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27日午前1時50分、にゃんが息を引き取りました。 二日前、急に動きが悪くなり、前日の昼には、お医者様に頂いたスープの栄養剤も受け付けなくなったらしく、実家から連絡がありました。 『何とか夜を越えてほしい』と思いながら始発の飛行機を予約し、眠りに就きました。四時に起床し、携帯を見ると弟からのメールが受信されていました。内容は容体が急変し、亡くなりましたとの事でした。一番苦しくて、知らない世界に去く辛く淋しい時、にゃんの側に居てあげれませんでした。涙が止まらず、帰りの飛行機も泣いたまま大阪に帰りました。 痩せ細ったにゃんに再会した時、少し前に会った時より更に小さくなり子猫ぐらいの大きさの顔に驚きました。痩せ細った体をきれいに拭いて、毛布の上で寝かせてあげました。頭に過るのは、元気だった頃のにゃんの姿ばかり、、、。 抱き上げた体は、とても軽く眠っているような表情は少し笑顔にも見えました。数時間後には、にゃんともお別れですが、お花とスキャナーを買いに行きました。遺影の写真は、近所の人が撮影してくれた元気な時のにゃんの写真を使いたくて、、、 新しい箱を使い、父が棺を作ってくれました。使っていた毛布を敷き、にゃんを寝かせてあげました。お友達だったウサギのぬいぐるみと新しい首輪をしてあげて、母のマフラーを布団代わりにかけてあげました。お花屋さんのオバサンもネコ好きらしく、棺に入れる花を沢山頂いたので、花束と共に顔の周りに沢山入れてあげました。最後に、涙で濡れた私のハンカチも、、、何か私の物を一緒に持たせてあげたかったから、、、。 バーナーのスイッチが入り燃え盛る音と共に泣き崩れてしまいました。にゃんのかわいい動きが見れないかと思うと辛さが増しました。1時間後、再会したにゃんは変わり果て、焼け残った病巣を観て、苦しかったんだと実感しました。お骨を拾い、小さな骨まで出来るだけ骨壺に入れました。最後に、焼け残った鈴も入れてあげ、一部のお骨を分けてもらいました。私の住む鎌倉に連れて帰ってあげようと、、、5年前実家に残して別れてしまったから、今度は一緒に暮らしてあげたくて、、、 にゃんが逝って一日がすぎました。弟と語りながら、その時間を過ごしてあげました。 弟は、にゃんは最後までにゃんらしく、カッコよく最期を迎えたと言っていました。息を引き取るときは、眠るように呼吸が止まったそうです。 近所の人、出会った人、多くの人に愛され、可愛がってもらったにゃんは幸せだったと思います。 短い命だったけど、にゃんらしい生き方が出来たんじゃないかと、、、 『また、会おうね!』っとにゃんに伝えてお別れしました。本当にまた会いましょう!今度は、元気な体で、、、
2006年02月27日
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にゃんはとても頑張っています。もう、頑張らなくていいよ!って言ってあげました。息が荒く、寝ることも食べる事も出来ず力を振り絞って、いつも水を飲んでいたお風呂場とトイレをしていた庭に出ます。午前中は、外に出かけたいと窓の前に座っていましたが、午後から急激に体調が悪化し、トイレにも行かなくなりました。水も飲みたがらず、目が朦朧としてきて目を開けていても何も見えていないような状態でした。夜、少し仕事をするので場所を替え母ににゃんの面倒を頼んでいたのですが、その間に意識が一度無くなりボーっと力を振り絞って起き上がったら、お漏らしをしたそうです。歩くのもさ迷うように、寝る場所も解らなくなっていました。子猫の粉ミルクを薄くお湯で割って作って、何度かに一度飲ませていましたが、戻す気配があったのでぬるま湯をあげるだけになりました。飲んでも5cc程度、それでも飲んだ後は身体が大変のようで、息を荒げて這った体制のまま、寝転ぶ事も出来ない様子でした。少し意識が戻ったので、近所のアイドルだったにゃんは、外が観たいだろうと思い、毛布を巻いて外に連れて出てあげました。いつも写真を撮ってくれる向いの家の前に立つと、下に降りたいと足に力を入れて押してきました。小さな田舎の町内ですが、にゃんにとっては、大切な場所、だから見たいと顔を向ける方向に歩いて連れて行ってあげました。抱いている私からは、にゃんの顔は見えませんが、母がにゃんの顔を見て驚いていました。目が輝くように見開いていたと・・・。お隣の大きなお庭は、にゃんの遊び場。そこに行くと、手足を動かして降りると主張してました。玄関から入ると、歩けなかったのに歩きだしました。ヒョロヒョロとした足取りですが、元気に見えるように頑張っていたのかもしれません。他の猫に敷地を取られたら困るからかなぁ?なんて思いました。その後、少し意識がハッキリしていましたが、息の荒げ方は何の変化も無くつらそうでした。眠る事も出来なかった為、白目を向いていた目も、閉じれるようになりました。ただ、もう息をするのが精一杯という感じなのに・・・にゃんは、まだ頑張り続けています。色々な思い出がにゃんとはあります。どんどん思い出してきて、小さくなってしまった身体は、子猫の時のように見えてきました。治る病気なら。。。治してあげたい!また、元気に遊びまわる姿を見たいと本当に思います。明日、また元気で会いたいと思っています。今夜も看病してあげるつもりです。
