204年、高句麗王子・発岐は、北朝鮮の沃沮(エゾの地・チガル)にいた
北扶余後期王朝、穢族の王、ニギハヤヒの命を攻撃しました。
そのため、北扶余後期王朝の王ニギハヤヒの命は大移動を決意し
エビス系穢王(実はユダヤ人ガド族々長)でもあったニギハヤヒの命が
白丁軍団 (インドからの渡来のアーリア人とドラヴィダ人の混血クシャトリア・マラ族と
海人族メルッハ人の連合軍) 乗船しました。
彼らの船団は日本海沿いに南下して九州に至り、熊本の多婆羅国へ参入しました。
213年、イワレヒコ(神武)は、北倭を率い、公孫氏と連合してさらに南下し、
熊襲(多婆羅国・ニギハヤヒ軍団)と戦い、いったんは熊本付近で敗北したものの
エブス人である高倉下命(東表国エビス王・安日彦)の仲裁で和睦することとなりました。
その後、ニギハヤヒ尊を祖とする物部氏(ユダヤ人レビ族)のシンボル「十種神宝」は
神武に捧げられましたが、その後、久しく続いた倭国の内戦、争乱時代に、神宝の行方が
分からなくなったものと考えられます。
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