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いやー、やっぱりOSHOもすばらしい!丑年にふさわしく(?)『究極の旅 禅の十牛図を語る』を読み始めたのですが、ラムサが外から引っ張る父のような陽の力であるのに対し、OSHOは内側から育ててくれる母のような陰の性質を持っているというのが体感として解ります。その両方が私を育んでくれている感じ
さて、OSHOの話の前に、一昨日観た「恐れの生物学」の話に戻ります。
このDVDの中でJZ・ナイトがこんな話を紹介してくれました。ネズミの実験についてです。ネズミにも尾状核があり、当然のことながら生まれながらに恐れを持っています。そのネズミに迷路の学習をさせるのですが、あちこちに恐怖の対象が仕掛けてある。でも、その恐怖を乗り越えると餌がもらえるという仕掛けです。
その迷路の中で訓練されていったネズミがどうなったか?恐怖の対象を恐怖とも思わず、自由に迷路の中を行き来し、自分の欲しいものを手に入れるようになったというのです。
目の前にある、脳が恐怖と感じていること。それを体験することでその恐怖は恐怖ではなくなるのです。
うちの俊太郎。つい最近まで水に潜れませんでした。水が怖かったのです。だけど、彼はその恐怖に対峙していった。来る日も来る日も、お風呂で少しずつ少しずつ顔をつける練習をしていった。誰も強要しないのに、です。
そして、いつの間にかお風呂に潜って目を開け、私に悪戯したりするようにまでなったのです。そう、彼にとって水に顔をつけることは最早恐怖ではなくなっていたのです。
日々、恐怖と対峙することで、「水が怖い」というニューロネットから「水に潜れる」というニューロネットに引越しが完了したのです。
なぜ、その引越しが可能だったのか?それは、彼が「水に潜れる自分」を求めたからにほかなりません。今は水が怖い、でも、水に潜れるようになるはずだというイメージが彼の現実を創っていったのです。そうして、彼は以前よりも喜びの多い人生を創造したことになるわけです。
私たちのもつ恐れも同じようにして克服することができます。
たとえば、「こんなことを言ったら嫌われるんじゃないかしら?」なんていう恐れを持っている場合。その恐れを克服するには、その恐れと対峙しなければなりません。実際に「こんなこと」を言ってみるのです。もしかすると嫌われるかもしれない。でも、嫌われないかもしれない。それは試してみるしかないのです。
1度は嫌われるかもしれない。でも、それでももう一度試してみる。だって、その人は「こんなこと」を言いたいわけでしょ?だったらやってみるしかない。そのうちに「こんなこと」を言うことを恐れなくなるでしょう。
なぜか?
それは、自分が外に向けて発している周波数にあった現実がもたらされるようになるからです。自分を偽って生きていた頃はその周波数に見合った環境が自分の周りに展開されます。でも、恐れと対峙しながらも本当の自分を発信し始める。すると、自然と自分の周りの環境が変化してくるのです。自分の言いたいことを言っても大丈夫な環境がやってくるのです。
そして、「こんなこと」が言えなかった自分から、言いたいことが言える自分へと引越しが完了するのです。
でも、その引越しをするには、引っ越したい!という意図が必要なことをお忘れなく!
恐れとの対峙を回避しようとうまく立ち回ることも可能でしょう。あれこれやりくりし、本当の自分の姿をごまかし続ける。恐れを観ないようにして生きるのです。でも、恐れが無いわけではない。ただ隠しているだけなのです。
本当の自分を隠したままでいるというのは自己愛に欠けることでもあります。隠された恐れと自己愛の欠如が何を生むのか?それらは、苦しみ、病、死を生みます。
実は、私はホメオパシーの父、ハーネマンが見つけた「千の頭を持つ怪物」である慢性マヤズムとは、この恐れと自己愛の欠如のことを指しているのだと感じるのです。在学中に受講した講義中にそんなアイデアが「キラリーン」とやってきたのでした。
ハーネマン自身が気付いていたかどうかは解りません。しかしながら、この恐れ・自己愛の欠如を無くしていくことで、人は本来の幸せで健康な状態に還っていけるのは間違いの無いことだと確信しています。
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