セレンディピティ

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2008/02/09
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カテゴリ: 歴史

204年、高句麗王子・発岐は、北朝鮮の沃沮(エゾの地・チガル)にいた

北扶余後期王朝、穢族の王、ニギハヤヒの命を攻撃しました。

そのため、北扶余後期王朝の王ニギハヤヒの命は大移動を決意し

エビス系穢王(実はユダヤ人ガド族々長)でもあったニギハヤヒの命が

白丁軍団 (インドからの渡来のアーリア人とドラヴィダ人の混血クシャトリア・マラ族と

海人族メルッハ人の連合軍)  乗船しました。

彼らの船団は日本海沿いに南下して九州に至り、熊本の多婆羅国へ参入しました。

213年、イワレヒコ(神武)は、北倭を率い、公孫氏と連合してさらに南下し、

熊襲(多婆羅国・ニギハヤヒ軍団)と戦い、いったんは熊本付近で敗北したものの

エブス人である高倉下命(東表国エビス王・安日彦)の仲裁で和睦することとなりました。

その後、ニギハヤヒ尊を祖とする物部氏(ユダヤ人レビ族)のシンボル「十種神宝」は

神武に捧げられましたが、その後、久しく続いた倭国の内戦、争乱時代に、神宝の行方が

分からなくなったものと考えられます。






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最終更新日  2008/02/13 11:00:44 PM


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