「 ペ・ヨンジュンのファンではなかったけど、 知人から贈られてきた
【韓国の美をたどる旅】を読んでみたら、 とても良い文で、 すばらしい本でした。
なぜ彼がヨン様と騒がれているのか 解らなかったけど、この本を読んで、 わかる気がしました。 」
と、サークルの師が言いました。
元々、ペ・ヨンジュンの人となりが好きだった私は、その話を聞いて
その文を読んでみたくなり、帰宅するとインターネットで検索してみましたが
既に絶版。やっと見つけたAmazonでは、プレミアで1万5千円。
迷った末に清水の舞台から飛び降りる思いで注文しました。
韓国の歴史も綴られているということで、古朝鮮に築いた辰国の
名残を少しでも解ればという思いもありました。
届いた本は、期待通り静謐な文章で韓国の美しい文化について書かれています。
家庭料理、キムチ、韓服、暮らし、漆や陶磁器、茶について彼自身、実体験を伴って
真摯に綴っています。歴史についても詳しく、弥勒寺を創建したといわれる【ソドン説話】など。
これは今、丁度DVDでシリーズを 観ているところなのでドキドキしました。
ペ・ヨンジュンが演じた広開土王の話、そして韓国の祖は 檀君 とも書かれています。
この本を購入してよかったと思っています。ペ・ヨンジュンは、書ける人でもありました。
檀君 といえば、日本の神道と同じ 、ルーツはオリエントにありました。檀君教とは、ミタンニやインドのインドラ神であると共に、
フェニキア人のダゴン神であって、ダゴンを檀君と書きました。
BC10世紀以降、彩文灰色土器を持ったバビロンの カッシート人 がイラン高原からバンジャップ
に入り、BC8世紀頃、デリー北方の クル を中心として南北パンチャーラに移動しました。
アラビア海には、これより先、BC20世紀頃からロータル港を中心として黒緑赤色土器を持った
バハレーン島の ディルムン人 やオマーンのマカン人と交易していた メルッハ人 がいたのですが
BC10世紀頃に フェニキア人 と共に北東部に進み、クル・パンチャーラ及びマガダ西方で
カッシート人 と接触しました。カッシート人はインドラ神、フェニキア人はダゴン神を祭っていたの
ですが、両者は元来オリエントに於いて同じ神だったので協力してヴェーダ教をつくったのです。
檀君朝鮮は、グート王がアッカドを滅ぼしたあと、 カッシート人 の王朝ができ
BC10世紀頃、カッシート人はバビロンから脱出しました。この カッシート人を主体とする
クル王朝 と同盟していたのがカッシート人の原郷に接するアナトリアのバン湖周辺の
ウラルトゥ王 、のちの ウガヤ王朝 です。カッシート人は元来、イラン高原を越えてインダスに
入る以前にウラルトゥの フツリ人 と同盟していたのですが、インダスに移動しクル王朝を
たてた時も互いに連絡を保っていたと考えられます。
当時、アラビア海には色々な海人がいました。
先に書いたディルムン人は中国大陸で殷や箕子朝鮮をたてました。
オマーンのマカン人はタイ国の古代バンチェン文化圏を流れる河にマカンの名をつけました。
アラビア海に面したロータル港のメルッハ人は【旧事紀】に書かれたニギハヤヒの船団で
知られたアマツマラのことで、後にガンジス河流域に移住しました。そして、この一族は
BC10世紀以降ロータル地方からクル地方やマガダ周辺に侵入しました。
ニギハヤヒノ命という名はウガヤフキアエズと同じく世襲ですが、【旧事紀】によると
ニギハヤヒの軍団には鍛冶部の祖、鉄工カーストがいたとあります。
ニギハヤヒの一族は徐氏と名乗って河南省の宛で製鉄コロニーをたて、秦の始皇帝に
破れたため満州に逃れて穢国をたてたとあります。その後、衛満と戦って扶余に合体します。
【後漢書】穢伝には、穢君ナロトが戦死し、その子、イサトがクーデターを起こして扶余王東明に
なったために、従来の北扶余王家は逃れて 東扶余 を建てたとあります。、この王家を ウガヤ王朝 と
いうのですが、後の夫台、仇台につながって、 扶余仇台 が 神武 になるのです。
神武より先、東明の子孫の 陜父 が、ウガヤ系の東扶余との抗争に破れて九州の熊本で多婆羅国
をたてますが、この陜父は ニギハヤヒ のことです。この時代、満州から朝鮮半島南部まで亡命
した諸族は、九州との航路を確保する必要がありました。なので陜父だけでなく、公孫氏と
扶余王の仇台及び神武も九州に足がかりを求めたのです。
ウガヤ王朝の戦士団は、オリエント史に初めて登場する シュメール人 、
言い換えると エラモ・ドラヴィダ語族 がダゴン・バアルの神話、即ち桓因-桓雄神話を
持っていたらしい。ウンマ・ウルク・ウルというのはバビロンの第二王朝、 海の国をたてた
カルデア人で、エラモ・ドラヴィダ系の海人 でした。そこに アーリア人 が混同し、シルクロードを
支配してカッシート、ウラルトゥ、ペルシャ、バクトリアなどの戦士団ができました。
この人々が檀君朝鮮または辰韓になっていますが、その終わり頃、中国を支配しました。
【史記】では、これが趙になっています。扶余族は、唐の時代にバクトリア東部のクスターナに
ホータンという国があって、 月氏 によって支配されていました。また馬韓にしても 辰王 は月支国
の人となっています。
次に、ニギハヤヒ族というのは、オリエントのウルという海商国家が初めで、
インド十六王朝の時代に ウルのカルデア人 や マラ族 などの古代の海人たちがガンジス流域で
カーシ国という海商国家をたてました。それがマレー半島を経て河南省の宛に入ってきて
【宛の徐】氏といわれていました。宛というのは戦国時代の魏の製鉄基地ですが、この人々も
扶余、高句麗の涓奴部なので ニギハヤヒ族(サカ族) と 月氏 とは同族ということでしょう。
この人々は、戦国時代の魏(三国時代ではない)と同盟した製鉄部族ですが、魏が秦に伐たれた
ため、満州に逃れて穢国をたてました。穢国の王姓は、アグリ【余】というのですが、扶余、百済
もそうです。したがって、天皇家もそういうことになります。
天皇家のルーツ、扶余→百済→邪馬壱国のいわば本家である中馬韓を建国した【卓】という
一族はフェニキア系でした。バビロニアのイシン王朝の末裔=箕子朝鮮が滅びた後、
その将の卓が穢国の領地を引き受けて馬韓を建てたのです。そして穢国は扶余に合体しました。
高句麗は チュルク人(トルコ族) で、当初は匈奴などのシルクロード諸族に所属していたのですが
後にバクトリアが衰えてからシルクロード全域で暴れだして、その中から高句麗が出てきたのです。
この高句麗に扶余の皇子が養子に行き、九州に侵入した後の神武天皇になります。
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