カッシート王朝はバビロニアを400年以上も支配しましたが
BC1156年に滅亡しました。滅亡したカッシート王朝の残存勢力は
大きく分けて三つに分かれました。
一つはバビロニアにとどまったもの。
一つはインドに移住して新たな王国を建国したもの。
一つは中央アジアや中国の西域に移住して月氏国の建国に参加したもの。
カッシートの高級官僚は、バビロンに新成立したイシン後期王朝の要職にとどまり
バビロン第五、六王朝はカッシートの子孫が王位に就いています。
インダス河流域、クル王国に亡命したカッシートはシャキイ族になったと思われます。
中央アジアのホータンや中国の西域のトカラ、クチャに進出したカッシートは、カシミールから
チベットに進出したカッシートとともに、BC3世紀には月氏王国を建国したと考えられます。
月氏王国は、一時期、匈奴を圧迫し、冒頓(マオツ)を人質にしていましたが、彼が逃亡して
匈奴の単于(チャンユー)になると再び匈奴は勢いを増し、中国との交易から手を引かせる
ために月氏を攻撃し、これによって月氏は大月氏と小月氏に分裂しました。
後に大月氏になるカッシートは一旦中央アジアまで後退し、富と力を蓄積し
バクトリアを滅ぼしBC140年頃、大月氏を建国し、ソグディアナ、バクトリア
パミール高原の一部を支配しました。五つの部族長のうち貴霜族長がクシャ朝を
起こします。
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