PR
Calendar
Category
Freepage List
New!
himekyonさんKeyword Search
Comments
Free Space
万雑549_活道の岡に登って宴をし、 家持が 作った 歌( 大伴家持_39)
次の歌は、天平十六年(744年)正月11日、活道の岡に登り、一本の松の木の下に集まって宴会した時に大伴家持が作った歌です。「活道(いくじ)の岡」は京都府和束町にあります。
1043_「たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ思ふ」
※_
「(
たまきはる)人の寿命は分からない。しかし、松の枝を結ぶ気持ちは命長くと思えばこそだ」
と歌っています。当時は松の枝を結んで長寿を祈ったようです。
※_ここで巻第六は終わりです。次から巻第八に入ります。
備考;大伴家持の経歴と関連する出来事
養老2年(718年)ころに生まれた
天平10年(738年)内舎人としてお目見え
天平11年(739年)6月;家持の妾が死去
※_天平12年8月29日藤原博嗣が政府批判、9月3日挙兵、藤原博嗣の乱
天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕
※_聖武天皇伊勢行幸;10月29日に立って、11月2日から11日まで滞在
天平12年から天平15年ころ、家持は坂上大嬢を娶ったようですが?
※_天平16年(744年)2月、難波京に遷都
天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去
※_天平17年(745年)5月、都を平城京に戻す
天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任
※_越中国在住中の歌が223首ある
天平勝宝3年(751年)に帰京
天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる
天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任
※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です
天平宝字6年(762年)に帰京
天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ
神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ
神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)
延暦4年(785年)_8月28日死去
家持の作った歌の掲載巻別の歌数;
巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)_済
巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)_済
巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)
巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)
巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)
巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)
巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)
巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)
巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)
以上
万雑741_遣唐使節団と万葉集の歌が作られ… 2024.08.31
万雑740_万葉集にある遣唐使関連の歌(孝… 2024.08.29
万雑739_万葉集にある遣唐使関連の歌(遣… 2024.08.28