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我が家の次男坊、小3は何度も何度も以前に観たアニメ映画を繰り返し鑑賞するのが大好きなようだ。せんだっては「となりのトトロ」「天空の城ラピュタ」「千と千尋の神隠し」とたて続けに鑑賞しもう何度も家族で観て大人の方がうんざり感を漂わせる雰囲気を繰り返し掛ける行為で綺麗に払拭してしまっていた。とうの本人はそのことを何とも想わずあっけら感とし鑑賞自体を心から楽しんでいる様子なので返ってその光景が微笑ましくそのままにさせ見守ることにしていたのだった。そんな彼が昨日リビングに流し始めたのがまたまた家族で今までに何度鑑賞したことかと言うほど観て来たアニメビデオの「紅の豚」であった。小3が掛け始めたビデオのはずだったのにいつの間にか温かなリビングにはヒトが集まり始めパパ(彼)などは1番愉しそうな表情をしてこの爆笑ビデオに夢中になり始めていたのだから面白いものである。小6のお兄ちゃんも時々「傑作…。」などとほざきながらこれだから「紅の豚」は愉しくて仕方ないと言いそうな面持ちでビデオ画面に集中し始めていたのだった。このアニメ「紅の豚」をまだご覧になっていらっしゃらない方がたがもし、おられるのであれば何度も何度も鑑賞させて頂いた感想として年配の方がたから小さなお子さんまで幅広くご家庭で楽しめる傑作アニメの1つと感じられるので改めてここでご紹介推薦させて頂きたく想う次第である。愉しいに「超」がつくほどの面白さを今回も感じつつ拝見させて頂いていたのであった。美しいイタリアのアドリア海が舞台なのだが言葉遣いの方はちと荒いようである。そこのところが可愛い少年達(小学生のボーイ達)にはまたたまらないようで父親の表情もまあ、仕方ないかと言った風で寛容を垣間見せた風情があった。「来い!豚野郎!」「いい度胸しているじゃねぇか。行くぞ!ぶっ殺してやる!」と言った恐ろしい男言葉の応酬が続くのだがそのわりに「あれ!?兄貴。たまが入っていやせんよ。」「白旗を振れ!はやくしろ!」みたいな愉しい面白いビデオ展開である為に観ている側を飽きさせない工夫がところどころに散りばめてあるようで嬉しく想う。それに恋のような甘い大人の雰囲気も時折り、ふと感じさせお洒落な仕上がり感のある雰囲気作りがされているように嬉しく目に映る。例えば大人の雰囲気のあるカウンターバーに豚の顔をした紳士、マルコが座っているとしよう。その傍らには飛び切りの美人、マダムジーナが寄り添っている。ジーナ「あたしは3度結婚したけれど相手は、みんな死んでしまった…。1人は戦争で1人は太平洋でもう1人はアジア大陸で…。」ウィスキーをあおるマルコ「いい奴は、みんな死んじまう…。」瞳を見つめるジーナ「マルコ、ありがとう。いつも、そばにいてくれて…。」なかなか絵になる素敵なシーンでしょ…。最後のジーナの台詞なんぞは甘いムードたっぷりに感じられ言ってみたい台詞の1つのように想いながら感心しきりで鑑賞させて頂いていた。最後の決闘シーンにはマルコとアメリカ男性のカーチスが殴り合う場面展開があり殴り合った顔をはらして登場するのだがここにもかっこいいレディーマダムジーナが空から舞い降り仲裁に入るシーンが出て来るのである。皆に向かい告げる台詞も脳細胞に刻まれているようなのだ。ジーナ「マルコ…。あなた、もう1人の女の子(ここではフィオと言う少女のこと)を不幸にするつもり?さぁ…お祭りは終わり!イタリア空軍が、ここに向かっているわ。はやくみんな、引き上げて…。その代わり私のお店に来てちょうだい。うんとサービスするわ。」オンナの素敵な気風(きっぷ)をひとしきり感じながら聴いた台詞であった。マルコ「ジーナ…。こいつ(フィオと言う少女)を堅気(かたぎ)の世界へ戻してくれ…。」ジーナ「…ずるいヒト…。いつも、そうするのね…。」マルコ「…すまん…。行ってくれ…。出してくれ…。」物語のラストの辺りで画面から流れる上記の台詞を快く耳にさせて頂きながらマルコとジーナの2人にしか到底理解出来ない深い信頼と確かな友情とを心の奥底に嬉しく感じ取りながら最後の最後まで飽きることのない素晴らしいアニメ画像を楽しんでいたように振り返る。これからも素晴らしい作品達と出会いたい。そう強く願った日であった。昨夜は週刊こどもニュースと言うテレビ番組の中で「考える力」について3者の方に意見を求めていたのが何故か感慨深く感じられた。お1人目は「バッテリー」と言う児童小説を書いた作家の浅野氏で氏の考える力とは「想い描く力や妄想力である」とされていた。「例えば桜の木の下でぼ~っとすることが大切でどんな風が吹いているかどんな色で咲いているかどんな匂いがするかと言った風な様々な五感を発達させることが考えるチカラにつながってゆくと想う。」そんな風な発言をされていらっしゃった。お2人目はプロバスケットボールの選手のご意見で彼が想う考える力とは「判断する力のことでありそれには外へ出て様々なヒトと接する折りに養われると想う。」と言葉を結んでいらっしゃった。最後に世界的に有名なケーキ職人パティシエの辻口氏曰く「僕の考える力とは、想像力ですね。」と断言なさり「こんな美味しいケーキは初めてです。」と喜ぶ小学生に対し「その言葉が、明日のチカラになる。」と嬉しそうに話されていらっしゃた姿が心に刻まれて行ったように想う。考えるチカラの根源には想い描くチカラ判断するチカラ想像するチカラなどの存在があることを改めて嬉しく感じた素敵な日であった。(ありがとうございます。イタリアの美しいアドリア海が舞台になったアニメ「紅の豚」を久しぶりに鑑賞致しましたら、アドリア海の美しい島に飛びたくなりました。ラ・イスラ・ボニータ(美しき島)へ…。(Te diso te amo El dijo que te ama…。)昨夜放送された、土曜ドラマ「フルスイング」は、「信じる力」の大切さを訴えた熱血ドラマだと想いました。これからも様々に感動感銘を受ける名作に接し心豊かにありたいものだと感じました。今日は1敗同士で並んだ横綱決戦が楽しみですね。角界も、お家芸である日本の男性陣から、是非相撲横綱を出して頂きたい。そう想います。頑張れ、日本男子!今回も感謝の心で有難く書かせて頂きました。いつもありがとうございます。) (昨日の歩数記録。2658歩。)
2008.01.27
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様々なことを順序関係なしに綴らせて頂き久しく感じられる。心に浮かびゆく他愛ないことをそこはかとなく書き綴っているので大変読みづらい文章になり申し訳なくすまなく感じている。ごめんなさいね。「成(な)るほどに頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」そう言う言葉があるように想う。皇太子妃、雅子妃殿下の座右の銘であると伺った。成るは植物が実を結ぶと言う意味合いで使われる言葉であると言う。人間もこの稲穂の如くにありたいものだそう稲穂(自然)が人間に向かって語り掛けてくれているような温かな意味合いを持った言葉のように想う。自身もこの名句に肖(あやか)りたいものだと考えるのだが言うは易(やす)し行なうは難(かた)しでなかなか実践は難しい。何事もそうであろうと想うのだが心の中にこのような名句や言葉(想い)を想い描いていなければ夢の実現は程遠いようにどんな難解な道であったとしても志を諦めず心の中にその想いを描き温め心掛けよう心掛けようとする覚悟がなければ実践には到達出来ないと想うようなのである。よって最初から何事も諦めてしまうことのないよう実践実現に程遠いものであろうが心の中で念じ心掛けようとする信念を胸の中に抱(いだ)くことがまず持って大切な観点であるように想う折りがある。今し方「心掛け」と言う言葉を指先が書き綴ったら昨日ジャズダンスの教室に出向く前「生活ほっとモーニング」と言うテレビ番組の中で出演していらっしゃった歌舞伎界の重鎮(じゅうちん・その方面で重きをなす中心的な人物)松本幸四郎の台詞が脳裏に思い浮かんで来た。突然1つの単語(今回の場合は「心掛け」の1語)から面白い発想でワープする脳細胞なのだと嬉しく感じている。どうかお赦し願いたい。松本幸四郎は3歳の時に初舞台を踏み数々の歌舞伎の舞台を務めて来たのであるが歌舞伎だけに留まらずアメリカブロードウェイの演劇に呼ばれたりイギリスでは長期滞在してシェークスピアの4大悲劇を全て英語で演じたこともあったようである。2時間以上に及ぶ英語劇の全ての台詞を英語で演じなくてはならなかった。何回も何回も英語の発音を真似(まね)ることで英語の台詞を丸暗記して行ったと熱く語っていらっしゃった。その折りに彼が語ったこの台詞が何故か心に刻まれた。「何でもそうだと想いますがまず真似(まね)ることからだと想います。学びと言うものは、まず真似から。そう想います。」そう言うような台詞であったように記憶している。江戸時代寺子屋などで行なわれた論語などを師匠から弟子へ口伝えに伝達し丸暗記させ覚えさせた教育の利点がこんな台詞から見えるような気がして感慨深く伺っていた。「成る程に頭を垂れる稲穂かな」こう言う言葉を座右の銘にしているような素晴らしい人物や素晴らしい言動に接した場合には自ら進んでその所作に学ばせて頂きその言動を真似することから様々に学習を深めてゆきたく感じられた素敵な日であった。これからも尊敬する周囲の方がたに対し謙虚な想いで学ばせて頂き自分自身を高めて行こうと素直に感じられた嬉しい日でもあったように想う。終わりにあたり昨夜ミュージックステーションと言う音楽番組で流れていたナンバー(湯川れい子作詞の懐かしいナンバー)を徳永英明バージョンにのせ(丸暗記している英語も含め)心を込めてお贈りさせて頂きたく想う。甘いムードで歌いたくなるような名曲であると感じている。「♪もしも 願いが かなうなら~吐息を 白い バラに 変えて~逢えない 日には部屋中に 飾りましょうあな~たを 想いながら~ダーリン アイ ウォンチュー逢いたくて~ときめく 恋に 駆け出しそうなの迷子のように 立ちすくむ私を すぐに とどけたくて~ダイヤル 回して 手を とめた~アイ ジャスト ァ ウーマンハアァ フォーリン ラーブイフ マイ ウィ~シャス キャンビー トゥルーウィル ユー チェンジ マイ サ~イトゥトゥー ローゼーズ ウィザー ローゼーズデコレィティン ゼェム フォー ユーシンキン バーチュー エーブリーナイトゥエン ファインダゥト フェアー アイ アームアイム ナットリービング ユーアー ハートゥダーリン アイ ニージューどうしても~口に 出せない 願いが あるのよ土曜の よ~ると 日曜の~あなたが い~つも 欲しいから~ダイヤル 回して 手を とめた~アイ ジャスト ァ ウーマンハアァ フォーリン ラーブダーリン ユー ラーブミー今 すぐに~あなたの 声が 聴きたくな~のよ両手で ほ~ほをおさえても~途方に く~れる夜が 嫌い~ダイヤル 回して手を とめた~アイ ジャスト ァ ウーマンハアァ フォーリンド~ンチュー リメ~ンバーフェ~ン ユーアー ハートゥウィ~ザゥラ~ シ~ンキンウィ~ヤ~ コーイン ファ~イヤーア~ィヴガラ ラーブ ソ~ンバ~トゥ フェ~イットゥ ゴ~ズスリー ラーヴィン パ~ツァ~プ~リ~ン ァパ~オブ ワ~ンキャン ストッピュ~キャン ホ~ジュ~キャン ウェイト ノ~ モ~~~アイ ジャスト ァ ウ~マンハアァ~ フォ~リン ラ~ブアイム ジャスト ァ ウ~マン~ハァァ~フォ~~リ~~ン~ラ~~~ブ~~~♪」素敵な歌詞であると歌わせて頂いて毎回感動を覚えてしまう。作詞だけでなくメロディーもとても美しく感じられる素敵なナンバーであると感心しきりで今回もまた嬉しく歌わせて頂いた。いつも心に微笑みをいつも笑顔を絶やさずに。そうありたいものである。(ありがとうございます。感謝の気持ちで有難く書かせて頂いております。ヒトはよく思い込みと言うものを起こす生き物なのだと耳にすることがございます。それらの思い込みによって、様々な学習の場を失っているようにも感じる折りもあるように感じます。せんだって図書館から借りて参りましたCDの中に「マドンナ・バラード・コレクション」と言うナンバーがありました。激しいロックミュージックの色合いの濃いマドンナのイメージでしたのですが、今回改めて聴いてみると、どのナンバーも、ゆったりとした静かな曲想で、マドンナの違ったイメージを、改めて垣間見る機会になりました。先入観を棄てることの大切さを感じながら、鑑賞出来たように嬉しく想います。様々に人様から学ばせて頂き、感謝の想いの中で日々を朗らかに明るく過ごしてゆきたいと心から願っております。つたない文章をお読み下さいまして深く感謝しております。いつもありがとうございます。) (昨日の歩数記録。5689歩。)
2008.01.26
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本日1月23日は素敵な音の響きを感じる日であるように想う。1・2・3と数字が気持ち良く並んでいるせいだろう。想わずラッキーと明るい雄叫びを上げたくなるようである。女学生のように可愛く明るい脳細胞なのだろうか。せんだってお昼のテレビ画面の中で拝見していた伊藤蘭ちゃんの映像を脳裏に想い出した模様である。その蘭ちゃんの所属していたキャンディーズのナンバーの中にあった「♪アン・ドゥー・トロァー踊りましょうよ♪」と言う懐かしい歌詞の部分をこの数字の羅列(1・2・3)の中に嬉しく見出すのだった。昨日は早朝不肖の息子小6に対し下記の2つの文面を読み聞かせた朝であった。1つ目の記事は東京弁護士会所属の弁護士、北村晴男氏のこんな文章だった。「…勉強が得意な人は勉強を、スポーツが得意な人はスポーツを頑張ればいいと思いますが、一生懸命やれば、勉強と部活を両立できるんじゃないでしょうか。どんな世界でもただ勉強ができるというだけでは何の役にも立ちません。人の気持ちを理解し、そこに働きかけ人を動かしてこそ事を成し遂げることが出来ます。」小6は眠気眼(ねむけまなこ)で母の発する音読の声に静かに耳に傾けていた。続けて北村氏の文章を一気に読み続けたのだがその1部を少しばかり記載させて頂きたく想う。「自分の子供を育てる時親は全くの素人ですから、手探りで育てるしかありません。私も3人の子供を育てながら、つくづくそれを感じています。同じ親から生まれた兄弟であっても、性格も好みもやりたいことも1人ひとり違います。ですから、その子が、何をやりたいかを子供の目線で探すのが親の役目だと思います。子供は本当にやりたいことがあれば、自分で問題を解決していきます。好きなことなら、将来、職業にして自分の力で生きていくこともできます。子供は、親と価値観を共有します。大人になってからも仕事に必要な知識を身につけなければなりませんし、主婦が何かの知的欲求を満たす為に一生懸命勉強することもあります。そうした親の姿を見て、子供も興味を持って勉強するようになるのだと思います。」理科系科目には強さを垣間見せる小6なのだが人間力の基礎科目のような国語科に対しては苦手意識も感じさせる彼である。そんな息子に対しこんな国語科のアドバイスを与えてみた朝であった。読んで聞かせたに過ぎない文章だった。「次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。自分が当たり前だと思っていることが、実は当たり前ではない、ということがある。たとえば、日本では、人に何かをしてもらったときに「ありがとう」とお礼を言うのが当たり前だが、アフリカのソマリアの奥地では、人に何かをしてあげるときに言う言葉が「ありがとう」なのだそうだ。また、より身近な例で考えてみると、歯みがき1つとっても、朝起きてすぐみがく人もいれば、朝食を終えてからみがく人もいるだろう。