何年か前、NHKで放映されたシルクロードの番組【楼蘭の美女】の発掘は、記憶に新しい。
ミイラとして保存が完全で、卵型の顔かたち、まっすぐ伸びた鼻、濃い眉、薄く引き締まった唇
は、4000年間、楼蘭の砂埃に埋もれながらも原形をとどめていたのでした。
長い睫毛が印象的な美女、彼女が白人だったことが発掘した人々に衝撃をあたえました。
新疆地区に白人種がいたことの証となりました。
彼女は、南シベリア、カザフスタン、ボルガ河原草原およびアラル海沿岸地帯の
青銅器時代の アンドロノヴォ文化 タイプの住民の特徴とほぼ同じと判明しました。
新疆地区とは、人類の歴史に於いて実に興味深く、絶え間ない変化と発展のなかにありました。
地図を広げてみると一目瞭然なのですが、新疆の北、西、西南側を取り囲んでいるのは
ロシア、カザフスタン、キルギスタン、ウズベクスタン、タジキスタン、パキスタン、インドです。
ヨーロッパ大陸、西域、西アジア、南アジア、アジア東部地区との交通を結ぶ拠り所として
民族の大移動の波を何回も経験し、白色人種も黄色人種も居て、お互いに同居し
溶け合い、共同で開発していったと考えられます。
新石器時代の後期、BC3000年紀の初めにかけて、南シベリアのイェニセイ河上流と
アルタイ地方に、 アフナシェバ文化 が栄えました。
この文化の担い手は周囲のモンゴロイドと異なり、 パレオ・ユーロポイド的(白人) でした。
このアフナシェバ文化が、西シベリアのソンスク地方にBC1750年~1200年の間分布した
アンドロノヴォ文化
アンドロノヴォ文化
は、BC2000年紀末
南シベリアの カラスク文化 と中央アジア北部のダザバギャプ文化に代わりました。
カラスク文化は、殷の青銅文化と同様に、西アジアに発達した金属文化の東方流入によって
発達したといわれます。
カラスク人に続くタガール人は西シベリアの古いユーロペオイド(白人)に属し中国史の丁零です。
この中国北部で【丁零】と呼ばれた人々が、殷の住民から借用した様々な文化的要素、
とくに青銅鋳造の技術を南シベリアに持ち込んだとおもわれます。
【丁零】は、チュルク族の一派ですが、 カラスク文化 の担い手が【丁零】ならば、
その祖型にあたる アンドロノヴォ文化 、さらに、その祖型にあたるアナシェヴァ文化
も、同じくチュルク族の文化と考えられます。
学者の今岡十一郎氏は、シベリアにいた丁零と、西はトルコ人と広大な範囲を包括する
チュルク族は、ウラル・アルタイ語族=ツラン族といい
この内、ツングース、蒙古、サモエード、フィノウグリア、チュルクの五族があるといいます。
また「ツラン族は、BC8000年頃、シュメールの地にいたが、BC3000年以降アフリカ民族が
セム族を滅ぼして自らセム族となり、BC2200~2000年頃シュメール帝国を滅ぼしてしまった。
この状況のもとで、ツラン族はBC3000年頃からインド、中央アジア、東アジア方面に移動した」
と述べて、そしてチュルク族については、「往昔その原郷のアルタイ山脈から出発し、ほぼ北東
と西に広がって、主としてアジアに限局する地域を占めた。・・・西に進んだ一部はイデル・ウラル
とクリミア地方からバルカン南東隅まで・・・また他の一部はドナウ盆地にまで進出した。
彼らの支配は、名目的にはメソポタミア、シリア、パレスチナ、北アラビアに及び、またかつて
一時的に、イラン、アフガニスタ、インドまで伸張し、さらにアルジェリア、全バルカン半島
全ハンガリー平野を領有していた時代があった」と述べています。
彼らはシルクロード全域に亘って分布し、アレキサンダー大王が洛陽に侵入するまで
中原の支配者だったのです。のちの高句麗・百済・天皇家につながります。
この人々は後に分裂して【丁零】、【殷庶の高令】、【匈奴高令部】、【高句麗】などになりました。
PR
カレンダー