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☆★ 浜田 省吾 ★☆Syogo Hamada★☆『 路地裏の少年 浜田省吾 』★☆ ★☆「WE ARE STILL ON THE ROAD」★☆ このDVDの作品は、「浜田省吾」のライブ映像シリーズの中でもピカイチのお勧めの作品である。この作品が4年前に販売された当時は、定価が3675円であったが、それでもこの作品を鑑賞したら、その内容があまりに素晴らしいので、苦労してやっと見つけた宝石のようでとても得をした気持ちになったものである。ライブの内容は1998年から2001年の4年間にわたるロングツアー「ON THE ROAD 2001」の魅力を厳選された全15曲で凝縮した永久保存版スペシャルライブビデオである。浜田省吾の魅力と迫力があり気持ちの良いサウンド、臨場感のある野外・屋内ライブコンサートのカメラアングル、浜田と観客が一体となったライブ風景を見ていると、まるで目の前でリアルにライブに参加しているような錯覚をしてしまうほどであった。~素晴らしい!!♪♪~♪、きっと満足しますよ! ☆★作品構成☆★時間~約100分全15曲の収録曲名(1)"Blue Sky(2)路地裏の少年(3)"There`s No Business Like Show Business" (4) A NEW STYLE WAR(5)MONEY(6)LOVE HAS NO PRIDE(7)君の名を呼ぶ(8)Part of "Midnight Cab” (9)モノクロームの虹(10)さよならゲーム(11)Part ob”God`s Little Helper”(12)Prologue of"LET SUMMER ROCK 99"(13)勝利への道(14)星の指輪(15)J BOY(16)もう一つの土曜日 (17) ON THE ROAD(18)終わりなき疾走(19)悲しみは雪のように(20)演奏旅行(21)”Blue Sky” ★DVD/WE ARE STILL ON THE ROAD (4ヶ国語字幕付(日本語、英語、中国語、韓国語))/浜田省吾/SEBL-42楽天で購入浜田省吾公式サイトはこちら!!ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2006/09/02
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★☆ 第2次大戦中のドイツ陸軍騎兵(1939~1941年) ★☆ Let's enjoy the plastic model !~ 1/35 MILITARY MINIATURES SERIES No.53 ~ 動物園で馬を観る機会がありました。それは、こげ茶色の色艶(いろつや)が良く光沢のある毛並みやたてがみ、まえがみ・・そして、黒い大きな目に長いまつげ、一見とても気が優しい表情の大きな馬でした。その美しい馬をじっと観ていると・・・無性に馬のプラモデルを作りたくなりました。馬と言ってもREALISTの場合は、単なる馬では物足りないわけで、そこはやはり、ドイツ陸軍に関係する軍馬となるわけです。 今回は、タミヤの1/35ミニタリーミニチュアシリーズの「WEHRMACHT MOUNTED INFANTRY SET (ドイツ将校 乗馬セット)」でドイツ陸軍騎馬兵と軍馬1組を作成しました。 第2次大戦中の世界中の軍隊の中でも比較的に機械化された装備を誇ったドイツ軍でしたが、それでも大戦初期の、主にポーランド戦(1939年)、東部戦線初期(1940年)では多数の馬が偵察用、運搬用に使用されました。第2次大戦開戦当初のドイツ陸軍兵士の制服で特徴的なのは、上衣はフィールドグレイ、ズボンはダークグレイの2色構成でした。 BOX ART (By TAMIYA) 1975年4月から発売された比較的古いキットであり、何よりも注目されるのは、「1/35ミニタリーミニチュアシリーズで初めて馬が登場した記念碑的なキット」と言ってよいでしょう。第2次大戦中初期の軍馬とドイツ陸軍騎兵のリアルな表現を見事に仕上げることができる魅力的なキットです。★☆ 『 German Soldier and his horse 』★☆ 「ドイツ兵と馬」の動画 19世紀までは、ヨーロッパでも戦場の花形だったのが騎兵(きへい)でした。この写真は、ポーランド戦開戦時(1939年)での偵察部隊のようです。偵察任務は、次第に騎兵部隊から装甲車やオートバイ部隊へと鉄の馬の出現により発展解消していきました。 馬の毛並みの色は、実際の馬を観た際の色を思い出しつつ、赤、黄、白、茶を混合して作りました。色の割合の調節で微妙に色が変わるのでなかなか理想の色になりませんでしたが、最後はなんとか一定量の色を作ることができました。 後方の状況です。軍馬は、第2次大戦初期では、騎兵に限らず、歩兵や砲兵などの兵科の区別なく、将校や下士官によって好んで使用されたそうです。