私たちは、自分が当たり前だと思ってとっている行動と違う行動をとる人を目にすれば面くらってしまう。そして、場合によっては、ばかにしたような気持ちになることさえある。しかし、あなたにとっての「当たり前」が、ほかの人には奇妙に見える、そんなことは、実は、よくあることなのだ。だから、自分と違う行動をとる人を見ても、非難したり、笑ったりすべきではない。あなたにとっての「常識」は、ほかの人にとっての「非常識」なのかもしれないのだから。」そう言う文章であった。この文章を読んで、問題を解かねばならなかったのだがその問題はこのようなものだった。「上記の文章を読んで、次の問題に答えなさい。この文章から読み取れる筆者の主張を、本文中の言葉を用いて、80字以内で書け。」こう言う手の問題が大の苦手の小6なのである。国語大好き人間の彼女の方は80字になるべく近い解答を探しこう読んで彼に聞かせたのだった。「解答の1例です。自分が当たり前だと思っていることが、だれにとっても当たり前というわけではないので、自分と違う行動をとる人を見ても、非難したり笑ったりすべきではない。」(80字以内)上記の文面内容を読み直し本当におっしゃる通りであると親子して納得し合った朝であった。さて、その小6であるのだが国語苦手意識が高じ授業中の挙手も躊躇(ちゅうちょ)しているようでなかなか自分の意見を人前で話さない様子だったのだが昨夜に限ってふと、ぽつり「今日、国語の授業で発表したよ。」と母に呟(つぶや)くので「それは良かったね。ママは嬉しいよ。」とまず気持ちを伝えた上でその発言内容が一体どう言ったものであったのか彼に確かめてみることにした。現在、小6のクラスでは太宰治の「走れメロス」の授業が行なわれているらしい。皆様、ご存知の如く親友セリヌンティウスの命を助けようとするメロスの友情を描いた作品である。その1部を抜粋してみようと想う。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを!時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」 濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。小6の発言内容は上記の文章の中にある1文「今はメロスも覚悟した。」の中の「も」と言う単語のニュアンスに基づく意見だった模様である。小6「お母さん。この「も」と言う言葉に関してセリヌンティウスもそしてメロスもの「も」と言うようにとらえた意見が出たものだから僕はメロスは元から「持ち前の呑気さ」を兼ね備えた性格だったことをあげて「そう言うメロスであったとしても」意味合いでの「も」ではないかと想うと意見してみたんだ。」そう話してくれたのだった。どちらかと言うと普段から物静かな子なので今回、進んで挙手出来発言することが出来たことに対し嬉しい気持ちが込み上げて来た。そうした機会を与えて下さった担任の先生やお友達に対し有難い感謝の気持ちが湧いて来た日でもあった。また昨日は先週の土曜日に2時間を越えるお電話を頂戴した女友達のご自宅を訪問した日でもあった。友人のキッチンに入らせてもらい予め用意して来たお野菜と卵大豆製品などを使って食物繊維たっぷりの一品をおしゃべりしながら作り愉しく一緒に頂いた日であった。持参して来たじっくり味の染み込んだ煮込みおでんも添えることが出来た。友人との語らいの折り話の中にあがった聖書の言葉があった。ヤコブ1章第19節からである。「すべての人は聞くことに速く語ることに遅く憤(いきどお)ることに遅くあるべきです。」(上記の言葉を聴いた折り授業中の発表回数の少なさに気を配るより授業中交わされる先生や友人の意見を聞き逃してしまうことまた、それを聴いても心の中に自分の意見を持ち合わせないことに対し危惧の念を抱くべきであると改めて感じたのだった。)エフェソス5章第31節からはこの言葉が話の中に登場していた。「そのゆえに人はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き2人は一体となる。」(上記の言葉は前回も前々回の会話にも登場した言葉であったのだが子世代に対し強要強制などをせず彼らの自発性を尊重し子世代の子育てを信頼し見守る親でありたいと友人と語らったのであった。)他にも大きく分け下記の3つの要点が話の中にあがっていた。1つ目はアガペーのような無私の愛の大切さ。自分の心が自発的に自ら何かを感じ取る心の在り様の大切さ。自分自身で心に決めたことが相手の為や相手の力になってゆくように努力する大切さ。2つ目は上記のような自発性を次世代にどう促(うなが)してゆくのかと言ったこと。男の子兄弟を育てる親同士彼ら(息子達)が父親になれる資質を養わせ女性から敬意を持たれるような人間育成に対し尽力したいと言うこと。3つ目は人間形成の基盤は深い考察と熟慮であり人間としての温厚さ穏和さと言ったものを終生互いに目指して行きたいものだと言ったこと。上記の3点について友人との間に共感共通観念を見出すことが出来とても嬉しく喜ばしく感じられた日であった。次回の再会を約束し3時間半に及ぶ途切れることのない流れるような会話を共に愉しめ感謝の言葉を口にし合ってお別れした嬉しい日であった。(ありがとうございます。「知るは、喜びなり」と申します。「走れメロス」と言う短い物語の中にも、邪知暴虐・疲労困憊・猛勢一挙・獅子奮迅・猛然一撃などの四文字熟議や、反駁・巡邏・照覧・韋駄天・潺々・滾々・歔欷の声・不貞腐れる・地団駄を踏む・憐憫を垂れるなど、小6にとりまして難解な語句と想われる掲載があり、彼らの知りたい欲求を刺激してくれる文章のように感じられました。昨夜、夕飯時に掛かっておりました教育テレビジョンの「言葉オジサン・見とく聞いとく・なっとく」と言う番組内では、ホテルのスイートルームの意味合いはSweet room(甘い部屋)ではなくSuite room(1揃いの・1組の)であるとか、フリーマーケットは、Free market(自由な市場)ではなくFlea market(ノミの市)であると言った趣き深い説明も登場しまして、家族で愉しみながら拝見しておりました。知る楽しみと言ったものを小学生達も実感しているように想いました。本日もこれからいっ時ジャズダンスで激しく汗して踊って参ります。寒い日が続きますので、皆様、どうぞおカラダにお気をつけて。今回も感謝の想いの中で有難く書かせて頂きました。ありがとうございます。) (昨日の歩数記録。3987歩。)
2008.01.23
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音楽を聴くことも本を読むことも心の栄養になるように実感させて頂き久しくなるように感じている。返却期限が近付いた書物を返しに出向いた静かな空間ライブラリー(図書館)で偶然に明治大教授、斎藤孝氏の面白い著書を手に取ることが出来た。その書物の中で心の中に刻まれた部分を少し綴らせて頂きたく想う。最初は漫画家の倉田氏との対談内容であった。「斎藤氏 僕の高校時代は、共学だったんですけれど、1学年380人のうち、女の子は80人で、その80人を8クラスのうちの4クラスに割り振っているから、残りの4クラスは男子クラスなんですよ。我々男子生徒には、これは非常に深刻な問題で、毎年クラス替えがあるから、3学生すべて男子クラスの確率は、8分の4掛ける8分の4掛ける8分の4つまり8分の1。倉田氏斎藤さんはその確率だったわけ?斎藤氏そう!毎年男子クラス。だから3年の時には、もうやけくそで、そのやけくそぶりが文化祭なんかになると、裸になって棒の先に巻きつけた布に火をつけて回すだとか、そう言う原始的なメンタリティーになるんだよね。」この上記の部分を拝読させて頂きながら想わずその愉快なまぶしい光景を脳裏に思い出したようで明るい笑いが自然に込み上げて来たりしたのだった。斎藤センセ。いや、孝さん。その折りの孝さんの雄姿その文化祭の中で拝見させて頂いていたのかもしれないと想いながら読ませて頂きました。が…あの文化祭はパーンと鳴ったピストルの合図で時間きっかりに始まりパーンと鳴る合図で時間内に終わる演技でなくてはならなかったので自分のクラスの優勝を祈りながらクラスの演技成功のみを脳裏に強く願っていたせいか素敵な高校生紳士諸君の裸踊り鑑賞まで脳細胞の気転が回らなかったように(残念に)記憶しております。男子クラスであったことを大層お嘆きのように伺いましたが同校後輩である自身の弟の弁によりますと「男子クラスの方が面白かったと想う。女子との混合クラスの方が男子生徒が気構えてしまい授業中の発言内容が面白さに欠けるように感じられたし先生自身の意識も女の子がいるより男子だけのクラスの方がのびのびした楽しい発言が多くて全般的に楽しかったように感じられたけれど…。」そんな風に(嘗て)申しておりました。後輩の意見と幾分食い違いが感じられるように想いながら読ませて頂きました。その点同校で女子クラスだった自身の立場と言うものは今風に申し上げれば「でも、そんなの関係ねぇ~。」と言った風で申し訳なく(ほんのり情けなく?)感じております。大変失礼致しました。漫画家の倉田氏も「斎藤さん。それで良かったんですよ。変にそこで解消されてたら、今の斎藤さんのエネルギーはなかったと想う。」そう言う感想を寄せていらっしゃった。この書物の中では作家の荻野アンナ氏とも愉快な対談が行なわれていた。「荻野氏若い女の子は、男性のニーズがわかっていないですよね。男の子に聞くと、茶髪より黒髪がいいと言う人が圧倒的に多いのに。斎藤氏女性が、冬ソナでヨン様を追い掛けるように、男性も女性に幻想を抱いています。ですから、せめて言葉遣いだけでも女性らしくしてくれるとありがたい。(笑い)差別はいけないと想いますが、男女の間に水位の差はあった方がいい。差があればそれだけ動きもおきやすいわけだから、そこからドラマや恋愛も生まれて来るんです。荻野氏丁寧な女言葉、それから心の四畳半、そして目を見る、微笑み、頷き、相槌の4点セット、これさえ備えれば、自分を魅力的に優雅に見せる話し方ができますね。この話を、もっと早く20代30代に聞いておきたかった。そうすれば私も、幸せの王道を歩けたのかもしれなかったのに。(笑い)斎藤氏今からでも遅くないんじゃないですか。(笑い)荻野氏いえいえ、私はケモノ道。(笑い)後輩達には、王道を歩いてもらうようアドバイスしたいと想います。」そう言った楽しい対談模様が掲載されていたのだった。斎藤氏は歌人の俵万智とも万智ちゃんの情熱的な短歌の内容について率直な感想を交し合っていた。斎藤氏が取り上げた万智ちゃんのお歌は下記の7首であった。「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいのブーゲンビリアのブラウスを着て会いにゆく花束のように抱かれてみたく別れ話を抱えて君に会いにゆくこんな日も吾は「晴れ女」なり「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日「スペインに行こうよ」風の坂道を駆けながら言う行こうと思う「風より火だね」と我を呼びし人葉桜のした火を抱かず行くうちの子は甘えん坊でぐうたらで先生なんとかしてくださいよ最後の1首などはぶっちゃけていて大層面白い作風であるように想う。思いをのせたいなら俳句より短歌万智ちゃんのそう言う台詞が印象的だった。斎藤孝氏は「歌集桜森の著者河野裕子は、私がとても好きな現代歌人。」と推薦しあらはなる耳なまなまと閨に触れさくらの下も人を待ちをりと言う1首をその書物の中で取り上げていらっしゃった。短歌や俳句など日本伝統の文芸の中に様々な「考えるヒント」が隠され詰まっているように嬉しく感じられた日であった。昨日の日曜日は面白く感じられたことがあった。休日出勤で出掛けていたお方が昼食に一旦戻った折りのことだった。「何でも鑑定団」と言うテレビ番組が昼食のテーブル近くに掛かっていた。テレビ画面の中で出演者のご婦人が「このお宝は将来長男のお嫁さんに手渡したいから長男にはしっかりしてもらいたい。」と言うような発言をなさっていらっしゃった。その折り何とはなしに彼女「ご長男は大変だね。」と我が家の不肖の小6に対し呟(つぶや)てみたら小6は「我が家には大したお宝はないからね~。」と無表情でぽつり返して来た。その台詞が大層面白可笑しく感じられた為想わずふき出しそうになった両親が瞬間同時に同じ台詞を口にしたのだった。パパとママ「お前が、お宝なんだよ。」彼(パパ)は小6の頭を撫でながらそう話し掛けた。ややパパ(彼)の方がその台詞を発するのに先んじた感が感じられたがそれにしてもほとんど同時に夫婦して同じ言葉を発したことが面白く趣き深く感じられた愉しい日であったように想う。(ありがとうございます。昨夜は大河ドラマ「篤姫」の中で大久保利通が発した言葉が印象に残りました。「お2人のご恩は終生忘れません。お二方(ふたかた)と西郷どんの身に何かがあった折りには一命を落としてお守り致す覚悟です。」と言うような台詞だったと想います。ヒトとヒトの間に交わされる人情(情け)の美しさに感動することが出来、とても嬉しく感じました。これから週初めのエアロビクスでいっ時激しく汗して踊って参ります。今回も感謝の気持ちで有難く書かせて頂いております。いつもありがとうございます。) (昨日の歩数記録。7023歩。)
2008.01.21
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今更ながら想うのであるがなぜこんな寒い時期にセンター試験は催されるのだろう。受験生のご苦労に想いを馳せた昨日であった。今までにない寒さを感じ取った昨日の早朝だったのだが日中になるとお日様が顔を出したせいでどうにか気温が上昇してくれたようだった。テレビに映し出された(白山周辺に立つと言う)樹齢1300年を越える栃(とち)の大木に感動を覚えながら拝見していた朝であった。アナウンサーの語る「重い積雪に耐えて春を待ちます。」と言う台詞が心の中に刻まれて行った。チャンネルを切り替えて観た旅番組では九州の別府周辺の風景が映っていた。晴れると言う字に海で晴海と書く海岸沿いに立つ温泉宿の眺望に感銘を受けた脳細胞は突然テレビ画面の中にワープし始めた。ほとんど行ったつもりになりながら海に面した露天風呂に浸かっていた。浸かったつもりで海の見える素敵な露天風呂に入っているように想像すると不思議と女優(気分)になれるから面白いと想う。こんなシチエーションの映画をどこかで観たように想い起こしながら目の前に広がる海原に極楽、極楽と呟(つぶや)きつつゆったりと湯加減を愉しんでいたのだった。(ごめんなさい。正確に申しますと湯加減を愉しんでいる雰囲気を味わっていたのだった。)さて現在、図書館では1人5冊CDは2枚まで借りられるようになっている。そろそろ返却期限が近付いて来た宇多田ヒカルのナンバーをダイニングに流しながら(振り付けを愉しみながら)家事にいそしんでいた昨日であった。ダンスし易い素敵なナンバーが多かったように想う。が曲想によって踊り易いものとそうでないものがあるように想え何やら面白く感じられた。例えば、例を申し上げるとこのナンバーは踊り易く感じられるように想う。「♪…Its automatic側に いるだけで体中が 熱く なって来るハラハラ 隠せないI don’t know why息さえ 出来ないI just cant helpIts automaticアクセスして みると映る computer screen の中チカチカしてる 文字I don’t know why手を あてて みるとI feel so warmIts automatic…♪」ツンツンツツンツツンツツンツンと奏でられる明るい速いリズム感によるところが大きいように想われる。