と女性が、青少年時代に愛し合うことは、恐ろしいことですか、どうですか? 恐ろしいことです。間違えば大変なことです。最も悪い男性の血統と最も悪い女性の血統が出合ったとすれば、どうなるでしょうか? 世の中を滅ぼす、悪魔の大王が生まれるのです。 先祖の血統がサタンの血統なのです。そのサタンの血統が分別されますか、されませんか? 若い男性と女性が愛し合うとき、そこに、何千個の原子爆弾よりももっと恐ろしい、赤ん坊の種が入っていくというのです。今世の中では、息子・娘を信じることができないではないですか。悪い血統が連結されていて、それが赤ん坊になるために、自分のパイプの先にたまり、女性と出合うことを願っているのです。そして、それが放出されて妊娠すれば、どのようになるか考えてみなさい。 それで、洗礼ヨハネは荒野に出て、「悔い改めよ。天国は近づいた!」と叫んだのです。すべて悔い改めなければなりません。何を悔い改めなさいというのですか? 血統をすべて引っ繰り返したこと、そして、生殖器を滅ぼしたことを悔い改めなければならないというのです。そこに、天国と地獄、良いものと悪いものが懸かっているのです。 怨讐の血統を受けた 神様の愛の血統が最初から出発して、永遠に続かなければならなかったのですが、神様の血統と関係を結ぶことができませんでした。堕落とは何ですか? 血統を汚したことです。皆さんは、その怨讐の血統を受けたのです。その傍らに、神様が行きたいと思われるでしょうか? 一八〇度、違います。 聖書には「怨讐を愛せ!」とあるのですが、あなたたちの体の中の怨讐は何ですか? あなたたちの体の外的怨讐、自分の体の中の怨讐は、どこですか? 「血統」と「生殖器」です。偽りの生殖器なのです。ところが、今までそのように考える人がいませんでした。ここにいる人たちは礼儀正しくて、いかにも立派に見えますが、どれほど醜悪な血統か分かりません。すべて違うのです。 この血統はすべてサタンから始まったので、サタンの血統だけがあるのです。神様の血統はありません。どこでそれを求めるのですか? それが問題なのです。それを地上に立てるのが宗教です。その宗教の中には必ず、「救世主」という言葉があります。救世主とは、何をするために来るのですか? 血統を清めて、故障した生殖器を治し、新しい神様の血統を受け、神様の属性である絶対、唯一、永遠、不変と同じ性質の生殖器をもった家庭理想を成し遂げるために来るのです。 血統がねじれる病です。生殖器が逆さまに刺し込まれたのです。これを治そうとすれば輸血をしなければならず、そのための医者がいなければなりません。輸血をする機械がなければならず、そのための専門家がいなければならないのですが、その専門家として来られる方がメシヤであり、救世主なのです。 それで、偽りのオリーブの木を切って、そこに真の愛のオリーブの木を接ぎ木しなければならないのです。偽りのオリーブの木が真のオリーブの木になろうとすれば、芽だけを切って、それを接ぎ木すればよいのです。芽の接ぎ木です。 真のオリーブの木の芽と偽りのオリーブの木の芽は、違うでしょうか、同じでしょうか? 素人には分かりません。それゆえ、地上で反対されるのです。真なる宗教は、世の中から一〇〇パーセント、一八〇度、反対されるのです。そのようなことを言えば、家から追い出され、村から追い出され、国から追い出され、死の道に送られて、すべて切られてしまうのです。 それでは、血統は二種類ですか、一種類ですか? (「一種類です」)。それは絶対的ですか? 絶対、唯一、不変、永遠ですか? (「はい」)。あなたたちは、そのような血統をもっていますか? 美しいアメリカの女性、あなたたちは、どのような血統をもっていますか? 複雑です。それは伝統もありません。複雑です。トイレの水、井戸の水、あらゆるものをむちゃくちゃに混ぜてしまったのです。そこに、現代の科学の毒素まですべて入っているのです。 神様がそのような人々に、「天国に来なさい」と言われるでしょうか? ここにいるアメリカの女性たちはみな、化粧をし、マニキュアをし、なんだかんだと騒いでいますが、そのようにしたからといって血統を変えることができますか? 立派な人になるためには、汚い所で王にならなければならない それでは、テストをしてみなさい。私がどこかのよい食堂に友達十人を連れていって座る時、「いちばん悪い席に先に座ろう」と考えなさいというのです。一八〇度、反対です。そして、食事をする時は、スプーンがおいしいものの所に行くのですか? 反対です。いちばん悪いものを食べれば、次には、いちばん良いものを食べることができるのです。 百名が座っている中で、九十九名が良いものを食べ、私がいちばん悪いものを食べれば、その九十九名から「あの人は、なぜあのように悪いものを食べるのか?」と認められ、いちばん良いものを……。主人の前に置かれたものを食べたとしても、だれも何も言いません。 寝る場所も、良い場所で寝ようとしてけんかしてはいけません。いちばん悪い場所です。分かりますか? 良い場所を与えようとするのです。道を歩いていても、どこに行っても、そのように為に生きるのです。そのように生きていくと、為に生きなければ、手の動きがぎこちなくなり、歩くのもぎこちなくなるのです。それを感じなければなりません。ぎこちなくなるのです。先に手が分かるのです。分かりますか? いつでも反対です。 種というものは、深い所に植えるのです。種がどんなに美しく、いくらきれいでも、植えるときには、肥やしを付けて植えなければなりません。 あなたたち、生殖器と肛門の、どちらが貴いですか? それらは、なぜこのように近くにあるのですか? 大便をすれば、毎回税金をもらうのです。大便をすれば、大便の臭いを税金としてもらうというのです。(笑)真なる種には、肥やし、肥料が付いていなければならないのです。分かりますか? ですから、立派な人になるためには、汚い所で王にならなければならないのです。それゆえ、統一教会で最も苦労する生き方をした人が、先生ではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。私が一人の人間として幸せに暮らすよりも、そのように生きることによって、数千万代の若者に火がついて爆発するのです。 韓国はアメリカよりも貧しいです。かわいそうですか? その韓国を捨てて、豊かに暮らすアメリカを救ってあげようというのです。なぜですか? 精神的な分野が貧しいからです。肉的なものはすべて、地獄の近くに行きます。豊かに暮らしていたお金持ちの家の息子・娘を連れてきて、苦労させ、天国に入れてあげようというのです。 今年の六月には一人残らず全員、三つの州を越えて派遣します。ヨーロッパかどこかにです。今では先生には、飛行機があります。私が「ロンドンに降りる」と、三、四時間前に電話するのです。ロンドンに着陸すれば、ロンドンに来ているすべての宣教師、伝道に来た人たちに会い、話もしてあげ、見物にも連れていってあげるのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか? 赤ん坊を連れていっていれば、赤ん坊の服も買ってあげるのです。 それが、どれほど貴い贈り物か分かりますか? 自分が十年努力しても、もらうことができない贈り物であり、子孫万代にわたって追慕する家宝になるということを知らなければなりません。何のことか分かりますか? (「はい」)。アメリカ人は日本に行き、日本人はアメリカに行き、ドイツ人はアメリカに来て、アメリカ人はドイツに行って伝道しなさいというのです。 先生が飛行機に乗ってあなたたちがいる所に行き、「伝道に来た人は集まりなさい」と言えば、元気が出るでしょうか、出ないでしょうか? そこに行って苦労したとしても……。 昔、私が若かったときに良い待遇を受けることができずに冷遇されたことを、蕩減復帰してあげるのです。あなたたちは冷遇されても、私が訪問して贈り物を買ってあげ、昼食も食べさせてあげ、ホテルで祝宴をしてあげるかもしれません。 怨讐の国であるアメリカに来て、新聞社をしながら、国連のためにどれほどお金を使いましたか? 世界のために、怨讐のためにそのようにしたので、今ではもうお金を使うところがありません。彼らが私を手伝うようになりました。 四十年間、私が一度でもお金をもらって会議をしましたか? すべて私が出してあげたのです。四十年間、負債を負ってきたではないですか? 四十年間負債を負ったので、「地方にいる人は来なさい」と言って、やって来た五百名くらいの貴賓に、「その地方を開拓した人たちをあなたたちの家に連れていき、王子以上に接待しなさい」と言えば、「そのようにします」と答える人が、たくさんいるというのです。 そして、「統一教会の若者を婿にしよう、嫁にしよう」と思わない人が、一人でもいると思いますか、いないと思いますか? (「いないと思います」)。イエス! 一度言ってみなさい。イエス! (「イエス!」)。手足を広げて踊りを踊りながら、イエス! (「イエス!」)。おなかがすいていませんか? (笑)九時を過ぎました。 以前、ナイル川のワニを見たのですが、大きな雌牛を一度にのみ込んでしまいました。それを見ながら私は「ああ、あれほど大きなものが一度にのみ込まれてしまうのか。牛は気分が悪かったとしても、幸福だろう」と考えました。(笑)そのようなことを少し考えてみなさい。死ぬことは死ぬのですが、病死するよりも、そのように死ぬほうが……。 そのような時は、ワニがどれほど喜びますか? 「ナイル川でいちばんおいしい肉を食べて誕生日の祝宴をした」と言うのです。(笑)ワニに捕まって食べられたからといって、地獄に行きますか、天国に行きますか? (笑) ましてや、天の願いに従って夏季伝道に行き、そのようにワニに捕まって食べられたとすれば、間違いなく地獄に行きますか、間違いなく天国に行きますか? (「天国に行きます」)。(笑)知っていることは知っているのですね。気分が悪いですね。私だけが知っていると思っていたのに、みな知っているので、おもしろくありませんね。(笑)ですから、そのように楽しく暮らそうというのです。分かりますか? (「はい!」)。 先生が行く所には、恐ろしいものがなく、できないことがありません。三年だけすればできるのです。三年あれば、チャンピオンになるのです。そのような度胸がなければなりません。先生が言わなくても、「私はそのように行く!」と、突破し、蹴飛ばしてしまえばよいのです。私がこのように蹴れば、あれが飛んでいくでしょうか、飛んでいかないでしょうか? (「飛んでいきます」)。一度してみましょうか? (笑)すぐに飛んでいきます。 絶対、唯一、不変の血統と、絶対、唯一、不変の生殖器 さあ、このくらい話せば分かりますね。血統です。その血統には、先祖たちが死なずに、生きて、うようよしているのです。手なら手にも、先祖の血統がかかわっているのです。 自分の生殖器にくっついて子女を繁殖するその種が、いちばん良い先祖の種なのか、悪い先祖の種なのかということを、いつも考えなければなりません。 自分たちの州なら州で、いちばん豊かに暮らす人、恵まれた人はだれなのかを考えて、「その人の生殖器を通して最後に実を結んだ息子・娘よりも、私の生殖器の結実として生まれた息子・娘のほうが優れている。優れていなければならない」と考えなさいというのです。 ここにいる男性たち、右側のポケットに小さなポケットがあるでしょう。ペンチを知っていますか? 釘などを切るものです。それを持ち歩いてトイレに行き、「こいつ! おまえは私の言うことを聞くのか、聞かないのか?」と、毎日一回、警告するのです。「切るぞ! こいつ」と言いながら、一度皮を切ってみなさい。(笑)そのようにしてでも、しなければいけません。一日に一度ずつ、警告しなさい。そして、一度皮を切ってみなさいというのです。(笑)次にする時は、その三倍、五倍、六倍、十倍と増やし、先端を切ってしまうのです。(笑) この者たち、なぜ笑うのですか? そのようにしてでも、一つにしなければなりません。先生がそのような訓練をしたでしょうか、しなかったでしょうか? (「しました」)。見たのですか? (笑)見ていなかったとしても、見たと思う人は得をする人です。 さあ、怨讐を愛するのですが、怨讐の中の怨讐は、この血統であり、凸凹であるというのです。それをサタン的に愛してはいけません。神様が願われる愛で愛しなさいというのです。 「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」。これです。今、生きているものを殺すことができない人は死ぬのです。生きようとする人は死ぬということです。分かりますか? その器官のことを言っているのです。これを正しくできなければ、大変なことになります。それをコントロールできるまでは、皆さんの血統は清くなりません。分かりますか? (「はい」)。 ここにいる若い女性たち、若い男性たち、誘惑が多いでしょう。誘惑とは何ですか? それは、占領しようということではないですか? 女性たちは全員、カミソリを持ち歩きなさい。「生命よりも貴い」ということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)。 堕落とは何かというと、血統を汚したことであり、生殖器を誤用したことです。それが頭にしっかりと打ち込まれなければなりません。死んでも、アダム・エバの関係はしてはいけません! 堕落してしまいます。 先生は、女性からどれほどたくさん誘惑されたことでしょうか? 考えてみましたか? 女性たちは、先生が好きですか? お母様がいなければ、あなたたち全員が候補者です。そのようなときは、問題が複雑です。日本人、アメリカ人、韓国人、十か国なら十か国で、すべて同じように春風が吹くのです。 アメリカの女性たちはついて来て、引っ張って、このようにするのです。そのように大胆です。それで、私がアメリカに来て、「一メートル以内に近づくな」と警告したのです。(笑)CIAからも女性を送ってきて、「文総裁は女性を好む」といううわさを流したのです。CIAやFBIが情報員に「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と命令し、何か月もつきまとって、全力で誘引しようとしました。しかし、その人たちが後で、悔い改めの告白書を書いて出ていきました。日本でもそうです。そのような歴史があるのです。 この中で、私が「キスしよう」と言うのを聞いたことがある人は手を挙げなさい。先生に「キスをしたい」と言う女性はたくさんいました。(笑)なぜ、笑うのですか? 思い通りにはできません。お金も通用せず、美人も通用しません。 先生が一人で暮らしているときに、寝ている所に女性が裸で入ってきて、「私を助けてください」と言うのです。そのようなことが、一度や二度ではありません。「五分あれば、女性が死ぬのを助けることができるのに、そのために五分も犠牲になれないのですか? そのような男性がどこにいるのですか?」と言うのです。それをどのようにしなければなりませんか? サッと精神統一をすれば動きません。 そのような訓練をしなければなりません。そうでなければ、神様の御旨をなすことができる、真なる男性、女性になることはできません。お母様がそのことを知っています。ですから、安心です。自信がある人は手を挙げなさい。わ! 私よりも立派ですね。これは、文総裁が成功したということですね。間違いないでしょう。(「はい」)。 三〇〇〇年に向かって出発する先頭に立ち、二月の三週目を中心として、きょうは十八日です。十八に二を掛ければ、三十六数です。よい数です。三六〇度です。 さあ、分かりますか? 絶対血統と絶対生殖器! 「純潔」と言えば、「絶対、唯一、不変の血統」と「絶対、唯一、不変の生殖器」と言えばよいのです。 では、アメリカの人たちは、何をよく食べますか? チーズと何を食べますか? 還暦の祝いで韓国の食事を準備してあげても、ハンバーガーを食べていました。そのように、習慣性とは恐ろしいのです。生殖器も習慣性を正さなければなりません! 分かりますか? (「はい!」)。フリーセックスをすれば、どうなりますか? いちばん悪い人と寝た夜に赤ん坊を宿したら、どうするのですか? 先生がいなければ将来、アメリカは滅びるようになっています。分かりますか? 日本の食口は手を挙げなさい。それは何ですか? このように挙げなければならないでしょう。半分以上ですね。なぜ、ここに来ているのですか? 自分が救われるために来たのですか、アメリカを救うために来たのですか? (「アメリカを救うためです」)。アメリカを救うためですか? 話はよいですね。 来週の聖日は何日になりますか? (「二十五日です」通訳者)。私は二十五日にはいません。大会が出発すれば、出ていかなければなりません。そのように理解して、再び来る時まで一生懸命にしなさい。分かりますか? (「はい!」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.29
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私たちの家庭はどうすべきか2001年1月29日(陰暦一月六日) ニューヨーク「真のご父母様 ご聖誕日」記念礼拝における御言 真のお父様が八十一歳、真のお母様が五十八歳を迎えられた「ご聖誕日」の記念礼拝において語られたものです。 きょうの主題は、「わたしたちの家庭は、どうすべきか」です。どうしますか? このアメリカで暮らしますか、韓国で暮らしますか、天国に行きますか? (「天国に行きます。」)どこですか? (「天国です。」)天国を知っていますか? 天国が、どこにあるのか、知っていますか? どこから出発しなければなりませんか? (「“私”からです。」)“私自身”からです。 天に地獄もあり、天国もあるのと同じように、皆さん自体にも地獄があり、天国があるのです。本心が願うままに行けば天国であり、肉身が願うままに行けば、地獄です。 それで、わたしたちの体の中に二人の自分がいるのと同じように、二つの世界があり、善なる世界と悪なる世界、善なる人と悪なる人、善なる“私”と悪なる“私”がいるのです。 しかし、この二つが闘っているのです。この闘いが終わり、平和の基地に連結した心を中心として、完全に一つになってから行く所が、天国だったのです。 今、ここに参加している人々は、心と体が闘っていますか、闘っていませんか? 神様が暮らす世界において、神様に似るとするならば、その世界に闘いがありますか、ありませんか? それが問題です。 それは、どういうことかといえば、二つの血統が入っているということです。本然の心には、神様の血が連結していて、堕落した体は、サタンの血が連結されているのです。これが、一つになることができません。 女性で例えれば、本来の夫と結婚しなければならないのに、他の夫に引かれていったということです。もし、結婚したとすれば、血統が変わるのです。その赤ん坊は、他の血統になります。 そこで、本然の夫の立場から見れば、他の男性が入って妊娠した、その赤ん坊を触りたいですか、触りたくないですか? 会いたいでしょうか? 愛したいでしょうか? (「ノー。」)なぜ、「ノー。」ですか? 大勢の人がいるのに、なぜ返事をしないのですか? なぜですか? どうして、「ノー。」ですか? 怨讐の血が入って、怨讐の子女が生まれたというのです。そのような怨讐なのですが、それは、どのような怨讐ですか? 怨讐の息子だとすれば、怨讐の愛を中心として、怨讐の生命と怨讐の血が一つになって、結実した息子なので、これを愛することはできません。完全に否定するのです。 それでは、堕落したサタンとは、何ですか? 神様の愛の怨讐です。それは何ですか? 愛の怨讐です。愛の姦夫なのです。その子女が、いくら美しく、いくらりっぱであったとしても、それは、見るのも嫌だというのです。百八十度違います。 このように考えるとき、女性は、夫が死んで、独りで生きるようになったとき、再び結婚できるでしょうか、できないでしょうか? (「できません。」)なぜですか? それは、わたしたちは、神様の息子、娘であるがゆえに、神様に似なければならず、神様と同じように生きなければならないからです。 神様は、愛の怨讐を見ることも嫌われ、会うことも嫌われて、永遠に怨讐視されるので、そのような場合、絶対に二人目の相対的存在がいてはならないのです。神様に従っていくわたしたちは、二度の愛の関係を結ぶことはできません。二度の結婚はできないのです。 堕落していないアダムとエバは、だれに似なければならないのでしょうか? (「神様です。」)その神様とは、何ですか? 神様は、“私”のお父様です。今、神様は何だと言いましたか? (「“私”のお父様です。」) では、本当に神様は、皆さんのお父様ですか? (「はい。」)本当に、そのように思っていますか? (「はい。」)神様の心と体は闘うでしょうか、闘わないでしょうか? (「闘いません。」) それで、絶対であられる神様は、心と体が統一されることにおいても絶対であり、唯一であり、不変であり、永遠であられるのです。どうですか? なぜ、黙っているのですか? では、皆さんの体は、こちらに行こうとするのですが、心は時々、反対の方向に行こうとするときがありますか、ありませんか? (ジェスチャーして語られる)(「あります。」)そのような渾沌としている所に、神様は、いらっしゃることができるでしょうか? ですから、心と体が闘う者は、神様と永遠に関係を結ぶことはできない、という決定的な結論を下さなければなりません。 それでは、「お父様」とは、一体何なのでしょうか? “私”は息子なのですが、その「息子」とは、一体何なのでしょうか? 父母の血統を受け継ぎ、その血統と一つになっており、そして父母、男性と女性の生命が一つになっており、さらに、そのうえに母が愛する父と、父が愛する母、二人が一つになっているのです。愛と生命と血統が絡まって生まれたものが、“私”です。 さあ、それでは、このミスター金キム(通訳の金キム孝律ユル先生のこと)が皆さんだとすれば、ミスター金の愛を、しっかりとつかんで引っ張れば、そこに生命と血統がついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか? (「ついて来ます。」) この三つが、すべて一つになることができますか? この三つが、いつも一つにならなければなりません。(「そうです。」)本当にそうですか? (「はい。」)あなたは、本当にそうですか? (「はい。」)あなたは、神様より優れているのですか? (笑い) 堕落した人間が、行ったり来たりするので、それを正すために、神様もどれほど行ったり来たりされただろうかということを、一度、考えてみてください。 神様も、しかたなく、あちらに行かれたり、こちらに行かれたりされたでしょうか? それとも、一方通行だったでしょうか? (「一方通行でした。」)それでは、皆さんが神様を妨害するようなことは、したことがないということですか? (「少しあります。」)(笑い)笑っているのを見ると、全員“そうだ”ということです。 それでは、若者と老人の肉身と心を比較すれば、若い人のほうが、より闘いが激しいでしょうか、老いた人のほうが、もっと激しいでしょうか? (「若者です。」)なぜ、老人は、そうではないのですか? (笑い) 老いた人は、子供がいて、家庭があるために、そのことを集中して考えるのですが、若い人は、何の考えもせずに、思いどおりに走るので、比較すれば、若い人のほうが闘いが激しく、老人は、自然に闘いが弱くならざるをえない、ということを知らなければなりません。 さあ、それでは皆さん。統一教会を信じることは、簡単ですか、難しいですか? 簡単ですか、難しいですか? (「難しいです。」)それは、どれほど難しいことでしょうか? 皆さんはすべて、渾沌としてさまよい、先生は、この“信じ難いことを信じる”という、統一教会の食口を率いて、正しい道を行こうとするのです。ですから、その先生の頭と考えは、複雑でしょうか、簡単でしょうか? (「複雑です。」) それでは、先生がそうであるならば、神様の頭は、どれくらい複雑でしょうか? 統一教会の食口は、アメリカでは何人になるのですか? 何百万になるのではないですか? それならば、この宇宙を支配される神様は、地上、霊界、過去、現在、未来の人に対して、すべてを正しく導くために、“一筋の道を行くようにしなければならない”と考えておられるのですから、その神様の頭は、どれほど複雑であられるだろうか、というのです。 皆さんは、先生を愛していますか? (「愛しています。」)“好き”なのですか、“愛している”のですか? (「愛しています。」) アメリカの人々、アメリカの女性や男性が、「愛しています。」と言うとき、それは、あまりにも安物です。(笑い)そのことを知っていますか? (「はい。」)フォーム(枠組み、形)をつかむことが、できません。フォーミュラ(公式)が、分からないのです。(笑い) “先生は知らなくても、私は先生よりも、もっと愛している”という人、手を挙げてください。(全員、手を挙げる)そうですか。ありがとう、ありがとう。どのくらいですか? 愛しているのならば、「その証として、指一本を切ってきなさい。」と言えば、切る人がいますか? (「はい。」) それでは、「この手首を切りなさい。」と言えば、どうしますか? (「はい。」)目は、どうですか? (笑い)笑ってはいけません。深刻なことです。「目を一つ売りなさい。」と言ったら、どうしますか? (「はい。」)鼻ならば? (「はい。」)口は? (「はい。」) 聖書を見れば、“死のうとする者は生きて、生きようとする者は死ぬ”ということが書かれているのですが、愛するならば、死ぬこと以上に愛さなければならないということが、定義になっているのです。 それでは、天国に行くのに、先生よりも、もっと良い所に行きたいですか、悪い所に行きたいですか? (「良い所に行きたいです。」)それでは、わたしが首を十回切れば、皆さんは、百回でも問題ないということですね。問題ありませんか? (「二百回でも切ります。」)(笑い)笑うのではありません、笑ってはいけません。 人間の体内の腸を伸ばせば、九メートルを超えるのですが、五臓六腑の代わりに、“私”が決意して手を挙げたとすれば、内臓すべてが手を挙げたことになるのです。 生命構造全体を代表して“愛する”と考えましたか? それとも、ただ習慣的に“「愛している。」と言えば、喜ぶから”と思って、「愛している。」と言ったのですか? 深刻な問題です。 神経、血、すべて一つにして、「愛している。」と言ったのですか? (「はい。」)本当にそうですか? どれくらいですか? 先生が、皆さんのポケットの中にある物を持っていったとすれば、「先生、私の物を、なぜ持っていくのですか?」と言いますか? それとも、「ああ、先生。よくぞ持っていかれました。」と言うのですか?○ (「『よくぞ持っていかれました。』と言います。」)さもなくば、「それは、いつでも持っていかなければなりません。」と言いますか? (「はい。」) 女性の一着しかない洋服を、すべて持っていったとすれば、どのように言うでしょうか? 「なぜ持っていくのですか?」と、言うのではないですか? (「言いません。」) 先生が、女性に対して、「皆さんが、『先生を愛している』と言うのならば、どれだけ愛しているのですか? 自分の体のおしり以上に愛していますか? そうならば、見てみましょう。」と言えば、見せることができますか? (笑い)心配が、大きな泰山のようですね。 では、“先生を愛している”というのですが、わたしにも分かりません。皆さんが「愛している」と言うのならば、わたしにも分からないというのです。昼食になって、おなかがすく時間になったので……。 ですから、わたしも知りません。どのように愛するというのですか? さあ、心は二つですか、一つですか? (「一つです。」)それも、分からないではないですか。心が、行ったり来たりし、上がっていったり降りていったり、上がったり下がったりするではないですか。 それが、本当に一つになり、目標を撃破できるような、何かになっていないのではないですか? そのようなことができる、何かがないではありませんか? 皆さん。女性が道を歩いていて、向こうから美男子が歩いてくるとき、関心を持ちますか、持ちませんか? また、それが美人であるならば、男性は関心を持ちますか、持ちませんか? (「持ちます。」) そのようなとき、“ああ、この美人に関心があって見ているのだが、どのような声なのか、一度聞いてみよう。”と思って、「ああ、苦しい! 死にそうだ。」と言えば、「どうしたのですか?」と、声を掛けてもらうことができるのです。 美人に関心があって、見ているのですが、近づいて来たときに、“声を一度聞いてみたい”と思って、「ああ、わたしは死にそうです!」と言えば、その女性は、そのまま過ぎ去っていくでしょうか、それとも「どうなさったのですか?」と言うでしょうか? 女性ならば、“治療をしてあげよう”と思わなければなりませんが……。それで、声を聞きながら、“においも一度、かいでみよう。触ってみよう。”(笑い) そのようなとき、その心は“一つ”でしょうか、それとも、上がったり下がったりしているでしょうか? そのようなとき、その心は、渾沌とした心ですか、 それとも泰然とした心ですか? (さまざまな答えが飛び交う) さあ、そのように渾沌とするとき、女性にキスすれば、それは、真の心でキスしたのでしょうか、渾沌とした心でキスしたのでしょうか? (さまざまな答えが飛び交う) 見るときに変わり、聞くときに変わり、においをかぐときに変わり、触るときに変わり、キスするときに変わるのではないですか? それは、どれほど悪い人でしょうか? そのように、渾沌とした分だけ悪い人なのです。 さあ、そのように渾沌とした中で、「私は、そのようなことは嫌だ。私は真だ。」と言うことができる心が、ないでしょうか? それが宿題です。そのような心を持つことができますか? (「はい。」) 問題は、いくら自分に渾沌とした心があるとしても、その心を、そのままにしておくのではなく、“自分の利益のための、自分が喜ぶための渾沌とした心は、すべて必要ないが、いくら困難があっても、その人を幸福にし、その人を私の何百倍も喜ばせてあげるときには、そこから精神が収拾されて、垂直に行くことができる道がある。アーメン。”と、このように思わなければなりません。 神様は、混乱して渾沌とした心を持っていますか、持っていませんか? (「持っていません。」)なぜですか、人と同じでしょう? そのような心がないのですか? 見る心、聞く心、感じる心、触りたい心、良い心、すべてあります。 いくら混乱していて、いくら環境が乱れていても、神様の結論的行動は、その人を生かして、その人を幸福にしてあげて、その人を喜ばせて、全体が福を受けることができるようにするために、そのようにしたとすれば、その混乱もすべて収拾されるのです。 “真の愛”とは何であり、“偽りの愛”とは何ですか? 世の中が引っ繰り返ろうと、何がどのようになろうと、愛する心は変わりません。そして、彼のために利益となる、愛の道を行こうとするときには、すべてのものが収拾されていく肥料になるのであって、妨害にはならないというのです。それゆえに、神様は混乱されないのです。 さあ、先生が忙しい生活をするときには、一日に何か所も行き、何人もの人に会い、いろいろな人に会って、いろいろな所に立ち寄るのです。それは、どれほど複雑で、どれほど環境が千変万化でしょうか? 自分の利益を中心としてすべてのことを考えて、“ここに来ていくらの利益だ、ここに来ていくらの利益だ”と、このように計算すれば、それだけでも大変です。それを記録するだけでも大変なのです。 ですから、投入して忘れてしまい、ために生きれば、自分が何をしたか、すべて忘れてしまいます。与えても忘れてしまうのです。どれほど簡単でしょうか? 引っかかるものがありません。出発して、複雑な道を回ってきたとしても、ここに立てば、いつもそのまま、ぴったりと合います。ぴたっと垂直なのです。 皆さんも、一度、そのように暮らしてみたいですか? (「はい。」)ポケットにあった十銭がなくなれば、それを捜すために歩き回って、大騒ぎするのですが、そのようなことが、一日に十回もあったとすれば、気が狂ってしまうほどに混乱するはずですが、そのように生きることができますか? なくしてしまったら、“私よりもおなかをすかせた人が、それで昼食を買って食べれば、私が買って食べるより良い。”と、このように考えれば、どれほど簡単でしょうか? さあ、そして、わたしがどこかに行って、だれかに会うことができなくても、どうして不平を言うことができるでしょうか? “ああ、わたしは、その人に会うことができなかったが、帰る途中で、もっと良い人に会うかもしれないではないか?”と思って、会えなくても希望を持てば、眠るときに楽で、夢見が良いというのです。 いくら混乱していて、いくら複雑だとしても、その相手のために生きて、彼らを愛して、ために生きてあげれば、神様が“私”を保護してくれるのです。そうして、神様の愛の圏内に浸り、神様と同じ雰囲気に包まれていくので、生涯において、つらい生活を克服できる道が、いくらでもないことはありません。アーメン。 まして統一教会の群れたちは、蕩減法を知っているのです。ですから、例えば、足がなくなったというときでも、“ああ、世界人類に事故が起きて足が切れてしまっていたところを、私一人の足が切れて、千人が救いを受けることができるのだ。”と考えれば、どれほど幸福でしょうか? さあ、統一教会の食口の皆さん。「蕩減」という言葉は、良い言葉ですか、悪い言葉ですか? 答えてみてください。(「良い言葉です。」)どれほど、良い言葉ですか? そのように考える人は、幸福な人ですか、不幸な人ですか? 誤解を受けて、手錠をかけられて監獄に行くとき、“ああ、なぜ監獄に行くのか? 何をしに行くのか?”と思って、“死にそうだ”と思うのですが、天下とともに死ぬ境地に行くのですから、生きる道も、いくらでもあるのです。英雄や豪傑たちには、そのようなことが多いのです。それを、“福を受けるために行くのだ”と、だれが知っているでしょうか? “私”が神様を愛することと、神様が“私”を愛することと比較できますか、できませんか? ですから、神様が“私”を愛するのですが、“私”のほうが、もっと愛すると思って、「私に蕩減を下さい。」と言い、“死なん”として、その道を行けば、神様は、“私”をそのまま死なせるでしょうか、生かされるでしょうか? (「生かします。」) そのとおりです。神様は、この六十億人類と、世界の数多くの国々を一つにして、あたかも一つの国と一人の人間が神様を愛するかのようにしたいと思われるでしょうか、思われないでしょうか? (「思われます。」) One nation, one cosmos, under God です。 アメリカの人々は、 One nation under God. と言います。そして、「その中心国家、一つの国とは、アメリカのことです。」と言うのです。(笑い)ぷっ……。(笑い) One world, one cosmos, one universe under God. です。(拍手) One nation under God ですか、 One cosmos under God ですか? (「 One cosmos under God です。」)皆さん、知っていることは、知っていますね。どこに行っても、 One universe under God です。そのように言うので、統一教会は嫌われるのでしょう? (ジェスチャーされる)(笑い)しかし、そのように統一教会を嫌っていては、すべて滅びるのです。 さあ、皆さんは、統一教会で洗脳されましたか、されませんでしたか? (「されませんでした。」)なぜですか? そのように、価値観が大きく変わったのに……。 このように考えれば、アメリカ人が誇ることは一つもなく、アメリカに学び、アメリカを手本とすることは一つもないということになるのではないでしょうか? アメリカには、大学がたくさんあるのですが、わたしは、大学をつくることができます。新聞社をつくろうと思えば、つくることができます。アメリカ政府以上のものをつくることができます。 しかし、それは、どのようにしてですか? 独りで、どのようにするのですか? 神様は、“私”の神様です。わたしを好まれるのです。夜も好まれ、昼も好まれ、どこに行っても好まれるのです。(「アーメン。」) 先生は、たくさん苦労しましたか、しませんか? (「たくさん苦労しました。」)皆さんを洗脳して、売り飛ばそうとしている、といううわさが立ったではないですか? (「はい。」) そうならば、皆さんを売って、先生のお昼ご飯でも補充してくれましたか? 一日でも、“先生のために生きよう”と考えましたか? 「息子、娘を捕まえて、売り飛ばした。」と言っていた家が、すべて滅び、悪口を言っていた家が、後で生活が苦しくなって、「息子、娘が死にそうなので、助けてください。」と言ったのです。 そのような過去のうわさは、今では忘れてしまいましたか、まだ残っていますか? (「忘れました。」)残っています。「そのときの話は、正しいかもしれない。再び、そのようなうわさが立つときが来るかもしれない。」と、このように言っているのです。 考えてみてください。“統一教会に入れば、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で出発しなければならない。”と思いながら、混乱した世界の考えで、あれこれとかき回して疑い、心配して統一教会に入ってきたではないですか。 ですから、いつ、そのまま昔の姿に返るか、分からないでしょう? 心が、清くなっていないではないですか。例えば、一度、け飛ばせば、「履き物で頭をけるような牧師が、どこにいるのか? ひどいやつ!」と、すぐに言うのではないですか? そのように、すぐに警察署に電話するのが、アメリカの女性たちでしょう? レバレンド・ムーンが、詐欺師とか盗賊とか、ありとあらゆる悪名を、すべて着せられているのではないでしょうか? もし、わたしが本当に、詐欺師のように、一度でも女性をだましたり、盗賊のように盗みを犯したりして、一度、詐欺の大将のようなことをしていたとすれば、今、残っているものがあるでしょうか、ないでしょうか? そのような先生のことを考えるとき、世界のすべてが悪口を言い、「ああ、詐欺師、盗賊め!」と言う声を、どれほどたくさん聞いたことでしょうか? 世の中で悪いと思われる言葉、ありとあらゆる悪い罪名をすべてくっつけて、「こいつ。死ね、死ね。」と言ったのですが、死なずに今、八十を超えたのです。 それで、先生の神経は麻痺して、感覚が鈍くなったのでしょうか? それとも、訓練を受けて、繊細になったのでしょうか? どうでしょうか? 考えてみてください。( strong.) strong(強い)よりも sensitive(繊細)です。 strong は、じっとしていますが、 sensitive は、どれほど混乱が起きるだろうかというのです。 八十歳を超えれば、“ぼけ”というものがあるでしょう? そのようなとき、皆さんは、どのようにするのですか? もっと混乱が起き、「先生が来る。」と言えば、皆、隠れるのではないですか? 先生は、あなたたちが、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従する。」と言うことを、信じることができますか、できませんか? (「信じることができます。」)顔には、五官の穴が七つありますが、一つの穴でもぺちゃんこになれば、皆、見向きもしなくなります。「何だ?」と言うのです。(「そのようには、しません。」) それでは、七つの穴の中で、いくつかがふさがってしまい、すべてふさがってしまい、顔の皮まではがれてしまえば、どのようにするのですか? すべてふさがってしまい、皮まではがれれば、どのようにするのですか? (「ノー。そのようには、しません。」)それを信じることができるのですか? 今の「ノー。」とは、何ですか? 盗賊が、そのように言うのです。詐欺師と盗賊は、避けるために、「ノー。」と言って、反対のことを言うのです。 さあ、本当に、「世の中がどうであろうと、先生が一日じゅう、何の話をしても、私が先生を愛していることに間違いはない。」と言う人、一度、元気よく手を挙げてください。(拍手) さあ、それでは、ここでわたしから祝福を受けた人、手を挙げてください。さあ、あなたたち、新婦を愛していますか? (「はい。」)先生よりもですか? (「はい。」)(「違います。」)(笑い)ああ、現実的に追求していかなければならないでしょう? 「ノー。」と言うことは、「ああ、新婦よりも先生を、もっと愛する。」と言うことですが、そのように答える人、手を挙げてください。夫のことなのに、女性がなぜ挙げるのですか? (笑い)これは、一人もいませんね。 それでは、きょう、皆さんが手を挙げたことを妻たちが見て、「夫は手を挙げた。八十歳の老人を、先生よりかわいい新婦、三十代の新婦よりも、もっと愛すると言った。」と言って、家に帰ってから黙っているでしょうか、不平を言うでしょうか? (笑い)(「違います。」)わあ! それは、アメリカの女性ではありません。(笑い) アメリカの女性たちは、足でけ飛ばしたり、手で引っかいたりし、馬乗りになったりまでするというのです。(笑い)本当に、そのようなアメリカの女性になってはいけません。警告です! (「はい。」) それでは、そのような話を聞きたくなければ、一つ例えを話します。 あなたたちの愛する夫が、だれかの隣に座るという場合、妻である自分よりも十歳年上の女性で、ふくよかな恵まれた女性の横に座るのがよいですか、それとも、三十代の若い男性の横に座るのが、よいですか? つまり、「自分の夫が座っているのですが、若い青年のそばに座っている場合と、太った女性のそばに座っている場合と、どちらが嫌ですか?」と、尋ねているのです。 女性は、自分の夫が、太った女性のそばに座るときに嫉妬しますか、それとも、とても若い人のそばに座っているときに嫉妬しますか? どちらが、より嫉妬しますか? どちらが、嫌なのか、ということです。(「……。」)(笑い)どちらを、より嫌いますか? どのような女性であっても、自分の夫が、女性のそばに座れば、すべて嫌い、若く美しい人であっても、それが男性であれば、夫が、その男性のそばに座っていても、何の関係もない、ということです。 夫が、老いた女性のそばに座ることと、若い男性のそばに座ることとでは、大きく違います。夫が男性のそばに座ることは関係ありませんが、老いた女性であっても、女性のそばに座れば、大いに関係があるというのです。何の話か、今、分かりましたか? (笑い) 妻は、自分よりも十歳も年上の女性であっても、夫が、女性のそばに行って座ることは嫌がるというのです。しかし、自分より年の若い男性のそばに座ることは、何の心配もしません。そういう話です。 相手が女性なら、年を取っていても若くても、すべて嫌うのです。分かりますか? (「はい。」) それでは、アメリカ人の女性の夫が、東洋の年老いた女性のそばに座れば、そのときはどうなのでしょうか? 同じです。同じことを感じるのです。女性という女性は、すべて好みません。自分の夫のそばに、黒人の女性が来て座ろうと、東洋の女性が座ろうと、西洋の女性が座ろうと、年老いた女性が座ろうと、女性は、自分の夫のそばに女性が座ることは、好まないのです。 では、夫は、自分の妻が他の男性とダンスすることを喜ぶでしょうか、嫌うでしょうか? (「嫌います。」)(「お父様ならば、よいです。」)わたしは、アメリカの女性のことを知らないので、学ぼうと思って話しているのです。どうですか? (「嫌います。」)ですから、すべて同じです。同じなのです。 それでは、遊びの大会や踊りの大会で“スターになってみたい”と思うのは、女性が多いですか、男性が多いですか? (「女性です。」) では、女性のほうが、男性より良い面が多くありますか、男性のほうが、女性より良い面が多くありますか? (「男性です。」)そのように思っているのですか? それでは、今日のアメリカの家庭では、女性が、すべて女王のようにふるまって、男性を働かせているのですが、その家は、栄えなければなりませんか、滅びなければなりませんか? どちらなのですか? ですから、統一教会員を好まないのです。(笑い) それでは、天国に行くときに、女性が大勢、天国に行くのでしょうか? 男性を働かせた女性が、大勢、天国に行くのでしょうか、それとも、良心的な男性、“それでもよい”と考える男性が、大勢、天国に行くのでしょうか? (「男性です。」)(「分かりません。」)(笑い)分からないのは、愚かな人です。それは、ごみ箱に入っていってしまいます。(笑い)間違いなく、そうです。地獄に行くのか、天国に行くのか、分からなければ、実際に天国に行ってみなさいというのです。 アメリカに来ているレバレンド・ムーンは、アメリカの人々に間違ったことをして、悪口をたくさん言われましたか、それとも、良いことをしたにもかかわらず、悪口をたくさん言われましたか? (「良いことをしたのに、悪口をたくさん言われました。」)あなたたちは、“ムーニー”なので、そのように言うのです。 “ムーニー”ではなくても、そのような……。最近では、“ムーニー”ではなくても、皆さんよりも、もっと、「レバレンド・ムーンがナンバーワンだ。」と言い、手紙を送ってきたり、称賛する人が、本当に増えたのです。ここに六百人の人がいますが、世界の中で“我こそは”という、名立たる人が、すべて集まって……。 きのうも、わたしが百人くらいの人を集めて、ハッパをかけ、悪口を言っても、それでも不平を言わないで、「ああ、悪口を言われるに値します。あなたが、そのように言われるに値します。」と、そのように言うのです。(拍手)皆さんが拍手するのは、おかしいのではないのですか? おかしな雰囲気になりましたね。 皆さんが誇ることとは、何ですか? (「真のご父母様を知っていることです。」)真の父母を知っていて、何の関係がありますか? お父様が必要ですか、先生が必要ですか? (「お父様です。」)王が必要ですか、お父様が必要ですか? (「お父様です。」) なぜ、お父様ですか? そこから愛と生命と血統が、もたらされるからです。生命と愛と血統は、過去、現在、未来を表します。それが、一代に代表されているのです。血統は永遠です。 そのことを知らなければなりません。西洋人は、血統というものが貴いということを知らない、でたらめで愚かな人たちです。 さあ、このミスター金キムの体の中には、何千万代の先祖の細胞があるのです。この脳だけでも、千億個の細胞が入っています。体全体の数十兆の細胞の中で、先祖の血が、すべて生きています。生きているのです。 「メンデルの遺伝の法則」というものがあります。遺伝法則によれば、自分の先祖の中に黒人がいれば、いつの代にでも、黒人が生まれてくる可能性があるのです。そのことを知っていますか? そのような要素は、死にません。分かりましたか? それは、永遠なのです。 アングロ・サクソン民族の血統を中心として、「アングロ・サクソン、白人が一番だ。」と、このように主張しています。旧教とは何ですか? 南米は何ですか? ラテン民族です。彼らの血統が、怨讐になっているでしょう? それでは、神様の血統を持って生まれてこなければならないのに、サタンの血統を持って生まれたのですから、これが一つになるでしょうか、ならないでしょうか? 分かりましたか? (「はい。」) 統一教会は、何を主張しているのかといえば「天の血統」です。サタンの血統は、地獄に行きます。体が願うとおりにすれば、地獄に行きます。良心が願うとおりにすれば、天国に行くのです。皆さん自体において、地獄と天国が闘っています。ですから、心と体を統一しなければなりません。 この体が喜ぶことは、食べること、寝ること、愛することです。そのようにして、自分を中心として引き込むのです。体は、自分のために生きるのです。しかし、天は、「断食しなさい。奉仕をしなさい。犠牲になりなさい。祭物になりなさい。血を流しなさい。」と言われるのです。 ですから、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ。」という総結論が下されるのです。 さあ、天国に行きたい人は、手を挙げてください。一番、簡単なことです。それは、一番、簡単なことです。地獄が、どこかということを、はっきりと知ればよいのです。そうすれば、血統が変わるのです。体が、心を引っ張っていくのです。分かりますか? それでは、心が体を引っ張っていくようにするためには、どのようにしなければなりませんか? 堕落するときに、サタンとエバが愛した堕落の愛が、体から先に始まり、それが、愛を知らない心よりも強かったということが、問題なのです。 成長していない若い人に、男女関係の火がつくようになれば、すべてが破壊される、ということと同じです。愛は、自分勝手にするようには、なっていません。神様がいらっしゃって、完成したアダムとエバ、先祖がいて、自分の親戚の公認を受け、彼らが喜ぶことができるところにおいて、愛さなければならないのです。 アメリカとは、何ですか? 小学校、最近では、十歳になった子供にまで、何を分けてあげるのですか? (「コンドームです。」)そのように、コンドームか何かを分けてあげているのです。そのようなことをするこの国は、滅びなければなりませんか、滅びてはなりませんか? そのような女性や男性たちは、父を知らず、夫を知らず、妻を知らず、息子、娘を知りません。そうして、終わりの日には、近親〇姦が起こり、おじいさんが孫娘と暮らし、さらに嫁と暮らそうとする現象が展開するのです。それは、滅びなければなりませんか、滅びてはなりませんか? 動物世界でも、そのようなことはなく、昆虫世界でもありません。 ローマ帝国は、そのことゆえに滅び、ソドムとゴモラもまた、それで滅んだのです。生殖器は、最も恐ろしい武器なのです。 サタンは、天下を壊し、神様の天国を壊そうとするのです。このアメリカの人たち。この若い者たち。それは、自分のものではないのです。自分の体は、天国の民族を生むための“父母の体”です。このことを知らなければなりません。 この体は、神様の愛を受けることができる、天国の民族をつくるための“代表的父母”になるのです。 アダムとエバも、そのことを知りませんでした。アダムとエバは、その生殖器を“自分のものだ”と思っていたのです。 しかし、それは、自分のものである前に、神様のものです。宇宙のものなのです。そのことを知りませんでした。 それから、自らの兄弟を愛するようになっています。全体のために生きる位置に立って、初めて自分のために生きるのです。そうでなければ、消えてしまわなければなりません。分かりましたか? それは、自分のものではないのです。特に女性。それは、自分のものですか? 胸は、自分のものですか? おしりは、だれのものですか? なぜ、女性のおしりは、このように大きいのですか? それは、自分のためのものですか? 子宮というものがあります。その子宮は、自分のものですか? (「赤ん坊のものです。」)だれのものですか? すべて、赤ん坊のものです。赤ん坊のためにあるのです。自分のためにあるのではありません。 顔は、どうですか? ひげが多い男性は、柔らかいものが必要なので、ひげのない女性を必要とするのです。男性は、“骨”と同じであり、女性は、“肉”と同じです。女性が、かわいらしいのは、女性自身のためですか? だれのためですか? 男性のためです。 “凹凸”とは、何ですか? それは、何をするためのものですか? 女性のものは、だれが、その主人ですか? 自分が、主人なのではありません。男性ゆえに、それはあるのです。この女性たち。永遠の主人は、男性です。 それでは、男性の“凸”の主人は、だれですか? 妻です。そのことを知らなければなりません。そのように、すべて、自分のものではありません。男女の生殖器の主人が、“入れ替わっている”ということを知らなければなりません。主人が違います。 女性のものは、皆さんのものになる前に男性のものであり、男性のものになる前に父母のものです。そして、父母のものである前に神様のものなのです。それを知らずに、それを自分のもののように自分勝手に扱うのですか? 独身生活は、罪の中の罪です。先祖を否定して、男性は女性を、女性は男性を否定して、夫婦は、子女を否定する罪の中の罪です。それは、天地法度をすべて無視するのです。そのようにすれば、一代で、すべてなくなります。 霊界は、どれほど大きいでしょうか? その膨大な国を、ぎっしりいっぱいに満たすために、地上で、すべての人々が夫婦を成して、子供をもうけるのは、あの世における民族をつくるためです。それにもかかわらず、独身生活をすれば、どうなるのでしょうか? 天国が空いてしまいます。そうして、一代で、すべてなくなってしまうのです。 ですから、白人たちが好む“ホモ”について行ってはいけません。黒人と有色人種たち! 警告します。そのようなことをしていると、将来というものがなくなってしまいます。滅亡です。世代を下っていくにつれ、家庭という概念がなくなってしまいます。「家庭は要らない。夫婦は要らない。子供は要らない。いかなる関係も必要としない。」と言って、滅びてしまうのです。罰が当たります。 そのことを、よく知らなければなりません。間違いなく滅びます。ホモは、一代でいなくなるのです。フリーセックス、エイズがうつって、今、アフリカは滅びの危機に瀕するようになっています。 さあ、女性たち! 若い男性と女性たちが、滅びることを願いますか、発展することを願いますか? 繁栄しようとすれば、どのようにしなければなりませんか? 天の血統によって、サタンの血統をなくしてしまわなければなりません。明確です。わたしたちは、このようなことをはっきりと知っているので、神様の血統にならなければなりません。 それでは、これは何ですか? (板書されたものを指されながら)「私たちの家庭」とは、何ですか? “神様の血統を受け継いだ家庭”のことを言うのです。しかし、それは、真のご父母様の血統ではありません。神様の血統があって、その次に真のご父母様の血統が続いているのです。皆さんは、三代目です。 メシヤを送ったのは、神様の血統を再び、移植するためです。それで、救世主がいて、イエス様が、それを成そうとしたのです。 皆さんの良心が、「こちらに行きなさい。」と言うとき、体が「やー、やー、行くな。」と言って、躊躇させようとするときには、「やー、サタンの血統よ、神様の血統よ! どちらが強いか? 神様の血統のほうが、もっと強いだろう。」と言って、け飛ばしてしまわなければなりません。 全世界の若者は、「レバレンド・ムーンの祝福を受けなければならない。」という国連の決定が下されれば、全員、その道を行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (「行かなければなりません。」)なぜですか? エイズを防ぐことができ、青少年の淪落と家庭破綻を防ぐことができる、初めての組織であり、特効薬であるからです。(拍手) それらの問題は、この世界で最大、最悪の問題であり、世界のいかなる種類の力をもってしても、これを防ぐことはできません。 世界のいかなる政府によっても、知識や教育、学会、武器、軍事力、経済力等の、いかなる力をもってしても、この由々しき、渾沌とした状態を防ぐことは不可能であり、ただ、レバレンド・ムーンによってのみ、解決可能なのです。そして皆、成しました。 その処方箋、解決方法は、特許であり、そのことによって、天国に入ることは問題ありません。(「アーメン。」)両手を挙げて、「アー、アー、アー。」(「アー、アー、アー。」)「メン、メン、メン。」(「メン、メン、メン。」) 「私たちの家庭は、どうすべきか?」ということを、今、分かりました。「この女性、この男性、私は離れられない。」それは、真の父母でも分けられません。(ジェスチャーされる)(笑い)私たちの家庭は、このようになるのです。 「真の父母とは、何をするのかと思えば、私のために、天国に直行することのできる道を築いてくれる使いであるが、使いの中でも“使いの大王”だなあ。」と言うのです。「橋よ、出てこい。」と言えば、橋が、がたっと出てきて、山が高ければ、飛行機を持ってきてくれたり、天国の天使たちが、抱いて運んでくれるというのです。そのようなことを手伝ってあげることができる、最高のかたが、真の父母です。 知識が必要ならば、知識の力、パワーが必要ならば、パワー、政治的な力、知識の力、何でもすべてです。(「アーメン。」) それが必要ならば、片方の手を広げるのではありません。両手と両足の二十本の指まで広げるのです。 これから千代にわたって、わたしたちの後孫がいて、また、先祖も千代にわたっていますが、その中で“ナンバーワン・カップル”になるというのです。神様の純潔を守る絶対、唯一、不変、永遠な神様のように、神様が第一の先祖ならば、“私”は第二の先祖です。それが、“祝福の中心家庭”である“私”の立場なのです。 わたしが、神様について行かなければなりませんか、神様が、わたしについて来なければなりませんか? 神様も、どうしようもありません。真の父母が、解放してさしあげなければなりません。偽りの父母がつくったものを、真の父母が崩さなければなりません。 さあ、先生は、もう成すべきことは、すべて成したでしょう? 「神様王権即位式」をしてさしあげたのですから、それ以上、何をするのですか? (歓呼と拍手)人間として、それ以上することのできない、最高のことを、してさしあげたのです。 それでは、何をすることによって、それを成したのでしょうか? 神様の血族をつくり、血統をつくり、それを守るために個人、家庭、氏族、民族、国家を中心として、世界四億双以上の祝福をすべて成して国連の頂点に立ち、国連の名によって祝福命令を下さなければならない時になったのです。 国連が、どのような所なのか、また、統一教会の祝福家庭が、それに見合う、どれほどりっぱな存在なのか分かりませんが、国を代表する大使たちも勝手に話もできない国連で、祝福をしたではないですか? そのように、全世界で、統一教会と祝福を受けた人に反対した者たちが、口を開いて称賛できるようにしたのですから、すべて終わりました。滅びるものは、すべて滅びたのですが、わたしたちは栄えて、発展したのです。わたしたちの権勢圏を中心として、一族を中心として、一時に、国全体を完全に、真の愛で占領してしまうのです。(歓呼と拍手) 右手には、神様王権、人類解放祝福、左手には、国連と、すべての国の解放祝福。そうすることによって、真の父母は、神様の王権を復帰して即位式を挙行してさしあげたので、世界人類は、真の父母の王権を復帰して、即位させて解放する責任が残っているのです。このことを知らなければなりません。 真の父母は、カップルです。そして、カップルとして「神様王権即位式」を成しました。ですから、皆さんも、王のカップルなので、各国を神様の前に解放してさしあげなければなりません。そして、真の父母の解放が残っているということを知らなければなりません。(「アーメン。」)(拍手) そこで、「私たちの家庭は、どうすべきか?」というところに還るのです。 分かりましたか? 皆さんの家庭が皆、真の父母の国を取り戻してあげなければなりません。皆さんが総動員されて、各国々のすべての大使館を通して、そのことを成さなければなりません。分かりましたか? 恐れることはありません。きょう、決心しなければならないというのです。 何があっても自分の国を……。真の父母が、神様と大宇宙の王権解放即位式を成したのですから、皆さんは、自分の国と自分の一族を解放して、即位式をしなければならない責任がある、ということを知らなければなりません。 それで、家庭的即位式、氏族的即位式、民族的即位式、世界的即位式、天宙的即位式をしてこそ、神様の解放と真の父母の解放が完結され、「地上天国、天上天国完成、万歳。」と叫ぶことができるのです。そのことを知らなければなりません。 そのようなことは、すべて、真の父母を送ってくださり、この一日を迎えるために数多くの宗教を犠牲にして、数億千万人の血を流したのです。先生まで血を流して、皆さんを解放してあげたのです。 ですから、先生が、すでに、歓迎を受けることのできる基盤を、すべて手に入れたのですから、皆さんが自分の国を救うことは、何でもありません。今や、“自分の国は、自分が復帰してみせる”と言って、真の愛で捕まえ、占領しなさいというのです。 二〇一二年までです。神様と先生の約束です。やりますか、やりませんか? (「やります!」)本当ですか? (「はい。」)首が、十回も切られてしまったとしても、それでもですか? (「それでもします。」) それでは、立ってください。“する。”という人は、立ち上がり、“しない。”という人は、座っていてください。 さあ、どこに行くのか、すべて分かったというのです。神様の解放はもちろんであり、真の父母の解放はもちろんであり、私たちの国と私たちの家庭の完全解放、それを地上天国とともに解放しようというのです。(「はい!」) 解放することは、何の問題もありません。そして、世界を平らにするのです。いかなる障害もありません。家庭から地上天国まで至る道のりに、いかなる問題もなくなるのです。神様と真のご父母様が、すでにそのような高速道路の基盤を造成したのです。 ですから、何の問題もありません。「ノー・プロブレム(問題なし)」ですか、「プロブレム(問題あり)」ですか? (「『ノー・プロブレム』です。」)永遠に「ノー・プロブレム」です。変わることなく、絶対に「ノー・プロブレム」なのです。 そのような基盤を造ることにより、自由を手にしました。完全な自由です。神様と真のご父母様、そして全人類の解放は、一つ一つの家庭の中にとどまります。すべては、つながっているのです。 いわゆる歴史の終着駅とは、地上天国と天上天国です。分かりますか? そこには、自由があるでしょうか? そこは、自由の故郷であり、自由の国なのです。そこには、幸福のすべてがあります。そのような価値ある所です。分かりますか? 完全に理解したのであれば、決断をしましょう。 さあ、両手を挙げて、万歳を言って、誓いましょう。どんなに難しくとも、私たちは前進するのです! それを乗り越えていく決意をして、手を挙げて、万歳をしましょう! 〈万歳三唱〉一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.28
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天国には誰がどのように入るのか(2001.01.29 WCSF(世界文化体育大典)2001閉会式バンケット ヒルトンホテル) 尊敬する前・現職国家元首、高名なる宗教指導者、そして各界を代表する世界の指導者の皆様。このたびの大会を輝かせてくださった皆様のご苦労を心より慰労いたします。 また、私の業績を祝賀してくださり、また今後もさらに多くの協力を約束してくださったことに対して、感謝いたします。 今私はそのお返しに、世界指導者の皆様に貴い贈り物としての話をしようと思います。私が若いころより筆舌に尽くしがたい受難の境地において、広大無限なる天上世界を渡り歩いて直接探し出した真理です。だれしも避けることのできない死後の世界である霊界の原理と、人々がしきりに行きたがっている天国の内容の一部を紹介したいと思います。 人間始祖は堕落によって神様の祝福の中で結婚式を挙げることができませんでした。彼らは神様に背き、成長期に姦夫(かんぷ)であるサタンと不倫の罪を犯して堕落しました。怨讐であるサタンの血筋を相続したことが問題です。 神様の愛を成した心と体が一つとなり、夫婦が一つとなり、子女が一つとなって、地上天国生活を成した後に、天上天国に入るのが創造の原則です。神様の血筋を受けて霊界に行くようになっていました。 結婚して最初に愛の関係を結ぶ瞬間は、男性完成と女性完成がなされる場です。また天地の中心として地上に定着することのできる愛の王宮がその中で始まるのです。したがって、人が本来みな出発するところであり、また生命が、そこから連結されるのです。血筋がそこで連結されるのでありそれとともにそこから国が生まれるようになるのです。地上天国、天上天国が初愛の扉を開くその場で始まるのです。 男性と女性が愛によって一つになり息子、娘を生むのは、目に見えない神様の創造の業を目に見える実体として成すことです。血を混ぜることのできる力は愛です。血を混ぜることのできるその軸がどこにあるでしようか。どこが発電所かといえば、男性と女性の凸凹が初愛をするところです。真の愛の発電、真の生命の発電、真の血統の発電、真の家庭とともに地上天国の発電、天上天国の発電がなされるのがまさにそこです。神様の実体対象であるアダム・工バの結婚式は、すなわち神様の結婚式となるのです。神様の解放と自由がここから起こり、神様の歌と踊りもその上でなされるのです。 初愛がどれほど貴重で恐ろしいものであるかを知らなければなりません。初愛が間違えば愛の王宮を失い、生命の王宮、血統の王宮とすべてを失ってしまいます。人間始祖の堕落はそれほど恐ろしいことでした。地上天国と天上天国の起源を失ってしまったのです。天地がすべて地獄に変わったのです。 「生殖器」が卑しい言葉になってしまったのも、それが亡国の種となったためです。今まで一番悪いものとして扱われてきました。本来は凸凹が結婚して初愛の関係を結ぶその場から、神様の愛の理想が完成される定着地が生じるのです。男性と女性を中心として、神様の相対的位置としての完成の位置が決定されるのです。これは宇宙の核です。これが動くようになれば宇宙が行ったり来たりするのです。 これは本然の愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、人間が望む自由と平和と幸福がここから始まるのです。さらに個人、家庭、氏族、民族がここから連結されるのです。平和の基地もそうであり、地上天国、天上天国のすべてのものが愛から生じるのです。凸凹の結合によって男性のすべての全体と女性のすべての全体が混ざり合うのです。人生の善の実も悪の実も、みなここで結ばれます。生殖器がどれほど貴く貴重なものであるかを知らなければなりません。天道は、男性であろうと女性であろうと、その生殖器をみだりに使えるようになっていません。 アダム、工バはサタンの偽りの愛の欲求のために罪を犯し、偽りの夫婦、偽りの父母となり、サタンの血統を後孫に相続させる堕落した家庭を成しました。 救援摂理はすなわち復帰摂理です。まさにこの間違った根本を探し出し、これを復帰しなければならないのです。神様の真の愛による復帰されたアダム、真の父母を立て、真の生命の接ぎ木をするのです。真の愛によって完成した男女は、神様の祝福のもとで真の家庭を築くようになります。 人は地上で理想的な家庭を成して生きながら、その内なる人である霊人体を完成させ、天上世界に行くようになっています。霊人体が神様の愛の中で永遠に生きる天上天国が私たちの故郷です。堕落によって霊性が故障したために、霊人体も天上世界も分からないのです。人間は動物とは違って霊人体があり、必ず行かなければならない天上の世界があることを知らなければなりません。家庭は愛の心情を完成させ、愛を施す主人となるための学校であり、訓練所です。 したがって、家庭は天国完成の基本単位です。真の愛の主人であられ大王であれらる神様に侍り、愛の天上天国は家庭を単位に入籍するようになっています。 生命を持ったすべての存在の最高の理想は、神様の愛の対象となり、神様を占有することです。すべてのものを投入し、神様のように多くのものを投入する人が、より高いところへ行きます。個人よりも家庭、家庭よりも氏族、さらに民族、国家、世界、天宙、そして神様のために犠牲になる者が、神様により近い真の愛の相対者になるのです。 宇宙を創った神様は、だれよりも宇宙のために生きてこられた代表者であられます。したがって、その方と会って共に生きようと思えば、真の愛によって為に生きる訓練をしなければなりません。神様は知識の大王、権勢の大王、物質の大王であられますが、知識や能力、物質を持って来いとはおっしゃいません。だれでも真の愛のために生きてから来るようになれば、みな私のもとに来ることができるとおっしゃりながら、待っておられるのです。 尊敬する世界の指導者の皆様! 多くの人々が絶対者であられる神様、全能であられる神様、栄光の神様であると簡単に言います。しかし、私が求道の道において明らかにした神様は、そのような位置におられる神様ではありませんでした。人間始祖の堕落により、神様は愛する息子を失った父母となりました。息子が監獄生活をしているのに、栄光を受ける父母がいるでしょうか。神様の心情は限りなく痛いのです。 また堕落によって、人間のために創った宇宙万象までもすべてサタンの主管圈に渡してしまいました。天上の主人であられる神様は、その愛の対象を失ってしまった瞬間から、限りなく寂しい神様になられました。万物の主宰者としての権能を一度も主張してみることができませんでした。 不出来な堕落人間たちでさえみな自慢して生きているにもかかわらず、神様は創造主の威信を一度も立ててみることができなかったのです。すべての生命の主人であられながら、彼らの前に進んで自分自身を現すことができませんでした。 元来、主人であられるのに、非原理世界に落ちた結果世界でどうして自由に運行なさることができるでしょうか。あらゆる不信と虚欲の道を歩んできた人間たちは、無形の真の父母である神様をいないと言い、死んだと言いながら、無視して生きてきました。神様は長い歴史を恨(ハン)を抱いて生きてこられました。非常に長い間耐えてこられました。 アダムとエバが未完成期に堕落し、偽りの父母となって生まれてきた人類に、真の神様が直接現れて、その権能によって治めることはできないのです。 歴史の中で再臨主が第二アダムとして、あるいは第三アダムとして現れ、第一アダムの失敗を蕩減し、真の父母理想を完成することによって、すべてのものを回復しなければなりません。そのときまで、神様は焦燥たる思いで待たなければなりません。これが恨のこびりついた神様の復帰摂理史なのです。 私は真の父母の使命を完遂するために生涯の努力をしてきました。私の富や地位は問題になるはずもなく、教団が目的でもありませんでした。ただ一つ、神様の願いを果たし、神様の心情にこびりついた恨を解いてさしあげようと、走り抜いてきました。神様を解怨し、自由にしてさしあげた神様を万民の主宰者として、天宙の大王様として侍ることができるために、至誠を尽くしてきました。 このことが簡単に言葉だけでできることでしょうか。天地でサタンを屈服させ、霊界の地獄を隔てている壁さえも崩さなければなりません。地上人たちと霊界人たちを、神様を中心として祝福の道に自由に出てくることができるように整備しなければ、真の愛の神様の心情を解放することができないのです。 このすべてのことがサタンの公認を受けることはもちろん、宇宙の公法に合致しなければなりません。サタンが国家基準の主管権を行使している地上は地上なりに、超国家的な世界的勝利的条件が立てられなければならないのです。 指導者の皆様、お喜びください。私たちはこのすべての条件を立て、去る1月13日に「神様王権即位式」を挙行してさしあげました。全体摂理歴史上で最大の行事の日でありました。初めて神様が解放された心情で、真の子女の全権全能の歴史を始めるようになりました。 今や天地にありがたくも、解放された神様に侍ることのできる新時代を迎えました。いまからは生きておられる神様が証しされ、霊界から超能力的な役事が私たちの周辺で多く起こるようになることでしょう。 どうか霊界を熱心に研究し、神様を中心とした祝福を受け、真の家庭を成し、為に生きる生活を通して永生の準備をされるようお願いします。今人々は無限なる、人間の能力とは比較にもならない天運の宣布を感知しようと努力しなければなりません。生きておられる神様の前に、真に温柔謙遜な姿勢で天の孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が福のある人です。 神様王権時代を迎えて、神様の主権を輝かせ超国家的に心情文化世界を創建する上で共に働く者となることを願います。神様の祝福が常に共にありますように。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.27
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WCSF2001 世界平和指導者会会議 開会総会のメッセージ世界平和の実現は「真の家庭」から『ファミリー』(2001.4月号に掲載されたもの)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.25
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四億双第二次 国際合同祝福結婚式 祝祷2001年1月27日 ニューヨーク 天のお父様! 天地を創造された大主宰であられ、万世の主人であられ、万国の王の中の王であられる天のお父様を、人類始祖・アダムから侍り、真なる祝福の家庭によってあなたの血統を受け継ぎ、永遠に、あなたの地上天国の民を養育しようとされた本然の創造理想を失ってしまいました。 人類始祖が堕落することによって、偽りの父母が現れるようになり、偽りの父母によって偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を後代に残し、今日まで気が遠くなるほど長い恨の歴史を続けてこられた、創造主であられ、父であられる神様は、どれほど孤独な立場に立たれ、失ってしまった子女たちを取り戻すために、人類の背後からついて行きながら、彷徨され、数千万年、経てこられたということを私たちは知っております。 これ(人類)を救うために選民イスラエルを立て、祝福の基盤を拡張され、第一次イスラエル圏、第二次キリスト教イスラエル圏、第三次統一教会イスラエル圏を立てて、万民救道の道を歩まれ、地上と天上にふさがったすべての塀を崩し、個人から家庭、氏族、民族、国家、天宙まで、神様と人間をふさいでいたサタンの権限を取り除くために、歴史過程において数多くの宗教を立て、犠牲の代価を払う蕩減路程を歩んでこられたお父様の労苦の前に、全人類は感謝すべきであるにもかかわらず、それを感謝できないということに、心を痛めなければならない宗教者たちであったということを知っております。 しかし、天の御旨の内容がいかなるものであるのかということを理解できないまま、混沌の中で失ってしまった故郷の地、失ってしまった祖国を取り戻すことができないまま、お一人で、お一人で、この地上を彷徨されながら、サタンの後継者、後孫となった恨み深い歴史をなくすために、旧約時代からメシヤを送ることを約束され、新約時代を経て、再臨時代までの六千年という恨み多き歴史を通して、悪の主権を中心としたサタン国家によって多くの犠牲の代価を払いながら、蕩減復帰の道を開拓してこられた天の父母がいらっしゃるということを、私たちは確かに知っております。 そのお方を本然の父として侍り、本然の国の王として侍るべき、あなたの創造理想である地上天上天国の統一圏をなしてさしあげなければならない、統一教会のすべての群れは、一心団結し、この終末において任された責任を完遂するために、世界を抱き、お父様の前に帰ることを決心し、誓うことのできる、このような祝福の恵沢を地上に広げてくださったことを感謝いたします。 個人的に祝福を受け、家庭、氏族、民族、国家、世界を越え、今日、四億双を中心とした第二次国際合同結婚式を、お父様の許諾の中で世界頂上の指導者たちが集まり、注目する中、世界の頂上の位置である神様の王権即位式を終えた、この三〇〇〇年に向かって出発する冒頭において、万民とともに、天の国の新しい伝統を受け継ぎ、新しい血統を受け継いだ天の国の眷属として、入籍し得る特権を許諾してくださる、この祝福式に感謝いたします。 全霊界と肉界の祝福を受けた家庭が共に注目する中、同じ祝福の恵沢を広げてくださり、心的にも、体的にも、一心一体となり、解放された喜びで、永遠であるあなたの御旨を奉り、永遠なる夫婦の因縁を約束し、結束しましたので、このすべてを喜びで受け入れてくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 天と地が注目し、世界百三十五か国のすべての人々が、人工衛星を通して、直接・間接的に見つめ、世界人類の心の中に、新しい次元である、国連の頂上の位置で、万国、万民の若い青年たちが共に神様の祝福を受け、あなたの血肉として連結させることのできる解放的時代が早く訪れるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 きょう、このような式典を真の父母を中心として、人類と天地が注目する中で挙行し、あなたの前に奉献いたしますので、喜びの中で受け入れてくださることを、懇切にお願いしながら、真の父母の名によって奉献し、宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.22
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文明間の対話と調和(01.01.27 WCSF2001世界指導者会議 ニューヨーク国連本部) 尊敬する議長、世界各国から来られた前・現職の国家元首、各界を代表する世界指導者の皆様。 皆様は各国の多様な活動現場から、今回の会議の主題である「文明間の対話と調和―家庭と普遍的価値と世界平和」を論議するため集まりました。これは簡単な主題ではありません。この対話は超越的な平和文化世界を志向するこの時代にあって、道徳的責任を実践する人類の良心の理想的広場として見なければならないものです。 私たちは歴史を通し多くの文明が興亡盛衰を繰り返してきたことを知っています。文明が一時は巨大で隆盛でありながらも、やがては滅亡し失われていきました。このような文明の衰退は疾病、または外からの侵略や自然災害のような外的原因によるものでしたが、大部分は内的な腐敗、特に宗教や道徳性が衰退したことにより起こったものです。 現在、私たちは宗教間の誤解や不調和によって発生した多くの紛争とその深刻な危険の増大に直面しています。宗教が超宗教的対話や調和を優先し、これを実践しなければ、文明間の調和と平和は不可能です。 宗教が世界文明の内的な中心だといっても、その基礎の中心には家庭があります。私たちすべてがよく知っているように、人類は両親の愛の関係の因縁を通して生まれ、また代を重ねてきました。 家庭は個人的人格を発展・育成させることにおいて、学校や政府よりさらに重要な訓練場です。また、家庭は文化や文明を創造、発展、再生産する源泉的役割をしてきました。文明は家庭がなければ、時代を超え、続いていくことができませんでした。家庭は私たちが愛を習う最初の学校です。父母と子女間の愛、夫婦間の愛、兄弟姉妹間の愛、このような愛は神様の真の愛に基づくものでなければなりません。家庭が神様の真の愛と直接的に連結されているとすれば、その家庭は神様の真の愛の文化の実体を実現するものです。真の愛と平和の文明はここから創建されるのです。 真の家庭は真の男と女二人にかかっています。真の家庭完成はすべての人類と世界の問題解決のモデルとなります。いま、私たちが暮らす国と世界を見ても、悪なる戦争の歴史で成り立っている事実を私たちは知っています。 私たち自身を省みても、心と体が争っているのです。であるならば、人類始祖アダムとエバが愛によって夫婦関係を結んだとき、喜びの関係ではなく、不義の関係からだったため、それが争いの起源となったということは実に論理的であります。 下半身による堕落行為は淫乱から始まったものです。私たちの体の中に、神様の姦夫となったサタンの血が流れているという事実が問題なのです。 本然の人間は心身(プラスとマイナス)が統一されたもので、サタンの血を受けたプラスとプラスが不義の闘争の始まりとなったという事実をはっきりと認識しなければなりません。 今の時代は終末となり、個人主義王国時代であり、フリーセックス時代、父母不貞時代、夫婦不貞時代、子女不貞時代であり、ホモ、レスビアン、エイズと麻薬が理想家庭を完全に破壊する地上地獄時代です。神様はこれを天国に転換しようと、メシアを再臨させたのです。メシアは真の父母として来られ、心と体の統一、夫婦統一、子女統一、家庭統一、国家統一、世界統一を成就して行かれるのです。 現在の私たちの体は地獄の基地となっており、良心は天国の基地となって、二つの世界の分岐点を自体の中に持っていることを知りませんでした。良心よりも肉心が強くなったのは堕落の時にサタンと関係を結んだ偽りの愛の力が良心の力より強かったことに原因があります。従って、この点が人生問題の重要な解決点となるのです。 このようなことをよくご存じの神様は宗教をたて、良心の前に肉心を弱め、救援的な体制をたててこられたのです。過去も宗教、現在も宗教が必要なのです。 そうであるならば、宗教が果たさなければならない使命は何でしょうか。身体が一番嫌うことを実践させるのです。断食せよ、奉仕せよ、そして犠牲となれ、果ては自分自身を供え物とせよ、と。供え物は血を流し、命を捧げなければならないものです。 堕落した人間は偽りの愛の根を中心として、偽りのオリーブの木となり、真のオリーブの木となれませんでした。これはどのように清算しなければならないものでしょうか。 終わりの日に再臨のメシアである真の父母が来て、神人愛一体を完成し、真の生命、真の血統の家庭を実現します。地上のすべての人間はもちろん、天上のすべての霊人たちもここに連結し、真の家庭、真のオリーブの木となるため、まず祝福結婚を受け、復帰を完成するものです。そうして、本然の血族をたて、真の家庭、真の国家、真の地上・天上天国に入ることができるのです。 私はこの間、世界平和実現のためには、超宗教、超文化、超人種、超国家的祝福結婚による真の家庭を実現することが、非常に重要な神様のみ旨だと教えてきました。私は全世界で、この崇高な理想を実現すると決意し、これに同意、参加する数億双に祝福行事を与えてきました。理想社会と平和世界の礎石となる真の愛の家庭のため、私は生涯をなげうって参りました。 すべての偉大な宗教を研究すれば、そこには文化と人種、宗教と国家を越えた人類の普遍的な価値があります。宗教の教えは結局、真の愛の実践を通し、絶対者との関係を復縁するものです。信仰を通し、絶対、唯一、普遍、永遠な神様とひとつとなるとき、人間は神様と父子の関係を回復し、その本然の価値を取り戻すのです。 真の愛で成し遂げた心情圏はいくら小さくても、宇宙と連結しています。人々は神様との初恋の中でのみ、共生共栄共義理想を実現できるのです。霊界を含めた天宙は、すべて同一な神様の真の愛の原理の下の存在であるためです。 きょう、私たちは平和の殿堂として設立された国連で対話をしています。国連がその創立精神を実現する平和機構の役割を果たせるよう、私たち全員が積極的に支援しなければなりません。人類は超国家的な公益をまず心配しなければならないときを迎えています。国家の公共機関はもちろん、超宗教活動とともに、非政府、民間機構が力を合わせ、真の愛、真の家庭実践運動をしなければ、平和世界は実現できません。他人のために真の愛の運動と真の家庭運動に積極的に参加し、新しい心情文化の世界を実現していくようにお願いします。神様の祝福が皆様と皆様の家庭の上に常にありますことをお祈りします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.20
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「世界化時代に言論の道徳基準確立を」(01.01.15 第18回世界言論人会議 創設者メッセージ 東京) (朱東文ワシントン・タイムズ社長兼UPI社長が代読) 世界各国から来られた前、現職の国家元首、尊敬する言論界の指導者、そして紳士淑女の皆様。 私たちは新千年時代の第一歩を踏み出しました。わずが十年前、人類は冷戦時代の核の恐怖と脅威の中に暮らしていました。しかし、今日では、政治、経済、文化など、ほとんどすべての分野の障壁が崩れました。世界は今、一つの共同体になりつつあります。特に、私たちは時間と空間を短縮させるメディア技術の発展によって、人類歴史上、最も幅広い変化を経験しています。過去、いつの時よりも、個人は世界と、世界は個人とかかわりをもつようになりました。 例えば、インターネットは、私たちがニュースと娯楽情報を得る方法を変えているだけでなく、非常に平凡な個人的意見までも、即時に世界に伝わるようにするものです。同じように、世界の重要なアイディアや問題は、個人のコンピューター画面を通して、いつでも私たちのそばに存在しています。 二十世紀に科学技術を発展させた最も重要な契機は、電気の発明でした。今日の焦点は、巨大な情報の高速道路であるケーブルの情報流通容量に集まっています。 今日、各個人がラジオ、テレビ、新聞、インターネットなどを通じて得ることのできる情報量は、とてつもないものです。問題は、果たして人類がこのあらゆる情報を十分に消化し、良い目的のために正しく活用できるかどうかにかかっています。 ニュースと情報が世界に氾濫すると同時に、ますます商業化していく傾向があります。情報はしだいに一つの商品と見なされつつあるのです。情報の倫理道徳的影響よりは、いかにもっとよく売れるかが重要視されています。情報高速道路が及ぼす影響を率直に評価するためには、科学技術のような外的変化の側面よりも、メディアを通して現れ、影響を及ぼすさまざまな内的側面に注目しなければなりません。 私たちはより本質的な側面から、情報化時代が人類の心と霊魂にどれほど助けになっているかを、いま一度、はっきりと検討してみる必要があります。世界化時代において、私たちは言論の存在位置を、いま一度、自問自答してみるべきでしょう。言論の歴史に対する責任が最も切実に感じられる時代です。 純粋な次元で、言論が人間の生活の質と、ひいては家庭と国家、世界に及ぼす影響に対して考えざるを得ません。当然、どの分野に情報伝達手段が最も多く独占的に活用されるかが、核心的な問題になります。現在、先端情報技術が最も活発に使われる分野は、商業広告、政治宣伝、そして大衆文化を挙げることができます。 情報技術(IT)がより豊かになったからといって、私たちがより尊敬される人になったとか、より健全な社会をつくったと言うことは困難です。肯定的な側面がある半面、かなり否定的な面もあります。親たちはときどき、子供が勉強と眠りを忘れたまま、夜通しインターネットの前で、ある場合にはとても不道徳な状況でチャットに熱中しているのを見ることができます。 大衆文化において、暴力的で淫乱な内容が、人々をして、他人の苦痛を共に感じられなくするだけでなく、本然の神聖な愛の意味さえも色あせさせてしまいます。 二十一世紀に人類は、冷戦時代よりもいっそう根本的で、危険な問題に直面することでしょう。私たちすべてが、次に直面するのは、東西間の対立ではなく、価値観における対立であるからです。道徳的世界と非道徳的世界の間の葛藤です。度を越した商業化は、人間の尊厳性に否定的な影響を及ぼすだけでなく、神を求める信仰生活の余裕さえ奪ってしまうことでしょう。言論媒体は道徳的基準を同時に強調するとはいいますが、実際には、価値観とは関係のない利潤追求にのみ没頭するようになる危険性があります。 不幸にも、私たちが置かれている今日の社会的、文化的環境は、道徳的に退廃の一路にあって、家庭の尊さが破壊され、人類社会を苦痛と絶望の沼に追いつめています。エイズは一つの国さえも根こそぎ破滅させることができます。言論が道徳的な価値を尊重しないとすれば、若者たちは自滅の道から逃れることはできません。さらには麻薬の犯罪、離婚の増加、家庭破壊、エイズ、性犯罪などを防ぐことのできる方法は何でしょうか。その答えは私がお話ししなくともよくご存じのはずです。 現代の通信技術は、言論の自由の範囲を拡大してくれています。誰でも言論発行人になることができるようになりました。おかしな話かもしれませんが、私たちは今日、あまりにも自由で、ほとんど自由の中におぼれて、さまよいそうです。問題はこのような自由をどのように享受し、有用に行使するかがかなめです。 今回の会議のテーマは、「新千年紀におけるメディア―その統一的方向性」です。皆様の中に、自由な言論のためには、ある中心的な方向設定があってはならないとお考えの方がいるかもしれません。しかし、ここでの「統一的方向性」の意味は、言論の自由という言論の量的規制ではなく、人間の尊厳性を正しく立てるための真の家庭と信仰の価値観を尊重する、言論の質を念頭において論議されなければならないという意味です。 個人の価値と尊厳性は、安定した真なる家庭基盤を通していっそう高揚し、きらめきます。まず男性と女性が互いを尊重し、和合することを学べる最もよい舞台は家庭です。結局、彼らは人生で最も重要な要素である真の愛を、家庭の中で完璧に学ぶことでしょう。世界を見つめる価値観は、一次的に私たちの両親と兄弟たちから学ぶようになるのです。すでにお分かりのように、家庭とは、愛を学ぶ最初の、そして最高の学校です。家庭こそ、理想社会と平和世界の礎です。ですから、真なる家庭の価値は、言論によって保護され、尊重されなければならないのです。 家庭破壊を防ぐことができないとすれば、いくら豊かで自由で、そして家庭ごとにコンピューターがあってインターネットを自由に使えるとしても、幸せで健康な社会は保障されないのです。 人間の尊厳性は、どこを拠り所としていますか。人間は神性を備えていて、神様をよく「父」と呼んでいます。元来、人間は神様から造られた、神様の子女として育ちながら、神様に似るように創造されました。ひいては、神様を中心とした個人は、究極的に神様と共に暮らす家庭を形成するようになります。そうして、結果的に全人類はこの真なる家庭で、真の父母であられる神様の生命と愛と血統を受け継ぐのです。 人間社会における宗教の役割は、神様との関係をいっそう高めるにおいて重要です。このような意味で、信仰は必須なのです。皆様がどのような宗教を信じるとしても、宗教が教える神様と人間との関係は、とても重要なものです。特に、人間が信仰を通して絶対、唯一、永遠、不変であられる神様と一つになるとき、人間の内的価値も絶対、唯一、永遠、不変の相対的価値をもつ存在として残されるのです。ですから、信仰の価値は、人間の尊厳性において不可欠な要素として存在しています。このような観点から、信仰の自由、信仰生活、信仰活動などは、理想社会をつくるための柱のようなものです。このような信仰的価値観が土台となった人間の生活は、「ために生きる」神様の真の愛を具現する社会へと導くことでしょう。さらには、あらゆる宗教が信仰を土台として真の愛を実践するとき、世界はお一人の神様のもと、兄弟姉妹として一つになることでしょう。 さる一九七八年、私が世界言論人会議を創設して以来、この会議は、言論が抑圧されている所を求めて行われ、言論自由の伸張に寄与してきました。私は今回の会議が、変化する言論環境の中で、未来の言論の行動指針を模索するのに寄与することを期待します。言論人は、これまで最も価値あることが何であるか、そして世界平和を実現するのに最もよい方法が何であるかに対し、いつも真実を伝え、人類を啓発し導くのに勇気を見せてきました。未来は、絶対、唯一、永遠、不変なる人間の尊厳性が花咲き、世界平和につながる真なる家庭を実現する時代にならなければならないと信じます。 このような観点から、きょうはとても意義深い日です。皆様が世界の言論媒体の指導者として、今宵、私がお話しした内容を、自らの心の中深くに刻んでくださるようお願いいたします。健全な家庭と理想的な社会、そして平和な世界を築く使命は、私だけに与えられた課題ではなく、皆様すべてが共に分かち合い、担うべき使命だというのが神様のみこころです。 情報化時代においては、世界のどこにでも行くことができ、世界のどことも意志の疎通が可能です。しかし、皆様と皆様の国と世界のためなる神様の願いを果たすには、このようなニュースと情報がいかなる価値を創出し、いかにして世界に影響を及ぼすかに対して責任を感じなければなりません。さらに、皆様の生活自体も真なる価値観の生きた手本にならなければなりません。そのようにさえできれば、皆様は神様には栄光を、人類には希望と幸福をもたらすことでしょう。 会議の期間中、皆様の真摯なる努力が素晴らしい会議結果として現れるようお願いいたします。私たちにあらゆる情報とニュースを流す技術はすでにもたらされました。今後、この技術を消化し、いっそう有用な方向で活用し得る、神様と一つになった真なる人間の心情的価値と要素に、多くの関心を傾けてくださるようにお願いいたします。 神様の祝福が皆様と皆様の家庭に共にあるよう祈願いたします。 ありがとうございました。
2024.02.17