自動車が全軍にいきわたらなかった機械化の過渡期段階であったことや、当時のドイツでは乗馬が趣味、スポーツとして好まれていたことにも理由があるそうです。★☆ 『 I Am - Horses 』 ★☆ 「私は・・・馬」の動画 馬は、最近ではなかなか普段は見かける機会がありませんが、人間と馬の関係は歴史的にも古く、世界中で古代からほんの数十年前までの長い間、日本国内でも農業用や運搬用、武士や軍隊までが使用して、いたるところで普通に見かけることができた時代が長く続きました。しかし、最近では、動物園や競馬用、食肉用の馬がわずかに存在しているにすぎません。 馬の装備のクツワ金具、手綱(たずな)、鞍(くら)、アブミ、腹帯などの状態が正確に再現できます。手綱は、付属の0.2mmフラパンを細身に切って再現することになっていますが、使い勝手が悪く、REALISTは、別の市販されていたものを使用しました。 馬に実際には乗ったことはありませんが、一度は乗ってみたいと思います。馬の負担を軽くするために厚手の毛布の上に鞍(くら)を載せています。首付近左右には飯盒(はんごう)と雑納袋があります。 正面からみた状況ですが、馬の顔の表情も自然に近い仕上がりが素晴らしいのが、このキットの馬のモデルの特徴です。 ★☆ 『 last german cavalry 』 ★☆ 「ドイツ兵と馬」当時の実際の動画 写真は、1939年9月1日に第2次大戦の勃発であるポーランド戦でのドイツで唯一存在した騎馬部隊の「第1騎兵師団」の姿であり、同師団は、やがて1941年11月に「第24装甲師団」に改編されたことにより、事実上、騎兵が発展消滅しました。 <10%OFF>1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.053 ドイツ将校 乗馬セット 【タミヤ: 玩具 ...価格:472円(税込、送料別)ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2010/11/08
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☆★ 映画「硫黄島からの手紙」 ★☆ Letters from Iwo Jima ★☆映画『硫黄島からの手紙』について☆★ この映画は、クリント・イーストウッド監督と『プライベートライアン』製作のスピルバーグによる『父親たちの星条旗』に続く、硫黄島2部作の第2弾です。日本の最南端にほど近い太平洋に浮かぶ東京都小笠原村硫黄島は、東京の山手線一周ほどもない小さな島に過ぎませんが、1945年2月当時は、アメリカ軍の本土攻撃を食い止める最期の砦として重要な拠点でした。アメリカ軍は当初、上陸前の徹底的な航空爆撃と戦艦の艦砲射撃で陸上構築物を破壊殲滅するとともに、圧倒的な航空戦力、海上戦力、上陸戦力の違いからわずか5日間で簡単に陥落できると豪語したわけですが、予想を遙かに上回る日本軍の激しい抵抗によって激戦は36日間にも及んだわけです。 1944年6月、硫黄島日本軍守備隊司令官として着任したアメリカ駐在武官の経験を持ち、親米派でありながらアメリカを最も苦しめた指揮官として知られる知将・栗林忠道中将が家族に宛てた手紙をまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』を基に、本土防衛最後の砦として、死を覚悟しながらも一日でも長く島を守るために戦い続けた男たちの悲壮な最期を見つめ、その人物や苦悩に焦点を当てながら、戦争の愚かさ、無念さ残酷さを見事に描いたものでした。届かぬと知りつつも家族への思いが綴られた数百通の手紙が、戦後61年が経ち洞窟の地中から発見されるシーンがその物語のプロローグに使われ、最後のエピローグにも再び登場しています。 ★☆ 『 "Letters from Iwo Jima" - Clint Eastwood Segment 』 ★☆ ★☆鑑賞結果・感想★☆ 本作品は、戦争映画にありがちな戦闘シーンそのものよりも戦場に置かれた兵士達の苦悩や戦争の悲惨さというものを痛切に考えさせられるものでした。この作品は、世界中に公開されるアメリカ人のクリント・イーストウッド監督によるハリウッド製の作品でありながら、全編日本語が使われています。したがって、アメリカや他の国では英語の字幕が出るそうです。既に毎年アカデミー賞までの賞レースの先陣を斬って発表されるナショナル・ボード・オブ・レビュー賞(“アカデミー賞につながる賞”として評価が高い)では、「最優秀作品賞」に選定されています。 細かい当時の時代考証も相当に研究し尽くされているのには驚きました。当時、一般の警察もが恐れていた警察の上の警察であったスパイや反国家思想分子摘発に目を光らせていた憲兵隊のパトロールシーンやその振る舞いや態度、兵士の服装の細部、機関銃などの使用武器、戦中の日本家屋や看板、一般人の服装、千人針の習慣等々、戦後は消えてもう目に触れることのないものまで見事に再現されていました。