肩甲骨(けんこうこつ)と言う肩にあって腕と胴とを結び付ける骨の周辺の筋肉を柔らかく保ち上下左右に開閉させる動作斜めに捻(ひね)りを加える動きを加えリズムに乗せて振り付けをつけてゆく。胸は(自信に満ちた感じで)張り出し少し後ろへ姿勢をそり組みにしながら踊り出してゆく。姿勢だけは胸を張り綺麗に美しく保ちながら踊りたいと想うようである。手先の動きはあくまでもしなやかに気を付けながら指の先の先まで全神経を集中させたおやかに踊りたいものだと想う。足さばきは前へ前へとステップを重ねて出てゆくのだが股関節(こかんせつ・太腿の中心をなす大腿骨(だいたいこつ)と骨盤をとを連結する関節)周辺を特に脳細胞に意識しその部分を柔軟に動かしながら膝も柔らかく踊りたいと考えている。つま先だちが多くなるステップを意識して多く取り入れツイスト(腰捻りの動作)のステップも当用し軽やかに滑るように踊っていたいと想う。肝心要と言う意味で「腰」と言う字が出来上がったように伺っているがその肝心要の腰(骨盤周辺)を常に真ん中にして脳裏に意識し踊ること。メロディーに乗り情感を豊かに表現するように心掛けること。個性を表に出したダンスが大切であるように感じられる。たとえ踊りにくいメロディーであっても工夫次第でどうにでもなるように想っている。例えば「♪First Love」と言うナンバーがある。「♪…You will always be inside my heartいつも あなただけの 場所が あるからI hope that I have place in your heart tooNow and forever you are still the one今は まだ かなしい love song新しい 歌 歌えるまで…♪」このメロディーのようにゆったりゆっくり踊ろうとするのであればジャズダンスと言う観点ではなく脳裏に教えて頂いたバレエエクササイズの在り様を想い描きプリエやアラベスクと言った動作を全面鏡張り(全面ミラー)の画面を想定し静かなメロディーに合わせながら繰り返し行なうことも可能であるように想う。心拍を上げる点ではエアロビクスと言う上下左右中心の運動手段は大層有効であると想うがエアロビの動作自体はロボット感としていて人間本来が持っている複雑な情感を描き出す所作に乏しいように感じられる。バレエエクササイズの動きも真っ直ぐ感としたものを感じ(手先の表現のエレガントさ姿勢の美しさを保て嬉しく感じられるものの)何かが物足りないように感じられていた。多分ジャズダンスには斜めから繰り出されるかっこいい動作が存在するのだがエアロビやバレエエクササイズには上下左右真っ直ぐな動きが多く取り入れられ斜めから繰り出されるかっこいい動作や捻(ひね)りを加えた動きが少ないように感じられるからだろうと想う。肩先やや斜めから生み出されるかっこいい仕草や振り付けが多く存在するジャズダンスのとりこになっているように感じられる。斜めから繰り出されるジャズダンスの振り付けを成功に導くには姿勢に気を付け少しそり気味なくらい堂々と胸を張り出しながら踊りに踏み出すこと。ダンスの振り付けの中に存在するかっこよさを脳裏に意識して踊ること。指先の動きを特に綺麗に見せること。メロディーに乗り情感たっぷりに表現する技法を身に付けること。エロティックな動きが入ることに対し躊躇(ちゅうちょ)せず恥ずかしい気持ちを持ち合わせないことが秘訣であるように感じている。雨で歩くことが出来ない日など自宅においても様々な振り付けを編み出し愉しんでほんのり汗ばむ程度のダンスが出来るのであれば本当に有難いことであると想うのである。(ありがとうございます。昨日は不肖の息子どもを助手席に1人ずつ乗せて運び、同じ道路を4回も行ったり来たり(往復)した忙しい日でございました。愛車の中では、明るいカラオケが行なわれておりました。お腹の底から声を出しますと、気持ち良く感じられ嬉しく想います。運転も緊張感を持ってハンドルを握ることが出来るように想いました。昨夜は親しくさせて頂いている女性のお友達から嬉しい電話を頂戴致しました。有難いことであると感謝しております。2時間を越える長電話になりまして、小6が感心しきりでこう申しました。「それだけ長くいろいろなことを話せる友達がいること自体凄いことだと想う。」感謝の言葉を伝え合い受話器を置きましたのですが、「あなたの声が聴きたくて…。」と、言う言葉で掛け合える(素直に自分の気持ちを言い合える)(人間)関係の存在があることに対し、心から有難く嬉しく感謝しながらおりました。自分の想いをじっくり聴いてもらえる相手、想いと言うものをしっかり受けとめ合える友人の存在があることは、本当に有難いことであり、幸せなことであるように想います。「あなたの声が聴けないのが淋しい。」「少しだけでも声を聴きたく想う。」そう言った温かな優しい関係は、本当に嬉しいものであると、つくづく想います。大切な「魂」の存在があることは、人生にとってとても大事なことであると感じました。人となりや個性と言うものを互いに尊重し合い相手を敬いつつ友情を重ねて参りたく想います。今回もまた深い感謝の気持ちの中で有難く書かせて頂きました。心から御礼申し上げます。いつも本当にありがとうございます。) (昨日の歩数記録。10032歩。)
2008.01.20
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「書く」と言うことが大好きである。一旦自分のお古のパソコンの前に陣取ると一気にドドッと堰を切ったようにああでもないこうでもないとまあ「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と言った感でいい加減な文章が明るい脳細胞の中に「順不同」で浮かんで来る。読者の方がたには大層読みづらい想いをさせ大変申し訳なくすまなく感じている。ごめんなさいね。(今し方ふと想ったのだが小学生達にもわかりやすく古語を現代語訳しておく必要性を感じたので訳しておきたく想った。小学生諸君。先ほどの古語は鎌倉末期に吉田兼好と言う人物が書き記した日本3大随筆の1つである「徒然草」の冒頭部分でその意味合いは「何をすると言うこともない所在無さにまかせて1日中硯(すずり)を前にして次々と浮かんでは消えてゆくたわいないことを順序もなく書きつけてゆくと不思議なほどいろいろな想いが湧いてきて心が変に高ぶって来る。」と言った風に現代語訳出来るように想う。)上記の内容は理解出来る感情であるように感じられた。が1日中硯の前(文机の前)に座り通しでいてはカラダに良くないように想われた。パソコン操作に関しても自覚して時間を区切りその画面の前から離れるように離れるようにしなければ大層カラダに悪く感じられて来る。健康にも悪影響を及ぼしかねない危惧の念を感じ取るからだろう。そんな折りカラダを動かすスポーツが持って来いだと想われるのだがいかがだろうか。血流を促し体内に留まった体液をカラダの隅々にまで行き渡らせ送り届けるのには何を置いても様々な「運動」が1番のように感じられるのである。お金を掛けないで気楽に簡単に始められる「ウォーキング」などはお勧めの運動であるように想う。「運動」時には必ず適度の「水分補給」もお忘れなきよう。ではグッドラックってオイオイもう終わり~?ですよね~。(申し訳ありません。失礼致しました。)昨日は大層寒い日だったのだが大好きなジャズダンスで仲間の皆さんとご一緒に大汗をかきながら夢中で踊ることが出来た日であった。昨日は懐かしいナンバーも耳にすることが出来た日であった。ストレッチ後のクールダウンで皆様と共にマットに横たわった折りインストラクターの先生が会場いっぱいに「♪決戦は金曜日」と「♪晴れたらいいね」「♪サンキュー」(だったかな?)と言うナンバーを流して下さった。フロアのモップ掃除の折りには「♪翼をください」と「♪どんな時も」が掛かっていた。明るい朗らかな気持ちにさせて頂けたように想う。Tさんと2人お教室終了後インストラクターにお願いし居残りジャズダンスレッスンを所望させて頂き「♪ガッツだぜ」と言うナンバーで再び大汗をかき踊ることが出来た日でもあった。シャワールームで汗を流しお化粧直しの後買い物をし帰宅するとテレビのスイッチが入った瞬間大月みやこが越路吹雪のナンバーであった「♪愛の讃歌」を肩出しロングドレスで情感たっぷりに歌い上げていた。熟成したオトナの女性の雰囲気とスタイル抜群の容姿に感動を覚え拝見させて頂いた日であった。朝の連続ドラマの再放送の途中でお弁当持ちで登校した小学生兄弟達が「ただいま~。」と元気良く帰って来た。「お弁当。ありがとね~。」そう言いながら空のお弁当箱をキッチンのシンクに出してゆく。大したお弁当ではないのだがそれでも食と言うものはヒトとヒトとを繋(つな)ぐ大切なものだと嬉しく感じられる機会であるように想う。昨日はお昼の総合テレビにキャンディーズの蘭ちゃんが久々珍しく出演していた。「♪あのひとは 悪魔~私を とりこに する~優しい 悪魔~♪」「♪ハートのエースが出てこないハートのエースが出てこないやめられない このままじゃ~♪」「♪あいつは あいつは 可愛い年下の 男の子♪」「♪あなたが 好き本当に 好き私は あなたの全てに いつも 夢中なの~♪」懐かしいナンバーと懐かしい映像とを楽しく拝見することが出来た日であった。その伊藤蘭出演の土曜ドラマ「フルスイング」(19日スタート・夜9時より総合テレビ)はお勧めの熱血ドラマであると聞き及ぶ。楽しみに想って伺った日であった。昨日は不肖の小6の息子に進学予定の中学校より合格通知の郵便物が届いた日でもあった。その機会をとらえて彼女は息子に向かいそっと呟(つぶや)いた。彼女「おめでとう。この通知を手にしてママは2つのことを心の中に想い描いたのだけどね。これからも、こうした嬉しい想いはあるのかもしれないけれどそのことが、もしかしたらヒトと言うものを強くさせ自分自身に対し自信や誇りの気持ちを作り出してゆくように想ったの。君が4月から始まる新しい環境の中で受身ではなく、何か宝物を探し出してゆくような自分の勉強と言うものを心の中に強いて行って欲しいと願っている。君のクラスメートの中にも数名の子が自分の世界を持ちブログを書いているね。昨夜のクラスメートの日記の中に書かれてあった「インサイダー取り引きについての功罪」と言う文章をちらっと読ませてもらったけれど自分の意見を堂々と書き綴ることが出来ているなあ自主性が育っているなあと心強く頼もしく感心に想った。4月から新しく出会うお友達とも将来に渡ってずっと仲良くさせて頂きたいね。それには君自身がそのお友達に相応(ふさわ)しいだけの人間としての器量と言うものを身につけなければならないように想うの。ヒトと争うと言う観点で勉学するのではなくヒトと温かくつながると言う観点で様々に自分自身を磨いて行って欲しい。それでね。もう1つの方の想いと言うのはネ。今回合格に「不」のつく知らせを聞いた子の想いと言うもの心で残念に想っている子の想いと言うものを感じ取れる子であって欲しいと言うことなの。今、その子が一体どんな想いでいるのかを想像出来思いやりの心を持てる温かなヒトに育って行ってもらいたい。ママはこの嬉しい合格通知を手にし心からそう想うのよ。」「うん。」と頷きながら小6は話を聴いていた。やり抜く意欲と共に温かな思いやりの心を育んでゆきたいと感じた感慨深い日であった。(ありがとうございます。「フルスイング」で駆け抜ける毎日は素晴らしいものであると理解致します。1日1日を大切にして生きることの大切さを感じます。が、逆に、ただガムシャラに一生懸命なだけが素晴らしいことでもないように想いました。肩の力を抜き、ほっと一息つき、心とカラダを解き放ってリラックスさせ、ゆったりゆっくり周りの風景を愉しみながら、ゆとりを感じつつ歩むことも、人生にとって、とても大切なことであるように感じます。焦(あせ)らず諦(あきら)めず争わずの心境で、温かな優しさに、しっとりほっこり包み包まれてありたいものだと想いました。昨夜、ミュージックステーションと言う音楽番組でこんな歌が掛かりました。「♪こんな素敵な言葉がある 短い言葉だけど聴いておくれよ 愛してる♪」そう言う歌詞のように記憶しております。初めて耳にさせて頂いたナンバーでしたが、何故か心に残りました。ヒトと言う生き物は、こんな短い(5文字の)言葉を、素敵な言葉と理解しながら、なかなか口にしないように想います。改めてとても不思議なことだと感じました。幸せになれる魔法の言葉のように感じました。恥ずかしがらず瞳を見つめながらお子さん達に伝えて欲しいものだと想いました。「愛してる。」と…。今回も深い感謝の気持ちの中で有難く書かせて頂いております。つたない文章をお読み頂きいつも本当にありがとうございます。) (昨日の歩数記録。10878歩。)
2008.01.19
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昨日は様々に勉強になった日であった。どうしても長く綴った日記が立ち上がってくれなかった。何度も何度もトライを試みた。数十回いやもっと試したかもしれない。それでも楽天さんは彼女の文章にOKサインを出しては下さらなかった。小6が言った。「どこかにあるに違いない1箇所の語句(禁句)がどうしても見つからない。」トライし尽くした感があった。満足だった。夕方になって兄弟して出掛けてゆく小3の方が彼女に向かって微笑んでくれた。励ましの感を見て取った。彼らの後ろ姿を明るく見送った後パソコンの前から一旦離れ1人外へと歩き出した。やり切ったし尽くしたと言う達成感と満足感とが前後してあった。何だかすべての手を尽くしてそれでも出来なかったこと(立ち上がらなかったこと)がかえって逆に清々しい気持ちに彼女をさせて行ったように想えた。1人気持ち良く歩き出すと天上世界から彼女に向かって天の声が聴こえて来た。(正確に伝えると、聴こえて来たように感じられた。)不思議なテレパシーを感じ取ることが出来る楽しい脳細胞であるように想う。その天のお声はこう彼女におっしゃった。(おっしゃって下さったように感じられた。)「出来ないこともある。出来ない時もある。あなたがいらつく想いを一旦断ち切りさっとパソコン前を離れ気持ちを切り替えるようにして歩き出したことはとてもいい判断だった。ずっと同じような暗い想いの中に自身の身を置いてはならないように想う。日々是新たなりの精神に身を置きなさい。ほらあの夕陽を見てご覧。いっ時として同じ風景ではないだろう。どんどんと周りの景色は変化し移ろい彩りと言うものは変わってゆくだろう。自然の姿から学びなさい。ヒトと言うものはこの夕陽のように変わってゆくことの出来る生物であり新しい自分に出会うことが出来るように作られた生き物なのだよ。様々に存在するご縁と言うものを大事にし感謝の気持ちで繋がろうとすることが人間として大切なことなのだ。風を感じなさい。風を読みなさい。風の音に耳をすませなさい。絶えず五感を研ぎ澄ませ感じ取る心と言うものを大切にしてご覧。くよくよと考え込む暇などないのだから。自分自身をもっともっと大切になさい。ありがとうの心とお陰様の心を忘れずにネ。」本当に趣き深い脳細胞であるように想う。自身の中の不思議なテレパシーと仲良くなって久しくなる。不可思議なパワーが身に付いて来たのかもしれないと想う瞬間がある。(愉しい脳細胞をどうぞお赦し下さい。)苦労して書き綴った文章が上手く立ち上がらず残念に想った昨日だったのだが神様がきっとその文章はやめておけと逆に励まし示唆して下さったのだと考えることにしたのだった。昨日は残念に想うことばかりではなかった。散歩の最中落としてなくしてしまったとばかり想い込んでいたお気に入りのデジカメのカバーがひょんな所からひょっこり出て来た嬉しい日であった。昨日はまたエアロビクスで大汗をかいて踊り帰りにシャワールームで汗を流し自転車に乗って帰ろうとした折り施設のお掃除にアルバイトで来ていてあなたのダンスを観ているとおっしゃるご婦人から嬉しい声を掛けられた日でもあった。