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第十八回「愛勝日」での御言2001年1月2日 第十八回「愛勝日」、および「興進様昇華十七周年追慕」の記念式典が、二〇〇一年一月二日、韓国の中央修練院で執り行われ、真のご父母様が御言を語られました。 皆さん自身が祝福の中心家庭 きょうは「愛勝日」です。この「愛勝日」の勝利の基準は、神様と真の父母との因縁を中心とした忠孝の道理と、愛の心を勝利した基準において宣布されたのです。その条件的基準は、興進君が死の境地に立ってなしたので、その条件が死なずに生きている限り、「愛勝日」の権限は永遠に生き続けます。それゆえ、霊界に行ってもこのことをなし、人類と神様の前に、一体的生命圏を復活させるために働いているのです。それが死んでいないということを知って、一つの心、一つの意志で、一体となることができる皆さんの家庭にならなければなりません。 興進がそのような立場に立っているのです。地上の薫淑と結婚し、信哲を養子として立てるということを(霊界に)行く前に約束したので、それを実践したのです。 このような事実によって、霊界と地上に分かれた人たちが霊的な祝福を受ければ、霊界と地上に分かれていたとしても家庭をもつことができ、霊の子を自分の息子・娘の代身として立てて、代を受け継がせていくことができる時代が連結されたのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 きょう、私が特別に話そうと思うことは、今まで、皆さんが祝福を受けてから暮らしたその生活を振り返ってみれば、さまざまな……。そのうえ、血統を汚したという事実がたくさんあるのです。サタンが好む影さえも見えない、純潔の基準を残さなければならないにもかかわらず、影のようなあらゆることが多くあったのです。 今からは、家庭時代を越えていきます。皆さん自身が祝福の中心家庭であるということは、自分を中心として、アダム・エバが堕落していない本然の基準において完成し、祝福を受けることができた立場を代身したということです。それゆえ、それを連結して拡大した一族を中心として氏族の王、それを連結して民族の王、それを連結して国家の王、それを連結して世界の王、それを連結して天宙の王圏が出発するのです。このような事実を考えるとき、分かれてしまったすべてのものを連結させるのが、真の父母の仕事だというのです。 家庭を代表して、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、そこで長子権……。長子権とは何かというと、アベルが長子を代身して失ってしまったものを復帰するために、長子からどんな受難や苦痛を受けても、甘受して越えていかなければならないということです。そのように越えてきたので、サタンが屈伏するのです。それは、真の愛でなくては、屈伏する道はないというのです。 このような観点で見るとき、家庭時代を越えて国家時代の峠に向かっているこの場において、皆さんはきょう以降、再び祝福を受けなければなりません。再び聖酒を飲むのです。それぞれの家庭において、父母が子女にそれを分け与えてあげなければならないのです。 天地父母がどれほどの犠牲を払い、復活圏を、私たちに贈り物として与えてくださったことでしょうか。再び血統を元返し、新しい次元に登壇することができる権限を与えたのは、そのような真の愛の功績基盤があるがゆえに、可能になったのです。国家を越えていこうとするこの時、今まで自分勝手に暮らしてきた人は、入ることはできません。 聖人たちがここで(=地上で)祝福を受けることができなかったのは、国がなかったからです。国がなかったがゆえに受けることができなかったのです。しかし、今では聖人たちまで祝福をし、興進君を中心として祝福を受けたすべての聖人が一つとなり、六月十三日までに、聖人を中心とした宗教圏全体の、蘇生、長成、完成と、完成段階の三分の一まで祝福をしたというのです。それを越えて、祝福を受けた者たちに「年内に自分たちに連結している宗教圏全体をすべて祝福してあげるように」と指示しました。 また、宗教を信じていったすべての人たちも、その連結関係を中心として、聖人と殺人魔を祝福したその恵沢圏内に入っています。その宗教圏には、地獄に行った人もたくさんおり、楽園に行った人もいるのです。それゆえ、「だれでも祝福してあげ、解放圏をなしなさい」と指示したのです。 そのような指示をしたので、その環境を中心として、解放圏の恵沢を横的に分け与えてあげるのです。そのことによって、神を信じない人でも、地上のいかなる人であっても、祝福をすることのできる自由環境が展開したというのです。分かりますか? 地上がこのようになったと同じように、天上世界においても、今までふさがっていたすべての一族が、一つの主体の前に相対的基準を結ぶことができる内容さえ連結されれば、天の国の同等な価値の祝福を相続することができる時代に入ってきたのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。 それゆえ、その主体の前に絶対信仰! 問題です。今日、宗教を立てているのは絶対信仰のためであり、絶対信仰の中で何を探し求めるのかというと、神様を絶対に愛することです。神様を絶対的に愛することができなかったので、(宗教という)橋を架けて、その宗教圏の宗主を中心として「絶対愛」を主張してきたのです。その中心的存在として来られたのが、再臨のメシヤであり、真の父母なのです。真の父母が現れれば、真の父母を中心として、信仰をもっていなくても、絶対信仰、絶対愛! その愛は、真の愛を中心として愛するので、堕落した世界において、国王がいて、おじいさんがいて、父親がいて、自分がいて、自分の初孫がいたとしても、そのすべてを越える理想なのです。アダム・エバが絶対信仰と絶対愛の基準をもつことができず、絶対服従することができなかったので、すべての宗教が、絶対信仰、絶対愛の基準を立てるのです。そして、真の父母を中心として祝福をしたとすれば、万国を平準化させることができるのです。 そのような時が来たので、真の父母という名前をもつか、真の父母と関係をもつ人々がいる環境において、絶対に信じ、絶対に愛し、絶対に順応することができる道理が展開すれば、いくら遠くても、千年史の核となったこの基準を延長させ、中心から最果ての人まで通じることができるのです。ここから果てまで行ってこそ、帰ってくることができるのです。 このような時代になることによって、祝福の恵沢が、水のように万国全体に流れて平準化されるのです。地上と天上世界に平準化水平世界が到来したのです。天上と地上が真の父母を中心として水平となり、水平線で同志をつくることができる時代に入ってきたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 国家基準を乗り越える 今まで皆さんは国家基準を越えることができませんでした。しかし、先生がこれを……。歴史的な恨がここにかかっているので、何が何でもこれを越えなければなりません。ところが、韓国と北韓が対立する思想圏内において……。信仰が分かっていません。信仰を分かっていないので、今まで反対したのです。 反対するこの環境を越えて、国家基準ではなく、世界基準と天宙基準、心情基準で、国家以上に愛し、世界を代表した聖人以上に愛し、天地を代身したイエス様が願った以上の基準である、聖子の家庭を編成することができたという事実。これを遮る者はいません。これは、神様の願いでもあり、すべての道主たちの願いでもあり、堕落した人類のだれもが願うことです。その願いの基準を中心として、平準化することができる時代なのです。 一つの家庭において、アダム・エバが分かれ、アダム・エバの息子・娘たちが怨讐となり、カインがアベルを殺すという殺戮戦が起こりました。その一つの核が拡大して、天上と地上が完全に地獄世界になったという事実。それゆえ、家庭理想を動機とし、これを拡大し、宗教圏、数多くの民族と文化背景をつくったのです。 ところが、来られるメシヤは宗主たちの父です。数多くの宗教の宗主の父であると同時に、国の父であり、世界の父であり、天地の父なのです。それと同時に、その一人を中心として、愛を中心としたアダム家庭の理想の立体圏を備え得る内容が、地上世界に顕現してこそ、死亡圏に勝つ地上天上天国が完成するのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 ですから、皆さんは帰ってすぐに、再び聖酒式を挙行しなければなりません。これは、「国家基準を乗り越える」という自信をもってしなければなりません。 聖酒式を挙行した人たちは、イエス様が願った国家基準、民族編成以上の位置を越えることができるのです。そして、国連まで連結させ、国連に紐を結んで橋を架け、それを上がっていくことができる時を迎えたので、国の基準を放棄してしまい、今、国連の活動に命を懸けていくべき時になったというのです。分かりますか? (「はい」)。 今は、国連の世界的峠を越えたので、天下が一つになる時に聖酒を飲めば、完全に皆さんは、旧約時代、新約時代、成約時代に結婚できなかった三時代……。旧約時代は万物の血を流し、新約時代は息子の血を流し、成約時代は父母まで追放したのです。このすべてのものを再び取り戻し、現時点で、一代において……。分かりますか? 今何と言いましたか? (「現時点において」)。真の父母が現時点と一代で、このすべてのものを連結させ、勝利の覇権を編成したのです。 一月十三日になれば、神様ご自身もためらうことなく、四方に気兼ねのない立場で、引っ繰り返し……。偽りの父母が神様の王権まで引っ繰り返したのですが、それを真の父母が正しく元に戻し、祝福家庭をして、天国に直行し得る解放圏をなすことができる立場に立てたのです。それゆえ、神様と真の父母を中心として、皆さんの家庭と全人類が希望的な基準で生き残るようになるのです。 国連を中心として、世界のために貢献した基準によって、すでに囲いができているので、そのような心情をもって、今後、NGO(非政府組織)とWANGO(世界NGO協会)の活動、国連活動に総力を注げば、アメリカであれ、ロシアであれ、いかなる国家であれ……。安全保障理事会が「紛争を防いで平和の主翼となる」といって乗り出しましたが、それが問題ではありません。 祝福的恵沢を中心として、真の愛の血縁的因縁の実践場である皆さん個人と家庭において、解放し、和合させることができるようになれば、天地が歩調を合わせて自動的に、個人時代、家庭時代、氏族……。八段階時代を中心として、あちら側まで……。先生が(このことを)この地上でなしたので、霊界でもなすことができる時が来たのです。 それで、祝福家庭の協助時代、その次に、祝福家庭の家庭ではなく国家協助時代、祝福家庭の世界協助時代、祝福家庭の天宙協助時代となるのです。神様を中心として真の父母が一つになった場における兄弟と同じです。それが三代を経ることによって、アダムの息子・娘がたくさん出てくるのです。アダム家庭において種だったものが三代を越え、世界の種として拡大されたとしても、対等で同じ価値をもつというのです。 神様を中心としたアダム家庭において、三代を経て実を結んだものは、数千年の歴史が過ぎたとしても、同じ内容の価値をもった家庭生活をしなければならない、という結論が出てくるのです。分かりますか? それで、先生を神の愛を体現した王として侍り、家庭において神様と先生を愛の主体の王として侍り、国において侍り、世界において侍り、サタン圏を越え、国家基準さえ越えれば、私たちの世界になるということを知らなければなりません。分かりますか? それは、全体、全般、全権、全能の時代です。 全体とは何かというと、今日のサタン世界の数多くの国家のことです。全体の国家が全般になるのです。同じ一つのものに一般化されるのです。一つの国家形態を備えるのです。それで、全権です。今までの六千年時代において、サタンがありとあらゆることを行い、天の息子・娘も捕まえて殺してきました。神様が失ってしまったすべての権限を取り戻し、一瞬の内に引っ繰り返すことができる全能の時代へと進展するのです。分かりますか? (「はい」)。 神様が直接責任をもたれ、私たちの生活を干渉し得る時代 そのためには、皆さんが先生を中心として、神様と一致した信仰基準を中心として、絶対信仰するのです。一度言ってみなさい。(「絶対信仰!」)。絶対愛! (「絶対愛!」)。絶対服従! (「絶対服従!」)。 今から、先生が皆さんに「東に行くのです」と言った場合、「昔は西に行きなさいと言っていたのに、なぜ東に行きなさいと言うのか」と考えてはいけません。「西に行くのです」と言えば西に行き、「南に行くのです」と言えば南に行き、「北に行くのです」と言えば北に行かなければならないのです。分かりますか? (「はい」)。 今までは先祖たちによって、死亡の世界が拡大され、神様の悲しみを拡大させる世界となってしまったので、今からは、祖国を取り戻し、国境を越え、世界を越えて、それを神様にお捧げするのです。そうすべき召命と使命があるのです。分かったという人、手を挙げなさい。 皆さんの故郷の地は、日本でもなく、韓国でもなく、アメリカでもありません。地球星です。一度言ってみなさい。(「地球星!」)。 皆さんの国は地上だけではなく、霊界を合わせたものです。神様が住んでいらっしゃる国まで合わせて、皆さんの国となるのです。その本国に行くためには、故郷を国よりももっと愛するのではありません。故郷で暮らしていたとしても、国をもっと愛するのです。反対です。今まで国を忘れ、世界をすべて忘れてしまい、自分たちの家庭や身近な者たちを思っていたのです。それは違います。 故郷で暮らしていますが、今から私たちの家庭は国のために、それから国家のために生きていた国家は世界のために、世界のために生きていた世界は天宙のために、天宙のために生きていた天宙は神様のために、神様のための天宙は私たち個々人、私たちの各家庭のために……。このように結実しなければならないのです。このことを知らなければなりません。 そのようにすることによって、神様が勝利されたのと同じように、解放的価値を備えた家庭となるのです。永遠なる解放です。そこで、真なる長子権復帰、家庭権復帰、王権復帰をなすことによって、億千万世、太平、盛大の時代が連結されるのです。アーメン! (「アーメン!」)。感謝です。「アーメン」と言えば、三度以上「感謝です」と言わなければなりません。(「アーメン! 感謝します! 感謝します! 感謝します!」)。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって完結し、解放された私となり、天国自由解放圏に直行し、入っていくことができるようになったことを、三度感謝しなければならないのです。分かりますか? 感謝します。感謝します……。心でも、そのような心をもたなければなりません。 それゆえ、帰ったら、あらゆる精誠を尽くすのです。一家が入籍しましたが、もう一度集まり、国家基準を乗り越え、イエス様が国を越えて祝福を世界に拡張することができずに、サタンが国家基準において天の側を破壊したすべてのことを、今から皆さんが完全に解放しなければならないのです。分かりますか? そうすれば、サタンがいなくなります。 ですから、世界、あるいは天宙まで自動的に、自分が努力する以上の世界に入っていくのです。それゆえ、祈祷する時代は過ぎ去りました。祈祷というものは願うことです。「お願い申し上げます」というのが祈祷ではないですか? そのような時代は過ぎ去りました。今からは何かというと、国家基準を越えて世界に行き、神様が直接責任をもたれ、私たちの生活を干渉することができる時代に入るというのです。それゆえ、祈祷ではなく、報告しなければならないのです。報告です。分かりますか? (「はい」)。 ですからきょう、私がはっきりと示そうと思うことは、今から皆さんは生活目標をもって生活し、それを報告する生活をしなければならないということです。 国に対して何をしなければならないのかという題目が、今から出てきます。それを中心として、何に何時間、何にどのくらい努力をしたかです。問題は何かというと、御言を世界の果てまで宣布しなければならないということです。霊界の果てまで宣布しなければなりません。真のご父母様の御言を地の果てまで宣布するうえで、だれが早く宣布するのかという問題です。 もし、その国の(他の)民が宣布すれば、奪われてしまいます。何十代が引っ繰り返るのです。それゆえ、全身全力を尽くして、朴氏なら朴氏が、外的な世界に対して朴氏の国をなさなければなりません。分かりますか? 金氏なら金氏の国の峠を越えなければならない時が来たのです。 先生が霊界に責任をもち、すべてに責任をもって入籍させ、解放的基準をつくっておいたので、今ではすべての門が開き、行くことができるのです。それゆえ、重荷を下ろし解放された者たちは、心と体を中心として良心の呵責のない自分自身を立て、世界に負けないようにするのです。世界の兄弟です。大家族の兄弟です。彼らに負けない立場に立ち、これからは、金氏なら金氏の系列が入れ替わるのです。大きかろうと小さかろうと、世界的な国家形態を備えた国に接ぎ木しなければならないのです。分かりますか? (「はい」)。 今、環太平洋圏時代です。大洋圏時代が来たのです。この国々の中には、(人口が)二千人の国もあります。分かりますか? 皆、放棄してしまいました。(このような小さな国々が)一つの国として国連に加入すれば、六十か国以上になります。そこに、南米とアフリカを合わせれば、国連に加盟した国の大部分は、先進国以外になるのです。分かりますか? 先進国が私たちに反対するからといって、心配するなというのです。強力に反対すれば、発展途上国はすべて、自動的に私たちを支持するようになっています。分かりますか? 祝福を受けた家庭においては国境がなくなります。先生に反対すれば、全世界の祝福家庭は結束します。「どこどこに集まりなさい」と言えば、国境を越え、這ってでも訪ねて行くのです。なぜですか? 神様を解放するためです。地上天上天国をなすためです。神様はそのように宿命的な摂理をしてこられながら、恨に恨を重ね、真の父母も御旨のために生涯を捧げてきました。それを完全に終結したのは、皆さんのためなのです。それゆえ、皆さんがこれを終結させなければならない、決死的な時代に入ってきたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 そのように理解して、そこに絶対的に一体となって責任をもちますという人は、手を挙げなさい! 下ろしてください。サタン世界への関心と、その伝統と習慣的内容があるところでは、天国を建設することはできません。サタンに血統を汚されたぼろぼろの風呂敷に、天の国が入っていくことはできないということを知らなければなりません。 それゆえ、日本人が統一教会員になれば、完全に他の国に行って四十日を経て、自分の国に帰すのです。四十数を満たさなければなりません。何のことか分かりますか? (「はい」)。 二世が天の国に責任をもち、地上の国にも責任をもつ 今、残っていることは、七代に関係している自分の親戚と、その親戚と結婚した相手の親戚まですべて一つにして、全世界的に統一された祝福を行うことです。そして、後代、後孫たちにも、この祝福がどれほど難しかったかということを教えてあげなければなりません。祝福を受けて生きることが、どれほど苦労……。 ここにいる二世たち! この勝手な者たち! 二世を前に立てるのはやめようとしました。後ろに行かなければなりません。 神様が一代ならばアダムが二代であり、アダムの息子・娘が三代です。地上においてその三世圏を代身して、先生が一代ならばあなたたちの父母が二代であり、あなたたちが三代です。それゆえ、あなたたちが天の国に責任をもたなければならず、地上の国にも責任をもたなければなりません。それが、地上で祝福を受けた二世なのですが、あなたたちは天の国に責任をもち、地上の国に責任をもつことができる王の立場に立ちましたか? この者たち! 二世であるあなたたちは全員、先生が建てた神学校に入るのです。初めに、心の世界と交流して、体を支配し得る道において旗手となっていかなければならないのに、この者たちは世の中でお金を稼ぎ……。 (そのような者たちは)私が捕まえて、サタン世界の一番端から、サタンの後から入ってくるようにさせます。負債を負った人は前に立つことはできません。分かりますか? (「はい」)。この者たち! 父母になって子供を生み、負債を負う立場で、サタン世界から剥ぎ取って食べるために、そちらに行くのですか? 回れ右して、「サタンよ、私は千年、万年、行く! おまえが千年、万年、苦労してこそ、私の後ろについてくることができる」と宣誓して行かなければならないのにもかかわらず、あなたたちは、肥だめにいるうじ虫よりも汚い者になろうとしています。二世、分かりますか? (「はい」)。私があなたたちに復讐します。 何が、ソウル大学ですか? どのような大学も、私は認めません。ハーバードでも何でも、私は認めません。そこは、神様に反対する人が八〇パーセントです。それで、先生がそれをすべて引っ繰り返すために大学を建てたのにもかかわらず、そのようなところに行くのですか? 私の子女たちもそうです。ハーバードを出たとしても、UTS(統一神学校)を出なければなりません。嫁であろうとだれであろうと、行くのです。行かない人は、先生と関係を結ぶことはできません。統一教会のご飯を食べることはできません。何のことか分かりますか? (「はい」)。この子女たち、この韓国の者たち、兄にならなければならないのに、何をしているのですか? 根が腐れば、大きな木でも倒れてしまいます。新しい時代です。 今年の標語は何ですか? 解放された! (「天地父母と」)。天地父母と! (「子女が」)。解放された子女のことです。解放されましたか? 子女が一心一体となって、それから何ですか? (「真の愛の主体」)。真の愛をもちましたか? 神様の真の愛は、主体的世界を願っています。これは歴史的な願いです。すべての聖賢、賢哲は死の道を行きながらも、真の愛の道を欽慕して行ったのです。天の福を祈って行った人たちもそうです。真の愛とは何ですか? (「主体性」)。主体性とは何ですか? 中心観です。それは何ですか? 神様の真の愛を中心とした絶対性、唯一性、不変性、永遠性の、その御旨が完成されますように。それが題目です。 完成です。成就ではありません。完成というものは、結末を結んだということです。「このような、絶対、唯一、不変、永遠なる、真の愛の神様の属性としての主体性が、すべて成し遂げられた。それ以上なすべきことはない」ということです。それですべてでしょう。(「はい」)。 三〇〇〇年に向かう最初の年に、皆さんは解放された自分を誇らなければなりません。自分の目、耳、鼻、口、手、すべてが神様の代身とならなければならず、真の父母の代身とならなければならないのです。その愛も、すべての環境が、そのようにならなければならないのです。そのことを知らなければなりません。 三〇〇〇年に向かっての出発において、総清算とともに、総決算することができる主流的な核を標題として立てたのは、二〇〇一年ではなく、三〇〇〇年の主流思想として残すために、このように措置したのです。このことを理解してください。二〇〇二年、二〇〇三年に標語がなくても、これに従って生きればよいのです。分かりますか? (「はい」)。一度言ってみなさい。(「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」)。 その解放の観念が貴いのです。解放! 心と体が一つになり、夫婦が一つになり、息子・娘が一つになり、三代が一つになる前には、解放はありません。それは何によってなされるのでしょうか? 真の愛の主体性です。真の愛の主体性を願いながら、解放の道を開拓してこられたのが神様であり、宗教の歴史であり、再臨の歴史であり、今まで皆さんが歩んできた歴史だというのです。そのことを知らなければなりません。 神様と一つになって、永遠に真の愛の主体性を灯火のように輝かせ、そこにおいて喜び、解放され、天上世界にも地上世界にも地獄がなく、だれにとっても希望の安息所であり、希望の福地とならなければならないという事実を、はっきりと自覚しておかなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 教育しても駄目ならば法的措置を行い、難しい法を守らせる 皆さん、世の中もそうではないですか? 金銀財宝や立派な家財道具がある金持ちの家に嫁いでいった女性が、寡婦となり、貧しい人と再婚するようになったとすれば、どうしますか? 新しい夫に「私の家で一緒に暮らしましょう」と言う女性は、狂った女性です。分かりますか? (前の夫の)写真を掛けておいて、そこで毎日一緒に寝るのですか? これを千回、万回、否定して、一八〇度異なる立場で、それをきれいにするのです。神様はその影さえも、一つのほこりさえも、残ることを好まないのです。 ところが、あなたたちは野良犬のようにして集めた自分中心のものに固執し、そこにとどまろうとする狂った者たちです。それは、正常ですか、非正常ですか? 日本の者たち! 正常ですか、非正常ですか? 韓国の者たち! (「はい」)。先生に苦労させながら、目をむいて見つめているこの者たち、目に神様の矢が突き刺さり、胸に矢が突き刺さるのです。怨讐です。極悪な怨讐です。極悪な怨讐に私が責任をもって……。何代を経てでも、この恩賜にこたえてみなさいというのです。 私には何もありません。自分の息子・娘だとも考えません。お母様までもです。過ちを犯せば、赦すことはできません。私自身もそのようになれば赦すことはできません。自分には無慈悲な男です。どこに行っても、よいレストランには行きません。いつもファーストフードを食べていました。 そのように生きてきた先生を真の父母として侍るならば、あなたたちは堕落した世界の本宮で汚れ切って暮らしていた者たちなのですから、何十倍も苦労しなければならず、何十倍も聖別しなければならないはずです。自分中心に残したものは、火で燃やしてしまわなければなりません。ここを越えていくことができません。分かりますか? (「はい」)。 完全に否定しなければなりません! ここに下りてきたので否定し、それからここに上がっていき入籍しようとすれば、再び否定しなければなりません。サタン世界を否定しなければならないのです。天の世界のプログラムに合わせるためには、世の中のものを好み、自分中心の所有権を好んでいたことを、完全に一八〇度転換し、そのようなものに対してつばを吐いてしまうことができる心をもたなければなりません。 そのようなものを餌にして引きずられ、天の奥底に恨の釘を打ち込んでいたということを知らなければいけません。それを抜いて燃やしてしまう心がなければ、天国に入っていくことはできません。 統一教会の祝福を受けた家庭として、このような話をしたのにもかかわらず、それを中心として、今から十年後に国連を通して法が制定されるとき、そこに引っかかった人は、一つの島に押し込んで、再び訓練する時が来るかもしれません。分かりますか? (「はい」)。 これは先生の決意ではありません。神様の決意です。堕落した痕跡の影さえも、ほこり一つでも、意識したくないのです。「新しい天地を創造したい」という心が、どれほど強いか分かりません。 しかし、あなたたちを掃き捨ててしまうことはできないのです。真の父母の御旨を中心として教育しても駄目ならば、法的措置を行って、難しい法を守らせるようにするのです。それは滅ぼすためではありません。復興させて、天国に連れていくためです。そのような修練過程を経なければならない未来が待っているということを知らなければなりません。 それゆえ、大洋で、海の上で暮らさなければならず、島国を訪ねて訓練しなければならず、陸地を離れて半島を経て、島国、大洋、海へと行って、そこで水に溺れずに再び上陸しなければならないのです。 ですから、大陸、半島、海洋世界の還元を宣布して戻っていくために、天の国の四大心情圏還元を宣布したのです。それは何ですか? 清い純潔な愛の伝統、血統を中心として一致することができる統一的……。神様がご覧になれば、(一人の)大きな男性と(一人の)大きな女性の二人しかいないというのです。そうではないですか? 神様の性相と形状が分かれたのが人間であり、性相の細胞と形状の細胞が男性と女性です。 天の国に行けば、神様は心の立場におられ、天地父母は体の立場にいて、人類はその細胞の立場で、一つの体にならなければならないのです。心情圏の体恤ができない人は、そこで垢となってすべて押し出されてしまうのです。皮がむけて垢になって落ちていくのです。そのことを知らなければなりません。それゆえ、ただ何となく歩んでいくならば、結局は、あなたたちの後孫は歴史時代において流れていく群れとなるのです。 先生は霊界に行ったとしても、「神様が創造された世界が汚され、恨の標的になってしまったので、残しておかずに、新しい天国を創造してください」と言うこともできます。創造できるというのです。私たちの思い通りにできるのです。 そのような解放された世界に向かっていくのですが、地上で自分の環境的条件に絡まれ、自分中心のものに固執して、それを失うのを恐れて後ろを振り返れば……。何ですか? ソドムとゴモラの何ですか? (「ロトの妻です」)。塩の柱になったのですが、それ以上になるというのです。 総生畜です。サタンの主管と神様の主管に分けていた時代ではありません。全体を一つにした基準において、今から四十三日修練を受けなければなりません。できなければ、這ってでも行きなさい。もらい食いしてでも行きなさい。 尹晶老! (「はい」)。私の言うことが分かりましたか? (「はい、分かりました」)。教区長に言って、修練を受けていない人が何名なのか把握し、修練を受けさせなければなりません。 そして、総生畜献納基金はみなが完全に行うのです。この者たち! 一日いくらずつかでも集めて、きちんと捧げるのです。アフリカに行って暮らしていても、「先祖が悪いことをしたので、このような所で暮らすのだ。それを清算するために、一年ではなく、十年でも精誠を尽くそう」と言って精誠を尽くせば、天が祝福してくれるのです。そのように理解し、それをきれいに清算してから暮らさなければなりません。 責任者でそれができない人は、再び教育を受けるかもしれません。分かりましたか? (「はい」)。国家メシヤ、国の責任者は、それを知らなければなりません。総生畜献納基金を使ってはいけません。 さあ、そのようなことをすべて理解して、新しく決心してください。三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年は違います。暗闇の世界を過ぎ、黎明を経て、先生と共に全宇宙を明るく照らすようになっているのです。それゆえ、今からはラジオ放送をしなければならず、テレビジョン、新聞、言論を通して、あらゆる方向に宣伝するのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.04
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第34回「真の神の日」、年頭標語「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」第三十四回「真の神の日」記念礼拝の御言成約九年 2001年1月1日天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 何をするために、ここに集まったのですか? 騒ぐために集まったのですか、他の自分のことを考えるために集まったのですか? 家のことを心配し、故郷のことを考え、背後のさまざまな複雑な環境をすべて連結させて集まったのですか? 何の考えもなく集まったのですか、何かの考えを持って集まったのですか? (「持って集まりました。」) 神様は、どのように考えられるでしょうか? 神様がここに参席されるとすれば、どのように考えられるでしょうか? そのことを考えてみましたか? (堕落した世界の)何かがあっては、再創造することはできません。堕落した世界のあらゆるものの中の、その一つでも持っていれば、再創造の成分を連結させることができないという事実を思うとき、皆さんの心にさまざまな考えを持たなければならないでしょうか、何もない心を持たなければならないでしょうか? たくさんの人が集まったので、「ああ、おしりが痛い。狭いのに、床に座って何をするのか。ああ、郭クアク錠煥が訓読会をして、それで終わればいいのに、先生が話をすれば何時間も話すのに、どのようにして耐えればいいのか? どうしようもない」と、このように考えてはいけません。 三〇〇〇年を中心として出発する今日、先生が語るこのみ言は、皆さんがいつでも聞くことのできるものではありません。(これからは)いつでも先生に会うことはできなくなるのです。 今から十年たてば、先生は何歳になりますか? (「九十歳です。」)九十歳ではありません。九十一歳です。それでは、二十年たてば何歳ですか? (「百一歳です。」)三十年たてば、何歳ですか? (「百十一歳です。」)四十年たてば、何歳ですか? (「百二十一歳です。」) モーセが百二十歳になり、ヨルダン川を越えてイスラエルの国に行くことができず、恨を残したままネボ山で死んだということを知っていますか? モーセは八十歳で出発しましたが、百二十年も生きずに八十一歳になる前にヨルダン川を越えていたならば、イスラエルの国に上陸していたでしょうか、できなかったでしょうか? 六十万人のイスラエル民族を荒野に導きながら、出動命令を下したときは、希望に満ちて出動しました。しかし、一心一体となることができませんでした。それは何かというと、心の中にさまざまに複雑な考えを抱いた者たちが、どんどんと増えていったからです。 そのことが、モーセの失敗をもたらしたという歴史の事実を、もう一度思い起こしながら、その前轍を踏まないように、再びこのことに光を当てなければならない時であると考えるのです。 先生が何歳まで生きることを願いますか? (「何歳です。」と答えているのがよく聞こえず)分かりません。「いかなる考えも持たないように。」と言うのに、(先生は)何歳まで生きるという無用な考え……。「わたしには分かりません。先生は知っているかもしれませんが、わたしには分かりません。」と言えばよいのです。 考えるべきことは、ひとえに神様のみであり、神様だけが考えの出発とならなければなりません。再創造されなければならないわたしたち人間においては、その他の考えというものは一切、許されません。 そのような基準では、完全完成のためのものが創造されないということは、理論的であり、原理的であるということを知らなければなりません。分かりますか? 今、話したことが分かりますか? (「はい。」) 複雑な心、複雑な事情、複雑な境遇に縛られて、ナイロンの糸を壁にかけ、「わたしを引っ張ってください。引き上げてください」というような一切のものは、よこしまな堕落の祭物であり、救いを受けることのできない地獄に送られなければならないものであるということを知らなければなりません。 そのような一切のものを断ち切ってしまい、穴に挟まっていない本然の状態で、神様の手と創造の思いが介在する前の本然的原資材の姿を備えることを、神様がいかなる時よりも、この時間に願っておられるのです。(「アーメン。」)「アーメン。」と言いましたね。み言のとおりに成されます。(「アーメン。」) さあ、三〇〇〇年に向かって出発する今年の標語は、どのようなものですか? まず問題は何かというと、「解放」という言葉が出てきます。先生が、いくら苦労したとしても、苦労したことは忘れても、「解放」は忘れなかったという事実です。このように考えるとき、この場では他の何かを必要とするのではなく、「解放」を輝かせることのできる自らにならなければならないというのです。 そのような場にすることができなければ、神様も「真の父母も解放することができず、真の父母の息子、娘や、天上世界にいる人類全体の先祖、すべての会員たちまで解放させることができる道がない。」とおっしゃるのですか、「ある。」とおっしゃるのですか? (「『ない。』とおっしゃいます。」)ありえないということを知らなければなりません。 「解放」という言葉……。郭錠煥氏 (「はい。」)「解」という字は、どのように書くのですか? 一度きれいに書いてみてください。楷書で大きく書いてください。「放」という字も書いてください。「放」という字です。「解放」です。 これは正しいですか、正しくないですか? (「解」のへんを指されて)これは何という字ですか?(「『角』という字です。」)「角」という字です。(笑い)「角」という字は、何ですか? 各自のことをいうのではありません。(韓国語で「角という字」と「各自」は同じ発音) 「角になっている」、「役に立たない」、「『円形世界』は怨讐である」というのです。これをなくしてしまえばよいのですが、これをなくせば、ここに「羊」をもってくるのです。(「解」の俗字である「觧」のつくりを指されて)ですから、「羊」という字です。 このように書いても「羊」という字なのです。「角」と「羊」は怨讐です。「放」という字には、「父」という字がありますが、「父」という字に「方」という字で「さまざまな方向、さまざまな所に父がいる」ということです。分かりますか? それでは、どのようにして解放されるのですか? 蕩減法によるのです。さまざまな方向の中でも、中心方向に沿って、角がなく、ぐるぐると回っていくことができる位置に入っていって、初めて解放が成されるのです。 それでは、反対せずに順応することができる代表的な動物は何ですか? (「羊です。」)反対せずに、昼も夜も一年じゅう、いつであっても、主人が来て「おい、わたしの言うとおりにするのか?」と言えば、「メェー、そうです。」と言うのです。「メェー、メェー、メェー、メェー」と、繰り返すのです。 「そうです。そうするも何も、そのとおりにします。」と思って、「メェー」と言うのです。一度、言ってみてください。羊になりますか、頭をたたき割ることができるような角のあるものになりますか? 羊にならなければなりません。 また、「放」という字は、「方」に「父」です。三百六十度に向かう父であるということですが、それでは混乱が生じます。ですから、一番の怨讐を包んであげるのです。「解放」という言葉を考えるとき、なぞなぞのような内容ですが、先生の話を理解すれば「ああ、理解できた。」となるのです。分かりますか? それでは、父のように三百六十度に行こうとする群れに、「主流に行きなさい。一つの道に向かう父を求めていきなさい。」ということが問題です。それは何かというと、零点です。 皆さん、メーターを見れば、何度であっても、いつも零点に合わせるのです。全体の方向感覚の正誤を中心として、零点の中心にある位置が、量あるいは正しい方向を測定できる基準になっているのです。 さあ、解放です 解放は良いことですか、悪いことですか? (「良いことです。」)監獄で暮らしていた人が出てくることを何と言うのですか? 解放と言うのですか、束縛と言うのですか、釈放と言うのですか? (「釈放です。」)釈放ですか? 釈放と解放は、どのように違うのですか? 釈放される人が千人、万人いるとすれば、その人たちが釈放されて、父母の故郷に訪ねていくとき、千万に別れていくのです。それは釈放です。分かりますか? しかし、解放とは何ですか? 「八・一五(一九四五年八月十五日のこと)で南北が釈放された」と言うのは、正しいですか、正しくないですか? これは解放です。「邪魔になっていたすべてのものが順応する、自由還元運動することができる世界になった。上下も、左右も、前後も、すべて平等な価値で方向をとっていかなければならなく、角がなくなった丸い統一的世界になった」ということです。 その日には、おじいさんが喜び、おばあさんも喜び、けんかしていたお父さんも、不平を言って、えんえんと泣きながらけんかしようとしていたお母さんも、泣きながら何ですか? (「喜びます。」)喜ぶのです。 それから息子、娘、孫がいて、百人、千人、万人、国にいるすべての人が、解放されれば「万歳」を叫ぶのです。一度、「万歳。」と言ってみてください。(「万歳。」) 解放の中で、「家庭が解放された。」とも言うことができるのです。共産主義治下において、皆が殺戮されていく中から家庭全体が生きて出てくれば、解放された家庭になるのです。解放された家庭、解放された氏族、解放された民族、解放された国家、解放された世界、解放された天宙、そして最も難しいのが何かというと、解放された天地父母です。 さあ、このように考えるとき、今年の標語は何ですか? 解放された天地父母と子女が……。それでは、解放された天地父母だけが解放されたのですか? 子女はどのようになったのですか? (「解放されました。」)子女も解放されたのです。連結されているのです。何とですか? (「父母」と「子女」は)一つの文中にあるので、対等な価値を持つのです。解放された天地父母と子女が何ですか? (「一心一体となり……。」) それでは、その天地父母は何人ですか? 天地父母は、天的父母も父と母であり、地的父母も父と母ですから、何人ですか? 四人でしょう? そこに心と体を中心とすれば、八人と同じことであるというのです。分かりますか? そこに霊的世界を合わせ、地上世界を合わせて十六数になるのです。 十六数がそのようになったので、十六数は、いつも解放できるのか、できないのか、成就したのか、できないのかという……。(朝鮮戦争のとき)韓国に何か国が来て解放しようとしましたか? (「十六か国です。」)第一次大戦も、十六か国が一つになって戦争を始めました。いつも十六数が問題になったという、このような原則について見るとき、天宙の解放圏のために生きようとすれば、必ず十六数が必要なのです。総生畜献納をすべて十六数に合わせて、どのくらいするのですか? ここにいる国家メシヤたちは、「パンタナールで四種類の魚を百六十匹、釣らなければならない」という契約がなされているのですが、きょうまでに、すべて捕まえた人は手を挙げてください 私一人しかいませんね。(拍手) 皆さんにそのようなことをさせましたが、先生は内的にそれを一瞬のうちにすべてしてしまいました。皆さんは、できませんでしたが、先生は成したということを知らなければなりません。 成したと思いますか、できなかったと思いますか? パクーのような魚は、普通、一日で三十二匹、捕まえました。二日あれば、すべて終わるのではないですか? ドラドは、一日で十一匹、釣りました。ですから、それは問題になりません。 このように見るとき、先生がそのようなチャンピオンの看板を掲げて、四年間で百六十匹、釣ることができませんか、できますか? 釣ることができないというのですか、この者たち。(「釣ります。」)(韓国語で「この者たち」と「相対、カップル」の発音が似ていることから)相対がいない者は、どこに行っても使う価値がありません。ですから、絵を描くにしても、名作を描こうとすれば、白黒がなければなりません。皆、黒を嫌いますが、黒がなければ名作になりません。 きょう、ここに座っている人たちの色を見ると、三分の二が、どんよりして薄黒いです。どうしてでしょうか? 冬だからです。(冬は)太陽が遠くなるのですが、黒いものには太陽の光を吸収できる力があるので、自然に歩調を合わせるようになっているのです。わたしたちは、自然の中に生きていながら、だれかが命令しなくても、自然界に自ら合わせることを知っているので、七十、八十歳まで生きることができるのです。それは、理論に合うのです。 さあ、このように話していては、きりがありません。 「解放」という言葉を歓迎する人は、目を見開いて両手を挙げてください。十感があるとすれば、目を見開いて心の五感を見ることができますか? わたしが一等だと思う人は、何か一つ……。指でも、このようにしてみてください。このように挙げても、このようにして、何か一つでも違わなければなりません。すべて同じであることを願いますか、違うことを願いますか? 顔かたちは皆、違うでしょう? しかし、(解放は)心の一番底にあり、底は水平なので、そこに根を下ろさなければなりません。 解放されましたか? (「はい。」)本当ですか? (「はい。」)どのくらい解放されましたか? 国の基準を中心として解放されましたか、世界を中心として、天宙を中心として解放されましたか? 解放された天地父母、天地父母というかたが、自分たちだけで解放できますか、できませんか? 神様がお一人で解放されるとすれば、救援摂理は必要ありません。救援摂理は、即刻完成することができたというのです。神様も思いどおりには解放できないのです。 地上にメシヤとして来られたイエス様も、真の父母として来られましたが、解放の道を行くことはできませんでした。解放するために何が必要なのかというと、子女がいなければなりません。 なぜ、子女がいなければならないのでしょうか? 堕落とは何かというと、神様が堕落したのではありません。真なる天地父母が現れて堕落したのではありません。真なる天地父母の希望を未来においたまま、息子、娘が一つになることができなかったので解放できなかった、という事実です。 息子、娘が完全に一つになることによって、神様以上に解放の希望を願い、神様以上に解放の限界線を願うことができる息子、娘がいたとすれば、堕落したとしても神様を解放することができる日が、すでに何千万年前にあったかもしれないという事実を、皆さんは知らなければなりません。 それでは、今、この堕落した世界において、天地父母も解放されなければなりません。そして息子、娘、万民、六十億の人類、天上世界の何千億にもなる一つの先祖の血族として残っている存在が、すべて解放されることを願うとすれば、いつ解放が成し遂げられるのでしょうか? この解放を成し遂げるためのものが宗教であったというのです。拘束されている心と体を解放するために、心を強めて神様の代身の位置に立て、体を自由自在に統治します。そして、そこから脱線する存在がないようにするということが、救援摂理出発の目的であり、神様の思いを救援にとどめておくための出発であったという事実を知らなければなりません。 解放の根と解放の起源が何であるのか分からずに、解放を叫ぶ者は、愚かで、でたらめな人です。そのような者に解放はありえません。解放の根源は、すべての天地に包囲された囚われの身となっている体なのです。体が囚われの身となっているという事実を、だれが解放しなければならないのですか? (これが)問題です。神様が、神様ご自身を解放することはできず、真の父母として、メシヤとして送ったそのかたも、メシヤによって解放することはできません。何によって解放することができなくなったのですか? 子女が過ちを犯したのです。分かりますか? 子女に当たる者が、子女として未完成の段階から完成していたならば、アダムとエバは結婚して息子、娘を生んでいたはずなのですが……。その器官をいくら分析してみても、息子、娘を生むためにできたものであることは間違いありません。 男性一人で息子、娘を生んだでしょうか、女性一人で息子、娘を生んだでしょうか? 息子、娘を生んでこそ神様に似る者となるのです。一人で息子、娘を生むことができる女性という動物もいないのであり、男性という動物もいないのです。それでは、どのようにすれば息子、娘が出てくるのでしょうか? 分かりますか? 男性の心があれば、その男性の心に合うのは、別の男性ですか、別の女性ですか? ええ、何ですか? 赤ん坊を生もうとすれば、男性同士で結婚するホモの家庭に赤ん坊が生まれるでしょうか? 偽りの愛を中心として、肉体の情欲をすべて満たしたとしても、そのレズビアンの家庭に赤ん坊が生まれますか? 「生まれる」と言う者たちは、よこしまな者たちです。よこしまな者たちは、方向がなく、上下や高低もなく、どこにも立つことのできる位置がありません。そのような者たちを通して、息子、娘が出てきますか、出てきませんか? 「永遠に願い、さらに願います。天地を創造された大能力の主宰であられ、全能であられ、父の立場にいらっしゃる神様よ。わたしたち男性同士で一つになって結婚するので、息子、娘を生むことができるようにしてください。」と、このように言うのは狂った者たちですか、正常な者たちですか? 狂った者たちですか、正常な者たちですか? (「狂った者たちです。」) それが、はっきりと分からない男性と女性たちは、狂った者たちですか、正常な者たちですか? 狂った者たちです。「一人で暮らす。」と言う人がいるとすれば、それは狂った者ですか、滅びる者ですか。「滅びるな。」と言っても滅びます。一代ですべて終わってしまうのですから、「滅びるな。」と言っても滅びるのです。 ですから、男性と女性が赤ん坊を生むためには、ふたりが一つにならなければなりません。どのようにして一つにならなければならないのですか? 夫婦がいて、宇宙を動かすことのできる全能なる神様が、両手でこれを引き離そうとしても引き離すことができず、神様の腕が伸びてしまっても、一つになったものが引き離されないことを願いませんか、願いますか? 夫婦が一つになってくっついているものを、神様が激しく引き離そうとして腕が折れたとすれば、神様が裁判官として、どのような罪を与えるでしょうか? 百点の罪を与えるでしょうか、千点の罪を与えるでしょうか、億万点の罰を与えるでしょうか? (「罰は与えません。」) 億万倍の賞を下されば、賞をもらえない人は、だれもその前に行くことはできないということなのです。億万倍あれば、百倍でその前に顔を出せますか? 角度が合いません。 色で言えば、真っ赤で「ああ、見ることもできず、触ることもできず、死ぬこともできないほど真っ赤になった」ということです。赤でも神様が訪ねてきて、ポケットに入れるのです。このような話は初めて聞くでしょう? 神様も、赤い人が必要でしょうか、白い人も必要でしょうか? 三大元素の中に赤が入っていますか、入っていませんか? (「入っています。」)私よりも優秀ですね。では、真の赤い元素があるというとき、神様がポケットに入れるでしょうか、入れないでしょうか? わたしは入れないと思います。あなたたちはどうですか? (「……。」)このことも知らないのですか? それで、何ができるというのですか? 学校に行けば、昼も夜も転げ落ちて落第生になってしまいます。落第生になって役に立たず、方向感覚のないそのような者が、何をするのですか? 家門を滅ぼし、国を滅ぼすのです。無用の長物ですか、有用の長物ですか? ええ? ここに集まっているのは有用の長物ですか? 日本の女性、韓国の女性、西洋の女性、すべて来ていますね。 男性と女性が本当に息子、娘を生もうとすれば、神様までもどうしようもなく……。引き離すことができません。引き離そうとしても、神様の腕のほうが折れるのであって、(夫婦を)引き離すことはできません。 そのようにして息子、娘を生めば、神様よりも強い息子、娘が出てくるでしょうか、弱い息子、娘が出てくるでしょうか? ええ、何ですか? はっきりと答えてください。(「強い息子、娘が出てきます。」)原理を広めるために苦労した先生は、(皆さんの)力のない声を聞いても、全く興味がわきません。 神様の腕が折れても、引き離すことができなかったとすれば、そのような愛で一つになった夫婦から、神様が本物の赤ん坊として「やあ、これは本物だ。」と拍手し、万歳を叫ぶことのできる息子が出てくるでしょうか、「ああ、落胆した。」と言われる息子が出てくるでしょうか? そのようになれば良いと思うでしょう? あなたたちは、そのようになれば良いと思うでしょう? (「はい。」)どうしてですか? 万歳解放です。神様の中に入っても、神様の血統的精子の中の王の精子として入っていったとしても、神様が期待に胸を膨らませて踊りを踊られるのです。「ああ、そのような父に一度なってみたい」と思う人は、手を挙げてください。手を挙げたら、神様を見詰めていなければならないでしょう。なぜ地を見詰めているのですか? 手を挙げてください 向こうのほうは何も分からないのですね。こちらのほうは韓国人で、あちらのほうは日本人ですね。なぜ、日本人がこのようにたくさん来たのですか? 生きることのできる道が、ここにしかないので、ここに来たのでしょう。生きるためにです。 それでは、このような観点から見るとき、原色の中でも一つになった、真の原色である赤のような父親と母親を、神様の腕が折れても分けることができず、そこに赤ん坊の種ができ、そして生まれた息子、娘がいるとします。神様が彼らをごらんになるとき、「おい、おまえ。わたしにあいさつしなさい。」と言わなければならないでしょうか、神様が、あいさつしなければならないでしょうか? なぜ、不思議そうにしているのですか? そのような息子が……。神様が本当に力を尽くしても引き離すことができなかったので、その中から生まれた息子、娘は、神様よりも、もっとりっぱでしょうか、りっぱではないでしょうか? (「りっぱです。」)神様もその前に行かれれば、頭を下げなければならないのです。 絶対的な神様は、頭を下げることができませんか、できますか? 「ええい、やめよう。頭を下げれば、絶対が壊れてしまう。」と言われますか? 愛には、神様も頭を下げなければなりません。国を救った忠臣の中の忠臣の前には、王も頭を下げなければならないのです。王は、忠臣の力によって王の振る舞いができるときが、よくあります。 そのようなときには、「あなたのおかげで王になった。ありがとう。」と、言うようになるのです。「ありがとう。」と言いながら、ひげがボタンに引っかかって抜けたりすることも起きるのです。そのような可能性がありますか、ありませんか? (「あります。」) 先生の話が間違いなければ、私はあると思います。皆さんは、ないと思うでしょう? ないと思っているではないですか、この者たち。(「あります。」) さあ、このくらい話せば、「解放」という言葉が分かったでしょう。(「はい。」) 解放とは何かというと、神様と真の父母が天地父母になったということです。神様は縦的父母であり、真の父母は何ですか? (「横的父母です。」)なぜ、天地父母と言うのですか? これは、すべての相対関係における九十度の原型です。核心です。この根本に合わなければ、すべて離脱していくのです。いくらたくさんあっても、同じ価値として認めるのです。 それゆえに、「解放された天地父母と解放された子女」となるのです。分かりますか? 「一心一体」、心も体もあるでしょう? 「一心一体となり、真の愛の」、一心一体とならなければ、真の愛になりません。真の愛が出てこないのです。「真の愛の主体性である」、これは主体です。 何が主体ですか? 真の愛の核があるのです。真の愛の主体性である絶対性、唯一性、不変性、永遠性のみ旨、「永遠の」でも「永遠な」でもよいのです。 では、み旨とは何ですか? 四位基台の完成です。天を見ても天の父母であり、地を見ても地の父母であり、天の国と地の国、この二つの国を相続した三代が、天の父母の位置に立つことができることによって、それが主体性なのです。分かりますか? お父さんの角度も、おじいさんの角度も、わたしの角度も、千々万々の角度が、すべて神様とぴたっと当てはまるのです。そして、どの方面にこれを回してもモデルとなり、上弦と下弦を取り替えても合い、右弦と左弦を取り替えても合い、前弦と後弦を取り替えても合い、十二片のどこに合わせても、ぴたっと合う関係です。そのような「四位基台のみ旨が完成されますように」です。 これが全宇宙の希望であり、全体の唯一の核であり、一つの体となっているので、三〇〇〇年時代に、この標題を中心としていくことによって、神様が自らを主張することができる世界にならざるをえないというのです。 三〇〇〇年は……。三数の解放数であり、旧約時代、新約時代、成約時代です。成約時代の家庭理想を標本として、全宇宙が、新しい構造を編成することのできる時代になったので、このようにしなければ、どこに行っても合わせることができません。ですから、このような標題による主体性に対する絶対、唯一、不変、永遠な愛のモデル家庭を成し遂げなければなりません。 それでは、きょうからも必要であり、二一〇〇年から三〇〇〇年を越え、三万年を越え、永遠に必要な標題を持ったという事実を誇らなければなりません。(「アーメン。」)拍手。(拍手) 拍手するときには、皆さんが喜んでするのではありません。拍手は、三回以上しなければなりません。神様の拍手、神様の母の拍手、父の拍手、母の拍手のわたしの拍手、それから、孫の拍手で六つの拍手です。三回から六回以上しなければなりません。長過ぎてはいけません。それも原理数に合わなければなりません。 (口、鼻、目を順番に指されながら)蘇生、長成、完成です。 腹中時代、水を飲むでしょう? 空気を吸いますか、水を飲みますか? 鼻で空気を吸いますか、水を飲みますか? 水を飲むのが腹中時代です。鼻の時代は鼻で呼吸するのです。ですから、ヘソは必要ありません。ヘソで食べることもでき、鼻の穴で呼吸し、二つの世界で生きることができるのです。母親の腹中でも生きることができ、空気世界でも生きることができるのです。 そして、これも主体と対象です。空気世界でも生きることができ、水の世界でも生きることができます。地上では、鼻で呼吸しながら、天の国とともに暮らすことができるのです。すべて二重になっています。これは、東西南北の四方を意味するのです。分かりますか? 鼻が好きですか、口が好きですか、目が好きですか、耳が好きですか、手が好きですか? (「すべて好きです。」)すべて好きだと言うのならば、目と鼻と口と耳と手、この五つに「あなたたちは何が好きですか?」と尋ねてみれば、どのように答えるでしょうか? 雄の鼻は、「雌の鼻。」と言うのです。そうですか、そうではないですか? 雌の鼻は、目があっても何があっても「すべて嫌だ。」と言い、「雄の鼻。」と言うのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)口はどうですか? 郭錠煥氏の口は、雄の口ですか、雌の口ですか? (「雄の口です」)。雄の口なので、「雌の口はどこにある? キスしよう。」と思えば、そこに訪ねていかなければならないでしょう。鼻にするのですか? 目にするのですか? 耳にするのですか? キスをするのに、雄の口が雌の口を訪ねていかない人は、狂った者たちです。 雄の手が最も好むことは、雌の手とくっつくことだというのです。男性たちは、握手することができる道があれば、男性の手を求めていきますか、女性の手を求めていきますか? 女性だからといっても、何でも求めていくのではありません。方向を一致させることができる自分の妻の手を求めていくのです。 文総裁が、このように自信を持って話しているのに、ここに集まった一万近い人たちが、「それは違う。」と言うのならば、「違う」と思う人は、死んでみなさいというのです。 わたし一人が、「そうだ。」と言っていますが、先生の言うことが正しいのか、一万近い人たちの言うことが正しいのか? 霊界に行ってみれば、間違いなく、わたしが一万の人に勝つことができるので、堂々と前に立っておなかを突き出し、「この者たち、私の言うことを聞きなさい。」と言うのです。聞きますか、聞きませんか? (「聞きます。」)本当に聞くのですか? (「はい。」) 「聞かない。」と言う人は、手を挙げてください。「聞かない。」と言う人は左手を挙げて、「聞く。」と言う人は右手を挙げてください。聞くという人は、右手も左手も挙げてください。それでは、先生は話さなくてもよいということです。それでは、これで終わりましょう。さようなら。(拍手) ああ、「休みなさい。」ということではないですか? 先生の話を聞くよりも、雄の手が雌の手を訪ねていって愛し合うほうが喜ぶのです。愛の味がおいしいですか、先生のみ言の味がおいしいですか? ええ、何ですか? 赤ん坊は、自分のお母さんのオッパイがおいしいですか、隣の家のおばあさんのオッパイがおいしいですか? (笑い) (「お母さんのオッパイがおいしいです。」) それを尋ねる必要がありますか? 系統に従って拍子を合わせていくのです。先生は、言葉を好む先生ですか? すべての人が愛を好むということであり、この愛の内容がなければ、まぜこぜの餅なのです。(純粋な)もち米の餅ではないというのです。 それでは、わたしたちは解放を願うのですが、どのような解放が一番ですか? 目の解放、鼻の解放、耳の解放、口の解放、五感の解放が一番ですが、その中で第一の解放は何ですか? 愛とは何ですか? 生きてゆらゆらとするのが、愛です。そのように解釈しておけば、狂っても愛は理解することができるのです。愛というものは何かというと、ゆらゆらするのです。かげろうのようにゆらゆらすれば、その中で寝たいという気持ちになり、世の中のすべてのものに「わたしの懐で眠りなさい。」と言いたくなりませんか? 愛とは何ですか? (「ゆらゆらするものです。」)ゆらゆらするものは何ですか? 春の季節になれば、かげろうが、ゆらゆらするのです。愛のように、ゆらゆらしています。角の角度があるので、絶妙にゆらゆらするのです。 では、愛に酔いますか、酔いませんか? 愛に酔うのですか、酔わないのですか? (「酔います。」)賞を上げるので、「愛に酔ってみた」という人は、手を挙げてください。どのような愛ですか? 真の愛です。 愚かな人は、恋愛しながら地獄に行く贈り物にしがみついて、「生きる」とか「死ぬ」とか言う人が多いのですが、神様にしがみついて「生きる」とか「死ぬ」とか言う人を見たことがありません。 若い息子、娘たちは、恋愛するのを好みますか、礼拝堂に行って、お尻を天に突き出して、「私は死にます、生きます。」と、泣きわめきながら祈祷するのを好みますか? 神様に会って、「恋愛しましょう。」と言うのが良いですか、若い息子、娘同士で「恋愛しましょう。」と言うのが、もっと良いですか? 統一教会の教会員は皆、神様と恋愛するために来たのでしょう? (「はい。」)天のお父様ですか、天のお兄様ですか? (「お父様です。」)ええ、何ですか? (「お父様です。」)天のお父様なのに、どのようにして恋愛するのですか? (笑い)上下というものは、水が流れるようになっていて授け受けすることができません。水を注げば、落ちるのです。この相対的基準を成した水平世界において、お互いに授け受けすることができるというのです。 さあ、それでは解放とは、どのような解放ですか? 神様 どのような解放を好みますか? (「愛の解放です。」)どのような愛ですか? (「真の愛です。」)真の愛の種類はいくつあるのですか? 上下、左右、前後、そして王です。 王というものは、一人で王になることはできません。上下、前後、左右、この六つのものを率いて王の位置で愛するとき、そこで「千年万年、暮らしたい」と思うのです。神様は欲望を持っておられるので、神様は王の愛を好むのです。分かりますか? 王の愛であり、核の愛です。言ってみてください。核 (「核」)。どのような愛ですか? (「核の愛です。」) さあ、解放された天地父母と解放された子女が心身一体となり、そのようになれば、その中に神様がいらっしゃるでしょうか、いらっしゃらないでしょうか? (「いらっしゃいます。」)父母もいて、天地父母がいるのです。息子、娘がいますか、いませんか? (「います。」) だれ一人として欠くことができないように、すべているのです。すべているので、神様が福を与えてくださらなければならず、周辺におじいさん、おばあさん、自分の夫、兄弟が周辺にいれば、神様が福を下さるので、その家は安着することができるのです。 一時ではなく、永遠にそれを表題として、一つのモデルとして選択することのできる家庭が……。自分の町内すべての家庭がそのようになり、部落に百軒の家があれば、百軒すべてがそのようになり、村を越え、村々を越え、全国津々浦々までそのようになり、千万の部落ともども、国を越えて、万国すべてが一つになることができる可能性があるということなので、万民が歓迎しなければなりませんか、反対しなければなりませんか? (「歓迎しなければなりません。」) 歓迎しないときには、どのようにするつもりですか? 離婚でもしなければなりませんか、してはなりませんか? (「してはなりません。」)会いたくないのに、なぜ離婚しないのですか? 統一教会の教会員は、会いたくなくても、このようにしています。神様の前で血統が変わり、怨讐の子女となった者を、神様がはしで火の穴に放り込みましたか、そのままにしておきましたか? (「……。」) きょう、その答えを知ろうとすれば、答えなければならないでしょう。はしで放り込むとすれば、この地上でその地獄の火で焼かれない人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いません。」)なぜですか? わたしたち人類は、怨讐の血がエバの子宮に入っていって、できた赤ん坊なのです。女性の子宮や胸やお尻は、怨讐の血筋によって生まれた子女を保護し、育成するために、そのようにできているのですか? 怨讐がこの胸を吸ってくれることを願ったのですか? だれが吸ってくれることを願ったのですか? 主人です。億万年の主人です。天地が変わるとしても、この主人は変わらないようにするためです。そのかたのために、そのようにできているのです。それは何ですか? 神様の家門のためです。分かりますか? あなたたちは皆、嫁いで家門に入っていったでしょう? きょうはなぜ、このように女性ばかり集まったのですか? なぜ男性はいないのですか? 男性が一人で騒いでいるので、「女性ばかり相手にして、悪口を言いながら、苦しめるために、あのような話をするので、初めから文総裁は怨讐として生まれたようだ。」と思うかもしれません。だれが愛の道に怨讐を引き込んだのですか? 女性です。 先に女性が目覚めるので、男性を誘惑するようになっているというのです。化粧を始めれば、一時間も二時間もアイシャドウやルージュを塗っているのです。結婚する年ごろの十七、八歳になれば、朝から夜まで一日じゅう、そのようにして座っています。(笑い)笑っているのを見ると、身に覚えがあるようですね。 さあ、十五、十六、十七、十八歳になって、化粧品を買うのは男性ですか、女性ですか? (「女性です。」)日本語で、化粧のことを何というのか知っていますか? 「けそ」ですか? (「けしょうです。」)化粧をすることを何というのですか? 「かそ」ですか? (「けしょうです。」)「けしょう」ですか? 「火葬」ということです。 皆さんは、何によって生まれたのですか? 神様によって生まれたのですか、愛によって生まれたのですか? (「愛によってです。」)何ですか? (「愛によってです。」)本当ですか? (「はい。」)やあ、わたしも学びました。わたしは、神様によって生まれたと思っていたので、愛によって生まれたとは知りませんでした。今、あなたたちから学んだので、悪口を言われずに暮らす時が来たということです。(「アーメン。」)(笑い) 解放された天地父母と解放された天地子女が一つとなり、心身一体となる日には、天下のすべてが自分のものになるのです。おじいさんの愛がおばあさんの愛であり、おじいさんとおばあさんの愛が、お父さんとお母さんの愛であり、お父さんとお母さんの愛が孫の愛であり、孫の愛がおじいさんとおばあさんの愛です。 おばあさんが孫を見て、「ああ、わが子よ。」と言うのを聞いたことがありますか? (「はい。」)そうではないですか。自分の息子、娘に対して、「ああ、どうしようもなく愛らしいわが子よ。」と言う若い父母を、わたしは見たことがありません。ただ「かわいい。」と言って、キスしてぶつぶつ言うだけであって、「ああ、わが子よ。」とは言わないのです。 そこから横的に広がっていくのです。収穫なのです。孫は、愛に対する収穫なので、一つの種から十双も生まれてくるのです。わたしの友達の中には、一人の母親が三十六人の息子、娘を産んだという人がいます。少ししか産んでいないでしょう? (「たくさん産みました。」)私は、「四十六人くらい産めばよい」と思うのですが。あなたたちもそうですか? 何ですか、悪いことがありますか? その息子たちが皆、天才的な頭をしていれば、「嫌だ。」と言っても、自然に大統領や長官になるのです。その国の大統領や官僚を率いて、「おお、よし。よし。」と言えば、その国全体が春になって花が咲き乱れる園になり、(草木が)生い茂る夏の季節が訪れるのに、どうして「嫌だ」と思うことがあるでしょうか? 「嫌だ」と思いますか、「良い」と思いますか? では、息子、娘を育てることが大変なことでしょうか、大変なことではないでしょうか? このように考えるとき、神様が今日の人類に対して、「あなたの父だ。」と言われ、その神様を(わたしたちが)「父として侍ります。」と言えば、神様は、あなたたちをどのようにされるでしょうか? 骨が出るほど、こき使って苦しめる父ですか、骨は出ずに、食べさせる父ですか? 食べさせる父です。 その父の農地が、どこにあるのか知っていますか? 夫婦というものは、赤ん坊を生む農地であって、食べさせる農地ではありません。食べさせる農地は、天の国にあるのです。愛が結実するときには、食べるものは無尽蔵です。願いどおりです。 神様の愛を受けることができ、同居し、同参することのできる位置に立つようになるので、神様が「食べたい」と思われるものを、すべて持つことができるように、わたしたちも願うとおりに、すべてのものを持つことができるのです。 天の国に農地があるでしょうか、ないでしょうか? 土地がありますか、ありませんか? 土地はありますが、農作業する農夫は、見たことがありません。面白いでしょう? そこにパンをつくる工場がないでしょうか、あるでしょうか? 自動車をつくる工場がないでしょうか、あるでしょうか? あるとすれば、神様が、毎日のように出勤され、自動車工場やその付属品を監督するチャンピオンになられるということですか? (そのような)必要はありません。真の愛さえあれば、十分です。分かりますか? 今、何と言いましたか? 真の愛で十分です。(それは)どういうことですか? できないことがないのです。真の愛の中には、考えであるとか、感想であるとか、そのような空想的な理念を実体として現実化させることができる能力があるのです。愛のためにつくられたのが、万物です。 赤ん坊を好むのは、男性ですか、女性ですか? (「女性です。」)私は、男性のほうが好むと思います。(男性のほうが)女性よりも、もっと大きな胸をしているからです。(笑い)「わたしは、女性よりも大きなお尻を持っているので、赤ん坊を産むときにも無事通過だ。ああ、わたしには子宮ではなく王の子宮がある」と言えば、男性のほうが女性よりも赤ん坊を好むと思いますか、女性のほうが男性よりも赤ん坊を好むと思いますか? (「女性です。」) お父様の話が事実ならば、男性のほうが、もっと赤ん坊を好むということになるのですが、事実がそうではないので、問題なのです。いくら真の父母だとしても、それでは偽りの父母に落ちるしかないので、賢い人は「ぺっ」と、つばを吐いて背を向けるようになっています。一度、つばを吐いて背を向けてみてください。 女性たちは、自信があるでしょう? 先生よりも、もっと赤ん坊を好むでしょう? (笑い)それは、生理的にそうなのです。どのようになっていますか? 胸は、だれのためにあるのですか? 先生のためにあるのですか? (「赤ん坊のためです。」)それは、赤ん坊のためにあるのです。お尻は先生のために大きいのですか? (「赤ん坊のためです。」)赤ん坊のためです。 先生と何の関係がありますか? それから、子宮は先生のためにあるのですか? ああ (笑い)どれほど、うっとうしいですか? その場で殺されたほうがよいでしょう? 赤ん坊のためにあるのではないですか? 自分が持っているすべてのもの、その根本から付属品まで、すべてのものは、赤ん坊が必要とするようになっています。 女性の手は大きいですか、小さいですか? 男性の手のように頑丈で、骨のようですか、ふっくらしていますか? なぜ、女性の手はふっくらとしているのですか? (「赤ん坊のためです。」)赤ん坊が泣くからです。腹中にいる赤ん坊につめがありますか、ありませんか? つめがありますか、ありませんか? つめで引っかくようになっていますか、どのようになっていますか? どうだと思いますか? このように握ってみてください。つめをこのようにすれば、引っかかるではないですか? (親指を中に入れて)ですから、このように握っているのです。この女性たち、このようなことも知らないのですね。(笑い)このように握っていれば、いくらやっても、つめが引っかかりません。このように握っていれば、どのようになるでしょうか? 引っかいてしまうというのです。 これ(親指の二つの関節)は何かというと、神様の二性性相であり、これ(残りの指の三つの関節を合わせたもの)は、十二か月です。それぞれ三か月を中心として一年を表しています。 天地の度数の中で、王となられるかたは、どのようにしますか? (右手の親指を立てながら)一等は、このようにするでしょう? そのような話をすれば、面白いのです。話をしてあげればよいのですが、そのような話をするには、きょうは、日の運が良くありません。 解放。解放を願いますか? (「解放。」)では、目はどのようにしますか? (「目の解放です。」)それでは、「抜き出してみなさい。」と言うのです。耳も解放ですか? 目の解放とは何ですか? いくら抜き取ったとしても解放できません。男性の目の解放がなされるのは、女性の目を見詰めるときです。 男性が笑うときに、女性がにこっと笑えば、手足が踊るのです。そうですか? 夫が何か不満で、むっつりしているときは、にこにこ笑いながら、「ああ、きょうは朝から太陽が出ているのに、私の夫には雲がかかっていますね。何が悪くて雲がかかっているのですか? 何か気分が悪いことがあるのですか? 会社で何か失敗でもしたのですか?」と言うのです。 そして、会社の女性のために気分が悪いのならば、「私がその女性に贈り物を贈ってでも、良くしてあげるのに……。」と言い、それが男性ならば、「ああ、その人は、上司になろうとしてなれなかったので、気分が悪くて部下を苦しめたのですね。少し待ってください。私がその人よりもりっぱな息子を生んで、父親の恨の峠を越えさせてあげます。」と言いながらほほえむとき、その話を聞いた夫の、かたくなな心は解けるでしょうか、解けないでしょうか? 木石のような女性は、だれですか? いくら無感動な女性であっても、そのようなことは基本常識として分かっているというのです。そのようなことを知りながらも、かみついて責め立てるような人は、追い出される女性です。追い出される女性とは、どのような人ですか? (「冷遇される女性です。」) 疎んじられて冷遇される女性です。そのような女性が通るときには、町内の犬もほえません。「この女め、早く行け。こいつ。ほえるのも恥ずかしい」と思って、犬もほえず、鶏も猫も鳴かず、ネズミまでも穴に入ってぐるぐると回るというのです。千年万年の恨があったとしても、一人の夫に仕えるのです。それが女性の行くべき鉄則です。 整った顔をしていますが、あなたたちはどうですか? 先生が、世界で一番の美男子と祝福をしてくれると思ったでしょう? 絵を描いてきてくれれば、そのようにすることができます。 考えてみてください。一万人の男性と一万人の女性がいるとすれば、九千九百九十九人の女性は、一万人の男性の中の十人の美男子を奪おうと、首を絞め合うのです。見た目で良いかどうか判断するのです。顔立ちの整った男性は、皆、浮気心のある男性なのです。 「五人の男性の名前を書きなさい。」と言えば、五人とも、すべてそのような男性を選ぶのです。高ければ、低いものがあるではないですか? 高い山には深い谷があり、深い谷には、頂よりも岩がたくさんあるのです。でこぼこなものが、もっとたくさんあります。金剛山の奇岩、怪石を見てください。 すべてそこに合わせることができ、花であれば、自分の花を春夏秋冬、美しく咲かせることができれば、飛んでいったちょうや虫たちが訪れるのであり、自分の王に侍るために王宮に向かう旅人も、それを貴く思って王に進呈しようと根こそぎ……。 折っていくのではなく、根こそぎ掘り出して、王宮に持っていき、そこに植えようとするのです。そこにおいて、完全な価値を現し、完全な美貌を装って、千年歴史……。自分一代でできなければ、千代、万代、そのようにすることができる花は、王宮に移されていく日が訪れるのです。(「アーメン。」) いくら夫が醜くても、赤ん坊の種を持っているということは、間違いないというのです。(笑い)分かりますか? 赤ん坊の種があって、血統の法則が通じるとすれば、先祖に黒い人がいれば、いつかは黒い人が出てくるのです。だれかが、先生のような人を夫として迎えれば、血統の中にその種を受けて、何代目か、何千代目にそれが出てくるというのです。それはどういうことかというと、先祖の血と先祖の細胞が死んでいないということを意味するのです。 父と母の愛は、一代です。父と母の愛は横的であり、一代です。水平です。垂直ではありません。おじいさんとおばあさんも一代であり、お父さんとお母さんも一代であり、自分の代でも一代です。三代をかけて愛する人がいません。 それでは、おじいさんのような人と一度結婚し、お母さんのような年齢の人と結婚し、自分の相対のような人と結婚し、娘のような人と結婚し、そのようにしようとすれば、何百歳まで生きなければなりませんか? 人間の年齢は、八十歳を超えるのが難しく、八十を超えれば九十を超えるのが難しく、九十を超えれば百を超えるのが難しく、百を超えれば百十を超えるのが難しいのです。 先生の歳に三十年を加えれば、何歳になりますか? (「百十歳です。」)百十歳ですが、今から百十歳まで生きる可能性が……。いくらあなたたちが、「ああ、ご長寿されますように。」と言っても……。 きょうも元旦ですが、二〇〇〇年を越えて三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年の元旦なので、韓国では、新年のあいさつをする日です。この多くの人たちに一万ウォンずつ上げたとすれば、いくらになりますか? 一億ウォンが飛んでいくというのです。十万ウォンずつ上げれば、十億ウォンかかります。 新年のお年玉で十億ウォン上げなければなりませんか、来る人の足が切れても門を閉めなければなりませんか? しかたがありません。ですから、地の果てから飛んできて苦労し、重い荷物を背負ってきた人を呼んで、お年玉を上げました。 その時間が、どのくらいかかったのかというと、一時間です。それで、きょう、わたしが何分、遅れたのか知っていますか? 二十五分から三十分、遅れたのです。「約束しておいて、三十分、遅れた先生……。ああ、わたしたちには『報告時間をきちんと守りなさい。』と言ったのに、なぜ先生が時間を守らないのか?」と思って裁判にかけたいでしょう? ああ、一万人に三十分なら、どのくらいですか? 五千時間を失ってしまうのです。一ドルずつだとしても、五千時間で五千ドル、十ドルずつなら五万ドルが飛んでいくのです。十ドルで済みますか? 今日のアメリカでは、十ドルと言えば……。一時間で三十ドルなら、いくらですか? 三(三十ドル)×五(五千時間)=十五で、十五万ドルが飛んでいくのです。先生に給料をくれましたか? (「はい。」)(笑い)給料をくれましたか、くれませんか? わたしは、統一教会の皆さんから生涯、一度も給料袋というものをもらったことがありません。夢にでも一度もらってこそ、あの世に行って、「統一教会の人たちが給料もくれたし、献金もした。」と言うことができるのですが、「献金をした」という話は聞いたのですが、「給料をくれた」という話は、聞いたことがありません。(笑い) さあ、神様の解放とは、何を願うことですか? 万国にお金がないので、豊かに食べさせてあげることができる、お金のふろしきです。アーメンですか、ノーメンですか? (「ノーメン。」)知識のふろしきです。(「ノーメン。」)天地のバランスを取ることができる空中エンジンを開発して、空中オリンピックを開催することができる、技術の大王陛下です。それですか、何ですか? 権力ですか? この辺りの人は、なぜ居眠りしているのですか、この者たち。昼食の時間になったので、おなかがすいたのですか? 神様は、どのような解放を願われるのですか? どのような解放ですか? 政治解放、大統領、博士、お金の包み、そのようなものを願われるのですか? 神様は、お金をつくることができ、知識の王であられ、権力の王であられるのです。すでに、すべてのものを持っておられ、持っておられるものがあまりにも重いので、引きずって歩くこともできません。男性たちにすべて分けてあげたいと思うのですが、顔を見てみると、分けてあげれば喜びそうですね。 神様が、最も願われるものは何だというのですか? (「愛です。」)物乞いして暮らしている女性でも、美人がつくったもち米の餅よりも、乞食のような男性がつくった、ばらばらと落ちるアワ飯のほうに、もっと関心があるのです。なぜですか? 美人だからですか? 愛に従っていくのです。そうでしょう? わたしが美男子なら良いでしょう? わたしは、このように顔が良くないのです。それでも、まあまあでしょう。もっと顔が良ければ、壁を越えてくる人が、どれほどたくさんいたでしょうか? わたしが統一教会の教主なのですが、絞首台の主人なのかも分からないというのです。 このようにしながら、女性のあらゆる姿をすべて見てきました。裸で壁を越えようとして、犬にほえられて見つかり、それで文総裁が悪口を言われたり、三角パンツ一つで道を歩いてバスにひかれて病院に行かざるをえず、それでまた悪口を言われたりしました。ありとあらゆる群像をすべて見たのです。 人間世界において、女性が起こすあらゆる問題は、すべてわたしが世話をして処理したのです。それで、女性たちが、わたしを好むのかもしれません。お金がなければ、借金して、病院で治療を受けさせてあげ、あらゆることをすべてしたというのです。 総括的に見れば、悪いことはしていないのです。わたしも、夜でも昼でも、突然、目を開けて、「わたしは悪いやつか、良いやつか?」と言えば、「良いやつだろう」という言葉が、さっと出てくるのです。 わたしは今、どのような話をしましたか? 夜、突然、目が覚めて、「あなたは、良い人か、悪い人か?」と言えば、「ああ、良い人だ」という言葉が、自分の口から出てくるというのです。ですから、「良いことをした」ということを、この四肢が分かっているということですか、分かっていないということですか? 神様が、最も好まれるものは何ですか? 何ですか? (「愛です。」)愛ですか? 愛を好む人は、手を挙げてください。あなたたちが好む愛を、神様は一度も好んだことはありません。今まで、なかったというのです。 その愛ではなく、真の愛です。きょうの題目は、何ですか? 真の愛の主体性である、絶対なる真の愛、唯一なる真の愛、不変なる真の愛、永遠なる真の愛です。絶対、唯一、不変、永遠に変わらない、そのような愛が、真の愛です。 結婚している人は、手を挙げてください。祝福を受けて結婚したという人は、手を挙げてください。あなたたちは、生涯、自分の妻や夫のことだけを思いますか、行ったり来たりしますか? 行ったり来たりしますか、行ったり来たりしませんか? なぜ下ろすのですか? 下ろさないでください。行ったり来たりしますか、行ったり来たりしませんか? (「行ったり来たりしません。」) 何ですか? 行ったり来たりするということは分かっているのに、行ったり来たりしないと言うのですか? 祝福を受けて結婚し、しかたなく自分の新郎と暮らしながら、「ああ、あの夫が死んで、もう一度、祝福を受ければ、わたしが愛する人、結婚したい人とするはずなのに……。」と、このようなことを考えたことはないのですか? 本当ですか? あの醜い男性と花咲く青春を消費しても、感謝するのですか? (「はい。」)それは、問題が大きいのです。ああ、知りません。今から一時間くれればよい、今からでも考えなさい、一時間で……。できなければ、条件的にでも一度してみなければならないでしょう。 条件は嫌いですか、好きですか? わたしが一時間、自由を与えるので、そのようなことを考えても罪にならないとすれば、考えてみますか、考えてみませんか? 考えないという人は、手を下げてください。何のことか分からないのですね。(笑い) 耳が宝です。心は宝ではないのですが、耳が宝になるときが、本当に多いのです。心よりも、目のほうが宝になるときがあります。心はそうではありませんが、目がそのようなときがあるのです。鼻もそうです。 五感が、心と違うときが多いということは、皆さんが生活の中でたくさん感じるでしょう? それは、何に違反した心なのかというと、愛の法です。解放的な愛の法度に違反した心です。それは、完全に切ってしまいますか、そのままにしていますか? 堕落以降、神様は、この人類に対して何の未練も持っておられないのです。このことを知らなければなりません。だれにも未練は持っておられないというのです。 神様ご自身が、未練を持とうとされるのは、この人類を再び取り戻す道です。取り戻すためには、世の中の人が好み、世の中の人が持っているすべてのものを一つもなくした立場を越え、(再び)所有することができるようにする、そのような方法しか救う道理がない、ということを知らなければなりません。何のことか分かるでしょう? はっきりと理解しなければなりません。 神様は、宇宙をつくられた主人でしたが、すべてを失ってしまいました。失ってしまったものに未練を持ったまま、それを見詰めて泣くのではありません。そこには、宇宙が入っているのです。力の世界、知識の世界、物質の世界、お金の世界がすべて入っているというのです。そのようなすべてが入っている世界を失ってしまいました。その中で神様が願われるのは、愛だけです。 愛を理解することができるのは、草木でもなく、動物でもなく、血統が一つになった息子、娘なのです。しかし、今まで血統が連結されていませんでした。 神様が一代ならば、アダムは二代であり、三代が連結されてこそ、神様の縦的な血統と父母の横的な血統を連結させることができる種ができるはずなのです。ところが、三代を失ってしまった神様は、天の国を否定し、地上天国を否定し、すべてを失ってしまいました。失ってしまった世界に求めるものはないというのです。 そこで、万物圏を抜け出し、息子圏を抜け出て、この地上で最も貴いと思う父母圏までも否定する立場を越えて、越えて、さらに越えて、否定に否定を重ね、一つも未練がないという立場に立たれます。そして、再び所有権を持つことを待ち焦がれるのが、再創造の主人であられる神様の立場であるということに間違いないということを、はっきりと知らなければなりません。 この世界を(再び)所有しようとされるので、「怨讐を愛しなさい」という言葉を言わざるを得なかった、神様の立場を考えてみてください。億千万世の怨讐を愛する、その内実をだれが知っていたでしょうか? 縦的な真の父母の立場にいらっしゃる神様が、持っているものがないのです。 そこで希望を持つためには、カイン、アベル、怨讐の兄の立場、怨讐の父の立場、怨讐の王の立場を愛さなくては、その世界の一つの万物も、息子、娘も取り戻すことができないということが神様の恨だった、ということをこの時間に知らなければなりません。 それで、救援摂理においては、「長子権、父母権、王圏を成したサタン世界を愛しなさい。」と言うのです。代々受け継がれていく怨讐の血を、独身生活を強調しながら(再び本然の血として)取り戻そうとされ、その血統を清めようとされる神様の立場が、どれほど無念であるのかを考えてみてください。 そこにおいて、どこに万物があり、どこにイエス様がいますか? イエス様も成し遂げることができませんでした。それに対して、再臨主もみ旨の定着を成すことができませんでした。それを所有するためには、サタン世界の万物の前に恥ずかしさがあってはならないのです。 万物が愛の恩恵に酔い、「お返しする道がないので、神様が求めたいと思われた以上に、生命までもささげます。」と、言うことができる、愛の感動を成しえていない基台の上においては、真なる愛の救援摂理の道が開かれないということを、この時間に全員が悟らなければならないのです。 神様はかわいそうですか? かわいそうですか、かわいそうではないですか? (「かわいそうです。」)そのようなかわいそうな神様を解放してあげようという、統一教会の解放的子女の立場に立ったわたしたちにとって、万物が貴いのですか? この者たち。子女が貴いのですか? 堕落圏内の国と世界にいて、いまだに神様の位置に上がることができていない夫が貴いのですか? 「神様の恨の影を消すことができないという怨恨を抱いた万物を、わたしたちが愛することができる、ということに対して、恥ずかしさを持つ姿勢を忘れてはならない」という決意を、この時間に再び、しなければなりません。 神様は、個人を中心としてそのような信念を持って、千万回も岩の峠を越えてこられたのです。そして、心と体の闘いを止めるために、何千万年の受難の道を越えてこられたのですが、闘いの道を行く万民の心と体を止めることはできませんでした。 体は体で自己主張し、心は心で自己主張し、だれも神様と同じ立場で、自分を完全に屈伏させる心になることができず、そのような体にもなることができなかったので、(自分は)恨の実体であるということを知らなければなりません。それを見詰められながら、福を祈っている人に福を与えようとされる、そのようなつまらない神様ではありません。 サタンの血統、サタンの風習、サタンの愛の血統に変わってしまったものを愛することが、どれほど難しかったかということを知らなければなりません。 継母と連れ子の逸話を、よく知っているでしょう? 自分の直系の子女よりも、継母の子女を何十倍、何百倍、何千倍愛さなくては、人類の怨讐の血統を乗り越えることはできないという、そのような囚われの身となられた神様を思うとき、だれがその神様を解放してさしあげるのですか? 考えてみてください。 瞬間史よりも千年史が、もっと怨讐です。長いほど怨讐であり、困難であるほど怨讐です。休むことができる道では、神様や天国との関係を結ぶことはできない、という事実を知らなければなりません。 悲痛な歴史です。無念で恨めしい歴史です。どうして神様が、そのような立場に立たれ、人類の真の父母がこのような無念な立場に立たれ、そのような囚われの身で呻吟されるのでしょうか? 一体、その理由は何でしょうか? この愛のゆえです。何がこのようにしたのですか? 男性と女性という二つの動物であり、この体です。分別がつくようになる前に、火遊びをしたというのです。 あと一年半か二年だけ過ぎれば、神様が親しくアダムの心の中に、エバの心の中に入っていかれて、結婚式をさせるのです。その結婚式は、アダムとエバの結婚式ではありません。縦的な真の父母であられる神様の結婚式であり、横的な実体としての真の父母であるアダムとエバの結婚式なのです。 この二つの愛の結婚式となり、縦的と横的が決着する一点が九十度です。決着できなければ、神様の理想的な愛と人間の理想的な愛は、永遠に巡り合うことはできないというのが、理論的なのです。 九十度に合わなければなりません。神様は、いつでも九十度にいらっしゃいますが、人間が八十九度や九十一度にいれば、一つになりません。欠陥品です。それを合わせるために、メシヤを送られ、真の父母を送られたという事実を知らなければなりません。 メシヤと真の父母が来るために、旧約時代においては万物に血を流させました。腹を割き、命を絶ち、最も純潔な動物の血を流して分け合ったのです。右側は神様のものであり、左側はサタンのものとして二等分する恨みの穴が生じたのは、血統が変わってしまったからです。 このようにして、零の点から始めて人類全体に対したのですが、同じ位置から出発して零点に入っていくのです。そして、「わたしがあなたたちよりももっと愛し、より愛したものが、良心を中心として完成するとき、その愛の基準は、体を中心とした愛よりも高くなることができるので、本然の基準で精誠を尽くして、神様を愛するために訓練をした愛になれば、このサタン世界の愛を越えることができる。」と言うのです。これが、宗教がすべき召命的責任であり、使命的責任であったということを知りませんでした。 良心に力を与えなければなりません。七〇パーセントは良心から力が出て、三〇パーセントは体から出る、このような基準にあるとすれば、心と体は自動的に一つになることができるのですが、良心の呵責を受けながら……。 南北を指している磁石を、東西に向ければ力が加わるように、そのような呵責を受け、自分自身の存在位置がなくなることを感じながらも行動することができる、そのような強い力の起源は、愛の道しかありません。 あなたたちの父母も、あなたたちが分別がつくようになる前に浮気すれば、問題にするでしょう? 「時になる前に火遊びしてはいけない。」と言うでしょう? 間違いを犯せば、一代ではなく一国、天地を滅ぼすのです。アダムとエバがそのようなことをして、天下を滅ぼしてしまったのです。根こそぎ引っ繰り返して、神様を追放してしまったのです。 神様は、それを中心として所有が連結され、因縁的な連体関係と相応的な対応関係によって連結された万宇宙の根が沈んだので……。鉛の重りが沈んだので、そこにつながっている網は沈むようになるのです。 サタンの所有になったものを救う道理はありません。怨讐を自分の息子、娘よりも愛するまでは、より愛するまでは救う道がないのです。ですから、神側の長子として立てたメシヤであるイエス様を十字架にかけて、天の側に取り戻してくるようにしたのです。 万物を犠牲にして開いた道に、神様がひとり子のイエス様を息子として送られ、真の父母となることができるかたを送ってくださったのです。そのかたを結婚さえ、させてあげていたならば、天下を一時に、一つのところに抱くことができたにもかかわらず、イスラエルの国とユダヤ教が……。 国がカインだとすれば、ユダヤ教はアベルです。二つが一つになってメシヤをお迎えして侍り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していたならば、ローマ帝国が問題ではありません。 それを中心として立て、三〇パーセント、二〇パーセントだけでも一つになれば、それを岩に結びつけるようにして一体化させるのです。そのようにすれば、ローマがぶつかってきても、ローマの頭が割れ、足が折れ、四肢が裂かれていくようになっているのです。それがふらふらとするので、問題なのです。 それを接ぎ木し、固定された力を中心として、神様の愛の血統を万国に連結することができる、キリスト教と立体的祝福圏をつくっていたならば、天下統一は問題ではないというのです。 そのことができずに死んだので、二千年の受難の道を行くのです。牛の子や動物の子が死んでも、恨はありません。それは間違いなく、そのようになるべきものです。これは、自分よりも高い存在の前に生命をささげなければならないのです。 ところが、天地を創造された主人の中の主人、王の中の王、師の中の師、父母の中の父母であられる神様が、僕よりも、もっとかわいそうな立場に立つようになったのです。そのようなことが、ありえますか? しかし、怨讐の子女を自分の子女よりも、もっと愛するところからは、サタンがぶるぶると震えながら離れていくのです。そのような道を行かれる神様は、喜んでそのようにされたのか、ということです。 今日、このような統一教会の群れを通して、真の父母に侍り、国境を越え、怨讐世界のすべての国境を撤廃し、一つの血肉として連結された血統に通じる一族を成しているのです。そのような天の眷属(親族)を取り戻すということが、神様のみ旨ではないのかというのです。 ですから、皆さんの過去の負債とは、この宇宙にある万物の半分を祭物としたということです。そして、ひとり子をこの地上に送って犠牲にされたのは、あなたたちを救うためであったということです。 真の父母を迎えて、国の統一、氏族、民族、すべてを統一していたはずであるにもかかわらず、キリスト教が反対することによって、先生の家庭が完全に分かれてしまったのです。南北が分かれ、一族が分かれ、父母と妻子がすべて分かれてしまったのです。 それゆえに、統一教会の歴史の中に「離婚」という言葉が生じたのです。離婚が生じたというのです。鉄則のような天理を知っている先生は、死んでもそのようにすまいとしたのですが……。(そのままでは)世界をすべて滅ぼしてしまうので、しかたなくこのようにしているというのです。 それゆえに、「主人であられる神様が、解放された天地父母と子女が心身一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠の理想的四位基台完成をモデル型家庭からモデル型国家、モデル型世界、モデル型天宙の基盤の上に成すことができる時なのです。 ですから、神様に侍って、そのかたの恨を解き、解怨成就して、主導的な本然の天地創造の主人となられ、王の中の王となられ、父母の中の父母となられ、長子の権限をもって千年万年、次子を治められる、太平盛大で永遠不変、公明正大の世界に転換されますように」という、このことを成すために、今から一月十三日まで、神様をお迎えして侍り、王の位置に推戴するのです。 言葉では簡単でしょう。文某の名によってするからと言って、できると思いますか? 言葉だけでできると思いますか? 霊界に行った先生の四人の息子、娘がいるのです。彼らは皆、途中で死に、自分の寿命を全うすることができませんでした。統一教会と統一教会に反対する歴史的なすべての罪を背負って蕩減の道を行った、かわいそうな人たちです。全員、客死です。 世の中は嘲弄して、「文総裁の息子、娘は、皆まともな死に方ではなく、ぽっくり死んで、その息子を祝福して、天上世界の長子権だ何だと、ぺてんにかける詐欺師の中の詐欺師だ。」と、悪口を言うのを聞きました。それは、だれのゆえですか? 日本が責任を果たすことができず、韓国が責任を果たすことができず、アメリカが責任を果たすことができなかったというのです。 世界が責任を果たすことができなかったので、先生はすべてを捨てて出ていったのですが、(本来は)門を閉じて番人となり、蘇生的旧約時代、長成的新約時代、完成的成約時代、家庭が金城鉄壁のように……。 人類の第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルまで、すべての民とすべての国を一つにして、侵犯されないように金城鉄壁を成さなければならないのに、門をすべて開いてしまいました。主人が山うさぎを捕まえに行っていて留守なので、その間に虎が、家のうさぎを食べていったのです。そのようになったというのです。 怨讐を愛さなければ帰る道がないという、神様の流れ者のような立場を、だれが理解してくれましたか? 聖書にあるでしょう? 「『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』」(マタイによる福音書二十五章34~36節) イエス様が十字架に付けられたのは、神の国とその義のためです。