新年あけまして おめでとうございます。
今年も良い年になりますように。
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BC2000年あるいは、その少し以前の時代からギリシャに北方からやってきた人々がいました。
彼等はクルガン人と呼ばれています。クルガンというのは、ロシア語で土饅頭という意味です。
死者を深い縦坑に埋めその上を土饅頭で覆ったためそう呼ばれるようになったのです。
クルガン人はBC3500年からBC2300年頃、南ロシアからダニューブ川流域に住んでいた
半遊牧民族です。彼等がBC2300年頃からギリシャ本土へ侵入してきたという説があります。
そして彼等は最初のインド・ヨーロッパ族であり、また最初のギリシャ人だと考えられています。
クルガン人の到来とともに、ギリシャでも馬の骨が出土するようになりました。
彼等は、馬とともに縄文土器もギリシャにもたらしました。
BC2300年頃からギリシャに現れたクルガン人は、どこからやってきたのでしょう。
ギリシャに北からやってきたとすると、黒海の西岸を南下してきた以外に考えられない。
当時のヨーロッパには原始的な人間を除くとほとんど人が住んでいなかったからです。
黒海北岸で発見されているもっとも古い遺跡は、ドニエプル川を少し遡ったデレイフカの
遺跡です。スレドニー・ストグ文化に属するこの文化はBC4400年頃からBC3500年頃まで
続きました。デレイフカの遺跡から発見されている食料とされたと思われる動物の骨のうち
74%が馬の骨で、残りは19%が牛、7%が羊です。
中央アジアのステップは、一般に雨が少なく、夏と冬の気温の変化が激しすぎるので農業には
向いていない、にもかかわらず、スレドニー・ストグ文化に属する人たちは家畜を伴っていました。
クルガン人はBC3500年頃からBC2300年頃まで南ロシアのステップ地帯からダニューブ川沿岸
にかけて住んでいたといいますから、スレドニー・ストグ文化に属する人たちの子孫だった可能性
が、たいへん高い。スレドニー・ストグ文化人は、BC4400年頃どこからきたのでしょうか。
BC4500年頃中央アジアのアラル海のアムダリア河口にも穀物生産と家畜を帯同した人たちが
現れています。かなり古い時代から東方、エニセイ川とオビ川の上流、アルタイ山脈の北側に
初期的な農業を携えた人たちが遺跡を残しています。この地域は現在でも鉱山地域です。
現在のキルギスタン共和国からタジク共和国に掛けての地域と並んで古代の銅鉱山の遺跡が
発見されています。
人類が
牛に出会ったのは、おそらく数万年前に遡ります。
BC7000年あるいは、それより少し後、アナトリア南部のタウラス山脈の麓
チャタルフュイックの遺跡では、牛頭信仰の起源と思われる牛の首が壁に掛けてありました。
そしてこのチャタルフュイックの住人は、その後BC6000年の半ば頃から徐々にメソポタミアへ
進出してウル人となり、そこからさらに、青銅時代に入ったBC3500年以降銅を探して世界に散り
今日の世界の多くの民族の祖先になった人々と考えられるのです。
それに比べると、人類が
馬に出会ったのは、かなり後になります。場所は南ロシアでした。
馬の源生地もまたその辺だったと考えられています。最初馬は人間の食料だったらしい。
しかし、やがて人は馬に乗り、馬に車を引かせるようになりました。
銅の冶金技術の起源は、BC6000年頃北シリアからタウルス山脈の辺りで発明されました。
銅は貴重な資源とされましが、大規模農業の最適地メソポタミアには銅はなく
銅を求めるためには、遠方まで出かけて行かなければなりませんでした。
BC大5世紀の半ば頃、黒海の北岸から遠く遙か東のアルタイ山脈の北方に姿を現した人々は
メソポタミアから銅を求めて北へ出かけて行ったウル人たちだと考えられます。
その時代は、まだ青銅技術が発明される前です。しかし既に文明の主流を担う人々は
BC5200年頃ペルシャ湾の南岸に達していました。
ウルという言葉が中東起源、あるいはメソポタミア起源であることはかなりハッキリしています。
スウェーデン語のウルは、絶滅した牛、そして原始的つまり非常に古いという意味があります。
スウェーデン人の祖先は、まだメソポタミアに都市国家が誕生する前
北方に銅を求めて出かけたウル人ではなかったでしょうか。
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