「あなたはとってもダンスがお上手ね。細くてスタイルもいいし何より踊りがとってもかっこいいと想う。大勢いるメンバーの中で一際上手だと想いながら昨日も今日も見させてもらっていたの。」この日初めて出会う見知らぬ女性からそんな言葉を掛けて頂いた嬉しい日でもあった。有難い言葉に感謝の気持ちでお話を伺ったのだったが人様から面と向かって褒められたことが最近ないのでそのことと心からの御礼を申し上げたのだった。本当にお世辞のお上手なご婦人だと想ったのだが見た目の年齢を10歳以上若く見積もってくれた上「ええ!私より年上なの?ウッソー!」とまでおっしゃって下さった。本当に有難いことであると心から感謝した日であった。「ジャズダンスが大好きなのだと想います。励みになります。ありがとう。」そう言ってお別れした日であった。褒められると人間と言う生き物は嬉しい想いが込み上げるものである。もっともっと人様のことも褒めさせて頂き息子達のことも褒めなければと想い素敵な人間関係を様々に構築してゆきたいと自然に感じられた素敵な日であった。昨日は感動して涙が零れそうになった瞬間が2度あった。1つ目の話である。昨日は早朝午前5時に家族全員起床することが出来た珍しい日だったのだがその折り小6と一緒に国語科のプリント問題に目を通し音読しているうちに声が中途から感動の為つまってしまい涙声になりながら音読を続けた日であった。ヒマラヤ山脈を飛んでゆく鶴の話だったのだが飛ぶ力が途中で尽きてなくなり群れから離れて下り立ち死を待つのみだった1羽の鶴を勇気を持ったもう1羽の鶴が群れから離れて付き添いただ黙って寄り添うと言うだけで仲間の命を救って行くと言った感動の物語だった。やけっぱちになり荒(すさ)んだ心を持って飛べないでいた一方の鶴を自分も一緒に死ぬ覚悟で下り立ち黙って仲間を支え続けて行く姿。最後の最後に2羽してヒマラヤを越えてゆくその雄姿に小説の1部分を小6と共に読み合いながら想わずホロホロと感涙した日であった。もう1つは昨日のフィトネス教室の最後に行なわれたクールダウンでマットに横たわった折りのことだった。インストラクターの先生が♪駅(イグザエル)と言うナンバーと♪蕾(コブクロ)と言うナンバーを歌詞なしの情感豊かなピアノ曲で会場いっぱいに流して下さった。その折りあまりにそのピアノのメロディーが美しくせつなく感じられて感動のあまりホロリ涙の粒を流したのだった。涙の粒と言うものはもしかしたらダイヤモンドよりも美しく綺麗なものかもしれない。ふとそんな想いが脳裏を横切った日でもあった。(ありがとうございます。カラダを動かしていると、カラダだけはなく、心まで綺麗になれるように感じました。とても不思議なことだと想います。一昨日は学校がお休みだったので、ジャズダンスから帰宅致しますと、小3がお昼のランチを作ってくれておりました。テレビの料理番組を観て作ったと言うその料理は「ブロッコリーと卵を茹でて細かく刻みマヨネーズと塩で味付けしたサラダ」でした。とても美味しかったので、小6にもそのことを伝えますと「僕も作ってあげるよ。」と言ってアツアツの「卵入りコンソメスープ」を作って持って来てくれました。栄養満点でカラダも温まる一品だと感じました。料理(調理)は気分転換にもなりますし、脳内の海馬も育ててくれるそうで、男の子にとっても、必要な能力であるように想いました。自ら進んで取り組んだ姿勢を今回は評価したいと想います。ヒトを褒めると言うことは、とても大事なことだと想いました。これから、週最後のジャズダンスでいっ時激しく踊って参ります。1日1回大汗をかくことは、とても気持ちのいいものだと感じております。今回も深い感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。いつも本当にありがとうございます。) (一昨日の歩数記録。18654歩。) (昨日の歩数記録。19654歩。)
2008.01.18
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昨日土曜日は冷たい雨の降る日になった。「お母さん。ちょっとこれ見て。」そう小6が声を掛けて来た。そこで小6のパソコンであるウインドウズビスタのPC画面を覗き込むとこんな新聞記事が目の中に飛び込んで来た。「横浜市都筑句の市立山田小学校で5年生を受け持つ女性臨時教諭(54)が児童38名の顔を平手打ちにしていたことがわかった。校内にある畑の観察に行こうとしたところ数人が校庭でボール遊びを始めなかなか集まらなかった為みんなにも責任があると顔を両手ではさむようにして叩いた。中には数回叩かれショックを受けている生徒もいる。」そんな記事であった。記事に目を通し終えると記事を読んだ感想をどちらともなく話し始めた。彼女「情報化社会が進むとこうした1地方の出来事が一瞬にしてネットの波に乗り各地へ広がって行くことが実感としてよくわかるね。ママは暴力反対の立場だけれど時代を遡(さかのぼ)りジイジ(実父・小6にとっては祖父)の子供の頃の学校教育の話にしてしまうと当時先生からビンタを(生徒が)受けたとしてもその両親の世代が「先生。叩いて下さってどうもありがとうございます。」と言う風な低姿勢で先生の立場を父兄が擁護し崇(あが)めていたように聴いているからこんな風な記事にはならなかったと想像するのね。時代によっていろいろな判断が下されると言う風に考えるとこの話も何だか趣き深く感じられて来るように思えるわ。」小6「そう言う時代もあったんだね。これを読むと中にショックを受けている子もいると言うように書いてあるのがちょっと気になるんだ。」彼女「そうね。全員一律の方が公平だとの判断があったのかもしれないけれどヒトと言う生き物はみな同じではなく違った個性と言うものを持ち合わせているからひとりひとりの個性と言うものを把握しそれを見極めた上で的確な判断を下さなくてはならなかったのでしょうね。」小6「そうだね。まあ、それにしても…。」彼女「うん。わかる。顔面を叩くと言う行為は軽率だったと言わざるを得ないでしょうからね。」こんな会話を交わし合っていたのだった。小6の息子の方から彼女に向け発信させたニュース内容だったのだがそのことが発端(ほったん)となり様々なことを脳細胞の中に想い描くことになった。息子との会話から様々にいろいろなことが浮かんで来たのである。と言うのも19日土曜日スタートの土曜ドラマ「フルスイング」と言うタイトルの番組の予告をほんのちょっと垣間見る機会があったのでその予告を観ながら感動と感銘の気持ちを新たにさせて頂いていたからだった。あの番組の予告を拝見していると感慨深く想うのである。オトナは子供に対し「教える」或いは「教え込む」と言うことばかりを強調せずこれからの未来社会に向かい「生き抜く力」や「生きてゆくパワー」と言った目には見えないがとても大切な心(心情)を積み重ね積み重ねし培ってゆくことが重要であるように想えて来る。「未来は明るいんだよ。」「自分自身が感じるままに夢を持とうね。」と子等に向かい語らってゆけるような間柄を育成することがとても大事なことのように思えて来るのである。どのような人間関係でも言えるように想うのだが「適度の間(ま)」「適切な距離感」と言うものを持つことが相互の関係について大切になって来るように思えて来る。その「距離感」自体も個性と言うものが相互に関係しているのでその相手その相手によってそれぞれにそれぞれの変化があるだろうと想像する。すべての相互関係にはそれぞれに相応(ふさわ)しい相互の距離感が存在してあるのだとしっかり把握して然るべきであると想うのである。夫婦であれ親子であれ友人であれ恋人であれ師弟関係であれすべての相互関係は「君子の交わりは水の如し」であろうしべったり感とした関係の中に進歩や進化を見出すことはなかなか難しいように推測する。年齢が小さくてもそれぞれの立場や役割を相互が理解し合いその立場や役割と言うものを相互が尊重し尊敬し合ってゆきたいものだと想う。子は親の従属物ではなくれっきとした独立した個性を持った(自分とは違った)人となりであるとはっきり分別すべきである。教師の方も生徒ひとりひとりの個性を尊び見極めその個性を伸ばそうと伸ばそうと努めるべきであろう。家庭教育の初期段階で子供達に教えることの主はあなたは愛されて生まれて来たと言うメッセージを強く幼子の心に植え付けることだろうか。そのお子さんの心の成長と共に様々な体験から生じてゆく我慢や忍耐はそこここで大切であると言うこと社会にはきまりとマナーの精神が存在すること或いは危険から身を守る術と言う面を様々な機会を踏まえ教えてゆかねばならないだろう。自分にとって嫌なことはヒトに対しても行なってはいけないことその上に立ったヒトを大切に想う常識的なマナーなどは相手を思いやる心に乗じそれぞれに体験を通し積極的に学ばせる必要があることのように想う。今「思いやり」と指先が書き綴ったら親としてこんなことを子等の心の中に育ててみたいと想う心情がふっと脳裏を横切り言葉となって表れ出て来たように感じられた。「何々をしない」と言う打消しの言葉つまり否定の言葉はあまり好みには感じないのだがそれでも今3つの「ないの心」が足りない脳細胞の中にも浮かんでやって来たように感じられた。その1つ目は「自分の確固とした意見は持ちながら、でしゃばらない心」2つ目は「知っていること体験したことなどを安易に強調し威張らないと言う心」3つ目は「身についたこと以上にお品ぶらない心」の存在であった。ただし「お品ぶらない」とは申せ作家の曽野綾子氏もおっしゃっていられるように「家庭教育で最低限行なわれて然るべきものは正しい敬語を身につけることである。」からしてその「敬語を身につける心」の存在は大切であり特別忘れてならないように感じている。上記の他にもこんな教育的観点が今し方脳細胞の中に浮上して来た。こんな観点である。「希望は抱いても相手に対し過度の期待を抱かない心情」と言うものの育成。「相手を傷つけることなく上手にノーと言える心情」の育成。「様々な折りに臨機応変で織り成す気配りの心」の育成。「チャンスを逃さない気転」と「頃合いを読むことが出来る心眼」の育成。「自分自身が感じるスピリチャルの感性は自分の総合力であると理解しその力に自信を持って進んで行く力量」の育成。「すべてのことはそうなるべくしてそうなったすべてに対し満足に想うと言う心情」の育成。「様々な芸術を幅広く愛する心」の育成。「思い出を振り返る折りは必ず明るい気持ちで回顧する心情」の育成。「人生はすべてが勉強である勉学は続いてゆくと言う感性」の育成。「好きなものは胸を張り好きであるとはっきりと誇りを持って言える心」の育成。尚これらの観点の根本的基盤を形作る心情には下記の2つの要素がありその重要な2つの要素を子等の心に育んでゆけるならばとても嬉しく有難く感じられた日であった。その2つのうちの1つは「生かされていることに感謝する心健康であるうちに健康に対し感謝出来る心お陰様と言う心」の存在と想われる。人間形成の核心になると想われる程の重要な位置を占めるとても大切な心情であると感じている。もう1つは「愛することは素晴らしいことだと言う心」の存在だと感じられた。親は子に対し恥ずかしがらず愛し合ったからお前と言う人間がこの世に生を受け存在するのだと言った風な話を様々な折りに語り聞かせていいように想うのである。子等の心の中に「愛する」と言う気持ちから生まれる「誇りの心」と言うものの存在を様々に植え付けてゆきたいものだと想う。この2つが全ての基盤になり人間形成の上に大きな影響を及ぼして来ると嬉しく想像空想することの出来た素敵な日であった。(ありがとうございます。移り変わってゆく四季の美しさを、それぞれの良さとして、心にとめ、心身に刻んでいたいと改めて心に念じた日でした。心身共に美しいヒトでありたいと切に願っております。昨日は、雨が降り出した午後遅く、小3が学校で習った曲であるカトゥーンの「♪Keep The Faith」と(彼がかっこよく感じたと想われる曲)スマップの「♪弾丸ファイター」のナンバーをリビングに流し歌っておりました。後から、この小3の歌を追い掛けるように、自身のPC操作に向かっていた小6が、鼻歌交じりで歌い続きました。彼女もその後から彼等の歌に加わり3人で合唱し愉しいカラオケが出来ました。その折りに自由な振り付けなども取り入れ、踊りながら歌ってみると、なかなか乙なように感じられました。そうしたことから、子供達との心の交流が自然の流れの中で行なわれるように実感出来ました。今回もお粗末な文章にお付き合い下さり深く感謝しております。いつも本当にありがとうございます。感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。) (昨日の歩数記録。3687歩。)
2008.01.13
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昨日のジャズダンスではお教室終了後ダンスに熱心な方達数名が会場に残った。インストラクターにお願いしこの日のレッスンで踊ることが出来なかったナンバー「♪ガッツだぜ」を流して頂き復習を兼ねて汗を掻きながらダンスに興じた日であった。汗をいっぱい掻いた後の熱いシャワーはまた格別の感があった。昨日はメールとお電話にて俳句の師匠である同人から有難いご指導を受けていた。電話での彼女の応対はほとんどが「はい。わかりました。はい。そう想います。ありがとうございます。」この台詞に終始していたように振り替える。カラダをいっぱい動かしたら頭の方も動かさねばと想い出向いて行った図書館で指導を受け直されて来た俳句の中身を自分で検討吟味していたのだが同人の送って下さった句の中に「手套」と言う文字がありその言葉が何故か目新しく感じられ歩きがてら出掛けた図書館の片隅で「大辞泉」を手に持ち広げひき始めたのであった。何となくではあったのだが多分「しゅとう」と読むのではないか。意味合いは句の前後から「手袋」であることは薄々理解はしていたのである。ただどうしても確かめたくて辞書を使い調べ始めることになったのだった。「手套」は「しゅとう」と読み「手袋」であることは間違いなかった。その際大きな辞書をひいたことで心の中に思い描くことがあった。改めて想ったことなのだが「しゅとう」と言う音だけで脳細胞が反応を示す言葉には「種痘」(これは痘瘡(とうそう)の為に行なわれる予防接種のことである)「酒盗」(酒の肴「鰹の塩辛」のことである。)があってその2つ程が脳裏に想い浮かんでいた。その折りああ日本語と言うものをもっと勉強しないと同音異義語だけでも物凄い数の言葉があるんだなあと辞書をペラペラ捲(めく)る程に感じたのである。たまたまこの日は「手套」と言う言葉にご縁があったので1つその際に勉強した言葉にはこんな言葉があった。「手套を脱す」と言う言葉である。「手袋を外すこと。」であることは、ほぼ察しがついた。だが意味合いはそうではなく「見せかけをやめて本来の力を示すことのたとえ」と綴られてあった。それを見た瞬間脳細胞は「ダメだ~勉強せんと~。」と言う可笑しな雄叫びを上げたのだったが更にそのページの隣りにこんな言葉が存在するのが目に入って来た。その言葉が「ジュピター(Jupiter)」だった。直ちに脳細胞は「木星。」と言う答えを無言のうちに出したのだったが実は正解はそれだけではなかったのである。皆様。何だとお思いになられますか?正解はもう2つあった。最初の答えの方はあぁそうだったなあと脳細胞は軽めのOKサインを出したのだが2つ目の答えの方には以前実家でクラシック音楽好きの父から耳に蛸が出来る程聴かされていたメロディーであったはずなのにそれがどうしてもぱっと浮かんで来なくてホルスト作曲の「♪惑星」の中の「♪木星(Jupiter)」のイメージばかりが脳裏に「先行」していたのに愕然とした。