セレンディピティ

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2008/05/19
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カテゴリ: 歴史

奈良県の桜井市 多武峯 にある 談山神社 は、藤原鎌足を祀るお宮です。

多武峯 は、奈良 (新羅) 朝廷を守る占領軍の司令部を置いたところです。

その長官は初代が新羅元帥 金ゆ信 (中臣鎌足) で、2代目が百済将軍 郭務宗(藤原鎌足) でした。

そのため、奈良朝廷では何かというと伊勢神宮ではなく、【 多武峯 】にお伺いを立てる 習慣であった

といいます。初代の金ゆ信の墓(円墳)は朝鮮の慶州にありますが

2代目の 郭務宗(藤原鎌足) の墓は妙楽寺にあり、その神霊は 談山神社 にあるからだといいます。

その 藤原家 誕生から桓武王朝までの経過をたどってみます。

1. 710年 3月   平城京に遷都しました。

当時の朝廷は、 天武天皇 こと新羅30代 文武王の次男・刑部親王 が知太政官事(日本総督)となり

阿部・石上・大伴・巨勢・多冶比・ 藤原 などの諸氏が行政を担当し政治的に安定した時代でした。

2. 729年 藤原氏 は、 新羅王族 の知太政官事・ 長屋王 (高市皇子の子・54歳) の失脚によって

不比等の娘 光明子 聖武天皇 (不比等の子・首皇子) 皇后 として冊立することに成功。

この時から 藤原氏 と諸氏族との勢力争いが激しくなりました。

その間、僻地の鎮守府に駐屯する陸奥守を歴任して、力を蓄えた(財力)実は ウガヤ王朝

の直系王族の百済王、敬福 が、 光明皇后(光明子) と結ばれて 3女 を儲け、新興勢力となりました。

3. 736年 宮廷内で 敬福 光明皇后 の子、 阿部内親王(後の孝謙天皇・19歳)

道鏡(実は敬福の4男・18歳) 間に 山部親王(後の桓武天皇) が生まれました。

737年 藤原氏 の4兄弟は天然痘によって斃れ、3女・吉日媛の夫、 橘諸兄(葛城王)

が朝廷の首班となりました。続いて 唐からの新帰朝者、玄坊・吉備真備(きびのまきび)が

一時権勢をふるい ましが、そのため 740年 、大宰少弐 藤原広嗣 は、九州で叛乱を起こしました。

聖武 の朝廷は、これを鎮圧したものの、恭仁(くに)・紫香楽(しがらき)・難波と転々と皇居を 移し

745年 、ようやく遷都しました。(聖武天皇は、姉・光明子の繰り人形であった)

4. その間、 741年 のいわゆる国分寺の詔、 743年 の廬遮那(るしゃな)大仏建立の詔などの

国家的仏教興隆政策がとられました。これは、重なる政争や天災飢餓に悩まされた時代の

空気を一新しようという 聖武朝廷 光明皇后 の人気取り政策でしたが、国家財政を益々拡大

して、【人民の辛苦】の種をまく結果となりました。

5. 752年  大仏開眼会と進む過程で、 聖武 は退位し、 孝謙女帝 の時代となっていきましたが

藤原仲麻呂 (南家)は、 光明皇太后 の紫微中台(実力者の館)の長官として勢いをふるい

朝廷の権力を一身に集めました。

756年 聖武上皇 崩す。その遺言によって 道祖王(天武天皇の孫) を皇太子とします。

これは、 新羅側 の命令であって、吉備真備らが唐津に怡土城を築いたのも、 新羅迎賓館

するためでした。

この頃、 光明皇太后 は、 聖武天皇の遺品(ユダヤ10部族が運んできた世界史

にも珍しい古代中近東の宝物)を、東大寺の正倉院に納めています。

757年  橘諸兄の子・橘奈良麻呂を首謀者とする大伴・佐伯・多冶比などの失意の貴族たちが

光明子政権 に対するクーデターを計画し、 仲麻呂 を除こうとしましたが、先の内裏天皇こと

百済王敬福・ 仲麻呂 らは、 新羅系の黄文王・道租王 に続いて、高官の大伴・多冶比・小野

加茂・らを捕えて拷問し死刑・流刑に処し、その総数443人にものぼったといいます。

こうしておいて、仲麻呂は、自分の私邸に育った 淳仁帝(舎人親王の子) を皇位につけ

自らは太政大臣に相当する大師の地位につき、太政官をその一党で固めて専制権力を

確立しました。こうして在日新羅系の勢力は一掃され、 百済王敬福 光明皇太后 夫婦の娘

孝謙女帝 の政権は安泰の度を増し、日本の独立路線が明確に打ち出されていったのです。

6. 760年 光明皇太后 (66歳)崩す。

761年 10月、僧、 道鏡 は、 孝謙上皇 と再会、 上皇を担いで勢力を拡大しました。

仲麻呂は、764年、道鏡を除こうとして兵を起こしましたが、失敗して滅びました。

孝謙 は天皇を廃し、重祚 (退位後、再び皇位に就くこと) して 称徳天皇 になり、道鏡は太政官を

おさえ、やがて太政大臣禅師・法王となり、皇位に就く策動も行われました。

ウガヤ王朝系・物部弓削守屋の子孫であった道鏡 ユダヤ系シメオン族とガド族の血を引く

孝謙天皇 の間に出来た子が、山部親王であり、後の 桓武天皇 になるのです。






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最終更新日  2008/05/20 08:34:41 PM


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