おそらく、実際に使用された実物を基に再現したものだろうと思います。 一番驚くべきことは、アメリカ人の作品でありながらも日本人の立場から描かれている点なのです。これまでは、先の大戦の戦勝国アメリカの作品であれば、当然に敵であった日本軍やドイツ軍を表現する場合、「アメリカ軍が正義の軍隊で英雄(ヒーロー)ばかり、敵軍の日本軍やドイツ軍は残忍で醜くくすぐに負ける弱い軍隊」として強調され表現された偏ったものでした。しかし、クリント・イーストウッドは、一方の視点ばかりでなく、敵方の視点や立場にも立った公平な感覚で冷静に戦争の悲惨さや戦争犠牲者に対する敬意を表し、戦争反対を訴えたものであり、その意味でも見事で革新的な作品でした。見終えた直後は、「男たちの大和」で母親を呼びながら死んでいった可哀想な若い兵士達のシーンを思い出してしまいました。 ★☆「硫黄島の戦い」の概要★☆ 1945年2月19日にアメリカ海兵隊が上陸を開始、3月26日になり日本軍の組織的戦闘は終結しました。日本軍は20,933名の守備兵力のうち20,129名が戦死しました。一方、アメリカ軍は戦死6,821名及び戦傷21,865名の損害を受けました。太平洋戦争後期の島嶼防衛戦におけるアメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘でした。 ★☆クリント・イーストウッド監督のこの映画に対するコメント(抜粋)★☆『数年前に元となる本(『「玉砕総指揮官」の絵手紙』)を読みました。(スティーブン)スピルバーグに話して、映画化の権利を買ってもらったのです。そしたら「監督しなさい」と勧められました。映画を撮ることになって、まず行ったのは1945年の戦況を調べることでした。硫黄島の戦いでは日本側のユニークな防衛に興味を持ち、(渡辺謙が演じた)栗林という実在の兵士の人間性を知りたくて日本から本を取り寄せ、もちろん翻訳したものですが、読みました。その結果、アメリカ側、日本側に似通ったものがあると知りました。若くして人生を終わらせてしまった人がいることは共通しています。多くの霊が眠っている硫黄島。追悼と敬意を表し、戦争を知らない若者たちに伝えたい。』『大事な歴史の一部である「硫黄島の戦い」を正確に描くということは非常に大事なことでしたし、両側でたくさんの命が失われたことを、彼らへのトリビュートにしたいという気持ちがありました。映画の中で栗林中将がみんなに言う「何年も経ったら君たちのことをみんなが思い出し、そしてあなた方の魂を祈ってくれる」というセリフがあります。私たちに忘れてはならないと言っている、とても大事な言葉だと思います。国のために戦い、そして死んでいった人たちがいることを忘れてはならないと思います。彼らの大半が若い、子供のような青年たちだったと思います。二宮さんや加瀬さんが演じている兵士がまさにそうで、それはアメリカ側も日本側も同じだと思います。硫黄島では2万1000人の日本兵士が命を落としています。これは非常に大きな数字であり、我々はそのことも忘れてはいけないと思います。単に敵に殺されただけではなく、硫黄島という土地柄、飢えや水不足、そして病気から死んでいった人も多くいます。この映画は戦争の空しさというものを描いていますし、両サイドとも勝者や敗者というものではありません。やはり犠牲となった若者、これが一番忘れてはならない事実だと思います。』 『日本側は守備の立場でしたが、あの島に行った兵士たちはもちろん生き残って国に帰りたいと思ったでしょう。でも最初から帰ることはできないと覚悟して行った人たちです。私は彼らの気持ちや死を覚悟するとはどのようなことか共感できず、出来る限り日本兵の気持ちになろうと一生懸命自分で勉強し、共感できるように持っていきました。2005年4月に硫黄島へ行ったとき、島を歩いて本当感動しました。多くの母親があの戦争で息子を失ったのです。それは日本側もアメリカ側も同じです。ですからこの映画はどちらが勝った負けたの映画ではないのです。戦争というものが、特に若い人たちの人生を中断させ、あるいは人生を失わせて、どういう効果・結果を及ぼしたかを描くことが日本側のポイントです。』監督: クリント・イーストウッド 製作: クリント・イーストウッド スティーヴン・スピルバーグ ロバート・ロレンツ 製作総指揮: ポール・ハギス 原作: 栗林忠道 『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫刊) 吉田津由子 (編) 原案: アイリス・ヤマシタ ポール・ハギス 脚本: アイリス・ヤマシタ 撮影: トム・スターン 美術: ヘンリー・バムステッド ジェームズ・J・ムラカミ 衣装デザイン: デボラ・ホッパー 編集: ジョエル・コックス ゲイリー・D・ローチ 音楽: クリント・イーストウッド ★出演★: 渡辺 謙 ~「栗林忠道中将」役 二宮和也 ~「西郷」役 伊原剛志 ~「バロン西(西竹一中佐)」役 加瀬 亮 ~「清水」役 松崎悠希 ~「野崎」役 中村獅童 ~「伊藤中尉」役 裕木奈江 ~「花子(西郷の妻)」役 「劇場情報」はこちら!ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2006/12/16