2つの正解のうちまず最初の答えの方は「ローマ神話で最高神とされるユピテルの英語名。」である。ジュピターとは「ゼウス」のことであった。瞬間イメージが浮かんで来なくて愕然となった方のもう1つの「ジュピター」の意味は何と…大好きなモーツァルトの交響曲第41番ハ長調の通称であった。辞書に書かれてあったその正解の文字の羅列を拝読してから「あぁ。そう言えばそうだった。」風に情けなく想い起こしていたのである。この日は仲良くして頂いている女友達から嬉しいメールを頂いた日でもあった。その折りふっと想い起こした言葉をつたない文章で送信させて頂いたのであった。その想い(文面)が生まれた背景には俳句の同人(師匠)から温かなご指導を頂いたせいもあったようである。「親は子に対してあまりごちゃごちゃ言わずに必要最低限の大切なことだけ教え後は可愛い子には旅をさせよの心境で旅を可能にさせるだけの智慧と勇気を予めつけさせておく作業と言うものを大事にすればいいように感じております。」と言うような内容を書き綴り送らせて頂いていたのであった。ともかく自分自身が大した勉強もせずして子に対してばかり勉学の精神を強(し)いることは出来ない。そう肝に命じた日であったように想う。最後に昨日ジャズダンスの最後に行なわれた入念なストレッチの折り偶然インストラクターの先生が掛けて下さった宇多田ヒカルの大ヒットナンバーを心を込め綴らせて頂きたく想う。昨夜のミュージックステーションと言う番組内でも流れていたナンバーであった。歌詞を書き綴ると優しく温かな気持ちに包まれるように感じられる。安らかな気持ちがあなたに伝わるのであれば嬉しく有難く想っている。「♪ありがとうと 君に 言われるとなんだか せつないさようならの 後も 解けぬ 魔法淡く ほろ苦いThe flavor of life友達でも 恋人でもない 中間地点で収穫の 日を 夢見てる 青い フルーツ後1歩が 踏み出せないせいでじれったいの ないのって babyありがとうと 君に 言われるとなんだか せつないさようならの 後も 解けぬ 魔法淡く ほろ苦いThe flavor of life甘いだけの 誘い 文句味っけの ない トークそんなものには 興味を そそられない想い通りに いかない 時だって人生 捨てたもんじゃないってどうしたの?と 急に 聞かれるとううん 何でも ないさようならの 後に 消える 笑顔私らしくない信じたいと 願えば 願うほどなんだか せつない「愛してるよ」よりも 「大好き」の方が君らしいんじゃない?The flavor of life忘れかけていた 人の 香りを突然 想い出す頃降り積もる 雪の 白さを もっと素直に 喜びたいよダイヤモンドよりも 柔らかくて温かな 未来 手に したいよ限りある 時間を 君と 過ごしたいありがとうと 君に 言われるとなんだか せつないさようならの 後も 解けぬ 魔法淡く ほろ苦いThe flavor of life♪」(ありがとうございます。寒さがぶり返すように聞き及びました。寒い時は寒くて当然のこととは申せ、生身のカラダですから、皆様どうぞお身体をお大事に。夏休みに俳句の会の同人(師匠)から「お前はいい女だなあ。」などとお酒の席で(お仲間もいらっしゃる折り)そんな嬉しいお世辞をおっしゃって頂きましたが、お孫さんもいらっしゃる彼のご指導は大変厳しいものがございます。適切な言葉を適切に選び、対処せよ。無駄な語句を重ねてはならぬなどは、その典型であるように感じました。皆様の前でも、はっきりした口調で「全然駄目だね、この句は。なってない。」と手厳しいご指導を頂きますので、その様子を垣間見ていて下さった父ほどの年齢の紳士が、横から「あなたには、初々(ういうい)しさがある。」などと、助け舟の如くの嬉しいお声を掛けて下さいます。大変有難いことであると感謝しながら集わせて頂いております。その同じ感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。いつもありがとうございます。) (昨日の歩数記録。15245歩。)
2008.01.12
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昨日もエアロビクスで汗をいっぱい掻いた日であった。壇上のインストラクターの動きを見つめながら無我夢中で踊らせて頂いているのであるがインストラクターの先生がかっこいい振り付けを取り入れて下さるのが嬉しく感じられて想わずダンスにも熱が入るように想うのだった。そう言えばこうして書かせて頂きながら今突然脳細胞が思い出したことがあった。お正月の元旦の日に実家で美味しいおせち料理をご馳走になった際義妹から聞いた言葉だった。「お姉さんが通っている教室に私の友達も通っているの。踊りがサマになっているヒトがいるなあと想いながら踊っていたらしいのだけれどたまたま出席名簿に押す時に一緒になったら名前でお姉さんであるとわかったみたい。お姉さんのダンスはサマになっていると話していたわ。」そんな内容の言葉を今し方偶然脳細胞が思い出したのだった。と言うことはである。ダンスが好きで無我夢中になりながら踊るうちに知らず知らずの間に踊り自体が上手くなって来ていると言うことだろうか。ダンスが上達して来ていると言うことなのだろうか。だとしたらとても嬉しいことである。何事もそうであると想うが「楽しみながら継続する。」或いは「継続出来る愉しみを持つ。」と言うことはとても大事なことのように想えて来る。今更ながら改めてそのことの大切さを噛み締めるのであった。それと共にこの義妹の言葉から想うことがあった。それはいつも心の中に適度の緊張感と言うものを持ち合わせていることの大切さを感じたことだった。ダンスを踊る際に綺麗なフォームでかっこよく振り付けを見せることが叶えば観ている方も気持ち良く爽やかに感じられるように想像する。観られながら踊ると言うことも発表会などの催しが計画されていない分あってもいいように感じられて来るのである。(適度の緊張感と言うものが美しさと言うものを意識する際とても大切なことのように感じられるからだろう。)いずれにせよ義妹の言葉を有難い感謝の想いの中で耳にしたのは事実であった。今指先が「美しさ」と書き綴ったら昨日の朝放送された総合テレビの「生活ほっとモーニング」と言う番組で「服部真湖さんと行く華やぎの京都」の中の情景が急に脳裏に想い起こされた。全ては観られなかったのだが南座歌舞伎の「顔見せ興行」に出向く舞妓さん達の美しい姿がテレビ画面に映し出されていた。あの姿こそ日本伝統の1つの「美」の姿ではないだろうか。そう想う。はんなりしたゆったりした優しい京言葉の数々がすこぶる心地良く耳に響いて伝わって来る。日本を代表する名士の方がた男性作家の方がたがこの「はんなりした特有の世界」を心から愛して来た気持ちと言うものは何故かしら若輩者にとってもよくわかるように感じられて来た。テレビ画面では総勢何名だったろうか。白いお化粧と晴れやかな和装姿の舞妓はんが何人も映り1段と艶やかに感じられた。今にも鬢付け油の特有のおしろいの香りが画面から漂って来そうな程の艶やかさだった。綺麗な振袖の後ろ姿がまた美しかった。大きく背中を開け舞妓はん特有の「だらりの帯」を締めている。その「帯」の模様が1人1人違ってまた素晴らしかった。1人1人が歩く「芸術作品」にも感じられた。美しい印象で残る「だらりの帯」から愉しい脳細胞はワープし何度も何度も出向いた修学旅行の度にバスガイドさんが歌って下さった為覚えてしまった「♪祇園小唄」が今、脳裏に浮かんで来た。フレーズの中に「♪だらりの帯」が出て来るからだろう。記憶はあやふやで1番しか覚えていないのであるが日本の古都、京都を偲び日本人の心のふるさとの感もする京都を心の中に思い浮かべて歌ってみたく想う。「♪月は おぼろに 東山~霞(かす)む 夜毎(よごと)の かがり火に~夢も いざよう 紅桜~しのぶ 想いを 振袖に祇園 恋しや だら~り~の帯よ~♪」最後のメロディーがまた良くて半音音が変化し素晴らしい仕上がりになっているナンバーだと想う。つくづく感心してしまう。このナンバーを指先が書き綴ったらJRの嘗てのCM「そうだ!京都へ行こう!」が脳細胞の中に彷彿(ほうふつ)として来て冬の京都をひっそりと訪ねて行きたくなった。旅は本当にいいものであると想う。音楽と共に心の栄養であるように感じられる。この日のゲストであった服部真湖が神社のお守りを称しこんな台詞を述べていたのが心の中に刻まれていた。「信じると言う素直さ。信じると言う素直な心がとても大切だと思います。」素敵な言葉であると想いながら聞いていた。息子達にも話すのであるが素直に感謝する気持ち素直に謝れる心素直に受け取り受け入れる度量と寛容さ素直に喜べる器量などなど素直な心と言うものが伸び行く芽にとってとても大事なことだと話し合っている。はい。わかりました。(と言う返事。)ありがとうございます。(と言う感謝の念。)そう言う素直さと言うものをこれからも大切にしてゆきたいと想った素敵な日であった。(ありがとうございます。「生活ほっとモーニング」と言うテレビ番組で、以前放送されたお料理を再現してみたく想い「もちピザ」にトライしてみました。お正月は、焼いたり、お雑煮にしたりで「和風」の味付けばかりでしたので、たんぱく質が摂取出来る「とろけるチーズ」味は、久しぶりの登場であった為、大好評を博しました。もし、ご家庭で余っている「お餅」がありましたなら「もちピザ」は、この季節「お薦めメニュー」のように想います。どうぞお試しあれ。感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。これからジャズダンスでいっ時激しく踊って汗して参ります。いつも本当にありがとうございます。心から御礼を申し上げます。) (昨日の歩数記録。21253歩。)
2008.01.11
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昨日は待ちに待っていたジャズダンスの教室が再開された日であった。首を長くして待っていた大好きな趣味の世界の到来日だった。暫くぶりに激しくカラダを動かすので最初からあまり飛ばし過ぎないように気を配りながら少しずつ少しずつカラダをならして行った。アバの♪ダンシングクィーンや懐かしいビージーズのナンバーが会場いっぱいに掛かった。大好きな音楽が掛かるとどうしてもカラダがリズムに乗り動きが大胆になって気持ちそのものがエキサイトし易い傾向になるようである。その興奮を上手に制御し初めから飛ばし過ぎないように心掛けながら徐々にカラダを柔らかくときほぐして行くのだった。今期インストラクターが選んでくれた最初のダンスナンバーはウルフルズのナンバーで「♪ガッツだぜ」と言う曲だった。年明けのめでたさとこの明るいナンバーのメロディーが何やら不思議にマッチして感じられ元気とパワーの両方が飛び跳ね踊るうちにカラダの中から湧いて来るように想われた。汗は周囲のフロアーに飛び散り滴(したた)り落ちていた。久しぶりに大汗を掻(か)き汗を掻く気持ち良さと言うものを十二分に味わうことが出来た日であった。寒い冬の日であってもこうして仲間の皆さんと共に同じ振り付けでダンスナンバーを踊り汗しながら夢中になって楽しむと言うことは本当に幸せなことであると改めて想った。寒いからといって部屋の中にあってカラダを縮めていないで積極的に表に出多くの仲間と語らい同じ趣味を共に楽しむと言うことはとても大事なことだと想う。汗を掻くほどカラダを充分に動かすことは健康にとって大切なことでありカラダにとっても喜ばしいことであるように嬉しく感じた日であった。昨日のお教室ではジャズダンスの後にフロアに貼られた1本の白線の上をモンローウォークやらねじれウォークやらモデルウォークやら様々な動きでかっこ良く姿勢に気を配りながら歩く動作が繰り返し行なわれた。歩く仕草も美しくありたいものだと改めて嬉しく感じた日であった。昨日は午後(お天気が金曜日から下り坂のように聞き及んでいたので)歩ける時に歩いておこうと思い立ち散歩に出向いてみることにした。出掛けて行ったいつものウォーキングコースでは様々なヒトがご自分のペースで楽しく歩いていらっしゃった。歩くと言うことは人間の自然な営みでありお金を掛けることのない素晴らしい運動であると想う。見知らぬ方がたから親切で温かい言葉を掛けて頂きながら歩くことが叶いとても嬉しく有難く感じつつ歩かせて頂いていた。例えば、帰り道ではこんなことがあった。ルンルンと歩いていると「ジージー」と言う不思議な音が後ろから近付いて来た。ヒトが後ろから近付いて来る気配が感じられた為後ろをふっと振り返ってみると1人用電動スクターに乗りゆっくりまったりと進むお爺ちゃまが彼女に向かいにっこり笑顔で微笑んで下さった。それに対してこちらも、にこやかに応対し「こんにちは。」と彼に対し進んで声を掛けさせて頂いた。するとその御仁はゆっくりと口を開き「あなたは歩くのが速いね。」そうおっしゃって下さった。「そうですか。速いですか。」彼女がそんな言葉を続けると「速いと想うよ。」「ありがとう。素敵な車にお乗りですね。」「そうかね。これは時速6キロくらいらしいよ。」そんな嬉しい会話を見知らぬ御仁と楽しく交わすことが出来るのも散歩と言うものの1つの「醍醐味」(だいごみ)なのだろうと想う。とても嬉しく感じている。また散歩中途にふと立ち寄ることが出来る公立の図書館の存在も有難く感じられる。好きな時間に出向き好きなように時間を使うことの出来る素晴らしさをひしひしと胸の奥に感じる瞬間があるからだと想う。例えばこのつたない文章作りに目を転じてみることにしよう。例えばある御仁は嘗てご自身の日記を書くことについてこう告白していらっしゃった。「何も書くことなく、ネタ探しに四苦八苦…云々。」そう素直にご自身のお気持ちを述べられていた。(素直な心と言うものは素晴らしい観点でもあるのでその点については申し分なく想うのであるが)「書くことがないから困る。」と言うこと自体に目を転じる場合心の中にその観点を想い描き感じたことがないのでなかなかその思いを空想想像出来ずにいたのもまた事実なのだった。つらつら想うに大層面白い脳細胞だと想う。随分慎重であるわりに一端堰を切り川になって流れが現れるとその流れ自体が止まらないように一端心静かに「静」の中に身を置き文章作りと言うことに対し眼が向くと堰を切ったように文章が後から後から続いて生まれ出て来るように感じられる。ただ単に「書く」と言う作業が好きでその行程が苦にならないのかもしれない。一端パソコンの前に陣取ったら猛スピードで脳細胞が一気に好きな文章を好きなように描き出し書き綴ってゆくようである。書くと言うことに対し困ったと言う感覚を持った事がなく大層不思議なことだと感じてもいるのである。好きなことを好きなように好きな時間に好きにやらせて頂いている。つくづく有難いことだと想う。深い感謝の念が自然に込み上げて来るのである。毎回そんなことでこうべを垂れながら書かせて頂けると言う有難さにただただ感謝の気持ちで過ごしている。書くことが好きになったのは大昔学生時代のことであったのだがどうして書くことが好きなのかと申し上げると空想世界と言うものを自身の中に作り出しその空想世界の中に自由に羽ばたいて行ける「快感」と言うものを覚えたからであった。瀬戸内寂聴氏も「ペンを握りながら死ねれば本望。」とおっしゃっていらしたがその言葉の意味合いにはなぜか頷(うなず)けるように想えるのである。一端こうと決めて動き出したらペン先はとまらないようにも思えて来た。源氏物語の世界に遊ぶ折りのようにイケメンの光源氏のようなナイスガイと空想想像世界の中でなら素敵なランデブーも可能なのである。文字制限がない作文形式の文章であるのならつらつらと想い浮かぶに任せ勝手気ままな面白い文章作りと言うものが出来るように思えて来る。それもまた楽しく趣き深いことのように感じられ自身でも楽しみにしているのである。あの作家の林眞理子氏が最近、官能小説なるものを手掛けたそうな。どんなジャンルの分野でも多感にチャレンジ精神を発揮しご自分に挑んでいかれる姿には感銘を覚え共鳴の念を感じるように想う。息子達にも話すのだがたとえ人真似から入ったとしても徐々に自分のオリジナリティーを確立しオリジナリティーを打ち出してゆけばそれもそれとして素敵なことではないだろうかと語り合っている。子供の伸び行く姿と言うものは目を見張るものがある。子供と共に伸び行く芽でありたい。そう想う。焦(あせ)らず争わず諦(あきら)めず…の境地で楽しみながら(時に苦しみも味わうことを楽しみながら)1歩1歩歩んで行けばいいと想う昨今である。(ありがとうございます。昨日は小6が得意のPC操作を操りながらこう申しました。「お母さん。こんなニュースがあるよ。まず、Wiiのフィットが100万本突破の売れ行きだって。4800円と言う面白い価格のせいもあるかもね。それから、イスラエル人の富豪が英国で76億円の家をゲットしたらしいよ。ごめん。もっと凄いニュースがあった。カタールの王子様が130億円でパリに豪邸を求めたって。一体どんな家なんだろうね~。」「そうなの。ありがとう。凄い話ね~。」そう返答しながらこう想いました。そんなにお金が有り余っているのなら、貧しいヒト達の為に、或いは自然破壊の進んだ地球救済の為に、紛争処理世界平和の為に、ちょっとだけでも分け与えて欲しいなあと。心の中でそんなことを感じながらおりました。今からハナミズキさんと共にエアロビクスでいっ時激しく踊って参ります。仲間の皆さんと共にダンス出来る喜びにいっ時包まれて参りたく想います。感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。いつもありがとうございます。心より御礼を申し上げます。) (昨日の歩数記録。13658歩。)
