ガーデンデザイナーのブログ

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2011年05月03日
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カテゴリ: 愛鋏 植木鋏
「くせい=口清」の鋏についての調査

口清鋏京都いのはな夢創園2.jpeg口清鋏京都いのはな夢創園さんの画像

1985年昭和58年出版前島康彦著「木鋏」に「口清」の紹介がなされています。

「京都下立売七本松に屋号を「口清」という鍛冶がいた。もと刀鍛冶で修行した人だが彼は、勘兵衛という庭師を識り、とも共に枝切り鋏の造りかたを研究した末、ついに成功して勘兵衛型という鋏を打ち、「口清」という銘を入れた。
この鋏、枝わはさんでいる間に二枚の刃が自然に合い、刃と刃との擦れ合いで自然にとがれてゆくという名品である。」

とあります。これが京鋏のルーツであることが解ってきました。

「刃と刃との擦れ合いで自然にとがれてゆくという」これは、どういうことかというと「裏隙」の技術が発達したのだと推測される。つまりこの裏隙は、砥石との関係が深く影響していると考えられます。京鋏の製作過程の特徴から初期の頃は砥石が使われそれが、機械化に移行していったのではないかと思われます。

この件についてネットに「くせい=口清」の鋏が紹介されていました。京都の庭師である夢創園さんの猪鼻さんです。

夢創園のブログによると・・・・以下猪鼻さんのコメントです。



鋏にSTと彫られているものはその当時希少だったスエーデン鋼が使われていたらしく、口清の大将の自慢だったらしいです。これは三条東山にある道具屋坪田の親父さんに聞いたのですが、口清を真似て大覚などの鋏ができたらしいです、その他、口清にも上と彫られたものは後期に造られたもの」

先般、大隈さんに伺った話しですが・・・「うちは、それ程古くから打ってはいないんです。」とおっしゃっておりました。ということは、坪田の親父さんに聞いたように「口清」があまりにも需要過多になったため「大覚」や「安広」が試行錯誤のうえリクエストで造る様になった。と捉えるのが自然のようだ。

45年ほど前ということは、1966年東京オリンピックの2年後。この頃の日本は、戦後(1945年)の混乱から昭和40年代の高度成長期に突入している。これからさかのぼると1966年以前のもので「上」と刻印されたものは後期の造り。
一代で築き上げた技術であれば戦前創業で30年から40年の就業年数。40年の就業であれば1926年の大正15年。就業30年であれば1936年で昭和11年が創始となる。

以上は、単純な推測と想像上のものです。もし、ご存知の方や情報があれば是非お知らせください。今回は、解っていることはここまで。この先は、改めて砥石、金剛砂、機械化(電化)に関ることが予測されるので再び調査を進めたいと思います。







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最終更新日  2011年05月03日 11時06分59秒
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