光のはしら通信

光のはしら通信

2024.04.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類
家のすぐそばに小さい公園があり

気分転換に
よくくつろぎに行きます。

家には庭も広いバルコニーもないけれど
公園が近くにあって
庭に出るような感覚で
思い立った時にすぐに
利用できる環境がありがたいです。


桜の花で埋め尽くされていた視界も
今では緑でいっぱい。

小鳥の囀りを聞いたり
緑たちを眺めながら
お茶を飲んだり
ぼーとしたり。
家の用事で忙しい日も
そんな区切りで
気持ちがリセットしています。

最近の発見!!
わたしは「聴覚情報処理障害」(APD)

APDとは音は聞こえているのに
言葉として聞き取ることに
難がある症状です。

最近発見された症状らしく
聴覚検査をクリアしてしまうし

症状なので
こんなものか?で過ごし続け
見過ごしてしまうことも
多いらしいです。

わたしもそんなものかで
やってきたけれど
社会に出てから
これまで2回ほど
全く別の職場環境で
上司にあたる人に
聴覚に問題があるのではないか?
と言われて検査に行きましたが
問題は発覚されず、
ただ、自分にはそういう
独自の症状があることだけは
自覚するようになっていました。

未だに診断を受けたわけではないのですが
そうなんだろうなと思っています。

治療法もまだないらしく
生活の知恵などで切り抜けるしか
ないそうです。

APDは発達障害の一種とも
言われていて
これも結構なるほどです。

普通の人が当たり前にわかることが
わかってないことが自分にはあり

自分は発達障害なのではないか?
と感じることが稀ではあるけど
あったんです。

昔は間が抜けているとか

それを恐らくは
精一杯のお世辞(?)にして(⁇)
天然とか言われてたし...

人と雑談レベルでの
感覚的交流があまりできないし。
(これはスターシードあるあるでも
ありますね)

聞こえにくいからどうでもいいような
細かい話には
労力をさかないようにしてきた
幼い頃からの習慣で 

そのようなコミュニケーション力を
伸ばせなかったということは
あるのかも?

ところで最近発達障害の子どもが
増えている理由の一つとして

地球の悪き(良いものもある中の
悪いほうという意味あいですあくまで)

習慣や考え方に染まらないことで
高い波動を保ち続ける人たちが

地球にとって必要だから
というのがあるそうなんですが

こういう説も妙に納得!

わたしは人の中で
孤立してしまいがちな面が
ある一方で

集団心理に流されにくい面が
あると自覚しています。

みんなが悪く言うことに
逆に興味を持ってしまうところがあり

子どもの頃は
学年のいじめられっ子殆ど全員と
仲良しでした。

皆に人気のある子ともとも
普通に仲良しで

小学生時代は
人生中いちばん友達が多かった
時代かもです。

いじめられっ子に対しては
同情とかは勿論なくて
単にその子たちがユニークだったから
気が合ったんですね。

わたしはというと
あんまりいじめられはしなくて
どちらかというと
敬遠されるタイプなのかも?

高校時代の友人に

いかにもいじめられそうなわたしが
いじめに合わなかった理由を
聞いたことがあるのですが

いじめがいがなく面白くない
からなのでは?
と言っていました。

また、親や学校から
競争社会で生き抜いていく術などを
説かれ続け
他の価値観もない状況(時代)でも

前提となる「競争」そのものに
違和感を抱いてそういう概念から
外れた価値観で過ごしてこれたのも
発達障害ゆえだとしたら

その代償の孤立感に関しても
許容する気持ちにも
なれるというものです。

ということで

今回は

APDであろうと発達障害であろうと

ちゃんと存在価値はあるんだよという
お話でした。





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最終更新日  2024.04.27 14:36:04


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