セレンディピティ

セレンディピティ

2008/02/11
XML
カテゴリ: 歴史

234年、百済王仇首(扶余王・神武)死す。

帯方郡の監察官・神武の死後、【一大率】のあとをめぐって再び「倭の大乱」が

起こりますが、伊都国(筑紫)、多婆羅国(肥後)、安羅国(薩摩・日向)の諸王

が謀って、倭人連合の邪馬壱国を建国し、神武の王妃、卑弥呼を女王に

推戴しました。そこで卑弥呼は神武と先妻との間の王子を伯済国・ソウルから

呼び寄せて夫とし、都を西都原(さいとばる)に定めて君臨しました。

古墳時代(2~3世紀)、神武・卑弥呼の邪馬壱国とは別に

倭人諸国最大の国家として、北九州豊国の地に狗邪韓国がありました。

これが東表国(豊日国)であり、朝鮮半島南部の弁辰地域、駕洛国(狗邪国・金官加羅国)

は、その飛び地でした。王姓は金氏で、4世紀に建てられた新羅の金姓国家はこの分派です。

また別に沖縄を中心として狗奴人の国があり、しばしば女王の邪馬壱国と争いました。

これが長スネ彦(ナーガ族の王)の狗奴国で、後に狗奴人の熊襲族は辰韓の地に移動して

新羅の朴氏になりました。

駕洛国王・安日彦と、狗奴国王・長スネ彦が義兄弟であり、この南倭人たちが

神武の北倭人軍団と激しく争い、神武の死後、卑弥呼の時代になっても、

長スネ彦は津軽に亡命して邪馬壱国と戦い続けたといいます。

特に中国との交易基地【種子島】をめぐる攻防は熾烈を極めたといいます。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008/02/11 12:52:58 PM


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: