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前回の続き。(3個目)退院後、母は生まれ変わったように元気にしている。目が開くのですたすた歩いてトイレに行ける。リハビリパンツもやめた。ごはんも一時間かけて食べていたのが、10分で食べ終わる。びっくりだ。まだ安静にしてもらっているが、来週からデイサービスに復帰予定。一時は「発作時の対処法がわからなけらば預かれない。」と言われて絶望していたが、もう大丈夫だと思う。震えがなければ発作はないだろう。(と思いたい)短期の記憶障害が、前回の入院時から残っているが、それはしょうがない。希望をもって待つしかないだろうと思う。今回思ったことがある。お医者様は感謝の言葉に飢えているのかもしれない。ということ。「ありがとうございます。」という言葉はよく言われるであろうが、心からの感謝の言葉はあまり言われないのかもしれない。「先生のおかげで助かりました。」と心からの感謝の言葉を述べると、先生はこの言葉を聞き逃すまいと私の顔をじっと見る。そして驚いたような嬉しいような恥ずかしそうな、そんな表情をする。きっと、どんな先生も「人の役に立ちたい。命を助けたい」という高い志を持って、勉強し医者になったのだろう。きっと、心からの感謝の気持ちは、そんな先生たちのモチベーションになっているのだと思う。こんな記事も見つけた。「ありがとう、という言葉を聞けた時」◆Vol.17-1 【日本】最も「医師になって良かった」と思うような出来事看護師さんも同じだと思う。事務の方、ケアマネさんも、私も同じ。感謝の言葉は生きる活力になる。感謝の言葉をもっと言おう。コンビニのお兄さんお姉さん。宅配のお兄さん。みんなに言おうと思う。だってお世話になっているんだから。
2020.03.22
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県立病院に運ばれると、若い女性医師が担当ということだった。その先生は私が今まで会った先生の中で一番の先生であった。先生は母の既往症、現在の症状、事細かに聞き取り、手帳にメモしたり、パソコンに打ち込んだりしていた。相当な時間を使ったと思う。淡々とした印象だが、頭が柔らかいというか、「あらゆる方面から原因を探し出す」という意思が感じられた。今まで会った「年寄りだからとりあえず対処療法で」というのとは違った。この先生にすべてを託そうと思った。しばらく、色々な検査をしましょうということで、その日はタクシーで自宅に戻った。家に着いたのは朝の4時。タクシー代8000円。痛い~。次の日から母は検査。てんかんを疑っていたが、脳波に異常なし。てんかんではなかった。パーキンソンの検査もしたが違った。入院中も一度発作が起きた。先生が当直で、発作の様子を見たという。その後も何度も先生と話した。私が思った原因についても、素直に聞き入れてくれて、可能性を探ってくれたりもした。血液検査もたくさんの項目で調べたがどれも異常なし。原因がわからない。しかし、先生は「向精神薬の副作用」ではないかと思っているようであった。多分そうなのだと思う。誤診で10年間てんかんの薬を飲んだこともあった。そういう副作用による病気は治療や、原因の特定は困難なのだと思う。とにかく、今はこの発作を起こさせないようにしなければいけない。脳にダメージをくらってしまう。「この薬とこの薬を少し試してみてもいいですか?副作用が出ないか様子を見ながら。」「はい。お願いします。先生にお任せします。」てんかんとパーキンソンのお薬だった。ごく少量。痙攣を震えを止めるため。その薬が劇的に効いた。母は別人のように元気になった。震えがほぼない。目をつぶることもない。一日の半分は目をつぶり、がたがたと震えていたのに。20年前の母に戻ったようだった。13日入院して母は退院した。「また発作が起きるようなら、大学病院で詳しく検査しましょう。」と先生は言ってくださった。先生はとある国立の大学病院の先生だったらしい。知らなかった。退院するとき、先生にお礼を言った。「ありがとうございました。先生でなければここまでよくなりませんでした。本当にありがとうございました。」そう言って深々と頭を下げた。先生は、恥ずかしそうな、驚いたような顔をしていた。(この間の先生と同じ顔・・・。)看護師さん、同じ病室の方々、本当に皆によくしていただいた。毎日リハビリもしてもらい、母の足も弱ることがなかった。皆に感謝の言葉を述べて退院した。本当にいい病院。こんな病院初めてだった。つぎへ。