2008.01.10
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月1度の俳句の会合に嬉しいお誘いを頂いてからもうじき1年になる。この会の最少年者である彼女には当然の如くに振る舞われる昼日向からの美味しいお酒の嗜みと言うものが初めての体験であった。俳句の会に加えて頂きお昼からのお酒の存在と言うものを諸先輩方から教えて頂くことになった。「沢山飲まないといい句が出来ないぞ。」先輩方からそう教え諭されるままにつたない句を足りない頭で捻(ひね)りながら続けて来たのだが日本伝統の文芸である「俳句」の世界を学ばせて頂くと「歳時記」を紐解きながら日本に存在する四季折々の季節感と共に美しい季語や単語を羅列的に覚え取捨選択してゆく術(すべ)と言うものを自然な形で身につけてゆけるように想われる。嬉しい限りに想う。俳句は短歌同様日本人の心の中に感動を呼び起こす「花鳥風月」と言うものを尊ぶ文芸なのだがその「花鳥風月」の中でも特に「花」と「月」は古人から数多く愛され沢山詠まれて来たように想う。「花」を撮影する際お花達に語り掛けながらシャッターを切らせて頂いている。「花」と言う具材も大好きなのであるがとりわけ「月」には一目惚れし「月」の世界にゾッコンとなって久しい。(今ここで「♪ムーン・リバー」の歌詞を見ないで歌えと言われれば多分OKで大丈夫に想えるほどなのだ。)そのくらいに彼女を惹き付けてやまない「月」と言う具材の存在は彼女の中で大きな位置を占めるものとなっている。「秋の名月」と言われるくらい「月」と言えば「秋」を空想されることと想うが冬の月の映えた美しさと言うものはまた格別の感もある。今回は「月」と言う魅力的な具材を取り上げてみたく想う。俳人、黛まどかのように俳句で浪漫(愛)を上手に表現してみたく想うのだが何せ17音の短い文芸なのでなかなか上手く表わすことが出来ずにいる。そこへ行くと短歌の方は太古の昔から様々にロマンティックな歌が詠まれているように想う。「月」を詠んだ歌で男女2首ずつ計4首を紹介させて頂きたい。まずは拾遺集から「和泉式部」の歌で「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」この歌の前に「性空上人のもとによみてつかはしける」とあるので現代語訳は「無明(むみょう)に生まれ、無明に死ぬであろう罪深い私でもどうぞ遠くからでも照らし見守って下さいませ。仏法を体現しておられる播磨書写山の性空上人様。」恋の化身のような和泉式部の内心の深い闇を想わせる感慨深い作品である。(仏教では常に高きにあり人を悟りに導いて下さる仏様を澄んだ「月」にたとえるようである。)次に後拾遺集から平安女流歌人の恋の秀歌の代表作を1首。有名な赤染衛門の歌である。「やすらはで寝なましものを小夜ふけて傾くまでの月を見しかな」「小夜」は「さよ」「傾く」は「かたぶく」と詠む。やんわりとあくまでも上品に嫌味を嫌味として感じさせないところが心憎い秀歌と言えると想う。口語訳は「あれこれとためらわずに寝てしまえば良かったのに、あなたが来るのを何のと言っていらしたばかりに夜が更けて西に傾くまでの月をすっかりみてしまいましたわ。もう、あんまりな方ね。」可愛い女性は永遠の女らしさに通じるように感じられる。女性の歌が続いたので男性の方の恋の歌も2首。「月」を詠んだ秀歌を「風雅集」の中から2首選ばせて頂いた。「恋の御歌の中で」と前置きのある伏見院の心情が綴られたお歌である。「思ふ人今宵の月をいかに見るや常にしも」一目瞭然、わかり易い内容と想う。その伏見院皇子の花園院の心境詠はこちら。「わが心澄めるばかりに更けはてて月を忘れて向ふ夜の月」初心なまでに率直なラブコールなのだが口語訳すると「私の心も澄み切ってしまうまでに夜はすっかり更けて月を意識する気持ちもなく月と一体になって無心に過ごす今夜の月よ。」深い精神性を「月」に託しているお歌であると想う。何事についても言える話のように想うのだが何事も「好きこそものの上手なれ」であり「好き」であるからこそ短歌も俳句もカメラの腕も絵筆の先も上達してゆくようである。改めて「I LOVE 何がしの心」と言うものを大切に育んでゆきたいと感じた日であった。その「アイラヴの心」と共に大切にしてゆきたい心情がある。それは何ものにも「とらわれない心」と言うものの存在である。ここで言う「とらわれない心」とは「自己を自由な空間へ解き放つ心」であり「何ものからも侵蝕されない自由な精神と自由な心」でもある。ここで言う「自由」とは「したい放題に欲望の趣くままに言動を起こす」と言った意味合いではなく「何か目に見えない強大な圧迫感や恐怖感のような圧力と想われるもの」から「自由に自己を解き放ち自分の意見感動感想を持つ」と言った風な意味合いを持つように想われる。案外わかっちゃいるけどなかなか想うように事態が運ばず右往左往しながら日々を過ごすうちにはっと我に返りふと気がつくと「とらわれない心」の在り様から遠く離れてしまい何かしら目に見えない「とらわれた心」と言うものに縛られていることに今更ながら気づかされたりする。そんなことはないだろうか。「アイラブの心」と共にこの「とらわれない心」と言うもの存在は大変に貴重であり尊ばれて然るべきもののように感じられる。「とらわれない心」を持つ為に努めたいことと言ったら何なのだろう。「感謝と謙虚と笑い」は勿論のことなのだが更に研鑚を積みたいと心掛けるのであれば「美しさを愛し追い求める心」を忘れないことだろうか。外見的にも内面的にもその両面から必要なことのように思えて来る。例えば日本の中には「和を持って尊しと為す」と言う聖徳太子(太古)からのメッセージ「美」の精神の存在がある。自分の中に独自の「オリジナリティー」を育てながら「美しい和」の精神性と言うものも兼ね備えていたい。そう想う。それは諸外国の良さと言うものは認めつつも我が国の良さは見失わずに「誇り」として持ち合わせていたい心情にも似通っているように想う。自分のことを好きにならず(つまり自分のことを愛せずして)ヒトの存在を愛すことが出来ないように自分の生まれた国(母国)を愛せずして諸外国は愛せないのと同様のように想う。自分のことを自分で信じずして誰が自分のことを信じてくれようにも通ずる内容である。平原綾香の「♪Jupiter」(♪ジュピター)の中にもそんなフレーズがあったように今し方脳細胞が嬉しく思い出した。今ここで心を込め歌わせて頂きたく想った。「♪Everyday I listen to my heartひとりじゃない深い 胸の 奥で つながってる果てしない 時を 越えて輝く 星が出逢えた 奇跡 教えて くれるEveryday I listen to my heartひとりじゃないこの宇宙の 御胸に 抱かれて私の この両手で 何が 出来るの?痛みに 触れさせて 瞳を 閉じて♪」さあこのフレーズである。「♪夢を 失うことよりも 悲しいことは自分を 信じて あげられないこと♪」その通りと想う。続けて最後まで歌わせて頂きますね。「♪愛を 学ぶ為に 孤独が あるなら意味のないことなど 起こりは しない心の 静寂に 耳を 澄まして私を 呼んだなら どこへでも 行くわあなたの その涙 私のものに今は 自分を 抱きしめて命の ぬくもりを 感じて♪♪私たちは だれも 独りじゃないありのままで ずっと 愛されてる望むように 生きて 輝く 未来をいつまでも 歌うわ あなたの 為に~♪」この「♪Jupiter」(♪ジュピター)は作曲が、ホルストで組曲「♪惑星」の中の「♪木星」である。このクラシックナンバーの「♪木星」を中学生時代クラリネットで吹かせて頂いた記憶があるのでとても懐かしく綴らせて頂くことが出来た。音楽と言うものは音を楽しむと書くので特にメロディーが肝心のように想われる。これからも素敵な音楽をずっと心の友として大切にしていたく想う。(ありがとうございます。俳号と称して俳句を作る際に自分の本名とは別の芸名を使用し全国規模の俳句の会の月刊誌に毎回5句(そのうち毎回2句か3句掲載)投句させて頂いております。その折り、両親が命名してくれた「自分の名前」に対し、両親への「感謝」の気持ちと共に、その「名前」の文字の意図する意味合いについて「誇り」の気持ちと言うものを強く感じます。両親から授けられた「本名」も、自分で考案した「俳号」も、共に日本伝統の「美」の精神に関与する、日本古来からの「美」に相応(ふさわ)しい意味合いを持つ言葉(文字)であるからだと想いました。その意味するところに恥じないような深い豊穣を感じさせる美しいヒトになりたいと願っております。深い感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。心より御礼を申し上げます。ありがとうございます。) (昨日の歩数記録。16587歩。)
2008.01.09
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7日を過ぎると関東では「松明」(まつあけ)だと言う。「松明」も「松過ぎ」も俳句の「季語」であり門松が取り払われた後も幾分新年の気分が残っている様子を表している。「松過の又も光陰矢の如く 高浜虚子」昨日7日は、週の初めの月曜日であった。近くの小学校からキ~ンコ~ンカ~ンコ~ンと鳴り響く学校開始の時を告げる合図が聴こえていた。新年のそれこそ新学期は始まった感があった。我が家の方はと言うとこの小学校にお世話になっていないことをこれ幸いに朝寝坊に興じる、とんでもない小学生が朝から高鼾(たかいびき)で自分のベットの中にいたのである。(神様。仏様。ごめんなさい。)で持って、この生意気な小学生。昨日は友達からの「モーニングコール」ならぬ「お電話」にてお目覚めあそばしたのだった。それも弟が「お兄ちゃん。K君から電話だよ。」とわざわざ電話の「子機」をベットの中まで持って来てくれいまだ覚めやらぬベットの中でむにゃむにゃ言いながら、友人の電話に出ていたのである。友人からの朝の第1報が、目覚まし代わりなどと…オヌシ百年早いワ!そう感じながらやっとことさベットから抜け出した小6に対し「おはよう。」と彼女は明るく声を掛けたのだった。本日8日から漸(ようや)く兄弟して仲良く登校して行ったのだが昨日は1日中生憎(あいにく)の雨のお天気模様で冬休み最終日であった1日をこの元気なおしゃまな小学生2人に付き添うこととなったのだった。その際彼等がまだ小さい幼児の頃にはよく観ていたのだがこの頃はほとんど観なくなってしまった教育テレビから放送される「エイゴリアン3」を爆笑しながら3人で見つめていた。お馴染みの登場人物マイケルは、今も健在でロボットがいつものように自分から壊れてゆくシーンに対しては大きな笑い声が零(こぼ)れていたように想う。彼等の弁によれば「エイゴリアン3」は、小学校中学年用で「スーパーエイゴリアン」は、高学年向きだと言う。その「スーパーエイゴリアン」の方を今回偶然目にさせて頂き彼女は心に想い描くことがあった。前前夜のことであったが…総合テレビで「現中国の小学校事情」が放送されていた。猛勉強する小学生達の姿がテレビのブラウン管の中に映し出されていた。これから未来に向け国際化社会の中で頭角を表してゆくだろう中国と言う国家のことを想った。巨大な市場でもある中国の未来の子供達の中に秘められた底知れぬパワーと言うものを脅威にも感じ取りながら感心しきりで拝見させて頂いていたのだった。しかしながらこの「エイゴリアン」と言う教育テレビに目を転じると不可思議な気持ちが、彼女の中に込み上げて来た。英語圏の持つ底抜けに明るいパワーと愉しみと言うものを追求しようとする心情から発せられる不思議な、目には見えないテレパシーに感動を覚えたのである。多分それは前者の(この場合は、たまたま中国の学校教育の在り様であった。)ヒトに勝ちたいと言うようなヒトから誇らしく想われたいと願うようなそんな教育の在り様と後者の(こちらは、偶然久しぶりに垣間見た「スーパーエイゴリアンの愉しい授業風景」であった。)ようなヒトと楽しく繋がりたいと言うようなヒトと一緒に何かを楽しみたいと願うような教育の在り様とを見比べた折りに彼女の心が、それに反応し面白いテレパシーと言うものを脳細胞の中に感じ取ったからだと想い返した。後者の方からは人と争うことのないピースフルな何かしらが心地良く感じられ漂い出ているように想われる。自分1人が抜きに出ることで「快感を覚えること」が本来の「教育」の在り様ではなく「思いやりの心」の上に立ちヒトと素直に心を開いて「繋がり」「明るく」周囲を照らしてこその「教育」であるように感じたからだと分析した。久しぶりに偶然に垣間見させて頂いた「スーパーエイゴリアン」と言う番組の授業風景は「学ぶ」と言うことが本来「愉しい」ことから「始まる」ものだと教え諭してくれているように彼女は感じ取っていたのである。「素直な」心が描き出す自分の「好きな」方向性の勉学を強制的ではなく自らが心の中に抱(いだ)き温めた形で行なって行く行程が本当の意味合いでの本来の「勉学」の姿であるように感じたのである。「勉学」と言うものは「怖れ」の心から「始める」ものではないように想われて来る。昨日も愛車の中に座る小学生2人にこのことを説いて聞かせていた彼女であった。「困ったと言う風に心の中に想ってはいけないよ。必ず道は開けると信じていることが大切なことだと想うよ。ほら。歌にもあるでしょ。♪何が起きたってへっちゃらな顔してって。」小学生達は口々に元気にしゃべり出した。「お母さん。その歌知ってるよ。音楽の授業で歌ったから。」「音楽の先生が、プリントにして分けてくれてあるよ。」「お母さん。その歌の出だしは何だっけ?」それで待ってましたとばかりに明るいに、馬鹿がつくほどの「向日葵ママ」は朗らかに歌い出したのだった。勿論、運転には充分気をつけながらである。「♪ふとした 瞬間に 視線が ぶつかる幸せの ときめき 覚えているでしょパステルカラーの 季節に 恋したあの日のように 輝いてる あなたで いてね~負けないで もう少し 最後まで 走り抜けてどんなに 離れてても 心は そばに いるわ追いかけて はるかな 夢を~♪」途中から小学生2人組も彼女の歌に加わり学校で習ったように元気に歌い出した。「♪何が 起きたって ヘッチャラな 顔してどうにか なるさと おどけて みせるの今宵は わたくしと 一緒に 踊りましょう今も そんな あなたが 好きよ 忘れないで~負けないで ほら そこに ゴールは 近付いてるどんなに 離れてても 心は そばに いるわ感じてね 見つめる 瞳~負けないで もう少し 最後まで 走り抜けてどんなに 離れてても 心は そばに いるわ追いかけて はるかな 夢を~♪」大好きな歌の登場に「時」を忘れた、素敵なドライブであった。このナンバーのタイトルは「♪負けないで」と言うのだが「ヒトに対して負けないように努力するのではなく自分の中の自分に対して負けないように努めるヒトであって欲しい。」そんな言葉を彼等(小学生達)に伝えることが出来たとても気持ちの良い日であった。(ありがとうございます。昨日は午前中お年始に見えられたご夫妻がいらっしゃいました。彼(パパ)の後輩でもあるご主人の方から「髪の毛をピンクのハートの髪飾りで2つに縛って女子高校生のよう。」と言う有難いお世辞を頂戴した彼女でした。図に乗って「清潔なセーラー服、着ちゃおうかな~。」と可愛く呟(つぶや)いては、家族からの失笑を買っております。寒い日が続いております。皆様、どうぞお身体お大切に。ヒマラヤを制覇したアルピニストの野口健は、ヒマラヤ登山の折りに、寒さ対策としてカラダを温める為「生姜(しょうが)紅茶」を何杯も作ると聞き及びました。彼女も、昨日は、友人から頂いた特製のティーカップで、アツアツの「ジンジャーティー」を頂きカラダを温めました。この冬のお勧めアイテムの1つです。いつもありがとうございます。今回も、感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。) (昨日の歩数記録。雨で2658歩。)