神様の故郷と神様の祖国のためです。先生が苦労したのは、先生の故郷と神様の故郷と神様の祖国と先生の祖国のためです。 皆さんの代わりにしたのです。あなたたちは、故郷がなく、祖国を失ってしまった群れです。故郷の地を刀でめった切りにした寄生の群れと同じです。こちらに行って吸い上げ、あちらに行って吸い上げて寄生する虫が、寄生虫です。 皆さんは、鉄や石のように堅い約束をして、祝福結婚をしたのに、再び堕落するのですか? ダイナマイトを設置して爆破してしまったとしても、すっきりしません。三時代の動物と植物と息子、娘、父母まで祭物にした基盤で、再び犯罪を犯し、罪を犯すのですか? 自分を中心として、「好きだ」、「嫌いだ」と言うことができますか? 神様は、怨讐の子女を自分の息子、娘よりも、自分の父母よりも、自分の妻子よりも、もっと愛さなければ、復帰することができないのです。帰る道がないというのです。 そのような神様の前に、チャンピオンになり、旗手として旗を掲げた先生に対して、真の父母に対して、世界はありったけの力を注いだのです。日本もありとあらゆることをすべてしました。しかたがないので、今、お尻を隠して……。「どれ、だれが勝つか見てみよう。」と、力で来れば、私は力で対します。外交で来れば、外交で対します。 私は、押さえ込んでも余りある力を持っている人です。無力な人ではありません。アメリカが恐れ、ソ連が恐れ、中共が「恐ろしい。」と思っているのです。恐ろしいと思われているからといって、力で押したことはありません。愛でしたのです。 血と汗を流した自分の息子、娘の血肉を抜いて祭物とし、それを売った血の代価を彼らのためにまき、教育して大会をしながら、天に接ぎ木しようとする師の心を、だれが知っていましたか? 皆さんも同様です。神様の存在圏を超えて、怨讐の子女を自分の息子、娘、自分の父母よりももっと愛さなければ復帰できないという天理を知り、天地の門を開かれた天地父母を知ったので、その父母と一心一体となって……。一つになってです。ぴたっと同じ……。 神様が、すべてを失われてしまって……。このように立っているのですが、自分の前には一人もいません。怨讐に抱かれたすべてのものを取り戻そうとされるので、後ろを向いて、王圏を持った立場で自分の息子、娘よりも、父母よりも、主人の中の主人としてだれよりも努力したその位置において、その怨讐が……。天使長が堕落しましたが、天使長は、本然の神様を知っています。主従関係を知っています。「あなたが愛の道を否定すれば、否定した愛よりも、わたしがもっと愛する。」と言うのです。 サタンは、「愛の血統を通して支配することができるのですが、あなたの一族は、愛の血統を失ってしまい、怨讐以上に愛する神様の血統を否定するのですか?」と言います。それは、否定できないのです。神様は、持っているものが一つもありません。ただひとえに、血が煮えくり返るように、子女である愛するアダムの家庭を、どれほど呼ばれたか、考えてみてください。 「アダムよ」。昼も夜も、季節が変わり、日が変わり、移りゆく日々の中でも(アダムのことを)考えない日がない、そのようなアダムを失ってしまったのです。どれほどアダムを呼ばれたことでしょうか? アダム一人を再創造するために、今まで数千万年間かけてきたのです。先生が現れなかったら、大変なことになるのです。 アダムを取り戻し、イエス様が失敗したことまでも取り戻すために、世界的版図において生きる道を築いていく中で、アダムは何をしなければならないのですか? エバを失ってしまいました。女性が怨讐です。これは怨讐たちです。あらゆる群れが、わたしを誘惑してしまおうと、ありとあらゆることをすべてしたのです。女性たちが、です。 お金で誘い、権力で誘ったというのです。権力者の妻たちに、通行禁止時間に追われながら、あらゆる脅迫、恐喝を受けた男です。お金が必要ならばお金を、何が必要ならば何を、言うとおりにするはずなのに……。通行禁止五分前のサイレンが鳴る直前に、「死にそうなので出てきてください。どこどこにいるので出てきてください。」と、言うのですから、出ていかないわけにいくでしょうか? 無念で悔しく、ふんまんやる方ない事実が、どれほど多いか分かりません。(しかし)それがだれかというと、妹の立場にいるのです。妹の立場なのです。主管圏を転覆されたのは、アダムの責任です。「それを避けようとするなら、統一教会の教主という名前、真の父母という名前をほうり投げてしまいなさい」と言うのです。神様を知っているがゆえに、ほうり投げることができません。 それには、お金も、権力も、知識も、何も必要ありません。千万の恨の峠、それもはるかに高く、はるかに深いのです。どのようにして平地をつくるのですか? 怨讐の子女を自分の息子、娘よりも、自分の父母よりももっと愛さなければ、行く道がないのです。このことを知らなければなりません。 そうであるにもかかわらず、自分の貯金通帳にお金を隠しておいて、「先生が、そう言うならそうであり(先生は先生で、自分は自分、というニュアンス)、行かれても、また、昔のように訪ねてくるだろう。」と、言ってはいけません。最後の道です。分かりますか? (「はい。」) 所有している立場では、真の父母の血統を受け継ぐことはできません。お金があり、物があり、土地があり、家がある立場ではいけません。神様は、お金もなく、土地もなく、家もありません。 「アリラン、アリラン、一人きりのアリラン」「一人きりのアリラン」という獨ク島(竹島)の歌も、韓国の人は、よく分かるでしょう。その心情です。 わたしは、どのようにして、一月十三日に神様の前に立つのですか? どれほど、とてつもないことですか? どれほど不足でしょうか? できることならば……。わたしは、それをすることを願いません。逃げていきたいと思います。逃げて解決することができるのならば、すでに逃げています。逃げることはできない、その道を越えていかなければなりません。 いくら恐ろしい岩石に押されても、それを処理してから行くべき道を行かなければなりません。そうでなければ、そこに乗って跳んででも、行く道があれば、飛んで川を越えてでも行かなければなりません。 運命の道ではありません。宿命の道です。父と子を代える道理はなく、売ることもできません。父子関係ではないですか? 神様は、わたしの父です。間違いなく、わたしの父なのです。その父を捨てて、世の中に未練を持ち、サタンの血統によって汚された、ぼろぼろのふろしきを抱えて踊りを踊るのですか、この者たち。それをきれいにして越えていかなければなりません。 「このような罪を犯した、すべてのふろしきを領置して、記載し、何十倍にしてあなたたちに返してあげるので、教会のものとして保管しなさい。」と言っても、そのとおりにしない、この者たち。泥棒のような者たち。それで入籍だと言うのですか? 神様は、今まで入籍できませんでした。 入籍する国と世界を持たなければ、再び神様を訪ねて、お迎えすることはできないので……。その責任は、地にいる父母である真の父母と興進君の二人が持ちました。 世界に広がっている人たちは、たくさんいますが、父母と子女が二代を通して果たすべき「責任的復帰」という言葉が残っているので、霊界と肉界の父子関係をまとめ、人類罪悪史のアダム時代、イエス時代、再臨時代、三時代を越えて、怨讐の子女を三倍以上、十倍以上に愛することができる心がなければ、サタンを屈伏させる道がありません。 サタンはそれを知っているので……。神様は、一九九九年三月二十一日に勧告されたのです。「文総裁の性格と文総裁がしてきたことを見れば、後でおまえの首を切り、影も形も見たくないので、絞首台で声も出せずに火で燃やしたいという思いがある。時が来る前に勧告する。」と言われたので、(サタンは)中間で降伏宣言をしたのです。 神様の前に、真の父母の前に降伏をしたので……。サタンが支配していた霊界、楽園や地獄を撤廃してしまわなければなりません。 (二〇〇〇年)十二月三日、先生が原理原則を中心として、地獄撤廃と楽園撤廃という、とてつもなく暴動的な運動を提示したのです。 彼らを中心として、釈迦や四大聖人を兄弟圏に詰め込んだのです。教派はありません。仏教、儒教、イスラム教、キリスト教、すべて解体です。霊界は解体されました。それで、蘇生、長成、完成の完成圏は天の圏なので、三分の一、三〇パーセントを祝福してあげなければなりませんでした。昨年の十二月まで、地獄に行った霊人たちをすべて解放です。 地獄にいる人にも、親族の兄弟たちにも橋を架け、そこに絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、その基準を中心として連結し、橋をすっと上がっていくことができる道をすべて連結させておいたというのです。地獄にいる人たちも、天国に行くことができる門が開かれました。 先祖を先祖と思い、子孫を子孫と思い、天を理解して、その道を行けば、いくらでも上がっていくことができるので、努力すれば……。もし、言うことを聞かなければ、行って教えてあげ、逆さまに引っ張って、強制的にでも上がっていくことができるというのです。 旧約時代の霊形体二千年、生命体二千年を通して待ちわびてきた、その環境をいっぺんに結んでおきました。分かりますか? 旧約時代撤廃、新約時代撤廃です。一九九七年から二〇〇四年四月までの七年路程です。アダム時代にアダム一代で完成することができなかったことを二千年間延長しました。そして、イエス様の国家的時代においてアダムの失敗を(再び)成就しようとして失敗し、再び二千年間延長しました。世界的基準のこの時代において、六千年目にして、このすべてを一度に連結させたのです。 成約時代、祝福時代の完成を予告することができる時代が来たので、その全権的な内容を中心として、霊界と肉界を教育して、分派をつくっていた国境線を撤廃し、宗教という宗教をすべて、中心的主流思想に連結させることができるように、祝福してあげました。 祈祷してみてください。孔子の相対は、どこにいますか? イエス様の相対は、どこにいますか? 釈迦の相対は、どこにいますか? マホメットの相対は、どこにいますか? 他の所にいるのではありません。すべて統一教会にいるというのです。 何千年前に死んでいった人たちは、結婚を知りません。天使長世界は、相対圏が許されていません。これを先生の時代になって……。宗教は、独身生活を強調し、すべてを放棄しなければならないのです。国を否定し、自分の愛まで否定しなければ、天に帰る道がありません。 しかし、ペアシステムによって、天国に入っていくようになっているのです。ゆえに、文総裁が現れて、真の父母の伝統を立てたので、家庭救援と国家救援、世界救援を一時にすることができるのです。 この国の大統領が、私の言うことさえ聞けば、公表して一週間以内に四千万が、一度に天国の民として入籍することができるのです。六十億人類が、一週間以内に復帰される時が来ました。なぜですか? 家庭さえ祝福してあげれば、編成は問題ではないというのです。分かりますか? (「はい。」) あなたたち祝福を受けた家庭は、今から何かというと、祈祷の題目が変わると言ったでしょう? どのように祈祷するのですか? 「祝福の中心家庭◯◯の名前」で祈るのですが、それは祈祷ではありません。報告です。 祈祷時代は、罪があり、その赦しが必要なので祈祷するのであって、今は、赦しが必要ありません。すべて先生が代わりに成して、ただで天国を所有することができる権利書を上げました。 南北統一をしなければなりません。しなくてはならないのです。アメリカが、それを協助しなければならないようになっています。協助しなければ、どうなるか見ていましょう。 国連が協助しなければなりません。協助しなければ、どうなるか見ていましょう。国連を攻撃してしまうのです。「この者たち。十六か国を送って、『南北統一をしなさい。』と言ったのに、そのようにしないのか。今までわたしが引っ張ってきたのに、言うことを聞かないのか、この者たち」と言えば、びくともできずに、わたしに引っ張られてくるようになっています。 NGO(非政府組織)総会を通して、教育すべきことは、すべてしました。昨日(昨年)の十二月までに、百九十一か国での教育を終え、最高の指導層で名のある人たち三百六十人の教育を、すべて終えたのです。 いくら自分たちが話が上手で、あらゆる乱雑な者たちに会って大騒ぎしながら自己主張しても、先生が教えるように、青少年問題と家庭破綻を解決することはできません。マフィアも、ヤクザも、すべてそれを証言するようになっているのです。これは、文総裁が持っている特権です。特権であると同時に、特許権です。真の父母の特許権です。 それを知ろうとすれば、天を知らなければなりません。神様を知らなければならず、天の国を知らなければならず、血統が貴いということを知らなければなりません。血統が貴いということを知らなければならないのです。この者たち。この三角地帯を、自分勝手に使うことはできません。 この韓国の男性、女性たち 「日本人に負けるな。」と言うのです。ええ? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」)努力しなければなりません。韓国が政治問題を解決すれば、ここに世界的に投入された人たちを、すべて日本に投入して兄姉の役割を果たすのです。何十倍犠牲になったとしても、堂々と進んでいくことができる姉にならなければなりません。 ヤコブの妻には、レアとラケルがいます。ラケルが受け継ぐべき家系を、すべて奪ったのはレアです。姉です。日本人を働かせようとする人は、レアと同じです。そのような人は、姉になることはできない、ということを知らなければなりません。僕になるのです。分かりますか? (「はい。」) レアが、祝福を祈ってあげるという、姉としての責任を果たさなければならないのです。負債を負って生きることを願う者たちは……。今から、韓国は韓国が責任を持たなければなりません。 先生は、離れていくのです。責任を果たせなければ、離れていきます。南北に世界の人員を動員し、会議をすべて行い、どこにも一つの山峡もなく、山脈もなく、谷間もありません。海もありません。平地をつくっておいたのです。ここに世界を指導することができる、万全の準備を急ぐこの時に、自分の家で大小便をするようなことをし、山猫や狂った犬のようなことをしている人たちは、役に立ちません。 それゆえに、荷物をまとめて、アメリカでもどこにでも行き、自分が自主的な権限を持って、神様と真の父母を解放し、万物を解放し、真の愛の主体的な主体性は絶対愛であり、絶対、唯一、不変、永遠な家庭の主人にならなければなりません。神様が訪ねてこられる「わたしの家庭」、真の父母が訪ねてくることができる「わたしの家庭」、そのような家庭にならなければなりません。 そのようになるためには、神様以上に、真の父母以上に……。すべて失ってしまいました。今まで、一度も所有したことがありません。それを理解して、どのように処理すべきなのか、はっきりと分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました。」)郭錠煥氏から責任者たち、分かりましたか、分かりませんか? (「はい、分かりました。」)日本のメンバー、分かったでしょう? ヨーロッパのメンバー、先生の言うことが分かったでしょう? さあ、分かったならば、実践躬行しなければならないでしょうか? 躬行とは何ですか? 不可避的に行うということです。躬行の反対は何ですか? 「蛮行するな。」と言うのです。こちらで反対し、あちらで反対し……。 きょうの標題、主体性です。分かりますか? (「はい。」)真の愛の主体性、真の神様の真の愛の主体性、真の父母の主体性……。 今まで、この所有観念がありませんでした。どのようにして、きちんと祭物にして峠を越えていくのか、ということです。どのようにして精誠を加えて峠を越えていくのか、ということです。 持っているものがあれば、最高のものを積んで火をつけ、それを神様が総生畜献納物として受け入れてくださるのか、ということが問題です。総生畜献納物として割かずに、それを自分の父母から子女、万物……。 旧約時代は万物であり、新約時代は子女であり、成約時代は父母です。三時代が祝福家庭にかかっているのですが、そこには何もありません。あなたたちの所有は、神様の所有であり、真の父母の所有です。それは、愛の所有です。それさえ持っていれば、どこに行っても、食べて生きていくことは心配ないというのが、エデンの事情であったということを知らなければなりません。 国がなく、孤独単身で闘う真のご父母様の影をなくしてあげなければならないのに、もっと影をつくるのですか? 白ペク頭ウ山のような怨讐の影を抱いて、先生が行くべき太陽の光に照らされた道を影の道にしてしまう、そのような悪党の群れになってはなりません。そのような者は、わたしの手で処理します。 わたしは、とても厳しい人です。このような話はしないようにしようと思うのですが、しなければ、霊界に行ってから、わたしを恨むのではないかと思って、はっきりと教えてあげるので、極端な言葉で結論を下して勧告するのです。分かりますか? (「はい。」)全員、分かりましたか? (「はい。」)分かったら、両手を高く……。立ってください。立ってください。拍手で歓迎してください。(拍手) さあ、真の愛の主体性です。分かるでしょう? (「はい。」)絶対なる真の愛、唯一なる真の愛、不変なる真の愛、永遠なる真の愛を成し、四位基台圏を成して、それぞれの家庭が解放され、歴代の先祖の血統を清めて垂直に伝授することができる民族、そのような国となってこそ、神様の祖国光復と真の父母の祖国光復が成就され、解放圏が成し遂げられるのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、そのようにすることを誓ったので、それを信じて、きょうの集会を終わります。分かりますか? (「はい。」)(拍手)(「万歳。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.29
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第三十四回「真の神の日」午前零時の御言成約九年 2001年1月1日午前零時天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 真のご父母様は、新世紀と新千年紀を韓国、清平の地で迎えられました。午前零時を期して、真のお父様が祈られた祈祷文と、引き続き、年頭標語の揮毫に先立って語られたみ言です。 祈祷 愛する天のお父様。 たった今、キリスト教歴史二千年を終え、三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年の新しい年を迎えました。 お父様。天と地が注視するこの場、天宙のすべてが、神様の愛の因縁に従い、勝利的地上、天上天国建国という、あなたが願われたみ旨の役事が二〇〇〇年を通過するこの時でございます。 今まで第一イスラエル、第二、第三イスラエル圏を越える蕩減と怨恨の時代を経ながら、解怨成就の道を開き、また、この地上に真の父母を立てるための道を開かんがために、第一イスラエル圏にメシヤを送ることを約束されましたが、来られたメシヤを真の父母として侍ることができないことによって、十字架で亡くなられたのでございます。 その日からキリスト教は、失ってしまったイスラエル圏を世界舞台において編成し、国家の中心と世界の中心を連結することができる第二イスラエルの建国を、キリスト教国家であるアメリカを中心として成し遂げ、第二次大戦後のキリスト教文化圏の勝利によって、来られる真の父母に侍るという約束を成就させるために、分かれていた地上と天上、分かれていた東洋と西洋、分かれていたすべての民族と国家、家庭、個人、そのような分別の役事によって残してきた、すべてのものを統一する役事を成して、解放のみ旨を成し遂げようとされました。 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一体となって、イエス様の三十三年生涯の目的であった、氏族的メシヤとしての使命的責任を果たすべきでしたが、それができないことによって、無念で恨めしい十字架の道が、この地上に広がりました。 そのことによって、ローマにおける勝利の基盤を通して、天が跳躍ではなく飛躍することができる、解放された天国理想の出発となる家庭基盤を備えることができず、恨みの十字架の道を行ったという歴史的な事実を、私たちは知っております。 その日から二千年間、数多くの血の歴史を綴ってこられた、天の悲しい心情を解怨成就するすべをだれも知らないこの地に対して、耐えて、また耐えて、千年が過ぎ、二千年の最後まで耐えてこられました。そのようなお父様の無念なる心情と、この地上の子女たちが父母を十字架に架けたという悲しい歴史と曲折を抱いておられる神様の心情を知る者はおりませんでした。 そのような死亡が波打つ濁流の世界に、新しい泉を備えるためのお父様のみ旨があった、という事実をだれも知らない中で、雲に乗って来られる主を待ち望むこの地上に、人を通して失ってしまったものを再び蕩減復帰しなければならない歴史的な事情と恨の心情を抱かれた神様がいらっしゃったということ、そして、そのようなみ旨があったということを理解できないキリスト教と、すべての宗教と歴史は、統一の基準を忘却した立場において、お互いを紛争と死の道に追い込もうとする闘争の歴史を経てきたのでございます。 そのようなカイン、アベルの歴史が第二次大戦以降を中心として、肉的世界と霊界が分かれ、イエス様が霊界に行って霊的に父母の責任を果たされ、その父母を中心として地上に統一された世界を備えることによって、霊的世界の完成を標準とした地上世界の完成基準を代身することができる実体的勝利の基盤において、真の父母の権限を準備した第一次大戦以降の旧教と新教が一つとなり、イエス様と聖霊を中心として、それを相続させることができる霊的基準を一つにした基準の下で、地上世界に真の父母を立ててこれを相続しなければなりませんでした。 そうしていたならば、第二次大戦以降、七年以内に勝利の基盤を築き、今日、私たちが願う神様の解放はもちろんのこと、神様が、この地上の中心存在として復権され、人間が完成できなかったという恨の峠を踏み越え、真の父母の解放的権限をもって個人、家庭、氏族、民族、天宙史的解放基盤の上で、神様までも解放することができる特権的な恵沢を中心として、偽りの父母によって失ってしまった神様のすべての主権と愛の権限基盤を真の父母によって復権できたのです。 今から五十年前に、それを成すことができる時を失ってしまい、家庭を中心とした恨の四十年路程において、荒野で苦難を受ける生活を通して四十年を迎えるこの時において、二千年を締めくくるこの年を中心とした真の父母の八十歳を中心として、モーセがイスラエル建国のために出発したことと同じように、天宙の解放的地上、天上理想を中心とした神様の祖国光復のために、二千年のこの年に家庭的解放と氏族、民族、国家、世界、天宙的解放を成し、霊界の楽園と地獄を撤廃し、天上世界のすべての壁を崩し、個人的自由圏から家庭的自由、氏族、民族、国家、世界の八段階の自由圏を中心として、地獄と天上をふさいだすべての壁を崩して解放の高速道路を築き、地獄にいる霊から天上世界の楽園以下にとどまっている霊を解放し、彼らが悲しい恨の中で待ち望んできた父母の祝福の日を成すことができる条件を立てて蕩減してまいりました。 そうして、地上世界の祝福拡大とともに天上世界の解放的祝福を成し、二つの世界が一つの心情を中心として神様の血縁的愛の因縁を持ち、神様の絶対愛、絶対生命、絶対血統を中心とした勝利の覇権の上でサタンを屈伏させて、自由解放世界へと越えていくことのできる一九九九年三月二十一日を期して、サタンが屈伏したその日から霊界の整備を急ぎ、二〇〇〇年の最後の日まで急いで、急いで、忙しい日々を経て、きょう、新年の新しい日、二〇〇一年、三〇〇〇年に向かって出発する新しい千年の解放的世界を迎えました。 旧約時代の恨、新約時代の恨、成約時代の恨を解怨成就して、解放的第四次アダム心情圏を発表するときまで、天がどれほど悲しまれたのかという事実を知る者がいない中で、お父様の命令に従って、忙しく足を速めながら歩んできたこの息子が、真の父母の名をもって孝誠と忠誠と聖人、聖子の道理を果たすべき責任遂行が不完全な自らであることをご存じであるにもかかわらず、このように天の前に不足な者がひざまずき、周辺を導いてくださって、きょうのこの栄光に満ちた三〇〇〇年に向かう新しい出発を迎えることができました。 この新しい出発を成約時代の開門とともに勝利の栄光を中心として、神様の解放はもちろんのこと、真の父母の解放圏を成して、天地父母と子女が一心一体となって、すべての世界に神様が願われる主体的み旨の完成、絶対、唯一、不変、永遠であられるみ旨の完成を成すべき使命的責任に対して、完成の条件だけでも立てて越え、この峠を行き来することのできる解放圏を、この地上はもちろん、天上にまで連結することができる道を開拓されたお父様のご苦労の前に、心から、心から感謝いたします。 お父様、ここに集まったあなたの子女たち、主に祝福を受けた家庭が集まりましたので、祝福がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。 神様が創造理想として願われた真の父母の家庭を立てるという本然のみ旨を失ってしまい、何千万年という恨の歴史を抱かれ、事情を通告することができない孤独単身の恨に満ちた神様であられたということをだれも分かりませんでしたが、幼い身でそのみ旨を知ってからは、他人が理解してくれようと、理解してくれまいと、一方通行で越えてまいりました。 そうしてまた、越えてきてみると、今日の世界の頂上を越えて、地上はもちろんのこと、天上と連結させ、すべての国家を超越して地上解放を支えることができ、天上世界の民族と国家、宗教、宗派を超えて、統一的基準の解放という恵沢の祝福を許諾することができる家庭の日を、地上一辺倒と天上一辺倒の権限を中心として、だれも反対することができない勝利の覇権を打ち立てるようになりました。その位置において、これを備え、きょうのこの日と三〇〇〇年に向かって出発する年を新しく迎えたことを心から感謝いたします。 「きょうから十二日が過ぎれば、神様の所願目的完成の解放を成すことができる日が来る」と、すでに宣布し、そのために精誠を尽くす、統一家の祝福を受けたすべての家庭と、天上世界の祝福を受けた家庭が一心一体となって、最後の障壁を崩し、倒すことによって、地上地獄のすべての壁が崩れ、解放圏勝利の自主権世界が、どこであっても妨げられることなく成就されるようになりますので、そのように願う心を受け入れてくださり、三〇〇〇年に向かう、最初の出発のこの年が、千年を中心とした新しい出発の記念の日々となるように許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。 二〇〇〇年の最後の日は、十二月三十一日であると同時に聖日であり、その日までにすべてのことを終え、きょう、月曜日からの一週間を、新千年を出発することができる一週間として、天が明確に限界的区別をしてくださり、ここに解放的な千年の冒頭に勝利の栄光と勝利の尊厳性と天の権威を立てることができる祝福の時代を迎えるようにしてくださったお父様の恩賜の前に、本当に、本当に、本当に感謝申し上げます。 お父様。今、千年間に収拾すべき不完全なことが多く残っており、このことを、今から天が責任を持たなければならない時代に入ってきたと思いますので、あなたの愛する真の父母、この息子が、使命的責任を完遂できないことによって残されたすべてのことに対して、再び天の権限に頼っていかなければならない恥ずかしいご自身の息子の姿を受け入れてくださることを……。 しかし、一つの所に向かっていく心は、過去も、現在も、未来までも変わらず、その道を厳粛に受け入れていくことを願う忠孝の道理に変わりがないことを、宣言とともに宣誓を奉献いたしますので、み意のとおりに導いてくださり、勝利の覇権的権限をこの地上に立て、お父様の祖国光復に向かって、地上、天上天国に向かって、称賛することができる勝利の日に向かって、十年という期間を定めて、あらゆる精誠を尽くし、世界のすべての国家を超越して集まった祝福家庭が、一つになって決意いたしますので、受け入れてくださいますことを心からお願い申し上げます。 残された、この千年期間、お父様の栄光のみ旨が現れ、地上地獄となっていたすべてのものが、深い所から広く、高い所まで、天上世界にまでも一心統一圏を備え、その栄光の頂上の位置に立ってお父様が君臨され、万国、万宇宙を統治することができる自由解放圏、地上、天上天国に前進、前進、前進することを真の父母の名によって誓い、願われるみ意のままに成就してくださいますように。 そのことを、真の父母は、すべての家庭とすべてのみ旨の中心の位置において、これを懇切に報告し、願いますので、み旨成就を成すことを真の父母のみ名によって報告、宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 み言 標語は、何だと思いますか? 「家庭盟誓」の最後の八番に、最も重要な単語があるのですが、それは、どのような言葉ですか? (「『解放』です。」)「解放」という言葉です。神人一体となり、地上天国と天上天国の解放圏を完成するのです。分かりますか? その解放ということです。解放された天地の父母と子女が一心一体となり、真の愛の主体性……。 「真の愛の主体性」とだけ言えばよいのですが、その主体性に何が続いていくのかというと、「絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。これは、長い標語です。 この標語は、今からの一千年間にもぴたっと合うのですが、特に子女と父母が、共にこれを成して、今から地上天国を成し遂げなければなりません。神様だけではありません。先生だけではありません。皆さんたち。解放された天地父母と子女が……。解放された子女が一心一体となり、一つの心になるのです。 そして、真の愛の主体性……。主流思想です。主体性といえば、骨子です。骨子とは何でしょうか? 神様の属性の骨子とは何かというと、絶対愛を求め、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げようとされた、そのみ旨を成し遂げなければならないということです。分かりますか? それで、創造理想として願われた、一つの信条であると同時に主流思想であったということを、この一千年間にきれいに解決するのです。もちろん、すべて解決されるだろうと思っています。そのような決心の下で、昨日とは違い……。 昨日までの二千年間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時なので、今からは、そのような時代が過ぎて、黎明が訪れ、新しい朝の成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代となったのです。 ですから、この標語は、一時だけではなく、永遠な……。皆さんが、あの世界に行くまで残る課題であるということを理解し、家庭がどれほど貴いのかということを理解し、一心同体となって、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 完成してさしあげるにおいて、世界の主権を取り戻すのは、簡単なのです。すべての主権下にいるすべての家庭は、天地父母、神様の伝統の思想、家庭を取り戻し、氏族、民族、国家、八段階の真の愛の理念による国家観を形成しなければなりません。 また、真の父母の理念となる、この国家観を形成しなければならないということが、祝福を受けたそれぞれの家庭における責任なので、きょうからは祈祷の内容が変わります。分かりますか? 今までは、真の父母の勝利圏を何ですか? (「祝福で受け継いだ……。」) 祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参することはできません。なぜですか? 真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新しく連結させたので、真の父母の息子、娘としての因縁を結んだのです。 皆さんは、堕落した血筋を断ち切って、神様の血筋を受け継いだのですが、その血筋が引き継がれていくためには、どうすればいいのでしょうか? 神様の真の愛、永遠不変な神様の真の愛と神様の生命体、この二性性相に治められるすべてのものが、堕落していないアダムとエバの実体圏において、生命を結合させることのできる祝福を受けたならば、神様の愛と神様の生命を連結させ、神様の血筋が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から結ばれ、これが種となって拡大されるのです。しかし、三代を通して結実する血統の種が植えらなかったのが堕落です。 皆さんも、そうです。先生が一代ならば、皆さんが二代であり、皆さんの息子、娘を正しく育てることができなければ、堕落した後裔の伝統を抜け出すことはできないということを知らなければなりません。 皆さん。統一教会の群れをじっと見てみると、世の中の汚れた習慣性がつきまとっています。先生が学校を建てるために、どれほど苦労したか分からないのですから、学校へ行くのならば、鮮文大学やUTS(統一神学校)に行かなければなりません。 そのようにしなければならないのにもかかわらず、生活的な方便や、経済であるとか何であるとかと言って、外的な世界……。サタンが楽しむ舞踏の場となり、サタンの基盤となったのが、大学なのです。それが名のある大学だというのです。 そのような所に入ろうと目を真っ赤にして、天国理想に連結することができる信仰という心の基盤を捨てて、外的な物ばかりを求めていく群れが、たくさんいます。きょうから、そのような観念を一新しなければなりません。分かりますか? (「はい。」)分かりましたね? (「はい。」) とりわけ韓国人。苦労して暮らしてきたといって、そのような習慣性が濃いということを知らなければなりません。韓国の伝統的な乞食は、凍え死んでも隣の火はつつかないという言葉があります。飢え死にしても、乞食のように天の国の威信を損失させるような「破倫息子」や家庭になってはならないということを知らなければならない、というのです。分かりますか? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」) そのようなことを思えば、「裸になって、冬の三か月を過ごそう」と、新しく覚悟をしなければなりません。 祝福が……。皆さん、考えてみてください。祝福です。祝福を受けるためには、再臨主一人……。失ってしまったアダムを創造するのに六千年かかりました。先生が来なければ、考えられないことです。真の父母が来なければ、アダムのみ旨、神様のみ旨、祝福完成の道を越える道理がありません。これが、どれほど複雑でしょうか。 千辛万苦の果てに、この峠を何の功労もなく越えさせてあげたにもかかわらず、のらりくらりと遊びまわり、賭博場から出てきて王宮で祝宴をするというので、王の前に供えられた祝宴の食膳が、どれほど貴いのかということも分からずに、箸を持って、むやみやたらに食べれば、毒薬を食べるよりも、もっと恐ろしい審判の舞台に流れていくということを知らなければなりません。 自分勝手に生きてきた野良犬のような者たちが、この環境を汚しているという事実を知らず、自分たちが生きてきた姿が、統一教会の主流的思想を代身した家庭の代表ではないということを知らなければなりません。今までは、そのように暮らしながら祈祷しても、少しは面目が立ったでしょう。しかし、これからは違います。 真の父母の勝利圏を何ですか? 何によって受け継いだのですか? (「祝福です。」)何によってですか? 皆さんの功労ではありません。十年間、四十年間断食祈祷しても、受け継ぐことはできません。祝福によって、血統転換することができる特恵権を与えてあげたのですが、その価値をどれほど理解しましたか? 神様の何百分の一、先生の何百分の一でも知っているのかというのです。言葉では簡単でしょう? 神様の王権を失い、神様の職位と神様の権限をすべて失ってしまったので、民もなく、国もなく、国土もない、主権もない世界において、神様に主権を取り戻してさしあげるためには、その主権を成す時まで間隔を置かなければなりません。 アダムとエバは家庭的な時代であって、国家的時代や世界的時代ではありません。家庭的時代を超えて世界的時代において、天国の完成を成したという条件基盤を満たした位置で、その築いた勝利の覇権基盤を中心として、それを皆さんに渡してあげたのです。それは、「入籍祝福」でしたか? 先生自身も、そこに立つことに恥ずかしさを感じているのです。今、わたしが祈祷しました。分かりますか? (「はい。」) これから自分自身が、どれほど足らないかということは、み言を通して分かるでしょう。これまで約二年間、「訓読会」をしてきたので、分かるはずです。自分たちが、どれほど足らない者であるかということを……。 先生が、これを積み重ねてくるために、どれほど苦労したのかということを知りません。息子、娘たちも、何も知らないのです。自分勝手に生きる者たちを懲らしめなければならない時が来ました。 皆さんたちのために、ここにいる子女や一族の面倒は、見ませんでした。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)はっきりと言ってください。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)だれのためですか? カインの息子、娘を救ってあげるためです。 神様がそうです。世の中を救うために、独り子とキリスト教を犠牲にしたことと同じです。先生の家庭を犠牲にすることは当然のことだと考え、皆さんのために、すべてのものを投入しました。すべてのものを投入したのです。 投入した結果が何ですか? すべて流れていきました。入籍できる人は、一人もいません。全員、失敗しました。 これを、先生が地上で再び責任を持ち、霊界まで引っかかっているので、霊界の興進君にそれを任せているのです。先に霊界が、このことを受け持たなければならないので、先生が地上で成すべきことを霊界の興進君に任せ、すべての罪を霊界で赦してあげ、祝福の恩賜を……。荷物を背負ったので、先頭に立って苦労しているという事実を知らなければなりません。 父母が、カイン世界を救うために犠牲になったのと同じように、興進君と霊界に行っている四人の子女たちは、皆、自分の持って生まれた寿命を全うできずに、中途で急死した人たちです。皆、事故死です。 事故が起きたのですが、だれが運転していたのかというと、自分たちではなく、皆さんが間違った環境をつくり、皆さんが間違った運転をし、皆さんによって、そのような事故が起きたということを知らなければなりません。 それゆえに、そのようにして行った人たちは、皆さんたちよりも公的なみ旨を知らずに行ったとしても、解放される恵沢圏内にいるのです。(なぜならば、)真のご父母様が、彼らのために行くべき道を備えてあげるべき責任が残っているからです。分かりますか? (「はい。」) そのような興進君の前に、あなたたちが入籍するためにすべての不足なこと、蕩減復帰の恨を抱いていく神様と真のご父母様に重荷を負わせたという恥ずかしい事実を知らなければなりません。これが分からないときには……。先生に無念な思いをさせるなというのです。 今から、死んでいく人は、審判台に出ていくときにサインをしなければなりません。国家の重犯罪人を死刑場に立たせるときに、大統領がサインをするのと同じように、今からは、赦す法がありません。 それで、息子、娘もすべて分けておいたのです。父の家だといって、思いどおりに来ることはできません。息子のふるまいをするのですか? もう私は会いません。 ですから、より一層、妻がしっかりしなければなりません。このような厳粛な課題が、まだ残っているというのです。解消すべきことがたくさんあります。 皆さんを解放しておいて、裏部屋でろうそくをともしながら、隠れて祈祷しなければならない道が残っており、闘わなければならない歴史的な悲運の道を、再び開拓すべき責任を負っているということを忘れてはなりません。分かりますね、この頭たち? 何がどうだこうだと言うのですか? この息子、娘たち。み旨が分からなければ、訪ねてくることができません。自分勝手には、来ることはできないというのです。そのような時が来ました。救援摂理時代は過ぎていくのです。 アダムとエバが堕落した後の直結時代に入っていきます。父母の家庭においても、今から直結時代が来るのです。ですから、私の息子、娘を見れば、皆、ここに座っていますが、かわいそうに思うのです。 わたしが、かわいそうに思う心がなければ、あの者たちがどのようになるのか知っています。あの世で、どのように引っかかるのかを知っているというのです。父親なので、そのことまでも責任を持たなければならないという問題があるのです。深刻です。統一教会をよく信じた人以上の位置に立ててはならないようになっています。 きょうから、あなたたちは新しく決心しなさい。父親に対して友達のように対する、そのような行動をしてはなりません。祖父のことを、ただの肉の塊だと思うなというのです。分かりますね? 分かりますね? 孝 進。父親の言うことが分かりますか? ええ? 答えなさい。分かりますね? 分かりますね? この者が。(聖進様のご子女様に対して)あなたは、何をしてきたのですか? この者が。自分の父親について行くのですか? 母親が、よく分かっていなければなりません。食べていけるだけでも、ありがたいと思わなければなりません。統一教会に負債を負って暮らしながら……。 それは、祖父のお金ではありません。統一教会の血肉を搾り取って食べているということを知らなければなりません。わたしが手を放せば、あなたたちは、どこに行くか分かりません。何が「おじいさん」ですか? アダムとエバが過ちを犯したとき、追い出してしまったのです。逆さまに打ち込まれたのです。 あなたがたのおじいさんは、恐ろしい人です。(後列に座られた女のご子女様たちに対して)あなたたちもそうです。この女性たち。正しく生きなければなりません。 お母様、 今からは息子、娘に対して心配してはなりません。涙を流したりしてはいけません。分かりますか? 自分がしたとおりに対する時が来ました。 先生は、恐ろしい人です。ふらふらして、こうしても通じ、ああしても通じ……ということは、通用しません。日本の息子、娘たちもたくさん来ていますね。間違ったことは間違っているというのです。清算すべきことは清算しなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 濁り水が、大海に向かって流れていくときは悠々と流れていきますが、浮かんでいる汚れたものは、沈んでいくのです。分かりますか? 海に入っていけば、一瞬のうちに水平に流れていくのですが、それを一週間もせき止めて、汚れたものを沈殿させるように整理作業をするのです。 そのことと同じように、皆さんが二〇〇〇年を越えて、三〇〇〇年に向かって出発するという課題において、濁り水をそのまま……。悔い改めなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 悔い改めるために「訓読会」をするのです。それは、遊び事ではありません。「訓読会」を最も一所懸命にする人は、先生です。皆さんは、先生の何十倍も一所懸命にしなければなりません。それは、先生がすべて成したうえで宣布したみ言です。 今日、自分がしたいと思うとおりにしながら、み言をどれほど冷遇し、先生の行動に対して、どれほど不注意なのかというのです。分かりますか? 教区長であるとか、何かの責任者であるとか、わたしの目には、そのようなことは関係ありません。天国の神様の前に直行することができる人なのか、ということを測定しようと思っているのです。そこから外れれば……。今からは、救援摂理の歴史が過ぎていくというのです。分かりますか? 第四次アダム心情圏時代に入っていくので、今から祈祷するときには、救世主の、真の父母の勝利圏ではありません。皆さんは、すべて相続したのです。 ですから、先生が世界を中心として、深刻な立場で身もだえしたことと同じように、先生を代身して相続されたのが自分の家庭なので、「祝福の中心家庭だれだれの名によって……。」と、このように祈祷しなければなりません。そのようにできなければ、入籍を取り消さなければなりません。 入籍が、驚くべきものであるということを思うとき、恥ずかしくない立場に立ち、一日一日の生活において、み旨の前にプラスした実績を持たなければ、祈祷することができない時代に入ってきたのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) 「分かった」という人は、手を挙げてください。全員、分かったというので、分かったということにして、み言を終わります。 悔い改めをしなければなりません。それも、深い悔い改めを。 また、二千年最後の訓示の言葉が何かというと、父母の心情で何の体ですか? (「『僕の体』です。」)そこに、真の父母の心情で僕の体となって、それから、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して、「生畜」の祭物として献納いたします。それが結論です。総生畜献納物です。 そのようにしようとすれば、自分の手の皮がそうであり、自分の肉がそうでなければなりません。 皮が汗を流さなければならず、皮が涙を流さなければならず、皮が血を流さなければならず、肉がそうでなければならず、骨がそうでなければならず、骨髄までも骨髄の汗を、骨髄の涙を、骨髄の血を流して、恨多き六千年歴史の受難の峠を、お独りで苦労された神様を解放しなければならないというのです。 それゆえに、このありったけのすべてのものをささげても、皮をはいでも、肉を取っても、骨を削って骨髄を搾り出してささげたとしても、恨みを持つことはできない罪人になっているということを知らなければなりません。 終わりの日には、自分が重要視していたものが、絞首台で自らの首を絞める帯になるということを知らなければなりません。愛する人が怨讐であり、好きだった人が怨讐です。道をふさぐというのです。 ですから、皆、「統一教会に行くな」と言うでしょう? 家を追い出されたでしょう? 追い出されて、また帰り、家庭とすべての一族と一国を、神様の前に奉献するのです。 奉献するからといって、それがなくなるのではありません。その条件に膨大な天の国の何十倍、何百倍の福が連結されているということを知らなければなりません。釣ろうとすれば、良い釣りえさが必要なのと同じです。 ところが、それを抱えて、うじ虫がわくようにして行楽にふけったという事実……。この者たち。先生には通じません。 わたしは、一銭のお金も息子、娘のためには使いませんでした。そのような話は、する必要もないのです。分かりますか? (「はい。」) 真の父母の心情で僕の体となり、汗は何ですか? (「汗は地のために。」)汗は地のために、涙は何ですか? (「人類のために。」)血は何ですか? (「天のために。」)涙を流す悲しみがあるとすれば、それは自分の涙ではありません。天の前にささげる涙です。 汗を流すことがあるとすれば、あなたがたが流す汗ではありません。自分のためのものではありません。天のためのものです。 血を流すことができるとすれば、死なずに生きている限り、血は自分の血ではありません。天の血として奉献すべきものと考え、死地であっても願う道ならば、直行しなければなりません。 先生は、復帰路程から帰ってきました。父母が反対し、妻子が反対し、息子が反対し、師が反対し、だれが反対しても直行していくということは、どれほど孤独単身でしょうか? 友達がいません。師もいません。そのようなことを知らなければなりません。ここに一緒にいるお母様が、蕩減復帰の道を知っていますか? そのようなことを知らなければなりません。ですから、絶対に従ってこなければならないのです。 骨の汗、骨の涙、骨の血、骨髄の汗、骨髄の涙、骨髄の血まで流しても、神様からの恩徳に報いる法はないのです。強盗のような者たち。自分勝手に生きたのです。刀で腹を切り裂いて手術し、再びつなぎ合わせなければ、天の前に連れて行くことができない、ぼろぼろの服です。同じぼろぼろの服でも、うじ虫がわいた服です。 そのような、うじ虫がわいて、うじゃうじゃしているものに継ぎはぎを当てて、天の国の宮殿に敷くことができる毛布をつくろうというのです。この者たち。しっかりしなければなりません。分かりますか? (「はい。」)二〇〇一年から時代が変わったということを知っていますか? このように忠告しているにもかかわらず、だれが死んだとか、だれが何をしたとか、今からは、そのようなことをわたしに報告するなというのです。今からは、もう聞きたくありません。報告があれば、わたしが十字架を負って、ありとあらゆる……。父母の葬儀費用まで、わたしがすべて支給してあげたのです。野良犬のような者たちです。 先生の所に、思いどおりに訪ねてくることはできません。今後は、ここにいる人も、思いどおりに来ることはできません。 これからは、条件を提示します。国ができれば、本当に厳格にするのです。世の中の法の十倍以上の法を中心として越えていかなければならない道が残っているということを知っているのです。 生涯において、それを越えていかなければなりません。そのような課題が残っているので、今から、皆さんの生活において、先生を信じてはなりません。先生の祈祷もしてはなりません。 祈祷時代は、過ぎていきました。分かりますか? メシヤがいて、救世主がいてこそ祈祷も通じるのであって、救世主が、解放圏にすべてを導いて、送っておいたというのです。 それゆえに、今日の課題は、解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成いたしましょう、ということです。一緒に協力するのです。 ですから、協力して報告すべきことがきちんとできたのか、できなかったのかという問題を中心として、きちんとできないときには、それを挽回するまでは祈祷もできません。報告もできません。祈祷ではありません。「祈祷」という言葉は、片付けてしまいなさいというのです。報告です。良い報告を持たない人は、このような集いの場に……。 今までは、自分勝手に教区長だ何だといって、一人も伝道せず、実績もなく、自分の所属要員の血を吸う吸血鬼のような者が大勢いました。旅費を使って自分勝手に……。「来なさい」と言えば、「ああ、いいな」と言いながら行ったり来たりし、すべきことをすべて忘れて、ただ食いして暮らす人が大勢いるというのです。分かりますか? 今からは、チェックしなければなりません。何でも適当に連れてくることはできません。実績がなければ、行くことができません。報告する内容がなければならないでしょう? すべて相続してあげました。 先生は、み旨をすべて知っているので、祈祷もしません。二十四年間、祈祷しませんでした。知っているのになぜ祈祷するのですか? すべて許諾したのに、何を下さいというのですか? それは、どろぼうでしょう? お母様も不思議に思ったでしょう? おととしの八月から三年を残して再び……。その祈祷は、あなたたちのための祈祷ではありません。新しい時代に向けて、祈祷を中心として、急いで仕切りをなくし、平地を通して敷居を乗り越えることができる位置において、全宇宙史的な神様の職位圏を解放させようとしてきたのです。 今では、もうすべて越えました。先生は、すべて越えていったというのです。あなたたちは全員、越えることができていません。分かりますね? (「はい。」) 水産事業を中心として、わたしは、早朝五時から暗くなるまで釣りをしたのですが、最近は、釣りをすることができる時が終わったので、一日に二時間くらいずつするようになりました。すると、あなたたちも二時間だけしようとするのです。この者たち。 あなたたちは、入籍したので、皆さんの一族を中心として、金氏なら金氏のメシヤです。氏族的メシヤとは、どのようなメシヤなのかというと、韓国全体のメシヤではありません。氏族的メシヤは、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏のメシヤです。 親戚以外を伝道することは、国のために忠誠を尽くさなければならないのに、忠誠を尽くさずに外国に行って、その国を手伝うのと同じ扱いを受ける時が来たというのです。分かりますか? (「はい。」)はっきりと知らなければなりません。 ですから、負債を負ってはいけないというのです。負債を返すのです。負債を負うことを、わたしは好みません。 では、訪ねていっても、先生が門前で冷遇すれば、「なぜ、昔と違う先生になったのか?」と思って、泣いて帰りますか、どのようにして帰りますか? 郭錠煥 氏。(「はい。」)わたしがすべきことを、「自分が栄光を受けよう」と思いながら、巡回しているのでしょう? 自分が王と会って、大将の振る舞いをしているではないですか? 郭錠煥氏は、夢にも思わなかったのではないですか? わたしが、「しなさい」と言うので、しかたなく始めたのでしょう? (「はい。」)しかたなく始めて、仕事がうまくいくので、喜んでいるようですね。喜んで行きましたか、泣きながら行きましたか? (「うまくいくので、笑いながら行きました。」)笑って行きながら、先生のことを考えましたか? (「はい。」) 今でも、先生は泣きながら歩んでいるのです。「自分がお金を使って、自主的な立場に立ちなさい」と言ったのにもかかわらず、立てた計画の三分の一を削ってしまい……。そのようにすれば、三分の二を削らなければならないのです。それで、風が間違って入ってくるようにしたのです。助けてあげて、うまくいく者はいません。もっと助けてくれることを願うからです。 顯進も、知らなければなりません。二世たちに対しても、横っ面をたたき、足でけ飛ばして、十分の一だけ助けてあげなさいというのです。真のご父母様を通した協助も、十分の一ではなく、百分の一でも、血を流しながらでも、ありがたく思わなければなりません。 あなたたちの思いどおりになると思いますか? あなたたちの思いどおりになるのならば、わたしは(今まで)思いどおりに生きてきていたというのです。豊かに暮らす世の中が、悪口を言いながら、あらゆることをすべてしたのです。アメリカで三十年間、こっちに追われ、あっちに追われながら暮らしました。あなたたちは、そのことを知らなければなりません。 何を知っているとか、MBA(経営学修士)になったとかどうだとか……。父親が、どのような話をしているのか、理解して答えることができ、自粛することができなければなりません。あなたたちにも試験をするのです。この者たち。このような話はやめます。目の色をうかがって、(それに合わせて)態度を執ることができなければなりません。 ですから、足でけ飛ばし、激しくたたくのです。宣言するのです。そのようなことが嫌ならば、荷物をまとめて出ていきなさいというのです。この妻たちも、分かりますか? ただの妻たちではありません。皆、神学校を出ているのです。 神学校を出ていない者、そのような統一教会の者は、今後、出世はできません。一つの谷間に激しく追い込まれるべきところを、先生が一所懸命にしたので、あなたたちが、そこに引っかからずに救われているのです。顯進、分かりますか? はっきりと知らなければなりません。 さあ、先生が怒ったりもし、足で激しくけ飛ばして、踏みつけておいてこそ、過ちを赦すことができる条件になるのです。分かりますか? (「はい。」)それを喜んで受け入れれば、目が開かれ、道が見えてくるのであり、喜んで受け入れなければ、引っかかって倒れるのです。これからは、優秀だという人を、霊界がたくさん連れて行くのです。見ていてください。 今の太平洋圏を考えてみてください。韓国の大統領、南北の大統領も問題です。台湾の大統領も問題であり、日本も今、問題なのです。分かりますか? それから、フィリピンも問題です。それから、インドネシアも問題です。それから、アメリカまでも問題なのです。 太平洋圏においては、すべての首相や大統領が艱難を受ける時が来たというのです。それを揺さぶって掃いてしまってこそ、わたしが太平洋圏に手を出すことができるのです。それで今、わたしが手を出しているのです。今から、全員をそこに任命するかもしれません。 嫌ならやめなさいというのです。簡単です。大統領も、自分が嫌ならば、やめるのです。平壌の長官も、嫌ならやめるのです。(人に)仕事をさせれば、自分が負債を負おうとする人ではありません。その何千倍を返しても余りあるということを知っているので、そのようにするのです。分かりますか、梁(昌植)さん? 教育させないのなら、やめなさいというのです。 さあ、手を挙げてください。口を開けて、「ははは」と、一度笑ってみてください。(「ははは……。」)すべて、洗ってしまいました。喜びで消化することができてこそ清算されるのであって、泣きながら悔い改めることではできません。 お父様の前に、相対的な立場で、すべてのことを喜びで報告することができる時代が来たので、祈祷するときに「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ、だれだれの名によって……。」と言う時が過ぎていきます。分かりますか? (「はい。」)「祝福の中心家庭だれだれの名によって報告いたします。」です。祈祷ではなく、「報告いたします。」と言うのです。 報告しようとすれば、善の結果がなければならないでしょう? うそつきのように、いつも「願います、願います。」と言いながら、野良犬のように、糞にまみれてはいけないというのです。誇るために報告しなければなりません。実績がなければ祈祷もできません。分かりますね? (「はい。」) 手を挙げたので、そのことを分かったという人は、下ろしてください。激しく踏みつけられ、傷つき、耳が落ちても笑いましたが、(本来は)うれしくて笑わなければなりませんが、うれしくて笑ったのですか、悲しくて笑ったのですか?(「うれしくて笑いました。」)そうですか、そうですか、それで良いのです。それで良いのです。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.27
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▲真の父母様、クリスマス・イブ祝賀会 二○○○年十二月二十四日、漢南国際研修院楽園・地獄撤廃と天国入籍宣布の日二〇〇〇年十二月三日午前五時、ウルグアイのプンタデルエステにて六十六名の教会指導者と食口たちが参加する中、真のご父母様は「楽園・地獄撤廃と天国入籍宣布の日」を宣言なさった。 祝祷 きょうは、二〇〇〇年十二月三日、十二月に入り最初の安息日を迎えました。ここウルグアイを中心として敬礼式に参加した六十六名、サタン数の終結と一致する六十六名が、これから一月十三日まで四十日を残す中、サタン数の地上と天上の数をすべて合わせたこの場で、北方韓国を代表し南方ウルグアイのこの地で、十二月に入り最初に迎える敬礼式でございます。お父様、祝福してくださいませ。 天と地が注視し、神様と真の父母を中心とした愛の理想の家庭的完成のための個体と、自らの家庭における夫婦と父母と兄弟姉妹たちが一体となった、み旨を中心とした祝福家庭を連結し、氏族・民族・国家・世界まで編成して、天の父母とこの地の父母を中心とした解放の世界を宣布できる日を、これから四十日を前にしたこの日、霊界にある楽園と地獄を新しく神様の御名と真の父母の御名によって解放することを宣言いたしますゆえ、祝福してくださいませ。 十二月に入り第三日を中心として見るとき、今年の最後の月を迎え、三日目を迎えるこの日に宣布するすべてのみ言を中心として、霊界と肉界が天地父母の宣言のみ言によって、上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになって、天地のすべてが天地父母を中心とした大家族理想圏として委譲することを宣言いたしますゆえ、お父様、お受けくださいませ。 そうして、今まで霊界の数多くの階級と数多くの障壁が横たわっていたこれらすべての国境線を撤廃して、天の父母と天地父母が一つとなり、その愛の血統を通じて一族の権限を確定したすべての祝福を受けた家庭が入籍するという、この驚くべき祝福を受けました。その「三時代大転換四位台入籍統一祝福式」を挙行した基盤の上で、解放の恩賜を万民に賦与なさるあなたの恩賜に対し感謝申し上げます。 天のみ旨に従って編成された家庭のこの連体が、どれほど貴いものであるのかを知り、個々人は個人のためにあるのではなく、天地全体のためにある代表的な家庭として、天の祝福の因縁を万世の自分の血族を通じ、関係している祝福の因縁を定め、近親、遠親を合わせて、あなたの愛の一つの肢体になると同時に、一つの愛の木となったのと同様に、根と幹と芽を中心として万民がすべての基地となって愛の花を咲かせて実を結ばなければなりません。 この結実を全天地に一杯に満たして、解放の天国を完成しなければなりません。そのような家庭の理想が地上に神様の御名と真の父母の御名を中心として、天上・地上世界に定着できるところにあって、影のない「正午定着」という標語を中心として、これから地上世界と天上世界に神様の悲しみの基盤となった楽園と地獄を撤廃するこの時間を持ちますゆえ、お父様、存分にお受けくださいませ。 真の父母と真の父母の家庭の一族、聖人たちと聖人たちを中心としたすべての宗派の解放を宣言し、サタン世界の魁首であったルーシェルが服従することによって、その手下たちが反対していたすべての基地を祝福された宗教圏内のすべての祝福家庭が伝授することになりました。それゆえ、天の方向を中心として一つの主流に従って、神様の心情を中心とした宝座から地上の王宮までを連結させることができる祝福の時代を迎えることができました。そのような解放の恩賜を賜りましたゆえに、地上世界・天上世界の楽園と地獄を解放して、天国に連結できる直行の行路を開拓するこの時間となりますゆえ、お父様、祝福してくださいませ。 このプンタデルエステを中心として、天が訪ねてこられるたびに祝福してくださったすべてのものが、あなたのみ旨の前に日進月歩、地上から天上世界まで、心情の因縁を結び、各家庭から氏族・民族・国家のすべての国境を越えて、全人類の心と心の障壁を壊し、血統的基準の統一圏を築いて、お父様を中心とした真の父母を中心とした眷属として、堂々と天国を代表しうる家庭となり、国家を代表しうるその家庭となり、世界と天宙に代わる家庭となるようにしてください。 神様の願う永遠に定住できる理想的家庭圏が合わさり、天国の主権を立て、天国の民を立て、天国の地をお父様の前に奉献しうる総生畜献納のみ旨を終結できる日として立ててくださいませ。 天上天下にあるすべての地獄と楽園を解放して、天国出発の基準があなたの主管圏内で愛の心情の筋に沿って、これらすべての峠を越え、国境を越えて解放圏を備えることができることによって、万民解放、万国解放、万天宙解放の基盤において、これから四十日以降に私たちが神様の即位と真の父母が地上に設定した即位の基準の王権を立てることができる時代を宣言しようと願うものでございます。 これらすべてを意図された中で、この四十日間に整備し、すべてを統一してあなたの掌中に入れて、あなたが願ってこられたみ旨が、嘆きのない喜びと栄光の恩賜で、個人から、祝福家庭から万天宙まで拡張されるよう導いてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。 この日を期して地上、天上のすべてを統一しうる特権を持った真の父母を中心として、真のご父母様に孝子の道理を果たせず、忠臣の道理を果たせず、聖人、聖子の道理を果たせなかったことをすべて完結し、地上で失った悲しみの条件が残っているすべてをお父様の前に総献納しうる条件を立てて、お父様の新しい出発と解放の地上・天上天国の日を成し遂げるために準備する日となるようにしてくださいませ。 この四十日を中心として、この四十日前に天上・地上世界の楽園と地獄を撤廃し、神様が直接解放圏で主導できる恩賜の世界として、恩賜の世界として、恩賜の世界として、真の父母の御名とともに前進することを願いまして、地上、天上の楽園と地獄を撤廃することを願いますので、お受けくださいませ。 勝利と栄光と称賛が、永遠に万世解放的なその主権の上に、永遠なるあなたの勝利の栄光と勝利の花が大きく開き、天地にぎっしりと詰まることによって、サタンの権限を踏み越えていく祝福家庭となって、これを主導できるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。 これからは、天国は統一教会の信徒だけが行く所として設定なさり、解放を宣布して下さいますよう切に願いながら、真の父母、天地父母に代わった心情的勝利の基盤の上で宣布しお伝えいたします! アーメン、アーメン、アーメン! (二〇〇〇年十二月三日、ウルグアイ、プンタデルエステ)▲真の父母様、帰国歓迎集会(アメリカから韓国に帰国)二○○○年十二月二十二日、漢南国際研修院 み言 原理のみ言では、宗教統一をどのようにするとありますか? 霊人再臨復活を通じて行うという内容がありますが、最近ではそれが信じられますか、信じられませんか? 信じられなければ信じないでいてみなさい、あの世に行ってどうなるか。今は、信じなくてはならないようになっています。あまりにもはっきりとした事実なのです。地上人と霊人を祝福してあげるとき、だれが信じたでしょうか? だれも信じませんでした。過ぎてみて、ようやく信じるのです。 楽園世界と地獄を撤廃したということを、だれが信じるでしょうか? 「レバレンド・ムーンも一人の人間でしかないのに、どうやって数千年の間、天を支えてきたそのような楽園と地獄を撤廃できようか?」と考えるのです。撤廃すればどのようになりますか? 撤廃すればどうならなければなりませんか? 門が開くのです。 門が開けばどのようになりますか? 天国に入っていくのです。 それで、門が開く前にすべてに祝福をしてあげました。祝福を受けた人は楽園にいるようにはなってはおらず、地獄にいるようにもなっていないため、地獄は退かなければならないのです。退かなければ新しい霊界が……。祝福を受けた人、地獄にいて祝福を受けた人々は、天国に直通で行くことができるのです。そうすれば撤廃されるのです。 血筋が違います、血筋! サタンの血筋は地獄と通じ、楽園と通じるのです。抜け出すことはできないのです。先生が話しているのは、血筋が違うということ、血筋! 幹が違うのです。サタン世界は逆に行くのに、先生は真っ直ぐに行くのです。真っ直ぐに流れていく水は、その千倍、一万倍あったとしても防ぐことはできません。 それゆえ、偽りの父母が神様を追い出して天国に楽園と地獄をつくっておきましたが、真の父母は地獄を撤廃したのです。そうしてこそ、神様を王として侍ることができるのです。真の父母の後孫たちが王として立てられ、侍られなければならないでしょうか、どうでしょうか? 立てられなければなりません。蕩減復帰原則がそうなのです。(二○○○年十二月二十二日、漢南国際研修院) 真の父母の前に、家庭的真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。今までは、分立させるための祝福でした。ですから、皆さんの家庭は迫害を受けたのです。また、それゆえお母様を中心として先生の家庭が犠牲となりました。皆さんの代わりに蕩減を背負ったのです。先生が、門を開けておいたまま顧みることのできない息子と娘たちを、すべてのサタンから守らなければならないのに、方法がありますか? 統一教会員たちが、自分の命をかけて垣根となって保護しなければならない責任があるにもかかわらず、三六家庭であれ何家庭であれ、すべての家庭が自分の息子、娘を重視したのです。 自分の息子、娘を生んだとしても、先生の息子、娘よりも重視してはならないのです。女性たちから、息子、娘、だれもがみなそうでなければならないのです。そのような観点から、統一教会の信徒たちが責任を全うしたと思いますか、全うできなかったと思いますか? 何一つ果たせなかったのです。 先生が世界的な開拓の路程にあるとき、何の助けにもならず、むしろ先生の行く道の前に、だれもが罠をつくり、ありとあらゆることをしていたのです。先生の後ろにぶら下がり、先生を後ろに引っ張るようなことをしたというのです。 ですから、先生の息子、娘のうち、四人が霊界に行きました。悲運のうちに逝ったのです。地上で先生が蕩減復帰して、悲運のうちに逝った人すべてに祝福を与えました。 先生の息子、娘を祝福してあげたように、霊界全体の子供から、過ちを犯したすべての者、失敗したすべての者たちを赦してあげて地獄を撤廃したのです。聖人と殺人鬼を同じ立場で、堕落のなかった、サタンのいない立場で取り扱い、祝福してあげることによって、霊界が一つになって地獄が撤廃されるのです。楽園と分かれていたのが、すべて水平になるのです。 それで、これを本格的な世界化段階として、国境撤廃を既に世界的に国連で宣布したので、完全にこの年を越えていく前に、十二月三日を中心として楽園と地獄を撤廃したのです。それは、偽りの父母によって生じました。 真の父母が蕩減圏を越えて勝利したゆえに、撤廃しなければなりません。撤廃するまでは、神様を即位させることはできません。それをゆっくりするようになれば、天の国を再び移動して、堕落した前の世界とは関係のない後の世界、二○○○年以前の世界は前の世界であり、以後は後の世界として、二○○○年以降の世界は新しい制度と新しい風土となり、天上、地上組織を異にすることができるのです。 ですから、皆さんは第四次アダム圏となるために、文化的背景、習慣においてサタン世界のものは一切ありません。そのためには愛の伝統、為に生きる真の愛の伝統、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をなして、為に生きる愛の伝統だけがここに移されることができるのです。向こうになかったものを立てて越えることによって、サタンがここからは、ついて越えてくることはできないのです。 先生が行くときに、地獄のようなものがあってはならないのです。撤廃してから行かなければなりません。そのような途方もない問題が左右されるのです。地獄にいるあらゆる者たちを探し出して、すべて祝福してあげたのです。(二○○○年十二月二十三日、漢南国際研修院) 一九九八年六月十三日に聖人と殺人鬼を祝福してあげました。殺人鬼と聖人を祝福したという事実だけ見ても終わりなのです。世の中にそのようなことがどこにありますか? 水平時代になったというのです。 国がいくらサタン世界で力が強くても……、水に浸かって沈んでいこうとしているのに、二手に分かれて、互いに殺しあおうという者たちをそのまま水の中に入れておいたならどうなりますか? お互いに殺しあうべきですか、お互いに助け合うべきですか? 互いに助け合わなければならないのです。 では、助けるときに自分の父親だと思って助けるのか、罪人だと思って助けるのかというのです。助けるときには、自分の父親を助けるような気持ちで助けたならば、どれほど力が湧くことでしょう? 自分の兄を助けると思って助け、王様を助けるという気持ちで助けるのだと思わなければならないのです。その場で自分が神様のような方を助けるのだと考えたならそうなるのです。その場ではそのように考えなさいということです。 ですから、互いに助けることのできる立場でありながらも、殺人鬼が「死んでやる」となれば殺人鬼の権限までも思いどおりにすることができるのです。地獄までも行ったり来たりできるというのです。殺人鬼が聖人を手助けして、聖人のために解怨して解いてあげたので、聖人の寝室までも出入りすることができるのです。絶対に接近できないようにしたとしても、「暗行御史」(王の命令で地方官を調査する官職)となって、通じることのできる道があるというのです。道がぱっと開くのです。そのような意味で、殺人鬼と忠臣、聖人たちを祝福してあげたのです。 谷間にいるときには闘っていても、そこに次第に水が入ってきて、互いに死ぬようなことになればどうなりますか? 二人とも死んでしまったならば神様はどうなりますか? 神様も大変なことになるでしょう? だれもが共通の立場に立つのです。神様も大変なことになり、殺人鬼も大変なことになり、聖人も大変なことになるのです。ですから、共同作戦をとるのです。 先生も大変なことになるため、仕方なく共同作戦をとるのです。「互いに生きるためには仕方ありません」というとき、サタンはどうするでしょうか? すべてを殺してしまえば、サタンはどうなりますか? サタンも大変なことになるでしょう? ですから、こうすることによって「おい、この野郎。サタン! おまえもやがて解放されるのだから、協助しろ!」と言うと、「どうか早く助けてくれ、どうか早く祝福してくれ」と言って、このようになったのです。 先生にとって、金活蘭と朴マリアは怨讐の中の怨讐です。それゆえ、一九九八年五月十四日から三日間、祈祷して彼らを解放してあげたのです。神様が相軒氏に「お前が責任を負わなければならない」と言われました。後になっては「どうか頼む」と言われた言葉に、先生は衝撃を受けました。祝福をすべて終えてから、それからやろうと思っていたのです。祝福が終わって、個人の救いの時代、氏族・民族・国家の救いの時代を越えて、世界の救いの時代へと越えていき、天地解放時代に向かって越えていくときに、彼らを解放してやろうと思っていたのです。 ヒットラーやスターリンのような人たちは、国家主義時代です。国家主義時代は過ぎ去りました。今は、超国家主義時代です。その次に、共産主義は超世界的な時代です。ですから、金日成を治める国家的な法ではだめなのです。今までの法ではだめなのです。これからは連合国時代です、世界時代。 その次には超連合国時代です。ですから、法をもって国家主義時代に金日成を地獄に送ったそのようなことはできないのです。金日成は地獄に行ったけれど、ムッソリーニやヒットラーは地獄に行きませんでした。処理過程にあるのです。そうでしょう? スターリンは逃げ惑いながらいるのではないですか? それは、時が早すぎたのです。それは私が処理します。国家主義、世界主義的勝利の覇権を持った者だけができるのです。 先生は国家主義者ではありません。世界主義、超国家的であり、超宗教主義的です。ですから、そのような権限を持って彼らを治めることができるのです。すべて同じ運命です。神様も哀れであり、真の父母も哀れであり、人類も哀れであり、サタンも哀れなのです。ですから、そのかわいそうな人どうしで殺し合わなければならないでしょうか?「怨讐を愛しなさい」という一言があれば、それが神様のみ心ならば、問題なくすべて解決するのです。「それが神様の願いではありませんか?」と言えばどう答えますか? それが神様の願いなのに、サタンが反対しますか? 真の父母が反対しますか? 救われるべき人類が反対しますか? 聖人が反対しますか? 殺人鬼が反対しますか? だれもが歓迎するのです。その願いとは何ですか? このようになったのはどうしてですか? 誤った結婚をしたからです。ですから、根を抜き取ってしまうのです。 ですから、祝福を断行した先生は偉大な知略家なのです。それを断行することは神様もできず、だれも考えもしなかったことです。それを、最初から原則を中心として打ってしまうのです。先生が破れていくか、だれが破れていくかなのです。このまま上手くいくかどうか見ていなさい。そのようにしたので、うまくいくのです。 それで、十二月三日に楽園と地獄を撤廃しました。それをどのように撤廃したのでしょうか? 地獄の門をすべて開いておいて、楽園の門、天国の門まですべて開いておきましたが、その群れが詰まっています。彼らをすべて祝福してあげました。祝福してあげたら、宗教圏が撤廃され、宗教圏が撤廃されたので、そのどん底にあった地獄圏が楽園に上がってくるのです。楽園も撤廃されてなくなるので、天国と通じることになるのです。 ですから、文総裁が率先するならば、神様ははばかることなく地獄でも、天国でも、どこにでも思いどおりに行くのです。縦的基準だけで行ったり来たりしていた神様が、先生について世界を思いどおりに行くことができるのです。思いどおりに行くことができる道を開いておいたので、愛の水平となるのです。天国の理念や、地獄の理念や、天国の愛の水平に浸ることができる時が来たのです。水がたまって占領する時が来たというのです。自由解放圏になったゆえに、神様までも解放しなければならないのです。神様までも本然の位置に落ち着かなければならないのです。 ですから、神様ご自身も即位を願うのであり、真の父母も願うのであり、サタンも願うのです。だれもがみな願うのです。万民も願うのです。焦点がすべて合うのです。これだけしておけばひっくり返ります。それは、すべて理論に合致するのです。 ですから、そのようなことができる方案を立て「互いに生きるためには、闘わずに助けよ!」というのです。助けて何をしようというのでしょうか?「神様の背中に乗って神様の願う最高の速力、最高の力、あなたがそのような内容を提示するのですか?」「するとも!」「それは何ですか?」「万民解放祝福だ」と言うのです。 そのようにしてきたため、仏教圏、儒教圏、回教圏などの宗教圏を祝福してあげなければなりませんか、してあげてはいけませんか? してあげなければならないのです。天使世界、地獄までも解放してあげなければならないのです。 ですから、楽園と地獄を撤廃し、解放時代となったので、神様が恨を解き、これからは王としての役割を果たすことのできる本然の時代となるのです。そうなれば、先生の責任、救いの摂理は終わるのです。救いの摂理はなくなるのです。救いの摂理は終わり、第四次アダム圏、本然の世界に入っていくのです。そのような第四次アダム国家、心情圏が本然の世界に入るためには、神様が王権即位をして治めることのできる時代に匹敵しなければならないのです。 それで、万民がすべて祝福圏内に入っていくのです。その圏内に入っていき、先生の思想を中心として教育し、万国の王から閣僚、上院、下院がすべて先生の思想を中心として「世界と国はこうあるべきである!」という計画さえ立てればいいのです。その計画が新千年を迎えてから、三年以内にできなければ、四年、七年でできなければ十年、遅くとも十二年まで延長するとみるのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院)
2023.12.24
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神様王権即位式のための宣布二〇〇〇年十二月一日、ブラジル、パンタナールにあるアメリカーナホテルにて、五か国から集まった十八名の指導者たちが参加する中、真のご父母様は二〇〇一年一月十三日に予定された「神様王権即位式」のための宣布をなさった。 祝祷 愛するお父様! 今日は二〇〇〇年十二月一日、歴史的な二〇〇〇年を中心としたこの年を中心として、新千年を迎えることができる、新しい年を準備するためのすべての蕩減復帰歴史と天上世界と地上世界の恨の峠を越えて、あなたが理想となさった創造理想世界の愛を中心とした個人完成、家庭・氏族・民族・国家完成、天宙完成の要を用意するための、一つの歴史的な全体を整備する期間でございます。 先々月の十月十四日以降を中心として、きょうは満四十八日を迎え、日数としては四十九日を迎える日でございます。この日は、歴史的に韓国の記念の日である四十九日(四十九日法要)を代表しうる期間を越える日です。それゆえ、新たな月、十二月を中心として、これから四十三日間を中心として、新たな二〇〇一年の正月の十三日まで、新しい出発のための限界を定めておきました。 すべてを整備して、天国の王権と、家庭の勝利圏と、すべての子女の勝利圏を備えて、天国の本然の軌道を備え、天上世界の父母を中心とした長子権の大王であり、父母権の大王であり、天宙の大王であられる神様を中心として、一体理想を中心とした個人、愛を中心としたモデル家庭、氏族・民族・国家・世界・天宙史的な愛のモデルを中心として、公式的な主人の立場に立つようになりました。 また、真の父母とともに一体理想をもって、心身一体、この地上に正午の期間に定着することによって、一切すべてが整備、解怨成就、蕩減解怨されることによって、天の主権と地の主権と天国の勝利的栄光を中心とした万国を統治し、覇権的時代を迎えることができる深刻な四十三日という期間を今後残しております。 ですから、整備しうる摂理史のすべて一切を、お父様がお定めになり、あなたの心の中で恨となっていたすべてを整備し、解放の日が到来したと宣布しうる家庭の王であり、国家の王であり、世界の王であり、万王の中の王の主人の立場に即位しうる一つの記念すべき期間として定めるのでございます。 お父様、この日を予告しうる宣布の日として、四十九日を過ぎ、すべての死亡の権限を踏んで、再度解放の世界へ飛躍しうる天運を抱き、お父様のみ前に真の父母が戻り、一体理想を築くためのすべての愛の悲しみと、すべての子女の悲しみを中心とした、家庭・民族・氏族・国家、あなたが願った家庭的孝子、国家的孝子、世界的孝子、天宙的孝子だけでなく、忠臣・聖人・聖子の道理に家庭的祝福を中心とした覇権を成立しうる時代を迎えるようにしてくださった恩賜に感謝いたします。 きょう、原初・根源・勝利の聖地圏を中心として、これから四十九日を踏み越え、整備することのできる四十三日、この期間を通して新たな天の王権時代を発表しうる準備の一切を整えるようにしてくださいませ。民主世界の王権が続くところにおいて、最後を迎え、父母の全権時代に交差しうるこのような期間を設定するすべてに、勝利的覇権を天が備えることができるように祝福してくださいますよう、お父様、切にお願い申し上げます。 新たな月を迎えるこの十二月は、峠を越える期間として、三十一日と来年一月十二日を中心とした十三日を合わせて、十月十四日を中心として、天地の王権樹立を宣布しうる、天地の王を中心とした勝利的長子の王であり、勝利的家庭の王であり、勝利的国家の王であり、勝利的天宙の王権に即位しうる時間として宣布いたします。それゆえ、その日のために、すべての統一家と天のすべての天軍天使、祝福は再度の整備と、再度の悔い改めと、再度の祝福の恩賜に感謝することによって、この日を迎えることができるように祝福してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 今回、海洋還元式と、大陸還元式と、天宙還元式と、四大心情圏還元式を発表し、これから真の父母を中心とした勝利的基盤の上に、エバ圏国家とともに国連と手を結んで、解放の天国を建設しうる時代へと進入することを宣布いたしますゆえ、お父様の願われる全体・全般・全権・全能を行使してくださいませ。 あなたの願いの一念であるすべてを成就しうる標準の下で、全体の整備が完成しうるようにこの期間を定めましたので、統一家の食口、祝福された天上世界、地上世界、天使長世界までも、すべて家庭を中心としたあなたの祝福圏内には、一家庭も抜けることなく加入することのできる、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基準でサタンを立て、解放圏に同参することのできる恩賜も賦与してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 きょう、十二月一日のこの日を期して、原初・根源・勝利聖地で、このような新しい世代を迎えることができる整備的最後の宣言を、王権樹立の全体の権限をあなたの愛によって地上・天上天国に平定しうる起源として定め、あなたが愛の主人として、億千万世の勝利の太平時代を迎えることができるように祝福してくださいますよう、全天宙、全世界の上に直々に天地父母の御名をもって宣布してくださるよう切に祈願しつつ、真の父母の御名により宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 「神様王権即位式」をして差し上げなければならない時が来ました。それをすれば、摂理史は終わるのです。そのように知って、終わりまで最善を尽くさなければなりません。 ここに来て参加した人たちは、心を尽くしてその日の前に恥ずかしいことのないよう、自らの整備と家庭と国の整備の標準と、世界の整備をして、これを再建できる主人の立場で、主体的個人、主体的家庭、主体的民族、主体的国家、主体的世界、主体的天宙まで連結させることができる参加者として、その責任を全うすることを願います。 きょう、これから最後の整理です。これから四十三日です。新年の正月十三日に行うとしたら、きょうまで入れて三十日を引くと十四日になり、きょうを除けば十三日になります。それで、十二日を越えるのですが、十三数というのはアメリカではもっとも悪い数です。それで、全体の日数を足して三十日を引けば、全部で十四日になるのですが、満で数えると十三日の峠を越えるのです。それで、解放の即位式、王権即位式を宣布できる時に入っていくというのです。これは途方もない時代なのです。きょうはそのような日なのです。今回来なかったら、できませんでした。 ご覧なさい。最初にブラジルに来て、レダ(PORTO LEDA)に着陸するのに問題があり、操縦士たちは無理だと言ったのですが無事に着陸しました。その次に、ポルトムルチーニョ(PORTOMURTINHO)に行ってからどこかに行こうとしたのですが、パラグアイに戻って、降りたのです。そのときにも、無理だと言っていました。考えてみると、ジャルジンから出発してサロブラ(SALOBRA)その次にレダ、その次にポルトムルチーニョ、その次にここが五番目です。それと同様に、五つの国が貴いのです。人の手を見ると、指が五本あります。ですから、そのような数も合うのです。 すべてを見ると、不思議にも蕩減復帰の道を綴るのに一致しています。ブラジルが中心ではなく、パラグアイが中心になっているのです。レダからオリンポ、反対したところを中心として、この本然の場に戻ってきました。 この座っている所は、どんな所ですか? 出発地ですが、定着地として見なしているのです。ここには世界にない王宮を建てなければなりません。人工的に再創造しなければなりません。神様が創造された宇宙を破壊したために、精魂を込めて、血の汗を流し、骨髄が溶けるほどに苦労して、天国の栄光をあらわす何かを私たちがつくって捧げなければならないのです。水宮、陸宮を合わせた、天下のいかなるところよりも良い王宮の敷地なのです。この水の中から出発するのです。(二〇〇〇年十二月一日ブラジル、パンタナール)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.24
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父子協助時代宣言二〇〇〇年十一月十一日、ハワイのカウアイ島にあるプリンスビルホテルにて、真のご子女様たちと四十日海洋修練を受けている約四十名の修練生等、総勢約五十名が参加する中、真のご父母様は「父子協助時代宣言」をなさった。 皆さんがこのみ言を通じて知らなければならない、ただ一つの結論とは何かと言えば、女性たちの責任が大きいということです。神様の摂理は、女性を探す前にアダムを探して立てることでした。アダムを探して立てる目的は、アダムを中心として神様と一つの木になって、愛の種を繁殖せよということです。愛の種を繁殖するために女性が必要なのです。 アダム家庭でその種を失ってしまいました。アダム家庭が堕落した後に、カインがアベルを殺したのです。アベルが何かといえば、アダムの種をこの地上で育てる立場にあります。しかし、アダム以降、世界のすべての家庭には、カインとアベルを中心とした種はありません。ですから、この地上でアダム家庭が失った種を、神様を通じて再び再創造し、種を残して大きくするための歴史が、救いの摂理歴史なのです。 あらゆる宗教がありますが、それらのすべての宗教を中心として、民族を越えて世界的文化圏を中心とし、収拾するための一つの種がとどまることのできる環境的与件を開拓してきたのが宗教圏なのです。すべての宗教は、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を教えてきました。それは、この種が個人・家庭基準から天宙まで越えていくことができるように大きくなり、堕落しない本来の種が世界の堕落圏を凌駕することができるという立場を取り戻していく道なのです。 その種、それ自体では大きくなれません。男性の種、それ自体では大きくはなれないのです。ですから女性たち、母親たちが必要なのです。それで母子協助時代が必要になったのです。今まで母親たちは、夫たちを前にして、あらゆる愛の谷を越えられず、息子たちを抱いて上がったり下がったりしながら、数多くの苦労をしてきました。そうして、歴史時代においてどのようにしてアベルの立場の峠を越えさせてあげるかという、そのような闘いをしてきたのです。しかし、そのことを女性たちは知らないのです。 母親と息子、娘は知りませんでしたが、歴史時代にあって、腹中時代から八段階にわたって、母親が息子、娘たちを抱き、迫害に遭いながら彼らを育ててきました。女性たちが歴史時代に犠牲となってきたのです。 今まで母親が子女たちのために苦労してきました。歴史時代に、世界的にサタンと闘いがら苦痛を味わってきたのです。摂理史において、息子を育て、母親とカインがばらばらになっていたものを一つにするという、この路程を埋めてきたのです。蕩減のくぼみを平準化させるということを、母親が代わってしてきたのです。 救いの摂理において女性たちが、息子、娘を抱きながら、天使長世界で男性たちからありとあらゆる蹂躙を受けながら犠牲になってきたのです。冷遇され、さらわれ、傷付けられながらも、数千数万の女性たちが犠牲になりながら、この道を歩んできたのだということを知らなければなりません。 選民というのは、エサウとヤコブを中心として、ペレヅとゼラを中心とし、その次にはマリヤ家庭を中心として続くのですが、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭のすべての重荷をマリヤが背負うという環境においても、やはり母子協助か絶対的に必要だったのです。リベカを通じてエサウとヤコブが外的な蕩減を払うことができ、ペレヅとゼラを中心として内的な蕩減を完遂したという条件が立ちました。そのため、イエス様の時代にマリヤとザカリヤを中心として、母親と息子、娘たちが一つにならなければならないという内容があったのですが、母親たちがそれを知らなかったために失敗したのです。 それゆえ、マリヤはイエス様を中心として、自らの生命を犠牲にし、いかなる犠牲を払ったとしても絶対的でなければなりませんでした。マリヤには男性がいてはなりません。息子を抱いて、サタン世界の数多くの男性たちが、数多くの旧約時代の法で、マリヤをめぐって片付けようとすることも意に介さず、それを越えていかなければならない責任があったにもかかわらず、責任を全うできなかったのです。 それで、イエス様が来られて亡くなった後に、聖霊がこの地に来て、父母の代わりに霊的基準を中心として……。それが実体的イエス様を中心として、キリスト教を築いたのと同じように、聖霊が来て母を中心として、失ったイスラエル圏を中心とした霊的基準のイエス様を中心として、実体基準の役事を連結させるために、天と地の摂理を分立しなければならなかったということを知らなかったのです。 それで、イスラエルでイエス様が犠牲となった後、聖霊が来て、母の代わりに息子を育てるということを今まで行うことによって、国家的基準を越えていくのです。国家的基準を越えて、世界的役事を行うのが再臨の役事なのです。そのような再臨の役事は、西洋から始まるのではありません。再臨主は東洋に訪れるのです。歴史が変わるのです。 東洋文化と西洋文化が違うのは、東洋が精神的で内的ならば西洋は物質的で外的なのです。東洋が男性格ならば、西洋は女性格の立場です。相対的です。それゆえ、西洋世界の宗教圏をすべて受け継いでキリスト教文化圏が現れてきましたが、東洋的思想は先祖を尊重視する思想なのです。先祖を尊重視し、神様を尊重視するのです。終りの日になれば、これがどのようになるのかと言えば、すべてをなくし、女性が冷遇されていたのと同じように、キリスト教自体が冷遇されるようになるのです。キリスト教は新婦の宗教であり、母の宗教です。 ここで知らなければならないことは、母子協助時代は父子協助時代へと越えていかなければならないということです。今までは、男性がすべての女性たちを蹂躙してきました。これからは、男性を中心として、エデンから追い出された真の男性が来て、女性のすべてを保護する時代へと越えていくのです。 再臨主が来る前までの女性たちは、失った世界において復帰されるまで血筋を正す役割を担ってきました。しかし、来るべき再臨主を中心としては、その方が父として来られるために、全世界の女性たちは父に仕えることができるようになり、そのような世界的な終末時代を迎えるようになるのです。 ですから、全世界の女性たちは母子協助をすることによってサタンの反対を受けてきたのですが、これからはサタンを主管することのできるアダムが来たために、そのアダムの前に完全に振り返らなければならないのです。なぜ振り返らなければならないのでしょうか? ですから、総生畜献納という話が出てくるのです。エバによって失ったものを、エバが今まで探し求めてきたのですが、その相対的世界、エデンの家庭で失ったエバ、カイン、アベルを探し出してくれる父がいませんでした。サタンが中間で支配してきました。反対してきたのです。 それを完全に切ってしまうのです。完全に切ってしまいます。それで、サタン世界が終りの日を迎えるときには、女性たちが経済権を持つのです。アメリカがそうですね? 第二次大戦以降、女性たちを求め、女王のような立場にアメリカが立って、来るべき夫を追い出してしまったのです。今や、本然の夫の前ですべてを風呂敷に包んで、天使長圏を足で蹴飛ばしてしまわなければならないのです。蹴飛ばして、すっかり帰ってくることによって、すべての女性たちが来るべき主の前に相対的立場に立つようになるのです。それで、女性を代表したお母様を立てたのです。お母様とお母様の家庭を中心として、お母様が女性の代表として立つことによって、神様の愛の種が世界の峠を越えて、新しいエデンの家庭を築いたのです。それは、世界の立場に上がっていくということなのです。 そのようにして、反対したサタン世界のサタンを完全に切ってしまい、こちらに戻ってくるのです。そうすることによって、神様が直接エデンの園の家庭を中心として愛の種を植えることができたのと同じように、真の父母が来てエデンの家庭として世界的迫害を受けて勝ったその場で、愛の種を横的に連結することができるのです。そうして、アダム家庭で築いたのと同じものを世界の頂上で築くことができるようになったのが真の父母の聖婚式です。それが子羊の婚宴です。 それで、先生を中心とした子女たちが生まれたために、父と息子、父子摂理時代になるのです。母子摂理時代ではなく父子摂理時代なのです。真の父母が出てくる前までは、母親たちは息子たちを育てながら迫害を受けてきましたが、神様を中心として、直接、真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは母親がいなくてもかまいません。母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです。 それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子と娘たち(※家庭的四位基台)には、サタンは手をつけられないのです。そのことを知らなければなりません。ですから、直接的で完全な愛の種を家庭的に受けて、父と息子が直系で連結されるのです。 そこには母親は必要ありません。蕩減というものがなくなったのです。母子協助時代が完全になくなって、神様と真の父と真の息子の血筋が連結しうる解放圏の最上地点に立ったのです。そのような過程で、先生の家庭に様々な問題があったということは、サタン世界にいる祝福家庭たちが責任を果たせなかったためなのです。先生の家庭の子供たちは、どんなに誤ったとしてもサタンとは関係がないのです。 これを収拾するために、聖人たちと悪人たちを祝福してあげ、地獄と天国を崩すことのできる権限が真の父母にはあるため、真の父母の家庭圏内にある傷も赦されて、同じ立場に入っていくことができるのです。ですから、すべての過ちを内外にすべて解決することのできる時代に入ったのです。 それで、先生が八十になれば何もかも終わりになるために、先生の家庭の息子、娘たちも、今までサタン世界、このアメリカに来て染まったすべてを清算しなければならないのです。今年、十二月までにすべてを清算しなければなりません。それが、摂理史の全体蕩減に匹敵するのです。それで、先生を中心として、今年まで誤っていた息子、娘も、別れてからもう一度戻ってこなければなりません。 八段階の愛の家庭を経ずしては、真の父母に仕えることはできず、神様の直系の子女の立場に立つことはできません。恐ろしい話です。先生がでっち上げて話しているのではありません。生きている先生、真の父母に仕える直系の立場で、自分を中心として、女性としての自分を中心として考えてはならないのです。生命の根本の種になることができる根を中心として回らなければならないのであって、自分が根の立場にいようとして、自分を主張したならば大変なことになるのです。それは、女性が今まで蕩減したすべてを再び堕落させることと同じです。 お母様も同じなのです。黙って見ていると、お母様は今でもそうなのです。少し気分が悪ければ、その思いが一日、二日、三日続くのです。それではいけません。真の父母が……、先生がどんなに気分を害するような接し方をしたとしても、気分が悪いなどと考える、それ自体によって霊界に入っていくことができなくなるのです。真の父母に仕える立場では、解怨の痕跡があってはならないということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえ、生命の種を中心として、旧約・新約・成約時代を経てきながら、母親たちが母子協助時代にあってどれほど多くの犠牲を払ってきましたか? 今や、地上で東洋と西洋が分かれ、深い谷間、深い山、ヒマラヤの山頂、エベレストの山よりも高い山の谷間を埋めて、東洋でこのようなみ旨を立てて、長い歴史をすべて蕩減したのです。 韓国の歴史は長いですね。韓民族が最も苦労した民族なのです。中国文化も東夷民族を通して成り立ちました。甲骨言語というものも、よく見ると古代韓国語なのです。このように見るとき、韓民族は優秀な民族なのです。 半島というのは男性の生殖器と同じです。太平洋を背負って、日本を背負って、その次に大陸に対して半島はいつでも文明を連結させる橋梁の役割をしてきました。イタリア半島や、ギリシャ半島、インド半島はすべて橋梁の役割を果たしてきました。 そのような立場から見るとき、韓民族は優秀な民族だというのです。しかも、言語や神様に対する文化は、韓民族に肩を並べる民族はいません。啓示の内容にしても、いかなる民族も追いつくことはできず、神様を信奉するにおいてもいちばんなのです。仏教や儒教やキリスト教や国権を中心として信奉してきたのです。そうしてすべてが連結しています。 そのような基準で先生が生まれ、歴史的にお母様を救ってあげるためにこのことをしてきたのです。今や母子協助時代ではありません。息子でも、その息子は天使長の息子であって、天の息子ではありません。そうではないですか? それは蕩減を受けなければなりません。それで、天使長は愛の道を行く母親を、女性たちを今まで蹂躙してきたのです。 それで女性たちの願いは何かというと、理想的な夫に出会うことです。そうでなくては、天の本然の生命の種をそのまま受けることはできません。蕩減なくして、その種を受けることはできないのです。それゆえ、来たるべき主を中心として、二千年間、新婦宗教で息子、娘を育ててくるのに、どれほど苦労したでしょうか? 聖アウグスティヌスのような人たちも、あのように「ごろつき」だったものを、彼の母親が救い出したのです。そうして、旧教の一人の代表的な人物になったのです。新教でも、やはりそのような歴史を通して連結された母親の苦労の涙が、この深い谷間を埋めてきたのです。それが、夫となる主がこの地に生まれ、成長して聖婚をする時までなのです。 第一次、第二次大戦を終えて第三次時代へと越えながら、すべて埋めつくし、ついに整備されたカイン、アベル圏、聖霊を中心として霊的な基準を連結させて、実体的基準を中心とした再臨主と一つになって、母子協助時代から父子協助時代に転換するのです。そのためには、母親がいなくならなければならないのです。それゆえ、蕩減時代の母ではなくて、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が相続することのできる時代が来るのです。 生命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。愛する夫の赤ん坊を、女性がおっぱいを飲ませて育て、赤ん坊を愛する限り、夫を無視することはできないということを知らなければなりません。これは、母であればだれもが同じなのです。これが総結論です。 母子協助時代と父子協助時代は違うということです。父子協助時代に生命の種を抱いて育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。女性たちが今まで本然の夫を求めてくるのに、数千年、数万年の間犠牲になってきたという、その受難の歴史を越えて本然の夫を迎えることができる立場に立てば、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道理を果たさなければならないのです。 では、だれがそれをしなければならないのですか? アダムとエバを中心として、神様がまずされましたが、その次に蕩減時代には女性がまずしなければなりません。そうでなくてはならないのではないでしょうか? すべてを破壊した女性が、夫に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければならないのです。そうして、女性はその夫を通じて恨の峠を越えて、限りない祝福をそっくり受けることができる立場に立つのです。 絶対愛のために神様は女性を抱いてきたのですが、そこに相対的立場に立とうとするならば、絶対服従しなければならないのです。この話は、母親に対しての話です。 きょう、終わりになってこのようにすべて教えてあげるのです。はっきり分かりましたか? 母子協助時代、その次は何ですか?父子協助時代! これが最後なのです。 母子協助時代を退けて、父子協助時代へと越えていくために、母親はここに協助しなくても、絶対信仰・絶対愛・絶対服従していくことによって蕩減するために、苦労した時代のすべての祝福を天から受け取ることができるのです。 祝福を受けてからは、夢にも他の女性、他の男性のことを考えてはなりません。道にいるすべての女性たちを、だれが育ててあげるのでしょうか? そこからすべて、橋をかけなければなりません。ですから、今まで復帰時代において、母親は知りませんでした。娼婦の両親の悲しみを、神様が一人で、真の父母が一人で抱いてきたのです。サタン世界で蹂躙されたことを消し去ることもできず、それを愛さなければならない神様なのです。ですから、どれほどあきれかえるようなことでしょうか? そのようなことを知らなければなりません。 今の時は母子協助時代から父子協助時代に転換された時であるということを、はっきり知らなければなりません。真の父母がすべてを蕩減しました。キリスト教が責任を全うできない、女性たちの責任までも、お父様がすべて蕩減し、母子協助時代を踏み越えて、父子協助時代の伝統をみ言と共に立てなければならないのです。そうしてこそ、すっきりと結論が出るのです。 父子協助時代における嫁たちは、子種を受けて、育てるということが、天下の歴史時代に神様を解放できる一時の祝福を受けたことであるということを知って、感謝して越えていかなければなりません。それで、今回、あなたたちを連れてきながら、ここで何かよい記念になるものを買ってあげたかったのです。 今回、真の父母が買ってくださったものを大切にし、今後、後代の後孫たちに残してあげることができるように保管しければなりません。その代わり、あなたたちは赤ん坊たちを育てて、父と一つになるようにしなければなりません。二重の責任があるのです。 今は、蕩減はありません。平面的な生涯に、息子、娘を育てて、すっきりと父子協助時代へ越えていけばいいのです。蕩減はありません。したがって、歴史時代に解放圏を願った神様の解放と真の父母の解放圏をもって、自由天地、地上・天上天国に入籍できる時が来たのです。ですから、清平では今「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」がなされているのです。その一言の中にすべてが入っています。 三時代、旧約時代・新約時代・成約時代をひっくり返さなければならないのです。大転換です。四位基台によって……。四位基台に立つのではありません。四位基台が入籍するのです。失ってしまいました。今や、母子協助時代を過ぎて、サタン世界の家庭から南北統一、そして国連まで、首脳まで、すべて上がってきました。 これからは、ブッシュ大統領は私の話を聞かなければなりません。聞かなければ国連を通じて行うのです。アメリカ、民主世界が世界を支配しようとする考えはやめるようにと言うのです。民主主義は滅びたのです。互いに闘い、ありとあらゆる動きがあるのです。おしまいなのです。 これは、私たちの時代になったという事実を予告しているということを知らなければなりません。それゆえ、先生が家庭の王、そして国の王、その上に上がっているのです。今後、世界の王です。アダムが家庭の王、国家の王、世界の王、このように垂直に来ています。今後、祝福家庭をアメリカさえ認めるようになれば、全世界的に完全に国連の国をつくって入っていくことができるのです。そうなれば終わるのです。そのような時代なのです。(二〇〇〇年十一月十一日、ハワイ、プリンスビルホテル)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.23
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第四十一回「真の子女の日」記念礼拝の御言成約八年 2000年10月27日(陰暦十月一日)京畿道九里市水澤洞 中央修練院 第四十一回「真の子女の日」記念礼拝で真のお父様が語られたものです。み言に先だって、一九六六年の第七回「(真の)子女の日」のみ言の「訓読会」が行われました。 (先ほど「訓読会」で)子女が行くべき道理に関するみ言、深刻な内容のみ言を聞きました。自分たちが本当に、神様の前に真なる子女になれるのかということは、恐ろしい内容です。 神様が、どれほど大きいのかというと、この宇宙よりも大きく、無限に大きいのです。また、神様がどれほど高いのかというと、限りなく高く、どれほど広いのかといえば、計り知れないほど広く、どれほど深いのかといえば、考えることもできず、そこに及ぶこともできないほど深いのです。そして、そのおかたが、人格的な神様であるというのです。それは、人間のような神様であるということです。 それゆえに、わたしたちが「子女」という名分を持つためには、そのおかたの愛を通して生命が結ばれ、血筋が連結されたという因縁を持っていなければなりません。ですから、その血筋の中には、膨大な大宇宙の権威を持たれた神様の愛が植えられているのです。 それは、どういうことかといえば、その神様の愛の中で、その愛を敬い尊ぶ、父と母の主体・対象関係によって生命が連結されているということであり、その愛を中心として連結された生命体によって、分かれていた上下、左右が一つに連結され、そこに血筋が連結されているということです。そうして、その血筋を受け継いで生まれたのが子女なのです。 その子女という一つの分子、男なら男、女なら女の価値は、どれほど大きいでしょうか? この想像もできない膨大な大宇宙を中心として、それも主体と対象が一つになった、神様の性相と形状の実体的人格を中心とした本性的男性と女性の価値は、どれほど貴いかということを、皆さんは知らなければなりません。 その男性と女性が生まれた動機とは、何でしょうか? 自分のために生まれたのではありません。女性が生まれた動機、男性が生まれた動機は何でしょうか? 今、話した根本的因縁の代身存在として、原因的存在の前に結果的存在として現れたのです。その結果が男性であり、女性です。 原因から分立されて男性と女性が生まれたのですが、これは、何のために分立されたのでしょうか? それは、愛のためです。その愛とは、どのような愛ですか? 過ぎ去っていく愛ではありません。永遠の愛を懸け橋とするために、男性と女性に分立されたのです。 それは、先祖から千年万年、継続してきました。そして、いくら先祖がたくさんいたとしても、その先祖たちも、分立された男性と女性を中心として、さらに先祖から神様の愛が運搬されて受け継がれていき、そのようにして神様の愛を受けることのできる完成した男性と女性の先祖から連結されてきたのです。 そうして、それが今日、生きている”私”が生まれる背後の血統となり、その背後の血統が統一教会となり、”私自身”を形成したのです。このような事実を思うとき、男性なら男性、女性なら女性という存在が、どれほど偉大であるかということを知らなければなりません。 その偉大な”私”、驚くべき”私”! 皆さん、そのように思うでしょう? 男性も最も高い、最も偉大な最高の位置に立つことを願い、女性も最高の位置に立つことを願い、だれもが、男性も女性も、すべての人が最高の位置を願うのです。 その最高の位置に到達することができるものとは何かというとき、それは、簡単に愛だけではありません。男性は、愛も持っていて、生命も持ち、血筋も持っています。女性も同様です。ですから、いくら「至高の代身たる性相と形状に分立された男性と女性である」と言っても、そのおのおのの分性的存在においても、絶対的に必要とし、また、断ち切ることのできない神様との愛の関係が、”私”に介在しているのです。愛を持っているでしょう? 天地父母を中心として、霊界にいる”私”の生命体、つまり父母の生命的実体が連結されています。そして、その生命体であられる父母の血筋は、父親の血と母親の血が一つになり、それが調和の過程を経て、”私”という存在が生まれてきたのです。 そのような事実を考えてみるとき、また、その一つの実体が、どれほど偉大な歴史的過程を経て成された実体なのかということを考えてみたとき、それこそが歴史的な宝物であるということを、皆さんは知らなければなりません。 宝物なのですが、男性一人で完全な宝物ですか、女性一人で完全な宝物ですか? このふたりが一つになってこそ、完全な宝物になることができるのです。ですから、男性も”半分”であり、女性も”半分”です。 そのような完全なものになれば、神様の愛を中心として完全な愛を成すことができ、神様の生命を中心としても完全な愛を成すことができ、神様の血筋を中心としても「完全である」と言うことができるのです。 そのような実体存在としてつくられたのが男性と女性なので、男性と女性が完全に一つになる、その位置を通して神様の愛の化身体が現れることができ、神様の生命の再復活体として現れることができるのです。そして永遠なる歴史を同伴してつづられてきた神様の血筋が、未来の世界にまで同伴する、その橋梁が自分の血筋を通して連結されるのです。 このような、とてつもない事実を考えるとき、男性と女性が分聖殿となり、その半分の者同士が夫婦として一つになることができる価値的基準は、どれほど貴いものであるのかというのです。 ふたりが一つになって”合徳”する位置、また夫婦として愛し合うその位置は、神様の愛が完成した一つの結実体であり、神様の人格の生命体が完成した結実体であり、今まで神様が歴史を創造してこられた内的動機の起源であった血筋の結実体なのです。 そのような事実を考えるとき、神様ご自身も、そのようになった実体のふたりを取り替えることはできません。神様ご自身も彼らを絶対に必要とし、また、そのような立場で、男性と女性の半分同士が一つになることができるその位置は、神様とも取り替えることができない貴い存在なのです。 また、神様にとって、わたしたち家庭の夫婦というものは、何をもらっても取り替えることはできません。神様までも加えて、被造万物をプラスして与えても、取り替えることができないほどの貴い存在であるということを、皆さんは知らなければなりません。 ですから、そのような価値的結実体をつくることができるものは、いくら男性が、一人で千年間、誠意と努力を注いでも成就させることはできません。いくら女性が千年間、誠意と努力を注いでも成就させることはできません。千万年の間、誠意と努力を注いでも捜し出すことができない二つの存在が、お互いに完成を成すことができる一つの位置を訪ねていくのが祝福である、ということを知らなければなりません。 今日の西洋の人々を考えてみると、結婚というもの、家庭というものは、真昼のうちに過ぎていく”一時だけの因縁を結ぶものだ”と思っているのですが、そうではありません。それは歴史とともに、宇宙とともに永遠に存続することができ、神様の理想とともに存続しているのです。 そして、一挙手一投足のすべてが、宇宙の喜びの象徴体であり、また、全宇宙が喜楽を連結させることができる和動の実体が、私たちの家庭にあったのです。そのような事実を思うとき、無限の価値を持った”私”の家庭であるということを考えることができなければなりません。 その夫婦の愛の中で神様が暮らすことができ、また、夫婦の生命の中で神様の生命が連結され、その夫婦の愛の血筋が連結される中で宇宙が存続することができるのです。過去、現在、未来、そのすべてが、この血筋によって幸不幸が左右されるのです。 より発展的で、より理想的な未来を希望していく、そのようなわき上がる血筋を備えた人がいるとすれば、神様の希望の相対的実体になることができます。神様の喜びの刺激を充足させることができ、何よりも輝く神様の愛の対象圏を備えることができるのです。そのような立場が、自分たち夫婦であるということを知らなければなりません。 このような家庭をすべて失ってしまわれた神様のみ前に、だれが、再びその家庭を取り戻してあげることができるのでしょうか? アダムとエバが、このような価値的内容を形成し、幸福の起源を完成したものを神様にお返しし、神様が「この家庭以上のものはない」と誇られ、そこで”永遠に一緒に暮らしたい”と思っておられたにもかかわらず、その家庭を失ってしまわれたのです。そのとき、神様の悲しみは、どれほど大きかったでしょうか? そのことを、皆さんは考えなければなりません。 そのような意味で、男性というものがどれほど貴く、女性というものがどれほど貴いかというのです。 もし、男性の前に女性がいなかったとするならば、どのようになっていたでしょうか? 千万の男性が暮らす男性の世界の中で、女性が一人もいないというときには、その千万人はどのようにするでしょうか? 千年万年、夢を見て、億万年理想を描いても、一代以内ですべていなくなるのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 世の中に女性ばかりがいて、男性が一人もいなければ、千万年間、歴史の夢を持った女性たちがいたとしても、男性が一人もいないというときには、女性は絶望してしまうのです。一代ですべていなくなるのです。 神様の立場で考えれば、今、六十億の人類の中で三十億の男性と三十億の女性がいますが、三十億の女性を前にして、神様が「わたしの息子だ」と訪ねていくことができる男性が一人もいないというとき、その一人の男性を捜し出すためには、三十億の女性を犠牲にしたとしても余りあるということを知らなければなりません。何のことか分かりますか? (「はい」) 三十億の人類の中に一人の女性しかいないというとき、三十億の男性をすべて犠牲にしたとしても、その女性が相対することのできる人を、神様は必要とされるのです。もし、いなければ、堕落していないのであれば、つくることができるのです。分かりますか? (「はい」) 三十億人類の中に女性がいないというときは、その三十億の人類全体を生かすことができないとしても、その一人をつくって残りの三十億を犠牲にする、そのようなことも断行することができるというのです。 このように見るとき、「神様が願われる真なる男性、神様が願われる真なる女性とは、だれなのか」という問題は、深刻な問題です。いくら人がたくさんいても、人として扱うことができないというのです。それは、”完成品”ではないということです。 そのような者を「未完成品である」と言うとき、それを未完成品として烙印を押してこそ、その人は正当な人であり、神様の公認を受けることができる人です。 ところが、「これは悪いものですが、良いことにします」と言えば、「良いことにする」と言った人も、悪い人の同参者になるということを知らなければなりません。 このように見るとき、”私”一人解放し、”私”一人完成し、”私”一人喜ぶということは、”自分一人だけ喜びなさい”ということではありません。関係世界を中心として、包容することができる膨大な宇宙史と常に関係を結んできたということを思いながら、「私」と言うときには、宇宙の朝日を代表して、暗闇の世界に射し込む光のように現れる”私”である、と考えなければなりません。 真っ暗な夜の時代において、暗闇の世界に蛍の光でもあれば、その蛍の光は、すべての暗闇の世界の注目の対象になるのです。堕落した暗闇の世界において、小さくても”神様の前に、蛍の光のように輝くことができる代表的な存在にならなければならない”という心を育てていってこそ、暗闇の世界の全体を照らす灯台のように現れることができるのです。それは理論的です。 さあ、そのようにすることができる神様の息子を神様が見付けだし、愛して生命の実体に連結させ、血筋を同化させようと喜んで行動してみた、そのような愛の家庭があったでしょうか? ありませんでした。なかったのです。 それで、そのような家庭を失ってしまわれた神様は、それを取り戻さなければなりません。それを成し遂げなければなりません。いかなる犠牲があったとしても、この世の中をすべて一度に引っ繰り返して打ち込み、人間をつくる前の本来の状態に戻すことができるのならば、一瞬のうちにそのようにしたいと思われたかもしれませんが……。 本来、人間というものは、神様の息子、娘として、神様の愛を中心として、神様の生命体と神様の血筋と連結することができるという理想を中心として創造されました。神様は、この結果的存在をもって、地上に理想的家庭、理想的天国、理想的天上世界と解放圏を成し遂げようとされたのです。 しかし、そのすべてのことが、家庭を失ってしまうことによって成し遂げることができなかったために、思いどおりにつくることができません。ですから、それを永遠の存在として、これを再創造しなければならない立場、時代が復帰時代だというのです。 それでは、皆さんの中で、一人の男性なら男性が、再創造の価値的存在という命題を成し遂げて、すべての歴史時代を否定せざるをえないような立場に立っておられる神様のみ前に、希望的な実体として立ち、神様が、「あなただけが必要だ」と言われることができるような存在に、どれほどなったのかというのです。そのような存在を、どのようにして確定させるのかということは、どれほど途方もない問題でしょうか? 男性と女性を一緒につくればよいのですが、堕落したときには、女性が男性を堕落させました。ですから、今度はその反対に、そのような男性をつくることによって、迷宮にいる女性を再創造しようというのです。アダムから創造したので、復帰もアダムから先にしなければなりません。 復帰するためには、アダム自体をそのまま犠牲にすることはできません。つくられた万物を保護すべき立場としてつくられたアダムを、だれが絶対的に必要とするのかというと、女性が必要とするのです。それゆえに、歴史において、どれほどたくさんの女性たちが犠牲になったことでしょうか? 考えてみてください。アダムとエバが堕落してから、今まで数千万年……。何が「数千年」ですか? それは、数千万年です。 今朝、お母様が言うには、「テレビで放送していたのですが、ゴキブリの歴史は三億五千万年だそうです」と言うのです。わたしは、その話を聞いて、「何と三億五千万年? まあ!」と言いました。ゴキブリは小さいので、そうです。ゴキブリが、そのような歴史を経てきたといいますが、鯨やさめのような大きいものも、二億五千万年から三億年の歴史を持っています。 それでは、そのような長い歴史が存続してきたというとき、万物の主人であり、愛とともに相対的関係によってつくられたアダムとエバが六千年前につくられたとすれば、それを計算した神様の頭は、天才的な頭ですか、愚かな頭ですか? 人間がつくられてから今に至るまでの人類歴史は、どのくらいになると思いますか? 考古学を通しても何千万年。百七十万年ではなく、何千万年です。それは、正確な継数を数えることができないので、そのように言うのです。これを考えると、人間の先祖は何千万年前から先祖であったということを否定することができません。 それでは、その堕落の力はどれほどすさまじく、どれほど恐ろしいものでしょうか? 何千万年の間、この天地を創造された神様を拘束してしまうほどのすさまじい力の……。力の何ですか? その力の罠で縛られたのです。獣を捕まえる罠のようなものをかけられたというのです。それは、何千万年の時間をかけても解くことができない、驚くべき神様の事実です。 十代にわたる一人息子が死んだ場合でも、国がそれに対して慰労してくれる、というのですが、アダムとエバは、億千万年の一人息子、一人娘です。それも一度しかない、何千万代を代表した一人息子と一人娘です。 何千万年も神様の中で標準として立てられ、神様が、その息子、娘から慰労を受けることができる、そのような価値を持った息子、娘を失ってしまわれた神様の心と、今日、この人間世界で七代の一人息子や百代の一人息子を失ったこととを比較しようというのかというのです。 堕落した世界では、そのような無念で悔しいことがあっても、それは蕩減法においては当然のことでしょう。 しかし、蕩減が必要ない神様のみ前において、億千万代の一人息子と一人娘を失ってしまわれた神様の悲運の歴史は、どれほど胸を痛めるものであったでしょうか? それを想像してみてください。 この時代において、日本の国民が一億二千五百万人であるとすれば、男性と女性はそれぞれ何人になりますか? 約六千三百万です。六千何百万人が一人息子、一人娘だとして、その息子、娘が一度に死んでしまったとすれば、どのようになるでしょうか? 痛哭するでしょうか、しないでしょうか? 正気でいられるでしょうか、いられないでしょうか? それは一億二千万です。六千何百万ではありません。 人類全体が、何千億の人々が死んだという、そのような孤独と悲しさと無念と悔しさで、神様はどれほど胸を痛められただろうかというのです。そのようなかたを父として侍り、そのようなかたの孝子にならなければなりません。 ですから、今までの歴史過程にいなかった孝子を願われる神様なのです。孝子に出会うことができなかったがゆえに、それを願っていらっしゃるという事実を思うとき、神様が「わたしの孝子だ!」と言って認めてくださることができる、歴史的な人間の種があったと思いますか? あったと思いますか、なかったと思いますか? (「ありませんでした」) それでは、わたしたち統一教会はどうですか? 真の父母とは何ですか? 真の父母とは、人類の代表です。神様の屈辱と悲しみの歴史を否定し、そのすべての主体と対象、内外、前後、左右、上下を否定し、「代身的勝利の標的として現れた」と言うことのできる代表的存在が、真の父母にならなければならないということです。(「アーメン」)。アーメン。「アーメン」と言ってください。(「アーメン!」)。(拍手) それでは、真の父母が必要とするものは何ですか? 真の父母が必要とするものは、何でしょうか? 真の父母も、真の父が必要なのです。分かりますか? その真の父とはだれですか? (「神様です」)。神様です。 神様は、天地を創造される前から”真の父母”というものを考えられて天地万物をつくられたので、創造される前から共にいるべき存在であり、希望としてもいなければならない存在が”真の父母”であったのです。 つまり、真の父母をつくっておかれて、それが実際の生活環境にもいなければならず、理想を描く希望の夢の中にもいなければならないという存在が、真の父母だったのであり、歴史過程を通しても、忘れないように、心の中で喜びの象徴として、いつも生きていなければならないのが真の父母だったのです。そうではないですか? そうですか? (「はい」) それでは、真の父母が次に必要とするものは何でしょうか? ”真の子女”です。どのようなものが”真の子女”ですか? 目があり、鼻があり、口があり、耳があり、ただ五官がある、それが真の子女ですか? 歴史において、悲しみと苦痛と苦役を被った、そのすべての事実を真の父母によって忘れてしまい、真の父母を見て、すべてのことを慰労される位置に立たなければなりません。そうすることによって、真の父母からわたしたちに、すべてのものが、そっくりそのまま相続されるのです。 それでは、真の父母から相続したものよりも良いものを残すことを願わなければならないでしょうか、劣るものを残すことを願わなければならないでしょうか? (「良いものを願わなければなりません」) わたしも、おじいさんになってみると、子供のときには思いませんでしたが、孫を抱いてみると、”自分の息子、娘より優れた者になるように”と願うのが、おじいさんの心です。先生も人なので、そのように思うでしょう? ここにいる年を取ったおじさん、おばさんたち。孫を抱いて、本当にそう思うか、そう思わないかを考えてみてください。 そして、”何代後の後孫は、今の一代の後孫よりも劣っていればよい”と思うおじいさんがいると思いますか、いないと思いますか? (「いません」)。「います!」(「いません!」)。おじいさんもしかたなく、「あなたの話が正しい」と言って、頭を下げるのです。 それを、どのようにして連結させるのかが、問題です。昔のおじいさんとおばあさん、あるいは、今の皆さんの年齢の父母、八十歳前の父母、若くて元気だった父母、そして八十歳になるまで好きだった父母を好むのであって、年老いて霊界に行こうというおじいさんを、どうして好むでしょうか? 孫も、「おじいさんのここにキスしなさい」と言っても、そこにキスせずに、別の所にキスするのです。これは、大きな問題です。ですから、この歴史的伝統を父から息子、三代、四代、千万代まで、どのように継続させるのかということが、大問題なのです。 それゆえに、神様を知らなければなりません。神様を深く知らなければならず、天の国を知らなければなりません。そして、その価値ある天の国という存在は、どのように成されるのかといえば、血筋が神様よりももっと良くなることを願う位置であればあるほど、神様を中心とした、より高い天国を成し遂げていくというのです。 天国に行っても、理想を描くのです。李相軒氏の報告を見れば、霊界に行っても原理講義をしているでしょう? 原理を学ばなければなりません。その心情的深みに、いまだに到達できていないので……。 アウグスティヌスが霊界に行って、初めて神様と出会ったときに、神様が訓示されたことは、「アウグスティヌスはアウグスティヌスだ。あなたは、あなただ。あなたは、わたしではない。あなたはあなただが、わたしにならなければならない」ということです。 それはどういうことですか? ”神様のようになりなさい”ということですか、”神様よりも優れた者になりなさい”ということですか? (「”優れた者になりなさい”ということです」)。”神様よりも優れた者になりなさい”ということです。 それでは、優れた者とは何ですか? 神様は、すべての被造世界を愛によってつくられました。そして、”愛を受けて生き、愛を受けて死んでいきなさい”という心情でつくられたのです。分かりますか? (「はい」) 考えてみてください。神様が花をつくられるときに、花の種を一つつくって植えられたでしょうか、木の中心である根から数多くの根、幹、枝が生え、芽が出て一つ、二つと、このようにつくられたでしょうか? 一つの種をつくられたでしょうか、根を下ろして大きな木になって花が咲き、そして種を刈り取るまで待ち望んでから一つの種を刈り取られたでしょうか? 種をつくられたでしょうか、種を植えてからすべての過程を経て、大きな花が咲く木をつくられたでしょうか、すぐに種ができる木をつくられたでしょうか? (「種をつくられました」)。本当ですか? (「はい」)。わたしを見て学ぶのですね。種が必要なのです。 アダムとエバを中心として種をつくられたのです。男性と女性が成長し、凹凸を一つにして種が植えられ、そこから芽が出て、子供が生まれるのです。その子供は何ですか? 真の父母の子供です。「父母の日」を迎えた父母の世界において、最も必要なのが子女です。それは何ですか? それが種です。 家庭のコンピューターを見れば、それにはプログラムを入れなければなりません。上下間の父子関係、左右間の夫婦関係、前後間の兄弟関係、この三つの関係が一つになって立体的な球形を成すようになっています。その球形の中心は、すべてぽんと空いて、空気で満ちています。 皆さん。サッカーボールを見てみれば、このようになって丸くなっています。丸いということは、中から表面を同じ力で押しているということです。そして、この中は完全に空いているのです。たくさんの力が重なって押しているので、表面まで膨れ上がってくる、ということを考えなければなりません。 続けて投入すれば、完全に力でぎっしりといっぱいになってしまうのです。このようにして、宇宙は形成されたと考えなければなりません。 このように考えるとき、真の父母がいれば、真の父母の子女というものは、真の父母よりも優れていることを願うでしょうか、劣っていることを願うでしょうか? (「優れていることを願います」)。 真の父母がまぬけならば、「こうでも良く、ああでも良い」と言うのです。それは、まぬけでしょう? 「こうでも良い、ああでも良い、生まなくてもよい、いなくてもよい」と言うのではないですか? 知恵深い父母ならば、良い所に良いものを加えなければならないでしょう? 良い所に悪いものを加えることを願うでしょうか? 悪い所に良いものを加えて、後で手術して良いものを抜き出してしまえばよいでしょう? しかし、そのようにしても傷ができるというのです。根本から良いものをプラスし、さらにプラスして、真の父母よりももっと良い実を願うというのは、神様が成される復帰摂理の決定的な希望の論理です。 このように考えるとき、皆さん。真の父母を中心として真なる子女になろうとして、生涯、精魂を込めてつくられた自分自身は、真の父母と比較してみるときに何パーセント優れた存在になれそうですか、なれそうにありませんか? (「なれると思います」)。後ろにいる人たちは、どうですか? 聞こえますか? (「はい」)。大きく答えてください。(「はい」) それでは、”より良い価値的存在、より良い善なる人間は、どこから連結されるのか”ということを、皆さんは知らなければなりません。愛です。夫婦の愛です。どこからですか? (「愛からです」)。夫婦の愛からです。 きのう、百度で愛したというとき、次は千度で愛すれば、千度の愛の価値的存在が生じるので、百度とは比較できません。きのうよりも、より良い愛、きのう暮らしていた環境での愛よりも、天宙を抱いてあまりある余裕しゃくしゃくな愛。神様までも、その愛のふろしきに入ってきて昼寝をすることができ、一年じゅう寝ていても安息所だと夢を見ながら……。 生きて感じることができなければ、夢の中ででも、”理想的だ。千年万年幸福な安息所だ”と思うことができる、愛のふろしきになるということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) さあ、それでは、「堕落」という言葉は、どれほどとてつもない事実であるかということを知らなければなりません。天宙を一瞬のうちに暗黒天地に引っ繰り返してしまったということを知らなければなりません。 皆さんが、数千ボルトの電気を流すスイッチを瞬間的に切れば、「ばちっ!」と大きな音がして「わあ!」と瞬きするのですが、”自分が瞬きしたから明かりが消えた”と思いますか、それとも”明かりが消えて音がしたから、自分の目が瞬きした”と思いますか? どちらが先ですか? 瞬きするのが先ですか、明かりが消えるのが先ですか? 明かりが消えるのが先です。手を引っ繰り返せば、天国と地獄が引っ繰り返るということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) わたしたち統一教会は、「絶対”性”」を論じています。「『絶対”性”』に絶対愛がある」。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) きょうは、何の日ですか? (「『真の子女の日』です」)。「(真の)子女の」です。「(真の)子女の日」が、四十周年になる記念日です。絶対、絶対、絶対、四十年の所願成就が結実する時です。 このように思うとき、そこで「絶対”性”」を守ってきた家庭は、どのような家庭なのでしょうか? 永遠な夢を抱かれた神様のみ前に、夢の世界が成し遂げられる焦点となる位置にいるのではないでしょうか? 分かりますか? (「はい」) その焦点位置は、”私”が祝福を受けて立つことができる位置だったのです。”私”の位置だったのです。考えてみましたか? その位置が、真の父母よりも、もっとりっぱな真の父母になる位置ではないですか? そうでしょう? 一点を中心として……。皆さん、自分を中心としてすべての世界を自分のものにしたいと思うでしょう? 同じことです。神様もそうです。焦点位置に、千人なら千代になるのであり、万家庭ならば万代になるのです。 それゆえに、そこに障害物はありえず、躊躇して心が流れることはありえません。どこに行っても、その喜びは全宇宙の喜びになるのです。 天上天下のすべてに共鳴する喜楽を感じることができ、その位置は、そこを一つの主体として全体が”付体”となり、立体的な喜びを享受する位置なのです。それが永遠を保証する喜びの位置です。それは、神様も「アーメン」と言われます。その位置が、皆さんが祝福を受けた位置です。 今朝、だれか話をしたでしょう? 今朝が、どのような日として天地に記録した日なのか知らないでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)。言ってみてください。先ほど、「訓読会」をした後に、一言でもそれについて話してから降りていかなければならないでしょう? 「この時代における、きょうこの日は何々の日である」と、天地に宣言した日です。それは何ですか? (「家庭王圏出発の日です」) 四十年の間、先生が語ったみ言とともに、真の父母が祝福したのは、真の父母の家庭の種を中心として、もっとりっぱな、歴史的な種となる家庭を願ってきたので、その家庭が定着することができるのは、きょうを期して、今からは祝福を受けた家庭の皆さん、真の父母の家庭と一つになることができる皆さんの家庭になるのです。 それで、”真の父母”という存在は、どのような存在ですか? 成約時代とはどのような時代ですか? 結婚式を完成した時代です。理想的な結婚の内容を備えて定着する時代だというのです。 その理想的な家庭定着を代表した家庭が、だれの家庭であるのかと言えば、”私”の家庭です。皆さんの家庭です。真の父母の家庭よりもりっぱで、素晴らしい希望の家庭ですが、その家庭とは何でしょうか? 天地父母を直接にお迎えして暮らす家庭は、自分の家庭一つしかありません。数万数千の家庭があったとしても、神様は”私の家庭”の父なのです。その父とは、どのような父でしょうか? ”家庭の王”であられる父なのです。分かりますか? (「はい」) 数多くの家庭は、同じ兄弟です。ですから、神様の位置は、「兄弟の前における王たる父」ということです。それでは、その王という位置の価値も、父という価値も、それが千万家庭に分けられているとしても、その家庭の内容は、すべてイコールなのです。 神様の息子、娘、王子、王女の王であられる神様の家庭を中心として、王子王女の家庭は、神様の家庭的希望の花が咲く家庭にならなければなりません。そのようにすることができるように、新しく出発した……。 アダムが堕落せずに復帰完成し、理想的天地を舞台として、新しく出発することができる起源とは何かというと、神様を王として侍り、真のご父母様を王として侍り、完成したアダム家庭として育ち、花を咲かせるために出発するわたしたちの家庭なのです。分かりますか? (「はい」) ここに今、統一教会の家庭が何千人と集まっていますが、何千人も必要ありません。皆さん自身が、ここで一番になることを願っています。そうでしょう? 一等になることを願うでしょう? だれでも一等になることができます。 もし、”一等になることができる人になった”というとき、一等になることができる人に一点だけでも加えれば、また一等が生まれるでしょう? それには限界がありません。限界を無限に克服することができる、真の愛の道理が生じるのです。 オリンピックの百メートルの記録も、昔は十二秒近くもかかっていましたが、最近では九秒八くらいですね。これを見ると、だんだんと記録を破れば、昔の一等が九等、十等になるというのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。九秒かかるものを三秒でさっと飛んでいけば、どうでしょうか? 神様が、それに一等賞を下さるでしょうか、下さらないでしょうか? 下さらないでしょう? (「下さいます」)。下さいません、この者たち。(「下さいます」) このようなときは、「この先生め。『下さる』です」と、悪口を言っても引っかかりません。それに反対するのが、どうして「先生」ですか? 先ほど話した、高く、広く、深く、大きい神様が、愛を慕って訪ねて来られるのが復帰路程です。何が慕わしいのですか? (「愛です」)。愛です。神様は、男やもめの立場ですか、父親の立場ですか? (「男やもめの立場です」) 父親の立場ならば、母親を慕って、愛する何かがなければならないのですが、「父親」という言葉を聞くためには、母親と愛した関係において血筋が連結させてこそ”父親”という位置が成立するのです。 それでは、天のお母様がいますか? 天のお母様がいますか、いませんか? (「いません」)。わたしは”いない”と思います。どちらですか? 「どちらなのか?」と尋ねているではないですか? わたしは「いない」と言ったのですが、あなたたちはどうですか? (「います」)。本当ですか? (「はい」)。やあ、それは、わたしが一つ学ばなければなりませんね。どのようなものがあるのですか? どのように答えるのですか? これが問題なのです。 それでは、「いる」という母親を、どこから捜し出してくるのですか? アダム家庭以外に母親がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 見えない神様の二性性相と、見えるアダムとエバの四人が、このように座っているのですが、無形の実体を持った性相と形状の父母は、有形の実体である性相と形状の存在が絶対に必要です。分かりますか? (「はい」) 神様がいらっしゃる無形世界が、いくらりっぱで良くても、それ(無形世界)を補充することができる有形世界の完全な標的を決定づける内容がなければ、無形世界もなくならなければなりません。 皆さんの心と体は、毎日闘うでしょう? 闘っているのに、なぜ離婚できずに、数千万年もの間、闘ってばかりいるのですか? なぜ、それを解決できずに闘っているのですか? しかし、闘って、闘って、闘い、このように闘っては疲れ、このように闘っては疲れました。自分のために生きるので、闘いが終わらずに、それが継続してきたのですが、もう「ああ、今からは反対にしてみなければならない」というのです。どのようにすると思いますか? 女性は女性を中心に考え、男性は男性を中心として”自分ばかりが良い”と考えるので、何千年たっても闘いが終わらなかったのですが、「ああ、もう闘い疲れて死ななければならないなあ。なくならなければならないなあ。ああ、わたしがしたことの反対のことを一度してみよう」というのです。 その方向は何かというと、「ために生きなさい。ために存在しなさい」ということです。それは、正しい話だと思いますか、正しくない話だと思いますか? (「正しい話だと思います」) 自分のために生きることには、もう疲れました。個人主義も疲れました。自分を中心とした独裁者になって、あらゆることもしてみて、お金を使ってあらゆることもしてみて、金銀財宝や権力であらゆることをしてみましたが、何にもなりません。 自分を中心として暮らした生活歴史が、今まで描いてきたすべてのものは、三百六十度(全部)失敗です。そうして、「このように生きるのがつらければ、死んでみよう」というのです。そのような方向が何かというと、「ああ、自分を中心として生きることをやめ、今からは一度、全体のために生きてみよう」ということです。 そのようにしようとすれば、「わたしが持っているすべてのものを投げ出してしまおう。哀れな存在になろう」というのです。哀れな存在になって、「ああ、神様。私が持っていたすべてのものを失ってしまいました」と言って、えんえんと泣いていると、何かがやってきて一緒にえんえん泣いているのです。それがだれかというと、神様であられたというのです。それは、理にかなった答えです。 人間たち全部が不足であったものを皆集めて、「ええい、この怨讐め!」と言いながら、三百六十度の方向に一度に投げつけ、行く所もなく一人立って痛哭していると、”私”を訪ねてこられるかたが神様だったのです。 そして神様は、「あなたが自分のために生きるときには離れていたが、今は”全体のために生きよう”という、あなたの中心の位置にわたしがいるだけだ。あなたが”したい”と思うすべてのことで、思いどおりにならないことはないだろう」と言われるのです。(「アーメン」) このように、離れていて一度入ってくると、天上の頂上まで上がっていくのです。それで、「神様、もう結構です。結構です。結構です」と言うようになります。 もっと上がっていきたいと思うはずですが、神様が「よし、よし。もう上がっていきたくないだろう。降りてきなさい」と言われて、さっと降りてくると、地獄の底までどんどん降りていくので大変なことになったのです。 今度は、どんどん暗くなっていくので、「もう降りていきたくありません。結構です。結構です」と言うと、神様は「おお、そうか? それでは引き揚げるか? よし」と言われて、昔の位置に戻すのです。そして、「ああ、この位置が良いです」と言うようになるのです。そのような答えが出てきます。わたしが何の話をしているのか、原理にない話をしていますね。 神様に対して、「上がっていくのも嫌で、降りていくのも嫌です。この位置にいながら、今からは全体のために……。神様が願われることは何ですか? あなたを見ると、『全体のために生きなさい』と言うことができる代表者のようです。私がすべて失ってしまうときに慰労してくださるのは、全体のために生きることを願われるあなたなので、”全体のために生きよう”という私の決心を相対として、慰労してくださったのです。 ですから、そのように思います」と言うとき、神様は、「おお、そうか。わたしの息子よ!」と言われるのです。そのようになれば、サタンはすべて逃げていくのです。 そして、天の国が”私”のものになり、神様が父となるのです。そうして、神様の所願成就に適切な生活舞台において、その実を刈り取ることができるようにし、万宇宙の祝福の宝を分けてあげることができるのです。(「アーメン」)。「分けてあげることができない」のです? (「ノーメン」)。答えは、黙っているか、そうでなければ「ノーメン」です。「分けてあげることができる」のです。(「アーメン」)。「できません」。(「ノーメン!」) 聞いて理解していたことも、すべて否定しなければならないということを知らなければなりません。そのように生きてみてください。間違いなく、神様が”私”の主人となられ、天運が”私”を訪ねてくるのです。 姜賢實シルさんも、最近、そのようなことを感じるでしょう? 自分のことを考えれば真っ暗になりますが、全体を考えれば、光が射してくるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 真の父母とは、だれですか? 皆さんは、「今日まで統一教会のために生きてきたが、反対される統一教会のために生涯生きても、誇ることは何もない」。また、「文総裁、真の父母は、『平和の世界のために生きなさい』とばかり言うが、ために生きるのを見たことがない」と感じますか? あるいは、「お父様もお母様も(手本を)見せてくれない。訓読会のときにお父様とお母様が一緒に座って、その時間を守れないのか?」などということを皆、感じますか? ”お父様は座っているのに、なぜ、お母様はあのようにするのか?”と。そのようなことも問題になるのです。 あなたたちは、お父様とお母様よりも「訓読会」を一所懸命にやりますか、やれませんか? どちらですか? (「一所懸命にやります」)。間違いなく、分かっていることは分かっているのですね。夢ではありません。老人も若者も同じ答えです。千年万年たっても、この答えは変わりません。 それでは、何のために「訓読会」をするのですか? 眠っている世界人類を目覚めさせるためです。世界人類が、天上に向かう高速道路から脱線してしまうので、自分が懸け橋になるためにするのです。そのように考えるのです。 自分の一族全員が、罠にはまって地獄の祭物となり、めちゃくちゃになる危険な道を進んでいるので、それを防ぐために、サタンの願いとは反対の道をつくるために、そのようにするのだということを知らなければなりません。 文総裁は元気ですか、衰えていますか? (「元気です」)。何が元気なのですか? 八十歳まで生きて、なぜ元気なのですか? たくさん年を取りました。三十代の青春ではなく、八十の老人になりました。元気な人ですか? 心はそうでしょう。心は青春でしょう? ところが、なぜ体は八十の老人になったのですか? それは、衰えたからそのようになったのでしょう? 天理原則に従わなければならないのです。いくら元気でも、天理原則を踏み越えていくことはできません。分かりますか? (「はい」) 夜になっていくのに、「ああ、太陽よ。反対に西側から東側に行きなさい」と言っても、そのように行きますか? 千万人が死んでも、従っていかなければなりません。 では、先生は元気ですか、衰えていますか? (「元気です」)。ああ、八十歳の老人になりながらも、何時間も話して疲れ切っているのに、それでも元気なのですか? 青春(時代)のように元気ならば、何時間話していても、もっと火がついていくのに、これは何ですか? 気持ちがもっと乗ってこなければならないでしょう? 元気ではありません。 先生が一食食べなくても、おなかは空かないでしょう? (「空きます」)。おなかが空きますか、空きませんか? (「空きます」)。あなたたちも、水を一杯も飲まずに続ければ、のどが渇くでしょう? 飲まなくてものどが潤っていますか? (「渇きます」)。同じことです。 ご飯を食べてトイレに行くのが、どれほど面倒でしょうか? 三時間に一度ずつ行くとしても、一日に八度行かなければなりません。静かに座って記念式をするのに、三時間だけすれば、それでよいでしょう? これは、どれほど面倒ですか。それは、元気な人ですか、衰えた人ですか? 衰えたこと、この上ありません。 自然の道理というものは、自分を支配し、自分の周辺のものをすべて包み込んで身動きできないようにするのです。それに順応しなければ、存続の法度から外れていきます。それは何のためですか? 男性のそれのためであり、女性のそれのために、そのようになっているというのです。分かりますか? 男性が優秀で、「わたしは、永遠に女性がいなくてもよい。女性の愛以上のものをわたしは持つことができる」と言うことができますか、できませんか? (「できません」)。「できる」。(「できません!」)。それができれば、それはどれほど優秀でしょうか? 女性も、(自分が)「優秀」だと誇るなというのです。「わたしは、男性のことを夢にも思わず、娘から最後の枯れ草のようになり、真っ白になっても、わたしには男性は必要ない」と言うのですか? そのように言うのですか、言いませんか? (「言いません」)。しかたがありません。女性として生まれれば、男性を慕わなければなりません。 ここには、女性がたくさんいますね? 男性を慕ってみましたか、みませんか? 女性として男性を慕ってみましたか、みませんか? (「慕ってみました」)。だれのために生きているのですか? 考えてみれば、深刻な問題です。 だれのために、そのようにするのですか? おじいさんとおばあさんもそうであり、女王もそうであり、「優秀だ」という女性も全員そうです。胸があるので、赤ん坊を生めば、それを飲ませてあげなければなりません。 女性には子宮があります。「子宮」とは何ですか? 赤ん坊が眠るので「子宮」と言い、赤ん坊が遊ぶことができる王の基地なので「子宮」と言うのです。その王の基地に、汚された血筋を通した王子がいれば、よいでしょうか、きれいな血筋を通した王子を宿して、ごろごろ動くのがよいでしょうか? 先生のことを「優秀だ」と誇ってはいけません。あなたたちも、先生以上になりたいでしょう? 先生が「五大洋六大州のために生きた」というのですが、最近は、太平洋文化圏だといって、海洋圏を解放するために学校を立ててあげ、船を造ってあげ、太平洋文明の主役になることができるようにしてみようと言うのですが……。それが、今から何年後かに終われば、すべて終わりです。 先生が、すべてしておいたではないですか? 学校も、有名な大学は何でも……。運動でも、一イル和サッカーチームが、今年は一等になるかもしれません。”一等になりなさい”というのが、わたしの考えです。 「一等になりなさい」と言ったのですが、一等にならなければならないでしょうか、なってはならないでしょうか? (「ならなければなりません」)。もし、先生がこのような位置にいれば、一等になっていたでしょうか、なっていないでしょうか? (「なりました」)。できない日には、できない者たちは生き残るでしょうか、死ぬでしょうか? (「死にます」) 一等になれなければ、横になって眠ることができないでしょう? それでは、一等になりますか、なりませんか? (「なります」)。「今年よりも来年は十倍以上し、それから十倍以上して、またさらに十倍以上して、三年以内に一等になる」。そのように言っても、間違った話ですか、理にかなった話ですか。(「理にかなった話です」) 「三年間で南北統一しよう」。これは可能なことですか、不可能なことですか、どちらですか? (「可能なことです」)。可能です。できないときには? 火で燃やして、さっとなくなると考えなければなりません。 いくら先生が優秀であるとしても、今後十年後、百年後になれば、だれでもできることなので、それを誇ることはできません。今だから誇るのです。(すでに)十年、三十年たったことを誇っているのです。それから何をするのですか? 分かりますか? 韓国に暮らしている、この祝福を受けた家庭は、「天下の名勝地で自分のものでないものがない。自分が行けない所がない」と言うときの気分はどうですか? 自分の名前で行けなければ神様の名前で、神様の名前で行けなければ真の父母の名前で、真の父母の名前で行けなければ真の息子、娘の名前で行くのです。 ですから、この宇宙が神様の家庭のために生まれたとすれば、神様の名前によって、神様の父母、神様の孫、夫婦、嫁、そのようになるのではないですか? そこに中心があって、その枝になろうと思えば、真の父母の下に枝が伸びますか、一代、二代の枝になりますか、三代の枝になりますか? そのようになろうとすれば、真の父母の血族と結婚しなければなりません。そのようなことを考えていますか? 姜賢實シルさん? そのようなことを考えていますか? 息子、娘がいないではないですか? 考えだけではいけません。十二弟子よりも良い、神様の何と言うのでしょうか? 養子を選ぶことができるのです。精誠を尽くさなければなりません。それゆえに、霊界の人々もすべて祝福してあげるのです。 霊的結婚した人が、地上で十二人のふらふらしている息子、娘を持った人よりも、もっと忠誠を尽くそうとし、”それよりも良くならなければならない”と思って精誠を尽くせば、地上において解放の恵沢を受け、真の父母の祝福を相続することのできる子女の家庭になるのです。 その家庭においては、間違いなく額を付き合わせて二十四時間、そのにおいをかぎ、足のにおい、何々のにおい、父母が病気になって苦労したにおい、すべてを自分が喜んでもみ洗いしながら侍って暮らすことができるのです。そのような息子、娘にならなければなりません。子供になるのに、父母に侍ることができないそのような息子、娘はいません。分かりますか? (「はい」) それで、写真に侍る運動を何年前から始めましたか? すでに七年たったでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)。(「九二年から八年になります」)。わたしよりももっと記憶が良いですね。わたしは苦労しましたが、苦労しないで記憶が残っていますね。それほど過ぎたのですか? ですから、写真を置いて、毎日のように真のご父母様に侍り、きのう死んだ夫の墓を訪ねて、行ったり来たりしながら暮らす、そのような精誠で保護する生活をすることができませんでした。それを始めなければなりません。 神様は、アダム家庭の王です。そうでしょう? (「はい」)。真のご父母様は、アダムの三代圏内の王です。それでは、真の父母とは何でしょうか? 真の父母とは何かというと、霊界のすべての家庭と、地上のすべての家庭の代表的王となられるかたが、真のご父母様です。(「アーメン」) 真の父母は、どこにいますか? 忍耐するので、真の父母と言うのです。(韓国語で「チヤムプ モ(真の父母)」の「チヤム」と「チヤムタ(耐える)」の「チヤム」が、同じ発音であることから、このように言われる)ここに立っている文総裁は、虎よりも恐ろしく、毒蛇よりもしつこいのですが、真の父母になることができますか? 復帰路程において勝利するためには必要でしたが、平安に休む所においては、そのような性格は必要ありません。ですから、皆さんは、羊よりもおとなしく、天下太平で、それよりも従順にすることができる皆さんになってこそ、祭物なく解放的な祭壇の上において、神様がつくってくださった、血を流さない自然的贈り物を食べて暮らすことができる主人になるのです。アーメン。(「アーメン」)。このようになってこそ、解放されるのです。 先生よりも良いでしょう? 先生の家庭は複雑です。複雑ではないですか? 複雑ですか、複雑ではないですか? 主人が野うさぎを捕まえに行ったのですが、カインを愛するために家うさぎを捨てて歩き回っていると、虎が入ってきて、家うさぎをすべて捕まえて食べてしまうようになっています。 今、先生が「訓読会」をしているものは、先生の一生の戦勝記録だと言ったでしょう? 戦勝記録です。それは、皆さんが一生を生きていくにおいて、困難な方面を経ていきながら……。そのみ言は、先生一人のみ言ではありません。 わたしが壇上に上がるときには、先に口を開きません。それを知らなければなりません。先に口を開くのではありません。題目を考えて壇上に立つのではありません。 祈祷して、「きょうは、この題目で話をしなければなりません。すべて神様が願われるみ旨だったのですが、迫害を受け、反対されるとき、私だけが残りました。ですから、孤独な息子に対されるあなたの願う言葉、伝統的な言葉、このようなときにおいてよく聞き、よく記憶することができる時間ですので、あなたが私の口を通して語ってくださいますように」と祈るのです。このような歴史性が含まれています。迫害されても死にませんでした。精誠を尽くして……。 例えば、黒いものを与えるときには、天下の真っ黒いものが現れるのです。神様の心情が込められているというのです。そこに感動する日には、感激してのどが締めつけられ、心情がすすり泣く境地に入っていくのです。それを読んでみてください。痛哭するのです。痛哭するようになっています。 そのような立場で、皆さんが父母となり、子供たちを教育することができる心情的伝統を啓発させ、それを子供たちの胸や四肢五体に、骨髄に植え付けてあげなければ、罪人になるのです。この地に生まれた甲斐がありません。 宿命的な課題を持った血筋が連結された子女であることに間違いないとすれば、その道を行かなければならないということを肝に銘じることを願います。分かりますか? (「はい」) そして、四十周年となるこの日を中心として、今朝、式をしたのですが、式の途中で先生が訓示した内容はどのような内容ですか? 今から、入籍家庭が出発したので……。堕落した世界を抜け出すのです。 すべての祝福家庭は、アダム完成者として、代表の位置で天地父母に侍り、天の宮法からその国の法を残し、教えてあげるべき生活舞台が始まるのです。このような時代に入ってきたので、「第四次アダム圏の心情世界が出発した」と言ったのです。すべて同じことです。 それゆえに今、国においても国境を超えた南北統一です。国連を中心として世界、国家の定着が一つの路線、一つの年に連結されています。分かりますか? それで、今年の十二月までに百九十一か国を中心として結縁を終えなさいと……。郭錠煥先生? 訓示したことを忘れてはいけません。分かりますか? (「はい」)。そのようにすれば、二〇〇一年から新しい舞台が展開するのです。ここに反対する人や、反対する者は、霊界が連れて行きます。見ていてください。何のことか分かりますか? (「はい」) 今、労働者、農民がどうだこうだと言い、共産党がどうだと言っていますが、もし金キム正日イルが死んだら、どのようになるでしょうか? 北韓は何もありません。金キム日イル成と金正日しかいません。大韓民国は何大統領ですか? (「金キム大中大統領です」)。独立(=南北統一された国のこと)大統領が必要です。分かりますか? (「はい」)。何でも好きになってはいけません。 「このような話をした」と、昔の”国政員”の人たちは報告しなさいというのです。「文総裁がこのように言っていた」と。 天地を一人で受けていき、絶対的中心者にならなければなりません。そのためには、文総裁の所に来て、学ばなければならないでしょう? 嫌でも来て、学ばなければなりません。どのくらい行けるか見てみましょう。わたしは、じっとしているので、どのようになるのか見てください。 今、尋常ではないでしょう? 九月十八日に国連で官僚会議だと言っていたのですが、十月十日にだれかが来て教育するのです。百九十一か国の精鋭部隊の教育を国連の名によってするのです。このような真っ赤なうそが、どこにありますか? そのような話をして、「それが事実だ」と主張する文総裁の生涯は、愚かに見えるでしょうか? わたしは愚かではないですか、愚かですか? 話すのを見ても、理論に合うように話すのです。数理的にも違いません。祈祷してみてください。 自分では理解できない話をしましたが、祈祷して聞いてみれば、すべて歴史的過程にすっかり合うように話しているのです。骨がぴったりと合い、肉がくっつくようになっているのであって、いいかげんにはなっていません。分かりますね? (「はい」) ですから、利口な統一教会の教会員だけが文総裁についていくことができるようになっているのですが、それでも死なずにここまでついてきたのですから、利口な群れですか、偽りの群れですか? (「利口です」) さあ、もう終わりましょう。分かったでしょう? (「はい」) 統一教会の教会員たちは、あまりにも良い天国に行き、神様に直接侍り、造化の神様を代身して行使して暮らすことができ、万国万年の解放の王子となることができる権限を持っているということを知って、そこに向かって飛んでいき、這っていき、走っていく。それは問題ではありません。 走っていくときは走っていき、飛んでいくときは飛んでいき、這っていくときは這っていき、帽子を脱ぐときは何ですか? 脱ぎますか、かぶりますか? かぶらなければなりません。では、服を脱ぐときはどうですか? 神様のみ前にあいさつに行くときには、服を着ていって、あいさつするのでしょうか、服を脱いでいって、あいさつするのでしょうか? (「脱いでいきます」)。何ですか? (「脱いでいきます」)。何ですか? (「脱いでいきます」)。それは、だれから学んだのですか? (笑い) エデンの園で堕落した贈り物が服です。脱いで入っていって、あいさつしなければなりません。もし、服を着て、礼服を着て入っていって、あいさつをして出てくるときには、脱いで愛してから出てくるのです。それが、あいさつです。だれとともに愛するのですか。宇宙とともに、です。神様と一つになって、宇宙とともに同化して出てくるのです。それが解放だというのです。 李相軒氏の話もそのようになっているでしょう? 先生の話と似ていますか、違いますか? (「同じです」)。ぴったり同じですか? わたしも、ぴったり同じかどうか知らないのですが。わたしも、ぴったり同じだと思います。 分からないので、それで一所懸命に「訓読会」をしているのです。分かりますか? (「はい」)。あなたたちは、よく知っているでしょう? よく知っているでしょう? (「はい」)。よく知っているのなら、「訓読会」をしなくてもかまいません。(笑い) 先生よりも良くならなければならないのではないですか? 息子、娘が真の父母よりも良くなることを願うのが真の父母の願いであり、神様の願いなのですから、良くならなければならないでしょう? 分かりますか? (「はい」) 先生よりも、もっと知らなければならないでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。「そうだ」と言うということは、わたしよりも、もっとよく知っているのですから、「訓読会」をしなくてもよいということではないですか? そのように暮らすのですか、反対に暮らすのですか? (「反対に暮らします」)。はっきりと答えてください。反対に暮らすのですか、そのように暮らすのですか? (「反対に暮らします」) 「反対に暮らす」という人は、拍手してみてください。(拍手)拍手するのに、ここから上がっていってこそ、このように拍手できるのです。東西南北に。四方に回りながら続けて踊りを踊りながら拍手するのは、”前提訓練”であるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) それゆえに、わたしたち統一教会は、歌を歌い、踊りを踊り、今からは、それしかありません。何をして暮らすのですか? 食べるものはいくらでもあります。おなかが空けば、南極に行って、えびの粉を持ってきて、さーっと水に溶かせば、カップ一つで、三食食べなくても生きていくことができるのです。 五十年間で百歳以上の苦労をして生きれば、歯が抜けたときには、また歯が生えてくるでしょうか、こないでしょうか? (「生えてきます」)。五十年以上生きることができる健康な歯が出てくると思うのです。ですから、「長生きだ」と誇らず、かといって「短命だ」と落胆もするなというのです。 その根本が待っているので、天上世界で若者として、老人よりも元気いっぱいに仕事をすれば、それが、あの世に行ってもこのように結ばれ、あのように結ばれるので、滅んで万歳、栄えても万歳! 滅んでも感謝……、(「栄えても感謝」)。死んでも感謝……、(「生きても感謝」)。そのように思えば、すべてよいのです。 ”死のう”というところに生きる道ができ、”生きよう”というところに生きる道はできません。最後まで行ってこそ、新しい世界が生まれるのです。それが天地の道理です。死なんとする者は、何ですか? (「生きる」)。生きんとする者は、何ですか? (「死ぬ」)。栄えようとする者は滅び、滅びようとする、つまり他の人が八時間働くのならば、八掛ける三で二十四、三倍仕事をして死のうとする人は、栄えるのです。 今回、わたしは、海洋(国)に行って話をしました。富豪になる道は簡単だというのです。その秘訣は……。 お金が必要なら、今からよく聞いてください。簡単です。”死ぬ前に、普通に豊かに暮らす人の三倍の仕事をしなければならない”、そして”監獄生活をする服役の時代だ”と、そのように考えてみてください。それから、”食べて、遊んで、寝て、そのような時間はわたしにはない”と考えるのです。 寝ようにも寝る時間がなく、遊ぼうにも遊ぶ時間がなく、食べようにも食べる時間がない人です。そのように生きれば、間違いなくお金が入り、それでもお金を得ることができなければ、先生のおなかを裂き、首を切りなさい。 わたしは、そのように生きて、この滅びる世界でただ一人、勝者の表札を掲げて宇宙の中に現れたということを知らなければなりません。「アーメン」です。(「アーメン」)。それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) ”食べて遊ぼう”という者は、盗人です。先進国の者たちは、おなかが張り裂けるほど食べても余りあるものだから、「八時間労働しなさい」と言っているのです。一日に一食も食べられない国があるのに、「八時間労働」ですか? このようにして搾取していき、力のない所から良いものを奪っていくような国を、わたしは見てあげることはできません。 それで、南方天地の太平洋圏を生かしてあげようと思うのです。それで、アメリカとロシアと中共と、それから北韓、日本、インド、四十か国を連結させ、第二世界平和の部隊を編成するための準備をしておきました。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 一年間訓練すれば、犬でも豚でも一人前になります。自慢することではありません。統一教会の教会員ならば、一年ではなく一か月でできます。できますか、できませんか? (「できます!」)。できて余りあるのです。できない者は、手を挙げてください。首を切ってしまったほうが、ましです。(笑い)そのように言っておけば、「挙げなさい」と言っても挙げません。(笑い)それでよいのです。 わたしに、できないことがありますか、ありませんか? (「ありません」)。闘いはどうですか? (「お上手です」)。闘うのも上手なのですか? その闘いに強い人が、どうして教主になれるのでしょうか? なぜですか? サタンが闘ってくるからです。 また、神様とも闘うのです。神様と角の突き合いをして、神様がわたしに負けたので、神様はどこにも行けずに、わたしを助けてくれるのです。そうか、そうでないか、尋ねてみてください。歴史以来、神様を泣かせた人は、わたししかいません。(拍手) さあ、きょうの「真の子女の日」の中で、最も喜びの日は何ですか? 天地父母を自分の家の永遠の主人、永遠の王として侍って暮らすことができる解放的家庭が出発したという、この日の前に、”そのような相続者は、私の家庭だけだ”という決意を誓うこの時間となってこそ、四十周年を記念する「(真の)子女の日」がすべて終わるのです。「(真の)父母の日」も、「(真の)子女の日」も、「(真の)万物の日」も、すべての行事もすべて過ぎていきます。 アダムの第四次アダム圏時代に、何の国があり、何の記念があったでしょうか? そこから全体の出発がなされ、名づけるとおりに、自分が願うとおりに暮らすことができる環境になったので、地上が天国でなくても天国になったのであり、「天国がない」と言って、天上から逃げていっても、天国の中に入っていくことができるのです。 そのような王子、直系の長孫、後継者として選択された家庭となり、神様に侍って、堂々とその王権を授与される相続者なのです。そのことは間違いないということが分かったので、万々世感謝していきます。アー! (「アーメン」)。「メン」と言って、感謝します。(「感謝します」)。「アーメン」と言って、感謝しなければならないでしょう? (拍手)さあ、祈祷しましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.21
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「家庭王権時代」宣布二〇〇〇年十月二十七日(陰暦十月一日)午前七時、ソウルの漢南国際研修院において、真のご父母様の親族代表、大陸会長、元老食口、連合会長、教区長、二世代表等、約二百名が参加する中で挙行された「第四十一回真の子女の日」敬礼式にて、真のご父母様は、天地父母が家庭の王となる「真の父母家庭王権時代」を宣布なさった。真の父母様、第41回「真の子女の日」敬礼式および天地父母様家庭王権時代宣布 祈祷 愛するお父様、きょうは第四十一回、満四十周年を迎える真の子女の日を祝賀する日です。 霊界でこの日を祝賀すると同時に、天地父母を中心として、きょうこの時間を期して、天地にいるすべての人類の先祖、アダムとエバの後孫全体に神様の子女の名分を賦与する大転換式、新しい父子の因縁をこの地上で結ぶという、朝の太陽を迎える喜びの日として制定することを願いますゆえ、お父様……、この日のすべての式典をあなたが喜びのうちにお受けくださいませ。 サタンとその手下たちまでも抱いて愛さなければならないあなたの心の前に、天地父母が備えた勝利圏を中心として、愛の主権国家を定着させなければならない時代を迎え、国家的基準を越えて世界へと越えていくこの時代を迎えております。国連と大洋と陸地、地上と天上世界が統一的なあなたの予女たちの生命を保障できる所有物として、あなたが創造した理想の基準をもう一度復帰圏に立てて、子女の名分を備えたあなたの第二の相続者として、あなたを真の父として侍る日の起源とさせてくださいませ。 お父様、天上世界のすべての万物と地上世界のすべての万物、人間を中心としたあなたの血族の因縁を備えたすべてが、これから世界の国家を越えて、宗教とすべての国境を越えて、統一的な一つのあなたの主権世界へと向かうことができる時代となりました。それゆえ、この地上に存続するすべての万物は、あなたの子女たちに所属する万物であり、収拾されたあなたの子女たちは、あなたの愛に抱かれることができる子女としての名分を備えられる、所有権を再び策定するこの時間としてお受けくださいますようお願い申し上げます。 そうすることによって、海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第四次アダム圏心情圏還元、本然の還元まで宣布して、海洋世界と島嶼国家と半島国家と大陸国家を連結させて、統一的地上世界に向けて、国連に向けて私たちが計画するすべてが南北統一という理想のその場に立って、天の主権を代表する祖国光復の世界的礎石を置くことができる、そのような時代を歓迎でき、祝福するこの時間となりますようにしてくださいませ。 すべての人類は、天に対して、真の父母に仕えることのできる、解放的祝福圏を既に備え、第四次アダム祝福圏時代に入りました。そして、すべての家庭で失った母子関係を母と子が一つになることによって求め、父子の関係を築くことができる復帰的父子時代を迎えることになりました。それによって、神様を絶対・唯一・不変なる真の父として仕えられるようになり、この地上のあらゆる人間の子孫たちが、あなたの血族となって、今まで失敗したすべてを清算して、再び忠孝の道理を誓うあなたの孝子、孝女の家庭となるようにしてくださいませ。そうして、歴史時代のいかなる人も備えられなかった忠孝の道理を備えて、その見本となり、保護育成することができるよう天が導いてくださいませ。 今や、天も残されたすべての恨の条件を踏み越えて、真の父母と天上世界の興進君の前に任せて、あなたは解放を受けることのできる真のお父様の立場に立ってくださり、全宇宙を統治して主管する日となりますように。そして、子女を集めて天に仕えることを決心し、宣言するこの時間を迎えようと願いますゆえ、ここに臨在なさり全体の式を引き受けてくださり、全宇宙に宣布する記念日として策定することのできる、第四十一回真の子女の日となるようにしてくださいますよう切にお願い申し上げます。 全体の食口たちが、お父様の恩賜の中で天地統一圏と解放圏を備えた立場で、あなたの愛の主権国家を中心とした天地父母の前に、孝子の道理、忠臣の道理、聖人・聖子の道理を果たす、直系の血統的子女であることを、そして全天宙の所有物として捧げるわずかなものを受け取られた条件として、子女をお父様の血族を中心としたあなたの眷属に抱くことがでぎる、新しい時代に転換されますように切にお願い申し上げます。 そうして、天地が注目し、天上天下が一つになって、真の父母を中心として、愛の一念で父子の因縁を欽慕できる門を開かれ、霊界のすべての垣根と地上の垣根を壊して、光明な愛の光が全天地を照らしても余りある時代に前進できる起源としてくださいますことを切にお願い申し上げます。 神聖な式典に際しすべてを奉献しながら、これを受けて下さいますよう、真のご父母様の御名により宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 敬礼式 (真の子女の日の敬礼式-二世祝福家庭代表敬礼、天地祝福家庭代表敬礼、摂理中心三か国(韓国、日本、アメリカ)代表敬礼、六大陸代表敬礼、中心宗教代表敬礼、全世界国家メシヤ代表敬礼真のご父母様親戚代表敬礼アベル圏世界代表敬礼カイン圏世界代表敬礼、霊界代表敬礼) み言 一 全体が敬礼を捧げたので、一言語りましょうか。きょうは、満四十周年を迎える真の子女の日ですが、今年の十月も最後の月とならなければなりません。祝福の月であり、解放の月なので……。真の子女の日の四十周年を中心とした今年は、子女と父母の因縁を完全に確立させて越えていかなければならない時です。それゆえ、きょうの真の子女の日の祝賀式には意義があります。 神様と人類は父子の関係にはありませんでした。真の父母も、今までこの因縁を結ぶために歩んできたのですが、これはどこから決定されなければならないのでしょうか? 皆さん、祝福家庭から始まらなければならないのです。祝福家庭から、神様を父として侍り、真の父母を人類の先祖として侍らなければならないのです。内的外的父母に仕え、愛と生命と血統を引き継いで、本然の良心的水平基準、水平に立つことができるその根が九〇度の角度に合わせて定着する、そのような家庭にならなければならないのです。 神様とはだれでしょうか? アダムはだれかというと、家庭の先祖であり、家庭の根本です。それゆえ、今日から天地父母が、家庭の王として君臨するようになるということを覚えておきなさい。 今までは家庭に王はいませんでした。家庭の王が、今後、国家の王の位置を受け継がなければならず、天宙の王の位置を受け継がなければならないのです。そうしてこそ、本然の理想的天国圏が連結されるのだということを知らなければなりません。すべてが王権のためなのです。始まりも王権のためだというのです。 王権は真の父母、天地父母の愛と血縁関係の一体圏となっているため、根や幹や芽のような生命圏を持って、同じ要素と同じ栄養素で育っているのです。共に育っているのです。それゆえ、家庭の王が始まることによって、国の王が連結され、国の王が連結されることによって、世界の王が連結されるのです。今や、入籍時代に入りました。 蕩減をすべて果たして、海洋時代、陸地時代、宇宙時代を中心として、第四次アダム心情圏を還元したため、これから本然の定着時代に入るのです。そうすることによって、子女と父母が一つになり、四十年の峠を越えて、家庭に定着する日を定めて越えていかなければならないのです。それで、きょう、この日は、初めて天地父母が家庭の王として君臨する日であるということを記憶しておかなければならないのです。そのような意味で、この式典に臨まなくてはなりません。 それゆえ皆さんは、今後、日常生活で写真を中心として家庭で真の父母に仕えなければなりません。教会形式ではなく、何かの国家形式でもありません。皆さんの家庭から、教会のみ旨と国のみ旨と世界のみ旨が始まるのです。そのような見本となる血縁的系統を受け継いだ、新しく出発した家庭にならなければなりません。そのようになってこそ、入籍の定着が可能なのです。 今、入籍式をしていますが、今後、入籍した家庭で、初めて天の父母を王として侍るそのような時代に入っていくのです。十月を越える前に、これらをすべて整理しなければなりません。そのために、海洋圏・陸地圏・天上世界を連結させるのです。すべてが平準化時代を迎えたと見なければなりません。 特定の先進国家であれ、未開の国家であれ違いはないのです。均一的な基準の平等の価値が、生活と環境においてなされなければならないのです。世界舞台で統一的な現象が起きなければならないのです。それは何でしょうか? 祝福を受けたすべての家庭は、家庭の王に仕えることができる生活を出発するということです。 赤ん坊から、父母から、先祖、四位基台の復帰歴史は家庭を中心としたものですが、ひたすら神様の愛だけを中心として連結する家庭の見本となって、天地父母を王として侍ることのできるたった一つしかない家をつくらなければなりません。こうして、この家が未来の王権に、国の王に仕えて、この国が天地の大王に仕えて、一体圏、血統的基準を中心とした、地上・天上天国でない所はないという世界に転換する出発を見る日がきょうであるということを肝に銘じ、この式典に参加しなければなりません。 皆さんには所有がありません。自分の物、自分の国、自分というものはないということです。あるのは家庭だけです。家庭に愛を立てることによって、その愛の根源的基準と一致する価値の内容を中心として、自分が連結されるのです。 宇宙全体が一つの核を中心として、剛体として一体となるのと同じように、皆さんの家庭がそのような核の立場に立って万物を愛し、神様が愛でつくり、為に存在するそれらを食べて、消化する主人の立場を備えなければなりません。そうして、自分の家庭が神様の前に愛を中心として一体圏となって吸収され、吸収することができなければならないのです。そのような天地父母、王に仕える標準的、定着的、礎石的な定礎石のような家庭であるということを感じなければなりません。 他人の家庭に王をお招きするのではありません。自分の家庭で、天地父母を王として仕えているという思いを生涯抱きながら生活しなければなりません。そして、訓読会をするときには、そのような意識を持って、子女たちの前において侍る生活の見本とならなければならないのです。そうでなくては「天地父母様の勝利圏を相続した、祝福で受け継いだ祝福家庭なにがしの名前で祈祷します」とは言えないのです。 王に仕えて生きながら「すべての勝利の権限を受け継いだ私たちの家庭を代表したなにがしです」こう言ってこそ、祈祷内容が合うのです。勝利圏とは何ですか? 王権です。私たちの家庭が神様、天地父母に仕える、主に仕える初めて出発した家庭であるということを意識しながら生きなければならないということを知らなければなりません。ここでは三六家庭、七二家庭をすべて克服するのです。 それゆえ、この基準を中心として教会を解体しました。今までは国家体制もありませんでした。大韓民国の体制、道・郡・面・里というものはないのです。それは形式的なものです。それらを結んで仲立ちを頼むだけのものであって、彼らと生命の因縁を結んで行う時代は過ぎました。 ですから、皆さんの家庭が天地の王に仕える標準的な伝統を立てるべき家庭であるということを自認しなければなりません。これは家庭連合から始めなければなりません。口だけではありません。ですから入籍した家庭は、天地父母が苦労した創造理想をそのまま根こそぎ受け継いで、自分の家庭に定着させ、ここで千年万年の国と天宙の前に連結することのできる愛の泉が始まるのです。そのような意識をもって生きなければならないのです。 これからは議論する必要はありません。これはだれもが知っています。原理のみ言、先生の生涯のあらゆる記録を天理の根本として理解し、そこに符合する生活をしなければなりません。自分の日常生活、家庭生活からこの国や世界、どこに行ってもその本源的な事情、その姿がこんがらがってはならないのです。それを知っているのです。 家庭の王となったので、家庭の王に仕えて、氏族の王から国の王、国の王から世界の王、天地の王の立場に王権を解放し、その上に君臨してこそ天地父母の王権が全体解放されるのです。個人時代、家庭・氏族・民族……。永遠の時代の解放圏が成就するのである! アーメン! ですから、統一教会の看板を外したのです。今は世界平和統一家庭連合です。平和というのは水平のことを言います。皆さんの良心は、静かな湖のように水平でなければなりません。そこに垂直が連結するのです。垂直は一つしかありません。中心は一つだというのです。 垂直とは何でしょうか? 先祖アダムを中心としたのが垂直です。おじいさん、お父さん、お母さん、自分たち夫婦を中心として、根に育っている息子と娘が水平垂直を備えて定着することによって、創造理想が完成するのです。おじいさんが孫を愛し、お父さんが息子と娘を愛することによって、神様の創造理想が完成するのです。神様が三代をつなぐことができなかった血統が、初めて皆さんの家庭で連結するのです。三代が一体にならなければなりません。 おじいさんは、旧約時代を象徴し、歴史的にこの時代圏内に染まっています。この時代に染まっているのです。またアダムもこの時代圏内に染まっています。国がなく世界がありません。ただし、これから始まるのは家庭です。 自分の家庭で国を越えて、世界を越えて、神様に代わって愛することのできる愛の因縁を結ぶことのできる父子の関係をつくるのです。それを尊重視して、一つとなっている夫婦関係、そこで連結した子女までが三位一体とならなければなりません。上下・前後・左右の三位一体圏を中心として、神様を王として仕えることができる伝統的家庭が生まれるのです。そのような自分の家庭が一つしかない家庭であるということを自覚しなければなりません。 今後、祝福を受けていない人がいてはなりません。今回、韓国もどんなことがあってもこの期間内に祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。金氏ならば金氏、朴氏ならば朴氏、郭氏ならば郭氏の圏内にいる未婚の男女、子女たちに強制的にでも祝福を受けさせ、地獄に行くことなく天国の名簿に上げなければならないのです。その天国の名簿を中心として、自分の兄や、だれかが国境を越えた所にいたならば、首をつないででも引っ張ってこなければなりません。 皆さんはそれを知らなければなりません。モーセの死体で闘い、イエス様の死体で闘ってきたのです。サタン世界には死体さえ残さないための闘いをしてきたのです。そのような伝統的思想を核とした家庭から外的世界を、祝福を受けていない世界の家庭と連合して彼らを消化しなければならないのです。そうして、自分の一族の基準の根を本然の真の父母の心情圏に連結しなければなりません。そのような本然の伝統的家庭、真の父母の家庭に接ぎ木できる家庭にならなくては、家庭の王から国家の王に発展することはできないのです。 ですから、孝子の中の孝子としての道理を果たすことによって、東西南北に、立体的に権限を備えることができてこそ、愛国的な伝統を受け継ぐことができる道が開くのです。 統一教会員たちは、今までめちゃくちゃでした。駄犬のような連中になったのです。神様の家庭だとは言えません。今は厳粛な神様の家庭として、先生に仕えて生活しなければなりません。そうして実際の生活で、徹底的に子女教育をしなければなりません。何かほかのことがあるのではありません。先生は、行動できなければ病気で処置する時が来ると見ています。堕落すれば、境界線を越えて勝手にできないように隔離生活をさせる時代が来るということを知って、徹底的にしなければなりません。 問題は男女問題です。その次に、公金横領! 国家の財産を略取、会社に通っている人が会社に損害を負わせ、国から給料をもらいながらも、国の利益を願わず党利のために動く輩が、邪悪な国境をつくってサタンの祭物となっているということを考えてご覧なさい。 家庭から落ち着いて行かなければならないのです。今は、平面基準になったので、真の父母が行けない所はありません。境界線がなくなったので、どこの国であれ行けるのです。真の父母がどこに行っても、その国全体が家庭の王として仕え、国の王として仕える解放圏に入ったのです。そのような王の立場を中心として、天宙の王的基準を解放的なこの基盤の上に、地上に国を越えて築いてこそ、神様と天地父母の解放圏が成されるということを知らなければならないのです。 家庭盟誓の八番は何ですか?「私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏を完成することをお誓いいたします」です。成約時代とは何ですか? 家庭定着時代です。旧約時代の願いが、神様を父母として仕え、王として仕え、天宙の大王として仕えることですが、選民圏がそれを蹂躙してしまいました。その恨を解くために、キリスト教文化圏を中心として、再臨主が家庭的王から、国家的王から、世界の王として来られる再臨の時代が成約時代であるというのです。 世界の完成も、国家の完成も家庭から! ですから、自分たちの血統を千年万年子孫の前に大切に残すことができる伝統を立てなければならないのです。いかなる犠牲があったとしても、自分の一族の前に残そうという、そのような決意を持たずしては、王に仕えた家庭の伝統を相続しうる資格者にはなれないということをはっきりと悟らなければなりません。 今、語っている話が、皆さんがあの世に行ったときに審判の言葉となるということを知らなければなりません。これは、判定の宣言文のようなものです。家庭生活をむやみに行うことはできないようになっています。 父親が借りたものや子供が借りたすべてのものは、一族の借りとなるのです。その子孫が借りを支払わなければなりません。ですから、生まれるときも、助けるために生まれたのです。借りを返すために、助けるために生まれたのであって、自分のために生まれたのではありません。そのような子供は、自分たち一族が処断してしまわなければならないのです。北極、南極に隔離してしまわなければならないのです。そのような時が来るでしょう。自分の村で生きられなくなります。そのようなことを知っておきなさい。再び、入籍のようなことはありません。再び許してあげるような法があってはならないということを説明してあげているのです。 そのような意味で、きょう、満四十年を迎える真の子女の日には意味があるのです。真の父母の日もそうでしょう? 四十年を越える真の子女の日に、神様が根源となって、父母に従って縦的にも行くことができ、横的にも行くことができる自由解放圏に立った神様の息子に間違いなく、自分たちは神様を父として侍る孝子、孝女に間違いないという資格を持たなければならないのです。 堕落とは何ですか? 神様の前に孝子、孝女になれなかったのが堕落です。真の父母が来て、初めてこれを成就したのです。それゆえ、そのような伝統を立てるところにあって……、天地の道理の道を照らすにあたり、たいまつを持って中央に向かっていくのです。 個人的中心が一つになるところで、家庭的中心、家庭的中心と連結した国家中心、世界中心、天宙の中心、天の宝座まで直結させなければならない責任を全うすることは、自分たちが幸福へと行く道であるというのです。これが中心的主流の道にならなければならないということをはっきりと知って、そのような道をこれから出発する意味で、昔の習慣的な生活を完全に撤廃し、新しい次元の出発をする記念日として守ってくれることを希望します。 家庭盟誓もそうです。そのようなことを考えながら宣誓しなければなりません。この家庭盟誓とは何ですか? 家庭の王に仕えることができる主人となって、天地父母全体を失ったことを回復するためのものです。 家庭盟誓の二番は何ですか? 孝子・忠臣・聖人・聖子の道理です。その次に、三番は何ですか? 霊界の実相をそのまま相続して、地上に立てなければならない道理です。四番は、一つの家庭で神様の創造理想を完成し、四大条件を中心として統一しなければならないということです。 五番は何ですか? 霊界を中心として統一することです。霊界はすべて知っています。天上世界と地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化するのです。統一に向けて前進しながら、発展を促進化するのです。早くするために、棒でぶん殴りながら行くのです。 今日、このアメリカのような国は、人権を中心としていますが、人権とは何ですか? 神様を愛し、家庭に愛の伝統を立てるその権限が大宇宙の特権です。それを忘れて、家庭を破綻させたこの上なく甚だしい強盗団、放蕩者を保護するアメリカとなってしまいました。できなければ、むちで打ってでも治めなければなりません。育つときに、正してあげなければなりません。自分たちの勝手にはできません。社会が悪なるものをすべて消し去るのです。 そのようなすべてを是正する天の法が必要です。今、善悪を分けるだけの分別の境界がないのです。そのような憲法、法的規律を中心とした統一的な水平線を備えて、神様が三段階、旧約時代・新約時代・成約時代を完成した家庭の理想を中心として、どこでも自由に往来できなければならないのです。自分の家庭を中心として、世界のどこでも、天の果て、地の果てまでも往来できなければならないのです。<文章未整理のためカット> 財団に専門部署ができなければなりません。以前は家庭を中心として行ってきましたが、国家時代に入ったからには、部署をつくらなければなりません。統一教会のすべての産業分野や、教育分野がすべての部署をつくらなければならない時が来ました。国だけきちんと立てたならば、世界の祝福家庭を超民族的基準で設定して行わなければなりません。ですから、韓国語を知らなければならないのです。 先生が祖国を見いだすときには、全人類がご家族になるのです。皆さんの家庭は王権の根です。祝福家庭の立場が王権を立てる基地です。王は王権を立てる基地なのです。王権を立てなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.18
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以北出監五十周年記念及び霊界解放式二〇〇〇年十月十四日午前七時、天宙清平修錬苑にて、薫淑様、霊界の興進様、榮進様、恵進様、喜進様、四大聖人と哲人、賢人たちをはじめとする霊界の代表と、第四次入籍のための祝福家庭夫人特別修練会に参加した約四千名の食口たちが参加する中、真のご父母様は「以北出監五十周年記念及び霊界解放式」を挙行なさった。 記念および解放式準備 (壇上には、真のご父母様のお膳が用意されており、檀下には、興進様を中心にイエス、孔子、マホメット、釈迦、ソクラテス、アウグスティヌスのための七つのお膳が用意された。) 祈祷 愛するお父様! 興南から出監して五十周年になるこの日、霊界と肉界を解放することのできるこの式典を、真のご父母様を中心として、統一教会で信仰を持って霊界に行ったすべての霊人たちと、直系の子女たちと興進君を中心とした四大聖人たちと、功労のあるすべての善霊たちと共に行おうと思います。 霊界で興進君とイエス様を中心としたキリスト教文化圏と、すべての聖人たちが築いた文化圏と、すべての哲人たちと良心的な霊界にいる人々がばらばらになっていたものを、神様を中心として、興進君とイエス様を中心として、四大聖人と哲人と賢人を中心として、それに属するすべての弟子たちが一つになって、これから霊界の統一的な体制を整えるための解放式を地上と一致して奉献いたします。どうかこの式典をお父様がお受けくださり、興進君とイエス様を中心とした霊界と肉界に対して、真の父母の因縁を中心として、地上には真のご父母様が勝利した統一教会を中心として、四大聖人とそれ以外のすべての超宗教的な良心的なすべての人々と、先祖と後世、兄と弟、縦横の歴史を確認することのできる統一のこの式を挙行しますゆえ、喜びのうちにこの式典をお受けくださいませ! 興進君を中心として、霊界の新しい成約のみ言を中心として教育することのできる、霊界の孝元君と相軒君、そして祝福家庭を代表した起錫君と朴鐘久、その他のすべての聖人たちと一体となって、地上に超宗教・超国家的な国連を中心として連合するすべてが一体となるようにしてくださいませ。そして、地上のことは天のことであり、天のことは地上のことであるという、そのように一体的な一つの体制で真のご父母様を中心とした統一解放の式典を備えて、明日から新しい体制に向かった天宙史的な進行が始まるこの式典となることをお願い申し上げます。ここに関係しているすべての子女たちが参加して、この式典を神聖に奉献するにあたり、お父様の全体・全般・全権・全能が示威する中で挙行するようにしてくださいませ! この式典を喜びのうちに捧げる真の父母の願いと真の子女たちの願いが一つになって、天地父母解放圏を備えることができるようにしてくださいませ。そして、全体・全般の上に勝利の栄光だけが共にあることを願いながらこの式典を奉献いたしますゆえ、神様を中心として、興進君を中心とした天上世界と地上世界の真の父母を中心とした一つの統一的一体一族として、新しい心情文化世界を創建する、地上・天上天国の文化圏が出発するようにしてくださいませ。 そうして、明後日、アメリカですべての人種を克服し、宗教を克服するための大会が、ファラカンを中心として行われますゆえ、祝福してくださり、また「ミリオンファミリーマーチ(Million FamilyMarch)」の背後も祝福してくださいませ。すべての超国家、超民族が統一圏を宣言、宣誓できるこの式となるようにしてくださり、国連を動かし、改革するすべてがあなたの掌中に立てられ、勝利と栄光と称賛の解放の世界へと前進するよう願いながら、これらすべてを奉献いたしますゆえ、喜びのうちに受けてくださることを真の父母様の御名により報告奉献いたします! アーメン! 敬礼 (真のご父母様が敬礼を捧げられ、続いて順に、興進様、榮進様、恵進様、喜進様のご家庭が敬礼、霊界の祝福家庭を代表した劉孝元、朴鐘九、李相軒、李起錫代表家庭の敬礼、四大聖人をはじめとした霊界の中心的預言者であるアウグスティヌス、ソクラテス、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロ、ルター、モーセ家庭の敬礼、最後に霊界と肉界を代表した全体の祝福家庭の敬礼に続いて、家庭盟誓が唱和された。) 祝祷 愛するお父様! 本日、二〇〇〇年十月十四日、この日は、興南の監獄から出監して五十周年を迎える記念の日です。この日を期して、摂理のみ旨の中で苦労してきたすべての人たちが、肉界と霊界で、国境線を中心として分かれていたすべてが真の父母の血統的因縁を備えるために祝福を受けて、神様が願われた願いの家庭として入籍を許されました。 そのような時代に、霊界にいる今まで祝福を受けたすべての霊人の家庭、先生の直系の子女たちを中心に、一つの天上世界の興進君を総司令官としてイエス様と一つになって、旧約時代・新約時代・成約時代に摂理史的なアベルを育て、さらにはアベルが主人となることができる、メシヤに出会うことができる、その一時を迎えました。選民圏イスラエルを立てて四千年間苦労してきた基盤の上に、真の父母を代身したメシヤ、一つの真のオリーブの木としてイエス様をこの地に送り、個人から家庭・氏族・民族全体の野性のオリーブ畑のすべてを切って、真のオリーブの木に芽を接ぎ木し、天の真の愛・真の生命圏・真の血統と真の良心圏を中心とした真のオリーブの木と一体となるようにしてくださり、一つの文化と一つの血族を再び復帰完成しようとなさいました。しかし、そのみ意が成し遂げられていないということをよく存じております。 選民イスラエルの中心、メシヤと真の父母としてこられたイエス様が、この地上に民族を統一できる家庭的基盤を備えて、イスラエル国とユダヤ教が一つになって、天国の民と主権と国土を地上に立てることによって、万国解放を中心とした世界へ発展し、出現しなければなりませんでした。しかし、そのような摂理史的な地上天国と天上天国の一体文化圏、愛の心情的天上・地上文化圏を形成しようとしましたが、それを築くことができず、再臨を待つ……、恨めしい二千年の路程に、数多くのユダヤ教徒と数多くのキリスト教徒たちが血を流してきたことを思い起こします。 それが、人類史においてはあってはならない悲しみの時であったということを私たちは知っております。この時代を延長して成約時代を眺めながら、二千年間、新しい文化創造のためのキリスト教を中心とした第二イスラエル圏の拡大は、個人から家庭・氏族・民族・国家・世界まで、霊・肉を中心とした統一圏ではなく、霊的統一圏を中心とした基準である地上のキリスト教文化圏を中心として旧教と新教が一つになり、第二次大戦に枢軸国を中心とした日本とドイツとイタリア、連合国を中心としたイギリスとアメリカとフランスが一体的な立場に立つことはできませんでした。 そうして、イエス様の体が分かれて、霊界は神様、地上はサタンが全権をもって闘ったこの闘いが、最終終着点を迎えました。そして、霊界の統一圏と地上のキリスト教文化圏を中心とした統一圏の上に、ついに霊・肉の実体完成のため、霊・肉の実体家庭と霊・肉の実体氏族・民族・国家・天宙的な勝利の覇権を立てるための再臨の役事を中心とした、真の父母がこの地上に顕現しました。また、それと同時に、天の新しい祝福に続いて、新しい血統的因縁を結ぶための真の家庭世界化のために、真の父母の家庭を中心としてすべての天と地が分かれ、すべての家庭と全体の境界線に遮られた天地の断絶を除去するための四十年の歴史路程において、家庭をエサに天国に再び入城するための勝利の覇権を備えた基準を再び迎えることによって、全世界人類の前に新しく真の父母を中心として家庭的に接ぎ木するという役事を行いました。 それによって、真のオリーブの木の種から真のオリーブの木の幹と芽を中心としたこの中心的勝利の大道を築きました。そして、野生のオリーブを真のオリーブの木の家庭に接ぎ木することができる勝利の覇権時代を、あなたの愛を中心として、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の天理に沿って、心情的な一体を標準とし、神様の真の愛を中心として、真の父母の生命を中心として、真の血統の因縁を連結させて、すべての良心的な一体圏上で父子の因縁の家庭を天と地に共に夫婦と兄弟子女たちの上に備えることができる、勝利のあなたの地上・天上天国を顕現させて、あなたの愛の主権の前に帰一させなければならない歴史的な再整備に向かっております。 韓国においては、南北統一、世界においては国連統一を中心として、地上に統一圏を備えたそれを天上世界に備えることができる解放の権限を、既に真の父母と興進君を中心として祝福家庭、すべての母と息子、娘を入籍させて、祖国光復という天上世界と地上世界の真の統フ的解放世界を備えることができるように命令なさったすべてがみ意とされる中で勝利の因縁を備えて、そこに順応する天上・地上世界のすべての家庭は、神様の創造本然の心情と一致して絶対信仰・絶対愛・絶対服従の心から創造なさった神様の立場の代わりをすることができる家庭、永遠不変の絶対信仰的家庭、絶対愛的家庭、絶対服従的家庭を備えて、千年万年至誠を尽くす孝子、孝女の家庭を一つとして勝利の全体の実として受けてくださいますよう切にお願い申し上げます。 それゆえ、霊界にも新しい体制を中心とした統一的基準と地上にも統一教会を中心とした超宗教超国家連合を中心として、国連を中心とした統一的方向に、一体・一心・一身となるようになさり、地上に真の父母圏を中心とした定着時代を築かなければなりません。そのために、今後、国連の名前と超宗教国家の名で、全世界の国家を教育することのできる大きな十二の門を開くことができる解放時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝申し上げます。 真の父母の伝統的思想と心情の一体圏を体恤するための訓読教育をする全世界の上に、勝利と栄光が共にあるようにしてくださいませ。そして、これを協助するため天上世界の祝福家庭の立場に立って、地上のアダム家庭が完成できるように、先祖たちは祝福を共に受けたすべての子孫の家庭を守って、鉄石のような橋となして、天使長が行えなかったことを家庭的な基準で保護育成することができる、家庭的責任を完成させることができるようにしてくださいませ。 それによって、天使長だった悪魔サタンまでも、人類の最後の道に従って天国に行くことができる道を解放しますゆえ、全天上天下にある悪の権限は、興進君を中心としてキリスト教を中心とした宗教圏の四大聖人、良心圏、すべての哲人圏全体がこの権限の方向を共にして、天に向けて一方向に直行することができるようにしてくださいませ。この時間、出監五十周年となるこの日を記念して、霊界と肉界において出獄解放とともに、統一的な民族天宙解放のこの式典を持つことができるようにしてくださったことに感謝申し上げます。すべての霊人たちと地上人が一つになって、天の前に栄光を捧げ、勝利の式典として奉献いたします。 すべてを総生畜献納の物として奉献いたしますゆえ、愛を中心とした主権の王の中の王となって、これらすべてを真の父母の名で奉献したものを受けてくださいますよう切に請い願いながら、この日すべての天地と全体の霊人世界、地上世界の祝福家庭たちが集中したこの場に天の勝利の覇権を天宙全体の前に宣布することを精一杯受けてくださいますよう、切にお願い申し上げます。 これから、神様の全権の権限を中心として、興進君と真の父母が一体となって、天地解放の日々を祝福に向けて前進、前進するようにしてくださったことを感謝いたしますゆえ、喜びのうちに全天宙は天地父母の勝利の足跡について、永遠に地上・天上天国の大路を前進できるように、解放と統一の行進となるようにしてくださることを真のご父母様の宣言とともに切にお祈りいたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 霊界祝福を受けた人々の相対にあたる人たちは、きょうから地上に来ることもでき、ここで祈祷すれば通じる、そのような時代に入りました。共に生活できるように許したのです。 そのためには、意を同じくしなければならず、思想が同じでなければなりません。そうして、祝福家庭を中心とした霊界と肉界が一つの体制になるのです。ここにいる真の父母が地上に築いたものを霊界に連結させて、そのようになったのです。 先祖にあたる霊界にいる人々は、天使長の立場にあるので、本来は、堕落した天使長圏内の先祖たちには祝福はありません。しかし、祝福を受けた家庭は、地上にいるアダムの後孫……、地上のアダムが完成した真の父母を中心とした血族の因縁を中心として見てみると、同じ血筋の因縁を受けましたが、彼らが先に逝ったことにより天使長的立場で祝福を受けた家庭になるのです。 それゆえ、これから統一的な儀式をすることによって、どのようなことが行われるかというと、霊界の先祖たちが地上に来て祝福を受けた家庭を協助することができる時代に入るのです。天使長がアダム家庭を育てて、天に侍って入っていくのと同じように、霊界の祝福を受けた先祖の家庭たちが地上に来て、祝福家庭たちを保護するのです。ですから、祝福家庭、個人や家庭、氏族を世界圏内のサタンの子孫たちがむやみに打つことはできません。 ルーシェルはサタンとして天の前に背いた立場にありましたが、今や屈服しました。しかし、その手下たち、残党たちが世界に数えきれないほどたくさん広まっており、今に至っても、つかんで放そうとしないのです。 それゆえ、天使長の立場で、堕落してサタンになった偽りの父母が、偽りの愛を中心として偽りの生命圏、偽りの血統を残し、このような結果が現れたために、真の父母が霊界に行った先祖たちを祝福してあげることによって、天使長が持っていない家庭基盤を持つようになるのです。ですから、天使長がこの家庭に仕えるようになっているのであって、侵犯するようになってはいません。 その天使長の家庭的立場に立てられた先祖を十四代まで解怨して祝福してあげました。今後、二十一代まで祝福すれば終わりなのです。ですから、これから十五代から二十一代までは、皆さんの家庭が解放してあげなければなりません。真の父母がこの地で完成時代において自分の先祖と後孫たちを解放したのと同様に、皆さんは残り二十一代までを解放してやり、その次にはサタンの残党を追放してしまうのです。 サタンの残党をだれが追放するのかと言えば、天使長の立場にある祝福家庭である皆さんの先祖たちです。先祖たちが地上の祝福家庭を保護すると同時に、祝福家庭になったことを……侵犯したサタン世界は、祝福家庭圏とは関係ないために追い出すのです。霊界はもちろんのこと、地上もサタンの残党を追い出すための責任を負い、祝福を受けた皆さんの先祖の家庭が地上に来て、霊界と肉界に統一的な形態で役目を十分に果たしていくのです。 サタンの残党たちもここに順応していき、終りの日には、霊界と肉界が解放された暁には、天の前に戻ることができる道を……、もちろん次元は違いますが、そこに法を新たに定めて、天について入っていくことのできる道を許すのです。そうすることによって、サタンの残党までもが天の前に戻ってくることによって、サタン世界を根絶することができるということを知らなければなりません。そのために、この統一式をしなければなりません。 ですから、皆さんの先祖たちの……、地上にいる相対たちがここにいるのです。霊界にいますが、ここにいる人たちの相対が地上に来て、一つになることができる生活を統一化することによって、霊的世界と肉的世界を統一した、一つの祝福家庭の心情文化世界が地上から天上世界の解放圏を築き、地上世界が完全にきれいに整備され、霊界が完全にきれいに整備され、サタンまでも方向を中心として一つに戻っていくことができるという立場に立つことによって、真の神様と真の父母、天地父母解放圏が始まるのだということを知らなければなりません。 ですから、皆さんは生活するにあたり、一人で生活するのではありません。侍って生きるのです。男女が結婚して、夫婦として共に生きる生活様式をとっていけば、皆さんの家庭に訪ねてくることのできる自由環境となるはずです。そうして皆さんが霊界のみ旨と一致すると同時に、地上の真の父母のみ旨と一致して、教祖たちも訪ねてきて生活するのです。 今、霊界には、四大聖人たちを中心として、それ以外のすべての聖賢たちがいます。宗教圏を中心とした四大聖人たちを中心として、三分の一、百名いるとすれば三十三.三三パーセントにあたる、そのような人たちを六月十三日、南北首脳会談を行う前に祝福することを許しました。すべてを祝福したので、その祝福を受けた人々は、今後この式が終われば、地上に訪ねてきて、皆さんに仕えて生きることができる環境が連結するのです。 それによって、地上にも一つの文化圏、全体統一的な天上世界の組織が編成されます。また、それと同時に、霊界の基準を中心とした、地上の統一を協助してサタン世界の整備活動をすることによって、今まで統一教会に反対した環境が消えてしまうのです。 それでも反対する人々は、先祖たちが黙ってはいません。今や、蕩減時代は過ぎ去りました。蕩減時代がないのです。アダムとエバが堕落したときに蕩減時代があったとすれば、そこにとどまっていながらアダムとエバ時代に復帰することができていたかも知れません。しかし、今までこのような地獄現象が起きていない世界において、神様の法に蕩減法はありませんでした。 それと同様に、皆さんもこれから家庭が入籍し、一体的な五十年の解放記念日を中心として祝賀することによって、全体の解放的基盤を一元化させる、天上世界と地上世界が一元化されるということを知って、皆さんがそこに合わせて生きなければなりません。 これからは、先生が、真の父母が必要なのではありません。アダムとエバが失敗して血筋を汚し、それによって地上地獄と天上地獄がつくられました。それを先生が、真の父母が、祝福で解放してあげることによって、天上地獄撤廃、地上地獄撤廃をする時が来たため、イエス様が行った楽園と中間霊界、地獄は完全に撤廃されたのです。なくなるのです。 そうなれば、真の父母と神様が一体となった家庭を中心として、天上・地上に父母の立場を中心として、先生の直系の子女たちと、皆さんの直系の家庭たちと、皆さんの家庭が一つになったその上に、カイン・アベルである天地が一つになった上に、真の父母が立つことができるのです。 それを実現するためには、南と北がカイン・アベルですが、どのようにしなければならないのでしょうか? エバが堕落したので、エバと自分の息子、娘を中心として、家庭で失ったものを結ばなければなりません。ですから、国家メシヤは世界にいる……その国の民を中心とした母親の立場で、アベルとカインを一つにし、ついに世界の国家を連結させることができるのです。 世界の国家メシヤたちが、南北統一のために韓国に入ってくるのですが、国家メシヤは自らの任地国家で母親と息子、娘と一つになって……。カインを愛することができるアベルと一つになって、母親が一つになって、父についてどこに行くのでしょうか? 祖国光復のために韓国に入るのです。 アダムとエバを中心として、カイン・アベルのせいで失ってしまったため、そのようなことができる世界の中心国家を占めなければならない立場に立つことによって、世界の国家メシヤは夫人を中心として、息子と娘が一つになることができるようにし、世界国家と中心国家と祖国とを結んであげるために、夫が韓国に移動するときに夫人もついて入って入籍するのです。 ところが、入籍するにあたり、夫には入籍する資格はありません。まだ、国を得ていないのです。これをはっきり知らなければなりません。現在、入籍する人々は、今後、国家メシヤでなければ、氏族的メシヤとしてその国に行って仲立ちとなってくるのですが、先生がすべて蕩減してあげたために、条件だけ立てたならば国家メシヤたちは祖国光復のために入ってくることができるのです。しかし、完成したアダムではありません。 完成したアダムと完成した家庭ではなく、国を失ったのはエバとカイン・アベルです。アダム家庭が国を失い、イエス様時代に国を得なければならなかったのですが、イエス様時代に国を得ることができなかったために、再臨主時代に得なければならないのです。旧約時代・新約時代の失敗を成約時代に完成するためには、教会代表の第一イスラエル・夫、第二イスラエル・イエス様・夫、第三イスラエル・真の父母・再臨主・夫、この三時代の父母を連結させることができる蕩減条件と血統的な内容が霊界と肉界で一致したのです。それゆえ、皆さんの家庭においては、まだ国家を中心として、世界的メシヤである真の父母の前に、天を中心として国家で分かれた基準を迎えて蕩減しなければなりません。 これを蕩減するためには、だれが先頭に立たなければならないのかと言えば、母親が先頭に立たなければならないのです。母が外国に行ってカイン・アベル国家圏を自らの息子と連結させる条件を立て、韓国に来て、世界でカイン・アベルの基準を中心として一つになってきたお母様が、アベルの立場に立って韓民族を、カインの立場を消化しなければなりません。だれがするのですか? 母親がしなければならないのです。 それで、カイン・アベルを一つにして、その上で夫を復帰して立てなければなりません。夫をどこから追い出したのかというと、アダム家庭から追い出したのです。それは、国家家庭から追い出したのと同じです。家庭と国を失ったために、家庭的基準を連結させる世界舞台から本国に訪ねてきて、国家基準を代表する女性たちが率先してカイン的国民をアベル的外国のカイン・アベル基準を持って結んでおいてこそ、ついに母として国家基準でカイン・アベルが一つになるため、その後に、立つことができるのです。 そこには他の考えがあってはなりません。どこかの朴氏、金氏の夫人ではありません。この女性たちはだれですか? どこに属していますか? 皆、自分の夫の話を聞いては絶対にいけません。命令できる立場ではありません。家庭的基準は命令できるかも知れませんが、国家的基準はすべて真の父母の命令に絶対に従わなければならないのです。これは真の父母によって転覆するのであって、自分の夫によって転覆するのではありません。 ですから、女性たちが先頭に立ってカイン・アベル、世界的に国家的メシヤの基準で連れて入ったそのカイン的息子と自分が生んだ息子が一つになって、それに乗って、(本国に)入ってきて母が解放されるのです。国家基準になってはメシヤ、真の父母の命令に絶対服従しなければなりません。真の父母になぜ服従しなければならないのでしょうか? 真の父母が国家的基準と世界的基準の道をすべて築いておいたために、それを絶対的に信じて行動するならば、三年、四年以内に完全に整備されるのです。整備されなければ国が誤ったのであって、私たちの過ちではありません。 それで、絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。だれに対してそうしなければならないのでしょうか? 神様はこの宇宙を創造するとき、絶対信仰・絶対愛・絶対服従して創造されました。神様が投入しては忘れ、また投入しては忘れてしまい、永遠に忘れてしまいながらこの大宇宙を創造なさったように、皆さんもそのような立場で真の父母の命令に絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければならないのです。 自らのすべてを投入して、投入して、もっと投入しようとしてこそ、この真空状態がだんだんと大きくなって、自分が投入して外的に積んだすべてが種となり、世界のすべてが入って、これを満たしてくれるのです。それで、満たされたこれらすべてが世界に連結することによって……、私の一体圏を築くことによって、残った私、相対も私という立場に立つことができるために、解放圏が展開するのです。はっきり知らなければなりません。 こうして先生の命令を守って、国民を完全に統班撃破しなければなりません。既に統班撃破に関する内容は知っているはずです。本来は、十二年前からこのことをしようとして統班撃破組織を二度もつくっておいたのですが、全斗煥、盧泰愚、金泳三、この三人がすべて砕いてしまいました。ですから、再び編成しなければならないのです。 再び編成するためには一次、二次、三次までなので、これは何かあったとしてもしなければなりません。しなければ問題になります。しなければ、皆さん自身も問題になりますが、大韓民国と北朝鮮の地を天の地として奉献することができないのです。ですから、どのようなことがあっても皆さんが一体となって、先生の心と一つになって行わなければなりません。そうすれば、一つになることができるのです。 では、何で一つにすることができるのでしょう? 国境撤廃をして、何で一つにするのかと言えば「怨讐を愛する」ことによってです。この国民は先生を中心として四十年間、(大統領)八代を経て反対してきた怨讐の中の怨讐です。これらを愛さなければならないのです。 愛するには、自分の一族よりも、自分の子供よりも、自分の夫よりも愛することのできる立場に立たなければなりません。そのようにして愛する、その目的は、真の父母の後について峠を越えていくためなのです。峠をだれが越えていかなければならないのかといえば、真の父母に従って自分の妻が越え、子供たちが越えていかねばならないのです。 夫はこの四年間、母親と子供たちが働くにあたり、あらゆる精誠を尽くし、自らの骨を削って、骨髄までも絞るような犠牲を払ったとしても助けてあげる責任があるのです。 自分一人だけでしてはならないのです。皆、一八五家庭ずつ祝福をしてあげました。この一族を結び、一族の母となることができる、この方が活動できる解放的権限を持つためには金氏全体を総動員しなければなりません。朴氏全体を総動員しなければなりません。父親が金氏で、母親が朴氏ならば、まず朴氏一族を解放できるようにその夫も後援しなければならず、そうして夫が復帰されていくときには、朴氏の解放された母親とその息子、娘の基盤全体が夫と父の一族を祝福しなければなりません。 十六歳以上の未婚の男女たちは、祝福を受けなければならないようになっています。どのようなことがあっても、祝福を受けなければなりません。受けなければならないのです。おばさんたちですから、大丈夫です。「こら、おまえは金氏じゃないか。うちには姪も孫もいるんだよ。うちとおまえのところは同じ『氏』じゃないから、かまわないだろう?」このようにしてやりなさい。世の中が青少年問題、家庭破綻でだれもがみな地獄に落ちていくようになっているのに、それを知っているからには、金氏の血族、朴氏の血族のすべてが強制的にでも祝福を受けるようにしなければならないのです。 エジプトに入っていたイスラエル民族が、出エジプトをする日を定めて出ていくように通告したのですが、行こうとしなければ喉首を締めて、逆さにして足を縛ったとしても行かせなければなりません。出動して、十里でも進んだならばエジプトで死ぬことはないのです。エジプトで死ねば永遠の地獄です。境界線を越えさえすれば、死んだ死体であったとしても、イスラエル一族に属するということを知らなければなりません。 そのような深刻な時に入ったのです。霊界のすべての聖人、君子、神様までもが聞いているこの場なのです。ですから、真の父母の命令に絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。だれを愛するのですか? 自分の夫、自分の子供を愛するのではありません。エデンでエバが地獄に行ったため、男性の代表を愛さなければなりません。男性の代表が真の父であり、真の父母です。 真の父母はその国の王です。アダムが王になるはずで、おじいさんになるはずで、お父さんになるはずで、夫になるはずで、お兄さんになるはずだったのです。その次には、息子になるはずだったのです。いくつですか? 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つです。これらをすべて……、男性という「種」はすべて否定しなければならないのです。 今までの皆さんの結婚は、天使長を中心とした霊界の先祖と同じような立場でした。ですから、再び国を中心として否定しなければなりません。それゆえ、自分の夫を夫だと思ってはなりません。サタン世界の国を代表した天使長だと考えなければならないというのです。天使長ですが、悪魔サタンではありません。祝福を受けたので、霊界の協助を受けて、地上完成国家を復帰しなければならない責任を負っている、アダムの体半分を持っているのです。 これをだれが脱がせてあげなければならないのでしょうか? エバが、アダムの十六歳以降にサタンの体を中心として人類を繁殖したことを蕩減してあげなければならないため、母と子が一つになって父の体の半分を、国を探すことによって、国を越えて体を接ぎ木したのと同じだという公認を受けなければなりません。そうして、ついに越えていきながら、再び結合することによって、解放的地上天国の家庭が完成し天国に入っていくのです。 適当にやっては駄目なのです。数学の問題を解いていくように、公式通りに解いていかなければなりません。行くようになれば、自分の子供、夫を勝手にはできません。自分の夫ではありません。これを、行けなくしたならば、悪魔の中の悪魔です。家庭から脱落させます。いくら入籍しても、逆に別の世界に隔離されるのです。 皆さんは、家庭の立場で、夫の基準に該当しうる立場で祝福を受けましたが、本然の天国に入っていくことができず、家庭的天国に入っていくことができません。家庭的楽園圏内に入っていくのに、楽園では自分の一家庭、一族が連結されておらず、国家が連結されておらず、世界が連結されていないのです。その場で、楽園的家庭になり、楽園から中間霊界に入っていくのです。今、聖人たちも中間霊界に入っています。 そのような霊界にとどまる環境があり、その次には地獄があります。獄があります。監獄が生じたのです。監獄があるのですが、サタンの主管下で、永遠に地獄に落ちて固着するのではありません。自分の父母や兄弟たちが、涙を流して後孫たちを手助けし、また、自分の後孫たちが精誠を尽くしたならば、上下から押してくれることによって解放されうる道が促進されるのです。 次から次へと座っているところを土で埋めてくれるので、そこが埋められ水平になるまで協助することによって、その地獄に入っていた家庭が解放されるのです。自分の先祖たちが霊界に行っても、すべてを先祖として仕えることができる絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道に従ってこそ、天国の自由解放圏を迎えることができるのです。 それで、カイン・アベル、第一次として、国家メシヤとして自分の息子、娘たちが一つになって祖国に入り、第二次として、アベル的立場で母親が投入し、カインの兄弟が投入して、大韓民国をカイン的立場で一つにしなければならないのです。 このように一つになったアベル圏がついに南北を統一することができる息子の立場に立って、南北とアジア、全体世界を蕩減することのできる祭物的過程を経なければなりません。それで、蘇生・長成・完成過程を経てこそ、初めて母が旧約時代解放、新約時代解放、成約時代統一天下圏に進んでいくことができるのです。 このように、国家時代を越えていくことができる聖人たちは、今まで相対がなく一人暮らしをしてきました。国家を越えることのできる、その基準を先生が別途に準備したのです。ですから、先生には主権があります。天国と地上の国のその主権が行く道を知って、その次には民として数十億人が祝福圏内に入りました。 このように国民もいて、主権もあるのに土地がありません。土地は、南北の地が必要ですが、それが一つにならなければ、南北にいる民をすべて切り捨ててしまいます。イスラエル民族を切り捨てて、第二イスラエル、キリスト教文化圏を中心として出てきたのと同じです。この韓民族が、祖国光復に貢献しなければならないという責任を果たせなければ……、イエス様を十字架にかけたのと同じように、主権と教会が一つになって先生を追い出したにもかかわらず、自分たちを助けてあげようとしているのに、それでも服従しなければ、その地は捨ててしまうのです。第三イスラエル圏を中心としたその基地は南米です。南側です、南側。 南北アメリカが一つになれば、旧教新教が統一圏に入るため、これを中心として百二十万ヘクタールを国連の土地として奉献しようというのです。これが設定されたという事実は、韓国の南北が反対しても、イエス様が死ぬ立場には立ちません。イエス様の時代に国を中心として責任を完遂し、天上まで大道を築いておいたため、その国がついてこなければ仕方なく切り捨てて、今後、大移動が行われるのです。試験をしなければなりません。入籍したおばさんたちがこれを知らなければなりません。 第一次で自分の息子、娘を連れて国家メシヤの責任を果たして、そこに感動した人たちをすべて一つにしたので、アベル的な立場で夫について大韓民国に来て、母と息子、娘たちを国家的な基準で結ぶのです。外国でカイン・アベルが一つになったものをアベルとして立てて、大韓民国の国民を中心として二次的に結ばなければならず、これが一つになれば大きなアベルとなって、韓国が北朝鮮を消化して、中国、モンゴルを含んだアジア圏まで消化しなければならないのです。これは自動的に消化するようになっています。 北朝鮮を自然屈服させれば、世界が国連を中心として連結することができる道がしっかりと開かれるのです。それで、このような境界圏内の三角地帯にきたために、先生は大急ぎで国連を中心として、国連途上に登場し、国境撤廃と統一天下の理念を宣布したのです。 その次に「NGO」とは、Non-Govermental Organization(非政府機構)です。国連に派遣されている大使たちは、国を代表した大使たちです。国連は死んだ牛のようになっています。国を代表した大使たちが狂った犬のようになりながら、自分の好きなように暴利をむさぼろうとして争い合っています。それでは駄目なのです。 国家を代表した大使たちは、カイン的立場に立って、天を代表した上院制度をつくらなければならないのです。この頂上で、より世界のために生きている人たちが、国家のために生きる人たちを世界のために生きることができるように方向を定めてあげることによって、天のために生きることができる道を行くようにしなければならないのです。そのような真の父母が登場して、ここに定着することによって、神様と真の父母を中心として地上・天上天国に祖国光復の基礎が定まるのです。 では、なぜ皆さんはジャルジンに行って四十日修練を受けなければならないのでしょうか? それは、受けなければなりません。今まで世界に連結し、韓国を中心としていたこれ(摂理)がもし途絶えるようなときには、祝福家庭たちが全滅するのと同じことになります。ですから、ジャルジン四十日修練を受けなければならないのです。これも四位基台復帰です。 父母と息子、娘を連れてきて、何千年、何万年の間、ばらばらになっていた父母たちが、初めて四十日間で一つになるのです。夫も妻も自分勝手、息子と娘も自分勝手、父母と子女が自分勝手に生き、すべてばらばらに分かれていたものが、初めてここで統合整備された家庭の形態を備えるのです。 そのようにして、真の父母に従って、北から始まって南に行き、世界を一回りしながら築いてきたものを、すべて縛って、反対なく韓国の地に入って統一天下の原則的な家庭基準を中心として、アダム時代、イエス様時代に国家的基準のすべてを蕩減することのできる役事を、最後の峠を越える角突き合いをしているのです。 この国にいる女性を中心とした息子、娘と、この国の民族、また、来るべき真の父母と一つになって天がここに共にあるとき、真の父母と堅く一つになった暁には、サタンがいかに、どんなことをしてきたとしても押し出されることはありません。天がすべて処理してくれます。 この者たち、自分勝手に息子、娘を大学に送って出世させようとしているが、出世などできない! 大学に誤って通った人は、今後、蕩減を受けなければならないということを知らなければなりません。その批准に、皆さんの出世の立場が決定される歴史的時代が待っているということを知らなければなりません。 そして、もっと厳格なことは、国に入籍できるか、できないかということなのです。その問題がかかっています。先生のみ言と一つになって、天上世界の世界圏を相続でき、国に忠孝の道理を尽くしたのか尽くさなかったのかという基準を中心としてこそ、それを越えることができるのです。ただのやじ馬のようになってはならないのです。 今でもそうではないですか? 祝い事の日を迎え、貴賓を招待したのに、呼んだ人が一人も来ないので、通りすがりの人をだれかれかまわず呼び込んで、お祝いをするのです。そして、モチを何個ずつか食べさせてあげ……礼服を着る人の行列をつくるときに、礼服が着られない人は回っていかなければなりません。礼服とは、蕩減の恵みです。 では皆さんは、どうしなければならないのでしょうか? このおばさんたちがどのような立場なのかというのです。このおばさんとお母様の関係は何ですか? お母様は本妻です。皆さんは、妾のようなものですが、妾といっても先生が妾を愛するわけではありません。先生が愛するようなことはありませんが、皆さんにとって先生がだれかと言えば本来の夫です。 本来の夫ですが、本来の夫がだれと結婚したのかといえば、自分のお姉さんと結婚をしました。それがお母様です。皆さんは妹の立場です。ヤコブ家庭においては、お母様はレアの立場にいますが、レアは妹のラケルから洗いざらい奪い取りました。しかし、今回は反対です。お母様は姉の立場に立って、天に仕えて、真の父母に仕えることのできるお母様の立場に立って、妹たちの恵みを略奪するのではなく、天国の恵みをすべて天に代わって分け与えなければならないのです。それゆえ、(皆さんは)お母様の分身だというのです。 女性という動物たちは、お母様のことも愛しますが、先生をお母様よりももっと愛するようになっています。統一教会の女性たちは「女おばけ」たちなのです。この女おばけが人の霊人体にならなければならないのですが、そのような霊人体になるためには、お父様をだれよりも愛するのです。しかし、後になってはお母様をお父様よりも愛してはならないでしょうか、もっと愛さなければならないでしょうか? もっと愛さなければなりません。 どうしてもっと愛さなければならないのでしょうか? 赤ん坊として生まれたならば…………、生まれた赤ん坊は父親の一つの細胞である精子が母親の腹の中に入って、母親の体を掘って、骨、肉、血、体を強制的に分配されて生まれるのです。強制的に分けて生まれたのが弟や妹です。父母の弟、妹。分かりましたか? ですから、これは血筋が一つになっているのです。 レアとラケルは、血筋が一つでしょうか、一つではないでしょうか? 一つではありません。サタンの血筋ならば反発が起きますが、これは天の血筋であるため順応するのです。お姉さんの夫はだれですか? 先生です。 ところで、先生がだれなのかと言えば、昔、自分と婚約していた人です。その人が、姉の夫になったのです。では「この怨讐女」と言って争うことができる立場ですが……、違います。反対です。お姉さんがその妹をだれよりも愛することによって、天の祝福を一緒に受けるのです。 真の父母とともに、真の父母の弟や妹の立場に立って天国に入っていくための役事に協助しているのですから、これ以上ありがたい方はいないのです。自らの生命を生んで、配給分配して育った自分であると同時に、自分の夫は姉の夫になります。 その夫も、自分の体を母親の腹の中で、母の血と肉を受けたのと同じように、夫の骨と血と肉を受ける接ぎ木する立場で、弟や妹の家庭と同じ立場に立つことによって、兄夫婦となった真の父母の後について、弟や妹の立場で、兄弟の立場を経ては息子、娘の立場で、孫の立場でピーヒャラドンドン、解放的天国は自動的に入っていくようになっている! アーメン! カイン・アベル蘇生、カイン・アベル長成・大韓民国、その次にカイン・アベル完成・南北統一…………南北統一は世界統一と連結します。無神論と有神論が一つになることによって、真の父母を中心として分かれた歴史、心と体が分かれて、夫婦が分かれて、兄弟が分かれて、父子関係が分かれて、一族が分かれて、一国が分かれて闘っていた戦場に初めて統一的血統を中心とした、一体圏心情世界の文化が始まるのです。 それは、地上・天上天国、神様と天地父母の心情的文化圏世界です。単一民族であり、単一文化であり、単一理想的体制の家庭と氏族・民族・国家・世界体制で地上・天上どこでも統一的です。根から始まった栄養素がどこでも勝手に、枝や芽まで、この髪の毛の先まで、その次には、爪の先まで血が循環するのと同じように補給され、統一的生命体、一体的主権をなすのが、地上・天上天国解放の自由祖国光復である! アーメン! 父子の関係は上下関係、夫婦関係は左右関係だというのですが、なぜ夫婦関係を「右左」と言わず「左右」と言うのでしょうか? 父子の関係は「上下」が一緒になっています。逆に(父-下、子-上)にはならないのに、どうして「左右」が夫婦関係なのでしょうか? 堕落したために、女性が先んじるのです。その次に兄弟は何ですか? 兄が先になっています。子女は何ですか? 子女というと子が先になっています。子女も正しくなっています。 このように上下関係と子女関係は正常なのに、夫婦関係は逆になっています。そのため、この逆になったのを正しくなるようにするのが全体で「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。すべて入っています。この一言を理解することができれば、今先生が語っている全体を理解することができます。 「上下左右前後」が初めて「上下右左前後」を中心とした統一的、血筋が異なる神様の直系血統解放自由天地が地上・天上世界に築かれ、どこでも遠慮することなく行くことができる、国境のないその世界になることによって、その時ついに地上・天上天国が顕現するのである! アーメン! ですから、この四年間はどんなことがあったとしても、乞食になったとしてもやらなければならないのです。韓国の伝統に、父母が亡くなると三年以上その墓を守るという風習があるのですが、この四年間で、それ以上の忠誠を尽くさなければならないのです。 先祖たちが残してくれた伝統を、自分の実体が、後代何千代まで行ったとしても相反せず、そっくり相続して、神様が目を見開いて行うのと同じようにして、ずっとついていくのです。そして「ああ、ぴったりだ!」と言って戻ってきて、自分が循環するようになるとき「これでよし!」という承認を受けてこそ、解放的アダムの家庭の立場を相続することができるのです。 最後には、国を探して世界統一を実現しなければなりません。世界統一は、自動的に国連で行うようになっています。国連で祖国光復が実現できるのです。世界に主権と民がいるため、土地を買ってあげ国をつくるのです。百二十万ヘクタールといえば、ものすごい広さです。済州島の十二倍です。大韓民国の国民七千万人を食べさせることなど問題ではありません。 お父様がしたので……、お父様の国の国民たちが探せなかったので、お父様がしたのと相対的な基準において、大韓民国が百二十万ヘクタールに責任を持たなければなりません。その次に、母の国、エバ国家が百二十万ヘクタールに責任を持たなければならず、長子圏国家アメリカが百二十万ヘクタール、カイン圏ドイツが百二十万ヘクタールに責任を持たなければなりません。 それ以外の国家までもそこに該当する、十二に該当する土地を祖国光復に総生畜献納物として捧げなければならない基準があるため、一時に祖国光復された地球星になりうる時代へと越えていく! 解放を願い、全体が統一される! アーメン! さて、ここには霊人たちと霊界の興進君を中心とした四大聖人、その次に良心家たちが来ています。イエス様は真の父母として来ましたが失敗したので、霊界にいるすべての霊人たちは、これからは彼をお兄さんとして侍り、霊界に行った真の父母の息子夫婦を霊界の中心で侍らなければなりません。そして、一つの体制を中心として、今や仏教、儒教、すべて自分式で行っていたことをやめ、原理を中心に成約時代の行列についていかなければなりません。そうしてこそ、天上・地上天国に直行できる道が生じるのであって、仏教圏、儒教圏の風呂敷をぶら下げていてはなりません。きれいに聖別して、一つの道として行くことなしには天地の門が開くことはありません。すべて壊してしまわなければなりません。ですから、統一の役事を女性たちがしなければなりません。 今日は十四日、あさってはアメリカで何をしますか? 回教とキリスト教は怨讐関係にありますが、国境撤廃運動を先生が指示して「百万人家庭大行進(ミリオンファミリーマーチ)」が始まります。先生が手助けしなければ、その大会はできません。兄の立場で、父母の立場で、自分のことのように手助けして、今後、歴史的な怨讐の宗教が一つになることができるようにしなければなりません。 キリスト教と回教が怨讐です。ですから、父母がきて、右側には統一教会、左側には回教を中心としてぐるりと回って、アメリカの全五十州の回教の代表たちが来て、統一天下の家庭的行進を始めることができるようにするのです。すべての焦点を合わせて行うのです。 国連もそのようになります。家庭的祝福を行うことができる時に入っていくのです。ソ連と中国とアメリカの若者たちが、千六百名ずつ教育を受けて、真の父母を中心として、心情的一体をなし、青少年の淪落を防止して家庭破綻を防止しなければならないといって全面に出るのです。そのような輩らが一か所に集まって超国家的に……。 これらが怨讐です。三大怨讐です。三大怨讐がすべて反対しました。イエス様を中心として、四位基台を築くべきペテロ、ヨハネ、ヤコブが一つにならなければなりませんでした。しかし、これらが一つになれず、世界がそのような三大怨讐圏となって角突き合いをしますが、これを先生が収拾するのです。 では、そこではどのように平和の内容を提示するのでしょうか? 国境、国境の怨讐が交差結婚した暁には、そこで天国と地獄が一つになって、闘争概念は消えるのです。どんなに父の怨讐、母の怨讐国であるといっても、交差結婚した息子、娘は、自国の両親よりももっと素晴らしく、豊かに暮らせというのです。このように見るとき、交差結婚が地獄を追い出し、天国に入っていくことができるスタートラインだというのです。それが交差結婚を志願する世界だというのです。怨讐たちと共に交差結婚するというのです。 では、神様が怨讐を愛せと言われるその終着点はどこでしょうか? 怨讐間で結婚することです。そのようなことができるようになるとき、そこで地上・天上天国がひっくり返り、神様の自由活動を行うことができる解放時代になるのです。一九八八年に、日本と韓国の間で交差結婚をしましたか、しませんでしたか? その伝統をつくってきたのです。 これからはそのまましなければなりません。第四次アダム圏時代が来たために、アダムの七代の子孫を中心とした、自分たちの間で結婚することができる時代に入ったため、超民族的であり、超国家的であり、地上・天上にある先祖たちまでも合わせて結婚させてあげる時になったのです。ですから、怨讐をなくすための交差結婚をして、愛で抱くことができる、神様の歴史を通した宗教圏の表題として立てた怨讐を愛する一方通行の世界になるため、そこにサタン世界はありません。そこから天国が始まるのです。 二つの国が交差結婚をするときには、その国は一晩で天国にきっかりと入籍するのです。国連さえ公認したならば、復帰は容易です。交差結婚は先生に任せなさいというのです。三か月もかかりません。説得して行うのです。 今日、五十の峠を越えるのです。百年を中心として半分を越える峠に、過ぎた日を越えて新しい天地、平穏な世界を中心として、あの南米の無限なる地平線の国の地を中心として、この国が駄目ならば、私たちはあそこに大移動することができるように、常に荷物をまとめて待っていなければならないと指令したことをすべて聞いたはずです。 ですから、ここで一勝負して、第一次イスラエルを失った人々のようにはならず、イスラエルとともに第二次、第三次イスラエル圏の基地としての韓国をつくり、そのような韓民族の民としなければなりません。そのためには、韓国のすべての先祖たちも解放的恩恵を受けて、天下の歴史世界の先祖たちの王たちとなって、氏族たちの王たちとなり、家庭たちの王たちとなるのです。そのような道を失うことなく、皆さんの後孫たちが皆さんの前に讒訴しうる起源を残してはならないという決意を持って、当然このことをこの期間に完遂して残ろうとする心と体の決意とともに、家庭の決意が必要であるということを勧告するのです。 夫と妻の間で愛しあうときには、布団を被って踊ってもかまいません。すべてを脱いで、妻の肩に乗って踊ってもかまわず、夫が重ければ妻が裸になって馬乗りになって踊ってもかまわないのです。 神様がそれをご覧になるとき、直撃弾を飛ばして粉々にして掃き捨ててしまおうとされるでしょうか、その反対に、持ち上げて天国では見られない装飾品だといって、天の宝座の横に連れて行かれようとされるでしょうか? どうされるでしょうか? それを考えてみなさい。 神様は間違いなく「おい、初めて見るものだ。地上でだけやっていないで、天上でももう一度やってみなさい。お前たちが模範を見せて、天上の祝福家庭たちがそのようにできてこそ、私は万万歳、喜びが充満するのだ!」と言われるのです。 今は、救いの摂理は終わりました。神様も探してはなりません。入籍したので神様の代わり、救いの摂理の救い主の代わりの息子、娘を千年万年、しっかりと育てて天国に連れて入っていかなければならないのです。天国に入っていくことができなくなれば、真の父母の前に責任を追及されます。そのようにみ言を通じて邪悪な世の中を抜け出すことのできる道理をすべて教えてあげましたが、この者たちが責任を果たせずして天国に入れないといって、息子、娘たちが父母に責任を追及するのです。 神様が創造した責任を負って、アダムとエバの責任を負って、復帰の役事をしてきたのですが、皆さんが過ちを犯したならば、後の代になって永遠に讒訴されるのです。「お父さん、お母さん、どうしてこんなざまになったのですか? 他はみんな入っていくというのに。ご父母様が教えてくれたみ言を踏みつぶし、何か良い生活をしようとして……。何度か呼吸するのと同じほどの短い世の中に、何の未練があってこのようにしたのですか?」と言って讒訴するその後孫の顔を見て生きながら……、それをどうやって避けることができるでしょうか? 極めて悲惨で、極めて悔しい事実が染みこんでいるということを心配しながら、このような忠告をするのです。ですから、きょうの記念の日をしっかりと記憶しておきなさい。霊界もそのように決心するので、その霊界よりももっと決心することのできる祝福家庭、主体的家庭としての責任を完遂することを願います。 では、そのように知って、祝福を受けた家庭たちは、霊界と統一的な行動を行うのにはばかることなく、地上まで、子孫たちまで管理して脱線しないように防止することを願います。(二〇〇〇年十月十四日、天宙清平修錬苑)
2023.12.14
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第十三回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言成約八年 2000年10月3日中央修練院 きょうは、何の日ですか? (「『世界統一国開天日』です」)。世界……。(「統一国」)。統一国……。(「開天日」)。「世界統一の国が開天した」、「天地のすべてのものが開かれた」と言うのならば、平和の世界が来なければなりません。喜びの世界が来なければならないのです。 皆さん。今から十二年前ですから、満十二年になりました。十二年後の今回のオリンピック大会ですが、それは、北半球の韓国でのオリンピック大会と南半球のオーストラリアでのオリンピック大会は対比するものなのです。ですから、オーストラリアでのオリンピック大会の閉会式のときには、国境がなく、国もなく、全員が自由に入ってきた、そのような閉会式が行われたのを見ました。 国連を中心として見れば、また、先生が国連に行って語った大会を中心として見ても、天地が一つになった立場で、国連は一つにならなければなりません。国連は、行くべき道を捜し出すことができずに一方的な方向に進んでいますが、一方的な方向に進んだまま戻ってくることができません。 それゆえに、進んでいったとしても帰ってくる道がないので、それでは“おしまい”になってしまうのです。ですから、行って帰ってくることのできる道を教えてあげなければなりません。それで、先生は国連に行って、み言を語ったのです。 どのようなみ言を語ったのかというと、「国境線撤廃」、「平和の世界をつくりなさい」ということです。それは、「国境線が生じることによって、このような世界が始まったので、このような世界を終えようとすれば、国境線をなくさなければならない」という、このような問題になるのです。 ですから、今、戦いの中にあるすべての国、また、先進国と後進国との間には、とても大きな国境線があるのです。東洋と西洋には文化の差があり、精神文化と物質文明の間にも障壁があり、南北間には貧富の差があります。北側の世界は豊かに暮らし、南側の世界は貧しく暮らしているのです。 このように、すべてのものに谷間が生じたのです。あちらにもこちらにも谷間が生じたのですが、“谷間”というものは、必ず二つの山があって生じるものです。ですから、谷間は平行線ではなく、必ず山に挟まれているので、このような国境線をどのように平地にするのかというのです。 今日、統一教会では、「世界平和統一家庭連合」と言っています。世界です。この世界のことを言うのです。世界をどのようにして一つにするのかというと、(まず)平和にならなければなりません。何よりも「平和」というものは、“平坦な和”にならなければならないということです。 北の方に暮らす人も、南の方に暮らす人も、東の方に暮らす人も、西の方に暮らす人も、先進国であれ後進国であれ、優劣、男女、老若にかかわらず、すべて水平にならなければなりません。水平から始まり……。 しかし、水平にだけなればよいというのではありません。それだけでは、平和の世界はできません。必ず相対がいなければなりません。「(世界)平和統一の世界」。このようになります。世界が何を願うのかというと、平和になることを願い、統一されることを願うのです。 それでは、世界平和統一してから、何をするのでしょうか? 世界を平和統一してから進むべきことは、天地統一平和ではありません。天地統一が定着するのではありません。世界平和統一家庭が定着しなければならないのです。分かりますか? 統一教会で直視していることは、すべての世界が水平となることであり、水平となった後における統一というのは、統率して一つになるということです。「統一」という意味は、そういうことです。「統率の“統”」です。このように見るとき、水平世界に何がなければならないのでしょうか? 何が支配するのですか? 軸です。縦的な基準、縦的な中心がなければなりません。 今日のアメリカが、いくら先進国だ、何だと言っても、アメリカには縦的な思想がありません。すべてが相対主義であり、そこには全体が一つになることのできる標準的中心がありません。国の形態はありますが、国の中に入っていけば、民主主義の与党と野党、上院と下院というように……。 縦的には、上院と下院を立て、横的に党が立ちます。そして全体を見れば、個々人が立つのです。個人主義を中心として、両党制を中心として、両院制を中心としてすべてが闘っているのです。このような所ではどこでも、国境ができているということです。 そのような世界においては、平和を成し遂げることはできず、統一を成し遂げることもできません。 さあ、それでは、なぜこのようになったのでしょうか? なぜこのようになったのですか? 人は本来、心と体が一つになるべきですが……。わたしたちが、そうではないですか? この人間を見れば……。万物世界を見ても、すべてペアシステムです。鉱物世界もペアになっており、植物世界もペアになっており、動物世界もペアになっており、人間世界も男女のペアになっており、天地も、天と地が、それぞれ主体と対象のペアシステムになっているのです。 では、なぜそのようにペアシステムになっているのでしょうか? ペアシステムにおいては、一つにならなければ存続することができなくなるのです。継続して生きていくことのできる道がなくなるのです。 それゆえに、プラスならプラス、主体なら主体、対象なら対象、マイナスならマイナス、それぞれ一方だけがあるときには、自分が生まれて死ぬまでの自分一代で終わってしまうので、ペアシステムからなる存在世界においては、すべてなくなってしまうのです。そのことを知らなければなりません。 皆さんが、統一教会に入ってきたときに聞いた、「この宇宙はペアシステムになっている」という話も、偉大な宣言であり、偉大な発見なのです。ですから、ペアになっていない世界は、滅びるか、なくなってしまうのです。 それゆえに、男性と女性も、いかなる団体を見ても、必ず主体と対象関係になっており、その関係というものは、二つが共に動き、共に暮らすということを意味するのです。ですから、この世界を見れば、政治関係、外交関係、すべて“関係”に関連しているのです。しかし、その主体と対象がなければ、関係という言葉は成立しません。分かりますか? 父子関係、夫婦関係、師弟関係、外交関係、経済関係、すべてが「関係」という言葉でつながっているのです。 これが継続するためには、必ず授け受けすることができなければならず、“それが、どのくらい永遠に続くことのできる内容になっているのか”という問題について見てみなければなりません。そうして見てみたとき、永く続くことのできる内容が十分であるとき、その関係は永く続いていくのです。分かりますか? (「はい」) この「開天日」は何かというと、天地に門がなく、すべてが通じることのできる時代に入っていくということを記念する日なのです。それは何かというと、国境を整備して、国境がなくなった自由な環境を持ち、思いどおりに天上世界や、世界のいかなる所でもすべて……。 今日の韓国や、日本の社会でも、ビザが必要であり、数多くの国があって……。このビザというものは、だれがつくったのでしょうか? 神様がつくられたのでしょうか? 一つの心臓を中心とした四肢五体が、血液を授け受けすることのできる循環路を持つことができなければ、病気にかかって長く生きることはできません。授け受けすることのできる動脈を中心として、運動することのできる関係が途切れれば、そこから“死亡”が入り込んでくるのです。終わってしまうのです。分かりますか? このように見るとき、永遠の主体と対象関係を結ぶことができるものとは、何でしょうか? これが問題なのです。それでは、「地球星の年齢はいくつか?」と言うとき、それはいくつでしょうか? 四十五億年くらいです。 では、四十五億年間存続するときに、ひとりでそのように四十五億年の長い歳月を過ごしたのでしょうか? そうではありません。地球星を中心として、星と太陽と月と、すべての宇宙とともに関係を結んで存続してきたのです。そして大宇宙を見れば、太陽系と同じようなものが数千、数万とあるのです。 この宇宙が、どのくらい大きいのかというと、先ほどもその話が出ましたが、二百十億光年の大きさです。二百なのか、二千なのか、二億なのか、“それをだれが分かるのか?”と思いますが、そのようなことを言っているのです。 宇宙の大きさは、二百十億光年です。光年とは何ですか? 一秒間に三億メートル進む速度です。秒速三億メートルという速度は、どのくらいですか? 一秒、チクタクと進む間に、地球の七周半分の距離を進む速度です。地球の七周半分の距離を行くのですが、それほど速い光が、ここから「よーい、どん」といって出発し、一日たてば、どのくらい進むでしょうか? 天文学界では、そのような光の速度で一年かかって進む距離を一光年というのです。 それをもって宇宙の大きさを「二百十光年」と言っても、“ああ、まったく、狂ったことを言う”と思いますが、二百十光年ではなく、二百十億光年です。今、そのような存在が連続しているとすれば、ただそのままひとりで大宇宙に浮かんでいるのですか? 違います。これは、すべて授け受けしながら……。 二百十億光年の大きさの大宇宙すべてが、そのような関係を持っているのです。ですから、空中世界の大きな星が落ちてぶつかれば、大変なことになるのですが、バランスを取って、変わらずに回っていくのです。 太陽系の太陽を中心として、地球はその周りを一年間かけて回るのですが、誤差があったとすれば、何億年、何千億年たつとどのようになっていたでしょうか? とてつもない破綻が起きていたことでしょう。 さあ、関係の世界というものを見れば、一人では関係を結ぶことはできません。わたし一人でいくら関係を結ぼうとしても、お母様がいなければ夫婦関係を結ぶことができるでしょうか? それから、関係というものは、授け受けしなければなりません。一つが昼ならば、一つは夜になり、一つが夜ならば……。それから、低い所から上に行き、上にいた人は今まで豊かに暮らしていたので、循環運動で回っていくのです。夜になり、また回っていくのです。回っていくとき……。地球が回っていくときに、何千年、何万年、このようにだけ回るのでしょうか? それで、三百六十度が必要なのです。分かりますか? 回る起点を中心として、三百一度で一回り、三百二度で一回り、一年に一度ずつだとしても三百六十年かかると見なさなければなりません。そして、このように長い時間がたてば、地球星はどのようにならなければならないでしょうか? 人類の歴史は、どのくらいになると思いますか? 皆さんは、「人類歴史は六千年」と言うのですが、そうではありません。何千万年です。「人類歴史は二百五十万年である」とも言われているのですが、それ以上かもしれません。 なぜ、このような話をするのかというと、そのような存在が宇宙に満ちあふれているのですが、その授け受けしている存在の間には、絶対に境界線がありません。それゆえに、この手ならば手を中心として、手の細胞や筋肉は(他の部分とは)違うのですが、それでも全体が和合することができ、一つの構造を持った人格体が形成されるということを思うとき、“自分の生命というものは、(それ自体だけでは)人格体を構成することができない、さまざまな分野における作用のバランスを取ることのできる主体的な力を持っている”と思うのです。 大宇宙が運動を継続することのできる原因となる根本の力は、どこから出てくるのでしょうか? このようなことが問題になるのです。これを見ると、李相軒氏もそう言ったでしょう? 霊界に入っていって夫婦が愛するのですが、八年目に霊界に訪ねてきた李相軒氏と妻が二人で、きれいな礼服を着て神様の前に行ってあいさつをし、それから何をしたというのですか? 「踊りを踊った」と言いましたか、愛し合ったと言いましたか? (「『愛し合った』と言いました」) 愛とは何ですか? キスすることをいうのですか、神様にあいさつしたことをいうのですか? 服を着て愛し合ったでしょうか、服を脱いで愛し合ったでしょうか? (「服を脱いで愛し合いました」) アダムとエバの時代にも、堕落する前のときに服を着ていましたか? そのときも「服を脱いで愛し合う」という、その「服」という言葉があったでしょうか? (「ありません」)。それでは何ですか? 裸で暮らしながら、裸で愛し合ったということです。動物が愛し合うときに、服を脱いだりするのですか? (笑い) 服というものは、堕落によって境界物になっているのです。それゆえに、最高に愛し合うときは、男性と女性が服を着て愛し合いますか、どうですか? わたしには、よく分かりませんが。(笑い) それでは、服を着て愛し合いますか、服を脱いで愛し合いますか? (「服を脱いで愛し合います」)。胸に着けるものは何ですか? (もし)それをつけたまま生まれて、夫は、それを右側の胸に着け、妻は左側の胸に着けていれば、それをはがして愛し合うでしょうか、そのままにしておいて愛し合うでしょうか? はがして、また着ければよいではないですか? そこには、ぞうきんはもちろんのこと、空気中のほこり、ナイロンの紙一枚でもくっついていてもはがしてしまうでしょうか、そのままにしておくでしょうか? (「はがしてしまいます」)。ついたてがあれば、“そのままにしておきたい”と思うでしょうか、“すべてをなくしたい”と思うでしょうか? それはどういうことですか? 本当に愛し合う二人の夫婦の間に、ついたてが必要ですか、必要ありませんか? (「必要ありません」)。どのくらい必要ありませんか? 「絶対に必要ない」という言葉を受け入れますか? (「はい」)。「受け入れない」という人は、手を挙げてください。 儒教の両班たちは、「ああ、教主様が座って、夫婦で愛し合う話をなぜするのか? ああ」と……。(「はい」)。「はい」とは、また何ですか? (笑い)何も分からないので、「はい」と言うのでしょう? (笑い) 「絶対に境界線が必要ない」というものは、何でしょうか? 絶対に境界線が必要ないもの。永遠に、永遠に、絶対、唯一、不変に境界線が必要ないものとは、何でしょうか? それは、真の愛しかありません。それが真の愛です。 夫婦で愛し合うにしても、ありとあらゆることをして、まだらの皮ぶろしきをかぶったり、何階建てのビルの屋上に立って愛するような(間に距離をおいて愛するという意味)あらゆる者たちがたくさんいるのです。 そのように、ありとあらゆることをしながら、境界線を間に置いて愛するのが真の愛ですか、偽りの愛ですか? (「偽りの愛です」)。何ですか? (「偽りの愛です」)。偽りの愛なのかどうか、どうして分かるのですか? 手で触ってみても分かります。五官で分かるのです。手で触ってみても、かちかちにこわばっているのです。 女性は柔らかいのです。柔らかいので、強いものを願います。男性は頑丈でなければなりません。それで、ひげが生えるのです。握るにしても、ぎゅっと握ってこそ刺激が来るというのです。女性は、手の骨も細いので、どんな刺激が来るでしょうか? ですから、ぎゅっと握らなければなりません。そうなのです。わたしは、よく分かりませんが。(笑い) それゆえに、大きい発電所、何十万ボルトを発電する発電所があります。そこで心棒というものが回っているのですが、心棒とは何か知っていますか? バビットメタル(錫を主成分とし、アンチモン・銅・鉛などを含む白色の合金)のような鉛のかたまりです。回る軸自体は、鋼鉄の中の鋼鉄です。鋼鉄の中の鋼鉄なのですが、それを支えているのは鉛なのです。バビットメタルというものです。分かりますか? 鉛のかたまりや真鍮というものは、反対のものです。そこに油が入って……。油が調和させるのです。それがシャフトと軸受けをくっつかないようにしてくれるのです。それで、シャフトは空中に浮かんでいるのです。これがくっついていれば、燃えてしまいます。すぐに燃え始めるのです。あっという間に問題が起きます。 それは、何がそのようにするのでしょうか? これが一度関係を結べば、お互いに譲歩し、お互いに助け合うことによって、すべてのものが支えるのです。高いものと低いものが和合しなければなりません。右側と左側が授け受けしなければなりません。 前と後が授け受けしなければなりません。上下、左右、前後が授け受けすれば、球形になるのです。球形の中心骨が生じます。見えませんが、三つの力が一つに合わさったので、骨が生じたというのです。ですから、骨があり、肉があり……。 骨は堅いのですが、肉まで堅ければ、どのようになるでしょうか? どのようになりますか? 骨と肉が、ぴたっとくっついて離れなければ、どのようになりますか? 皆さん、動物も焼けば、骨も肉もさっと抜けるでしょう? 落ちてしまうでしょう? それは何のためですか? 油があるからです。そのようになっていることを見ると、そこにはそのようなものが必要だというのです。 それでは、愛を中心として、完全に境界線がなければ、どのようになりますか? どのようになるでしょうか? 男性と女性の間隔がなければ……。男性は骨を象徴し、女性は肉を象徴するので、これが一つになるのです。だからといって、骨は骨であり、肉は肉なのであって、骨と肉が一つのものになってしまうのではありません。それらは、どのような力によって、一つに連結されているのでしょうか? 父母から受けた愛の力によってです。このようになるのです。分かりますか? 韓国の歌でもそうではないですか? 父親を通して骨をもらい、母親を通して肉をもらって生まれるというのです。心と体が完全に一つになれば、強弱を中心として一つになるのです。男性が“強”であり、女性が“弱”なのですが、その強弱を中心として一つになれば、これが人間世界における完全な人間なのです。 また、霊界にいらっしゃる見えない性相と形状の神様は、人間の見えないモデルでいらっしゃるのですが、そのような神様を中心として、骨に当たる神様と肉に当たる人間とが一つにならなければなりません。どのようなものによって一つになるのでしょうか? 間隔があってはなりません。一つの体になるためには、愛だけが、愛だけが一つにすることができるのです。 それゆえに、皆さんが、自分という存在を見れば、骨を中心として……。自分がこのような姿をしているのは、肉がこのような姿にしたのですか、骨がこのような姿にしたのですか? 骨がこのようにして、そこに骨が構成した……。 最近、実感することは、それはコンピューターのプログラムと同じだということです。目には見えませんが、小さなチップに数千数万の思想を入れることができるのです。それと同じように、プログラムとして形成されたものが、骨なのです。そのようなモデルが骨となり、その骨がプラスになっているので、プラスがそのモデルの形態を成せば、そのモデルの形態を備えたマイナスを吸い込んで、体になるのです。 ですから、人が“おいしい”と感じるものは、自分のプラス成分に対してマイナスの物が吸収され、それが一つになって、より大きくなる立場に立つことができれば、“おいしい”と感じるのです。それがマイナスとなり、小さくなり、なくなる立場に立てば“おいしくない”というのです。すべて、このようになっているのです。 では、愛するのは良いのですか、悪いのですか? (「良いことです」)。良ければ循環運動します。循環運動が起きるのです。ですから、愛は、自分を愛する愛、夫婦が愛する愛、家庭を愛する愛、そのように大きくなるのです。 個人、家庭、氏族、民族、国家の中心は、自分を中心とした、この一点です。皆さんも、自分を中心として主体になりたいでしょう? そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。耳が腐ってしまったのですか? 尋ねたら答えなければならないでしょう。韓国の人たちは、両班のようなふりをして、悪口を言って初めて目をぱっちり開くのです。(笑い)それは、幼稚園児よりも劣ります。 では、皆さんを中心として、“わたしの心と体が一つになって、わたしは主人になりたい”という思想がありますか、ありませんか? (「あります」)。夫婦でも、“わたしが主人になりたい”と思うのです。女性もそうでしょう? (「はい」)。それは何かというと、球形になるので、男性が前面ならば、女性は後面になるのです。そうして球形になり……。 それでは、男性と女性が球形になれば、男性も半分で、女性も半分でしょう? (「はい」)。その二つが一つになった完全なものは、何というのですか? そのような言葉はないでしょう? 半分と半分が合わさったものなので、「統一分」。(笑い)そのような言葉はありません。「円分」でしょうか? 何と言うのでしょうか? それは、皆さんがよく知っていることです。ですから、男性と女性は凸凹になっているのです。 凸凹を見て笑う人は、狂った人ですか、正常な人ですか? (「狂った人です」)。なぜ狂った人なのですか? (笑い)知らないときは分かりませんが、知ってから、それを見て「嫌だ」と言うのも狂った人であり、“おかしい”と考えるのも狂った人です。 その凸凹が、完全に一つになってウグイスのような声を出すのを聞くでしょうか、聞かずに逃げるでしょうか? (「……」)。きちんと答えてください。(「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。 歌を歌うのを見ても喜び、訪ねて行って、それをするのを見て喜ぶでしょうか、悪く思うでしょうか? (「喜びます」)。そうですか? おじいさんとおばあさんが、それを見て喜べばどのようになりますか? お父さんとお母さん……。皆、隠れてしようとするのです。今まで、そのように暮らしてきたでしょう? ところが、わたしも霊界を知っていますが、李相軒先生の霊界報告書を見れば、神様の所にあいさつに行き、そこで夫婦で愛し合うのです。愛し合うや否や、どこからともなく色彩に覆われ、一筋に輝く明るい光が自分の心と体を包み込んで、恍惚と神秘の境地に至り、無限の喜び、無限の充満、無限の衝動を受けることができる境地に入っていくのです。 では、だれが愛することを喜ぶのでしょうか? この地上で、愛することを最も喜ぶ大王陛下、その王、チャンピオンがいるとすれば、それは一体、だれでしょうか? 統一教会の文先生でしょうか? 愛の哲学を世界的に発表し、そして、すべてからこのように崇拝される文総裁が、最も喜ぶでしょうか? 「文総裁以外に、もっと喜ぶことのできるかたがいるだろうか?」と言えば、わたしは、それをねたんで、「切り捨ててしまえばよい」と言うでしょうか? どうでしょうか? 文総裁がどうやっても、もっと大きな主人がいれば、そのもっと大きな主人のために反対するのではなく、吸収されなければなりません。大きいものが育つためには、小さなものを吸収しなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かりますか? (「はい」) 最も高い人間が生きるためには、この地上に生きている、すべての小さな万物を吸収し、のみ込んでしまわなければ、大きいものは生命を存続させることができますか、できませんか? (「できません」)。できます。(「できません」)。この者たち。(「できません」)。気分を良くしていますね。(笑い) そして、そのようにしてこそ回るので、植物が鉱物を捕食します。大きいものが生きるためです。もっと大きい愛の実体を成し遂げるための器は大きいので、それを満たすためには、小さな器は十個でも、百個でも、千個でも入っていくことができるのです。 それは、どういうことかというと、それを満たして存続する万物を生かすためには、生きている万物を消化して吸収してこそ……。よく吸収して、接ぎ木することができるようにしてこそ、人間も幸福な人になるのです。分かりますか? (「はい」) 鉱物を見て、「おい、鉱物。おまえたちは、何のために醜く、でこぼこな姿をしているのか?」と言えば、「それを言わないでください。固まった私の体が何百年、四十億年以上、億万年過ぎてみると、天地に大変化が起き、気候の変化や風化作用によって砕かれ、つぶれ、そして土になり、砂になり、このようにして万物が、すべて吸収するのです」と言うのです。 それでは、鉱物が「この宇宙め。なぜ植物が生まれたのか? こいつ、攻撃して撃破しよう」と言えば、どのようになるでしょうか? 大変なことになるでしょう? そこには順応するのです。ですから、鉱物の元素が植物の元素に吸収されるからといって、鉱物は反抗しません。反抗しないのです。 それでは、植物は「良い」と言わなければならないでしょうか、何と言わなければならないでしょうか? 「良い」と言わなければならないでしょうか、「悪い」と言わなければならないでしょうか? (「『良い』と言わなければなりません」)。「良い」ということは、何かというと、「おいしい、おいしい」ということです。 皆さん。おいしい食べ物を食べてうれしいときは、「おいしい」と言いますか、「おいしくない」と言いますか? (「『おいしい』と言います」)。では、人間だけが「おいしい」と言うのでしょうか? 鉱物の元素が植物を育ててあげるとき、植物は、それ自体のプラス性稟がそれを引き込もうとして、とても興奮するので、「おいしい」と言わないでしょうか、「おいしい」と言うのでしょうか? 人間のように、動物のように「おいしい」と言うでしょうか、「おいしくない」と言うでしょうか? (「『おいしい』と言います」) それから、この動物たちは何を吸収するのですか? (「植物です」)。植物です。動物たちは、植物も吸収し、自分よりも小さな万物(動物)を吸収します。分かりますか? 猫は、自分よりも小さいネズミを吸収して食べるのです。小さいものが吸収されるとき、「ああ、わたしは死ぬ」と言えば、どのようになるでしょうか? さあ、このように話していたら、一日たっても終わりません。分かりますか? (「はい」)。「愛するのを見ることを最も喜ぶかたは、だれだろうか?」というとき、皆さんの人類先祖のアダムとエバが一代の先祖です。 彼らが本当に一代の先祖なのかというとき、彼らは愛が分かりませんでした。愛を知っていましたか、分かりませんでしたか? 堕落した愛は知っていましたが、本当の愛を知りませんでした。神様の前から追い出されて愛することはできましたが、本当の愛は知りませんでした。神様が待ち焦がれ、早く花を咲かせなさい、早く香りを漂わせなさい、ちょうが飛び回るように、その香りを求めて天使が飛び回り……。 天使たちが皆、降りていったので、王である神様も飛んでいかれるのですが、そのとき、見物するために、アダムとエバが愛し合う所に来ていた天使たちは、道を開けてくれるでしょうか、開けてくれないでしょうか? (「……」)。ああ、話を聞いているのですか、聞いていないのですか? (「開けてくれます」)。開けてくれるのなら「開けてくれる」と言わなければならないでしょう? 尋ねているのに、なぜ答えないのですか? 真の父母も何も、すべて関係ないようですね。真の父母と関係がありますか、ありませんか? (「あります」) わたしは、何の話をしようとしたのですか? あなたたちを、死の境地から生きることのできる人にしようとしているのですが、生きようとすれば、死の境地において、死ぬ力よりももっと力を使ってこそ、生きることができるでしょうか、より小さく使ってこそ生きることができるでしょうか? (「もっと使わなければなりません」)。それが分かれば、よいというのです。 「世の中のどこに、そのような先生がいますか? 力を使わずに生きることができるようにしてくれるべきでしょう?」。そのような道理はありません。しかし、この世の中で、死の境地よりも、もっと力を使おうというかたを捜してみれば、それはだれかというと、世の中では統一教会の文先生という人しか存在せず、天地では神様しかいないのです。そのように言うとき、それでも(神様と真のご父母様が)必要ですか? (「はい」) 見てください。今まで、このように一緒に歩んでいたのですが、百八十度“回れ右”してこそ……。黄金の塊を差し出して、それを手でつかもうとしているのに、「“回れ右”するのが最も福がある」と言うとき、どのようにするつもりですか? (「“回れ右”します」) 「最も福がある」と言うのも、(見える)人ではありません。神様は、言葉が聞こえるだけです。言葉しか聞こえなければ、これ(黄金の塊)をつかんで“回れ右”しますか、つかまずに“回れ右”しますか? (「つかまずに“回れ右”します」)。なぜですか? どうしてですか? (「それよりも、もっと大きな福があります」)。もっと大きな福があるかどうかは分かりません。 “神様が必要だ”と思って、“回れ右”すればよいのです。神様とは、だれですか? わたしたちのお父様です。自分よりもお父様の大きなふろしき包みに入っていないものがないので、お父様がそのように言われれば、“回れ右”して損害を受けるでしょうか、受けないでしょうか? (「受けません」) 「ああ、お父様。その宝の山はどのようになりますか?」 「宝の山がどうなるも何も、ここにあるではないか? ここにあるものは何か? どろぼうのような男性の所に行って何をするのか? 『それよりも、もっと良い宝の山を上げよう』と言えば、それを受け取るか、受け取らないか?」 「受け取ります」。「では、あなたは、その宝の山よりももっと愛するのか、愛さないのか?」。「愛します」。そのようにして与えてくれるものが、何でしょうか? 独り子です。その独り子は、神様の何千万代の独り子です。七代の独り子が病気になっても、道知事が訪ねてくるし、国の殿様が訪ねてきて、あいさつをするというのですが、何千代のひとり息子がそのようになれば、そのひとり息子に対する贈り物は何でしょうか? 答える人は早く手を挙げてください。(「真の愛です」) なぜ、真の愛なのですか? 真なる女性でしょう? (笑い)女性に出会って、愛はそれからでしょう? (拍手)愛は、一人でするという道理はありません。そうですか、そうではないですか? そうだというなら拍手してください。後ろの方は聞こえますか? (拍手)では、じっとしていてください。このようにしないでください。(拍手) 「宝をどうするのか」と言うとき、“宝というのは何だろうか?”と思って……。それでは、“もっと良いものとは何だろう?”と思って、神様に「もっと良い礼物とは何ですか?」とお尋ねすれば、「それは、おまえが最も喜ぶ……」と言われるのです。 それゆえに、何千代の男性から何千代の女性、すぐそばで育てば、よく分かりますが、何千代も過ごしてから宝物として女性を与えられれば、女性を見て“変だ”と思うでしょうか、思わないでしょうか? 女性の目を見ても普通でなく……。違うというのです。目を見ても普通でなく、ひげがあるでしょうか、ないでしょうか? そのときに脱いで現れるでしょうか、着て現れるでしょうか? すべてを触ってみれば、目も同じで耳も同じですが、何か出っ張っていて、おしりが大きく、そして自分には袋のようなものがぶら下がっていて、“これは何だ?”と思うのです。(笑い) 不思議で“触ってみたい”と思うでしょうか、“触ってみたい”と思わないでしょうか? (「“触ってみたい”と思います」) それでは、どこから触ると思いますか? 上から触っていったでしょう? なぜですか? 手は高いものを好むからです。てっぺんから、ああ、髪の毛はこうで、耳がこのようになっていてと、このようにするようになっているのです。そして、「ああ、また女性のこれは何だ? 前の南ナム山のようなものが二つある。わたしが必要なのは一つなのに、なぜまた二つあるのか?」あらゆることを考えるというのです。 そして、「おしりは、なぜまた、このように男性よりも大きいのか? 男性は肩のほうが大きいのに、なぜまた、下のほうが大きいのか?」と、このように思いながら、手探りする手をとめて、おしりを触ってみたでしょうし、また前の方も触ってみたでしょうか、触ってみなかったでしょうか? 触るときに、女性が驚いて「あっ」と声を張り上げるでしょうか、どのようにするでしょうか? じっとしているでしょうか、騒ぎ立てるでしょうか? (「騒ぎ立てます」)。(笑い)研究してみてください。 しかし、その女性が、男性よりももっと男性を慕い、何億万代のひとり娘だとすれば、男性がやってきて触るのをびくびくするでしょうか? 血管が引っ張られ、へそが引っ張られ、「ああ、心臓が大変なことになった」と言うでしょうか? 気分が良いでしょうか、気分が悪いでしょうか? (「良いです」)。わたしは分かりません。 女性たち、答えてみてください。気分が良さそうですか、悪そうですか? (「良さそうです」)。「何々そうだ」というのは、「そうではない」ということと変わりません。それでは、良くなければならないでしょうか、悪くなければならないでしょうか? (「良くなければなりません」) では、女性が男性を見れば、関心が行くでしょうか? 男性が千代の独り子であれば、女性は万代の独り娘として、千代の男性を何千代慕ってきたとすれば、その男性を見ただけでも、ぼうぼうと火が燃え上がるはずですが、頭を触るからといって、さっとするでしょうか、びくっとするでしょうか? (ジェスチャーされる) “早く、早く触ってください”と、このように体が行くでしょうか、行かないでしょうか? ああ、女性が答えてください。そのようにすれば、わたしが面白い話をするのです。(笑い)「悪くない」ということが、全体公論なのです。 男性は、どうでしょうか? 「おかしい、おかしい、一度触ってみても、嫌がらない、おかしいな……」。“一度喜んだから、二度目は嫌がるだろう”と思って手を握ると、手をぎゅっと握って放しません。そのようにすれば、どのようになるでしょうか? 放さずにじっとしていれば、どのようになるでしょうか? 女性は、引っ張られて触ってくれることを願うのです。 では、結婚したかたがた、仲睦まじい夫人は、夫の手がすっと背中に来れば、自分の胸に手を引き寄せるでしょうか、引き寄せないでしょうか? それを悪く言う者たちは、地獄に行く人々です。(笑い)堕落する前の世界のことを話しているのですが……。分かりますか? そのような女性は、手を引いてきてどこを触らせようとするでしょうか? 最初に唇を触らせようとするのです。女性は唇を愛するでしょう? 愛しますか、愛しませんか、この者たち。(「愛します」)。悪口を言って初めて正気に戻りますね。唇を愛して、口に手を当てるのです。それから、下っていけば、……。 さあ、これを話すのは、わたしも申し訳ないと思います。しかたなく話すのです。(笑い)話さなければ、悪い教材になるので、しかたなく話をするのですから、悪口を言ってはいけません。悪口を言えば、悪口を言う口がくっついてしまい、体の貴いものが故障するように神様が罰を与えるとすれば、どのようにしますか? 目を見開いて、舌をかみながら我慢しなければならないでしょう? 考えてみてください。それならば、頭を触り、唇で……。(「吸います」)。 さあ、このくらい話をすれば分かったでしょう。それでは、その後はどうなるでしょうか? 女性は、男性がどのような男性なのか分かれば、自分の一番の密室に連れていくでしょうか、連れていかないでしょうか? そして、男性が逃げていったらどうしますか? 逃げていったら、ついていきますか? (「はい」) それでは、追っていっても、追いつけなくなったらどうしますか? 座って死にますか、泣きますか? (「泣きます」)。男性は、それほど悲しんで泣く女性を見たことがないので、女性が泣きやめば、“死んだのか、生きているのか”と思って戻ってくるでしょうか、そのまま行ってしまうでしょうか? (「戻ってきます」) 戻ってきて、女性がじっとしていればどうしますか? (「揺らしてみます」)。座り込んでいるのを見ると、“自分よりも重いだろうか……。この三倍くらいの石でも持ち上げられるが、動かないのを見ると死んだのかもしれない。持ち上げてみよう”と思い、さっと持ち上げてみて軽ければ、ほうり投げるでしょうか、抱き抱えるでしょうか? (「抱き抱えます」)。抱き抱えれば、女性が顔を真っ正面に向き合わせるでしょうか、どのようにするでしょうか? キスしますか、しませんか? (「キスします」)。にこにこ笑いながら「ああ」……。(笑い)もう、やめましょう。(笑い) ですから、神様が贈り物を下さるときに、最も貴い贈り物として黄金の山やダイヤモンドの平原を男性に下さったとしても、それが何になるというのですか? それを必要としますか、それとも女性をもっと必要としますか? (「女性を必要とします」)。どうしてですか? 黄金の床や、ダイヤモンドの平原、色とりどりの宝石でできた大きな山があるとしても、「ぺっ」。(つばを吐かれるジェスチャーをされる)なぜですか? 女性がいれば、息子、娘を生んで育てることができるのです。分かりますか? (「はい」) 皆さん、息子、娘が必要ですか? (「はい」)。男性がこのようになっていて、女性がこのようになっているのは何のためですか? 愛ゆえにこのような形になっているのです。愛が喜び、男性と女性の生命が喜び、すべてが喜び、血統が喜ぶのですが、それは何のためですか? 息子、娘を持つためです。 血統を連結させなければ、血統を通さなければ、おじいさんと息子、娘、父と孫、三代から何千代へと代が連結されません。分かりますか? 何代もの世代が連なっていくのです。それゆえに、女性がいなければ愛も問題ですが、息子、娘を永遠に持つことができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できません」)。ダイヤモンドがあったとしても、何をするのですか? 「ああ、良い」と、千年万年愛しても、何も残りません。 息子、娘を持ち、それから何をするのですか? (息子、娘を持つ前に)自分が妻を迎えることのできる人、夫人を愛することのできる人にならなければなりません。夫人を愛することのできる人になり、それから、息子、娘を持ち、息子、娘を愛することのできる主人になるのです。それで終わるのですか? 自分が四十、六十、七十歳になれば、息子、娘が成長して孫を生み、さらに孫が大きくなって三代、四代までが一つの家で暮らすことができるようになるのです。八十歳を超えれば、三代が問題ではありません。四代の子孫が連結されるのです。分かりますか? 先生もそのような時が来ました。八十になると、聖進の息子、娘も赤ん坊を生むようになり、四代になるのです。そのように家庭を愛することができるのです。上下を愛することができ、左右を愛することができ、前後を愛することができる一つの球形の形態を備えて定着するようになったものが、家庭なのです。分かりますか? (「はい」) 家庭です。いくら優秀な男性でも、女性という怪物と出会わなければ、永遠に妻を持つことができるのですか、できないのですか? (「できません」)。できません。自分が百回、千回死んだとしても、愛したい息子、娘は永遠に生むことはできないのです。息子、娘に、与えて忘れ、与えて忘れるという愛を行うことはできません。そしてさらに、息子、娘を中心として孫……。 愛を必要としない人は手を挙げてください。愛が必要な人は手を挙げてください。それは、だれが手を挙げなさいと言ったのですか? (笑い)だれが手を挙げなさいと言いましたか? いくら愛を願って手を挙げたとしても、相対がいなければ愛は永遠に現れません。 男性が男性であるのは女性がいるからであり、女性がいるがゆえに主人の名をもって生きることができるのです。分かりますか? 女性がいなければ何ですか? それは、男性でもなく、女性でもありません。なぜですか? 女性が女性でありうるのは、男性という動物がいるからであり、男性がいるがゆえに“女性主人”の名をもつようになったのです。 それゆえに、父母は、りっぱな息子、娘を持って初めて父母になるのではありません。父と母のふたりが、息子、娘を生むことができなければ、永遠に子女を愛することのできる心を見いだすことはできません。それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」)。正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) 父と母の愛が生じるようにしてくれるのは、父と母自身ではありません。できが悪くても、息子や娘がいるがゆえに、父と母は父母の愛の主人となることのできる資格者になるのです。それは正しい話ですか? (「はい」) だれが父と母に愛の主人の資格をつくってあげたのかというと、できの悪い息子であっても、病気の息子であったとしても、愛する心を持つことができるようになったのはその息子ゆえなのです。父母が千年万年、子女を愛する心を持っていても、子女がいなければ、与えて忘れ、さらに与えてももっと与えたいという愛の心には永遠に出合うことはできません。 息子、娘を願わない女性は手を挙げてください。息子、娘は願っても、嫁には行かない、という女性は手を挙げてください。最近、風変わりな女性がたくさんいるではないですか? 「どうして男性が必要なのか?」と言う女性です。それは、原則的な法に背いて“どろぼうをしよう”という女性たちです。 最近では、フリーセックス時代が来たので、「自分がだれの子を宿したのか分からない」と言うのです。「その中で、馬賊団の一番の親分のような、マフィアの大将のような者と関係……。その子供がわたしのおなかの中で育つということを考えると夜も眠れない」と言って、神経質になり、堕胎したり、産むや否や目をつむってごみ箱に投げ捨てる母親も出てくるというのです。 これは、どれほど悲惨なことでしょうか? 自分の純潔な血筋によって神様の愛の代を受け継いで、真なる男性、真なる女性、愛は永遠なものなので……。(一部録音されていない) ……中心として愛の関係を結ぶようになるとき、妻を愛することのできる主人の資格をだれが夫にもたらしてくれたのでしょうか? 夫が千回、万回死んだとしても、女性を愛することのできる主人になることはできません。このことを知らなければなりません。 夫人たち、分かりますか? 「この男 女性を愛することのできる愛の主人の立場をだれがつくってあげたのか分かっているのですか? わたしだということを知っていますか? この男は」ということです。このことを知りませんでした。分かりますか? 愛の平準化の価値がどのようなものなのかを今、分かったのです。 男性が女性を愛することができ、主人になることができるようにしてくれた者は、初愛によって因縁を結んだ女性であり、それゆえに女性を愛することができるようになったというのです。わたしの心と体に女性の愛が染み込むように、それがどれほど必要なのかということを……。分かりますか? 女性も、同じことです。天下の花の中の花であり、香りの中の香りが漂い、千年万年、酔いしれて歌を詠じることのできる美人だったとしても、また美人でなかったとしても、目鼻がなく、すべてがない、それらが一つしかないような男性であったとしても、男性がいて初めて愛を感じることのできる衝動が発動するのです。失礼ですが、それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) いくら死んだ男性がうつ伏せになっていても何も感じませんが、生きている男性であれば女性は動じるのです。分かりますか? (「はい」)そして、人は家庭を愛します。おじいさんがいなければ、おじいさんのことは分かりません。おじいさんがいなければ、おじいさんが孫を愛することはできません。その味がどのようなものなのか分からないのです。 お母様が赤ん坊をたくさん生みましたが、昼間、活動して夜十二時を過ぎて帰ってくると、子供が十二歳になるまではキスして祈祷してあげました。しかし子供たちは、疲れていびきをかいて寝ているのに、どうしてそれが分かるでしょうか? お父さんがキスしてくれているのかどうか分からないでしょう。寝ていれば、背負子で背負って何十里を行っても気がつきません。「ああ、そんなものか」と言っていたのです。 ところで、孫を見ると、孫は息子、娘とは違います。その足元から……。足元から何ですか? 足元から波動が来るのです。どういうことか、考えてみてください。お乳も飲ませてあげ、このようにして見てみれば、母親とおばあさん……。おばあさん(真のお母様)がわたしに「お父様がおっしゃったことは本当でした。自分の子供よりも孫がどうしてこれほどかわいいのでしょう? どうしてこれほど美しいのでしょう?」と言うのです。 どこかに行って帰ってくると、孫の名前を呼んで「だれだれ、いるの?」と言い、孫がこのようにするの(=よちよち歩く姿)を見ると、お母様も一緒にこのようにしながら抱き抱えてためらわずにキスしてあげるとき、“わたしをあのように一度でもキスしてくれたことがあっただろうか、覚えていないが……”と思うのです。(笑い)ですから、おじいさんが孫を見れば、老いても孫をさらに愛していかなければならないので、愛がどんどん深くなるのです。 それゆえに、年齢が八十になれば、痴呆症になって町内にうわさが立つこともありますが、自分が愛する人は忘れません。自分の夫の名前もすべて忘れてしまいます。自分の母を、「お」と言って「かあ」という言葉を忘れてしまい、「かあ」という言葉がどこに行ったのか捜すのです。自分の妻の名前が金キム某ならば、「金」と言って次の言葉を捜し回るのです。忘れてしまうのです。思い出せそうで、思い出せません。 そのようになったとしても、愛する息子よりも愛する孫は、いつでも訪ねていくことができるというのです。ですから、おじいさんの愛を受けることが幸福であり、おばあさんの愛を受けることが幸福なのです。おじいさんとおばあさんに侍ることができず、一緒に暮らすことができなかった人は、不幸な孫、孫娘であり、不幸な男性、女性なのです。 