2020.03.22
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もう、色々なことがありました。母がまた救急車で運ばれ、入院。現在は退院して自宅にいます。前回、とある病院から退院させた後、飲まされていた強い薬の効果が切れたおかげで幻覚は消滅しました。しかし、その後は震えが酷くなり、5日に呼吸困難。大汗をかいてもがき苦しみ、意識がなくなりました。びっくりしましたよ。心筋梗塞になったと思いました。救急車を呼び、病院を探してもらうが熱が38.5度。今のご時世、どこの病院も熱のある患者は受け入れてくれません。救急隊員が「絶対に探しますから、大丈夫ですからね。」と慰めてくれますが、どこもダメ。やっと、地元の病院(評判の悪い病院)が受け入れてくれました。しかし、原因わからず。母も何とか意識が戻っており、検査の結果以上なし。「原因がわからないので、今日はこのまま帰って、後日担当の先生に診てもらってください。」と。車いすにぐったり意識が朦朧としている母を乗せ、タクシーを呼び待っていたところ、また発作。目が昇天して、呼吸困難。また診察室に運び込まれました。さすがに先生も母の様子を見て、「神経内科の先生がいる病院を探してみます。紹介状を書きます。」と動いてくださった。先ほど、救急隊員が電話をして断られた「県立の病院」に受け入れが決まった。ありがたくてありがたくて、先生に丁寧にお礼を述べた。「ありがとうございます。本当にありがとうございます。先生のおかげで助かりました。」深々とお辞儀をして、先生の顔を見ると、驚いたような恥ずかしそうな顔をしていた。その表情がやけに印象に残った。そして、母は先ほどの救急隊の方々の救急車に乗せられ、転院した。「さっきは断られましたけどね、紹介状があれば大丈夫。良かったですね。」救急隊の方にも深々とお礼。本当に感謝。こんなときの優しい言葉はほんとにありがたい。長くなりました。つづきは次へ。
2020.03.22
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退院からのつづき。もうどうしていいかわからなくなり、朝早くにケアマネさんに電話した。ケアマネさんはとてもいい方で、「大丈夫よ。こういう時のために私がいるんだから。心配しないで!」と励ましてくれた。私の仕事が始まる5日から、デイサービスに預かってもらうことになった。週に6日。月~土曜まで。すぐに手配して、その日の午前中にデイサービスと契約。車いすもレンタルの手配をして契約もその時に完了した。嬉しくて涙がでた。もう大丈夫だ。何とかなる。母はその日も朝から、幻覚を見続け、コップの中にコオロギがいるとか、虫が床中にいるとか言って困らせた。それからこんこんと母は昼寝をした。昼寝から覚めた母は劇的に改善していた。あれほど見ていた幻覚を全く見なくなった。目が違う。顔つきが違う。以前の母に戻ってきた。環境が戻って改善したのか、パーキンソンの薬が抜けたのか、そこのところはよくわからない。でも、あのまま入院して点滴つけられて、身体拘束(縛られる)状況だったら、このような改善はありえなかったと思う。兄にもこまめに相談していたのだが、改善したことを話すと喜んだ。「無理やり退院させてよかったな。ほんとによかった!」昨晩も夜も静かに寝ている。(ベットから落ちるのを防ぐためと、監視のため、居間に布団を敷いて、私はソファーに寝ています)足も少ししっかりしてきた。状態がよくなったら、デイサービスも少しずつ減らしていこうと思う。何しろ本人がたいそう嫌がっているので^^昼寝ができるところなので、最初は本人が希望するだけ寝かせてあげようと思う。長々すみません。私も壊れる寸前で、このことを文字にすることで気持ちを整理して落ち着かせていました。ありがとうございます。もう大丈夫です!!!
