全2件 (2件中 1-2件目)
1

これは私の子供の頃の記憶です。(1965年頃)私が生まれ育ったのは、定山渓から15Kmほど山に入った豊羽鉱山です。当時、山には3000人ほど暮らしていました。人里には滅多に熊は出ませんが、山菜の時期になると熊に殺られたと言う話が数件ありました。毎年、4月から5月の後半にかけて長靴で雪の上を抜からずに歩けるようになると、ライフルを持つ山口3兄弟の長男の乙吉さんをリーダーとし山の有志達が数人集まって半径10Kmぐらいを熊の足跡を追って行きます。他の人達はみんな村田銃を持っていきます。戦後20年後頃なので、戦争当時はみんな20代前半~30代の元日本兵です。銃の扱いには慣れています。お昼過ぎ頃に、熊が捕れたと知らせが入ります。現地では、松の木を切って大きなソリを作り熊を固定してロープをみんなで引っ張って帰ってきます。ロープの写真での中央付近で腰を降ろしているのが私の父親です。腰にはいつも長いナタが下がっています。今でも私が保管しています。 山口宅横の空き地に櫓を組んで熊を立った状態にして吊るし、血抜きをします。それを3日程します。夜に共同浴場に行く時、その前を通るので熊と血の匂いがとても怖かった。その後、みんなでナイフで熊を捌きます。その時は業者がたくさん集まり毛皮・熊の手・肝臓など買っていきます。肉を貰いますが、球状の筋だらけで野生の匂いがして堅くてまずかったけど、滅多に肉を食べれないので少し食べた。時々、父親は家で灯油コンロで缶カンに鉛を溶かしてパチンコ玉位の鉛弾を作っていました。熊用の弾はどんなのかは知りませんが、まさか!うちの父親の銃が火縄銃では無いと思います。手前の小学生が私です。
2022.01.30
コメント(0)

私の小さい頃の写真を整理していました。小学校の低学年の頃(60年?前)、家族旅行で函館に行った時の写真です。定山渓の中山峠は急カーブで狭い林道でした。時々崖の下に車が落ちていました。今は道の駅の峠の茶屋も同じ場所にあり木造です。駐車場には熊が繋がれています。道路の反対側の茶屋には大きな熊が檻に入っていて怖かった。峠を降りて川の淵を走り、ルスツを過ぎた所に神木があり、邪魔なので切ろうとした何人もの人が急死しています。長万部の辺りでは、SLが元気に走っています。駒ヶ岳もカッコイイ!函館に入る前の七飯の辺りは、盆栽のような樹が並び侍が出て来るかと思いました。最初から最後まで馴らしただけの道路で雨が降ると崩れるオフロードでした。一日掛かって、旅行と言うか冒険の様なドライブでした。あの頃はまだ、オフロードバイクは無くその後、6年後?にDT1,ハスラー、バイソン等がデビューして高度成長しています。
2022.01.10
コメント(4)
全2件 (2件中 1-2件目)
1