セレンディピティ

セレンディピティ

2008/04/04
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カテゴリ: 歴史

今日は4月4日、4を合わせて幸せの日です。

そんな風に、日々の中から好いことだけを

すくって潜在意識にインプットしていきたい。

錬金術のように。

錬金術では,地上の原理はすべて宇宙の原理とシンクロしていると考えます。

宇宙を一つのシステムだとすると、そこに存在する全てのものは相互に関わりあっています。

小宇宙は大宇宙に対応し、互いに対応しあう関係にあるということは

内的世界も外界も反応しあうということとなります。

錬金術では、卑金属から黄金を産み出すという作業を通して

内的な魂の変容のプロセスを歩みます。 

黄金とは、不変で完全で祝福された状態の魂のシンボルであり

黄金の獲得を目指すことは同時に悟りの境地のように意識が根源的に変革されて

高次の認識水準に達することをも意味しました。

「金」は新しく生まれ変わった再生の象徴ともされました。

金属を作り出す神がなぜ一つ目や片目とされてきたのかという点に関しては金属精錬の

タタラ作業で火の色を長年見つめるために片目がつぶれたという説などがあります。

中世ヨーロッパでは、錬金術師が、鉛などの卑金属を金に変える際の触媒となると

考えた霊薬が賢者の石とされました。

また「賢者の石」は卑金属から黄金に変える赤くて重い石を

液化すると延命長寿の薬となりあらゆる病気に効く万能薬といわれました。

秘教的錬金術、錬金術師がめざした黄金は金属(物質)ではなく

魂の浄化を象徴した霊的黄金である意識の至高状態をいいます。

錬金術師は自然になりかわって自然の作業を成就し

卑金属を黄金に変成させて自然を完全なものとし、時間にとってかわる

修験道 永遠の生命の探求をめさした煉丹術(錬金術)と同じ 

金を採集するための苦難が、苦難そのものが、目的のようになり変形している

本来は、修験の服装や持ち物も、前人未踏の地に金や水銀を探すためのものでした。

古代の人々は、銅を高温で加工する技術を発見した過程で偶然、僅かな金を発見した

と考えられます。

より優れた武器を求めていた彼らにとって、柔らかく極少しか採れない金は、

さほど魅力的ではなかったでしょう。

人類が利用し始めた最初の金属は、銅でした。

銅は、自然銅の形で発見されることが多かったと考えられます。

それに対して鉄は、ほとんどの場合、酸化物あるいはその他の化合物として

存在しており、自然鉄という形で発見されることはありませんでした。

銅に比べて鉄の方が酸素との結合力が強いのです。

この差が、銅に比べて鉄の利用を遥かに遅らしました。

金は、銅や銀と、元素で同族の関係にあり、多くの銅鉱石は、少量の金や銀を伴っています。

したがって銅を大量に使っている間に、金が少しづつ蓄積していったようです。

ところで銅には、青銅の武器を作るという明解な目的がありました。

それでは金にはどのような必要性があったのでしょうか。

金は、王権と密接に結び付いていたと考えられます。

古代の農民社会は、王と戦士階級と農民、三つの要素で構成されていました。

興味深いのは、かなり時代は下がりますが、古代のミトラ信仰に

この三つの要素が濃厚に反映されていることです。

ミトラが王の神格、日本では帝釈天と呼ばれているインドラが戦士階級の長の神格

そして農民階級を現すその他大勢の神・・・。

ミトラ信仰はゾロアスター教信仰以前の古代イラン人の宗教といわれています。

しかしその古代イラン人はどこから来たのでしょう。

北方起源説が有力なアーリア系のイラン人が、その信仰の農民的性格から

実はメソポタミア起源である可能性があるといわれます。

農民社会は、遊牧民族から発展したのです。

遊牧民の生活は、絶えず外部の状況が変化し、絶えず未知のリスクに曝され

そのなかで選ばれるとしたら血筋よりは、個人の能力、とくに判断力と決断力

に優れていることが、リーダー選定の基準になっていたことでしょう。

このルールに反したコミュニティーは、生き残れなかったに違いない。

しかし農民社会では、事情が全く違ってきます。

原文字期のメソポタミアの農業社会では、数万人あるいはそれ以上に達していたでしょう。

遊牧民族の場合と異なり、農民社会では、リーダー個人の能力はそれほど重要ではなく

寧ろ抽象的なリーダーの地位が安定し権威を維持している方が望ましいのでした。

そしてリーダーの地位を安定させるという点では、世襲制がもっともやり易い方法でした。

かくて「血筋」の尊重という慣習が、農民社会では定着していきました。

そこに階級制度誕生の必然性があったのです。

しかし半面、初期の頃、その血筋の確立が問題だったに違いない。

遊牧民族だった階級の存在しなかった人間社会に、突如階級などといった

厄介なものつくる必要が生じ、初期の頃、無数の争いがあったと推定されます。

王の血筋を決めるとすれば、自分の血筋こそもっともふさわしいと考えた者が

多かったと思われるからです。

激しい闘争を勝ち抜き、王となった人間にとって最大の課題は、潜在的な競争相手から

自分だけは超越した存在であることを誇示することであったでしょう。

その目的で、古代の王たちには、二つの手段がありました。

第一は、自分を神あるいは神の子孫と主張すること。

この場合の神は、人間を超越しているという属性さえ持っていればよかった。

第二の手段は、自分の身体を飾りたてること。

この目的で、金はラピスラズリとともに理想的な材料でした。

簡単に手に入らないことが、好まれたのです。

とくに、どんな環境にも光りを失わない金は、太陽光線の下であれ

夜の篝火の横であれ、見る者に畏敬の念を抱かせたでしょう。

金は、王権を確立するための小道具として、必要欠くべからざるものでした。

銅には遅れましたが金もまた、世界でもっとも早く農業社会が発展したメソポタミアで

もっとも強い需要があったと思われます。

かくてほとんどの金の生産地は、メソポタミアの王のために開発された可能性が高いのです。

やがて分業がはじまり、農耕をせずに採鉱と交易をする遊牧民は

アラビア半島を数百年かかって迂回し、シナイ半島の 銅鉱山を開発したようです。

さらにスエズを渡ってエジプトの山を探鉱して回り そしてナイル河の砂金を発見しました。

東ではインド、バクトリア、ソグディアナ、これらの地域も、シナイの鉱山と同様、

これらの鉱山師によって開発されたと考えられます。

そして、北シリアから地中海岸をイベリア半島まで、

またメソポタミアからイラン、パキスタンを経てアフガニスタンからソ連中央アジアまで、

銅や金を運ぶルートが出来ていったと考えられます。

中央アジアのシルク・ロードは、古くはゴールド・ロードあるいはカッパー・ロード(銅の道)でした。

インダス河流域、モヘンジョ・ダロのBC2500年頃に遡った頃に設計された都市も

メソポタミアへ金や銅を運ぶ基地として、メソポタミア系の人によって建設されたと考えられます。






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最終更新日  2008/04/04 10:00:05 PM


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