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作出 1858年 フランス Marestコンテス・セシル・ドゥ・シャブリラン(HP)
花つきが大変よく、優れた品種。7,205円送料無料
戦争を伝える人がだんだん減り、少なくなっています。戦争の証人が「ヒト」から「モノ」へと移っているのでしょうか。それを無視して戦争の準備、罪悪感はないのでしょうか。内容紹介(出版社より)
横浜市の静かな住宅街の一角に慶應義塾日吉キャンパスはあります。
アジア・太平洋戦争末期、海軍は連合国軍の空襲や本土上陸にそなえ、その司令部を日吉キャンパス地下において、連合国軍と戦う決意でした。
今日、この巨大地下壕はそれを具体的に現した「モノ」として歴史の「証人」としてもの姿を遺しています。
戦後も80年近くなり、戦争の記憶を伝える手段は「ヒト」から「モノ」へと移行してきています。
大学のキャンパスになぜ、どうしてこの海軍司令部の地下壕がやってきたのか、そこで何が行われたのか……。
証言や資料をもとに、さまざまな角度から検証します。
はじめに
1 日吉台地下壕の概要と研究史
2 日吉の帝国海軍ー連合艦隊司令部と軍令部第三部
3 慶應義塾と戦争ー学生たちは何を考え、何が残されたか
4 特攻隊員・上原良司の足跡をたどって
5 日吉、鹿屋、そして沖縄ー地下壕がつなぐ歴史
6 教育資源としての日吉台地下壕
あとがき