2006年02月05日
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実家に帰りました。にゃんに会ったら思ってた以上の状態でした。(??????@;)ご飯も食べないし、水をようやく飲むくらいです(*_*)粉ミルクを買ってきて、注射器で口に入れてみましたが、5ccしか飲みませんでした。8時すぎ、にゃんの様子がおかしくなり、呼吸が荒く早くなり、目が左右とも外に向いて斜め上へとあがり、白目を向いている状態になり、涙が止まりませんでした。薬をあげても、点滴をしても回復し、元気な姿は見れない病だと思うと、納得も出来なければ受け入れる事も出来ません(;_;)毛も抜けだし、腹部の毛が無くなっていました。背骨も出て、体重も激減。どうしてあげれば良いか、にゃんが何をして欲しいのか解ればと思うのですが、、、。にゃんが元気になってくれることが、一番なんですが、どうすれば良いのかも解らないし、、、もう一度、元気なにゃんが見たいです(T_T)
2006年02月04日
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先週、実家から電話がありました。実家の猫、にゃんが食欲も無く元気が無いので病院に行ってきたと、、、病院では、その日注射をして数時間後には元気になったと連絡があったのですが、、、その後、3日後また少し元気と食欲が無いので病院に連れて行き検査をしたそうです。検査の結果は腎臓に水泡があるとの診断でした。これは、先天性の物で手術も処置もしようが無いと・・・。泣きながら母は電話で話しました。驚きとショックで身体が固まってしまいました。にゃんは、まだ6年しか生きていないのに・・・。どう受け入れていいかも、この状態、病気は何なのかも理解出来ないで未だ居ます。6日分の点滴をもらって帰って家で父がにゃんに点滴をしているそうです。『やれるだけの事をやってあげよう!』これが父が母に言った言葉だそうです。にゃんは、ひん死の状態で私が救った猫です。黒と白で、生後まだ2週間程度でした。仕事で忙しかった私は、大阪東京間を車で移動する事が多く、毎日夜中まで出歩いていた為、車に乗せていつも一緒に移動していた相棒みたいな存在で・・・。身体中、ノミだらけで毎日ノミとの葛藤。弱った身体で頑張って生き延びたにゃんを私はとても大切に思っていました。夏場の仕事の移動は大変なので、実家で預かってもらう事になり、今は実家の猫になりましたが、年寄りの両親にはとても大切な存在になったようで、二人で大切に育ててくれていました。にゃんの仕草や、にゃんの世話で両親、実家はとても明るくなり近所の人々にもすっかりアイドルとなり大切にしてもらい、とても幸せに暮らしていました。年末年始に帰った時も、元気にしていたのですが年の為か前ほど活発じゃないなぁ~とは思っていましたが・・・。病気だったとは、、、ネットや本で調べましたが、にゃんの病気が未だに解りません。にゃおの主治医の先生に少し聞いたら、ご飯が食べれなくなったら無理だと言われました。食もかなり細くなっている様子だと聞いているし、不安で仕方ありません。にゃんの居ない生活がイメージ出来ない・・・。きっと私以上に両親はもっとそうだと思います・・・。昨夜は、心配で眠れませんでした。ようやく眠っても夢見が悪くて最悪です。昔飼っていた犬が亡くなった事が脳裏をよぎり、苦しんで苦しんで死んでいった愛犬への思いも重なり、なんとも言えない重圧を感じました。にゃんは今、苦しんで無いのだろうか?にゃんは今、生きたいと頑張っているのだろうか?にゃんは今、お別れを感じているのだろうか?にゃんは今、、、今夜、大阪に向かいます。私の顔を見て元気になってくれる事を祈りながら、、、明日の朝には、にゃんに会えます。少しの間、にゃおとにゃらには我慢してもらって、にゃんだけのママになってきます。だから、にゃんお願い元気で生き続けて!!!
2006年02月03日
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