2008.01.08
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1月5日。俳句の「季語」の中には元旦。二日。三日。四日。五日。六日。七日と松七日、松の内とされる七日までその「日数(ひかず)」を「季語」として使うことが出来るように聞き及んでいる。不肖の息子の1人は四日(よっか)のことを随分と長い間「よんにち」と読んでいた。お恥ずかしい限りである。彼女の幼い記憶によれば亡くなった明治生まれの祖母が小さな孫である私のカラダを充分温めたのち湯船の中から出す際「ひぃふぅみぃよぅいつむぅななやのこのとぉ。」と数え自然にその読み方を教え諭していたように懐かしく思い出した。いつ頃のことであったかかなり以前のことであったように想うのだがこの数え方を息子達の前で示唆(しさ・それとなく教えること)していたら隣りから彼等の父親(彼)がそっと顔を出し彼女に対し「奥様、もしかして大正デモクラシーのお生まれですか。」と尋問し怪訝(けげん・不思議で納得がいかないさま)そうな表情を見せ彼女の笑いを取ったことがあった。(話は脱線するが明治大正時代の良さを彷彿(ほうふつ)とさせる大爆笑少女漫画「はいからさんが通る」は恋愛喜劇を上手に演出した感があって学生時代にお気に入りの少女漫画の一冊だった。)話を元に戻そう。が、それでも息子どもはなかなかこの数え方を覚えてはくれなかった。よって「ついたち」「ふつか」「みっか」「よっか」「いつか」「むいか」「なのか」と言う松の内(関東では7日まで、関西では14日または15日までが慣習になっているらしい。)の日数(ひかず)の訓読みも同様になかなか理解を示さなかった。俳句を始めて「歳時記」を読むことで初めて「知る」ことになったのだが「元旦」は「鶏日」(けいじつ)と言う別名の「季語」を持ち同様に「二日」は「狗日」(くじつ)「三日」は「猪日」(ちよじつ)「四日」は「羊日」(やうじつ)「五日」は「牛日」(ぎうじつ)「六日」は「馬日」(ばじつ)「七日」は「人日」(じんじつ)と言う別の名前の「季語」の存在があるらしい。「きらめける薮美しき五日かな 今井つる女」昨日は早朝出勤して行ったお方が昼食にだけ1時帰宅しまた取って返し出掛けてゆく慌(あわただ)しさであった。そんな慌しいランチのひと時にもゆったり感とした「中国雲南省の(竹林の桃源郷の)様子」がテレビ画面に映し出され家族4人で鑑賞しながら暫(しば)し「時」と言うものの存在を忘れていた。どこを見渡しても見渡す限りの竹林が広がる光景に不思議な感動を覚えてもいた。テレビ画面の中では「竹と共に生きる生活」があった。竹で編んだ籠を川の中に置き待つこと3時間大きな大きな鯰(なまず)がかかった。竹を切って薪(たきぎ)とし竃(かまど)に火をつけ取って来た鯰を自家製の味噌と辛子だけで調理する。お酒は竹製の器で飲み干していた。ほとんど自給自足の生活である。家の周りには竹で編んだ壁が施され様々なところで竹を生かしての暮らしが営まれていた。そこに暮らす住人の方の言葉が心の中に刻まれた。「この昆虫も竹と共に生きている。私達はすべて竹の子供なのです。」その台詞が画面から流れた瞬間頭が下がる想いになった。そしてこんなことを想った。文明の進んだ国の住人ほど身近に存在する様々な生命に対し感謝の気持ちや「共生」の念を心に想い描くことがきっと薄いのではないだろうか。身近にある自然に対し「畏敬」の念と言うものを持ち合わせる気持ちが少ないのではないだろうかと。そんな想いを瞬間的に心の中に想い描きいささかの危惧の念を感じながらテレビ画面を見つめていたのだった。お気に入りのウォーキングロードには可愛らしいお地蔵様が鎮座ましましている。多くの昔人も自然神の存在を認め崇(あが)め奉(たてまつ)って来たことだろう。昨日は冬の日には珍しくいっ時風がやんだ。嬉しい無風状態の中を胸を張り姿勢に気を配りして歩んで行った。風もなく鳥の声も聴こえない静かな静かなひと時があった。心洗われる静かな時間が流れて行く。「無」の境地。そんな言葉が自然に脳裏に浮かんで来た。「座禅」で感じることの出来る静かな境地に1人身を起きその境地に身を置くことが出来る幸せ、喜びと言うものをカラダ全体で感じ取りながら風の全くない真っ直ぐなウォーキングロードを歩んで行った。ほんの短いいっ時の快感であった。素晴らしい体感をカラダに覚え感動に身を震わせながらいたのであるが歩みそのものはとめずに歩いていた。この素晴らしい境地に導いてくれたのは「無風」と言う自然の在り様であった。柔らかな暖かな冬の日の太陽光線がただ静かにカラダを包んでゆくように感じられて来る。そんな折り「北風と太陽」の物語の一節が脳裏に浮かんで来た。太陽の暖かさが北風の強さに負けることなく旅人のコートを自然に肩から外させたように全くの「無の状態」の中から感じ取ることが出来る信念と感謝と愛情と尊敬の心情と言うものを大切にしその心情を感じ取る力と発してゆく力との両面でこの暖かな太陽のように自身がありたいとしみじみ感じた静かな日であった。(ありがとうございます。スピリチャルな何かを感じ取ったら、その感情を温めたり直感的に素直にありのままに表したりすることが大切であるように想います。何かの気持ちや感情(例えば子供に対し謝りたいなど)を想い付いたのならご自分のお気持ちのまま素直に伝えてみることが肝要であると感じます。「無」の境地を実感する時、広い広い宇宙空間の中で、小さな小さな1個の生命体が一人相撲を取っていること自体、可愛らしさ可笑しさが込み上げるように感じられます。人間と言う生き物はそう言う意味合いにおいて大層可愛い可愛らしい生命体であるように想えます。「無」の境地を自然の中で嬉しく感じ取りながら様々な想いと言うものを静かに見つめて参りたいと感じました。感謝の気持ちの中で嬉しく書かせて頂いております。ありがとうございます。) (昨日の歩数記録。13254歩。)
2008.01.05
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1月4日。「夕刊を夜更けて取りに出て四日 鷹羽狩行」この日を仕事始めの日とするところが多いと聞き及ぶ。(尊いお仕事に従事されていらっしゃるお父様方並びに世のキャリアガール、キャリアレディーの方がたお仕事ご苦労様でございます。どんなお仕事であってもお仕事は尊いものでありお給料を頂く以上その責任は重いものがあると存じます。寒さの折からどうぞお身体にお気をつけて。)昨日は久しぶりに生後3ヶ月目のベビーのカラダを抱っこした日であった。パパ(彼)の実家へとお年始の挨拶に家族で出向いたところ兄上の娘さんご夫婦がこの9月に生まれた赤ちゃんを連れその実家に帰省していたからだった。3000グラム台で生まれた赤ちゃんと言うものは3ヶ月が過ぎ去る頃には6キロと倍の体重になるのだと言うことが実感出来改めて感慨深く感じることになった。小学生ともなった我が息子達の時もそんなだったのかしらと子育てと言うものも上に年齢を重ね上がって行くに従ってよりいい加減さが増し加わるように感じられ何故かわからないのだが急に可笑しく想え1人笑いが自然に込み上げて来た。ふにゃふにゃの3ヶ月のカラダを気をつけながら抱く。6キロと言う体重の頭のてっぺんからかすかではあるが懐かしい母乳の匂いが立ち上って来るように感じられ小さな命を前に愛おしさや愛くるしさと言う感情が想わず沸き上がって来る。文句なしに可愛い。本当にあどけなく可愛らしい。赤ちゃんの存在は周囲の者を自然に朗らかな笑顔にさせるパワーを持つ。赤ちゃんはみな赤ちゃんを囲む周囲の者のアイドルなのだ。「♪何てたって アイドール 何てたって アイドール何てたって アイドール 何てたって アイドールアイドールは やめられない~ イエイ イエイ イエイ…♪」(図に乗らずこの辺でやめときましょ。)と突然彼女の楽しい脳細胞は自身の脳細胞だけの中で1人話をし始めた。彼女が繰り広げた馬鹿話にお付き合い下さいますか。(笑ってしまう内容ゆえ大変申し訳なくすまなく想う次第である。)「友人の中に2歳7ヶ月のお子さんの写真付き年賀状をくれた同級生がいるでしょ。」「そうなの。小さな子と言うものはあどけなく可愛いを通り越しキャワイイ感じで、もうあんぐり食べちゃいたいほど愛らしい。」「3年前の出産ならまだ大丈夫、もう1人こんな可愛い子が授けて欲しいとは想わないかい。」「あのね~ヒトのカラダだと想って何言ってるの。出産は女性が命を掛けて生むほどの大事業なのよ。」「でもほら可愛いだろうが。この肌の柔らかさ。つぶらな瞳。たまらないかわゆさでしょ。」「そりゃまそうだけど。何ぼそう言うても…。」「なあに急に、突然関西弁になってるのよ。」「愛は地球を救うと言うけれど、可愛いベビーの笑顔はヒトの心を幸せにするわよ、ネ。」「またまた。どこかのキャッチコピーじゃあるまいし…。」「吐き続けた10ヶ月と、猛烈な痛みが襲い掛かるこの世の痛さとは想えない陣痛がなければもう1度このふにゃふにゃを抱いてもイイナ。」「まだあるでしょ。最後の最後に襲って来る押し出す生みの苦しみと、その直後にやって来る後産の痛み。」「あなたね~。一体どっちの意見なの。」「ヒトの話を聞いて受け止めることは大事なことよ。経済的な面から言っても、もう1人となると大変な苦労になるわけだから。」「ほんとよね。大学出すのに一千万の時代ですって。お金のなる木があるじゃなしって植木等の♪ハイそれまでヨよ、ネ。」「但し人間育成の1点について育児書が示唆するところによると、兄弟はあった方が思いやりの精神などの面で良いそうだけれどね。」「なるほど。少子化の時代ですから独身貴族も多いことだろうし、お子さんを持たないカップルも増えて来ているでしょうね。」「やはり苦労した子育て経験があるヒトの方が経験のないヒトよりも様々な点について観るならば人間味の点で豊かさや度量の大きさなどが感じられるのではないだろうかね。」「子育ては苦労もあるけれど賑やかで愉しい面もいっぱいあるから、生むのが怖いとおっしゃる女性達には、確かに壁をたたきたい生みの苦しみと言うものはあるけれど、それを通り越すと、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、人間よく出来ていて、ふにゃふにゃの「♪こんにちは赤ちゃん私がママよ」を抱ける喜びと言うものがあるように想う。」「あなたも古いわね。その歌、もしかして梓みちよ?まっいいか…。生むことは男性の方には出来ないけれど女性なら可能な作業であるだけに、生みっぱなしでろくに育てないではいかがなものでしょうね。子育てと言うものは、まずお腹に生命体が宿った時点でもう既に母としての自覚が出来ていて当然の話でしょ。また、その先に控えている山坂ある子育ての行程を2人でどう協力して執り行うかが問われて来る作業でもあるように想うの。」「スイマセン。大層な子育てをしていないので。お恥ずかしい限りなのですが。」「おお謙虚に出たか。立派な心掛けですぞ。これからもその気持ちをお忘れめさるな。」「はは~。」(ずっとやってなさい状態ですよね。ごめんなさいネ。)この上記の2人はその会話の中で「自然体が1番である。」と言う意見で見解の一致を見たようであった。昨夜は彼女が自分のベットで「おやすみなさい。」のお祈りをすませ1人優雅に眠りにつこうとしていたら「お母さん。久しぶりに横で寝てもいいかな。」と言う可愛い台詞を吐くジュニアギャングのパジャマ姿の少年隊2人組にカラダの両側を占拠され彼等毎度のいや~らしい?!男の子の会話にいっとき付き合わされることとなった。嬉しい限りであるってもしかして大爆笑でしょうか。(泣。)そのいや~らしい?!彼等の台詞の中身及び内容についてはまたのお愉しみに、また後日ってやめときましょう、ネ~。(悩。)「傍らにあるぬくもりや三が日 元気」お粗末様でございます。(ありがとうございます。お正月三が日が明け世の中が動き始めた感が致します。昨夜は親しい仲間と一緒に美味しいお酒を酌み交わすことが出来ました。愉しい話に笑いが零れておりました。敬愛すべき紳士淑女の集まりの良さと言うものを実感し有意義な時間を共有出来た喜びに浸って参りました。交わされた会話の中に美しさを見出すことが叶い健康と友情に対し深い感謝の念を新たにした夜でした。元旦に義妹から、お姉さん夫婦は何と呼び合っているのか尋ねられ、名前に、さん付けし合っている効果効能を再確認出来た感がありましたが、会話の中で交わされる言葉の丁寧さは、お品ぶることとは意を異にし、人となりを感じさせるのにとても大切な役割を担(にな)うものであると改めて実感致しました。お読み下さいまして感謝致しております。ありがとうございます。) (昨日の歩数記録。7213歩。)
2008.01.04
