セレンディピティ

セレンディピティ

2013/02/15
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

皇紀元年は西暦紀元前660年、神武天皇即位してから今年で2670年ということでしょうか。

しかし、2670年前には、日本という国も神武天皇も未だ生まれていませんでした。

その頃の日本人のルーツは、

遙か遠く中央アジアのアララト山を見上げる高原地帯であるヴァン湖周辺の

ビバイナという名の小さな国にありました。

当時、オリエント周辺にあった数多くの種族国家が過酷なアッシリアの圧政下に喘いでいました。

彼らは、BC1200年の昔に滅んだ人類史上初の【鉄の帝国】ヒッタイトの人民の主流を形成していた

フルリ人や、ヒッタイト帝国東部辺境にいてヒッタイト化していたハッティ人と

同種族であり、帝国滅亡後の同朋難民でした。

その周辺部から、製鉄の業を会得した新しい勢力が幾つか台頭し、

その一つがアララト山を聖地とし、ヴァン湖周辺を根城に勢力を延ばしていたグループでした。

ビバイナ国の初代の王は、アラメと言う名でした。

彼は即位して国土を掌握するやいなや、自ら太陽女神アラメアであると自己主張し

当時のオリエント世界の支配者であるアッシリア帝国に真っ向から抵抗しながら

自らの小王国ビバイナを、そしてやがて名実ともに帝国となってアッシリアが名付けた

ウラルトウを建国していくことになります。

ウラルトゥは、その当初からミタンニ人やヒッタイト人のフツリ人、カッシュ人、チュルク人

から成る、幾つかの部族の連合体でした。

アルメニア高地には、古くから原ヒッタイト族、カルトヴェリ族、ハヤシャ族などが住んでいました。

そこへフツリ人がエジプトやカナーンの地から流入して来たのですが

ヒッタイトの資料はこの地方をフツリ人の国と記しています。

フツリ人は、BC2000年の半ばには、アーリア人の国であるミタンニ王国に従属し

シュッビルウマシュ王以降は、ヒッタイト国に従属するようになったといいます。

ヒッタイト崩壊の後、幾つかの小国家がヒッタイトの伝統を継ぎ

カルケミシュはハッティ国、オロンテスはハッティナ国と名乗りました。

そこにヒッタイトのムシュキ族やカスカイ族などが入ってきたのです。

最初、貧しい山岳地域の小国にすぎなかったビバイナは、

滅亡したヒッタイト帝国の製鉄技術者達を、何らかのきっかけで多人数取り込むことに成功し、

同朋難民を吸収してふくれ上がっていったと考えられます。

彼らはやがて大帝国アッシリアの言うことを聞かなくなり反撃してくるアッシリア軍の討伐を避けて、

国ぐるみで山奥を延々と逃げ回ったようです。

ヴァン湖周辺のナイリの諸国、更に小アジア寄りにあったハイーク諸国や西方の森の国

ムサシルなどを次々と併呑し、やがて失われたイシン帝国の祭儀と意志を受け継ぐ

ウラルトウ帝国として、急速に勃興していったのです。

なぜイシン帝国かといいますと、このウラルトゥの人々は、後期イシン王朝末裔になるからです。

遡ることBC1018年、後期イシン王朝滅亡後、幾つかの小国家に分かれ

ビト・アデイニ王国とラケーの人々は、エラム王朝を倒した後、東方の支配を目的とし

シルクロードによってバルハシ湖に注ぐイリ河に進み黄金の眠るイシク・クルに箕子国を建国します。

無題.jpg

16~18歳の少年被葬者こそ箕子国の王でありました。

彼の黄金の上衣はアルタイの金山から採った金塊で作られ、

副葬品はバクトリアの扶余から届けられたものでした。

後に、この地域を支配したウイグル人は、日本の平安時代の王族とまったく同じ風俗をもって

いましたが、両者は共に箕子国の文化を受け継ぐ韓人王朝でした。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013/02/15 05:24:08 PM


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: