
BC213年、秦始皇帝による焚書坑儒事件が起き
多くの王族や儒者(孔子・孟子など)を殺されたガド族らの遺民は
箕子朝鮮を頼って遼東へ逃れました。
やがて彼らは、イスラエル北朝系からユダヤ南朝系に変身し
燕王公孫氏(南朝系イッサカル族)の一部勢力と連合して、 BC90年頃から移動を再開。
朝鮮半島を西岸よりに南下して対馬浅茅湾に至ると、豊玉町仁位の【和ノ宮】と呼ばれる
一帯に滞留しました。そして彼らは、この地を、かつての亡命地であるイラン高原の
“タガーマのハラン”に因んで対馬の【高天原】と称し、日本列島への前進基地としたのです。
現在の対馬は北島と南島に分かれていますが、それは江戸時代初め岩盤の島である対馬
を堀削して作った水路開通によるもので、古代は陸続きの一つの島でした。
北島と南島の真ん中にあるリアス式の美しい浅茅湾は、どんなに台風が吹き荒れても
波穏やかで、船の避難場所として最適の港湾でした。ここに和多都美神社の鳥居は海中に
建てられました。おそらく湾内に入った海人たちが船上から拝めるようにしたものでしょう。
境内には【玉の井】または【天の真名井】と呼ばれる聖なる【井戸】があって、地元の人たちは
此処を【海幸・山幸】神話の発祥地として敬っています。
参道の左側には【磯良の噴石】と 呼ばれる岩頭がしめ縄で囲ってあります。
今は社前の海岸を道路が通っていますが、それ以前は、満ち潮になると波に隠れていた
怪奇な巨石が現れたといいます。この噴石は北九州宇佐市寄藻川河口の浮殿で
約3000年前から毎年8月15日に行われている宇佐八幡宮放生会に奉納される
筑紫舞=クグツ ( あやつり人形・ マリオネット)
海神(精霊)の原像とも考えられるのです。
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