セレンディピティ

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2017/02/04
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カテゴリ: 歴史
f0071303_2325149.jpg カシート王朝から月氏王国、クシャン朝からサカ族~蘇我王朝につながる人々は交易においても重要な役割を担いました。

中東は文明の十字路でした。数多の民族があらゆる方向からやって来て相争い、王朝を立てては滅んでいきました。

「ムー」という雑誌の1999年12月号に「シャンバラ伝承と謎の古代文明クスターナ」という記事が出ています。シャンバラはシャングリラー。理想郷という意味です。

またクスターナは、梵語で「大地の乳」を意味する言葉で、その後、クスタン、コタンと変化し、現在の新疆ウイグル自治区の町、ホータンだといいます。

「ムー」の記事によれば、崑崙山脈から湧き出した清流が白玉川(ユルカンシュ)と黒玉川(カラカンシュ)という二本の川となってコタンの東西を流れ、その水が「大地の乳」なのだそうです。

言い伝えによれば、コタンの町の近くにはアルティンタックと呼ばれる純金の山があり、無尽蔵の金が掘り出されていたといいます。

さらに白玉川と黒玉川の両川からは、玻璃や瑠璃など玉が豊富に採れたともいいます。



BC6000年頃から世界中に銅資源を求めて探し回った人々は、BC4500年頃には、東シベリアの銅や錫鉱石を採掘していた可能性が高く、それらの銅や錫は、メソポタミアまで運ばれていました。

これらの銅や錫鉱石、ラピスラズリをメソポタミアに運んだ鉱山技術に優れた人々が、月氏=サカ族でした。

彼らはイラン高原東部からバクトリア、ソグディアナ及び西北インドにかけてサカスタン王国を建てています。アケメネス朝ペルシアがパルティア帝国に滅ぼされた後のことでサカスタンは(サカ人の国)はペルシアの一部を引き継ぎました。

BC6000年頃から世界中に銅資源を求めて探し回ったウルの人々が、文明の十字路クスターナを根拠に拡がっていったと考えられます。

倭人には、北方性と南方性がありますが、南方性は弥生農民の文化です。
倭人は、カルデラ人を中心とする南セム族であったのですが、バクトリア南部のシスターン(サカスターン)地域では既にサカ族の名になっていて、この地のサカ族は、ペルシアのキュロスの時、降伏して、ヒスタスペスの支配を受け、後ペルシア王統が乱れた時、ヒスタスペスの子がダリウス一世となっています。



ミトラ教は、メソポタミアからペルシア、ユーラシア全域に広がった、太陽信仰・光明信仰でした。

北メソポタミアの王国ミタンニがミトラ国という意味であり、ヒッタイト王国の王室も「聖なるミトラ」と名付けられ、日本の天皇も宇宙を統べる皇帝すなわち「ミトラの皇帝」と意味する『スメラミコト』と称される。ミトラは古代ペルシア語の一部の方言でミシアと呼ばれましたが、それがメシアとなりました。フリーメーソンの起源もミトラであり、弥勒菩薩もそうです。それに加えて鳥のシンボリズムもあります。蘇我氏のルーツサカ族は、アケメネス朝ペルシアがパルティア帝国によって滅ぼされた後、ペルシアの一部を引き継ぎ、イラン高原東部からバクトリア、

ソクディアナおよび西北インドにかけてサカスタン王国を建てました。パルティアは470年ほども存続した巨大帝国でしたが、世界史上あまり知られていません。ペルシア帝国と同様、ミトラを国教とし、皇帝の名もミトラからとっています。パルティアを中国では安息国と呼びアンソクまたはアンキと発音しましたがそれが元来アサカ(アスカ)であったようで、日本の飛鳥につながります。シスターンに出来たサカスタン王国は、そのパルティアから、より宗教的に強い主張を持って【独立】した勢力でした。やがて彼らは東に移っていったのですが、シスターンに遺した彼らの貴金属の透かし彫りの技術は美しく精巧で学者の関心を惹いています。 





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最終更新日  2017/02/04 04:17:27 PM


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