おじいさんとおばあさんの愛を受けることができなかった人は不幸な人であり、おじいさんとおばあさんの愛を受けて暮らした孫、孫娘は人の中心として使うにふさわしい人になるのです。(「アーメン」) アーメンと言ったら感謝しなければならないでしょう。(「感謝します」)。「アーメン」という言葉は「み言のとおりに成されます」ということです。おじいさんの所に礼物が包んでおいてあれば、おじいさんを見てにこっと笑って、それを見て「感謝します」と言うとき、おじいさんが何と言うでしょうか? 「こいつめ」と言うでしょうか? 「感謝です」と言われたときには、その礼物をくれるのです。 さあ、それでは、男性の前に女性がいることによって、自分が父母の前に夫婦として家庭を持つことができるのです。父と母の前に孝行の道を行くことのできる関係的相対の位置に立つのです。おじいさんとおばあさんが二人でいるのに、一人だけでよいでしょうか? 分かりますか? (「はい」) 父と母が夫婦で暮らしているのに自分一人だけでよいでしょうか? 楽しく暮らす父母の前に、もっと楽しく暮らす息子、娘の夫婦が来てあいさつするとき、気分が良いというのです。分かりますか? 三代まで、孫までいればどれほど……。それが家庭です。三代が一緒に暮らし、四代が連結されて家庭を成すようになるとき、それが幸福な家庭なのです。 それでは、自分の家におじいさんとおばあさんがいなければならないでしょうか、父と母がいなければならないでしょうか、自分たち夫婦がいなければならないでしょうか、息子、娘がいなければならないでしょうか? すべて必要でしょう? (「はい」) それが世の中において、上下関係、左右関係、前後関係、すべてが必要なのです。三段階です。このようなことを中心として、四番目というものは何かというと実であり、そこから新しい出発です。孫、三代以降から枝が出始めるので、種の中にこの三つが、上下、前後、左右が連結された家庭的土台の中で実を結ばれたものが……。これがすべてを表しているのです。 これを見て、動機と同じように実を結んだので、この実の作用によって種が増えれば、それを蒔いて赤ん坊が生まれ、大きくなってその種と同じようにおじいさんとおばあさんになり、父と母になり、それから夫婦になって息子、娘を生むのです。そのような種ができ、一つの種から数十、数万の種が広がっていくのです。分かりますか? 上、中、下です。 この上、中、下の上下関係の中心が空いているのです。それから左右です。左右と言いますか、右左と言いますか? 左右というのは夫婦関係ですが、反対になっています。上下と言えば順序が合い、本来、右左と言うべきですが、なぜ左右と言うのですか? 反対になっているのです。それから、前後です。後前ではなく前後が正しいのです。男性と女性が堕落したので反対になりました。上下、左右、前後です。 高等学校を出た人は分かるでしょう。設計をするときに、点を打って、そこから線をこのように引けば球形になります。りんごのように丸くなるのです。これを半分に割って、さらに割って数えてみれば十二切れになりますが、十二切れはどの角度に合わせても合います。上弦、下弦、前弦、後弦はもちろん、右弦、左弦のどこにはめてもぴたりと当てはまるのです。相克がないので、電気を例にあげればロスがかからず、負荷がかかりません。愛によって平和がなされたところは、損害を受けないというのです。分かりますか? ですから、上下、左右、前後の中央の位置に神様がいらっしゃるのです。サッカーボールで言えば、サッカーボールがすべてこのようになって交差し、お互いに押し合っているのです。表面は丸くなっているのですが、いつどのように置いても九十度です。九十度の角度です。球形を成すのです。そのような球形的形態のモデルがなければなりません。神様は、そのモデルを中心として定着しようとするので、男性だけでも、女性だけでもだめなのです。 男性と女性、凸凹が必要なのは何のためですか? (「愛のためです」)。男性と女性はほとんど同じですが、一つだけ違うのです。そのことを、生理的に否定する道理がありません。女性の所有物に自分のものは一つもありません。地があれば、地からはあらゆるものが出てきますが、地自体には何もありません。 女性として息子、娘を育て上げますが、母親自体には何もありません。骨と肉と血だけがあるのです。そこに必要な付加条件とは何かというと……。胸は女性のものではありません。だれのものですか? 赤ん坊のものです。なぜお尻が大きいのですか? 骨盤を押し広げて出てくる赤ん坊のためではないですか? 赤ん坊が住む家があるでしょう? それを何と言うのですか? 子宮というでしょう? 子宮は女性のものですか? 子宮は自分のものですか? 胸は自分のものですか? なぜかわいらしい顔をしているのですか? 女性が自分で見るためですか? 女性は、化粧をしながらいろいろなものを塗ります。昔は薄赤い色を塗っていましたが真っ赤な色を塗るようになり、最近では青い色を塗るようになって、まるで死んだ血のような色を塗るのです。真っ黒なものを塗りますね。(笑い) 春の季節にはピンクに近い赤が春の園を美しく彩るのですが、これは何ですか? たたかれてあざになったような青い色を唇に塗っています。そして、最近では、死んだ色を塗るのです。真っ黒にです。それで、「これが良い」と言います。女性がすべての時代相を現すのです。 着ている服を見れば、亡国の僕なのか、興国の僕なのか分かります。原色は何種類ですか? 三種類です。男性を見れば、白か黒いもの、そうでなければ青です。男性はそうではないですか? 反対なのです。 女性は、まだらのあらゆるものを……。そのようにきれいな服を着た人で、部屋で昼寝するためにきれいな服を着る人を見ましたか? 休むために別荘に行けば、寝巻を着たり、動きやすい服を着るのであって、そのような所できれいな服を着る女性を見ましたか? さあ、風が吹くままに行ったり来たりする人が幸福な人ですか、不幸な人ですか? (「不幸な人です」)。木はどうですか? 台風が吹き荒れて激しく揺さぶられ、そのような中で生き残ろうとすれば、根が深くならなければなりません。 枝も折れてゆらゆらすれば、自分でも気分が良いでしょう。気分が良いと同時に、根が浅くなりますか、深くなりますか? 女性たち、どうですか? 風が吹くままに歩き回れば、根が深くなりますか、浅くなりますか? (「浅くなります」)。木と人間は反対です。 さあ、それでは、きょうは何の日だというのですか? (「世界統一国開天日です」)ええ、何ですか? (「世界統一国開天日です」)。開天といっても、水が流れていく開川ではありません。(韓国語では「天」と「川」の発音が同じ)開天しようとすれば、一人でできますか、できませんか? (「できません」)。夫婦だけでできますか、できませんか? (「できません」)。何ができるのですか? 開天節に開天することができるのは、家庭です。 それで、「世界平和統一家庭連合」なのです。世界平和統一した家庭を集めて、連合の体制を備えなければならないということです。分かりますか? 開天節の目的は何かというと、神様の本然的愛を中心としてどこに行っても妨げるものがなくなることです。 アメリカのすずめが春の季節に韓国に移ってきて、一週間過ぎた後に卵を産んでひなが生まれるでしょうか、生まれないでしょうか? (「生まれます」)。人種差別がありますか? (「ありません」) すずめはそうであり、アメリカのきじと韓国のきじは結婚しますか、しませんか? (「します」)。しますか、しませんか? (「します」)。三八度線から上の北朝鮮の鳥と韓国の鳥、また動物は行ったり来たりしませんか、しますか? (「します」)。“地雷があって爆発するかもしれない”と思い、危険を知って行ったり来たりしますか、危険なのかどうか分からずに行ったり来たりしますか? (「分からずに行ったり来たりします」) 「以前、母親が(地雷を踏んで)死んだ。自分と同じおなかから生まれた兄弟が死んだ」と言って、それで終わるのですか? それでも行ったり来たりするのです。蛇も行ったり来たりし、いちばん嫌いな虎でも何でも、思い通りに行ったり来たりするのです。人間はどうですか? それは、だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」)。ええ、何ですか? だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」) 国境線をだれがつくったのかというのです。(「サタンです」)。それを知らなければなりません。国境線がある所にはサタンがいます。怨讐がいる所には悪魔がいるということを知らなければなりません。だれが国境線を守っているのかというと、悪魔です。 皆さんの心の中には、国境(境界)線がどのくらいありますか? 自分たちの目を中心として、良いものと悪いものを見分けることができなければなりません。良いものだけを見ることを心は願うのですが、体は悪いものを見なさいと言うのです。自分を破壊するもの、国を否定し、家庭を否定し、自分を否定するものは破壊的なので、それを見てはならないはずですが、それを見ようとするのです。 いちばん破壊的な、危険物の中の危険物とはどのようなものですか? 爆弾は、爆発すれば一度その環境に被害をもたらすだけですが、最も恐ろしいものは間違った愛の遊びです。それは、一代だけではなく、国を滅ぼしうるのです。永遠にです。このようなことを考えるとき、人類始祖が堕落したというのは何によって堕落したのでしょうか? 愛の問題です。愛の問題なのです。 きょうは、「世界統一国開天日」ですが、先ほど訓読したように、多くのことを経てきました。先生がそれらを越えるために苦労したのです。結論は何かというと、今、修練をしていますが、先日、清平で何をしたといううわさを聞きましたか? (「入籍祝福式です」) 「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。すべてが含まれています。世界統一国開天日を宣布したのはオリンピックを……。これが今年のオリンピック大会です。わたしが国連に行って演説したときも、皆、価値観を放棄していましたが、今年の国連総会ではすべての国々の指導者が集まり、「価値観を設定する時になった」と言うのです。 自分勝手に暮らし、放縦に近い生活をしていた者が全員……。それは、そのようにせざるをえません。そして、文先生が語ったことをすべて知っているのです。すべて知っています。わたしは見栄えが良くはなく、それほど大した男でもないのですが、文総裁は有名です。有名ですか、有名ではないですか? (「有名です」)。どれほど有名ですか? どれほど有名なのか知っていますか? わたしが何か一言、失言しただけでも、世界が騒ぎ立てるのです。今まで、わたしがこのような凸凹の話をすると、「この教主」という言葉も聞きました。それで、「最も愚かな教主」というネームバリューがつきました。 郭錠煥会長がロンドンに行って、今日の世界で我こそはと飛び回るネームバリューをもった人を四十か国から約五百人集めて大将の振る舞いをするのですが、それは大したことだというのです。 優秀であるという人が統一教会に来ると、顔を上げることができずに帰っていきます。ここにいる皆さんは優秀ですか? 優れていますか、愚かですか? (「愚かです」)。ここに愚かな女性たちが来て大きなことを言っています。今では、そのくらい有名なのです。 現在アメリカでは、町内の教会ごとに統一教会の家庭連合旗を掲げる超宗教的な運動が広がっています。それから何ですか? 文総裁夫妻の写真を自分の家に掲げるのです。それから何ですか? 連合教会です。アメリカには教派が多く、宗派が多いがゆえに、家庭が破綻したのです。 一つの家に十人いれば、十宗派、十教派の人々がいて、義父の教会、義母の教会、嫁の教会、夫の教会、息子、孫の教会と、すべて違うのです。このようにして、聖日になれば、ひそひそと、「お父さんの教会に行こう」、「おじさんの教会に行こう」と言いながら引っ張っていくのです。ですから、教会も定着することができません。 教会も問題なのです。一か所だけに通っても定着できるかできないかなのに、歩き回りながら宣伝し、うわさを聞いてさまよい歩くので、何の財産もなく、根本もなく、のらりくらりとイナゴのようにさまよい……。そのようなことをしているのですから、家で息子、娘が育って青少年になっても関心を持つことができますか? このような牧師たちを追い出さなければならないというのです。 また、その峠を越えれば、宗教団体を中心としてある教派が霊験あらたかだと言えば、こそこそしながらこちらに引っ張ったり、あちらに引っ張られたりして、どちらが本物なのか分かりません。分かりますか? ですから、家庭を中心として、青少年たちが定着すべき学校を見てもその闘いであり、社会に出ても宗教の闘いなのです。それゆえに、思想でも何でも、若い人々が一つのところに定着して自分の生き方を考え、行くべき道を築こうと考える人は一人もいなく、毎日のように奔走し、我知らず複雑なところにどんどん追い込まれていくのです。それで価値ある人になることができるでしょうか? 最近それを知って、私が訓示したのですが、「このようですから、アメリカは間違いなく、家庭と青少年の破綻によって滅びるようになりましたか、なっていませんか?」と言うと、全員が「そのようになりました」と言うのです。「そのようにならない道を教えてあげましょうか?」と言うと、「教えてください」と言うのです。 すべての教派闘争を撤廃しなさい 拍手しなければならないでしょう。(拍手)それから、宗派闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)人種闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)主義闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手) 闘わずに一つにする、そのような本質的で、方向的で、目的的な存在はお一人だけいらっしゃり、千年前も一万年後でも同じでありつづけることのできる主人がいらっしゃるのですが、その主人とはだれですか? “一人しかいない王”という意味で“ハナニム(神様)”しかいません。ノーメン。(「アーメン」)。(拍手) すべては神様が分からないため、そうなっているのです。神様が分かるようになるときには、教派闘争が停止し、宗派闘争が停止し、人種闘争が停止し、文化格差がなくなり、闘争というものはなくなり、国境はなくなるのです。(「アーメン」)。(拍手) さあ、きょうの総結論を下しましょう。神様が必要であるということを考えてみた人……。ここにいる人は皆、知っているでしょう。神様を知らない人、手を挙げてください。神様を知っている人、手を挙げてください。分かりますか? 男性にとって、神様は女性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。女性にとっては、男性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。なぜですか? どうしてですか? 神様は男性が生まれることができる父親であり、女性が生まれることができる父親なのです。いくら息子、娘が貴いと誇っても、父親がいなければ息子、娘は存在できません。分かりますか? いくら「息子、娘が良い」と言っても、父親が生まれた後でこそ、息子、娘が生まれるので、息子、娘よりももっと貴いのです。 ですから、男性は女性よりも、女性は男性よりも神様がもっと好きでなければなりません。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。このことは、すべて整理されましたか? (「はい」) それでは、どのくらい好きですか? また、息子、娘を中心として、神様は息子、娘の何を好まれるのですか? 男性の前に女性が一つになることです。分かりますか? 女性の前に何ですか? 男性が一つになることです。何によってですか? 手段によってですか? お金によってですか? 知識によってですか? 権力によってですか? 強制的にですか? 何によって一つになることを願うのですか? 自然的、自然にです。そこでは、強制は通じません。自然にです。朝、太陽の光がさせば、眠っていたすべての山川草木の芽までも太陽の光を歓迎するのです。枝や木はもちろんですが、葉や芽までもすべて……。 神様の願いは何でしょうか? 神様はどのようなおかたでしょうか? 父母の中の父母であり、それから師の中の師であり、それから何ですか? 主人の中の主人です。(「王の中の王です」)。そうです、王の中の王です。(ですから)主人の中の主人ではないですか? 神様は、そのようなおかたです。それでは、神様というおかたは、どのように暮らされたいでしょうか? 父母の中の父母として暮らしたいと思われ、師の中の師として暮らしたいと思われ、王の中の王として暮らしたいと思われるのです。 それでは、その神様とはだれですか? 人類のだれですか? お父様というおかたです。そのお父様が息子、娘を生み、「神様の家庭をつくろう」と言われるのです。そうですか? それは間違いないでしょう? 神様の家庭をつくり、心の底から心全体まで、どこでも自由に通じるのです。体の底からどこでも自由に通じるのです。 それで、男性の神様、女性の神様、男性である息子、女性である娘が愛を中心として、孫と孫娘まで縦的に編成して家庭をつくろうというのです。それは、大ざっぱな計算でできたでしょうか、公式的にできたでしょうか? (「公式的にできました」) ですから、愛には秩序があります。第一段階、二段階、三段階、四段階、五段階、六段階、七段階、八段階の公式的な道があるのです。ソウルに訪ねていこうとすれば、一番の直短距離の道は二つありますか、一つありますか? (「一つです」)。一つしかありません。愛は直短距離を通るのです。 レバレンド・ムーンが最も苦労したことは何でしょうか? 真理の本宮を訪ねていかなければならないのですが、その真理の本宮とは理想的な本宮のことを意味するのです。では、人間にとって理想とは何でしょうか? お金ですか? 神様はお金をつくることができます。知識は、全知全能であられるので知識の王です。全能であられる神様なので権力の王です。神様は、必要なものはいつでもつくることができます。 しかし、神様お一人ではつくることができないものとは何でしょうか? 愛というものです。分かりますか? (「はい」)。お一人でつくることができないものが何だというのですか? (「愛です」)。絶対愛という言葉は、相対関係を備えなければ、授け受け……。授け受けするものの中でも最高であり、最高であると同時に唯一であり、不変、永遠の授受というものは、一人ではできません。絶対、唯一、不変、永遠であることのできる相対が、神様に合わせることのできる資格者とならなければなりません。 愛の相対として自分よりも劣る相対を願う、そのような男性や女性がいますか? (「いません」)。自分の相対は、自分よりも何百倍、何千倍、何千倍で終わりません、何億万倍です。 そうだからといって、愛の相対が「ああ、かわいそうだ」と痛哭するでしょうか、うれしいと言うでしょうか? 「おお、よしよし、わたしの愛する人よ」と言いながら踊りを踊って喜ぶところにおいては、千里万里を越えに越えて、さらに喜ぶことのできる道を行くことができるのです。分かりますか? (「はい」) それでは、神様の目に愛が見えるでしょうか、見えないでしょうか? それを考えてみましたか? 神様ご自身が愛されるとき、神様の目に愛が空気や火のように現れるでしょうか? どうでしょうか? (「見えません」)。息子が現れてこそ、息子が見えてこそ、息子の愛を捜し出すことができるのです。そうではないですか? 娘が見えてこそ、娘の愛を捜し出すことができ、自分の相対が……。 神様も男性格主体であられるので、男性に似ていらっしゃるでしょうか、似ていらっしゃらないでしょうか? (「似ていらっしゃいます」)。それでは、神様が男性格主体であられるならば、女性格主体がなくてよいでしょうか? 最近では、天の父母という言葉を言うのですが、……。 今まで天主教(カトリック)では、独身生活をしていますが、夫婦生活をしなければ、すべてなくなってしまうのです。それは、天地合徳時代になったからです。天地の調和が花咲くときに、花が咲かなければ種がなくなって枯れてしまいます。なくなるというのです。 さあ、そのように考えるとき、神様において、最も見たいと思われるものとは何でしょうか? おじいさんとおばあさん、国があればその国の王と王妃が愛し合うのを見たいと思われたでしょうか、見たいと思われなかったでしょうか? (「見たいと思われました」) 国の王と王妃が愛し合うことのできる位置は、まずだれが先に始めなければならないでしょうか? アダム・エバが先でなければならないでしょうか、神様が先でなければならないでしょうか? (「神様です」)。愛の主人はアダムではありません。(それは)神様なので、根であられる神様に根となる夫婦の内縁がなければならない、という論理が天地の道理です。 ですから、すべての存在世界の実情は、ペアシステムになっているのです。宇宙の出発の起源は何でしょうか? 雄と雌の概念から始まりました。分かりますか? それゆえに、雌として雄を追求せず、雄として雌を慕い求めない存在はないのです。ですから、お釈迦様までもどうだと言うのですか? 女性の話をすれば、笑うと言うでしょう? 文総裁はどうですか? 最近、世の中では「過ぎていった聖人よりも、生きている聖人といえば文総裁しかいない」と言うのですが、皆さんはそのように信じますか? (「はい」)。わたしは、アメリカでそのような話をたくさん聞きました。 生きている聖人は、目が二つでしょうか、三つでしょうか? (「二つです」)。わたしも目が二つですが、皆さんはどうですか? 同じですが、皆さんはどうですか? 聖人になることができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できます」)。真の父になることができますか、できませんか? 真の母になることができますか、できませんか? (「できます」) ところが、なぜなっていないのですか? 方法は知っているのに、そのようにしないので、なることができないのです。分かりますか? 皆、分かるでしょう? 真の父母になる方法を知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。知らない人は手を挙げてみてください。あれほど、真の父母は何であるかということを数万回聞いたでしょう? 耳にたこができるほどです。真の父母とはだれですか? “わたし”のお父さんとお母さんです。一度言ってみてください。真の父母はだれですか? (「わたしのお父さんとお母さんです」) あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何かというのです。(「偽りの父母です」)。偽りの父母です。なぜ偽りの父母ですか? 僕の血を受けたというのです。僕とくっついたので下女になりました。分かりますか? 真の父母とは何かというと、天の皇室を中心として天の国の血筋を受け継いでいるのです。それでは、その血筋を中心として、その血を買って自分の血と取り替えれば血筋が変わるのですか? O型の血を買って入れ替えても、変わりません。骨と血と肉が一つになっています。 それを取り替えようとすれば、死ななければなりません。なくしてしまわなければなりません。なくしてしまえば、(新しくまた)生じるところがありますか? 何を中心としてこれを改造しなければなりませんか? 根本となる愛です。偽りの愛によって始まったものを打ちのめし、真の愛を中心として……。 六千年、何万年たったこの古びた体は、偽りのオリーブの木と同じです。下を切って芽が出ないようにして、真のオリーブの木の枝を接ぎ木したり芽接ぎをして、これが出てこなくなれば、ここからあっという間に大きな木が出てくるのです。分かりますか? (「はい」) それゆえに、あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? (「偽りの父母です」)。なぜ偽りと言うのですか? 堕落した血筋だからです。堕落した父母とはだれかというと、神様の愛の姦夫です。天使長がエバを蹂躙し、根であるアダムまで抜いてしまい、偽りのオリーブの木をつくってしまったのです。 ですから、神様が宗教を立てて、この偽りのオリーブの木の畑の半分以上を神側にしようということです。それが半分以上にさえなれば、よいのです。そして、半分以上になれば、そこに真のオリーブの木……。 それゆえに、キリスト教文化圏が半分以上になれば……。イエス様も言ったでしょう? 自分の名前が全天下に広がれば主が来られるということと同じように、偽りのオリーブの木の畑の主人が偽りのオリーブの木を愛し保護する以上に、真のオリーブの木の畑の主人が真のオリーブの木を二十四時間愛すれば、偽りのオリーブの木がその主人に対して恨みを抱き、「この主人を捕まえろ。何が何でもあの真のオリーブの木の主人の懐に帰りたい」と言って……。 人には比較する知能があるので、偽りのオリーブの木よりも真のオリーブの木のほうが価値をもつようになれば、それと入れ替わろうとするので、自分の環境を捨てて他の世界に移っていくことができるのです。比較してより価値のあるものを求めていくのです。 統一教会においても、偽りの父母と真の父母を中心としてそれを比較してみれば、その暮らしにしても、何をするにしても、理想的な生活環境を見ても、すべて真の父母が勝り、神様に対しても、地獄に対しても、天国に対しても明確に分かるので、ここに接ぎ木されなければならないということが、見なくても、考えなくても完全に分かるのです。 ですから、しかたなく切ってしまわなければなりません。切ってしまうことによって、(偽りの)父と母の血筋を断ち切ってしまい、その国の血筋を断ち切ってしまい、国境がたくさんある取るに足らない血筋を断ち切ってしまうのです。 そのようにして、統一され神様の血筋に接ぎ木して、地獄にいた人々を統一教会の新しい天国に解放して連れていき、解放された天の国の一族をつくるということが統一教会員たちの一大所願なのです。(「アーメン」)。(拍手) 昔から多くの宗教が総結論をどのように下していたのかというと、国を捨て、家庭を捨てて出ていきなさいという出家の命令をしていたのです。「それは偽物なので、偽物を捨てて、地獄を捨てて、百八十度反対である神様の懐に帰ってきなさい」ということです。 ですから、世の中を捨てて出家し、最後は何まで断ち切ってしまうのかというと、血筋です。おじいさん、父と母から自分の体の中にサタンの血が連結されており、それを歴史に残してはいけないので、それを一代で終わらせるために独身生活を強調したということを知らなければなりません。分かりますか? 神様が宗教に対して注視される中心的な観点はどのようなことだったでしょうか? 国を捨てて出家し、男性が世の中の人と同じように女性と暮らしてはならず、女性も世の中の人のように男性と暮らすことはできません。神様が最も見ることを嫌われ、天宙を破壊した行動を再び受け継ぐのではなく、断ち切ってしまうのです。 いつまでですか? いつまでなのですか? この人類が汚したものをすべて清算し……。真なる宗教を通して真の父母が生まれ、天下に宗教統一を完成することができる内容をもって来るときまで、それを継続するのです。ですから、天主教もそうであり、仏教も、仏教の尼僧も、すべてそのように生きていくのです。終わりの日になったので……。 終わりの日とは何かというと……。(人類歴史は)祝福家庭を成すことができない歴史になったのです。神様は家庭を成すことができませんでした。神様はわたしたちの先祖の中の先祖ですが、家庭を持つことができず、人類の真なる父母が結婚できなかったのです。その代わりに堕落した悪なる父の後孫たちが結婚して暮らすようになったというのです。 神様は、このようにひっくり返ってしまった世界を救おうとされ、嘆息と悲痛な歴史を経てきましたが、それだけでは終わらず、兄弟同士で殺戮戦を展開しながら今まで歴史は発展してきたということが今日の世界的な実情であることは間違いありません。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」) それで、統一教会を信じる人々はすべて追い出されたのです。今は、統一教会が世界化されたので歓迎されるようになりました。アメリカでは、旧教でも何でも、宗教という団体はすべて連合して、「統一教会の旗を掲げよう」と言っているのです。先ほどわたしが話したとおり、教育をして各教派がそのようになりました。 青少年を教育する時間がたくさん必要なのです。おじいさん時代からおばあさん、お父さん、八代の堕落圏を越えるために、民族と全体を愛して境界線をなくすようにしなければならないのです。 まず先に、だれから真の結婚生活をして息子、娘を生み……。八段階の愛の主人のモデル型の基盤をすべて失ってしまったので、その息子、娘がそのことを学んで天の国に直通することのできる道を築き、自分の後孫が行くことのできる道を開いてあげ、これは切ってしまうというのです。分かりますか? 入籍修練会で終わるのです。 これからは南北統一です。南北統一ができていないので先生は……。今ではもう南北がわたしの言うことを聞かなくてもかまいません。先生は、天の国の主権を立てることのできる能力があり、天の国の祝福家庭によって天の国の民の家庭をつくることのできる能力があるのです。分かりますか? 神様が治めることのできる天の国の主権と天の国の家庭的民の数が数億を超えました。人類の半分の家庭を超えることのできる基盤を築いたので、ここで入籍が始まるのです。国が必要です。それが祖国光復です。真のご父母様が生まれた祖国が神様の祖国を成すことのできる出発の基準になることを願ってきたのですが、今まで四十年……。(録音が一部途切れる) そして韓国は、そこに反対し、統一教会の文先生に反対して、追い出せば滅びると思ったのに、自分たちが滅びるようになりました。国の主権が八代を過ぎるまでにあらゆることが起きました。全斗煥の時からが問題なのです。この者たち。盧泰愚、金キム泳三サム、この三代を中心として、国のすべてを完全にまきあげられて問題になったのです。それを保護したのが文総裁です。 それで今は、どのような時かというと、宗教がしてきた過去の個人的接ぎ木時代が過ぎ去り、今の時は……。旧約とは何ですか? 神様の愛を中心として家庭定着することができませんでした。分かりますか? 旧約は、結婚式ができなかったのです。アダム・エバが神様のように一つの体になり……。 その堕落以降の旧約は、メシヤを送ってこれを再び修復するためのものです。四千年間、メシヤが来ることを約束し、イエス様の家庭になることができ、氏族になることができ、民族、国家になることができるところを……。サタン世界が国家(基準)なので、サタン世界の国家を越えれば神様がともにある中心国家が生まれるのです。数百の国家があるとしても、サタン世界はこの中心国家という鉄槌を倒すことはできません。 しがみついて、どのようにしたとしても自分たちが壊れるようになっているのであって、天の中心家庭は壊れないのです。ぶつかればぶつかるほど、天の国が吸収するようになっているのであって、壊れる道理がありません。 今から、南北統一されれば、統一教会の文先生のみ言を中心として南北統一されたその国は、いくらぶつかっても壊れません。なぜですか? 壊れるのをすべて防ぐことができます。壊れない内容を知っているのです。知らないから壊れるのであって、教えてあげれば、防備することのできる内容が目の前に明確になります。 五千人であれ、五万人であれ、五十万人であれ、五千万人であれ、五億人であれ、全員がその道を行くのです。朝日が昇ってくるのに、「夜が良い」と言って朝日に背を向けて夜を訪ねていきますか? それは、ありえないというのです。 それゆえに、今から何かというと、家庭を接ぎ木して国家を乗り越え……。天でも地でも、すべて祝福してあげて家庭に接ぎ木したでしょう? 皆さんは十四代の先祖まで祝福したでしょう? 二十一代まで終えれば、世の中は平準化されるのです。それ以上は、死ぬなら死に、やめるならやめ、関係ないというのです。分かりますか?そして、霊界にいる先祖、聖人たち、イエス様、孔子、釈迦、マホメット、ソクラテス、この有名な人たちをわたしが全員、祝福してあげました。 祝福とは何ですか? 男性一人だけでは天国に入ることはできません。家庭が入っていくようになっているのが天国です。分かりますか? 天国とは何ですか? 家庭が入っていくのが天国なのです。 イエス様も、天国のモデル基盤にパスできなかったので楽園にいます。天国の待合室で二千年間待ち、あらゆる屈辱を受けました。イスラエル民族が滅んでしまい……。イエス様が結婚して一族が一つになっていれば、天下が統一される起源が開かれたのですが、祭司長と選民たちが反対することによって、その六百年後にイスラム教が現れて占領してしまったのです。 中東に十二支派が分派して、すべてがイスラム教……。マホメットがそうです。これはサタン側の宗教だというのです。物質を中心とした外的な問題を中心として、力と暴力で……。それが最も問題であり、アメリカにおいてイスラム教を中心とした黒人の勢力が強いのです。アメリカや自由世界を破壊することができ、共産世界と一つになって世界に問題が起きるので、しかたなく先生は消化運動をしているのです。 今、ワシントンで百万家庭の行進を中心としてわたしが指揮をしています。それで、他の宗教とともに、キリスト教の怨讐のような宗教であるにもかかわらず、兄弟よりもっと近い兄弟……。派が争っている中で、自分たちがそれを解決しようと努力するより以上に、わたしがもっと協助し、それを一つにすることができるように投入しているのです。 こうして先生は、怨讐の教派が世界的に発展しようとするのを協助しているのです。三つの教派を協助し、四つの教派を協助し、十二の教派さえ協助すれば、すべて終わるのです。そのような準備をしながら、世界の超宗教的な教団を通した祝福までしてきました。 超共産主義、超民主主義、貴族の息子、娘、その骨髄の息子、娘まで祝福圏内にすべて入れました。それは簡単なことですか、難しいことですか? 何によってするのですか? 先生が手段や方法を通してするのですか? み言を通してするのです。 そのみ言には天が共にあるので、み言の量にしたがって霊的な発展をすることによって、神様が分かるようになり、天の国の定義を完全に分かるようになるのです。ですから、「来るな」と言っても……。皆さんは、すべて教えてもらっているでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」) ですから、地の果てにいる宣教師たちは、先生がいなくても、今もその地の果てで教育を受け、指示を受けて活動しながら開拓しているのです。統一教会でしているこのような活動は、歴史上初めて地上に現れたのです。分かりますか? (「はい」) では、何千年前に死んだ聖人と統一教会の教会員が結婚式をしましたか、していませんか? (「しました」)。イエス様を結婚させましたか、させていませんか? (「させました」)。今、アメリカのベルベディアでイエス様が生活していますか、いませんか? (「しています」)。 すべての宗団長を集めて、自分たちの宗主が統一教会の文総裁から天国に入っていくことのできる特許権を受けたので、その特許権を再び公認される再祝福のサインさえあれば天国に入っていくことができるのです。ですから、「やめなさい」と言っても、分かる人たちはそれを受けたいと思い、どんどんと列が長くなるのです。 歴史以来、霊界で願う配給をもらったとしても、地上で最も願うもので、これ以上のものはありません。何千万年、待ったのです。ここに解放の天国の門を開き、入ることのできる資格証を上げるというので、死んでいるのか生きているのかも分からないほど多くの人々の心に火がついて、統一教会の門が破裂しそうです。 ここに、愚かな人たちが集まりましたか、優れた人たちが集まりましたか? 愚かな人ですが、ハーバード大学に幼稚園児が行けば愚かな人のようですが、そのまま出れば優れた人になるのです。統一教会の人たちは愚かだと皆が反対しましたが、それは知らないからそのようにするのであって、知れば問題の大きい教会なのです。分かりますか? どのような問題ですか? 神様まで解放しようというのです。そのような宗教を見ましたか? 神様から福を受けようという男性、女性たちはたくさんいますが、「神様をわたしの手で解放し、王宮を建てて王子の職位を守る」と言うのです。どうですか? 今、神様が死んでいるではないですか? 「神様は死んだ」と言うのですが、それを見つめながら行動できない神様は、どれほど悲惨ですか?この大宇宙をつくられたその主人であられるおかたが……。分かりますか? 今、皆さんは、清平で三時代の入籍です。三時代とは旧約時代、新約時代、成約時代です。三時代を大転換するのです。完全にひっくり返しなさいというのです。何によってですか? 旧約時代に真の父母がおらず、新約時代にも真の父母がおられませんでした。成約時代に真の父母が定着し、解放の入籍を行うことができるようにするためには、サタン世界の人間をすべて屈伏させなければなりません。そして、そのうえで支持を得て、障害なく上がっていかなければなりません。その前に解放天国を成すことはできません。そのときまで働き、そしてそれがすべて終わったので大転換式を行うのです。 再臨主とは何ですか? サタン世界で言えば、最後の人間です。最後の人間。それですべての先祖が……。霊界に行った先祖たちが協助を受けようとすれば、後代の人々が精誠を尽くしてあげなければなりません。霊界にいる先祖たちは天使長の位置であり、地上にいる者はアダムの位置なので、天使世界にいる霊たちはいくらでも地上を協助しなければならないのです。 ところが、地上でアダム完成を成すことができなかったので、血筋がひっくり返ってしまいました。このことが問題です。ですから、地上の後孫たちが天使世界を救うためには、反対に協助してあげなければなりません。祈祷してあげなければならないのです。 しかし今、そのような復帰時代は過ぎ去り、先祖が後孫を引っ張っていくことができるのです。今までは、天使世界がそのような立場で利用すれば、地獄に行きました。強制的に引っ張って地獄に行くようになりましたが、今では強制的に引っ張って天国に行く時になったのです。分かりますか? (「はい」)。天国に連れていく時が来ました。 それゆえに、今回、入籍した祝福家庭の皆さんは、金キム氏なら金氏夫婦はアダム完成者です。堕落する前、第四次アダム圏内に入ってきたので、解放……。天下に障害なく、サタンの痕跡のない解放的天国に入籍したので、霊界にいる祝福を受けた先祖たちは、金氏なら金氏の後孫で入籍した人のところに降りてきて協助しようとするのです。 ここで先鋒の位置に立って、それを整備しなければならない責任の遂行が待っているということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かったら拍手してください。(拍手) エジプトのイスラエル民族は、四百三十年目に神様の還故郷の命令を受けて、祖国光復のために出エジプトをして国を建てようとしましたが、失敗しました。メシヤとともに国を建てることができませんでした。 しかし、今日の統一教会員は、四十年を中心として家庭的荒野の受難の道を行きましたが、祝福家庭を率いて地上天上天国の王圏を樹立したのです。分かりますか? (「はい」)。統一教会の祝福家庭は、どこに行っても迫害を受けました。どこに行ってもつばを吐かれ、縛られ、ありとあらゆる屈辱を受けました。歴史以来、神様が非難を受けたすべてのことを、統一教会がこの地球上の数多くの民族を通して条件的にでも蕩減しなければ、越えることができません。 その中心の位置で、文総裁はそのすべての条件を清算してしまわなければなりません。個人で清算し、家庭的に、氏族、民族、国家、世界、そのサタンの頭をすべて自然屈伏させなければなりません。愛することによってです。分かりますか? 怨讐を愛すれば国境はなくなります。 ですから、先生は監獄に行っても国境(境界)を考えず、わたしの行く道においては、監獄の国境もわたしを制御することはできないということです。ありとあらゆることをしました。机の四本の脚を抜いてたたいても、その机の脚が折れてしまうのであって、わたしの骨は折れませんでした。強い人なのです。分かりますか? 今でも丈夫でしょう? (「はい」) きょう、今ここで相撲をとっても、わたしが三分の一の人はひっくり返すことができます。(笑い)だからといって、一度に列をなしてするのではなく、年齢別に代表してすれば間違いないというのです。 数十年前に統一教会の信者を集めて漢江の川辺に行き、「わたしに勝てる人は出てきなさい」と言ったとき、出てきて皆、わたしに負けたでしょう? 負けましたか、勝ちましたか? (「負けました」)。わたしは勝ったことはないと思いますが? (笑い)相撲をしても、運動をしても、釣りをしても、何をしても……。一日中、連れ回して投網打ちばかりするので、「先生の足が折れたらよいのに」とまで言った人がいるという話を聞きました。(笑い) 一日中会いたくて、一年ぶりに、二年ぶりに来て先生に会えば、聞きたくない話も聞き、悪口でも一言、言ってくれれば解怨されると思うのに、一日中釣りをし、投網打ち……。一日中するのです。どれほどおなかがすき、どれほど疲れるでしょうか? 一度、自分で投網を持っていこうとしても十メートルも行くことができないほど重いものを使って一日中するのですから、力も強いでしょう? 女性たちは、もちろん同情もしますが、後で「ええい、足でも折れればよいのに」と言うかもしれません。(笑い)ですから、わたしは女性から悪口をたくさん言われ、「理解してくれない」と悪口を言われ、あらゆることをされたのです。 この女性というやっかい者が、どれほどわたしを困らせたか分かりません。そうなのです。そうですか、そうではないですか、女性たち? (「そうです」) 大転換四位基台。四位基台を知っているでしょう? 入籍統一祝福式です。すべてが完了します。今やサタン圏は屈伏するのです。ルーシェルは、神様と真のご父母様と人類に降伏しました。問題は、その残兵たちです。それをどのように処理するのですか? すでに霊界大祝福以降にサタンまで屈伏したのですが、その敗残兵が問題なのです。敗残兵を整理するために、聖子たちが持っている宗教圏の三分の一を祝福しました。その三分の一が地上に降りてきて一つになることによって、家庭の周囲にいるすべての手下を追放してしまうのです。 今からそのように理解してください。周辺に数多くの先祖たちが来て自分の囲いになるのです。今までの宗教圏を中心として、地上の自分の特別な宗教団体に降りてきて協助することができるのです。上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになるのです。皆さんの決心いかんによって、環境条件は整備されます。ですから、信じて命令すれば、サタンの残兵たちはすべて退いていくのです。分かりますか? (「はい」) 大胆に、強く雄々しくあれ、というのです。天下にわたしたちを妨げる者はいないので、わたしたちに勝利できる者はいません。理論ならば理論的に、力ならば力、体制なら体制を備えた訓練が、世界のいかなる国より……。 アメリカ国務省も、アメリカ国防総省も、わたしたちを凌駕することはできません。訓練したのです。一年に百十三回、他の国が二年かかってすることを一週間に二度ずつして十分にやってのけました。統一教会には、そのような組織力があるのです。分かりますか? (「はい」) そこに及ばない自ら自身を初めて知ったのなら、そのまま追い込みなさいというのです。そのような位置の基準に到達しなければなりません。エバの国……。母親は、何回も死んで、骨までも削って子女たちを育てることができるように食べさせて、生かさなければなりません。分かりますね? (「はい」) それでは、神様と真の父母とは、だれですか? 真の父母とはだれですか? 天のお父様です。真の父母というよりもお父様です。分かりますか? 真の父母の血が、神様の血がわたしの心に入っていて、神様のみ言と真の父母のみ言は「最も貴いものは真の愛だ」ということであるがゆえに、真の愛という言葉を聞けば、体が大きくもなり、小さくもなるのです。 喜んで大きくもなり、神様のことを思えば悲しくて小さくもなるということです。どこに行っても拍子を合わせられないものがない、という人にならなければ、神様と真の父母の血筋を受け継いだ直系の息子、娘になることはできますか、できませんか? (「できません」)。できますか、できませんか? (「できません」) それでは、「できない」と言うことのできる人になりますか、「できる」と言うことのできる人になりますか? (「できない」と言える人です」)。「できない」と言うことのできる人になろうと決心する人は両手を挙げてください。わわわわ。拍手しましょう。(拍手)どれだけ美しいか写真を撮ってください。 神様は、わたしたちのだれだというのですか? 真の父母であり、真の師であり、真の王です。アダムとエバが堕落しなければ、アダムの一生において何をするのかというと、真の父と母の役割をするのです。 それから祝福をして、国が行くべき道を代身して代を受け継ぐようにし、それからアダムは何かというと、師の責任を果たし、それから王の責任を果たすのです。国を導くことのできる立場に立ち、地上天上天国の道理を明らかにする生活をしなければなりません。 縦的な真の父母であられる神様と横的な真の父母であるアダムが一つになり、一生を通して真なる父母の道を見せてあげ、真なる師の道を見せてあげ、真なる王となる道をアダムの一代において見せてあげていたならば、その後孫たちは、そっくりそのままその伝統を受け継ぎ、アダムが見せてくれた家庭完成、国家完成、天宙完成、ために生きる道理の道が歴史的伝統としてこの地上に現れていたはずです。ところが、堕落によってすべてが失われてしまったのです。 ですから、先生がこのことをしなければなりません。生まれて成長すれば、家庭完成しなければならず、国を取り戻さなければならず、世界……。言い換えれば、長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰の責任をアダム一代において完成できなかったことを、数千万年の歴史を通じてこれを合わせて神様の前に納品するのです。アダムだけを納品することはできません。 旧約時代に失敗したことを修復しなければならず、新約時代の失敗、成約時代に失敗したことを……。旧約は万物をサタンと分け合って所有しました。天は十分の一です。それは無念なことなのです。イエス様は、一から始めてすべて分かれてしまいました。 真の父母は、家庭理想を中心として、すべて崩れてしまいました。大韓民国の民族が分かれたことも、既成教会の旧教と新教が先生を迎えて侍ることができなかったことによるのです。それゆえに、先生の家庭も壊れていき、聖進の母親を中心として一つになることができるはずだったものが、すべて壊れてしまったのです。 家庭も壊れていき、息子、娘も壊れ、離婚という悲惨な歴史を再び復帰しなければならないという……。それを再び取り戻し、十四年目に新しいお母様を立てて、四十年間の歴史を経て蕩減してきたのです。九五年までです。分かりますか? 六〇年を中心とした四十年間を中心として、家庭的蕩減路程を抜け、地上天上天国……。モーセが八十歳で出発したのと同じように、先生の代でも八十歳代を中心として、分かれたすべての地上世界と天上世界を整理し、今からは行く道の前にサタンの反対もなく、ジグザグもなく、カーブもなく、完全に高速道路として一方通行で行くことができるのです。皆さんは、そのような観を持っています。 個人がどのように完成し、家庭がどのように完成し、氏族と民族、国家がどのように完成し、世界がどのように完成し、神様がどのようにして王の王となられるのでしょうか? 解放された千年万年の太平、盛大の時代における愛の主権の前に、愛の父母となり、愛の師となり、愛の王となり、愛の王の位置に立ち、個人的にできなかったことを天地全体を代表して、そのような価値をもった位置に立ててさしあげるのです。 そのことによって、そこで初めて神様の埋められた歴代の恨を越えて、解放された愛の勝利の王となられ、夫婦の代身、師の代身として、すべてのものを完成して初めて、そこで解放され、安息され、千年万年、永遠に永続する解放の地上天上天国が永遠に定着するのです。アーメン。(「アーメン」) それゆえに、アダムが家庭を通して真の父母となって、国を建て、国を建てることを教え、天地を立てることを教えてくれるのです。この真なる父母、真なる師、真なる王の位置をすべて見せることができなかったので、来られる主はこの三大使命である長子権、父母権、王圏を一代で整備し、地上天上天国を成し遂げ、兄弟とともに列をなして天国に入っていくのです。 そして、神様をお迎えし、天の国の建国を中心として、皇族とその権限を中心として、この万世、万宇宙、万物まで共に和合しながら、愛の主権の懐に抱かれ、永遠の福楽を享受することのできる解放された民族が暮らす所が地上天上天国だったのです。アーメン。(「アーメン」) 金日成の三大主体思想は、何ですか? 自主性、創造性、意識性です。それを三大主体思想と言うのです。しかし、それは人間を中心とした思想的内容であって、血統を中心とした愛の内容ではありません。それは過ぎ去っていくのです。分かりますか? この永遠不変の真の愛を中心とした、真なる父母、真なる師、真なる王の位置をアダムとエバが相続することができませんでした。ですから、真の父母が来て長子権復帰するためのものが、共産世界と民主世界です。唯心論と無神論であり、それから国家時代を中心として南北に分かれているものです。これらを統一するのです。国のためにです。この峠を越えていくのです。 それから、国連を通して世界天国、天上天国の天国民となることのできる道をすべて示してあげました。この国さえ一度に……。国が受け入れなければ、以北や南韓は切ってしまうのです。わたしは、韓国(韓半島)で生まれたということも言わないでしょう。韓国の代わりの国をすべて準備しているのです。分かりますか? ですから、文総裁が与えたすべてのものを、この国が受けることができなければ、国連に行って、さっとつくり……。今、この十月から教育が始まるのです。 超宗教超国家連合は、神様を意味するのです。宗教を超越し、国家を超越するのです。超宗教超国家連合の唯一的な統一思想を中心として、国連の名とともに教育します。国連の名で「教育を受けなさい」という命令が来るのです。分かりますか? そのとき、あなたたちは、世界のどこにでも行くことができるように国境を解体してしまわなければなりません。国境がない……。祝福家庭は、どこにいてもその場所で教育しなければなりません。十か国か、二十か国を集めて教育してみなさい。すべて溶けて一つになります。 そのような解放の世界のために、前進する、そのための準備の日を十二年前に立てたのですが、それを実践することができる定着の時代を迎えたことを感謝する時間が、開天節を祝賀するきょうのこの日だったのです。アーメン。(「アーメン」) 「わたしは真の父母にならなければなりません」。言ってみてください。(「わたしは真の父母にならなければなりません」)。さらに、「わたしは真の師にならなければなりません」(「わたしは真の師にならなければなりません」)。「わたしは真の王にならなければなりません」(「わたしは真の王にならなければなりません」) 天の皇族の継承者であり、師の継承者であり、真の父母の継承者が“わたし”なのです。天下にだれも妨げる者はいません。分かりますか? 神様の直系であり、アダムとエバの直系の息子、娘なので、わたしたちが行く道には天上天下のどこにも妨げる壁はなく、自由解放天国を率いて暮らさなければなりません。 その主人の歴史を皆さんの環境に残して、環境さえ消化すればよいのです。国家的メシヤです。分かりますか? 家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤの三段階さえすれば……。今ではもう、国家的メシヤも定着して暮らしているので、家庭的メシヤになることによって、金氏なら金氏一族が祝福を受けていなければ……。 年を取った人はやめてください。五十以上の人や結婚している人はやめて、若い人をつかまえて「三日だけ教育を受けなさい」と言うのです。(教育をしておいて)「祝福を受けますか?」と言えば、全員「受けます」と答えるのです。 強制するのではありません。耳で聞こえ、目で見ることができるのなら、「見てみなさい」と言うのです。鼻でにおいをかぐことができ、手で触ることができるのなら、「触ってみなさい」と言うのです。間違いなく、統一教会の夫婦がりっぱであり、統一教会の家庭制度がりっぱであり、統一教会の理想が神聖なのです。神聖なものに従っていくべき人生の本性的な本能がある限り行かざるをえないので、だれもがその道を行って天の国にすべて帰属することができるということを知らなければなりません。万民救援です。それで、宗教がなくなります。宗教が必要ありません。生きている間に大きなオリンピックをするのです。 今回のシドニー・オリンピックのマラソンで韓国人が勝つと言っていたのに負けてしまったのですね。何ですか? 二十四位ですか? ビリと同じことです。気分が悪いです。わたしが走れば、二十四位よりもっと早く走るかもしれません。(笑い) わたしはこのことを悔しく思いました。わたしが統一教会の人たちにマラソンの訓練をすれば、三分の一の人は、世界の人々の中で賞を取ってくるかもしれません。そうではないですか? それで、ブラジルにサッカーチームを二つつくりました。それを誇るのです。それからヨーロッパに二チーム、ロシアに二チーム、アフリカに二チームです。六大州にそれぞれ二チームずつつくって十二チームを持てば、世界のどこでもチャンピオンをつくることができます。このような準備をしているのです。分かりますか? (「はい」) それだけではありません。学術世界もわたしたちに残っています。一九四五年から六十年を過ぎて七十年間さえ越えれば、韓国に天才的な人々がたくさん現れるのです。天が送ります。 今後、新世界を創建して、すべての分野において世界を指導することができます。韓民族が世界的になるのです。それゆえに、皆さんが精誠を尽くしてそのような息子、娘を生むのです。そのような父と母になることができるように精誠を尽くしてください。 何もないのです。すべて否定しなさいというのです。否定して、あるものはひとえに神様だけであり、真の父母だけであり、神様の愛、真の父母の愛です。真の愛を中心として、ために生き、ために生き、さらにために生き、投入して忘れてしまう、そのように精誠を尽くす生活をする夫婦が暮らす所には、何もありません。 エデンの園で布団を敷いて寝ましたか? 裸でごろごろと寝たのです。そのような立場でも、それ以上に天を……。そこで天の国の王宮を代身して神様に侍り、真のご父母様に侍ることのできるわたしたちの家になります。このように約束するでしょう? (「はい」) 間違いなく約束する人は、きょうの開天節を中心として、両手を挙げてください。立ってください。宣誓する人は力いっぱい宣誓してください。三回です。お誓いいたします。 (「お誓いいたします」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」) 神様の祝福があることを願いながら、きょうの祝賀記念式に代えさせていただきます。(「アーメン。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.10
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三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式二〇〇〇年九月二十六日、韓国の天宙清平修錬苑にある天城旺臨宮殿で、真のご父母様は第一次の「三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式」を挙行なさった。祝福式に参席した祝福家庭は、すべて入籍に向けた祝福家庭婦人の二十一日特別修練を終えた家庭で、三六家庭から順番に全祝福家庭に四位基台の入籍統一祝福式の恵みを下さった。 きょうの主題は何ですか? その内容は何ですか? 三時代大転換四位基台祝福家庭の入籍祝福統一式です。心と体の統一、夫と妻の統一、父母と子女の統一、家庭と氏族の統一、氏族と民族の統一、民族と国家の統一、国家と世界の統一、世界と天宙の統一、天宙と神様の統一です。天宙統一です。国境という国境がすべてなくなったというのです。 皆さん自身が心と体のうちで一つになりましたか? なっていないでしょう? 個体が撤廃されていません。この国境線を誰が引いたかというと、神様ではありません。サタンが引きました。国境線があるのは、誰のゆえかというと、サタンのゆえにできました。ですから、国境線を撤廃しなければ、サタンはいなくなりません。 心と体の国境線、夫婦同士の国境線が多いでしょう? また、父と母、息子・娘を中心としてすべて自分を中心として愛せよと言います。反対になっています。ですから、二人がともに自分のためにと言えば、国境線ができます。自分のためにと言うところには、必ず国境線ができますが、その国境の主人がサタンなのです。 ですから、国境線のあるところには、サタンが生まれてくるので、サタンが生まれてくるところには、神様がいらっしゃることができないのです。それでは国境線が先にできましたか? 神様が国境線のないときに、愛を中心として住まわれたことがあるかというのです。神様が愛することのできる人は誰ですか? アダムとエバの万人息子・一人娘ですが、一人息子・一人娘を抱いて神様が愛してみたことがありましたか? 愛することができなかったのです。 アダム、エバの結婚式は、その主人が誰ですか?堕落しなかったならば神様となります。では、アダム、エバが初夜に愛するその愛の主人は誰ですか?神様です。そうであるなら、私たち人類の堕落しない先祖は何ですか? 主人ではありませんか? これをはっきりと知らなければなりません。神様は縦的な主人です。私たち人類の先祖は横的な主人です。人間が絶対に必要とする愛も、神様が絶対に必要とされる愛も、同じ愛ですが、絶対に必要とする愛を抱くには、神様を除いては絶対愛がありません。 神様の属性には絶対性・唯一性・不変性・永適性があります。ですから、神様が人格者といえば、どれほど長く生きられますか? 絶対的に生き、唯一的に生き、永遠不変的に生きることができるのです。 ですから、その愛の相対が誰かといえばアダム、エバです。アダム、エバは何をする人ですか? それを知らなければなりません。父母は息子・娘がいなければ、父母として息子・娘を愛することのできる主人の立場を永遠に見いだせません。それでは、神様を父にしてさしあげられる、主人にしてさしあげられるその者は誰ですか? 神様ではなくアダム、エバだったのです。息子・娘だったわけです。 絶対的な神様を主人にしてさしあげられる、そのような愛を築ける主人が誰かというとき、それは神様ではありません。誰ですか? お母さん、お父さんを主人にしてさしあげられるのは、お母さん、お父さんではなく、息子・娘がそうしてあげるのです。どんなにお母さんになって、お母さん、お父さんの愛を感じたくても、息子・娘がいなければ、永遠に愛を感じることのできる道がないというのです。 三時代とは何ですか? 三時代は旧約時代・新約時代・成約時代です。その三時代が失敗してきましたか、成功してきましたか? イスラエル民族が、旧約時代に旧約を中心として信仰生活を出発したその時代が、いつの間にか四千年が過ぎました。四千年が過ぎて約束したのが何かというと、メシヤを送ることです。 話の結論をつけるべきでしょう。三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式です。祝福統一式と言ってもかまいません。それはどういう意味ですか? 三時代が何かというと、旧約時代・新約時代・成約時代です。それが四位基台になっていないので出てきました。人類先祖が旧約時代に、宗教が出てくる前に、神様だけが知るその時代において、夫婦となって真の父母になるのが、神様が創造した目的でした。 アダムが真の父母になりましたか、なれませんでしたか? 真の父母の家庭に父母が現れなかったので、国を相続して神様の国を建設できる氏族がなくなりました。氏族がなくなったので、氏族と民族と国民がなくなったというのです。これは神様が願われないことなのですが、その駄目な結果をもたらしたのは、アダム、エバが時ならぬ時に火遊びをしたからです。火遊びという言葉を知っているでしょう? 男性、女性たちが火遊びすることを何と言いますか? 愛は火より恐ろしいですか、恐ろしくないですか? 愛を誤まれば血族が曲がってしまいます。すべて壊れていきます。いくら国が素晴らしくても、国の伝統がすべて崩れてしまうのです。神様の立てた伝統、真の父母の伝統、真の家庭と真の血族の伝統が崩れたのです。 三時代大転換四位基台の入籍祝福統一式です。旧約時代に真の父母がいませんでした。新約時代に真の父母がいませんでした。成約時代に真の父母がいませんでした。すべて失敗したのをつづり合わせて三時代を転換、引っくり返して打ち込むのです。転換四位基台の入籍統一祝福式です。統一です。天地統一、夫婦統一、心と体の統一、民族統一、神様と真の父母の統一です。これが最後です。 祝福が問題ではありません。アダム、エバが入籍するときは、一つの家庭を中心として入籍しましたが、今は数千万年の歴史時代にからまった、失ってしまった天国のすべてのものをいっぺんに探すのです。一代、二代、三代の先祖から縦的に失ってしまったものをずーっと探して、横的にはめ合わせるのです。(二OOO年九月二十九日、天城旺臨宮殿) 三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式というのは、何の祝福式かよく分からないでしょう。霊界を知らず、霊界の伝統を知らず、神様を知らず、また天の国がどうだということを知らなくては、何のことか分からないでしょう。皆さんがこの内容をすべて知るには、多くの精誠を尽くさなければなりません。このような日が到来するまで、神様がどれほど精誠を尽くされたかを知らなければなりません。 アダム、エバの夫婦は、誰の夫婦ですか? はっきりと知らなければなりません。神様が家庭を持ちたくて、天地万物を創造されたのを知っているでしょう? 神様は霊界に行っても見えません。皆さんが霊界に行けば、相軒氏が送ってきた内容を見ると、見えないというのです。先生のみ言の主題別精選十一巻、十二巻の『地上生活と霊界』の内容を見ても、神様は見えないと言っているのです。 また、そこで語った全内容について、地上で生きて何も知らずに逝ったのです。先生が教えてあげた内容もよく信じて逝けませんでした。相軒氏も一〇〇パーセント信じられなかったのです。先生が「右手は霊界をつかんで、左手は地上をつかんで一八〇度回しておかなければなりません」と言いましたが、そのような言葉をいかに信じますか? 信じられなかったのが、行ってみると間違いのない事実なので、どれほど驚いたことでしょう? 霊界論を解決するために苦心したのです。国際科学統一会議(ICUS)八分科の委員長として哲学者、宗教家、すべての者たちが質問すれば、(相軒氏は)答弁する立場ですが、いちばん難しい質問が何かというと、霊界についての質問なのです。霊界について聞かれたら、知らないので、もどかしかったというのです。 ですから、彼が考えたのは、何としてでも地上にいるときに霊界論を調査してから、霊界に行ってその内容が合っているか否か検証して残そうとしたのです。それが生涯の目的であり、自分が研究した出発、過程、目的のすべてがそれでしたが、その仕事を明かせないのでどれほどもどかしいでしょうか。はっきりしないので、明かせなかったというのです。ところが、行って先生の教えと霊界のすべての内容を対照すると、間違いなくそれが一つになっているので、どれほど忙しかったか分かりません。 それで四十日間……。皆さんもそうです。死ねば四十日間は場所を定めて定着できません。地上世界と天上世界を行き来しながら、先祖たちや自分の師匠とか、宗教を信じた者は、教主とかその方の案内を受けながら、地上に合っているか、天上世界に合っているかと言って、数か所を巡るのです。上・中・下と同じように中間にいれば、上を知り、下を知らなければなりません。 天・地・人で、人が真ん中にあるので、真ん中にある人が天の国を知り、地を知らなければなりません。死ねば故郷に、祖国の地に戻っていくのです。祖国に戻っていくにあたり、天の国と今現在と未来の世界が関係を結ぶには、霊界のどの位置に行く身分なのか、地上でいかなる立場だったかというのを付き合わせ、その位置に行くようになっているのです。それで四十日期間は絶対に必要なのです。 ですから、救いの摂理、復帰摂理の歴史においては、四十数がいつも問題となっています。イエス様も四十日後に復活、昇天しました。誰も霊界の四十日過程を経なくては、永遠なる世界に定着できないのです。そのためには四十日間の定着できない期間に霊界、肉界を自在に往来します。四十日後に決定して霊界にまさに行くようになると、地上に来られません。ですから、四十日間にこうした霊的な現象とか、地上で自分が研究できなかった霊界の総概論を紹介して、骨髄的な内容を最小限の期間内に伝達しようとするので、どれほど忙しかったか分かりません。 霊界というのは、小さな韓国の地や地球星ではありません。数千万倍の無限なる世界です。膨大なる世界です。人が住むのも、地獄から天上の宝座のてっぺんまで連結されていますが、必要な段階をすべてチェックしなければなりません。どれほど忙しかったかというのです。忙しく比較検討した結果が間違いないので、先生に報告したのです。また、先生もその仕事を命令しました。霊界に行くなり、四十日間を中心として、霊的世界と地上世界の総評を中心として、報告するように命令しました。 報告を受けてから、神様の承諾を受けなければなりません。報告したからといって勝手にはできません。神様を中心として霊界に知らせながら、地上の真の父母も知って、すべて知っている中で、その事実を記録して送ったのが『霊界の実相と地上生活』のメッセージであることを知らなければなりません。 ですから、これは経書の中の経書です。世の中に多くの経書がありますが、これは経書の中の経書なのです。歴史以来、堕落した人間が誤ったその日から、これまで霊界の事実を伝授された所がありません。その教えを解くことのできる宗教がなかったのです。また、それを教えるには、地上の上で勝利的な基盤があり、その勝利的な基盤を中心として、天の不完全な部分を正さなければならないのであって、勝利的な基盤なしに天の不完全な部分を知っても、それを正す道がありません。真の父母が来られて、地上の上ですべての不完全なものを蕩減し、整理しておいたので、それを中心として霊界が合っているか、合っていないかと言って、正さなければなりません。 霊界を見ると、これまで先生が教えてあげた理想天国の内容はありません。天国に祝福された家庭がないのです。神様を近くに侍って暮らす家庭がありません。イエス様までも楽園にいます。楽園が何かというと、天国に入るための待合室です。天国に入っていく待合室ですが、行って暮らす者が、男性ならば、男性として分かれて住むようになっています。夫婦というのはいません。 なぜでしょうか? 神様の血統を中心として、神様と一体となって夫婦の関係を結び、息子・娘を生んでいたならば、神様の血族なので、天の国、アダム家庭から一代先祖、二代先祖、三代先祖としてこれまで数多くの先祖たちを通じて生まれた人類のすべての先祖が、天の国に定着して占領したことでしょう。ところが、堕落することにより逆になっているので、天の国は完全に空になっています。 楽園を中心としてすべて保留にしておいたのを、真の父母が来られて地上整備した基盤を通じて、地上が完成してこそ、霊界が完成するのです。地上個人完成、地上家庭完成、地上氏族・民族・国家・世界・天宙まで完成した基盤になってこそ、神様の理想天国が成就するわけです。 堕落したので、万人の家庭から、一つの家庭から氏族・民族、すべてがサタンの一族になりました。血筋が異なりました。血筋が異なったのです。例えば今晩、結婚しようとするのに、結婚式を挙げられる準備をしておいたのに、宴の準備と生活ができるように完全に準備しておいたのに、新婦が別の男とくっついて堕落したのです。 絶対愛・絶対純潔を願われた神様が「ああっ!」と言われたのです。考えみなさい。天使長によって堕落したのです。この地上で韓国の民どうしで娼婦になって体を売るとしたらまだましです。人の数にも入らない、霊的な一面だけ持った天使長と堕落したので、これは何と言いましょうか? 相手もできない血筋を受けたというのです。それを神様が来られて、「私の愛とか何とか、私と約束したから」と言われるでしょうか? ぺっ! つばを吐いてしまうのです。地獄に逆に投げ入れてしまったのです。それで、神様は堕落した世界の者を愛することができません。 そのような人間像が、何かの理想とか、何かの天国とか、夢のような話をしてはいけません。そのように故障して、ひっくり返ったのをどうやって正しますか? 三六〇度、円形的にひっくり返して打ち込んだのに、東西南北が異なったのに、東西南北を合わせて、三六〇度を合わせる者は誰かいますか? 神様のほかには知りません。サタンもよく知りません。ですから、神様の秘密を悟る前にはサタンを屈服させる道理がありません。 それでは文総裁は、何をする人でしょうか? 神様の秘密をもって、サタンを叩きつぶす大王様です。本当に、自分が大王様だと言う者は本物でしょうか、偽者でしょうか? そうしたみ業をすべて成就したので、偽者と言っても、どうすることもなしに本物になるのです。私の言っていることが分かりますか? 世の中が違うと言って、世の中がどうこう言っても、偽者だと言っても、全部偽者をいちばん以上にやれば、本物の中心になるのです。 文総裁がこれまで統一教会をつくって称賛されましたか、反対されましたか? 反対されました。統一教会をつくらなかったならば、文総裁は監獄に行くような真似をしませんでした。何度、監獄に行ってきましたか? 六回です。とんでもない! それでは前科何犯ですか? ざっと六犯以上になります。出たり入ったりしたのは数百回になります。 できがよくてそうしましたか、できが悪くてそうしましたか? できがよくてそうしたのです。どれほど立派でしょうか? 神様より立派だというのです。なぜですか? 神様はご自身が定着できません。どんなにお父さん、お母さんが孝行者に孝行されたくても、お父さん、お母さんが孝行者の立場を果たす道理はありません。お父さん、お母さんが孝行者のお父さん、お母さんになっても、お父さん、お母さんが孝行者の主人たる資格を持つのは、永遠に不可能なのです。これは何のことか、はっきり知りなさい。 入籍とは何かというと、神様が私たちの本当のお父さん、お母さんにならなければならないということです。神様を本当のお父さん、お母さんだと思いますか? 神様が何をして暮らされるか知っているかというのです。皆さんは、耳が不自由で、外見は見えるようで実際には目の見えない人なのです。そのような人たちに私がどれほど「私に似なさい、私に似なさい」と言って、苦労して教えてあげましたか。それで、耳が通じて、目が開いて、聞くことができ、見ることができるのです。 統一教会の信徒は、先生の顔を見ると笑いますか、泣きますか? 道すがらに先生に突然会えば「あっ!」と言って泣きますか、嬉しくて笑いますか?(「嬉しくて笑います」。)嬉しくて笑いますが、会った後には、泣きますか、続けて笑いますか? 泣くときは、神様が離れるということを知らなければなりません。泣くときは、神様が離れて、先生と離婚するのと同じです。永遠に離別するのと同じです。 笑うときには、神様が訪ねてきて再会、再び会うのです。夫妻どうしでけんかした後には、和睦して会えば、その朝は気分が良く、その晩はさらに気分が良いのです。祝福した群れなので、そのような話をすれば、皆分かるでしょう? 晩にはなぜ、気分が良いですか? 新郎新婦として会うからそうです。ですから、二度目に会うときは、うれしくて純白の蒼い影が差しますが、その翌朝になると次第に深まっていくのです。 神様には妻がいますか、いませんか? 神様はあの世でも見えないのに、いるかどうかどうして分かりますか? 中継者が必要です。自分が知らないのをそのようにうまく取り合わせて、事実かどうか分かりませんが、暮らしてみると自分の秘密がすべて詳しく分かります。金孝南長老にきのう、何と名前をつけましたか?訓母と言いました。訓母、教えるお母さんです。 何を教えますか? 地上でのことはすべて知っていますが、霊界のことは知らないので教えてあげるのです。そうすれば、大母様なり忠母様なり、中間の立場に立って、天の国の便りしか伝える道がありません。伝えようとするので、心的な世界は通じますが、肉的な世界は通じません。心の世界を見て、聞いて、触って、そのようにできますが、体の世界は別の世界に落ちていったので、二つの世界に通じる者がいないのです。 精誠を尽くして道通するという、道通できる立場なので、聞いて、見て、触ってみて知るのです。五官が通じるので、臭いを嗅いでみると、臭い臭いかよい香りか分かり、触ってみるので、とげだらけか、すべすべか分かるのです。感じのよい五官の感触を感じることができ、すぐに良し悪しを判断して、教えてあげるのです。 教えるというのは、み言を中心として流れていくのです。谷間さえ見つければ流れていくのです。「み言の言」に「川」という字なので、流れていくのです。み言も流れていくのです。訓読! 訓読するときは、み言を売るのです。訓読会、み言は流れていき、み言は売らなければなりません。売るのに、人のものを売るなというのです。人のものをもって売れば泥棒です。 お父さんのものであっても、お父さんの承諾なしに持ち出して売れば、泥棒になるのです。お父さんの承諾を得たならば、それをどこに持ち出して売っても泥棒ではありません。承諾をもらわないで売れば、贓物罪となって刑務所に行きます。それは分かるでしょう? 訓読という言葉、み言は流れるものですが、自分を中心として静止してはなりません。四方に流れていかなければなりません。水が流れるようにするのです。「読」という字は何かというと、み言を売るというのです。これが「売」という字です。み言を売ります。売るのに泥棒して売るなというのです。私が実践して私のものとなってから売らなければなりません。 訓読会! 世の中で訓読会というのは、統一教会だけが備えている会なのです。何を教えてあげるのかというのです。天理のすべての秘密を備えた真なる真理を教えてあげます。真理を教えてあげるのに、真理は天のてっぺんから天下のどこにでも及ばない所がなく、すべて潤さなければなりません。水は低いところにはどこにでも流れていきます。 水はてっぺんからあの深く深い地獄の底、また底、千道、万道、億道も流れて下っていき、満たして上がってくるのです! 偉大なる占領をすることを知らなければなりません。空気がいくらなくても満たしに満たして、すべて満たしきったら休みません。世界を旅行するのです。水もそうです。水もすべて満たした後には蒸気となって、雲となり、世の中を遊覧するのです。 日光も同じです。深いところから満たすと、「世の中の天地に私が通じない所がない」というのです。空気も語り、水も語るのです。「世の中の天地に私が占領しない所がない! 私にすべてが占領された! アーメン!」と言うのです。「アーメン」と言うとき、「神様、私の心の畑に降りてきてくださいませ!」と言うのです。 神様はそうしなければなりません。神様は地に対して祈祷されるのです。地に対して孝子を探すのは、精誠を尽くす息子・娘たちが忠臣と孝子の道を行くのと同じです。真なる父母になるため、真なる夫、妻の立場で地に対して祈っています。「お祈りいたします、お祈りいたします。地上天地に孝行息子の家庭、孝行娘の家庭が現れるようにしてください」。それが父なる神様の願いではないでしょうか? そういうときは「はーい!」と言わなければなりません。 「よし、そうだ! 喜ばしい! そなたたちの懐には食べ物がないであろう? 手を広げてみなさい!」と言って、無限に与えてくれるのです。その心がいくら疲れて、空になっていても「広げて!」と言って、愛の風呂敷にぎっしりと詰め込んで、越えに越えて、世の中を覆い、白頭山、ヒマラヤ山脈のエベレスト山頂までもすべて埋めて余りあるのです。 それで雲と雨は空中から来るのです。高気圧は高いところから低いところに来るので、流れていき、深い谷間を飛ばさないで一様に分け与えるのです。太陽の光も同じです。このように流れる中で、速度がいちばん遠く、何と言いましょうか? 水がざらざらならば、油というのはどれほど滑らかでしょう? 愛が波のように流れるのに、滑らかなのがいちばん、絶対ナンバーワンです。 ナンバーワンと言うときに万人だけやってはいけません。私たちの家庭はナンバーワンと言うとき、女性は右側にナンバーワンと言い、男性は? 相対にならなければならないでしょう? 男性が左側になれば女性は右側になり、女性が右側になれば男性は左側になるのです。男性が右足ならば、女性は左足ですが、「男性が行くとおりに行く」と言って、右足を出せばどうなりますか? 十里も行かずに足が折れて死にます。足を傷めて死ぬのです。それがすべて調和しなければならないのです。 調和できない人は、かわいそうな人です。軸に差し込まれますか、軸に差し込まれませんか? 軸に差し込まれなければ、どんなにかわいそうか分かりますか? これは動的に平たいのに、このようになって、どれほど大変でしょうか? どれほど損害でしょうか? いくら上がっていきたくても、中心がなければ上がっていく道理がありません。ちょうど真ん中では中心があって、つかんでこそ定着するのであり、中心がなければ、どのようになりますか? 永遠に正す道がないのです。世の中の道理が、中心を中心として、東西南北に回るか、行ったり来たりするのであり、中心がなければ行ったり来たりするのは、すべて無駄なことです。千里万里を行ったとしても、行ったのか、行かなかったのか解決できません、中心がなければ。 統一教会も中心がなければなりませんか、あってはならないですか? なければなりません。中心が誰ですか? お父様ですが、お父様の中心は誰ですか? 神様です。神様の中心は何ですか? 真の愛です。 真の父母の入籍家庭に対する訓示です。教示は教える学校、教室で必要なものです。み言というのは訓示です、訓示。永遠に守るべき言葉です。主題が「真のご父母様の入籍家庭に対する訓示」です。指示事項、訓示の内容なのです 一つ目は何だと思いますか? 堕落以後の恨が何かというと、血統を汚しました。それで一つ目は純潔なる血筋をいかに永遠に千代、万代に残すかということです。もう二度と女性の三角地帯、男性の三角地帯に堕落があってはなりません。その影も見たくないというのです。それが愛のセンターです。本宮です。生命のセンター、本宮です。血統の本宮であり、良心の本宮です。国の、世界の本宮です。天地の、神様の解放をできる本宮! それを汚しました。恥を知らなければなりません。 すべて地獄の底に逆さまに打ち込まれているのを、先生がありとあらゆることをして引き出したのです。それを引き出すため、どれほど興進君が苦労したかを知らなければなりません。 一つ目が何ですって? 純潔なる血統を死守しなければなりません。皆さんは今や、息子・娘の教育を徹底してやらなければなりません。そんな姿を見せるなら、飢え死にするほうがましです。揺れ動く世界に足をかけて、目をかけて、五官が内外にすべてかかっています。それをやっと断っておいて、解放された家庭という立て札を打ち込んだのに、この周囲には千層万層のサタン世界が張り巡らされているのです。小さな隙間でもあったら、サタンの愛が入ってきて、サタン世界の空気が入ってきて、サタン世界の光が入ってきます。サタン世界の愛が入り込んでくるのです。 これを絶対に防御しなければなりません。防御する方法は為に尽くす愛です。自分を考える愛は必ず侵食されます。絶対に尽くす愛! 男性が生まれたのは男性のゆえに生まれたのではありません。女性のゆえに生まれたのです。男性は半分なのです。女性も半分です。二つが共に合わさって、でこぼこが一つになり、完全な輩となるのです。男性が未完成品であり、女性が未完成品です。男性が存在するのは、女性のためであり、男性のためではありません。なぜ? 愛は自分のために始まりませんでした。 相対が愛の主人をつくってくれます。妻が男性に何をあげますか? 男性となって、女性を愛せることを妻が教えてあげるのです。主人です、主人。愛を与えた主人です。また女性も同じです。愛を抱いたのは、女性として男性を愛することのできる主人の立場に立ったのは、男性のためです。愛を見いださせた主人です、主人。夫というものです。 それを勝手にやれば、人のものを勝手にやれば泥棒でしょう。泥棒です。それは村であれ、どこであれ、追放されるようになっています。五官が生じたのは、目が目を見るため生じたのではないのです。全体を、相対を見るために生じたのです。鼻があるのが、自分の鼻を嗅ぐためにあるのではないのです。環境要件を、自分の周囲を保護するためにあるのです。口が語るのも自分のために語るのではありません。自分の利益のために語ってはならないのです。そうするのは天地の原則に背くのです。 語るときには慰労の言葉、教訓の言葉、忠告の言葉、勧告の言葉は必要ですが、自分の利益とするための詐欺の言葉、侵食の言葉、圧力の言葉はサタン側に属するのです。そのようなことをすべて知っているでしょう、原理が分かれば? そのようなことができないと言う者は、どうしますか? ご覧なさい。神様がどれほど悲惨かというのです。エバが誰かというと霊的、肉的に縦横に連結されていたならば、神様の夫人です。心の父である神様の夫人が誰かというと、エバとなり、体の父の夫人もエバです。それでエバも心があり、体があります。心は縦的であり、体は横的です。二重になっているのです。 天地創造の原則が二重になったというのです。それは避けられないことです。この世で対になって愛を慕う存在は、すべて二重になっています。鉱物世界もすべてがそうです。分子ならば分子もプラス分子とマイナス分子に対になっています。植物もおしべとめしべになっており、動物も雄と雌、人間も男性と女性、天地も天と地という具合に対になっています。 五官もすべて対になっているでしょう? 手も対になっています。対応的な対をなすのです。こうして天地の調和がなされます。男性がここに左足を出せばどうなりますか? 右手が交差するでしょう? 交わってこれが一つになります。内外が、上下が合わなければなりません。 相対がなくなれば、行動の結実が現れません。役に立ちません。それが天地の道理です。無鉄砲に言っているわけではありません。先生は数学を勉強した人です。科学を勉強した人です。数理に天才的な頭脳を持っている人なのです。頭が悪くはありません。良すぎて心配です。 私が摂理の願いを成就するため、苦労をご飯よりも美味しく食べてきました。自己主管するには食を断たなければなりません。その次には眠りです。その次には何ですか? 性欲! 美人たちが誘惑すれば、かいば切りで首を切ってしまわなければなりません。私一代に私がプロポーズした女性のほかには、女性に引っ張られていきません。エバが男性を引っ張って堕落しました。ですから、男性がお尻を追っかければ、国を売るのは容易なのです。文総裁にはそれが通じません。 日本にいるときも、そのような歴史が本当に多かったのです。それを話せば日本民族がどんなに操について関心がないか恥じるでしょう。私は女性たちのありとあらゆる悪賢い手にかかってもなびきませんでした。独身の美男が万人で寝ていると、女性が裸で入ってきて「私、死ぬ」と言うのです。「五分だけ話をすれば、死ぬ女性を助けてあげられるのに、それもできないのがどうして男か?」こう言うのです。そのように言うでしょう? しかし、そのようにしてあげれば、どうなりますか? 日本、エバ国家に入り、怨讐の国で独立のために地下運動するチャンピオンなのに。私が下ポのたまりにどれほど行ってきたか分かりません。そうしたことを言わないから知りませんが。 それをいかにしますか? 深刻です! 神様がそのような立場でいかにされるかというのです。修行の世界は、最後に行くと女性と愛の問題で闘わなければなりません。後には何かというと、陽部に陰部をあてがうのです。笑いながら自分の首に力を入れて引っ張るのです。それをいかにすべきですか? そこで男性の生殖器が立ってはいけません。死ななければなりません。そうでなければ神様の息子になれません。それを否定しなくては、天に接ぎ木できる素質がないのです。(二〇〇〇年九月二十六日、天城旺臨宮殿) 真のご父母様の入籍家庭に対する訓示、指示事項 一つ目は純潔なる血筋を、純潔なる血統を永遠に、その下は何と言ってもかまいません。要は純潔な血統を死守せよというのです。「純潔な血統の死守」でもよく、「絶対守護」でもよく、純潔な血統は説明しなくても皆分かります。どんな修飾語をくっつけてもかまいません。 二つ目は何かというと、「一心定着!」一心、神様も一つの心です。心と体が一つの心でなければなりません。そうしたお父さんの心を中心として、男性の心も女性の心も一つの心にならなければなりません。心、体が闘いましたが、一つの心となって、家庭も一つの心です。 お父さん、お母さんも一つの心、息子・娘も一つの心、孫も一つの心、そのようになって定着しなければならないのです。一心定着! 分かるでしょう? 一心、心!「心」という字です。定着! 神様も息子・娘の心が一つになった家庭で定着しようとされたのです。 宇宙が一つの心に定着しなければなりません。夫、妻、息子・娘が一つの心です。きのう、何と言いましたか、先生が? 正午定着と言ったのです。一心、中央にぴったり縦的に立てば、影がありません。そのことです。これは家庭が今から必ずや守るべき訓示です。 三つ目は子女に対することです。子女に対する真の愛の実践教育! 父母が教えてあげなければなりません。子女たちに真の愛を実践することを教育しなければなりません。今やすべて家庭に対する話です。夫婦が純潔を守り、一心が定着しなければならず、その次には子女に対する真の愛の実践を教育しなければなりません。嘘ではありません。教えてあげてこそ従っていくでしょう? 父親は酒を飲んで帰り、母親を怒鳴りつけおいて、父親の言葉に従えと言えば従いますか? 母親は父親をだまして嘘をつきながら「私の言うことを聞きなさい!」と言って聞きますか? それで子女に対する真の愛の実践教育なのです。教育ではなく実践教育です。実践して教えてあげるのです。これを標語にして、字がうまい人に書かせて、かけておかなければなりません。自分がうまく書けるならば書いてみなさい。私が一つ書いてあげたらいいのですが、皆さんの精誠が込められないので駄目です。皆さんが精誠を尽くして書くのです。 その次に四つ目が何ですか? 今から言うことをよく聞かなければなりません。切に願ってこそ記憶するのであり、尋ねてよいものでしょうか? 国境撤廃と交差結婚! 偽りの愛をすることによって、相対結婚が交差結婚になったのです。ですから、反対となる者と結婚してこそ、正されるわけです。引き離して、反対にくっつけなければなりません。ですから、国境線がなくなります。より尽くして怨讐を誰よりも、自分のお父さん、お母さんよりも愛さなければなりません。先祖よりも愛する心がなければ不可能です。神様の心を抱かなければいけないのです。 ですから、四つ目は「国境線の撤廃と交差結婚」です。今や皆さんが結婚するにあたり、霊界においてこれまで結婚させるにあたり、三代怨讐とか、自分の先祖が知っている歴史的な怨讐とか、そうでなければ三時代の国の怨讐となる者と結婚させてあげました。それで柳寛順が日本人と結婚したのを知っていますか? 柳寛順が日本の警官たちによって六つにちぎられて死んだのに、なぜ、その日本人と結婚させてあげましたか? これです。怨讐を愛さなければならないのです。 その国の怨讐の父母が、その息子・娘が結婚すれば、「私たち父母は、怨讐を互いに憎んで、夫妻どうしでお父さん、お母さんを憎んで、皆怨讐視した。多くの国境を抱いて怨讐視したが、君たちは国境撤廃である。縦横にどこでも、その影にでも怨讐に復讐するという心があれば、天国にならない。平和の足場とならない」と言うのです。それで交差結婚しなくてはならないのです。三代を交差結婚させなければなりません。 血筋を交差させて接ぎ木した野生のオリーブの木に真のオリーブの木が接がれ、そこに実を結んだのを三年以後に摘み取って、その後に種を植えてこそ、真のオリーブの木が芽生え始めるのです。どれほど難しいことでしょう。そうした基準を中心として、まさに家庭で本郷の地を探そうとするこの課題の前にどれほど厳粛でしょうか。 もっと深刻な話をしなくてもよいでしょう? どのような怨讐ですか? 自分の国における三時代の皇族たちを、サタンたちがすべて王たちを捕まえて殺すのです。縦的な三代と横的な三代を中心として、三×三=九を中心として、未来の十二人の女性たちをその夫たちが見ているのに、体を汚して、刀で腹を裂いて殺してしまったわけです。そのような怨讐なのです。 そのようなことを見て口も開けられず、涙だけ流したのです。口もきけずに行動もできずに、見て一人で涙を流される神様の心情を誰が知りえますか? 滅びた国の事情を誰が知りえますか? それを知る者たちが自分の血族の血筋を汚すことができますか? 後に男性たちはすべて殺してしまうのです。三十五歳、三十六歳以上、四十歳を越える者たちは。皆殺してしまい、若い赤子と妻たちは僕にするのです。それがサタン世界の伝統的な歴史であることを知らなければなりません。 血統の因縁が、サタンを中心として、怨恨の歴史が絡まっているという事実を知っています。それを解かなければならない文総裁の心、一言だけ話せば慟哭します。天下が壊れうるのです。そうした心を抱いたご父母様の前に孝行娘となる自信がありますか? 孝子となる自身がありますか? 私はないものと見ます。この聖人・聖子の道理を果たさなければなりません。私がそのように自信がないと見て、皆さんには望みをかけません。私がまだ行く道が残っていると、生命をかけて死の場を求めて、峠を越えに越えてみたら、ここまで来ました。 父母を失ってしまい、王権を失ってしまい、天下を失ってしまった王者の姿のどこが楽ですか? 死んで埋められたとしても、地に逆さに埋められなければなりません。願いは何ですか? 惜しいことがありますか? 私は何もありません。お金を一銭でも集めて、昼ご飯を食べずに夕ご飯を削りながら、地を買うために皆さん以上に努力したのです。日本の皆さんの血肉を売ってやったとしても、良心の呵責がありません。 祖国光復、国連の国を私が築いています。私が再整備して汚さない地を築いて、神様に侍り、聖殿を建て、天下を解放して、その場に行って敬礼を捧げて霊界に行くというのです。そこがどこですか? 原初聖地・根源聖地・勝利聖地です。そうした言葉を聞きましたか? 南北が聞かなければ、切ってしまい、国の領土をつくってあげなければなりません。今、手続きしているわけです。 孝子にならなければならないのに、何だかんだと言ってどこにいますか? お父さんの前では同じです。昔、事故が起こり、戦争が起こって逃げて避難して、養子に行った者ですが、知ってみると血筋が同じなのです。兄弟と考えなければならないのです。顔が同じで生活が同じなのです。そのようなことを見るとき、私が夜を徹しながらも教育しなければならないのです。 国境撤廃と交差結婚! 交差結婚は何ですか? 来年から祝福するときは、日本人どうしでは結婚できません。怨讐の国、アメリカの国、それから中国の国と結婚して、ソ連の国と結婚するのです。これをしてこそ……。第二次世界大戦以降に日本の女性や日本の男性たちが損害賠償をしませんでした。敗戦国として土地を売って、女性を売らなければなりません。国が四方に裂かれるのです。しかし、私が防備しました。蒋介石に日本を助けるように言ったのです。それを知っていますか? 死んでからこのような私を好きになるでしょう。 日本を分割しないように言ったのです。なぜですか? 私に守るべき責任があるからです。そのようにしなかったならば、四か国に分割されて、四つの島の女性と男性たちが異国の地に行きますが、男性たちは僕の子になるのです。ですから、戦争で滅んだものを再建させるのに、血の汗を流しながら働くのです。妻たちは流れ行く天の川を眺めるのです。外国に行って月を眺めながら故郷を忍んで、涙を拭いて、その息子・娘が恨を抱いて住むところを、文総裁が防備しました。 損害賠償しなかったので、第二次世界大戦以降の損害賠償を請求して、再び平和基金を集めるべき時が来るのです。私が国連を通じてやるでしょう。 戦勝国家も敗戦国家も同じです。兄弟どうしで闘うのは、堕落の報いです。同じ価値と見るので、世界平和のために真の父母が教育できるように国の基盤を整備して、新しい心情文化を創建する費用として各々が出し合うのです。それが足りなければ二次戦争三次戦争のような戦争をして、死ぬのを見たとしても、神様の勝利を讃美して、その墓まで花が咲けと祝祷して言ってこそ、兄弟が生まれて国が祖国の領土になることを知らなければなりません。それを見てこそ、神様の前にすべてを捧げるべき真の父母の召命的な使命が終わるのです。深刻です。 その次に五つ目が何ですか? 国境撤廃と交差結婚の次は、何だと思いますか? 祖国光復! その次は何だと思いますか?(「天国建設」)天国建設ではなく、天国創建です。建設はあるものをくっつければいいですが、創建はつくってやらなければなりません。何ですって? 祖国光復と祖国創建! 祖国を見いだせなければ天国が創建されません。必死なる召命的な責任です。 今、国を見いだしてこそ入籍ができます。王様が椅子に座って手続きしておいたのを、印章を押して国庫に貯蔵しておいてこそ、初めて国に入籍するのです。国がなければなりません。それが大きな峠です。イスラエル民族が出エジプトするときの峠と同じです。ですから、自分の長子権を犠牲にしなければなりません。長子の血を流すには、羊の代わりに誰かが犠牲にならなければなりません。家庭的な羊の代わりに血を流さなければならないのが統一教会です。 サタン世界が一つ目であり、二つ目が結婚でしょう? これらが血を流さなければなりません。血を流すのに純潔なる血を流さなければなりません。お母さんが汚れなかったお母さんとして赦しを受けるのです。汚れなかった息子・娘、カイン、アベルが一つになって血を流さなければなりません。そうして汚れたお母さんたち、汚れたお父さんたち、汚れた息子・娘のために血を流して、犠牲にならなければなりません。あらん限りの精誠を尽くすのです。願いがあるとしたら、それしかありません。残したすべてのものが、今、故郷にいるお父さん、お母さんが問題ではありません。出征した兵士です。 天の国が初めて願いに願った、待望した家庭的な出征命令が出ました。祖国を家庭からひっくり返して打ち込んだので、家庭を再び探すべき神様的な運命、堕落した世界から復帰する運命……、ご父母様がこの地に来られて失ってしまった失敗の因縁をすべて解消させて越えていくべき最後の進撃命令が、天国創建であることを知らなければなりません。そうするには祖国がなくてはいけません。