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お正月も3日が過ぎようとしている。1月3日。官公庁などはこの日まで業務を休むことが多い。「三が日」とは1月1日。2日。3日のことである。三が日を過ぎるとお正月気分もやや薄れゆくようである。その「三が日」は俳句の「季語」にもなっている。「机上メモまだ白きまま三が日 吉屋信子」「三が日書斎は隠れ部屋めきて 山田弘子」お正月気分抜けやらぬ三が日はお屠蘇(とそ)気分であっと言う間に過ぎ去ってゆくようである。中には人生の先輩の中にも正月2日いや元旦から遊び心いっぱいの素敵な御仁がいらっしゃるようであった。「正月の二日は遊ぶはじめかな 信 徳」「元旦の袴脱ぎ捨て遊びけり 河東碧梧桐」食べたり飲んだりの繰り返しでは不健康であるばかりではなく足腰の方も弱くなってしまう。昨日は歩いて徒歩で買い物に出掛けてみた。そんな折り散歩はいいなあとつくづく実感する。様々な文章作りのヒントが楽しい脳細胞の中に幾つも浮かんで来るように感じられるからだろう。普段見慣れた風景であったとしても毎日のお天気が少しずつ変わるように様々に状態、状況に変化が加わりながら(情景に微妙な変化を感じさせながら)散歩道傍らに或いは周辺に嬉しく存在するように想えて来る。昨日は雲一つない快晴に近いお天気模様であった。真っ青一辺倒な空に新たな感動を覚えつつ少しの複雑な想いも心の中に浮かんでいた。真っ青だけの青一色の空模様に何かしら物足りないものを感じ始めたようだった。白い雲などがその青い空の中に存在し青と白のコントラストと言うものが美しくそこにあったとしても素晴らしいのではないだろうか。いやあった方がより青さと言うものが際立って感じられ一幅(いっぷく)の絵画としてはより綺麗で爽やかに感じられるように思えて来る。そんなことをつらつら脳細胞の中に嬉しく浮かべながら楽しく暖かな陽射しの中を歩いていたのだった。すると突然天上世界から彼女に向かいテレパシーが送られて来た。(正しく実況を伝えるならば、テレパシーが送られて来たように彼女は感じ取った。)そのテレパシーの声に耳をすますとこんな台詞が聴こえて来たように感じられた。「人間はそもそもドロドロしたものである。」どんな言葉であっても感謝の気持ちで有難く「聴く」ようになって久しい。今回もまたその感謝の心でこの言葉を聴くうちにハッと気がつくことがあった。上記の台詞はかなり以前であったのだが実家の父が話の中で語っていた台詞であったように懐かしく思い出した。脳細胞と言うものは様々なヒトの台詞と言うものを心の奥底に蓄え嬉しく刻んでいるものなのだとしみじみ想う。真っ青な青一辺倒の空模様が幾らピュアであったとしてもそれは自然の風景の中のことに過ぎぬのだ。今更ながらそう言う風に感慨を新たにした。真の大人としての風格を備えた人間であるならばその「ドロドロ」と言うものに対しても目を瞑(つぶ)ることなく真っ向から真正面から真っ直ぐに見つめその中にあっても存在する「美しさ」と言うものを敢えて追究し見出してゆくことが出来るように想われて来る。そして純粋さと言うものを嬉しく感じながらも様々な「ドロドロ」に対しても目を向けそれを包み込める大きな度量と言うものを上手に持ち合わせ兼ね備えてゆけることが人間としての「幼稚性」と言うものから1歩も2歩も脱却し世の中に存在する様々な芸術と言うものを「真に豊かに」味わうことが出来るように感じられても来る。空を見上げて歩きながら耳に降臨して来たように感じられた天の声を聴き「真の大人とは一体何ぞや」と言う提供された風な宿題に対して「ドロドロを理解しそのドロドロの中に愛おしさやいじらしさ人間としての愛らしさを感じ取りそれを超越した形での温かな包容力とまごころからの優しい情けの情がわかる人」と言う答えを見出そうと努めていたのだった。考えてみたらドロドロであるからこそ芸術と言うものが様々に発展進化を遂げて来たのだろうしヒトの情けの情と言うものも様々に深化し趣き深さをより深めて行ったのだろうと嬉しく想像空想した。人間的幼稚さと言うものから脱却しもっともっと高い価値観と言うものから様々なモノを観(み)より人間の幅を広く保ち豊かに裾を広げた人物になるのには誠からの「真の大人」と言うものに近付くよう心の在り様について益々の精進を重ねてゆかねば…。そう言った「想い」を新たにした日であった。(ありがとうございます。おめでたいお正月三が日。皆様におきましてはいかがお過ごしでしょうか。暖かなお日和に恵まれまして昨日は散歩が出来ました。出掛けて参りましたお店の中では日本古来からの楽器であるお琴と尺八の演奏で、おめでたい「♪春の海」と言う曲が美しく奏でられておりました。アメリカミュージックである「♪聖者が街にやって来る」と言うブラスバンド演奏のジャズナンバーも耳に出来、明るいお正月気分を演出するのに一役買っていたように感じました。日本の伝統的な音楽とアメリカの明るいジャズセッションが交差する情景に嬉しく出逢うことが出来、日本人の中にある「何でも上手に取り入れられる豊かな包容力」に触れられたように感じられ、爽やかな心地になって帰ることが叶いました。日本の良さ、素晴らしさを感じた三が日であるように想います。これからも、日本人の中にある素晴らしさ、日本の良さと言うものを様々に見つめて参りたいと願っております。感謝の気持ちの中で有難く書かせて頂いております。ありがとうございます。) (昨日の歩数記録。8987歩。)
2008.01.03
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1年の計は元旦にあり。そんな言葉がどこからか心の中に浮かんで来た昨日であった。ただ単純にその言葉を脳細胞が覚えていたに過ぎないのである。お恥ずかしいことであるのだがなかなかこの名言の言わんとするところまで至らない。ただ元旦には特別心新たに神聖な心地の中に身を投じていたく願うのみであった。これではこの言葉の存在する価値と言うものには到底達しえない。虚しさを覚えるだけである。「1年の計は元旦にあり」とは「四計」の1つにして「その年の計画は元旦に立てるべきである。だからまずもって年の初めに計画をたて事にあたるべきである。」そう言う意味合いを持つ言葉であるのだから。そんなこと言われてもネ~。仰せの通りでござんす。そう同意しても(赤塚不二夫漫画に登場するキャラクターの1人イヤミの台詞ではないが)「ミ~は非常にキビシイ~?!」そう言いたくなりそうな気もして来る。そもそも「四計」とは一体何ぞや?の境地である。「四計」とは「1日の計」「1年の計」「一生の計」「一家の計」だと言う。それぞれに「1日の計は朝にあり」「1年の計は春にあり」「一生の計は勤めにあり」「一家の計は身を修めるにある」のだそうな。誠にもって「実(まこと)しやかな」つまり「いかにも本当らしい」お言葉のように感じられ仰(あお)いで伺いたくなる気持ちが込み上げ想わず襟(えり)を正したくなった。息子達にこの言葉を伝えようとするのであれば自身も実際に実践せねばなるまい。実家の父から年末「元旦のお昼に皆でいらっしゃい。」そう言う温かな電話をもらっていたのでその時刻に出掛けたファミリーだったのだがいとこ同士(弟の子供2人)と久しぶりに楽しく遊ぶことが叶う小学生兄弟にとってはなかなか別れが後ろ髪引かれるようで出来ずにいて帰宅が夜遅くまでにずり込んでしまうことと相なった。考えてみたら初めからありえる設定であったように想う。帰宅する車内にあって小6が彼女にそっと耳打ちした。小6「お母さん。今日は遅いし疲れているから日記は3行だけにしておいたら。」全くその通りであると小さな紳士に頷(うなず)きながら「ありがとう。ピアノの練習と一緒で少しでも毎日書くから徐々に力がついて来ることもあるように想うの。」そう返答した彼女がいた。3行でやめておけばいいものを書き始めるとつらつらと猛スピードで脳細胞が文章を綴り始める為「ダメ~だこりゃ~。」の心境で「好きな文章作り」に勤(いそ)しみ「楽しむ」彼女に「変身」してしまう。それもまた「まっいいかっ!」の心境である。この心境が「いいさじ加減」を醸し出す為に大切で大層いとおしく感じられても来る。「俳句の会」の月1度の「吟行」にお仲間の皆様と嬉しく集わせて頂き久しくなる。「俳句」の心を勉強していると「季語」を「歳時記」の中から選び出す折りなどに日本に存在する「美しい季節感」「四季の有り様」に触れることが叶いとても嬉しい気持ちにさせて頂くことが叶う。日本にある「和」の心の素晴らしさ。それを心から褒め称(たた)えたくなるようである。「新年」を表す「季語」の中に「初春(はつはる)」と言う言葉があるが新年を称える「季語」の中には「新春」「迎春」「明けの春」「今朝(けさ)の春」「花の春」「千代の春」など様々な言葉が並んでいる。その中で「今朝の春」を使いこんな「句」がひねれた。新春を迎えた日に彼女のベットの中で彼女の語る「寝物語」の後うとうととまどろみに落ち彼女の傍らで静かに寝息をたて始めた小学生の息子がいた。その可愛らしい様子を詠んだ「句」であった。「傍らに息たてる子ありて今朝の春 元気」1句出来上がると続けざまにもう1句出来上がった。「傍らに息ある幸や今朝の春 元気」この瞬間彼女の脳細胞は楽しくワープし同人(俳句の師匠)が脳裏に突然浮かび来て彼から温かなお叱りを受けるシーンが展開し始めるのである。同人がおっしゃりそうな台詞「あのな~。俳句は具象・具体を詠う文芸だろ。2句目は誰の「息」なのか、わからないだろうが…。」それに続けて彼女の想像空想世界の中で彼女自身は彼女の言葉でこう言い返すように思えて来た。ダメだとは感じながらも自身の意見は持ち合わせていたい彼女の台詞「先生。お言葉おっしゃる通りだと思います。お教え嬉しく感じております。ただこんなことも想うのです。俳句を受け取る側の人間が様々な空想を膨らめてゆけるそんな「句」もあっていいのではないかと。それもまた豊かで趣き深いのではないかと。」(ありがとうございます。お正月、美味しいおせち料理に舌鼓を打っていらっしゃることと想います。昨日は久しぶりに実家に家族で出向きました。両親、弟家族と共に美味しいお料理を堪能することが叶いました。有難いことであると感謝しつつ過ごしておりました。皆様におかれましても、素敵なお正月をお過ごしのこととお慶び申し上げます。今年も人様の言葉を感謝の気持ちで有難く耳にさせて頂き人間性と言うものを様々に幅広くより豊かに構築して参りたいと願っております。どうぞよろしくお願い致します。感謝の気持ちで嬉しく筆をとらせて頂きました。ありがとうございます。) (昨日の歩数記録。4245歩。)
2008.01.02
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新しい年を迎えた。祝迎春の晴れやかな心地に包まれている。2008年の爽やかな到来である。改めまして読者の皆様に対し新春のお慶びを申し上げたく想う。2008年明けましておめでとうございます。新しい年が皆様にとりまして素晴らしい年になりますように。そう祈念致しております。本年もどうぞ宜しくお願い致します。念頭にあたりまして皆様方のご健康とご活躍、ご多幸を心からお祈り致します。元旦の今日から気分を一新し新たな気持ちで楽しく軽やかに筆を運んで参りたく想っている。たとえつまらなくど~しようもない下手くそな筆運びになったとしてもあなたの心へと笑いと明るさが幾ばくか届くこと、叶えば本望であると感じている。昨年「日本の宝です。」と葬儀の中で参列者の方から言わしめたお笑い芸人の植木等が亡くなった。昨日ほんの少しであったが彼の死を追悼するテレビ番組を趣き深く垣間見させて頂いた。植木等は「人間にはそれぞれにオリジナリティーがなきゃダメだと想うんだよね。」と生前のトーク番組で語っていた。人の真似(まね)ではなくその人その人の中にあるオリジナルな部分そのオリジナリティーを大切に育ててゆくことが人生において重要ではなかろうか。そう感じた次第である。人と違っていていいと言うこと。オリジナリティーを育む折りにあって特に植木が強調していたことのように感じられた。植木の生家はお寺で寺を継ぐ立場であったように伺った。小4の頃にはもう檀家を読経して回ったそうである。「♪スーダラ節」のレコードを吹き込む時にどうしようかと悩んで実父に相談なさったのだと聞き及んだ。植木等「お父さん。こんな歌詞なんだよ。♪チョット一杯のつもりで飲んで」父上「ほう。それから?」植木等「♪いつの間にやら ハシゴ酒」父上「うん。それで?」植木等「♪気がつきゃ ホームのベンチで ゴロ寝」父上「うん。ありそうなパターンだなあ。」植木等「♪これじゃ 身体に いいわけないよわかっちゃいるけど やめられねぇ」父上「あのねぇ。お前ね~。これはね~。我が寺の祖である親鸞上人の生き様そっくりだな~。親鸞上人は90歳までやりたいことをやりたいようにやってまずいなあとか、やめないといけないなあと想いながらやめることができないで一生を終えられてゆくんだけれどな。そう言う上人の生き様が人間の在り様でありこの歌詞はそれを表しているんだと想うよ~。」植木等はこのお父様の言葉を聴き及び歌おうかどうか迷っていた「♪スーダラ節」を歌うと言う決心をしたのだと語っていた。生前の植木等の映像を昨日拝見させて頂き感じたことが多くあった。お寺と言う世襲制の代表名詞的な家に生まれながら「クレイジーキャッツ」と言う全然違った世界に入ることを許して下さったお父上の懐(ふところ)の深さ広さに感じ入った。ヒトの心を温かく包み込むような面白い笑いを提供出来る植木等と言う人物の素顔は案外真面目で誠実であると思い知った。植木等のような傍にいて温かく楽しく面白く且つどこかほんのりと気品が漂う紳士と言うのはとても素敵で心惹かれるものがあると感じられた。若かりし頃のお顔よりもお年を召してからの表情の方が遥かに素敵で輝いているようにも感じ取ることが出来た。「喜劇の王様」の風格を感じさせる植木等の明るいナンバーで今年も楽しく幕を開けたく想っている。(最初の出だしはムードたっぷりに甘い声で歌い上げて頂きたい。)「♪あなただけが 生きがいなの~お願い お願い 捨てないで~(ここで急に変調し爆笑風に歌われたし。)♪テナコト 言われて その気になって3日と あけずに キャバレーへ金の なる 木が あるじゃなし質屋通いは 序の口で退職金まで 前借し貢いだ 挙句が…ハイ それまで ヨ~(再び甘く囁くように。)♪私だけが あなたの 妻丈夫で 長持ち 致します~(突然変調し、爆笑風に笑いながらにこやかに。)♪テナコト 言われて その気になって女房に したのが 大まちがい炊事 洗濯 まるで ダメ食べることだけ 3人前ひと言 小言を 言ったらばプイと 出たきり ハイ それまで ヨ~♪」面白い歌でしょ。楽しくて気持ちを明るくしてくれますね。クヨクヨ生きても人生。明るく笑って生きても人生と言う言葉が浮かんで来る歌のように想う。最後はおめでたい俳句を2句紹介させて頂きたい。俳句は季節を詠う文芸なので季節を表す「季語」が必要となる。この時期の時候を表す「季語」ならば新年 年始 年新た 年明く 年迎ふ 年立つ初春 春 新春 迎春 明(あけ)の春 今朝(けさ)の春 花の春など、まだまだある。彼女が今回「俳句歳時記・新年」の中から選び出した最初の句は高浜虚子の句であった。「酒もすき餅もすきなり今朝の朝 高浜虚子」2句目は国語の教科書にも出て来る方で飯田蛇笏の句であった。「女人の香亦(また)めでたしや老(おい)の春 飯田蛇笏」(ありがとうございます。新春いかがお過ごしでしょうか。美味しいお酒にほろ酔い気分の御仁も多くいらっしゃるように嬉しく想像空想致しております。平和である安らぎを感じさせるおめでたいお正月風景が日本各地で垣間見られるように想います。悲惨な戦争を体験して来られた世代にあっては平和の有難さと言うものが身にしみて感じられるのではないかと推測致します。念頭にあたりまして「世界の恒久平和」を祈願させて頂きたく想いました。昨夜は国民行事のような「紅白歌合戦」の様子に日本社会の幸福を感じておりました。紅白の中でこう言って爆笑をとったお方がいらっしゃいました。「リア・ディゾン。ショコタン・ショコタン。ハイハイ。親御さんが心配していますよ。早く帰って。帰って。皆様、みかん食ってますか~?米米クラブが帰って参りました。」笑いはいいですね。元気を頂けるように想います。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。皆様にとりまして素敵な年でありますようお祈りしております。感謝の気持ちで有難く書かせて頂きました。ありがとうございます。) (昨日の歩数記録。4878歩。)
2008.01.01
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