「周囲の人々も私と同じように報いを受けるべきだ」というような間違った信念に対して、聖書の真理に対する信仰はこうです。
信仰3.「神様、恵みにより無償で、わたしの罪を赦し、永遠の命をお与えくださりありがとうございます」
わたしたちの信仰に報いてくださるのは神様だけです。その証拠に父のふところにいた独り子イエス・キリストがあなたの救いのためにこの地上に遣わされてきま した。あなたの罪をあがないその泥沼から救い出すために、キリストは十字架で命を捧げてくださったのです。ヨハネ3:16節には、「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである
もし自分だけの思いで、悪に対しては悪で報いようとすれば、結局のところ 神様に対して罪を犯してしまうことになります。聖書はこのように戒めています。「 だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの 間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい
」(1テサロニケ 5:15)。「 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです
」(1ペトロ3:9)。
聖書またはこのように言っています。「 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです
」(ローマ6:23)。私たち人間はみな罪のゆえに死という報いを受けるべき受けるべき存在でした。しかし、罪をあがなってくださったイエス・キリストを信じることによって、無償で罪が赦されて永遠の命を賜物として受けることができるのです。
2コリン ト5:10はこう言っています。 「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行っ たことに応じて、報いを受けねばならないからです
」。これは、キリストを信じなければそれに対する報いを受けてしまうが、キリストを信じ従うならばそれに 応じて善い報いを受けることができることを言っています。
そういうわけで、私たちクリスチャンは神さまが報いてくださることを信じ、信仰によって委ねることが大切です。「 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める 者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです
」(ヘブライ11:6)。
イエス・キリストはわたしたちの罪を 担って十字架で苦しまれたことにより、すべての人の「友」となってくださいました。さらには、キリストを信じた人々を「 神の子ども
」(ローマ8:14)とし、神の家族の一員としてくださるのです。その神の子とする霊によってわたしたちクリスチャンは、神さまを「アッバ、父よ」と呼ぶ特権が与えられました。(ローマ8:14)
ローマ8:17はこうも教えています。「 もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかも キリストと共同の相続人です
」。クリスチャンが神の御国を相続するという言葉の意味は、罪の赦しを受けて永遠の命を受けた私たちが、天国において父なる神さまとの親しい交わりを永遠に持つことができるということです。主イエスが父のふところにいたように、わたしたちも大胆にその愛のふところに飛び込んで行くことができます。
つまり、主イエスが父の愛を100%知っていたのとまったく同じように、わたしたちもその愛に100%浸ることができるのです。主イエスは天の父にこのように祈られました。「 父よ...あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一 つになるためです
」(ヨハネ17:21-22)。 またこのように祈られました。「 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです
」(ヨハネ17:24)。この主イエスのとりなしの祈りによって、私たちは主イエスと共同の恵みの相続人とされたのです。
あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです
」(コロサイ 3:24)。