祖国の上に天国を築くべきでしょう? そうですか、違いますか? 運命をかけた生涯の使命です。 自分の一族が滅びるとか、妻が死ぬとか、自分が死ぬことが問題ではありません。ただ、この心が先立って、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」とありますが、このことを言っているのです。 隣り人は誰ですか? 共産党です。カインです。カイン! 神様のように愛さなくては、祖国光復が実現しません。地上・天上天国に神様を解放できる国が生まれません。国を連結させて民族を克服して、伝統と文化を克服する天国創建の使命は、国を抱いた者たちの責任です。日本の国は、天国創建できる召命的な責任を絶対に負うことができません。その国が天の側ではありません。 ですから、祖国光復と天国創建です。祖国光復は何ですか? 全世界の人たちが南北統一運動をしなければなりません。それが終われば、自動的に国連を通じて天国創建時代が到来します。それを背後ですべて準備しているのです。今や教育が終われば、皆さんのように教育すれば、カインの国とアベルの国が一つになるのです。国連の名前で教育するでしょう。 北朝鮮と韓国が文総裁によって一つになるのです。神様主義と頭翼主義を持ったので、父母によって一つになるのです。それで超国家超宗教圏、絶対・唯一・不変・永遠なる神様の真の愛を中心とした、水平なる平和理想的な真の愛だけをもって一つにできるので、国がある限り天地創建は問題がないのです。 祖国光復と天国創建! いつでも、ご飯を食べても、寝ても、一日のうちにトイレに行って大きいの、小さいのを出すときも、力を入れながら祖国の地に小便をして、大便をするのだと考えなければなりません。食べて消化して力が余れば天国創建に……。 祖国を失ってしまい父母を探せないのが恨です。本然の地、本然の父母、本然の血族を失ってしまったその恨を知らなければなりません。はっきり知らなければなりません。この女たち! 母の国です、母の国! その血肉を抜いて、世界の若者たちに食べさせてあげなければなりません。骨を削って若者たちの足場に、農土にまいて肥料をつくってあげるのだと考えなければなりません。ところが、生きた供え物の総献納基金を……。 先生に捧げるようにというのではありません。この前の演説文の中に国連の名前ですべて持ち合って結束させるよう宣布しました。ですから、これからは過去をつかんで日本の国に入っていき総生畜、すべての国の家と所有を神の国の建国に捧げなければなりません。堂々と今や国連の名前をもって教育を施して、文総裁の代わりに語ってあげます。やらないときは気合を入れる時が来るのです。 女性が堕落しました。荒野となって石ころ畑しか残らず、東京都がすべて崩れました。自分が、日本人が努力しましたか? 文総裁がエバ国家として選んであげたことを最近になって知るのです。皆さんは知っているでしょう? 知っていますか、知りませんか? 知っているならば実践しなさい。皆さんの血を私は吸いません。千万、万倍、世界が皆さんの懐に抱かれるのです。種です、種! そのようにしても私が忠告するほど、すべてやりました。天地をかけてその条件に引っかからないため、あらん限りの忠誠を尽くしました。飢え死にして生きられないようになったら、私の買った地、南米に来なさい。土地がないですか、畑がないですか、果物がないですか、穀物がないですか、米がないですか? 牛がいないですか、羊がいないですか、豚がいないですか? ないものがありません。今、買っておいた土地だけでも済州島の十二倍です。ソウルの二十倍です。 (六番目は)訓読経原理の暗記! 本を暗記せよというのです。暗記! 経です、経! これは本のことです。聖書、仏教の経典と同じです。 皆さんの家庭にこれを贈り物としてあげますが、今からはこれをすべて記憶するように。韓国語ですべて記憶して、ここにある言葉を、ご飯を食べるときも使い、祭祀に行ったり、学校に行ったりしてもこれを使い、知らないことがなくなれば、韓国語を自動的に学ぶため、毎日一時間、一時間はできなくても夕方に帰ってきてやることがなければ、これを暗記しなさいというのです。 訓読会する時間がないと言ったら雷が落ちます。ご飯を食べるより美味しくなければなりません。死んでいた自分の息子・娘が生き返ります。お父さん、お母さんがご飯より美味しく食べるようになれば生き返るというのです。教えてあげなければなりません。千年の内情が溶けるので、夫婦もふさがっていた壁がすべて、また父子関係でふさがっていた壁がすべて、ガラガラと崩れるのです。それを嫌がるならば滅びなければなりません。 それで訓読経原理を暗記完成せよというのです。原理暗記、暗誦せよというのです。暗記して暗誦するでしょう? 暗記する前に暗誦できますか? 暗記したら暗誦、一人であってもすらすらと読むことができます。 皆さんの家庭が読むべきこれが、先生の八十歳の生涯を中心として語ったみ言です。祖国光復を中心とした八十歳の記念演説とともに国連で語ったこのみ言は、私たちの家庭に与えることのできる最後の礼物です。それで訓読経原理の暗記完成なのです。 真の父母の八十歳の生涯に対することは、やらなくてもかまいません。新千年祖国光復に対するすべてのみ言、ここにすべてが含まれているのです。祖国光復するのに、新千年の先生の誕生日を記念する全国大会を再び行ったのです。これさえ分かれば、新千年のうちに先生の八十生涯に対することがすべて入るというのです。 その次は何ですか? 七つ目は何ですか? 家庭盟誓の実現化! そこにすべて入っているのです。家庭盟誓を皆知っているでしょう? 一つ目は何ですか? 祖国創建! 二つ目は孝子・忠臣・聖人・聖子の道理をすべて立てよう! 三つ目は天の国の四大心情圏と三代王権と皇族圏を完成することです。天の国の王宮法がないので、王宮の伝統を立てていかなければなりません。 それが三つ目であり、四つ目は「神様の創造理想である天宙大家族を形成して、自由と平和と統一と幸福の世界を探そう」というのです。それから六つ目は「真のご父母様の代身家庭として天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。今やすべて成就したので神様の代わりに福を祈ってあげなければなりません。福を祈ってあげて、祝福してあげて息子・娘が天の法度を守っていくお手本になるのです。 その次に何ですか? 「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結した為に生きる生活を通じて心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。それが何かというと、純潔なる血統です。七つ目です。本然の血統というのは、堕落しない神様の純潔なる血統です。純潔なる血統を守って、その純潔なる血統は為に生きる生活をしなければいけません。自分に尽くせといっては駄目なのです。 男性は女性のため、女性は男性のために生まれてきたので、そうしなければなりません。父母は子供のために生まれ、子供は父母のために生まれてきました。お兄さんも弟のために生まれ、弟もお兄さんのために生まれました。国も私たち家庭のために生まれ、家庭も国のために生まれたのです。同じです。為に生まれたものは、為に生きる心情がなくては統一天下を大成することができません。投入して忘れてしまう原則、多く投入して忘れてしまい、一つになるために努力した者は、神様のもとに行けるのです。 影のない正午定着と愛の第二創造主になれということ、これは今回の大会のみ言の骨子です。ですから、正午定着という言葉! 正午定着と神様の代わりに第二創造主の愛を残していこうというのです。 最後に八つ目です。最後が何かというと、影のない正午定着、天宙的な正午定着と神様の第二の愛の創造的な主人になろう! 相続したので、主人になってこそ天上天国に愛を築いて捧げる者になるので、天国の民となり、天の国を相統するのは間違いなし、アーメン! 天宙的な正午定着と第二創造主の真の愛の責任を完成しようというのです。愛を完成できなかったでしょう? 神様が創造してくださったすべてのものを壊して、公害問題、環境を破壊してしまい勝手にやったのです。動物もたくさん死んでしまいました。神様の息子・娘に最高の贈り物として与えたもの、私たちの家庭生活の糧としようとしたものをすべて殺してしまったので、神様の第二創造主となって、神様が贈り物として下さったものを、神様の代わりに愛していきながら暮らして、天国に行こうというのです。 愛することができなかったでしょう? 村にやってくるカササギ、最近、韓国ではカササギが害になるからといって、捕まえて殺すでしょう? 心配しないで、国でカササギが一年食べていける穀物を準備してよく育ててみなさい。漢南洞ではハトの餌、鳥の餌を準備していつでも与えるのです。ですから、その村を通り過ぎるときは、鳥たちも腹がふくらんで通り過ぎるときにはカササギも「キャッ、キャッ、キャッ」、ハトも「クッ、クッ、クッ」、スズメも「チッ、チッ、チッ」と鳴いてから行くのです。挨拶するのです、挨拶! 主人がいるとしたら、そのまま通り過ぎずに挨拶して行くのです。ありがとうと考えるのです、毎日のように食べ物を与えるので。 ですから、カササギを見たければ漢南洞に来なさい。朝早く来れば、カササギを見ることができます。ハトもお腹が空いたときには豆畑にいるのです。食べ物をあげるので、すべて関心があるのです。動物たちもそのようにしつけるのです。人もそのようにしつけるのではないですか? 赤ちゃんに乳を飲ませたら皆、「オンマ(お母さん)、オンマ!」と言うでしょう? オンマしか知らないではないですか? 同じことです。 それでは、今や思いどおりに行くのに、これを標準として家宝のように考えなさいというのです。純潔なる血統、一心定着、真の愛の実践教育、国境撤廃と交差結婚、それが重要なのです。今や姻戚関係を結ぶには好きな人と結婚したらいけないようになっています。私たち統一教会は、とても面白いのです。姻戚になるのを互いに嫌う者どうしが、間違いなく姻戚になりました。そうか、そうでないか探してみなさい。あの家とは絶対に死んでもやらないというと、絶対に姻戚になるのです。調べてみなさい。そうか、そうでないか? 最後が何ですか? 家庭盟誓の実践完了。アーメン! それでは、万歳してみましょう。「万歳!」万歳。「万歳!」死んでも万歳!「万歳!」生きても万歳!「万歳!」死んでも万歳!「万歳!」生きても万歳!「万歳!」死んでも生きても感謝万歳!「万歳!」統一万歳!「万歳!」(拍手)(二○○○年九月二十六日、天城旺臨宮殿)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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どこに行くべきか2000年9月25日 第一次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」が天宙清平修錬苑において、二〇〇〇年九月二十四日から二十六日にかけて挙行されました。二日目の二十五日の夜八時からの御言です。 皆さんが帰る前に一つ伝えたいこと 明日、出発する人は手を挙げなさい。全員、明日行くのですか? なぜもっとここにいないで、明日行くのですか? 皆さんが帰る前に、私が一つ伝えたいことは、「どこに行くべきか」ということです。それを決めてから行かなければなりません。 一生を経て、全員が行かなければならない所が霊界です。全員が一つの所に行かなければなりません。ここにいる人たちが、それぞれ自分勝手に生きたとしても、全員が霊界に行かなければならないのです。 霊界があるということを知っていますか? (「はい」)。霊界があるかどうか分からない人、手を挙げなさい。そのような人は人間ではありません。(地上で)いくら人間のような姿をしていても、霊界に行けば、人間の姿で生きることはできません。 人間の姿で生きようとすれば、主人がいなければなりません。皆さん、男性でも女性でも生まれる時には、絶対に自分勝手に生まれたのではありません。主人がいて生まれたのです。それがだれかというと、父母です。 そうだとすれば、父母がいる所がなければなりません。父母が暮らす家がなければならず、父母が暮らす国がなければならないのです。それが私たちの故郷であり、自分たちの祖国なのです。この地球は広いですが、みな故郷が違います。また、数多くの国があり、みな(国が)違うのです。地上での暮らしは瞬間だというのです。 私たちは霊界に関してよく知っているでしょう。神様に関してよく知っていて、だれが何と言おうと、「自分が行くべき所がどこなのか」をはっきりと知っている人たちです。分かりますか? (「はい」)。世の中が反対し、天地がごった返したとしても、自分が行くべき所を知って歩んでいく人は、かわいそうな人ではなく幸福な人です。皆さんは幸福ですか? (「はい」)。 どこに行くのか、分かりますか? (「はい」)。だれかが大きな声で答えたので、私が一つ尋ねてみましょう。霊界を知っていますか? (「はい」)。聞いて知っているのですか、行ってみて知っているのですか? (「御言を聞いて知りました」)。御言を聞いて知ったとは、どういうことですか? 御言を聞いて、行い、「事実がそうだ」と思い、「そのようなことを見たので、(御言のとおりに)行えば、そのとおりにすることができる」と、こうならなければならないでしょう。そのことが明確でなければなりません。 先生の生涯において、たくさんの迫害を受け、多くの苦労をしたということを皆さんは聞いたと思いますが、そのすべての苦労と迫害を一つに合わせても、それよりも自分が大きくなければいけません。のみ込まれてはいけません。のみ込まれるときには、自分が知っている世界と関係を結ぶことができません。結んだとしても、そこまで行くことができないというのです。 今現在、自分が暮らしている環境、自分の価値、それをすべて加えて合わせたとしても、「自分が行って暮らす所と比較すれば何でもない」と思うときには、世の中が何と言おうと、「何でもない」と思い、そこに行くことができるのです。そこに行くことが間違いないとすれば、彼は幸福な人です。 さあ、皆さん、今からどこに行きますか? 明日の朝には出発するのですが、どこに行くのですか? 行く前に、自分が行くべき所を決めてから行かなければなりません。 御言を訓読して、「間違いなく行く。生涯において暴風雨が吹き荒れ、受難の道にぶつかり、一生を嘆息と絶望の中で終えるとしても、私が行くべき所はここだ」と決定して行く人は、かわいそうな人ではありません。分かりますか? いくら困難な環境にいたとしても、「困難な環境にいる私を、真のご父母様が見守ってくださっている」と思う人は幸福な人です。真のご父母様が見守ってくださることは、幸福なことです。自分が真に行くべき所があることを知り、また、それを見守ってくださる真のご父母様がいるということまでも分かったとすれば、どれほど幸福でしょうか。真のご父母様だけではありません。自分の兄弟、妻子、一家、一族、一つの国までもがそうであるとすれば、どれほど幸福だろうかというのです。分かりますか? (「はい」)。 それでは、そのように行くうえで、だれもが分からない環境で、そのようなことをはっきりと知っていて教えてくれる方がいるとすれば、その方はその国の精神的中心存在になります。希望をもって行く人たちは、そのことを考えるたびに、ご飯を食べていても、寝ていても、仕事をしていても、それを教えてくれた方のことを考えるというのです。 その方が十年前、百年前に行ったとしても、その方の教えを自分が記憶して、その方が指定した所に行くことを決めたとすれば、そこに行ってその方と会えるという希望が、どれほど大きいだろうかというのです。 そこに行って全員が出会うようになるのです。今日、この地上に生きながら何も知らない人と比較してみれば、どれほど幸福でしょうか。では、地上でそのようなことを知り、「自分が行く所はこのような所だ。そこが霊界の中心だ」と思うとき、それがどれほど価値あることでしょうか。そのことを考えてみなさい。 希望をもって行く人は、「自分は未来に、このように成功する」という目標を決めれば、その目標のためには、それ以上の内容を投入しなければならず、それ以上の価値を自分自身が投入しなければなりません。そうしなければ、到達することはできません。 未知の世界である、そのような所に向かって行くという事実をはっきりと知らなければいけません。世の中でそれを分からずにいる人よりも、どれほど幸福でしょうか。統一教会の教会員はそうだというのです。今現在、先生の生涯を知らなかったとしても、何度も何度も、見れば見るほど、だんだんとはっきりとしていきます。 信じない人に話すことが、どれほど苦しいか 私は今疲れています。疲れていても、「どこに行くのかを決めよう」と言ったので、話をすべて終えなければならないでしょうか、話の途中でやめなければならないでしょうか? (「続けなければなりません」)。このような話やあのような話を長くしている時間はありません。今からまたソウルに行ってこなければなりません。 金孝南長老! 「孝南」という言葉はよい言葉です。「南方の国から訪ねてきた孝女」という意味です。南方の国といえば、暖かくて希望があるのです。北方では家を建てるとき、いつも南向きに建てます。すべてそうです。南方といえば、「新しい知らせを伝えてくれる客人が訪ねてくる」と考えるのです。 金孝南、どこに行きましたか? 先生が御言を語れば、座って、どのような指示があるかと待っていなければなりません。(「あちらから出てきます」)。(拍手)ここに来なさい。名前を何というのですか? (「金孝南です」)。何をするおばさんですか? 姜賢實、何をするおばさんですか? (答える) 何が霊界ですか、その話がうそなのか事実なのか、だれが分かりますか? 興進を見ましたか? 興進とはだれの息子ですか? (「真のご父母様です」)。どうして先生の息子なのですか? 神様の息子でしょう。天の国の司令官として任命したのは、神様が任命されたのでしょうか、先生が任命したのでしょうか? (「神様です」)。神様が任命されたのですが、それが事実かどうか、だれが分かりますか? 見たのですか? (「感じています」)。感じることがすべて正しいのですか? (「正しいです」)。なぜ正しいのですか? 考えてみてください。皆さん、興進君が霊界に行ってから、すでに十五年を越えたでしょう。十五年前のその時に、先生は間違いなく「興進君を霊界の総司令官として送る」と宣布しました。その時に、信じた人がいましたか? 一人もいませんでした。 では、先生がそれを宣布する時、自信をもってしたでしょうか、震えながら仕方なくしたでしょうか? 宣布! 「宣布」と言ってみてください。宣布! (「宣布!」)。宣布したのに、信じる者は一人もいませんでした。それが人ですか、何ですか? 信じるべきことを言ったのに信じないのですから、それは人間ですか、獣ですか? それ自体が矛盾です。 学校に行って勉強する人は、数学であれ、何かの公式であれ、自分でそれが分かるのですか? 学校に行けば、先生の言う話を一〇〇パーセント信じなければなりません。先生のことを、小学校の先生ほどにも信じることができない者たちではないですか? 「自分の息子がどうだこうだ……」。 興進君を霊界に送るための手続きが、どれほど複雑だったか知っていますか? 知っているのかというのです。(「知りません」)。知っていたら、拍手して歓迎していたでしょう。(拍手)今ではなくその時にです。今は、仕方なく機嫌を取るためでしょう。そのような拍手は嫌いです。その時に拍手していれば、どれほどよかったでしょうか? 一人もいませんでした。 ここにいるおばさんも信じることができなかったでしょう。信じるのは、私しかいませんでした。知っているのも、私しかいませんでした。そのようなことをするのも、私しかいませんでした。神様はご存じでしたか、ご存じなかったですか? (「ご存じでした」)。ご存じなのかどうか、あなたたちは調べてみたのですか? 今は、知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。どうして知っているのですか? (「お父様の御言を聞いて知りました」)。ですから、その時には信じることができずに、どうして今になって信じるのかというのです。 興進の顔を見て、先生のように(興進君が)こうして座り、「話を聞きなさい」と言う姿を見たり、その声を聞いたりしたのですか? (「清平に来て知りました」)。清平に来て、どのようにして知るのですか? 今でも、お父様の御言を信じないではないですか? 信じる人は、この中で三分の一にもなりません。 信じない者たちが集まって座っているのです。そのような者に、信じることができるように話をするのがどれほど大変か分かりますか? 信じない者たちを集めて、信じられない話をする人が、どれほどかわいそうか分かりますか? しなければよいのですが、そうもいきません。一回して、二回して、三回して、四回して、十回して、百回なら百回しなければならないのです。 私が教えてあげた「興進君が霊界の総司令官だ」ということを、一つも理解できず、信じもしない人に、話すことがどれほど苦しいかというのです。その時に話をしておかなければ、どのようになっていたでしょうか? その時に、興進君の役事を分別しながら立ててあげなければ、天の国の総帥として、地上に伝達できる責任者がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 李相軒が霊界に行って報告した「霊界の実相」を見れば、私が任命したそのとおりの内容です。うそでしたか? (「そのとおりでした」)。 千六百三十年前に生きていたキリスト教の旧教世界の聖人と言うことのできる聖アウグスティヌスが、姜賢實女史の夫です。それを信じますか? (「はい」)。千六百年前に霊界に行った聖アウグスティヌスが、現在ここに生きている姜賢實女史の夫だということを信じますか? (「はい」)。頭が狂ったのでしょう。(笑) 姜賢實、立ちなさい。この女性は間違いなく、千六百三十年前にこの地上で生き、イエス様をよく信じ、天主教(カトリック)では聖者だと呼ばれる人の夫人です。信じますか? (「はい」)。狂った者たちです。(笑、拍手)じっとしていてください。 では、賢實はそれを信じますか? (「信じます」)。信じるのですか、知っているのですか? (「知っています」)。どうして知っているのですか? 夫が来て、キスをして、愛してくれましたか? これを見てください。そのとおりだそうです。(笑、拍手) 夫が年を取っているとは思わないでしょう。祈祷すれば、来て、すべて教えてくれるので、どれほど素晴らしいでしょうか? その人たちが暮らす天国があるでしょうか、ないでしょうか? (「あります」)。その天国に一度行ってみたいと思いませんか? 賢實、行きたいでしょう。(「行ってみたいです」)。この女性は正しい女性ですか、どうにかなってしまった女性ですか? (「正しい女性です」)。 さあ、興進君が霊界に行ってイエス様のお兄さんとなり、全霊界の大将となっているということを、信じるのではなく、知っているという人は手を挙げなさい。手を挙げなさい。なぜ、手を挙げたり下げたりするのですか? 自信がないのですね。 歴史を整えて導いていくには聖人が必要 ですから、歴史を整えて導いていくには聖人が必要なのです。預言者が必要だというのです。先覚者が必要だということを知らなければなりません。先覚者たちはその時代に来て、一般の人が理解できない話をするのです。それを理解できずに冷遇すれば、その部落なら部落が滅び、国民なら国民が滅び、国なら国が滅び、世界なら世界が滅ぶというのです。 今、韓国の人たちは文総裁のことを「文総裁は、我が国の歴史にない愛国者だ」と言うでしょう。「世の中がそのように言うので、その人の歩んできた歴史を調べてみると、世の中のだれもできない事実がたくさんあり、一代で、なそうとしたことをすべて成し遂げた。それは、うそではなく事実である。世の中の人がそのように言うのは事実だ」と、こうなるのです。 「今から百年後、千年後はこうなる」と言えば信じますか? 十五年前に言ったことも信じることができないのに、「千年後、百年後にこのようになる」と言えば、信じることができますか? その時に訪れる福の環境が、どれほどとてつもないものでしょうか? 「百年後にこうなる」と真実を言えば、百年ではなく、何百年後までも待つことができる民族は、世界を指導することができるのです。 言ったことが間違いなく事実であるならば、それを信じていった人たちは、どこに行こうと、確定したその世界が(その人たちを)主人として迎え、侍るようになるのです。このような時は拍手し、「アーメン」と言わなければなりません。(拍手)(「アーメン!」)。 「三時代転換一体圏祝福」。それが何だか分かりますか? 「三時代」とは、旧約時代、新約時代、成約時代です。先祖が三度失敗しました。「神様の御旨とは何か?」。神様の御旨に関して、神学的に尋ねてみると、「簡単のようであるが難しい」と言うのです。そのような答えがどこにありますか? 統一教会はそうではありません。「神様の御旨」といえば、「創造理想完成。創造理想完成は四位基台完成」と、明確なのです。 李相軒が霊界に行って記録したものを見ても、間違いありません。数多くの聖人、聖者たちが報告したものを見ても、間違いないのです。神様もご存じなので、文総裁を守ってくださったのです。それが間違っていれば、守ってくださったでしょうか? 聞き耳を立てて、つんとした目で見つめないでください。私も若い時には、美男子だと評判になった人です。ああ、本当です。(「信じます」)。 女性の中で、今でも私を愛している人は手を挙げてみなさい。この女性たち! 夫を横にして、手を挙げてどうするのですか? (笑)このように大変なことになりました。何かの薬を飲ませたわけでもありません。心がそうなのです。強い磁石は鉄を引き付けるように、良心が鉄のように、無性に先生を好むのです。 世の中には、無性に憎い人がいるでしょう。何かをくれと言ったわけでもないのに、憎いのです。ところが、「ください」と言えば、あげたいと思い、もっとあげたいと思い、さらにもっとあげたいと思う場合もあるのです。そのような心があります。たとえ法によって首を切られるとしても、手を切られるとしても、それでも会いたいと思うのです。 ここにいるこのおばさんもその時は、二十六歳の若々しい女性でした。夫もいなく、神学校に通いながら伝道師として、一人で私のところに伝道しに来たのです。しかし、私に引っかかって転びました。(笑)どれほど既成教会の熱血分子だったか分かりません。 私があなたのために、高麗神学校の総長と副総長に会ったではないですか? 「神学校で最も優秀な女性を、どのようにして惑わしたのか?」と言うのです。たくさん悪口を言われました。先生に狂っていると言うのです。毎日のように訪ねてくるので、「凡一洞の美男子に狂った」と、近所の人がどれほど指を差したでしょうか? 「到底信じることができないことを言うのに……。あの女性は狂った」と言うのです。この人は、二十一歳から復興会の講師でした。その世界で名前の通った人です。話が上手なのです。今、(この人を)立てれば、私が恥をかきそうなので立てないのです。(笑)本当です。 さあ、それでは、興進君が霊界の司令官だということは間違いありませんか? (「間違いありません」)。イエス様が興進君に侍るのですか、興進君がイエス様に侍るのですか? (「イエス様が興進様に侍ります」)。見たのですか? ここにいるおばさんは、霊界から電話をしてくるのも聞き取ることができます。神様に尋ねれば、答えも聞き取ることができるのです。聞き取るだけではありません。見ることもできなければなりません。 普通の人は音声を聞いて、「ああしなさい。こうしなさい」と言うのですが、音声だけを聞くならば、いくらでもサタンは詐欺的な電波を送ることができるのです。私は、そのことに関して専門家です。それゆえ、見なければいけません。見るだけでもいけません。鑑定しなければならないのです。 向かい合えば、「角度がどのくらいなのか」ということをすぐに鑑定できなければならないのです。見下ろしているのか、見上げているのかということです。恥ずかしいと思っている人の目をのぞき込んでみると、目が下のほうに向いていきます。自信満々ならば、上のほうに上がっていくのです。直感が鋭くなければなりません。そして、四方を測り、「どのようになっている」ということを鑑定し、処理できなければなりません。何も分からずに、狂った者のようにしていては、人を死に至らせ、町内を滅ぼしてしまうのです。 先生はこのように座っていますが、今後世の中がどのようになるか、ということを明確に知って生きている人です。しかし、言葉では言いません。体をもって霊界を占領しなければなりません。イエス様の体をサタンがもっていったゆえです。祈祷もしません。 そのような何かがあるので、世の中が滅ぼそうと、狐を追い込むようにあらゆることをしましたが、私を捕まえることはできませんでした。死ぬと思ったのに、死にませんでした。滅びると思ったのに、滅びませんでした。なぜですか? 天運が保護するのです。滅ぼそうとした人は、自動車事故が起きて死ぬこともあり、あらゆることが起きました。神様が保護してくださったからです。分かりますか? (「はい」)。それゆえ、数百回死ぬところでしたが、死にませんでした。滅びると思ったのですが、滅びませんでした。 はっきりと通告しなければならない先生の責任 五色人種がさまざまな国から、世界の果てから訪ねてきました。文総裁が「来なさい!」と一言言えば、このようにみな訪れ、では「行きなさい!」と言えば、どうなるでしょうか? 「行きなさい」と言えば、残るでしょうか、全員行くでしょうか? 「どこどこに行きなさい」と言えば、全員がそこに行くのです。それで、「行く所を決めているのか?」と尋ねたのです。どこに行くのか知っていますか? 今から一か月、二か月、十年後にはどこに行くか分かりますが、百年後にどこに行くか知っているのか、というのです。十年後に行くべき所を決めて、そこを訪ねていく人はいるかもしれませんが、「千年、万年後に行くべき道を知るために行く」と考える人が、どこにいるのかというのです。いないではないですか。 それゆえ、明日、出発するのですが、間違いなく……。ここに男性が来ましたね。妻を取り戻しに来たのですか、妻を手伝うために来たのですか? 思いどおりに妻を連れていくことはできません! なぜかといえば、連れていけば、霊界に行くことができる道、霊界に行こうとする道が、ピタッとふさがってしまうのです。 それゆえ、連れていかなければならないでしょうか、連れていってはいけないでしょうか? いくら夫婦で決めたとしても、私が「行ってはいけない」と言ったにもかかわらず帰ってしまえば、道がピタッとふさがるのです。ですから、はっきりと通告してあげなければならない先生の責任があるのです。 それでは、未来に訪れてくる世界、神様が喜ばれるそのような所、そこは天下も(そこに行く道を)ふさぐことができず、天下すべてが希望とする所なのです。皆さんの数多くの先祖たちが、そこに行くことができず、地獄に行って嘆息しているのです。そのことが分からないので、この暗く乱れた世の中で戸惑いながら暮らしているのです。 私は地獄へも、自分の親戚の家に出入りするように往来しましたが、地獄に入っていっても心配したことはありません。行くべき道をすべて定めて生きているからです。分かりますか? いかなる所に行くか、間違いなくすべて知っているというのです。 だれがその道をふさぐのですか? イエス様もふさぐことはできません。イエス様は私の弟子であり、弟子は私の息子です。そのことを知らないでしょう。釈迦もそうであり、孔子もそうです。孔子の妻、立ちなさい。拍手してください。(拍手)座ってください。それから、ソクラテスの妻。(拍手)それから、マホメットの妻。来ていないのですか? 四大聖人の妻たちを全員、私が育てて嫁ぎ先に送りだしてあげました。それを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。(拍手) 今、霊界に通じる人は、うそかどうか尋ねてみなさい。「文先生が結婚させてあげた人を妻だと思っているか、そうでなければ、マホメット自身が選んで暮らした妻を妻だと思っているか」と尋ねてみなさいというのです。 ですから、文総裁は不思議でしょう。不思議な先生だというのです。また、知れば知るほど、分からないことが多いのです。四十年侍っていても分かりません。分からないことが泰山のように積まれています。 先生は、知っていて分からないふりをするのですか、知らずに分からないふりをするのですか? (「知っていて分からないふりをされます」)。知っていて、なぜ分からないふりをするのですか? 間違っている人を通して、天の機密が漏れるのです。どろぼうが天の国の秘密を聞けば、その道を汚してしまうのです。そのようなどろぼうたちを片付けてしまうためには、例えで話し、象徴的に比喩で話すのです。預言書のような秘書は、そのようになっています。 「どのような時なのか」ということを、先生はよく知っているのです。それだけは間違いないでしょう。それゆえ、他の人ができないことをすることができ、他の人ができない業績を残すことができるのです。 さあ、このくらい話せば、統一教会の教会員は、信じまいとしても信じざるを得ません。先生を霊的に見た人は手を挙げなさい。この者たち! 全員、見るようになっているのです。下ろしなさい。どこにいても、地上にいる先生が教えてくれるのです。 キリスト教では、イエス様を四十年信じて祈祷し、あらゆることをしても、イエス様が現れて教えてくれることはありません。しかし、文総裁は地上のここに立っていながら、霊界の霊人たちのように、それ以上の事実を指導しているのです。それが恐ろしいことです。地上にいながら、未知の世界、地の果てにいる人を指導しているのです。それを信じますか? ここには西洋の女性、あらゆる人たちがいます。そのような何かがあるので、「来なさい」と言えば来て、「行きなさい」と言えば行くのです。それは本当ですか、うそですか? (「本当です」)。では、拍手しなければならないでしょう。(笑)それは、どれほど大変でしょうか。 マイク装置が必要 さあ、それでは、興進様! 「興進様」と言いますか、「興進君」と言いますか? (「私たちは興進様と言います」)。皆さんは「興進様」と言わなければならず、先生も「興進様」と言わなければなりませんか? (「いいえ」)。何と言わなければなりませんか? (「興進君と言わなければなりません」)。あなたたち全員が「興進様」と言うのに、一人で「興進君」と言えば気分が悪いではないですか? そのように思って、先生も環境に拍子を合わせるためには、息子であっても仕方なく「興進様」と言うのです。それが一般社会的な礼法となっているのです。 興進も、地上にいる新婦と結婚させてあげたでしょう。以前、興進の霊界の実相に関する報告を聞いてみると、「私も肉身をもっている新婦のもとに、どれほど訪ねていきたいか分かりません。しかし、忙しくて行くことができません」と言うのです。その話を聞きましたか? (「はい」)。それは、事実ですか、うそですか? (「事実です」)。地上から霊界に行って五十日目に、霊的結婚をさせてあげたのです。世の中が、どれほど悪口を言いましたか? それが今では、すべて事実として受け入れるというよりも、知っているというのです。 「大母様」という名前は、だれがつけてあげたのですか? では、先生の母親の名前は何ですか? (「忠母様です」)。忠母です。また、先生の兄は何と言うのですか? (「大兄様です」)。大兄です。全員、見ましたか? お母様の母親、自分の母親、自分の兄。これは先生の家のための教会ですか? 天国ですか? 複雑です。そのようにしなければならないようになっているのです。内容がそのようにならなければならないので、そうしたのです。その内容は、あなたたちには分かりません。千年精誠を尽くしても分かりません。 そのようにしたことに対して、神様は静かに「よくやった。私が後援してあげよう」と言われます。そのような神様は、狂っていますか、賢いですか? (「賢いです」)。なぜですか? あなたたちは盲人のようなので、どうなるか分かりませんが、神様はサッと千里を見渡して明確に知っているので、「よくやった」と言われるのです。理解できましたか? 盲人でもなく、耳が聞こえない人でもないのに、先生が教えることを理解できなければ、人の部類に入れません。 アメリカの各州がすべて教育を受け、アメリカの上院下院、今の大使たち、アメリカを指導するトップクラスの人たちが、文総裁の御言を聞き、頭に鉢巻きをしながら争って御言を研究する時代が来たのです。韓国で優秀だといって頭を振りながら、肩をいからせ、おなかを突き出して、行ったり来たりしている者たち! 井の中の何ですか? (「蛙です」)。蛙にもならないでしょう。井の中の蝿のように威張り散らしながら、尻尾を振っているのです。これからはもう、滅びる運命になっています。 国連もそうです。国連が文総裁の言うことを聞かなければ滅びるのです。国連の責任者や部署の責任者たちに、「国連の名前で集合しなさい」と言えば、どうするのですか? 大統領をしている人たちも、国連の名前で「教育を受けなさい」と言えば来ないでしょうか? その教育する内容が文総裁の御言です。 何も知らずに自分勝手に生きるようにはなっていません。私は自分勝手に生きる人ではありません。自分勝手には生きません。道理に合わせ、天理に合わせ、行くべき道を正々堂々と来たので、神様の保護を受け、天運の保護を受けたのです。それゆえ、滅びざるを得なかった統一教会は滅びず、発展せざるを得ない統一教会になったというのです! (「アーメン!」)。 興進様を信じる時代ではなく、知る時代が来ました。それがうそだと思う人は、言ってみなさい。また、「大母様」という言葉も、私たちはうそではないということを知っています。知っているでしょう。(「はい」)。この中でそれが分からない人は、人の部類に入りません。 夫の言うことを聞いてはいけません。聞けば滅びます。私の言うことを聞いてこそ、天国に行くのです。うそかどうか、祈祷してみなさい。なっていない夫たち! 酒を飲み、あらゆることをしながら……。今回は、刀やカミソリの刃を持って約束をしなければ帰ることはできません。 興進君には体がなく、大母様にも体がなく、神様にも体がないので、マイク装置が必要なのです。中間で連絡するマイクが必要なのです。そのマイクは、良いマイクが必要でしょうか、悪いマイクが必要でしょうか? (「良いマイクが必要です」)。どのくらい良いものですか? いちばん良いものです。では、この女性は顔が良いですか、悪いですか? (「良いです」)。(拍手)何が良いのですか? 鈍そうに見えるのに、何が良いのですか? 牝牛のようですか、牡牛のようですか? 牡牛のような女性です。 鈍く見えるというのです。見てみれば、目も鈍く、耳も鈍く、行動も鈍いのです。ですから、どれほど苦労したでしょうか。食事もせず、眠らず、目を開き、耳を開き、体を飛ばすために、どれほど祈祷したでしょうか。それで、このようになったことは間違いありません。精誠をたくさん尽くしたでしょう。見なさい。(拍手)この人は立派なマイクになるために、目もかすみ、耳も……。 すべてが鈍く、それでは生きていくことができません。統一教会には、大学を出て、賢くさっさっさっと振る舞う者たちがたくさんいるのに、このようなのろまな人が生きていけるのですか? あまりにも岩にしがみついているので、岩も一緒に泣いてくれ、あまりにも木にしがみついているので、木も一緒に泣いてくれ、木と語り合い、岩と語り合ったので、このようになったのです。 そのようにして目を開けてみると、天の国がすべて見え、聞いてみると神様の命令が聞こえたのです。「体が行くべき一つの峠を越えれば、千里離れていた父母が来て待っている」というので行ってみると、父母に出会ったのです。ですから、躊躇せずに行動しますか、しませんか? (「します」)。 ここを保護する 考えてみてください。生きている人を紹介することも大変なのに、死んだ人を紹介するのは、どれほど大変でしょうか? 簡単なことですか、難しいことですか? (「難しいことです」)。この者たち! そのように苦労して、他の人が見ることができないものを見て、他の人が聞くことができないものを聞き、他の人ができないことをしてきたのです。この家はだれが建てたのですか? 先生が建てたのですか、このおばさんが建てたのですか? (「大母様が建てました」)。大母様ではなく、だれが建てたのですか? (「金孝南長老様です」)。 統一教会を発展させるために、大母様、興進君、私の一族、精誠を尽くした人たちが、この婦人を通して、天地の貴い宝のような御言を浴びせてくれたのです。それは、よくやりましたか、間違っていましたか? (「よくされました」)。(拍手) 百分の一にもならない者たちが、「金孝南執事、執事であり長老ではないか。私は牧師なのに、金孝南長老の言葉を聞くのか」と思っています。首を切ってしまうべき者たちが大勢います。私にそのようなことを言ってみなさい。激しくたたくのです。郭錠煥! (「はい!」)。なぜ、責任を果たせないのですか? ここは、だれでも入ってきて、めちゃくちゃにできる所ではありません。ここに来て、「ああ、三十六家庭が来た。部屋をくれ」と言っています。「先生の横の部屋」……。 天の国の宮殿を代身した所です。だれでも来て、ご飯をもらって食べるようにはなっていません。座ることもおそれ多い場であるにもかかわらず、「ご飯をくれ。私をきちんと待遇しなければならない」と言っています。ここに来てご飯を食べ、ご飯代も出さずに逃げていく者たちが大勢います。私は、そのような乞食の群れを育てたことはありません。正しく生きなければなりません。 さあ、そのように苦労して、天の秘密を聞くことができ、見ることができ、測定することができ、十数年経験したことは間違いないと……。 賢い興進君、立派な大母様が、私を愛しているのです。顔かたちのよくないおじいさんを愛しているのです。皆さんよりももっと愛しています。大母様も、自分の娘よりも私を愛しているのです。だれよりも愛しています。 また、忠母様もそうです。どれほど私を愛したか分かりません。世の中の父母の中で、一等賞をあげなければならない方です。それは言わないだけです。いい加減に対するようにはなっていません。また、大兄様とは私の兄のことですが、この人は、すでに八月十五日に解放されることを知っていて、弟がどのような人物になるのかは知りませんでしたが、「天下の兄弟の中で歴史にいなかった弟だ」ということは知っていたのです。 そのように立派な息子であり、立派な弟だというのです。母親がだれよりも誇ることに恥ずかしくなく、弟として誇ることに恥ずかしくないのです。跳ぶときに跳び、這うときに這い、走るときに走り、できない運動がありません。できないことがないのです。座りながら、話をずっと続けることもできました。監獄に入っても、上官のように座って話し、食べ、そのように暮らしました。それほどならば、統一教会の教主になるべき資格があると思いますか、思いませんか? (「あって余りあります」)。それゆえ、先生が千辛万苦の果てに、統一教会がこのくらい大きくなりました。 霊界に宮殿がなく、霊界に国が定着していないので、秩序を立てるために先生と拍子を合わせ、上下がぴたっと一つになるようにしていかなければなりません。そのようにするために通訳(=金孝南長老)を使っているのに、なぜそのように問題がたくさんあるのですか? 三十六家庭、手を挙げなさい。史吉子! この者たち! この修錬苑で特別なものを食べようと、家から飛んできたのですか? だれが特別待遇をしなさいと言ったのですか? 修練生です。軍隊です。部屋を別にして休み、何がどうだこうだと言い、別のものを食べるのですか? 私もそのようなことはしません。しっかりしなければなりません。 どこに行っても、自分の威信を立てなければなりません。分かりますか? 死にたくないのですか? 李相軒氏(を通してあなたの夫)が、「先によい所に来て、申し訳ない」と言っているではないですか? それを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。あなたは霊界に行って夫と一緒に暮らそうと、考えたことはないのですか? 死ぬかと心配ですか? この肉の 塊 は腐っていくのです。 上手に気合を入れるでしょう。これが統一教会の文先生のやり方です。神様式です。正しいことを正しく教えてあげるのです。正しく理解できるように、分からなければ気合を入れて正してあげなければなりません。 かわいそうな女性が座っています。今までいい加減に接してきた人たちは、帰る前に悔い改めなければなりません。そのようにしなければ、霊界に行く道を協助できません。解放された者として、どこに行くのかを決めてから行かなければなりません。分かりますか? すべてここにかかっています。自分勝手にしています。頭(=位置または立場)が大きいから……。牧師だ何だと言い、修練所の所長だ何だと言い、金孝南執事がどうした、長老がどうしたと言いながら、「ああしろ、こうしろ」と言っています。 興進様を代身して、大母様と忠母様を代身して語っているとすれば、あなたたちが「ああしろ、こうしろ」と言うことができますか? 通訳官に対して「ああしろ、こうしろ」と言うことができるのですか? 修錬苑の権威を立てなさい。涙を流す時が何度もあるそうです。分からない人が、いい加減に対しているのです。天の国の法を知っている大母様と興進君が、司令官として命令しているのに、自分勝手にしているのです。 泣いてばかりいるのですか? 泣くなというのです。命令するのです。頬を激しくたたくのです。しっかりしなければなりません。私の言うことが分かりますか? なぜ、おかしな目をしているのですか? 私は、統一教会の何かの責任者ではありません。教主様です。堂々とするのです。 そのようなことがあれば、すぐに郭錠煥に報告しなさい。そのような人は、ここに来ることができないようにしなさい。完全に名前を公表して、顔も出せないようにしなければなりません。全員、分かりましたね? (「はい」)。この時間に、そのように決めなければなりません。そのようにしてこそ、天の国に恥ずかしくない伝統が立つのです。不可避的にそのようにするのです。 私は知っている者として、このように決定するのです。願わない人は立ち上がって回れ右して出ていき、願う人は座ったまま拍手しなさい。(拍手)拍手だけではなく、両手を挙げて、ペアの拍手をしなさい。立ちなさい。敬礼しなさい。礼をしなさい。さあ、拍手してください。(拍手) 私がここに来てそのような報告を聞き、きのう、一度見回してみました。そのような話を聞いて、私はあぜんとしました。孝子の息子になることができていません。父母になることができていません。弟になることができていません。それを知らなければなりません。ここに来れば、興進様を自分たちの兄として侍らなければならないでしょう。(「はい」)。 大母様とはだれですか? お母様の母です。話が聞こえただけでも、あの門の前からあいさつをしなければなりません。この人たちは全く自分のなすべき責任を果たせていないのに、霊界に行って接待を受けようというのですか? この亡国の僕たち! 私がほっておきません。私はそのように教えていません。自分勝手に生きてきた者たち、しっかりしなければなりません! さあ、ここを保護することができなければなりません。分かりますか? 訓示すべきことはすべて終わりました。すべて終わったというのです。膨れっ面をしている顔を解きなさい。一度、笑ってみなさい。声を出して笑ってみなさい。この男性たち、笑ってみなさいというのです。(笑)ハハハと笑ってください。(「ハハハ……」)。これで解けたでしょう。あなた、立ちなさい。歌を一曲歌ってみなさい。大きな声で上手に歌いなさい。(日本の食口が歌を歌う) きょうは、この金孝南長老様に、尊敬できる特別な名前を一つつけてあげようと思います。拍手しなさい。(拍手) 訓えるの「訓」という字で、「訓母様」です。一度言ってみなさい。「訓読会」の「訓」の字です。その次は「母」という字です。訓える母です。分かりますか? (拍手)不平を言おうとする人は、「訓母様」という名前をつけてあげた先生以上に知ることができなければ、批評してはいけません。絶対信仰をもって絶対に信じ、絶対行動しなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのようにすれば、福を受けるのです。福を受けるというのです。 もしそのようにせずに、今後もそのようなことをしていけば、よくありません。先生の先祖も黙っていませんし、すべての霊界が黙っていません。分かりますか? 自分勝手に生きる世の中で、霊界も分からずに、ああだこうだと、盲人のようになり、耳の聞こえない人のようになってはいけません。 一度言ってみなさい。訓母様! (「訓母様!」)。訓! 母! 様! (「訓! 母! 様!」)。大母様! (「大母様!」)。忠母様! (「忠母様!」)。善母様! (「善母様!」)。善母様とは、だれのことか分かりますか? 統一教会の母親たちのことです。御言どおりに伝えるために、どれほど苦労し、御言を抱き……。御言を抱えた母たちです。分かりますか? そのような意味で教えてあげるのです。中間で正しく教えてあげるためにどれほど……。間違えば、その一身が溶けてしまうのです。一族が溶けてしまうのです。滅亡するというのです。恐ろしい位置に立っているということを知らなければなりません。うそをついてはいけません。詐欺を働いてはいけません。 統一教会の教主も同様です。言葉だけで実践しないようでは駄目です。私はすべて実践した後に教えてあげました。 続いて言いなさい。訓母様! (「訓母様!」)。ありがとうございます! (「ありがとうございます!」)。これからは、一つの過ちも絶対に犯しません! (「これからは、一つの過ちも絶対に犯しません!」)。きれいで美しい声を出す息子・娘を、神様が祝福してくださることを願います。神様、かわいそうな群れを祝福してくださいますように。アーメン! (「アーメン!」)。(拍手) 決めた所に間違いなく行って永生する息子・娘になることを願う さあ、きょうの話を通してよく理解し、侍るべき人に侍るのです。このように生きるのは、自分が行くべき所に行くための準備です。このことを知らなければなりません。 そして、その方たちがいる所に間違いなく行くのです。分かりますか? その方たちがどのような所にいるのか分からなくても、現在、ここでこのようなことに精誠の限りを尽くすのです。自分の父母や師のだれよりも、懇切な心、忠節な心、至誠を尽くす心をもって生きれば、その方たちがいる所に行って、一緒に暮らすことができるのです。分かりますか? (「はい」)。 ですから、ここから離れても、離れたと思うなというのです。ここで願ったその所を自分の故郷のように思うのです。 「霊界の実相」で紹介された所を中心として、「私は間違いなく、そこに行って暮らす」ということを決め、ここにいる人よりももっと精誠を尽くせば、ここよりももっと立派な所に行くのは間違いありません。先生は皆さんが、そのように決めた所に間違いなく行って、永生する息子・娘になることを願い語っているのです。分かりますか? (「はい」)。そのようにするという人は、拍手で歓迎しなさい。(拍手)ありがとう、ありがとう。 全員、明日出発するので、このことを語っておかなければならなかったのです。 清平に出入りすることが習慣になり、上も下も見分けられずに汚し、ほこりをまきちらしたりしてはいけないと、天が警告するのです。金孝南長老を、これからは何ですか? (「訓母様」)。訓母です。訓える母として、大母様、忠母様、お母様と同じように侍るのです。 また、それ以上に忠誠を尽くして努力すれば、間違いなく皆さんの故郷と、皆さんの祖国光復を相続することができます。それを知っているがゆえに忠告するのです。どうか、すべての人がそのような所に行くことができるようにと願っています。もう先生は帰らなければなりません。忙しいのです。 一緒に敬礼を受けるのです。(真のご父母様と訓母様が一緒に敬礼を受けられる) 霊界にいる母たちが生きている訓母様に教えてくれれば、(そのごとくに)伝達することができる母なので、そのような名前をつけてあげました。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのことをよく記憶し、今までここに来て修練を受けたことを感謝し、故郷に行き、このおばさんを通して学んだ以上、一生懸命に御旨に対して忠誠を尽くさなければなりません。分かりますか? (「はい」)。それでは、神様の祝福があることを願いながら、さようなら。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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「祝福移譲」宣布二〇〇〇年九月二十四日、午前十一時三十分、韓国の天宙清平修錬苑にある天城旺臨宮殿にて、第一次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」に参加するために修練中であった約四千名が参加する中、天上の興進様に真のご父母様の祝福権を移譲する「祝福移譲宣布式」を挙行なさった。 式典準備 祝福家庭の子女十二歳から十六歳までの男女それぞれ十二名(信元様、信愛様を含む)を、女性を前、男性を後ろにして横に並べられた後、その次に順に二世祝福家庭十八歳から三十歳までの男女それぞれ十二名、一世祝福家庭三十歳から四十歳までの男女それぞれ十二名、一世祝福家庭の女性六十歳から八十歳まで十二名、一世祝福家庭五十歳以上の男性十二名等、総勢九十六名を十二名ずつ八列に並べて立たせ、その前に薫淑様と信哲様を立てられた。(自称ルポライターtomy4509の註:三男・文顯進氏はその列の中には入っていませんでした。) み言 復帰摂理の中では、九十六数の九数も悪い数で、六数も悪い数です。それを蕩減しなければなりません。ですから、七十二数に十二を合わせたのです。十二を合わせたので……、七十二数は七十門徒を代表し……、イエス様の十二弟子を代表したその対を中心とした十二支派を代表するのです。七十二派、七十二門徒、モーセの七十二長老も代表するのです。九十六は、七十二に、対にすると十二対を合わせたものですから、十二支派の前に七十門徒と同じです。ですから、七十二数も十二支派を中心とした七十長老の数です。これが蕩減の基本数です。 ですから、霊界にいる三歳以上で死んだ人たちのうち、十六歳以下の人たちもすべて祝福してあげました。その数と、その次に十六歳以上から二十四歳、三十歳、四十歳以上、こうしてすべての祝福を受けた霊界の数を地上と合わせたのです。 地上は真の父母によって祝福を受けた群れであり、天上は興進君によって祝福を受けた群れですが、父と息子が霊界と肉界で別々に祝福したものを一つにしなければなりません、一つに。 地上の真の父母を中心として、息子が霊界でしたことを引き下ろし、真の父母が祝福したこと、すなわち、皆さんが祝福を受けることができた基盤と霊界で祝福を受けた基盤を連結して一つにしなければなりません。真の父母が地上で息子、娘を祝福した代わりに、霊界は天使長の立場で地上のアダムが完成することのできる祝福基準の前に素直に従わなければなりません。そのために、興進君が地上に降りてきて真の父母と、父と息子が一つになった立場で祝福をしたという条件を立ててあげ、真の父母がしたことをすべて興進君も再び共に行ったということができる価値を認めるのです。 ですから、天使長圏となった今までの長子圏が次子圏にならなければならない立場ですが、長子圏の天使世界が……長子の立場を得て出てくるものが、地上の兄が祝福を受ければ、弟の立場に来て立つのです。霊界へ行くようになれば、父が兄になり、息子が弟になるというそのような原則から、天上世界に行った息子が父の前に来て、息子になると同時に弟の立場にも立つのです。両面の価値を連結させて一体圏をつくって一つにするのです。 今後、祝福は、地上で先生がしてあげなくてもかまいません。お父様がしてあげなくてもかまわないのです。兄さんたちがたくさんいるので、お父様が老いて死んだとしても、兄さんたちが祝福してあげられるのです。それと同じように、お父様の祝福を今後長子圏の立場にある興進君が、地上でも祝福を行うことができ、霊界でも行うことができるのです。 お父様も、地上でも祝福してあげることができ、霊界でも祝福してあげることができるのと同じように、同等な価値を一体化させるために、地上のお父様が霊界の息子の前に伝授式をしてあげるのです。霊界にいる息子は、父の家に思いどおりに行くことができ、地上の真の父母も父の家に思いどおりに行くことができるのです。 天地父母である縦的な神様と横的な神様が分かれて、サタンの一族として中間霊界を満たしていたものをすべて連結させることによって、父と息子が一つになった家庭的一体圏が、霊界と肉界に落ち着いていくので、今後は真の父母が祝福してあげなくてもかまわないというのです。八十の老人が、世界を回りながら祝福できる時代は過ぎ去ったのです。皆さんが真の父母に代わって……、興進君も霊界で真の父母に代わって祝福してあげる時代を設定するのです。 先生が地上にいる父の立場で、息子である霊界にいる興進君の前に、お父様が祝福することのできる権限も伝授し、霊界で祝福したすべての基盤も……、先生が行っていつでも祝福してあげることができる、それと同等な価値を設定するのです。お父様の前に息子たちを立てて祝福しても、お父様が天上世界、霊界の息子の下に行って祝福しても、同じ価値として統一された祝福家庭の意味を立てるために、お父様が息子の前に祝福の権限を相続してあげるのです。それを知らなければなりません。 父親は霊界に行けばお兄さんになります、お兄さん。また、息子は弟になるのです。ですから、父が天のお父様と呼ぶのも、息子が天のお父様と呼ぶのも同じなのです。神様の前では、だれもが息子になるのです。それゆえ、同じ息子ですが、父が先に出てくるので、横的面においては兄の立場に代わることができるのです。 ですから、真の父母が真の父母の立場を完成したということは、息子の立場の完成にもなるのです。霊界に行こうが、地上に行こうが、同じ価値的内容を伝授、一体化させる役事をするのです。真の父母が霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福を受けた家庭を立てて共に統一的宣言をすることによって、先生が祝福してあげず、今後、興進君が祝福するのですが……。興進君がいなくなれば、顯進君がお父様の代わりに祝福をしてあげることができる時代に入るのです。 二世が真の父母に代わって、祝福してあげることができる時代に入るのです。霊界では兄にあたる興進君が行い、地上では弟が行うのです。同じ立場から見れば、興進君がお兄さんで顕進君が弟です。ですから、弟にあたる顕進君が地上世界の皆さんを祝福してあげることもできるのです。 そして、おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分がいれば、この家庭で縦的基準においては、現在三代圏にあたる息子、娘たちが、おじいさんとおばあさんを祝福してあげ、お父さんとお母さんを祝福してあげ、その次には自分たちの祝福の権限を息子の前に渡してあげることができるのです。 旧約時代も堕落したアダムが祝福によって完成し、新約時代も完成して、成約時代も完成することができるのですが、完成の天地の内容について完成、解決することのできる方が真の父母であるというのです。そのような基準が設定されることによって、歴史的に数多くに分岐した天上世界の先祖たちが、すべて一つの立場に立って、この三時代の先祖たちが、祝福を受けたことを代表した立場である三代の孫の前に祝福を受けることができるのです。 孫はおじいさんの愛を受けて、お父さんの愛を受けるのです。二つの世界の愛を受けます。おじいさんは天国を代表し、お父さんはこの地上の国を代表する王たちです。おじいさんの愛、そして現在のお父さんの愛、二つの愛を受けたのが三番目の孫の祝福家庭です。ですから、この祝福家庭は天国を相続し、地上の国を相統した、二つの国を相続した「実」の立場なのです。それゆえ、孫がお父さん、お母さんを祝福してあげることができ、おじいさんとおばあさんを祝福してあげることができる立場に立つのです。 そうして、孫にあたる人が先祖に代わって、蘇生・長成・完成、旧約時代・新約時代・成約時代の完成の立場にあるため、霊界の先祖たちまでをも真の父母の代わり、興進君の代わりとして祝福することができる時代へと越えていくのです。 このようになるとき、天使長圏が長子圏で天側がアベルとなっていたものがひっくり返るのです。天側が長子圏となって、天使長圏がアベルの立場に立つのです。それゆえ、霊界の先祖たちが弟の立場に立ちます。先に霊界に行って、祝福を受けたので……、彼らは地上の真の父母から後になってから祝福を受けたので、弟の立場に立って真の父母に従って天上世界の天国に入ることができるのです。 境界線がないように、先生も霊界と肉界を祝福してあげることができ、興進君と顕進君も、先生の代わりに霊界・肉界を祝福することができる統一的な一つの道を中心として、だれもが共に行うことができるものを伝授してあげる式がこの式なのです。今後、祝福を行うときには、先生が祝福してあげなくてもかまいません。 皆さんにおじいさんとおばあさんがいて、お父さんとお母さん……、こうして三代が祝福を受けた後には、先生の息子である興進君から霊界ですべての祝福を受けたので、それをする必要はないのです。すべてが三代となる孫の時代に、堕落しない立場で祝福することができるのです。神様が一代であり、アダムとエバが二代、その息子、娘が三代です。三代かけてサタンの前に血筋を汚したことを再び復帰して、祝福を受けた家庭となったので、再臨主、真の父母の立場を代身して、自分の地上の一族、親戚がいようがだれであろうが、おじいさん、親戚の何代目の孫まで連結しているすべての人を祝福してあげることができるのです。ゆえに、霊界も系列にそって祝福を受けることができる祝福解放圏時代に前進する! アーメン! その内容をよく知らなければなりません。 今、この場には興進君を中心として、喜進君、榮進君、その次に恵進嬢夫妻がみな参加して、このように並んでいます。祝福家庭の中で皆さんのような……乳児に……祝福を受けたこの数が、相対的な面で一つになって、統一的な家庭理想の実体として天国に向かって、すべてが父母を代身した、兄を代身した、これを絶対信仰・絶対愛・絶対服従する天理の道理を伝授したその家庭は、いつであれ、どのような立場であれ、天国に直行することができる! アーメンだと言うのです。 ですから、先生が伝授式祝福をしてあげなければなりません。先生が行った権限、また興進君が行った権限、弟が行うことのできる権限もすべて興進君を通じて……、神様の許しを得て、真の父母の許しを得ることによって……、この祝福の方向が……。これからは、おじいさんになることができる……、先生はおじいさんです。三代になるのです。そうではないですか?祝福を受けた家庭の二世その息子、娘は三代目にあたるため、おじいさんがしてあげる必要はありません。 そのような時代になったので、次子の立場と三代の先祖となることができる人として、真の父母の祝福を受けて、真の父母の直系の息子の立場に立った興進君と弟にあたる顕進君を立てたならば、顕進君が真の父母の代わり……、兄弟がその先祖たちを解放することができる! これが原理観です。はっきりと知って、このような面を転換する伝授式が………天地が創造されて以降の恨の歴史を蹴飛ばすこのような役事を行うのです。 では皆さんが、三代になるこの息子、娘……祝福を受けた家庭は、祝福を受けてからは、絶対に堕落してはなりません。堕落するようなことになれば、どのようなことが起きるのでしょう。今までのように、真の父母が来て救うことのできる道理の時代は過ぎ去ったのです。 血筋が違ったために……、血筋を完全に転換した、三時代の先祖を代表する王権を受け継いだ、祝福することのできる大将たちとなった夫婦のその血統は、千年万年経ったとしても汚れた血筋を受け入れてはならないのです。純潔を守らなくてはなりません。 祝福家庭の三世たちは絶対に堕落してはなりません。堕落すれば、その血統にサタンが侵犯するのです。そうすれば、神様が唾を吐いて背を向けることによって、メシヤ、真の父母の立場に立つことはできなくなるのです。救いの道がなくなるのです。救いの時代は過ぎ去るのです。 三世が祝福を受けたならば、真の愛の血統を守らなければなりません。堕落した血統をつくってはならないのです。そのようなことは、神様は喜ばれません。一度、堕落すれば、救いを受けることはできません。皆さんが血統を汚せば、先祖たちが降りてきて罰を与えるようになるはずです。直ちに霊界に連れていってしまうこともあるのです。これ以上、そのようなことは許されません。 よく知らなければなりません。深刻です。「真の父母の名で許してください」このように先生に許しを請うことはできないのです。自分の先祖と自分の愛する兄弟たちを犠牲にすることなくしては、救う道理がありません。それでも、その血筋はきれいな血筋ではないため、表面をはがしてあげなければならないのです。純潔な血筋を残さなければならないというのです。深刻なのです。どんなことがあっても血統を守らなければなりません。 そのように知って、ここには霊界の先生の息子、娘である四人の兄弟姉妹、恵進嬢と三兄弟が霊界で祝福を受けて、それら家庭がすべて参加しています。真の父母のお父さん、お母さん、先祖たちもみな祝福を受けて参加し、その次に、皆さんの先祖十二代、二十四代が解放されて、総注目する立場にあるのです。真の父母による地上の祝福は、途方もない内容です。この祝福を、天地の平面基準で同等な価値を伝授するからには、真の父母が行ったすべてのことを長男である興進君が行うことができ、興進君が行うからには弟である顕進君も行うことができる、そのような時代になったのです。そして、皆さん三代になるときには、皆さんが興進君、顕進君の祝福を受けなくても、皆さんの家庭自体で祝福を行っていくそのような時になるのであるということを知らなければなりません。その時を神様は願っているのです。 そのような意味で、天地の創造主である神様も臨席して、全体が地上にきて自由自在に祝福家庭を中心として、いつでも統治、主管し、行動できる時代になるのです。恐ろしい時代になるのです。 皆さんが誤ったときには、昔は、悪魔の天使長が病気にしては薬をあげていたのです。罪を犯せば蕩減させて天側に導いたのです。しかし今後、皆さんが堕落するようなことがあっても、救ってくれる人は永遠にいません。自分の父母、自分の先祖たち、自分の兄弟が犠牲になって、肥やしの山になって育ててやるしかないのですが、相当な歳月がかかるのです。 一度引っかかってしまえば、神様は引っかかったその一族を、アダムとエバに接した以上に憎まれるのです。完成した子孫の血筋を汚した人は、アダムとエバが堕落した数百倍も汚れているという事実を知らなければなりません。 三代圏内にある祝福を受けた家庭たちは、何があろうとも堕落の悲しみを味わうような血族になってはならないということを警告するのです。 では今から、天地が共にある中でこの式を挙行します。ですから、私たちが記念の礼式を代わりに行い、そのような式を経て、「祝福移譲宣布式」を行います。これから式典を準備するプログラムを進行します。 今回、式を行うのですが、霊界と肉界です。悪魔は天上世界にはいません。祝福を受けた先祖たちが天上にぎっしりと詰まっているのです。今では、地上でも悪魔の勢力は失われつつあります。ルーシェルが降参したために、ルーシェルの手下たちの影はあるのですが……、宗教圏にいる祝福を受けた聖人たちをして三三パーセントのすべてを……祝福してあげた彼らを中心として、一〇〇パーセント祝福してあげるため……。蘇生・長成・完成まで……三三パーセントです。それは、天が干渉できる勝利の基盤を中心として祝福してあげたために、それを中心としてイエス様の失敗、国家的基準を立てられなかった失敗、その次には、アダム家庭的メシヤ圏を逆さに半田付けして修理するための転換式です。 天上世界の祝福と地上世界の祝福がこのようになっていたものが、相対的立場に立てられることによって、父母が主体なので主体である立場で息子の前に平面的に連結させるのです。真の父母が縦的に八段階を連結させて完成することができるようにしておいたものを、霊界の司令官である興進君が家庭的司令官となってこれを管理し、相対的基準を……、世界の境界線を合わせることができる時代がきたので、祝福移譲をして呼吸を合わせるのです。 このように呼吸を合わせることのできる、そのような家庭平面縦的な統一完成時代に進入するのです。先生が地上の勝利圏を霊界の勝利圏に代えて、霊界の勝利圏を地上の勝利圏に代えることができる同等な価値を宣布することによって、サタンはこの圏内に入ってくる道理はありません。 それゆえ、ルーシェルの手下たちが服従しなければ、宗教圏を中心として追い出すのです。一〇〇パーセントまで、三三、三三三パーセントですが、蘇生・長成・完成の三分の一は天の圏であるため、天の圏を中心として逆に……。イエス様と聖霊を中心として、孔子、釈迦、ソクラテスを祝福しました。それで、三三パーセントの功労のある人たちを自分たちが祝福したのです。それ以下のすべては、旧約時代・新約時代にアダム家庭、イエス様家庭の失敗を完成的立場に立ってすべての責任を負い、蕩減してあげたために、祝福を同じ立場で受けて、一つの先祖の立場を埋めて行くことができるために、縦的、横的に先祖の責任を継承することによって、どこでも祝福自由化圏を相続、伝授することのできる統一的時代が来た! アーメン! そのように知って、今、霊界の数千億の祝福を受けた人と数億の祝福を受けた人がここに霊的な基準で集まって、象徴的な幼い十六歳以下の少年時代-霊界もそのようになっています-と十六歳以上の祝福を受けた霊界がすべて連結され、相対的な圏が一つになってこの式を進行するということを知らなければなりません。 では、式順を代わりにしなさい。私たちの家庭を中心として……。「ところで、薫淑はどうしましょうか?(お母様)」薫淑! 薫淑はそこに座るように言いなさい。では、薫淑と信哲は、ここに来て立ちなさい。真ん中に来て立ちなさい。 立ち上がって、次にこの人たちはこちらにいてもかまいません。彼らを前にして敬礼して、その次には宗教の代表者たち、今まで行っていたように真ん中に代表者、霊界、肉界があれば統一的にして、それらがすべて終わったら、先生が立ち上がって祝福をしてあげなければなりません。 「では、興進様の家庭と霊界にいらっしゃる榮進様、恵進様、喜進様の家庭……」興進の家庭、榮進、喜進、三人は皆ここに参席して、真の父母の一族がすべてここにぎっしりと集まっていると考えればいいのです。韓国の歴史的な忠臣烈女たち、祝福した人々のすべてがここに参席し、聖人の一族も完全にびっしり集まっていると考えればいいのです。統一です、統一。 天地父母、天国の縦的な神様と地上国の横的な真の父母が一体となって、祝福行事の完成基準を準備したすべてが地上世界の完結と共に天上世界の完結……。天上世界の完結は、地上世界の完結のためであり、地上世界の完結は、天上世界を完結することができる、共に祝福してサタン世界を蕩減解消することができる祝福の権限を、今、天地間において対等な価値として宣布します。 真の父母が行ったことを、天上世界の興進君が行ったすべてを地上世界に直接連結して、神様を中心として頂上にあてて水を注ぐようになれば、真の父母を通じて興進君と顕進君を中心として、霊界の祝福家庭と地上の祝福家庭の統一的環境を配置したこの場で、全体が一か所に前進することができる、真の父母の勝利圏、真の長子、真の次子の勝利圏ですべての祝福を受けた家庭たちも家庭でそのような勝利圏に代替することができる一つの覇権的式を伝授するこの場であることを知るものである! アーメン、アーメン、アーメン! 敬礼式 (1)興進様の家庭が真のご父母様に敬礼 (2)霊界の榮進様、恵進様家庭、喜進様家庭、地上の顕進様をはじめとする真のご子女様、祝福二世と祝福一世、そして祖父母を代表した年長者たち全体を代表して九十六名が真のご父母様に敬礼 (3)この式典に参加した天上の聖人たち、祝福を受けた家庭をはじめとする全祝福家庭の代表と地上の全祝福家庭を代表してすべての参席者が敬礼した後、家庭盟誓の斉唱 み言 金孝南長老! 皆さんが知っていなければならないことがあります。それは、金孝南長老は個体ではないということです。興進君と大母様を中心として、そして忠母様と大兄様を中心として、先生の直系家庭とお母様の直系家庭のあらゆる家庭的な内容、この地上に真の父母の家庭が忠告し、教える、その内容を伝達してくれる一つの中間的媒介体としての役事を行っているのです。ですから、金孝南長老というときには、必ず興進君、大母様、忠母様、大兄様家庭の代表であると考えなければなりません。祝福家庭を代表した万人の女性ではありません。この人は先生の家族、直系の兄と真の父母の家庭の代役者として使っているのです。ですから、尊敬して仕えていかなければなりません。 軽挙妄動してはなりません。ここに入るときには常にそのような天と天国家庭に仕える厳粛な環境に立って、自分が立っている立場をすべて守って、天の威信と体面を失うことがない礼を実行することのできる群れにならなければなりません。 そして、今日このような式をするのは、第一次入籍特別修練会に女性たちが入籍することによって、その息子、娘に責任を持ち、その次に母と息子、娘が一つになって父を完全に悔い改めさせ、理想的な、堕落していない父母の立場を立てて、真の父母の後ろに従って、神様を宝座に侍り、天宙のすべてを喜びの心で旧約時代・新約時代・成約時代、万物と息子、娘と自分たち夫婦をすべて捧げるという、そのような立場に立たなければならないのです。 そうして、愛の実権を再び相続するその場が、初めて故郷の地を持つ出発の場であり、祖国光復の出発の場なのです。ですから、今や、この全体の歴史時代に願っていた祝福家庭たちが持ちえなかったすべてを蕩減して、初めて南北統一のこの混乱時代に責任を負い、私たちの手で祖国光復を実現しなければならないのです。国を求め、本郷の地を求めるこのような厳粛な課題をもって出征した兵士の母たちであり、息子、娘たちであるのです。ですから、これら天地のすべてが協力し、この道の完成に向かって一方通行することによって、勝利の一路、一路に前進していくためのこのような出征命令であるということを知らなければなりません。そして、兵士となって天の威信と伝統に汚点を残すそのような家庭、一世、二世、三世となることなく、霊界の先祖たちの前に恥ずかしくない、誇らしい家庭になることを天地父母は願いながら、祝福を受けた長男の興進君、顕進君、一族全体がこぞって願う場です。ゆえに、その目的達成に少しの間違いもなく、一体理想完結完成を……解放し、天地の勝利的王子王女となることができるよう願います! アーメン そのような意味で、これから先生が興進君を中心として父子一致理念と、その兄と弟を中心として顕進君が父子一致理念を中心として、祝福行事を天地で、どこでも、思いのままに行うことができる解放時代となります。ですから、天が頭となったので、頭に水を注げば、頭の先から足元まで流れるようになっています。空気は隙間さえあればすべて入り込み、太陽の光も入り込み、水も隙間があれば毛細管作用によって頂上まで上がっていくのです。 愛はそのようなものの中でも最も高貴な力を持っているため、隙間があるところには愛が訪ねて入っていき、低気圧となったところには空気が流れていくように、愛が流れ込んでいくのです。サタン世界に穴が開けられたところがあれば、愛で埋めなければなりません。そのような隙間があるところは、太陽の光と空気が通じるように、天上世界に隙間が生じたものをすべて埋めて、統一的な天の所有権を完全な物として前面に押し出すことができる責任を果たすのが祝福を受けて解放された、天国に向かった忠臣忠孝の道理……、真の孝子、孝女の勝利的家庭となるのです! アーメン! そのような内容を知って、そのような目的達成に総進軍することを願って祝福してあげるのです。 祝祷(※祝祷からは三男・文顯進氏の名は一つも聞かれませんでした。文興進様に「祝福権委譲」されていたものと思われます。) (最前列に信哲様、その後ろに薫淑様、薫淑様の左側に金老南長老、その後ろに九十六名を立たせられてから祝祷される) 天上天下の大主宰なる天のお父様、地上世界の大主宰なる横的な真のご父母様、縦的なお父様と真のご父母様が一体となって、天地父母の血統的因縁を九〇度の角度で四方に平準化したこの平面時代と立体世界、前後の世界の前に、共通的な価値を満たしても余りある愛の理想を中心として、家庭においては上下関係、夫婦においては左右関係、前後においては兄弟一体圏の愛を中心として、神様を標準として、全体的標準に相対圏を三六〇度の方向を備えて、存在価値に一元的な、全体球形的な内容に、いかなる二部分でも完全な完成の内容を備えないものはなく、地球星全体と天上世界全体となることを願われる、父の所願成就のこの日が来ました。 ですから、天国のすべての組織編成を新しく地上の真の父母の勝利的組織編成に合わせ、万民を解放的祝福で解放させたのと同様に、ここにも興進君を中心として祝福を受けたそのすべてが父と息子、娘の関係であるために、祝福を受けた家庭が今まで四十年間失敗したすべての傷があったとしても、父と息子、娘、天地父母に代わった地上の父、天上の息子が一つとなって責任を持つことができるようにしてくださいませ。そうして神様の前に、真の父母の立場に真の息子、娘の立場が連結し、祝福家庭も真の家庭的勝利の基準を伝統として受け継ぐことによって、旧約時代に蕩減に不備であった事実、新約・成約時代に不備であった事実を、今回三時代を通じる立場で、勝利の覇権者の立場で、天地父母を代表した地上の真の父母の勝利圏を天上世界の勝利圏に、真の父母の長子圏勝利、天上世界が一体化し、ご父母様の祝福圏を縦横に天宙の三六〇度の球形世界に伝授して、一体圏のどこかで祝福することは天の中心を中心として天地父母の地上・天上の完成を通じて祝福を受けた一意的基準を完全に越えて、統一的な中心の核の立場に可能な存在として立つことができる特権を与えるこの時間であるということを知っております。 地上の父母の祝福の実権行使を、天上の長子の使命を担った興進君、イエス様以下の数多くの聖人たち、数多くの氏族、解放の民族を中心とした祝福を全体の自分の一族の枝を過ぎ、葉まで導いて、地上完成の祝福基準の前に一致して、天上世界の解放的な天国完成の出動出発を宣言するこの時間であり、祝福の継代継承を伝授するこの場でありますゆえ、お父様……、喜びの心で歴史的な恨のすべてを蕩減清算してしまい、解放の喜びと勝利の栄光の賛美、喜びの太鼓の音と歌声で、天地を覆い尽くしても余りある天が「おお、私の愛、私の天国になった」と言って踊り、喜びの日が出発することができますように。そして、祝福完成完了の地上・天上天国完成の天地大道の高速道路に進行、自主的権限を自らの意によって主管することのできる特別な期間に立てた地上・天上世界へ勝利と栄光が億千万世にぎっしりと詰まった愛の純潔な血筋を通して開拓することができるように、祝福、祝福、祝福して下さいませ。 このように、権限の内容を地上にいる真の父母は、天上世界の長子の権限をもって今まで蕩減と苦労の歴史の旗手となるすべてと地上統一と天上統一に平準化する立場で、聖人と殺人鬼の兄弟の友愛に、サタン世界に汚した血を清算して、純潔な血筋を残すことができる統一的な一体一元化時代を迎えることによって、地上解放は天上解放であり、天上解放は地上解放、共に勝利の自主的な地上・天上天国として、あの天国の名が地上、あの地の名が天上の保護者と連結するようにしてくださることを切に請い願います。天地が死に行く中で、今、父子の因縁と兄弟の因縁を通じて、一体的理想祝福の幸福の天宙史的地上・天上天国の泉となって、復活の天上保護者と一体となるように、特権を許しますゆえ、お父様の思いのままに主導主管行使、前進されることを切に請い願います。 真のご父母様の御名で勝利したすべてを天上世界で神様の創造理想の名前と一体となった解放的創造圏を祝福で受け継いできた興進君の解放的祝福をご父母様が直接的に継承し、伝授の呼び掛けと宣言をこの時間にいたしますゆえ、宣言通りに、ご父母様が願うままに成就してくださいますことを願いながら、この時間、今から実践躬行する実績基準が、万天地にあふれて、あふれて、あふれ出て残るのである! 真の父母の御名で切に願いながら、勝利的な内容で報告いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 祝祷後のみ言 では、柏手しましょう。地上世界の真の父母の勝利圏を、天上世界の長子権に代わった興進君を中心とした勝利の伝統で、一体的理想で伝授したことを宣布しますゆえ、天地の存在たちは感謝の心で永遠不滅の愛の国と愛の地上・天上天国を抱いて、あらゆる精誠、孝子・孝女・烈女・忠臣・聖人の道理、聖子の道理を果たすべし! お誓いいたします! お誓いいたします! お誓いいたします! お誓いいたします! 興進君は真の父母の望んだみ旨を受け継いで、今後その目的達成に前進全力を尽くすことを地上にいる真の父母と兄弟たちの前に宣布いたします! アーメン! 今、霊界にいる興進君が、好きに分けて食べるように言いましたから、皆さんと一緒に食べるという意味で、これをすべて分けて食べましょう。一つずつ手にして、あそこにいる人たちも、ここに栗もあり、餅もあります。少しずつちぎって食べなさい。あるいは、ここの飲み物、コーラならコーラを十人ほどで分けて飲んで、少しでも飲んだという条件を立ててから帰っていくようにしなさい。 では、さようなら。式を称賛する意味で、神聖なお祝いの食卓を配すべし! アーメン! (万歳三唱)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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二〇〇〇年総解怨秋夕記念式二〇〇〇年九月十二日(陰暦八月十五日)、午前七時から八時まで、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様たちと教会の指導者ら百二十二名が参席した中で、二〇〇〇年総解怨秋夕記念式を挙行なさった。 記念式の準備 (前面には祭壇が準備されており、右側にはろうそく七本と聖酒が置かれている。聖酒は大きな杯に四杯がひし形におかれ、その間に小さな杯に四杯ずつ十六杯、合わせて二十杯が準備されている。) み言 (ろうそくに点火の後)「二〇〇〇年総解怨秋夕」とは何ですか?これまで韓国では、秋夕(旧盆)には、自分の先祖たちを崇拝してきました。本来ならば、自分の先祖たちを崇拝して、先祖の運勢を受け、それを横的に展開することが創造理想なのです。これが堕落して逆さまになったのです。ですから、何が生じたかというと、墓ができました。平面的な立場のふたが生じたのです。 聖書を見ると、終りの日には「すべての墓が開いて死人が起きる」と記されているでしょう? 彼らが解放されなければならないのです。この式がまさにそれなのです。 霊界も上・中・下の層からなり、地獄も上・中・下からなって、横的にすべてが分かれていますが、堕落することにより壁ができたわけです。この壁をすべて撤廃してあげなければなりません。それで先生が八十歳になって初めての秋夕に、この全体の先祖たちを解放してあげなければなりません。 再臨主は何かというと、サタン世界から見ると、いちばん最後に出てきた天の人なのです。アベルの中で長子権・父母権・王権を抱いたいちばん最後の人だというのです。このお方がすべてのみ旨を果たしたので、霊界から肉界に至るまで、墓のようなものを除去してしまわなければなりません。 縦的にもそうであり、横的な八段階について八定式を中心として、ふさがっていたすべてのものを総体的に開いて、除いてしまわなければなりません。それで八十歳の八月の秋夕、全体を代表できる一つの限界線を抱いて、祝福家庭を中心に連結するのです。 偽りの結婚によって覆われたものを、真の父母の祝福された恵沢圏を中心として、個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代・国家時代、旧約時代・新約時代・成約時代を過ぎて、地上・天上統一的な祝福圏を完成させて、解放圏を展開しておきました。それで、この全体を開いておいてあげてこそ、祝福された家庭を中心として、本来の第四次アダム圏心情世界が、ご父母様から出発するのです。 ですから、皆さんは、真のご父母様の勝利圏を祝福により受け継いだ誰それの名前で祈祷するでしょう? 祝福を受けることにより、そのように祈祷するのです。そうした祈祷をしたのが、今後はどうなります? 第四次アダム圏時代は、祈祷時代ではありません。報告しなければなりません、報告! 報告するには、自分の一生において、きのうよりもきょう、きょうよりもあす……。個人生活から永生生活です。ですから、人生は地上で短期間だけ暮らしてから、永遠なる世界に行って暮らすのです。永遠なる世界に行っても、自分が生きた生活においてすべてを完成できなかったので、あの世に行っても発展していかなければならないのです。 あの世に行っても過去のすべての誤りを……。また、これまで発展過程の蘇生段階から長成・完成段階を越えて、神様まで行くのに、残された明日に向かって、今日のすべての生活をプラスにしていかなければならないのです。一日に一つずつ、一年に一つずつ、さらにプラスとなる善なる働きをしなくては、神様のおられる所に行けないのです。 ですから、すべてのものが妨げとならずに、この道が高速道路とならなければなりません。蕩減復帰歴史を見ると、旧約時代は霊形体級の世界、新約時代は生命体級の世界です。霊界がそのようになっているのです。それから生霊体級の世界となりますが、この段階的になっているすべてを撤廃してしまうのです。 今や、ルーシェルが降伏しましたが、ルーシェルの一族たちが歴史過程で自分たちのとどまった基盤を中心として、離れようとしません。離れようとしないのです。このような門を開いてあげることによって、善なる霊たちがどこに行っても、サタン世界のサタンを追いやることができるのです。サタンを追いやって、これまでサタンが汚したものを浄化できるみ業が、これから始まるのです。ですから、大変革が始まる時が到来するのです。 今回も、先生が国連で国境撤廃を宣言したのです。統一をなすには、国境地帯に平和機構を設けて、すべての国境は天の国に属さなければならないのです。国境を中心として、相反するカイン、アベルの境界線となっています。闘ったのです。ですから、国境を撤廃して、これらが一つにならなければなりません。一つになるには、国境を撤廃した後、互いに衝突していたカイン、アベルどうしを祝福してあげなければならないのです。 これから第四次アダム圏時代に入ってきたら、韓国人は韓国人どうしでは結婚できないのです。国境地帯と、日本人と韓国人が結婚するのです。国境の妨げにあって通じなかったものを撤廃して、一つにならなければなりません。カイン、アベルが一つにならなければなりません。 それで第四次アダム圏、兄弟圏時代に入っていくので、東西南北、東と西、南と北、遠くから結合させてこそ、中央となるのです。ここに境界線があっては、中央が設定されないのです。ですから、真の父母が来てサタン世界を蕩減してから戻り、入ってきて境界線のない立場となり、中央にぴったり立って全体の中心、個人完成、家庭・氏族・民族完成、東西南北の主体的な世界の完成圏をすべて開いてあげなければならないのです。 この地上で生きてから霊界に行ったすべての人たちが、自分の程度に相応する限界のうちに墓のようにすべて覆われているため、自在に往来できません。ですから、これを除去してあげるのが、きょうの式なのです。 それで第四次アダム圏時代を準備して、そのような時が到来したので、こうしたみ業を先生が八十歳の秋夕を迎えるこの場で行うのです。先生もこれまで蕩減復帰歴史をなしてきたので、先祖たちをすべて後にしてきました。先祖たちが霊界に行って、サタン側に立って反対する立場で来たのであり、協助できなかったのです。しかし、これからは反対する時代ではなく、協助できる時が来たので、父母としては墓のようなふたを開き、めくらなければならないのです。そして、祝福家庭を柱として氏族的で、民族的で、国家的な使命を果たすべき時が来ました。 それで国連を中心として……。国連には国がありません。国の基地をつくってあげれば南北統一は……。韓国と北朝鮮の統一にあたって、信じなくてもかまいません。 それならば南北朝鮮の統一の代わりに私が土地を築いて、国連に寄付するのです。先生が百二十万ヘクタールを準備すれば、韓国が百二十万ヘクタール、日本が百二十万ヘクタール、アメリカが百二十万ヘクタール、ドイツが百二十万ヘクタールを準備するのです。四か国を中心として六百万ヘクタールをやれば、二億から三億の人を食べさせていけます。地上でいちばん大きいという国の基準を越えて立てるのです。それで国連に国の基地を私が築いてあげるのです。そうなれば、南北が統一できない場合には切ってしまいます。 国連の基地があるので、先生を中心として祝福家庭が民となり、神様を中心として神様の主権世界に代わりうる国家となるのです。国連国家の基地をつくらなければなりません。ですから、これまで準備したのは何ですか? 超宗教圏、超国家圏、超青年圏、超学生圏、超女性圏をすべて設けておいたのです。これさえ携えて連結させれば国になるのです。 そうすることで、どうなりますか? 人類には神様を中心とした故郷がありません。神様を中心とした祖国がありませんでしたが、故郷の地が設定され、祖国光復が地上に成就することで、万国は一つの国家形態として進展できる時代に入っていくのです。 ですから、先生が平和地区を設定しようと提案するのです。国境地帯は間違いなくサタンが設けたので、これを神様が主管しなければならないのです。国境には必ず悪魔が居座っています。その悪魔とは民族的な怨讐たちです。国境を間にはさんで敵対視していたすべてのものがサタンを中心として……。これは悪魔の実体なのです。これがみ言の中に出てきます。悪魔たちの居座るこの国境線を撤廃して、和合の基盤を連結させることによって、天下が平準化されて、水平になって、天の国に直行できる道が開かれるのです。 そのようなことを普遍妥当化させるため、真の父母が勝利の基盤の上でこうしたことを宣布してあげなければならないのです。そのような式が、きょうのこの秋夕です。先生が八十歳を迎える八月の秋夕なのです。 ですから、来るべき再臨主というのは、神様の側において出発であると同時にサタン世界においては、いちばん最後です。それで、これまで先祖として生まれては死んだカイン世界のすべての者に誰が責任を負うべきかというと、真の父母なのです。偽りの父母は責任を負えません。偽りの父母に属していたものは、サタン圏にあったので、すべて勝利して引き継いで、これを真の父母が前面に立て入っていった後に、境界線があってはならないのです。 旧約時代・新約時代・成約時代、そして人々が暮らして埋められている墓、各個々人が生活していた所にすべて境界線となっていましたが、これを完全に開いてしまわなければならないのです。それは真の父母だけがやるのであり、神様もできません。勝利した真の父母だけができる特権です。 こうすることによって、霊界と肉界の同化時代に入っていくのです。ですから、今後、悪なる人々、み旨に反した人々は、自分たちも知らずに徐々に天が整理していくのです。直接的な蕩減時代です。蕩減がありません。今は即決時代に入ったので、過ちを犯せば、その誤ったことを中心とし、代価を中心として、自分たちが蕩減を受けて、自分の限界圏内にとどまるのです。霊界の監獄に行くのです。 霊界の監獄に行って限界圏に残されたものをすべて清算しなければなりません。その門を開いてあげなければなりません。このような式をしてあげることで、今から死後に行くべき霊界までも門が開かれるので、絶対信仰、その次には絶対愛・絶対服従しなければなりません。 神様が天地を創造するとき、神様ご自身が語られたことを絶対信仰したのです。「私が語ったことは絶対的に成就する!」と言ったのです。その成就したもの自体は、愛しうる相対のためのすべての元素になったのです。相対を創造しうる要素となるので、絶対信仰をもってつくったのは、絶対愛の存在ですが、絶対愛する存在を神様のように偉大にするには、蘇生・長成・完成の段階を中心として、神様が投入しなければなりません。 投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうというのが、最後まで上がっていけば、終わりまで投入しようとすれば交代するのです。息をはーっと吐き出せば、吸うなと言っても、吸うようになっているのです。吐き出した後には、いちばん後には、あちらの反対側から息を吸い始めるのです。そうではないですか? 高気圧圏が生じれば、低気圧のいちばん弱い場にシューッと高気圧が移っていき、弱い場がプラスになります。プラスとなったマイナスの立場の上に上がっていき、下に押すときには、地がプラスですが、こうしてさらに強く下に押すので、次第に大きくなりうる運動となるのです。 絶対温度というのがあります。摂氏マイナス二七三度とかになりますが、その度数を越えると戻ってくるようになっているのです。ですから、最後まで投入して忘れれば、自動的に運動が永遠に継続して大きくなっていくのです。そのような原則と原理観的な面から投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう立場に立とうとするので、神様は自己中心的な概念を抱くことができないのです。愛の相対が完成するときまで、投入して忘れてしまうのです。 アダム、エバを祝福して、自分の相対理想圏に絶対統一しうる場まで行けば、自動的に与えていた価値は還元されて戻ってくるのです。戻ってくるのに、その相対的な価値がプラスになることによって、与えていたものより大きくなるので、これを授受することによって、永続的な運動を開始することができるのです。この運動を今からするのです。 さあ、そのような意味で、これは重要な式なのです。誰でもここに参席できるというわけではありません。この場には、神様のために天の国におけるすべての中心支部の代表者から、地上を代表しうるすべての教祖たちが参席しなければなりません。そのような人たちを代表して、この場に参席したことを知らなければならないのです。本来は七百名、八百名を越えなければなりません。八数です、八数。(祭壇に聖酒かおかれている所を指されて)この東西南北を中心として、四つを中心として一つにならなければなりません。それはいくつですか? 四×四は十六と東西南北の四を足せば二十です。二十個なのです。手足を合わせれば二十個です。人が立って、歩いて、働いて、すべての活動をする所には手足が動くのです。もちろん体も頭も動きますが、主に動くのは手足です。手足が動いていくで ですから、天地の度数を見ると、(右手を親指から一つずつ折られて)鉱物時代それから植物時代、それから動物時代、それから人間時代、それから神様です。五数なのです。五数を中心としてこの四数です。四肢を通じた二十数が私たち人間の二十数です。男性、女性を合わせることによって四十数です。四十数を中心として定着するのです。 