2020.03.03
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母のその後。思いつめた私は、先生に「できれば今日にでも退院させたい。」と訴えた。母は我がままで苦痛に耐えられないこと、看護婦さんにご迷惑がかかること。余命幾ばくも無いのでこれ以上強い薬を使った治療はさせたくないということ。昨日、担当医はいなくて、ほかの先生にお話ししたのだが、その若い男性医師はもう嫌なタイプの医者で、「前にパーキンソンとかてんかんとか検査したとかいいますけど、なんの検査したんですか?今そうでないと言い切れます?じゃあなんでリボトリール(てんかんの薬)処方されてるの?」とまぁ大変な威圧っぷり。リボトリールは兄からの情報で震えに聞くと聞いて、自分からお願いして先生に処方してもらったということや、大きな専門病院で検査してもらい、パーキンソンもてんかんもその時は陰性であったこと。今仮にその病気であったとしても、もう治療はしたくないということ。それを伝えると男性医師はますます切れて、「はいわかりました。さようなら」と即座に席を立ってしまった。腹立ったけど、まあ良い。母を連れて帰ることができた。家に帰った母は記憶障害は改善しているものの、「幻覚」が酷かった。夜ずっと、寝ては起き、「猫にイカをとられた」「アスパラガスを植えた」「絵の展覧会に来ている」など、あらゆる幻覚が次々と現れ、そのたびごとに起き上ってその作業をしている素振りをする。立てなくなりオムツなのだが、一人でトイレに行こうとするので目が離せない。色々なものが別のものに見えて、落ちているものを口にしたり。テレビ電話、あらゆる配線コードが違うものに見えて引っ張ったり、切ろうとする。とりあげようとすると怒る。まるで精神異常者だ。老人は入院することによって、こんな「幻覚」を見ることが多いと思うが(父もそうだった)、ひどすぎる。パーキンソンの薬の副作用だと私は確信した。(ご近所のパーキンソン病のご家族が幻覚で苦しんでいる)しかし、こんな状態では母を置いて仕事にいけない。夜も一睡もできなかった。寝ることもできない。ごはんも食べる気持ちになれない。もう八方ふさがり。退院させた私が悪かったんだ。私、全然何もできないじゃない。母のことはあきらめるしかなかったんだ。もうだめだ。もう、みんな投げ出して、死んでしまいたいと思うようになった。長くなってしまったので次へ。
2020.03.03
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母が壊れてきた。長い間、リボトリール(クロナゼパム)という薬を飲み続けている。抗てんかん薬なのだけど、母は震えを止めるために服用している。以前、せん妄になってしまった時もそうなのだが、今回も倒れる前にリボトリールを飲み忘れている。めまいの副作用が大きくて先月から減薬していた。リボトリールの大きな増減があったとき、離脱症状によりせん妄の状態になるような気がしていた。今回の入院の時も、神経内科の男性担当医(今回の担当医が電話で確認)は、「リボトリールの離脱症状でせん妄にはならない」と断言した。前回の時もそう言って、原因不明で終わってしまった。リボトリールについて調べてみると、やはり断薬による「せん妄、意識障害、呼吸困難」と明記されている。どうして患者の訴えに耳を傾けて調べてくれないのだろうか。すぐにわかることなのに。今回運ばれた病院の女性担当医は、その神経内科の男性担当医の話をうのみにして、リボトリールを辞めてしまい、勝手にパーキンソンを疑い、治療を始めてしまった。母は以前にパーキンソンを疑い、検査して調べてもらって陰性である。一言「パーキンソンの疑いがあるので治療します。」と言ってくれればいいのに、家族に相談もなく、パーキンソンの強い薬を投薬してしまった。先生にリボトリールの断薬によるせん妄のことが書かれたページを印刷し、先生にリボトリールを何とか再開してもらった。母は以前の記憶は戻りつつあるものの、2~3分前の会話を忘れてしまうという認知症の症状が出てきた。誤嚥防止のために鼻に管を入れられ、それが苦痛で管を引き抜いてしまう。(管を抜くとまた入れ直し、レントゲンを撮って確認する。それを2度やった)母は我がままで痛いのを我慢できない性格。認知機能が失われつつある今では、理性で我慢することもできないと思う。「もういやだ。ここから出してもらいたい。」何度も何度も・・・。ストレスが限界で、わけのわからない治療で母はどんどん壊れていく。今86歳。後何年あるかわからない母の寿命。もうこれ以上、強い薬、大変な治療はさせたくない。リボトリールを飲んで、穏やかな余生を送ってもらいたいだけ。入院生活はマイナスしかないように思う。今が正念場。退院させてもらえないか、先生に相談しようと思う。どなたか詳しい方。もしこの記事を読んでご助言頂ければ助かります。もう、どうすればいいか。わからないのです。
2020.03.01
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