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政治家(国会議員)を相手に討論できる論客でもあるとされる麻木久仁子。TVの報道番組やバラエティー番組のコメンテイターとしても、分かったようなしたり顔(同じか)をして、知識人ぶった意見を述べて、世のオジサンや熟女大好き若者たちの人気を得ているようだ。しかし、タレントの大桃美代子から、大桃の前夫でAPF通信代表の山路徹氏との不倫をツイッターでつぶやかれ、大慌てをしているようだ。ヽ((◎д◎ ))ゝ麻木は前の夫とは2006年に離婚しているが、山路氏とは不倫の後に婚姻関係にあったとしぶしぶ認め、一ヶ月前に破局を迎えたと語っているとか。不倫の時期は、大桃と山路氏がまだ結婚していた時期と重なると、いわゆる「略奪婚」となるわけだが、普段からコメンテイターとして、不倫や行儀の悪い男女関係に批評を述べている立場上、これはダメだろう。『麻木は「男女の間では必ずしも、あからさまな事実のみが語られるとは限りません。時には思いやりから『優しい嘘』をついて下さったこともあろうかと、受け止めている」と、山路氏と大人の恋が進んでいた時、山路氏の説明の中にウソがあったことを示唆。自身はそれを認識していなかったと主張している』とあるが、意味が読み取れない。麻木自身も嘘をついてきたということか?嘘はイカンだろう、麻木オバサン!僕なんて嘘はこれまでの人生で数百回程度しかついたことがないよ。(;^_^Aともかく、TVのコメンテイターの言うことなんて、大学教授や専門家の意見以外は誰も信じていないだろうが、常々知識人ぶった偉そうなコメントを述べている麻木は、この不倫~略奪婚、破局を説明しない限り、いよいよ引退するべきだろう。(-_-メしかし、大桃美代子って、昔綺麗だったが、今も素敵ですね。麻木なんかよりずっとずっといい女だと思うけどね。
2010.12.26
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NHKで新卒者の就職難についての議論が交わされていた。大学新卒者の内定率、就職率が過去最低だとか。(・・;)高校新卒者に至っては、就職率は5割程度とか言っていたが、これは若い人にとっては大変だろうなぁ。いや、若い人だけじゃなく、三十代四十代の人で、派遣やアルバイトに従事している人もたくさんいるから、時代が既に変わってしまったのじゃないかな?僕が若いころは正社員しかなかったから、僕みたいな与太者でもそれなりの企業に就職ができたものだが、今の時代は厳しいようだね。昔のように正社員で働ける人の割合が減っているから、その受け皿からこぼれる人が生まれる。とりわけ大手企業に正社員で働くことにこだわる人は、激しい競争の中で何十社も面接を受け続けることになる。新卒で入らないと、大手企業には就職が難しいのが現実。安定とステータスを求める人は必死となる。長い歴史を持った大手企業や元三公社五現業の企業なんかに潜り込んでしまえば、2割程度の有能な社員に仕事は任せておいて、その他の社員は、昔の植木等の歌みたいに「気楽な家業」でホイホイやっていけばよいのだからね。そして料理が得意で健康的な女性と結婚して、子供を2,3人ゴロゴロと産んでもらって、何十年もの住宅ローンを組んで、ゴールデンウィークとお盆と年末は家族旅行などを実施して、クリスマスにはサンタになって、平穏でそれなりにゆとりのある生活を得ることは簡単だ。でも、そんな簡単な人生が楽しいのかな?本当に自分のやりたいことや、生きたい姿なのかな?就職がだめなら、1年や2年は海外を放浪するくらいが良いのじゃないかな?女性はしばらくキャバクラなど風俗の世界で働いて、客として来るつまらないサラリーマンたちを観察するのも良いだろう。無責任なことを書いてしまったが。(;´▽`A``
2010.12.26
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某民放の「サンデージャポン」というつまらない番組で、「孤独死」について論じられていた。(・・;)杉村太蔵は相変わらず訳のわからない意見を述べていたり、西川女史はズッコケそうな当たり前なことを言っていて、どうしようもない番組だなと思っていたら、珍しくテリー伊藤がこの問題についてはまともなことを言っていた。孤独死の何がいけないのか?何が問題なのか?(-"-;A問題があるとすれば、発見されるまでずいぶん時間がかかって、死臭による周囲への迷惑や、借家やアパートなどだと、不動産屋が嫌がることが考えられるが、そんなものはどうってことはないだろう。人生は死と隣りあわせだ。近くで死人が出ても日常的なことと考えるべきだし、不動産屋は入居者のトラブルなどは計算のうえでの経営なんだ。孤独死は、周りがその当人に対して気の毒に感じるもので、あくまでも傍観者的立場と自己中心的立場からの問題として取り上げているに過ぎない。これは、われわれ先進国から発展途上国へ旅した時に自然と感じる、現地の粗末な暮らしや気の毒な人々に感じる憐憫と同情の観念に似たものがある。孤独死は、その当人はそれで満足している人も多いに違いない。孤独死という言葉も傍観者側が作ったものであるし、当人は孤独を楽しんでいたのかもしれないではないか?身よりが全くない人や、息子や娘、身内などから何らかの事由で疎遠になっていて、当人は絶望的な孤独と不安を感じながら死んでいくことももちろんあるだろう。でもそれにしたって覚悟の上ではないか?自分たちが人間社会で十分なつながりのある日常と、経済的にもそれなりの暮らしぶりをしているからといって、勝手な結論はおかしい!おそらく僕も孤独死という言葉で形容される死に方をするだろうが、それがどうしたというのだ
2010.12.12
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