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★☆ 大戦中活躍したMG42重機関銃チームの再現モデル ★☆ GERMAN- MG42- HEAVY- MACHINE- GUN- TEAM~ 実戦のリアルな緊張感と戦闘風景を彷彿させる見事な描写 ~Splendid description that is reminiscent of real tension and combat scenery of actual combat 今回ご紹介するミリタリー・フィギュア・プラスチックモデルは、第2次世界大戦中に活躍したドイツ軍の誇るMG42重機関銃部隊の戦闘場面を再現したドラゴン(DRAGON)社の35分の1スケールモデルの製品です。The military figure plastic model introduces this time is a product of 1/35 scale model of DRAGON company that reproduces the combat scene of the MG42 heavy machine gun force of which a German army active in World War II boasts. これは、このプラモデルのBox Art(箱絵)ですが、完成すればこの箱絵と同じ状態が再現されます。この箱絵も精密に描かれており、装備品の装着状況などの作成の際の参考になります。 このモデルの表題は、ズバリ『GERMAN- MG42- HEAVY- MACHINE- GUN- TEAM(ドイツ軍MG42重機関銃チーム)』で、通常の重機関銃チームの指揮官と射手、弾薬手の3名のほか、目標の距離を正確に測定する測距手1名の計4名のフィギュアとMG42重機関銃、重機関銃用三脚架(ラフェッテ42)と1m測距儀(EmR1m)が付属しています。 現在作成中の製品ですが、精密さや正確さもなかなかのものですが、フィギュアのリアルな戦闘の緊迫感や自然な表情、動きを再現できる秀逸のプラモデル製品だと思いました。近いうちに完成品をご披露する予定です。重機関銃仕様のMG42で遠距離射撃用の望遠照準具と銃下方のグリップ式トリガーの状態がよくわかるシーンです。(1944年東部戦線ロシアにて)The scene to understand the state of the grip type trigger the telescope aim tool for the distance shooting and under the gun well from MG42 of the heavy machine gun specification.(In east part front Russia in 1944. ) MG42重機関銃は、大戦初期から使用されていたMG34重機関銃を改良して、発射速度を毎分900発から1200発に向上させ対空攻撃でも威力を高め、戦闘中の銃身交換も容易となり、プレス加工で高い生産効率を実現させ、1942年から正式採用された重機関銃であり、7.92ミリ弾を使用しました。重量は11.5kgで有効射程距離は3200mもありました。戦後もこのMGシリーズの機関銃は、その優秀さがそのまま引き継がれ、現在のドイツ軍戦車や装甲車の車載銃や陸軍兵士の重機関銃として使用されています。 The EmR Im is one of the most popular range finders used by crew of 2cm,3.7cm and 8.8cm FLAK guns. It weighed 4.5kg.ドイツ軍は、対空攻撃でも陸上(海上)攻撃でも直接的目標攻撃が可能な場合に、攻撃目標に対する正確な着弾を追求したため、この種のステレオ式レンジファインダー(光学測距儀)を多用しました。日本でも戦艦大和の主砲に同様の大型のものが装備されていましたが、この測距儀を使用することで目標までの正確な距離を算出することができました。写真は、北アフリカ戦でドイツ軍が対空機関砲で遠方の地上目標を攻撃する際の携帯式1m測距儀(EmR1m)を使用中のシーンです。ドイツ軍では、88ミリ対空砲などの大口径砲を使用する場合ばかりか、重機関銃を使用して遠距離目標を攻撃する際にも使用されたようです。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/01/10
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