770年8月、称徳女帝が崩御。国史では10月、白壁王(敬福の長男文鏡)が即位したように
なっていますが、実際には白壁王の妻、井上内親王(敬福と光明子の3女)が即位して
井上天皇となりました。その井上朝廷は道鏡を下野の薬師寺別当に落とし
他戸親王(敬福の次男武鏡の子)を皇太子としました。
白壁王は表向きの光仁天皇となり、実は内裏天皇として公務をこなす後見役となりました。
先に、白壁王・文鏡と井上天皇との間に早良親王が生まれていましたが、この時は、まだ幼かった。
光明皇后と百済王敬福が夫婦となって生まれた3人の姉妹と、敬福と先妻との間の兄弟が
結ばれて各々カップルとなりました。その3組のカップルが天皇位をめぐって争い、図らずも
同族間の紛争の火種になりました。それを藤原4家が2派に分かれて盛り立て、諸豪族も
それぞれの利益によって応援しましたから、ここに藤原氏の内紛は全国的規模のものとなり
【南北両王朝】の対立に発展したのです。
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