相軒氏もそうではないですか? 霊界で定着したのも、霊界と肉界の四十日間を中心として定着するというのです。それで四十数を中心として連結しているのです。男性も女性もすべて二十数です。 そのような意味で、四方が、東西南北がふさがったら、すべて開いてあげなければならないのです。五段階を中心としても、ふさがるものなく、開いておかなければなりません。その中心の立場に神様と真の父母が立てば、宇宙を代表した五段階となって、全世界が通じることのできる道が展開されます。 ですから、人を中心として見れば上下・前後・左右です。電気でいうと、ここに電気一つさえ通じれば、すべてが百ボルトになるのです。負荷がかかりません。真の愛はどんなに立体が大きくても、負荷がかからないのです。消耗が起こらないというのです。 そのような意味で、今回、墓を、死亡圏を解体させるこのような時代になったので、二〇〇〇年総解怨秋夕節です。総解怨秋夕です、秋夕! 秋夕は韓国人の名節ですが、主流国家に神様が礼物として与えた、先祖を崇拝できる日です。後孫たちが先祖を崇拝してあげてこそ、先祖たちの道が開けるのです。ですから、韓国人たちが先祖に侍ってきた伝統により、いくら難しい立場に立っても、自主的な国家形態を四十年以上、踏みにじられずに歩んできたのです。それで、きょうの式が重要なのです。 それでは、皆さんがこの場で敬礼するとき、全体がご父母様に三度敬礼して、それから東西南北に向かって、一度ずつ敬礼するのです。四方に敬礼するのはどうしてでしょうか? 地上世界と天上世界に満ちているすべての霊人たちと人類を代表して、四方に連結させなければなりません。連結させて先生が祝福をしてあげなければならないのです。 天地が一か所に焦点を合わせて、宣布するこの式が全体を代表する儀式であるとわきまえ、そのような場に参席したので、皆さんの責任が重要なのです。皆さんの行く道も、そのような責任を担当するため、生きなければなりません。統一教人たちが、そのように生きるのです。霊界を解放したその場において、神様の息子・娘の権威を抱ける家庭を成立しなければならないのです。 祈祷 (前面に向かってご父母様が手をつながれて)愛するお父様! きょうは韓国が歴史を通じて秋夕として記念する日でございます。この日は、先祖たちに侍って、刈り入れたすべての収穫物を奉献すると同時に、一年のすべてを共に暮らし、共に協助された先祖たちの恩徳と天の恩徳を考えながら、先祖を崇拝する日として記念する秋夕の日でございます。 このような日を数千年、数万年、数十万年と経てきた蕩減の歴史をたどりながら、主流民族である韓民族を立て、この伝統的な思想を中心として、いかなる民族の前にもなかった先祖崇拝の一つの本国たる国を立てられました。歴史的な蕩減の一つの標本的な基準を残された、この国を中心として、真の父母を立て、全宇宙の全体解放圏を立てようとされる、あなたがいらっしやいますことを心から感謝申し上げます。 歴史時代に数多くの私たちの先祖が先祖たちを崇拝してきたすべての恵みにより、先祖たちが天上世界で発展して、神様に侍ることのできる代表的な民族の足場を地上で備えてあげることで、天上で連結させうる恵沢圏を受け継ぎ、その足場の上に真の父母をこの地に送られました。 韓国の領土が裂かれたすべて凶悪な環境にもかかわらず、これを収拾して、解放的な天の所有権に連結させうるこのような伝統の歴史を識別するため、南北が分かれて悲惨なる環境に立っている世界情勢の中にあって、これを越えて、国連を中心とした新しい建国理想を中心として、主権が必要であり、民が必要であり、国土が必要になりました。 すべてが南北の統一基地を中心に築こうとした国家的な基準を越えて、世界を代表したアメリカの地において、キリスト教と政治の境界線を埋めて、これが一つとなり、宗教間の境界線を埋めて、教派間の境界線を埋めて、家庭間の境界線を埋めて、各個人の良心基準である体、心の境界線を埋めて、天の祝福された国として、神様を中心とした第一イスラエル選民圏を受け継いだ第ニイスラエル圏となりました。 第二イスラエル圏になると同時に、第三イスラエル圏である韓国と結束し、世界的な途上に越えていける国連に天の国の祖国光復を一体化させ、総体的な定着基地を願われて、すでにかなり前からこうした国連工作のため、歩んできたすべてが、み旨が忙しいことによって、今回、国連において新たに天が志向できる、国連の行くべき道をすべて指示いたしました。 ここで国境線を撤廃することにより、平和の基地をつくることが、統一教会の使命であり、統一教会の絶対義務であり、この責任を担うため、新しい決心をいたしました。私たちが日常生活において、国境撤廃とこれを愛により水平化させるという生活哲学を中心として、サタンと神様が反対していたものを埋めて、愛により一つの一族圏を中心として……、天使世界もアダムのための本然基準に定着させるべき、アダム解放圏を立てることにより、アダムが失敗して墓の道をふさいでいたすべてのものを真の父母の立場に立って、解放圏を立てることにより、これを除去できるすべての特別なる恵みの時代を迎えることとなりました。 第四次解放圏の心情世界を迎えるためには、すべての民族が兄弟であり、すべての国家が兄弟であり、天地の全体が神様の血統を受け継いだ一族となって、一切一族の名前を中心として統一的に地上・天上化しうる世界に前進する決意を固めなければなりません。民族の精気を集中させて、歴史的な摂理路程において、あなたが苦労されたすべての恨の歴史を踏み消して、これを掃除して、浄化できる解放的な土台を宣布するこの時間となりました。 ですから、神様、この日を覚えてくださり、真の父母と一心一体となり、新しい心、勝利的な解放の心情を持って、すべてを神様が自主的な立場で自由通路、上下・前後・左右立体世界のどこでも自由権限を備えられるよう、サタン圏の死亡のこの墓場を撤廃して、生命の復活の場として元返すこの時間となったのでございます。 この場に自ら、あなたと真の父母が一体となられて、願われるままに成就、勝利、すべての整備を完成して解放的な地上・天上天国、自主的な勝利の人間の権威を持って、主人の行使を、生まれながらにして、生きながら、永遠なる天の国まで神様と共に代身できる家庭的な理想を拡大した地上・天上世界となるよう、許諾してくださることを切にお願いいたします。 きょう、この式により霊界のすべての霊人、地上のすべての境界線……、自主的な立場に立てなかった神様が自由に顕現なさることで、天のために絶対信仰・絶対愛・絶対服従する子女たちが、被造万物とともに一つとなり、あなたの愛の主権を拡大させる義務と責務を急速に完成させる総動員協助協力時代に前進することを願って、この式を挙行しますので、「二〇〇〇年総解怨秋夕節」を奉献いたしますので、お受けくださいませ。 喜ばしいこの日を定められ、新しい世界に向かって前進できる総被造世界とならせてくださいませ。真のご父母様の御名によりご報告申し上げます! アーメン! アーメン! アーメン! 敬礼 (1)真のご父母様が神様に一拝された後、「敬礼は三拝して、立ちあがり、東西南北にそれぞれ一杯ずつ、四拝するのです」と語られた。 (2)真のお母様が、真のお父様に一拝された後、「先生が八十歳を迎える秋夕を通じて、旧約時代・新約時代・成約時代、霊界から見ると、霊形体時代・生命体時代・生霊体時代をすべて越えていくのです。これを四方に展開させる式なのです」と語られた。 (3)参席者全員が真のご父母様に三拝し、 (4)参席者全員が東西南北に向かって、それぞれ四拝した。 聖酒によって宇宙を聖別 (アベル圏を代表して孝進権、顯進様、國進様、亨進様が大きな杯に入った聖酒を手に持たれて、カイン圏を代表して郭錠煥、朴重眩、黄善祚、梁昌植会長が小さな杯に入った聖酒を四杯ずつ持って外に出た。 このとき真のお父様は、中にいる参席者たちに「ここでは祈祷する心でいなければなりません。あの聖酒によって宇宙を聖別するのです」と語られた。 外ではアベル圏とカィン圏を代表した八名が、それぞれ二名ずつ東西南北に向かって立ち、聖酒をまくことで宇宙を聖別した)。 祝祷 愛するお父様! きょう、二〇〇〇年陰暦八月十五日、この日は韓国民族が秋夕として先祖たちを仰ぎ見る日です。秋の季節を迎えて、新たに実りを刈り入れ、神様を中心とした先祖たちに侍ることのできる伝統を守ってきた、記念の名節を代身した日でございます。 陽暦では九月十二日、陰暦と陽暦を合わせて、祝賀するこの日を東・西洋が合わさり、祝賀する日として立て、天地が合わさって、祝賀する日として立て、先祖たちとその後孫たちが合わさり、一体となって、天の父母に侍らなければなりません。 天理大道の伝統的な歴史を、天の大道に代わって祝福された家庭が、家庭を中心として定着させるには、天地父母に代わり、天地に代わって、東西南北のあらゆる万有の存在と人類に代わって祝福されて立てた家庭であることを考えるのでございます。全天宙の万有の存在、霊・肉界を合わせた存在全体が、私たちの家庭により、永遠なる世界に誇りとする地上天国の基盤があることを後代に誇りうるようになったことを感謝いたします。 天上に行っている聖人、聖子からこれまで恨の歴史を持って、地上に理想的な家庭標準を一つも残すことができず……、この地上に真の父母が臨在し、定着することをどれほど待望されたでしょうか? そして、定着した家庭基盤が世界の頂上を越えて、天地白昼に宣布するのに、反対されず、歓迎されうる時代まで、開拓の道を歩ませてくださった天のお父様がおられることを知り、地上にお父様がおられたことを知りうる祝福家庭が、天上世界と地上世界に数十億、数百億ございます。 この数十億、数百億の人たちが、今はみ旨を中心として、鉄の城のごとく擁護して、一つの目標達成の撃破に向けて、前進しているこのとき、これまで地上世界と天上世界にふさがったすべての壁、心の世界と体の世界、肉的な五官と霊的な五官のそのすべての隔たりにあった数多くの境界線を撃破してしまわなければなりません。 これらの境界線を一つにするには……、怨讐を愛するにおいて、自分の息子・娘を犠牲にして怨讐を救おうとされるお父様の愛を中心としてきた、その愛を実践できる家庭の結実体を、地上と天上世界の生涯に残さなくては、地獄の門を開いて死亡の世界を撃破し、生命圏に連結できないことを知っております。 それを知っている統一教会の祝福された群れ、霊界の祝福された真の父母の一族を合わせて、今日、この時間にすべての境界線、縦的な八段階と横的な八段階でふさがっている壁を清算して、一つの主体的な愛の主権を中心とした世界祖国光復、故郷光復のためにこれまで闘ってきたすべてを、今や世の中の前に発表し、実践できる時代を、行動により展開していくようになりました。 統一教会の全体を代表して霊界にいる全体の祝福家庭を代表して、真の父母は天地父母を代表して、自由自在に東西南北、中央のどこでも、縦的世界のどこでも次元を異にする場で、これを克服して、すべてを思いのまま主管できる愛の統一天国に向かって、すべてが同じ生命力を抱いた一つの方向と目的に向かって、天の前に忠孝の道理を果たせる道を開放するため、このようなきょうを中心とした「二○○○年総解怨秋夕節」を記念する時間を持ったのでございます。 きょう、記念式の説明を通じたすべての内容が、一切お父様の心情の下に宿り、地上の真の父母と一体となり、天地万物が願ったすべての障壁を、墓のようなこの障壁を取り払ってしまい、自主的な解放圏を中心として忠孝の道理を誓いながら、絶対信仰・絶対愛・絶対服従する群れを、悪魔までも天の一族に所属させようとするお父様の愛の前に、すべてのものが統一的な解放圏の懐に抱かれるよう、この日から全霊界を出動させて、動員されることをお父様、切にお願いいたします。 少数の群れがこれを記念する時間となりましたので……、人類全体、天上世界と地上世界の全体に代わった祝福家庭と霊界全体が一つの責任を中心として、ここから四方に拡散できる、祝福の恵沢圏を……、真の父母の血統的な因縁を連結させうる、すべてを拡張するこの時間でございます。ですから、神様と真の父母は平面を通じて、このみ業が万世に地上・天上いかなる環境を越えても、適用されうるよう、命令してくださいませ! 命令一下に一切がその目的に向かっていく方向に妨げなしに、悪魔たちまでも順応できる道理を備えるよう許諾してくださいませ。 宗教圏で祝福したすべての霊界の人々をすべて地上に送られて、彼らを監督してサタンが支配するのを分別し、堕落圏以下の立場に立てるとともに、祝福された家庭は堕落圏以上の世界で解放天国に前進、前進、前進できる光明の天国に連結されるようにしてくださいませ! 真の父母の御名によりこのみ業を報告して、このみ業を宣言いたしますので、み意のままに成就してくださいませ。真のご父母様の御名により報告して宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! 真のお父様のみ言 (万歳三唱の後)今から八月の秋タになれば、統一教会の信徒は、善なる先祖たち、自分の一族、また聖人の名前とともに、忠臣の名前とともに、彼らにすべて侍り、民の前にそのような伝統を連結させる働きをしなければなりません。 今までキリスト教では、「先祖をまつることは偶像崇拝である」と主張しましたが、それは知らないからそう言うのです。霊界を見ると、先祖たちが発展するには後孫たちが精誠を尽くさなければならないのです。それが霊界の実相であり、皆がよく知っている内容です。今までそのようにしてきたのです。 今まで先祖たちが、後代の後孫たちを助けてあげるのではなく、利用したのです。それが今や真の父母が現れて、行く道を整えてあげたので、先祖たちが解放された恵沢に該当する恵みを中心として、地上にそのような圏内にある後孫たちを訪ねてきて、助けてあげるのです。 カイン、アベル、天使長圏とアダム圏関係で地上に天使長圏の先祖たちが合わさり、祝福を受けても、受けなくても、個人・氏族・民族の全体がそのような関係に進展することで、霊界の被害を受けずに、霊界の助けを受けられる時代になっただけに、自分たちが地上生活でためらうなというのです。自信を持って絶対信仰・絶対愛・絶対服従により、為に生きる生活をしなさいというのです。自分に重きをおいた生活は、今から消え去っていくのです。 今から自分のためにという者は、国境をそのまま残すという者なのです。私たちはこれを全廃させるためのものです。墓となりうる、暗闇の影を解放させてあげるこの式であると知って、自信をもってどこでも発表しなければなりません。統一教会を誇らなければなりません。真の父母を誇り、統一教会で主張する国境撤廃、その次に国連国家、一つの国を築くために歩んでいかなければなりません。そのような側面から今、教育するわけです。 国境とは何ですか? 今まで宗教圏と政治圏が国境でした。そして宗教と宗教が国境です。教派と教団が国境です。それから家庭と家庭がすべて国境です。為に生きる愛さえ抱いていけば、このすべては撤廃されるのです。為に生きる生活をすることで、地上に天国が拡大されるのです。核を拡大する生活をもって、皆さんの一生にどれほど影響を及ぼしたかということで、あの世に行って天の愛の圏内に抱かれうる位置が決定されるということを、はっきり知らなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.29
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第十二回「八定式」における御言成約八年 2000年8月31日アラスカ州コディアク、ノースガーデン 真のご父母様は、第十二回「八定式」をアラスカのコディアクにあるノースガーデンで祝われました。朝六時からは敬礼式が行われ、式典には主に「真のご父母様ご聖婚四十周年記念・第二回アラスカ国際釣り大会」の参加者が臨み、その後「訓読会」が行われ、第一回「八定式」の際に語られたみ言を訓読。「訓読会」に続いて真のお父様が語られたものです。 今回、初めてここに来た人は、手を挙げてください。初めて来た人が、こんなにたくさんいるのですか?。田舎者ですね。(笑い) 「八定式」という言葉を初めて聞く人もいるでしょう。第一回のときに、摂理史の全般的な内容をすべて包括して語っておきました。どのくらい成し遂げられたのですか?。十二年前であり、満十一年になりますが、十二年目の今日と比較してみれば、アメリカも、キリスト教文化圏がすべて反対する最高の怨讐だったのですが、今では怨讐自身が、国家自体も宗教自体も、先生に自然屈伏する段階に入りました。そうして、今では自分の位置を立て、世界的な代表の位置で責任を持とうとする基準を立てるようになりました。と同時に、国連は本来、アメリカが立てたものです。 国連は、一九四〇年代につくられ、戦勝国が敗戦国を解放させたのです。そのようなことが歴史上に起きたのですが、それは何かというと、カインとアベルの兄弟が闘い、兄がサタン側となって弟を殺したことを蕩減復帰して弟が勝利し、アベル的覇権主義国家の代表であるアメリカを中心として、全世界が弟の位置で保護を受けることのできる立場に立つべきであったということです。 しかし、それにもかかわらず、統一教会に反対しました。キリスト教が真の父母を迎えるための責任を果たすことができずに反対したのです。ですから、統一教会の一番の怨讐はだれかというと、キリスト教なのです。キリスト教の背後では、共産党と一つになり……。その思想的な基準を見れば、人本主義思想、そして享楽主義に陥った肉体派思想までが一つになって、キリスト教を中心として共産党が活動を展開し、今まで統一教会のレバレンド・ムーンを撃破する運動をしてきたのです。 個人的に撃破しようとし、家庭的撃破、氏族、民族、国家、世界的に総合して撃破しようとしましたが、撃破できませんでした。それは、神様が許しません。今まで、迫害して死ぬ境界線まで引いていきましたが、生命に対しては、自分の自主権限がないので、手を出すことができないのです。 生命権限には天が干渉しているので、困難な個人的世界迫害時代を通過し、家庭的、氏族、民族、国家、天宙的迫害、すべての迫害の環境が先生の一身を中心として攻撃し、先生を打倒しようとしましたが、果たせませんでした。そうして、天の側が失敗したのではなく、サタンの側が失敗し、先生はアメリカを超えて国連の頂上まで上がってきたのです。分かりますか?(「はい」) 国連が行くべき方向は、世の中のだれにも分かりません。今からは、先生の言うことを聞かなければ、国連は立ち行かなくなるようになっているのです。アメリカもそうであり、全世界がそうです。日本もそうであり、共産党もそうです。 中共とロシア、アメリカ、日本、その十二歳から二十四歳までの若い二世たちを再教育しなければ、世界には未来像がありません。それ以外のすべての人々、家庭を持ったすべての民族、国家に未来はないようになっているのです。これを防御すべき責任が統一教会にあるので、祝福というものを中心として、今から未婚男女の祝福時代に入っていくのです。 今までは、自分勝手に堕落した家庭まで収拾してあげました。それから、契約結婚をして修羅場になったフリーセックスの群れたちを、すべて抱き込んであげました。しかし、そのような使命をしなければならないのが真の父母ではありません。 真の父母は、純潔な善男善女、宗教で言えばカトリックの神父と修道女、東洋では僧と尼僧、彼らを祝福してあげなければならないのです。しかし、宗教圏が一つになって先生を迎えることができませんでした。そうして、堕落したアダムとエバは、愛を一度失敗して地獄に差し込まれたのですが、その何百倍も醜悪で堕落した群れを収拾し、虫がわいているようなものを、先生は四十年間、肥だめに入って生かしてあげてきました。しかし、それは、統一教会の先生がすべきことではありません。分かりますか?(「はい」) 今から、四億三千万双の善男善女の結婚が完全に終われば、すべてが終わるのです。 すべて病気にかかってしまいました。家庭問題です。青少年の淪落と家庭破綻の問題を、いかなる政府も手を出すことはできません。神様も、堕落していくアダムとエバに手を出されることができなかったので、これに手を出して治めることのできる存在はいないのです。 いくら政治的な理念を持っていても、教育理念や思想理念を持っていたとしても、青少年の淪落と家庭破綻を防備する道はありません。これを防備する防備策は、ひとえに真の父母にしかないのです。 偽りの父母がこのようにしたのであり、法がそのようになっているので、神様も創造理想を破壊したものを治すことはできません。人間が過ちを犯したのですから、人間が蕩減しなけれならないのです。それゆえに、偽りの父母が堕落することによってなされたものは、真の父母が来て、すべての歴史的な病巣を手術して治してあげなければ、これを治すことはできません。治すことはできないのです。解放圏はありえません。ですから、それを成すことが統一教会の中心的使命なのです。 統一教会は、若い青少年を新しい天の国に必要な「愛国忠臣烈女」にするという使命を果たさなければなりません。そして、あなたたちが祝福を受けて神様の血統を受け継ぎ、どこであろうとも、その植えられた万物は、種ができれば、その種はいつでも天の側に属し、天国に属する種となるのです。ですから、家庭破綻と青少年の淪落を防止することはだれにもできませんが、これは真の父母だけが可能なのです。それは、どうして可能なのでしょうか? 真の父母は、神様の秘密を知り、サタンの秘密を知っているのです。どうして病気になったのかという、その動機を知っているので、逆さまに持っていって合わせることによって、解放されるのです。それが統一教会で言う祝福なのです。 祝福の中には、個人的な祝福圏、家庭祝福圏、氏族祝福圏、民族祝福圏、国家祝福圏、世界祝福圏、天地を完結した祝福圏があり、それを真の父母がサタン世界と闘って再び捜し立てたので、その基準が個人から、さっと、ピラミッドのように立っているのです。ここに、相対基準として個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代があります。そこに歩調を合わせ、絶対愛を中心として絶対信仰し、絶対服従する、このような起点さえ一致すれば、その時代の恵沢を受けるのです。 今、世界時代に入ってきました。そのために、聖人と殺人鬼を一緒に祝福してあげたのです。その聖人はだれであり、殺人魔はだれですか?。殺人魔とはだれなのかというと、お兄さんのカインです。聖人はだれかというと、アベルです。 これが今まで、歴史時代において闘ってきたのですが、終わりの日に、共に神様の前で、あるいは堕落していない真の父母の前で祝福を受けることができたのです。偽りの父母によって破綻させられたものを、すべて縫い合わせて修理し、水平線をつくって祝福をしました。 潮水で例えて言えば、入ってきた水が再び出ていくときに、先頭の水が聖人であるとすれば、最後に出ていく水はだれかというと、それは悪なる者たちなのです。それでは、水が帰ってくるときには、先に出ていった水が先に入ってくるのですか?。どちらが先に入ってくるのですか?(「最後に出ていった水です」)。最後に出ていった水が、先に入ってくるのです。最後の水が先に入ってきて、水平になるのです。 堕落していなければ、水平は、家庭的水平であると同時に氏族的水平、民族的水平、国家的水平、天地の水平基準となるべきであったのですが、堕落してしまったので、これをすべて埋めてしまいました。家庭水平基準を破壊し、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、すべての水平を破壊して、悪魔の天下となってしまったのです。そして、一番の問題は何かというと、男女の愛の問題をことごとく蹂躙したということです。何のことか分かりますか?。総結論は、サタンが終わりの日に何かというと、男女が愛すべき……。 愛は、生命の源泉です。永生の源泉なのです。神様も愛を中心として存続していかれるのですが、この愛の理想の根本となる男女の生殖器が、すべてぼろ切れのようになってしまったのです。分かりますか? フリーセックスとは何ですか?。フリーセックスだけではありません。近親相カン関係です。おじいさんが孫娘と暮らしています。義理の父と嫁が暮らし、孫とおばあさんが暮らしています。近親相カン関係だというのです。すべてのものが、めちゃくちゃになってしまいました。ですから、サタンはこれをつくり、「神様。あなたの創造理想は、愛の理想を通して成される世界であり、それが天国であるというとき、いくらそれがあなたの創造原則であるとしても、このようにめちゃくちゃになったところに、あなたの理想を実現することは可能なのですか?」と讒訴するのです。サタンは、それが永遠に不可能だと思いました。 しかし、これが偽りの父母であるサタンがつくったものであるがゆえに、内外すべてのことを知っている真の父母が手術をし、薬を製造して飲ませることによって、治すことができるのです。反対です。反対に行くことができるのです。 個人的な水平圏破壊、家庭的な水平圏、氏族、民族、国家、世界、天地の水平をすべて破壊しました。そして、地獄と天国を分けたのです。何ゆえに分かれたのでしょうか?。それは、結婚を誤ったからです。分かりますか? 聖人と殺人鬼が(誤って)結婚したので国境ができました。国境は、そのようにしてできたのです。ですから、真の父母が来て聖人と殺人鬼とを同じ位置で祝福してあげ、堕落していない……。 アダムとエバも、自分の家庭においてカインが弟のアベルを殺すことは願っていませんでした。それでは、何が願いだったのでしょうか?。共に祝福してあげ、共に神様と一致することのできる家庭理想を成すことだったのです。それを再び取り戻すという願いが、その位置に残っているので、それを知っている真の父母は、その特権を持って聖人と殺人鬼を同じ位置で祝福したのです。それで、地獄の門が撤廃され、境界線が撤廃されてしまったのです。境界線を撤廃したのです。分かりますか?(「はい」) 李相軒氏の報告を聞けば、そこに聖人たちが先生にあてて書いた報告の内容があるので、それを聞いてよく知っているでしょう?。そのように、サタン世界、共産党の頭、第二次大戦を引き起こした頭であるヒトラー、ムッソリーニ、東條、それから共産世界のマルクス、レーニン、スターリン、彼らを九八年六月十三日を中心として聖人と一緒に祝福しました。歴史的事実です。 それは、神様が公認されなければならず、サタンが公認しなければならず、真の父母が公認するのです。それゆえに、地獄と天国の国境を撤廃して水平をつくっておいたのです。ですから、国の国境もすべて撤廃してしまわなければなりません。文化の国境もです。 世の中はそうではないでしょうか?。世の中で一番の問題とは何かというと、東西文化の格差です。東洋は精神文明、西洋は物質文明、ここに格差があるのです。それから南北の格差の問題です。それはだれがつくったのでしょうか?。堕落のゆえに、そのようになったのです。サタンのゆえに、そのようになったのです。これを撤廃してしまわなければなりません。 万物の世界に国境がありますか?(「ありません」)。雀が飛んでいって国境で止まり、ビザをもらいますか?。虫一匹でも、あり一匹でも、そのような関係は持ちません。ところが、万物の霊長の人間が、なぜこのようになっているのですか?。ですから、国境線を撤廃しなければなりません。分かりますね?(「はい」) ですから、先進国が「わたしは日本人、わたしはアメリカ人」と言ってはなりません。それは野良犬たちです。地獄の底に落ちるということを知らなければなりません。今は、そのようになっているのです。 だれにもアメリカを収拾することはできません。アメリカを助けようとすれば、レバレンド・ムーンにお願いしなければなりません。腐敗した家庭破綻、青少年の淪落の治療方法、その薬の調合方法は、文総裁にしか分かりません。その注射薬を持っている人は、文総裁しかいないのです。その注射薬は「祝福注射薬」です。分かりますか?(「はい」) 先生の家庭迫害時代は、すべて過ぎていきました。氏族迫害時代も、すべて過ぎていきました。民族迫害時代も、すべて過ぎていきました。国家迫害時代も、すべて過ぎていきました。世界と国家の代表がアメリカではないですか?。アメリカ自体が……。 キリスト教が反対し、宗教圏が反対し、主権が反対しましたが、今では間違いなく、生きるためにはレバレンド・ムーンのお尻にしがみついていなければならないようになりました。分かりますか?(「はい」) 国連で、GO(政府組織)が国を滅ぼし、寄生虫のようになっています。国連をすべて食いちぎってしまいました。それで、NGO(非政府組織)を通して、国家の代表が集まって、小さい自国の利益を追求する寄生虫を追放してしまうのです。NGOを中心として統一するのです。分かりますか?(「はい」) それで今回、「アッセンブリー二〇〇〇」を中心としてNGOの二〇〇〇年総会です。それを新しく結成して国連の手入れをし、新しく上院と下院に編成して国の形態をつくってあげるのです。国の形態をつくってあげるのですが、土地がありません。土地がないので、わたしが準備してあげたというのです。分かりますか?(「はい」) 南北が統一教会の方策に反対すれば、打たれてしまうのです。その国や、その土地にしがみついていくレバレンド・ムーンではありません。準備した土地は、それ以上に大きいのです。それゆえに、韓国の反対側に当たる最南方の南米四か国を中心として連合し、その土地を代わりとするために今まで準備してきたのです。 韓国動乱というものは内乱なのですが、その内乱に世界の国家が加担したのは、それが神様とサタンの闘いだったので加担したのです。「板門店」という言葉ですが、天の国に入っていく「金門店」となるものが、なぜ「板門店」になったのですか?。これを取り払って「金門店」をつくらなければならないという責任があるのです。 それゆえに、この戦争は神様の戦争なのです。神様を否定する唯物論と神様を絶対視する唯心論が、世界史的な運命を懸けて闘ったのです。ここに、十六か国からなる国連軍が入ってきて、血を流しました。十六数なのです。冷戦時代における韓国でのオリンピック大会でも、両分されていた百六十か国が初めて一つになることによって、冷戦時代が過ぎていったことを意味したのです。 ですから、韓国は重要な所だというのです。天地を中心として、神様とサタンが占領して闘っていましたが、それは、すべてのものを神様が引き継ぐための闘いであったのです。それにもかかわらず、アイゼンハワーの時代の一九五三年に休戦したのです。 わたしは、アイゼンハワー大統領に会って話したことがあります。その当時、中国でのダライ・ラマ事件が起きていました。全世界の宗教圏が、彼を支持している時であり、それがアイゼンハワー大統領の時だったのです。 例えば、お金を十億くらい預けて、宗教圏の結束を誓って体制を整えていたならば、共産党は出てこないのです。そのような話をしましたが、政治というものは、そのようにできないのです。それで、アイゼンハワー自身が、歴史に汚点を残す大統領になったのです。 問題は、水平時代において、怨讐に復讐するのではないということです。一つにならなければなりません。国境を撤廃して、交差結婚しなければなりません。今まで、日本と韓国は歴史的な怨讐でした。一九八八年でしたか?(「はい」)。数千人の交差結婚をしたでしょう?。日本の政府も信じず、韓国の政府も信じなかったのです。しかし、信じなくてもするのです。当時、韓日の交差結婚をするために、善男善女たちが成田空港に集まって問題が起きました。 それは、久保木会長も信じませんでした。「今後、交差結婚をするので準備しなさい」と言ったのですが、信じなかったのです。ところが、すぐにそれが行われるようになったので、問題が起きたのです。問題が起きたので、飛行機を待つ行列をつくったすべての人たちのチケットをお願いして……。譲歩してもらうのです。「あなたの息子、娘ならば、父親が行くチケットをあげないのか?」というのです。このようにしてお願いして……。 こうして、日本から交差結婚するために来た人たちが韓国の副教会長にもなり、日本の教会長の中では韓国人が責任を持っている人もいるのです。今、そうなっているでしょう?(「はい」)。それが正常なのです。入れ替わらなければなりません。 また、アメリカと怨讐の国家同士で結婚しなければなりません。国境を撤廃し、怨讐国家同士で結婚する日には、平和の世界が自動的に成し遂げられ……ません?(「成し遂げられます」)。られません。(「成し遂げられます」)。この者たち。できません。(「成し遂げられます」)。このようなときは、「この先生め」と言わなければなりません。できますか、できませんか?(「できます」) ですから、神様の戦略戦術は驚くべきものです。「怨讐を愛しなさい」というのです。「怨讐を愛する」ということは何かというと、怨讐の息子、娘に対して、「刀で刺し、のどを切って殺すことのできる怨讐の息子、娘に、あなたの国の王よりももっと神様のように侍りなさい」という教育をすれば、天下は統一されるのです。分かりますか?(「はい」) 自分たちは、怨讐同士で闘っていた父母のような人には、絶対になってはいけない、ということです。それが分かったので、神様が願う最高の家庭になりなさい、というのです。 怨讐同士を祝福した家庭に対して、そのように訓示すれば、平和の世界は自動的に?(「できます」)。できますか、できませんか?(「できます」)。そのようなことをしていますか、していませんか?(「しています」)。何家庭、何か国に影響を与えていますか?(「全世界、すべてにです」)。あなたたちがですか?(「お父様です」) そのような基盤はお父様が築いたので、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を成してこそ、それが伝授されるのです。今では、世界ですべて実験済みです。民主世界でも実験済みです。両院制の打破です。野党は野党の利益、与党は与党の利益を追求して、国がめちゃくちゃになっています。上院と下院も、縦的基準において闘っています。横的な面では、野党と与党に分かれています。これを撤廃してしまわなければなりません。 それでは、どのようにするのですか?。一つにならなければなりません。父子の関係において「父子一身」です。分かりますか?。それから、「夫婦一身」です。東洋思想は、「父子一身」、「夫婦一身」しかありません。統一思想では「子女一身」まであるのです。 三つが一つになるのです。一身になるのですが、「一身になることのできる、その一つの中心とはどこなのか?」というのです。父子の愛であり、夫婦の愛であり、兄弟の愛です。三大愛の一致圏を成し遂げなければならないということです。ですから、父親と母親を分けることはできません。 ここに、母親が二人になることを願う、ろくでもない人がいますか?。父親が二人、母親が二人になることを願う人は手を挙げてください。そのような者は、腕を切ってしまうか、首を切ってしまわなければなりません。 母親が一人であることを願い、父親が一人であることを願うという事実は、離婚することができるということですか、できないということですか?(「できません」)。できます。(「できません」)。この者たち。「できる」と言ったのに、なぜ、そのように言うのですか?(「できません」) これは、いくら「できる」と言っても通じません。いくら「分けることができる」と言っても、通じないというのです。いくらサタンがデモをしたとしても、統一教会では通じないでしょう?(「はい」)。フリーセックスが通じますか、通じませんか?(「通じません」)。「離婚を支持しない」という人は、手を挙げてください。聞いていることはきちんと聞いているのですね。血筋が変わってしまったのです。分かりますか?。 きょうは、どのような日ですか?(「『八定式』です」)。「八定式」ですが、十二年目となる日において、皆さんを集めて、先生の聖婚四十周年を中心として、コンクールを行うのです。ところで、コンクールを行うことで国境ができるのではないですか?。コンクールは、国境を中心として闘うのではないですか?(「違います」)。一つになるのです。わたしたちは、闘っても、闘う前よりももっと一つになることのできる喜びを知っているのです。 ここに来る前までは、日本人も韓国人もアメリカ人も、五十年前には怨讐同士であったので、「怨讐だ」という心を抱いてきましたが、ここでフィッシング・コンテストをした後は、もっと親しくなるのです。分かりますか?(「はい」)。そうして、そのようにして進めていくにつれて、行う場所はアメリカの地でするのではなく、世界のどこであっても、世界百八十五か国にある、わたしたちの基地でしなければなりません。 それは、一か所で四回するのです。よく聞いてください。きのう、簡単に話しましたが、春夏秋冬で四回行うのです。春が違い、夏が違い、秋が違い、冬が違うでしょう?。ですから、そこに生息する魚の種類が気候によって違うのです。このアラスカでも違います。ハリバットのようなものも、サーモンのようなものも、すべて違うのです。季節によって違うというのです。ですから、それぞれの国においても魚が違うのです。それゆえに、統一教会では、一年に四回ずつコンクールをします。一つの国ではありません。東西南北の四つの国が、一つになって行うのです。 春夏秋冬の季節に従って行うのですが、その中で三回は自分の国で行い、一回は、世界のどこにでも移動して行うのです。南極にある国と行い、南極にある国全体が……。一か所ではありません。趣味です。 一つの国を中心として、北極に国があれば、北極から南極、東西南北百八十五か国のどこにでも行くことができるので、百八十五か国すべての国民が、コンテストに参加することができるというのです。一年、二年、三年、四年、十年くらいすれば、……。分かりますか?。行ったり来たりしながら、その国の良いものを紹介するのです。その国は兄弟国家になるのです。 一つの国を中心としてみれば、その国に故郷は数多くありますが、その国を中心として良いものを平準化させなければなりません。そのようにしてこそ、その国が発展するのです。それと同じように、世界に出て参戦して戻り、勝った国を称賛するのです。 そして、そのコンテストに参加して一等になった人は、その分野のどこであってもチャンピオンです。すべての分野がそうです。オリンピック大会のように、技術分野から学術分野、すべての分野で世界オリンピック競技と同じことをするのです。 そのようにして、世界の国家全体が公認する場においてチャンピオンになるのです。その人は、死ぬまで国境の制裁を受けません。分かりますか?。どこの国に行っても、「第何代のチャンピオンである」と言えば、存命中の人であるならば、すべて記録されているのです。分かりますか?(「はい」) 一代、二代、三代と……。ここでもし、三代でチャンピオンになった人は、世界的に三代のチャンピオンです。どこに行っても、三代として待遇されるのです。それゆえに、自分の国に一代のチャンピオンがいたとしても、一代と同じ待遇をするのです。分かりますか?(「はい」) いかなる分野でも、その分野のチャンピオンは、その世界では王です。生きた王になるのです。死んだ人は、どのようになるのですか?。霊界で先祖になるのです。チャンピオンの先祖です。 それでは、もし地上で日本人が八代のチャンピオンになったとすれば、霊界には数十代のチャンピオンがいるのですが、「ああ、わたしは日本人なので、日本の国に行こう」というのは通じません。分かりますか?。チャンピオンのグループで暮らすのです。分かりますか?(「はい」)ですから、世界のすべてが混ざり、専門要員の世界チャンピオンシップを中心とした訓練があるということです。 労働といえば、地を掘ることも労働です。苦労して、「どれほどたくさん地面を掘ったのか」ということにおいて、世界のチャンピオンになろうとするのです。普通、一日に一坪掘るとすれば、何坪掘るのかというのです。そして一代、二代、地を掘ることにおいて先祖になるのです。王になるということです。 このようなことを中心として国家観念を超越し、自分の専門的な趣味の分野において同価値に該当する権限を天下、天と地に平準化することのできる時代になってこそ、地上、天上天国が一つになるのです。(「アーメン」)。分かりますか?(「はい」) それは、釣り大会だけではありません。フィッシング大会があれば、それからハンティング大会です。なぜですか?。今、食糧問題が大きな問題なのです。水のある所で人は暮らすのです。そうでしょう?。動物も暮らし、魚も暮らし、植物もよく育つのです。水がなければなりません。ですから、水域に対する管理をするのです。 それで先生は、海洋世界を神様に還元し、「陸地還元式」をしたのです。そして、「創造世界の還元式」です。それから、第四アダムとして「心情圏還元式」をしたのです。すべて終わりました。 ですから、「八定式」も縦的な八段階、横的な八段階……。個人完成、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、すべて撃ち抜いてしまったのです。これ以上経ていくものはありません。アメリカや日本が、国連で大きなことを言えば、わたしは激しく攻撃しようと思うのです。わたしほど国連を中心として憂慮した人が、どこにいるでしょうか? 言うのは簡単ですが、百二十万ヘクタールが一日でできますか?。食べず、遊ばず、休まずに準備したのです。大韓民国の地を捨てることがあるとしても、代わりの土地を用意し、国家の代わりに国連の名をもって、神様のみ名によって、統一された全天下の名によって、その国土をつくるために準備をしたのです。 ここで、今後、反対する国が問題になるのです。日本は、(先生や統一教会に対して)「お金をもって何がどうだ」と言い、白人は、「ああ、白人を奴隷化し、吸血鬼のようによく食べて豊かに暮らす」というのです。日本もそうでしょう?「レバレンド・ムーンの思想で日本を滅ぼそうとする」と言っています。しかし、国境を守って復讐を好む者は、地獄に行くしかありません。そうなるか、そうならないか見ていましょう。先生は、だれよりも霊界のことをよく知っているのです。分かりますか?(「はい」) 「八定式」は、十二回になりました。十二回になったので、世界の頂上にいるすべての人々も、アメリカも行く所がありません。国連も行く所がないので文総裁……。南北統一も、金正日氏も、金大中氏も、いくら大きなことを言っても、わたしの言うとおりになるのです。 北韓も今、自動車工場で生かしてあげようとしているので、「文総裁が一番だ」と言っているのです。(北韓は)先生の還暦の日も、誕生日にも、いつも礼物をささげてくるのです。十年前から送ってきています。あなたたちよりも優秀です。 あなたたちよりも優秀だというのです。この者たち。あなたたちは、誕生日に先生にわかめの一つでも送ってきましたか?。ここに来たのに、会費も出さずに参加している者もいるでしょう?。神聖な場所に参加するためには、一年間、血と汗を流して条件を立てなければなりません。分かりますか?(「はい」) ここは、だれでも参加できる所ではありません。先生が、十二年間を中心として、天下のすべてを元返して打ち込むとき、その背後で、どれほど苦労の功績を積んだのかということを天は知っているのです。万民が、万国が、万宇宙が公認する実績基盤を中心として施す祝宴の日に、ただそのまま来ることができますか? さあ、ですから、きょう、この十二回の「八定式」は、貴い日です。分かりますか?(「はい」)。そのみ言(第一回「八定式」のときのみ言)をじっと聞いてみると、わたしが、そのように話してあげたとは思いませんでした。訓読したものを聞いて、驚きました。最初から終わりまで、すべて話しているというのです。その中で、ソ連、中国、アメリカが一つになることを話しているというのです。さあ、すべて終わりました。そうでしょう?。 ですから、皆さんは今から……。今から宗教圏が入ってくるのです。宗団が入ってくるのです。このぼーっとしている者たち。すべて奪われてしまいます。今からは、公式的な集まりであると宣布したのにもかかわらず、参加しない人は奪われてしまうのです。 今まで、(入籍修練会は)二次の千八百家庭を教育しているでしょう?(「はい」)。いつ終わるのですか?。明後日ですか?(「九月四日に終わります」)。九月三日でしょう?。四日は、六千家庭が来る日です。この三つのグループの教育が終わるのは九月の何日ですか?(「二十四日です」)。二十四日です。九月二十五日から一週間です。二十五、二十六、二十七、二十八、二十九、三十です。一週間目に十月一日を迎えるのです。 十月一日は、解放して三千里半島の「面」まで責任者として配置して「統班撃破」です。「統」や「班」の主人にもなれない者は、氏族的メシヤにもなることはできません。自分勝手に引き連れて、「息子だ」、「夫だ」と、大きなことを言ってはいけないというのです。母親、自分の妻もそうです。 それを知らなければなりません。先生は、自分の家庭を破綻させてまで、息子、娘をほうっておいて、以北(北朝鮮のこと)に行ったのです。なぜですか?。国を取り戻すためです。三年、四年間できませんか?。訪ねていくのです。何度も、故郷に行ったり来たりするのです。分かりますね?(「はい」)。深刻です。 本来は、今回の第二次の修練会が終わるときには、行く必要もないのですが、行くのです。すべて話しました。今回の第十二回「八定式」とともに因縁があるのです。分かりますか?(「はい」) 家庭を配置します。すべての家庭を「班」に配置するのです。配置されない人は知りません。十月一日が解放の日です。ここで、第一次に参加していない妻、参加していない人は手を挙げてください。大体参加しているのですね。分かりますね?(「はい」) これから、九月二十五日から二十六、二十七、二十八、二十九、三十日に、三代が清平に集まって教育を受けるのです。旧約時代、それから何ですか?(「新約時代です」)。新約時代、成約時代です。血統を汚したのです。数十年間歩んでくる過程において、あらゆる問題がすべてあるのです。一度にすべて溶鉱炉に投げ込んで、再び出てこなければなりません。 このようにして、再び何ですか?。再び、何ですか?(「整備です」)。整備しなければなりません。ろ過装置を通過しなければなりません。これが、真のご父母様の責任です。真のご父母様と霊界の興進の責任です。地上は、真のご父母様の責任です。再び、るつぼに入れて再生することのできる式をするのです。分かりますか?(「はい」)。一代、二代、三代が一つになるのです。 三時代。旧約時代、新約時代、成約時代です。成約時代が、何よりも重要なのです。すべてのことを赦してあげ、第四次アダム圏の出発を宣言することのできる、悲壮な瞬間が地上にやってきたということを知らなければなりません。何のことか、分かりますね?(「はい」)第十二回「八定式」です。(テープ録音状態不良) これを総決算しなければならない時になりました。ですから深刻です。分かりますか?(「はい」)明朝九時に、わたしは出発します。そのようにすれば、二日になりますか、三日になりますか?(「二日の十二時です」)。話をしてあげて、三日の朝、清平で修練している人たちの所に行くのです。ですから、時間がありません。分かりますね?(「はい」) 皆さんが、フィッシング・コンテストを行うにおいて、先生の何倍、先生以上に一所懸命にしなければなりません。「波よ立て。 わたしは行く。風よ吹け。台風よ吹いてこい。わたしは行く」。何をするために行くのですか?。海の深い所に落ちて死ぬためです。ですから、死なんとする者は何ですか?(「『生きる』です」)。生きんとする者は何ですか?(「『死ぬ』です」)(テープ録音状態不良) 高い山の頂上を占領し、低い谷間を占領するのです。七〇年度からは、何かというと海上です。水産事業です。六〇年代、七〇年代までは狩猟です。先生は、韓国の高い山で、行ってみなかった所はありません。そのような逸話がたくさんあるのです。復帰して、海洋を還元するのです。 それゆえに、わたしは、水上世界におけるすべての技術を持っているのです。また、陸上世界の技術もすべて持っています。分かりますか?(「はい」)。国がなくても、北極に行って、そこに滞在してでも、すぐに国をつくることができます。南極は、オーストラリアよりも大きいのです。わたしに任せれば、一瞬のうちにオーストラリア以上に発展させることができます。分かりますか?(「はい」) 他人の国で行き当たりばったりの生活をし、作男暮らしをすることがあるとしても、主人の国をつくってあげるのです。今までは、神様が、そのような八段階の受難の道を来られたのです。その倉庫に入っていけば、ないものがありません。僕の世界のすべてのもの、養子の世界のすべてのものを備えているので、統一教会はだれであっても、地獄に行く親玉までも消化して、天国に連れて行くことができるように、すべての準備が備わっているのです。そうですか、そうではないですか?(「そうです」)。しっかりしなければなりません。 教派が駆け込んできます。「三十六家庭を再手入れしましょう」。このように言って、入ってくるというのです。祝福は、教会祝福、それから何ですか?(「国家祝福です」)。国家祝福を受けましたか?(「受けていません」)。国家祝福を受けていないので問題なのでしょう?。ですから、国家祝福を受けるために入籍を許すのです。 そうなのですが、入籍するやいなや結婚するのですか?。国に対する忠孝の道理を果たさなければなりません。それゆえに、先生のようにすべてを投入して、国の土地、世界の土地、国の人、世界の人、天の国を解放するために投入しなければなりません。「そのようにすることができる伝統がない」などということがあってはなりません。分かりますか?(「はい」) 帰れば、総生畜……何ですか?(「献納祭です」)。「祭」と言えば、「得たり手放したり」という条件なので、サタンの取り分があります。総生畜……献納物です。「物」でなければなりません。万物を天の前にささげなければならず、息子、娘を割いてささげていたものをまとめて、そのままささげなければならず、真の父母が追い出されたことを、そのまま家庭全体……。 成約時代は夫婦であり、新約時代は子女であり、旧約時代は万物をささげるのです。それを自分の家庭を中心として、歴史を懸けて横的に蕩減しなければならないということを知らなければなりません。その蕩減を果たす前には、所有権というものはありません。今の所有は、堕落圏の所有です。 本来は、祝福を受ける前に所有権を移転しなければなりません。そのような準備をしなさいということです。先生は、百二十万ヘクタールを用意しました。韓国が百二十万ヘクタールを準備するのです。それから、日本が百二十万ヘクタールです。アメリカも百二十万ヘクタールです。ドイツも百二十万ヘクタールです。 これらは皆、怨讐の国家です。韓国と日本が怨讐国家であり、日本とアメリカも怨讐国家であり、アメリカとドイツが怨讐国家です。しかし、怨讐を愛さなければなりません。この国々で交差結婚です。韓国と日本が結婚するのです。アメリカと日本が結婚し、ドイツとアメリカが結婚するのです。それをしましたか、していませんか?(「しました」)。そのようになれば、平和の世界になるのです。 国境撤廃です。それから何ですか?。その国境の二つの国が交差結婚すれば、平和の世界は成し遂げられるのです。分かりますか?(「はい」)それゆえに、真の父母が家庭、氏族、民族、国家、世界の編成をすべて成したので、絶対信仰しなければなりません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。そのようにしてこそ、平行線になるのです。分かりますか?。自己主張すれば、このようになるのです。それをはっきりと知らなければなりません。 説明する時間がありません。今、十二時になりますね。何時ですか?(「十二時十分前です」)。分かりますか?。先生が家庭編成し、神様を中心として、心の世界の相対的平面を中心として一つになっているというのです。分かりますね?。そこに皆さんが一つにならなければなりません。そのようにしようとすれば、家庭的に絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。今が国家時代ならば、国家を基準として絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。国家において相対基準にならなければなりません。 神様が創造するときに、創造される万物には「自分」というコンセプト(概念)はありませんでした。日本ならば、「日本」という言葉や、日本語や、日本の名前というものはありません。完全に「無」です。絶対信仰です。絶対信仰には、自分なりの信仰的内容があってはなりません。絶対愛です。愛することにおいては他の何もありません。愛国心も何もありません。サタンの痕跡が残っていてはならないのです。 先生は、個人圏から闘ってきて、今では国連までも超えました。分かりますか?(「はい」)。さっと垂直に来ました。今では、先生が世界的基準において八段階です。八段階でしょう?。個人的時代、家庭的時代、氏族的時代、このように八段階を同じ水平で原型を描いてきたのです。それゆえに、サタンはこれを占領することはできません。分かりますね?(「はい」)ですから、皆さんに個人的な家庭があれば、その上に先生が上がって座っているのです。あなたたち祝福家庭は、ここにいます。これに乗ってついてこなければなりません。 先生が、このように上がっていくためには、世界全体が連結されていなければなりません。分かりますか?。反対していたものが、地の果てまで歓迎することによって、このようになったのです。分かりますね?(「はい」)それでは、あなたたちが統一教会を知らないときには、地獄の果てにいるのです。外に出ているのです。しかし、信じることによって、この圏内に入ってきます。そして末端にいるのです。世界の六十億の人類の中で、いくらにもならないこの果てのびりの位置から、平行線に合わせていかなければなりません。自己主張していては、蕩減にならないというのです。ですから、この境界線というものは、なくてもよいのです。堕落によってできたものです。 六十億人類において、個人ならば、個人において上がっていくためには、上に上がっていかなければなりません。断ち切って上がっていかなければなりません。分かりますか?。何のことか分かりますね?(「はい」) 先生が築いてあげたものを、びりの位置から、この垂直というものはこれしかありません。(手で指し示しながら語られる)そのままでは、できません。蕩減しなければならないのです。そのまま行けば、相克ができるのです。分かりますか?(「はい」)。蕩減しなければなりません。それよりも高い所に上がっていこうとすれば、垂直です。否定して蕩減しなければなりません。そのようにしてこそ、上に上がっていくのです。 このようにして、世界的蕩減路程を経なければなりませんが、世界的蕩減路程は、すでに真のご父母様が築いておいたので、「真のご父母様こそ、真のお父様だ」と言わなければなりません。分かりますか?。「わたしのお父様だ」と、このように言わなければなりません。そのようにすれば、真のご父母様が築いた縦的な勝利圏が自動的に相続され、横的な勝利圏も自動的に相続されるのです。いつでも願えば、相続されるのです。 蕩減条件を撤廃させることのできる、福のある内容を持った三大格言とは何かというと、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」なのです。神様ご自身も、天地を創造されるときに絶対信仰を持たれたのです。「わたしが言えば、絶対的に成される」ということです。「そのできた万物は、流れていくのではなく、永遠に愛の相対物として残る」という、このような絶対信仰、絶対愛の心を持って創造されたのです。 そして、絶対服従というものは、神様ご自身が、存在意識までもすべてなくなった位置のことです。「自分」という意識がありません。「愛の相対は、自分よりも価値がある」ということを知っており、相対が自分より何千万倍も素晴らしくなることを願うので、百パーセント投入しても、また「何千万倍投入したい」と思う心があるというのです。分かりますか?。絶対信仰、絶対服従です。服従には、「自分」という意識概念はありません。 先生が「来なさい」と言えば、ここに来るときに意識概念を持って来ましたか、意識概念を持たずに来ましたか?。持って来ましたか、持たずに来ましたか?(「持たずに来ました」)。何も分からない者たちが自己主張するのは、すでにサタン的です。 先生もそうです。賢い先生が、神様の願いをすべて批判していたら、この道を来ることができたでしょうか?。ばか正直に信じ、ばか正直に行動し、「死になさい」と言われれば死に、すべてそのようにしたのです。水に溺れて死にそうになりながらも、泳いで生き延びてこそ、その願いが理解できるのです。 それゆえに、絶対信仰、絶対愛、それから何ですか?(「絶対服従です」)。神様が、そのようにしてこられたのです。世界と歴史を代表した文総裁であるということを知らなければなりません。信仰者の中の絶対信仰の代表者、絶対愛の代表者、絶対服従の代表者です。異議がありません。その息子、娘たちが、「わたしは信じることができないので、先生、少し待ちましょう」と言うことが通じますか?。それは利己主義です。(「通じません」)それゆえに、ここに立って八段階を行けば、この蕩減がなくなるのです。さっと上がっていきます。 父親が大統領であるならば、その息子は大統領官邸に入っていくことができますか、入っていくことができませんか?(「できます」)。少し、浮気したらどうですか?。国法が浮気をすることを規制していなければ、それに引っかかったと刑務所に入れますか?(「それはできません」)。今まで先生は、刑務所であるとか、憲法を教えてあげませんでした。その前までは通じますか、通じませんか?(「通じます」)。わたしは分かりません。(「通じます」)。この者たち。(「通じます」) 国法が定められていなければ、その責任は神様が持たれるのです。それを、わたしたちが何だかんだと言うのですか? 今、先生が発表することも、自分ですべて成してから発表しているのです。成していなければ発表しません。成してから発表しなければ、しない人がたくさん出るのではないでしょうか?。分かりますか?。世の中を知らず、世の中が太平の世だと思っていたら、いつの間にか天下が変わってしまったというのです。夜に世の中が引っ繰り返り、国が変わったのかどうか、分からずにいます。しっかりしなければなりません。 では、先生に関心がありますか?(「はい」)。どのような関心がありますか?。目に関心がありますか?。鼻に関心がありますか?。先生の足のにおいに関心がありますか?。香水の香りだけをかぎたいと思うでしょう?。足のにおいが好きですか?。耳にも、寝ていてもさっと目が覚めるような音を好みますか?。分かりますか?。 絶対信仰と言ったので、「ああ、わたしを赦してください。絶対信仰、ああ、今、分かりました」。この八段階を一度に乗り越えていくというとき、股が裂けるのを我慢していかなければならないのであって、「嫌だ」と言ってはなりません。「死ぬのなら死のう。死ぬのなら死に、生きるのなら生きよう」と思ってみなさいというのです。そうすれば、ひゅっと飛んでいくのです。そのようになれば、宇宙の力と天運の力が保護して、正確に正しく行くことができるのです。 その三つの代表語は良いのですか、悪いのですか?。わたし(お父様)に損害がたくさんあるのです。このいいかげんな者たち。どれほど利己的ですか?。ああ、見ただけでもうんざりして、蹴飛ばしたくなる人がたくさんいます。ぼろぼろの服を縫い合わせて着せてあげ、古いものを縫い合わせて、前よりも良くなったものを見て喜び、また縫い合わせて、縫い合わせて、何百回も磨いて縫い合わせて、この位置を復帰したのです。 それで、霊界に行って、「ああ、絶対信仰、絶対愛、絶対服従してきたのに、今、(霊界に)来てみると、このようになっているので、先生の絶対信仰の基準が違うではないか?」と、このように言うつもりですか? 「絶対に愛しなさい」と言って愛したのに、なぜ、このようになったのですか?。あなたが行く所にわたしが行かなければなりません」という、そのような条件を地上に残していきなさいというのです。それをだれが認定しなければなりませんか?。父親が認定し、母親が認定し、おじいさんが認定し、おばあさんが認定し、自分の妻が認定し、四代が認定するのです。息子、娘も認定するというのです。 天下が否定したとしても、神様が否定したとしても、「わたしの父と母はこうです」、「わたしの母は、おじいさんもおばあさんも愛し、絶対信仰しました。曾祖父も曾祖母も愛し、絶対信仰、絶対服従してきました」と言えば、それでも神様が何だかんだと言われるでしょうか?。目をぱちぱちしているのをのぞき込まれるでしょうか、のぞき込まれないでしょうか?。 絶対信仰すれば、パンをあげれば、そのパンが絶対に嫌いでも、「絶対に好きだ」と言わなければならないでしょう。好きなものを「好きだ」と言って、どうして「絶対」と言えるのですか?。嫌いなものを好きにならなければなりません。分かりますか?(「はい」) 天が、特権的な恵沢によって下さった三大標語とは何ですか?(「絶対信仰、絶対愛、絶対服従です」)。それをアダムに対してされたのが、神様です。神様が創造されるとき、アダムのことを絶対信仰しました。わたしの息子はこうでなければならない」と思えば、そのようになるのです。その息子は、適当にできたのではありません。自分のすべての絶対信仰の頂上の愛を投入してあげたのです。そうすれば、間違いなく、自分の愛の友人になるのです。分かりますか? それから、その愛の対象が、自分の愛の友人になれば、自分は真空状態になるというのです。分かりますか?。マイナスです。温度と同じです。すべて、なくならなければなりません。なくなれば、どのようになりますか?。すっと息をはいて吸い、このように与えていくと、愛の相対はどんどん大きくなっていくのです。分かりますか? 投入して忘れ、忘れて水平線になれば、どのようになるのですか?(お父様が深呼吸をされる)水平になります。水平になれば、倒れるのです。倒れていくので、あちらに行っていたものが引っ張られます。このようになれば、あちら側が主体となって、わたしに与えるようになるのです。何のことか分かりますか? 飽和状態を超えるときには、与えていた力が一度に押し寄せてきて、自分を押してくれるので、昔よりももっと深い所に降りていき、上がっていくのももっと高い所に上がっていくのです。ですから、そのような原則によって、被造大宇宙は形成されたのです。 さあ、一度、ふーっとしてみてください。(「ふーっ」)。上がっていきますか、下がっていきますか?。上がっていけば、一つになっているので引き下げられて、あちら側がひゅっと押してくれるのです。ここが真空状態になるのです。ひゅっと押してくれるので、速度が倍になるのです。そして、激しい勢いで落ちるので、自分が立っていた所よりも深く落ちますか、浅く落ちますか?(「深く落ちます」)。深く落ちて、また激しく上がっていくので、ひゅっ そうして、どんどん大きくなっていくのです。 それでは、「絶対服従」は、良い言葉ですか、悪い言葉ですか?(「良い言葉です」)。天運までも神様までも、わたしにそのようにするのです。わたしが日本人を愛しましたか?(「はい」)。見たのですか?(「はい」)。愛しているのに、なぜ苦労させるのですか?。なぜ、苦労させるのですか?。ふー 死ぬ、死ぬ……、死なんとすれば、何ですか?(「生きる」)。生きるのです。最高の真空状態には、最高の台風が押し寄せるのです。分かりますか?(「はい」)。与えたものは、そのまま水平にはなりません。受けなければなりません。分かりますか? そのような原則において、無限に投入するところに無限な水平線ができ、無限に高い水平線ができていくのです。先生は、そのようなことを知っているので、統一教会の教会員は、無限に投入して忘れ、永遠無窮を中心として投入すれば、その相対世界を占領することができる相対圏となり、主体圏となるのです。分かりますか?(「はい」) それでは何ですか?「アーメン」と言わなければなりませんか、「感謝します(カムサハムニダ)」と言わなければなりませんか?(「感謝します」)。「アーメン」とは、「そのみ言のとおりに成されます」ということですが、そのように成されたので、「感謝します」と言わなければなりません。分かりますか?(「はい」) 今では、自由世界の代表、民主世界の米国をつかんで国連を生かしてあげ、国を中心として天の国……。(録音状態不良)統一教会は、勝利の版図だけが連結されるのです。(「アーメン」)。(「感謝します」)。感謝は、表彰されてこそ感謝でしょう?(録音状態不良) 各国で、このようなことをして、写真を飾って祝賀しなければなりません。さあ、そのようなことが水平段階で国家と国家が……。(録音状態不良)その国家の前に、皆さんがメシヤ的使命を果たさなければなりません。真のご父母様を代身して、接ぎ木してあげることのできる責任を果たさなければなりません。各国の名を持った民族として、成すべき歴史的な責任を果たさなければならないということを知らなければなりません。分かりますか?(録音状態不良) 日本の島はいくつですか?(「四つあります」)。四つですか?。それも四数です。この、一つ、二つ、三つ、四つ、すべて動員して、島国をつかみ、半島をつかみ、大陸をつかみ、島嶼国家連合、半島国家連合、大陸国家連合をすべて、つくっておきました。天宙国家連合までです。何をつくっておいたのですか?。天宙、何ですか?(「国家連合です」)。天宙平和統一家庭堂です。天地父母統一勝利連合です。すべてつくっておいたというのです。 信仰の限界は、どこで終わるのですか?。愛の限界は、どこで終わるのですか?。犠牲の限界は、どこで終わるのですか?。その程度によって、天上世界、天の国の憲法を中心として、皇族が入っていくことのできる位置が決定するのです。(「アーメン」) それで、今から三時代です。(録音状態不良) 旧約、新約、成約、これを終えてこそ、入籍が可能なのです。分かりますか?(「はい」)。そして、入籍が可能なのは、女性を中心として、青少年を教育させ、夫までも……。息子と娘が一つになってこそ、夫が完成することができるのです。 堕落することによって、堕落したアダムがエバを失ってしまい、息子、娘を失ってしまいました。近い母親が二人を一つにし、そして夫と一つになってこそ、天の国に入っていくことができるのです。 それゆえに、今、女性時代が到来しました。分かりますか?。男性ばかりの国会議員のうち、三分の一が女性議員になれば、すべて終わるのです。三分の一は女性、三分の一は男性、三分の一は息子です。分かりますか?。最初はだれですか?(「女性です」)。女性です。三分の一を女性にするのです。それから、息子、娘を先頭に立てます。そして父親が……。 カインとアベルが一つになり、上院と下院を母親党が引き連れていくのです。そのようにすれば、父親がその国の王になるでしょう?。そうすれば、息子が主権復帰です。母親の責任は、このように重要なのです。 ですから、鮮文大学の総長も女性を立てました。良くやりましたか、悪かったですか?(「良くなさいました」)。一度、立ってください。美人の総長です。拍手してください。(拍手)(録音状態不良) 三分の一が女性になり、それから何ですか?(「息子が三分の一です」)。長子と次子、兄弟が三分の一です。それから何ですか?(「父親が三分の一です」)。父親が三分の一です。国を収拾すれば、回っていくのです。アダムとエバの家庭が、世界版図の上で国を備えて勝利し、堕落がない時代です。血を流す犠牲の時代がなく、統一された環境で国を献納することによって、天の国の版図となるのです。(録音状態不良) 分かりますか?(「はい」)。ですから、今、国連とアメリカを先頭にするのです。四大国です。四つの国の青年たちの出世の道を、国連を中心として、私が開いてあげるのです。分かりますか?(「はい」)。あなたたちは、祝福を受けて貧しく暮らしました。国連でNGO(非政府組織)が、すべての責任を果たすのです。 では、あなたたちは、そこで脱落者になりますか、合格者になりますか?(「合格者になります」)。合格者は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりませんが、国にそのようなものがないので、どのようにするのですか?。国がそのようになっていないではないですか? それは、ローマ教皇庁が中世に堕落したからです。統一教会は堕落がありません。絶対、何ですか?(「信仰です」)。絶対信仰です。絶対信仰なので、絶対男性です。このようになるのです。絶対、何ですか?(「女性です」)。絶対、何ですか?。絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛です。(録音状態不良) 今からは、地獄の撤廃です。それゆえに、霊界も楽園にすべて……。(録音状態不良) 三三・三パーセント、霊界のすべて……。四大聖人と霊界に行ったすべての神側の霊人が祝福を受けました。三三・三パーセントの祝福が、すべて終わったのです。終わったので、地上世界の各宗団の責任者に、「あなたたちの一族を連れてきて、祝福させなさい」と言いました。天使長側の霊界を動員して、「アダムが完成する道を助けなさい」という指示を受けて、地上に再臨するのです。 ですから、統一教会の運勢圏を防ぐ道理はありません。強く、雄々しくあれということです。分かりますか?(「はい」)。一度言ってみてください。強く雄々しくあれ。(「強く雄々しくあれ」)。先生は、このような信念を持って歩んできたのです。「どれ、一度打ってみなさい。わたしを打てば、あなたが崩れていくのであって、わたしは崩れない」。このように思ってきました。 先生は、そのような信念を持ってきたのですが、世界は一つにまとまって、文総裁を滅ぼそうとしました。しかし、今では、「文総裁がいなければならない」と言うのです。今や、文総裁が言うとおりにし、「こっちに来なさい」と言えば、自分たちのほうでやってきて、「ここに来なさい」と言えば、来るようになっているというのです。「あっちに行きなさい」と言えば、行くのです。 入れ替わっても不平は言いません。交差結婚したのです。どこに行っても安心であり、自分の故郷で暮らすように解放的な生活ができるので、地上、天上天国の民族に間違いないというのです。分かりますね?(「はい」)その目的のために前進 言ってください。(「前進」)。前進(「前進」)。前進(「前進」) アラスカといえば、前進です。前進し、また前進し、また前進して蘇生、長成、完成圏を超えていかなければならず、勝利を勝ち取るコンテストを始めなければなりません。(「アーメン」)さあ、フィッシング・コンテストを一度してみなさいというのです。 ここに来て、良かったのですか、悪かったのですか?。毎年、このように来なさいというときは……。しかし、いつでも先生がいるのではありません。いなくても、先生の代わりに海の主人にならなければならず、陸地の主人にならなければならず、空中の主人にならなければならず、「地上と天の国の主人に間違いない」という自負心を持たなければなりません。分かったでしょう?(「はい」) それで、今……。海の風は吹いていますか?(「きょうは、天気が良いです」)。なぜ、天気が良いのですか?(笑い)それでは、昼食を食べて、朝食は食べたでしょう?。昼食を包んであげてください。その代わり、夜の十二時前には戻ってくることはできません。ここは、二時になっても明るいのです。(笑い) 先生が六時に送り出してくれると思ったのに、十二時に送り出したのですから、それを蕩減しなければならないのではないですか?。蕩減して、それは損害を受けることですか、福を与えられることですか?(「福を与えられることです」) 十二時前には、ここに戻ってきてはいけません。分かりますか?(「はい」)。夕食が食べたいと思っても、ほうっておくのです。十二時を過ぎたら食べさせてあげます。その代わりに、大きい魚を捕まえるのですか、小さい魚を捕まえるのですか?(「大きい魚を捕まえます」)。大きいハリバットを捕まえますか、小さいハリバットを捕まえますか?(「大きいハリバットを捕まえます」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.28
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国境線撤廃と真の愛の実践この講演文は2000年8月18日、ニューヨークの国連本部で挙行された「万国平和賞」受賞祝賀晩餐会で語られたみ言です。 尊敬する内外貴賓の皆様。きょう、私は、世界平和の殿堂である国連において名誉ある万国平和賞を受け、この受賞の栄誉を皆様と共に分かち合う意義深い場をもつことができたことに対し、心から感謝の意をお捧げいたします。私は、この場を借りて「国境線撤廃と真の愛の実践」という題目でしばらくお話し申し上げ、それをもってあいさつの言葉に代えたいと思います。 サタンは国境をたくさんつくる大王 皆さん。私たちが、この世界にあるすべての国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的に到来することでしょう。ところで、私たちが記憶すべきことは、国境線の主人が誰であるかというと、それが神様ではないという事実です。国境をつくり始めた主人はサタンなのです。 国境のある所には、必ずサタンが潜んでいるということを知らなければなりません。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるというのです。東洋と西洋についても、文明圏を中心として、互いに大きな国境線ができていますが、そこに誰が潜んでいるのかというと、悪魔が潜んでいるというのです。文化の背景、伝統の背景、人種の差別、このようなあらゆる種類の差別をつくって国境線をつくったのは、神様ではありません。 神様が願われるのは、統一の世界です。すなわち、一つの世界なのです。その世界は、国境のない世界です。神様には国境がないので、「恨みを晴らしなさい」と言うことはできません。なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。 それゆえに、神様の戦略戦術は、「怨讐を愛しなさい」という言葉になるのです。「怨讐を愛しなさい」という言葉は、偉大な戦略であり、偉大な戦術的な内容であったということを、今日までの人類歴史を通じて分からずにいて、今現在、生きている人間たちも分からずにいます。 しかし、このように歴史上分からず、現在も分からずにいたことを、今、統一教会の教会員たちは歴史を代表し、現在を代表して神様の戦略戦術を知ることができるようになり、また、これを相続して実践することのできる人となったのです。ですから、彼らは、自動的に平和を成し遂げることのできる主人公になったというのです。 皆さんは、どのように思われますか。国境は、皆さんの心が好まないところにも生じ、体が好まないところにも生じ、自分の行動を好まないところにも生じ、自分の言葉を好まないところにも生じるのです。私たちが、五感を通して心と体が一つになることができなければ、各種各様の国境が生じるのです。私たち全員が、どれほどたくさんの国境を内に秘めて生きているのかということを考えてみなければなりません。 また、「怨讐を退治しなさい」、「国境をつくったものを処断しなさい」と言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。目も二種類から成っています。「これも良く、あれも良く、何であっても見えるものは歓迎だ」と言えば、その目には巨大な国境ができるのです。聞くことも同様です。善なる良いみ言や、真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪悪な言葉を聞いて、そこに同調することもあります。しかし、そのようになれば、皆さんの耳にも国境が横たわるようになるのです。 統一教会では、流行歌を歌うことを禁じてはいません。一般のキリスト教では、それも禁止事項になっていることでしょう。しかし、問題は、名曲を歌おうと流行歌を歌おうと、その歌の内容を消化できるのかできないのか、ということにかかっているというのです。 それは、その歌を歌って国境をつくるのか、さもなくば国境を撤廃するのかということが問題であるという意味です。「国境をなくして、神様が喜ばれる無制限の橋を架けることができる」と言える人は、流行歌を作ったとしても、悪い言葉を言ったとしても、何をしても問題にならないというのです。 それゆえ、自分のすべての五感を通して感じる感覚や、あるいは歴史的な伝統を通して残された、今、生きているこの生活環境に国境があるというときには、サタンの一門に属するようになります。反面、「どこにも国境がない」というときには神側になるのです。サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、神様は国境をなくすための大王です。すなわち、神様は国境を最も嫌われる大王陛下であられるということです。 皆さん! それでは、韓半島に三十八度線があることを歓迎する人がいれば、その人は神様が好まれる人でしょうか。その反対に、三十八度線をなくそうという人がいれば、彼は神様が最も好まれるチャンピオンになるのです。韓半島のすべての人、すなわち七千万人が、「私は、死んでも三十八度線を残しては死なない」という覚悟をして生きれば、韓半島の統一は自動的にやって来るのです。 しかし、それは決して易しいことではありません。三十八度線を好む人は、悪魔の側、サタン側であるということを知らなければなりません。言い換えれば、三十八度線がある所ではサタンが主人となっており、三十八度線がなくなった所では神様が主人となられるのです。そこで、統一教会の教会員たちは、三十八度線を消化してなくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。 皆さん! 怨讐の一族、怨讐の国民同士がお互いに「姻戚関係を結んで、息子の嫁にもらわなければ生きていけない」というほどの間柄にさえなった日には、統一天下は自動的に形成されるのです。これが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。 国境がある所には、必ず悪魔の同族が暮らしているのであり、三十八度線がなく、お互いに愛し合って和睦する所には、間違いなく神様の血統をもって生まれた血族が暮らしているのです。 イエス様が来られなければならない理由 今日、統一教会の人々は、「趣味産業」という言葉にとても大きな興味をもっています。誰もが、そこに行って暮らしたいと思う所、「そこは、興味をもって見つめることのできる『喜望峰』だ」と言うことのできる所があれば、そこは今後、新しく国連を中心とした超国家連合ができれば、国境地帯でもどこでもすべて超国家的主義の国連の名のもとに隷属されなければなりません。 聖書を見れば、旧約時代には、人間の代わりに万物を象徴する物を割いて血を流すようにしました。そうして、割いた祭物の左側はサタン側、右側は神側として分けておき、二つの群れが「得たり手放したり」という闘いを続けてきました。 ところが、旧約時代が失敗することによって、サタンと神様は、昔のように物を割いてもつということを超えて、息子を割いてもつ闘いをするようになったのです。その結果、神様の長子であられるイエス様が、この地に降臨されて血を流され、結局、イエス様の肉身はサタンがもっていき、イエス様の心は霊界にと、このように分けられることになりました。 しかし、霊界に行かれたイエス様は、その実体を再び取り戻されなければならないので、「再び来なければならない」と言われたのです。このように、息子であられるイエス様が割かれることによって、霊界と肉界がすべて分けられたので大変なことになりました。 男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これをすべて統一させるために、霊界の所有権を訪ね求めていかれたイエス様は、地上の肉身の所有権を合わせて一つにするために、地上に再び来られなければなりません。 それでは、地上に再びやって来て、何をしようというのでしょうか。それは、結婚して家族を成そうというのです。長子として来られたイエス様を中心として、その方の肉身を占領したサタンは地上世界を占領し、天上世界は天が占領するようになったので イエス様は、霊界に行かれてから二千年間、道を築かれながら天上世界、すなわちすべての心の世界の方向を一つにする一方で、地上でもキリスト教を立てて役事してこられました。しかし、キリスト教は、再びカインとアベルに分かれ、カトリックとプロテスタントが闘ってきたのです。怨讐となってしまいました。サタン側と天側に分かれて闘ったのです。長子はサタン側となり、次子はアベルとして天の側になったのですが、その裏面では、必ず国境的な内容、すなわち闘争的な概念を抱いて闘い、そのようにして歴史が発展してきたのです。22 これを解放しなければなりません。それで、来られる主は、天の国を統一し、地上のユダヤ教選民圏のごとき統一圏を中心として、数千年間、分かれて闘ってきた天と地、男性と女性を一つにする結婚式をするようになるのです。これが、正にキリスト教でいう「小羊の婚宴」だったのです。 このように、天の国と、地上のキリスト教の国が統一される道を取り戻した時が、正に第二次大戦の直後でした。このときは、キリスト教文化圏が全世界を統一した立場にあったのです。それで、霊界の統一的主導権をもたれたイエス様が、霊界の勝利的覇権者となられ、さらに地上のキリスト教文化圏も統一されるという、そのような時が来たので、イエス様と聖霊が地上に来て、実体の夫と相対である聖霊が新婦となり、二人が一つになって結婚式をすることができたのです。そうすることによって、心と体が分かれて闘っていたこと、男性と女性が分かれて闘っていたこと、それらのすべてのことを解決して、天下を平和の王国にすることのできる絶好の機会を迎えていたのです。漠然とした話ではありません。 国境線を撤廃できる方案 神様の創造理想について見るとき、誰から先に結婚式をしてあげるようになっていますか。アダムとエバです。しかし、人類の国境線となっている壁は、エバの堕落によってつくられたので、その壁を崩して平地をつくり、堕落する前のアダムとエバの立場を復帰して結婚させれば、私たちのすべての先祖はもちろんのこと、神様までも喜んで歓迎され、小躍りされるのです。このような世界が成し遂げられれば、それが正に地上天国になるのです。 しかし、人間の歴史上、そのような日はありませんでした。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線が絡まって苦しみ、呻吟し、苦痛を受けながら、そうしてここまで来たのです。したがって、この境界線の打破をどのようにすべきなのかという問題に対する答えさえ探し出せば、それが平和の起源になるということを、人類は分からずにいたのです。 それを人類歴史上初めて、レバレンド・ムーンが真の父母の資格をもってこの地に顕現し、その打破方法を提示して、万天下の善男善女を神様の前に祝福させてきたのです。 たとえ国境線が百万個あったとしても、私は問題なく撤廃することができます。どのようにしてでしょうか。真の愛があるので可能なのです。そしてまた、撤廃するためには、神様のように「知ること」ができなければ、それをなすことはできません。つまり、神様を一〇〇パーセント以上知らなければならない、ということです。 皆さん! 霊界を見れば、天国と地獄があります。天国が昼ならば地獄は夜ですが、昼と夜が分からない人が、天国の境界線を主管することができるでしょうか。とんでもないことです。分かる人だけが、自動的に主管することができるのです。地獄の内容まで明らかに知っているので、暗やみを撤廃することができるのです。 神様は、全知全能であられる方なので、それを撤廃することができます。したがって、問題は「神様を知らなければならない」ということになります。それでは、皆様は神様を知っていますか。知っているとすれば、どのくらい知っていますか。神様は、お金を好まれる神様だと思いますか。そうでなければ、権力を好まれる神様ですか。さもなくば、知識しか知らない神様ですか。そのような神様では、人類の解放をもたらすことはできません。 私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放することができるのであり、完全に解消することができるのです。神様を知ったとしても、神様が何をもって数千年もの間、放置されていた国境線を撤廃することができるのでしょうか。それが重要なのです。 神様が、この宇宙の主人であられるのならば、その主人が暮らす町があり、国がなければならないのではないでしょうか。神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に立って、その環境となる国を取り戻さなければなりません。 しかし、すべての環境圏が国境でふさがれているので、この国境を撤廃することによって、神様が喜ばれる世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造万物は「神様に主管されたい」と思わないでしょうか。国境線のもとで悪魔と共に呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと思うのです。 皆さん! 私たちは、何よりも神様をはっきりと知り、また、天の国をはっきりと知らなければなりません。そのようにすれば、どこに行っても、またいかなる状況になったとしても、その国の伝統とその国の文化内容に対して、どのように対処して生きていくべきなのかということに対する答えが自然と出てくるのです。 天の国には、明らかに神様がいらっしゃいます。しかし、今日の世界は、千々万々の国境によってふさがっています。それでは、どうしてこのようになっているのでしょうか。神様を知り、天の国を知る人がいませんし、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、霊界にも地上世界にも解放圏が展開するのです。「そうなれば、おい、サタンよ」と言えば、サタンは、どうすることもできずに従わざるを得ません。そのような位置に立てるようになりさえすれば、天の国と神様の心が一体となることのできる文化背景と伝統的思想をもって暮らす方法を知ることができるようになるのです。そのような人が、正に、「ため」に生きる愛をもった人です。 自分のために生きる愛をもった人ではなく、相対を愛の主人にしてあげ、相対が愛を通して小躍りすることができるようにしてあげようという人は、神様を知り、天の国を美しく装い、保護する生活をすることができる後継者となるので、神様の後継者をサタンは妨害する道がなくなるのです。 死ぬ目に遭って憤りを感じる以上の立場を超えて怨讐たちを愛すれば、怨讐の世界を支配することができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐の世界がかえって皆様を尊敬するようになるということです。「ため」に生きることにおいても、自分の父や母よりも、誰よりも町内の人を愛すれば、サタンは逃げていき、代わりに神様が訪ねてこられて、千倍万倍報いてくださるのです。 神様を知り、天の国を知って、その伝統的骨髄思想、サタンが八方に逃げていかざるを得ない秘法とは何だと言いましたか。「ため」に生き、「ため」に死に、「ため」に愛そうとするならば、サタンは、間違いなく国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま行くことはできません。国境線を崩してから行くようになっているのです。そのようになれば、どのようになるでしょうか。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた生命が、天の国に上昇することができるという永生の道理が訪ねてくるというのです。そこにおいて初めて「永生」が生じるのです。 神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である「ために生きる愛」のために、千年万年続けたいと切に思う群れになることによって、そこから主体であられる神様をお父様と呼ぶことができるのです。それゆえに、そこにおいて永遠の血筋を通して、血統を通して「永生の論理」と「永生の伝統」が自らと共に決着するのです。それは、間違いのない真理です。 愛の属性 永生というものは、本質的な愛の属性です。神様も、宇宙を創造されるとき、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立ててなされたのです。 永遠に、永遠無窮に、世の中は過ぎていったとしても自らの愛がもっと大きくなるようにと投入することのできる、そのような心をもって生きていらっしゃる方が神様です。ですから、神様の前に主管を受けたくないと思う存在や、相対的な理念をもった存在でありながら、神様に絶対、唯一、永遠、不変の主人として侍らずにいることのできる存在はない、ということを知らなければなりません。 永生不滅の位置で創造された息子、娘が、その位置に立てば、神様の国が自らの国となり、神様が自身の神様になるのです。神様と天の国の伝統的主人としての生活方法と自分が一致すれば、神様の息子、娘であることは間違いないので、「永生不滅」ということは自動的な結論なのです。それで、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」という逆説は、真理です。 国境撤廃にも国連の国境撤廃、宗教の国境撤廃、民族の国境撤廃、地獄と天国の国境撤廃があります。また、撤廃するにおいては、偽りの父母がそれをつくったので、真の父母以外にはそれを成す人はいない、というのが事実です。神様もできず、サタンもできません。 サタンと神様が闘う戦争を誰が止めることができるのでしょうか。それは、偽りの父母がそのようにさせたので、ひとえに人類の真の父母として来られた方だけが、このことを成すことができるのです。 皆さん! 皆さん全員が、このような解放的な決心をもって帰ってくださることを願います。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.27
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世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)共同創設者 韓鶴子女史の講演文「アセンブリ2000」の開会総会2000年8月18日ニューヨークの国連本部第二会議場 高名なる貴賓、各国からお越しになられた指導者、そして、紳士淑女の皆様。 きょう、このように世界平和理想のための精誠が込められ、威厳あるこの殿堂において、二度目の演説の機会を持つようになったことを光栄に存じます。 一九九二年四月十日、韓国・ソウルのオリンピックスタジアムにおいて、私と私の夫は、国際連合の非政府機構として世界平和女性連合を創設したことがあります。当時、世界七十二か国から十五万人の女性が殺到して、本連合の創立の熱気をより高めることとなりました。 世界平和女性連合は、創立以来、世界百八十五か国において活発な活動を展開しており、平和文化と文明間の対話を指向する国連の方針に積極的に協力してきました。 女性連合は、すべての女性が皆、一緒に神様の娘としての本質的な価値を持っていることを覚醒させることができるように、多様なプログラムを支援してきました。そして、後進国家の女性たちに奨学の恵沢とともに、教育の機会を提供してきており、国際的な姉妹結縁の行事を通じて、人種と宗教間の和解を追求してきました。 AIDSの予防活動を通じては、婚前純潔と夫婦間の貞操の重要性を強調してきました。 世界平和女性連合と世界平和家庭連合の創始者として私は、国連の加盟国家の大部分を巡回し、その国の国民と直接に対話と交流を分かち合うことができる機会をもってきました。また、国際救援親善財団の総裁として、数十年間救護奉仕活動を世界的に展開してきています。 世界各地を見て回った私の経験として、道徳性の喪失、戦争、飢餓、貧困、劣悪な教育環境、疾病等、世界を苦しめている諸問題が、ますますより深刻化していることを感じています。世界が抱いているさまざまな問題の中で最も深刻なものは、神様のことが分からない霊的無知と家庭の崩壊であると言えます。 神様は、存在します。そのおかたは、世界を創造された後に、これに背を向けて遠くに行ってしまわれたおかたではありません。普通の親と同じように、神様は、ご自身の子女たちが苦痛を受けるときに嘆息されるおかたなのです。 神様が受けておられる最も深い苦痛というものは、正に人類が神様の心情を感じることができる能力を喪失したということにあります。 このような理由によって、私たちは、神様が親であられ、すべての人類は神様の子女であり、互いに兄弟姉妹であるということを感じることができないのです。 神様と普遍的な真の父母の理想なくしては、真の兄弟姉妹の理想は成されえません。私は、真の愛による夫婦の揺るぎない軸を中心とした、真の家庭を打ち立てる運動に専念しています。そのような家庭の中においてのみ、真の父母像、真の夫婦像、真の子女像が定立されるのです。 平和世界も、繁栄する国家も、真の家庭を基盤とすることによってのみ可能です。 私の夫である文鮮明牧師は、このような善の目標を成し遂げることができるように、私を理念的に指導し、全幅的に支援してくれており、常に感謝しております。 文鮮明牧師は、一生を神のみ旨と平和世界実現のために献身してまいりました。幼少のころより、神様と特別な関係を結んできつつ、人生の目的、悪の根源等、人生の根本問題に対する答えを得るために、神様と深い祈祷の交感を続けました。 私の夫を知っている人はだれでも、夫がこの上なく真摯で深刻な人物であるということを感じるようになります。 夫は、自身のすべてのものを投入する人生を通じて神様に仕えてきたのであり、捜し出した真理のみ言は、世界百八十五か国にいる数多くの人々と若者たちの人生を転換させてまいりました。 夫の一生は、決して平穏ではありませんでした。夫は、あらゆる無理解と試練に耐えなければなりませんでした。背信と拷問、収監生活、数回にわたるテロによる威嚇を甘受しなければならなかったのです。 しかし、そのいかなる障害も、六十余年前、韓半島の山上で神様とイエス様にささげた約束を成し遂げるための、夫の決心を防ぐ術はなかったのです。 私の夫の献身的な人生は、個人的な安楽と衣食住を超越するものであったということを、私は妻として、だれよりも近くで見守ってきました。自らの家庭をおいて、民族、国家の因縁を犠牲にしてでも、神様の心情を慰労してさしあげて、神様が願われる平和理想世界を地上に実現するための一筋の道を生きてきた人こそ、正に私の夫であるということを証しいたします。 私は、今回の大会に参加してくださった皆様に深く感謝を申し上げる次第です。国連は、神様の心情奥深くに宿る理想を実現すべき代表機構であると考えます。私は、このような摂理史的な組織が、神様から賦与された責任を全うして、平和時代を率いる団体として祝福を受けることができるように祈祷いたします。 神様の祝福が、皆様すべてと今回の大会とともにありますよう祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.26
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